「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
いつもと違う8月の風景。

夏真っ盛りの今日この頃、少し先のことを思えば秋である。秋が来てさらに冬が来て年末年始があって・・・と半年くらい先のことを思うにつけ、改めて8月を振り返ると、そういえば毎年の恒例行事がこの8月になかったことに気付く。
東京マラソンの先行抽選である。そして東京マラソンの一般募集である。今年の8月にはこれがないのだ。
先行抽選の募集は夏前くらいに告知され、会員限定の抽選が実施され、8月中旬くらいに結果が発表される。ぼくは毎年この時期にどきどきしながらメールをチェックするわけで、毎度「落選」の文字にがっかりを繰り返していた。もう10年以上もそんなことを繰り返していた。たった1回だけ、この先行抽選で「当選」の文字を見ることができ、翌年の冬に東京マラソンを走ったものである。
また、一般募集については、例年、都営地下鉄にその募集告知のポスターが貼り出される。たしか、8月1日から末日までの募集期間だったハズである。
今年の8月にはその両方ともがないのである。新型コロナウイルスのせいでいつもと違う夏ではあったけど、ここにもいつもと違う夏が存在したわけである。

 

さて、東京マラソンは開催されるのだろうか。
早速ホームページを確認してみると、一応「東京マラソン2021」のサイトは存在している。開催日も決定していて、サイト上部には「開催まであと197days」なんて表示されているけど、サイト内はなんだか寂し気な感じである。お知らせを読むと、新型コロナウイルスの影響を考慮して、どのような形で開催するかを8月中に決めるのだそうな。
思えば、今年の大会は一般ランナーの出走はなく、プロランナーだけの開催だった。このため出走できなかった前回の一般ランナーへの出走権の配慮もあるみたいである。まあ今年走れなかった人すべてが次回を走るわけではないだろうけど、もし開催されるとしても今年の応募者が当選する数はかなり少ないだろうな。ただでさえハズレが続いているぼくがアタリを引く可能性はかなり低いかもしれないね。いや、そもそもこの体形でフルマラソンを走れるのだろうか。

 

それにしても、忌々しいのは新型コロナウイルスである。
コイツのせいで、今年の8月がなんだか物寂しい感じになったばかりか、今年に続き来年も東京マラソンで走れないかもしれないわけである。
いや、これほどの疫病が蔓延してしまっては、もはやかつてのような日常は戻ってこないのかもね。一度だけ参加した東京マラソンで、スタート前にランナーたちが密集して号砲を待つあの雰囲気は、ぼくが東京マラソンに当たるとか外れるとか以前に、もはや戻ってこない光景なのかもしれないと思うと、ホントに寂しくなる。

 

今日は実は仕事の関係で新宿に来ている。西口の地下の長い連絡通路を歩き、都庁に向かう。この道は東京マラソンではお馴染みの道である。寒い中、ドキドキしながら地下通路の陰で着替えたことを思い出し、それがもしかしたら永遠に失われる光景なのかと思うにつけ、路上に差し込む夏の日差しが、ただの冷たい光線の放射に見えてしまうのである。

※都庁までの地下通路。

※冷たく暑い日差しが差し込む都庁前。

| Be RUNNER! | 09:44 | comments(0) | -
予知夢?

横浜マラソンの記事は結構前に書き上げていたのだけど、風邪のせいでなかなかアップできず、なんとか昨日、アップすることになった。読み返していても、風邪で弱った状態の今のぼくにとっては、「フルマラソンを完走するなんて、そんな超人的なことが、このぼくにホントにできたのだろうか?」みたいな変な感覚である。

 

さて、この横浜マラソンの記事を書いている一方で、ちょっと奇妙なことを思い出したので、これを書いておこうと思う。
横浜マラソンの当日、ランニングを始めて既に数時間が経過した辺りでのことである。走っている最中にどういうわけか、以前見た夢の映像が頭に浮かぶようになったのだ。
その夢というのが、奇しくも横浜マラソンが舞台のようで、フィニッシュ地点であるパシフィコ横浜の裏にある搬入路みたいな場所で、バスから降りるぼくの映像なのだ。ぼくはランニングウェアを着ていて、他にも何人ものランナーがバスから降りる。そして、薄暗い搬入エリアの中でメダルを受領するのだ。そのメダルには、フルマラソンの完走者なら刻印されているハズの「FULL 42.195km」の文字がない。つまり「完走メダル」ではなく「参加賞メダル」というわけである。
夢の情景はここまでなんだけど、現実に横浜マラソンを走っている時に横浜マラソンをリタイアしちゃったような夢の映像を思い出したわけで、それが妙にリアリティを帯びていて、走っていてぼくは気が気じゃなかった。まだ完走できるか分からない35キロ付近では、そんな夢の情景を振り払うように、別のことを考えようとしていたくらいである。
この夢の映像は、結果として実現せず、ぼくはドロドロのヘロヘロになって完走できたのだから、いわゆる予知夢的なものではなかったのだろう。あるいは、今回ではなく、さらに未来の横浜マラソンでの光景なのかもしれない。ぼくは未来のどこかで横浜マラソンに再び参加し、あえなく途中リタイアになってランナー回収バスに乗るハメになってしまうのだろうか。とは言え、こうして思い出してみると、夢の中で渡されたメダルはなんとなく今回のメダルに似ていたようにも思うんだよね。いや、妙な夢である。

 

