「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
出雲弾丸出張

先日、島根の事業所に出張に行ってきた。朝一番の飛行機に乗って現地に行き、午後から仕事して、夕方に帰ってくる強行軍だった。まあ現地での仕事はさほど長くかからなかったので、こういうこともできたわけだけど、仕事を終えて帰る時が大変だった。

※朝の出雲空港。かなり曇ってるなー。八雲立つ?

※仕事帰りに少し虹が出た。なんだか神々しいわ。

 

仕事を終えたのが、16時過ぎ。取引先を駅まで送迎して、少し早めにフリーダムを得た。この日はこのまま帰るだけという状況になり、しかし飛行機の時間まで若干の余裕があった。
ここはひとつ、出雲大社まで行ってみよう。
ぼくは高速道路に乗り、一路出雲大社を目指した。
高速道路を走っていると、太陽は中国山地に隠れ、辺りはどんどん暗くなっていった。宍道湖を過ぎれば出雲大社まで近いのかなと思ったけど、実際はそうでもなくて、宍道湖の端からさらに10キロ以上の道のりだった。ぼくは2回ほど宍道湖畔を出雲大社までサイクリングしているけど、そういえば宍道湖沿いの道を離れてからそれなりの距離を走ったことを思い出した。
出雲大社の近くに着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。観光名所で国内外からもたくさんの観光客が訪れる場所なのに、通りには人影もなく、お土産屋も早くも閉店しているようだった。
観光客用の駐車場も閑散としていて、もしかしたら既に閉まっているのかもとの不安もあったけど、とりあえず出雲大社の入り口まで行ってみることにした。
神社に入れる時間が何時までなのか、そもそも神社に営業時間的なものがあるのかどうか知らないけど、暗い参道の脇に灯篭が灯り、うっすらと石畳を照らしていた。とりあえず中には入れるようだった。
暗い神社には、強い風が吹いていて、巨木の枝がしなって唸り声をあげているようだった。風に吹かれてとても寒かったけど、真っ暗な神社に来る機会もそうそうないもので、しかもそれが出雲大社であればなおのことだから、それで少しテンションが上がっていたのか、あまり寒さは気にならなかった。10月の「神在月」を終えて、日本中の神様が帰っていった後の、まさに「祭りの後」的な神社は、独特の、何やら不気味な感じさえするのだった。
拝礼では、いわゆる「四礼四拍手一礼」(一拝祈念二拝四拍手一拝)で、たしかお賽銭箱の近くに記載されていたような気がするのだけど、既に暗かったので分からず、四拍手だけは覚えていたので、手を4回打ってお祈りしてきた。
お袋さんにお守りをいただいて帰りたくて、でもどの建物も灯りは灯っているものの戸は閉じられていたのだけど、何とかひとつだけ戸を開けてお守りを並べていたのを見つけ、無事お守りをいただくことができた。
またこのまま社殿をぐるりと回ってみようかと思ったのだけど、社殿の裏側に続く道にはロープが張ってあってこれ以上行けないようだった。残念。
それでも通常は参拝しないような時間帯に出雲大社に行くことができ、独特の雰囲気を味わうことができて良かったわ。

 

※暗い境内の様子。一種不気味な独特の雰囲気。

 

※ところで神在月は旧暦の名称なわけで、旧暦で運営されている神社での神在月の期間は今の暦とは当然異なる。先ほど調べてみたら、今年の神在月を調べてみたら、11月28日から始まるんだそうな。なんだまだ神在月じゃなかったんだ。「祭りの後」ではなくて「祭りの前」だったわけだね。そう思うと、独特な雰囲気にも何か違う意味が加わる感じ。

 

ぼくは出雲大社を出て、出雲空港を目指した。この時点で18時前である。
ここからが長かった。
飛行機の出発時刻である19時半よりもかなり余裕をもって保安検査場を通過し、あとは飛行機に乗るだけという段になったんだけど、出発時刻の20分前になっても10分前になっても搭乗が始まらなかった。アナウンスによると飛行機の到着時刻がかなり遅れていて、運行時間に大きな遅れが出るとのことである。何しろぼくが乗るべき飛行機が未だ羽田空港から到着していないのである。
ちょうど疲れていたこともあって、少し居眠りをしつつ、それでも飛行機はやって来ず、待ち草臥れたところでやっと飛行機が到着、その数十分後には搭乗できることになった。やれやれ、1時間遅れである。
羽田空港に到着すると、既に22時近くである。ここから京浜急行で最寄り駅まで座って帰れるなーなどと思っていたら、今度は川崎で停車したまま動かなくなった。
どうも人身事故のようである。復旧のめどは立っていないそうで、JRなどの振替輸送も始まっているようだった。しかし天下の京急である。きっと早めに復旧してくれると思った。同じ電車に乗っていた人も同様の思いで、誰も席を立たずに我慢強く座っていた。復旧の目途の立たない事態でも、案外早めに復旧できたりするのが京急だからね。
しかし、今回はなかなか復旧しなかった。アナウンスの内容は依然として復旧の見込み立たずの内容である。
時刻は23時を過ぎた。これはダメかも分からない。このまま待って日を超えるのは避けたいと思い、ぼくは重い荷物を担いで電車を降りたのだ。
JR川崎から桜木町を経て、地下鉄で自宅近くまで帰ってくると、時刻は既に0時を超えていた。
いや大変だった。19時前に出雲空港に到着してから、7時間もの時間が経っていた。当初は22時過ぎには自宅に帰れる予定だったのにね。
思えば、飛行機が遅れなければ、京急の運転見合わせの前に最寄り駅に着けたハズで、そう思うとなんだか釈然としない感じである。まあ飛行機ってのは遅れるものだけどね。

 

そんなわけで、去年のサイクリング以来の出雲の旅であった。まだ月曜日である。これから長い、キツい一週間を過ごすと思うと、もうそれだけでゲンナリするのである。
しかしそれでもあの独特な雰囲気を醸していた出雲大社の参道を思い出すと、なんだか頑張れそうな気がしてくるので不思議なものである。

| 日記 | 13:57 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
アクセス解析
 

現在の閲覧者数:
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE