オクターブアップ!

「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
ウイークポイント。

先日、お袋さんが目の手術をした。
白内障が悪化して、どんどん視力が低下するので、ここでぱぱぱっと治しちゃおうというわけである。ぼくは付き添いということで、会社を休んでお袋さんが病院に行くのに同行した。
お袋さんは去年の年始に胃の大部分を切除する手術をした。胃がんが進行している形跡があり、今後のことを考えて切除することにしたわけである。しかし結局のところ、胃がんではなく良性の腫瘍ということが分かったのだけど、手術の前後に入院があったり、しかも周囲はがんを患った患者さんばかりということもあって、かなりナーバスになっていたものである。今回も手術なので、お袋さんのメンタルは大丈夫かなと思ったけど、かなり意外なことにとても楽観的だった。ぼくが拍子抜けするほどあっけらかんとしていた。「手術が失敗して失明したらどうしよう」くらいの不安を口にするかなと思っていたから、いや、ぼくだったら必ずそんな風に不安になるだろうと思ったから、お袋さんのメンタルが心配だったのだけどね。
どちらかと言えば、我ながらぼくの方が心配だった。
そう、問題はぼくだったのだ。

 

今回の件で分かったけど、ぼくは目の話しに弱い。
今回の術式は、目の角膜に切り込みを入れて、そこに人工のレンズを埋め込んで固定するのだそうだけど、もうこれを説明されるだけで、身の毛がよだつ。背筋が寒くなる。足がぞわぞわっとくる。お袋さんがあっけらかんと説明するのを聞くだけで、こうなっちゃうのだから、事前に病院で執刀医に図解付きで説明されちゃった時には、もうつま先から腰の辺りまでがぞわぞわで自分の身体じゃないみたいな感覚になったものである。いや、目の話しは苦手である。
身体を切り刻む的な話しが苦手な人は、たしかに一定数いる。血が苦手な人とかね。それこそコピー用紙で指先をさくっと切っちゃったような時でも、じわっと滲んできた血を見て卒倒しちゃうような人も男女問わず少なからずいるものである。しかし、ぼくはそういう人じゃない。たとえば、お袋さんが胃の切除手術をした時は、術後に執刀医から手術の状況を説明された時、摘出した胃の写真を見せられても平気だった。その前だって、さきこの子宮筋腫の手術の時は、写真どころか摘出された筋腫が目の前にどでんっと置かれても何も感じなかった。いや逆に、感じたのは強い好奇心と触ってみたいという強い衝動だった。そんなぼくだから、こういう話しは別に苦手ではないと自負していたのである。
しかし、どうも目の話しだけはダメみたいである。
お袋さんが手術室に誘導されて、付き添っていたぼくも一緒に移動したんだけど、看護師の方から「手術の様子をご覧になりますか?」と聞かれて、ほとんど即答で「いえ、結構です」と言っていた。ぼくが寄りかかるベンチの後ろの壁のその向こうでは、お袋さんが手術台に横たわり、穴の空いたシートに左目だけ露出させて、先の尖がったいろいろな器具でいじられているのかと思うと、もう居たたまれなかった。しかも、しかもである。この手術では目の部分だけの局所麻酔なのである。つまり眼球やまぶたを動かす筋肉は麻酔がかかっているけど、視神経は機能しているのだ。つまり、先の尖がったいろいろな器具は、見えているのである。うおおおおーーーーっ!ぞわぞわくるわーーー!書いてるだけでキツいわーーー!

 

・・・そんなわけで、お袋さんの手術は無事終了した。
まだ視界がぼんやりしているそうだけど、医師の診たところ、術後の経過は順調だそうである。このまま順調にいけば、来週は右目の手術である。これにも付き添って欲しいとのことなので、会社を休んで付き添ってこようと思うけど、なんだかぼくのメンタルが心配である。
看護師の方が言っていたけど、目の話しが苦手なのは、主に男性なんだそうな。手術を受ける側はさほどでもないのに、付き添いの男性が参ってしまう場合、時には卒倒してしまう男性もいるんだそうな。どうも目が弱いのはぼくだけじゃないみたいだね。
これはきっとぼくが周囲の状況を認知するのに、視覚に大きく依存しているからだろう。だから視覚が失われたり、損なわれたりすることに大きな恐怖感があるのだろう。古代から狩猟をしてきた男性は、生き延びるために視覚は重要だったんだろうな。
ともかく、お袋さんの左目の手術が無事に終わって安心している。

 

