※今回参加のメンバー(安心してください。ぼくとさきこ以外は顔をボヤかしています)
※ちょっと脱線するけど、今回のイベントに参加したトランペット独奏をぼくはちょっと楽しみにしていた。もちろんトランペット経験者として、トランペット1本でどんな演奏ステージになるのか非常に興味深かったし、事前に聞いていた演奏曲は、ぼくにはかなり難解な現代音楽で、これを理解するためにもぜひ生で聞いてみたいと思っていたのだ。
しかし、実際の演奏ステージでは、音楽が斬新であるあまり、ぼくには練習曲を個人練習しているようにしか聞こえず、お客さんの反応もかなりイマイチな感じだった。ぼくが座る後ろの席にいた男声合唱団のおじさんが演奏を終えた後に隣の方に「うーん、分からんっ」と言っていたな。いや、ぼくにとってもかなり不可解な音楽だった。おそらく会場のお客さんの大半が不可解と感じていたと思う。そうであれば会場にあふれる数多の「?」マークを一身に受けて最後まで演奏し切ったトランペット奏者の胆力の方がスゴいと思うわけである。
さて、先にも書いたとおり、今回の演奏ステージをもってテナーサックスの方がアンサンブルを抜けることになっている。11月に予定されている秋の演奏ステージをどういう風にしようか、非常に悩ましいところである。
脱線するけど、今回の演奏ステージが終了して、翌日くらいには某フェ○ス○ックに「一緒にアンサンブルやりませんか?」のコメントを投稿した。テナーサックスを持っている知り合いには何人か心当たりがあるので、何らかの反応があるかなーと思ったけど、古い知り合いの方がちょろっとコメントしてくれた程度であった。いやさらに脱線するけど、この古い知り合いの方は、なんと今回の演奏ステージに来てくれていたのである。前日にパンフレットを某フェ○ス○ックに投稿したものの、さすがに前日の告知では来てくれる人もいないだろうと思いきや、この方はわざわざ足を運んでくれたのである。これには大感謝である。ホントにありがとうございました。
※いっそのこと、ペッパーくんを安く買い上げて、サックスが更けるように改造できないかな。
ともかく、秋の演奏ステージに向けて、いろいろ考えなくてはいけない。
しかし、その前にサックスのラージアンサンブルのステージや吹奏楽のステージなんかもあって、6月くらいまではバタバタしそうである。果たして次の演奏ステージはどうなるか。今回の演奏ステージに来てくれた方がもし再び来ていただけるとして、その期待を裏切らない演奏をしたいものである。
]]>
氏を悼んで書くことがあるとすれば、ぼくが受けた影響についてである。いや、子供の頃から触れてきたマンガ、イラストなので、ぼくが自覚している部分以外にも意識しない部分でもかなり影響しているハズである。
その中でもイラストには大いに影響を受けた。
ぼくはたまにバイクやクルマなどのイラストを描くけど、これは完全に氏の影響である。ぼくはマンガよりもイラストに強く影響を受けていて、自宅にも画集が数冊あるのだけど、その中でももっともいいなと思うのは、さまざまな乗り物と一緒に描かれたイラストである。実物をただ模写するだけではなく、氏の独自のテイストを加え、さらには動き出しそうな躍動感さえ感じられる。こういうイラストを描きたいのだ。
氏は実はかなりの凄腕のモデラー、つまりリアルなプラモデルを作るのだけど、あの画風の原点はプラモデルを徹底的に分析して、そのフォルムを自分のものにした上で紡ぎ出されるのだと思っている。ぼくが絵なぞの着想を得るためにプラモデル屋に行ったり、実際に自分でプラモデルを作ってこれを絵なぞのモチーフにするという手法は、もう完全に氏の影響なのである。おかげでぼくの絵なぞはその幅を大きく広げることができた。
氏の描くマンガがアニメ化されることで、氏の名前は飛躍的に広まることになった。特に代表作「ドラゴンボール」においては、全世界的な広がりを見せ、多くのファンを得ることになった。
氏がマンガの第一線を離れ、悠々自適な生活の中から自身のペースで画業を続けたというのは、莫大な著作権料がベースにあるそうである。だから氏の溢れるばかりの才能が、有り余る金銭的余裕の中で削がれてしまうかもしれないことをぼくは懸念していた。マンガ家の作品が異常な売れ方をすることで、そのマンガ家の創作意欲を削ぐことになるなんて、本末転倒だし非常にもったいないし、でも最近はこういうことは氏の例以外にもまま起こっているわけで、マンガ家を取り巻く課題のひとつだと思っている。・・・うん、大丈夫、このことが自分にも起こるかもしれないなんて身の程知らずなことは微塵も思っていないから。
また、ゲームの世界においても、氏は才能を発揮している。
代表的なものが「ドラゴンクエスト」だろう。いわゆるRPGの先駆けとして数十年前に発表され、今でも愛されているゲームである。ぼくはもう4年近く、ドラゴンクエストから派生したスマホゲーム「ドラゴンクエストウォーク」で遊んでいるけど、ここまで長く魅了されるのは、氏がデザインしたモンスターやキャラクターたちの存在である。
たとえば、ゲーム内の代表的なモンスターである「スライム」なんて、以前から割と知られたモンスターでさまざまな小説などに出てきていたけど、その多くがどろっとした掴みどころのないモンスターだったのだ。1980年代に子供の間で爆発的に流行った「スライム」という玩具があるけど、手のひらに乗せると指の間からどろっとこぼれそうになる感じだった。これが氏のデザインでは、まるで雨滴のようなフォルムになり、スマイルマークを想起させる口角の上がった口、すっとぼけたようなまん丸の目が、不敵な不気味さを湛えつつもどこかコミカルな感じで表現されたのである。それまでの粘度の高い、つまり液体のようにどろっとした性質を、粘度をかなり高めてまるでゴムボールのような動きを演出した発想が秀逸である。氏のデザインによって、スライムというモンスターの印象が大きく変わったと思う。ドラゴンクエストの愛くるしいモンスターたちはどれもみなコミカルな印象である。
ああ、こうして書き連ねるにつけ、氏の早過ぎる死が惜しまれる。
氏の逝去により、マンガの歴史にひとつの区切りができたと思う。鳥山明氏の時代とその後の時代である。
これから始まる「その後の時代」においてぼくが懸念しているのは、氏の手を離れた作品や酷似したデザインがひとり歩きすることである。氏の特徴のある画風は、既に広く模倣されている。某ウィキペディアには、「一見シンプルに見えて模倣するのが難しい」という評価もあるけど、それが劣化コピーのような模倣であっても、実際にアニメ「ドラゴンボール」では、氏の描いたマンガのストーリーを離れたオリジナルストーリーもあったりするし、氏の画風をむしろ意識的に取り込んだ作品も少なくない。
しかし、氏の作品は氏のものであるべきで、氏の名をかたって安易に模倣するのは厳に慎むべきなのだ。これは「ド○えもん」や「サザ○さん」や「ちびま○こちゃん」が作者の死以降も継続しているのとは異なると思う。氏の功績に経緯を表するのであれば、いっそ氏の残した作品で続編など作らないで欲しいものである。
とは言え、安易な劣化コピーは、すぐに上書きされて終わるだろうな。マンガやイラストの世界では、作品の模倣がさまざまにブレンドされて、別のいい味を出していき、同時に絵画の基本に立ち戻ったりしつつ発展していくものだからね。
これから新しいマンガ、イラストの世界の扉が開かれていくのだろう。
鳥山明さん、ありがとうございました。
※脱線するけど、氏の死因となった「急性硬膜下血腫」をネットでざっくり調べてみた。脳内の出血による血腫が脳を圧迫したり酸素交換を阻害したりするんだそうだけど、気になるのはこれが生じる発端である、強く頭を打つことで、脳内に出血が発生するそうである。高齢者になると、ちょっと頭をぶつけた程度で発生することもあるのだそうな。これは決して他人事ではないな。今まで以上に頭をぶつけないよう注意しようと思った。
氏がどういう経緯で急性硬膜下血腫を発症したのか分からないけど、「急性」というくらいだからあっという間のデキゴトだったと思う。長い闘病の果てに亡くなるというのも悲しいけど、まだまだ意欲盛んという折にちょっと頭をぶつけた程度で亡くなってしまうというのは、何よりご本人が残念だろうなと思いを馳せるのである。
一方で、今回の演奏ステージを最後にテナーサックスの方がアンサンブルから抜けるというのは、非常に残念なことである。これまで3年ほど一緒に演奏してきた仲間なので、残念に思いつつ大いに感謝している。
そんなわけで、テナーサックスが抜けたことで、そのあとどうするかという課題が残る。メンバーを募集するという手もあるけど、いっそ3人で演奏する道も模索してもいいかもしれない。いいなと思う楽曲がそれほど多くないという点が難だけど、演奏人数が少なくなった分、個人の技術は否が応にも向上しそうである。次回は秋に演奏ステージを予定しているけど、果たしてどうなるか。
ちなみに、今回の市民サークル発表会的なイベントでは、告知用のチラシや会場で配布するパンフレットは、ぼくがその原稿を作成した。以前の会社でイベント告知などの社内掲示を作成したことはあるけど、専門の業者が印刷し不特定多数に配布されるようなチラシやパンフレットを作成したのは、初めてかまたはかなり久し振りである(もしかしたら20年くらい前に所属していた吹奏楽団の演奏会パンフは作ったりしたかもな)。
以前の会社で作っていたようなノリで作成したデザインだけど、原稿を見た他の参加サークルの方や実際にチラシを配布した方にも好評をいただいて、ちょっと嬉しかったりする。イベントの運営に少しでも貢献できたのは良かったかな。
さて、この演奏ステージが終了すると、市民サークル発表会は秋まで開催されない。先に書いたとおり、三重奏で出るか、メンバーを募集するかをゆっくり考えようと思う。
一方でゆっくりもしていられないのが、5月のサックスのラージアンサンブルがあり、6月はみなとみらいホールで吹奏楽の演奏ステージがある。どちらもイベントのために募集されたもので、6月の吹奏楽のステージでは、久し振りにアルトサックスで演奏に参加しようと思っている。これはちゃんと練習しないといけないわ。
だから、今週末の演奏ステージが終わったからと言って、安心して惚けてもいられない。まあ周囲に迷惑のかからない程度には吹けるように練習しておかないといけないかな。
そんなわけで、今週末に演奏ステージを控えつつも、今後に向けてまだまだ音楽生活は続くのである。
]]>
そんな折、宿直当番明けで早くに帰宅できることとなったある日、視界に入った貨物線にいつもと異なる風景を見た。米軍基地内ではなく、米軍基地を出た貨物路線の線路内に貨車が止まっていたのである。しかも、貨車を引くための朱色のディーゼル動力車に連結されていたのである。
朝夕と通る道の脇の線路に貨物車が止まっているのを見たのは初めてである。動力車ならなおのことである。こ、これは初めて見る光景であり、そして、ぼくが以前から見たかった光景である。ついにこの光景を目にすることができたわけである。
ぼくのココロはにわかにザワめいた。
※こ、これは初めて見る、しかもずっと見たかった光景・・・!
ぼくは宿直の際にはマイカー通勤をしている。会社にただ泊っているだけでいいとは言っても、宿直の日はなんだか神経が疲れるので、早めの終業時間を迎えるとともかく早く帰りたくて、ガソリン代も高速道路代も支給されないにもかかわらず、マイカー通勤をしているわけである。この日もとにかく早く帰りたくて、クルマを走らせていた。しかし、その視界に先に書いたとおり貨車と動力車が停車していたのである。米軍基地に向かって動力車が貨車をけん引するような形で停車している。
さて、これは状況はどういう状況だろう。空になった貨車を基地内に引き入れようとしているのか、または燃料を積んだ貨車を内陸側に引っ張っていくところだろうか?
宿直の緊張感から解放されたばかりのぼくには、状況を把握する思考力があまりなくて、写真を数枚撮っただけで、そのままクルマを走らせてその場を後にした。とにかく早く家に帰りたかった。
道はしばらく貨物路線と並行して走り、橋を渡って途中で別の貨物路線と合流する。内陸に向かうのであれば、橋を通る貨物線の写真なんかも撮れそうである。これはなかなかいい構図になりそうだ。せっかくのチャンスかもしれないのに、やはりこの時のぼくの思考力は低下していたようである。そのまま道を進んでいったのである。
しかし、走っている車窓からちらっと見えたものがあった。貨物路線が別の貨物路線と合流する辺りである。遠くてよく見えなかったけど、作業着を着た数人の人が立っているようである。彼らは何をしているのだろう。
いや、これは憶測である。もし先ほどの貨物車が内陸に向かうことになっていたとすれば、あの合流地点では線路を切り替えて貨物車を所定の路線に誘導するはずである。そうなれば線路を切り替える作業をする人も当然に必要である。だとすれば、先の貨物車は内陸に向かうのかもしれないではないか。おお、貨物車が走るところを見られるかもしれない。一旦静まったぼくのココロは再びザワめいた。
ぼくはクルマを切り返してUターンし、再び会社のある方向に走り始めた。あの貨車がどうなるか見てみたい!早く帰りたいけど、これは千載一遇の機会かもしれない。
https://youtube.com/shorts/uSQTN2yXH28?feature=share
※咄嗟のデキゴトにとりあえずカメラを取り出して、走るクルマから撮影してみた。
ぼくが切り返して会社の方に走っていくと、貨物車は先ほどと同じ場所に止まったままだった。ぼくは道路脇にクルマを止めて、スマホを持って歩き出した。とりあえずもう一度写真を撮っておこうかな。
次の瞬間である。貨車に隠れて見えなかったけど、先頭にいたはずの朱色の動力車が物凄い勢いで隣の線路を走ってきたのである。動力車はぼくが先ほど行き過ぎた後、貨車から連結を外されていたようである。そして単独になった貨車はどこかの合流ポイントから隣の線路に移行し、その線路を内陸に戻ってきたのである。
そして動力車は隣の線路から貨車を越していった辺りで停車した。もはや知識のないぼくには何が何やらさっぱり分からなかった。しかしぼくが戸惑いつつもいろいろ思考を巡らせる間もなく、今度は動力車が貨車の方に向かって走り出したのである。既に隣の線路から元の線路に合流していたのだろう。
当然ながら、これは何らかの目的のために厳格に規定された手順である。ぼくは鈍った思考力をフル稼働させて、その意図を探ろうとした。
動力車は一般的に貨車をけん引するものである。だから当然、進行方向の前方に動力車が配置される。今回、動力車がわざわざ貨車を回り込んできたということは、これから陸側に貨車を引っ張っていこうということではないか?だとすれば、動力車の側に立っていれば、目の前を動力車に引かれた貨物車が通るところを見られるハズである。ぜひいいアングルで写真を撮りたいものである。
ぼくが動力車に向かって歩いていくと、巨大な動力車が貨車に連結されている作業をしていた。ほら、やっぱり陸側に引っ張っていくつもりなんだな。ぼくは車両から少し距離を取って、走り出した貨物車を捉えられる位置に立った。さあいつでも発車してくれていいですよ。
※物凄い勢いで貨車に向かって走る動力車。
※連結の様子。こんな間近で見られるなんて。
結果から言えば、やはり、ぼくの思考力は鈍っていたようである。ちゃんと考えれば想像できたことである。もちろん、一般的には動力車は貨車をけん引するものである。しかし、目的地で線路が行き止まりになっているなど車両の前後を切り替えられない場合は、先だって動力車を切り替え、「動力車が貨車を押す」ということもあり得るのである。そして、米軍の油層所には動力車を切り返すような複数の線路はないのである。だから、油層所の手前で列車を一旦止め、動力車を切り替える必要があったのだ。この時のぼくにはここまで思考を巡らせることができなかった。
ぼくが列車から少し距離を取って待っていると、止まっていた動力車は「ピィーッ!」という甲高い発車の合図を出して、貨車を押すように米軍の油層所に向かって走り出したのである。
あぁ・・・完全に予想を外してしまった。そうか、たしかに油層所に貨車を搬入する最終工程において、動力車は貨車を押す形になるよな。結果を見れば簡単に思いつきそうなものだけどね。これは完全にアテがハズれたわ。
落胆するぼくから貨車がどんどん離れていく。そして、踏切のない道路を渡って米軍油層所に入っていく・・・あ!あそこはたしか道路と線路が交差している箇所だ。貨物車が通ることは頻繁ではないし、道路の交通量も多くないので、そこには踏切設備が一切なく、ただ道路を線路が横切るだけなのだ。つまりここだけ列車が車道を走っているように見える場所なのだ。ああ!米軍油層所に向かうということは、つまりあの踏切設備のない踏切を通るということか!これはこれで稀有な光景である。視界の遠くの方で、たしかに道路を緑色の貨車が横切っていた。遠すぎてここからクルマで向かっても間に合わない。これはぜひ間近で見ておきたかった。
ぼくは失意の中でクルマに乗り込み、再びUターンして家路に就く。そもそも貨物路線が別の路線と合流する辺りにいた作業者はなんだったのだ。まあ彼らのおかげで稀有な光景に出逢えたわけだけど、彼らの存在が貨物車を陸側に向かわせるという間違った予想に導いたこともまた事実である。帰りがけにもう一度確認してみたところ、彼らはまだその場にいて、何やら線路上の設備に向き合っていた。あれはおそらくだけど、電気設備かな?実は米軍油層所への貨物車の入線とは一切関係のない人たちだったかもしれない。
※ほとんど会社の方に戻ってきて、米軍油層所内に停車する車両を捉えた。
まあ稀有な光景が見られたので、良かったかな。
疲れた身体だったのに、クルマを切り返して、貨物車を追う意欲は残っていたわけで、これが鉄道マニアの持つ情熱なのだろうか?いや、ぼくは鉄道マニアでもないし鉄道を追いかけているわけでもなくて、鉄道を通して絵なぞが描ければいいなと思ってるに過ぎないのだけなのだ。
それでも貨物車に向かってカメラを向けたりするぼくの姿を見て、通り過ぎる人たちはきっとぼくを鉄道マニアだと思っただろう。しかも、ぼくはスーツ姿だったので、「普段はまじめなサラリーマンを装いつつ、内実は極度な鉄道マニア、しかも時に運行に迷惑をかけることもあるという『撮り鉄』だ」なんて思っただろうな。だからぼくは逃げるようにその場を立ち去ったわけだけどね。
そんなわけで、普段は見られない珍しい光景を見ることができた。予想と違う展開になった部分はあるけど、いい勉強になった。次回も同じようなことがあれば、読み違えることはないだろう。またそういう機会に出逢えるといいな。
※ネタばれが含まれるかもしれないので、ご注意ください。
東日本大震災から数年を経た日本で、災厄を未然に防ぐために奮闘するストーリーである。ロードムービー的なほんわかしたムードがありつつも、地震がベースにあるので、あまり深刻にならない、ちょうどいいバランスを保っている感じ。多くの被災者が未だにその傷が癒えていない中では、かなり注意深く描写した印象である。
日本にどうしてこれほど大きな地震が起こるのか、これまで長期間にわたって震災に見舞われていないエリアがあるのはなぜかなど、自然災害の理不尽さの裏側を解いていく展開は、ストーリー的に非常に面白いと思うのだけど、とは言え東日本大震災から12年しか経っていない今、あえて取り上げるべき題材かというと微妙な感じである。
ぼく自身はあの震災で何かを失ったわけではないからアニメ映画をエンターテインメントとして楽しめたけど、かけがえのないものを失ってそれでもなお生き続けなければいけない人は、あのアニメ映画をどう思うのだろう。巨大な理不尽を突き付けられた人に、エンターテインメント的な文脈でその理由を提示してしまうのは、被災者の方の気持ちにさらに大きな負担をかけるんじゃないかなと思うのだ。
たとえばこれが、「明治維新の英雄、坂本龍馬は実はロシア帝国から派遣されたスパイだった」とか「太平洋戦争開戦の裏には、実は宇宙人が関与していた」とかなら、時間的隔たりもあってまだエンタメとして楽しめそうだけど、「実は原子爆弾の開発にはアメリカと手を結んでいた日本帝国政府が関わっていた」なんてストーリーを聞くと、「原爆をエンタメ的に扱うには早いのでは?」なんてツッコみが入りそうである。日本人は特にそういうことに敏感だと思うしね。
だから東日本大震災をエンタメ的に扱うには、個人的にちょっと早いかなーどうかなーと思う面もあるわけである。
さらに、この映画が公開されたのが2022年秋から翌年にかけてなわけだけど、それから数か月ののちに2024年正月が訪れ、つまり能登半島地震が発生したわけである。映画を観た人やネットで視聴した人には、テレビで放送される震災の状況はかなり生々しく映ったと思う。非常に強いインパクトがあったと思う。
まあ映画の上映と実際の地震には何らの関連もないのだけど、いつ大地震が起こってもおかしくない状況の日本において、地震を題材に取り上げることの危うさは確かにあると思う。かと言って、これを見ない振りをするのも現実から目を背けているとも思う。アニメ映画というエンタメのアプローチで震災に向き合うことを求める。製作者の創作に対する覚悟と視聴者へのメッセージが込められている気がするのである。
ちなみに、ジブリアニメ「風立ちぬ」(←これ、毎度ながら「風立ちぬ」という題名がなかなか思い浮かばない。パンフレットに「生きねば」の文字が大きく表示されているから、「生きねば」に近い言葉しか浮かばないのだ。「生きろ・・・?いや生きてこそ・・・だっけ?」みたいな堂々巡りがあって、やむを得ずネットで検索して「風立ちぬ」という言葉を得る。風立ちぬとは松○聖○の歌の題名として強く記憶しているので、これも記憶を惹起する阻害要素かもしれないね・・・ってカッコ書きが長いなー)では、大正時代に発生し昨年でついに発生から100年の年月を重ねるに至った関東大震災を描いてるけど、カット割りとか効果音などいろいろ気を遣った様子が見受けられる。東日本大震災から2年後に公開されたわけだから無理からぬことかもしれないけど。
まあ、能登半島地震が起きなくても、大地震は数年おきくらいに頻繁に起きているので、公開と実際の地震発生が近しいこともままあるかもしれない。今後もしテレビの金曜ロー○ショーなんかで取り上げられたりして、その数日後くらいに大きめの地震なんかが起こったりしたら、否が応でも関連づけられてしまうのかもしれないけどね。
そんな折である。
千葉県の太平洋沖で地震が多く発生している。震度としては1や2程度の小さいものなんだけど、今週中ごろに震度4程度の割と大きな地震があった。また今日の明け方にも震度4の地震が発生している。震源地はどれも千葉県房総半島沖である。
どんなタイミングで地震が起こるか分からないけど、備蓄品の在庫を確認しておくことにしよう。飲料水も多めに手配しておいた方がいいかもしれない。先月購入したバッテリーはとりあえず100%の状態まで充電しておいた。そういえば、快晴に恵まれた週末に、庭先に太陽光パネルを置いてみて、これにより若干だけどバッテリー残量があがったのを確認した。とりあえず太陽光発電はできるようである。ホントは残量ゼロ状態からフル充電まで試してみたかったのだけど、この日は春一番的な強い風が吹いて、パネルを開いたままにいておくのが大変だったんだよね。
ともかく、今回の群発地震が今後どうなるのかは注視しておくべきだと思う。能登半島地震でも地震が頻発するなどの予兆はあったみたいだからね。
しかし、この群発地震でさえも、ぼくは無意識的に先のアニメ映画から来るファンタジーと関連付けてしまう。実は震度4程度で収まるように、どこかで誰かが奮闘して大地震を抑え込んでいるんじゃないか・・・なんてね。
そういう妄想は一旦置いておいて、現実的なココロの準備は必要である。いつか必ずその日はやってくるのだから。
当初から購入したい機器のスペックは決めていたので、お店では在庫があるかどうかを確認するだけだった。残念ながらぼくの欲しかった色であるシルバーの在庫はなくて、少し黒っぽいグレーを購入することにした。まあ別に使う際に機器の色などはあまり気にしないからいいのだけどね。
しかし、iPadはホントに高額になったものである。以前のiPadが数万円で購入できたのに、今や20万円近くの金額である。現行機器を下取りに出したとしても、大きな値引きにはならず、まあそのために貯金していたおカネを用意していたとは言え、やはり高額だなーと思うわけである。ちなみに、この家電量販店では、通常の家電なら購入価格の10%のポイントが付くところ、アップル商品については1%しか付かないそうである。これを知らなかったので、10%のポイントで保護シートやらケースやらを購入しようというアテは外れてしまった。
そんなぼくの様子をうかがっていたのか、店員が「今なら携帯電話のキャリアを変えると、○万円のキャッシュバックがあります」などと囁いてきたのである。要するにMNP(ナンバーポータビリティ)の勧誘である。
この時のぼくはちょっと高いものを買い過ぎたという負い目があって、少しでも出費が抑えられればと思っていた。だから、この勧誘に乗っかって携帯電話のキャリアを変えることにしたのである。
以前は第一種通信事業者でないキャリアは、災害時に繋がりにくくなるなどの指摘もあったけど、最近は電話回線と同じくらいインターネット回線もその復旧が重要視されるようになったから、いわゆるインターネット電話でも問題ないハズである。ぼくの聞こえてくる範囲でしかないけど、先日の能登半島自身においてこの点は特に問題になっていなかったと思う。
そんなわけで、長年使ってきたa○を脱退してYa○ooモ○イルにキャリア変更することにした。ちなみにまたa○に戻ることも可能だそうな。携帯会社間の流動性を高めようとの目的から、以前のようなキャリア変更の面倒さなどはなさそうである。
しかし、一度手続きを始めると、なかなか終わらず、本来の目的だったiPadの購入よりも長く時間がかかるハメになってしまった。家電量販店を出たのは、3時間以上経過してからであった。なんだかなー。
こうしてiPadが新しくなり、ついでに携帯電話のキャリアも変更になって自宅に戻ってきた。
現行のiPadから新しいiPadにデータを移すのはさして難しい作業ではなく、データ容量が大きいので時間はかかったけど、簡単に移行することができた。こうして、ぼくはまた新しい機器を手に入れたのである。思えばおカネも時間もかかったな。以前は数万円を出費するのも憚られたものだけど、iPadがもたらしたデジタル画の恩恵はやはり大きかったわけである。この恩恵から離れることはなかなかできないよね。
これから新しいiPadで、ぼくのお絵描きは続いていくわけである。
※新iPadへデータ移行中。これからよろしく頼むよ、新しいiPad。
]]>
さて、最近のことと言ってもあまり変わり映えのない日々なのだけど、仕事でエクセルを使っている中で、ふと見慣れない表示を見かけて、ちょっと意外だったので書いておく。
このエクセルはよくあるスケジュール表で、日付が表示されたセルの隣のセルに曜日が表示されている。たとえば、A1のセルに「2/22」と表示されているとしたら、その隣のB1のセルに「木」と表示されているわけである。しかし、このB1のセルには文字列で「木」と入力されているわけではなく、単に「=A1」となっているだけなのだ。このままではB1も「2/22」と表示されてしまうのだけど、これでどうして曜日が表示されるかというと、セルの書式設定がユーザー設定「aaa」となっており、これが曜日の省略形を表示するようになっているのだ。つまり日付の値の表示を「aaa」にすると曜日が表示されるのである。いや、これは知らなかった。ぼくはエクセルを使って20年以上が経つけど、こんな表示方法は見たことがなかった。ちなみに、「aaaa」とすると「木曜日」という省略形ではない曜日表示になる。さらに「ddd」で「SUN」、「dddd」でSUNDAYと英語表示もできるそうな。
いや、これは新しい発見である。そう思うと同時に、ぼくのこれまでの手間を思うにつけ、なんだか悔しい思いでもある。
これまでのぼくは、こんな感じで曜日を表示していた。
たとえば日付を入力したその隣のセルに「木」と入力し、日付と一緒に連続コピーをすることで「木」の次に「金」、さらに次に「土」がくるという感じで日付に対応した曜日の表示を得ていた。しかし、この方法だと日付の値を変えた際に曜日が併せて変更されるわけではなく、日付を変えるたびにいちいち曜日も変更入力しないといけない。
この手間を打開するに、ぼくは関数を使っていた。WEEKDAY関数である。これは参照する日付に対応する曜日の値を返す関数で、日曜日なら1、月曜日なら2が返される。次に1を日、2を月と読み替える関数(ぼくは対応表となるテーブル表を作りINDEX関数で読み替えていた)を入力し、これで日付に対応する曜日表示を得るわけである。関数を挟んでいるので、日付を変えても自動的に曜日も変わってくれる。関数を2つも使い、さらに複数のセルやテーブルも使うなど、単に曜日を得るだけなのにかなりの手間がかかるのだけど、十数年以上も前にインターネットで調べて以来、ぼくはずっとこれを使っている。
しかし、である。
まさか、日付から曜日を一発変換する方法があったとは思わなかった。
さらに言えば、セルの書式設定ではなく、「TEXT(A1、”aaa”)」と入力することで、同じ結果を得ることもできるのだそうだ。いや、便利な機能である。なぜもっと早く知らなかったのだろう。ぼくは一体どれくらいの時間をこの曜日表示に費やし、どれくらい非効率だったのだろう。そう、この曜日表示機能は一体いつからエクセルに実装されていたのだろう。マイク○ソ○ト社の方に教えてもらいたいわ。
まあエクセルなどのアプリケーションは新たな使い方や効率のいい近道を見つけることも楽しさのひとつだとは思うけどね。ほんの数年前まで、キーボード左下にある「ウインドウズマーク」と矢印を同時に押すことで、複数のアプリケーションを並べて表示することや、恥ずかしながら「アンドゥ」のショートカットキー「Ctrl+Z」を知らなかったりと、新しい発見によって少しずつ効率を上げてきたんだよね。
これからもいろいろな発見があるかもしれない。
そんなわけで、何気ない日常の風景をつらつらと書いてみた。
いや、このブログを書いているコーヒー屋も隙間風が入ってくるので寒いわ。季節の変わり目を実感している。体調に気を付けなければ。
今回の物欲の対象は、iPadである。
いや、現在持っている機器は、5年も前に購入した第2世代の機器で、経年のためしょうがないのだけど、動作が鈍くなったり、たまにフリーズしたりするようになっている。絵なぞを描いていてフリーズすると、そこで作業を中断して、メモリの空きが確保できるまで作業を中断しないといけない。また、画面を走らせるペンの速度に遅れるようなこともあって、些細なことではあるけど、楽しいお絵描きなのにストレスを感じたりするわけである。
そんなわけで、せっかく貯めた貯金を崩すのはもったいないけど、ここはひとつ新しいiPad購入に向けて、気持ちを切り替えてみようと思っている。
さて、ぼくがiPadを手に入れて5年の歳月が流れる中で、iPadは今や第6世代だそうな。メモリもCPUもストレージも格段にパワーアップして、ほとんどプロのクリエイターが使うマックパソコン並みの処理能力だそうである。いや、そんな物凄いパワーを持つ機器で、下手っぴなお絵描きをするのは非常に恐縮なのだけど、しょうがないのだ、お店で売っているiPadがもうそれしかないのだから、うん。
とは言え、購入に際して、ひとつだけ気がかりなことがある。第2世代はいわゆる指紋認証で、そのために指を当てる部分が存在していたのだけど、新しいiPadは顔認証になり、このため画面がかなり大きくなったのだ。最近のiPhoneなんかもそうだけど、機器の表側がほとんどフチなしでディスプレイになっている感じである。そうなると、機器を手で持つ際に指をかける部分がかなり狭くなる。iPhoneなどは手のひらに乗せるようにして使用するので問題ないけど、iPadはディスプレイの外側、縁の部分を持って機器を支えて使うから、この縁部分が狭いと非常に持ちにくくなるのだ。