ともかく、ぼくは当分の間はフルマラソンは遠慮しようと思ってるので、もし予知夢的なものだったとしてもそう近い未来のことではないだろう。
しかし、一方で性懲りもなくまたフルマラソンのスタートラインに戻ってきそうな予感もある。というのは、実は今回の横浜マラソンがぼくが参加したフルマラソンで9回目にあたるからである。つまりあと1回でフルマラソンの参加数が10回になる。さらに言えば、現時点で9回のフルマラソンはどれも完走しているので、次も完走すれば、「10回のフルマラソンを完走した」ことになるわけである。そう思うと、人生を9回のフルマラソンで終えるのはなんだかもったいないような気がしてくる。だから、どこかで気持ちを充填し直して、10回目のフルマラソンに挑もうという日が来るかもしれない。その10回目が横浜マラソンで、先の夢が現実になってしまうなんて展開だけは避けたいところである。うん、10回目はパシフィコ横浜のような巨大施設がフィニッシュ地点になっていないようなものを選ぼうかな。

 

まあぼくが次にどんなフルマラソンを走るかは置いておいて、今回の横浜マラソンにまつわるちょっと気になるサイドストーリーである。

| Be RUNNER! | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0)
ナイスランナー。

長引く風邪のせいでなかなかアップできなかった横浜マラソンのことを書こうと思う。もう2週間以上前のことだけど、11月10日、横浜マラソンでフルマラソンに参加してきた。
フルマラソンを前にして、減量も練習量も絶対的に不足している中で臨んだわけだけど、結果としてなんとか完走することができた。途中でかなり歩いたけどね。タイムは5時間47分くらい。ワースト記録を再び更新したことになる。
それでも、この状態でよくぞフィニッシュできたと思う。練習も足りないし、体重は過去最重量になっちゃってるし、本来ならフルマラソンどころか、ハーフマラソンだって厳しいところだったハズである。

スタート前はかなりバタバタした。自宅を出るのが遅くなっちゃったこともあるけど、現地で着替えて、荷物預けをしているうちにトイレに行っている時間がなくなっちゃって、このために集合時間に間に合わなくなっちゃった。危うく最後尾からのスタートになるところだった。
この日は天気がとてもよくて、雲一つない抜けるような青空。日中は暑くなりそうな予感がしたものの、風が冷たかったので、日陰では気温が下がるだろうと思い、インナーシャツを着て臨んだ。結果的にこれは正解だった。

※当日の朝、会場に着くと多くのランナーが準備を進めていた。

※スタートを待つ列に並ぶ。

※スタート地点では、大砲のレプリカが煙を吐き出していた。

 

スタート直後は快調だった。いや、いつもそうである。気持ちが高ぶっていると、周囲のランナーに引きずられるようにペースがあがってしまい、ついオーバーペースのまま行ってしまう。練習不足は厳然たる事実なのに、この本番で突如として秘められし力が都合よく発動したかのように錯覚してしまうのだ。
ペースを抑えるよう心掛けるのだけど、それでもぼくにとっては少々早いペースだったかな。一緒に走っているさきこと足並みが揃わないことが多かった。
この調子は10キロを過ぎても変わらなかったんだけど、本牧辺りの給水ポイントでついにさきことはぐれてしまう。これまでの給水ポイントで、ぼくがモタモタ給水したり給食したりしているのをさきこは待っていてくれいたのだけど、この給水ポイントではぼくがうっかり先にタッタカ行っちゃったみたいである。ここからぼくもさきこも長い一人旅になったわけである。

 

一人旅になったことで、抑えていたペースが次第にあがっていった。後で失速してしまうのは分かっているんだけどね。
恐れていた変調があったのは、15キロ過ぎだろうか。思うようにスピードがあがらなくなってきた。息が苦しくなってきた。15キロ辺りはぼくの地元に近い場所なんだけど、全然楽しくないのだ。まだ半分以上も残っている状況で、失速である。分かってはいたけど、意外に早くに失速したかな。フィニッシュ地点は、ここまで走ってきた距離の倍以上も先である。
中間地点を超えて、高速道路の表示が見えてきた。ここで高速道路に乗るために急な坂道を上ることになる。結構な坂で、前回はここでかなりの体力を削られたので、ぼくはここでムリをせず歩くことにした。今回のマラソンで初めて歩いたことになる。
さて、ぼくはこのままあと20キロも走って、フィニッシュ地点に辿り着けるだろうか。どこかでリタイアするなら、この高速道路でのリタイアが最後のチャンスじゃないだろうか。高速道路を下りると、もはや残り10キロを切っているわけだから、後になって絶対に後悔するからね。満身創痍だったとは言え、10キロ弱も走れないのか、とね。だから、リタイアするなら、高速道路の、しかも早い段階だろう。
しかし、高速道路上には、まりこさんがボランティアでランナーに声援を送っている場所があると聞いていた。たしか27キロ付近だったか。まりこさんがいる場所までは、なんとしても辿り着かなければなるまい。それまではリタイアしないことを決めた。
その時のGPS腕時計が表示する走行距離は、22キロだった。つまりまりこさんのいる場所まで5キロほどである。5キロなんて練習では何度も走っている距離だけど、この時はその5キロはかなり重く感じられた。

※中間地点。その先に高速道路の入り口が見える。

 

途中で足を止め、歩きながらもとにかく27キロを目指す。この辺からなんだか変な境地に至る。身体は依然として辛いのだけど、「どうせこのあと死んじゃうかもしれないしなー」なんて変な思いがよぎるようになったのだ。「死ぬ気で走る」という感じとは違う。「死んじゃうんだからその前にちゃんと走っておかないと」みたいな心境である。ランニングを始めて10年以上経つけど、こういう心境は初めてである。死を覚悟した感じとも違うんだよな。あれはなんなんだろうな。

