2005.12.31 Saturday
2005年回想録
2005年は、文字通り激動の年でした。
何を焦っているんだか。
いや、焦るのはいいけど、闇雲に走っては、巨大な壁に激突して苦労しているなんて、
天国のまろしゃんが見たら「何やってんだかニャー」ってな感じなわけで、
ホント自分の考えの浅さ、薄っぺらさを実感した年でありました。
某転職サイトからのスカウトメールを見て、単純にココロ踊ったしゅんすけは、
10年勤めた会社からの転身が、かくも大変だとは夢にも思わず、
「最悪の事態も考慮してさー、転職するらー」などとにわか沼津弁で嘯いて
最悪の事態など全然考慮できてなかったあの冬のココイチのカレーを思い出す。
・・・と、感傷に浸ってないで、恒例の回想録をさっさと始めるのだ。
■転職
冒頭に記述のとおり、やっぱコレが一番の大事件。
っていうか、しゅんすけの人生での一大事件と言ってもいいほどの決断でした。
全て元凶は、今の会社の、そして今は既に退職してしまった某採用担当者が
同じ採用担当となったしゅんすけでは絶対に採用しないような甘い採用基準で
しゅんすけを採用してしまったところから始まるんだけどね。
自分でも情けないけど、つくづくしゅんすけのようなふあんふあんした輩は、
マジで採用しない。面接5分でハイ、サヨナラ。
そんなしゅんすけが、まるで何かに憑かれたかのように、
転職だ!新しいステージだ!などと、勘違いも甚だしいのである。
ともあれ、決心して、退職を通知して、そこから始まる銀河系を巻き込んだ骨肉の
慰留ストーリー。ホント、しゅんすけなんかに何ゆえ執着してたのか。
今となっては、「あそこで踏みとどまっていれば!」と後悔しきりだけど、
当時はホント盲目的に新天地を夢見てたよな。
退職が決定してからは、割と好き放題やらしてもらった。
最後の仕事で、単身赴任当初から考えてたある企画を通したのは気持ち良かったな。
この前沼津にふらっと立ち寄ると、まだその名残があって、しゅんすけの企画が
とりあえず退職と同時に中断されてなくて良かったと思った。
■沼津について
それにしても、沼津への思い入れは、どこから来るのかと思うくらい大きなもので
歳取って感傷的になっちゃったのか、大学時代に2年暮らした北品川の街を
後にするあの早朝、京急から見た眩しい朝陽よりも、名残惜しかった。
結局、海見たさにそれから3回ほど沼津に行っちゃってるわけだしね。
ただ、その田舎的生活が、しゅんすけの築いてきた横浜での生活を危うくしていたのも事実で、
あのままでは横浜から引っ越しかねない勢いで沼津が好きになってたからね。
あんな軽犯罪都市のどこにそんな魅力があったのだろうか。
ま、離れてみると、いい思い出しか残らないわけで、
前の会社だって相当ニンゲンを削る会社だったわけだし、
沼津は寒いわ、画材屋ないわ、低俗だわ、危険だわと文句をつければキリがないわけで
要はしゅんすけの逃避癖の為せる苦労だということ。
ま、とりあえず頑張ってみますけどね。しゅんすけの明日はどっちだ、どっちなんだー!
