「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
伊豆半島一周サイクリング。

伊豆半島一周サイクリングに行ってきた。
いやもう大変なサイクリングだった。コースはほとんど上り坂か下り坂しかなくて、平坦な道を気持ちよく走るようなサイクリングではなかった。まさに自転車乗りとしての走力と精神力が試される過酷なコースだった。
天気もかなり過酷だった。特に1日目は台風一過の快晴で、首都圏では気温が35度を超える酷暑。延々と続くアップダウンに加えて、厳しいコンディションだった。
ナメちゃいけない伊豆半島。でも、好天のおかげでキレイな風景もいっぱい見られた。そんな辛く楽しいサイクリングの顛末である。

 

熱海まで輪行で行き、自転車を組み立てて熱海駅を出て、海まで坂を下ると、ほんの数百メートルですぐ上り坂が登場する。スタートして1、2キロで坂道になるのは、分かっていたけどね。気持ちも張っていたし体力にも余裕があったので、ここは難なくクリア。その先ですぐに下り坂になり、砂浜の海水浴場を超えると、すぐまた上る。これが何度か繰り返されてやっと伊東を超えた。日差しがどんどん強くなってくる。
伊東を超えて、20キロほど。とにかく伊豆高原までは頑張ろうと思った。以前、会社の自転車仲間と下田から伊豆高原までサイクリングしたことがあり、さほどキツくなかった記憶がある。早く伊豆高原から先に行きたい。
しかし、繰り返されるアップダウンと強い日差しにやられて、堪らずコンビニに駆け込んだ。このままではホントに熱中症になってしまう。とりあえず水を飲み、アンパンで糖分を摂取、アイスを食べて身体を冷やした。既に汗で全身びっしょりである。とにかく水分補給だけは怠らないようにしないと。
20分ほど休憩して、再びスタート。それからもコンビニで休憩を挟みながら先に進んだ。

 

※熱海駅前にて。まだいい天気だな。

※熱海を出てすぐに上り坂である。

※上ったと思ったらすぐ下りで、海岸に出る。

 

まだ体力的にも精神的にも余裕があったのか、途中で道を折れて、一碧湖に立ち寄ったりした。森に囲まれた湖は、なかなか美しい風景。古き良き避暑地の風景である。コースに復帰する際に劇坂を上るハメになったのはちょっと参ったわ。
伊豆高原を過ぎると既に昼時である。沿道にあったレストランに入った。
びしょ濡れのサイクルウェアで入店するにはちょっと憚られる感じの少し高級感のある店ではあったけど、混み合う前だったため奇異な目で見られることもなく、キンメダイの刺身や炙りの乗った丼を食べ、かなり元気が戻った。いや美味しかった。

※一碧湖。涼し気な風景。

※ランチ。美味であった。

 

海を左手に見ながら走っていると、水平線の向こうにふたつの島影が見えた。大きい方が伊豆大島で、小さい方は新島だろうか。大島と新島の間にある利島かもしれない。
河津駅前を超えると、下田も近くなってきた。とは言え、アップダウンの連続はまだ続く。しかし坂の上から見下ろす海はその美しさをどんどん増しているようで、海底まで透き通った様子は、見ていて飽きない美しさだった。
白浜海岸では、それまでの伊豆の海岸とは全然異なる趣で、浅黒い肌をさらした若者たちが闊歩する世界だった。まあキレイな砂浜だからね。
こうして下田に到着。時刻は14時過ぎである。いやはや過酷なサイクリングだった。

※東伊豆の海岸から相模湾を臨む。伊豆大島と利島(?)が見える。

※河津駅前。入道雲の雰囲気がまさに夏そのもの。

 

※海岸の風景。

※下田に到着!

 

まずはこの日の宿に向かう。海辺のペンションで、この時期で男一人旅の予約を受け付けてくれる数少ない宿泊施設のひとつだった。夕食なし、朝食なし、部屋にはシングルベッドがぽつんと置かれただけの素朴というかチープというか、シンプルな部屋である。だけど、びっしょりの汗を洗い流そうと風呂に入ったら、これがなかなかいい感じの温泉で、とても気持ち良かった。
風呂上りにベッドに倒れ込むと疲労のためにそのまま寝てしまい、起きると日は既に西の山影に隠れようとしていた。ぼくはTシャツ短パンに着替えて自転車に乗り、下田の街に散策に出かけた。

 

