オクターブアップ!

「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
フォースは覚醒したか。
「スターウォーズ・フォースの覚醒」を観た。
いや感動したわ。先月のブログで新三部作や旧三部作を若干批判気味に書いちゃったけど、いやこの6作品を束にしても敵わないほど、完成度の高い作品だった・・・って、やっぱ批判気味か。
いわゆる「続編」というものは過去にも多くの作品で作られてきた。ファンの想像力をいい意味で裏切りつつ、さらに新しい展開を持たせないといけない点で、非常に難しくでも面白い仕事だと思う。しかもスターウォーズは日本人が好むような「お約束」を多用しているので、これをどう見せていくかも難しい。そして結果として、映画ではそのすべてが非常に巧みに融合していた。文句なしの名作である。うん、これはプロットの勝利だな。いや迫力の映像は言うに及ばずスゴかったよ。
プロットと言えば、前回のブログでもガンダムと比較して書いてみたけど、数々の作品で張られまくった伏線が一挙に回収されるのは痛快だった。今回のスターウォーズでも、伏線と言うほどでもないけど、やはり気になる「その後」がどう描かれるのか楽しみで、ワクワクする感じで展開していたのが良かった。レイア姫は相変わらずゲリラ組織で戦ってるし、ハン・ソロは相変わらず借金まみれだし、チューバッカは相変わらずウォーしか言わないし、新型スターデストロイヤーは相変わらずデカいし、新柄デススターは相変わらず丸かった。
ちなみにぼく個人としては、R2D2の扱いがどうなるのか非常に気になっていた。今回のストーリーでキーパーソン(?)になるロボット「BB−8」は、提供がディズニーに変わったことを示すためか作品中では大きな扱いだったけど、この一大叙事詩の真の主人公であるR2D2が出なかったら嫌だなーと思っていた。結局話しの最後の方で登場したけど、今後もちゃんとそれなりに活躍して欲しいものである。R2D2こそが物語の最初の最初からその記憶を維持したまま登場しつづけてるキャストだし、もしこの物語が実は誰かの主観で描かれたものだとしたら、それは誰あろうR2D2が語った物語だと言えるハズだからだ。うん、そういう結末も面白いな。
映画の最終盤、最後に登場したあるキャストをもって旧作の主要登場人物がすべて出揃った瞬間、思わず涙腺が緩んでしまった。泣くような映画ではないのだけど、それだけ思い入れの強い作品だったんだなーと思った。
この続きが早く観たいと思う。三部作と言わず、これからももっとずっと作り続ければいいのにね、ガンダムみたいに。

最後に関係ないけど、某SNSで話題になった「ちょっといい話し」から。
末期がんにかかったある外国人は、スターウォーズの大ファンで、続編が制作されると決まった時にとても喜んで、これを観るのをとても楽しみにしていた。しかし、予想された余命は映画の公開には絶対に間に合わなかったのだ。彼に残された時間は、スターウォーズの新作が観られるほど長くなかったのだ。
この話しを聞いた製作スタッフが、公開用フィルムさえできていない段階のこの映画を、彼だけのために上映したんだそうな。彼は誰も入れない部屋で世界で最初のスターウォーズ続編を観た人になった。最後の願いが叶った彼は、ほどなくこの世を旅立ったそうである。
映画の最中にこの話しを思い出した。彼はこの映画をどんな思いで観たのだろうか。特に終盤は次の作品を意識させる展開になったわけで、絶対に観ることのできない続編をどんな思いで想像したのだろうか。そう思うにつけ今回の物語の展開として、続編を観ないとモヤモヤしちゃうような作りになっておらず、気持ちよく観終えることができるもので良かった。彼を思ってちょっと安心したのだった。