 

まりこさんは、高速道路の段差のある場所でランナーに注意を促す係になっていて、通り過ぎるランナーに大きな声をかけていた。彼女を見つけたぼくは、彼女が持つ看板にすがるように立ち止まった。
まりこさんと一緒にいたのは、さきこである。ぼくが先行していたと思っていたけど、さきこの方が早かったか、あるいはどこかで抜かれたかな。
さきこは意外にも元気だった。さきこ特有のスロースターターなエンジンがやっと温まってきたか。聞くところによると、どうも補給食として携行していた「スズメバチエキス」が疲労した身体にガツンと効いたみたいである。ぼくはこの時点でまだそれを摂取していなかったので、飲んでみることにした。うぇぇ、これは水と一緒に飲まないとかなりマズいわ。
しかし、ここから少し元気が出た。継続的に走れるようになったのである。
ただ足の痛みは無視できない状況になってきた。懸念していた右膝の腱が硬直してきたし、内股の筋肉も重く感じられるようになった。ランニングの時にはあまり感じない腰の痛みも強くなってきた。身体が悲鳴をあげていた。
しかし、既に30キロ手前まで来ている。残りは12キロである。ゆっくりでも走り続けていれば1時間半程度で走れる距離である。終わりが見えてきたわけである。足が上がらなくなって、シューズの底を路面に擦るような走り方になっていたけど、このまま行けるんじゃないか。

※まりこさんのいる高速道路でさきこと合流。でも、その後すぐさきこに置いて行かれる。

 

高速道路を下りると、30キロ過ぎである。なんとかここまで到達して、ぼくはリタイアする気を完全に放棄した。制限時間内に走り切ってやろうと思った。
コンテナの並ぶエリアをフィニッシュのあるみなとみらいに背を向けて走る。コースレイアウト上、フィニッシュから一旦遠ざかる形になるのだけど、いや、そういうコースなのは最初から知ってはいたし、以前も走ったわけだけど、やはりここまで来てフィニッシュに背を向けて走るのは、メンタル的にキツいものである。歩く距離がちょっと長くなったように思う。
35キロを超えた。ぼくはここでトイレに行くことにした。後のために書いておくと、高速道路のどこかのエイドで行っても良かったのだけど、数少ないトイレを長時間待って、制限時間をオーバーするのは避けたくて、フィニッシュ地点が近づいてきた辺りの、あまり待たなくて済みそうな場所を探していたのだ。前回の横浜マラソンではトイレに15分も並んだけど、ここでは3分でコースに復帰することができた。さきこの東京マラソンの例もあるけど、フルマラソンではトイレをどうするかというのが、タイムに大きく影響するのだ。
コースに復帰したと言っても、走る速度は全然速くならない。思えば、何がそんなに辛かったのだろうか。疲労が増してくると、物凄い遅いペースでも息切れがするようになる。呼吸が苦しくなる。だから走るのが辛くなる。身体の痛みはそれ自体が苦痛であり辛い。今までのマラソンでも、そういう辛さを体験してきた。しかし、今回はちょっと様子が変である。息切れしていないし、足や腰は痛いけど、走れないというわけではない。言うなれば、身体全体が漫然と辛いと感じているようなのである。「漫然とした辛さ」のようなもののために走れていない自分が腹立たしくなった。

 

新山下を超えると山下公園である。ここではギャラリーも多いので、カッコ悪い姿は見せられないと思い、気持ちを入れ替えて走ることにした。と言っても、既に疲労困憊をさらに超越した状況なので、全然カッコがついてないのだけどね。
みなとみらいに入ると、今回からの新コースである。赤レンガ倉庫の敷地内に入り、海沿いの石畳を通る。石畳の路面は硬いので、疲れた足にはキツいのだけど、ここで初めて海を間近に見ることができて、港・横浜を走っている実感を得ることができた。工場地帯を延々と走ってきたから、ここにきてなんだかとても清々しい気持ちになった。
海沿いの道を抜けると、目の前にパシフィコ横浜の建物が見えた。
そしてフィニッシュは唐突に訪れた。

※ついにフィニッシュ!

 

前回のマラソンから20分も遅れてのフィニッシュである。しかし、記録は問題ではない。この状態でよくぞここまで走れたものである。途中で死を意識するなど、まさに死力を尽くしたランニングだった。これまでのどのマラソンよりもキツいマラソンだった。
フィニッシュ地点でさきこが待っていてくれた。数分前にフィニッシュしたそうである。完走メダルをもらって、スポーツドリンクを受け取ったところで、ボランティアを終えたまりこさんが来てくれた。今回の完走は、27キロという絶妙な地点で応援してくれた彼女のおかげである。これが25キロとか20キロ付近だったら、たぶん気力が尽きていたと思う。ホントに感謝である。

 

限界を超えた足は股関節からつま先までが石化したように硬くて重かった。時折うめき声をあげながらウェアを脱いで帰り支度をし、ヨタヨタしながら帰途に就いた。さきこはそんなロボット三等兵みたいなぼくをずっと支えてくれた。
翌日に筋肉痛が激しくて発熱しちゃった時も、さきこはいろいろ世話をしてくれた。これは非常に助かったわ。大大感謝である。

 

