「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
最近。
なんだかんだと駄文をしたためては廃棄を繰り返すしゅんすけの日記は、相変わらずの駄文ぶりを如何なく発揮しているが、最近はさらに駄文すぎて下書きをホンチャンデータにアップできす、結果的に過去最低レベルの記事の少ない月になってしまったので、3月が終わってしまう前にここは発起して近況を書こうかなと思います。

先々週はしゅんすけ史上最低の演奏会を、誰あろうしゅんすけ自身がその原因で開催してしまい、楽器演奏にもはや夢も希望もアルカポネとか言ってる割に、しゅんすけの演奏スキルを初めから期待していなかった周囲からの「いや思ってたほどは悪くなかったよ」とのアリガタくも諦められちゃっててちょっと悲しい励ましのおかげで、少し元気になったしゅんすけは、先週の練習のあと、以前から筆舌に尽くしがたくお世話になっていて、かつしゅんすけが金色のコルネットが欲しいと    言うしゅんすけに付き合って、お茶の水まで来てくれた方の自宅に招待され、奥さん特性のカレーライスに舌鼓を打ちつつ、最初は最近話題のフィギュアスケート選手権の中継を観るために集まったのかと思ってたら、そのうちテレビ画面に映し出されたのが、舞台の上を何人もの黒服に身を包んで楽器を携えた人々の映像で、それは紛れもなく先々週の演奏会を映した映像であることが分かって、しゅんすけは幾分気持ちが復活していたこともあり、ちょっと興味津々で映像を観ることにしたのでした。
いや、それにしても、しゅんすけは姿勢が悪い。
昔からなんかペンギンがラッパ吹いてるようで全然カッコ良くないと思ってたけど、こうして楽団の中でもっとも重要なポジションを拝命しちゃった今では、舞台衣装が黒服というのも手伝ってさらにペンギン度アップな感じで、そのカッコ悪さは、楽団のカッコ悪さに即直結するわけで、加えて始まった演奏をそのペンギン奏法の男が台無しにしているのを目の当たりにするにつけ、せっかく1週間かけて塞がったココロの傷がパックリ開いて、哀しいかな、しゅんすけは正視に耐えないのでした。
ホントはしとどにお酒を飲んで、「弘法も筆の誤り」と身の程知らずに川崎の夜空に向かって叫ぶところだったけど、この日はチンクで第三京浜をゆるり爆走して帰らにゃイカンので、酒は飲めず、筆の誤りというか、「お綾や親にお謝り」ってな感じでした。

さて、そんな週末を越えて、また1週間が始まった。
しゅんすけの会社では、4月1日に向けた新体制が発表になり、以前の会社なら、春のビックリ人事とか言って、そういう一種確信犯的な人事政策を、ホントしょうがねーなーって感じだったんだけど、今の会社では、無知な会社経営という気がどうしてもして、もともと例年ココロ穏やかでない4月が、さらにココロ穏やかでないのでした。
しかも、先月も今月もハードなXデーを乗り切ったというのに、また4月にXデーだからね。ホントいやんなっちゃう。
だから、今日はグループ会社の某担当者説明会の機に乗じて早々に不帰社。東横線で横浜の未だ慣れない上り下りが別々になった京急のホームから上大岡に行って、なぜかそのまま帰宅する気分にもなれず、最近お気に入りのあおい書店で本を探して、ファミレスで読みふけるのでした。

そうそう、近況と言えば、チンク、またの名をチンクェチェント、またの名をFIAT500が、装いも新たに発売になる。9月15日である(予定では)。
公式サイトもできて、あとは9月を待つばかりなんだけど、このいわゆるニュー・チンク、なかなかのデザインである。
フォルクスワーゲンとかミニとか、またはスバルのR1とか、リニューアルしたフォルムで発売されることが多かったけど、如何せんそのフォルムは、過去のグッドデザインをさらに際立たせ、やっぱ本家は秀逸デザインだわと思わせしめこそすれ、決してリニューアルの新たな境地には至らなかった。
ま、しゅんすけは、ワーゲンにもミニにもR1にも乗ったことがないし乗り比べたこともないので、エラソーなコトは言えないのだけど、形だけを見ると、過去の名車の名を冠して恥ずかしいくらいにその変わりようは衝撃でした。だけど、今回のニュー・チンクは違う。
オーナーのしゅんすけでさえ欲しくなっちゃうような本家チンクを踏襲したフォルム。いや、ホント宝くじ当たんねーかなー、1億くらいってくらいカワイイしカッコイイ。
まだ価格とか詳細は発表されてないけど、9月15日がなんか楽しみなのでした。