そんなわけで、スターウォーズ・フォースの覚醒、いい映画である。また観に行っちゃおうかな。
| 映画鑑賞文 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0)
深夜に映画鑑賞。
日曜日はランニングイベントもあったし、夕方までに風呂にも入ったので、早くに寝てしまおうと思ったんだけど、日曜の夜(日付は既に月曜日)のテレビを何気に観ていたら、いつもぼくより後に寝るさきこが寝室に行ってしまい、ぼくだけ一人でテレビを鑑賞するハメになった。で、そろそろ寝ようかと思って、CSチャンネルをカチャカチャ回していると、ぼくの琴線に触れる映画を放送していて、うっかり観てしまった。
その映画は「第九地区」。何年か前のSF映画である。ある日宇宙人が地球に飛来するんだけど、彼らの宇宙船は故障していて帰ることもできず、また地球を侵略しようというほどの知能も持っていなくて、結果として行き場を失った大量の「宇宙人難民」を地球人は排斥・隔離することになる。宇宙人の来訪から20年ほど過ぎ、増殖力が強くほとんどお荷物と化した宇宙人をいっそ強制収容所に送ってしまおうということになり、宇宙人の強制収容所送りを取り仕切る組織の担当者であった主人公は、強制移住を告げに難民キャンプを訪れた際、彼らの持つ謎の液体をうっかり浴びてしまい、その結果身体が次第に宇宙人のように変化していってしまう。長いこと分からなかった宇宙人の生物学的知見を巡って主人公は組織からも追われ、地元のギャングからも追われるハメになる。主人公は元のニンゲンに戻れるのか、膨大な数の宇宙人たちはどうなっていくのか・・・ってな話しである。
この話しの舞台は南アフリカで、まさしく黒人排斥運動・アパルトヘイトを皮肉った内容である。アパルトヘイトを正面から描くのではなく、ちょっとおマヌケな宇宙人とのエピソードにすることでコミカルに皮肉っている感じである。
ぼくはこの映画をロードショウ当時から気になっていたんだけど、なかなか観る機会がなくて、この日途中からとは言え、観ることができたわけである。まあ当時はそれなりに話題になったけど、今ではあまり聞かなくなった点で実際の映画としての評価は高くないのかもしれないけど、エンターテイメントとしてはぼくは嫌いじゃないかな。ちょっと暗いし、ホラー的な要素も強いし、宇宙人の造形自体が気味悪い感じなので、楽しく観る映画というよりも怖いもの見たさな感じではあるけど、ぼくはとても楽しめた。後半以降はアクション映画(的なスプラッタ?)の要素もあって、アパルトヘイトを皮肉るような社会派な要素はまったくなくなっちゃうんだけどね。
それにしても、問題はぼくは深夜1時過ぎまでリビングで一人で、「宇宙人」的「ホラー」的「スプラッタ」的「アクション」的な映像を観ていることである。当然映画の話しは虚構であることも分かってるし、この映画を観たからといっていきなり宇宙人が庭の窓をコンコンなんてしないこともさすがに分かってはいるけど、観終わった後に暖房を消して、照明を消して真っ暗にして、真っ暗な中、大して長くはないけど廊下を歩いて寝室まで行くと言うのは、映画以上にシビれるものである。こういう日に限って、熟睡中のさきこはベッドライトも灯けてなく、寝室も真っ暗だったから、もう心中穏やかじゃなかったわ。
それにしても、宇宙人の描写というか設定が面白い。宇宙人だからニンゲンよりも知能が高いわけじゃないというのはとても面白い。以前あるマンガ家が「宇宙に進出する知的有機生命体があるとすれば、ニンゲンのような社会性ではなく、どちらかと言えばアリとかハチに近い社会性を有しているんじゃないか」と想像していたけど、この映画でも同様のスタンスが見られて興味深かった。最近は宇宙の知的生命体についてあまり考えることはなくなったけど(ちなみに、有機生命体ではない生命体を考えることは増えたかも)、原点回帰的にその社会性なんかも含めて考えてみても面白いかもしれないね。
そんなわけで、夜一人で観るというのはオススメしないものの、エンターテイメントとしてはいい映画だったかもしれないね。怖いだけの「エイリアン」を観るよりは、この映画を観た方が面白いと思うな。