しかし、これはどうもぼくのように特殊な持ち方でお絵描きをする場合の問題である。ネットで検索してみると、iPadでお絵描きする際は一般的にはデスクの上に置いた状態で使用している。つまり、紙に絵を描く時のようにデスクに向き合って、上体を前に倒して上からディスプレイを覗き込むようにして描いているわけである。これならわざわざiPadを手で持つということはせず、デスク上に固定した状態でお絵描きができる。
しかし、ぼくはそもそもそういう姿勢でお絵描きをしていないのだ。態勢としてはむしろ逆とさえいえる。
チェアの背もたれに身体を預け、両足を前方に出して、別の簡易チェアの上に乗せた姿勢で描いているのだ。まるで中世の貴婦人がふかふかのソファの上に半身を横たえ、足をオットマンの上に置いて寛いでいるかのような姿勢である。そんな姿勢だから、当然ながらiPadを置くデスクはなく、機器を手に持って描くしかないわけである。そう、このiPadの縁が狭いという点の根源は、そもそもぼくの描画姿勢に起因しているわけである。
そうであれば、そういう姿勢で描くのを辞めればいいのだ。
ぼくだって紙に鉛筆と絵具で描いていた頃は、デスクに向き合って描いていたのだ。実際にその方が描画には望ましいハズである。iPadを片手で持つという不安定な中で描いてもキレイな線は引けないわけだからね。うん、そっちの方がいいかもしれない。新しいiPadではそういう一般的な姿勢で描くかな・・・いや、ダメである。もはやデスクに向き合う姿勢を取れない別の事情が存在するのだ。
そう、ネコである。
デスクに向き合って前傾姿勢で描く姿勢は、ネコが嫌がるのだ。
足を伸ばした姿勢なら、その上にネコが飛び乗ってきて、ネコもリラックス、ぼくは時折ネコを撫でながらリラックスしてお絵描きができるのである。そう、これがぼくの到達した究極の描画姿勢なのだ。これと同じ姿勢で描画できなければ、iPadの処理速度がどれほど早くなろうと、ぼくはストレスを抱えた状態で描くことになるだろう。いや、ネコだってストレスを感じるハズである。そんなストレス渦巻く部屋の中でいい作品が生まれるハズがない。この究極の描画姿勢は、iPadを新しくしたとしても維持したい。だからiPadを片手で持つ必要があるのである。
うん、これまで大層な理屈を並べてきたけど、結局はネコが起因していたわけだね。ぼくをここまで悩ませるネコという存在は一体何なのだろう。やはり地球はネコを中心に回っているのである。
さて、そんなわけで、ネコと一緒にお絵描きする環境を手に入れるために、iPadを購入するにあたっては、片手で機器を持てるようなケースも購入しないといけないだろう。ネットで探してみると、いくつか良さそうなものが見つかっている。少々お高いけど、これもいい絵なぞを描くためであり、ネコのためでもあるのである。
※これからもこんな姿勢で描き続けたいものである。
iPadをいつ購入するか、まだ分からない。
唐突に思い立って買いに出かけるかもしれないし、買うと言いつつもしばらくは現行機器で頑張るかもしれない。まあ、買い物というのは、それを手に入れるまでの間が一番楽しいわけだからね。
さて、今回もさきこと地元を散歩してみた。
自宅から北西方面に歩いてみた。横浜は丘陵が多く、斜面に多くの住宅がひしめくように建っており、その住宅に抜ける道は細く急峻である。過去に一度も通ったことのない道も多く、その中のひとつを歩いていたら、京浜急行の線路に行き当たった。通常は車両も通行できる鉄橋がかかってるものなのだけど、行き当たったのは歩行者や自転車くらいしかが通れない細く天井の低い短い通路だった。以前から利用している京急にこんなトンネルがあったとは知らなかったので、これをくぐってみると、細い車道と合流し、さらに急な坂道が続いていた。
興味が湧いたので、坂道をのぼり始めたのだけど、のぼっていくにつれてこれが次第に細くなっていく。沿道には一戸建て住宅が斜面にしがみつくように建っていて、しかしそれぞれの住宅には車庫があって、クルマが停められるようになっていた。この細い坂道でどうやって車両を切り返して停めているのか、その運転テクニックに舌を巻きつつも、さらに歩を進めていくと唐突に階段が現われた。同時に沿道の一戸建て住宅も途切れ、目の前の視界がぱあっと開けた。
その眺望は地元をほとんど網羅するような広大なパノラマだった。
視界の左からぐるりと見回してみると、ますは首都高の高架が見え、その先にみなとみらいのビル群、根岸の小高い丘ののぼる坂道の先には既に横浜市に返還された米軍の旧住宅地、さらに磯子の工場地帯、磯子台にある高級マンション群、そしてその丘の手前にあるのがぼくの住まうマンション、さらに視界の右端に上大岡の高層ビルが見える。ここだけでぼくの地元を網羅的に見渡すことができ、そしてそれがなかなか絶景だった。これはいい場所を見つけたな。
ぼくが立つこの丘は、清水が丘といい、大きな公園や高校などがある。これがほとんど崖のように立ち上がっている。これを下るには、崖の側面に平行に渡る歩行者専用の橋を通る必要がある。この橋は崖から離れて自立しており、そのためなかなかスリルのある眺めなのである。さらにこの橋から分岐して下る階段を降りると、そこには小さな踏切があった。歩行者だけが通ることができる京浜急行の踏切である。これは車窓から一瞬だけ見える踏切で、かつて通勤で京急を利用していた際には何度も見た踏切だけど、通るのは初めてだった。
踏切にはどういうわけか、ロマンを感じるぼくなので、思わず何枚も写真を撮ってしまった。踏切のどこにロマンを感じるのか分からないけど、たぶん通常なら基本的に交差しないハズの線路と歩道・車道が踏切のあるところだけ交差することに特異性を感じるのか、さらにルールのうえでは鉄道が絶対的な優先権を持っていて、何人たりともその優先を変更することができないという点に興味を感じるのかもしれないね。
ここはぜひ、踏切を通過する京急の電車を動画で撮影しようと思い、踏切がちょうどカンカンカンと鳴り始めたところでカメラを構えた。せっかく撮影するのだから、見慣れた赤い車両ではなく、1編成しか存在しないというイエローハッピートレインだったらいいなーと思っていたら、次第に大きくなる轟音と共に現れたのはなんとそのイエローハッピートレインだったのだ。なんて素晴らしい偶然なんだ。自宅の庭からも遠くを走る京急を見ることができるけど、何本も通り過ぎるのを見ていてもこの黄色い車両に出遭ったことはないのに、このふらっと出かけた散歩のついでに何気なく撮影した京急がその黄色い車両だなんて、これはなかなか出逢えないハッピーなことである。うん、散歩に出かけてきてよかったわ。
そんなわけで、後で歩数から割り出してみると10キロ以上の散歩になったわけだけど、山あり谷ありハッピーありのなかなか楽しい散歩であった。
ふらっと散歩に出かけたら、イエローハッピートレインに出逢った。 (youtube.com)
※京急の黄色い車両が通る様子を動画投稿サイトに投稿しておいた。これでいつでもイエローハッピートレインが見られるわけである。
]]>
ウインドウズがそのスリープ画面にコダワり出したのは、ウインドウズXPからだろうか。アメリカ・カリフォルニア州に実在するという草原である。あまりにもデキ過ぎた風景に、思わず「CG写真じゃないか?」と疑ったものだけど、これが実在すると聞いて、個人的に非常に好きになった。かつてぼくの描く絵なぞに取り入れたこともある。「実在するとは思えないほどの美しい風景」がウインドウズの画面に現れることを期待して、スリープを解除する些細な動作がちょっとだけ楽しくなったものである。
※かなり昔に描いた絵なぞ。窓(ウインドウ)の向こうにウインドウズXPでお馴染みの草原が広がっている。
※脱線するけど、一度、ドイツにある湖畔の風景が表示されたことがある。湖畔の遠く向こうには山々が連なっていて、その中腹辺りに小さすぎて見えないほどの建物が建っている。この写真は湖畔と連山の美しい風景をテーマに写されたものなのは分かっていたのだけど、この山腹にある建物に思わず目が止まり、これってノイシュバンシュタイン城じゃないかと思って、「この写真についての詳しい情報」をクリックして地図を表示すると、たしかにこの湖の近くにはノイシュバンシュタイン城があった。いつも城を見下ろす構図でしか見たことのないノイシュバンシュタイン城を別アングルからしかも遠くから捉え、それだと分かったぼくはちょっと自慢である。
さて、そんな風に楽しみにしているスリープ画面なんだけど、今日職場のパソコンのモニターに映し出された画像を見てかなり驚いた。
ピラミッドとスフィンクスの写真である。つまりエジプト・カイロの写真である。しかし、おかしい。いやもう一目して、これが合成写真であることに気が付いた。いや、世界に名を轟かせるマイクロソフト社が提供する画像としては、あまりにもチープなデキである。
いや、この画像に対してツッコむこと自体がむしろ恥ずかしいのだけど、スフィンクスの向きが明らかに違う。スフィンクスはピラミッドに対して背中を向けている。その視線は現在はカイロ市街に向けられているハズである。しかもスフィンクスとピラミッドの影の付き方がおかしい。いや、合成写真にしては、あまりにも稚拙過ぎる。逆に何か意図があるのか、または誰かに向けた何らかのメッセージなのかと思うくらいおかしい写真である。
いや、意図とかメッセージとかどうでもいいのだ。これを見たぼくは一気に失望した。スリープ画面の画像が一体どこの現実風景なのかを想像することにちょっとした楽しみを見出していたぼくとしては、この瞬間から「場合によってはその画像自体が合成であるかもしれないという可能性」を帯びてしまったからである。「これほど美しい光景がこの地球上にあるんだ」というワクワク感が、真偽を疑う目線に変わったのである。たった1枚の合成写真に過ぎない、些細なことだと思われるかもしれないけど、実のところその影響は致命的だと思う。
今後、スリープ画面はどのように変わっていくのだろうか。
AIが物凄い勢いで浸透する中を生きるものは、やはり真偽を疑う目線を常に持たないといけないということだろうか。抽象的なイメージを具現化するパソコンの絶大な可能性が、ぼくの中でちょっとだけ揺らぐのを感じざるを得ないのである。
最近はあまりステージで指揮をする様子を見ていなかったので、まあご高齢だからしょうがないよねと思っていたところだった。
とは言え、ぼくは小澤氏のことをほとんど知らない。語ることもできない。しかし音楽界における究極の高みに存在した人がこの世から去るということで、記事を残しておきたいと思った。それに、ぼくよりも氏について語れる人はたくさんいるハズである。そういう人が今後怒涛のように放送されるクラシック番組の追悼演奏でいろんな話しをされるのだと思う。氏をまったく知らないぼくとしては、それでも音楽を趣味にしている者として、氏を語る人たちから氏の凄さを感じられたらと思っている。
ちなみに、ぼくのiPhoneに入っているベートーベンの第九は、氏の指揮である。ぼくにとっては、毎年の某N○K交響楽団の第九演奏ではなく、氏の指揮する第九演奏が第九という楽曲の基準になっている。これからもそうだと思う。
これから音楽の世界でどんな反応があるだろうか。氏の死を悼んでご冥福をお祈りしつつ、そういった追悼番組での演奏に耳を傾けてs氏の足蹠を後から追いかけていきたいと思う。
※ブログ記事の表題をどうしたものか考えて、やはり一番しっくりくるのが「さよなら、マエストロ」という言葉なんだけど、期せずして現在某T○Sで放送中のドラマのタイトルとピッタリ同じになってしまった。個人的には非常に面白いドラマなので、この話しもどこかでブログに書きたいとは思っているけど、今回はドラマの話しではなく、純粋に小澤征爾氏の死を悼む記事の表題にさせていただいた。
]]>
B社には親会社があって(これを「C社」とする)、設立以来ずっとその企業の傘下で事業展開してきた。
ぼくもA社を離れて数年が経つけど、B社は業界の中では他の追随を許さないほどの独走状態だったと記憶している。そんな業界トップ企業にどうして買収の話しが出てきたのか、ぼくには想像することしかできない。おそらくだけど、コロナ禍が影響しているのだろう。行動制限によって外出自粛が要請されたり、多くの人が集まる場所に行きにくくなった3年間は、旅行をはじめ、健康、美容、育児、介護、自己啓発などいわゆる「企業が従業員に提供する福利厚生」を扱う会社としては、少なからず打撃があったんだと思う。まあ、旅行に行けないというお国全体のムーブメントに対して、ホテルを会員価格で安く利用できるためのおカネを企業からいただくことはなかなかできにくいというか、顧客企業もあからさまに値引きを要請してくるだろうとは思うよね。
理由はともかく、去年秋頃だったか、B社の企業買収の話しが経済新聞の隅に小さな記事として掲載された。新聞に社名が掲載されることがほとんどない業界の、しかも古巣の企業の同業他社ということもあって、ぼくも思わず「おっ」と声を発したものである。
この記事では、C社が子会社であるB社を売却し、医療系のサービスを提供するD社と買収の協議をおこなっていると記載されていた。既に売却先と協議が済んでいる状態で、このまま株式の公開買付が実施されれば、B社はD社の傘下になるわけである。
しかし、それからしばらく経ったある日、この件がまた経済新聞に掲載されることになった。そこには、今回の株式公開買付にあたり、別の会社が名乗りをあげたという記載があったのだ。
企業買収においてほとんどまとまっていた話しに、別の会社が買収を持ちかけるというのは、別にルール違反というわけではないけど、日本ではあまりない慣習だそうな。記事には金融の専門家が解説をしていて、「海外ではよくあることだが、日本企業においてはこれを”お行儀が悪い行為”と考えられている」みたいなことが書かれていて、そうでもしてB社が欲しいのかと、熱い展開になりそうな予感にちょっとわくわくしたものである。一方で、先に書いたようなコロナ禍の影響で経営状況が悪化してC社が売却を検討しているという筋書きが正しいとすれば、C社におけるB社の企業価値というのはやはり低くなっていると思わざるを得ず、その点でぼくは少し寂しい思いをしていたのだけど、今回のように企業買収に「待った」をかける企業が現われたというのは、B社の、ひいてはA社も含む業界全体の事業としての価値を高く評価してくれる会社もあるのだと思い、なんだか嬉しい気持ちになったものである。
企業買収に「待った」をかけた会社は、国内有数の生命保険会社(「E社」とする)である。E社はD社が提示した買収価格よりもはるかに高い値段を提示して買収をいわば「横取り」しようとしてきたのだ。
さて、話しは少々複雑になってきたけど、一方で非常に面白くなってきた。
当初の買収先であるD社は医療系の事業を営んでおり、B社が持つ企業の健康診断などのデータを活用してさらに事業を展開しようとの思惑のようである。企業が年に1回、従業員に実施する健康診断のデータは、潜在的な病気のリスクを発見するためのいわば「宝の山」である。病院って基本的には「なんか調子が悪い」など病気の自覚症状がないと行かないわけで、そこで検査をしたとしても、病気がある程度進行しちゃっている段階のデータしか取れない。しかし企業の健康診断は、完全に健康である人も含め一様に決まった検査を毎年決まって実施するわけだから、病気の早期発見に繋がったり、そもそも病気の発症の原因究明に大きく貢献できるわけである。業界トップのB社が持つ会員企業の従業員の健康データと言えば、まあA社など太刀打ちできないほど膨大だろう。D社がこの情報を狙っていたのは、明らかである。
しかし生命保険会社にもこの健康データには大きな意味を持つ。生命保険会社とはその人の病気や死亡のリスクを金額に置き換えて、保険料を決定するわけである。生命保険の事業領域が飽和状態にある中、病気のリスクを細かく評価して少しでも安い保険料を提供できるとすれば、かなり魅力的である。それこそぱっと見では分からないような病気のリスクを抱えた人よりも数年にわたり完全健康体の人の保険料を安くすることができるわけである。健康診断の細かいデータ、血液や尿検査の値などがあれば、かなりきめ細かい保険料の設定ができ、もちろんそれは病気や死亡のリスクにも直結しているから、生命保険会社としても損をしない料金設定が可能なわけである。さらに、病気リスクがかなり低い若年層に対しては、ホテルに会員価格で泊まれるとか美容、育児、介護、自己啓発などさまざまなサービスを会員価格で利用できるサービスも非常に魅力的であろう。さまざまな世代に対して強くアピールできるし、他の生命保険会社への流出も防止できるわけである。生命保険会社がこれまでの商慣習を破って、かなり高い金額を提示して買収に横槍を入れてきた背景は、想像するにこんな感じだろうと思われる。
D社とE社の思惑を比較するに、ぼくとしてはE社に買収された方がB社の企業価値を大いに生かせると思っていた。ちなみに、横槍とか横取りとか書いているけど、当初B社の親会社C社がD社と締結していた企業買収の契約書には、さらに高い金額を提示された場合に買収の検討を一時中断、白紙に戻す旨の記載もあったそうである。だからE社の対応は決して敵対的な行為でも不穏なものではない。
B社は一体どちらの傘下に入るのか。
ぼくはずっと気になっていた。思えば、コロナ禍で経営状態が芳しくないのは、B社だけではない。B社に続く他の同業他社も同様の状態だと想像できる。そうであれば、この買収の行方は、業界全体の未来を暗示しているともいえるわけである。
さらにA社について言えば、親会社である某社は、その傘下にあった企業を数年前に売却している。親会社としては数十年前に立ち上げた初めて挑戦する小売り事業の会社で、日本各地に店舗が増えていく中、「(親会社の)グループ始まって以来の成功事例」とまで言わしめたほどの会社が、同業の追随に抗えず、あえなく売却されてしまったのだ。このことは以前にもブログに書いたかな。つまりA社の親会社が、経営の悪い会社をばさっと切り捨てる可能性は少なくないわけで、つまりA社にもそういう可能性がゼロではないわけなのである。そういう事情もあってか、B社の買収の行方は、今でも某SNSでつながっているA社卒業のOBたちも気にしているようだった。
そして、先日である。
B社の売却先がE社に決定したことが経済新聞に掲載された。
一面トップとはさすがに驚いたね。まあ耳目を集める事業だからというわけではなく、企業買収において「お行儀の悪い行為」とされていた横槍のE社が最終的に残ったという点、つまり日本の企業買収の新しい地平が広がった点にニュースバリューがあったんだろうけどね。
ちなみに、D社とは健康データの提供など業務提携を進めるのだそうな。穏便な着地になってよかったね。
ともかく、ひとまず安堵した。
なんだか業界の価値をきちんと評価していただいたような思いである。
一方で、事業や企業の価値を示したことにより同業他社の親会社たちは自身の子会社に対して「この事業は売れるんだ」と思ったに違いない。各社の親会社の経営状態によっては、今後も同業他社の売却が進むかもしれない。でも、企業価値を生かせる売却であれば、業界の枠組みが新しくなるのも、むしろ望ましいのかもしれないかななどと思ったりしている。
古巣のA社では果たしてどんな空気が流れているのだろう。
ぼくは十数年もお世話になった会社である。今後も陰ながら暖かく見守ろうと思うわけである。
※ちなみに、先日の経済新聞1面トップが出る前日、さきこと話していて、「そういえばあの買収話しはどうなったんだろうね」などと話していた。その翌日に新聞が出たということは、ぼくとさきこが会話をしていたちょうどその頃、新聞社の中では翌日の1面トップを巡ってガヤガヤとやっていたに違いないわけで、なんだか面白い符号を感じた。
]]>
一方でぼくは今回の雪には非常に難儀した。
先に書いておくと、降雪の翌日は雪が凍結して歩くのに苦労したということはなく、意外にスムーズに出社することができた。意識の高い方々のご尽力によって、自宅から駅までの道はかなりの部分で除雪がされていて、滑る危険性はほとんどなかったのだ。ありがたいことである。だから、降雪の翌日は何ら問題はなかった。問題はその前日、そう、まさに雪の降った日に起こったのである。
自宅最寄りの駅まではまずは無事に帰ってくることができたのだけど、駅から自宅までの徒歩の道のりの最終盤、マンション手間には急な坂道がある。
ぼくはここでコケた。足元が滑ってしまい、前のめりにコケたのだ。いや、コケたという語感からくる軽さは一切ない、ぼくの身体が雪の積もった大地と正面衝突事故を起こした、ともいうべきか。
坂道をのぼるにあたり、前に踏み出した足に、どういうわけか地面との摩擦が一切生じず、踏み込んだ力のすべてが後方に逃げていった。いや、むしろ足を後ろ側に持っていかれたかのような感じである。物凄い勢いで足を後ろに持っていかれたので、一方の足も地面との摩擦を保っていることができず、同じように勢いよく後方に滑った。両足が物凄い勢いで後方に持っていかれたので、ぼくはほとんど水泳の飛び込みのような態勢で前のめりに宙に浮いた。そして上半身から地面に落下していくところで、手を前に差し出し身体を支え、頭と地面の衝突を防いだ。しかし次の瞬間、後方高く上がっていた足が地面に落下し、膝から地面に着地したのである。ぼくは膝をついた四つん這い状態になり、そのまま坂道を滑り落ちていった。四つん這いのまま、坂道を下っていったのである。これがほんの1秒の何分の一かのごく短い時間に起きたデキゴトである。
ぼくは膝を強打し、思わず呻き声を発した。転倒する際に舞い上がった雪がぼくの身体に降り積もった。手袋を通して雪が流れ込み、刺すような冷たさが手を襲った。前のめりに勢いよく転倒したので、背負っていたリュックサックは前方に投げ出され、硬い音を立てた。ああバッグにはサーフェスGOが入っていたけど、無事だろうか。
いや、それにしても見事にすっ転んだものである。ぼくはこれまで多少の雪道でも転倒することはなくて、おそらこれが初めての経験じゃないかと思う。転倒する時は身体がまったく制御できなくなるんだね。
雪が積もって白かった路面は、ぼくの転倒の跡が轍(わだち)のような軌跡を残していた。手を付いたまま滑り落ちため、両手合わせて10本の轍が雪に描かれていた。それを見ると、あまりにも無防備にまるでマンガのように滑稽なコケ方をしたことがとても恥ずかしくなった。それが焦りに繋がったのだろうか。
よろよろと立ち上がったぼくは、今度は用心深く足を前に出して、路面を確かめるようにゆっくり体重をかけてみた。そして次の瞬間、先ほどとまったく同じ軌跡を描いてぼくは再び前のめりにコケたのだ。気が付くと、ぼくは先ほどと同じく膝をついた四つん這いの恰好になっていたのだ。先ほどの転倒から立ち上がって歩き出したハズなのに、次の瞬間、まるで時間が戻ったかのように先ほどと同じ格好をしているのである。先ほどと違うのは、路面に轍が増えていること、さらに多くの雪を被ってしまったこと、そして再び打ち付けてしまった膝の痛みが増していることである。
なんということだ、ぼくはほとんど同じ場所で2回もコケてしまったのだ。いや、厳密には最初の転倒で1メートルくらい滑っているから同じ場所ではないか。2回目の転倒でさらに1メートルくらい滑っているので、家に向かっているつもりがコケて2メートル後退するというアホな展開になってしまったのだ。
これにはなんだか気分が落ち込んだわ。ここまでなんら問題なく、そう滑る気配すらなく雪道を歩いてきたのに、どうして同じ場所で、まったく同じコケ方で2回も転倒してしまうのか。
ぼくはゆるゆると身体を起こし、前方に投げ出されたリュックサックを背負い直し、道路脇のフェンスに手をかけてこれを支えにしつつ、再びぼくは立ち上がった。こんな状態では、むしろ自宅に着くまでに何度も転倒する可能性を考慮する必要があるだろう。歩を進めるには、道路脇にある柵やフェンスなど身体を支えられるものに手をかけて、そろりそろりと足を出していくしかない。その先にはステップに少々傾斜のかかった階段もある。いや、階段でコケたら打ち身程度では済まないだろうからね。
こうして、ぼくはほんの1、2分程度で通り過ぎていた通路を5、6分ほどかけて踏破したわけである。
いや、雪に対しても、コケてしまう自分自身に対しても腹立たしいわ。腹立たしいからそのまままっすぐ家に帰ろうかと思ったけど、自宅マンション前のぼくのクルマを置いている駐車場が、誰も踏んだ形跡のない新雪だったので、とりあえずさくさくと歩いておくことにした。うん、雪が降ったらやっぱり新雪の上を歩きたくなるよね。
そんなわけで、ぼくは左膝を強打してしまった。今のところ大きな腫れは出ていないものの、触ると非常に痛い。歩行にはとりあえず問題なさそうなのが幸いである。おそらく骨や腱に異常はないだろう。
先に帰宅していたさきこは、ずぶ濡れで帰宅したぼくを見て驚いていた。普段はそういうことはしないのだけど、身体がとても冷えたので、風呂にお湯を溜めて入浴することにした。ぼくが風呂の準備をしている間、濡れた衣服を拭いたり乾かしたりしてくれているさきこが、食事をどうするか聞いてきた。つまり、先に風呂に入るか、食事をするかを確認するためである。
「お風呂にする?ご飯にする?」
おおお、結婚以来ずっと共働きで、しかも夜に風呂に入る習慣のない我が家では、こんな問答は一度もなかったわけで、なんだか妙に感動してしまった。
これならコケて膝が痛いくらいは・・・まあ許してやるか。
※後日談だけど、ぼくがこの時履いていた通勤用に使用していた靴は、底がすり減ってほとんど凹凸のないツルペタ状態だったそうな。通勤で往復4キロくらい歩くとは言え、買ってから半年もしていないんだけどね。でも、ツルペタ靴で雪の坂をのぼろうなんて、そりゃ滑るのも道理だわ。
]]>
その時、ぼくは自室にいてちょっと手が離せない状況で、さきこはシャワーを浴びているところだった。つまり二人とも地震に対して即応できる状況ではなかったわけである。幸い大きな揺れにならなかったので良かったけど、これが大地震だったらと思うと、ちょっと不安になった。
特に風呂に入っている時に地震があるとちょっと怖い。まさかスッポンポンで飛び出すわけにも行かないし、さすがに身体を拭いて服に着替えて・・・というのは無理だとしても、少なくともタオルや着替えを持って逃げないといけないわけで、通常よりも手数が増え、それだけ避難するのに時間がかかってしまう。我が家は大丈夫だと思うけど、沿岸部などで津波の心配がある場所などでは、発災後の素早い行動が生死を分ける場合もあるから、これは怖いことである。
いつ起こるか分からない地震においては、このようにいろんな場面を想像して、どう行動するかを考えておくことが大事である。思考実験というべきか、思考の上での避難訓練は大事なのだ。ちなみに、今回の能登半島地震で津波被害に遭ったとある集落では、地震が起こる前から津波を想定した避難訓練を定期的におこなっていて、そのおかげで津波に飲まれた人はゼロだったそうである。今回の地震が起こった時は、かなり動揺し、どうしたらいいか分からず混乱してしまった高齢者もいたそうだけど、考えるよりも身体が勝手に動いて高台に向かっていたそうである。やはり訓練は定期的に繰り返すことが大事なのだ。以前、ぼくが会社の緊急時対応の業務に携わっていた時にも、定期的な訓練が大事だと言っていた。「芝居じみてアホみたいだけど、決まったシナリオを繰り返すことが大事」と経営陣に話していたのを思い出す。
さて、ココロの準備も大事だけど、災害に向けた備蓄も大事である。今回の震災を機に、備蓄品の場所とか量を考えるようになった。特に、断水などで水が確保できないとマズいということで、さきこはネットで500mlペットボトルの水を購入したそうな。実はそのことをぼくは知らなかったので、飲料水の補充をふと思いついたぼくがネットで購入しちゃって、結果的にかなりの量が自宅に届くハメになってしまった。さきこの購入分とぼくの購入分、加えて普段飲んでいる水、さらに定期購入で近日届くハズの水をすべて合計すると40リットル以上の水が我が家に備蓄されることになる。うん、これは買い過ぎだな。
水の次に不安なのが、電気である。今回の震災では、孤立により長く停電する集落もあったそうで、さらにテレビやラジオ、スマホなど情報を得るために必要なツールを使えるようにするためにも、電気を一定期間確保するのは大事なことである。
実は、キャンプ用品を買い始めた頃にも検討したのだけど、大容量のバッテリーがあれば、消費量にもよるけど1、2日の電力は確保できそうである。スマホなら何十台もの充電が可能になるそうである。さらに、別売りの太陽光発電パネルを購入することで、バッテリーの電力が枯渇しても、追加で充電できる。
しかし、これが非常に高いのだ。あればとても助かるとは言え、ぽんっと買えるものではない。
困ったなー、どうしようかなー・・・と思っていた矢先、某SNSに掲載された広告を見かけた。
通常20万円以上もするバッテリーが、40%以上も割引されるそうなのである。うーん、今回の震災でぼくと同じように電力に不安を持つ人が多くいて、販売会社としてはまさに商機ということなのだろうね。
しかし、SNSでの広告というのは、珠玉混交というか、注意を要する場合があって、物凄く安い商品で釣って詐欺的な被害者になってしまうこともあるようである。そんな悪徳広告なんかSNSの運営会社がチェックして追い出せばいいものだけど、かなり巧妙な手口で追及の手を逃れているようである。
今回の40%引きという広告もその手の悪徳広告の類だろうと思っていたのだけど、実際に販売会社のホームページに行ってみるとたしかに40%の割引になっているようである。いや、それでも高額には違いないのだけど、もともと欲しかった商品で、そうであればこの機を逃すとまたさらに高額の定価に戻ってしまうわけだし、先のブログにも書いたけど、能登半島地震の地質学的な影響が、日本列島の太平洋側に及んで、さらに巨大な地震が起こることもあるかもしれないと思っていたので、ここは清水の舞台から飛び降りる覚悟で、えいやっと購入してしまった。
先日、自宅にバッテリーと太陽光発電パネルが届いた。非常に重いし、場所も取るのだけど、これで震災時の電力不足への不安が少しは解消されたと思う。高額な買い物だから、ぜひ意義ある買い物だったと思いたいけど、これが活躍する場面、つまり災害に遭うのも避けたいわけで、非常に微妙な心境である。
※購入したバッテリー。高い買い物をしておいて、それが使われないことを望むなんて、ね。
なんだか、今月のブログは震災のことばかりである。しかし、被害者に思いを馳せつつも、そこから学べることを生かしていくことが、大事だと思うわけである。
ちなみに、先週末の地震以降、関東では微弱な地震すら起こっていない。2日ほど経つけど、ぴくりとも揺れていないことがなんだか逆に不気味に思えたりもする。自宅にある大量の水や思い切って購入したバッテリーのことを思いつつ、これでわずかでも不安が減少すればいいなと思うし、これらが活躍する日はできれば来ないでほしいものだと思うわけである。
さて、そんな中ぼくが気になるのは、この地震の地質学的影響である。
今回の地震の震源地は能登半島の先端で、これに伴う群発地震も能登半島周辺で起こっているのだけど、一方で震源地の南側にある新潟県は、そこからさらに南の静岡まで続くフォッサマグナが横たわる地域でもある。列島をその真ん中からぽきっとへし折るような形で力が加わっているフォッサマグナの下では、常に活発な地盤活動が起こっている。もし、今回の地震がフォッサマグナにも影響を及ぼせば、これに繋がっている巨大な断層・中央構造線にも影響するかもしれない。中央構造線は、長野辺りでフォッサマグナと交わり、その先で急に南下して神奈川の相模湾に至る。そこにはフィリピン海プレートの境界線があって、以前から大規模震災の震源地になりうると言われていた。つまり、地震の影響はプレート境界線にも及び、そこに大きなストレスを蓄積させるかもしれないのだ。いや、フォッサマグナ、中央構造線、フィリピン海プレートと話しが飛躍しているかもしれないけど、地震発生当初の気象庁の会見では今回の地震は、「東日本大震災の関連で発生した地震である」旨の発言もあったし、さらにフィリピン海プレート上にある伊豆小笠原火山帯では、海底火山の噴火が頻発していることも考えると、日本周辺の地質的活動が急激に活発化しているように思うわけである。