それにしても、ぼくが白内障になったらどうしよう。お袋さんと同じような手術を受けなければならないのだろうか。いや、これは怖いわー。

| 日記 | 14:19 | comments(0) | trackbacks(0)
呪いのヘッドホン。

久し振りに物欲が発動してしまった。いや、物欲は最近いろいろと発動しているのだけど、その中のあるモノについて、ふと物欲が顕在化して、ついに購入に至ってしまった。
それは、ヘッドホンである。
しかも、ワイヤレスである。しかもさらに、ノイズキャンセル機能付きである。
つまり、ノイズキャンセリング機能付きの、ワイヤレスな、ヘッドホンである。くどいか。いや、これはスゴいわ。
我ながらよくぞこんなものを購入したものだと思う。一般的なヘッドホンなら自宅に2個くらいあるし、イヤホンならそれ以上、5個くらいはあるだろう。いやもっとあるかな。通勤途中くらいしか音楽を聴かないぼくにとっては、既にこれだけのヘッドホンやイヤホンがあれば充分以上のハズである。聴いている音楽だって、どうせ大したものではないのだ。それなのに、なぜ、新たにヘッドホンを購入したのか。しかも、ワイヤレスでノイズキャンセリング機能の付いた高価なヘッドホンを購入したのか。

 

それはほとんど呪いみたいなものである。
実はノイズキャンセリング機能付きのヘッドホンを手に入れるのは今回が初めてではない。もう何年も前になってしまうけど、かなり昔、それこそノイズキャンセリング(ノイキャン)機能付きのヘッドホンが発売された当初に購入したことがある。最近主流の内臓バッテリーではなく、単4電池で給電するタイプだった。当然ながら、ワイヤレスではなく、有線である。
そのヘッドホンを購入する前は、ノイキャン機能を訝しく思っていた。周囲の音を消すために、わざと逆位相の音を流して、音を打ち消し合うようにするという考え方になんだか抵抗があったのだ。音を聞こえないようにするために、わざわざ音を流すというのは、まあたしかに逆転の発想ともいえるけど、それはヘッドホンから流れるべき本来の音楽ではなく、周囲の雑音が重ねられた、いじられた音楽ということなわけで、なんだか違う気がしたのである。
しかし、ヘッドホンを耳に当て、ノイキャン機能をオンにした瞬間、その考え方は一変した。衝撃が走った。世界が転換したと言っていい。周囲の喧騒が一瞬で消え、突如として静寂が目の前に立ち上がったのである。もちろん、完全な静寂ではない。人の話し声も靴の足音も聞こえるのだけど、環境音というか空気の音というか、どの環境でも必ず聞こえているような「ゴーーー・・・」とも「コーーー・・・」とも言えない音は完全に消え去ったのである。なんとも言えない静寂の圧力みたいなものが感じられた。
そして、音楽を流してみる。するともう音楽しか聞こえないのだ。話し声も靴の音もまったく聞こえない。完全に音楽だけの世界である。コーヒー屋でノイキャンヘッドホンで音楽を聴いていても、音楽ホールにいるかのような鳴りが頭に響き渡り、逆に目の前に広がるコーヒー屋の景色の方が異質に感じるのである。ぼくは音楽ホールにいるハズなのに、なぜコーヒー屋の景色が見えているのだ?と。
そのヘッドホンはしばらく使って残念ながら故障してしまい、その後は主にイヤホンで音楽を聴いていた。
しかし一度でもノイキャン機能を経験してみると、その魅力からは逃れられない。音楽をただのBGMとして聴く以上に聴くのなら、なおのことである。何個か一般的なヘッドホンを買ってみたけど、「なんか違う」とずっと思っていたのだ。ノイキャン機能のヘッドホンへの憧憬は依然として強かったのだ。

 

そんな折、たまたまさきこが貯めていた携帯電話使用料のポイントがある一定の額に達した。そのポイントを使って、さきこがぼくに何か買ってくれるということになった。これは千載一遇のチャンスである。ぜひ、ノイキャン機能付きワイヤレスヘッドホンを購入しよう!
さきこと会社帰りに待ち合わせて、早速家電量販店に行った。どうせ買うなら、ちゃんとしたノイキャン機能のあるヘッドホンにしようということで、ちょっと高めのノイキャン・ワイヤレス・ヘッドホンを購入した。あの静寂をもう一度体験できるのである。やったー!

 

思えば、かつて音楽とは、音楽ホールでのみ聴くことのできるものだった。音楽を聴きたければ、チケットを購入して音楽ホールに行かなければならなかったわけである。しかしレコードの出現で、蓄音機のような再生機を使って自宅で音楽を聴くことができるようになった。音楽が生活の中に入ってきたのである。そしてウォークマンの登場で、音楽は生活の中で場所を選ばなくなった。リビングでもキッチンでも、通勤途中でも音楽を聴くことができた。生活に入ってきた音楽がその影響範囲をどんどん広げていったわけである。それでもウォークマンが登場して以来、これ以上の生活への浸食はないと思われた。音楽を再生する媒体は、レコードやカセットテープ、CDや記憶媒体などと変化していったけど、音楽と生活の関係性、浸食度合いは大きく変わらなかった。
しかし、ノイキャンヘッドホンがそれを少しだけ変えた。生活の中に音楽が一歩踏み出してきたのだ。生活の中にあった音楽は、その一歩で逆転し、音楽の中に生活を置く瞬間を生み出したのである。
ノイキャンヘッドホンで音楽を聴きながら電車に乗っていると、電車の音は聞こえない。アナウンスの音さえ聞こえない。それまでは多少とも車内アナウンスが聞こえていたけど、今回のヘッドホンでは音楽に集中していると車内アナウンスすら聞こえないのだ。今電車がどこを走っているか、どこの駅に停車しているかが分からないのである。
電車に乗っていて、周囲の音をシャットアウトして音楽を聴いていたら、下車すべき駅を乗り過ごしてしまう。ポータブルで音楽を再生する機器で初めて怖いと思った。