こうして、ぼくの横浜マラソンは終了である。
夏に当選の案内を受け取ってから、思えば長い道のりだったな。
次のフルマラソンは・・・と書きたいところだけど、残念ながら今はそういう気分には全然ならない。ランニングは続けていきたいけどね。でも10キロとかハーフマラソンとかで留めておこう。当分の間はフルマラソンはいいかな。

※ここまで走り切ってくれたシューズに感謝。完走メダルと記念タオルと共に。

※フィニッシュ地点で待っていてくれたさきこと記念写真。タイムや内容はどうあれ、完走した時の達成感は毎度ながらハンパない。

| Be RUNNER! | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0)
怒涛の週末が始まる。

いよいよ今週末になった横浜マラソン。何度も書いているけど、準備万端からほど遠いというか、過去に例がないほど走れない状態である。なので、前回の記録を上回るどころか、まずは制限時間内に完走することを目標にして、挑みたいと思う。それでも、半分まで行けるかどうかも分からない。
さきこも状態はほとんど同じである。ただひとつ幸いなのは、腰痛や肩こりなどの不調がそれほど大きくないということである。本人に言わせれば「いや、普通に痛いケド?」なのかもしれないけど、ここ数回のランニング練習してきた中では、それほど痛みが顕著になっていないと見受けられた。これが本番のランニングでさきこの救いになってくれればいいなと思う。

 

走る気持ちが高まりつつあるのは感じているのだけど、今の段階では明後日にフルマラソンを走ることが全然信じられない。ぼくがスタートラインに立っているイメージがまったく湧かないのだ。そんな状態で、みなとみらいをスタートして、本牧や根岸や磯子を通って杉田まで行って、高速道路を走って帰ってこられるのだろうか。6時間半で戻ってきて、完走メダルを貰えるのだろうか。気が重いというわけではないけど、実感がまったく湧いていないのが、なんだか不安である。

 

ここ数年でもっとも濃ゆい6時間半が、もうすぐそこでぼくを待っている。
気楽にゆっくりと焦らず走ってこようと思う。

| Be RUNNER! | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0)
30キロ走。

先週の三連休に、鶴見川で30キロ走のイベントがあったので行ってきた。11月の横浜マラソンまでにフルマラソンを完走できる走力を得るために、「9月くらいに一度30キロを走っておくかー」みたいな軽いノリで参加申し込みをしたランニングイベントである。ここ最近はこの30キロを走るためにランニング練習を重ねてきたのだ。
しかし結果としては、途中リタイアとなってしまった。
原因はもちろん走力が不足していたことだろう。これに加えて、真夏のような日差し、高い気温もかなり影響していた。

 

イベント自体はこぢんまりした感じで、フルマラソンの種別に参加する人が10人程度、30キロ走でも20人に及ばない程度の参加人数だった。何百人、何千人も集まるイベントもいいけど、こういう小さな感じもいいな。
30キロ走がスタートし、さきこと並走する序盤は好調だった。ゆっくりではあるけど、1キロ当たり7分を切る程度のスピードで走れていた。制限時間もかなり長いので、ゆっくりでもこのまま30キロを走れそうな雰囲気だった。
しかし、背丈ほどの雑草が生い茂る鶴見川沿いの道を走っていると、異様なほどの蒸し暑さを感じた。護岸の上の道は風が吹き抜けるけど、周囲を雑草に囲まれた中では風も吹かず、強い日差しを受けて雑草が一斉に水蒸気を吐き出すのだ。サウナの中を走っているような・・・と言っても、実際にサウナで走ったことはないけどね。夏の間のランニング練習は、暑い時間帯を避けて、夕方か夜に走っていたので、この蒸し暑さに心身共に参ってしまった。
5キロで折り返し、スタート地点に戻ってきた10キロ辺りで、相当参っていた。ここでぼくはトイレに行くことにして、さきこは先行して走っていった。そしてここからがぼくの辛い一人旅の始まりだったのだ。
10キロで折り返してしばらくは護岸の上を走るので、それなりに気持ちよくて、若干だけどスピードもあがった。6分40秒台くらいの速度で先行するさきこを追いかける形になったのだ。
しかし、護岸を下りて川沿いの雑草の生い茂る道に移ったところで、再び蒸し暑さが一気に押し寄せてきた。先ほどの快調っぷりと変わって、踏み出す一歩辛くなった。
このままさらに5キロほど進み、折り返してきたさきことすれ違う。さきこもかなりキツそうな様子である。ぼくはさきこの姿を見て思わず気が緩んでしまい、足を止めて歩いてしまった。さきことの差は大きく広がっていないように見えたけど、恐らくもう追いつくことはできないだろう。そう思うと、なんだか疲労がどどどっと押し寄せてくる感じがしたのだ。もはやこれまで、と悟った。

 

それにしても、とても喉が渇く。給水ポイントは2.5キロごとに設置されているとは言え、この時のぼくにはこの2.5キロが物凄く長く感じたのだ。辛かった。
水が欲しくて思わずコースを外れて、川沿いのコンビニで水を買おうとした。コースを外れてコンビニに行こうとするなんて、通常のイベントではありえないことだけど、この時はほとんど無意識だった。もしかしたら、熱中症になりかけていたのかもしれない。しかし、コンビニの手前で、財布を持っていなかったことに気付く。水を欲して護岸を超えてコンビニの手前まで来たのに、水が買えないなんて・・・。この精神的ショックはかなり大きかったな。この時に完全に戦意喪失したんだと思う。

 