ちなみに、海底火山は、西ノ島の噴火やこれに続く島の拡大だけでなく、福徳岡ノ場での海底火山噴火、硫黄島の異常な隆起や硫黄島の海岸線から数百メートルの場所で噴火、島の形成など、これまで聞かなかったような大規模な活動が起こっている。
そう思うにつけ、「いつ起こってもおかしくない」と言われ続けてきた南海トラフ地震や東海、関東の大地震がいよいよ起こりそうな感じがしている。いや、考えてみれば、ここ十年ほどで東北や北陸、九州や北海道で大規模地震が発生しているのに、昔から頻繁に地震が起こっていた太平洋沿岸でこれほど長く地震が起こっていない方が、むしろ不思議である。関東での大地震なんて、関東大震災から数えて100年も起こっていないわけだからね。これはいよいよ覚悟をすべき時かもしれない。
※ネットから借用した画像。フォッサマグナも中央構造線もプレートも分かりやすく表示してある。
そう思うにつけ、自宅の非常用の備蓄や避難生活における電力の確保、ネコたちとの避難生活をどうするかなど、いろいろ考えないといけない。ここは災害対応に大きく踏み込んだ出費を考えないといけないかなー。
また、仕事中に地震があったらどうするかとかも考えないとね。ぼくもさきこも職場が海の近くなので、何より津波への対処が重要である。そして、交通が乱れている中でどうやって帰宅するか。ぼくは会社から自宅まで十数キロなので何とかなるけど、さきこはかなり深刻な帰宅困難者になると思う。
いやはや不安は募るばかりである。しかしこうして書き起こすことで、ココロの備えが多少とも醸成されると思う。怖いけど、思考実験は欠かさないことが大事だと思うわけである。
※(左)描き直した絵なぞ。(右)先日描いた絵なぞ。
うん、我ながらまあまあに描けたかな。
描き直しに対する抵抗感がないというのも、デジタル画のいいところかもしれないけど、それでも下描きから描き直そうとするところに、この絵なぞにかける自身の思いを再確認したりしてね。
いや、この話しはまっっっったく知らなかったわ。先日の某経済紙のコラムで知り、こんな冤罪事件を知らなかった自分に驚きつつ、この事件の発端から終結(いや、完全に終結したわけではないけど)に至る詳しい顛末を知りたいと思った。
ネットのまとめ記事などを見るにつけ、冤罪となってしまった原因としては、検事をはじめ、裁判所の判事も、いや自身を弁護するべき弁護人でさえも、「富○通のシステムに不具合やバグなどは存在しない」という前提に立っていたことである。システムに対する過信、つまり認知の誤謬がこれほど大きくなったのはどうしてなのだろう?一説には、イギリスには富士通製のシステムが多く導入されていて、その実績からシステムの堅牢性に疑う余地がなかったなんて話しもある。
いや、それにしたって、富○通のシステムを導入した後に、多くの支局長から経理上の問題が報告されたら、どこかのタイミングで「これ、システムが原因かも?」って思わないものかな。2000年から2015年までの間で700件もの冤罪が発生するということは、単純計算で年に46件も似たような問題が起こっていたわけで、そうであればもっと早くシステムを疑うということもできたと思うわけである。いや、経理上の問題の報告が当初はほんの数件程度で、年を追うごとに増加していく形であったとしても、15年と言わず、もっと早くに気づけたと思う。
そう思うにつけ、ぼくはこの事件の背景にあるシステムへの過度な信頼を非常に危険だと思う。
ここ最近はAIに処理を任せることも多くなっている。これまでのシステムでは、プログラムに書かれた内容がその処理を表していて、もし不具合やバグがあったとしても、根気よくプログラムを読み込めば原因となるプログラム記述に辿り着けたものだけど、自身で学んでいくAIには、どこでどういうバグが起こるかは分からない場合がある。実際にChatGTPでは、質問した内容に対してAIが自信満々に間違った回答を提示するなんてこともあるようである。システムへの信頼が過剰になれば、AIに対してはさらに強い信頼が置かれることとなり、それが結果として誤謬に気づかない危険性をはらんでいるのだ。AIから「仮想敵国からの攻撃がありました」と言われたら、もはや何らの疑いもなく、反撃のための核ミサイル発射ボタンを押してしまうかもしれない。
少し脱線するけど、聞きかじったところによると、核戦争の危険がもっとも高まったキューバ危機において、実は実際に核攻撃の指示は出ていたのだそうである。しかしこれは誤情報に基づく過敏な反応だったそうで、それでも核攻撃の指示は軍の中で伝達されていき、最終的な攻撃開始のボタンを押す潜水艦の艦長が、「その指示は本当なのかもう一度確認してくれ」と問い合わせたことで、結果として誤情報であったことが判明し、核攻撃はされなかった、核戦争は回避されたという話しだそうな。実際の核攻撃のボタンは、潜水艦の艦長と副艦長が同時にボタンを押す必要があって、実は副艦長の方は既にボタンを押しており、ここで艦長が思い留まらなければ、ホントに核攻撃がされていたそうである。システムの不具合やバグは潜んでいるもので、究極の意思決定をする際には、やはり人間の感性をもっとも重視するべきだと思うわけである。
話しを元に戻す。
一般的に考えて、新システムを導入した後に複数の支局長から同じような報告がされたら、やはりシステムを疑うべきだと思うし、いやそもそも自身が横領や不正を疑われる危険を冒して報告してきたんだから、支局長に不正の意図はないんじゃないかと、少し立ち止まって冷静に考えるべきだったと思う。理性的なヨーロッパで起こったことも少し意外である。理屈っぽいところのあるヨーロッパなら、多くの人が同じ認知的誤謬に陥ることはないと思っていたからね。まあ、ヨーロッパ大陸の民族とイギリスの民族では少し性格が異なるかもしれないし、いわゆるイギリス経験主義、大陸理論主義なんていうから、イギリスでは同様の事例が積み重なることで、誤謬であっても正しいと認識されるようになっちゃうのかな。安易に民族の性質に帰着させるべきではないけど、これほど奇天烈で突拍子もないことが実際に怒っちゃったので、ぼく自身、その事象の裏側にある事情を理解したいと強く思うわけである。
ともかくも、今回の事件は、これがホントにシステムへの過信からくる思考停止によるものなのか、あるいはもっと別の要素が関わっているのか、本来的には司法がもっとも忌避すべき「冤罪」を、あろうことか同じ事案で、短期間に、大量に出してしまったことへの検証は、様々な面で多くの気づきにつながると思うわけである。
そんなわけで、この件については、日本国内でももっと大きく取り扱われ、議論されるべきだと思うわけである。
ちなみに、イギリスのこととはいえ、国内有数の大企業が関わっているという点で、どうして日本で大きく取り上げられなかったのかと考えるに、そもそも富○通は契約上の責任を負っていないのかもしれないと想像する。システムが納入され、一定期間の検証がされた後は、そのシステムに問題があっても責任を問えないという契約になっていたのかもしれない。いわゆる瑕疵担保責任というものだろうか。あるいは、富士通はシステムの大部分に関わったけど、納入後は別の会社がシステムを改変していて、その時点で当初の製作者の責任がなくなるという理屈かもしれない。とは言え、さすがに問題が大きくなってきたので、富士通側も被害者の方への何らかの補償を検討中だそうである。
無実の罪を着せられた人が速やかに名誉回復できるといいなと思うにつけ、有罪取り消しの判決はまだ数十人程度に留まるそうだから、700人もの(いや、中にはホントに不正していた人もいるかもしれないけど)名誉回復までは、まだまだ道は遠いと言わざるを得ない。
※システムへの過度な信頼を疑うという点では、以前にもこのブログで書いたけど、大学時代の一般教養課程における哲学の授業で取り上げられた哲学的考察のコラム集をいつも思い出す。ぼくが学生の当時でさえ、古い読み物だったので、今から考えれば相当昔の本である。
その本に掲載された最初のコラムのテーマが、まさにシステムへの過度な信頼への警鐘だった。
テレビはスイッチをひねれば(そう、昔のテレビってスイッチをひねっていたよね)、遠く世界の情報が映し出される。テレビに映像が映るという結果とスイッチをひねるという実際の行為が接続されていない。スイッチをひねることで、テレビ自身が内部機器に働きかけて、画面に映像を映し出すという作業をおこなうのである。スイッチをひねる行為と映像が映し出されるという行為と結果の因果関係の断絶が現代社会の危うさである云々という言説である。うん、我ながらよく覚えているな。
ちなみに、テレビがもっとも精密な機器だった時代から何十年も経った今となっては、行為と結果の因果関係の断絶なんて、ほとんど当然である。エクセルに数字を打ち込み、複雑な関数を組んで結果を算出する(しかもその結果にほとんどの人が検証なしに正しいと思い込んでいる)けど、入力された数字と算出された結果には、人が介在していない点で因果関係が断絶しているし、ネットショッピングで購入ボタンをぽちっと押すと、しばらくして自宅玄関のインターホンがピンポンと鳴り、欲しかった商品が届くというのも、考えてみれば行為と結果の因果関係が断絶している。しかし、300年前から存在するピアノ(クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)だって、鍵盤を叩く行為と音色を発する結果において、ピアノの内部システムに依存しているわけで、つまり行為と結果の因果関係は断絶しているんだけどね。
まあ、ツッコミどころはあれど、非常に示唆に富んだコラム集だったとシミジミ思い出すのである。
ぼくを知る人に対して、ぼくが絵なぞを描くことをアピールする機会はほとんどない。むしろぼくが長く絵なぞを描いているのを知っているのは、家族以外にはごく親しい人だけである。
男だてらに、いや歳不相応に未だに絵なぞを描いているということがやはりどうしても恥ずかしいと思っており、それでも高まる表現欲に抗うことができずに、その折り合いとして、多くの投稿が集中する正月に紛れて、新年あいさつという名目を得て、こそっと絵なぞを投稿しているわけである。絵なぞを投稿することは非常にポジティブな行為だけど、こういう機会にしか投稿できないという点では情けないというか、潔くないというか、非常にネガティブな行為である。
まあともかく、ぼくは絵なぞをアピールできる数少ない機会である正月の投稿を数か月前から狙っているのである。
しかも、今年の投稿には並々ならぬ強いモチベーションがあった。
昨年のFac○b○okに投稿した正月あいさつにおいて、掲載した卯年にちなんだウサギの絵なぞにお褒めのコメントをいただいたのである。しかも以前勤めていた会社の同僚で、ぼくが退職して以降、距離感としてはかなり離れた方からのコメントだった。卯年生まれのこの方は、ぼくがウサギの絵なぞを投稿することを「楽しみにしていた」とコメントしてくれたのである。
た、楽しみにしてくれていたのか・・・。このコメントに触れて、ぼくのココロの容器に大きな喜びが湧き上がり、さらに噴き出さんばかりに溢れ出るのを感じたものである。いや、コメントしてくれたのは、あくまで彼女が年女だったからなんだけど、それでも楽しみにしてくれている人が存在することに、ぼくは大きな喜びに包まれたのである。
辰年にも渾身の絵なぞを投稿しなければ・・・!
そんなわけで、昨年は辰年にまつわる絵なぞを多く描いた。辰年と言えば、竜がモチーフになるのだけど、過去に描いた竜の絵なぞがどうも気に入らず、竜から発想を飛ばして恐竜をモチーフにした絵なぞを描いた。
もう何十年も前に読んだSF小説から発想を得た。地球以外のどこかの惑星が舞台で、その星の気候がまるでアメリカ北西部のようで、まるで西部劇のようなハードボイルドな展開なんだけど、その惑星には馬が生息していおらず、人は馬ではなく二足歩行の巨大なトカゲにまたがって荒野を駆けている。そんな特異な舞台設定が非常に気に入っていて、そこから発想を得て、巨大な二足歩行トカゲにまたがる女の子の絵なぞを描いたりした。
また別の絵なぞでは、先の絵なぞと似たような世界観で、巨大な恐竜に追いかけられるチンクェチェントの絵なぞを描いたりした。
しかし、いずれも「辰年」「竜」というには発想が飛び過ぎていると感じたぼくは、やはり古来より伝承している竜の絵なぞをモチーフにすべく、苦手ながら正月休みを利用して絵なぞを描いた。
まあ、全然イケていないのだけど、正月らしい点で、まさにFac○bo○kの正月あいさつに投稿するには相応しい絵なぞになった。よし、この絵なぞを投稿しよう。そう決めた矢先に、能登半島に地震が襲来した。そしてぼくはFa○eb○okの投稿を控えたのである。
いや、過度な自粛はむしろ良くない。震災への対応には鋭意取り組みつつ、これに携われない人には、被災した人に思いを馳せ不幸な災害に心を痛めつつも、過度に同調して気持ちを落ち込ませることも避けるべきだと思っている。だから「おめでとう」とは言わないまでも、例年どおり初詣の様子や描いた絵なぞを投稿すればいいのである。その点に何ら不謹慎なことはない。
しかし、投稿画面に写真や絵なぞの画像を貼り付けてコメントをするにあたり、どうしても震災や航空機事故に思いが至って、言葉が出てこなかったのだ。コメントにはやはり被災したり事故に遭われた方へのお見舞いの言葉を添えるべきと思ってしまい、それがコメントのほとんどを占めてしまうのだ。お見舞いの言葉を投稿したいのか、正月のあいさつを投稿したいのか。さらに言えば、お見舞いの言葉を添えつつも、それでもこの投稿で絵なぞを見てもらいたいという下心を実現しようとすることがどうしても納得できず、結果的に投稿はできずに終わったわけである。
Fac○b○okに正月あいさつを投稿しなければならないという決まりがあるわけでないし、ぼくが正月あいさつにカコつけて絵なぞを投稿することを毎年楽しみにしている人もいるわけではないのだけど、昨年からこの日の投稿を目論んできたぼく自身の思いは、燃え盛る焚火に一気に水をかけたかのように、不完全燃焼して燻ってしまった。昨年から準備してきた思いにも何らかの結末を与えてあげたい。
そんなわけで、普段は絵なぞを描いたり、SNSに投稿したりする行為の動機について述べることはないのだけど、ここであえて正月あいさつの投稿に対する思いを描いておくことにした。ぼくの思いをこれで昇華しておこうと思う。
※今回はこの絵なぞを投稿しようと思っていた。
※昨年からずっと用意していた恐竜の絵なぞ。
]]>
正月1日には、能登半島沖を震源とする震度7の地震が発生した。半島のため現地に通じる道路は限られており、現在もなお懸命な救助活動が続けられ、未だに死者・安否不明者の全容が掴めていない。大きな津波も発生し沿岸に壊滅的被害をもたらせたばかりか、古い木造家屋などで倒壊や火災が多く発生しているようである。早々に自衛隊の災害派遣が要請され、救助作業が進められているところである。
また、翌日2日には、羽田空港にてJALの旅客機と海上保安庁の航空機が滑走路で衝突するという大事故が発生した。海上保安庁の航空機は能登の被災地に向けて物資を運ぶために滑走路に入っていたそうである。この衝突で海上保安庁の乗務員6人のうち5人が亡くなった。一方で、JAL機の方は若干の負傷者が出た以外は、炎上する航空機から全員が無事に脱出できたそうである。JAL機の乗客に死者が出なかったのは、不幸中の幸いとはいえ、亡くなられた海上保安庁の職員の方のご冥福を祈るばかりである。
いやはや、正月からこれほど大きなデキゴトが起こるってのは、なんだか不吉な感じである。3日はさすがに大きなデキゴトはなかった・・・いや、山手線で刃物を振り回す女性がいて、4人が怪我をしたそうである。通常ならこの事件単独でも「正月早々にとんでもない事件が発生したものだ」と大騒ぎになるところだけど、震災と飛行機事故のインパクトが大きすぎて、もはや事象の深刻さを測る認知力に狂ってるんじゃないかと思ったりする。
ちなみに、震災の方はさきこと海沿いの道を走っている途中で知り、また飛行機事故の方は2日の夜、会社事務所に宿直で待機している最中、ツイッターなんかを見ている時にN○Kの速報を見たお袋さんからの電話で知った。会社事務所は、羽田空港と比較的近いところにあるので、もしや炎上している煙なんかが見えるかと思ったけど、さすがに遠すぎて見えなかった(いや見えたからどうということはないのだけど)。ただ上空の飛行機は軒並み成田にダイバートされたみたいで、上空に連なるように並ぶ航空機のランプはまったく見えなくなった。
※飛行中の航空機をリアルタイムで確認できるアプリより。いつもなら羽田空港に連なる航空機が事故直後はまったくいなくなり、成田方面に連なっているのが分かる。
※拡大してみると、羽田周辺にまったく航空機がいない。離陸準備中の航空機もいない。事故のあった滑走路の車両は、事故対応車両だろうか?
※しばらくすると、羽田に3機の航空機が連なっている。どれも外国発の旅客機のようだ。
ところで、ツイッターを見ていると、今回の震災を復興するために物凄いおカネが必要になることは想像に難くなく、そのためにならぜひ惜しみなく国費を投じてほしいという意見が大多数だった。いっそ関西で建設中の某万博など中止にして、見込んでいた国費をすべて復興に振り替えたらいいんじゃないの?という意見が多く見受けられた。明らかな工事の遅れにより開催自体が危ぶまれる中、もはや何が何でも開催しないとメンツが立たないというアホ思考の政治家やお役人に対し、「今なら震災復興を大義名分にして万博を中止しても誰も咎めないし、メンツも守られるし、むしろ株が上がりますヨ」なんてツイートもあって、思わず膝を打ったわ。家が倒壊し、この寒い時期に暖を取ることもままならない人が大勢いるのだから、今こそ有効なおカネの使い道があろうというわけである。
ともかくも、令和六年は波乱に満ちた幕開けとなった。これ以上、悪いことが起こらないよう祈るばかりである。
]]>
さて、新年最初の日は、少し時間があったので、さきこと近場をドライブしようかとクルマで走り出したところ、国道1号線に入った辺りで進路は新湘南バイパスの方に向かい、平塚辺りで給油してそのまま西湘バイパスに乗った。きれいな海を左手に見ながら、快調に西湘バイパスを走っていたところ、ニュースがもたらされた。
石川県で大規模な地震があったとのことである。
カーステをニュースに切り替えると、アナウンサーが情報を伝える中で次々と余震が発生して、震度3とか4の地震が続々と起こっているようで、これは正月元旦からとんでもないことが起こったと実感した。
遠出をやめて自宅に戻り、テレビをつけると、どのテレビ局も正月番組を中断して報道番組を放送しており、しかし既に日が沈んでしまっているため、状況がよく分からないようだった。震源地は能登半島沖で、他の地域と比較して地震が発生している地域であり、ぼくも少し懸念していたところだった。
大津波警報、津波警報、津波注意報が北海道から佐賀県に至る日本海沿岸に出ていて、テレビ画面に表示される日本地図の沿岸部は半分ほどが警報、注意報を示す赤や黄色で塗り潰されていた。能登半島先端の珠洲市の役所のカメラには、実際に沿岸部に到達した津波が防潮堤に当たって近隣の家屋よりも高い水しぶきをあげているのが見えた。
しかし、夜になるとほとんど情報は入ってこなくなり、NHKとTBS以外は画面の縁に地震情報を表示しつつも、正月番組に戻っていった。
こうしてこの日は、大きな追加情報もなく、夜が更けていくのだった。
そして、今日2日の夜が明けた。
これから詳細な被害状況が明らかになっていくだろう。まだ状況は完全に把握できていないと思うけど、亡くなった方やケガをされた方、家財が損壊した方も少なくないようである。
2024年は正月早々からとんでもない災害で幕を開けた。
被害に遭われた方には、謹んでお見舞いを申し上げます。
一日も早い災害復興ができることをお祈りしています。
※京急品川駅を横浜方面に向かって。京急の駅ビルもきっとそのうちなくなるんだろうな。
※高輪方面に向かうバス通り。右手に品川プリンスの高層ホテルがあったけど、もはや更地である。
※駅近くのビルもきれいに解体されて、その向こうを走る京急が丸見えである。
]]>
■昨年からの申し送り
(1)仕事で成果を残すこと
いや成果も何も年明け間もなく会社組織の大幅な変更が発表されて、しばらくはその対応に追われ、またその影響もあって、4月に部署が異動となり、ここで新しい仕事を覚えている中、別の事業所に異動を打診されて、川崎の事業所から鶴見の事業所に移ることになった。川崎の事業所も交通の便の悪い場末感はあったけど、鶴見の方はさらに場末感が強く、しかも本社でない事業所に勤務するのもかなり久し振り、というか、沼津で工場の管理部門に勤務した以外は基本的に本社の管理部門だったので、その意味でも不慣れ感はとても強く、さらにその職場で未経験の経理業務の一部を担当することになったので、その点でも不慣れ感が大きくて、目下のところ業務に慣れるので精いっぱいの状態である。
というわけで、成果を残すという申し送りについては、会社自体が大きな変革のうねりの中で空中分解したという本末転倒みたいな結果に終わっちゃった。
(2)サックス演奏の継続、編曲に向けて幅を広げる、サックス演奏会に参加すること
サックスの演奏会への参加はさまざまな形で鋭意継続中である。一方で編曲に向けての幅を広げる点については、ほぼ未着手である。始めてしまえば、そこそこできそうな気もするのだけど、たとえミニマムな形でスタートするにしても、やはり設備投資はある程度必要なわけで、逡巡しているところである。
今年のサックス演奏については、後述する。
(3)絵なぞ、NFTのこと
絵なぞも大きな発展はないかな。あいかわらずiPadを使ってデジタル画を描いている。SNSでの評価もそこそこである。
昨年とりあえず着手してみたNFTだけど、口座開設やNFTサイトの開設までは進んだものの、いざ画像を投稿する段になってどうにもうまく行かず、そうこうしているうちに世の中の動向として、NFT自体がシュリンクしつつある感じになってきた。ここでNFTを始めてもあまり効果はないかな。
まあ後出しで言い訳させてもらえれば、そもそもデジタル画の所有権という発想がどうもピンとこなかったんだよね。コピペ自由なデジタルの世界で、所有権のような唯一無二の権利を守っていくことはできるのだろうかということである。
というわけで、絵なぞはカキカキしつつも、NFTはそのサービスの動向を緩く注視している感じである。
(4)さきこ、身体への気遣い健康第一
さきこは今年も大きな病気もなく、とりあえず健康な状態である。
少々気になるのは視力の低下くらいかな。この歳になってもなお裸眼にこだわるために、何らかの支障が生じていても無理をしてしまうような気がしてならない。
また12月に入って、通勤中に足を引っかけてコケてしまい、前のめりに倒れてしまった。足の打ち身や地面に手をついたことによる擦り傷などが生じたものの、これは比較的早く治ったので安心していたら、首や腰の痛みが酷くなってきたようである。
どうやら倒れた際の衝撃で腰や首を痛めてしまったようである。通勤しづらい状況なので在宅勤務にさせてもらった。
ネットで話題のコルセットを購入して装着したところ、かなり劇的に痛みが解消した模様である。とは言え、装着している間の痛みがないだけで、起床の際などは同じ姿勢が続いていたこともあって、かなり痛いようである。
腰痛をパパッと治してくれるところはなかなかなくて、もはや接骨院や整体に行こうともしないところが気になる。ぎっくり腰とかにならなければいいのだけどと、かなり心配である。
(5)自身の健康、ネコが長生きしてほしい
ぼくの健康の方は依然として改善しない肥満体形に悩まされている。いや、食べなければいいのだけど、ストレスもあってか、もぐもぐしていないと落ち着かないことが多い。
一方で若干の明るいニュースとしては、職場の異動により場末の事業所に転属になったため、最寄り駅からの徒歩距離が伸びたことである。今もなお最寄り駅と事業所の間の1.4キロ、往復2.8キロの徒歩通勤は継続中である。これに自宅から最寄り駅までの往復の徒歩1.2キロを加味すれば、1日当たり4キロほどは歩いていることになる。
これが寒い時期も続けられ、ぼくの生活習慣として定着すれば、少しは健康になるチャンスを得られるかもしれないね。
一方ネコのことだけど、ニンゲンよりも早く成長し、早く老いが到来する動物だけに、そろそろ年齢による身体の変調が見え始めている。さまざまな理由があるけど、動物病院に行く機会が多くなった。彼らの健康維持には、来年はさらに注意が必要と思われる。
そんなわけで、申し送りの話しである。ここまででぼくの1年の主要な部分を語り切った感じはあるけど、さらに深掘りする形で項目ごとに述べていきたい。
■コロナのこと
2020年春から始まった新型コロナ感染症を巡る狂乱は、今年5月8日に感染症の区分が季節性インフルエンザと同レベルに引き下げられたことをもって、一旦の終息をみた。実に3年余りにも及ぶ疫病との戦いだった。
過去に人類を存続の危機に陥れてきた感染症は、コレラやペストなどいろいろあったけど、現代においてこれほど大規模に感染症が広がったのは初めてだった。
ちなみに、疫病蔓延の時期を2020年春と覚えているのは、蔓延する直前の2月下旬にサックスの演奏会があって、これが初めてのサックスでの演奏会だったからである。この時は「中国で新型の感染症が蔓延しつつあるけど、日本はまだ大丈夫だろう」的な予測から、演奏会が予定通り開催されたんだよね。それからほどなくして、日本にも感染者が現われ、あれよあれよといううちに日本全国に感染していった。そして長く続く行動制限の時代に入ったのである。演奏会はもとより、人の集まるイベントはコトゴトく中止を余儀なくされ、不要不急の外出抑制、県外への移動自粛、マスク着用、手洗い・うがいの推奨、アクリル板で隔てられたオフィスや飲食店、在宅勤務とウェブ会議システムの爆発的普及、それによる通勤時間帯でも閑散とした電車の車内・・・と、生活が一変してしまった。マスクやアクリル板の需要に供給が追い付かず、通常の価格の数倍で販売されていたり、医療用品や衛生用品とはまったく無縁の商店が「不織布マスク、仕入れました!」などと店頭でマスク50枚入りのボックスを積み上げていたり、会社では多少高額でも不測の事態に備えてマスクを大量購入して備蓄したり、従業員にはマスク着用義務、毎日の体温測定を課し、来訪者に対しても非接触体温計での体温測定の協力をお願いした。マスク不足が加速している中、当時の政府が、1世帯当たり2枚のマスク、しかも予防効果に疑問のある布マスクを配布するという迷走っぷりを見せたり、会社では数回程度しか取引したことのない会社から突如電話があり、「とあるルートから不織布マスクを1万枚仕入れました。1枚300円で買いませんか?」などと言われ、いっそ購入してしまおうかと本気で検討してみたりと、社会が上から下までおしなべて混乱していた。これは日本全国、いや世界中を巻き込んだ大混乱であり、こういう経験は生まれてから一度もなかった。
その後、遅きに失したものの、ワクチンの開発、異例の早さでの国内承認、ワクチンの無償接種などの対応により、感染者は徐々に減少していった。とは言え、長引く経済的影響のために一部の規制がフライング気味に緩和されて、その影響で感染者が激増したり、季節的な要因も重なって、数次にわたる感染拡大の波(ニュースなどではたしか第8波くらいまでカウントしていたかな)があり、その度に政府の対応が批判にさらされた。
ちなみに、今回の疫病蔓延において初めて導入された「m−RNAワクチン」の開発者は、2023年のノーベル生理学・医学賞を受賞している。
政府に対する批判といえば、逼迫する医療体制がなかなか改善しなかったことやそれによって、医療従事者が過重な労働環境を強いられたこと、様々な行動制限、特にイベント自粛などによって、それを生活の糧としてきた人たちへの経済的補償の遅れなど、未曽有の事態の中で、お国が「何を重要視し、何を軽視しているのか」が如実に明らかになってしまったように思う。イベント自粛などで、たとえば音楽や演劇などのアーティストは多くが辛酸をなめることになった。ぼくがかつてお世話になった某指揮者の生活が大きく変わってしまったのは、やはり疫病蔓延が大きな原因だったと思う。お国が文化活動をかなり軽視していることがはっきりしてしまったことは、ぼくにとっても非常に残念なことである。
・・・簡単にまとめてみると、こんな感じだけど、個人的にはここまで書いてきたように、「疫病蔓延がもたらす現代社会の変化」に非常に興味がある。この辺をまとめた本などがあれば、読んでみたいと思う。また、そもそもどうして未知の疫病が中国・武漢市という限定された場所から発生したのか、陰謀論めいた話しも多く聞くけど、これからもウイルスのもたらす疫病と戦い続ける未来の人のためにも、発生の原因、蔓延のメカニズムを究明してほしいものである。
■仕事のこと
今年は業務面で大きな変化があった。これは主に勤務する会社の会社組織が大きく変化したことによるものである。
昨年3月に入社した会社だけど、その年の暮れから年初にかけて、会社組織が大きく変化することが発表され、その影響で所属部署や業務は縮小されることになり、ぼくは部署異動することになった。まったく初めての部署で初めての仕事を受け持つことになったのだ。
ここで心機一転、仕事を覚えることに一心専心、頑張ってきたのだけど、異動して3か月ほどした頃か、さらなる会社組織の改編に伴い、職場が変わることになった。異動先の職場では、これまでのような業務ができるとの話しだった。
従来のような業務ができるのであれば、働く場所はさほど問題ではなく、異動を受け入れ、9月から新しい職場で勤務している。従来のような仕事とは言っても、経理業務などは完全に初めてだったので、現在もなお一心専心、戦いの日々である。
ここで、以前勤めていた会社の話しである。
今年はコロナ禍が終息したために、以前勤めていた会社の同僚と飲む機会を得た。と言っても、同じ部署だったかつての部下と別の部署の同じ歳の同僚、そして数年前に急逝した同僚のお墓参りで一緒になった同僚やかつての上司、合わせて3回くらいの飲み会である。
ぼくが退職した以降のことはほとんど知らないのだけど、話しによると、ぼくの退職と前後して10人以上の社員、しかも管理職の退職が相次いだそうである。そのうち2人くらいはほんの数か月で出戻ってきたそうだけどね。また、どこの会社には一人か二人はいるという「仕事デキるアピールの強い人」であった某部署の管理職は、退職に際して多くの社員の面前で自身の給与を暴露し、会社を悪辣に罵ったうえで退職したそうである。まあ気持ちは分かる。しかし転職先が実は同じ親会社のグループ企業で、その企業の事業の一部が奇しくもぼくの勤めていた会社に売却されることとなり、これに伴って悪辣に罵って退職した会社に戻ってくるというかなり滑稽な顛末を演じたそうである。「立つ鳥後を濁さず」というけど、この方は濁しまくって退職した会社に再び舞い降りるハメになっちゃったというわけである。いろんな人の退職を見てきたけど、もっともヘンテコな展開を演じたのは、やはりこの方である。
退職絡みでいえば、ぼくの退職時に上司だった女性管理職の方は、ぼくが退職した翌年に家庭の事情で退職されている。会社創業者や歴代の役員との関係が濃く、そのため会社の雰囲気を形作ってきたところのある方だったので、社風や文化を維持継承する人がほとんどいなくなってしまった。ぼくもこの会社の雰囲気は大好きだったので、もしホントに変わってしまっていたら残念である。まあ、社風というのは、経営者やいわゆるキーパーソンと言われる人の個性によって醸成される部分があるので、そういった人たちが軒並み退社してしまった中で、会社の様相はかなり変わったんじゃないかなと思う。
