オクターブアップ!

「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
真夜中の爆走。

木曜日の夜11時、ぼくはクルマで首都高湾岸線を走っていた。スピードはかなり出ていた。ぼくはとても急いでいた。
いつもなら、自室でパソコンに向かってカチャカチャやったり、絵なぞの構想を練ったり、疲れてうたた寝したりしてる時間である。いや、ついさっきまでそうしていたのだ。ぼくが座るイスの傍らにはコウくんがいて、絶妙な距離感でデスクの上にチョコンと座ってぼくを見上げ、フクくんはぼくが和んでいる間、めぼしい食料はないかとキッチンやリビングをウロウロしていた。いつもの木曜日の深夜である。いや、いつもと違うことがひとつだけあった。
さきこがいないことである。

 

ぼくは深夜の湾岸線を走りながら、さきこのことを思い出していた。
さきこはこの日、会社のランニング仲間と一緒にレインボウブリッジの方にランニングに行っていた。暑い最中なので、いろいろ危なっかしいところもあったけど、一人じゃないしと安心していた。だからぼくもいつものように自室のパソコンに向かってカチャカチャやりつつ、そろそろツールドフランスの中継でも観るかなーとリラックスしていたのである。
そこにさきこから電話が入る。
「もしもし?」
こちらが問いかけるも返事がない。周囲の雑踏のような音が聞こえているので、どこか賑やかなところにいるのだろう。
「もしもーし?」
もう一度問いかけるも返事がない。なんだ?iPhoneの操作ミスで電話がかかっちゃったのかな?
その時、さきこの声が聞こえた。いつもよりも小さく弱々しい声である。
「ちょっと気分悪くて、倒れちゃった・・・」

 

なに?倒れた?
即座に熱中症だと思った。夜とは言え、こんな暑い日にランニングしたら、熱中症にもなる。どのくらい気分が悪いのか分からないけど、意識がしっかりしてるのでこの時は大したことはないように感じた。
「どうした?熱中症か?」
「・・・・・」
応答がない。先ほどから聴こえる雑踏の音だけが受話器から聴こえる。
「もしもしー!もしもーし!」
ぼくが問いかけるも返事がない。これはどういうことだろう。ちょっとドキドキしてきた。いや、待て、雑踏の中から人の声が聞こえる。「どうしました?」と声をかける女性らしき声、「お客さーん?聞こえますー?」と問いかける男性の声。雑踏の中から聞き覚えのあるチャイムの音が聞こえた。これは京急品川駅で電車が来るのを知らせるチャイムの音である。つまり、さきこは品川にいる。
「もしもーし!もしもーし!もしもーし!」
何度も問いかけるも返事はない。問いかけ続ければ先ほどの女性や男性が代わりに答えてくれるかもしれないと思い、かなり大きな声で問いかけ続けたが、電話はふいに途絶えてしまった。

 

これは一大事だ!
さきこは品川で倒れたのだ。熱中症の可能性が高いけど、まだ分からない。とにかく品川に行かねば。冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を2本ほど取り出して、ビニール袋に入れ、適当な服に着替えて出かける準備をした。
ネコたちは先ほどまで和み切っていたぼくが突如慌ただしくなったので、「何事かッ?」と驚いたように廊下を駆け回っていた。
もう一度さきこに電話をする。何度かのコールでさきこが出てくれた。
聞くところによると、ランニングの後にビールを飲んだようである。どのくらい飲んだか分からないけど、水分不足のところに酒など飲むのは危険である。まさか急性アルコール中毒ではあるまいか。嫌な予感ばかりが思い起こされ、迎えに行くことを告げてぼくは家を出てクルマに乗って品川に向かった。
こうして、平日の深夜の首都高湾岸線を爆走することになるわけである。

 

深夜の上り車線はトラックが数台いるだけで、走っている車両はほとんどなかった。焦っていたので、スピードがどんどん速くなっていく。しかし一方で、ぼくが焦って事故でも起こしたりスピード違反で捕まったりしたら、余計に遅くなってしまう。安全運転しつつなるべく急いで走った。
それにしても、最近はなんだか嫌なことが多い。会社の同僚が急逝したのは先月下旬である。友達や会社の同僚にも家族にご不幸があった方が少なくない。今年は特に多いような気がした。ここでその中にぼくが加わるわけにはいかないのだ。
30分ほどで品川に着いた。JR品川駅前のロータリーにクルマを停めて、駅員室に行く。先ほど女性が倒れてこちらにいるハズだと言うと、プラットホームの駅員室に案内された。そこにはアコーディオンカーテンで仕切られた小部屋が2つ並んでいて、そのうち一つはアコーディオンカーテンが閉じていた。ここにさきこがいるそうである。
声をかけて恐る恐る開けると、さきこがタオルケットをかけられて横たわっていた。ぼくの問いかけに反応がある。おお、とりあえず生きていた!ぼくは大きく深呼吸して胸をなでおろした。

 

ランニング後の打ち上げで、喉が渇いたところでビールを飲んだんだそうな。それほどの量ではないそうだけど、それでも折からの疲労や寝不足などもあって、すぐに気分が悪くなっちゃったんだそうな。飲み屋からの帰り道でも一度倒れたそうである。同僚の方に介抱されて、なんとか京急品川からウイング号で帰ろうとしたところ、それを待つベンチで再び倒れたそうである。ぼくに電話をしている最中に突然ばたっといったそうで、それを女性が見つけて駅員さんを呼んでくれたそうである。声をかけてきた女性や男性がそうだったのか。
それにしても、ランニングの後で喉を潤すためにビールを飲むとは・・・。さきこも何年もランニングを続けてきて、経験でも頭でも分かっていただろうに、その場の雰囲気で結構な勢いでビールを飲んでしまったのだろうか。アルコールの分解にはATP(アデノシン三リン酸)と水が必要なのだ。もともと水分が欲しいところで、アルコール分解に水分を使われてしまい、脱水症状のような状態になったのだろう。