| 映画鑑賞文 | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0)
十二人目の少年。
「K−20 怪人二十面相・伝」を見た。
テレビでいろいろ宣伝しているので、気にはなっていたが今日観ることになるとは思ってなかった。ひょんなことからそうなった。
で、しゅんすけが数ある映画、特に宇宙人が地球にやってきて何やら警告するとかいう映画なんか結構興味があったんだけど、それでもこの映画を選んだ理由は、原作者にあった。
北村想氏。
しゅんすけをお芝居の世界に引き込むきっかけになった某戯曲の作者である。大学1年生の頃に、いろんな面で停滞気味だったしゅんすけに、新しい世界、未知の世界、全身に照明の光を浴びて大勢の観客の前に立つという特殊体験を味わわせてくれた芝居、その端緒となったのがこの北村氏の書いた戯曲であった。いや、懐かしーわー。
そんな北村氏の作品が元になっている映画なので、プロットがどうとか、伏線がどうとかそういうツッコミはおそらくないだろうと思っていた。安心して楽しめるだろうと思ってた。それよりもこの映画のために書き起こされた脚本や設定、そんな世界観をとにかく観てみたかった。なんせ第二次世界大戦がなかった世界が舞台なのだ。

結論としては、非常に面白い映画であった。良かった、変な宇宙人の映画なぞ観なくて。
ストーリーは全然心配していなかったけど、何よりディティールがスゴい。原作にない設定、第二次世界大戦がなかったら日本はどうなっていたんだろうというちょっと微妙に分かりにくい世界観をとても分かりやすく表現していた。こういう設定って、最初に言葉を尽くして理屈でまず分かって貰おうとしちゃうものだけど、細部まで作り込まれた設定とその表現があれば、そういうのはだんだん分かってきちゃうものなんだね。いや、なんか勉強になったわ。

それにしても、「怪人二十面相は誰だ?!」ってコピーはなーんか記憶の片隅に残ってるんだよなーと思ったら、1989年の作品なんだそうな。そう言えば、芝居なんかではこういう面白いコピーを使うよなーと思うにつけ、「沖田総司は女だった」ってコピーを思い出し調べてみると、つかこうへい氏の幕末純情伝も1989年の作品だった。しゅんすけがお芝居を知るずっと前だけど、しゅんすけが芝居をやる頃にそこここで上演されていたように記憶していて、ホントなーんか懐かしーなーと思う宵なのであった。

| 映画鑑賞文 | 23:09 | comments(0) | -
金返せ・・・。
24(トゥエンティ・フォー)シーズン困魎僂拭
ビデオ鑑賞のために休みを1日丸ごと費やす覚悟で3週間くらいかけて全巻をクリアした。
元々しゅんすけは海外のテレビドラマをレンタルして観る習慣はなかった。このブログの初期の頃にどっぷりハマっていた「アリー・マイ・ラブ」だって、その予想をはるかに超えたストーリー展開に翻弄されつつも、レンタルしないでテレビ放送されるのを待てるほどのココロの余裕があった。この「24」だって、現在作成中のシーズン擦リリースされれば、販売促進のために既にリリースされた前作がフ○テレビあたりで放送されるハズで、それを気長に待てば良かったんだけど、この「24」に限ってはいくつかの理由でそういうココロの余裕が持てなかったのだ。

その理由のひとつとして、シーズン擦了1鴇況の遅延がある。
この前何気に某SNSサイトのニュースページを観ていたら、「24」シーズン困了1討停滞している云々との記載があった。どうもディレクターが脚本に納得いかないだか全米で脚本家のストライキがあっただかで、とにかく制作がストップしているんだそうな。シーズン擦離螢蝓璽垢遅れれば、シーズン擦糧稜簑タ覆眞戮譴襪錣韻如△弔泙螢掘璽坤鶚困離謄譽喨送が遅れるというわけである。あー、こりゃ待てん。
加えて、シーズン困離好函璽蝓爾僚わらせ方がまた酷い。
主人公のジ○ック・○ウアーが○○に△△され、××に□□されてしまうシーンで終了するシーズン此シーズン擦陵醜隸覗などで再び画面に映し出されたヒゲボーボーな彼の顔に、観たいのに観れない狂おしいまでの欲求不満があったわけである。シーズン困如漾澆気譴身爐呂匹Δ靴萄討嗅瓩辰討海蕕譴燭里?とりあえずそれだけが知りたかったので、レンタル店に足を運んだという次第なのである。

