2005年03月20日(日) 上野へ。
この3連休はちょっと楽しみにしていることがありました。
以前から行こう行こうと思ってた、アルフォンス・ミュシャの展覧会に行ってきました。
いや、画集やポストカードで見るのとは違う本物の絵はやっぱりいいね。
イラストレーションの草創期の面影にちょっとうっとりでした。
展覧会の会期終了間近ってこともあってか、美術館はかなり賑わってました。
若い人が多いかな。しゅんすけみたく絵なぞ描く人は、
どこかで必ず見る絵だから、好きな人も多いんだろうね。
右脳モードも、ここのところ出力ばかりで、もともと素養のないしゅんすけだけに
最近はネタ切れパワーダウンが問題になってたけど、
そういう意味でちょっと栄養補給ができた感じでした。
そういえば、この間NHKでミュシャの特集をしてて、
パリ時代の売れっ子画家から一転、祖国独立を切望して、
悲しさと希望を織り交ぜた画風に変化していく様子を見たけど、
今回はもっぱら今なお人気のあるパリ時代の絵が多かったな。
世紀末作家といえば、絵ではムンク、文学ではカフカと、何気に陰気な感じがしてたけど、
当時における古き良き時代を彷彿とさせる絵は、明るくて、幻想的で、
しゅんすけの絵なぞにもいい影響が出ればいいなーと思ったわけでした。
ここで、上野についてちょっと昔話。
上野の恩賜公園には、動物園やら美術館に並んで、国立科学博物館がある。
英国が大英博物館、米国がスミソニアン博物館なら、日本は国立科学博物館だぜ。
しゅんすけは過去1回だけ行ったことがあった。
とは言え、確か動物園にさきこと行って、そのついでに立ち寄っただけで、
さほど時間をかけて堪能したわけではなかった。
でも、とても感動したことを覚えている。
それは、しゅんすけの切なくほろ苦い過去に起因するのでした。
記憶は中学校の夏へ遡る。
ある夏休みの前、理科の先生が宿題として提示したのは、
「1日科博巡りツアーレポート」というもので、
クラスの班で決めた日程で、上野まで行き、1日中科博を巡って、決められた展示物をチェックポイントに
見てきたものをレポートとして提出するという、今考えればちょっと斬新な宿題だった。
でも、当時のしゅんすけは、吹奏楽の部活があったり、映画撮影したり、絵なぞ描いたり、
昼過ぎまで惰眠を貪るなど、夏休みとは言え、やることが山積してて、
しかも反抗期真っ只中だったのか、「やってらんねー」的に最初から乗り気ではなく、
それでも、日程やら集合場所やらが決まっていく班のミーティングの中で、
如何にホントに行ってきたかのようなレポートを書くかばかり考えていました。
しゅんすけなんかよりも、夏休みの宿題に縁のない男子は大勢いたので、
行ってないのに行ったようなレポートを書く方策に思いを巡らせている者や、
もともとレポートの提出すら考えてない者は、たくさんいると思ってた。
そして、夏休みが明ける。
予定通り、夏休みのほとんどを惰眠を貪り、たまに部活に行き、
たまに仲間と集まってビデオカメラを回したりと、
楽しくも怠惰に過ごしたしゅんすけに衝撃的な出来事が待っていました。
9月最初の理科の授業で、宿題を提出するよう指示され、机の中からレポートらしき紙の束を出したのは、
なんとクラスのほとんどの者だったのです。
というか、その時手持無沙汰に周りをキョロキョロしてるのは、ほぼしゅんすけだけ。
みんな上野に行ってきたのだ。
いや、行ってきた者に書き写させてもらったのか?