そうそう、日記創設以降、頑なに散文的に改行してきた記述方法を前回から変えてみることにした。
こっちの方が読みやすいかも分からん。
| 日記 | 23:21 | comments(0) | -
混沌ロマン風味。
「夜は短し歩けよ乙女」(森見 登美彦著)を読みました。
前回の眼の進化を巡るカンブリア紀の大爆発から一転、かなり軽い本を選択してみました。
しゅんすけは、たまにJR品川駅構内の本屋さんに行くことがあって、ここはやはり駅構内の本屋だけあって、これからの長い旅路を共にする、いわば時間潰し的な本のラインナップで、ビジネス書や軽い小説なんかが置いてあって、しゅんすけは本来的にはあまり触手が動かされない本屋なのだけど、ここでは、なぜか購入する機会が多くて、今までも「神様からの一言」や「博士の愛した数式」など、割と軽い気分で読める小説を購入したりしている。
軽い軽いと書きつつ、それでも読後には、「うん、読んで良かったかな」と思える本ばかりなので、結果オーライってことで、しゅんすけはココで買う機会が多いのだ。
そんなわけで、今回もしゅんすけの新たなる探求ネタを探求するためのインターバルに、少し軽めの本を選択し、結果的に購入して満足を得た。
面白い本であった。(面白いので正味3日くらいで読破した)

さて、中身はあまり触れないようにしたいけど、やはり何より特筆すべきは、その文体や登場する小道具、話しの展開が、かなりレトロチックだということ。舞台は確かに現代の京都下町なんだけど、ともすると、大正ロマンを感じさせる一種混沌とした価値観の中に、登場人物である女の子(かなりの不思議ちゃん)への憧憬から恋愛感情へ、この想いをいかに成就させるべきかと奮闘、時に停滞するオトコの心情が巧みに描かれている。このオトコの話し方は、大御所作家が書きそうなちょっと古臭い漢字の多い言い回しのくせに、要は彼女とお近づきになりたいだけじゃないの的なツッコミも含めて、こちらをクスリとさせる。
話しの展開も巧みで、登場人物を一見脈絡もなく登場させているようで、実は他のエピソードとの絡みとの計算が感じられ、計算された混沌というか。まるで、欲しいものは何の脈絡もなく集めた宝箱の中で、それぞれの宝物が実はそれぞれの役目をそれ以上にもそれ以下にも演じない計算しつくされた配置に置かれているような。
そんな小気味良さが、ころころ転がる文章に乗って、次々と展開していく。

高校生くらいが読むと面白い本だと思った。
それにしても、京都の風情はいいね。
これが東京の下町だったら、ここまでいい雰囲気は出せないもの。
なんちゅうか、東京の混沌って、毒気があるっていうか、洗練というか先鋭というか、なんかギラギラしたものを感じさせるもんな。時間が時計どおりがそれ以上の速度で確かに存在しているというか。
この京都下町の雰囲気が、独特の文体と小道具のおかげで、得も言われぬレトロ感を出し、ホントに戦前か大正かって錯覚を起こさせる。科学がまだ不思議な世界だった時代。
※話しの展開の中で、ひょんと携帯電話が登場して、あ、これって現代の話しなんだと我に返ることがあり、これはそういった感情を認識させる作為的な記述だったのか、あるいはそこまで考えてなかったか。

あまり大上段なテーマみたいのはなくて、いい芝居を観終わった後のような、ちょっといい雰囲気がココロに残る話しでした。そう、まさに小劇場に相応しい話しだと思うし、舞台ウケすると思うよ。文体もテンポいいし、比較的短いチャプタ構成が、芝居の暗転のようで。
ま、しゅんすけが芝居として面白いのではと思った話しってたくさんあって、面白い話しはみんな芝居に展開したくなっちゃうんじゃないかって、時々自分の懐の浅さにがっくりくることもあるけどね。
ここ数年とんと訪れていない芝居小屋に行ってみたくなってしまいました。

次もこの作家の本を読んでみようかなぁ・・・。

| 読書感想文 | 00:32 | comments(0) | -
カンブリア紀の夢
「眼の誕生―カンブリア紀大進化の謎を解く」
(アンドリュー・パーカー著)を読了しました。
なかなか面白い本だったかな。

