長引く風邪のせいでなかなかアップできなかった横浜マラソンのことを書こうと思う。もう2週間以上前のことだけど、11月10日、横浜マラソンでフルマラソンに参加してきた。
フルマラソンを前にして、減量も練習量も絶対的に不足している中で臨んだわけだけど、結果としてなんとか完走することができた。途中でかなり歩いたけどね。タイムは5時間47分くらい。ワースト記録を再び更新したことになる。
それでも、この状態でよくぞフィニッシュできたと思う。練習も足りないし、体重は過去最重量になっちゃってるし、本来ならフルマラソンどころか、ハーフマラソンだって厳しいところだったハズである。
スタート前はかなりバタバタした。自宅を出るのが遅くなっちゃったこともあるけど、現地で着替えて、荷物預けをしているうちにトイレに行っている時間がなくなっちゃって、このために集合時間に間に合わなくなっちゃった。危うく最後尾からのスタートになるところだった。
この日は天気がとてもよくて、雲一つない抜けるような青空。日中は暑くなりそうな予感がしたものの、風が冷たかったので、日陰では気温が下がるだろうと思い、インナーシャツを着て臨んだ。結果的にこれは正解だった。
※当日の朝、会場に着くと多くのランナーが準備を進めていた。
※スタートを待つ列に並ぶ。
※スタート地点では、大砲のレプリカが煙を吐き出していた。
スタート直後は快調だった。いや、いつもそうである。気持ちが高ぶっていると、周囲のランナーに引きずられるようにペースがあがってしまい、ついオーバーペースのまま行ってしまう。練習不足は厳然たる事実なのに、この本番で突如として秘められし力が都合よく発動したかのように錯覚してしまうのだ。
ペースを抑えるよう心掛けるのだけど、それでもぼくにとっては少々早いペースだったかな。一緒に走っているさきこと足並みが揃わないことが多かった。
この調子は10キロを過ぎても変わらなかったんだけど、本牧辺りの給水ポイントでついにさきことはぐれてしまう。これまでの給水ポイントで、ぼくがモタモタ給水したり給食したりしているのをさきこは待っていてくれいたのだけど、この給水ポイントではぼくがうっかり先にタッタカ行っちゃったみたいである。ここからぼくもさきこも長い一人旅になったわけである。
一人旅になったことで、抑えていたペースが次第にあがっていった。後で失速してしまうのは分かっているんだけどね。
恐れていた変調があったのは、15キロ過ぎだろうか。思うようにスピードがあがらなくなってきた。息が苦しくなってきた。15キロ辺りはぼくの地元に近い場所なんだけど、全然楽しくないのだ。まだ半分以上も残っている状況で、失速である。分かってはいたけど、意外に早くに失速したかな。フィニッシュ地点は、ここまで走ってきた距離の倍以上も先である。
中間地点を超えて、高速道路の表示が見えてきた。ここで高速道路に乗るために急な坂道を上ることになる。結構な坂で、前回はここでかなりの体力を削られたので、ぼくはここでムリをせず歩くことにした。今回のマラソンで初めて歩いたことになる。
さて、ぼくはこのままあと20キロも走って、フィニッシュ地点に辿り着けるだろうか。どこかでリタイアするなら、この高速道路でのリタイアが最後のチャンスじゃないだろうか。高速道路を下りると、もはや残り10キロを切っているわけだから、後になって絶対に後悔するからね。満身創痍だったとは言え、10キロ弱も走れないのか、とね。だから、リタイアするなら、高速道路の、しかも早い段階だろう。
しかし、高速道路上には、まりこさんがボランティアでランナーに声援を送っている場所があると聞いていた。たしか27キロ付近だったか。まりこさんがいる場所までは、なんとしても辿り着かなければなるまい。それまではリタイアしないことを決めた。
その時のGPS腕時計が表示する走行距離は、22キロだった。つまりまりこさんのいる場所まで5キロほどである。5キロなんて練習では何度も走っている距離だけど、この時はその5キロはかなり重く感じられた。
※中間地点。その先に高速道路の入り口が見える。
途中で足を止め、歩きながらもとにかく27キロを目指す。この辺からなんだか変な境地に至る。身体は依然として辛いのだけど、「どうせこのあと死んじゃうかもしれないしなー」なんて変な思いがよぎるようになったのだ。「死ぬ気で走る」という感じとは違う。「死んじゃうんだからその前にちゃんと走っておかないと」みたいな心境である。ランニングを始めて10年以上経つけど、こういう心境は初めてである。死を覚悟した感じとも違うんだよな。あれはなんなんだろうな。
まりこさんは、高速道路の段差のある場所でランナーに注意を促す係になっていて、通り過ぎるランナーに大きな声をかけていた。彼女を見つけたぼくは、彼女が持つ看板にすがるように立ち止まった。
まりこさんと一緒にいたのは、さきこである。ぼくが先行していたと思っていたけど、さきこの方が早かったか、あるいはどこかで抜かれたかな。
