「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
長い一日。
日曜の朝に日本テレビで放送している「所さんの目がテン!」という番組は、身近な不思議を分かりやすく解説してくれる教養番組で、しゅんすけはとても好きなんだけど、如何せん日曜の朝って時間帯のために、なかなか観る機会がない・・・ってのは、以前の話しで、演奏会の本番の朝は、大抵集合が9時前だったりするし、ランニングクラブの練習やロードレースの本番の日なんかに起床してテレビをつけると、この番組をやっていたりして、ついつい見入ってしまう。
以下、参照URL。
http://www.ntv.co.jp/megaten/

この前は、サンマにまつわるお話しで、なぜサンマは水族館で見かけないのか?なぜ他の魚は調理する前にハラワタを取るのに、サンマはハラワタを取らないのか?(ってか、この部分がスゴく美味しいわけだが)などを放送して、朝から「う〜ん、なるほど」と唸っていたりする。
それで、今日の朝もこの番組を観た。
・・・ということは、今日はイベントの日なわけなのだ。

しゅんすけは、参加している金管バンドが演奏会に参加する日で、定期演奏会でも演奏している楽曲をさらにブラッシュアップして演奏したのだけど、しゅんすけ的になかなか充実した練習に反して、本番では弱点のスタミナ不足が露呈して、ほとんど吹けていなかった。今年の初めに、とっても責任重大なポジションを拝命して、そのために演奏中でも疲れたからと言って安易に吹くのを中断して休むなんてこともできなくて、どうしても休まざるを得ない時でも口からマウスピースを離さないで休むという、なかなか過酷な演奏環境になったおかげで、以前よりも若干スタミナがアップして、吹き続けることができるようになったのだけど、とは言え、まるで吹奏楽におけるクラリネットの如く1小節も休みなく吹く譜面を前にしては、さすがに唇が疲労して言うことを聞かなくなってしまうわけで、そんな状態が本番で出てしまった。疲労でコントロールを失った唇からは、気の抜けた音しか出なくて、ホント嫌になる。いや、以前の読書感想文の「サクリファイス」じゃないけどさ、コルネットの4人が先頭交代しながら吹くようでないとなかなか厳しい楽曲を、2人でこなしたんだから、そりゃヘタるよ。
そんなわけで、雨がしとしと降る中、一人演奏会場を後にしたしゅんすけなのでした。

さて、さきこである。
さきこは最近、「トレイルラン」ってのにハマっている。
普通の道路を走る「ロードランニング」と違い、トレイルランは山中を走る。ハイキングコースなどという生易しい山道ではなく、ほとんどケモノ道を、駆け上がったり、駆け下りたりする、要は「登山走」みたいなもんで、しゅんすけにしてみれば、まさに狂気の沙汰である。以前から鎌倉にある某ショップの企画で、港南台の裏山を縦走したそうだけど、今日はなんと奥多摩の山々を縦走してきたそうだ。しかも、この雨の中を。
いや、狂気の沙汰だわ。
しかも、7時過ぎに家を出て、10時くらいに奥多摩に到着してトレイルランを始めたハズのさきこから15時になっても16時になっても連絡はなかった。ただでさえ、危険なスポーツなのに、この雨だから、最悪怪我しちゃったかもしれないと、結構心配した。電話があったのは、20時前でしかも某auショップから。
どうもこの雨中ランニングのせいで、携帯電話がイカれちゃったんだそうな。そのくらいズブ濡れで、泥だらけになって、奥多摩の山々を縦走してきたわけだ。
かなり疲弊したさきこを見るに、かなりキツいコースだったことが伺える。斜面の勾配だけを考えれば、富士山の方がナンボか楽だって言うんだから、このコースの過酷さはしゅんすけの想像を絶する。あのアイアン豪脚・さきこを疲弊させるほどのコースもさることながら、これを楽しいと言っちゃうさきこに、なんちゅうか得も言われぬ寂寥感に苛まれる。さきこの力がどんどん高まっていくのに、しゅんすけは全然ついていけないのである。現状はまだ大丈夫だろうけど、そのうち腕相撲でも勝てなくなる日が来るんじゃないかって、恐ろしいね。