今から5億年以上前に起こったカンブリア紀の爆発と呼ばれる生物の形態上の
多様化について、その原因を探る興味深い本でした。

地球上の生命は、地球誕生から地殻が冷えて、海ができた35億年前頃、
割と間をおかずに、ほとんど必然的に発生していて、
原始的な単細胞生物から核を持つようになり、また細胞同士が役割を分担して
より機能を向上させた多細胞生物まで約30億年かけて
徐々に進化していったと言われているんだそうな。
柔らかい体表を持ち、海中をゆらゆらして生活していた軟体性の生物が
ゆっくりした進化の中で、平穏に過ごしてきた長い期間の後、
突如として、多様性を増大させ、
硬い殻を持つものや物々しいトゲに身を固めたものや、
素早く動いて獲物を捕らえたり、逆に逃げたりできるものが大量に現れ、
それが5億年前のカンブリア紀と言われている時代なんだそうな。
現代の海の中も、まさに生存競争、食うか食われるか多様性に富んだ世界だけど、
それはこのカンブリア紀の爆発に端を発しているとも言われるわけです。
ただ、現代の海中と違うのは、まさにその多様さ。
現生のイソギンチャクやクラゲに似た生物の他に、
現生の生物とは似ても似つかない形態をしたいろんな生物が、
突如として大量に進化した時代なわけです。

この辺は、某NHKスペシャルでも頻繁に放送されている内容で、
有名なのはアロマノカリスやピカイヤや三葉虫やアンモナイトなんかかな。
(しゅんすけもこの特集番組は好きだったな)
※そうそう、アンモナイトについては、よく化石なんかでは
とても狭い空間に大量の化石が埋まってることがあって、
ひと掴み程度の大きさの石に、何十匹ものアンモナイトの化石が
くっついているのをしゅんすけも見たことがあるけど、
どうもこれはアンモナイトの死後、どのような変化が起こるかに
起因しているとこの本に記載されていて、なんか合点がいった感じでした。

カンブリア紀の生物のその多様性は、進化の大実験場とも言われていて、
突如として発布された進化論の新しい法則に合わせるために
どの生物も一挙に形態の変化を迫られている感じさえするんだけど、
その多様さについては、某グールド先生の「ワンダフル・ライフ」という本にも
書かれていて、しゅんすけもNスペの知識がまだ残っている頃だったから
いささか興奮気味に読んだ記憶があった。
ところが、その本でも語られなかった(らしい)ことがある。
あのグールド先生でさえ避けた(らしい)点、
それこそがまさに今回の本の命題になっている。

すなわち、カンブリア紀の大爆発は、なぜ、起こったか?

生命が発生してから30億年もの間、大規模な形態上の進化が
起こっていなかったのに、この時期に、しかもどうやら短期間の間に
形態の変化が雪崩のように起こったのは、なぜなのか。
(短期間っても、地質学上の時間感覚だけどね)
もともとダーウィンの進化論は、漸進説と言われて、
進化はゆっくり進むものと言われていた。
鳥の翼は、まだ飛べるほどの機能を持たないただの飾りから徐々に進化して、
滑空するのに便利な機構を作り、それが生存率を高め、
つまりはその遺伝形質を子孫へ濃く残す結果となり、
それがさらに翼を大きく進化させ、
飛び立てるまでに発達していったというわけだけど、
最近は、変化のない期間から大きな飛躍的進化が発生するとの説が有力で、
これが翼になりかけてる化石や
首が長くなりかけてるキリンの化石とかがない理屈になってるわけです。
進化の起こり方は、長い平穏な時代から突如として飛び石のように
形態が変化するようなやり方で続いてきた、と。
とは言え、海の生態系をほとんど塗り替えるような爆発的な進化が
突然、しかも同時に起こるのは、やはり大きな謎と言わざるをえないわけです。

さて、そんなわけで、カンブリア紀の初頭に
突如として形態上の多様性が増大したわけだけど、
ではその引き金になったのは何か。

カンブリア紀の前の時代(先カンブリア紀)のように
無防備にただ揺らめいて獲物が口に入るのを待ってたような時代から、
硬い殻やらトゲやら獲物に接近したり逃げたりする機動性やらの形態にするには、
それなりにいわばエネルギーがいるわけで、
そこまでして形態を変化させなければいけなかったのは、なぜなのか。