この時点で17キロほどは走っていたかな。ぼくはリタイアを決めた。とは言え、リタイア者用の回収車があるわけではないので、スタート地点までは、歩きつつ、たまに走りつつ戻ることになった。
こうして、なんとかスタート地点まで戻ってきて、ぼくはリタイアを申告。20キロ地点で残念ながらリタイアとなった。
さきこも既にリタイアを決めたみたいで、戻ったところでぼくを待っていてくれた。さきこも20キロ地点でリタイアである。

 

いや、それにしても大変なランニングだった。
完走できなかったのはもちろん残念だし、悔しいけど、それ以上にあの状況下で無事に戻ってこられた、生命を得た安堵感の方が大きかった。水を欲して、でも飲めないという極限状態で、それでも無理して走り続けていたら、どうなっていたのか、考えるだに寒気がする。
しかし、この状態では走力が足りないのは、やはり事実である。
フルマラソンの前にどこかで30キロを走っておかないといけないだろう。ちなみに、来月には山梨・勝沼でハーフマラソンがある。アップダウンの激しいコースで、いつも苦しいランニングになるのだけど、ここでもちゃんと完走して、それなりに走れないといけないだろう。
フルマラソンの完走はまだまだ安心できない状態である。
※ちなみに、今回は写真が一枚もない。写真に気を回していられないほど、切羽詰まっていたんだろうなー。

| Be RUNNER! | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0)
来週は。

横浜マラソンの完走を目指して、地味だけど練習を進めている。とは言え、仕事が忙しいこともあって、平日はなかなか練習することができず、また残暑厳しい中、ハードな練習を控えていたら、9月も半ば過ぎとなってしまった。
本番まで2か月を切ったわけである。
こんなこともあろうかと、9月に30キロ、10月にハーフマラソンのイベントを入れて、それなりの走力を早い段階で得ておこうと思ったのだけど、予想以上に練習できなかったために、このイベントの準備もままならない状態になっている。
特に、30キロ走はいよいよ来週に迫っている。現状の走力で果たして30キロを走り切れるだろうか。ちなみに、制限時間が5時間半と長めなので、気持ちさえ途切れなければ完走はできそうかな。頑張ろうと思う。
そんなわけで、先週の三連休のうち2日間は、さきこと走ってきた。トータルで20キロ程度なので、練習量としてはまだまだだけど、とりあえず走れたのは良かった。右膝に違和感があったけど、さて本番ではどうなるか。

 

※ランニング練習に明け暮れているわけではないけど、今年は秋になってもキャンプの計画が立てられず、しかもチャレンジサイクリングの実行すら延び延びになってる状況。早く横浜マラソンが終わって、自由な週末を手に入れたいものだ。

 

※先日のブログで、お絵描きの作業環境のことを書いたけど、肝心の作業環境の絵なぞがアップされていなかったので、そちらのブログの方に追記でアップしておいた。

| Be RUNNER! | 13:39 | comments(0) | trackbacks(0)
30万人割れにマツワるエトセトラ。

東京マラソンの一般エントリーの受付が先月末で締め切られ、応募者の総数がまとめられた。今回も募集人員を超える応募があったので、これはまあ毎度のことだけど、抽選が実施されることになった。
でも、今年は去年までと比較して少し状況が異なる。応募者が29万3275人だそうで数年振りに30万人を下回ったのだ。募集人員が2万6370人だから、倍率は11.2倍である。とあるサイトによると、応募者が30万人を下回ったのは2012年大会だから、8年振りということになる。

 

なぜ応募者が減ったのだろう。ここ数年続いてきたランニングブームに、ついに陰りが現われたのだろうか?ぼく自身もそうだけど、ランニング練習する機会が減ったし、街を歩いていても、ランニングしている人はそれほど多く見かけなくなった。ランニング人口が減少しているかもしれないことは、いくつかのランニングイベントで、制限時間が長くなったり、キツめのコースが緩やかに変更されたりと、より参加しやすいよう努力をしていることにも現われているような気がする。ランニングこそは、ブームにとどまらず日本人の趣味として幅広く定着するかなーと思ってたんだけどね。
・・・というような内容のブログを展開しようと思っていたら、この話しを聞いたさきこからこんなことを言われた。
「単純に参加費が上がったからだよ」

 

東京マラソンの参加費は、従来1万円だったところが、今回から1万5千円に値上がりするのだ。従来の1.5倍、5000円アップである。
ランニングイベントは、参加費が数千円程度で運営されていたけど、ここ数年値上がり傾向にある。横浜マラソンがフルマラソンとしてリニューアルした際に1万5千円を打ち出して、ちょっと話題になったけど、そういう前例があるからか、しれっと5000円もアップしてきた感じである。最近はお菓子とか宅配便の送料とか、いろんな商品が値上げしてきてるけど、その値上げ幅を軽く凌駕する値上げっぷりである。いや、その値上げして得た5000円は何に使うというのだろう。
応募者にしてみれば、ただでさえ他のランニングイベントよりも高い東京マラソンが5000円も値上げしてきて、もはや魅力を感じなくなった人もいるんだと思う。東京の主要な道を通行止めにしようが、ランニングすることに変わりはないのだ。しかもどの道にも歩道があるので、歩道を走れば東京マラソンと同じコースが走れてしまうのだ。首都圏に住んでいる人なら、わざわざ1万5000円も払わなくても、やろうと思えば「ひとりカラオケ」ならぬ「ひとり東京マラソン」ができるわけである。応募者の減少はそういうことなんだろうな。

 

しかし、事情はどうあれ、応募者が減ったのは事実である。その事実に基づけば、ぼくが当選する確率は少しだけど高くなるハズである。ぼくが唯一参加した2014年の東京マラソンでは応募者は30万人を超えていたから、やはり今回はチャンスというわけである。
また、11月に横浜マラソンに挑戦するので、きっとその頃にはそれなりの脚力があるハズで、さらに東京マラソンの抽選結果は、横浜マラソンの開催日の遅くとも数日前には分かってるハズで、つまり走力がそれなりに高い状態で東京マラソンの参加資格を得られ、そのままランニング練習を継続できるわけである。そう、もし当選しても、横浜マラソンのように変に焦ったりすることはないのだ。
よし、今回こそはぜひ当たれ!