 

そんなわけで、過去の呪いに抗えず、またノイキャンヘッドホンで音楽を聴く生活になった。だからと言って、高尚な音楽を聴くわけではないのだけどね。でも、周囲に雑音のない音楽だけの世界というのはいいものである。実際は雑音がないのではなく、逆にヘッドホンから雑音を聞かされているわけだけど、ともかく音楽に集中できる時間ができるのはうれしいものである。
去年感銘を受けたサックスだけの演奏会のCDを先日購入して、これを聴けるようになるとまたサックスがやりたくなっちゃったりするのかな。

※コーヒー屋の景色を一変させた呪いのヘッドホン。

| 物欲日記 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0)
先週は。

先週は自宅近くで毎年参加しているランニングイベントがあり、10キロを走ってきた。さきこは所用で参加できなかったけど、まりこさんが走った。
ぼくはこのランニングイベントが好きで、さすがにハーフマラソンはキツいけど、10キロにはここ数年参加している。
1月は大寒波が襲来して、横浜でも雪が降る日があったりしたんだけど、この日は気持ちよく晴れてくれて、風もなく日差しが暖かかったので、とても走りやすかった。地元を走るというのもなんだか嬉しいしね。
結果としては、54分30秒ほど。うん、まあなかなかの記録である。
去年までは1時間を切るのが精いっぱいだったので、1キロ当たり5分30秒を切るペースで走り通せたのは嬉しいことである。
これはダイエットの効果なのか、ジムでの筋トレの効果なのか、ともなく去年とは違った何かを感じさせるランニングだった。
思えば、1月中旬から毎週のようにランニングイベントに出ているけど、リタイアしちゃったフロストバイトでの10キロ、その翌週の城南島での10キロ、またその翌週に代走で参加した駅伝での4キロと、どれをとってもタイムとしてはそれなりの記録になっている。これは偶然とかではなく、ぼくの身体に何らかの変異があったからだろう。この変化を萎ませないで、さらに高めていけたらいいなと思う。
それにしても、ランニングはいいなー。いい記録や気持ちいい走りができた時の充実感はホントに格別である。これがさらに速くなって、50分を切るような境地に至ったらどうなるのかね。そう、1キロ当たり4分台で走る境地である。いや、今のぼくにとっては異次元の世界だな。でも、もしかしたら・・・なんてつい想像してしまうのが、楽しかったりする。
さて、ランニングイベントの連続はこれでひとまず終わり、3週間後には三浦国際市民マラソンである。何度も書いているけど、過酷なランニングである。制限時間が長くなったとは言え、以前から参加しているランナーとしては、ぜひ過去の制限時間内にフィニッシュしたいと思っている。天候などのコンディションの影響を受けやすいけど、ランニング練習を重ねられたらいいなと思うのである。

| Be RUNNER! | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。

2月である。先月はあっという間に過ぎたよう・・・に思えつつ、いろいろとバタバタしていたために何だか長い1か月だったような気がする。さきことお袋さんと一緒に渋谷に第九を聴きに行ったのが、はるか遠い記憶のようである。それから大阪に行ったり来たりしたんだから、なかなかのハードっぷりである。その他にもいくつかのプロジェクトがあって、今週はそれらが一気に動いたこともあって、それも含めてなかなかハードな1月だった。複数のプロジェクトを動かしていれば、そりゃ1か月は長く感じるというものである。
しかしそれらも昨日までにヤマをある程度越えて、今はちょっと一息ついているところである。疲労感とじわーっとした達成感もありつつ、残りの期間も頑張ろうと思うのだ。

 