ちなみに、コロナ禍の影響なのか、会社業績は良いとは言えず、話しによると今年夏のボーナスは例年の半分だったそうである。ただでさえ雀の涙みたいなボーナスだったのに、これが半分になるとはなかなか厳しい状況のようである。その点では結果として退職して良かったのかもしれない。
ちなみに、今年秋頃に、同業の会社で業界ではトップシェアを誇る某企業が売却されるというニュースが報じられた。この売却劇には興味深いことがいろいろあるのだけど、さくっと売却されて終わりという感じではなく、現在進行形でいささかの混迷を伴っている点で、コロナ禍の影響はあれども、この手の事業はまだ市場価値があるんだなと思うわけである。
再来年の2025年は、会社設立25周年である。ぼくは在籍時に、5周年、10周年、15周年とメモリアルプロジェクトを担当してきたけど(20周年はコロナ禍の影響で中止)、25年、つまり四半世紀もの長きにわたり会社が存続できたことはやはりスゴいことだと思うし、まじめな社員たちの頑張りだったと思う。かつての同僚との遅ればせながら送別会的な飲み会を終えたぼくは、再び同僚たちと酒を交わすことはないのかもしれないけど、今や精神的にも物理的にも遠くなってしまった麹町、紀尾井町界隈にささやかながらエールを送りたい。
■音楽のこと
今年もサックスの演奏が楽しい1年だった。特に秋の市民サークル発表会に向けたアンサンブルの練習、一期一会的なラージアンサンブルの演奏が楽しかったかな。ラージアンサンブルでは、身の程知らずにもソロを志願してしまい、本番では緊張のあまり音が出ないという大失態を演じてしまったけどね。これからは目立ちたがり屋をやめて、大人しくしていようと思う。
今年の初め頃、新たに発足するというサックスアンサンブル団体の募集に応じて、久し振りに音楽団体の団員となった。ここではバリトンサックスではなく、アルトサックスを吹こうと決めていて、さきこからキャノンボール社製のアルトサックスを借りて、不慣れながらも月1回の練習に参加している。ただ、主宰者の方がどういう意向なのか、演奏会などの決まったイベントに参加する予定がなく、練習ではただその場で提供される楽譜を初見合奏するだけである。何か目的がないと、団員のモチベーションは維持できないと思うのだけどね。もしかしたら、誰かが言い出すのを待っているのかな?そして言い出したら、その人に運営を任せる・・・なんてつもりだったりして。ぼくは月に1回でもアルトサックスが吹ければいいので、これからも緩く参加するつもりである。ちなみに、主宰者の方は作曲や編曲もできる方なので、今後のためにもお付き合いを続けられたらと思う。
6月頃、デジタルサックスを購入した。
以前から自宅でサックスの練習ができる方法はないか考えていたんだけど、部屋を防音にする費用よりもはるかに安くできるので、思い切って購入に踏み切った。この購入資金を得るために、金管バンドで大変お世話になったコルネット(ヤマハ・XENOモデル)と深さの異なるカップをアタッチできるマウスピースセットを某メ○カリに出品して販売した。いつか吹くかもしれないと自宅に置いておいたのだけど、ふと思い立ち試しに吹いてみたところ、なんとまったく音が出なかったので、もはや金管楽器を吹くことは一生ないだろう、あったとしてもイチからやり直しになるだろうと思うに至り、手放す決心をしたわけである。ちなみに、銀メッキ製のトランペット(Bach)は黒ずみが酷いので、売却せず自宅に置いてある。
こうして手に入れたデジタルサックスだけど、非常に楽しい。自宅でも運指の練習ができるというのは、非常にありがたいし、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンと音色が揃っているので、他のパートを吹いて理解を深めたり遊んだりできる。
そんな様子を見たさきこは、ぼくが購入した翌週に何の躊躇もなくさくっと購入し、これでデジタルサックスは2台となった。ぼくの楽器の方は、楽器の先端に金色のカッティングシートを貼ってデコレーションしてみた。この色合いが非常にマッチしているので、とても気に入っている。本来の楽器とは異なり、パソコンのような精密機械なので、耐用年数はおそらく5年程度、3年もすれば劣化や老朽化が見え始めると思うけど、それでも充分価値のある買い物をしたと思っている。
11月に市民サークル発表会的イベントでサックス四重奏を演奏した。今回はいつかぜひ演奏したいと思っていた「歌劇メリーウィドウ」を吹くことができて満足である。あまり緊張しなかったとは言え、冷静さを欠いてテンポが乱れてしまったりしたけど、楽しい演奏ができたと思う。お客さんのウケも良かったので、満足である。
しかし、次の演奏ステージを検討し始めた頃、テナーサックスを担当してくれた方から、「アンサンブルを抜ける」との申し出があった。ショックだった。これまで一緒にアンサンブルをやってくれたことに感謝の念に堪えないのだけど、一方で来年11月の演奏ステージをどうしようかと今から頭を悩ませている。新たにテナーサックスを募集するか、いっそまりこさん、さきこと三重奏をするか、である。折しも先日まりこさんが高価なテナーサックスを購入したので、担当楽器(パート)の見直しなどを考えていく必要がある。
ちなみに、来年3月には演奏ステージが控えており、これに初めて五重奏で出演することになり、現在鋭意練習に励んでいる。
■ランニング、サイクリング、キャンプ、旅行
旅行以外の項目は、ここ数年と同様、まったくできていない。気持ちは高いのだけど、身体が付いてこないのか、サックスの練習に時間を取られていることを言い訳に、まったくできていない。数年前までは、この項目がもっとも記述が充実していたんだけどね。
旅行については、今年はお袋さんも連れて、さきこと名古屋・岐阜に旅行に行ってきた。
これは某N○K大河ドラマに戦国三傑が登場することを受けて、そういえば以前ぼくが出張にカコつけて岐阜城に行ったけど、さきこは行っていなかったなと思い至り、いい機会なので出かけてきたわけである。
そういうわけなので、巡ったのは主にお城である。名古屋城から始まり、清州城、岐阜城、犬山城、小牧山城と5つの城を巡ってきた。城巡りはこれまでほとんど経験がなかったものの、旅行に行くとたいていその土地のお城に立ち寄っていたので、いつの間にか城巡り遍歴が蓄積されており、そう思うにつけ、いっそ城巡りに特化した旅行にしようと思ったわけである。名古屋城は改築工事やエレベータの設置などで中に入ることができず、また何度か訪れていることもあって、その巨大さに反して大きな感動はなかったな。一方で岐阜城は高い山の上にあるので、見晴らしが良く、吹き渡る風がとても気持ち良かった。犬山城は川面に映る姿が印象的だった。城巡りは非常に楽しいものである。
また城巡りに加えて直前になってスケジュールに追加したのが、伊吹山へのドライブである。出張が多かった頃、山頂に雪をいただく様子を新幹線の車窓から見ていたんだけど、その山頂付近まで続くドライブウェイが人気があり、また自転車で上るヒルクライムイベントがあったりして、実際どんなところか見てみたいと思っていた。
そして実際に行って非常に感動した。詳細は当時のブログを参照いただくとして、ドライブウェイの道のり、山頂付近の駐車場から山頂までの登山、山頂から臨む琵琶湖の眺め、自然豊かな森に住まうシカなど、最近では経験のなかった感動である。また、老齢のお袋さんが頑張って山頂まで登山したのがスゴい。伊吹山は百名山のひとつであり、山頂付近の駐車場までクルマで到達したぼくたちは百名山を登ったとは言えないけど、それでもお袋さんが百名山の山頂の碑の前に立ったというのは、ちょっと感動だった。まだまだ元気なお袋さんの可能性を感じたものである。
来年はどこかに旅行に行けるだろうか。
■ネコネコライフ
ネコたちは相変わらず元気である。しかし、先述の8月に岐阜に旅行に行った際に、ぼくもさきこもお袋さんも丸1日家を空けてしまったことが原因か、フクくんが体調を悪くして、便秘が酷くなり、食事をしなくなり、食べても吐き戻すという症状が続き、病院で診てもらうことになった。ほどなく元気になったけど、恐らく過度なストレスがかかったためだと思う。一泊二日でこれだから今後は長期旅行はできないかなー。
コウくんは、慢性的な鼻炎である。調子がいい時もあるし、悪い時もある。鼻がずびずびする時は、獣医からいただいている目薬を差すと症状が緩和されるのだけど、コウくんを力づくで押さえつけて目薬を差すのは、何度やっても可哀そうで忍びない。とは言え彼自身、目薬によって鼻の通りが良くなることは理解しており、嫌がるコウくんを押さえつけて目薬を差した直後でも、ぼくやさきこを怖がって避けることもなく、普段通り接してくれる。目薬は嫌だけど何かいいことをしてくれているという理解はしてくれている感じである。
そんなコウくんだけど、夜になると決まって牛乳を飲みたがる。ぼくが冷蔵庫から牛乳を取り出して、腰に手を当ててごきゅっごきゅっと飲んでいると、横でニャーオと鳴くので、牛乳を小皿に入れて差し出すと、なかなか豪快に飲み始める。本人はごきゅっごきゅっとやっているつもりなのだろうか。ちなみに、牛乳と同じ乳製品であるチーズも大好きで、さきこがさけるチーズを食べていると、口元まで顔を寄せてねだってくる。乳製品を消化できる酵素は、生まれたばかりの動物にしかなく、乳離れしたのちは、乳製品を飲んでもお腹を壊してしまうのだそうな。ニンゲンは長い酪農の歴史から、大人になっても乳製品を消化できるように変化したそうだけど(ニンゲンの進化が目に見える事例である)、なぜコウくんが乳製品を食べても平気なのかは不可解である。また、同様に消化酵素を持っていないハズの海苔をフクくんが好んでパリパリ食べているのも不可解である。かわいいんだけどね。
彼らにはこれからも長生きしてほしいものである。
■さきこのこと
今年も大病をせずに健康に過ごせたかなと思っていた秋、さきこに立て続けに災難が襲った。
いずれも通勤中のデキゴトだそうだけど、歩行中にスマホを確認した際に、前方を徐行していたトラックが急停止したため、その積み荷の木材の角がさきこの顔面に当たってしまった。幸いにして目の直撃は免れたけど、あと数センチほどズレていたら目を直撃したと思うとゾッとする。
また、前述のとおり、ある日の通勤中に段差に足を取られて転んでしまった。とっさに手が出たものの、この衝撃で首や肩に痛みが残ることになってしまった。足もくじいていてふくらはぎが打ち身のような感じになってしまった。この首や肩への痛みは長く続き、腰にまで影響したそうな。以前であれば転倒程度でこれほど影響は出なかったけど、やはり寄る年波には勝てないということだろうか。いずれも現在勤務している新木場のオフィス近くで起こったデキゴトであり、同僚たちとは風水的に良くないのでは?なんて冗談のように話しているけど、ともかく身の安全には気を付けてもらいたいものである。
また、長いこと裸眼で過ごしてきたところ、片方の視力の低下が顕著になっていて、いわゆるガチャ目になっているようである。視力の維持のためにも、ぜひ眼鏡をかけてほしいのだけど、眼鏡のツルが耳にかかるのが嫌のようである。首から上に着けるアクセサリーは、ネックレスもイヤリングもほとんどしたことがないさきこだから、眼鏡をかけるのにかなりの違和感があるのは分かるけどね・・・てか、マスクは毎日のように装着しているな。
■絵なぞのこと
相変わらずである。iPadでカキカキし、これをSNSにアップして、その反響に一喜一憂している。なかなか上達しないけど、まあこれは精神安定剤みたいなものなので、焦りなどはまったくない。絵なぞを書いている時がもっとも楽しい時間なのである。
ちなみに、今年は絵などを中心にしたアートの展示会「デザインフェス」を初めて訪れた。超絶的に上手い作品もあれば、理解が困難な作品もあって、右脳に対していい栄養になった。さきこも主に立体造形に強く興味を示し、出展者と楽しい会話をするうちに、1個数万円もするオブジェをうっかり買ってしまうところだった。ぼくは気に入った絵なぞの絵ハガキを購入した。これは今も自室に飾っている。展示期間中に大きな壁画を完成させるというパフォーマンスなども鮮烈に記憶している。これはぜひ来年も行ってみたいかな。できれば、夏と冬に開催しているコミックマーケット(コミケ)にも行きたいのだけど、夏は暑くて体調が不安だし、冬は短い年末年始休暇のために時間が確保できず、行きたくても行けないんだけどね。
いつかこういう展示会にぼくの絵なぞも出店できるくらいには上達し、また自信が得られればいいなと思っている。
■世の中のデキゴト
ここ1、2年のことだけど、これまで厚い壁に阻まれて現状打開できなかった従来から続く強いシガラミや悪習的な慣習が打ち砕かれるデキゴトが見受けられた。
昨年のことだけど、元首相の安倍晋三氏が暗殺され、殺害の動機解明の過程で某宗教団体の問題が大きく注目されるようになり、そのムーブメントは今年も継続、今年の後半にはついに某宗教団体の解散をお役所が裁判所に申請したというところまで進展した。要人暗殺のようなテロリズムは如何なる理由があっても賛同はしないけど、あの凶弾によって、教団(宗教団体)が倒れるかもしれないと思うと、歴史が動くその時にぼくはいたんだなとしみじみ思う。
歴史が動くという点では、まさに現在も熱い展開が現在進行中である「ジャ○ーズ問題」が今年もっとも大きなトピックだと思う。多くの男性アイドルが所属するジャ○ーズ事務所の社長であった故ジャニー氏が、数十年にわたり所属アイドルやまた入所前の段階(お試し期間的な?)の少年たちに性的暴行をおこなっていたという話しである。これは以前からマコトシヤカ・・・というか裁判で事実認定がされるレベルまで確定した事件だったにもかかわらず、被害者の声は長い間もみ消されていた。これを英BBC放送が大々的に取り上げ、少年への性加害に敏感な先進国を中心に大きな話題となり、ついにもみ消せない状態になったのか、ジャ○ーズ事務所がおおむね事実を認めるという展開である。事務所ぐるみで性犯罪に加担していたという点を踏まえて、各テレビ会社では新規のジャニーズ事務所のタレントを番組で起用しない旨を公表、その影響でもはやジャ○ーズの看板がなくても仕事ができるような実力派のタレントが続々と事務所を退所している。
ジャ○ーズ事務所による性犯罪が明るみに出るという、1年前までは想像もつかなかったようなデキゴトが今年発生したわけである。来年もこの話題は引き続いていくだろうけど、まさに日本芸能史における大きな動くを目撃することになるだろう。
ちなみに、先の宗教団体の件もジャニーズ事務所の件も、似たようなことは他の団体にもあったハズである。あたかも特定の宗教団体、特定のタレント事務所だけが問題だったというわけではないと思う。その点では、本当は未だに泣き寝入りを余儀なくされている立場の人は少なくないんだろうと思うわけである。こういった理不尽が今後も続々と出てきて、泣き寝入りする人がいない社会になればいいなと思う。さて、日本で長く続くこういった悪習をなくすことはできるのだろうか。
厚い壁がついに打破されるという事例では、この年の瀬になって大きな話題になっているのが、自動車メーカーの某ダ○ハツ社による品質不正問題である。特定の車両の品質検査における不正を告発する社員の内部通報から発して、その影響はどんどん広がっていき、ついにはダ○ハツ社の製造する車両のすべてが不正の対象となってしまった。不正は30年以上にわたって続いていたそうだから、まさに厚い壁が一人の内部告発によって怒涛の崩落に繋がったわけである。いや、これはスゴいことである。ぼくは内部告発制度にさほど大きな力はないと思っていたけど、世の中は変わったものだなーと思うわけである。
■来年に向けて
さて、いよいよ今年も終わりに近づいた。
来年はどういう年になるだろう。ここ数年続いた仕事絡みの波乱は、そろそろ収まってほしいところである。その点では、まずは仕事については、現在の業務で自身のポジションを確固とすることである。小企業とは言え、それなりに悪くない会社なので、どこまで続けられるか、そろそろ近づいてきたリタイアの年齢も見据えつつ、考えていきたい。
音楽については、現在の活動を続けていきたい。目下のところは、メンバー減少の問題をどうするか考えないといけない。最近は寝ても覚めてもこのことばかりを考えて、でもなかなか妙案が出ないのだけど、いずれにしても来年11月の演奏に向けて、何らかの対応を考えていかないといけない。
一方でランニングやサイクリングはひとまずお休みである。あまり気負わないで、できる範囲で健康維持のための運動を続けていければと思う。
旅行については可能であれば、どこかに行きたいものである。お袋さんもそうだけど、さきこの実家の両親にも何かできればと思っている。住み慣れた世界から離脱して、見知らぬ世界を垣間見たいと思う。
ネコたちとは来年以降も仲良くしていきたいな。ぜひ長生きしてほしいものである。
絵なぞについても、同様に長く続けていけるようにしたい。今年のように展示会に行けたらいいなと思う。
さきこもぜひ健康に気を付けてほしい。以前のように婦人科系の病気により悩まされることはなくなったけど、これからのことを考えて健康でいてほしいものである。
ちなみに、健康面で言えば、顕在化はしていないものの、ぼくの健康にも充分配慮したい。そのために痩せる必要があり、そのためにランニングを始めたんだけどね。今や毎月のようにランニングイベントに参加していたのが懐かしいわ。
そんなわけで、長くなったけど、以上が今年の回顧録である。
※とてもいい楽器である。
ところで、マウスピースの選定が終わり、まりこさんが店員さんと購入手続きをいろいろしている間、手持無沙汰な状況を察してか、店員さんから「何か楽器を試奏してみます?」と申し出があった。たぶん、店員さんはさきこに向かって声をかけたようなんだけど、思わずぼくが「じゃ、ヤナ○サワ社製のシルバー○ニックを試奏させてください」と口を挟んでしまった。
ヤナ○サワ社製最高のモデルを試奏するチャンスを得た。
吹いてみて驚いた。
吹き心地が軽い。芯の通った太い音が出るのに、過度な重厚さを感じさせず温かい音がする。キラキラしたブライトさは確かにあるものの、ぼくの持っているブロンズ製の楽器よりはキラキラ感は抑えられている感じ。大きな音も小さな音も無理なく出すことができ、ビブラートの反応もいい感じである。これはいい楽器である。
以前、とあるアンサンブルの楽団でバリトンサックスの方が持っていたセル○ー社製の銀製モデルを吹かせていただいたけど、非常に重厚感のある音がしたものである。しかし今回試奏したシルバー○ニックは、音に厚みはあるものの重々しさをまったく感じさせない。これは大きな違いである。
この音色はまさにぼくが鳴らしたかった音である。そうだ、ぼくはバリトンサックスでこういう音を出したかったんだ。
いやー困った。欲しいけど、あまりにも高額で手が届かない。たしかぼくが乗っているクルマ(ホンダN−バン)とほとんど同じ金額である。ぼくがこれを手に入れることがあまりにも非現実的過ぎて、欲しいなーと思ってはいるものの、一方で物欲が激しく揺さぶられる感覚はまったくなかった。高額過ぎて手が届かないと逆に冷静になるんだね。
まあ、銀製の楽器は表面が酸化して黒ずんでくるので、メンテナンスが大変だもんな。年に数回ほど市民サークル発表会などで吹く程度のぼくは、役者不足と言わざるを得ないからね。
ちなみに、銀製の楽器が非常にいい感じであることが、まりこさんの銀メッキのサックス、試奏したシルバー○ニックで分かったので、より現実的な物欲がむくむくと首をもたげ始めている。それは、銀製のネックである。楽器本体とマウスピースを接続するネックというパーツがあるのだけど、これは楽器の音色にもっとも大きな影響を与えるパーツである。これを銀製のものに変えたら、試奏したシルバー○ニックほどではないけど、これに近い音色を得ることが可能かもしれない。通常は4万円程度で購入できるネックだけど、銀製のネック(スターリ○グシルバー)は7万円以上もの高値である。この程度なら頑張って貯金して購入できるかもしれないね。
※こ、これは・・・!と思いながら試奏するぼく。
そんなわけで、まりこさんに付き添って銀メッキのテナーサックスの音色に触れ、また銀製のバリトンサックスを試奏させていただき、思わずぼくも銀製のサックスに強い興味を持つようになった週末であった。
]]>※SNSに表示されたスポーツジムの情報。
これは非常にローカルな話しなので、同じ横浜在住の人でもこの異常さにピンと来ない人は多いと思う。しかし、京急・弘明寺駅と地下鉄・弘明寺駅は互いの距離が、600メートルも離れていると聞くとどうだろう。600メートル離れた場所にある両駅からそれぞれ徒歩2分とはどのような位置関係なのか。それが両駅の中間地点だとしても、それぞれ300メートルである。時速4キロで歩くと仮定して計算すると、300メートルは4分30秒ほどかかる計算である。よほどの健脚でないと、300メートルを2分では到達できないだろう。これができるのは、時速9キロで歩く・・いや走れる人である。1キロ当たり約6分以下の速度でのランニングである。まあ、スポーツジムに行こうという人だから、1キロ当たり6分なんてウォーミングアップみたいなものかもしれないけど、普通に考えて、広告に掲載する際の徒歩としての所要時間の表記としては相応しくないと言わざるを得ない。
このスポーツジムのアクセスの記載に強い違和感を抱いたぼくは、「京急・弘明寺と地下鉄・弘明寺のそれぞれから2分にある場所ってどこだろう?」と思い、ホームページに記載されたスポーツジムの所在地をグーグルマップで確認してみた。
記載された住所によると、両駅の中間地点どころかその逆で、京急弘明寺駅から地下鉄の駅に向かうのとは逆の方向に2分ほど行ったところだったのだ。京急・弘明寺駅からはたしかに2分程度の距離だけど、地下鉄・弘明寺駅からは、2分どころか10分くらいかかっちゃいそうな場所である。
つまり、この広告の記載は誤りだったのだ。
それにしても、なぜそんな誤りが起こったのだろう?
その原因は想像するしかないのだけど、たとえばこの広告を作った人って、弘明寺と名の付く2つの駅が600メートルも離れていることを知らなかったんじゃないだろうか?
世の中には異なる鉄道路線で同じ駅名にしている駅がある。横浜もそうだし、品川もそうだし、渋谷もそうである。しかし、巨大なターミナル駅においては、駅舎自体が巨大なので路線の間の距離がそれなりに離れていても違和感はない。しかし一度駅舎の外に出て、さらに数分も歩く場所に同名の駅があるという事例はさほど多くないように思う。そしてそういう場合は、分かりやすいように路線名を冠する場合が多い。たとえばJR線の「川崎駅」と京急の「京浜川崎駅」、JR線「蒲田駅」と京急の「京急蒲田駅」である。(鉄道に詳しくないので、京急でしか例が思いつかないのだけど)
その理屈から考えると、京急の弘明寺駅は「京急弘明寺駅」となっていても良さそうなものである。
しかし、実際には2つの駅が離れているのにまったく同じ駅名というのが弘明寺という稀有な事例なのである。稀有だからこそ、土地勘のない人にとっては、両者は駅舎を共有していると勘違いさせてしまうのだろう。まあ、今回のスポーツジムのように全国に店舗を展開しようという企業であれば、出展する場所の地図くらいは見ておくべきだし、地図を見れば一目して両駅が離れているのは瞭然なのだから、土地勘がないなどの言い訳は通じない、担当者の単純なミスである。
※ちなみに、ブルーラインとの表記もなんだか違和感である。たしかに正式な路線名ではあるものの、たとえば東京メトロ・有楽町線を単に「有楽町線」と表記し、「ああ、地下鉄のことね」と言えるほど、浸透した名前ではない。この記述の仕方にもなんとなしに「やっつけ感」が漂うのである。
しかし、この事象によって、地元の住民、さらには京急や地下鉄の運行会社に「やはり離れたところに同名の駅が存在するのは不便だな」という思いが起こり、これが発展して、京急や地下鉄が駅名を変更するという事態になるのは、個人的にはいささか望ましくないように思う。両駅が離れているなんて、もう何十年も前から続いていることなわけだから、いわばそういう「理屈では割り切れないこと」も地元の歴史として刻んでおいてほしいなと思うからである。
むしろ何十年も前から続いていることだから、たかだかスポーツジムのホームページの記載ミス程度が影響を及ぼすことはないとは思うんだけどね。
それでは、弘明寺のふたつの駅名に関する何十年、いや100年以上にわたる歴史を振り返る。
「弘明寺駅」はその名の通り、お寺の名前が由来である。時は西暦721年、インドの僧侶がこの地に結界を創ったのがはじまりで、その後737年にこの場所に観音像が安置されたという、横浜でもっとも古い歴史を刻む寺院なのである。いや、721年といえば奈良時代の初期であり、平城京とか古事記とかの時代である。来年2024年のN○K大河ドラマは紫式部が主人公だそうだけど、それよりも数百年も昔だからね。そんな昔から存在していたのだからスゴいわ。
そしてその弘明寺の駅のそばを通るのが京急である。開通当時は湘京急の前身である南電気鉄道という会社で、線路敷設の際には、今より広大だった弘明寺の敷地内を通る形になったそうである。
だから、弘明寺という名と鉄道の関係性でいえば、地理的に近いのが京急の弘明寺なのである。
しかし、である。
実は弘明寺を駅名として採用したのは、京急が最初ではない。横浜電気鉄道、その後横浜市交通局が運営することになる市電、つまり路面電車が、弘明寺門前の商店街と鎌倉街道が接する場所に、停留所として「弘明寺」を設置したのである。大正3年(1914年)のことである。これは湘南電気鉄道社が弘明寺の脇に鉄道を敷設するよりも16年ほど早いことである。
そして、市電が横浜市交通局の運営に移った後も、その停留所の呼称は「弘明寺」で変わらず、さらに昭和47年(1972年)に市電に代わる新しい交通手段として地下鉄が開業し、市電の停留所と同じ場所に駅を作り、これが市電の停留所と同じ「弘明寺」になったわけである。
既に弘明寺という市電の停留所があったにもかかわらず駅名を「弘明寺」とした湘南電気鉄道(京急)、運営母体は同じ横浜市であるものの、市電から地下鉄という輸送機関の大々的な転換があったにもかかわらず「弘明寺」という停留所の名称をそのまま地下鉄の駅名にした横浜市交通局、駅名を検討する機会はあったのに弘明寺の名を変えなかったところに、なんだか互いに譲れない駅名に対する思いの強さのようなものを感じる。先ほどのスポーツジムの記載のミスという過失ではなく、(用法は間違っているけど)確信犯的な動機を感じる。
そうであれば、そんな頑なな思いはどこまでも貫いてほしいものである。スポーツジムのホームページを作成する人がうっかり犯したミス程度で駅名を変更することの内容にしてほしいと思う。地元の人でない人がいくら声をあげようとも、2つの弘明寺駅はいつまでも残ってほしいと思う。それこそ、世界中の人が「オウ、同ジ駅名ハ、ヤヤコシーデース!」とか声をあげても、ね。
ちなみに、この記事を書くにあたって参考にした地元の情報サイト「はま○ぽ」によると、地元の人への聴き込み調査について、「離れた場所に同じ駅名があるのは不便ではないか?」との問いに「まったく不便に感じない」としれっと答えた人の数が圧倒的だったというのは、なんだかうれしくなってしまう。
さて、例のスポーツジムの弘明寺店のアクセス記載は、現在もなお修正されていない。
恐らくまだミス表記に気づいていないのだろう。そして、相当の時間が経った時、かなり致命的なミスしていることに気づくだろう。そして、それにもかかわらず、登録会員になっている地元の人から何らの指摘も苦情もなかったことに、かなり驚くだろう。
どうしてこれほどのミスがありながら、混乱が起こらなかったのだろう・・・?
そして、長い歴史に裏打ちされた地元の人だけの「不文のお約束」を知ることになるわけである。
保土ヶ谷バイパスを東名高速道路・横浜町田ICの手前で左折すると、物流会社が立ち並んでいる。さらにこれを過ぎると、畑が多くみられるようになる。瀬谷区は畑が多いようである。高い建物がないので、空が広い。
幹線道路の下をくぐる狭いトンネルを抜けると、畑ではないだだっ広い土地が遠くまで広がっていた。ここが上瀬谷通信施設跡地である。施設・・・と言えば、たしかに数百メートルほど先に2、3階建ての古い建物が見えた。なんとなく外国の雰囲気を醸していたので、これが通信施設なのだろう。その周辺は、かつては芝生で広く覆われていたと思われる広大な空き地である。ところどころ背の高い葦が生えており、また土地は平坦ではなくて若干の起伏が見られた。米軍から返還された後、横浜市の土地となったものの、何かのために利用されたことのない何ものでもない土地。まさに空き地である。あまりにも広大な空き地だけどね。あまりの広さに唖然としてしまったわ。
※広大な土地をパノラマカメラで撮影してみた。うまくいかなかったけど、とりあえずその場の雰囲気は分かるかな。
そんな場所で2027年に国際園芸博覧会が開催され、その後、何らかのテーマパークになるのだそうな。今回、実際にその場所を訪れてみて、この場所で何らかのテーマパークができるというのは、やはりどうしても非現実的に思えてしまう。市長とかお役所の人はどこまでホントに本気でやるつもりなのだろうか?
荒涼とした広大な空き地のただ中に立ち、ここに煌びやかなテーマパークができることが、改めて不思議に思えたわけである。
ちなみに、瀬谷区は丘陵の多い横浜市のもっとも西側にあり、さらにその先の街にはさほど丘陵が多いわけではないので、丹沢の山々がとても近くに見える。そして、丹沢の稜線が低くなったその向こうに富士山が姿を現わし、しかもその裾野の威風堂々とした広がりまでもが美しく見えるのである。これはぼくの自宅から見える富士山とはまったく違った富士山の姿である。某Goo○leマップによれば、そこは「富士山ビュー」というポイントだそうで、近くを通るついでにその地点に立ち寄ってみたのである。いや、既に日没後だったのが悔やまれるほど、美しい富士山を見ることができた。
これほど美しい富士山が見えるのであれば、ぜひ住んでみたいものである。しかも相鉄線は東京まで直通運転をしており、ダイヤにもよるけど、通勤が非常に楽になるハズである。きっと若い子育て世代には、ぴったりの場所になるだろうな。そういう意味では、未来への可能性を感じさせる光景でもあった。きっとこれからとても賑やかな街になっていくんだろう。なにしろ周囲は畑である。畑が住宅地に転化していくのを今までも見てきただけに、この辺りが住宅地に変貌していく未来が容易に想像できたのである。
しかし、そんな新興住宅地の近くに、テーマパークは不釣り合いである。しかも、それが集客が覚束なくて経営赤字のテーマパークだとしたら、みらいがそこにあるとしたら、なんだか非常に違和感なのである。そして、横浜市は似たような経験を「横浜ドリー○ランド」で経験してきたとも思うわけである。
※畑の向こうに丹沢の山々とその向こうに富士山が見える。
※富士山のアップ。
上瀬谷米軍施設跡地を訪れ、また周囲をクルマで走る中で、圧倒的に美しい富士山の景色に出会い、未来への可能性を感じた中で、改めてテーマパークのことを思うにつけ、やっぱりテーマパークは再考するべきだと思うわけである。いっそ広大な公園でもいいんじゃないの?どうせもともと米軍に接収された土地でおカネなんて1円も生み出していなかったのだから。
]]>
そんなある日、時間を持て余していたぼくは某グー○ルマップで、高知県の市街を散策していた。いつか高知県に旅行でも行きたいなーと思いつつ、市街の様子を何気なく見ていたのである。
そんな時、目に飛び込んできたのが「横浜ニュータウン」の文字である。住所を確認すると「高知市横浜」とある。高知県に横浜?