退職したので、社宅を引き揚げる。
当たり前の話しだけど、これにも苦労したわ。
なんせ単身赴任先での退職。帰省のためのお金なんか会社から出してくれるわけもなく
沼津での安穏とした生活の中で溜め込んだエトセトラを
お袋の知り合いのバンに積み込んで、一路横浜へ向かったのでした。
バイクだけがバンに載らず、8月になってやっと引き取りに行ったんだけど、
それまで放置されたバイクは、お約束のようにガソリンが抜かれてました。
やっぱ沼津のニンゲンは低俗である。フザケンナ!って。
■新しい仕事
新しい職場、新しい通勤経路、新しいデスク、椅子。電話なんかPHSで
携帯してたらトイレにいても内線に追いかけられる。
窓のない職場で新しい仕事を覚える毎日。
通勤途中に見かけた某転職支援サイトの広告に「転職は、慎重に」などと
自己矛盾なコピーが載ってたけど、
しゅんすけに何が足りなかったって、まさに「慎重さ」なわけで、
不慣れな仕事を覚える合間に、
やっぱ安穏と駿河湾を眺める日々に戻りたいなーと激しく切望する毎日でした。
会社の「色」ってのが、ここまで違うものだと思わなかった。
電話の受け方でさえも、今まで10年やってきたことと違ってて、
1秒ごとに戸惑ってたって感じ。最初の頃は必死だったけど、ふと息をつくと
途端に気持ちが手折られそうで、いや6月の謎の高熱なんかは精神疲労に起因するもの
だったんだろうな。
後悔しても始まらないけど、ホント大変でした。
皆さん、転職はマジ慎重に。
今では何とか会社にも慣れてきてますけどね。
この会社でどう振舞えば、話しがどう展開するのかが何となく分かってきた感じ。
いくつかのミッションを終えて、周囲から叩かれながらも何とかやり遂げてるつもりです。
キャリアアップした感覚はないけど、やっていけそうな感触は出てきました。
まだまだこれから、です。
ともあれ、この後戻りできない状況を、とにかく信じて進むしかないわけですよ。
明日はどっち?なんてスタンスではいけないんだよね。
明日はこっちだ!と言い切る姿勢が大事なんだと思うわけよ。
ちなみに、会社自体、前の会社よりもより巨大なグループ企業の一員なわけだけど、
その総務という立場では会社代表でいろんな会議に駆り出されたりしてて、
ホントこのグループの巨大さには狼狽するばかりですわ。
知らなかったけど、とんでもないトコに入っちゃったカモ?
■音楽復活
横浜に帰ってきたので、中断していた音楽活動が復活できました。
と言っても、お世話になった古巣の楽団には入団せず、川崎の某金管バンドの
演奏会への賛助という形で音楽に復帰しました。
いや、実は、その前にちょっと趣向を変えて、ビッグバンドにも入団してみたんだよね。
これで一度演奏会にも出演させてもらったんだけどね。
う〜ん、どうなんだろう、ジャズは好きだし、吹いてて楽しいんだけどね。
コレばっかというのはどうも違うような感覚なんだよね。
カレーが好きだからと言っても、1年中カレーってわけにもいかないでしょ?
(去年沼津に単身赴任してた誰かさんは、社宅で食べる食事を全てレトルトカレーで済ませ、
たまにバイクで外食しても、ココイチのカレーを食べるという
キレンジャー的日常を通したようですが)
ジャズのルーズな感じとか、ビッグバンドのカッコいいユニゾンは、
しゅんすけのココロを動かすんだけど、まさにそればっかでは正直飽きる。
実際そのバンドでは、流通しているビッグバンドの楽譜を演奏する関係で
どうしても賑やかな曲が中心になっちゃって、んもうお腹一杯って感じなわけ。
まさかこの歳になって、「ムーンライトセレナーデ」のカップミュートの合いの手を
吹くことになるとは思わなんだ。
そんなわけで、しゅんすけのやりたいコトの筆頭ではないけど、
吹奏楽や金管バンドで演奏する曲のスタイルに身を置きたかったんだよね。
※ビッグバンドのルーズさを如実に表しているのが譜面のルーズさで、
#やbの記号の書き漏れが平気で多いし、
譜面通り吹いてても、なーんかサックス辺りと音がぶつかってるなーと思ったら、