さて、今週は皆既月食があった。会社を早くに出ると、東の空の低めの位置で大きな月が見えていた。東京は薄曇りのようで、シルエットがぼやっとした感じだったけど、皆既月食が待ち遠しかった。
さきこと自宅に帰り、着替えて近くの公園に行った。数年前の金環食の時もその公園に行ったな。天文ファンがたくさん集まって空を見上げているのかなと思ったら、2、3人ほどのおじさんがカメラを上に向けていただけだった。
寒いから子供は出てこないのかな。今年はインフルエンザが猛威を振るい、学級閉鎖もあるそうだから、寒い中をあえて出ていこうとは思わないのかな。せっかくの天文ショーなのにもったいない話しである。
ぼくとさきこが帰宅中から月が欠け始め、自宅を出て公園に着く頃には半分以上が欠けていた。双眼鏡で覗いたり、カメラで撮影したりしながら月食を眺め、月が地球の影に隠れた頃に自宅に戻った。さきこも興味はありつつも、かなり寒そうだった。ぼくたちが帰途に就く頃には、先ほどまでいたカメラおじさんたちの陰も形もなくなっていた。ぼくには分からないけど、ああいう天文ファンの人って、月が欠けている状況に魅力を感じるんだね。ぼくは欠けている途上よりも欠け切ったところの方が好きだけどな。

※会社近くで見た月。大きいな。

| 日記 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0)
ウェンズディ・ムーン。

今日は1月31日、水曜日で、月齢的には満月だそうな。しかも今回の満月は、1か月に2回もの満月が巡ってくる「ブルームーン」だそうで、さらに月との距離が近くなる「スーパームーン」、さらにさらに今日は皆既月食だそうである。これは数百年に一度みたいな稀有なデキゴトだそうである。
これを報じるテレビのニュースでは、某徳〇英〇の「ウェンズディ・ムーン」が流れていた。水曜日の月・・・まさに今日はそうである。そんな日にスーパームーンとブルームーンと皆既月食が重なるのだから、そりゃニュースで流す音楽に採用されるだろう。この曲はぼくが高校生だか大学生の頃に友達とよくカラオケで歌ったものである。なんだか懐かしい感じがするな。
さて、懸念されるのは、月見の際の天気だけど、どうもあまり良くないようである。それでもできるだけ早く会社を退社して、自宅近くで月見をしようかな。ウェンズディ・ムーンでも口ずさみながら。

 

いや、いつもよりさらに増して内容の希薄なブログになってしまったな。前回がかなりネガティブな内容だったので、軌道修正するためにもアホな内容を書こうと思っていた。来月から少しはまともなブログになってくれればいいな。

| 日記 | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0)
ベストタイム・ワーストメモリー。

とある駅伝大会に代走で走ることになり、かなり頑張って4キロを20分31秒で走った。1キロ当たり5分7秒で走ったことになる。これはぼくにとって今までにないいいタイムである。距離が比較的短かったこともあって、自分なりにはかなり頑張って得た記録である。

しかし全然嬉しくない。
ぼくの勤める会社の関係で走るハメになったこと、駅伝の同じチームにぼくの上司がいて、しかもぼくがタスキを渡す相手がその上司だったこと、もうそれだけで胃が痛くなり蕁麻疹が出てしまうのだけど、しかもその上司は結果的にぼくよりもいい記録で走り切ったこと、その他にも諸々のデキゴトがあり、ぼくの中でまったく整理がついておらず、ポジティブな思考が全然できないでいる。いい思い出にできないでいるのだ。
ランニングをしていてこんな変な気持ちになったことは一度もない。こんな気持ちになるランニングは、もはやランニング、というかスポーツですらない別の何かだったんだろう。もう考えるだけで身体中が痒くなるわ。
そんなわけで、記憶から消し去りたい嫌なデキゴトにもかかわらず、自己ベストのラップタイムが出てしまったので、とりあえずその事実だけは残し、ついでに詳しく書けない、書きたくない事情についても、さらっと触れておくことにした。
来週は早く退社して、さきこと楽しくランニングして、こんな嫌な記憶をとっとと消し去ることにしよう。

| Be RUNNER! | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0)
龍神さまと雨男。

先週は金曜日に会社を休んだ。年明けからバタバタしていたので、少しゆっくりしたいと思い、休養を1日いただいて個人的に三連休にしたわけである。
しかし、金曜日の午前中に自室で足を伸ばして寛いでいたら、コウくんが現われて膝の上にぴょんと乗ってきてそのまま腰を下ろし、それから数時間ほども身動きを取ることができなくなってしまった。文字通り何もすることができず、ほとんどの時間を一緒にうたた寝することくらいしかできなかった。いや、コウくんよ、ゆっくりしたいというのはそういうことじゃないんだけどなー。
土曜日もさきこが不在だったので、ほとんど同じような過ごし方になるかと思っていたら、ちょっとしたことで右脳が回転し始め、絵なぞを描く時間を得た。お絵描きをしている時間こそ、ぼくにとって最高の癒しであり、最高の休日の過ごし方である。描きたい時に限って絵なぞの構想が浮かばないものだけど、この日は上手い具合に波に乗ったみたいである。

 