いや、実際に住んでいる方には申し訳ないのだけど、高知県に横浜があるのをぼくは知らなかった。しかも、マップ上には横浜の文字を冠した表示が多く、横浜ニュータウン以外にもバス停の名前やクリニックの名前に横浜の文字が表示されている。いや、その住所が横浜なんだから横浜という文字を冠してもなんら問題はないのだけど、なんかこう「ここは横浜だぞッ!」とあえて「横浜」を主張している感じが強くするのだ。いや、いいんだけどね。
ちなみに、そこまで横浜を主張するのだから、路線バスの「横浜」停留所はさぞ横浜を大きく表示しているかと思ったら、意外にもこぢんまりと「横浜」と書いてあるだけだった。
しかし、ここもひとつの横浜である。この風景も横浜のパラレルワールドと思うと、なんだか興味深いものである。
※高知市にある横浜のバス停。この周辺には、横浜と名の付くバス停が点在している。
※新興住宅地的な界隈の中にどどんっと「横浜ニュータウン」の文字。なんか新鮮だわ。
高知市の横浜を散策しているうちに、「日本には横浜の地域名がどれくらいあるのだろう?」と思うようになった。インターネットで調べると、青森や高知以外にも北海道厚岸(あっけし)郡、島根県松江市、広島県安芸郡、福井県敦賀市、山口県周南市、石川県河北郡、福岡県福岡市と9道県に横浜の地名があった。冒頭に書いたとおり、字面だけ見ればありふれた名前なので、考えてみれば当たり前なのだけど、これほど多くに横浜の地名があるとは思わなかった。
横浜市民は横浜市こそ日本で唯一の、いや世界で唯一の、つまり宇宙にひとつしかない「横浜」だと思っているだろうけど、そんなことは全然なかったというわけである。横浜の人が県外の人から「どこから来たんですか?」と聞かれると「神奈川です」とは言わず「横浜です」と答えることは今やかなり有名な話しだけど、たとえば高知市に旅行に行ったとして、「どこから来たんですか?」と聞かれ「横浜です」と高らかに言い放ったとしても、「あら、随分と近所から来たんですね」ってことになっちゃうわけである。
ところで、先にあげた横浜の地名を持つ自治体の中に、ぼくが行ったことのある場所がいくつかあった。
たとえば、横浜町がある島根県松江市は、以前勤めていた会社の事業所があった関係で何度も訪れているし、その地域内を走る道路はクルマや自転車やあるいは徒歩で歩いたことのある場所である。交差点の名前までばっちり憶えているのだけど、残念ながら信号機には横浜の文字はなく、そこが横浜だったことはまったく知らなかった。ここは浜と言っても、海に面しているわけではなく、宍道湖という湖に面しているんだけどね。
また、福岡県福岡市西区にある横浜は、その地を歩いたことはないけど、非常に近い場所を通る高速道路をクルマで走ったことがある。同様に北海道厚岸郡にある横浜は、まあ広大な北海道なのでさほど近くではないものの、厚岸は根室から釧路に向かうバスで通ったことがある。あれほど雄大な自然の中に横浜があるというのも、ちょっと意外である。
※ちなみに、厚岸郡にはルパン三世の作者の出身地であることから「モンキー・パンチ・コレクション」なる施設があって、施設内にはチンクェチェントが展示されているようである。極寒の北海道にチンクとは、なかなか妙味なマッチングである。
https://www.hamanaka-lupin.com/mpcollection/
※施設のURLを貼っておく。いつか訪れる日は来るだろうか?
ふと地球儀を思い出す。球体が陸地と海に分けられ、陸地の方には国名とか国境などが書かれるほか、その国の首都や主要都市の名前も記載される。日本の首都は東京なので、地球規模で考えればわずか20キロ程度しか離れていない横浜はほとんど首都と一体化しても不思議ではないのに、それでも「横浜(YOKOHAMA)」の文字は記載されている。これが横浜市民の自尊心を高める根拠のひとつなんだろうけど、神奈川以外の横浜に住む人たちは、この地球儀を見てどう思うのだろうかとふと思うわけである。
そんなわけで、神奈川県以外にある横浜の地を巡る話しを書いた。
「神奈川以外に横浜があるのか」とか「ペリーが来航しなかったもうひとつの横浜」みたいな発送をする辺り、「横浜は唯一無二」みたいな発想が根底にあると思うわけで、それは全国にある9つの自治体に住まう横浜居住の方々に大変失礼な話しであり、ここは思いを改めないといけないかなと思う。
今後旅行でどこかの横浜に行くことがあるかもしれないけど、うかつに「横浜から来ました〜」とか言わないようにしないとな。
まず、会社にある複合機でコピーを2枚印刷する手順を列記してみる。
?複写したい原本を複合機のスキャン面に置く。
?コピー枚数を「2」に設定して、複合機のスタートボタンを押す。
?複合機が原本をスキャンして、これが白紙のコピー用紙にに印刷される。
?排紙トレーに複写された紙が出てくる。
だいたいどこのメーカーの複合機でも、概ね上記のような手順で進むハズである。ビジネスにおいては極限まで効率化を進める必要から、たとえ2枚のコピーをとる作業であっても、無駄な動きをしないで済むように、動作は最小限に、かつどのメーカーも似たようなプロセスで作業ができるように自然と収斂したのだろう。
これは、複合機を使うユーザー層がビジネスとは異なるコンビニの世界においても同様だと思っていた。つまり、世の中の複合機はどれも同じような手順で操作されるものだと思っていた。例えば、会社で乗る社有車とプライベートで乗る乗用車の運転の仕方に違いがあったら危険である。正確性、効率性、安全性などを考えれば、何に乗っても操作方法は同じであり、これは複合機においても同じ、当然の理屈だと思っていた。
しかし、である。
今回訪れたコンビニの複合機は、操作方法がかなり違ったのだ。おかげでぼくは大きく戸惑ってしまうことになる。
手順を書き出すとこんな感じである。
?複写したい原本を複合機のスキャン面に置く。(これは先の手順と同じ)
?表示された画面で、モノクロ印刷かカラー印刷かの選択、濃さ、倍率、出力用紙を選択する。
(ここで、「枚数の設定」がないことに注意)
?スタートボタンを押して、スキャン開始。(複合機が稼働しスキャンを始める)
?画面にスキャン結果が表示され、ここで枚数設定をして、再度スタートボタンを押す。
?複合機が稼働し、スキャンしたデータを印刷する。
?排紙トレーに複写された紙が出てくる。
これはわざとマドロッこしく書いているわけではない。オフィスにある複合機との違いは、枚数を設定するタイミングとスタートボタンを押す回数である。枚数設定は、複合機がスキャンをした後、スキャンデータが画面表示された際におこなうことになっており、またスタートボタンは、スキャンを開始する時と印刷を開始する時の2回押すことになっている。
これは、オフィスの複合機とは操作方法が大きく異なっている。オフィスの複合機はスタートボタンを1回押すだけで、スキャンと印刷が同時でスタートするのに対し、このコンビニの複合機ではスキャンと印刷が分かれていて、それぞれにスタートボタンを押すことになっているのだ。
これは二つの意味で非効率である。ひとつ目はオフィスの複合機の操作方法に慣れているビジネスマンが陥る非効率さである。ぼくも含め彼らはスタートボタンを1回押せばいいと思っているわけで、この複合機特有の操作方法に気づくまで、排紙トレーに紙が出てこないことに戸惑い、無為な時間がいたずらに過ぎてしまう。つまり時間の無駄、非効率である。画面には丁寧な説明表示が書かれているので、これをキチンと読めば正しく操作できるだろうけど、冒頭で書いたとおり、ぼくはアンサンブルの練習に行く途中で、気持ちが少々急いていた。そんな状況では、画面をキチンと読むことはあまりないだろう。
ふたつ目は、やはりスタートボタンを2回押すという操作手間による非効率である。オフィスでは1回で済んでいたスタートボタンの操作がなぜコンビニでは2回になっているのか、この非効率に気づかないわけではあるまい。むしろ、スキャンも印刷も実行してOKだからスタートボタンを押しているこちらにすれば、「印刷していいですか?」と聞かれること自体がマドロッこしいし、時間のロスなのだ。
つまり、このコンビニの複合機は、非効率な機械ということである。
メーカーを見てみると、思ったとおりである。
複合機のトップメーカーと言われるキ○ノン、リ○ー、ゼ○ックスではない。トップメーカーと差別化を図りたい4位以降のメーカーは、いろんなことを考えるものである。いろんなことを考えすぎて、結果的にユーザビリティが下がる結果を招いているという感じだろうか。
※ちなみに後で調べてみると、このメーカーは世界シェアでは第4位であった。あとで述べるけど、結果として世界4位になるほどのユーザビリティがこのメーカーの機械にはあったということだろうか。
それにしても、どうしてこのようなマドロッこしい操作の複合機が存在するのだろうか?
使いにくくてユーザーからクレームが来ないのだろうか?そもそも複合機の操作手順は、かなり昔から固定化されているのに、あえて今、非効率な操作方法の複合機を開発したのだろうか?
この操作方法で得をするのは誰だろうか?
きっと何か意味があるハズである。コピーを終えて、クルマに乗っている際、ぼくは考えを巡らせてみた。
スキャンと印刷が別の操作になっているということは、スキャンした時点でその先の動作をキャンセルができるということである。画面にはスキャン結果が表示されるわけだから、これを見て、もし意図したようなスキャンができていなければ、そこでキャンセルし、もう一度やり直すことが可能である。スキャンには課金されないから、意図したとおりのスキャンができるまで何度でも繰り返せるし、意図したとおりのスキャンができたところで、枚数を設定し印刷を開始すれば、コピーミスをなくすことができる。
そうである。この操作方法の目指すところは、コピーミスの削減だったのだ。
思えば、コンビニのユーザーはビジネスマンだけではない。むしろ近隣住民、最近の高齢化社会の影響もあって、機械操作に慣れていない高齢者がコピーをしたいという場合も少なくないだろう。操作に不慣れなので、濃さや倍率、紙のサイズなどの点で、設定が行き届かず、結果として正しくコピーできない場合がある。従来の複合機では、スタートを押すと、スキャンと同時に印刷がかかってしまうので、排紙トレーに出てきた紙を見て、コピーミスに気付いても、その時点では既に課金されてしまっているのである。意図したとおりのコピーをするのに、何枚も何十枚も無駄なコピーをしてしまう場合もあるだろう。本来ならモノクロ印刷1枚で10円程度のおカネで済むところが、何十枚もコピーミスをして、数百円も浪費してしまうかもしれない。
そんな大量のコピーミスを前に、店員さんを呼びつけ、返金を求める人もいるかもしれない。いや、コンビニの売上を考えれば、そこで返金したところで数百円程度の損失はあまり痛手ではないかもしれない。一方でむしろ、コピーミスした人が店員を呼びつけ、意図したとおりのコピーを店員に対応させている時間の方が、コンビニにとってははるかに痛手だろう。コピーミスをしたお客さんに応対をしている間、レジ対応をはじめ、コンビニ運営の仕事が一切できなくなってしまうわけである。これこそコンビニには痛い非効率な状況である。
そうであれば、ユーザー側の多少の非効率は許容してもらって、ユーザーの誰もが意図したとおりのコピーができる環境を整える方がいいというわけである。誰もがコピーミスの憂き目から解放される複合機、メーカーが開発したのか、コンビニがメーカーに依頼したのか分からないけど、そういう複合機をあえて作ることにしたわけである。
だから、コンビニもメーカーも、日々の時間に追われ、コピーさえも急ぐようなぼくも含めた複合機の操作に慣れたビジネスマンは、最初から眼中になかったというわけである。
なるほど、やはりコンビニの考えることは一味違うものである。一見非効率な機械が、全体の効率化を実現するものだったわけである。まさに「木を見て森を見ず」だったわ。
ぼくもそのうち機械操作に追いつけなくなる日が来るかもしれないな。いや、腰の曲がったような老人が、コンビニでちゃっちゃかと手際よく操作している方があり得ない光景だろう。その意味では、スタートボタンを2回押すことにイラつくのではなく、将来のぼくのために今から高齢者に優しい複合機を用意してくれるコンビニに感謝するべきなんだなと思いいたるわけである。
]]>
プレゼントと言えば、実際にはぼくがプレゼントしたわけではないけど、先週末に横浜の家電量販店に行って、さきこがアップルウォッチを購入した。
以前はライフロガーを手首に巻いていたさきこだけど、ライフロガーが経年により故障して以来、手元で時刻やライフログを把握することができずにいた。今やランニングはおろか、歩くことも少なくなった中、ライフログを取得することに以前ほどの意味はないのだけど、スマホと連動することで、電話の着信やメッセージの受信などを手元でチェックすることができるのは、便利なことである。
ぼく自身はアップルウォッチを3年ほど装着しており、とは言えバッテリー容量が少なく、歩数のカウントはリアルタイムに表示されず、諸手を挙げて人におススメできるとは思っていないのだけど、腕時計もなくライフロガーも装着しなくなったさきこにはやっぱり便利だろうと思い、ちょっと覗いてみる程度の感覚で家電量販店を訪れたわけである。
当初は購入するつもりはさほど高くなかったさきこだけど、店で実物を手に取り、店員さんの話しを聞いて、急激に物欲が刺激されたようで、ほとんどその場で購入を決定してしまった。ちょっと覗いてみるつもりが、何の迷いもなく即断して購入に至り、帰りはアップルウォッチを携えて帰宅するという展開になったわけである。うん、ぼくが思っていた以上に、さきこには潜在的な必要性があったというわけだね。
しかし残念ながら、折しもクリスマスだというのに、ぼくが財布を開いて購入したわけではない。まあ、家計はひとつなので、ぼくが買おうがさきこが買おうが、結果的には何にも変わりはないのだけど、せっかくぼくが提案して購入に至ったのだから、ぼくが財布を開くべきだったかな。プレゼンテーションはしたけど、プレゼントはしていないというヘンテコな感じになってしまったわ。
※ちなみに、さきこが購入したアップルウォッチ・シリーズ9という機器は、ぼくが3年前に購入したものよりかなり進化しているようである。詳しくはないのだけど、話しによると、メッセージなどの受信を知らせる通知などは、親指とその他どれか1本の指をダブルクリックのように2回タップするだけで閉じるのだそうな。こういうギミックが楽しいんだよなー。
そんなわけで、12月に入り、クリスマスや大晦日、正月と、煌びやかな月が始まった。今年もいろいろあった年だったけど、やはりあっという間に過ぎるものである。今年の最後にはまた回顧録なんかを残しておこうかなと思いつつ、今年の残り3週間を頑張ろうと思う。
]]>
一方で、2025年の開催に向けて準備が進んでいる・・・とも言えないのだけど、「大阪・関西万国博覧会」もなかなかのおカネを使うイベントである。どうも11月末からチケットが販売されるそうで、ついに万博が実質的に動き出してしまった感じである。
しかし、国内には万博中止論を訴える人が多く、実際のところ莫大なおカネがかかるにもかかわらず、準備が順調とはとても言えず、たとえば各国が出展するパビリオンはその建築申請すらなされていない場合が多く、むしろロシアやメキシコなど出展を見合わせる国も出てきたくらいで(ロシアはウクライナ戦争の批判を避けるためのようだけど・・・って、2025年の万博開催の年辺りまで戦争を継続するつもりなのか?!)、つまり準備が全然追い付いていないのである。
この準備不足については、どうも「急げば間に合う」というデッドラインをとうに過ぎているらしく、「パビリオンは簡易的なプレハブ建てにするしかない」とか「複数のパビリオンが収容できる巨大なパビリオンを日本が作ってあげて、その中に区分されたスペースを複数の国が共同で使用する」なんて話しも出ていて、せっかく70年エキスポの再来を夢見ていたのに、なんだかとても残念な感じである。
また、開催が近づくにつれて予算がどんどん積み増しされていく展開は、東京オリンピックの時と同様で、もはやかなりの額を税金から投入しないとマズい状況のようである。ちなみに350億円ほどかけて築造される「大屋根」と呼ばれるリング状の木造の建造物は、世界最大の木造建築などと謳っているものの、会期が終了した後には取り壊されてしまうそうである。巨大な木材資源をふんだんに使い、さらに大金をかけて作られた建造物が短期間で打ち捨てられ、大量の廃材になるなんて、21世紀的イベントとはとても思えないんだよね。
そんなわけで、ぼくの住まう横浜からは遠い場所の話しとは言え、大阪・関西万博の開催には反対なのである。今からでも勇気をもって中止して欲しいと思っている。
しかし、チケットの販売開始のニュースに触れるにつけ、東京オリンピックのことを思い出す。
まだコロナ禍のコの字もないような時期、オリンピックの開催がまだ1年以上も先だった頃、ぼくは仕事の関係で、とある超大手旅行代理店の営業の方との打ち合わせに立ち会ったことがある。ぼくの勤める会社が旅行業の末席に属していたこともあって、販売チャンネルを多く持っておきたい旅行代理店から東京オリンピックのチケットの販売代理の話しが舞い込んできたのだ。こちら側の主担当の方は、部署は違うけど、長く会社に在籍していた同僚の女性で、時々冗談なんかも言い合う方だった。以前にもブログに書いたけど、スキルス性の胃がんで3年ほど前にお亡くなりになった。
この同僚がどうしてぼくを旅行代理店との打ち合わせに同席させたのか、今となってはイマイチ思い出せないのだけど、ともかくぼくは旅行会社の営業マンからの商談として、東京オリンピックを観戦するさまざまなチケットのラインナップを目の前に提示されたのである。そして、驚愕した。
詳しい金額は覚えていないけど、「開会式・閉会式・主要陸上競技を観戦するSランクの観客席」の値段は、ゆうに2000万円を超えていた。「開会式・閉会式」のセットだけでも、1000万円程度だったか。若干ランクは落ちるものの、現地、つまり国立競技場で開会式や閉会式を見るだけでも数百万円もの金額が表示されていた。
な、な、なんという高額さ・・・。
映画館で映画を観るのに1800円を支払うのを躊躇い、「まあアマ○ンプ○イムでそのうち見られるだろう」と思ってしまうぼくにとって、オリンピックの開会式、閉会式という世紀のイベントだとは言え、たった数時間ほどのイベントに数千万円を出す勇気はないわ。主要陸上競技観戦とかって、要するに100メートル走などだと思うけど、時間にして10秒そこそこで終わってしまう競技を観戦するのに、数百万ものおカネは信じられない。なんだこれ、アラブの石油王とかが買うのか?アラブの石油王の金銭感覚って、こんな感じなのか?いいな、石油王。ウチの庭にも石油が湧き出ないかな。
ともかく高額なチケットのラインナップを見るにつけ、これほど高額のおカネが飛び交うイベントが始まろうとしているわけで、これはもう誰にも止められないな、と思ったものである。
当時からオリンピック開催についてはさまざまな問題点が指摘されていたけど、「やる」という方針が取られてしまうと、もはや誰にも止められないパワーを持ってしまうんだな。言い出しっぺの当事者でさえも、または運営の実権を握った組織の長であっても、「こりゃ無理かな」と思ったところで、もはや動き出した歯車を止められないんだな。チケットのラインナップを前にそんなことをぼんやりと思ったぼくである。
とは言え、周知のとおり、東京オリンピックは世界的なコロナ禍の蔓延により、開催が1年間延長となった。今思えば、コロナ禍という超絶パワーがあったとは言え、よくぞ延期を決断し、実行できたものだなと思う。
そんなわけで、東京オリンピックのチケット販売の時の衝撃を思うにつけ、大阪・関西万博ももはや止められないところまで来ているのかもしれない。それでも、利権にまみれた虚飾の祭典におカネをかけず、ぜひここで踏みとどまって、浪費されるハズだったおカネをもっと将来的に有意義なものに投下してほしいと思うのである。
さて、今回の謎の発熱において特筆すべきことがあるとすれば、食欲の減退である。
ぼくは風邪をひいても食欲だけは衰えず、それはインフルエンザや新型コロナウイルスに感染した時も同様で、熱があるのに目の前の食べ物はもりもり口に放り込んでいたわけだけど、今回は発熱の端緒、月曜の午前中辺りから胃腸の様子が変だった。胃もたれというわけではないけど、胃腸が重い感じがしたのだ。それは食べ物が入っているからというわけではなく、流し込まれた食べ物が消化されず、胃の中に留まっているような感じである。内臓としての活動が止まったためにその内臓自身の重さを感じるといった感じ。初めてのことなので、これには戸惑った。おい、胃よ、どうした、動けよとさすってみても、うんともすんとも言わない感じ。
ちょっと怖くなったね。
会社を早退して帰宅する間に、いつおなかが減るか分からないので、コンビニで弁当などを買い込んだものの、帰宅してすぐに臥せってしまったために、これらの食べ物には手が付かず、夕方になって起きてみたものの、それでも食べる気が起きず、さきこがぼくを気遣って早くに帰宅して、消化のいいものを作ってくれたのだけど、汁物を少しすすった程度で終わってしまった。水分だけは頻繁に摂取していたので、脱水症状にはならないと思っていたけど、昼も夕食も食べずに就寝するのは、人生でもかなり稀有な経験だった。
翌朝に起きても、特に食べたいものはなく、無理やり牛乳とか飲むヨーグルトなどを流し込み、また床に臥せ、昼になっても食べず、夜になって薬が効いたのか、やっと食べ物を食べる気になった。それにしても、24時間以上にわたって食べ物らしいものを食べていないとは思えないほど食欲が弱く、恢復するためのエネルギーにするために半ば無理して口に放り込む感じだった。平熱になって、やっと食欲のようなものがわいてきて、食べられるようになったけど、かつてのような貪欲さまでには至らず、むしろ今もなお、さほど食欲が旺盛とは言えない状態である。
これぞ、ぼくが長年待ち望んでいた好機だった。食欲の減退に乗じて食べ物を摂取せず、身体が回復した頃には、同時にスリムな体躯を得るという食欲減退ダイエットである。
いや、これまでは体調が悪化しても食欲が減退しないので、これはほとんど冗談のように言っていただけで、今回実際に食欲がなくなってみると、ダイエットのチャンスどころか、そこはかとない不安に包まれて、身体の恢復とともに早く食欲も戻ってきて欲しいと思ったものである。
そんなわけで、食欲減退ダイエットは失敗し、ぼくは従前の体躯とともに従来の体調を取り戻しているというわけである(いや、正確には、今も若干の不安定さが残っているけど)。
臥せっているぼくを気遣って、さきこが在宅勤務にしてくれたり、買い物に行ってくれたりと、いろいろとお世話になった。ありがたいことである。
ちなみに、床に臥せって安静にしている間は、当然眠ってしまうものだけど、今回は非常にリアルな夢をみたことを追記しておく。いや、夢ってのはみている者にとっては常にリアルなものなのだけど、夢の中で明らかにヘンテコな状況が目の前に展開している中、これを懐疑的な視点で検証し、いくつかの視点で特異な点を発見し、これはぜひブログに書き残そうと思い立つという思考が働いた点である。
夢をみている時の思考としては珍しくないのかもしれないけど、しかし目の前のヘンテコな状況を懐疑的な目で見て、これを文章で表現しようと思い、文章構成の組み立てさえも始めてしまっていたところに、現実において今後、もしぼくが何らかの事情で脳に障害を負い、非現実的なことを現実と信じ込んでしまうような思考障害を起こした場合、この時の夢と同じように、懐疑的な視点で検証し、これを文章に起こそうと文章構成を考え始めるんだろうなと想像できてしまった。ぼく自身は正気でいるつもりでも、取り巻く人からは思考が妄想に取りつかれた狂人のように見えるだろう。狂人と化したぼくがどんな思考や行動をとるのかのヒントを、この夢から与えられたような気がしたのである。
ぼくも寄る年波には勝てず、きっとどこかで老化が顕在化するんだと思うけど、それが脳機能や思考に現れる可能性を考えると、フィジカルの老化以上に不安が大きい。いや、そんな不安症なところが、既に老化によって思考の正常性が侵されているのかもしれないけどね。
(ぼくがその思考の異常性に反して、身体能力だけは健常さを維持していた場合、このブログには次第に思考がおかしくなっていくぼくの文章が残ることになる。おお、そう思うと、期せずしてこのブログは「アルジャーノンに花束を」みたいな展開になっていくのかもしれないな)
というわけで、ちょっと不安なことも書きつつも、今回も何とか謎の発熱を乗り越えることができそうである。次回の発熱は、次の季節の変わり目、春先ということかな。いい加減、突然高熱を発して会社を休むのは、避けたいんだけどな。
]]>
さて、マンションの共有施設と言えば、さきことちょろっと散歩に出かけた際のことだけど、以前から気になっていたとあるマンション群の敷地に入ってみた。数棟からなるこのマンション群は、もともとこの地に建っていた某ホテルの跡地で、ホテル営業時もマンションが建つ現在も、高台に建つ建造物だから遠くからでも非常に目立つし、部屋からの見晴らしもきっとすごくいいんだろうなと想像がつく。ちなみに、このホテルはぼくが大学生の頃に警備のバイトで働いていたことがあるJR○子駅近くの旧横浜プ○ン○ホテルである。
マンション群の敷地に入ったと言っても、いわゆる共有エリアにはスーパーやドラッグストアやクリニックなどがあって、居住者以外の人も入ることができそうなので、不法侵入というわけではなさそうである。店舗エリアを抜け、芝生に覆われた公園エリアの方まで歩いてみた。様々な木々が植えられていて、葉が色づいていてキレイだった。多くの種類の木々なので、管理が大変だろうなーと思われた。
ところでこのマンション群は、駅から近いとは言え、かなり急な坂道を上る必要がある。この急な坂道のせいで、ホテルの業績も振るわなかったのかもしれない。実際に、ホテルが閉館する数年前には、坂の下にホテルのある高さまであるマンションが建設され、エレベータと渡り廊下でホテルに行けたりしたそうである。結局のところ、ついに利用したことはなかったけどね。この坂の下のマンションからホテルに繋がる渡り廊下は、ホテルの閉館と共に撤去されてしまったので、その後建てられたマンション群の居住者たちはさぞ不便だろうなと思っていた。しかし、さすがというべきか、マンションの足元から地中を崖に沿って降りることのできるエレベータが設置されているようなのである。実際に、高台の麓には、エレベータに乗るための入り口が設置されているのだ。これは便利である。居住者は坂道をのぼることなく、すぃーっと高台の上のマンション群までのぼることができるわけである。いや、どうしてこの設備をホテルの営業の際に作らなかったのかな。
ともかく、このエレベータには非常に興味があったので、せっかくマンション群の敷地に入らせていただいたのだから、利用してみようと思った。
巨大なガラス張りのエントランス風の建物に入ると、高台の上から遠くまで見通せる展望エリアがあった。足元の国道から駅前のマンション、その先には工場地帯があり、さらにその向こうには船舶が行き交う東京湾、さらに房総半島までが見渡せた。これはすごい眺めである。このマンション群の居住者は毎日こんな景色を見ているのか。
しかし、ぼくが立ち入ることができるのはそこまでのようである。エレベータに繋がる通路には、いわゆるフラッパーゲートが設置されていて、何やら専用のキーがないと入れなさそうだった。キーとは恐らく自宅のカギや居住者専用のICカード、居住者が発行できる来訪者向けのQRコードなどであろうと想像できた。なので、これを無理やり突破すると本当に不法侵入になってしまうから、やむを得ずすごすごと退散することにした。まあでも、いい景色を眺められたので良かったわ。
ちなみに、後で知ったのだけど、このエレベータは、居住者じゃなくても利用できるそうな。電子マネーを登録したICカードをかざすことで、フラッパーゲートが開くそうな。利用料は1回数十円だそうである。居住者以外にも配慮した素晴らしい施設である。また散歩に出かけることがあったら、利用してみようと思う。
そんなわけで、共有施設の充実したマンションにアテられる週末だったな。
昨今の住宅価格の高騰により、中古マンションの需要も高まり、その影響でぼくが住むマンションにも「あなたの部屋を売りませんか?」的な広告が多く投函されるようになった。
まあぼくは共有施設云々よりも、日当たりとか風通しとか富士山が見られる眺望が気に入っているので、まだ当分は自宅のマンションに住もうと思うけどね。
そんなマクロ目線で話したところでいきなり視点がミクロ化というか、身近な話しになるんだけど、ここ最近のこと、ぼくが睡眠している際、愛猫のフクくんがぼくの布団に入ってくるようになった。明け方前はかなり冷え込むので、フクくんがぼくの布団に潜り込んでくるのは、ここ数年のお定まりみたいなものである。可愛がっているネコがぼくの布団の中で暖を得ようとわざわざ布団の肩口まで来て、掛布団をカリカリとかいて「中に入れてー」とぼくにせがむ仕草は、何度見ても愛らしいものである。そしてぼくの身体と布団の隙間に自身の身体を丸め、ぬくぬくする様子は、ぼくに得も言われぬ大きな癒しをもたらせてくれるのだ。寒い冬だからこそ得られる癒しである。
そんなわけで寒い冬が来るのは少々困りものだけど、フクくんが一緒に寝てくれる日は、寒い日も悪くないなと思ったりするのだ。
ちなみに、コウくんは寒い朝にどこにいるかというと、隣で寝ているさきこの枕の上で丸くなっている。さきこは枕をコウくんに占領され、ほとんど頭を乗せていない状態である。コウくんにとっては、ニンゲンの頭部がもっともぬくぬくしているのかもしれないね。
今年は冬らしい寒さがやってくるだろうか。
]]>
まあまあとは言いつつも、今回もいろいろ課題はあった。本番という特殊な環境の中で焦りから気持ちが急いてしまい、これによってテンポがどんどん速くなっていくという悪しき傾向がある。少人数でアンサンブルをしているわけだから、練習と異なるテンポによってミスが出てくる恐れも大きくなる。この焦りとか急いてしまうとかいう、要するに「アガる」という本番特有の現象をなんとかしたいものである。
ちなみに、今回は本番前にステージ袖で待機している間、ぼくはヘンテコな動きをしなかった。先々週の本番前にはステージ袖が暗かったこともあって、恥ずかしげもなくヘンテコな動きをしてみたのだけど、その因果関係は別として、この時の本番ではほとんど焦りなどは生じなかった。一方で、ステージ横が比較的明るい今回の本番前では、ヘンテコな動きは一切しなかったのだけど、これまたその因果関係は分からないけど、本番では焦ってしまった。因果関係はどうあれ、次回の演奏ステージでは本番直前に必ずヘンテコな動きをしようと思う。
ところで、今回演奏した楽曲の中に、「歌劇『メ○ーウィ○ウ』セレ○ション」がある。これは何年も前に所属していた吹奏楽団で演奏した楽曲である。非常に思い入れの深い楽曲で、アンサンブルを始めるにあたり、一番最初に楽譜を購入した楽曲である。もう4年くらい前になるだろうか。まだ、ぼくとさきことまりこさんしかメンバーはいなくて、テナーサックスのパートをどうするか全然決まっていなかったけど、3人で昔を懐かしく思いながら演奏したものである。今回、この楽曲が演奏することができて、以前のように指揮者に依存していた吹奏楽団の頃のマインドを脱し、自分たちだけで楽曲を演奏できることが証明されたような、なんだか誇らしい思いである。ぼくがこの先、この楽曲を思い出すにあたっては、きっと吹奏楽で演奏した時の記憶よりも、アンサンブルで演奏した時の記憶の方が強く、鮮明に蘇るんじゃないだろうか。
そんなわけで、今年の演奏ステージは終了である。
これで少しサックスに触れない日が続くかというとそういうわけでもなくて、年明けから3月の市民サークル発表会に向けた練習が始まる。また5月に予定されているサックス・ラージアンサンブルの練習も年明けから徐々に始めないといけないかもしれない。どうやらぼくが吹いたことのない吹奏楽コンクールの課題曲が予定されているようである。しかもかなりの難曲だそうな。
まだまだサックスへの情熱は続きそうである。
しかし、最近新しい職場で働くようになって、別の可能性が見えてきた。
というのは、今の職場でも同僚の方にいろいろと新しい仕事を教えてもらっているのだけど、これがすべて口頭での引継ぎであって、マニュアルの類は一切ないのである。いや、マニュアルがないなんて、ぼくにしてみればちょっと信じられない状態である。覚書とかメモすらないのか?これはどういうことだろう。
やはりこの同僚の方も面倒臭がり屋なのだろうか。あるいは物凄い記憶力の持ち主なのだろうか。いや、物凄い記憶力の人という感じもしないんだよな。もちろんそういう部分もあるかもしれないけど、これまで接してきた中で別の可能性もあるかも知れないと思うようになった。
それは、手続きや処理を文章に落とし込むことが苦手であるという可能性である。
たとえば、データを入力して、印刷する処理業務をマニュアル化するとする。
ぼくがマニュアルを作成すると・・・
(1)○○フォルダに保管されている「○○.xlsx」のファイルを開く。
(2)○○シートを選択し、○○部○○さんから受領したデータを入力する。
※注意:入力の際、受領データの日付「YYYY/MM/DD」は、「DD/MM/YYYY」で入力すること。
(3)入力後、入力データが反映された○○シートを開き、これを印刷する。(1ページにおさまるように出力すること)
・・・みたいな感じである。
慣れてくれば、(1)の部分なんか読まなくても「ああ、あのエクセルファイルねー」などと手が勝手に動き出し、フォルダ内のファイルを開くことができる。しかし、誰でも分かるマニュアルを作るためには、こういう細かい動作を書くことが重要なのだけど、先ほどの「手続きや処理を言葉に落とし込むことが苦手」というのは、実際に手を動かしていることを言葉にすることが苦手なんじゃないだろうか。
これは自身の動作を一定の粒度で細かく分析し文章などに出力できるかどうかという点が問われることである。
先日のこと、一緒に働いている同僚から1枚の紙を渡された。
この方からは多くの業務について引継ぎを受けてきたのだけど、ほとんどマニュアルがなかった。先ほど確認してみたところ、引き継いだ内容のほとんどを文書化しているぼくは、現時点で82個ほどのマニュアルがある。これに対してこの方から引継ぎの際に渡されたマニュアルめいたメモ書きは4、5枚程度である。ぼくもすべてマニュアル化できているわけではないけど、82枚対4、5枚ではマニュアルに対する認識のかなりの違いを感じてしまう。
さて、そんな同僚から渡された紙には、珍しくマニュアルめいたことが書かれてあった。紙で受領するとあるデータを専用プログラムへの入力するという処理業務で、プログラムの入力欄の名称や入力する際のデータ形式、注意事項などが書かれていた。しかし、その文章はお世辞にもうまい文章とは言えなかったのだ。
いや、自分に分かる文章であればいいわけだし、マニュアルの目的は文章がうまいことは前提ではないので、別にいいのだけど、もしかしたらこの同僚は自身の文章に自信がなくて、ぼくにマニュアルを提供できなかったのではないだろうかと思うようになった。ご自身でも自信をなくしてしまう程度には、拙い文章であることは、ぼくにも分かったからね。
きっとこの方も入社当時はメモ的なマニュアルを作成していたのだろう。しかし、それはあくまで自身に対しての備忘録であり、これをそのままぼくに渡すことが大いに憚られたのだろう。その意味では、マニュアルは存在していないのではなく、マニュアルは存在していたけど、後任者に引き継ぐ程度に洗練されていなかったというわけである。
なるほど、文章が苦手だったり、そのことに自信がないから、引継ぎはすべて口頭というわけか・・・いや、文章が下手でもいいからマニュアル書を介して引継ぎしようよ。
そんなわけで、マニュアルは秘められ決して明かされないままとなり、ぼくはこの方から口頭でばばばばっと流れを説明され、必死にメモを取ることになるわけである。
ちなみに、口頭であるがゆえ、伝え漏れも当然あって、ぼくがメモから起こしたマニュアルを見て作業をしていると、「そこ違ってますよ。この前引き継いだばかりですよね」みたいに言われてしまう。いや、そんなことしたり顔で言われても、伝え漏れの可能性だってあるよね?
