※今回参加のメンバー(安心してください。ぼくとさきこ以外は顔をボヤかしています)
※ちょっと脱線するけど、今回のイベントに参加したトランペット独奏をぼくはちょっと楽しみにしていた。もちろんトランペット経験者として、トランペット1本でどんな演奏ステージになるのか非常に興味深かったし、事前に聞いていた演奏曲は、ぼくにはかなり難解な現代音楽で、これを理解するためにもぜひ生で聞いてみたいと思っていたのだ。
しかし、実際の演奏ステージでは、音楽が斬新であるあまり、ぼくには練習曲を個人練習しているようにしか聞こえず、お客さんの反応もかなりイマイチな感じだった。ぼくが座る後ろの席にいた男声合唱団のおじさんが演奏を終えた後に隣の方に「うーん、分からんっ」と言っていたな。いや、ぼくにとってもかなり不可解な音楽だった。おそらく会場のお客さんの大半が不可解と感じていたと思う。そうであれば会場にあふれる数多の「?」マークを一身に受けて最後まで演奏し切ったトランペット奏者の胆力の方がスゴいと思うわけである。
さて、先にも書いたとおり、今回の演奏ステージをもってテナーサックスの方がアンサンブルを抜けることになっている。11月に予定されている秋の演奏ステージをどういう風にしようか、非常に悩ましいところである。
脱線するけど、今回の演奏ステージが終了して、翌日くらいには某フェ○ス○ックに「一緒にアンサンブルやりませんか?」のコメントを投稿した。テナーサックスを持っている知り合いには何人か心当たりがあるので、何らかの反応があるかなーと思ったけど、古い知り合いの方がちょろっとコメントしてくれた程度であった。いやさらに脱線するけど、この古い知り合いの方は、なんと今回の演奏ステージに来てくれていたのである。前日にパンフレットを某フェ○ス○ックに投稿したものの、さすがに前日の告知では来てくれる人もいないだろうと思いきや、この方はわざわざ足を運んでくれたのである。これには大感謝である。ホントにありがとうございました。
※いっそのこと、ペッパーくんを安く買い上げて、サックスが更けるように改造できないかな。
ともかく、秋の演奏ステージに向けて、いろいろ考えなくてはいけない。
しかし、その前にサックスのラージアンサンブルのステージや吹奏楽のステージなんかもあって、6月くらいまではバタバタしそうである。果たして次の演奏ステージはどうなるか。今回の演奏ステージに来てくれた方がもし再び来ていただけるとして、その期待を裏切らない演奏をしたいものである。
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氏を悼んで書くことがあるとすれば、ぼくが受けた影響についてである。いや、子供の頃から触れてきたマンガ、イラストなので、ぼくが自覚している部分以外にも意識しない部分でもかなり影響しているハズである。
その中でもイラストには大いに影響を受けた。
ぼくはたまにバイクやクルマなどのイラストを描くけど、これは完全に氏の影響である。ぼくはマンガよりもイラストに強く影響を受けていて、自宅にも画集が数冊あるのだけど、その中でももっともいいなと思うのは、さまざまな乗り物と一緒に描かれたイラストである。実物をただ模写するだけではなく、氏の独自のテイストを加え、さらには動き出しそうな躍動感さえ感じられる。こういうイラストを描きたいのだ。
氏は実はかなりの凄腕のモデラー、つまりリアルなプラモデルを作るのだけど、あの画風の原点はプラモデルを徹底的に分析して、そのフォルムを自分のものにした上で紡ぎ出されるのだと思っている。ぼくが絵なぞの着想を得るためにプラモデル屋に行ったり、実際に自分でプラモデルを作ってこれを絵なぞのモチーフにするという手法は、もう完全に氏の影響なのである。おかげでぼくの絵なぞはその幅を大きく広げることができた。
氏の描くマンガがアニメ化されることで、氏の名前は飛躍的に広まることになった。特に代表作「ドラゴンボール」においては、全世界的な広がりを見せ、多くのファンを得ることになった。
氏がマンガの第一線を離れ、悠々自適な生活の中から自身のペースで画業を続けたというのは、莫大な著作権料がベースにあるそうである。だから氏の溢れるばかりの才能が、有り余る金銭的余裕の中で削がれてしまうかもしれないことをぼくは懸念していた。マンガ家の作品が異常な売れ方をすることで、そのマンガ家の創作意欲を削ぐことになるなんて、本末転倒だし非常にもったいないし、でも最近はこういうことは氏の例以外にもまま起こっているわけで、マンガ家を取り巻く課題のひとつだと思っている。・・・うん、大丈夫、このことが自分にも起こるかもしれないなんて身の程知らずなことは微塵も思っていないから。
また、ゲームの世界においても、氏は才能を発揮している。
代表的なものが「ドラゴンクエスト」だろう。いわゆるRPGの先駆けとして数十年前に発表され、今でも愛されているゲームである。ぼくはもう4年近く、ドラゴンクエストから派生したスマホゲーム「ドラゴンクエストウォーク」で遊んでいるけど、ここまで長く魅了されるのは、氏がデザインしたモンスターやキャラクターたちの存在である。
たとえば、ゲーム内の代表的なモンスターである「スライム」なんて、以前から割と知られたモンスターでさまざまな小説などに出てきていたけど、その多くがどろっとした掴みどころのないモンスターだったのだ。1980年代に子供の間で爆発的に流行った「スライム」という玩具があるけど、手のひらに乗せると指の間からどろっとこぼれそうになる感じだった。これが氏のデザインでは、まるで雨滴のようなフォルムになり、スマイルマークを想起させる口角の上がった口、すっとぼけたようなまん丸の目が、不敵な不気味さを湛えつつもどこかコミカルな感じで表現されたのである。それまでの粘度の高い、つまり液体のようにどろっとした性質を、粘度をかなり高めてまるでゴムボールのような動きを演出した発想が秀逸である。氏のデザインによって、スライムというモンスターの印象が大きく変わったと思う。ドラゴンクエストの愛くるしいモンスターたちはどれもみなコミカルな印象である。
ああ、こうして書き連ねるにつけ、氏の早過ぎる死が惜しまれる。
氏の逝去により、マンガの歴史にひとつの区切りができたと思う。鳥山明氏の時代とその後の時代である。
これから始まる「その後の時代」においてぼくが懸念しているのは、氏の手を離れた作品や酷似したデザインがひとり歩きすることである。氏の特徴のある画風は、既に広く模倣されている。某ウィキペディアには、「一見シンプルに見えて模倣するのが難しい」という評価もあるけど、それが劣化コピーのような模倣であっても、実際にアニメ「ドラゴンボール」では、氏の描いたマンガのストーリーを離れたオリジナルストーリーもあったりするし、氏の画風をむしろ意識的に取り込んだ作品も少なくない。
しかし、氏の作品は氏のものであるべきで、氏の名をかたって安易に模倣するのは厳に慎むべきなのだ。これは「ド○えもん」や「サザ○さん」や「ちびま○こちゃん」が作者の死以降も継続しているのとは異なると思う。氏の功績に経緯を表するのであれば、いっそ氏の残した作品で続編など作らないで欲しいものである。
とは言え、安易な劣化コピーは、すぐに上書きされて終わるだろうな。マンガやイラストの世界では、作品の模倣がさまざまにブレンドされて、別のいい味を出していき、同時に絵画の基本に立ち戻ったりしつつ発展していくものだからね。
これから新しいマンガ、イラストの世界の扉が開かれていくのだろう。
鳥山明さん、ありがとうございました。
※脱線するけど、氏の死因となった「急性硬膜下血腫」をネットでざっくり調べてみた。脳内の出血による血腫が脳を圧迫したり酸素交換を阻害したりするんだそうだけど、気になるのはこれが生じる発端である、強く頭を打つことで、脳内に出血が発生するそうである。高齢者になると、ちょっと頭をぶつけた程度で発生することもあるのだそうな。これは決して他人事ではないな。今まで以上に頭をぶつけないよう注意しようと思った。