この「ちょっとしたこと」というのは、モチーフに関する単純な思いつきである。その発想は以前ネットで見かけた話しからの連想である。
「雨男というのは、雨や水を司る龍神さまに守られている」。
これはちょっと前になるけど、今年夏に予定しているチャレンジサイクリングのことを考えていた時、どこに行くにしても天気が悪ければどうしようもないよなーなどと、ネガティブな思考に囚われてしまった。楽しみにしている予定がその日になるとコトゴトク雨になるという、全知全能の人外の存在に意地悪されているぼくのような人は、行き先よりも天気の方が気になってしまうのだ。雨が降ったらどうやってリカバリーしよう・・・なんてね。いや、数か月前の天気を今から気に病んでいてもしょうがないのは承知しているんだけどね。過去に多くのイベントで雨に降られた経験があるので、こういう時ネガティブな思考が頭をもたげるのである。
そこでふと思いついて、ネットで調べてみた。
「雨男を治す方法」
いや、そもそも雨男かどうかなんて主観の問題で、ホントに雨を呼ぶ男や女がいるわけはないのだけど、ひょっとしたらネットには予想外の情報が載っているかもしれない。
それにしても、同じことを考える人はいるもので、そういう声に答えるサイトがあるんだから驚きである。
しかし見つけたサイトでは、やはり雨男や雨女は主観の問題であり、雨の時の記憶が強過ぎて、「自分は雨に見舞われる性質なんだ」と思い込んでいるだけなどと書いてあった。やはりそうだよね。実際にぼくだけに雨を降らせるなんて現実にあるわけじゃないよね。
ただ読み進めてみると興味を引くことも書いてあった。
「雨男は龍神さまに守られている」
龍神さまは雨や水の守護神で、悪いことを水で浄化するとも言われる。もしホントに雨男なるものが存在するとすれば、雨を呼ぶ神さまである龍神さまに守護されているのだと思ってはどう?という話しである。なんだかオカルト的というかスピリチュアル的な話しだけど、ぼくはなぜか妙に納得してしまった。今まで「全知全能の人外の存在」などと書いて、どこかにいる神さまみたいな存在を意識していたけど、それは龍神さまのことだったか。そして龍神さまがいるからこそ、ニンゲンは雨の恵みを享受できるわけである。なるほど!
・・・いや、なるほどって言っても、これでぼくの雨を呼ぶジンクスが解消されるわけじゃないけど、なんだか妙に納得してしまったのだ。龍神さまが大地に恵みの雨を降らせているんじゃしょうがないか。
ちなみに、晴れを呼ぶ神さまは「お稲荷さま」だそうな。うん、龍神さまの方がなんだかカッコいいぞ。

 

そんなわけで、雨男の正体を見極める中で、期せずして龍神さまというモチーフを得て、なんだか右脳が発動し出した。雨男と龍神様、うん、なんかいい感じ。
こうして何度か下描きを経て、描き起したのが下の絵なぞである。イメージが湧いて勢いで着彩までダダダッと描き上げたので、いろいろツッコミどころはあるけど、まあそれなりに描けたかな。
どういう絵なぞであれ、こうして1枚を描き上げるのは嬉しいものである。もうそれだけで最高の週末になった。いい癒しになった。これから寒い時期になるけど、また描けたらいいなー。

| 日記 | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0)
やるじゃん、京浜東北線。

昨日は数日前から言われていたとおり、関東で大雪に見舞われた。積雪は10センチ以上でところによっては20センチほども積もったそうである。そういえば、数年前に同じような降雪があったのを思い出す。あれはちょうど休日のことで、さきこと自宅周辺を散歩にでかけ、童心に戻って雪で遊んだものである。今回の降雪が月曜だったのが残念だけど、いやいや、これが前日でなくて本当に良かったと心の底から思う。なにしろ前日はランニングイベントだったのだ。それがもし降雪だった日にゃ、もう地獄のランニングだっただろう。1日でこうも劇的に変わるものかとも驚くけど、ホント、日曜でなくて良かったわ。
さて、これほどの降雪になると、気になるのが公共交通機関の乱れである。
よく言われることだけど、首都圏はちょっとした自然災害でも交通マヒになるほど、脆弱である。ほんの数センチ積もっただけで、ダイヤが乱れ、乗り切れない乗客が駅に溢れる。いや、首都圏は交通網が密集して張り巡らされ、平時でも溢れんばかりの乗客が利用するわけだから、いくら数センチの降雪と言えども雪国と同じように語っちゃいけないのだけどさ。

 

さて、昨日の降雪は予想通りの大降りとなり、ぼくが勤める会社では早い時間帯から早期帰宅の判断が出た。15時時点で帰れる社員は帰って良しというものである。いや、立場上、ぼくが考えてぼくが社内告知したんだけどね。ともかく、降雪状況を見るに、これは交通機関への影響が避けられないと思われたので、早めに退社するように促したわけである。
その効果があって、遅ればせながらぼくが会社を出ようとする際には、10分の1くらいの社員しか残っていない状況で、みんなさっさと帰ってしまったようである。

 