小節がひとつ丸ごと抜けてたりと、
「譜面はともかくセッションして作っていこうぜ!」的ないい加減さが満載。
いや、それがジャズの自由なトコロなのかも知れんのだけどね。
金管バンドで出演させていただいた久々の演奏会は
なかなかいい緊張感の中で演奏できました。
一音入魂ってほどのことでもないけど、吹いてしまえばもう戻ってこない音に
どれだけ気持ちを籠められるかという感覚は、多分嫌いじゃないんだろうな。
気持ちの籠もった素晴らしいサウンドを下手は下手なりに体験しちゃったかつての思い出が
そうさせるのかもしれないけどね。
などと熱い思いを語ったところで、しゅんすけは所詮賛助でしかないわけで、
ご依頼をいただかないと楽器ケースにさえ触らないことになっちゃうわけで、
いや、マジでどこかの楽団に入団しちゃおうか考えております。
うう、お金が・・・。
■旅行・登山
今年は富士登山と白馬山登山にチャレンジしました。
天候不良と突発の災害のせいで、あと一歩のところで断念せざるを得ないという
残念な結果になってしまったけど、ま、これも経験ってことかな。
富士山以外の山への初挑戦になった今年は、あおき家の登山元年ってトコでしょうか。
って、飽きっぽいしゅんすけとさきこのことだから、
来年は登山なんか全然しないのかも知れないけどね。
それでも、多少なりとも登山の面白さを知ることはできたかな。
前の会社の上司が、ただでさえ少ない夏休みなのに、家族サービスを放って、
何日かかけてアルプス縦走してたと聞いて、当時はそれが理解できなかったけど
小さくも力強く咲く高山植物の花々や雄大な景色や
ヘロヘロで辿り着いた山荘で飲む一杯のココアの美味しさに、
惹かれてしまう気も何となく分からんではないと思うのでした。
登山にまつわるエトセトラは旅行記に譲るとして、特に印象に残ったのは、
白馬岳登山ではまさに登山コースで発生した土砂崩れで断念せざるを得なかった時に
小休憩している山小屋の上空をヘリコプターがすっ飛んでいく様子や
途中で下山している人たちの憔悴した顔など。
(この事故で亡くなった方もいるそうで、やはり山は怖いものなんだね)
来年は、今年のリベンジで白馬岳に登頂する予定。
日本で一番古い山荘で特製チーズケーキを食べるのだ。
某登山雑誌を見ていると、否が応にも楽しみになってきます。
あと・・・これは実現できるか、さきこがハワイに行きたがってます。
しかも、旅行目的ではなく。
ネタ的には面白いので、楽しみではあるけど、さきこの最近のランナーズ・ハイ気質は
度が過ぎると身体を壊す元なので、ちょっと心配です。
■絵なぞ
転職による日々の余暇時間がほぼなくなったしまったしゅんすけの日常では
自宅の机に向かって白い紙の前でカリカリする時間なぞ取れるはずもなく、
その前の悠々自適な単身赴任生活とのギャップのためか、
右脳の回転率は極度に落ちてしまい、割とエンドルフィンの溶液に浸ってたしゅんすけの
脳みそにストレスを与えることになっちゃった。
来年も右脳に何かが光臨する予感は全くありません。それは寂しいことだね。
■本のこと
毎年のことだけど、今年も良い本に巡り会えなかった。
その中でもケプラー予想の本は大物だったけど、
しゅんすけの理解がまだまだ追いついていなくて、感想文が書けない状況。
1900年にヒルベルトがパリ数学会議で「今世紀(20世紀)に解決すべき23の問題」
として発表した問題としては、フェルマーの最終定理やケプラー予想(充填問題)、
四色問題なんかがあるけど、何百年も解決してないこれらの問題が解決できたという意味では
有意義だったにしても、ケプラー予想も四色問題もコンピュータによる力技での
解決だったから、数学上の予想を定理化して、人類の知識に貢献したかというと
そういうことでもない気がして、何となく魅力が感じられなかっただけでなく、
フェルマーの最終定理ほどのドラマ性がなかったな。
フェルマーの最終定理では、フェルマー自身が定理の解を得たにも拘わらず、