 

いやホント、無事でよかったわ。
帰宅後に徐々に回復してきて、翌朝には少し元気になっていたから、もう大丈夫だと思うけどね。真夏のランニングはホントに危険なのである。走る時は気を付けないとね。
それにしても、真夜中の首都高を爆走している時は心中穏やかではなかったな。あんなドキドキはあまり歓迎したくないよね。

 

ちなみに、さきこが休んでいた品川駅の駅員室内の小部屋は、アコーディオンカーテンで仕切られる以外にも特徴的な設えがあった。ベッドの枕元には、大きな洗面台がついていて、そこには蛇口ではなく、トイレの便器についているようなコックがついていた。嘔吐したものをそのまま流せるようにしているみたい。また強く引っ張ると呼び鈴が鳴るナースコールならぬ駅員コール的な器具もあって、まさに気分の悪くなったあまたの酔っ払いがこのベッドで休んだことが伺い知れた。昔からお世話になってる品川駅だけど、駅員室のドアの向こうにこんな設備があったなんてね。

| 日記 | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0)
横浜のみらい。

最寄り駅から自宅に帰る道すがら、横浜市長の選挙の告示を見つけた。先日までは東京都議会議員の選挙でテレビが賑わっていたけど、横浜でも選挙のようである。現職の林氏は再選できるか注目である。
それにしても、先日の東京都議会議員選挙は地方議会の選挙だったのにかなりの盛り上がりだった。テレビでは開票状況をリアルタイムで伝える番組が組まれ、さながら国政選挙の様相だった。国政の方でいろいろ問題があり、その影響を非常に大きく出るだろうと予想されていたから、マスコミが盛り上がるのも分かるんだけどね。
ぼくのブログでは政治のことはあまり書かないのだけど、現都知事の小池氏が主導して立ち上げた新党がいきなり大躍進して、多数議席だった政党が歴史的大敗を喫するという展開については、ちょっと思ったことがあるので書いてみようと思う。

 

最近の選挙ではどうも特定の政党が圧勝する展開が多いような気がする。今回の都議会議員選挙でもそうだったし、その前の参議院議員選挙でもその前もそうだったように思う。そういえば某民主党が政権交代を果たした時も、民主党は圧勝し、与党だった自民党は大敗したのだった。そしてその次の衆院議員選では、逆に自民党の圧勝に終わった。
なぜ特定の政党が圧勝する展開が多いのだろうか。
これはいろんな政治研究者がいろいろ考えていることで、ぼくのような政治のシロウトが意見する余地はないのかもしれないけど、あえてぼくの考えを書いてみる。
これは飽くまでぼくの考えだけど、選挙の意味を勘違いしている人がどうも多いんじゃないかという気がしている。
選挙とは、言うまでもなく、各個人の持つ意見に近い政党や政治家に票を投じることである。間接民主制の基本原理である。とは言え、自分の所属する会社やら団体やらの指導で特定の政党を応援するようプレッシャーがかかることは旧来からあったようで、それって個人の意見ではなく組織の意見だろって話しだけど、それでも選挙の原理は自分の意思を政治に反映させる手段である原理に変わりはない。投票用紙は無記名だし、記入する際にも手元は極力見えないような配慮がされてるから、たとえ組織的な圧力があったとしても、選挙の原理に従って自分が思うように投票することは可能である。最近は労働組合なんかの力が弱くなってきてるそうだから、組織票もかなり限定されてきているんじゃないかな。
つまり自由に投票する機会はかなり保障されているわけである。それなのに、意見が一方的に流れるのは、選挙の意味を勘違いしているからなんじゃないだろうか。投票所に行き、投票用紙を受け取り、三方が囲まれた記入台でいざ政党や政治家の名前を書く際に、頭によぎるのは「自分の考えに近い政党や政治家の名前を書く」ではなく、「自分はどう書けば正しいのか」ということなんじゃないだろうか。つまり、「勝ちそうな政党・政治家に投票する」という考えである。
選挙前にテレビで散々放送していた選挙の動向を予想するワイドショウでも「どこの政党が勝つか」、今回の都議会議員選挙で言えば、「小池氏が代表を務める新進の政党は多数議席を獲得するだろうか」みたいな感じで盛んに言われ、投票する都民には何らかの形で精神的バイアスを受けていたんじゃないかと思うのだ。本来なら各政党の主張を分かりやすく伝えることで、各人が自分の考えに近い政党を探すこと手助けをすべきところ、新進の政党の名前ばかりを連呼して、まるで選挙カーから「〇〇党!〇〇党をよろしく!」と言ってるのと同じような効果を出しちゃってたんじゃないか。新党に投票すれば正解、自民党に投票すれば間違い、みたいなね。
それは、ほとんどクイズみたいなものである。間接民主制もへったくれもない、ワイドショウの単なる延長線上でしかない。
いや、ぼくもそんなアホなことあるかと思うけど、昨今の圧勝続きの選挙の数々を考えるに、どうしてもそういう可能性を考えてしまうのである。
投票する人も人間だから、自分が投票した政党や政治家が当選しないと、なんだか誤った判断をしたような錯覚に陥るんだろうな。当選しなかったことで、自分の考えは一般的な考えでないと感じ、つまり正しい選択をしなかったと感じる。だから選挙では周囲の状況を見つつ、正解を得るために勝ちそうな政党や政治家に投票する。もしそういう人がたくさん投票すれば、つまり今回の都議会議員選のように投票率が高ければ、「勝ちそう」程度に思われていた政党・政治家が予想以上に圧勝することになる。そしてそれを見て、「私は正しい判断をしたんだ」という安心感を得るのだろう。