会社を出ると、駅までの道に多くの人が歩いていた。どこの会社も考えることは一緒で、早めの帰宅指示が出ていたようである。だとすると、こちらの社内告知はいささか遅すぎたかな。それに帰宅するのに3本もの電車を乗り継ぐぼくが17時時点でどの電車にも乗っていないというのは、これは完全に遅すぎたのかもしれない。一部では駅への入場制限が始まっているとの情報もあり、何時間かけて帰ることになるか、覚悟を決めざるを得なくなった。
しかし有楽町に向かう電車は、駅で待つまでもなくホームに入ってきた。乗客は当然ながらかなり多かったけど、有楽町までの道中は意外にスムーズに進んだ。
そして有楽町駅からの京浜東北線である。
これはさすがにダメだろう。きっとどこかで止まる。車両故障なのか架線の断線なのか、踏切にクルマが取り残されたとか、ともかく京浜東北線はこういう時に一番期待できない電車である。一旦ストップしてしまうと、あっさりと「運転見合わせ」にして、「復旧の見込み立たず」なんて言い出すからな。
京浜東北線に乗ったものの、期待はしていなかった。いやむしろ、京浜東北線に乗るという判断をしたことを既に後悔していた。運転見合わせになる駅がせめて他のJR線、いや願わくば京浜急行の駅の近くだといいな。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車は、まさに「絶望行き」であった。
その点、京浜急行はこういう時強い。台風や雪で電車が止まるのはなかなかない。たとえ架線が切断していたとしても、物凄い勢いで復旧し、電車を通してしまう。以前ネットで見かけた冗談のひとつに「最初に運転が止まるのが京浜東北線、最後まで運転を止めないのが京浜急行」なんてのがあった。地元の愛着もあってぼくは「京急最強」だと思っている。
だからすし詰め状態で停車した品川駅で、ぼくは降りるかどうかかなり迷った。ここで降りて京急で帰るか、そのまま京浜東北線で帰るか。これまでの経験から言えば、ここは絶対に降りるべきなのだけど、あまりにもすし詰め状態で身動きが取れず、さらに運転間隔調整のため停車している中、突如「降りまーす」なんて言って人をかき分けていくのもなんだか憚られて、ついタイミングを逸してしまい、そのまま京浜東北線に乗り続けることにしたのだ。
すし詰めの京浜東北線は、何度か運転間隔調整のために数分の停車を繰り返しつつも、そのまま運行を続け、気が付くとなんと横浜駅まで来ていた。おお、これはどういうことか。これほどの大雪でも運行を続けるとはかなり意外である。
こうして桜木町駅から横浜市営地下鉄に乗り換えた。

 

自宅の最寄り駅に降り立つと、雪のためかいつもよりも静かな感じがして、しかも街灯を反射して周囲はいつもより明るい感じがした。数年前にも見た光景だけど、やはり新鮮な光景である。木の枝が吹きつけた雪をまとっているのはホントにキレイだった。スキー場とかに行けば見られる光景かもしれないけど、スキーに行かないぼくにとっては、とても新鮮な非日常的な光景だった。
道に面した学校の広い校庭が一面に白くなっていて、既に陽が沈んでかなり時間が経つのに、光が拡散しているからか、校庭の向こうの端まで見渡すことができた。
そんなわけで、自宅に到着した。さきこはこの日たまたま会社を休んでいたので、既に自宅にいて、しかもテレビを観ていなかったので、降雪の状況をあまり知らないようだった。
ぼくがテレビをつけると、東京の各所で混乱した交通状況が映し出された。駅に溢れた人、バスに乗り切れなくて人の長い列、早々に運行中止を決めた羽田空港の一面に広がる白い滑走路・・・って、羽田は昨日行ったばかりなのに、この変わりようはスゴいな。
やはり今回の雪で首都圏の交通機関に大きな影響が出ていたようである。いつもよりも30分ほど多くかかっただけのぼくとは大違いである。そして次にテレビに映し出された映像は、京急品川駅だった。
17時との表示のある京急品川駅の映像は、多くの人であふれていた。電車に乗り切れない人が改札口前に集まり、既に入場制限が始まっているようだった。17時過ぎと言えば、ぼくが京浜東北線で品川駅を通過していた時刻である。
あの時、電車を降りなくて良かったわー。
もし降りていたら、入場制限で京急品川駅に入れず、途方に暮れていたかもしれない。今回は京浜東北線を信じて良かった。
それにしても、京浜東北線はあの状況でよく電車を走らせ続けたものである。早々に止めて、東海道線や京急に振替輸送をお願いする展開だと思っていたのにね。やるじゃないか、京浜東北線。ちょっと見直したぜ。
こうしてぼくは帰宅困難に遭わず、20時にはさきこと夕食を食べることができた。雪のせいでいつもよりもかなり早い夕食。休日の続きのようなリラックスした時間を過ごすことができた。ありがとう、京浜東北線!・・・って言ってたら、さきこが言った。
「電車が人を乗せて走るのは当たり前じゃん?」
うん、たしかにそうである。これはまるで普段から悪いことばかりしている不良がある日空き缶を拾っているのを見かけて、「実はいいヤツなのかも?」と思うのと心境なんだろうな。