氏がどういう経緯で急性硬膜下血腫を発症したのか分からないけど、「急性」というくらいだからあっという間のデキゴトだったと思う。長い闘病の果てに亡くなるというのも悲しいけど、まだまだ意欲盛んという折にちょっと頭をぶつけた程度で亡くなってしまうというのは、何よりご本人が残念だろうなと思いを馳せるのである。
一方で、今回の演奏ステージを最後にテナーサックスの方がアンサンブルから抜けるというのは、非常に残念なことである。これまで3年ほど一緒に演奏してきた仲間なので、残念に思いつつ大いに感謝している。
そんなわけで、テナーサックスが抜けたことで、そのあとどうするかという課題が残る。メンバーを募集するという手もあるけど、いっそ3人で演奏する道も模索してもいいかもしれない。いいなと思う楽曲がそれほど多くないという点が難だけど、演奏人数が少なくなった分、個人の技術は否が応にも向上しそうである。次回は秋に演奏ステージを予定しているけど、果たしてどうなるか。
ちなみに、今回の市民サークル発表会的なイベントでは、告知用のチラシや会場で配布するパンフレットは、ぼくがその原稿を作成した。以前の会社でイベント告知などの社内掲示を作成したことはあるけど、専門の業者が印刷し不特定多数に配布されるようなチラシやパンフレットを作成したのは、初めてかまたはかなり久し振りである(もしかしたら20年くらい前に所属していた吹奏楽団の演奏会パンフは作ったりしたかもな)。
以前の会社で作っていたようなノリで作成したデザインだけど、原稿を見た他の参加サークルの方や実際にチラシを配布した方にも好評をいただいて、ちょっと嬉しかったりする。イベントの運営に少しでも貢献できたのは良かったかな。
さて、この演奏ステージが終了すると、市民サークル発表会は秋まで開催されない。先に書いたとおり、三重奏で出るか、メンバーを募集するかをゆっくり考えようと思う。
一方でゆっくりもしていられないのが、5月のサックスのラージアンサンブルがあり、6月はみなとみらいホールで吹奏楽の演奏ステージがある。どちらもイベントのために募集されたもので、6月の吹奏楽のステージでは、久し振りにアルトサックスで演奏に参加しようと思っている。これはちゃんと練習しないといけないわ。
だから、今週末の演奏ステージが終わったからと言って、安心して惚けてもいられない。まあ周囲に迷惑のかからない程度には吹けるように練習しておかないといけないかな。
そんなわけで、今週末に演奏ステージを控えつつも、今後に向けてまだまだ音楽生活は続くのである。
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そんな折、宿直当番明けで早くに帰宅できることとなったある日、視界に入った貨物線にいつもと異なる風景を見た。米軍基地内ではなく、米軍基地を出た貨物路線の線路内に貨車が止まっていたのである。しかも、貨車を引くための朱色のディーゼル動力車に連結されていたのである。
朝夕と通る道の脇の線路に貨物車が止まっているのを見たのは初めてである。動力車ならなおのことである。こ、これは初めて見る光景であり、そして、ぼくが以前から見たかった光景である。ついにこの光景を目にすることができたわけである。
ぼくのココロはにわかにザワめいた。
※こ、これは初めて見る、しかもずっと見たかった光景・・・!
ぼくは宿直の際にはマイカー通勤をしている。会社にただ泊っているだけでいいとは言っても、宿直の日はなんだか神経が疲れるので、早めの終業時間を迎えるとともかく早く帰りたくて、ガソリン代も高速道路代も支給されないにもかかわらず、マイカー通勤をしているわけである。この日もとにかく早く帰りたくて、クルマを走らせていた。しかし、その視界に先に書いたとおり貨車と動力車が停車していたのである。米軍基地に向かって動力車が貨車をけん引するような形で停車している。
さて、これは状況はどういう状況だろう。空になった貨車を基地内に引き入れようとしているのか、または燃料を積んだ貨車を内陸側に引っ張っていくところだろうか?
宿直の緊張感から解放されたばかりのぼくには、状況を把握する思考力があまりなくて、写真を数枚撮っただけで、そのままクルマを走らせてその場を後にした。とにかく早く家に帰りたかった。
道はしばらく貨物路線と並行して走り、橋を渡って途中で別の貨物路線と合流する。内陸に向かうのであれば、橋を通る貨物線の写真なんかも撮れそうである。これはなかなかいい構図になりそうだ。せっかくのチャンスかもしれないのに、やはりこの時のぼくの思考力は低下していたようである。そのまま道を進んでいったのである。
しかし、走っている車窓からちらっと見えたものがあった。貨物路線が別の貨物路線と合流する辺りである。遠くてよく見えなかったけど、作業着を着た数人の人が立っているようである。彼らは何をしているのだろう。
いや、これは憶測である。もし先ほどの貨物車が内陸に向かうことになっていたとすれば、あの合流地点では線路を切り替えて貨物車を所定の路線に誘導するはずである。そうなれば線路を切り替える作業をする人も当然に必要である。だとすれば、先の貨物車は内陸に向かうのかもしれないではないか。おお、貨物車が走るところを見られるかもしれない。一旦静まったぼくのココロは再びザワめいた。
ぼくはクルマを切り返してUターンし、再び会社のある方向に走り始めた。あの貨車がどうなるか見てみたい!早く帰りたいけど、これは千載一遇の機会かもしれない。
https://youtube.com/shorts/uSQTN2yXH28?feature=share
※咄嗟のデキゴトにとりあえずカメラを取り出して、走るクルマから撮影してみた。
ぼくが切り返して会社の方に走っていくと、貨物車は先ほどと同じ場所に止まったままだった。ぼくは道路脇にクルマを止めて、スマホを持って歩き出した。とりあえずもう一度写真を撮っておこうかな。
次の瞬間である。貨車に隠れて見えなかったけど、先頭にいたはずの朱色の動力車が物凄い勢いで隣の線路を走ってきたのである。動力車はぼくが先ほど行き過ぎた後、貨車から連結を外されていたようである。そして単独になった貨車はどこかの合流ポイントから隣の線路に移行し、その線路を内陸に戻ってきたのである。
そして動力車は隣の線路から貨車を越していった辺りで停車した。もはや知識のないぼくには何が何やらさっぱり分からなかった。しかしぼくが戸惑いつつもいろいろ思考を巡らせる間もなく、今度は動力車が貨車の方に向かって走り出したのである。既に隣の線路から元の線路に合流していたのだろう。
当然ながら、これは何らかの目的のために厳格に規定された手順である。ぼくは鈍った思考力をフル稼働させて、その意図を探ろうとした。
動力車は一般的に貨車をけん引するものである。だから当然、進行方向の前方に動力車が配置される。今回、動力車がわざわざ貨車を回り込んできたということは、これから陸側に貨車を引っ張っていこうということではないか?だとすれば、動力車の側に立っていれば、目の前を動力車に引かれた貨物車が通るところを見られるハズである。ぜひいいアングルで写真を撮りたいものである。
ぼくが動力車に向かって歩いていくと、巨大な動力車が貨車に連結されている作業をしていた。ほら、やっぱり陸側に引っ張っていくつもりなんだな。ぼくは車両から少し距離を取って、走り出した貨物車を捉えられる位置に立った。さあいつでも発車してくれていいですよ。
※物凄い勢いで貨車に向かって走る動力車。
※連結の様子。こんな間近で見られるなんて。
結果から言えば、やはり、ぼくの思考力は鈍っていたようである。ちゃんと考えれば想像できたことである。もちろん、一般的には動力車は貨車をけん引するものである。しかし、目的地で線路が行き止まりになっているなど車両の前後を切り替えられない場合は、先だって動力車を切り替え、「動力車が貨車を押す」ということもあり得るのである。そして、米軍の油層所には動力車を切り返すような複数の線路はないのである。だから、油層所の手前で列車を一旦止め、動力車を切り替える必要があったのだ。この時のぼくにはここまで思考を巡らせることができなかった。