その答えが、本の題名でもある「眼」の進化だったのではないかというのが
本の主旨なわけです。
ある生物が、それまで誰も持っていなかった「視覚」を手に入れた。
視覚を手に入れたのが食物連鎖の中でどの位置にいる生物だったか、
もしかしたら環境の変化で同時発生的に
どの生物にも視覚が発生したのかもしれないけど、
どちらにせよ、誰かが視覚を手に入れて、今まで見えなかった世界が
遠くまで見渡せるようになり、どこに獲物(あるいは天敵)がいるのか
分かるようになれば、その相手も当然対抗策のために、
視覚を発達させるような淘汰圧がかかるわけでそれが進化論の新しい法則として、
急速に様々な生物に広がっていったという主張になっているわけです。
種を超えて、大規模な収斂進化が勃発したというイメージかな。
そして、視覚を手に入れるための競争とあわせて、
いかにその視覚から抜けられるか、または視覚的に威嚇するか、
またはその視界からいかに早く逃げられるかなど、
様々な対抗策を講じる競争も始まりました。
それが硬い殻やトゲや擬態なんかにつながっていき、
つまりはそれが、形態上の多様化の原因だと主張しているわけです。
一旦視覚を手に入れた生物は、そこにある「光」を
進化を刺激するもっとも強い環境要因だと認識した、ということだね。

もちろん、最初の眼は、明るいか暗いかを感じる程度だったかもしれない。
だけど、そこはさっきの飛躍的進化ってヤツで、
ある個体が比較的高度な視覚を持って偶然生まれれば、
その個体の生存の確率は高まるわけで、
結果的にその形質は種の中で保存され、短い世代交代の中で
種の形質のスタンダードになるという進化論の王道をいくわけよね。

う〜ん、なかなか説明が難しいな。
読み始め当初は、割と主張の結論が見えているにも拘わらず、
本も結構厚いし、光とそれに適応する現生生物の紹介なんかもあって、
随分とまどろっこしさを感じたものだけど、
こうして演繹的に話しを進めると、なかなか説明しづらいし、
その裏に隠れているコトの重大さが伝わりにくいかもしれないな。
(その辺がライターの腕の見せ所で、本書ではかなりドラマティックに
話しが展開する)

ところで、眼の誕生がカンブリア紀の進化の大爆発を誘発した・・・って言っても、
実は問題が先送りされただけなのは、著者も分かっていました。
なんせ太陽は、地球が誕生した時には既に光を発していたし、
もっと言えば、最初の生命が誕生した時も存在してたわけで、
そういう意味では、生命誕生から30億年間に
燦々と陽光が差し込む海の中で眼が発達しなかったのはなぜか、
という問題になってるだけなんだよね。
確かに化石の記録による眼の誕生のタイミングと
カンブリア紀の爆発は筋が通っているかもしれないけど、
太陽の関連性はまだ謎のままってことだね。

この謎の解明に対して本書では、
もはや推測というかSF的とも言える推定の理屈しかなくて、
カンブリア紀になって初めて太陽自身が地球上の進化を促すくらいの
光の量を発するようになったとか
太陽と地球の間のチリが晴れて光が地球に届くようになったとか
地球上の火山噴火による遮光がようやく晴れ上がったとか
アイスボール説がどうとか、もはやツジツマ合わせになってきていて、
結局よく分からないらしい。
問題が完全に解決して、生命の発生や進化に視界が開けるのはいつなんだろうか。
生命進化の謎を探求し続けること自体が、彼らの研究の意味なのかも
しれないけどね。

・・・と言うわけで、本のあらましについては、まずはオシマイで、
ここから大きく閑話休題。
しゅんすけは、この本を手にする際に、ひとつの疑問があった。
それは、最近しゅんすけが興味に感じている電磁波との絡みなんだけど、
眼はなぜ可視光を選択したのか、ということ。
電磁波って波長じゃないですか。
波長はその振幅の度合いで、周波数が決まっていて、
周波数という単位の中では、ひとつの線上にすべての電磁波が乗っているわけ
なんだよね。
つまり、光(=可視光)も電波も音も、それこそ蛍光灯だって一定の周波数で
明滅を繰り返しているし、空気が振動するから音が聞こえるわけよね。
世界は、そんな周波数で表される波長に満ち溢れているわけだけど、
その中で生物は、なぜ眼が知覚する波長に可視光を選んだのか。
(可視光って名前はその字の如く、見ることができるから可視光なわけで、
別に特別な周波数帯ではなくて、波長の線上の一領域に過ぎないわけよね)