さきこは意外にも元気だった。さきこ特有のスロースターターなエンジンがやっと温まってきたか。聞くところによると、どうも補給食として携行していた「スズメバチエキス」が疲労した身体にガツンと効いたみたいである。ぼくはこの時点でまだそれを摂取していなかったので、飲んでみることにした。うぇぇ、これは水と一緒に飲まないとかなりマズいわ。
しかし、ここから少し元気が出た。継続的に走れるようになったのである。
ただ足の痛みは無視できない状況になってきた。懸念していた右膝の腱が硬直してきたし、内股の筋肉も重く感じられるようになった。ランニングの時にはあまり感じない腰の痛みも強くなってきた。身体が悲鳴をあげていた。
しかし、既に30キロ手前まで来ている。残りは12キロである。ゆっくりでも走り続けていれば1時間半程度で走れる距離である。終わりが見えてきたわけである。足が上がらなくなって、シューズの底を路面に擦るような走り方になっていたけど、このまま行けるんじゃないか。
※まりこさんのいる高速道路でさきこと合流。でも、その後すぐさきこに置いて行かれる。
高速道路を下りると、30キロ過ぎである。なんとかここまで到達して、ぼくはリタイアする気を完全に放棄した。制限時間内に走り切ってやろうと思った。
コンテナの並ぶエリアをフィニッシュのあるみなとみらいに背を向けて走る。コースレイアウト上、フィニッシュから一旦遠ざかる形になるのだけど、いや、そういうコースなのは最初から知ってはいたし、以前も走ったわけだけど、やはりここまで来てフィニッシュに背を向けて走るのは、メンタル的にキツいものである。歩く距離がちょっと長くなったように思う。
35キロを超えた。ぼくはここでトイレに行くことにした。後のために書いておくと、高速道路のどこかのエイドで行っても良かったのだけど、数少ないトイレを長時間待って、制限時間をオーバーするのは避けたくて、フィニッシュ地点が近づいてきた辺りの、あまり待たなくて済みそうな場所を探していたのだ。前回の横浜マラソンではトイレに15分も並んだけど、ここでは3分でコースに復帰することができた。さきこの東京マラソンの例もあるけど、フルマラソンではトイレをどうするかというのが、タイムに大きく影響するのだ。
コースに復帰したと言っても、走る速度は全然速くならない。思えば、何がそんなに辛かったのだろうか。疲労が増してくると、物凄い遅いペースでも息切れがするようになる。呼吸が苦しくなる。だから走るのが辛くなる。身体の痛みはそれ自体が苦痛であり辛い。今までのマラソンでも、そういう辛さを体験してきた。しかし、今回はちょっと様子が変である。息切れしていないし、足や腰は痛いけど、走れないというわけではない。言うなれば、身体全体が漫然と辛いと感じているようなのである。「漫然とした辛さ」のようなもののために走れていない自分が腹立たしくなった。
新山下を超えると山下公園である。ここではギャラリーも多いので、カッコ悪い姿は見せられないと思い、気持ちを入れ替えて走ることにした。と言っても、既に疲労困憊をさらに超越した状況なので、全然カッコがついてないのだけどね。
みなとみらいに入ると、今回からの新コースである。赤レンガ倉庫の敷地内に入り、海沿いの石畳を通る。石畳の路面は硬いので、疲れた足にはキツいのだけど、ここで初めて海を間近に見ることができて、港・横浜を走っている実感を得ることができた。工場地帯を延々と走ってきたから、ここにきてなんだかとても清々しい気持ちになった。
海沿いの道を抜けると、目の前にパシフィコ横浜の建物が見えた。
そしてフィニッシュは唐突に訪れた。
※ついにフィニッシュ!
前回のマラソンから20分も遅れてのフィニッシュである。しかし、記録は問題ではない。この状態でよくぞここまで走れたものである。途中で死を意識するなど、まさに死力を尽くしたランニングだった。これまでのどのマラソンよりもキツいマラソンだった。
フィニッシュ地点でさきこが待っていてくれた。数分前にフィニッシュしたそうである。完走メダルをもらって、スポーツドリンクを受け取ったところで、ボランティアを終えたまりこさんが来てくれた。今回の完走は、27キロという絶妙な地点で応援してくれた彼女のおかげである。これが25キロとか20キロ付近だったら、たぶん気力が尽きていたと思う。ホントに感謝である。
限界を超えた足は股関節からつま先までが石化したように硬くて重かった。時折うめき声をあげながらウェアを脱いで帰り支度をし、ヨタヨタしながら帰途に就いた。さきこはそんなロボット三等兵みたいなぼくをずっと支えてくれた。
翌日に筋肉痛が激しくて発熱しちゃった時も、さきこはいろいろ世話をしてくれた。これは非常に助かったわ。大大感謝である。
こうして、ぼくの横浜マラソンは終了である。
夏に当選の案内を受け取ってから、思えば長い道のりだったな。
次のフルマラソンは・・・と書きたいところだけど、残念ながら今はそういう気分には全然ならない。ランニングは続けていきたいけどね。でも10キロとかハーフマラソンとかで留めておこう。当分の間はフルマラソンはいいかな。
※ここまで走り切ってくれたシューズに感謝。完走メダルと記念タオルと共に。
※フィニッシュ地点で待っていてくれたさきこと記念写真。タイムや内容はどうあれ、完走した時の達成感は毎度ながらハンパない。