 

いや、これは恐ろしい勘違いである。
選挙は自分にとって正しい選択をする機会であって、空気を読んで勝ちそうな選択肢を選ぶことではない。問われるべき「正しさ」とは、選挙の結果ではなく、投票時に自分の気持ちに正直かどうかである。自分の気持ちに正直に洗濯していれば、もしその選択が候補者の当選という形で実現しなくてもいいのである。あるいは、投票した政党の議席が増えないということになってもいいのである。それが選挙というものだと思う。
みんながそんな選挙の原理に従って選択すれば、特定の政党が圧勝することもないし、多くの考えがごちゃ混ぜになった議会ができあがり、多数派になった政党も他の政党の意見に配慮せざるを得なくなる。つまり、多数派以外の政党の意見も通りやすくなるのだ。それは結果として、自分の意見を政治に反映させることになるわけである。いや、こんなの中学生の公民ですらない。小学校の時に勉強してるような内容だと思うんだけどね。

 

テレビや新聞なんかではよく「政治が混乱する」と言われ、まるで多くの政党がやいのやいのやってるのが悪いことのように言われるけど、政治とはそもそも最初から混乱するものなのだ。何人もの政治家、いくつもの政党が自分の考えを主張し合って、協議し受け入れられるギリギリの選択肢を模索する。それが政治の本来あるべき姿なのだ。「混乱していない政治」なんて、逆に恐ろしい世界である。それはまさに独裁政治である。某国のように一人の独裁者が狂信的な側近に囲まれてニヤニヤしてる気味の悪い写真を思い出す。混乱してない政治とはああいう気味の悪い薄笑いの世界である。

 

国民の政治リテラシーが低いなんて話しをよく聞く。政治に対して興味がなく知識もないので、政治の話題についていけないし、だから政治に関して個人的な意見もない。まずは政治に興味を持ってもらうのが大事だなんて話しである。
でも、ぼくが書いてきたように、そもそも選挙の意味を勘違いしている人が多いのだとしたら、興味を持つ云々の前に誤った理解を正すことから始めないとダメだろう。それは地道で長い道のりで、それを思うとちょっとゲンナリしてしまう。本来ならテレビや新聞などのマスコミが啓発することで、誤った理解や誤解を正していけるんだと思うんだけど、彼らは彼らで別の原理やバイアスで政治を取り扱い、社会に展開しているから、実のところあまり役に立たないどころか、最近は害悪にすらなりつつあったりする。ネットの情報はもっと前から害悪の側面が強くなっているけどね。

 

ともかく、今後も選挙では特定の勢力が圧勝するような展開が続くように思う。
これがいつしか、少数勢力も着実に議席を分かち合い、政治の中で一定の発言力を持てるようになれば、そんな混乱した状態をあるべき姿として捉えることができるだろう。
さて、横浜市長選である。
掲示板にはまだ誰のポスターも貼っていない。誰が立候補して誰が勝つのか分からないけど、いずれにしても横浜の未来はその人にかかっている。

| 日記 | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0)
無題、その後。

若くして突然死した同僚の通夜、告別式が先週末にあって、多くの人が参列し彼の死を悼んだ。心から彼のご冥福をお祈りしたいと思う。本当に残念である。

 

彼とは同じ大学で、学年では7年ほどぼくが先輩である。同じ学部、同じ学科とは言え、7年も離れているとまったく交流がないから、在学中の彼のことをぼくはまったく知らない。しかもぼくが在籍していた当時から、校舎の建て直しが始まっていたので、校舎に関する思い出もまったく共有することはできず、話しをしていてもなんだか同じ大学だという感じはしなかった。でも同じ法律を学んだ者として、時々いろんな話しをしたものである。
ぼくは性格的に誰とでもすぐに仲良くなれる性質ではないけど、これからゆっくり時間をかけて仲良くなって、もしかしたら仕事を超えて生涯の付き合いになるかもしれないとすら思っていたから、残念で悔しくて、そしてあまりにも大きな喪失感を持て余して、思わず涙がこぼれてしまった。彼が亡くなって一番悲しいのは、親族の方々であり、奥さんであり、お子さんであり、ぼくがここでワンワン泣くのはなんだか配慮のないような感じもしたのだけど、遺影を前にしてまだ人生半ばだった彼を思い、こみ上げる嗚咽を噛み殺して泣いた。本当に残念だ。

 

彼の死を悼む参列者は、長蛇の列になるほど多かった。
会社の関係者以外にも、前職の関係者をはじめ、大学のテニスサークルからの参列者も多いようだった。大学を卒業して十数年経つというのに、大学のサークルから弔問や弔電、生花が送られるのはスゴいな。祭壇に「〇〇学院大学〇〇テニスサークルOBOG一同」なんて立札が立っているのを物凄く羨ましく感じた。同じ大学だなんて言っておきながら、たとえばぼくが死んでも大学も大学のサークルも生花なんか送ってこないだろう。いや、もうほとんど完全に縁が切れてしまっているので、しょうがないことなんだけど、これはちょっと羨ましかったな。

 