辞典によると、周波数はその振幅が1000年に1回しかないような
極端に長い波長から、ガンマ線のように強いエネルギーになるものまで、
かなり幅広いそうな。
周波数は、Hz(ヘルツ)で表記され、単位の小さなものから、
pHz(ピコヘルツ)、nHz(ナノヘルツ)、μHz(マイクロヘルツ)、
mHz(ミリヘルツ)と来て、大きい方は、kHz(キロ)、M(メガ)、
G(ギカ)、T(テラ)、P(ペタ)、E(エクサ)と大きくなる。
※ちなみに、それぞれ日本語の単位を当てはめてみると、
k(キロ)=千(1,000)
M(メガ)=百万(1,000,000)
G(ギガ)=十億(1,000,000,000)
T(テラ)=兆(1,000,000,000,000)
P(ペタ)=千兆(1,000,000,000,000,000)
E(エクサ)=百京(1,000,000,000,000,000,000)
・・・って、想像を絶する単位だよな。外国人は、よくもまあ
こんな途方もない単位を作り出すものだ・・・って、日本語にも対応する単位が
あったのは、なんかエライ。

さて、その中で、身の回りに馴染みの周波数は、例えば
1Hz=1秒に1回
ニンゲンが知覚できる音波=20Hz〜16kHz
AMラジオ=530〜1,612kHz
FMラジオ=76〜90MHz
テレビ=460〜770MHz
そこからぐぐっと上がって
電子レンジ=2.5GHz
(そういや携帯電話も周波数帯は2〜3GHz帯だったな)
さらにぐぐぐっと上がって
赤外線=3〜400THz
可視光=405〜790THz
紫外線=750THz〜30PHz
X線=30PHz〜3EHz
ガンマ線=3EHz
ってな感じで、そういやガンマ線なんて全然身の回りの馴染みの周波数じゃないけど
こうしてみると、この世はすべて周波数で記述できそうな気にもなってきてしまう。
※20Hz〜16kHz(=16,000Hz)が音波にあたるわけだけど、
そういやしゅんすけも楽団で楽器のチューニングの際に
442Hzをチューニングに使ってるいて、しゅんすけの身近な中にも
周波数は存在しているわけだね。
(そういや、以前参加していたジャズバンドでは440を使ってたな)
なんか気軽に「442で合わせて!442で!」なんて言ってるけど、
考えてみれば、空気が1秒間に442回振動する波長のことを言ってるわけよね。
(テンポ60で、442連符か、う〜ん)

いや、書き出してみると、結構スゴいな。
20070321_107624.JPG

さて、周波数はともかく、可視光はかなり波長が短くて、
405〜790THzなんだけど、
生物はなんでこの周波数帯を知覚するように進化したのだろう。
上記の周波数の例で、ニンゲンが作り出したもの以外の天然の波長は
音波と可視光以上の波長だけなわけで、なぜ、視覚として音波のすぐ上の
周波数帯とかを採用しなかったのか。

それは、可視光に色が付いているから・・・?
いやいや、可視光に色が付いているのは、ニンゲンの脳がそう認識しているだけで
太陽や光源から発した光が対象物に当たって、
その対象物特有の波長で反射しているに過ぎないわけで、
その反射した光の波長を脳みそが「赤だ」とか「青だ」とか
言ってるだけなわけですよ。
おエライ学者さんに言わせると、
「この世に色彩は存在しない。色彩が存在するのは脳の中だけだ」
ってことになるそうで、であれば、本来認識できない波長も、
眼が知覚さえして、その波長に反応した特有のパルスを脳に送ることができれば、
どんな波長域でも「見る」ことができるわけで、そう思うと、
植物も虫も魚もネコも同じ周波数帯に反応する知覚を
それぞれ発達させたのは、なんか恣意的な感じもするわけよね。
※植物や昆虫の一部は、可視光域を外れた波長域も知覚できるそうで
花もニンゲンには色トリドリで美しくても、ハチにはまるで
蜜の在り処に誘導するような目印に移るようだし、
あるチョウの羽は、鳥などの天敵に対しては、まるでヘビの頭のように見えて
「オレに近づくなよ」という信号を発しているんだそうで、
そういう意味では森羅万象、生きとし生けるもの全てが可視光だけを
知覚するわけじゃないんだろうけどね。

いずれにせよ、世の中には眼を持たない動物だってたくさんいるのに
(動物門でいうと、眼を持たない動物門の方が目を持つ動物門よりも
多いんだそうな。個体数でいうと、眼を持つ動物の方が多いんだそうだけど)
なぜ眼を持つ動物は揃って可視光を見るんだろうか。