 

それにしても、毎年落選している東京マラソンへの思いをこうも毎年飽きずに書くものである。以前参加した時だって、楽しい思い出ばかりではなかったハズで、いや実際に走っている時は苦しくて大変だったのに、どうしてここまで参加したいと願うのだろう。東京マラソンが辛いだけの42.195キロではなく、いやむしろ辛さを大きく凌駕するほどに幸せな42.195キロだったからだろう。あの幸福感のためなら、ぼくにとって1万5000円は決して高くないのである。
だからぼくは、両腕を広げて、東京マラソンの当選を待っている。今回こそは!ぜひ当選して欲しいものである。
さあ、東京マラソンよ、今回こそは何の遠慮もいらない。かかってくるがいい。

| Be RUNNER! | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0)
当選!

11月に開催される横浜マラソン2019の参加者枠の抽選に当たった。ぼくは、3年くらい前に走った横浜マラソンをふたたび走ることになるのだ。

 

前回の横浜マラソンは大変だった。練習の負荷が高すぎたのか、足首を痛めてしまい、痛みが引かないまま本番の日を迎えた。途中でトイレ休憩にかなり時間を取られ、後半の高速道路では足の痛みも出てしまい、モチベーションがごっそり削られ、リタイア寸前までいってしまったもんな。残りの距離を考えて、とにかく完走しようと思い直し、なんとか完走までいけたけど、高速道路ではあまりの辛さに沿道の係員に「すみません、リタイアしま・・・」まで言いかけて思い直すほど、リタイア寸前だった。思えば、フルマラソンを走るのは、この日以来ということになるな。

 

今回の抽選は、さきことのペア参加の抽選で、ぼくが当たったということはもちろん、さきこも当選である。前回に続き、さきこと横浜マラソンを走れるわけで、願わくば、楽なスピードで一緒に走って一緒にフィニッシュしたいものである。

 

今回の当選によって、ぼくの予定は秋までの間、大きく影響することになる。全然走れていない現在の状況から、フルマラソンを楽に走れるレベルまで持っていかないといけないのである。これは大変である。
なにより、膝痛を治す必要がある。今までは自己治癒力に期待して安静にしていようと思っていたけど、もっと積極的に治す方向で対応しないといけないだろう。先の横浜マラソンの練習で痛めた足を治した時のように、鍼灸院に通って鍼治療でもしてもらわないといけないかもしれない。足が治ったところで、練習を始めて、それなりの距離を走れるようにしたい。9月か10月には30キロ走を走れないとマズいだろうしね。そのために休日を今よりも有効に活用しないといけない。最近は休日というと、サックスの練習に充てていたけど、そういうわけにはどうもいかなくなりそうである。いやいや、サックスも大事なので、できれば午前中にサックス練習して、午後にランニング練習するような感じだといいかな。膝痛の行方と走力アップの行方が、横浜マラソン完走へのポイントというわけである。
そう思うと、その道のりのあまりの遠さに、深いため息が出てしまう。今のぼくにできるのだろうか。
いや、努力することに意味があるのだ。ここはひとつ、気合いを入れ直して頑張ってみようと思う。
11月10日、どういう状態のぼくがスタートラインに立っているだろうか。不安と楽しみが交互に去来するのである。

| Be RUNNER! | 13:04 | comments(0) | trackbacks(0)
ぼくの東京マラソン。

東京マラソンを走ったさきこについては、先日のブログに書いた。ぼくはもっぱらさきこの応援をして、さきこがマラソンを終えることになったのに合わせて、ぼくの役目も終わったわけだけど、実はそれだけではなかったのだ。ぼくはほんの僅かだけど今回の東京マラソンに関わっていたのだ。それは矢印キャップの作り方において、である。

 

ぼくが2014年の東京マラソンの際に被った矢印キャップの作り方について、問い合わせをいただくことがある。と言っても、その数は年に1回あるかどうかというレベルなので、殊更に言うほどのことでもないのだけど、今年はどういうわけか、4件もの問い合わせをいただいた。そのうち、1、2名の方は東京マラソンに参加されるそうなので、つまりぼくに問い合わせた方で、その作り方にならって作られた矢印キャップを被って、東京マラソンに出た方もいるかもしれないのである。ぼくが今年、沿道でさきこを応援する以外に東京マラソンに関わったとすれば、まさにこの点である。いや、かなり微妙な関わり方だけどね。その関わり度合いの比率は、サハラ砂漠にあるすべての砂粒に対する砂粒1粒みたいなもので、限りなくゼロに近いけど、そう、ゼロではないのだ。ぼくのご教示差し上げた矢印キャップを被って東京マラソンを走った人がいたとすれば、「ぼくも東京マラソンに関わった」と言っていいんじゃないかと思うわけである。

 