いずれにしても、そのうちマニュアルなしでもできることが増えてくるだろうから(実際に初期の頃に作成したマニュアルはほとんど見なくなったし)、80個超の、今もまだ増え続けているマニュアル群たちもそのうち見ないで仕事ができるようになるだろうね。
ところで、マニュアル化する際に悩ましいのが、動作の粒度である。
先の例のように「エクセルファイルを開く」とか「○○データを入力する」なんて動作は当たり前だからわざわざ書くこともなくて「エクセルの○○シートに○○データを入力して出力」とさえ書けば充分とも言える。
これに関して、以前の会社で聞いたことがある話しとして、某自動車メーカーに存在する自動車製造マニュアルを思い出す。ぼくはそのマニュアル自体を見たことはないのだけど、話しによるとかなり細かく書かれているのだそうな。
その細かさ、つまり動作の粒度は、例えば「ペットボトルの中の水をコップに移し替えるマニュアル」を仮に作ったとして、その細かさに現れるのだそうな。
ペットボトルの水をコップに移すなんて、マニュアルどころかこの文章ですべてを語っていると言えるかもしれないけど、この某自動車メーカーのマニュアル作成の流儀によれば、「ペットボトルの本体を持ち、キャップをひねる」とか「ペットボトルをゆっくり傾けて、空のコップの縁に注ぎ口を近づける」とか「水位がコップの3分の2まできたら、ペットボトルを立てる」などのようにかなり細かく書かれているのだそうな。この話しを聞いて、試しにぼくがこの動作のマニュアルを作ってみたところ、項目は15個くらいだったと記憶しているけど、話しによればこの自動車メーカーのマニュアルの流儀によれば30項目以上の粒度で動作を文章化しているそうである。恐らくかなり冗長なマニュアルだと思う。「言われなくても分かってるわい!」という項目も多々あると思う。しかし「誰でも理解でき、誰が作っても同じクオリティのクルマができる」という目的の下では、非常に大事だと思う。
一方でぼくのような仕事は、処理の目的さえ達成できれば処理に多少の際があっても許されるものであり、だから細かい粒度は不要である。しかし、たとえ粗くてもマニュアルがないことで、動作の重要度の濃淡が分かりにくくなる面もある。だからかもしれないけど、ぼくが引き継いだ方法とは若干異なる動作をした際に、いちいち指摘してきたりするのかもしれないね。
それにしても、新しい職場に着任してから2か月余りで80を超えるマニュアルを作っちゃったけど、これからどれだけ増えていくんだろうな。これもぼくが生きてきた証のひとつだと思うと感慨深いわ。
]]>
さて、今年はあと1回、来週に演奏ステージが待っている。先日の演奏ステージが成功したからと言って慢心せず、気負わず丁寧な演奏を目指したい。
ちなみに、今回の演奏ステージでは、お客さんから直接的にお褒めの言葉はいただけなかった。他の出演団体のメンバーの方からは、お声がけいただいて、曰く昨年の演奏を気に入ってくれた娘さんが今日も聞きに来てくれているのだそうな。いや、ありがたいことである。こういう小さなことがモチベーションに大きなモチベーションに繋がっていく。
ところで、来週より先の演奏ステージも既に日程が決まっている。来年3月に開催される市民サークルの発表会である。ここでは初めての五重奏に挑戦することになっている。まだ選曲も済んでいないけど、どんな感じになるのか、楽しみでもあり不安でもある。
※ささやかながら動画を貼ってみる。
]]>
横浜が国際都市として現状の箔を維持したいのは分からないでもないから、国際的なイベントを誘致するのは、まあ理解できる。しかし、それが終わった後にテーマパークを作ろうというのは、ちょっと理解しがたい。
いや、このご時世にテーマパークを新規で作って繁盛すると本気で思っているのだろうか。たしかにアン○ンマンミュー○アムとかガン○ムファ○トリーなど既存のテーマパーク的な施設はある程度繁盛しているように見受けられる。しかし、これらはさほど広大な土地を使っているわけではないわけだから、交通の便の良さや周辺の観光施設も影響して、お客を集めることができているんだと思う。
しかし、テーマパークを作ろうという瀬谷の地域は、先に書いた通り、陸の孤島なのだ。しかも横浜の中心からかなり離れた郊外である。周辺にホテルとかショッピングセンターとかあるわけじゃなく、お客はただこのテーマパークに行くためだけに出かけるのである。テーマパークがどんなテーマを売り出そうとしているのか知らないけど、よほど強力なコンテンツでないと一時的に注目を浴びる程度で終わってしまうだろう。横浜の郊外、陸の孤島と言われる場所にあった「横浜ドリームランド」が惜しまれつつも閉園したことが思い出される。
ちなみに、瀬谷のテーマパーク建設にあたり、課題となる交通の不便さを解消しようと、複数の公共交通機関の会社に新線建設の打診をしたところ、断られてしまったそうで、採算性に敏感な民間企業は早々にテーマパーク計画に匙を投げている様子である。もし、このままどこの会社も手を上げないとなると、このテーマパークにはクルマやバスでしか行けないことになり、そうなると周辺の交通渋滞は大変なことになりそうである。この点でもドリームランドが思い出されてしまう。
さて、一番の問題はテーマパークが提供するコンテンツである。
ニュースによると、ジャパンコンテンツと最新のジャパンテクノロジーを活用した次世代型テーマパークで、最先端のエンターテインメントが集まるエリアとか子供から大人まで楽しめるエリアとかスリルあふれるエリアなどの複数のゾーンがあるんだそうな。・・・いや、抽象的過ぎてさっぱり分からないわ。具体性もない中で「よし、これでいこう!」ってよく言えたものである。いや、お役所にはもう少し具体的なプレゼンがされたのかもしれないけど、この話しだけ聞くと、もはや不安しか湧いてこない。最先端の〜とか最新の〜というのは、まさに開催期間が短い博覧会などのパビリオンで用いられる言葉で、何年も継続して運営されるテーマパークには似合わないと思うし、実現可能性の面で甚だ非現実的だと思う。
ちなみに、公開されているテーマパークのイメージ画像によると、巨大な野外音楽堂で眩いばかりの光がビカビカしているものやVRゴーグルをかけた男性がリアルな映像に興奮している感じのものや子供が打ち上げ花火に向かって手を大きくあげてはしゃいでる様子などがあって、どれを見ても、まったく新規性を感じない。野外音楽堂とか打ち上げ花火などのイメージ画像を見て「よし!これでいこう!」と思った役人はちょっとどうかしているんじゃないだろうか。またVRゴーグルなんて、今まさに流行っているだけのもので、2、3年先でも最先端テクノロジーともてはやされているか分からない。さらに言えば、野外音楽堂にしてもVRゴーグルにしても、大事なのは中身、コンテンツである。わざわざこの地を訪れるに相応しいコンテンツでなければ、客足は伸びないだろう。VRゴーグルをつけて興奮している男性は一体何を視聴して興奮しているのだろうか?
そんな具体性のないテーマパークに年間1200万人ものお客を呼び込もうというのである。い、1200万人?!軌道に乗れば1500万人も集客できるみたいなことを嘯いている。これはコロナ禍前のユニバーサルスタジオと同じくらいの来場者数である。いや、もう現実離れしすぎてクラクラするわ。
では逆に返還された広大な土地をどう活用すればいいかと言われると、これまた難しい問題である。
土地を住宅用に分譲してニュータウン化するという手もあるけど、せっかくまとまった土地なのに、バラバラにして売り払っておしまいというのはなんだかもったいないとも思う。行政がこれまでできなかった何かのために土地を一括して活用するのがよろしかろうとは思う。できれば永続的に収益をあげられるような施設だったらなおいいとも思う。その点ではテーマパークは解のひとつかもしれないけど、しかしそれが最適解と言えるのだろうか?
今知りえる情報だけ見ると、とても不安な未来しか想像できない。ものすごいおカネをかけて作ったテーマパークは、当初こそ多くのお客さんであふれるものの、ほどなく飽きられ、運営費用が増大し、新しいコンテンツも打ち出せないまま施設が老朽化していき、税金がどんどん使われていく・・・。これまで日本各地で経験してきたテーマパークや遊園地などと同じストーリーが見えてしまうのだ。
これはもはやどうにもならないのだろうか?
思えば、横浜のカジノ建設が争点になった前回の横浜市長選では、カジノに反対していた現市長がその政策をまとめたチラシに瀬谷の米軍基地跡地のテーマパーク建設をうたっていたな。次の市長選は・・・2025年8月か。遠いなー。
※くどいようで恐縮だけど、年間1200万〜1500万人もの集客ができるコンテンツって、まったく想像がつかないわ。それだけ集客力があるコンテンツなら、ぼくも当然知っているものになるんだろうけど、たとえばハ○ーポ○ターやジ○リ、ディ○ニーは既にテーマパーク的な施設が存在するし、ドラ○もんやアン○ンマン、ムー○ン、ス○ーピーはぼくにはあまり魅力的とは思えないし、そもそも既にテーマパーク的施設がある。まさかと思うけど、ガ○ダムじゃあるまいな。山下公園の施設の人気にあやかって本格的な施設を作ろうというのだろうか?実物大のガ○ダムだけじゃなく、ライバルのモビルスーツも実物大で立たせようとか、モビルスーツ同士の戦いの名場面を実物大で再現しようとか?うん、ガン○ムは嫌いじゃないけど、山下公園の施設に行こうとすら思わないぼくには、それだけをテーマにされてもまったく魅力的ではない。いや、お役人はガン○ムが40年以上前から存在するコンテンツだと知っているのだろうか?あるいは、某週刊少年ジャ○プなどで人気だった鬼○の○とかワ○ピ○スなんて考えてないよな?ジャ○プで一時的にブームになって2、3年後に忘れ去られたマンガは山のようにあるぞ。詳しくないぼくでも5、6個はあげ連ねることができるくらいである。
というわけで、ぼくの浅知恵でいろいろ考えたけど、永続的にお客を呼べるような新しいコンテンツはないと言えるだろう。ジャパンコンテンツではないけど、スターウ○ーズなら若干魅力的かもしれないけど、あれはディ○ニーのものだから難しいだろうしな・・・などと、とりとめもなくテーマパークに相応しいコンテンツに思いを巡らせるのである。
※真鶴半島で見た波は美しかったな。
※JR根府川駅にて。駅舎の写真を撮るさきこ。
そんな風に過ごした週末は、別に心身に負担をかけたわけではないと思うのだけど、なぜかその翌日に突如38.4度もの高熱を発してしまった。なんだ?試験で脳みそを使い過ぎたか?ともかくこれ以上悪化させるわけにはいかないので、もう1日会社から休みをいただくことになった。夜には解熱剤が効いたのか、なんとか36度台には戻し、翌日は出社することができた。
ここ数年季節の変わり目に突如高熱を発することがあって、今回も秋から冬に向かう中での年中行事の一環みたいなものなのだろうか。
※起きがけにこの値を見ると思わずどきっとするね。
体調という点では、2週間ほど前から咳が出るようになった。風邪のような咳というよりも空咳みたいな感じで、さきこ曰く非常に苦しそうな咳だそうな。痰が絡んでいるわけではないのに、喉の異物を吐き出そうとしているような感じである。たまたま常備薬の追加をもらいに行った際にかかりつけ医が聴診器を胸に当ててくれたんだけど、気管支などに特に異常は見られなかったようである。
ともかくも、体調管理は大事である。特に、職場では引継ぎを受けた業務が本格的にぼくに任されるようになって、風邪で休んだりして穴を開けるわけにもいかなくなったし、なにより2週間後には演奏ステージが待っている。半年ほど練習を重ねてきただけに、このステージには万全の体調で臨みたいと思っている。
ここのところ、「涼しい」を通り越して「寒い」と感じる日が続くようになった。まだ陽光は暖かさを持っているけど、11月になれば本格的に冬の様相を見せるようになるだろう。また今年も冬がやってきて、そしてほどなく年末がやってくる。1年が本当に短くなったものだなーと感じつつ、夜は暖かくして寝るようにしようと思う。
朝焼けである。
この時期の日の出は5時半過ぎで、差し込む陽光が雲と鮮やかな色合いを醸し出していた。
海越しの朝焼けを見るのは、初めてではないけど、やはりいいものである。たとえ工業地帯のど真ん中で見るものでも、やはり朝焼けというのは、独特の魅力があるものである。
※見事な朝焼け、久し振りに見たわ。
さて、次回の宿直は再来週である。
だんだん気温が低くなってくる。冬の宿直はどんな感じになるのか、楽しみもあるけど、まだ慣れない不安が強い感じかな。
そんなわけで、腕に覚えのある人が集まって構成された楽団の演奏会なのだけど、この日のために集まったにしてはかなり完成度の高い演奏だった。こういう場合ってなかなか周囲と調和のとれた演奏ってできにくいものだけど、ちゃんとアンサンブルができている感じがして、誰かが足を引っ張ったりすることもないし、上手い人が周囲との調和を乱すようなこともなく、ホントにバランスのいい演奏が聴けたと思う。いい演奏を聴くと、ついぼくもこの楽団の中で演奏してみたいと思ってしまうのだけど、あまりの完成度の高さを前に、今回ばかりはさすがに遠慮しようと思ったほどである。
ちなみに、バランスがいいという点と少し視点が違うかもしれないけど、演奏したすべての曲を通して、特定の人がソロを演奏することがかなり少ない印象だった。演奏ステージを盛り上げるために、いわゆるポップスの楽曲を演奏することが多く、そういう楽曲にはサックスとかトランペットがカッコいいソロを演奏するものだけど、ソロ演奏がまったくないというわけではないけど、例えばアドリブソロなどは皆無の選曲リストだった。誰か上手い人にアドリブソロを振って、それでステージを盛り上げようという安直な発想ではなく、高度なオーケストレーションを提供しようという姿勢が感じられた。付け焼刃な感じはまったくなく、固定メンバーで丹念に練習を重ねてきたかのような印象を受けた。うん、この楽団がまた演奏会をするなら、観客としてまた聴きに行きたいなと思った。
ちなみに、この手の演奏会にはほとんど必ずアンケート用紙が入っていて、どの曲が良かったですか?とか演奏してほしい曲はありますか?とか聞かれるんだけど、そういえばパンフレットにはアンケート用紙は挟まっていなかったな。
しかし、アンケート用紙が見られなかった代わりに、そのパンフレットの最後のページに記載された演奏者名の中に、意外な名前を見つけることになった。
パンフレットに記載されたトロンボーン奏者の男性の名前は、ぼくが中学時代に吹奏楽部でお世話になった先輩だった。
ぼくが中学時代に所属していた吹奏楽部は、これまでほとんど休部状態だったところ、ぼくが入学した年に音楽の先生が新たに顧問に就任し、再び活発に活動を始めたのである。一説によると、これに先立つ1年前のこと、小学6年生だったぼくが通う小学校でマーチングバンドが新たに新設され、その1期生であるぼくを含む多くが中学校に入学するにあたり、中学生になっても音楽を続けて欲しいと願う小学校のある先生が中学校に働きかけて、休部状態の吹奏楽部が復活させたなどと聞いたことがある。
その再生された吹奏楽部で、当時中学2年生で初心者ながら吹奏楽部に入部し、初代部長になったのが、このトロンボーンの人である。吹奏楽に本格的に触れることになった当時のぼくに楽しい音楽に触れる環境を作ってくれた方である。
中学卒業後に彼が進学した高校にぼくは進学しなかったけど、縁があって高校吹奏楽部同士で数回の交流会なんかもやったことがあって、その時にもこの方には大変お世話になったし、だからさすがに顔は覚えていないけどさきこも名前を憶えていたほどである。
高校卒業後は北海道・網走の大学に行ってしまい、まったく会わなくなってしまった。彼の高校吹奏楽部のOBが集まって吹奏楽団を作った際に、ぼくも参加したんだけど、その時も彼は現れず、完全に交流が途絶えてしまったわけである。
SNSでは友達のリコメンドに表示されることがあって、それによると生活拠点は変わったものの、今もなおトロンボーンを吹いているらしく、いつか音楽の場で再会できるかもと思っていた。いや、まったく交流がなくても、SNSでその方の状況が分かってしまうのだから、SNSって怖い面もあるけど便利なものである。
そんな意外な出会いがあったので、SNSのリコメンドの表示を頼りに、友達申請を送ってみたところ、快く承認されて、少しだけメッセージのやり取りをすることができた。彼は生活拠点を東京に移していて、たまたま参加した楽団が横浜で演奏するというので懐かしく思っていたそうである。ぼくには先輩と呼べる人がそれほど多くないのだけど、数少ない先輩と数十年越しにやり取りしたのは、なんだかうれしかったな。
そんなわけで、吹奏楽の演奏を機に、中学時代のこともいろいろ思い出されたりして、なんだかとても懐かしい気持ちに浸った週末であった。
ところで、演奏と言えば、ぼくが参加するサックス四重奏の演奏ステージは、来月上旬に迫った。あと1か月しかない・・・というか、ぼくも含めてなかなか4人が集まれないことが多く、過去に例のないほど完成度は低い。実質的にはあと2回くらいしか合奏できないけど、やれるだけやって本番に臨みたいものである。さて、どうなるか?!
]]>うん、なんかいい感じで動いている。
しかし、200枚もの画像を描くというのは、なかなか大変な作業だった。しかも、肌や服や柴犬など、同じ色を何枚も塗ることになるので、創作活動をしているというよりも事務作業をしているような気分になった。
21コマでもこれほど大変なのだから、何万枚もの画像を仕上げるアニメーターの方々は本当にスゴいと思う。
しかし、この大変さの甲斐あって、某SNSに投稿したところ、動くイラストの部門で高順位をいただいた。実験的に投稿してみた着彩なしの女子校生だけの投稿では71位、柴犬も併せて着彩した投稿では53位になった。まあ動くイラストの部門の投稿数が少ないので、数件のいいね!やお気に入りで上位にランキングできるのだろうけどね。それでも、上位にランクされて、SNSの運営からメールでお知らせされるなんて、やはり嬉しいことである。うーん、もっと効率よく作業できればまた描くことができるだろうか。
さて、そんな害虫である蚊をなんとか撲滅できないかという議論は以前からあり、しかし一方で蚊が生態系に及ぼす影響も考慮すると、ニンゲンの都合で蚊を絶滅させるわけにもいかないし、もしそんなことになれば様々な生物に影響を及ぼし、結果としてニンゲンを取り巻く環境を大きく変えるハメになるかもしれないわけで、なかなか難しい話しなのである。
そんな折、某新聞に掲載されていた記事が目に留まった。
アメリカの某企業が、ブラジル政府の要請で外来種であるネッタイシマカという蚊の発生を抑制するために、生殖に関する遺伝子を操作し、結果として蚊の発生を大きく減らすことができたのだそうな。産卵されるタマゴのうち、メスになる幼虫はふ化しても生育せず、結果としてメスの絶対数が減少し、世代を重ねる中で蚊の数を減少させるというカラクリである。
人為的に改造された個体をあえて育成し、しかも大量に育成し、これを野に放つことで、生殖に影響をおよぼし、結果としてその数を減少させるという発想と非常によく似た事例を、日本では50年ほど前に実現したことがある。このニュースを聞いて、何よりもそのことを思い出した。
このブログでも何度か登場しているゴーヤーに寄生するウリミバエの撲滅プロジェクトである。
沖縄が返還される1970年代、返還事業の一環として、沖縄産のゴーヤーを本土に流通させるために、その障害となっていた寄生虫ウリミバエを撲滅するために、養殖したメスの幼虫に放射線を照射し、生殖機能をなくさせて野に放つ。ウリミバエのオスはその生涯で1回しか交尾しないという性質があり、その交尾したメスが生殖機能のない個体であれば、交尾をしても産卵にいたらず、結果として次世代のウリミバエが減少していくわけである。この事業は大成功となり、そのおかげで沖縄産のゴーヤーを本土に流通させることができ、また鹿児島や本土におけるゴーヤー栽培への道を開いたのである。
害虫を撲滅するために、あえて害虫を大量に養殖するという逆転の発想、そしてそれが大きな成果に繋がり、沖縄の経済に大きな影響をもらたせたことを思うと、今でも胸が熱くなる思いである。
20年近く前になるけど、さきこと沖縄旅行に行った際には、那覇空港に降り立ってレンタカーを借りて、まず最初に向かったのが沖縄県の農業試験場だった。試験場で害虫の養殖に携わる人の声を聞きたかったのだけど、実はぼくがこの話しを知った某書籍のことを農業試験場の人は知らず、また養殖施設を見学するにしても、ケージの中にいるのはいわゆるウジムシなわけで、ぼくにはこれを正視する勇気がなく、結果的にはただ農業試験場に行っただけみたいになっちゃったけどね。でも、養殖施設を見るにつけ、書籍の表題どおりの「害虫撲滅工場」を見ることができ、そしてその記憶が今でも鮮明に蘇り、ぼくの胸を熱くさせるわけだから、個人的には大きな収穫だったとと思う。
ちなみに、ウリミバエは沖縄の在来種ではない。その点では、先のネッタイシマカと同様、根絶させてしまっても問題はない。
それにしても、国外由来の害虫を撲滅するために、あえて害虫を養殖し、その生殖器官を機能不全にして野に放つというコンセプトは、もっとあってもいいと思う。いや、むしろこのようなプロジェクトは既にそこここで実施されていると思っていた。ネッタイシマカの例が取り上げられるということはそのような事業はあまり実施されていないのかもしれないね。生態系への配慮がその理由なのだろうか。あるいは、殺虫剤会社への配慮なのか?個人的には外来の害虫を撲滅するためには、このような対応はどんどん進めるべきだと思う。まあ、刺されたり咬まれたりするとヒトに被害が出るようなものや一時的だとしても数が増えることで在来種の生態に悪影響を及ぼすなどの弊害もあるだろうから、この手法が万能でないのはたしかだけどね。
しかし、ぼくはこの世でもっとも忌避するあの昆虫Gに対しては、ぜひ撲滅を目指して取り組んでもらいたいものである。いや、そのためには生殖器官を機能不全にしたGを大量に養殖し、野に・・・いや住宅街に放つという恐ろしい所業を経る必要があるけど、この際やむを得ないのだろうか?・・・いや、無理だわ。もっと穏便な方法で撲滅してもらいたいものである。
それにしても、Gの撲滅という発想に至らないということは、やはり彼らにも生態系に何らかの重要な役割があるということだろうか。もし彼らが絶滅してしまったら、生態系のバランスが崩壊して別のもっと禍々しい何かが蔓延ることになるのだろうか?あるいは、Gが絶滅してしまっては、殺虫剤会社の存続にかかわるので、ここは生かさず殺さず的な対応に留めているのだろうか?
ぼくはこの世がもっと住みやすく、幸せに満ちた世界になることを強く望んでいる。蚊によって多くのヒトが亡くなったり、戦争で大事な人を失ったりするようなことのない世の中になって欲しいし、これが人類共通の目標だとも思っている。そんな世の中にするために実施するべきいろんな施策があって、その意見の対立が戦争につながっているのが悲しいけど、意見が対立することなく、かつ世界平和に一歩近づける施策があるとすれば、それはおそらく害虫の撲滅だと思う。戦争なんかしてないで、いや兵器を作らないと自身の生活が成り立たない人も含め、みんな協力して人類共通の敵である害虫に対峙したらいいと思う。
さて、そんなわけで、ブラジルでまん延していたネッタイシマカは、2世代目において早くも9割も減少したそうである。この手法の有効性はかなりのものである。もちろん遺伝子操作した生物を野に放つということに漠然とした不安はある。そう、映画「ジュラ〇ックパ〇ク」でのセリフだけど、抑圧された生命はそれでも生き残る道を模索するものである。メスしか生まれず、必須アミノ酸が欠如した形で復活したジュラシックパークの恐竜たちが、生存に向けた新たな道を見つけ、結果としてニンゲンの手を借りずに繁栄していくというストーリーが、遺伝子操作されて生殖できず、個体数を激減させられたネッタイシマカで再現されないことを願うばかりである。
]]>
ある日のこと、会社帰りにブログを書こうと駅前のド〇ールコーヒーに入ろうと思ったところ、別のコーヒー屋があることに気づき、気になったので、ここでブログを書こうと店に入った。パン屋に併設されたイートインコーナーが充実していて、サイフォンで淹れるコーヒーが飲めるので、なかなかいい店を見つけたかもと思った。
購入したコーヒーをトレイに乗せて席に座り、パソコンを立ち上げて、ブログを書き始める。
するとやにわに、少し離れた座席から若い女性の声が聞こえたのだ。
「今日はお会いできてホントに嬉しいですぅ。もしかしたら来てもらえないんじゃないかって不安になっちゃってー」
この女性の前には白髪交じりの男性が座っている。
まだ20代と思しき女性の声は、とても耳障りが良く、男性ならちょっとココロが乱されてしまう。時折コロコロと笑うところがさらに好感度を高めている。男性の方は若干話し下手な感じだったけど、ぽつぽつと話す男性の話しをいちいち捉えて「えー、スゴいじゃないですかー」などと相手を立てるように話しを盛り上げている。これは普段女性と話す機会のない男性なら、簡単にコロッときてしまう感じである。
しかし、この二人はどういう関係なんだろうか。とても・・・そう、とても気になった。
ぼくはブログを書き始めたので、すべての会話を聞いていたわけではないし、もちろんそうするべきではないのは承知しているので、二人がどういう会話をしていたかはツマビラカには分からない。しかし、しばらく談笑が続いた後、最初に席を立ったのは男性の方だった。
「今日は来ていただいてホントにありがとうございましたぁ。お仕事頑張ってくださいね♡」
(おお、♡マークなんてこのブログで初めて使ったわ)
女性は男性を見送り一人になった。なぜか男性が出ていったのに、この女性は店を出ていこうとはしない。
ぼくは再びブログを書くのに集中し、そして10分か20分が過ぎた。
ぼくの座る席の背後を男性が通り過ぎた。コーヒー屋に入ってきたお客さんである。
「あ、〇〇さん、こちらですぅ」
声を発したのは、先ほどの女性だった。男性は待ち合わせの恋人を見つけたかのようにいそいそと彼女の前に座った。
ど、どういうことだ?先ほどまで別の男性と仲睦まじい感じで話していたではないか。それなのに、この女性は別の男性に対して、先ほどのような声色で再び会話を始めたのである。
「お仕事、お疲れ様でしたぁ。こんな時間になっちゃって本当にごめんなさい」
この男性は、女性が先ほどまで別の男性に同じように話していたのを知っているのだろうか。なんだか見てはいけない世界を垣間見ているような気分になってきた。これまであまり立ち寄ったことのない駅のコーヒー屋で、夜な夜な男と女のラブゲームが繰り広げられていたのだろうか。もしかしてぼくが知らないだけで、コーヒー屋で女性と会話できるサービスとかがあるのだろうか?
「この場所をショートメッセージに送ったんですけど、分かりましたかぁ?」
「実はLI〇Eの調子が悪くてぇ。これからもショートメッセージでやり取りさせていただけると嬉しいですぅ」
先ほどと同様、男性をいい気分にさせる話し方である。
「それでぇ、先日の○○さんのお話しをまとめてみたんですけどぉ、見てもらえますか?」
取り出したのはA4サイズの1枚の紙で、何が書かれているのか知らないけど、男性はまんざらではなさそうな感じである。会話の内容から推測するに、恋人とか疑似恋愛的な感じではなくて、何らかの仕事が絡んだ話しのようである。会話のイニシアチブも基本的には女性が持っている感じである。今度は先ほどよりも耳を傾けてみよう。
「それでぇ、○○さんのことをいろいろ考えてみて、一番ピッタリのプランを考えてみたんですよぉ」
ん?プラン?