この疑問は、音波にも当てはまる。
なぜこの帯域の波長を、動物は音として知覚するのか?
なぜ他の知覚方法ではなかったのか?
別に音を見たっていいじゃん。そう、光を聞いたっていいじゃん。
※対象物に反射した波長を知覚する点では、音波を始め、
どの波長域でもできることなのに、ね。

しゅんすけのこの不思議は、今回の本では結局解決されませんでした。
カンブリア紀にどういう理由かはともかく、生物は光を見ることを始め、
それが生存競争の中でスタンダードになっていく中で、
揃って可視光を知覚することが、生き残る上で優位な要素となり、
ほとんどの動物はその多様性とは裏腹に、多様な波長域の中で可視光だけを
「見る」か「見ないか」に大別されちゃった。
どのような理由がそこにあったかは、まさに化石とともに
地中深く沈んでしまったまま・・・。

・・・というわけで、この謎については
しゅんすけの中で謎のままの継続案件になっっちゃった・・・と思ったら、
今回の読書感想文を書くにあたって、
よくよく考えてみたところ、謎の解決の一端がどうも見えてきたみたい。
(なんだよ)

要は太陽の性質次第なんだよね。
太陽が発する電磁波の波長域の成分に、たまたま可視光の帯域が多ければ
生物もそれに影響されないわけにはいかないわけで、
調べてみると(あまりいいネタはなかったんだけど)、
案の定、太陽から発せられる電磁波のうちで、もっとも多い割合を占めていたのが
可視光でした。(図参照)
20070321_107628.JPG

なんだ、結局、太陽が一番多く発していた帯域を、
視覚が感知しうる帯域に採用したに過ぎないわけか。
カンブリア紀に視覚を採用しようと、進化論に新しい規則が追加された時から
視覚に使う波長域は、可視光の帯域であることが、既に決められていたという
わけですね。
謎は解けてみると案外拍子抜けするものです。
※ちなみに、これは音波にも言えるかもしれない。
つまり、空気がもっとも効率よく振動するのが、音波の波長域である、と。
まだその根拠が調べられてないので、実際分からないけどね。

ともあれ、これで、しゅんすけの謎の一端が解けたわけです。
ま、不思議だ不思議だと悶々しているよりは、今回の本を読んで、
問題の整理ができ、解決の糸口が掴めただけでも、
読んで意義のある本だったということかな。

※閑話休題×2。
「見る」ことは、光を反射した対象物特有の電磁波を
知覚することに過ぎないと考えた時、
眼のない植物が、その形質を眼のある生き物に合わせて変化させてきたことの
不思議が少しだけ解けるような気がする。
(さっきのミツバチの例とかね)
昔、英BBC放送のプロデューサー・アッテンボロー氏が
「植物たちの挑戦」という番組で紹介していたオーストラリアの
ランの一種(だったか?)について、
受粉のために花粉を特定のハチに付着させる戦略として
そのハチのメスの姿そっくりに花弁の形を進化させることで、
メスだと勘違いして交尾するために抱きついてくるオスのハチの背中に
うまい具合に花粉を付着させることができた例を、
「植物には眼がないのに、どうしてメスのハチの形や色が分かるんだろう」と
物凄く不思議に思ったものだけど、
何も眼がなくても、対象物に反射した光を電磁波として知覚できれば、
形や色を試行錯誤で進化させることは不可能ではないと思うにつけ、
今回の件で謎が少し解けたし、やっぱ植物ってスゴいなーと感じ入るのでした。
(グールド先生の本にあったけど、エラい先生が昔
「膨大な時間の中では、不可能なことは可能なことになり、
可能なことは起こりえることになり、
起こりえることはほとんど必然的に起こる」みたいなことを
言ってたんだそうな。なるほどな〜)
| 読書感想文 | 23:51 | comments(0) | -
演奏会を終えて
今日はしゅんすけが参加する金管バンドの他団体との合同演奏会がありました。

・・・終わりました・・・バンドとしてはいろんな意味で実りある演奏だったかもしれないけど
しゅんすけ的には最悪の演奏でした。
こんな最悪な演奏は、久し振りだったな。

金管バンドの中では、もっとも責任重大なポストを拝命しちゃったしゅんすけだけど、
それでもそのポジションを嬉しいと思っちゃうのは、
やはりラッパ吹きのサガか、
今回の演奏会も久々に張り切って臨んだんだけどね。
結果として、思うように音が鳴ってくれず、せっかく頂戴したソロも不発に終わりました。
いやホント、大して難易度の高くない簡単なソロができない、
音が鳴らないってどういうことよ?
以前別の楽団で1stラッパをやってた時にゃ、もっと難しいソロをやっとったやなかデスか?
なんで単純な四分音符のフレーズが満足にできない?
なぜ満足できる音が出ない?