さて、ここからはいよいよ「24」のDVD鑑賞文である・・・と、思ったら!
思ったら!である!
何気なくついていたテレビ、そろそろ眠ろうかと電源を落とそうとしたその瞬間、黒い画面に浮かび上がる独特のデジタル数字、24・・・。トゥ、24が始まってる。
そうである。フ○テレビがなぜか今日から「24」を深夜一挙放送するようだ。
あぁ、そのことを全然知らなかった、知らないで、DVDなぞレンタルして、この3週間を捧げてきたのに・・・。こういうことってあるんだね。
とりあえず、レンタル代返せ・・・。
| 映画鑑賞文 | 01:03 | comments(0) | -
あの歌は一度聴いたら、忘られぬビッグウェーヴ
宮崎駿監督、スタジオジブリの最新作「崖の上のポニョ」を観た。
CGを使わないアニメの初原に戻るというその意気に惚れ込んで、内容的にはかなり子供向けだったけど、さきこと連れ立って観てきた。うん、これは近年の作品の中では、なかなか秀逸な作品じゃないかな。最近の作品はどうも小手先に走るというか、「お話し」として楽しめる側面がなくて、何となくココロに残らなかったんだけど、今回の作品は「お話し」として完成しているし、そのうえアニメーションに対する慈しみっていうか、手描きの温かみと迫力(なんだあの波の迫力は)に溢れたいい映像で、とても楽しめた。大人でも充分楽しめる内容である。
しゅんすけは映画を観たら必ずパンフレットを買うのだけど、そのパンフレットに宮崎アニメに「水没した街」のモチーフがたびたび登場することについて書かれていた。「天空の城ラピュタ」ではラピュタの中に水没した街があって「空に浮かんでいるのに水没した街とはこれ如何に」って感じだったし、「ルパン契ぅリオストロの城」でも水没した古代ローマの街が登場する。たしかに宮崎駿氏の作品には水没した街がよく登場するけど、その例として「ラピュタ」や「カリオストロ」を出す前に忘れてるものがあるだろう、「未来少年コナン」である。しゅんすけの幼少期とはぴったり合致しないけど、子供心に海底に沈んだ街をまるで空を飛ぶように泳ぐコナンにしゅんすけの想像力は物凄く刺激されたものである・・・っていうか、この想像力の刺激は、しゅんすけの想像力のいちばん根っこの部分を構成するもっとも原始的な視覚イメージのひとつであり、それはつまりしゅんすけの想像力の源、進化の原初から宮崎駿氏のアニメが深く根付いていたことをあらわしている。映画のパンフに書かれたことから、しゅんすけの想像力のルーツを知ることになったわけである。
さて、ちょっと前にえんどうさんと宮崎アニメについて語っていて聞かされた話しだけど、宮崎アニメの共通点を挙げておくと、どの作品にも美味しそうな料理が登場することとどの作品にも「の」が入ることである。「風の谷の〜」や「となりの〜」って助詞的に使う場合が大半だけど、「もののけ姫」って名詞に使うとは思わなかったわ。今回も「の」のルールは健在である。美味しそうな料理も健在で、今回は美味しそうなインスタントラーメンであった。う〜ん、インスタントラーメンこそ日本の味覚の原初。まさに原初を追求したシンプルイズベストな作品なわけである。

| 映画鑑賞文 | 00:43 | comments(0) | -
さきこには内緒の休日の過ごし方。
さきこが朝からセミナーとか言って出かけていってしまった。
時間がポコっと空いたので、自転車に乗って桜木町を目指す。
自転車屋に行ってグッズを物色したりしたかったんだけど、それよりも思い立ってしまった。
「そうだ、映画を観に行こう」
・・・というわけで、久々の映画鑑賞である。お題は今何かと話題の某三○幸○脚本・監督の「ザ・マジッ○アワー」を観ることにした。実はさきこに内緒で映画を観に行くのは初めてであるが、そもそも彼女は邦画を観ないし、この映画に出演している某俳優が嫌いだし、ま、勝手に観ても怒らりゃしないか。