その証明過程を「余白が少なすぎて」書けないと嘯いたトコロに、ミステリアスなドラマ性が
潜んでいたわけだからね。
こんなウキウキするようなドラマは、数学の世界にはそうそうないんだろうけど、
3年以上も前に読んだ本とは言え、つくづく秀逸な本ではあったと思うのでした。
■2006年に向けて
ストレスフルな今の職場で、ナヨなしゅんすけの精神がどこまでもつか分かりません。
どこかでプッツンして、また逃避に走り、行くあてもなく彷徨うことになるのか、
どこかの百貨店かなんかで清掃員とかしちゃってるか、なんてウツなことを
想像する辺り、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせてみたり。
ま、歳が歳なので、もう動きようもないんだけどね。
こういう逃避癖はホント何とかせにゃイカンよな。
それにしても、転職絡みの記述が多かった今年の回顧録。
なーんかそればっかりじゃないと思うんだけど、やはり遮二無二駆け抜けてきたって
ことでしょうかね。
しゅんすけの人生、激動期に入っております。
何を焦っているんだか。
いや、焦るのはいいけど、闇雲に走っては、巨大な壁に激突して苦労しているなんて、
天国のまろしゃんが見たら「何やってんだかニャー」ってな感じなわけで、
ホント自分の考えの浅さ、薄っぺらさを実感した年でありました。
某転職サイトからのスカウトメールを見て、単純にココロ踊ったしゅんすけは、
10年勤めた会社からの転身が、かくも大変だとは夢にも思わず、
「最悪の事態も考慮してさー、転職するらー」などとにわか沼津弁で嘯いて
最悪の事態など全然考慮できてなかったあの冬のココイチのカレーを思い出す。
・・・と、感傷に浸ってないで、恒例の回想録をさっさと始めるのだ。
■転職
冒頭に記述のとおり、やっぱコレが一番の大事件。
っていうか、しゅんすけの人生での一大事件と言ってもいいほどの決断でした。
全て元凶は、今の会社の、そして今は既に退職してしまった某採用担当者が
同じ採用担当となったしゅんすけでは絶対に採用しないような甘い採用基準で
しゅんすけを採用してしまったところから始まるんだけどね。
自分でも情けないけど、つくづくしゅんすけのようなふあんふあんした輩は、
マジで採用しない。面接5分でハイ、サヨナラ。
そんなしゅんすけが、まるで何かに憑かれたかのように、
転職だ!新しいステージだ!などと、勘違いも甚だしいのである。
ともあれ、決心して、退職を通知して、そこから始まる銀河系を巻き込んだ骨肉の
慰留ストーリー。ホント、しゅんすけなんかに何ゆえ執着してたのか。
今となっては、「あそこで踏みとどまっていれば!」と後悔しきりだけど、
当時はホント盲目的に新天地を夢見てたよな。
退職が決定してからは、割と好き放題やらしてもらった。
最後の仕事で、単身赴任当初から考えてたある企画を通したのは気持ち良かったな。
この前沼津にふらっと立ち寄ると、まだその名残があって、しゅんすけの企画が
とりあえず退職と同時に中断されてなくて良かったと思った。
■沼津について
それにしても、沼津への思い入れは、どこから来るのかと思うくらい大きなもので
歳取って感傷的になっちゃったのか、大学時代に2年暮らした北品川の街を
後にするあの早朝、京急から見た眩しい朝陽よりも、名残惜しかった。
結局、海見たさにそれから3回ほど沼津に行っちゃってるわけだしね。
ただ、その田舎的生活が、しゅんすけの築いてきた横浜での生活を危うくしていたのも事実で、
あのままでは横浜から引っ越しかねない勢いで沼津が好きになってたからね。
あんな軽犯罪都市のどこにそんな魅力があったのだろうか。
ま、離れてみると、いい思い出しか残らないわけで、
前の会社だって相当ニンゲンを削る会社だったわけだし、
沼津は寒いわ、画材屋ないわ、低俗だわ、危険だわと文句をつければキリがないわけで
要はしゅんすけの逃避癖の為せる苦労だということ。
ま、とりあえず頑張ってみますけどね。しゅんすけの明日はどっちだ、どっちなんだー!
