「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
今日は株主総会
今日は、株主総会の集中日ってことで
しゅんすけの会社も
他の会社にあわせて、今日、株主総会を
開催する。
しゅんすけが総務課に異動になって
初めての総会なので、
ちょっとどきどきですね。
本来、総会は総務課の上部組織である「総務部」全体の
行事で、当然人事課も参加しないと
いけないんだけど、
しゅんすけが人事課にいた頃は、賞与(ボーナス)の計算業務に追われてて
一回も参加したことがなかったのです。

今日は、通常の始業時間の2時間前に総務課全員集合がかかってて
しゅんすけは、朝5時起きだった。

〜総会開催〜

総会が終了しました。
何も問題なく無事終了。
最近の株主総会って、2時間かけて会社の事業内容を
報告したり、総会後に昼食会をやったりと
旧態を脱する動きがありますが、
ウチの会社の場合、全然旧態。
あんまり書くと、守秘義務とかインサイダーとかに引っかかっちゃうかも
しれないのですが、
準備した割には、あっけない総会なのです。
世の株主総会のほとんどはまだこんな感じなのでしょうかね。

ってなわけで、総務課の1年でもっとも大きなイベントが
無事終了したわけです。

来年は、なぜかしゅんすけの担当になるらしく
今年の担当者同様、残業の毎日になりそうですね。
今から憂鬱・・・。

さーて、これで、沖縄に向けて完全始動だー。
| - | 13:33 | comments(0) | -
【続】暦の話し(4)
・・・続き。

そういや、まだ99年のころ、
TBSとかでは「2000年で新世紀」って立場を
一部で取ってましたね。
これが、上記のような考えに立ってわざとやってたのか
単なる無知なのかは分かりませんがね。
(無知とか言われてるようじゃ2000年=新世紀論は
無理があるかなー?)

また、99年にアメリカで
「ど〜すんのよ」ってことになって、一部で論争が
起きたらしい。
かの地は、キリスト教圏なので、問題が一筋縄ではいかないんでしょうね。
そのとき、クリントン大統領が
「どっちにするか決めてくれ!」という民衆の声に答えて
異例のコメントを出しました。
「どちらにしても、私は新世紀を2回祝うことのできる
唯一の大統領だ」だって。
なんじゃそら。

この話って、この前の
暦の知識があって2000年2月29日を迎えるのと
何も知らないで迎えるのとの違いと一緒で
知っててどうにかなる問題ではないけど、
(しかも、この問題は向こう100年は問題にならない)
ま、知識ですわね。

最後にこんな逸話。
しゅんすけの尊敬する地質学者スティーブン・J・グールドは
この問題について、一冊の本を書きました。
その中で、グールドのよく知っている友人は、
○○年○月の第三月曜日が何日かをそらで言い当てることのできる
能力を持っているんですね。
ただ、彼は精薄児なんです。
だけど、暦のことについて、彼は健常者以上の能力を持っているわけです。
その彼に、グールドが新世紀はいつから始まるのかを
聞いたとき、
「もちろん2000年さ」と即答したそうな。
では、紀元1世紀についてはどうかと聞くと
「簡単さ。1世紀は、99年しかなかったんだ」と。
グールドは、この答えに打たれたのだそうな。
なんて単純な考えなんだろう、と。
科学はこういう単純な回答を探求する学問なんだと再認識したそうな。
そして、その「彼」とは、グールドの愛する長男なのだそうな。

ちゃんちゃん。
| - | 18:03 | comments(0) | -
【続】暦の話し(3)
・・・続き。

なのに、なぜ、21世紀は、2001年からなのでしょう?
これは、暦の欠点(?)なのかもしれないですが
最初に1世紀(紀元1年〜紀元100年)を設定する際に
「紀元0年」を入れていないのが、原因なのです。
そういえば、紀元前1年の翌年は、紀元1年で
紀元0年が存在しない。
だから、1世紀は、紀元1年から開始になるのです。
それが営々2000年まで受け継がれている。

じゃ、なんで紀元0年が存在しないのか?
それは、当時(紀元1年頃)に、「0」という概念が
なかったからなのです。
「0」の概念は、アラビアからヨーロッパに伝わったのですが
その頃には、まだ0という概念が存在していなかった。
※だから、「0世紀」がないんですね。