※・・・と言うわけで、映画レビューなので、観てない人は読まないように。

う〜ん、なんか一生懸命コメディを作りましたって感じのする作品である。笑って欲しくて、頑張って作ったという独特の臭いがするのだ。いや、そこまで肩にチカラ入れなくても、面白いから充分笑えるんだけどね。なんか周囲に持ち上げられてしまった作家が引くに引けなくて作ったというか。そういう印象すらもこの作家特有の演出なのかもしれないけどね。
「特定の誰かを呼んでこなくちゃいけない状況に陥った登場人物が困りに困ってヒネり出した答えが、売れない役者にその誰かを演じてもらうことだった」というのが基本的なプロットで、今回のお話しでは、街のギャング(あえてこう書くが日本のお話しなので要はヤ○ザのことである)にそのスジの業界でも謎と言われている殺し屋を連れてくるように言われた主人公が、会ったこともないその殺し屋に代えて売れない役者を映画の撮影だと偽って連れてくるという展開である。ギャングはこの役者を殺し屋だと思い、役者はギャングたちを映画撮影のスタッフかなんかだと勘違いする。双方の勘違いが奇妙に噛み合ったりしちゃうので、話しがコミカルに展開していく。
「あとは映画館でご覧あれ」ってことで、結果的にはしゅんすけもなかなか楽しませて貰ったんだけど、なんかこう斬新なストーリーを見せられている気が全くしなくて、なんかこうお約束的な笑いのツボが絶妙に散りばめられた中を展開しているだけのような気がして、ふと思い立ったのが、この作家が脚本の某フジ○レビが以前放送したドラマである。
このドラマでは、産廃処分場の建設に反対する村の住民が産廃業者を相手に訴訟をしようと東京まで弁護士を探しにいくんだけど、勝てる見込みが全くないために弁護士はみんな仕事を引き受けなくて、困った主人公が売れない役者に事情を話して弁護士のフリをさせるというもの(だったっけな)。・・・なんか似てないか?
マジッ○アワーの方はギャングも役者もどちらも騙されるまたは勘違いするって関係で、このドラマの方は弁護士のフリをする役者に村人が騙されるという関係で、この点が違うだけで上記に書いた「特定の誰かを呼んでこなくちゃいけない状況に陥った登場人物が困りに困ってヒネり出した答えが、役者にその誰かを演じてもらうことだった」ってのは同じ。しゅんすけが感じた「お約束的な臭い」は、個々のお笑いツボだけじゃなくて底流しているコンセプトにもあったんだな。そうだよなー、新しい!って感じ、新鮮!って感じ、まさにプロットにシズル感がなかったもんな。
そういう意味では、最近よくある「テレビ主導でガンガンにプロモーションしてバックアップするヒドい映画」のひとつなのであろう。けど、しゅんすけはこういうストーリーは好きである。それはちょっとだけ芝居をカジって、役者を立てる舞台裏の人々をちょっとだけ知っているからかもしれないけどね。ああいう雰囲気は好きなんだよね。
そう、たとえ似たようなプロットだったとしても、「騙す・騙される」の関係ってコメディの王道だし、「困り果てた末の決断」ほど滑稽なものはないわけで、そういう意味では面白いものをとにかく見せるというエンターテイメントの原則に忠実な作品ではあったわけだよね。細かい部分でヒネってあったり、他の映画のパロディだったり(なんせ舞台が日本の街・守加護ってんだから思い出さない映画がないわけない)して、映像としてはとても楽しめた。役者が生き生きと演じてる感じもいい。例えばしゅんすけは某金管バンドでコルネットを吹いているんだけど、演奏してるときに過剰に感情移入し過ぎちゃって、そのために演奏としてヘンテコになっちゃうことがあるんだけど、そういう演奏って音楽としては全然ダメなんだけど個人個人は生き生き演奏してるわけで、そういう熱みたいのは伝わるんだよね。今回の映画も役者が与えられた役を自分の思うがままに自由に伸び伸びと演じている感じがして、その熱が伝わってきて受けてとしてしゅんすけの気持ち的にはとても充実した。そして全体としてその過剰な演技が映画に独特のヘンテコさを出していて、それも味になっていた。
結論的にはいろいろあるけど、この映画は好きである。
そもそもしゅんすけはこの作家を非常に好きで、いい映画、いいドラマをこれからも作っていってもらいたいけど、変なトコで迎合して欲しくないな。産業としてのエンターテイメントではなかなか難しいんだけどね。