穏やかな湾内をぐるっと回って、ペリー像の前で記念写真を撮ったり、その先の防波堤の先端まで行ったりした。防波堤の先から山に囲まれた下田の街を見ているとなんだか不思議な気分である。よくぞここまで自転車で来たものである。ホントに遠くまで来たんだなーと思った。
南の空には白い小さな点がゆっくり移動していた。旅客機が飛んでいる。よく見ると、かなり距離を置いて、ひとつ、ふたつと白い点が続いているようである。夕方のこの時間は羽田に着陸する飛行機が相模湾沖で長い列をなす。飛行機の位置情報を表示するスマホアプリで見ると、相模湾から伊豆半島の南沖で列を整える様子が分かる。ぼくは暑い中、自転車に延々乗ってこんな遠くまで来たのに、向こうに見える飛行機があと数分後には横浜や東京の上空を通過するわけである。。なんだか不思議な感覚になった。

 

夕食をどうしようかと考えて、某SNSで自転車仲間が勧めてくれたとんかつ屋に向かう。大きな店かと思ったら、かなり小ぢんまりした店で、しかも店内は満席だった。威勢のいい店主にヒレカツ定食を注文すると、
「お客さん、この店初めて?初めてのお客さんは、ミックス定食にしてもらってるから!」などと言われ、ミックス定食を食べるハメになった。これがかなりのボリュームで、さらにキャベツが次々に勝手に追加されて、結局食べきれなかった。とんかつ自体は非常に美味しかったけどね。
ちなみに、以前、自転車仲間と下田に来た時に、当時の上司の奥さんの実家が営む食事処でかなり美味しい海鮮丼やキンメの煮付けとか食べたけど、この店が別の店名に変わっていた。何かあったのかな?

 

※下田の風景。

 

暗くなってきたので、海岸沿いの公園のベンチに座って缶ビールなぞ飲んだ。暗くなってきた空に星が見え始めていた。まだ完全に夜になっていないのに、星がたくさん出ていた。白鳥座が見つけられたので、その近くに天の川があるハズである。まだ見えるには時間が早いか。夜中に起き出して見てみよう。
しかし、宿に戻ると文字通りバタンキューで、9時頃にさきこと電話で話した記憶があるものの、まったく覚醒できずにそのまま寝てしまった。かなり疲れていたのだろう。気が付くと明け方4時だった。

 

5時くらいに起きて、近くを散策した。旅先での朝の散歩は気持ちいいものである。空には雲がかかっていたものの、前日に続き晴れを予感させる空模様だった。これは暑くなるぞ。
サイクリングの支度を整えて、宿を出る。
近くのコンビニに入って、朝食のおにぎりと水を調達した。この日は前日より15キロほど長い距離を走ることになるし、コンビニや自販機の数もかなり少なくなる。疲れたからといって気軽にコンビニで休憩することはできなくなる。特に石廊崎の手前にあるコンビニは、その後の30キロを前にした最後になるコンビニである。ここでの補給と休息は重要である。
ぼくがおにぎりを食べつつ休憩していると、スクーターバイクに二人乗りした男女が駐車場に現われた。二人ともレインウェアの上下を来て、大きなバッグを背中に背負っていた。このリュクサックにもなる巨大なバッグはぼくが持っているものと同じだった。部活の朝練に向かう女子中学生とこれを送るお父さんみたいである。

 

※下田の朝。月がキレイ。ペンション前にて。

※坂本竜馬の像があった。

※南伊豆の道を行く。

 

さて、石廊崎である。伊豆半島の最南端にある岬で、そこには灯台があったりする。ここは今回の旅では外せない場所だった。
しかし、である。
石廊崎灯台への道はいろんな意味で険しく厳しいものになった。ぼくが石廊崎への道を読み違えていたのが原因である。
道の沿道には「石廊崎こちら」の看板は出ていた。大きくてカラフルでかなり目立つ看板である。よほどこちらに誘導したいんだろう。しかし、当初のコースはここで道を折れず、その先の石廊崎灯台のバス停で道を折れる予定だった。だから本来なら看板を無視して進むのだけど、看板から発せられる誘導のオーラに負けて、つい曲がってしまった。
道の先には石廊崎漁港があった。石廊崎灯台はここから山道を徒歩で登るようになっている。ちなみに先ほどの道を折れずに行ったとしても、その先には坂道があって、これを自転車で上らないといけない。つまりどちらにしても山を登るのであれば、寄り道して徒歩で登るよりも、自転車で先に進んだ方が効率がいい。そんなわけで、一旦は看板の誘導に負けて石廊崎漁港まで来たものの、ぼくは遊歩道入り口の前でUターンして、先ほどの道まで戻り、ぼくは坂道を上ることにしたのだ。
しかし、結果として、石廊崎漁港から徒歩で行くのが正解だった。
息をぜーぜーと切らせて坂道を上った先には、確かに石廊崎灯台のバス停があった。しかし、その先の道、石廊崎灯台に至るだろう道にはなんと「立ち入り禁止」の看板が出ていたのである。
これには驚いた。公共交通機関であるバスの停留所の名前にもなっている場所から石廊崎灯台に行けないとはどういうことか。
実はこの場所から石廊崎灯台に行くには、「石廊崎ジャングルパーク」という施設の中を通過する必要があるようなんだけど、しかしこの施設は10年以上も前に閉園になってしまって現在立ち入り禁止になっているのである。つまり施設に入れない以上、ここから石廊崎灯台には行けないわけである。
さて、どうするか。これでは行きたかった石廊崎灯台に行けない。
もっとも現実的な方法は、先ほどの石廊崎漁港まで戻り、徒歩で山を登って行く方法である。あの看板の表記はやっぱり全面的に正しかったわけである。しかし、先ほど息の切らせてせっかく上ってきた坂をもう一度下るというのは、なかなか厳しい判断である。一度下って、もう一度同じ程度の高さまで徒歩で登り、さらにこれを降り、そしてもう一度自転車で戻ってくるのである。これからの距離を考えると、そこまで時間と体力を割けるだろうか。いや、行きたかった石廊崎である。伊豆半島最南端である。これを逃すべきなのか・・・。
いいや、坂道を下らなくても石廊崎灯台に行く方法はあるかもしれない。そうだ、閉園したジャングルパークの中を突っ切ればいいのだ。見たところ立ち入り禁止になって久しい感じである。ひと気のないこの辺りなら、不法侵入などは多少大目に見てもらえるだろう。ぼくは立ち入り禁止のロープをくぐり、立ち入り禁止エリアに足を踏み入れた。