実際のところ、矢印キャップを被った人はいたのだろうか。
ぼくが沿道で見ていた限り、矢印らしきオブジェクトを見かけたのは1人だけである。ぼくが東京マラソンを走った時には、ぼく以外にも矢印を掲げた人は何人もいたけど、飯田橋辺りで、そうだなーフルマラソンを3時間台で走れそうなペースの人から、ほとんど最後尾辺りまで見ていたけど、矢印を頭上に掲げて走っていたのは、1人しかいなかったのである。
まさか、その人がぼくに問い合わせてきた方なのだろうか?たしかにその人の矢印キャップは、ぼくが持っているものに似ている感じがした。矢印キャップの造作には様々な流派(?)があるけど、さきこの工作センスが爆発的に発揮された、いわば「さきこ流」のキャップに酷似している感じがしたのである。さすがに大量のランナーに紛れているので、沿道のガードレールを乗り越えて、駆け寄るなんてことはできなかったけど、ちゃんとじっくり見てみたかったわ。

 

それにしても、矢印キャップだけでなく、今年は仮装する人も少なかった。ぼくが走った時は凝った仮装が多くて、見ていてとても楽しい気持ちになったものだけど、今回はそういう感じの仮装はなかった。いや、男性なのにロングヘアーのカツラを被ってるとかサラリーマン風とかナース風とかそういういわゆる「コスプレ」的な人はそりゃいたけど、「ランニングよりも仮装に気合い入れてマス!」的な人が少なくて残念だった。
まあ、雨だったからね。巨大なハリボテを被って走るとかは確かにできなさそうだよね。イベントの安全対策上、顔が見えなかったり、他のランナーの邪魔になるような仮装は、ルール上NGになったそうだしね。
しかし、逆に考えれば、仮装している人がいないということは、ちょっとの仮装で大いに注目を集め、つまり大いに応援してもらえるというわけである。ぼくが参加する時には、ぜひ矢印キャップを被ろうと思う。しかも、防水加工なんかして、全天候型に発展した矢印キャップにしようと思う。

 

実は、来年の東京マラソンは当たるような気がしている。以前にも書いたけど、抽選方法に一部変更があって、長らく当選していない人への救済策が講じられるそうなのだ。次回はその対象の年ではないけど、この救済策にまんまとハマらないように、ホントに長らく当たってない人は意図して優先的に当てるような操作がされるような気がしてならないのだ。まさにぼくのように仮装に気合いを入れて、マラソンをナメてんじゃないの?みたいな人は、この救済策が講じられる前に走らせちゃおうと思ってるんじゃないか。いや、ただそんな気がしてるだけだけど、うん、やっぱり当たるような気がしてきたぞ。今から矢印造作の構想を練らないといけないかな。

 

※脱線だけど、ネットで「マラソン」「矢印」で画像検索してみて欲しい。
表示されるいろんな画像の中に、ぼくが載っている。ぼくのブログに掲載したフィニッシュ後の写真と矢印キャップの作り方画像、誰かが撮影したぼくの写真も1枚ある。検索サイトでこれほど上位に表示されるということは、それなりの検索数があり、さらにそこからぼくのブログを見てくれているからだろう。今年になって、問い合わせ数が増えた原因はこれかもしれないね。
なんだかちょっと嬉しかったりする。

※検索サイトの画面キャプチャ。赤枠はぼくである。

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雨の東京マラソン。

先週末はさきこの4回目となる東京マラソンだった。先日のブログにも書いたけど、いろいろ不安要素がある状況で、しかもそれにさらに追い打ちをかけるかのように、朝から冷たい雨がしとしと降っていた。雨の中の東京マラソンは、さきこは以前にも経験したけど、いわゆる本降りな雨で、しかも長いこと降り続けるような雨は初めてだった。
上がらない気持ち、風邪による体調不良、そして冷たい雨・・・言い訳を書き連ねればキリがないから結論だけ書くけど、今回のさきこは制限時間オーバーで途中リタイアという結果に終わった。
もっとも大きな原因はトイレに行けなかったことである。飲んでいた風邪薬の作用で、喉や口が異常に乾いたようで、朝からスタート直前まで結構な量の水を摂取していた。新宿のランナー専用ゲートの前でぼくと別れる前にトイレに行き、荷物預けを終えた後にもトイレに行ったそうだけど、それでもスタート直後にトイレを探すハメになったそうである。

 

東京マラソンに参加する3万8千人ものランナーの中で、さきこはかなり後ろからのスタートになっており、さきこがスタートゲートを超えたのが、スタート時刻の30分後。序盤のうちにトイレを済ませておこうと、走りながら沿道のトイレを探したのだけど、沿道のどのトイレも先にスタートしたランナーが長蛇の列を作っていた。トイレの数が多い場所を探して並んだのだけど、あと4人となったところで、スタッフの掛け声が聞こえた。
「あと数分で5キロの制限時間です!」
これには驚いたそうである。たしかにスタートするのに時間がかかり、しかも道中はさほどペースを上げてなかったとは言え、フルマラソンが始まって5キロ程度で制限時間に追い立てられるとは思っていなかったのだ。さきこは並んでいたトイレの列から慌てて抜け出して、再び走り出した。トイレに行くのは、とりあえず5キロの関門を超えてからにしようしたのだ。

 