退職したので、社宅を引き揚げる。
当たり前の話しだけど、これにも苦労したわ。
なんせ単身赴任先での退職。帰省のためのお金なんか会社から出してくれるわけもなく
沼津での安穏とした生活の中で溜め込んだエトセトラを
お袋の知り合いのバンに積み込んで、一路横浜へ向かったのでした。
バイクだけがバンに載らず、8月になってやっと引き取りに行ったんだけど、
それまで放置されたバイクは、お約束のようにガソリンが抜かれてました。
やっぱ沼津のニンゲンは低俗である。フザケンナ!って。
■新しい仕事
新しい職場、新しい通勤経路、新しいデスク、椅子。電話なんかPHSで
携帯してたらトイレにいても内線に追いかけられる。
窓のない職場で新しい仕事を覚える毎日。
通勤途中に見かけた某転職支援サイトの広告に「転職は、慎重に」などと
自己矛盾なコピーが載ってたけど、
しゅんすけに何が足りなかったって、まさに「慎重さ」なわけで、
不慣れな仕事を覚える合間に、
やっぱ安穏と駿河湾を眺める日々に戻りたいなーと激しく切望する毎日でした。
会社の「色」ってのが、ここまで違うものだと思わなかった。
電話の受け方でさえも、今まで10年やってきたことと違ってて、
1秒ごとに戸惑ってたって感じ。最初の頃は必死だったけど、ふと息をつくと
途端に気持ちが手折られそうで、いや6月の謎の高熱なんかは精神疲労に起因するもの
だったんだろうな。
後悔しても始まらないけど、ホント大変でした。
皆さん、転職はマジ慎重に。
今では何とか会社にも慣れてきてますけどね。
この会社でどう振舞えば、話しがどう展開するのかが何となく分かってきた感じ。
いくつかのミッションを終えて、周囲から叩かれながらも何とかやり遂げてるつもりです。
キャリアアップした感覚はないけど、やっていけそうな感触は出てきました。
まだまだこれから、です。
ともあれ、この後戻りできない状況を、とにかく信じて進むしかないわけですよ。
明日はどっち?なんてスタンスではいけないんだよね。
明日はこっちだ!と言い切る姿勢が大事なんだと思うわけよ。
ちなみに、会社自体、前の会社よりもより巨大なグループ企業の一員なわけだけど、
その総務という立場では会社代表でいろんな会議に駆り出されたりしてて、
ホントこのグループの巨大さには狼狽するばかりですわ。
知らなかったけど、とんでもないトコに入っちゃったカモ?
■音楽復活
横浜に帰ってきたので、中断していた音楽活動が復活できました。
と言っても、お世話になった古巣の楽団には入団せず、川崎の某金管バンドの
演奏会への賛助という形で音楽に復帰しました。
いや、実は、その前にちょっと趣向を変えて、ビッグバンドにも入団してみたんだよね。
これで一度演奏会にも出演させてもらったんだけどね。
う〜ん、どうなんだろう、ジャズは好きだし、吹いてて楽しいんだけどね。
コレばっかというのはどうも違うような感覚なんだよね。
カレーが好きだからと言っても、1年中カレーってわけにもいかないでしょ?
(去年沼津に単身赴任してた誰かさんは、社宅で食べる食事を全てレトルトカレーで済ませ、
たまにバイクで外食しても、ココイチのカレーを食べるという
キレンジャー的日常を通したようですが)
ジャズのルーズな感じとか、ビッグバンドのカッコいいユニゾンは、
しゅんすけのココロを動かすんだけど、まさにそればっかでは正直飽きる。
実際そのバンドでは、流通しているビッグバンドの楽譜を演奏する関係で
どうしても賑やかな曲が中心になっちゃって、んもうお腹一杯って感じなわけ。
まさかこの歳になって、「ムーンライトセレナーデ」のカップミュートの合いの手を
吹くことになるとは思わなんだ。
そんなわけで、しゅんすけのやりたいコトの筆頭ではないけど、
吹奏楽や金管バンドで演奏する曲のスタイルに身を置きたかったんだよね。
※ビッグバンドのルーズさを如実に表しているのが譜面のルーズさで、
#やbの記号の書き漏れが平気で多いし、
譜面通り吹いてても、なーんかサックス辺りと音がぶつかってるなーと思ったら、
小節がひとつ丸ごと抜けてたりと、
「譜面はともかくセッションして作っていこうぜ!」的ないい加減さが満載。
いや、それがジャズの自由なトコロなのかも知れんのだけどね。
金管バンドで出演させていただいた久々の演奏会は
なかなかいい緊張感の中で演奏できました。
一音入魂ってほどのことでもないけど、吹いてしまえばもう戻ってこない音に
どれだけ気持ちを籠められるかという感覚は、多分嫌いじゃないんだろうな。
気持ちの籠もった素晴らしいサウンドを下手は下手なりに体験しちゃったかつての思い出が