ぼくはまだ彼の死を完全に受け入れられていない。
社内をテクテク歩いていると、いつものようにすれ違うんじゃないかとか、すれ違いざまにぼくが何かを言うと彼らしい毒舌でツッコんでくるんじゃないかと思っちゃう。そうか、もういないんだった・・・と思う時の気持ちが、なんだか不思議な感覚である。
それでも、ぼくが仕事でふと立ち止まって考え事をする時、ふいに彼のことを思い出すのだ。
「こういう仕事を彼ならどうやってやるんだろうな」
これは、ぼくにとって彼が確かにこの世を生きた証である。
彼ならどうするかな。
彼ならなんて言うかな。
そうである。彼はぼくの中で確かに生きている。

| 日記 | 18:12 | comments(0) | trackbacks(0)
嬉しい健康診断。

昨日は定期健康診断に行ってきた。ぼくの勤める会社では、健康診断は親会社の経営する病院に行くことになっていて、これがなかなかキレイな病院で、対応も親切なので、実は健康診断に行くのは苦痛じゃない。さらに胃カメラやバリウム検査は、ぼくはやらないことにしているので、健康診断自体は結構ぱぱぱっと終わったりする。健康診断が終われば、そのまま退社ってことにできるので、この季節では陽のあるうちに自宅でまったりできるわけである。そんなわけで、健康診断の日はちょっと嬉しかったりする。
さらに今年は例年になく楽しみだった。ぼくの体重がここのところずっと減少傾向だからである。これは4月から続けている食事制限と筋力トレーニングのおかげである。最近は毎朝、自分の体重を測っているので、健康診断の結果はある程度予想がついているけど、それでも公式に減量の記録が残るのは嬉しいものである。検査結果の判定が分かるのは数週間ほど先のことだろうけど、これが去年より良くなっていたらさらに嬉しいだろうな。

 

病院内はかなり空いていて、ぼくは待ち時間なしで健康診断のそれぞれの項目を受診することができた。体重測定の場では、予想通りなかなかいい数字が出てくれた。着衣の重量をあらかじめ差し引くため、自宅で測定した数字よりも若干軽い数字が表示されるのは別として、同じ条件で測定した去年の数字よりも8キロほど数字を下げていた。腹囲も大きく数字を下げていた。機器を操作して検査を担当する方には去年の数字が出ているのだろう、体重や腹囲の測定では「あら、かなり下がりましたねー」なんて言葉をいただいた。いや、分かっちゃいたけど嬉しいな。
さらに、腹部のエコー検査にも変化があった。今までの健康診断ではエコー検査はあっという間に終わっていた。ジェルを塗って検査機器を腹部に押し付けてしばらくグリグリやるんだけど、通り一遍というか、ちゃんとやっていないのがシロウト目にも分かるものだった。その理由はぼくの腹部の脂肪が多過ぎて、まったくエコーが効かず、つまり画像が見えないからなのだ。仰向けに寝転んで、腹部の上部、側部をちょろっとグリグリっとやると、もう終了になってしまう。なんかもう諦められてた感じである。
しかし、今回のエコー検査は違った。かなり綿密にグリグリやられた。腹部上部も側部も、グリグリやられた後に押し付けた状態でゆっくりスライドさせる。エコー画像を横移動させて見ている感じだった。さらに横向きに寝た状態にして、腹部側面をまたグリグリやられたのである。これは随分丁寧に見てくれるわ。やはり腹部の脂肪が取れたことで、映像が見えやすくなったんだろうな。いや、どうだろう、見えやすくなったことで、まさか今まで見えてなかった病巣がいくつも見えちゃったりしてるんじゃないだろうな。そう言えば、画像を見ながら担当者がキーボードを操作して、画面のキャプチャー画像を撮っているしな。あまりにも長く丁寧な検査に不安になったぼくは、「どうですか?見えますか?」と聞いてみた。
「えぇよく見えますよ!」
声が少し嬉しそうだった。病巣を見つけたというよりも、画像が見えるようになって嬉しいといった感じだったな。ちょっと安心。
その後の医者による問診でも、大きく体重を減らしたことに驚いているようだった。苦しい筋トレをやってきた甲斐があったな。

 

そんなわけで、今回は例年になく嬉しい健康診断になった。とは言え、減量はまだ道半ばである。これからさらに減量を続けて、できる限り標準体重に持っていきたい。さらに20キロほどの体重を減らす必要があって、その道のりはさらにさらに遠い道のりである。食事制限と筋力トレーニング、そして有酸素運動。これを来年まで続けられれば、来年は今年以上に嬉しい健康診断になるかもしれないな。