| 映画鑑賞文 | 01:33 | comments(0) | -
韓国映画
ある韓国映画を観ました。
しゅんすけは別に韓国だろうと中国だろうとモンゴルだろうと洋画・邦画区別なく面白いものは観るんだけど、韓国映画を実際に観たのは今回で2度目で、どちらの映画もお気に入りの女優さんが出演しているからなわけです。
これは既に書いたことだけど、一昨年に「猟奇的な彼女」を観て一発でその魅力にハマってしまったチョン・ジヒョンの出演作品。
やっぱ彼の国の女性は美しいね。なんでだろ、キムチ食ってるからか?寒いからか?(行ったことないけど、やはり新潟よりも北にある国なので寒い国だと勝手に思ってる。横浜よりも伊豆の方が断然暖かいことを考えると、日本海を越えた先にある国は隣国と言っても、きっと寒いに違いない)

内容的には、もはや完全にチョン・ジヒョンのプロモーションビデオを見ている感じで、一応展開はあるんだけど、必然性がないというか詰めが甘いというか、「なぜそうなる?」という感想が多かったし、しかも辺に小物を使ってるのも違和感だったな。しかも、最後のお涙頂戴的な展開は、もうこれは遺伝子的にそういう反応が出ちゃうのかもしれないけど、ほろほろと涙が滴ってしまいました。
展開がどうのというよりも、チョン・ジヒョンを見る目的だったら、なかなか良かったかもしれないな。

彼女の魅力にアタってしまい、ほとんどチョン・ジヒョン色に染まった感じの日曜日なのでした。

| 映画鑑賞文 | 23:39 | comments(0) | -
オドロキ・パイレーツ
「パイレーツ・オブ・カリビアン3」を観ました。
まだ観ていない人はココから先は読まない方がいいです。

・・・と言っても、う〜ん、面白かったことは面白かったけど、どうかな、なんかエンタテイメントとしての面白さというよりも、「観ないとストーリーが完結しないから観た」的な感覚に近いのかな。前回、ジャック・スパロウが巨大イカに飲み込まれるシーンで終了しちゃったから、その続きは絶対なくちゃ納得できなかったし、死んだハズのジャックがどうして生き返るのかって納得できる説明が欲しかったわけで、まあ何とか納得できる説明が与えられた段階で、しゅんすけがこの映画を観る意味の半分くらいは満たされたわけなんだよね。

確かにプロットは練られている感じはするけど、やはり小道具が多すぎだと思う。大事なのは、心臓の入った箱なのか、何かを蘇らせる何かなのか。
誰の目的が優先されているのかもイマイチ分かりにくかったかも。いや、何回か観れば分かるんだろうケド、エリザベスの目的は何なの?と思う場面があったな。

たぶん、こういう感想を持つ人が多いことを想定していたのか、劇場に入る前に小さな紙を渡された。「もう一度観たくなる謎解き云々」と書かれていたから、表題のとおり、もう一度観たくなるためのツールなのかもしれないけど、これが観終わった後の「???」に対して理解を促すヒントを提供したかったんだろうなとも思った。大人が観て???なんだから、子供が観てもよく分からないんじゃないかな。単純にどたばたを楽しみたい子供としては、「結局大人の世界って分からない」で終わっちゃうような気がする。

それでも、1作目と2作目との関連性というか、無理なくうまく繋いだと思う。
某「スター○ォー○エピソード3」と比べるとコジツケ感は少なかった。逆にこの映画と比較するとドキドキ感も少なかったけどね。
なんつーかな、マンガでドラ○ン○ールってあるじゃない。主人公がどんどん強くなっていく話しなんだけど、強くなりすぎるとそのうち戦う相手がいなくなっちゃって、もう地球レベルを超えて、宇宙レベルとか魔界レベルとかとんでもないトコロから敵役を引っ張ってこなきゃいけなくて、しかもその敵もやっつけちゃうから、展開として宇宙で一番強いヤツになっていくわけよね。これって、単独のエピソードとしてはとても面白いんだけど、ふっと身を引いて俯瞰すると、なんかツマラナイんだよね。世界がどんどん小さくなっていって、ロマンが失われるというか。
今回の作品でも、カリブ海の海賊って話しが、フィリピンの海賊が出てきたり、中国風(日本風?)な海賊が出てきたりしていつの間にか世界規模になってて、しかも、評議会なんてネットワークが出てきて、しかも、彼らを拘束する掟なんてもんが存在して、その掟の番人がジャックの・・・っていう、1作目の底流に流れて
いた痛快感が減少してるんだよなー。この痛快さってのが、この映画の売りだと思うんだけどさ。この世界には未知の存在がある不思議さ。