いや、これにゃマジでヘコみましたよ。
重要なパートだけに、しゅんすけの出来は
楽曲の出来に直結しちゃってるわけで、しゅんすけのヘタレなソロのせいで
団員が頑張ってきた練習をワヤにしちゃったようなもんで
いやマジで自責の波に苛まれるのでした。
しゅんすけも歳をとって、ソロに対する度胸みたいなのが
なくなって来ちゃったってことだろうか。
ヘコみ過ぎて、しばらく浮上できなかったよ。

次回はバシッとソロが決められるようになりたいなと
酔ったまなこに
映る夜空の月に誓う宵なのでした。
| 音楽日記 | 22:28 | comments(0) | -
おっと、近況。
今日は3月14日。一昨日、さきこがやっとしゅんすけと同い年になりました。
※さきこの誕生日は昨日の13日だけど、年齢は誕生日の前日に変わるやね。過去ログ参照。

そんなわけで、いろいろとお祝いしたいところなのですが、
さきこの実家の事情などもあり、なかなかそういう雰囲気ではない今日この頃。
しゅんすけは、今週末の演奏会に向けて、気持ちが昂ぶってきております。
いやはや、ホントにできんのかいな・・・って、弱気なコトも言ってらんないポジションで
やっぱこのポジションできる人は、スゴいわ。

また、長いこと読んでいた本がやっと読了となり、
感想文なぞ書きたいトコロですが、なかなか手が回らない状態。
仕事はなんとか自分のペースでやっているのだけど、いろいろと予想外な出来事が
起こって、自分の時間を有効に活用できない日々です。

結構前に購入した某ソ○ーのウォークマンが紛失し、
チンクの中やら、上着のポケットやらを散々探したけど、見つからず、
やむを得ずさきこのお下がりのiPodをメインで使っていたんだけど、
だんだん暖かくなってきて、昨年の秋以降着ていなかった皮のジャケットなぞを
出してきたら、その内ポケットに入っていたのを見つけた。
おいおい、秋からずっとここにいたんか・・・さすがに充電池は枯渇していたけど、
ダウンロードサイトから落としてきたあんな曲やこんな曲がまだ残っているのが
嬉しくて、これでドライブも楽しくなりそうだわ。
こんな風に、日頃なかなか探し物が見つからなくて、探し始めたわいいけど、
ふと発掘された懐かしいモノに気を取られ、あれ、何探してたんだっけ?的な
ことが頻繁に起こるしゅんすけの日常では、
今日の新聞に載っていた新商品は、琴線を弾いたわ。
あらかじめ、無くしそうなモノに取り付けておいて、
いざ見つからなくなった時に、リモコン操作で呼び鈴が鳴るという秀逸なシロモノ。
そういや、昔ドラえもんの道具に同じようなモノがあったのを思い出した。
まさに同じもの。
ドラえもんのこの道具は、初めて見た時から欲しいなーと思ってたんだよね。


寝坊して会社に遅刻、しかも9時から大事な社内会議・・・っていうか、しゅんすけ主催の
会議なのに、しゅんすけはその時点でまだ布団の中・・・なんていう、絶望的な事態を
経験した時でさえ、また、楽しみにしていた沖縄旅行の当日朝目覚めてみると、
その時刻は、既に飛行機が離陸しているであろう時刻という、ホント世紀末的事態を
経験した時でさえ、「あぁ!ここにどこでもドアがあったら!」とは思わなかったけど、
そういやアレがないなーなんて探していると、全然見つからなくて、
ムキになって探し始めて、ぽっと出てきた懐かしい写真に、思いを馳せてしまい、
既に夕暮れ・・・なんて時には、「あぁ。こんな時、ドラえもんの名前は知らないけど、
無くしたモノを呼び出せるあの道具があれば!」とはよく思うものだったので、
この新商品が発売になったのは、単純に嬉しいのでした。

もちっと小さければいいんだけど、これもICとかエレクトロ技術の進歩で
どんどん小さくなっていくんだろうな。
(だって、ソ○ーのウォークマンよりもでかそうですよ、コレ)