ぼくがさきこと会ったのは、なんとか5キロの関門を越え、JR飯田橋駅を過ぎたところだった。
それまでの事情を知らないぼくは、元気そうなさきこの姿にまずは安堵した。ペースは速くはないけど、このまま行けるだろうと思った。しかし、先に書いたような事情を知り、これは急がなければならないと、あまり言葉を交わすことなく、さきこを送り出した。
さきこの背中を見送ったぼくは、コース上の様子がかなり異様な雰囲気であることにふと気づいた。コース上のランナーの数が極端に少ないのだ。スタート時点でのさきこは、ランナーのかなり後ろに位置していたとは言え、さらにその後ろにも多くのランナーがいたハズなのだ。しかし、ここではなぜかコースを走るランナーはかなり少なくなっていた。先ほどまでは4車線ある道路に溢れるほどのランナーが走っていたのに、ランナーの流れはかなり細くなっていた。まるで、ほとんど最後尾を走っているかのような感じだった。制限時間に間に合わないかもしれないという黒い不安が、ぼくのココロの中に広がり始めたのである。
しかし、まだ期待はあった。この前の30キロ走でもそれなりのタイムだった。あの時と同じくらいのパフォーマンスが出せれば、先に行ってしまったランナーにも追いつけるし、タイム的にもかなり挽回できると思った。ぼくはもう見えなくなったさきこにエールを送りつつ、次の応援場所である日本橋に向かった。時刻は10時30分、10キロの制限時間まであと30分である。

 

ぼくが日本橋に到着した時、コース上はランナーで溢れていた。もっともランナーの数が多いと思われるペースの辺りだったと思う。沿道で傘を差して応援する人も多く、雨にしてはよくこれほど集まったものだと思った。先ほどの飯田橋辺りで見かけたランナーが通り過ぎていく。さきこは彼らよりもかなり後になって現われたし、その後にトイレに行ったハズだから、日本橋に現われるのはさらに少し先になるだろう。しかし、余裕はまったくなかった。さきこも次の関門や制限時間は認識しているとは思うけど、タイムリミットは既に10分を切っていた。
ぼくは日本橋の上でさきこの到着を待つ中、ランナーはどんどん少なくなっていった。応援する人たちも、応援すべきお目当ての友人は既に通り過ぎてしまったのか、かなりまばらになってきた。日本橋に買い物に来たついでに応援しているような人ばかりである。しかしさきこはまだ来ない。もしかしたら、もう行ってしまったか?いや、ずっと沿道で見ていたのだから、行ってしまうということはあるまい。さきこはまだ日本橋に到達していないのだ。
時間は刻々と過ぎていく。11時まであと3分になった。沿道のスタッフの掛け声が変わった。急いで日本橋を渡って、関門の通過するよう促す。その掛け声は時間を追うごとに悲痛な叫びになっていった。あと1分である。猛ダッシュしないともはや間に合わない。何人かのランナーがここで一気に走り出し、何人かのランナーは気持ちが途切れたかのように足を緩めて歩き出した。思えば、今までもランニングイベントの応援に何度も行ったことがあるけど、制限時間ギリギリの関門付近での応援は初めてだった。これが東京マラソンのいわゆる「足切り」の現場なのである。
11時になった。関門にロープが張られ、ランナーの流れが堰き止められた。これ以上進めなくなり、ランナーの足が止まった。
奇妙なことだけど、この瞬間、ぼくはほっとした。さきこは来なかった。さきこの失格が決まったのだ。ぼくは安堵した。さきこの体調を考えれば、これは逆に良かったのかもしれない。これ以上走って身体を完全に壊してしまっては、元も子もないからね。数年振りの東京マラソンだったから、ぜひ完走して欲しかったけど、状況を考えればこれはもうしょうがないことである。
その時、さきこが見えた。まだ走っていた。ぼくを見つけると、ちょっと照れたようなはにかみを見せた。彼女はもうこの先に行けないのを分かっているのだろう。それでも速度を緩めることなく、さきこは走り、関門の手前でついに立ち止まった。こうして、さきこの東京マラソンが終了した。

 

もしもの話しをするのは意味がないけど、彼女なら問題なく完走できていただろうとやはり思う。しかし今回は、いろんな面で悪条件が重なった。直接的な敗因は、ランナーの後発からスタートしたことにより、トイレに時間がかかったことである。さらに言えば、さきこが直前まで服用していた風邪薬は、さきこの体質には合わなかったようで、「使用上の注意」には、服用した際に喉や口の渇きを感じた際は服用を止めるようにとの記載があった。さきこがランニング直前まで水を飲んでいたのは、まさにこの薬のせいであり、そのおかげでトイレが近くなったというわけである。体調管理の問題だと言われれば、まさにその通りなのだけど、様々な要素が因果関係として見事なまでに結びついてしまうなんて皮肉なものである。いや、残念である。でも、さきこが無事でホントに良かったと思う。

 

今年の東京マラソンは終了してしまったけど、当然ながら来年がある。来年はぜひ今年の雪辱を晴らしてもらいたいと思う。42キロくらいのランニングなんて軽くこなしてしまう姿をまた見たいと思う。できれば、その時はぼくも一緒に走りたいな。ぼくはまだ東京マラソンには1回しか参加したことがなく、さきこと走ったことはないのだ。一緒にフィニッシュするなんて、ちょっと素敵だなーと思う。うん、いいな。これは来年に期待である。
さきこにはまずはともかく風邪を早く治して欲しいと思う。
そして今日からまた、東京マラソンを目指すぼくとさきこの新しい1年が始まるのである。

※スタート前のさきこ。咳き込んでしまうので、マスクは手放せなかった。

※日本橋の関門。さきこの東京マラソンが終わった瞬間。

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