でも、この「世紀」って単位は、純粋に人間の価値観で
決まった単位。
「年」「月」「日」みたいに、天体観測から導かれる時間の単位とは異なるわけで
世紀の区切りを人間の価値観に合わせればいいのにって思う。
今回の2001年では、2000年に新世紀を祝うような人って
いなかったけど、1900年には、文字通り
「2回花火が上がった」のです。
しかも、もっと前には、00年を新世紀としていたらしいし。
今回誰も疑いなく2001年より新世紀と認識していたのは、
1900年に19世紀に発達したマスメディアが
「新世紀は01年ですよ」と宣伝していたのを引きづって
いたかららしい。
まだ、議論に決着がついていなかったのにね。

新世紀はいつか?の問題は、そもそも
文明未発達の頃の名残(「0」の未発見)で起こったことであり
天文学的な要請がない以上、
ある時点で決めちゃえばいいんだけどね。
01年で決まっているとは、言えない状況なので。

・・・続く。
| - | 18:02 | comments(0) | -
【続】暦の話し(2)
・・・続き。

この問題で難しいのは、一つの発明には、その前提になっている
発明があるということ。
「原爆」だとすれば、その基礎になる相対論も発明だし、
相対論を生んだ「数字」「火薬」「体系的な教育システム」も
発明になる。
数字は、文字から発展したわけで
文字を生んだ「社会構造」も発明。
「火薬」を生んだ基礎になる「社会的抗争」→「社会構造」が
発明になり、そんなの2000年はおろか
1万年以上前からあったわいってことになる。
要は、止めど無くなっていく。
しかも、基礎になるモノの発明は、
「偉大」だと思われる発明も生んだけど
「偉大じゃない」発明(負の発明)も生んだりね。
(「社会構造」でいうところの「貧困」とかね)

ってなわけで、考えると結構「ナンセンスQ」かも?

でも、学者でない一般人には
なかなか面白い問いだと思いました。

ちなみに、一日考えたしゅんすけの回答は、
「キリスト教」。
キリスト教は、中世以降の世界拡大の一旦を担っているし、今の世の中
良きにしろ、悪しきにしろ、キリスト教の原理で
動いているから。
そもそもキリスト教がなければ、
「この2000年の偉大な発明は?」という問いさえ
なかったと思うから。
「ミレニアム」って言葉も、「2000年」の基準も
すべてキリスト教から発してるわけですから。

これも、結構ナンセンスA(アンサー)か?

そういや、ミレニアムとか新世紀とかについての
話しをここで書いてなかったね。
この前書いたのは、暦のお話だったっけ?
今回は、新世紀のお話し。
なんで、ミレニアムは2000年なのに(厳密には違うけど)
21世紀は2001年からなのだ?というもの。

ミレニアムとは「千年紀」のことなので
1000年代が終わり、新たに2000年代が始まるって意味では
2000年が正しいようですよね。
では、21世紀はどうかというと、1900年代が終わり
2000年代が始まるって意味。
なら、21世紀は、2000年からだし、20世紀は
1900年からってことになる。

※今気づいた、「なんてアンタイムリーなお話しなんだろう・・・」

・・・続く。
| - | 18:00 | comments(0) | -
【続】暦の話し(1)
最近本読んでないなー。
ってことで、港北ショッピングセンターのリブロ書店へ。
前にも書いたけど
結構好きなんですよ、この書店。
買いたい本は結構あったんだけど、結局
買わなかった。
でも、本屋は、本との出会いがあるので
楽しいですね。

その中で、発見した本が
題名は忘れたけど
「この2000年でもっとも偉大な発明は何か?」というような本。
※「発明」にかかる形容詞は忘れてしまった。「偉大」じゃないと思う。
(でも、前向きな形容詞だったと思う)

多分、1999年頃に発刊された本だと思う。
まだ、ミレニアムを迎えていない時期に
アメリカを中心とした各分野の学者に
この質問をして、その回答と理由が書いてある。

回答は様々で、やはり自分の専門分野についての
回答になってましたが、
「こういう考えもあるのか」と興味深く読んだ。

数学者は、「アラビア数字」だったり「微積分」だったりする。
アラビア数字により、国が異なる人種間で
定量的なモノの交換が可能になったり
異なる単位の通過間の流通が可能になった、ってとこかな?
※微積分は、どの辺が「偉大」な発明なのかしゅんすけには???