今回の話しで、ツジツマは合ったけど、その裏には意外に狭い世界と意外に単純な恋愛感情があったんだと思うにつけ、万人ウケを狙うあまりに平凡なエンタテイメント性しか発揮できなくなっていくのが分かった感じです。

※関係ないけど、某マンガのように次々と強敵が現れてる展開は、例えば日本一、世界一、宇宙一と水平的な展開を見せるよりも、単に世代を経る中で当然に現れるものなんだよね。
しゅんすけはトランペットをやっているけど、大昔は学校一巧くて天狗になってたのが、他校交流会で他の学校にも同世代で巧いヤツが沢山いるコトを知り、世の中にはもっと巧いヤツがいることを知って、折れに折れた鼻は今では凹んでるくらいなんだけど、この前某吹奏楽団の合宿の合奏に参加したときには、しゅんすけよりも10以上は若く見える団員がキレイなラッパの音を奏でてたのには、いや若さには敵わないわと思ったね。強敵は水平展開ではなく世代展開でいつも現れるものである。こういう時はいつも老兵は去るのみである。
そらそうだよな。毎年毎年何人もの中学生がトランペットに初めて触れ、次々に巧くなって世の中に不断に供給されていくわけだから。

閑話休題。
ともあれ、海賊同士の会議やさらに階層化したところで、物語は袋小路へ向かうだけだと改めて認識した映画でした。
とりあえずDVDとかでもう一回観てみるかな。
| 映画鑑賞文 | 23:37 | comments(0) | -
お願い、タイムマシン!
Xデーを超えて、遅ればせながらしゅんすけにも夏が来ました。
夏、というわけで、「サマータイムマシン・ブルース」を観ました。

今時古くさいSFタイムマシンものの映画なので、
上映当時は全然興味がなかったんだけど、
この映画、もともと演劇舞台を映画化したものだそうで、
それもどこかの映画制作会社が、たまたま公演を見に行って、
あまりの面白さにその日のうちに即映画化権を取得したという逸話があり、
また講評なんかでも、使い古されたタイムマシンのパラドックスでは
済まないコメディの面白さ云々と言われ、遅ればせながら興味があったんだよね。
講評には「1回目と2回目では観た時の印象が違う」ともあり、
ま、タイムマシンものは大抵そういうものだと思うけど、
まずは観てみましょう。

・・・う〜ん、どうだろうなー。
確かに本(=筋書き)は面白いよね。
また、舞台の単純な映画化では済まない演出も多くていいよね。
(あー、コレ舞台の方が面白さが生きるわーって映画も一杯あるけど、
この映画については、映画ならではの面白さもあって良い)
でも、なんだろうな、激烈に面白いという感じがしなかった。
2回観ないと話しのツジツマが分からないとか言うけど、
そんなこともなく、ま、2回観た方が分かりがいいかなって感じではあるけど、
もっと難解な映画って他にもあるわけだしって感じ。
こういう映画は嫌いじゃないけど、大好きにもなれなかったかな。
最後のブルースってのが、ちょっとホロ苦いラブストーリーも絡んでいた部分を
指すのかもしれないけど、この辺もちょっと消化不良な感じかな。
いいじゃん、大学で知り合った女の子と結婚して、生まれた子供が同じ大学の
同じサークルに入って、タイムマシンで未来からやってきたってことでもいいじゃん。
そんな予定調和なストーリーを避けたのかもしれないけど、
タイムマシンもの自体が予定調和なんだから、そこだけ妙に現実的にならなくても
いいじゃんって思う。学生時代の恋愛とその後の結婚は別物よという制作者側の
苦い経験が反映しているのか?ま、ブルースではあったけど。