ぼくが列車から少し距離を取って待っていると、止まっていた動力車は「ピィーッ!」という甲高い発車の合図を出して、貨車を押すように米軍の油層所に向かって走り出したのである。
あぁ・・・完全に予想を外してしまった。そうか、たしかに油層所に貨車を搬入する最終工程において、動力車は貨車を押す形になるよな。結果を見れば簡単に思いつきそうなものだけどね。これは完全にアテがハズれたわ。
落胆するぼくから貨車がどんどん離れていく。そして、踏切のない道路を渡って米軍油層所に入っていく・・・あ!あそこはたしか道路と線路が交差している箇所だ。貨物車が通ることは頻繁ではないし、道路の交通量も多くないので、そこには踏切設備が一切なく、ただ道路を線路が横切るだけなのだ。つまりここだけ列車が車道を走っているように見える場所なのだ。ああ!米軍油層所に向かうということは、つまりあの踏切設備のない踏切を通るということか!これはこれで稀有な光景である。視界の遠くの方で、たしかに道路を緑色の貨車が横切っていた。遠すぎてここからクルマで向かっても間に合わない。これはぜひ間近で見ておきたかった。
ぼくは失意の中でクルマに乗り込み、再びUターンして家路に就く。そもそも貨物路線が別の路線と合流する辺りにいた作業者はなんだったのだ。まあ彼らのおかげで稀有な光景に出逢えたわけだけど、彼らの存在が貨物車を陸側に向かわせるという間違った予想に導いたこともまた事実である。帰りがけにもう一度確認してみたところ、彼らはまだその場にいて、何やら線路上の設備に向き合っていた。あれはおそらくだけど、電気設備かな?実は米軍油層所への貨物車の入線とは一切関係のない人たちだったかもしれない。
※ほとんど会社の方に戻ってきて、米軍油層所内に停車する車両を捉えた。
まあ稀有な光景が見られたので、良かったかな。
疲れた身体だったのに、クルマを切り返して、貨物車を追う意欲は残っていたわけで、これが鉄道マニアの持つ情熱なのだろうか?いや、ぼくは鉄道マニアでもないし鉄道を追いかけているわけでもなくて、鉄道を通して絵なぞが描ければいいなと思ってるに過ぎないのだけなのだ。
それでも貨物車に向かってカメラを向けたりするぼくの姿を見て、通り過ぎる人たちはきっとぼくを鉄道マニアだと思っただろう。しかも、ぼくはスーツ姿だったので、「普段はまじめなサラリーマンを装いつつ、内実は極度な鉄道マニア、しかも時に運行に迷惑をかけることもあるという『撮り鉄』だ」なんて思っただろうな。だからぼくは逃げるようにその場を立ち去ったわけだけどね。
そんなわけで、普段は見られない珍しい光景を見ることができた。予想と違う展開になった部分はあるけど、いい勉強になった。次回も同じようなことがあれば、読み違えることはないだろう。またそういう機会に出逢えるといいな。
※ネタばれが含まれるかもしれないので、ご注意ください。
東日本大震災から数年を経た日本で、災厄を未然に防ぐために奮闘するストーリーである。ロードムービー的なほんわかしたムードがありつつも、地震がベースにあるので、あまり深刻にならない、ちょうどいいバランスを保っている感じ。多くの被災者が未だにその傷が癒えていない中では、かなり注意深く描写した印象である。
日本にどうしてこれほど大きな地震が起こるのか、これまで長期間にわたって震災に見舞われていないエリアがあるのはなぜかなど、自然災害の理不尽さの裏側を解いていく展開は、ストーリー的に非常に面白いと思うのだけど、とは言え東日本大震災から12年しか経っていない今、あえて取り上げるべき題材かというと微妙な感じである。
ぼく自身はあの震災で何かを失ったわけではないからアニメ映画をエンターテインメントとして楽しめたけど、かけがえのないものを失ってそれでもなお生き続けなければいけない人は、あのアニメ映画をどう思うのだろう。巨大な理不尽を突き付けられた人に、エンターテインメント的な文脈でその理由を提示してしまうのは、被災者の方の気持ちにさらに大きな負担をかけるんじゃないかなと思うのだ。
たとえばこれが、「明治維新の英雄、坂本龍馬は実はロシア帝国から派遣されたスパイだった」とか「太平洋戦争開戦の裏には、実は宇宙人が関与していた」とかなら、時間的隔たりもあってまだエンタメとして楽しめそうだけど、「実は原子爆弾の開発にはアメリカと手を結んでいた日本帝国政府が関わっていた」なんてストーリーを聞くと、「原爆をエンタメ的に扱うには早いのでは?」なんてツッコみが入りそうである。日本人は特にそういうことに敏感だと思うしね。
だから東日本大震災をエンタメ的に扱うには、個人的にちょっと早いかなーどうかなーと思う面もあるわけである。
さらに、この映画が公開されたのが2022年秋から翌年にかけてなわけだけど、それから数か月ののちに2024年正月が訪れ、つまり能登半島地震が発生したわけである。映画を観た人やネットで視聴した人には、テレビで放送される震災の状況はかなり生々しく映ったと思う。非常に強いインパクトがあったと思う。
まあ映画の上映と実際の地震には何らの関連もないのだけど、いつ大地震が起こってもおかしくない状況の日本において、地震を題材に取り上げることの危うさは確かにあると思う。かと言って、これを見ない振りをするのも現実から目を背けているとも思う。アニメ映画というエンタメのアプローチで震災に向き合うことを求める。製作者の創作に対する覚悟と視聴者へのメッセージが込められている気がするのである。
ちなみに、ジブリアニメ「風立ちぬ」(←これ、毎度ながら「風立ちぬ」という題名がなかなか思い浮かばない。パンフレットに「生きねば」の文字が大きく表示されているから、「生きねば」に近い言葉しか浮かばないのだ。「生きろ・・・?いや生きてこそ・・・だっけ?」みたいな堂々巡りがあって、やむを得ずネットで検索して「風立ちぬ」という言葉を得る。風立ちぬとは松○聖○の歌の題名として強く記憶しているので、これも記憶を惹起する阻害要素かもしれないね・・・ってカッコ書きが長いなー)では、大正時代に発生し昨年でついに発生から100年の年月を重ねるに至った関東大震災を描いてるけど、カット割りとか効果音などいろいろ気を遣った様子が見受けられる。東日本大震災から2年後に公開されたわけだから無理からぬことかもしれないけど。
まあ、能登半島地震が起きなくても、大地震は数年おきくらいに頻繁に起きているので、公開と実際の地震発生が近しいこともままあるかもしれない。今後もしテレビの金曜ロー○ショーなんかで取り上げられたりして、その数日後くらいに大きめの地震なんかが起こったりしたら、否が応でも関連づけられてしまうのかもしれないけどね。
そんな折である。
千葉県の太平洋沖で地震が多く発生している。震度としては1や2程度の小さいものなんだけど、今週中ごろに震度4程度の割と大きな地震があった。また今日の明け方にも震度4の地震が発生している。震源地はどれも千葉県房総半島沖である。
どんなタイミングで地震が起こるか分からないけど、備蓄品の在庫を確認しておくことにしよう。飲料水も多めに手配しておいた方がいいかもしれない。先月購入したバッテリーはとりあえず100%の状態まで充電しておいた。そういえば、快晴に恵まれた週末に、庭先に太陽光パネルを置いてみて、これにより若干だけどバッテリー残量があがったのを確認した。とりあえず太陽光発電はできるようである。ホントは残量ゼロ状態からフル充電まで試してみたかったのだけど、この日は春一番的な強い風が吹いて、パネルを開いたままにいておくのが大変だったんだよね。
ともかく、今回の群発地震が今後どうなるのかは注視しておくべきだと思う。能登半島地震でも地震が頻発するなどの予兆はあったみたいだからね。
しかし、この群発地震でさえも、ぼくは無意識的に先のアニメ映画から来るファンタジーと関連付けてしまう。実は震度4程度で収まるように、どこかで誰かが奮闘して大地震を抑え込んでいるんじゃないか・・・なんてね。
そういう妄想は一旦置いておいて、現実的なココロの準備は必要である。いつか必ずその日はやってくるのだから。