 

※石廊崎灯台のバス停付近。雑草が生い茂る中、立ち入り禁止の看板がある。


かつて賑わったであろう園内は、今は当然ながらぼくひとりである。広大な駐車場の跡地にはアスファルトの割れ目から雑草が生い茂り、土産物屋やレストランがあっただろう施設の壁は多くが崩れていた。まさに廃墟、ちょっと不気味な世界である。ぼくはこういう場所には基本的に足を踏み入れない性質なんだけど、ごくたまに、好奇心が理性や恐怖心に勝ってしまう時がある。この時がそうだった。
駐車場内を進んでいると、道路の縁石が現われた。見たところ、最近敷設された縁石のようである。アスファルトは敷かれていないものの、ごく最近に何者かがここに道路を作ろうとしているのが分かった。もしかすると、今まさに施工中なのかもしれない。
そんな施工中の道を進んでいくと、その先に巨大な温室のような施設が見えてきた。長年の風雨にさらされて、ガラスが割れ、骨組みは錆びついていた。ジャングルパークが閉園する前は、この温室の中に南国の植物が植えられていたのだろうけど、今や見る影もない。そこで気づいたんだけど、温室の周りに土木作業で使うような重機がとめられていた。ショベルカーやトラックなどである。先ほどの施工中の道路と同様、ここで何か工事をしているのだろう。もしかすると、石廊崎灯台までの道を敷設しているのかもしれない。石廊崎灯台のバス停まで来て、泣く泣く引き返す観光客が多いことに鑑み、ジャングルパークの廃墟を撤去して、道を作っているのかもしれない。このまま進めば、その道が灯台に繋がる地点に出られるかもしれない。
さらに進むと、作業用のバンが駐車してあり、プレハブ施設や作業エリアを仕切る壁みたいのが見えて、工事現場的様相が一層濃くなってきた。そこには人影は一切見えない。今はお盆休みなのかもしれないな。そういや、ぼくは工事現場に不法侵入している身なので、ここで誰かに見つかってしまうとかなりマズいことになるな。
ちょっと不安が高まりつつも、視点を移すと、工事現場の壁の向こう、さらに重なる木々の葉の向こうに白い建物が見えた。あれが石廊崎灯台である。ここからでも結構距離があるように見えるけど、きっとこの先で道が合流するハズだから、このまま進めばどうやら行けそうである。
しかしである。ぼくが進む先に見えていたバンに後ろから近づいていくと、運転席に置いてあったヘルメットがゆらっと揺れたような気がしたのだ。バンに誰かが乗っている。
これは困ったことになった。バンに乗った人はおそらく工事関係者だろう。このまま進んでバンの横を通過したら、きっとぼくを見過ごさないだろう。声をかけられ、きっと不法侵入を咎められるだろう。
いや、いっそこちらから彼に声をかけて通り抜けをお願いしてみるか。それなら灯台には行けそうである。いやダメだ。それで彼が渋々ぼくを通過させてくれたとしても、帰りはどうなるか。再び不法侵入を許してくれるわけはないだろう。ぼくは正規のルートで一度石廊崎漁港に降りて、今度は先ほどの坂道を徒歩で上ってこなければならない。それは避けたい。いやいや、そもそもぼくは彼にとっては不法侵入者、つまり犯罪者である。ぼくがうかつにも声をかけたところで、彼が紳士的に対応してくれる保証などないのだ。彼がぼくをボコボコにして、穴に埋めてしまうことなど造作もないことだ。幸いここは立ち入り禁止エリアで誰も見ていないし、穴を掘るための大型重機も揃っている。声をかけるのは、危険であるとさえ言える。ここは大人しく引き返すしかない。石廊崎灯台が見えるところまで来て非常に残念だけど、生命には代えられない。
ぼくは後ろ髪を引かれる思いで来た道を戻ることにした。その時である。
ぼくが歩いてきた道の向こうから、別のバンが現われたのだ。しかも中に何人もの人が見える。そうか、出勤時間か。このエリアに人がいなかったのは、お盆休みでもなんでもなくて単に時間が早かっただけなのか。
このままではバンと真正面から鉢合わせることになる。どうする、行くか戻るか。どちらにしても工事関係者に見つかってしまうわけである。万事休すである。ヤバい、ボコボコにされて埋められてしまう。伊豆半島最果ての地で、ぼくは人生を終えるのか、最後は海の藻屑と消えるのか?!