| 日記 | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0)
無題。

会社の同僚が亡くなった。
いろいろ思うことがあるので、悲しいことだけど書かなければいけないと思うのだけど、どう書いていいのか分からない。
この同僚とは長い付き合いだった。業務内容はそれぞれ違っていたけど、一時期は同じ部署でデスクを突き合わせて仕事をしたこともあったし、だから一緒に飲みに行ったりカラオケに行ったりしたこともあった。年齢はぼくの方が9歳ほど年上だったけど、同じ大学で同じ法学部法律学科だったこともあって、飲み屋で法律の話しをしたり、法律にかかわる仕事上の話しをしたことも何度もあった。スポーツマンで背が高く、社内からも信頼が厚かった。職場ではぼくがボケで彼がツッコミみたいな感じだった。彼といると楽しかった。そんな彼が亡くなった。
死因は突然死、心筋梗塞の類だそうである。あまりにも突然過ぎて全然実感がわかない。涙も出てこない。ぼくの仕事上、こういう時には社内でいろいろ立ち回ったりするのだけど、それでかなりバタバタ過ぎて考えるヒマがないのかもしれない。いや、それ以前にこの事実があまりにも唐突過ぎて、ちょっと長めの休暇で席を空けているだけじゃないかと思うくらいである。ほら、会社でもたまにメンタルを病んじゃって仕事をそのままにして休んじゃったりするヤツがいるけど、そんな感じにしか思えないのだ。いつか病み上がって、会社に復帰してまた一緒に飲みに行けるだろうなんて思っている。つまり彼の死をまったく受け入れられていないのだ。今こうしてパソコンをカチャカチャしてる時だってそうである。自分に身近に起こったデキゴトという感覚がないのだ。
以前のブログにも書いたけど、ぼくは幸いというべきか、人の死に近くない人生を歩んできた。親族はみな元気だから、葬儀に参列したのはほんの数えるくらいしかない。人はいつか死んでいくのだということがイマイチ理解できていないのだ。
だから、彼が死んだことが分からないのだろう。こういう時の思考回路が確立されていないのだ。
それでも思うのは残された家族である。彼には奥さんがいて、幼い子供がいる。朝起きてこないパパがなぜか息をしていないことに気付いた奥さんの心境を思うと胸が痛い。ぼくに何かしてあげられることはあるだろうか。
病理解剖の関係で、葬儀は週末になりそうである。葬儀関係でぼく自身がバタバタするので、感慨を得るのはまだ先のことだろう。これからどういう心境になっていくのか分からないけど、ぼくの人生で大きなデキゴトのひとつとして、取り急ぎこのことをブログに書いておこうと思う。
彼の安らかなるご冥福を心から祈るばかりである。

| 日記 | 18:28 | comments(0) | trackbacks(0)
福岡・下関・萩旅行。

先週末は、高校時代の同級生たちと福岡から山口を巡る二泊三日の旅に行ってきた。天気にも恵まれてとても楽しい3日間だった。
太宰府、門司港、下関、角島、萩、秋吉台と数々の名所をクルマで巡った。3日間クルマを運転しっぱなしで疲れたけど、車中の会話も楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。ホテルもなかなか良くて、下関のホテルでは関門海峡を臨むバルコニーから海峡を行き交う船を眺めたりできたし、萩の旅館では砂浜に隣接した露天風呂で、打ち寄せる波の音を遠くに聴きながらゆっくり風呂に浸かったりできた。天気が良かったので、行く先々で見晴らしも良くて、2日目には角島大橋、3日目には秋吉台で、絵ハガキにしてもおかしくないほどの景色を目の当たりにすることができた。最近はランニングやサイクリングのイベントの都合上、結果として旅みたいになることが多くて、単純に旅を目的にする旅がなかったため、非常に新鮮な感じだった。こういうのもいいよなー。
ちなみに、福岡の太宰府や海の中道は既にサイクリングしたことのある道で、その後の門司港や下関は坂が多くてサイクリングにあまり適していないエリアだったり(知らないだけかもだけど)、萩は路地のその風情が見どころなので、そもそもサイクリングに適していない(知らないだけかもだけど)など、「サイクリングでは絶対に行かないだろう」と思われる場所のチョイスでもあったんだけど、3日目に訪れた秋吉台では広大なカルスト台地の景色がとても新鮮で素晴らしく、「こんな道をサイクリングしたい!」という強い衝動に駆られてしまった。実際何人かのサイクリストとすれ違ったけど、まるでツールド・フランスの山岳コースを走ってるような感じでとても羨ましかった。ここはぼくの中にある「いつかサイクリングしたい場所」のひとつに加わった。日本にはまだぼくの知らない風光明媚な風景がたくさんあるに違いない。
これほど楽しい旅だったのに残念でならないのは、まりこさんが家族のご不幸があって直前になって参加できなくなったことである。最近は家族のことも含めていろいろ苦労されているのが鈍感なぼくでも感じられていたので、一時的でもリラックスできる機会になればいいなーと思っていただけに、非常に残念である。忙しいのにおススメの店を探してくれたりして、陰ながらこの旅を支えてくれた。とても感謝している。
ぼく個人としては、疲れはしたけど、いいトリップ感を得られて、楽しいヒトトキだった。次にこういう旅に行くのはいつだろうなー、また行きたいなーなんて思うのだった。

※下関のホテルから見た朝の風景。行き交う船を見ているだけで和むわ。

※2日目に訪れた角島大橋。パンフレットみたいな景色を目の当たり。

※萩の海岸で見た水平線に沈む夕陽。

※いつか自転車で走りたい秋吉台の景色。ジブリアニメ「もののけ姫」を思い出すわ。

 

※「旅の恥はかき捨て」の悪いオトナの図。

| 日記 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0)
雑想ロード。

明日からちょっと旅行に行ってくる。高校時代の吹奏楽部の同級生たちと福島・山口を巡る旅である。実は今年はぼくが高校に入学して30年の記念の年である。この同級生たちとの付き合いも30年ということになるわけで、この記念に旅行でも行こうということになったわけである。
ぼくが以前出張にカコつけてサイクリングした太宰府やクルマで出かけた門司港や下関をさきこにも見せたいなと思っていたし、さらに萩はさきこが以前から行きたかったところなので、特に強い要望がないのなら福岡、下関、萩に行くことにしようとなったわけである。二泊三日の旅行なんか随分久し振りな感じである。
天気は上々の予報である。これはちょっと楽しめるかもしれないな。

 

旅行と言えば、ぼくが個人的に毎年計画している自転車旅行・チャレンジサイクリングについて、そろそろ考えないといけない。今年は伊豆半島一周に行こうと決めていて、行程もそれなりに固まっているんだけど、何より日程が決まっていない。昨年の北海道の惨劇を繰り返さないためにも、天気の動向を見極めて日程を決めたいと思う。・・・とは言え、晴れる確率が高いのは、梅雨明け後の1週間程度の期間なので、これを狙っていくとすると、8月の1週目か2週目になっちゃうんだけどね。そうなると、もはや2か月を切っている。日程は決まっていないものの、実行の日が迫っている感じで、なんだかドキドキしてくるものである。