当初から購入したい機器のスペックは決めていたので、お店では在庫があるかどうかを確認するだけだった。残念ながらぼくの欲しかった色であるシルバーの在庫はなくて、少し黒っぽいグレーを購入することにした。まあ別に使う際に機器の色などはあまり気にしないからいいのだけどね。
しかし、iPadはホントに高額になったものである。以前のiPadが数万円で購入できたのに、今や20万円近くの金額である。現行機器を下取りに出したとしても、大きな値引きにはならず、まあそのために貯金していたおカネを用意していたとは言え、やはり高額だなーと思うわけである。ちなみに、この家電量販店では、通常の家電なら購入価格の10%のポイントが付くところ、アップル商品については1%しか付かないそうである。これを知らなかったので、10%のポイントで保護シートやらケースやらを購入しようというアテは外れてしまった。
そんなぼくの様子をうかがっていたのか、店員が「今なら携帯電話のキャリアを変えると、○万円のキャッシュバックがあります」などと囁いてきたのである。要するにMNP(ナンバーポータビリティ)の勧誘である。
この時のぼくはちょっと高いものを買い過ぎたという負い目があって、少しでも出費が抑えられればと思っていた。だから、この勧誘に乗っかって携帯電話のキャリアを変えることにしたのである。
以前は第一種通信事業者でないキャリアは、災害時に繋がりにくくなるなどの指摘もあったけど、最近は電話回線と同じくらいインターネット回線もその復旧が重要視されるようになったから、いわゆるインターネット電話でも問題ないハズである。ぼくの聞こえてくる範囲でしかないけど、先日の能登半島自身においてこの点は特に問題になっていなかったと思う。
そんなわけで、長年使ってきたa○を脱退してYa○ooモ○イルにキャリア変更することにした。ちなみにまたa○に戻ることも可能だそうな。携帯会社間の流動性を高めようとの目的から、以前のようなキャリア変更の面倒さなどはなさそうである。
しかし、一度手続きを始めると、なかなか終わらず、本来の目的だったiPadの購入よりも長く時間がかかるハメになってしまった。家電量販店を出たのは、3時間以上経過してからであった。なんだかなー。
こうしてiPadが新しくなり、ついでに携帯電話のキャリアも変更になって自宅に戻ってきた。
現行のiPadから新しいiPadにデータを移すのはさして難しい作業ではなく、データ容量が大きいので時間はかかったけど、簡単に移行することができた。こうして、ぼくはまた新しい機器を手に入れたのである。思えばおカネも時間もかかったな。以前は数万円を出費するのも憚られたものだけど、iPadがもたらしたデジタル画の恩恵はやはり大きかったわけである。この恩恵から離れることはなかなかできないよね。
これから新しいiPadで、ぼくのお絵描きは続いていくわけである。
※新iPadへデータ移行中。これからよろしく頼むよ、新しいiPad。
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さて、最近のことと言ってもあまり変わり映えのない日々なのだけど、仕事でエクセルを使っている中で、ふと見慣れない表示を見かけて、ちょっと意外だったので書いておく。
このエクセルはよくあるスケジュール表で、日付が表示されたセルの隣のセルに曜日が表示されている。たとえば、A1のセルに「2/22」と表示されているとしたら、その隣のB1のセルに「木」と表示されているわけである。しかし、このB1のセルには文字列で「木」と入力されているわけではなく、単に「=A1」となっているだけなのだ。このままではB1も「2/22」と表示されてしまうのだけど、これでどうして曜日が表示されるかというと、セルの書式設定がユーザー設定「aaa」となっており、これが曜日の省略形を表示するようになっているのだ。つまり日付の値の表示を「aaa」にすると曜日が表示されるのである。いや、これは知らなかった。ぼくはエクセルを使って20年以上が経つけど、こんな表示方法は見たことがなかった。ちなみに、「aaaa」とすると「木曜日」という省略形ではない曜日表示になる。さらに「ddd」で「SUN」、「dddd」でSUNDAYと英語表示もできるそうな。
いや、これは新しい発見である。そう思うと同時に、ぼくのこれまでの手間を思うにつけ、なんだか悔しい思いでもある。
これまでのぼくは、こんな感じで曜日を表示していた。
たとえば日付を入力したその隣のセルに「木」と入力し、日付と一緒に連続コピーをすることで「木」の次に「金」、さらに次に「土」がくるという感じで日付に対応した曜日の表示を得ていた。しかし、この方法だと日付の値を変えた際に曜日が併せて変更されるわけではなく、日付を変えるたびにいちいち曜日も変更入力しないといけない。
この手間を打開するに、ぼくは関数を使っていた。WEEKDAY関数である。これは参照する日付に対応する曜日の値を返す関数で、日曜日なら1、月曜日なら2が返される。次に1を日、2を月と読み替える関数(ぼくは対応表となるテーブル表を作りINDEX関数で読み替えていた)を入力し、これで日付に対応する曜日表示を得るわけである。関数を挟んでいるので、日付を変えても自動的に曜日も変わってくれる。関数を2つも使い、さらに複数のセルやテーブルも使うなど、単に曜日を得るだけなのにかなりの手間がかかるのだけど、十数年以上も前にインターネットで調べて以来、ぼくはずっとこれを使っている。
しかし、である。
まさか、日付から曜日を一発変換する方法があったとは思わなかった。
さらに言えば、セルの書式設定ではなく、「TEXT(A1、”aaa”)」と入力することで、同じ結果を得ることもできるのだそうだ。いや、便利な機能である。なぜもっと早く知らなかったのだろう。ぼくは一体どれくらいの時間をこの曜日表示に費やし、どれくらい非効率だったのだろう。そう、この曜日表示機能は一体いつからエクセルに実装されていたのだろう。マイク○ソ○ト社の方に教えてもらいたいわ。
まあエクセルなどのアプリケーションは新たな使い方や効率のいい近道を見つけることも楽しさのひとつだとは思うけどね。ほんの数年前まで、キーボード左下にある「ウインドウズマーク」と矢印を同時に押すことで、複数のアプリケーションを並べて表示することや、恥ずかしながら「アンドゥ」のショートカットキー「Ctrl+Z」を知らなかったりと、新しい発見によって少しずつ効率を上げてきたんだよね。
これからもいろいろな発見があるかもしれない。
そんなわけで、何気ない日常の風景をつらつらと書いてみた。
いや、このブログを書いているコーヒー屋も隙間風が入ってくるので寒いわ。季節の変わり目を実感している。体調に気を付けなければ。
今回の物欲の対象は、iPadである。
いや、現在持っている機器は、5年も前に購入した第2世代の機器で、経年のためしょうがないのだけど、動作が鈍くなったり、たまにフリーズしたりするようになっている。絵なぞを描いていてフリーズすると、そこで作業を中断して、メモリの空きが確保できるまで作業を中断しないといけない。また、画面を走らせるペンの速度に遅れるようなこともあって、些細なことではあるけど、楽しいお絵描きなのにストレスを感じたりするわけである。
そんなわけで、せっかく貯めた貯金を崩すのはもったいないけど、ここはひとつ新しいiPad購入に向けて、気持ちを切り替えてみようと思っている。
さて、ぼくがiPadを手に入れて5年の歳月が流れる中で、iPadは今や第6世代だそうな。メモリもCPUもストレージも格段にパワーアップして、ほとんどプロのクリエイターが使うマックパソコン並みの処理能力だそうである。いや、そんな物凄いパワーを持つ機器で、下手っぴなお絵描きをするのは非常に恐縮なのだけど、しょうがないのだ、お店で売っているiPadがもうそれしかないのだから、うん。