政治学者(だっけか?)は
「資本主義と社会主義」を挙げていた。

おもしろいのは、「籠(かご)」って回答。
2000年前の狩猟採集生活において、
採集したモノを保存しておける籠こそが
この2000年の発展の基礎になっている、のだそうです。
(2000年間の発明?なのかな?)

他にも
「原爆」
「進化論」
「印刷機」
「政教分離」などを挙げていたっけ。

政教分離は、しゅんすけも「いい線いってる」回答と
思った。
これがなかったら、未だにアステカやマヤをやってたかも
しれないからね。

「なし」「言及に値するものなし」とか言う人もいる。
「発明」とは、人類が「よりよく」なっていくことのはずなのに
この2000年間、人類がよりよくなっていくような
発明は一切なかった、と。
他の学者が挙げているいわゆる「発明」とは、
資源の無駄遣いだったり、種の滅亡との背中合わせだったりするわけで、
2000年以上前の発明、「言葉」「文字」「火の発見」に比較して
全然進歩的でない、と。
ま、そういう意見もあるかなー?

・・・続く。
| - | 17:58 | comments(0) | -
昨日さきこに話したこと
昨日は帰りが遅かった・・・。
人事の給与計算の「本番」があったため、
総務課のしゅんすけも引継ぎ(まだやってんの?って感じですが)
のために、遅くまで会社に残ってたのです。
それにしても、給与の仕事って
すっげープレッシャーなんですよね。
(うちの会社だけかな)
社員の生活費を背負ってるというか。
(たかだか2,000人のくせに)
いわばそういう「業」みたいなのを背負って仕事してる
わけなんですよ。
(大袈裟な・・・)
総務課への異動の話しがあったとき、
「自分の仕事を取られた」という理不尽さを伴う喪失感に加えて
「プレッシャーからやっと解放される」という安堵感が
確かにあった。

ちょっと飛躍して哲学的に言うと
「『死』によって、『生きる』という業から解放される」って
とこかな?

死ぬことと給与担当から外れたことの喪失感は
同一視できないし、同軸上で論じられることではないけど、
無理やり同一視したときに
給与担当から外れたときに感じた安堵感も
死と無理やり同一視できるのではないか?
つまり、死は、生きることの業から解放される安堵感を
伴っているのではないか?
(この辺りは、諸宗教でもよく言われることだけど)
(仏教か?)

ここで給与担当うんぬんを離れて「死」について
考えてみる。
安堵感を無理やり幸福感まで高めてみる。
そうすると、この幸福感って生き物であれば
すべて感じることのできる感情なんですよね。
みんな死ぬんだから。
(死してなお感情があるかどうかは抜きにして)
(あるいは、死ぬ間際の感情か?)
そういう意味では、神さまは、すべての生き物に平等に
幸福を与えてくれる。
(キリスト教的にいうと「慈愛」?)

どこで読んだ言葉だったか忘れたけど
「『死』は最高の贈り物」なんだよね。

神さまは、すべての生き物に最高の贈り物を
用意して、この世に「生」を与えてくれた。
最高の贈り物を受けるために、生き物は
生きなきゃいけない。

人って何の為に生れ、何の為に生き、何の為に死ぬのかは
科学ではまだ解明できていない。
だから、神話で納得するしかないのだ。
(免疫学が誕生するずっと前、
病気とは「憑き物である」と言われていたと同じように)

とまあ、ガラにもなく哲学的(なのか?)なことを
つらつらと書き連ねてみました。
ちゃんちゃん。
| - | 19:49 | comments(0) | -
今日は夏至&たあいのない話
今日は夏至ですね。
地球が太陽の近日点を通過する日。
天気があいにくだったので、1年で一番昼の長い日を
実感できなかった。
今日以降、12月23日まで昼の時間は短縮を続けるのですね。