 

サイクリングと言えば、先日の富士山のヒルクライムでは、個人的に驚異的なタイム・2時間18分を出したわけだけど、さて来年は更なる記録更新のためにどういうサイクリングをするべきだろうか。たとえば、あと18分ほど短縮して、2時間以内のフィニッシュを目標にするとする。24キロの距離を2時間以内で走るのだから、単純計算で時速12キロ以上で走る必要があるわけである。今回のサイクリングでは、時速10キロ程度で走っているので、あと2キロほどスピードアップする必要があるわけである。ギアで言えば、もっとも軽いギアで回すのではなく、それよりも2つ3つ重めのギアを回すという感じかな。それはコース内のキツい坂道においても同様である。8パーセントほどのキツい坂が断続的に現われるわけだけど、それでもスピードダウンしないよう少々重めのギアで走る必要があるわけである。いや、これは大変だわ。
このためには、やはり減量の継続と筋力アップが必要だろう。できれば現在の体重よりも5キロほどさらに落としておきたいものである。つまり現在継続している食事制限を今後も続ける必要があるわけだ。また筋肉量もスポーツジムに定期的に通って、バーベルを持ってスクワットするなど、主に大腿筋に効く高負荷で継続的なトレーニングが必要になる。つまり、食事制限とトレーニングの継続である。これが初めての1時間台でのフィニッシュを可能にするのだろうな。頑張らないと。

 

某フェ〇スブ〇クで最近友達になった同じ会社の別支店にいる方が、Yo〇T〇beのリンクをタイムラインに貼り付けて、「思い出の曲です」なんて投稿をしていた。この曲はぼくもよく知っている曲で、ぼくにも思い出がないわけでもない曲だったので、先日ちょっとした用事で支店に電話した時に、彼に聞いてみた。
「もしかして、吹奏楽部だった?」
そう、彼がリンクしていた曲は吹奏楽でも有名なポップスの曲で、ぼくも以前所属していた吹奏楽団で演奏したことがある思い出の曲だったのだ。
「そうです!もしかして、やったことあるんですか?」
聞くと、彼はバリトンサックスを吹くんだそうで、会社近くの地元の吹奏楽団にも所属しているそうである。会社には何人かの吹奏楽部経験者がいるのだけど、こうして同じ部活同士で繋がるのは、なんだか嬉しいものである。特に吹奏楽部は、演奏した楽曲が同じだったりすることが多いので、「〇〇年のコンクールの時の課題曲は何を演奏したの?」とか「ニ〇ーサ〇ンズイン〇ラスでは何が好き?」なんて話しが日本全国の吹奏楽部経験者とできるのである。これは美術部や放送部や茶道部などの文化系、野球部やサッカー部などの運動系の部活ではほとんど見られない特徴かもしれないね。
遠くの支店の人とそんな話しをして、なんだか嬉しくなって、気持ちが吹奏楽部モードになっちゃった。
そしてココロは30年前の吹奏楽部の部室に翔んでいくのである。そんな思い出の仲間たちとの旅行が明日に迫った。楽しい旅行になるといいな。

| 日記 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0)
復活。

ランニングやサイクリングなど楽しみにしているイベントではコトゴトク雨が降るという、哀しいジンクスを背負ったぼくだけど、今回の富士ヒルクライムでは奇跡的にいい天気に恵まれた。しかも、当初は雨も想定される予報だったところが、日を追って好転するという展開にも奇跡性が現われていた。
週間予報が発表される1週間前から某サイトの週間予報をキャプチャーし、経過を見守った。その経過を箇条書きにしてみる。
。噂鬼崛亜曇り、降水確率20%
■噂鬼崛亜曇り、降水確率40%
6日前 :曇り時々雨、降水確率50%
ぃ菊前 :曇り時々雨、降水確率50%
ィ監前 :曇り時々雨、降水確率50%
Γ各前 :曇り時々雨、降水確率50%

 

3日前の段階で、降水確率50%と言われたら、梅雨の時期ということを考えると、これは完全に雨模様を覚悟するべきである。特に今回は富士山である。変わりやすい天候であることも加味すれば、これはほとんど雨と言っていいだろう。
さらに言えば、日を追うごとにこうして悪化していく週間天気予報は、先月にも経験していた。鳥取の出張サイクリングである。
楽しみにしているイベントではコトゴトク雨が降るぼくの哀しいジンクスを思い、3日前にして憂鬱になったものである。
しかし、そこから奇跡的な展開になる。
В各前 :曇り、降水確率40%
┌夏前 :曇り、降水確率40%
2日前 :曇り時々晴れ、降水確率20%
1日前 :晴れ時々曇り、降水確率30%

 

ついに晴れの文字が出てきたのだ。この展開はまさに神がかり的奇跡である。その後若干降水確率があがったり、曇り時々晴れに戻ったりしつつ、当日を迎えるわけである。
そして、結果は上々の天気。さすがに五合目では霧雨に見舞われると思っていたけど、そこでも気温の低さはあったものの、時折青空が見えるほどの天気になってくれた。富士山の山頂は見えなかったけど、かなり高い部分まで雲の隙間から見ることができた。
今までこんな風に天気が回復してくれたことはなかったと思う。富士ヒルクライムではあまり雨が降らないそうだけど、ぼく以上に強力に晴れを引き寄せる人がいるのかもしれない。

 

↓週間予報の推移。11日(日)の予報に注目。

  

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| 日記 | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0)
復帰。