とは言え、購入に際して、ひとつだけ気がかりなことがある。第2世代はいわゆる指紋認証で、そのために指を当てる部分が存在していたのだけど、新しいiPadは顔認証になり、このため画面がかなり大きくなったのだ。最近のiPhoneなんかもそうだけど、機器の表側がほとんどフチなしでディスプレイになっている感じである。そうなると、機器を手で持つ際に指をかける部分がかなり狭くなる。iPhoneなどは手のひらに乗せるようにして使用するので問題ないけど、iPadはディスプレイの外側、縁の部分を持って機器を支えて使うから、この縁部分が狭いと非常に持ちにくくなるのだ。
しかし、これはどうもぼくのように特殊な持ち方でお絵描きをする場合の問題である。ネットで検索してみると、iPadでお絵描きする際は一般的にはデスクの上に置いた状態で使用している。つまり、紙に絵を描く時のようにデスクに向き合って、上体を前に倒して上からディスプレイを覗き込むようにして描いているわけである。これならわざわざiPadを手で持つということはせず、デスク上に固定した状態でお絵描きができる。
しかし、ぼくはそもそもそういう姿勢でお絵描きをしていないのだ。態勢としてはむしろ逆とさえいえる。
チェアの背もたれに身体を預け、両足を前方に出して、別の簡易チェアの上に乗せた姿勢で描いているのだ。まるで中世の貴婦人がふかふかのソファの上に半身を横たえ、足をオットマンの上に置いて寛いでいるかのような姿勢である。そんな姿勢だから、当然ながらiPadを置くデスクはなく、機器を手に持って描くしかないわけである。そう、このiPadの縁が狭いという点の根源は、そもそもぼくの描画姿勢に起因しているわけである。
そうであれば、そういう姿勢で描くのを辞めればいいのだ。
ぼくだって紙に鉛筆と絵具で描いていた頃は、デスクに向き合って描いていたのだ。実際にその方が描画には望ましいハズである。iPadを片手で持つという不安定な中で描いてもキレイな線は引けないわけだからね。うん、そっちの方がいいかもしれない。新しいiPadではそういう一般的な姿勢で描くかな・・・いや、ダメである。もはやデスクに向き合う姿勢を取れない別の事情が存在するのだ。
そう、ネコである。
デスクに向き合って前傾姿勢で描く姿勢は、ネコが嫌がるのだ。
足を伸ばした姿勢なら、その上にネコが飛び乗ってきて、ネコもリラックス、ぼくは時折ネコを撫でながらリラックスしてお絵描きができるのである。そう、これがぼくの到達した究極の描画姿勢なのだ。これと同じ姿勢で描画できなければ、iPadの処理速度がどれほど早くなろうと、ぼくはストレスを抱えた状態で描くことになるだろう。いや、ネコだってストレスを感じるハズである。そんなストレス渦巻く部屋の中でいい作品が生まれるハズがない。この究極の描画姿勢は、iPadを新しくしたとしても維持したい。だからiPadを片手で持つ必要があるのである。
うん、これまで大層な理屈を並べてきたけど、結局はネコが起因していたわけだね。ぼくをここまで悩ませるネコという存在は一体何なのだろう。やはり地球はネコを中心に回っているのである。
さて、そんなわけで、ネコと一緒にお絵描きする環境を手に入れるために、iPadを購入するにあたっては、片手で機器を持てるようなケースも購入しないといけないだろう。ネットで探してみると、いくつか良さそうなものが見つかっている。少々お高いけど、これもいい絵なぞを描くためであり、ネコのためでもあるのである。
※これからもこんな姿勢で描き続けたいものである。
iPadをいつ購入するか、まだ分からない。
唐突に思い立って買いに出かけるかもしれないし、買うと言いつつもしばらくは現行機器で頑張るかもしれない。まあ、買い物というのは、それを手に入れるまでの間が一番楽しいわけだからね。
さて、今回もさきこと地元を散歩してみた。
自宅から北西方面に歩いてみた。横浜は丘陵が多く、斜面に多くの住宅がひしめくように建っており、その住宅に抜ける道は細く急峻である。過去に一度も通ったことのない道も多く、その中のひとつを歩いていたら、京浜急行の線路に行き当たった。通常は車両も通行できる鉄橋がかかってるものなのだけど、行き当たったのは歩行者や自転車くらいしかが通れない細く天井の低い短い通路だった。以前から利用している京急にこんなトンネルがあったとは知らなかったので、これをくぐってみると、細い車道と合流し、さらに急な坂道が続いていた。
興味が湧いたので、坂道をのぼり始めたのだけど、のぼっていくにつれてこれが次第に細くなっていく。沿道には一戸建て住宅が斜面にしがみつくように建っていて、しかしそれぞれの住宅には車庫があって、クルマが停められるようになっていた。この細い坂道でどうやって車両を切り返して停めているのか、その運転テクニックに舌を巻きつつも、さらに歩を進めていくと唐突に階段が現われた。同時に沿道の一戸建て住宅も途切れ、目の前の視界がぱあっと開けた。
その眺望は地元をほとんど網羅するような広大なパノラマだった。
視界の左からぐるりと見回してみると、ますは首都高の高架が見え、その先にみなとみらいのビル群、根岸の小高い丘ののぼる坂道の先には既に横浜市に返還された米軍の旧住宅地、さらに磯子の工場地帯、磯子台にある高級マンション群、そしてその丘の手前にあるのがぼくの住まうマンション、さらに視界の右端に上大岡の高層ビルが見える。ここだけでぼくの地元を網羅的に見渡すことができ、そしてそれがなかなか絶景だった。これはいい場所を見つけたな。
ぼくが立つこの丘は、清水が丘といい、大きな公園や高校などがある。これがほとんど崖のように立ち上がっている。これを下るには、崖の側面に平行に渡る歩行者専用の橋を通る必要がある。この橋は崖から離れて自立しており、そのためなかなかスリルのある眺めなのである。さらにこの橋から分岐して下る階段を降りると、そこには小さな踏切があった。歩行者だけが通ることができる京浜急行の踏切である。これは車窓から一瞬だけ見える踏切で、かつて通勤で京急を利用していた際には何度も見た踏切だけど、通るのは初めてだった。
踏切にはどういうわけか、ロマンを感じるぼくなので、思わず何枚も写真を撮ってしまった。踏切のどこにロマンを感じるのか分からないけど、たぶん通常なら基本的に交差しないハズの線路と歩道・車道が踏切のあるところだけ交差することに特異性を感じるのか、さらにルールのうえでは鉄道が絶対的な優先権を持っていて、何人たりともその優先を変更することができないという点に興味を感じるのかもしれないね。
ここはぜひ、踏切を通過する京急の電車を動画で撮影しようと思い、踏切がちょうどカンカンカンと鳴り始めたところでカメラを構えた。せっかく撮影するのだから、見慣れた赤い車両ではなく、1編成しか存在しないというイエローハッピートレインだったらいいなーと思っていたら、次第に大きくなる轟音と共に現れたのはなんとそのイエローハッピートレインだったのだ。なんて素晴らしい偶然なんだ。自宅の庭からも遠くを走る京急を見ることができるけど、何本も通り過ぎるのを見ていてもこの黄色い車両に出遭ったことはないのに、このふらっと出かけた散歩のついでに何気なく撮影した京急がその黄色い車両だなんて、これはなかなか出逢えないハッピーなことである。うん、散歩に出かけてきてよかったわ。
そんなわけで、後で歩数から割り出してみると10キロ以上の散歩になったわけだけど、山あり谷ありハッピーありのなかなか楽しい散歩であった。
ふらっと散歩に出かけたら、イエローハッピートレインに出逢った。 (youtube.com)
※京急の黄色い車両が通る様子を動画投稿サイトに投稿しておいた。これでいつでもイエローハッピートレインが見られるわけである。
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ウインドウズがそのスリープ画面にコダワり出したのは、ウインドウズXPからだろうか。アメリカ・カリフォルニア州に実在するという草原である。あまりにもデキ過ぎた風景に、思わず「CG写真じゃないか?」と疑ったものだけど、これが実在すると聞いて、個人的に非常に好きになった。かつてぼくの描く絵なぞに取り入れたこともある。「実在するとは思えないほどの美しい風景」がウインドウズの画面に現れることを期待して、スリープを解除する些細な動作がちょっとだけ楽しくなったものである。