 

※(左)施工中の道路。左手に廃墟となった施設の建物が見える。

(右)重機が無造作に並ぶ奥に温室が見える。

※工事車両が入ってきた。

 

ぼくは自転車に乗って坂道を下っていた。石廊崎灯台を見ないまま先に進むことにどうしても耐えられず、石廊崎漁港までの坂道を下り始めたものの、再びこれを上り返してくる体力にどうしても自信が持てなくて、下り坂の途中で引き返した。まだ2日目のサイクリングは始まったばかりである。石廊崎灯台を諦めて、先を急ぐことにした。石廊崎灯台には、後日クルマで来ればいいのである。
しばらく進むと、高台の展望台があった。
奥石廊崎と書いてある。海岸沿いに大きな岩の島が並んでいた。岩肌が露出した急な崖の上に植物が生い茂るダイナミックな光景である。
石廊崎に行けなかったけど、ここでいい景色が見られたのでよしとするか。
高台の展望台から戻ると、駐車場に見覚えのあるスクーターバイクが入ってきた。二人乗りのバイクから男性と女性が降りて、着ていたレインウェアを脱ぎ始めた。日差しが強くなってきて暑くなったのだろう。そうか、この二人、先ほどのコンビニにいた人たちだ。部活の朝練に向かう父娘ではなかった。
「先ほどコンビニでお会いしましたよね?自転車なのに早いですよね〜」
ぼくがジロジロ見ていたからか、声をかけられてしまった。少し話しをすると、八王子の方から夜中に出発してきたんだそうな。夜中に高速道路を走るから、夏とは言え防寒のためにレインウェアを着ていたわけか。

※奥石廊崎の写真。

※ダイナミックな海岸線。

※スゴいなー。

 

さて、ここから先が長かった。
ここから海岸沿いから少しだけ内陸に入り、通称マーガレットラインと呼ばれるアップダウンの激しい道を走る。標高200メートル超の峠を越えるのである。その中で何度も坂道を上ったり下りたりする。これがなかなかキツい。せっかく上ったのに、そのすぐ先でこれを帳消しにするかのように下り坂があり、さらに坂を上るのだ。平坦な道はまったくない山の中の道である。しかも、道路はある程度きれいに舗装されているものの、たまに段差や窪みがあったりして気が抜けず、さらに木漏れ日が斑模様のように影を作るので、どこに段差があるか分かりにくくて、どうしてもスピードが出ない。数か月前に自転車でコケちゃった記憶もあって、速度をあげて坂道を下ることが怖かった。
ある坂を上っている時である。何度も坂道を上ってきて、もはや多少の傾斜では驚かなくなっているところ、ふいに傾斜を表示する標識が現われた。
「9%」
かなりの斜度である。富士ヒルクライムでは平均斜度5%、キツい斜度でも8%前後なんて言われる中、9%の坂道を上っていたのである。しかもこの程度の坂道は、それまでに何度もパスしてきたし、もっとスゴい坂道もあったハズで、この標識を見て初めて、上り坂でなかなかスピードが出ない理由が分かった。疲れているからでも重い荷物を背負っているからでもない。単純に斜度がキツいのだ。なんだか妙に納得してしまったよ。
そんなキツい坂を何度もパスして、この日最高地点をようやく通過。長い坂を下ると、雲見温泉があった。
ぼくが大学生の時にサークルの合宿で来た街である。いやもう20年以上も前のことである。まったく覚えていないわ。しかし、当時宿泊でお世話になった民宿の名前だけは覚えていて、道を尋ねながらその民宿まで行ってみることにした。
民宿の看板はまだ出ていたけど、もはや民宿としては店じまいしてしまったようである。ぼくが卒業した後、サークルの現役やOBはいつ頃まで来ていたのだろうか。ちょっと大学時代を思い出して懐かしくなった。