※会社近くの風景。キレイな雪景色である。

| 日記 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
爽快海沿いランニング。

先週は、城南島海浜公園で開催されたランニングイベントに参加して10キロを走ってきた。このイベントには過去にも何度か参加しているんだけど、派手さはないもののとても好意の持てる手作り的な運営で、さらに10キロに参加するランナーが100名もいないという小ぢんまりした感じが好きである。去年からかフルマラソンや30キロ、ハーフマラソンなど複数の競技が混在して、いや、それはそれでいいのだけど、3キロほどのコースを十何周もするというのは、ぼくにはできないだろうなと思いつつも、それでも100人近くが走るんだそうだから、なんだかスゴいものである。ぼくは10キロなので、同じコースを4周ほどするだけだけど、これにさらに10周も追加されたら、後半は飽きが酷くて辛いだろうなーとも思う。

 

天気の方は上々で、気温も高く、肌寒い海風が逆に心地良かったりした。そのためか、記録も悪くなくて、54分48秒ほどでフィニッシュした。おお、久し振りに55分を切ったかと思ったけど、ぼくのGPS計測では10キロには500メートルほど足りなくて、もしあと500メートルを走っていたらきっとタイムはプラス3分ほど、つまり57、8分になったと思うので、その点では好記録というよりは「悪くはない」記録ということになる。リバウンドしちゃったとは言え、ダイエットの効果や最近のジムでの筋トレの効果、継続している食事制限の効果もなくはなかっただろうから、ぼくにはとても嬉しいタイムだったわけである。
さきこも一緒に走って、結果として58分ほどでフィニッシュした。インフルエンザに罹患してからずっと運動しておらず、先週のフロストバイトでなんとか10キロを走ったさきこだけど、それでも58分程度で走れたということはやはり走りやすかったのかな。
それにしても、いい記録が出たわ。おかげで久しく感じていなかった物凄い達成感を得ることができた。ランニングは大きな達成感を得ることができるのでいいよなー。音楽で得られる達成感とはちょっと違うんだよな。
ちなみに、今回のランニングはフルマラソンなどの他の競技との兼ね合いがあって、10キロのスタートが13時だった。以前はもっと早い時間にスタートして、フィニッシュ後にランチを食べるのに羽田空港に行っていたのだけど、フィニッシュして着替えてモノレールの駅までのバスに乗って、羽田空港に着く頃にはランチタイムというよりも夕方みたいな感じになってしまう。それでもここでがっつりハンバーグなんかを食べることにした。離発着する飛行機を見ながら食事をするのは、やはりいいね。

 

ランニングがとても気持ち良くて、ただそれだけで短い週末の休みが満たされた感じである。ランニングはいいものである。
そんなわけで、久し振りにいい記録で終わったランニングだけど、そうなると次のランニングでどうなるかが問われてくる。2月初めに10キロほど走ることになっている。これから少し練習を積んで、自分が気持ちよくなれるような記録でフィニッシュできたらいいなーと思う。そしてその翌月には、三浦国際市民マラソンである。果たしてこの過酷なハーフマラソンがどうなるのか。これからの練習っぷりが問われているのである。

| Be RUNNER! | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0)
エンジェル・オブ・ミュージック。

先週はさきこがインフルエンザに感染して、ぼくもウイルスを持っている恐れがあったので、友達が参加する演奏会に行くことができなかった。この演奏会は去年初めて聴きに行ったサックスだけの演奏会で、今でもその感動は鮮明に覚えているのだけど、これに行けなかったのは非常に残念だった。ぼくの中でもはや消えてしまったと思われていた音楽への情熱が、一気に燃え上がった演奏会だった。
やはり音楽はいいものだ。楽団員との軋轢とか演奏会の度に高額の演奏会費を支払わないといけないとか、苦労して練習してきたのに本番では全然いい演奏ができなくて苦労が報われないとか、たとえばランニングと比較しても、費用対効果というか、努力や苦労の量と結果がどうもアンバランスな感じがしていたけど、いや、音楽というのはもうただそれだけでいいものなのだ。おカネや努力・苦労に対する効果がどうのという話しではないのである。
演奏会に行けなかったので、ぼくのココロの中でちょっとだけ燃え始めていた情熱が行きどころをなくしてしまった。何か音楽的な表現がしたくてウズウズしているのだ。

 