※かなり昔に描いた絵なぞ。窓(ウインドウ)の向こうにウインドウズXPでお馴染みの草原が広がっている。
※脱線するけど、一度、ドイツにある湖畔の風景が表示されたことがある。湖畔の遠く向こうには山々が連なっていて、その中腹辺りに小さすぎて見えないほどの建物が建っている。この写真は湖畔と連山の美しい風景をテーマに写されたものなのは分かっていたのだけど、この山腹にある建物に思わず目が止まり、これってノイシュバンシュタイン城じゃないかと思って、「この写真についての詳しい情報」をクリックして地図を表示すると、たしかにこの湖の近くにはノイシュバンシュタイン城があった。いつも城を見下ろす構図でしか見たことのないノイシュバンシュタイン城を別アングルからしかも遠くから捉え、それだと分かったぼくはちょっと自慢である。
さて、そんな風に楽しみにしているスリープ画面なんだけど、今日職場のパソコンのモニターに映し出された画像を見てかなり驚いた。
ピラミッドとスフィンクスの写真である。つまりエジプト・カイロの写真である。しかし、おかしい。いやもう一目して、これが合成写真であることに気が付いた。いや、世界に名を轟かせるマイクロソフト社が提供する画像としては、あまりにもチープなデキである。
いや、この画像に対してツッコむこと自体がむしろ恥ずかしいのだけど、スフィンクスの向きが明らかに違う。スフィンクスはピラミッドに対して背中を向けている。その視線は現在はカイロ市街に向けられているハズである。しかもスフィンクスとピラミッドの影の付き方がおかしい。いや、合成写真にしては、あまりにも稚拙過ぎる。逆に何か意図があるのか、または誰かに向けた何らかのメッセージなのかと思うくらいおかしい写真である。
いや、意図とかメッセージとかどうでもいいのだ。これを見たぼくは一気に失望した。スリープ画面の画像が一体どこの現実風景なのかを想像することにちょっとした楽しみを見出していたぼくとしては、この瞬間から「場合によってはその画像自体が合成であるかもしれないという可能性」を帯びてしまったからである。「これほど美しい光景がこの地球上にあるんだ」というワクワク感が、真偽を疑う目線に変わったのである。たった1枚の合成写真に過ぎない、些細なことだと思われるかもしれないけど、実のところその影響は致命的だと思う。
今後、スリープ画面はどのように変わっていくのだろうか。
AIが物凄い勢いで浸透する中を生きるものは、やはり真偽を疑う目線を常に持たないといけないということだろうか。抽象的なイメージを具現化するパソコンの絶大な可能性が、ぼくの中でちょっとだけ揺らぐのを感じざるを得ないのである。
最近はあまりステージで指揮をする様子を見ていなかったので、まあご高齢だからしょうがないよねと思っていたところだった。
とは言え、ぼくは小澤氏のことをほとんど知らない。語ることもできない。しかし音楽界における究極の高みに存在した人がこの世から去るということで、記事を残しておきたいと思った。それに、ぼくよりも氏について語れる人はたくさんいるハズである。そういう人が今後怒涛のように放送されるクラシック番組の追悼演奏でいろんな話しをされるのだと思う。氏をまったく知らないぼくとしては、それでも音楽を趣味にしている者として、氏を語る人たちから氏の凄さを感じられたらと思っている。
ちなみに、ぼくのiPhoneに入っているベートーベンの第九は、氏の指揮である。ぼくにとっては、毎年の某N○K交響楽団の第九演奏ではなく、氏の指揮する第九演奏が第九という楽曲の基準になっている。これからもそうだと思う。
これから音楽の世界でどんな反応があるだろうか。氏の死を悼んでご冥福をお祈りしつつ、そういった追悼番組での演奏に耳を傾けてs氏の足蹠を後から追いかけていきたいと思う。
※ブログ記事の表題をどうしたものか考えて、やはり一番しっくりくるのが「さよなら、マエストロ」という言葉なんだけど、期せずして現在某T○Sで放送中のドラマのタイトルとピッタリ同じになってしまった。個人的には非常に面白いドラマなので、この話しもどこかでブログに書きたいとは思っているけど、今回はドラマの話しではなく、純粋に小澤征爾氏の死を悼む記事の表題にさせていただいた。
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B社には親会社があって(これを「C社」とする)、設立以来ずっとその企業の傘下で事業展開してきた。
ぼくもA社を離れて数年が経つけど、B社は業界の中では他の追随を許さないほどの独走状態だったと記憶している。そんな業界トップ企業にどうして買収の話しが出てきたのか、ぼくには想像することしかできない。おそらくだけど、コロナ禍が影響しているのだろう。行動制限によって外出自粛が要請されたり、多くの人が集まる場所に行きにくくなった3年間は、旅行をはじめ、健康、美容、育児、介護、自己啓発などいわゆる「企業が従業員に提供する福利厚生」を扱う会社としては、少なからず打撃があったんだと思う。まあ、旅行に行けないというお国全体のムーブメントに対して、ホテルを会員価格で安く利用できるためのおカネを企業からいただくことはなかなかできにくいというか、顧客企業もあからさまに値引きを要請してくるだろうとは思うよね。
理由はともかく、去年秋頃だったか、B社の企業買収の話しが経済新聞の隅に小さな記事として掲載された。新聞に社名が掲載されることがほとんどない業界の、しかも古巣の企業の同業他社ということもあって、ぼくも思わず「おっ」と声を発したものである。
この記事では、C社が子会社であるB社を売却し、医療系のサービスを提供するD社と買収の協議をおこなっていると記載されていた。既に売却先と協議が済んでいる状態で、このまま株式の公開買付が実施されれば、B社はD社の傘下になるわけである。
しかし、それからしばらく経ったある日、この件がまた経済新聞に掲載されることになった。そこには、今回の株式公開買付にあたり、別の会社が名乗りをあげたという記載があったのだ。
企業買収においてほとんどまとまっていた話しに、別の会社が買収を持ちかけるというのは、別にルール違反というわけではないけど、日本ではあまりない慣習だそうな。記事には金融の専門家が解説をしていて、「海外ではよくあることだが、日本企業においてはこれを”お行儀が悪い行為”と考えられている」みたいなことが書かれていて、そうでもしてB社が欲しいのかと、熱い展開になりそうな予感にちょっとわくわくしたものである。一方で、先に書いたようなコロナ禍の影響で経営状況が悪化してC社が売却を検討しているという筋書きが正しいとすれば、C社におけるB社の企業価値というのはやはり低くなっていると思わざるを得ず、その点でぼくは少し寂しい思いをしていたのだけど、今回のように企業買収に「待った」をかける企業が現われたというのは、B社の、ひいてはA社も含む業界全体の事業としての価値を高く評価してくれる会社もあるのだと思い、なんだか嬉しい気持ちになったものである。
企業買収に「待った」をかけた会社は、国内有数の生命保険会社(「E社」とする)である。E社はD社が提示した買収価格よりもはるかに高い値段を提示して買収をいわば「横取り」しようとしてきたのだ。
さて、話しは少々複雑になってきたけど、一方で非常に面白くなってきた。
当初の買収先であるD社は医療系の事業を営んでおり、B社が持つ企業の健康診断などのデータを活用してさらに事業を展開しようとの思惑のようである。企業が年に1回、従業員に実施する健康診断のデータは、潜在的な病気のリスクを発見するためのいわば「宝の山」である。病院って基本的には「なんか調子が悪い」など病気の自覚症状がないと行かないわけで、そこで検査をしたとしても、病気がある程度進行しちゃっている段階のデータしか取れない。しかし企業の健康診断は、完全に健康である人も含め一様に決まった検査を毎年決まって実施するわけだから、病気の早期発見に繋がったり、そもそも病気の発症の原因究明に大きく貢献できるわけである。業界トップのB社が持つ会員企業の従業員の健康データと言えば、まあA社など太刀打ちできないほど膨大だろう。D社がこの情報を狙っていたのは、明らかである。