 

※9%の道路標識。露出した岩肌にキレイな地層が見える。

※物凄い勢いでサイクリストに抜かれていった。荷物も持たずに行くなんてどんだけ猛者なんだ。

 

※雲見温泉。立ち並ぶ民宿。ぼくがかつてお世話になった(ハズ)の民宿。

※雲見海岸。

 

さらに先に進む。そろそろ昼時である。どこかでランチを摂りたかったけど、食事ができるような店はなかなかない。やっと到達した松崎町には、食事ができる店がいくつかあって、早々に食事をすることにした。できれば海の幸を食べたかったけど、前日のような食事処はなくて、街の中の路地を右往左往していた。
すると、コインランドリーの前にゴツい自転車が停まっていた。荷物を自転車の両脇に括り付けて走るいわゆる「ツアラー」的な自転車である。コインランドリーの中を見ると、体格のいい外国人の男女が洗濯物を畳んでいるところだった。いわゆるキャンプサイクリングでは、その日の宿を予約しないので、気ままにサイクリングができるので、日中でもコインランドリーで洗濯とかしちゃうのである。
気になったのは、彼らのゴツい自転車である。
1輪タイプのトレーラーを接続していたのだ。ぼくが一時検討していたトレーラーである。巨大なバッグが載せてある。おお、実物は初めて見たわ。思わず外国人に話しかけて、写真を撮らせてもらった。ドイツから来たそうで、日本語はまったく喋れず、英語だけ。そんな人がよく伊豆まで来たものである。

松崎町では、回転寿司の店に入って、地元の魚の鮨を食べた。量の割には出費が多かったな。残念だったのは、松崎町から数分の隣町、堂ヶ島に観光客向けの食事処がいくつかあったことである。松崎町でうろうろしてないで、先に進んでいれば良かったわ。

※この日の目的地はまだまだ先である。

 

※ぼくが注目していたキャリア。これでサイクリングを続ける外国人夫婦。

 

堂ヶ島辺りまで来ると、さすがに疲労が隠せなくなってきた。休憩を挟んでいるものの、疲れがなかなか取れない。重い荷物が背中や腰にのしかかってくる。レインウェアなど置いてくれば良かったわ。余計な荷物がリュックサックの重量を増していたし、さらにコンビニのないエリアを走ることを想定して、ペットボトルを2本ほど入れているので、それだけで1キロは重量が増していた。本当に荷物が重い。
さらにアップダウンの数もキツさも増しているように感じる。一回の上り坂で上る距離や斜度がキツくなっている。
こうして土肥温泉に到着したのは、15時を超えていた。前日は下田に14時過ぎに着いていたことを思うと、かなり時間をかけている。しかし、この日のフィニッシュは、土肥温泉からさらに15キロ、200メートル超の峠を越えた先にある戸田(へだ)なのだ。
少し休憩を挟んだ後、気合い一発、ペダルを踏み込んだ。

 

戸田に至るまでの道は、過酷を極めた。走行距離は既に90キロを超えている。一日に90キロを超えるサイクリングもあまり経験がないし、さらにこの日は何度もアップダウンを経ている。しかもこの日最後になる峠越えは、一度ガツンと上った後、緩やかな下り坂があって、それからさらに上るというメンタルが相当削られる道だった。
だから下り坂が長く続き、木々の隙間から戸田の特徴ある岬の形状が現われた時にはとても嬉しかった。ついにこの日の到達点が見えたのである。時刻は16時を超えていた。実に10時間以上にわたるサイクリングだった。
幸い、戸田にはコンビニがあった。ここまで走ってくれた自分へのご褒美で、アンパンやらあんみつやら、普段は口にできないような食べ物をたくさん買い込んだ。
まずは身体を休めるためにこの日の宿に向かう。
実はこの日の宿は、海から少し離れたところにある。距離にして1.5キロほど離れている。これでは夜に起き出して、星や海を見に散歩に出ようなんてできそうもない場所である。ホントは御浜岬(みはまみさき)の砂浜で打ち寄せる波の音でも聞きながら夜光虫が放つ光なんかを見てビールをぐびっと飲んだりしたかったのだ。戸田の民宿をしらみ潰しに電話をかけまくったのだけど、お盆の時期は満室が多く、やむを得ず海から離れた旅館で妥協したわけである。
たしかにその旅館は海から離れていたけど、チェックインして部屋に入ってビックリである。かなりいい感じの部屋である。階下の大浴場も清潔でキレイで絶妙な湯加減。疲れがどろっと溶け出すほどの心地良さである。また夕食がこれまた素晴らしく美味であった。キンメダイの煮付けや刺身はもとより、名産のタカアシガニや地元で獲れた小魚の天ぷらもあった。いや、最高に美味しかったわ。残念な宿かと思ったら、最高の宿だった。
この日は疲労困憊でドロドロに疲れていたので、夕食後はそのまま眠ってしまった。

※恋人岬。この辺は「〇〇岬」というのが多い。

 

※土肥温泉に到着。名所の巨大な花時計。

※戸田の街が見えた。

※なぜかニホンザルが飼われていた。

※ハチャメチャ美味な夕食。

 

翌日は朝5時前に起床。
疲労は多少は取れているものの、大腿筋の筋肉痛が酷かった。この日は走行距離は短いものの、全行程中もっとも標高の高い峠を越える。斜度はさほどではないものの、坂道の距離もそれなりに長い。前日と同じくらい過酷なサイクリングになるハズである。
しかし、せっかく早く起きた朝である。御浜岬には行かないと。
空はどんより曇っていて、今にも降り出しそうな感じである。いや、既に降ったのだろう。アスファルトは濡れていて、ところどころ水たまりができていた。明け方にざっと降ったか。これからは降らないのかな。天気予報は曇り表示だったけど、かなり微妙な予感である。
御浜岬まで自転車で行き、ぐるっと散歩してきた。晴れていたらとても美しい場所なんだろうな。透明度の高い海には美しい青色の小魚が波に揺れるように泳いでいて、ここに太陽の光が差し込んだらきっと言葉に表せないほど美しいんだろうなと思った。それまでの海もキレイだったけど、そういえば海を間近で見るのは、この日が初めてだった。太陽が出て気温が上がっていたら、きっと足を差し入れていただろうな。そしたらまた言葉では表せないほど気持ち良かっただろうな。残念。
旅館に戻り、美味しい朝食をいただいた。干物が特に美味しかったわ。

※朝の戸田の港。曇っちゃったなー。

※御浜岬の先にある神社。海に向かって鳥居が建っている。

※防波堤に青色のキレイな小魚がいた。

 

さて、3日目最終日のサイクリングがスタートである。この日は60キロほど走ってついに熱海に至る。伊豆半島一周がついに完成するのである。
ちなみに起きがけにはそれなりに痛みがあった筋肉痛だったけど、早朝の御浜岬までの散歩に出かけた時にはさほど痛さも感じなくなっていて、この日のサイクリングが始まってしまうと、ほとんど感じなかった。一方で背中や腰は、連日重い荷物を背負っていたために疲労感が無視できないほどだった。またお尻の痛さもかなりキツかった。以前は長距離を走っていてもこれほど痛いとは感じなかった。なんだろうな、レーシングパンツが身体に合っていない感じである。身体は確かに本調子ではない。しかし行くしかないのだ。ぼくはペダルを踏み込んだ。

※スタート直後から坂道を上り、すぐにここまで上がってくる。

 

スタートしてしばらくは、濡れた路面を快調に進んだ。海に向かう道は少し傾斜がかかっているのかな。スピードも少し出た感じである。
しかし、それもほんの数分である。戸田の街を出るか出ないかの際で早くも上り坂である。今まで何度も繰り返してきたことだけど、今回はその斜度が明らかに一層キツくなっていた。リアのギアはもっとも軽く、フロントギアもすぐにインナーに入れるほどである。前日はそれでも9%程度の坂を時速10キロ程度で上れていたから、これはさらに傾斜がキツいのだろう。まだサイクリングが始まってほんの5分程度である。そりゃないぜ。
この坂道を超えるのはかなり苦労した。前日の最終盤、土肥から戸田に抜けるのにかなり疲労した状態で峠を越えたものだけど、おそらくそれ以上の傾斜と距離だったろう。
途中で展望台になっている小ぢんまりした駐車場で休憩した時、この峠道の成り立ちを記載した石碑があった。長年にわたり遠回りしないと行けないほとんど陸の孤島状態だった戸田の集落に続く急峻な崖沿いの道を作る難工事には、陸上自衛隊が動員されたそうである。そうか、この道は自衛隊が作ったのか。きっと足場の悪い深い森にキャタピラ重機をガンガン投入して道を切り開いたんだろうな・・・と思うにつけ、そんな血のにじむ思いをして作った道が、ロードバイクのサイクリングに優しい道であるハズがない。ぼくが文字通り血のにじむような思いで走っている道が伊豆半島のこれまでの坂道の中でも1、2を争うほど過酷を極めるのは、道理なのである。ぼくは数百メートル進んでは休憩を繰り返しながら、ゆっくりゆっくり峠を上っていった。
そして、ようやくにして坂道の地平線の向こうにトンネルが見えた。井田トンネルと名付けられたトンネルである。このトンネルをもって、上り坂は終了である。
それまでも坂道のてっぺんにトンネルが現われることは多かった。しかし、ぼくがこのトンネルの名前を憶えていたのにはわけがある。
今回の伊豆半島一周サイクリングを検討する中で、一人で伊豆半島一周を成し遂げたサイクリストのブログをいくつかチェックした。その中で数人が、この井田トンネルの写真を掲載していた。「やっと井田トンネルに到達」なんてキャプチャーをつけているブログもあった。ぼくはここまで苦労して上ってきて初めてそのわけを知った。伊豆半島を1日で周回してしまうほどの猛者でも、このトンネルは印象に残るものなのだ。そのくらい戸田からの上り坂はキツいものなわけである。