そうさせるのかもしれないけどね。
などと熱い思いを語ったところで、しゅんすけは所詮賛助でしかないわけで、
ご依頼をいただかないと楽器ケースにさえ触らないことになっちゃうわけで、
いや、マジでどこかの楽団に入団しちゃおうか考えております。
うう、お金が・・・。
■旅行・登山
今年は富士登山と白馬山登山にチャレンジしました。
天候不良と突発の災害のせいで、あと一歩のところで断念せざるを得ないという
残念な結果になってしまったけど、ま、これも経験ってことかな。
富士山以外の山への初挑戦になった今年は、あおき家の登山元年ってトコでしょうか。
って、飽きっぽいしゅんすけとさきこのことだから、
来年は登山なんか全然しないのかも知れないけどね。
それでも、多少なりとも登山の面白さを知ることはできたかな。
前の会社の上司が、ただでさえ少ない夏休みなのに、家族サービスを放って、
何日かかけてアルプス縦走してたと聞いて、当時はそれが理解できなかったけど
小さくも力強く咲く高山植物の花々や雄大な景色や
ヘロヘロで辿り着いた山荘で飲む一杯のココアの美味しさに、
惹かれてしまう気も何となく分からんではないと思うのでした。
登山にまつわるエトセトラは旅行記に譲るとして、特に印象に残ったのは、
白馬岳登山ではまさに登山コースで発生した土砂崩れで断念せざるを得なかった時に
小休憩している山小屋の上空をヘリコプターがすっ飛んでいく様子や
途中で下山している人たちの憔悴した顔など。
(この事故で亡くなった方もいるそうで、やはり山は怖いものなんだね)
来年は、今年のリベンジで白馬岳に登頂する予定。
日本で一番古い山荘で特製チーズケーキを食べるのだ。
某登山雑誌を見ていると、否が応にも楽しみになってきます。
あと・・・これは実現できるか、さきこがハワイに行きたがってます。
しかも、旅行目的ではなく。
ネタ的には面白いので、楽しみではあるけど、さきこの最近のランナーズ・ハイ気質は
度が過ぎると身体を壊す元なので、ちょっと心配です。
■絵なぞ
転職による日々の余暇時間がほぼなくなったしまったしゅんすけの日常では
自宅の机に向かって白い紙の前でカリカリする時間なぞ取れるはずもなく、
その前の悠々自適な単身赴任生活とのギャップのためか、
右脳の回転率は極度に落ちてしまい、割とエンドルフィンの溶液に浸ってたしゅんすけの
脳みそにストレスを与えることになっちゃった。
来年も右脳に何かが光臨する予感は全くありません。それは寂しいことだね。
■本のこと
毎年のことだけど、今年も良い本に巡り会えなかった。
その中でもケプラー予想の本は大物だったけど、
しゅんすけの理解がまだまだ追いついていなくて、感想文が書けない状況。
1900年にヒルベルトがパリ数学会議で「今世紀(20世紀)に解決すべき23の問題」
として発表した問題としては、フェルマーの最終定理やケプラー予想(充填問題)、
四色問題なんかがあるけど、何百年も解決してないこれらの問題が解決できたという意味では
有意義だったにしても、ケプラー予想も四色問題もコンピュータによる力技での
解決だったから、数学上の予想を定理化して、人類の知識に貢献したかというと
そういうことでもない気がして、何となく魅力が感じられなかっただけでなく、
フェルマーの最終定理ほどのドラマ性がなかったな。
フェルマーの最終定理では、フェルマー自身が定理の解を得たにも拘わらず、
その証明過程を「余白が少なすぎて」書けないと嘯いたトコロに、ミステリアスなドラマ性が
潜んでいたわけだからね。
こんなウキウキするようなドラマは、数学の世界にはそうそうないんだろうけど、
3年以上も前に読んだ本とは言え、つくづく秀逸な本ではあったと思うのでした。
■2006年に向けて
ストレスフルな今の職場で、ナヨなしゅんすけの精神がどこまでもつか分かりません。
どこかでプッツンして、また逃避に走り、行くあてもなく彷徨うことになるのか、
どこかの百貨店かなんかで清掃員とかしちゃってるか、なんてウツなことを
想像する辺り、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせてみたり。
ま、歳が歳なので、もう動きようもないんだけどね。
こういう逃避癖はホント何とかせにゃイカンよな。
それにしても、転職絡みの記述が多かった今年の回顧録。
なーんかそればっかりじゃないと思うんだけど、やはり遮二無二駆け抜けてきたって
ことでしょうかね。
しゅんすけの人生、激動期に入っております。
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