でも、やりたかったことは、まずまずできていたと思うし、
映画としては成功してるんじゃないかな。

それにしても、演劇人の考えることは面白いね。
タイムマシンが目の前にあって、未来に行こうか過去に行こうかってノリの時に、
ちょうど故障して使えなくなった部室のエアコンのリモコンを
壊れる前=昨日に行って持ってこようなんて、このアホっぽさ。
理解を超えた技術の前では、ニンゲンは実は極度に臆病だったり、
行動がアホっぽかったりするんだよな。その辺のリアリティをコミカルに表現しているのが
面白い。これは、完全に着想の勝利だと思う。
そりゃ、1万年前の恐竜の時代にも行きたいかもしれないし、
30年後の自分に会いに行ってみたいけど、実のところ、ニンゲンはそれほどの
大きな時間感覚の中で生きていなくて、せいぜい1、2日間の中で精神を維持できているに
過ぎないと思うわけよね。1週間前にも確かに自分は存在していたけど、
それは今の自分(精神)と繋がっている自分ではなくて、単純に1週間前のもう一人の
自分でしかないというか。そうやって、1週間、1年、10年と別の自分へ脱皮して
時間が過ぎていくのだという思いに至った。
そりゃ、物忘れ世界ランカーなしゅんすけにとっては、とても実感できる考え方だけどね。

・・・と言うわけで、観たかった映画を観ることができて、
ちょっと満足な夏の一日でした。

ちなみに、ビデオを借りにクルマに乗ってたら、しゅんすけの家の裏山を抜ける道で
通行禁止時間帯を思いっきり無視して、見張ってた警官に捕まってしまいました。
あー、こういう時にタイムマシンがあればなー。
お願い!タイムマシン!
| 映画鑑賞文 | 23:43 | comments(0) | -
そうか、昨日は7月4日か。
インデペンデンス・デーを観ました。
と言っても、深夜に有線チャンネルで放送していたのを、途中から観ただけなんだけど。
それにしても、あの映画って何年前の映画だろう。

ロードショー時にはそれなりに宣伝していて、テレビCMなんかもよく見たので
気になる映画ではあったんだけど、観てみてビックリ。
全然面白くないじゃん。
襲来した宇宙人に対抗する人類・・・ではなくアメリカ人の戦いを描くんだけど、
なんせ地球に襲来した宇宙人をアメリカ人が退治するって構造が、なんだかね。
(当時の世情を何らかの形で反映してるのか?)
日本の映画会社はホントにコレが日本人にウケると思ってたのかね。
大統領が叫ぶ「これが人類のインデペンデンス・デーだー!!!」・・・寒っ。

宇宙人の造作。これも、なんだかな。
最近の宇宙人のイメージって、なんでこうネバネバしてんだか。
エイリアンなんかもそうじゃない。口をガパッと開けると、
ネバネバした唾液みたいのがでろーんって。・・・なんだかな。

んで、核兵器すら通用しない宇宙人撃退の最後の手段が
コンピュータウイルスなんだけど、どうなのよ、このご都合主義は。
実は何かの含意のある展開なのか?
ここまでB級だと、逆にこのB級ストーリーの中に何らかの意味があるのかと
疑っちゃうよ。(いや、マジでそうなら、もう一度観る価値はある)
科学の進んだ宇宙人の文明が、地球人の作ったコンピュータ・ウイルスで
あっけなく崩壊するなんて、あり得ないだろ。
どうやって感染させんだ?USBか?無線LANか?
コンピュータ・ウイルスのプログラムが意図したロジック通り動くようなシステムなんて
そんな互換性の高いシステムなわけないでしょ。

それになー、なんか「エイリアン」の焼き直し的なシーンもあったしね。
B級以下として結論してもいいかもな。

ホント、時間の無駄でした。
気づくと深夜1時半を過ぎていました。
睡眠時間を返せーって感じです。
もしかして、某トム・クルーズ主演の「宇宙戦争」も同じレベルなのか?
| 映画鑑賞文 | 01:10 | comments(0) | -
夢想の地平面
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