2年くらい前の話しだけど、ぼくが勤める会社を退職した同僚がいた。
彼はぼくが転職して入社した翌年に入社して、同じ部門の中で一緒に働いてきたんだけど、ある日突然、退職が決まったことを告げられ、その数週間後に退職していった。そういえば以前、彼が結婚する時もその報告は急だったけど、この時の退職報告もかなり急なことだった。こういうことをあまり人に言わず自分で抱えて自分で決断するタイプで、その点ではぼくとは相容れない部分もあるのだけど、それでも長い付き合いだったので、退職にあたっては精いっぱい祝福して送り出したものである。ちなみに、退職の連絡が急だったことで、哀しさや寂しさと一緒に怒りまで覚えたぼくは、「退職前にサイクリングに行くから、絶対参加しろ」と告げ、2日間の東京湾一周サイクリングに強制的に連れて行ったものである。
そんな彼が、今度は復帰するそうである。再入社するというわけである。思いをもって会社を辞め転職していった彼が、戻ってくるわけである。
最初に言っておくと、ぼくは彼の復帰は大歓迎である。充分な経験のある彼が復帰することで、仕事の質が格段にアップするのは確かである。ぼくの仕事もいい形で影響を受けるハズで、要するにぼくも仕事がやりやすくなるだろうと思う。
しかし、どうもモヤモヤしている。
まず、退職した本人はどう思っているのだろうか。
いろんな事情があって一旦辞めると決めた会社に戻ってくることには、多少の葛藤はあったと思うけど、結局「復帰」の選択肢が勝ったわけで、その理由はなんなのだろう。
特に管理部門は、他の社員にその行動が見られているところもあって、だから気を付けて行動しないといけない。成果さえ出せば他は何をしていても文句を言われない営業職と違って、いわゆる素行も見られるのが管理部門である。その意味では、退職したのに戻ってくること自体に、周囲の影響とか考えないものなのだろうかと思う。退職する決断をしたのであれば、それがたとえ失敗であったとしても、受け入れるのが潔さだと思うんだけどね。ぼくだって、今の会社に転職したばかりの頃は、いろいろ悩みもあって、前の会社に戻りたいと思ったことが何度もある。それでも、「これが人生だ」と受け入れてきたものである。そして、悩み多い転職先の会社で臥薪嘗胆、頑張ったからこそ、今の自分があるとも考えている。失敗したから、時間を戻してリセットしようという発想は、どうも後ろ向き過ぎて好きではないのだ。
さらに、そういう要請に答えてしまう会社の姿勢もどうかと思う。退職者も多くなっている中、いい人材を採用することにかなり苦戦している中で、いろんな影響も当然考慮しつつ彼の申し出を受け入れざるを得ない部分もあったのだろう。先にも書いたとおり、彼がいればいろんな意味で仕事がうまく行くことが分かっている。これぞまさに「想像に難くない」というやつである。
ちなみに過去にも復帰した社員はいた。だから前例があるわけで、今回もそれに倣ったともいえる。しかし、管理部門の者を復帰させることは、先に書いた通り、「他の社員に見られている」という点でもどうかと思うのだ。仕事や人間関係で悩める社員が、復帰した社員を見てどう思うのか。「自分も一旦会社を辞めて、いつか復帰すればいいのかな」なんて思わないだろうか。数年経てば、組織人事も大きく様変わりしているのがぼくの勤める会社である。2年くらい経てば、嫌いな上司がいなくなっていたり、大変な仕事は他の誰かの担当になっていたりするハズである。これを見越して、退職する輩が出ないだろうかと危惧されるのである。さらに言えば、既に退職した者から再入社の要請があったりするかもしれない。
そんなわけで、ぼくは彼の復帰を歓迎し喜びつつも、反面でモヤモヤ感が否定できないのである。
彼が再入社してどういう態度で仕事に向き合うのか、会社が他の社員にどういう説明を用意しておくのかがポイントになるかなと思っている。

 

ところで退職というと、つい先日、同じ部門の同僚が退職した。惜しまれずに退職していった。ちゃんとした送別会すらなかった。彼を囲んでちょろっとランチを食べたくらいだった。
まあ彼がこれまで残してきた仕事の成果を見るに、そういう扱いを受けてもしょうがないかなと思う部分はあるけど、長年一緒に仕事してきた同僚が、さらっと送り出されるのもなんだか寂しいと感じたものである。あまりにも何もなかったので、ぼくが夜の飲み会をセッティングして、有志だけの送別会を開催したほどである。まあいろいろと痛いエピソードの多い人だったからね。ぼくもその痛々しさに居たたまれなくなることもあったし、仕事上でいろいろ手間や迷惑をかけさせられたことがあったからね。
一方で、最終日を迎える彼は非常に名残惜しそうだった。ホントは退職したくないのにとか、退職を申し出てみたものの、やっぱり会社に残りたいなんて思いが透けて見えるようだった。まあ10年も同じ会社にいれば誰しもが思うことである。
その名残惜しい態度が、今度の社員の復帰を思うにつけ、なんだか嫌な予感に繋がっている。分かりづらい表現になるけど、退職していった彼が再入社する彼のことを知ったらどう思うだろうか。復帰を希望してきたりしないだろうか。
もちろん、人員が不足していなければ復帰を認めることはないし、再入社となれば事前に試験や面接が必要だから、彼にもそういうハードルは超えてもらわないといけないだろう。ただ、今までの彼の行動を見てきたから、以前一緒に働いていた同僚が復帰したことを知ったら、やっぱり自分も復帰したいと思うんじゃないだろうか。そんな根回しをさまざまなチャンネルを使って繰り出してくるのが容易に想像されてしまい、これもなんだかなーと思っている。
いや、もちろん、退職した後の彼の仕事が非常に充実していて、戻ってきたいなんて1ミリも感じていないのかもしれない。ただどちらが「想像に難くない」かというと、先に書いた方なのである。