そんな折、同僚と飲み会があった。外部セミナーが17時に終わるので、そのまま退社したことにして、ちょっと遠いけど吉祥寺にお好み焼きでも食べにいこうという話しになったのだ。この外部セミナーには、別の部署の女性も同行していて、そのまま飲み会にも参加する話しだったのだけど、前日にこの女性と話した時に「飲み会が終わったら二次会のノリでカラオケ行こうよ」と言われた。いや、二人きりとかそういう変な話しではなく、この女性は過去にプロを目指して歌を歌っていたことがあり、その歌声を一度聞かせて欲しいと以前からお願いしていたのだ。部署が違うので、なかなか一緒にカラオケに行く機会もなく、そのまま時間が経ってしまった。
カラオケに行ける!
この女性からお誘いを受けたので、ぼくは「カラオケに行ける」というただその一点で楽しみが増大してしまった。音楽的表現がしたいとウズウズしていたぼくには、一緒に行く女性がどうのとかもはやどうでもよくなって、ただカラオケだけが楽しみになったのだ。う〜ん、どうしようかなー、何を歌おうかなー。そもそも何人で行くのかな?一緒に行く人数によっては順番が回ってくる回数に限りがあるので、2曲、多くても3曲が限界だろう。しかも同行する女性は歌唱力がハンパないとのウワサなので、ぼくも気合いの一曲を歌わないといけないかな?いや、場の雰囲気からして、いきなり「尾崎」とか歌っちゃマズいか・・・などと、外部セミナーを受けてる時からずっと考えていたのである。
しかし、結局のところ、カラオケには行けなかった。いわゆる一次会が終わった後、「もう少しお酒を飲もう」なんて話しになって、そのまま近場の居酒屋に入っちゃって、そこでずっとバカ話しをして時間が経ってしまい、気が付くと終電が気になる時間になってしまっていたわけである。カラオケには行けなかったのだ。
だから、ぼくのココロのフラストレーションはかなり高い状態である。音楽的表現がしたい、どうしても!

 

そんな時である。普段はまったく使用しないスマホのメッセージアプリがぶるぶるっと震えて着信を知らせてきた。誰かからメッセージが来たようである。
差出人は、ぼくが以前参加していた楽団の方だった。ぼくはいくつかの楽団でこの人に大変お世話になっている。去年だったか、吹奏楽団に誘ってくれたのもこの人である。ぼくにとっては、大変ご恩のある人である。
「今度、定期演奏会があるんだけど、来ない?あと、楽団に帰ってきてもらえませんか?」
なんだろうな、とても暖かい気持ちになった。寒い中を何時間も歩いて辿り着いた街のカフェで、ココアを一口飲んだ時のような、暖かい優しい液体が喉から身体に入り、お腹の辺りでじわーっと広がるような、そんな気持ちになった。続いて、あまりにもタイミングが良過ぎてびっくりした。どこかでぼくのことを見てるんじゃないかと思うほどのタイミングの良さである。ぼくの気持ちが遠隔でも分かるような特殊能力でもあるのだろうか。思わず背筋が寒くなるわ。ココアのような温かさをもたらしたり、背筋を寒くさせたりと、この人はホント「怪人」である。
うん、まさに怪人かもしれない。
「オペラ座の怪人」では、劇中に「エンジェル・オブ・ミュージック」という歌が登場する。ぼくはこの曲が大好きで、自宅で映画を観る時もこの歌が登場するシーンは思わずぐっと引き込まれる。しかし、この「エンジェル・オブ・ミュージック」つまり、音楽の天使と謳われたのが、誰あろうオペラ座の怪人、ファントムなのである。主人公のクリスティーヌはそんなことを知らずに、自分に音楽の喜びを与えてくれた怪人を天使だと歌い上げ、敬愛の思いを持ちつつも、怪しい雰囲気に次第に引き込まれていくのである。
この敬愛と怪しさの両立こそ、メッセージを送ってきた彼にぴったり。まさに怪人である。
演奏会の日は、実のところランニングイベントに参加しないといけないために、時間的にどうしても行けないのだ。どんなに頑張っても演奏会で最後の曲が聴けるかどうかというタイミングである。ぼくの大好きな楽曲も演奏するんだけどね。彼にそのことを告げたんだけど、どうにもココロがおさまらなかった。なんとかランニングイベントを早めに切り上げて行けないものだろうか。
そして、彼のメッセージからもうひとつの言葉がずっと気になっている。
「楽団に帰ってきてもらえませんか?」
これは「帰ってこない?」的なニュアンスと同じかと思われるけど、それでも「もらえませんか?」という点に切実さを感じずにはいられない。彼からそんな言い方で物事をお願いされたことはない。切実な何かがあるのだろうか。いや、それもぼくのココロを揺さぶる計算された言い回しなのか、いやいや、そんな意図はなくてぼくの勘ぐりが過ぎるだけか。気になるわ。気になってココロが翻弄されるわ。
まさに、ファントムにココロを揺さぶられるクリスティーヌのような気持ちだわ。ぼくにとってのエンジェル・オブ・ミュージック、恐るべし。

| 音楽日記 | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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