しかし生命保険会社にもこの健康データには大きな意味を持つ。生命保険会社とはその人の病気や死亡のリスクを金額に置き換えて、保険料を決定するわけである。生命保険の事業領域が飽和状態にある中、病気のリスクを細かく評価して少しでも安い保険料を提供できるとすれば、かなり魅力的である。それこそぱっと見では分からないような病気のリスクを抱えた人よりも数年にわたり完全健康体の人の保険料を安くすることができるわけである。健康診断の細かいデータ、血液や尿検査の値などがあれば、かなりきめ細かい保険料の設定ができ、もちろんそれは病気や死亡のリスクにも直結しているから、生命保険会社としても損をしない料金設定が可能なわけである。さらに、病気リスクがかなり低い若年層に対しては、ホテルに会員価格で泊まれるとか美容、育児、介護、自己啓発などさまざまなサービスを会員価格で利用できるサービスも非常に魅力的であろう。さまざまな世代に対して強くアピールできるし、他の生命保険会社への流出も防止できるわけである。生命保険会社がこれまでの商慣習を破って、かなり高い金額を提示して買収に横槍を入れてきた背景は、想像するにこんな感じだろうと思われる。
D社とE社の思惑を比較するに、ぼくとしてはE社に買収された方がB社の企業価値を大いに生かせると思っていた。ちなみに、横槍とか横取りとか書いているけど、当初B社の親会社C社がD社と締結していた企業買収の契約書には、さらに高い金額を提示された場合に買収の検討を一時中断、白紙に戻す旨の記載もあったそうである。だからE社の対応は決して敵対的な行為でも不穏なものではない。
B社は一体どちらの傘下に入るのか。
ぼくはずっと気になっていた。思えば、コロナ禍で経営状態が芳しくないのは、B社だけではない。B社に続く他の同業他社も同様の状態だと想像できる。そうであれば、この買収の行方は、業界全体の未来を暗示しているともいえるわけである。
さらにA社について言えば、親会社である某社は、その傘下にあった企業を数年前に売却している。親会社としては数十年前に立ち上げた初めて挑戦する小売り事業の会社で、日本各地に店舗が増えていく中、「(親会社の)グループ始まって以来の成功事例」とまで言わしめたほどの会社が、同業の追随に抗えず、あえなく売却されてしまったのだ。このことは以前にもブログに書いたかな。つまりA社の親会社が、経営の悪い会社をばさっと切り捨てる可能性は少なくないわけで、つまりA社にもそういう可能性がゼロではないわけなのである。そういう事情もあってか、B社の買収の行方は、今でも某SNSでつながっているA社卒業のOBたちも気にしているようだった。
そして、先日である。
B社の売却先がE社に決定したことが経済新聞に掲載された。
一面トップとはさすがに驚いたね。まあ耳目を集める事業だからというわけではなく、企業買収において「お行儀の悪い行為」とされていた横槍のE社が最終的に残ったという点、つまり日本の企業買収の新しい地平が広がった点にニュースバリューがあったんだろうけどね。
ちなみに、D社とは健康データの提供など業務提携を進めるのだそうな。穏便な着地になってよかったね。
ともかく、ひとまず安堵した。
なんだか業界の価値をきちんと評価していただいたような思いである。
一方で、事業や企業の価値を示したことにより同業他社の親会社たちは自身の子会社に対して「この事業は売れるんだ」と思ったに違いない。各社の親会社の経営状態によっては、今後も同業他社の売却が進むかもしれない。でも、企業価値を生かせる売却であれば、業界の枠組みが新しくなるのも、むしろ望ましいのかもしれないかななどと思ったりしている。
古巣のA社では果たしてどんな空気が流れているのだろう。
ぼくは十数年もお世話になった会社である。今後も陰ながら暖かく見守ろうと思うわけである。
※ちなみに、先日の経済新聞1面トップが出る前日、さきこと話していて、「そういえばあの買収話しはどうなったんだろうね」などと話していた。その翌日に新聞が出たということは、ぼくとさきこが会話をしていたちょうどその頃、新聞社の中では翌日の1面トップを巡ってガヤガヤとやっていたに違いないわけで、なんだか面白い符号を感じた。
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一方でぼくは今回の雪には非常に難儀した。
先に書いておくと、降雪の翌日は雪が凍結して歩くのに苦労したということはなく、意外にスムーズに出社することができた。意識の高い方々のご尽力によって、自宅から駅までの道はかなりの部分で除雪がされていて、滑る危険性はほとんどなかったのだ。ありがたいことである。だから、降雪の翌日は何ら問題はなかった。問題はその前日、そう、まさに雪の降った日に起こったのである。
自宅最寄りの駅まではまずは無事に帰ってくることができたのだけど、駅から自宅までの徒歩の道のりの最終盤、マンション手間には急な坂道がある。
ぼくはここでコケた。足元が滑ってしまい、前のめりにコケたのだ。いや、コケたという語感からくる軽さは一切ない、ぼくの身体が雪の積もった大地と正面衝突事故を起こした、ともいうべきか。
坂道をのぼるにあたり、前に踏み出した足に、どういうわけか地面との摩擦が一切生じず、踏み込んだ力のすべてが後方に逃げていった。いや、むしろ足を後ろ側に持っていかれたかのような感じである。物凄い勢いで足を後ろに持っていかれたので、一方の足も地面との摩擦を保っていることができず、同じように勢いよく後方に滑った。両足が物凄い勢いで後方に持っていかれたので、ぼくはほとんど水泳の飛び込みのような態勢で前のめりに宙に浮いた。そして上半身から地面に落下していくところで、手を前に差し出し身体を支え、頭と地面の衝突を防いだ。しかし次の瞬間、後方高く上がっていた足が地面に落下し、膝から地面に着地したのである。ぼくは膝をついた四つん這い状態になり、そのまま坂道を滑り落ちていった。四つん這いのまま、坂道を下っていったのである。これがほんの1秒の何分の一かのごく短い時間に起きたデキゴトである。
ぼくは膝を強打し、思わず呻き声を発した。転倒する際に舞い上がった雪がぼくの身体に降り積もった。手袋を通して雪が流れ込み、刺すような冷たさが手を襲った。前のめりに勢いよく転倒したので、背負っていたリュックサックは前方に投げ出され、硬い音を立てた。ああバッグにはサーフェスGOが入っていたけど、無事だろうか。
いや、それにしても見事にすっ転んだものである。ぼくはこれまで多少の雪道でも転倒することはなくて、おそらこれが初めての経験じゃないかと思う。転倒する時は身体がまったく制御できなくなるんだね。
雪が積もって白かった路面は、ぼくの転倒の跡が轍(わだち)のような軌跡を残していた。手を付いたまま滑り落ちため、両手合わせて10本の轍が雪に描かれていた。それを見ると、あまりにも無防備にまるでマンガのように滑稽なコケ方をしたことがとても恥ずかしくなった。それが焦りに繋がったのだろうか。
よろよろと立ち上がったぼくは、今度は用心深く足を前に出して、路面を確かめるようにゆっくり体重をかけてみた。そして次の瞬間、先ほどとまったく同じ軌跡を描いてぼくは再び前のめりにコケたのだ。気が付くと、ぼくは先ほどと同じく膝をついた四つん這いの恰好になっていたのだ。先ほどの転倒から立ち上がって歩き出したハズなのに、次の瞬間、まるで時間が戻ったかのように先ほどと同じ格好をしているのである。先ほどと違うのは、路面に轍が増えていること、さらに多くの雪を被ってしまったこと、そして再び打ち付けてしまった膝の痛みが増していることである。