ところが、授業の後、しゅんすけの周囲で語られる科博に関する雑談には、
ただレポートを写させてもらっただけとも言えない妙なリアル感があった。
彼らはホントに上野・科博に行ってきたのだ。
いや、あれには、ホント驚いた。
中学生って、男子も女子も何となく異性を気にし始める頃でさ、
男子の中には女子と行動を共にすることを頑なに拒むようなヤツもいるんだよね。
お互いちょっと恥ずかしいというか。
(幸い、しゅんすけは当時からそういう部分を微塵も持ち合わせていなかったけどね)
そんな硬派(?)な男子から、恐竜の化石がどうのとかフーコーの振り子がどうのとか
駅前の西郷さんがどうのと聞かされるとは、夢にも思ってなかった。
宿題をやってこなかったのがしゅんすけだけで、それが成績にどういう影響を及ぼすかということについては
全く関心がなく、何より、友人連中が全員宿題を提出したのに、とにかく衝撃を受けた。
その宿題を提出した日の授業の中で、フーコーの振り子についての説明があった。
しゅんすけはそれまでフーコーの振り子を知らなかった。
それを授業で聞いて、知った。
知らないことを知る、というのは、中学時代には日常茶飯事、というかそのために学校行っているわけなんだけど、
しゅんすけが哀しかったのは、しゅんすけ以外のクラス全員、フーコーの振り子を実際に見ているということ。
授業で教えてもらって、フーコーの振り子についての知識の量には差がなくなったけど、
明らかに違うのは、しゅんすけはフーコーの振り子を見たことがないということなわけ。
そして、時は流れ、しゅんすけは大人である。
ある日立ち寄った上野動物園。
あの時の衝撃を忘れられないしゅんすけは、科博に向かう衝動を止められませんでした。
そして、フーコーの振り子を見ました。
天井から下がっているロープに、重りがついていて、ゆっくりと行ったり来たりを繰り返してました。
地球が時点していることを証明するこの器具は、科博では歴史的展示という側面が強かったのか
展示してある場所もちょっと控えめな場所でした。
だけど、ちょっと時代がかった内装の天井から、天窓を通して差し込む光をバックに
ゆっくり振幅しているフーコーの振り子を実際に見た感動は、忘れられない思い出なのでした。
昔話、終わり。
んで、ミュシャ展を出たしゅんすけが向かったのは、科博。
この日から特別展示で恐竜展が開催され、アメリカに所蔵してあるティラノサウルス「スー」が
公開されるそうで、科博のほろ苦い思い出を胸に、行ってみることにしました。
と、いきなりショック。
フーコーの振り子を展示してある本館は、改装のために閉館中だそうな。
なーんだよ。
とりあえず、恐竜展を見ることにした。
ここの客層は、美術館とは偉い違いで、まず年齢層が若い。というか子供ばかり。
そして、その親や、若いカップルが中心で、子供もいないいい大人の二人組みというのは
しゅんすけとさきこ以外にはいなかったかな。
展示自体は、さほど驚くことも発見もなかったかな。
最近の有力説を中心に、化石を集めてきたという感じで、しゅんすけ的には発見のない展示でした。
ま、羽毛の生えた歯のある鳥らしき恐竜の化石を実際見れたのは、収穫だったかも。
スーさんの化石、特に脚部の骨太感には迫力あったな。
実は、しゅんすけがこの展示会で期待していたのは、付設のショップコーナー。
展示会関連グッズに、しゅんすけの琴線を弾くようなモノがあることを期待してたわけだけど、
期待通りにいろいろあって、何よりそこが楽しかったな。
しゅんすけのコレクションに、まだ陳列されていないちょっと玄人チックな恐竜の置物が欲しいなーと
思ってたら、なかなかいい感じのモノを発見。即購入。
ショウケースには、実際の化石を販売してた。
よくあるアンモナイトやら三葉虫の化石。
以前、池袋で同様の展示会があった時に、さきこの白い目を背に強引に購入した化石を持っているので、
ここでは何か買うことないかなーと思ってたしゅんすけの目に意外なモノが写る。
指輪。
恐竜が二匹互いに絡み合うように重なった形状をした指輪。
デザイン的には大したことはないもの。
でも、この二匹の恐竜が絡み合いながら大事そうに抱いている黄色の石は・・・
こ、これ琥珀か?
何か入ってるのか?
ちょちょちょっと見せて、それ。
店員さんから渡された指輪には、確かに透き通った深い黄色というか金色の琥珀があり、
中に木屑のような黒い粒が浮かんでいました。
まさか、虫が入ってるとは思ってなかったけど、それにしたって、何億年も昔の木屑が入った琥珀の指輪なんか
ちょっとオッシャレーではないの。
15,000円。かなり触手が動いた。
思わず買っちゃうトコだった。でも、実際、しゅんすけはこれを嵌めるんだろうかと考えて、止めときました。
聞くと、この指輪は展示してあるモノも入れて、最後の2個なんだそうな。
おいおい、今日展示会の初日ですぜ?
何個仕入れたか知らんけど、最後の二個なの?
営業トークかもしれないけど、やっぱ恐竜ファンには堪らない一品ではあったようだね。
さて、陽が傾き、美術館で購入した2冊の画集、恐竜のオブジェの重量が効いてきたしゅんすけは、
帰途に就くことにしました。
途中、さきこが見たいというので、麹町の転職先に行ってみた。
土曜の19時。会社には煌々と灯りが灯ってました。
なーにが「残業を善しとしない社風」だよ。
来月からここで仕事するんだなーと、感じ入り、
会社周辺に飲み屋やら本屋やらコーヒー屋を確認して、そういう意味では
今の会社の本社よりも環境がいいかもと思ったのでした。
何年か振りで、全工程徒歩で遊びました。
大抵クルマで移動するので、何を買ってもクルマの後部座席に積むことができたせいで、
いつもの調子で買いすぎると、それだけで筋肉痛になる重さでした。
ちなみに、科博は11月2日に、新館がグランドオープンするそうな。
もうフーコーの振り子には会えないかもだけど、ちょっと楽しみ。
また行ってみようかな、今度はクルマで。
ちゃらちゃん。