 

そんなわけで、会社の人間関係で、いろいろ思うところが増えてきた。
これも立場や役割が変わったことによる変化なのかもしれない。また、ぼくはいわば頑固で時代遅れなのかもしれない。でも、これから再入社してくる彼のためにも、ここで思いを具現化し整理しておく方がいいと思ったわけである。
そんなぼくの仕事にまつわる一コマであった。

| 日記 | 13:23 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。

6月である。関東地方は昨日、梅雨に入ったとのことで、これから1か月ちょっとの間、憂鬱な雨の季節である。
とは言え、普段なら6月下旬くらいまで梅雨らしい雨が降るということはない。「梅雨なのに晴天」なんて日をぼくは過去に何度も経験している。
だから期待しているんだけど、今度の週末はぜひ晴れて欲しい。楽しみにしていたサイクルイベントの日である。
果たしてどんな展開になるだろうか。今からドキドキである。ドキドキし過ぎて、スマホでコースマップを見て、いろいろ考えている。いやそれでは足りず、会社のデスクにあったポストイットにコースマップを手書きで写して、給水ポイントとかチェックポイントの位置、どの辺の傾斜がキツいかなどの情報を書き込み、さらにこれをビニール袋で丁寧に包んだ。これを自転車のハンドル部分に貼っておけば、自分の位置を予想して、今後のコースレイアウトに合わせて体力の使い方を考えることができる。うん、これはなかなかいいぞ。ちなみに、去年は試走と本番で、合計2回ほどスバルラインを走っているけど、どこでどんな傾斜があったかなんて記憶は既にない。この手書きのコースマップだけが頼りである。
また、運営側から送られてきた案内によると、いくつかのグループごとにスタートする中で、ぼくはかなり後半にスタートするグループに割り当てられてしまった。遅い人たちを後半に持っていくことが、スムーズな大会運営にどう寄与しているかイマイチ分からないけど、去年はスタートまでかなり長い時間を待たされたので、なんだかなーな思いを禁じ得ない。もし雨でも降ったり、気温が低かったりしたら、本番の激坂地獄と同じくらい地獄の待ち時間ということになるだろう。
そう、天気である。
冒頭に書いたとおり、梅雨入りしたと言っても晴れることの多い時期なので、不安視していなかったのだけど、残念ながら週間予報では、曇り一時雨、降水確率60%の予想である。たしかに中国の西の方から移動してくる高気圧と低気圧は、ちょうど週末にその狭間になるようで、天気が芳しくないことがシロウトでも分かる。ただ、この狭間がどれだけ強い高気圧と低気圧に挟まれているかによって、ぐずつき方にも影響が出てくるのだ。今はこの部分に期待している感じである。願わくば午前中は雨が降らないで、午後遅くにざーっとくる感じでお願いしたいものである。
ところで、怪我の状況である。
肘の擦過傷はかなり治ってきた。大きな傷は時間とともに薄い皮膚に覆われて、小さくなってきた。まるで池が干上がっていく様を見ているように、大きな池が徐々に干上がって、今は小さな池がぽつんとある感じになったわけである。うまくいけば週末までには完全に薄皮で覆われるところまで行けるかもしれない。
肩の方は、ちょっとマズい。実は少し油断して、整形外科からもらった湿布をここ数日貼っていないのだ。貼ったところで治りが早くなるわけでもないだろうなんて勝手に思って貼らないでいたのだけど、今日はなんだかいつもよりも肩が痛い。これは少し炎症が大きくなってきちゃったかな。まあ先週末に自転車に乗った際には何にも影響がなかったので、今回も自転車に乗る分には影響はないと思うけどね。
近況と言いつつ、自転車の話しだけになっちゃった。

 

ネコは相変わらず元気である。朝、コウくんに起こされるぼくの態度があまりにも不愉快そうなのを気にしてか、コウくんがぼくを起こさない日が出てきた。今まではiPhoneの目覚ましよりも10分程度早く起きる生活で、それはそれで時間的余裕ができて良かったのだけど、コウくんが起こしてくれなくなったので、以前よりバタバタするようになってしまった。
フクくんは成長とともに身体能力が上がってきて、ついにキッチンの流し台の上まで飛び乗ってくるようになった。さきこの調理の邪魔だし、何より置いてある食材をこっそり盗み食いしたりするのだ。キツく叱ってるけど、これがなかなか効果がない。逆にテーブルで食事をしているぼくたちの食べ物には手を触れないのにね。どういう行動基準なんだか。

 

絵なぞ、これはマズい。全然描けていない。ここまで描けないのは、ここ数年なかったことである。冬の時代がさらに長く延長している感じである。来月の七夕までに何も描けないとなると、描けない期間は過去最長になる。これだけは何とか阻止しないとね。
下書きは結構やっているのだ。本番に至るまでにどうも集中力が途切れてしまうのだ。「これはなかなかいい絵なぞが描けそうだぞ!」と思って、作業を進めるんだけど、本番の紙に転写する辺りから、妙に冷静になってしまうのか、「なかなかいい絵なぞ」に全然思えなくなってしまうのだ。これでボツになった絵なぞは1つ2つではない。ちょっと危機感である。

 

そんなわけで6月である。
まずはサイクリング、そして絵なぞかな。実は友人と旅行なんかも企画されていて、これもちょっと楽しみだったりしている。そんな梅雨入りの季節である。

| 日記 | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0)
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