 

井田トンネルを過ぎて坂道を下っていると、木々の隙間から特徴的な形状の岬が見えた。戸田の御浜岬を二回りくらい小さくしたような形状、これが大瀬崎である。大瀬崎には10年くらい前に沼津に単身赴任していた頃にバイクで来たことがある。雲見以降ずっと続いていた未踏の地がついに終わりを告げた。ここから先は一度は来たことのある道である。
道を折れて大瀬崎に降りる道は、結構な急坂かと思っていたけど、そうでもなかった。立ち寄って良かったわ。
空には黒い雲が垂れこめていて、風も強く海面は波立ち、雨は降ってなかったけど、いつ降り出してもおかしくない感じだった。ぼくは自転車を停めて、大瀬崎の先端まで行ってみることにした。伊豆半島七不思議のひとつと言われる淡水の湧き出る池を巡って、海岸線を散歩したりした。ダイビングショップが立ち並ぶ場所だから、晴れて日差しが海に差し込んだりすればきっとキレイな景色が見られたんだろうけど、この日は波立つ海が暗い色を湛えるだけだった。前日までずっとキレイな景色を見ていただけに、ちょっと残念である。
大瀬崎を超えると、海岸沿いの道は東に方角を変えて、しばらく平坦な道になる。平坦といっても若干のアップダウンはあるし、カーブも多く、さらに風は前から吹いてくるので、爽快なサイクリングというわけにはいかなかったけど、それまでの地獄のアップダウンを思えばなかなか快適な道だった。

 

※森の中を上っていく。(右)井田トンネル。

※大瀬崎を見下ろす。

※大瀬崎は荒れていた。

※側道に青い表示。どうもサイクリスト向けの表示のよう。

 

しばらく進むと、交差点に出た。
海岸沿いの道は、ここでさらに方角を北向きに変えて沼津市街に進むんだけど、これに東向きにまっすぐ行く道が交差していた。当初の予定のコースは沼津市街に向かってもう少し海岸沿いを行くところだったけど、実は東向きに行った方が熱海には近道ではないかと思った。地図で見ると、確かにショートカットできそうなコース取りができそうである。天気がいつ悪化するか分からないし、疲労も大きいので、ここは少しでも時間短縮しておきたい。ぼくはそのまままっすぐ、東向きに進むことにした。とにかく先を進むのでまったく振り返ることはなかった。思えばここで長く付き合ってきた海岸沿いの道と別れることになるのだけどね。天気のことや疲労感など、とにかく早く熱海に行きたいという焦りの方が強かったかもしれない。
東に進路を取り、下田街道を少し走ると、熱函道路に至る道に出た。ここから再びヒルクライムである。しかも今回のサイクリングでもっとも長く標高の高い坂である。しかし、これが最後の上り坂でもある。いや、長く走ってきた伊豆半島のサイクリングもいよいよフィナーレである。フィナーレにして最大のクライマックスである。
気合いを入れ直してぼくはペダルを踏み込んだ。

※ついに熱函道路。

 