さて、ニュースによると
最近、小笠原諸島の無人島にネコが生息していることが分かったらしい。
無人島とは、小笠原諸島・父島のとなりの島=南島。
しゅんすけも大学の卒業旅行で父島・南島・母島には
行ったことがあるのですが、
南島は小笠原諸島の中でもっとも美しい島のひとつでしょう。
島はすりばち状になっていて、上陸してすぐに急な崖を登らないと
いけない。
崖を超えると、美しい入江やそこから続く白い(珊瑚ですね)砂地が見えます。
島の中心に立つと、周りは全部山のような斜面になっているんです。

その南島にネコ、さらにはネズミまで生息しているらしい。
最初の崖から島全体が一望できてしまうほど小さな島なのですが
ネコもネズミも実際の姿は確認されておらず、
ネコは鳴き声が、ネズミは死骸が確認されているだけらしい。

ネズミは、海を渡ってくることができるそうなんですが
(父島から南島まで5?`程度)
ネコはさすがに誰かが持ちこんだとしか考えられないそうな。

南島ではついこの間、都の職員が訪れて
観光客の大量入島による土砂の浸蝕が激しいため
入島を制限しようかとニュースになったばかり。
これでは、南島入島制限は実現するかもね。

島形がすりばち状のため、外見的には、
崖しか見えない南島ですが
一歩中に入ると別世界が展開するという
感動が味わえなくなってしまうのは
残念です。

と言っても、しゅんすけが小笠原に行ったのは
6年以上も前の話で
あれからずっと「また行きたい」と願いつつ
実現していないんだから、
しょうがないけどね。
| - | 23:31 | comments(0) | -
音楽→芝居のことなぞ
さきこが鈴木重子のCDを買ってきた。
日本テレコムのCMで「日本で初めて本場ブルーノートのステージに
立ったジャズシンガー」として紹介されていた女性です。
(東大法学部卒、すごい←学歴に弱い)
この方の「The Rose」は、いいですね。
癒されるのだ。
原曲を歌った方って名前忘れちゃったけど、この曲好きなんス。
好きな曲を癒し系ジャズシンガーで聴くのは、なかなかなもの。

「The Rose」って曲は、実は最近曲名を知ったんだけど
実は、かなり思い出のある曲。
大学生だった頃、何を血迷ったか演劇サークルに所属していたんですが、
初めて舞台に立ち、お客さんの前でパフォーマンスする喜びを
知った芝居のエンディングでかかる曲が、この曲なのです。
すごく情感のある曲で、この芝居の最後を飾るのに相応しい曲でした。

そういや最近芝居見に行ってないなー。
昔は小劇場をよく見に行っていたんですがね。
芝居って映画ともちょっと違う。
すぐ先で実際に役者が演じているという状況で、
役者のパワーを直に感じることができるのです。
見終わった後、映画では脱力感に似た気だるさを感じるけど
芝居の場合は、いきなり駆け出したくなるような(熱い!)
勢いを感じるんです。
芝居っていいですよ。
(あ、しゅんすけの場合、小劇場のことね。アングラだけど)

ひどい芝居もありますよ。
「表現の自由の乱用」というべき芝居ね。
黙って座っていることに苦痛を感じるような。

今のバンドでよく言われることだけど
「お客さんがいる以上、最低限の演奏をしよう」ってことが
ジャンルを越えて、芸術における普遍的命題だと
今更ながら感じ入ってしまいます。

この前実家の引越しで、いろいろ発掘できた中に
芝居青年だった頃のしゅんすけが、若さに任せて
書き上げた芝居の脚本が出てきた。
「暗転」っていう場面転換で使う舞台を真っ暗にする指示が
やたら出てくる芝居だったけど、
しゅんすけの所属するサークルがはじめて
公演を学校の施設以外でおこなった記念すべき芝居なんだよね。
そういや、しゅんすけの所属したサークルは
今どうなっているのだろう・・・。
※卒業してからほとんど大学には行っていないからなー。
→会社から徒歩で行ける距離なのに。
| - | 22:23 | comments(0) | -
えらの旅行(3)
・・・続き