なんということだ、ぼくはほとんど同じ場所で2回もコケてしまったのだ。いや、厳密には最初の転倒で1メートルくらい滑っているから同じ場所ではないか。2回目の転倒でさらに1メートルくらい滑っているので、家に向かっているつもりがコケて2メートル後退するというアホな展開になってしまったのだ。
これにはなんだか気分が落ち込んだわ。ここまでなんら問題なく、そう滑る気配すらなく雪道を歩いてきたのに、どうして同じ場所で、まったく同じコケ方で2回も転倒してしまうのか。
ぼくはゆるゆると身体を起こし、前方に投げ出されたリュックサックを背負い直し、道路脇のフェンスに手をかけてこれを支えにしつつ、再びぼくは立ち上がった。こんな状態では、むしろ自宅に着くまでに何度も転倒する可能性を考慮する必要があるだろう。歩を進めるには、道路脇にある柵やフェンスなど身体を支えられるものに手をかけて、そろりそろりと足を出していくしかない。その先にはステップに少々傾斜のかかった階段もある。いや、階段でコケたら打ち身程度では済まないだろうからね。
こうして、ぼくはほんの1、2分程度で通り過ぎていた通路を5、6分ほどかけて踏破したわけである。
いや、雪に対しても、コケてしまう自分自身に対しても腹立たしいわ。腹立たしいからそのまままっすぐ家に帰ろうかと思ったけど、自宅マンション前のぼくのクルマを置いている駐車場が、誰も踏んだ形跡のない新雪だったので、とりあえずさくさくと歩いておくことにした。うん、雪が降ったらやっぱり新雪の上を歩きたくなるよね。
そんなわけで、ぼくは左膝を強打してしまった。今のところ大きな腫れは出ていないものの、触ると非常に痛い。歩行にはとりあえず問題なさそうなのが幸いである。おそらく骨や腱に異常はないだろう。
先に帰宅していたさきこは、ずぶ濡れで帰宅したぼくを見て驚いていた。普段はそういうことはしないのだけど、身体がとても冷えたので、風呂にお湯を溜めて入浴することにした。ぼくが風呂の準備をしている間、濡れた衣服を拭いたり乾かしたりしてくれているさきこが、食事をどうするか聞いてきた。つまり、先に風呂に入るか、食事をするかを確認するためである。
「お風呂にする?ご飯にする?」
おおお、結婚以来ずっと共働きで、しかも夜に風呂に入る習慣のない我が家では、こんな問答は一度もなかったわけで、なんだか妙に感動してしまった。
これならコケて膝が痛いくらいは・・・まあ許してやるか。
※後日談だけど、ぼくがこの時履いていた通勤用に使用していた靴は、底がすり減ってほとんど凹凸のないツルペタ状態だったそうな。通勤で往復4キロくらい歩くとは言え、買ってから半年もしていないんだけどね。でも、ツルペタ靴で雪の坂をのぼろうなんて、そりゃ滑るのも道理だわ。
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その時、ぼくは自室にいてちょっと手が離せない状況で、さきこはシャワーを浴びているところだった。つまり二人とも地震に対して即応できる状況ではなかったわけである。幸い大きな揺れにならなかったので良かったけど、これが大地震だったらと思うと、ちょっと不安になった。
特に風呂に入っている時に地震があるとちょっと怖い。まさかスッポンポンで飛び出すわけにも行かないし、さすがに身体を拭いて服に着替えて・・・というのは無理だとしても、少なくともタオルや着替えを持って逃げないといけないわけで、通常よりも手数が増え、それだけ避難するのに時間がかかってしまう。我が家は大丈夫だと思うけど、沿岸部などで津波の心配がある場所などでは、発災後の素早い行動が生死を分ける場合もあるから、これは怖いことである。
いつ起こるか分からない地震においては、このようにいろんな場面を想像して、どう行動するかを考えておくことが大事である。思考実験というべきか、思考の上での避難訓練は大事なのだ。ちなみに、今回の能登半島地震で津波被害に遭ったとある集落では、地震が起こる前から津波を想定した避難訓練を定期的におこなっていて、そのおかげで津波に飲まれた人はゼロだったそうである。今回の地震が起こった時は、かなり動揺し、どうしたらいいか分からず混乱してしまった高齢者もいたそうだけど、考えるよりも身体が勝手に動いて高台に向かっていたそうである。やはり訓練は定期的に繰り返すことが大事なのだ。以前、ぼくが会社の緊急時対応の業務に携わっていた時にも、定期的な訓練が大事だと言っていた。「芝居じみてアホみたいだけど、決まったシナリオを繰り返すことが大事」と経営陣に話していたのを思い出す。
さて、ココロの準備も大事だけど、災害に向けた備蓄も大事である。今回の震災を機に、備蓄品の場所とか量を考えるようになった。特に、断水などで水が確保できないとマズいということで、さきこはネットで500mlペットボトルの水を購入したそうな。実はそのことをぼくは知らなかったので、飲料水の補充をふと思いついたぼくがネットで購入しちゃって、結果的にかなりの量が自宅に届くハメになってしまった。さきこの購入分とぼくの購入分、加えて普段飲んでいる水、さらに定期購入で近日届くハズの水をすべて合計すると40リットル以上の水が我が家に備蓄されることになる。うん、これは買い過ぎだな。
水の次に不安なのが、電気である。今回の震災では、孤立により長く停電する集落もあったそうで、さらにテレビやラジオ、スマホなど情報を得るために必要なツールを使えるようにするためにも、電気を一定期間確保するのは大事なことである。
実は、キャンプ用品を買い始めた頃にも検討したのだけど、大容量のバッテリーがあれば、消費量にもよるけど1、2日の電力は確保できそうである。スマホなら何十台もの充電が可能になるそうである。さらに、別売りの太陽光発電パネルを購入することで、バッテリーの電力が枯渇しても、追加で充電できる。
しかし、これが非常に高いのだ。あればとても助かるとは言え、ぽんっと買えるものではない。
困ったなー、どうしようかなー・・・と思っていた矢先、某SNSに掲載された広告を見かけた。
通常20万円以上もするバッテリーが、40%以上も割引されるそうなのである。うーん、今回の震災でぼくと同じように電力に不安を持つ人が多くいて、販売会社としてはまさに商機ということなのだろうね。
しかし、SNSでの広告というのは、珠玉混交というか、注意を要する場合があって、物凄く安い商品で釣って詐欺的な被害者になってしまうこともあるようである。そんな悪徳広告なんかSNSの運営会社がチェックして追い出せばいいものだけど、かなり巧妙な手口で追及の手を逃れているようである。
今回の40%引きという広告もその手の悪徳広告の類だろうと思っていたのだけど、実際に販売会社のホームページに行ってみるとたしかに40%の割引になっているようである。いや、それでも高額には違いないのだけど、もともと欲しかった商品で、そうであればこの機を逃すとまたさらに高額の定価に戻ってしまうわけだし、先のブログにも書いたけど、能登半島地震の地質学的な影響が、日本列島の太平洋側に及んで、さらに巨大な地震が起こることもあるかもしれないと思っていたので、ここは清水の舞台から飛び降りる覚悟で、えいやっと購入してしまった。
先日、自宅にバッテリーと太陽光発電パネルが届いた。非常に重いし、場所も取るのだけど、これで震災時の電力不足への不安が少しは解消されたと思う。高額な買い物だから、ぜひ意義ある買い物だったと思いたいけど、これが活躍する場面、つまり災害に遭うのも避けたいわけで、非常に微妙な心境である。
※購入したバッテリー。高い買い物をしておいて、それが使われないことを望むなんて、ね。
なんだか、今月のブログは震災のことばかりである。しかし、被害者に思いを馳せつつも、そこから学べることを生かしていくことが、大事だと思うわけである。
ちなみに、先週末の地震以降、関東では微弱な地震すら起こっていない。2日ほど経つけど、ぴくりとも揺れていないことがなんだか逆に不気味に思えたりもする。自宅にある大量の水や思い切って購入したバッテリーのことを思いつつ、これでわずかでも不安が減少すればいいなと思うし、これらが活躍する日はできれば来ないでほしいものだと思うわけである。