熱函道路の坂道は斜度はさほどではないものの、いつまで続くか分からない不安さや交通量の多さに悩まされた。トラックなんかも結構通るので、走っていてちょっと怖かった。特に坂道ではアクセルを踏み込むためか、クルマのスピードは速くなるしエンジン音も大きくなる。後ろからエンジンを唸らせながら高速で迫ってくるのは、怖いよな。
道は早々に森の中に入る。霧が立ち込め視界が悪い。たしかどこかに三島市街を臨む高台を走る道があるハズなんだけど、沿道に見える風景は雑木林や小さな集落の田園風景でしかなかった。何度か休憩を挟み、三島を臨む道はいつ現われるのだろう、それが見られないうちは坂道にも終わりがないと思っていた。
しかし、坂道の向こうにトンネルが現われた。その唐突さにびっくりした。熱函道路のトンネルは、坂道のてっぺん辺りにあるトンネルしかないハズである。ぼくは坂道の上まで、いつの間にか至っていたわけである。三島の風景は見えたのかな?どこかで振り返ったら見えていたのかもしれないな。ともかく、坂道は終了である。
ついに、ついに熱函道路を上り切った。後は下るだけである。トンネルの中は狭くて、後ろから迫るクルマの音がとても怖かったんだけど、道は若干傾斜していて、自転車のスピードはどんどんあがっていった。上り坂は完全に終了したわけである。
トンネルの外は雨だった。霧も立ち込めていて視界も良くない。細心の注意で走らないと。特に熱海駅に向かう急激な下り坂は物凄い傾斜である。雨の中こんな急斜面を下ることになるとはね。ぼくを心配してくれるさきこがもっとも懸念していた場所でもある。ブレーキレバーを握りしめてゆっくりゆっくり下る。
信号待ちのクルマで車道が渋滞し始め、傘を差した歩行者も多くなってきた。沿道には土産物屋が店を開き、呼び込む声が聞こえる。熱海の市街に入ったのだ。数キロほどで急傾斜は終わり、今度は上り坂になる。これが熱海駅に繋がる道である。

※熱函道路の最高地点付近のトンネル。霧が濃い。

※雨の中、熱海に向かって下っていく。

 

そしてついに熱海駅に至る。
長く辛い自転車旅はついにここで終了したのである。
それにしても、駅前には人が多い。雨が降っているので、観光客が駅舎の軒下や屋根のある足湯施設から出てこないのだ。晴れていれば海岸に出ていたハズの人がみんな駅前で動けなくなっている感じだった。
そんな中で記念写真を撮るのはちょっと恥ずかしいけど、旅の恥はなんとやら、である。250キロ以上を走破した成果を残すためにもいい表情で写真を撮っておこう。

 

いやはや大変なサイクリングだった。雨の中350キロを走った知床チャレンジと同じかそれ以上だったかもしれない。強い日差しに体力を消耗され、それでもアップダウンの繰り返しを経て、ほとんど満身創痍で熱海に帰ってきた。感無量・・・というよりは、やれやれといった感じである。これから先はもう過酷なサイクリングはないんだという安堵感が強かった。
雨の熱海駅前は賑わっているものの、アテが外れて時間を持て余した観光客のやりどころのない思いが渦巻いているようで、暗くていい感じはしなかったな。
サイクリングにはやはり晴れていた方がいい。だから晴れてくれた1日目と2日目には感謝である。日差しがあったからこそ、透明度の高い海の中がキレイに見えたわけである。今回はぜひ晴れて欲しかったぼくにとっては、申し分のない天気だった。
それにしても、伊豆半島は厳しい道だった。過酷なアップダウンの繰り返しを思い出すと、もう二度と走りたいとは思わない。サイクリングを終えてそんな感慨に至ったのは初めてかもしれないな。どんな辛い道でも、自分の足で走破した道なら、「もしいつかまた同じ道を走るなら・・・」と思うものだけど、ここだけはそういう感じはない。もう二度と自転車では走らない。それだけ過酷な道なのだろう。

 

そんなわけで、年に一度のチャレンジサイクリングは無事に終了することができた。心配してくれたさきこに電話して無事を伝える。
自転車を分解して輪行態勢にし、熱海始発の東海道線に乗る。三連休の初日で、かつ雨模様の昼下がりに東海道線が混み合うわけもなく、ゆったり座ることができた。輪行態勢にした自転車は、シートの裏側のスペースには収まらなかったことを書いておく。
電車の発車を知らせるベルが鳴った。電車はゆっくり動き出し、熱海を後にした。
ぼくは意外なほど何ら感慨を得ずに、ただ車窓を見守ったのである。

 

後日談である。
重いリュックサックは、肩にかけるベルトをちゃんと締めれば、それほど重さを感じないということを知った。実際、3日目の途中でベルトを少しキツめに締めてみたら、重心が上の方に移動してくれて、自転車に乗っていても腰に負担がかからなくなった。荷物が重いのはそうだけど、背負い方にも問題があったわけだ。
また、意外に悩まされたお尻の痛み。後で下着を見てみたら、なんと出血していた。自分では見れない場所だけど、どうも擦り傷になっていたみたい。春以降、少し痩せてきたので、レーパンのサイズが合わなかったのかもしれない。
さて、次はどこを走ろうか。熱海から帰ってきたばかりの頃は、次のチャレンジサイクリングについて、何も考えたくなかったけど、数日経つと早くも日本地図を見ているぼくがいた。またしばらくすれば新しい目標を見つけて、準備を始めるのだろう。今回の過酷なサイクリングが、次にも役立ってくれるのを祈るばかりである。チャレンジサイクリングの道は、この先もまだまだ続いているのである。

※熱海駅前にて。お疲れ様〜。

| 自転車日記 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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