陶芸はかなり難しいというのが、やってみて分かったこと。
力の加え加減や、指の滑り加減、粘土に含ませる水分など
誰一人として「思い通りにできた」人はいませんでした。
大抵、店の主人が「とりあえずちゃんとしたものを確保しておこう」と
言い出し、90%以上ご主人が作るという感じなのです。
でも、メンバーの個性の出る作品ができたようです。
あとは、乾燥させて焼くのですが、そこはお任せ。
数ヶ月後に完成品が届くのです。
今年のえらの会恒例の忘年会では、この陶器を
使って食事をしようと考えてます。

これで、すべてのイベントが終了。
この時点で、時間は6時を過ぎていました。
この時間、当然中央道は、大渋滞のはず。
メンバーは、相当な覚悟で、高速に乗ったのでした。

しばらくは、順調に進みました。
今回レンタルした車は車格がでかいので、スピード出してても
それほど高速に感じないのです。
120?`は当たり前状態で、すっ飛ばしてました。(おいおい)
それでも、勝沼過ぎで車線減少のためにちょっと止まり、
大月過ぎで合流のためにかなり止まり、などしながら
帰ってきました。
保土ヶ谷バイパスを降りたのが
22時過ぎくらい。
長時間ドライブだったけど、えんどうさん持参の「ミリオンナイツ」テープを
聞きながら、爆笑のうちに移動していたので
それほど疲労してなかったです。

レンタカーは、20時が期限だったのですが
延長してもらっいました。
きしくん、ありがとほー!

帰りは、ちょっと食事して、次の打ち合わせ。
ぜひ、みんなで山下公演の花火大会に行きたいですね。

そんなこんなで、今回の旅は無事終了。

とにかく、すべてのイベントにおいて
しらいくんの手回しの良さ、レベルの高さを感じました。
こういうプロデュースの仕事って楽しいだろうなー。
※しらいくんは、突然参加不可能になってしまったのです。
とても残念。
メンバー一同、しらいくんに大感謝な旅でした。

こういうアカデミックな旅行は、またしたいですね。
ちゃんちゃん。
| - | 09:36 | comments(0) | -
えらの旅行(2)
・・・続き

乗馬後は、軽く休憩して、再度中央道に乗って
東京方面へ。
諏訪ICで降りて、諏訪湖畔のホテルへ向いました。

ホテルに着いてみてびっくり!
高級ホテルでした。窓からは、諏訪湖を一望できるし、
広いし、きれいでした。
それもそのはずで、一泊の宿泊料が2万●千円!
おいおい、しらいくんから提示された予算は●千円だったじゃねーか!
すっげー値引だ!
食事もまた筆舌に尽くしがたいほどの美味さ。
鯉の煮物が美味かったです。
食後に風呂に入ったのですが、当然露天風呂(ラテン風呂ではない)で
広くてきれいでした。
とにかく、ホテルでは
「しらいくんってすっげーーー!!!」の連発でした。

しゅんすけは、食事後すぐ風呂入って部屋に帰ってきた途端に
バタンキュー、でした。
夜の宴会とかもしたかったのですが、22時までには熟睡でした。
ドライブと乗馬で疲れてしまったようです。

二日目。
食事後あわただしく支度して出発。
午前中は時計博物館で、時計製作体験。
結構待たされたけど、諏訪大社に寄ったりして時間を潰し、
1時間遅れで時計作りの体験をしました。
しゅんすけは、置き時計を製作して、
クオーツ時計の仕組みが理解できました。
さきこは、腕時計を製作し、なかなかおしゃれな時計ができました。
ちなみにきしくんは、昔からのバブリー振りをここでも発揮して
1万以上もする時計を製作しました。
(失敗したらどうすんだ?という考えはきしくんの辞書にはないのです)

さて、時間がちょっと押してしまい、急いで昼食。
ここでも、しらいくんのコネクションパワーを見せつけられた。
昼食のリクエストはうな重だったんですが、
これがまたすごく美味い。
しゅんすけが関内で贔屓にしているうなぎ屋よか美味かったのです。
ここでもメンバー一同しらいくんに感謝!

さて、この旅行の最終イベントになりました。
陶芸体験です。
しばらく車に乗って移動し、陶芸体験のお店へ向いました。

・・・続く
| - | 09:35 | comments(0) | -
夢想の地平面
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