「このプランだと、万が一の怪我の時にも補償が大きくて、一時金なんかも出るのでぇ」
ああ、保険か。生命保険の外交員だったか。
種明かしされてみれば、至極ありがちな話しである。
それにしても、最近の保険外交の方というのは、セクシーな話し方をするものである。ぼくも損害保険の勧誘に関して資格を持ってはいるけど、研修ではこんな話し方は教わらなかったな。
まあでも、保険契約を取ってくるという成果で報酬が決まるというシビアな世界だから、あの手この手で契約書にサインしてもらわないといけないのだ。彼女は自身の持つ話術というスキルを惜しみなく仕事で生かしているわけである。これもビジネスパーソンとして、至極当たり前のことである。
しかし、保険外交の方というのは、いろいろいるものである。
ぼくは以前の仕事の関係で、生保の外交員としてその頂点にいらっしゃる方と何度か商談したことがある。
頂点というのは、文字通り、保険契約においてもっとも高い成果を上げた人である。いや、上げ続けている人と言った方がそのスゴさが分かるだろう。高い成果を長く上げていることが評価され、なんとギネスブックにまで掲載された人である。メディアにも何度も取り上げられてきた人である。
もともとはこの方のお母さまがスゴい外交員だった。ぼくはお会いしたことはないけど、最初にギネスブックに載ったのもこの方だそうである。そしてその娘さんであるこの外交員の方と、ぼくは仕事上のお付き合いをさせていただくことができた。
生保の外交員で世界一の売り上げを上げ続けている人・・・と言えば、どんな人かと思うけど、むしろそんな大仰な肩書やオーラをまったく感じさせない人だった。最初にぼくが名刺交換した際には、そんなスゴい人だとは思っていなくて、非常にフランクに話しをしちゃったことを覚えている。服装やお化粧、指輪やイヤリングなどその風貌はむしろ素朴とすら思えるもので、しかしぼくの話し方に即座に合わせるさすがの柔軟さを持っていた。とても人懐こそうな印象で、契約を取ろういうギラギラした圧力は一切なかった。
しかし、一方でこの方が所属する保険会社には、彼女専門の契約部隊がいて、いずれも精鋭ばかりなのだそうな。そして、その専門部隊が一丸となって、彼女が契約を取ってくるのをバックアップするのである。ちなみに契約というのは、既存の契約の更新のことではない。新規契約である。新規契約の売り上げで世界トップを何年も持続しているのだから、今思い返してもスゴい人と名刺交換したものだと思う。
そんな外交員の方のことを思い出した。
彼女なら、コーヒー屋でオトコゴコロをくすぐる話術を展開するこの女性外交員に対して、どんなアドバイスをするだろう。
保険の世界のことは分からないので、何かを言える立場ではないのだけど、女性の保険外交員ががっつり仕事をしている光景にばったり出遭ったことで、とても懐かしく、感慨深くなった。
さて、その翌日である。
ぼくは再び会社帰りにコーヒー屋に立ち寄った。パソコンのバッテリーはかなり消耗していたけど、アップしておきたいブログがあったのだ。
サイフォンで淹れたコーヒーをトレイに乗せて、席に座り、ブログを書き始める。集中していたので、周囲の状況はあまり気にしなかった。しかし、ぼくのココロは一瞬にして乱されることになる。
「あ!〇〇さん、こちらですぅ!お会いできてホントに嬉しいですぅ。今日は来てくれないかと不安になっちゃいましたぁ」
おお。2日連続であの保険外交員に会うとは思わなかったぞ。彼女はきっとこのコーヒー屋で保険の勧誘とか契約の活動をしているのだろう。連日コーヒー屋で人と会う仕事は大変である。彼女がオトコゴコロをくすぐる声色を使う理由を既に知っているので、ぼくはもう何も思わない。ブログを書くことに集中しよう。
「ご連絡の際はLI〇Eを送っていいですかぁ」
・・・おい、L〇NEは調子が悪かったんじゃないのかよ。
この男性に、幸あれ。
さて、そんな夕方から夜にかけての束の間のドライブの中で気づいたことである。
帰宅してから、再び自宅を出て、クルマで出かけるわけだから、その頃には既に辺りは暗くなっている。さきこを乗せて自宅に戻る時は完全に夜の暗さである。当然ながら運転席の視界は良くないのだけど、それでもなぜか目についてしまうものがある。
某トヨタ社製のハイブリッド自動車・プ○ウスである。
それもただのプ○ウスではない。車両のルーフ部分にキャリアを装備していて、さらにそのキャリアにはかなり長めの脚立が積載してあるのだ。いや、何らかの工事業者の方が、仕事で使用する車両に脚立を載せるということはよくあることである。たまたまその車両がプ○ウスで、プ○ウスの車内は脚立を積み込めるほどのスペースはないから、結果としてやむを得ずルーフ上のキャリアに乗せているということだろう。そう思えば、この点に不可解な点はまったくない。
しかしあくまでぼくの感覚ではあるんだけど、脚立を載せたプ〇ウスの姿にどうも違和感があるのだ。
加えてさらに奇妙なのは、そういうプ○ウスを1日に数台も見かけることがあることである。脚立を載せた工事業者がクルマで移動するのは珍しくないし、そういうクルマなら数台どころか、平日の夜であればすれ違うクルマの半分が工事業者のクルマであっても何ら不思議も違和感もない。しかし、プ○ウスという工事業者が使用する車両としてはちょっと役者不足な感のあるクルマに脚立を載せて走るのを1日に数台も見かけるというのは、やはり奇妙だし、違和感があるのも頷けるだろう。しかもこれは特定のある日の話しではなく、割と頻繁に、うーん確定的には言えないけど、週のうち2、3回ほどあるのだ。仮に週2回、1日に2台ほど見かけるとしたら、週に8台、月の合計は16台である。比較対象がないから何とも言えないけど、個人的にはちょっと多いと感じている。この頻度の多さが謎なのだ。
ところで、脚立を仕事道具に使う工事業者とはどういう仕事をしているのだろう。
ぼくの浅い経験で考えてみると、例えば塗装工事とか照明関係の工事、電気や電話、通信ネットワークなどの配線工事、さらに戸建て住宅向けに屋根や雨どいなどの補修とか庭木の剪定などがあるだろう。どの工事でも脚立は必要な道具ではあるけど、それ以上に実際の工事に使う道具も当然ながら必須である。そしてその道具は、工事の内容にもよるけど、やはりそれなりの物量があるハズである。塗装工事であれば塗料や塗装道具、配線工事ならケーブルやケーブルを保護する部材の数々、屋根や雨どいの工事だってそれなりの工具や部材が必須である。仕事道具としては、むしろそちらが主役で、脚立は脇役的存在である。しかし、ぼくが見る限り、脚立を載せたプ○ウスに塗装や配線や補修などで使うような工具や部材が載せられていないようである。見えないだけで実際には後部座席に工具や部材が満載なのかもしれないけど、それでも一般的に考えて、プ○ウスの後部座席に簡単に積載できるほど、工具や部材の量は少なくないハズである。だから一般的に工事業者の車両は、乗用車ではなくバンなどの貨物車なのだろう。同じトヨタ社製のハイ○ースの荷台部分が工具や部材で埋め尽くされて走っている姿を街中で何度も見かけるし、実際にぼくが取引した業者などでもそういう車両を使っていた。もちろん、ぼくの付き合いのあった業者で、プ○ウスを使っている会社は1社もなかった。
あるいは、工事業者がたとえ使い勝手が悪くても、積極的にプ○ウスを選択する事情があるのかもしれない。
例えば環境に悪い排気ガスの削減を目指すお国が、プ○ウスなどの環境配慮型自動車に対して購入費用や維持のための税金を助成したり免除したりしている。工事業者に対しては、一般よりもさらに充実した購入助成制度があるのかもしれない。積載量で勝るバンや軽自動車などの貨物車を凌駕するお得な制度が設けられているのであれば、キャリアに脚立を積み、後部座席に工具や部材をぎゅうぎゅうに押し込むことになっても、あえてプ○ウスを選択するということはあり得るわけである。
しかし、ぼくが調べてみたところ、確かに助成金的な制度はあるものの、工事業者向けにさらに優遇される感じはなさそうだった。だから、購入費の助成があるにしても、それをメリットとしてあえてプ○ウスを選択する動機にはなりそうもないと思われた。
ではどうして、これほど多くの脚立を載せたプ○ウス、通称「脚立プ○ウス」がこれほど多く走っているのだろうか。
インターネットで調べてみると、ちょっと良くないウワサを書く記事に行き当たった。いや、この記事の内容がすべての脚立プ〇ウスを説明しているわけではないと思うのだけど、先に書いたぼくの疑問のひとつひとつに「なるほど」と思わせる説明ができるので、一考の余地がある説である。
インターネット上の記事によると、この脚立プ○ウスは、いわゆる悪徳業者ではないかというのだ。戸建て住宅の屋根に実際には必要のない修繕を持ち掛けていくらかのおカネを詐取するというものである。具体的な手口は分からないのだけど、記事によれば戸建て住宅を訪問し、その家の屋根に実際には存在しない劣化や欠陥があるのを見つけ、たまたま部材があるので格安で修繕しますよなどと修理を持ち掛けるのである。専門家でないとなかなか分からないような屋根の劣化や欠陥を指摘されれば、「えーそうなんですか?安く直るのであればお願いしようかしら」となるわけである。実際には脚立で屋根をちょろっと確認しただけで、数千円とか数万円程度のおカネが手に入るわけである。これはぼくの想像も若干加味して書いているけど、この手の詐欺行為は、たとえば「水道局の方から来ました〜お宅の水道水を確認させてください。・・・あ!こんなに汚れてますよ。たまたま浄水器を持ってきているので格安で取り付けますよ」とか「消防署の方から来ました。消火器の使用期限を確認させて・・・あ!これは古いタイプの消火器ですね。これは法律違反になるので、すぐに交換しないと。たまたま消火器をもってきてるので(以下略)」・・・ってな感じで、以前からもあった類のものである。
何度も言うけど、ぼくの見かけた脚立プ○ウスがこのような詐欺行為をしていると言っているわけではない。そういうウワサ的な話しがあって、これを元にぼくが妄想を広げているだけの話しである。しかし、仮にそうだと仮定するとどうだろうか。ジグソーパズルのピースがハマるように、疑問が解消されるのだ。
例えば、ぼくの見かけた脚立プ○ウスの後部座席に、工事等で必要な部材や工具が積載されているようには見受けられなかったけど、仮に詐欺を目的にしているとすれば、最初から部材や工具は不要である。また、ぼくが1日に何台も見かけたというのは、もしかしたら騙す相手を探して街中をぐるぐる巡回していたからじゃないだろうか。この手の詐欺は、先述の「水道局の方から来た人」や「消防署の方から来た人」のように古くからあるので、もしかしたら同業の詐欺師の間でいわゆる「シマ」を持っていたのかもしれない。ぼくが脚立プ○ウスを何度も見かけたのは、狭いシマの中でグルグルと回っていたからかもしれないし、別のシマでグルグル回っている別の詐欺師かもしれない。いや、これはあくまで妄想である。しかし、仮にそうだとすると、疑問は解消され、ぼくはストンッと納得できるのである。
うーん、しかし、ただ単にプ○ウスに脚立を載せて走っているだけで、詐欺師だと思われるのもなんだか可哀そうな話しである。実際は違うのに、インターネットの記事とぼくの多大な妄想が加味されてそんなネガティブな存在に見られるとしたら、とても心外だろう。
実際には、ホントに何らかの事情があって、やむを得ず脚立プ○ウスに乗っている人もいるのだろう。善良で誠実な工事業者の方も当然いると思う。
そんなある日、近所のあまり通らない小道をクルマで走っていると、小さな工場的な建物が建っていて、その前に脚立プ○ウスが停車しているのを見かけた。
建物には「○○工務店」と記載があって、プ○ウスにも同じ名前が表示されていた。小さな工務店である。近所であることを考えると、ぼくが見かけた脚立プ○ウスはこの工務店の車両だったんじゃないだろうか。その実態は詐欺師でもなんでもなくて、街の頼れる工務店だったわけである。いや、とんでもない妄想をしてしまったものである。
しかし、それでも先の疑問を思うにつけ、再び妄想が暴走してしまう。善良で誠実な工務店という顔とは違う別の顔が実はあったりするのかもしれない・・・なんてね。
そんなわけで脚立プ○ウスの謎を追っていく中で、答えに辿り着いたかと思ったら、さらに謎が深まる形になってしまった。この疑問が完全に解消される日は来るのだろうか。
ぼくがあれこれ妄想しているこの瞬間も、街のどこかで脚立プ○ウスが走っている。
]]>
さて、以前にも書いたとおり、新しい職場で勤務するにあたり、いろいろな不安があったけど、もっとも大きな不安は、その通勤経路であった。特に最寄りの駅から職場まで、まっすぐな道を延々1.4キロも歩くことになるわけで、これほど運動不足が続いたぼくに毎日1.4キロも歩けるものだろうかと大きな不安があった。いっそ会社に内緒で、駅でローラースケートを装着してスィーッと滑って通勤しようかとかほとんど本気で検討してしまった。
この長い徒歩通勤に悩まされたために、本来ならもっと考えたり、気を配っておくべき、不安への対処がまったくできなくなってしまった。仕事内容は大丈夫だろうか、職場の人たちと馴染めるだろうか、そして最大の悩みとして、職場で一緒に働くことになる同じ部署の同僚とうまくやれるだろうか。
実は、異動する前からこの同じ部署の同僚(女性)のウワサは聞こえていた。どこの会社にもいるテキパキ仕事をこなすタイプの女性だそうである。男性の多い職場において、対立する意見を調整をしたり、ルールを守らせたりする立場だから、男勝り上等の気質になるのも頷ける。そんなオットコ前な女性とうまくやっていけるだろうか。
この不安を少しでも解消するために、事前に得た少ない情報を繋ぎ合わせて、彼女の人柄を探ろうともしてみた。しかし、断片的にしか得られない状況を無理やり繋いでも、結局よく分からない感じにしかならず、不安はむしろ増すばかりだった。
会社までローラースケートで行こうというエキセントリックな案を断念し、徒歩に甘んじることとした以降は、ぼくの脳みそはこの同僚の方がどういう人なのかという思いに支配されてしまい、その結果、「ぼくに対してかなりキツいアタリをする人」という架空の人物像を作り上げてしまい、一人で悩み悶える日々だった。実際に、夢にまで出てきて、ぼくにかなり厳しい要求を突きつけるということがあったほどである。
そして、9月1日。ついにこの方との対面である。
・・・いや、イメージしていた方とはまったく異なるタイプである。ちょっと体格のいい太っ腹母さん的な女性をイメージだったけど、その姿はほっそりしたキレイな方だった。言葉遣いや声の大きさはイメージに近いものはあったものの、特にキツい言い回しやトゲのある感じもしない。正論や社内ルールを振りかざすタイプというよりは、人当たりの良さによって関係者の立場や面目も尊重しつつ妥協点を探るようなタイプである。おお、これはかなり意外である。先月まで得ていた断片的な情報とはまったく異なっていた。むしろあの情報はなんだったんだ?
ぼくに対しても、充分すぎるほどの配慮をいただき、高いモチベーションを喚起しつつ一緒に仕事に取り組もうという姿勢が見受けられた。ぼくが黒々と積み上げていた不安は、まるで砂浜に作り上げた砂の城が波に洗われて溶けるように崩れていくかのように、霧散していった。いや、神サマ、ありがとう。
とは言え、彼女とうまくやっていけるかどうかは、今後のぼくの働きによるわけで、ぜひいい関係を維持していけるように、仕事を頑張りたいと思っている。
ちなみに、仕事の方は今までの会社で担当していた経験もあるので、会社独自のやり方を覚えてしまえば、なんとかなりそうな予感である。もちろん、油断は禁物だけど、ね。
ちなみに、1.4キロの徒歩通勤だけど、ウォーキングシューズを履き、男性用の日傘を差しているので、今のところさほどキツい徒歩ではない。この徒歩によって、1日当たりの歩数が格段に増えるだろうと思っていたけど、たいして増えず、つまり大した徒歩ではなかったというわけである。とは言え、駅から徒歩で向かう人はほとんどいないようなので、周囲の目を気にしなくて良いことにカコつけて、ローラースケートで行けるかも・・・と密かに検討を始めているところである。
そんなわけで、1年半勤めた会社を離れ、新しい職場に移った。見るものすべてが新しくて新鮮である・・・いや事務所の建物はかなりの年代物だけどね。それにしても、海を見ながら仕事ができる環境にまさか自身が身を置くことになるとは思わなかった。
ここでまた自己実現できるように頑張っていきたいと思っている。
分析によって分かる項目がいくつかあって、?遺伝子分析から分かる民族組成、?自身の遺伝子を持つ祖先の系統とその移動ルート、?縄文人やネアンデルタール人との近縁の度合い、?近縁と思われる姓、である。
まず、?ぼくの民族組成である。結果として、100%の日本人だそうである。そりゃそうか。
次に?祖先の系統とその移動ルートだけど、数百年前にアフリカで発したぼくの祖先は、東アフリカを経由して、中東から中央アジアを経て、中国に至ったようである。これは父方、母方で若干の違いはあれど、似たようなルートのようである。特に父方の祖先では、多くの人のルーツとなった「Y染色体のアダム」と言われる共通の遺伝子を持っているようである。要するに、東アジアに至った多くの人と共通のルーツを持っているというわけである。
(ちなみに「アダム」などと謳っているのは、現在のヨーロッパ人のごく一部を除くほぼ全員が7人の女性にそのルーツを辿ることができるとする「7人のイブ」をなぞらえているんだろう)
続いて、?縄文人とネアンデルタール人との近縁の度合いだけど、一般と比較して縄文人の遺伝子をわずかに多く持ち、ネアンデルタール人はほとんど一般的な近縁の度合いだった。
最後に、?近縁の姓だけど、母方では長谷川、山下、高橋、森、父方では、清水、石井、井上が近縁だそうである。ふーん。
・・・うーん、この結果をどう捉えたものだろう・・・。
ぼくが民族として日本人であることは疑いようがない。親もその親(祖父母)もその親(曾祖父母)も日本人だし、証拠はないけどその親もその親もそのまた親もきっと日本人だろう。明治維新後に流入した外国人の血が入っていたら、分析結果に現れるだろうしね。江戸時代は外国との交流はほとんどなかったから、その前の安土桃山時代にキリスト教や鉄砲をもたらした外国人の血が入っているとして、実際にそうだとしても、さすがに400年以上も世代交代を経ているので、ぼくの遺伝子に外国人との血縁を見出すことは不可能だろうと思う。その意味では、予想通りの結果がそのまま出たと言える。
また日本に至る人類拡散の移動ルートにしても、ぼくが知識として知っているレベル以上の結果や意外な結果は得られなかった。古代人が日本に至る一般的なルートであると言われているけど、アフリカで発した人類は、アフリカと陸続きになっている中東を経由して東に移動し、ユーラシア大陸の果てである今の中国辺りの東アジアに至り、北海道か南西諸島を経由して日本に入ってきたのだろう。東アジアに至ったのが母方では6〜4万年前、父方では5万〜数千年前だそうで、これも日本人の流入時期としては一般的のようである。最後の氷河期が7〜1万年前だそうなので、北海道も南西諸島も陸続きになっていたかもしれないね。この点は、ぼくの知っている情報を再確認した形になったわけである。
縄文人やネアンデルタール人との近縁度合いについては、平均的との結果が出たので、特に何も言うことはない。先の分析で分かったとおり、日本に入ってきたのが6、7万年前だから、つまり既に弥生時代である。ぼくの祖先はおそらく、他の多くの日本人と同じく、稲作できる場所を求めて、大陸から渡ってきた弥生人で、土着の縄文人と混血が進んだのだろうと思う。
近縁の姓というのもどうもピンとこない。挙げられた姓のどれにもぼくの親族はいないわけで、いやそもそもぼくの姓は離婚した母が父の姓を受け継いでいるだけなので、姓のルーツについてはあまり思い入れがないんだよね。
というわけで、分析結果はぼくの知識と合致するところが多く、詰まるところ、ぼくがごく一般的な日本人の成り立ちを踏襲していることが再確認できた。アフリカから北上し、中央アジアで東に転じ、ユーラシア大陸の果てを突き詰めていたら海に出た。そこが日本だったというわけである。ぼくの祖先がどういう意図で、大陸を歩いてきたのか、いや実は何も考えてなくて、ただ周りに流されるだけだったのかどうかは分からない。しかし、これだけは確実に言えることだけど、アフリカから発した遺伝子の長い長い旅は、ぼくの代でその終焉を迎えることである。
そう、ぼくには子がいない。ぼくの遺伝子を受け継ぐ人がいないのだ。祖先がどういう思いで、その血筋を紡いできたかは分からない。先の移動ルートと同様に、きっと何も考えずに周りがそうするのと同じように、子を作り、育て、遺伝子を繋いできたんじゃないかと思う。いわゆる名家のように、一族の血を絶やさないようになどというバイアスはぼくにはない。だから、今の日本というお国柄を反映して、他の人の多くがそうするように、ぼくも子をなさず、血を途絶えさせるという選択をしたわけである。ぼくの遺伝子の旅はここに終わるわけだけど、いつも周りと同じような行動をとってきたこの遺伝子には、むしろ相応しいというか、当然の結果と言える終焉かもしれない。
ぼくの遺伝子の分析結果は、先に書いた通り、予想通りで意外性はまったくなかったけど、これとは逆に、意外な結果をもたらす人ってどういう人なんだろう。
例えば、欧米の人のようにさまざまな民族の血が混ざった人は、そのルーツの分析結果は興味深いものになるかもしれない。特にヨーロッパには、人類が大きく移動したタイミングが何度かあって、どのタイミングでヨーロッパに至ったのかはなかなか興味深いと思う。ヨーロッパには初期段階でヨーロッパに至った人類の祖先がまだ濃く残っている地域があって、その民族との血縁の度合いがどの程度出るのかというのは面白いかもしれない。
同様に、東アジアでも東南アジアや太平洋の島しょに住む人たちの遺伝子の分析も興味深い。日本人と同様に東アジアに至った人類が、南下して東南アジアに至るというルートが一般的だけど、ここからさらにオーストラリアに南下したり、船でミクロネシア諸島に渡ったりした人が長い年月を経て折り返して北上してきたというルートもあるそうである。さらにハワイなどの太平洋上の絶海の島に渡った人もいるわけで、この辺のぐちゃぐちゃしたルートを年代別に整理できたら、面白いだろうなーと思う。一般的にはハワイ周辺には、西向きの潮の流れがあって、そうであれば、アメリカ大陸に渡った人たちが勇敢にも西に向かって船を漕ぎ出したと言われているけど、ミトコンドリアDNAによる祖先の系譜を遡るにあたり、どうも潮の流れとは逆を行くようにミクロネシア諸島から東向きに渡ったと思われる説もあって、果たして古来からハワイにいた人はどうやってその島に辿り着いたのか、非常に興味があるところである。
今回はぼくの知識と同じ結果が出て、一般論と同じ道をぼくのご先祖が歩んだことを再確認できた。意外性があればいいというわけではないけど、この遺伝子分析サービスはこの他に、体質や性格、代謝の系統、肌の老化の傾向、運動能力の傾向などが分かるさまざまなサービスがあるそうである。自分で購入して試してみるのも面白いかもね。
]]>※今回の最高の体温、38.8度。
]]>
とりあえず症状がおさまってくれて安心しているのだけど、そもそもどうして体調が悪化してしまったのだろうか?
獣医の先生によれば、「何らかのストレスが原因」になる場合があるとのことである。ストレスか・・・。
もともと兄的存在のコウくんからのプレッシャーにさらされることが多くて、例えばフクくんを単独で可愛がっていたりすると、嫉妬なのか、コウくんがニャーニャーと文句を言いたげな声を発しながら邪魔をしにきたり、食後にリラックスしているフクくんにコウくんが突然飛び掛かって激しくじゃれついたりということがあって、しかもそんなプレッシャーに対してフクくんは一貫して「受忍する」姿勢を貫いていて、こんな風に理不尽な嫉妬やじゃれつきに耐え続けていれば、そりゃストレスで心身に異常をきたすだろう。そんな中、ぼくとさきことお袋さんがこぞって旅行に行ってしまった。短期間ながらもネコの世話については、さきこの実家の支援をいただいたのだけど、いつもと異なる様子に、フクくんの中で溜まっていたストレスが体調不良として顕在化してしまったのかもしれない。そう思うにつけ、日常的なストレスにさらされるフクくんの健康は、ぼくやさきこ、お袋さんの存在によってギリギリのところで保たれているのかもしれない。
とは言え、ぼくやさきこやお袋さんがいなかったのは、ほんの2日である。いや、厳密には丸々2日ではなく、その日の朝早くに出かけ、翌日の夜に帰ってきたわけで、時間にして40時間にも満たない時間である。そんな時間もストレスに耐えられないとは、フクくんもかなり神経の細い気質である。短期間でも体調が悪化してしまうのだから、旅行に行くためにペットホテルに預けるとか難しいのかな。万が一の天災の際に、避難生活を余儀なくされたら、すぐに体調を悪くしそうである。もう少し図太い性格になって欲しいものである。
いや、寂しがり屋で甘えてくれるのは、飼い主としては大いに癒される存在なんだけどね。
※早く治ってくれー。
]]>
さて、そんなコーヒー屋との付き合いも、今月限りである。
来月からは転勤となり勤務地が変わるので、このコーヒー屋を利用することは完全になくなる。
来店することがなくなる前に、これまでぼくを気遣ってくれた店員さんには、ぜひ感謝の意を伝えたいと思っていた。とは言え、8月末の最後の出社までまだ2週間ほどあるので、焦ることもないと思っていた。
そんな矢先に、こんなことがあった。
会社では安全管理の一環で、毎日1名の社員が会社に泊ることになっている。いわゆる当直である。これは当番制なので、2か月に一回くらいの頻度で、ぼくにも順番が回ってくる。広い敷地の会社に、当直の社員と委託している警備会社の警備員だけになるわけである。
当直は労働ではないので、いわゆる残業代はなく、当直手当の対象となる。その関係もあって、基本的には仕事はしないルールになっている。だからぼくは当直の日には、ブログを書いたり、会社のパソコンを拝借してインターネットを楽しんだりしているわけだけど、前回の宿直の際に試しにデジタルサックスを持って行って、宿直室で練習してみた。ぼくの頭が音楽モードに切り替わると、それがどこであろうとかなり集中することができ、気が付くと夜遅くになって、そのまま寝てしまうことができた。練習も捗り、かつ時間を有意義に使うことができるわけだから、これは次の当直でもぜひデジタルサックスを持って行こうと思ったわけである。
そして今日である。
今日は当直の日である。ぼくはデジタルサックスを持って出社した。
当然ながら、出社の前にはいつものコーヒー屋に立ち寄る。今日も店員さんが「ブレンドSサイズですね」と言い、ぼくも「はい、ブレンドSください」と言う。
しかし、ぼくがいつもと違う荷物を携えているのを見て、店員さんが声をかけてきたのだ。
「それ、楽器ですよね?何の楽器なんですか?」
一瞬戸惑った。専用のケースに入っているとは言え、一目見て楽器と分かるものだろうか。もしかしたら楽器経験者なのだろうか、いや、それよりも店員さんの方から声をかけてくれるなんて、お礼を言ういい機会である。
ぼくは自身がサックスを吹いていることを告げ、今日はいわゆる夜勤なので、暇な時間に吹こうとデジタル式のサックスを持ってきたのだと伝えた。いや、この1文にどれだけ多くの情報が詰め込まれているんだと思いつつも、さらにぼくは、今月末で転勤になるので、来月からはここに来られなくなる旨を伝え、最後に感謝の言葉を添えた。
いや、店員さんは単に「何の楽器ですか?」と聞いているだけなのに、物凄い情報量を詰め込んだ回答をしてしまった。店員さんの頭の中には、「この人はサックスを吹いているのね」「いつもスーツを着ているけど、夜勤のある仕事をしているのね」「でも夜勤なのに暇なのはどうして?」「夜勤の仕事中にサックス吹くの?」「ところで、なんでありがとうって言われたの?」と、激しく混乱していたかもしれない。ぼくは感謝の意を伝えられたので勝手に満足しているけど、店員さんには逆に申し訳ないことをしたかもな。ホントに混乱していたからなのか、会話を交わして、コーヒーを受け取って、レジを離れるまで、店員さんもぼくも会計が済んでいなかったことに気づかなかったもんな。慌てて「あ、お会計、まだでした」なんて言われてしまった。
そんなわけで、いつも気遣ってくれている店員さんに感謝の意を伝えられたのは良かった。
コーヒー屋のシフトの関係で、まだ話せていない店員さんもいるから、またコーヒー屋に行った際には、声をかけたて感謝の言葉を伝えたいと思う。こういうのは気持ちのいいものである。
毎日飲んでいるコーヒーが今日だけはいつもより美味しかった。
ぼくの日常が少しだけ違った風景に見えた今日の話し、である。
彼女は台風に翻弄され、不案内な大阪や兵庫の街で大きな混乱に巻き込まれつつも、この状況を楽しんでいるのだ。もともと近畿の旅自体が非日常的体験だったところに、台風によって非日常感がさらに増幅され、「ちょっとした冒険」の予定が「先の読めない大冒険」に変貌したのである。この投稿者は、非日常的な混乱、ハプニングがその様相を深めていく中で、自身で決断し行動している。自身の決断が次の予期せぬ展開に繋がっている。きっとわくわくした気持ちなんだろうな。この非日常の中で生きている!まさに非日常から生を感じているんだろうと思う。大冒険の中で感じる生の実感というのは、ちょっと病みつきになる快感なのである。
そういえば、ぼくにも同じことがあった。知床チャレンジである。今回のSNSの投稿と同様に、この時も台風が大きな役割を演じることになった。
ぼくは台風が迫る中、北海道をサイクリングしていた。暴風や豪雨に見舞われながらも、知床峠を超え、オホーツク海の沿岸を根室まで走ったのだ。特に台風が通過する折に、知床峠を超えたり、納沙布岬まで走ったりした際には、生命の危険を感じたものである。もちろん出発前には現地のことを入念に調べ、万が一の場合でも速やかに中断・離脱できるような方法をいくつも考えていた。しかし、たとえば納沙布岬まで走った際などは、あまりの危険さゆえに用意してきた打つ手がどんどん使えなくなっていき、ギリギリの決断として、納沙布岬から根室に向かうためにサイクリングを断念、路線バスに乗ることにしたのだ。もはや最後の頼み、事前に調べておいた路線バスの時刻表だけが頼りとなった局面である。荒れ狂うオホーツク海を前に、ぼくは路線バスが来るのを待ったのだ。そして、ほぼ時刻通りに路線バスがやってきた時、ぼくは安堵と共に生きていることを実感したのである。
ちなみに、ぼくはこの路線バスが根室駅で折り返してくるのを事前に調べてあって、さらに納沙布岬に向かう道中ですれ違った際、バスの運転手さんに「納沙布岬から必ず乗車するので、次の便で必ず納沙布岬まで来て欲しい」と伝えていたんだけどね。とは言え、風雨が酷くなれば、運行できなくなるだろうから、納沙布岬に根室駅行きのバスが来るのは、不確定な部分もあったわけである。だから、豪雨で視界が悪い中、道の先からヘッドライトが見え、バスが姿を現した時には、自分が生きているという感覚を強く感じたわけである。まあ、知床チャレンジで生を実感した局面はこの時だけではなくて、書き出すとキリがないけど、ともかくもあの一連のサイクリングで味わった生の確かな感触は、ぼくは忘れられないわけである。
ニンゲンの欲望とは深いもので、日常の生活が毎日繰り返されるだけでは、満たされない時もあるのだ。そういう時は、ちょっとした非日常がとてつもない大冒険に変わる。SNSに連続して投稿した方も、そういう非日常の中できっと確かな生の感触を味わい、投稿せずにはいられなかったんだと思うわけである。
・・・なんてことを思いつつ、早くも7年が経とうという、知床チャレンジの思い出話しをさきこにしていたら、ふいにさきこがこう聞いてきたのだ。
「もう冒険には行きたくない?」
いや、痛いところである。
先に書いたように、知床チャレンジはぼくの人生でとても重要なことを教えてくれたと思う。こういう経験をもう一度してみたいと思うのだ。しかし、である。
ぼくの慢性的な運動不足がそれを許さない。
いや、この体躯でもできる非日常、冒険はあるとは思うけど、知床チャレンジを経たぼくには、やはりこれを超える経験への期待がある。運動不足な状態で1日に100キロもサイクリングしたら、1日目にしてドロップアウトしてしまうだろう。大冒険のためには、当然それに見合う身体能力が必要である。
そんな状態がぼくのこの先の人生に用意されているだろうか。