近況といえば、先日ついに発症を報告した花粉症ですが、
どうも気のせいだったみたい・・・というか、単純に風邪でした。
その後会社をお休みさせていただいた時に、せっかくの休みなので、有意義に過ごそうと
意気込んでいたわりに、なかなか起き上がれなくて、結局またハードディスクレコーダに
保存してあった過去のテレビ番組なぞ観て過ごしちゃった辺り、あれは完全に風邪だったんだな。
会社休んでおいて良かったわ。
ついでに、花粉症になってなくて、良かったわ。

風邪と言えば、会社でも地元でもインフルエンザがはやっているそうな。
しゅんすけは、会社で実施された予防接種の際に、思いっきり風邪を引いてて、
しかも、翌週にハワイ旅行を控えていたので、予防接種を受けなかったんだけど、
おかげで免疫がなくて、そのうちコロッと感染しちゃいそうな雰囲気だわ。
来週演奏会の本番なのに。
| 日記 | 21:18 | comments(0) | -
ネコノウタ
この前、メンタル的にちょろっと参っちゃって、衝動的に会社を2日も休んじゃったかと思うと
月曜日から馬車馬の如く猛然と働いて
2月は休日出勤が多かったから3月はゆっくりしたいしゅんすけの願いも空しく
金管バンドの本番がある18日(日)はともかく
それ以外の休日はまたちょろっと突貫工事がある予感に
23時過ぎの有楽町ではぁっとため息をつくしゅんすけだけど
今一瞬のヤスラギを与えてくれるのが、ネコの映像だったりする。

最近になってやっと存在意義というか
真価を発揮してくれた某ウィルコム社のPHSが疲れたしゅんすけに
ナゴむ映像を見せてくれる。
今までは単純にブログの草稿を書いては破棄、書いては破棄をしてきただけだけど
某You○ubeで見つけた映像をダウンロードして、変換して、メモリに保存して
PHSでも見られるようにしたので、いややっとこのPHSの可能性の広がりに
触れたというか、なんかマルチメディアしてる気になるわ。
やっぱこのPHS買って良かったわ。

このネコの映像は、某サイトでも紹介されていたけど
キャットフードで有名な会社が一般公募したネコの面白映像で、
もともとCM用に作られたものを繋いだロングバージョン。
いや、しゅんすけもさきこもネコ大好きなんだけど
このメンタルを疲弊したしゅんすけには最高の清涼剤です。
思わず仕事中でも滑稽で可愛くてきっと何かに一生懸命なネコの映像を思い出して
「くーろかーん、だいすーきよー♪」などと口ずさむもんだから
ホント自分でも滑稽だと、今日もネコの映像に癒されようと
思う宵なのでした。
http://www.cat-kingdom.com/cm/#
| 日記 | 23:42 | comments(0) | -
春の海、大きな大根を手に。
今日は、彼女が出場する三浦国際市民マラソンに同行してきました。
・・・が、久々の大寝坊!
会場の三浦海岸まで行く電車の時刻の10分前に目が覚めた。
いや、あおき家のお家芸である寝坊が、ここで発動されるとわ。

そりゃもう怒涛の勢いで支度して、
予定の電車の次の電車に乗ることができたのは良かったけど、
それでも現地ではあまり時間的余裕がなくて、彼女はほとんど何も食べない状態で
地獄のコースであることが先週判明したこのレースがスタートして
しまったのでした。

今回は追跡ができなかったので、
ランナー後方から掻き分けるようにやってくる救急車に
結構どきどきしながら、彼女を帰りを待っていると、
ベストタイムには大きく及ばないものの、
無事彼女が帰ってきました。
彼女曰く、「このコースで2時間を切ることが
できただけでも御の字」だそうな。
・・・確かに。

春の気持ちいい天気の中、しゅんすけは海を見ながら
まどろんだり、本を読んだりしてたけど、
ランナーにとっては地獄の暑さだったよう。

ともかくもお疲れ様でした。
完走者に漏れなく手渡される巨大な三浦大根。
これ、どうしよう・・・。

さて、次回のレースは4月。
そろそろホノルルマラソン完走(完歩?)に向けたしゅんすけの
最初の小さな挑戦が始まります!

★三浦国際市民マラソンの報告は以下のアドレスで。
http://www.geocities.jp/shunsuke199/herscase0703.htm
| 日記 | 18:52 | comments(0) | -
夢想の地平面
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