やはり少しずつでも運動していかないといけないかな。先日の名古屋・岐阜の旅行で、伊吹山のハイキングコースを歩いてみて、疲れたけどとても気持ちが良かった。木曽川の橋を数百メートル程度だけど走ってみて、久し振りにランニングしていた頃を思い出した。こういう些細なことをきっかけに、またランニングやサイクリングが始められればいいなと思う。
先日のブログで書いたとおり、来月からは転勤によって新しい職場になる。その職場までは1.4キロの道を毎日歩かないといけないわけで、でもこのウォーキングがまた新しい境地に至るスタートラインなのかもしれない。そう考えると、新しい仕事や一緒に働くことになるだろう仕事仲間への不安は、少しは和らぐというものである。
来月からの新しい日常が、新しい非日常、新しい大冒険に繋がっていることを祈るばかりである。
実際にいろんな可能性を検討してみたところ、自転車とかキックボード、スケートボード、ローラースケートなどなどが思い当たった。自転車通勤はかなり一般的だけど、保管場所をどうするか注意しないといけない。自宅以外に保管するとなると、盗難とかイタズラなどのリスクもあるからね。
また、インターネットで検索してみると、実際にスケートボードを通勤手段に使っている人もいた。結果的には、上司に呼び出されて、他の歩行者や往来する車両と接触する危険性を諭されて、断念した人もいるようだけど、ぼくにはあらゆる可能性を先入観なしに検討し、そして実行するに至った点で、非常にリスペクトすべきお方である。
いや、実際問題として、キックボードもスケボーもローラースケートも車輪の径が小さいために、アスファルトの上ではゴロゴロとかなり大きな音がするんだよね。もっと大きな車輪(タイヤ)のものがあれば、いいんだけどね。
そう思っていたら、スケボーやローラースケートで、大きな車輪のものがあることが分かった。しかも、シューズを履いたままアタッチできるタイプもあって、これはかなり現実的であると思った。
さらに言えば、最近中国などのメーカーが売り出しているような電動のスケータもありかもしれないね。
※こんなのとか・・・。
※こんなのとか・・・。
※最近は某中国メーカーが出していたりする。(実用性のほどは不明だけど)
いずれにしても、痛々しいおっさんとして、周囲から変な目で見られるのはたしかである。まあ、新しい職場でいきなり変人扱いされるのも好ましくないので、今は夢想するに留めておくかな。
※もっとローラースケートなどにやさしい世の中になって欲しいと願いつつ、こういう女子校生もいるだろうなーと思って描いてみた。
]]>
この不安を克服するために、いろいろ調べてみた。
例えば、自宅から最寄り駅までの距離は、約650メートル、8分の距離だった。まあ自宅は丘の上にあるので、帰宅にあたっては急な階段を上る必要があるから、距離を歩く以上にこの階段が疲れるのだけど、それでも1キロに満たない距離であった。これは不安解消にはあまり効果的じゃなかったな。
さきこは、会社の最寄り駅から勤務する事業所まで出社時も退社時も、夏も冬も歩いているそうな。よほど台風とか大雪以外は、会社が運行しているシャトルバスには乗らないようである。ではその距離はいかほどかというと、約1キロである。以前、ぼくの仕事の関係で、真夏の炎天下にこの会社にお邪魔したことがあるのだけど、行きは駅前からタクシーで行けたものの、帰りはタクシーが掴まらずドロドロに溶けそうになって駅まで歩いた記憶があるわ。ぼくの今度の事業所は、これよりもさらに400メートルほど先にあるわけである。真夏の炎天下なら会社に着く前に液状化して蒸発しているかもしれない。うん、これも不安解消の材料にはならならないな。
うーん、職場環境が変わるなど、いろいろ神経を使う中で、さらに体力を使うのはやはり不安だよな。いっそ駅から歩くのを諦めて、自動車通勤を申請しようかなー・・・いや、それはそれで運動不足にさらに大きく拍車がかかることになり、身体を動かさなさ過ぎてさすがにヤバいと思う。今でこそ息切れしながらも、自宅から駅までの650メートルの徒歩、乗り換えなどでの徒歩が辛うじて残された運動だというのに、これさえもなくなると、ぼくの生活には完全に「徒歩」というものがなくなってしまう。しかも、自動車通勤は道路の混雑状態が読めない場合があって、結果として出社時刻が読めないリスクがあるし、さらには事故のリスクもある。運動不足や諸々のリスクと1.4キロの通勤距離を天秤にかけると、僅差ではあるけど、徒歩通勤を選択せざるを得ないことになる。まあ慣れれば、1.4キロだって大した距離じゃなくなるよ、きっと。
それでもなんとか自身を安心させたくて、過去に日常的に歩いていた記憶を呼び覚ますと、そういえば、高校時代は最寄りの地下鉄の駅から学校まで徒歩で歩いていたことを思い出した。真夏の日も真冬の寒い日も、狭い道を歩き、さらに高台にある学校まで坂道や階段を上っていた。しかも、登校と下校の1日2回である。その距離を某グーグルマップで検索してみると、1.4キロ、18分と表示された。おお、ぼくは過去に1.4キロを歩いていたわけである。先ほどの会社とその最寄り駅では同じ距離で17分だったのに対し、高校とその最寄り駅で18分になっているのは、前述の坂道や階段を考慮しているのだろう。ぼくにとって、毎日の1.4キロのウォーキングはそれを日常にしていた時期があったというわけである。物凄く昔のこととは言え、これは大きな安心材料になった。
高校の頃を思い出したので、ふと思い立ってさきこの通学距離を調べてみた。ぼくとさきこは同じ高校なので、ぼくと同様に、高校と最寄りの駅の1.4キロを歩いていたわけだけど、そればかりか自宅から近くの地下鉄の駅までも歩いていた。先ほど調べてみたら、その距離は1.7キロである。つまり、彼女は毎日ぼくと同じ1.4キロに加え、さらに1.7キロも歩いていたわけである。その合計は、実に3.1キロ!しかも、朝早くから自主的に朝練するために、早朝に家を出て、夜に帰宅するというハードな環境だったようである。途中に京急の駅があるにもかかわらず、これを利用することなく通り過ぎて、さらに先の地下鉄の駅まで歩いていたわけである。
これを思うにつけ、ぼくが憂いている1.4キロの距離がなんとも短く思えてしまう。さらに言えば、この事業所に勤務する人も半分以上はこの1.4キロを歩いて通勤しているわけである。むしろ1.4キロ程度でウジウジ憂いている方が愚かしいとさえ思える。そんなわけで、来月からは事業所が変わり、その通勤手段も大きく変わる。果たしてどんな職場がぼくを待っているだろうか。徒歩通勤の憂いが晴れたので、今度はそちらの方が気になり始めたぞ。
さて、初日は新横浜から新幹線で名古屋に向かう。
名古屋には以前に仕事で何度も訪れた場所である。考えてみると、会社の事業所を立ち上げたり、移転させたりするプロジェクトは、名古屋の事業所設立に始まり、親会社の事業所に同居するための移転、親会社が移転するためにこれにくっついていく形での移転、自社独自の事業所を立ち上げる移転と、延べ4つのプロジェクトで名古屋に通っていたわけで、それぞれのプロジェクトで名古屋への訪問は1回や2回ではないわけで、そんなぼくにとっては、名古屋への新幹線の車窓の風景が懐かしくなるのは当然のことである。
行き慣れた地下街のレンタカー屋で手続きをして、クルマに乗って走り出す。
最初に向かうのは、名古屋城である・・・が、実際には名古屋城はその天守の周囲を巡って、その外観を見るだけで、城の中に入ることはできなかった。耐震にかかる建築上の問題で、現在鋭意改修中だそうである。しかも、近年流行りのバリアフリーにへの配慮から、城にエレベータができるのだそうな。実際に未稼働ながらもエレベータが天守に併設されているのを見たけど、うーん、外観の美しさをかなり損なっているような印象である。いや、障がい者にも配慮した観光施設というのはたしかに重要だけどね。天守の外観を大きく変えてでも、バリアフリーを貫く必要があるのかなとは思う。
名古屋城にはぼくもさきこも一度訪れているので、その外観を巡るだけではあまり満足はできず、早々に次の城に向かうことにした。
ちなみに、広大な城址公園では、聞き慣れないセミの声を多く聞いた。むしろアブラゼミやミンミンゼミの声が聞こえないくらいであった。あれはクマゼミだったのか、ニイニイゼミだったのか、または初めてその名を聞くハルゼミやチッチゼミだったのだろうか。
※見慣れた・・・と言ったら言い過ぎだけど、以前にも訪れている名古屋城。
次の城は清須城である。
一旦取り壊された後、現代になって再建された城なので、外観も城の内部もかなり現代的で、城が残っているというより、歴史博物館として再生した感じである。ぼくもあまり城には詳しくないけど、世の中には往時の城が実際にそのまま残っている場合と城の跡地にこれを模した現代建築物を建て直したものがあるようで、清須城は後者である。とは言え、城の内部にある施設では、歴史が大きく動く舞台になった様子がさまざまな展示物や映像で示されていて、歴史の理解という点では良かったかな。清須城も新幹線からよく見える城だったので、以前からぜひ来たいと思っていたから、今回の旅で立ち寄ることができて良かったと思う。
※(左)清須城。手前の水溜まりは、直前に降ったゲリラ豪雨による。(右)清須城の天守閣にて。
さて、冒頭にも少し書いたけど、伊吹山に行くかどうかをずっと考えていた。当初は清須城を出た後に岐阜方面に向かい、夜の岐阜城を訪れる予定だったけど、まだ昼近くということで、このタイミングでえいやっと伊吹山に向かうことにした。遠くまで足を伸ばせるのは、スケジュールに余裕のあるこのタイミングしかない。
名神高速を走り、途中のサービスエリアで食事をして、関ヶ原を経由して、伊吹山を目指した。
いや、実際に伊吹山ドライブウェイまでは距離があるものの、山頂までの道路に入ってしまえば、15キロほどの距離なので、山頂近くの駐車場まではあっという間かと思っていた。しかし、これがそう簡単なものではなかったのだ。
距離は富士スバルラインよりも短いとは言え、傾斜は伊吹山の方が急だった。さらに途中で下り坂やヘアピンカーブなどもあって、運転には気が抜けない。しかも、標高は700メートルほどなのに、次第に高い樹木がなくなっていき、低い草木が目立つようになり、さらには木々が生えていないむき出しの山肌の中を進むようになった。富士山にもいわゆる森林限界があるけど、あれは2000メートル近くの標高である。
むき出しの山肌を縫うように遠くまで車道が続いているのを見ると、なかなかオソロしいものである。突風が吹いたらそのまま斜面を転げ落ちてしまうんじゃないか。いや、それよりもこんな過酷な環境を自転車で上っていくイベントがあるのかというのも驚きである。テレビで見たツールド・フランスの超級山岳コースのような風景である。なんだかスゴいところに来ちゃったわ。
山頂付近の駐車場に止めると、さらに山頂に向かってハイキングコースが伸びていた。これを登らないと頂上には辿り着けないそうである。いや、事前にインターネットで写真を見ていたとは言え、ここまで長いハイキングコースとは思わなかった。ぼくの体力もそうだけど、お袋さんに登れるだろうか。
途中で野生のシカを目撃しつつ、さらに目の前に広がる山々に感嘆しつつ、足を進める。いや、実際、この山々の連なりはスゴい。ほとんど原生林のような山地は恐らくこのまま岐阜を縦断して福井辺りまで続いているのだろう。高い山ではないけど、だからこそ感じるこの奥行き感に圧倒された。さらに目を移すと、眼下には陽光を反射する巨大な湖面の姿が靄の中から浮かび上がってきた。琵琶湖である。名古屋を発したぼくは、ついに琵琶湖が見える場所まで到達したわけである。なんだか物凄く壮大な旅をしているような気分になってきたぞ。
伊吹山の山頂までの道のりは、運動不足のぼくにはかなりキツいものだった。しかし、足並みが落ちることはなく、途中で休憩を挟みつつも、なんとか山頂まで到達することができた。続いて、お袋さんもかなりゆっくりであったものの、山頂に到達した。高齢のお袋さんには無理かなーと思っていたけど、結局登り切ることができて、そのことになんだか感動した。伊吹山はいわゆる日本百名山のひとつである。もちろん、駐車場から山頂までは登山というにはあまりにもイージーではあったけど、齢八十近いお袋さんが登り切れるとは思わなかった。若かりし頃にいくつかの山を登った経験のあるお袋さんなので、この歳で百名山の山頂に到達できたというのは、お袋さん自身も嬉しかったに違いない。お袋さんにそんな喜びを味わわせることができてよかったと思う。
ちなみに、この手のハイキングコースは、下りが意外に要注意である。所要時間は登りよりも短くなるけど、一方で足を踏み外して挫いたりする危険性も増すものである。注意深く下りてきて、なんとか駐車場に戻ってくることができた。旅行の初日にして、なかなかハードなことをしたものである。
※ドライブウェイの風景。むき出しの山肌に遠くまで道が続いている。
※山頂付近の駐車場にて。登山道が続いているのが分かる。
※登山道にて。
※野生のシカに遭う。
※伊吹山山頂にて。
※西側の滋賀方面を臨む。陽光を反射する琵琶湖。
※遠くまで連なる山々。
※伊吹山を後にする際にもシカに出遭った。
クルマに乗って伊吹山を下り、高速道路に乗って今度は岐阜城を目指した。既に陽は大きく傾いていて、明るいうちに岐阜城に到達することはできなさそうだった。しかし、岐阜城もそこに至るためのロープウェイも夏季営業なので、多少遅くなっても大丈夫である。ぼくが初めて岐阜城に行ったのは、夕方から夜にかけての時間帯だった。だから、岐阜城に初めて訪れるさきこにも、夜の岐阜城を見せたいと思ったのである。
途中に何度か渋滞に遭ったものの、19時くらいには岐阜城の近くまで来ることができた。
金華山の山頂に建つ岐阜城にはロープウェイで上る。もちろん金華山の登山ルートもあるけど、伊吹山ハイキングで苦しんでいたぼくにはとても無理である。
山頂近くの駅でロープウェイを降りると少し山道を歩くので、お袋さんはロープウェイの発着場で待っていてもらうことにして、さきこと岐阜城を目指した。
ライトアップされた宵闇に浮かび上がる岐阜城である。いや、名古屋城よりも圧倒的な存在感である。名古屋城と比べれば規模的にはそれほど大きくないのに、この圧倒感は信長の威光に由来しているのだろうか。
天守閣から見る岐阜の夜景もなかなかキレイだった。この景色を明るいうちに見るとどんな風に見えるのだろう。
※金華山から臨む岐阜の夜景。
その後、岐阜駅近くのビジネスホテルに入り、岐阜駅に夕食を食べに出かけ、ホテルに戻ってからは、疲労困憊でそのまま眠ってしまった。いや、お城巡りという文化系な旅が伊吹山登山という体育会系な旅になってしまった1日目だった。
※岐阜の駅前。
翌日は、少し遅くまでホテルでゆっくりして、まずは岐阜城に出かけることにした。体力が復活したお袋さんにも岐阜城を見せたかったし、ぼく自身も明るい時間帯での岐阜城は初めてである。
夜の岐阜城もいいけど、明るいところで見る岐阜城もいい。何より景色がいいわ。天守閣で360度の眺望を得て、なんだかずっとこの場に居たい気分だった。天気も良くて、吹き抜ける風が心地よい。こういう景色を信長は独り占めしていたんだね。
この日は日が沈む前に新幹線に乗らないといけないので、なかなかゆっくりもしていられない。ともかくも予定通り、犬山城を目指すことにした。
※岐阜城に至る山道にて。奥に岐阜城が見える。
※岐阜城。ぼくが小さく写っている。
※岐阜城天守閣からの眺め。手前を流れるのが長良川。
岐阜城から犬山城までは地図上ではさほど離れている感じではなかったけど、実際にクルマで行くと、それなりの時間を要した。途中で各務原を通る際、ぼくは知らなかったのだけど、航空自衛隊の基地があって、離陸した戦闘機が物凄い爆音を響かせていた。たぶん車道が滑走路に近いところだったのだろうけど、「耳をつんざく」とはこういう音量を言うのだろう。この辺の人はよく我慢できるものである。
犬山城は天守が国宝に指定された、いわゆる国宝五城のひとつだそうな。犬山城以外には、姫路城、松江城、松本城、彦根城があるそうな。おお、偶然だけど、松江城と彦根城には行ったことがあるわけで、今回で五分の三をクリアするわけか。残りは姫路城と松本城。これは次回以降の旅行の大きな参考になるな。まあ、彦根城は琵琶湖一周サイクリングで近くまで行ったことがあるだけだけどね。たしか天守近くの広場で地元の人たちがラジオ体操をしているのに参加したことがあったわ。
それにしても松江城に並んで国宝に指定されているだけあって、犬山城の天守は日本の城らしさが溢れていた。階を繋ぐ階段は物凄い傾斜である。階段というより、はしごに近い急傾斜である。しかし、苦労して登り切った天守閣からの眺めはとても素晴らしかった。川沿いに建つ山城という点では、岐阜城と同じだけど、犬山城は少々小振りな感じがして、しかしその小振りさがまた岐阜城の圧倒感とは異なる、独時の気品を醸していた。岐阜城と犬山城はそれぞれの良さがあって優劣は付けられないけど、犬山城の方が好きかもしれないな。
ちなみに、天守閣を取り巻くバルコニーのような部分(高欄または廻縁というそうな)は、老朽化のためか外側に傾斜していて、足元がとても不安だった。前日の名古屋城のようにエレベータを敷設するのはどうかと思うけど、一方で往時の天守閣をそのまま残すにしても、最低限の保守はして欲しいと思うわけである。いや、あの外向きの傾斜が本当の姿なのか。あー怖かった。
※犬山城にて。
※犬山城天守閣からの眺め。木曽川に雲が映る。
※犬山城から岐阜城が見える。
ランチは犬山城近くで鮎の釜めしをいただくことにした。名産という意味ではうな重と迷ったのだけど、食べたことのないものを食するのが旅というものである。とは言え、淡水魚と言えば、琵琶湖で食べた鮒(ふな)寿司を思い出すわけで、鮎も通常の塩焼きはまあ美味しいのだけど、この日に食べてみた釜めしは少々苦手である。いや、ご飯の方は美味かったけどね。
食事を終えると、ぼくはクルマを走らせて、犬山城前の木曽川を渡って対岸に出た。ここから見える犬山城をどうしても撮影したかったのだ。川沿いに建つ犬山城を川越しに臨むのが美しいのだ。インターネットでも写真が掲載されているけど、どうしても自身のカメラに収めたかった。この日のようないい天気であればなおのことである。あいにく、対岸から犬山城を撮影しようという輩は多いようで、その対策のためか、対岸の川沿いの道にはクルマを止められる場所はまったくなかった。やむを得ず、橋を渡って犬山城側の川沿いの路上スペースに停車して、ぼくはさきことともに走り出した。
文字通り、走り出したのだ。新幹線の時間が気になっていたこともある。しかし、夏の暑い日に、ぼくはまるでジョギングでもするかのように橋を渡っていったのである。距離としては、数百メートルほどでしかない。しかしランニングから遠ざかって数年が経ち、何キロも走れた身体はもはや数百メートル、数十メートルでも息苦しくなるようになってしまったのだ。しかし、この日のぼくはどういうわけか、川越しの犬山城の写真を撮るために、橋のうえを走っていた。息苦しさなどまったく感じなかった。なんだ?これは?
橋の中ほどまで来て、いいアングルを得たので、犬山城の写真を撮った。そして、再び走り出した。この時もまったく息が切れなかった。さきこがぼくの隣に並んで走ってくれた。おお、これは長いこと体験していなかったランニングの時の光景である。以前はこんな風にさきこと走ったものである。いや、懐かしいわ。
思うに、前日の伊吹山ハイキングが効いたのかもしれない。なかなかハードな登坂により、ぼくの心肺機能が少しだけ向上したのかもしれない。ではなぜ、伊吹山では山頂まで行って帰ってこられたのか?ぼくがいつかまたランニングを復活させられるヒントが、この伊吹山ハイキングに秘められているような気がしている。
※あゆの釜めし・・・まあまあのお味。
※木曽川越しに犬山城。いい感じ。
さて、この時点で新幹線の発車時刻まで3時間半ほどになっていた。
犬山城から岐阜城を通り超すように大垣城に向かい、さらに時刻までに名古屋に戻るのはさすがに不可能だろう。また、前日の清須城で入手した信長ゆかりの城巡りスタンプラリーにおいて、犬山城と名古屋駅の間に小牧山城があることが分かっていた。小牧山城でスタンプを押すと、清須城、岐阜城に続き、3つのスタンプを得ることができる。いや、実際は4つのスタンプを押す必要があって、最後のひとつは安土城なんだけど、さすがに琵琶湖近くまで行くことは無理なので、ここはせっかく押した2つのスタンプを3つにするべく、小牧山城を目指すことにした。
小牧山城も山城である。しかも、城下の駐車場からは徒歩で天守まで行かないといけない。時間が差し迫る中で、なかなかハードなことである。かなり気温が高くなり、熱中症の懸念も出てきた。
お袋さんには駐車場近くにあるファストフード店でコーラでも飲んで涼んでいてもらい、ぼくとさきことで少々早足で山を登り始めた。小牧山を取り巻くようにハイキングコースが設定されていて、これをぼくとさきこでざくざく登っていった。さすがに前日の伊吹山、岐阜城での山道、犬山城下でのランニングを運動不足の身体でこなしてきただけに、かなりの疲労が溜まっていた。現在の体力なら途中で諦めていたと思う。しかし、この旅行でのぼくはどういうわけか、いつもよりも数段高いパフォーマンスを発揮した。さすがに息苦しくなってはいたけど、速度を緩めることなく、ざくざくと登っていくことができたのだ。いや、自分でも驚きである。どこにこんな力が残っていたのだろうか。
※小牧山山頂にある小牧山城を模した現代建造物。
※小牧山城から岐阜城が見える。
こうして灼熱の中、普段以上の高いパフォーマンスを発揮して登った先に遭った小牧山城は、前日の清須城のような城を模した現代建築物だった。施設は歴史博物館という名称で、「城」とは言っていないからウソをついているわけではないのだけど、迫る時間に後押されるように急いで登ってきた、この旅行最後の城としては、いささか以上に残念な施設だった。反り返った屋根の形が、城というよりも寺社を想起させ、モルタルで塗り固められた壁面と相まって、さながら宗教施設のような建物だった。
とりあえず天守まで上り、周囲の景色を堪能しつつ、遠くに犬山城、さらに遠くに岐阜城を確認した。いや、ここから岐阜城が見えるって、現代ならスカイツリーとか横浜ランドマークタワーのように遠くからもシルエットを確認することはできるだろうけど、建て直されたとは言え、中世の建造物である岐阜城を同じく建て直されたとは言え、中世の小牧山城から視認できるって、中世日本の壮大なダイナミズムに圧倒される思いである。
そんなわけで、城巡りはこれで終了である。
さて、名古屋駅には何時に着けるか?!・・・と思ったら、高速道路に乗ったところでかなりスムーズに進み、名古屋発の時刻よりもかなり早くに名古屋駅に到着できた。まあお土産を買ったりしているうちに時間が過ぎてしまい、時間を持てあますことなく新幹線に乗って家路に就くことができた。
いや、なかなかハードスケジュールな旅であった。結果として巡った城は、名古屋城、清須城、岐阜城(2回)、犬山城、小牧山城である。これに伊吹山のハイキングがくっついて、学生の修学旅行でもここまで詰め込まないだろうと思うほどの強行軍であった。そして全体として高い満足感を得ることができた。さきこやお袋さんも満足してくれたのも、とても嬉しい。道中いろいろサポートしてくれたさきこに感謝だし、伊吹山ハイキングも含め、この強行軍に付き合ってくれたお袋さんに感謝である。
コロナ禍明け最初の旅行としては、大成功だったと思う。
こういう経験をすると、また「おかわり」が欲しくなるものである。来年もどこかに旅行に行けたらいいなと思う。また城巡りでもするか、今回では一度も登場しなかった海を眺められる旅にするか、どうしようかな。
ところで今回の旅行が近年の旅行と異なることは、宿泊施設の予約にあたり福利厚生サービスを利用しなかった点である。以前の会社では実際にサービスを運営していたこともあって、宿泊先は会社が提携している安価なホテルなどを利用することができた。一泊1万円を割るのは当たり前で、いわゆるカフェテリアプランを併用することで、2、3千円で宿泊できるなんてことも少なくなかった。だから今回、そういうサービス抜きで予約してみて、宿泊っておカネがかかることを改めて感じ入ったものである。
梅雨が明けて今週で1週間が経過する。梅雨明け後の1週間は晴れるなんていうジンクスがあって、それはつまり梅雨明け1週間後の天気が崩れることが多いということなんだろうけど、だから旅行の日に晴れるかどうかは、かなり不透明である。既に沖縄地方には台風が控えていて、列島を直撃しないものの、日本海辺りを北上する見込みになっている。これが名古屋・岐阜の天気にどう影響するのか、ちょっと不安である。
果たして、今回はどんな旅行になるだろうか。
さて、眼科医で視力検査に基づいてレンズに選ぶにあたり、どんなレンズがいいのか考えてしまった。
仕事上の支障がなく、かつドライブなどで遠くのものが見えるようにし、さらに近くのものを見たりできる遠近両用レンズはどうかと打診してみたのだ。すると、遠近両用ではむしろ遠くと近くの視力は補正できるものの、中間的距離、つまり仕事でパソコン作業をするような距離の視力はあまり向上しないそうである。また、パソコン作業の距離と近場の距離の視力を補正する中近レンズでは、遠くのものがボヤけてしまうそうである。中近レンズではクルマの運転はむしろ危険だそうである。クルマの運転もできて、パソコン作業も手元作業もできる遠・中・近距離で視力を補正できるような都合のいいレンズはないそうである。うーん、どうしたものか。
ドライブでの見え方に不満があるのはたしかである。遠くの標識が見えづらいのをなんとかしたいと思う。一方で、手元の視力も非常に悪い。絵なぞを描く際には近距離レンズのメガネをかけているけど、これはごく近い手元以外はほとんど見えなくなってしまう。メガネをいちいちかけ替えなくても、近距離もそれなりに見えて欲しい。さらに、中距離では、最近どうも楽譜が見えづらくなっている。特に五線紙の第三線と第四線、第二間と第三間の混同が増えてきた。E♭管で言えば、シとレ、ラとドが混同しやすく、吹き間違えが増えてきた。中距離の視力もやはり欲しいわけである。
話しによると、現行のメガネは遠くを見ることをある程度想定したレンズになっているそうで、ぼくの感覚に反してその視力は、まだ充分なレベルにあるそうである。だから、遠距離は現行のメガネを使用しつつ、新しいメガネで中距離、近距離の視力補正をした方がいいかもしれない。つまり中近レンズというわけである。
ちなみに、これと同じような話しを現行のメガネを買った横浜北部のメガネ屋で話したことがあったけど、最終的に遠近レンズを強く勧められた感じで、さらにレンズの薄さだのUVカットだのブルーレイカットだのと高品質なレンズを勧められて、結果的にフレーム価格に4万円以上の追加出費をする展開になってしまった。一方で東○メガネの方では、結果的にレンズの品質を変えずに、フレームの値札にあった金額ですべてを購入することができた。この点はなかなか好印象だった。
そんなわけで、中近レンズで新しいメガネを買うことにした。まずは、パソコン作業とか譜読みなどがより楽になるといいなと思う。
それにしても思うのは、視力に応じてメガネをいちいち用意しないといけない昨今の状況は、やはり不便だと思う。近視や乱視、プリズムだのといろいろ悪化してくる中で、さらに老眼も始まるかもしれない。これからも視力補正の必要性が増していくわけで、またメガネを買ったり、あるいは視界がボヤける不快や不便に耐えないといけないと思うと、げんなりしてしまう。
たとえば、今後のテクノロジーが向上する中で、補正すべき視力に応じて屈折率を変化させられるレンズってのはできないものなのだろうか。レンズに特定の電流を流して、粒子の配列を変更し、屈折率を変えられるレンズである。以前、取引先のオフィスで見かけたけど、通常のガラスパーテーションをセキュリティ上の必要性から電気スイッチを入れることで、一瞬で白い曇りガラスに変えられるようにしていた。これと同じで、メガネのレンズでも屈折率を人為的に操作できるようになれば、メガネのあり様は大きく変わると思う。さらにコンタクトレンズに極小の集積回路を組み込み、外部から信号を送ることで、コンタクトレンズの屈折率を変えるなんてこともできるかもしれない。そうなれば、メガネやコンタクトレンズを付けたまま、焦点を近距離に合わせたり遠距離に合わせたりできるわけである。コンタクトレンズの極小集積回路は難しいとしても、フレームに機器を埋め込めるメガネの方なら、なんだか現代の技術でできそうな感じがするけどどうなんだろう。ちなみに、この想像をさらに発展させると、眼球のレンズそのものをこのレンズに変えてしまうなんて未来が想像できる。眼球のレンズが外部操作でその屈折率を変えて、視力を補正できるわけである。いや、さらに発展すれば、神経組織の電気信号を直接レンズの屈折率操作に置き換えることができるかもしれない。要するに、見たいと思っただけで、その対象に自動的に焦点が合う人工的な眼球レンズである。そうなれば、ニンゲンの視力は1.5とか2.0などのような領域を超えて、アフリカの原住民のように6.0みたいな、2キロ先にいるハエまで視認できるレベルまで行けるかもしれない。こうなれば、もはやサイボーグである。
後段のサイボーグ的な話は別として、レンズの屈折率を人為的に操作できるメガネくらいは、ぼくが生きている間にできて欲しいものである。
妄想的な脱線はほどほどにして、ともかく新しいメガネができる。それだけでなんだか嬉しいものである。やはり「メガネは顔の一部」だからね。
]]>
駅前からほど近くの場所にライブハウスがあった。並んでいるお客さんの数を見ると、多くのお客さんが入れるところじゃないようである。出演者用のエレベータはあるようだけど、お客さんは階段で4階まで上らないといけない。小さなスペースに作られたライブハウス。こういう建物が多いところは、なんだか下北沢らしいなと思った。
ぼくがまだ大学生でサークルで演劇をやっている時は、この下北沢の芝居小屋は憧れの場所だった。情報誌ぴあに載るほど有名だった芝居小屋の何軒かは既に閉じられてしまったけど、街の雰囲気は当時の面影というか、様々なクリエイターが自然に集まってきそうな雰囲気を残していた。
階段を上って4階に行くと、ぼくにはライブハウスというよりも芝居小屋のように見えた。まあ実際に芝居なんかもできるのだと思うけど、黒く塗られた窓や壁、照明器具を吊るためのバーが渡された天井、狭い中に小さな椅子が詰め込まれるように並べられているのは、ぼくの知っている芝居小屋を思い出させた。いや、椅子があるだけマシな方かな。小劇場では、隣の人と触れてしまうほどの距離で桟敷に直に座ったりするもんな。火事や地震があったらどうなるのか、消防法に対する挑戦的な構造がなんだか懐かしいわ。ちなみに、開演前の客入りの時間帯に、BGMのように流れていた音楽が、開演の合図のようにそのボリュームを上げ、照明が暗くなるとともに音量を下げていくという一連の流れは、芝居に出ていた頃、舞台袖に控えるぼくがとても好きだった瞬間である。
※ステージの写真。赤いのは提灯で、夏らしさを演出しているそうである。
さて、ライブの方はまずまず楽しめた。
しかしぼくとしては、生で観覧するからこそ体感できる音楽を期待していたのだけど、サックスにはマイクが付けられ、スピーカーからは全員の音が混然となった音が聞こえ、ライブならではの臨場感はあまり感じられなかった。このライブはYoutubeでも生配信されたそうで、帰宅後に早速アーカイブされたライブの様子を見てみたけど、その現場にいるぼくが聞いていた音とはかなり違って、バランスの整った音楽になっていた。音楽的にはライブよりもネット配信の方が良かったのかもしれない。つまり、ライブの観客よりも、はるかに多くのYoutube視聴者を意識した音響のセッティングだったのかもしれないな。その点は非常に残念である。
もともとクラシック畑出身の演奏者だから、こういうライブハウスでのノリのいい音楽よりも、マイクなど一切使わないコンサートホールでの演奏を聴く方がいいかもしれないし、ぼくにとってもより学びは多いのかもしれないな。
そんなわけで、ライブの方は楽しかったけど、ちょっと物足りない感じで終わることになった。終演後に出演者と生で言葉を交わせたのは嬉しかった。握手させてもらったけど、あんな小さな手でバリトンサックスを超絶的に吹きこなすというのは、さすが音大出身である。ポップス的な演奏もいいけど、クラシックな音楽もぜひ聴いてみたいものである。
※盛り上がったライブであった。
]]>