さて、終日雨の日曜日に、夫婦して全然別の世界で勝負していたという、夫婦断絶状態のあおき家なのだが、来週は一緒に相模原で駅伝レースに出場する。
参加しているランニングクラブとしての出場なのだが、今日連絡のあった情報によると、しゅんすけとさきこは別のチームになった。しかも、同じ3区(3キロ)を走る。
ついに、さきこと直接対決である。・・・ってか、まだまださきこに負けるわけにはいかない。駅伝なので、スタートのタイミングは前走ランナーの順位如何で変わるんだけど、ココはひとつ、旦那様としての威厳を見せなくては。

また、駅伝に先立つ10月3日は、さきことの記念日になるんだけど、今年はメモリアル20周年である。そんなわけで、時間があったら、企画ページなぞをアップしようと思うのである。
| 日記 | 23:37 | comments(0) | -
カレーと納豆。
しゅんすけはカレーが好きである。これは、今までも書いてきたように単身赴任の沼津時代に社宅の自室で食べた食品が1年間ずっとカレー(しかもレトルトカレー)だったことや、外食するのにハンバーグやトンカツやソバなど世の中にはいろんな食べ物があるにもかかわらず、カレーを食べる頻度が比較的多いことで自分として認識していることで、しゅんすけはカレーが好きなのである。
でも、最近、そんなカレーよりも好きな食品に気づいてしまった。
納豆である。
しゅんすけは納豆が好きである。しかも、あれだけ好きだと公言してきたカレーよりも好きである。いや、よくよく考えてみたら、納豆と比較してそれほど好きだったかな、納豆の好きさ加減のもとでは、カレーなんて霞んで見えてしまう。
確かに、カレー好きと言いながら、カレーなら何でもいいかっていうと、カレーうどんは嫌いじゃないけど、積極的に食指が伸びるかと言えばそうでもないし、カレー味のプリッツ、カールカレー味、カレー味のガムは絶対に食べない。つまり、カレーライスが好きなだけで、カレー好きの守備範囲はカレー関連食品の範囲の中で限られているわけだ。
しかも、カレーライスが好きと言っても、カレーとライスの絶妙なバランスが保てている中でのカレーライス好きなわけで、つまりカレーに比してライスが多く残っちゃった場合に得も言われぬ嫌悪を感じるし、かと言ってライスに比してカレーが多く残っちゃった時に、非常な喜びを感じるかと言うと、あーカレーが残っちゃったよーなどと、ライス抜きのカレーを口に流し込み、まるでスープ(しかも絶妙に辛い)を飲んでいる感覚は、とても「好き」というコトバで括れるものではない。そうか、確かに食べる頻度は高いかもしれないけど、しゅんすけはカレーを、カレーライスを世界で一番好きと言えるほど好きではないのだ。

さて、納豆である。
会社帰りに飯を食って帰ることがあって、それまでは有楽町駅前のカレー屋で済ませていて、それは「オレってやっぱカレー好きだからなー」という一種暗示とも言える感情の読み違いに起因しているんだけど、最近そのカレー屋の向かいに、和食レストランが開店して、試しに入ってみたら、サイドオーダーに納豆があって、焼き魚定食+納豆という日本人の鑑的なメニューを注文し、山盛りのご飯と焼き魚を食べた後に、茶碗にわずかに残ったご飯に大量の納豆をかけて食べる至福を感じた時、あ、オレ納豆好きだ・・・と気づいてしまったわけだ。うん、確かに昼飯にセブンイレブンの弁当を食べる時にも、ついでに納豆巻を買ってしまう。(いつも思うけど、昼飯に納豆食べると、納豆臭くなって、周囲に迷惑かけるかもしれないにもかかわらず、コンビニの納豆巻の売れ行きはスゴくて、(ま、みんな食後に歯を磨いてるのかも知れんが)これって、臭うかもしれないリスクを冒しても納豆食べるほど好きなのか、それともそもそも臭いにくい納豆なのだろうか)
しかもカレーと違って、納豆はご飯が少なくても、しゅんすけ的には全然イケる。・・・っていうか、ご飯をわざと少なくして納豆比率を多くして食べる方が好きである。(あおき家の食卓にはご飯をおかわりする際に、茶碗1杯分、茶碗半分に加えて「納豆盛り」というご飯一口程度のおかわりバリエーションがある)
仕事が忙しくて、納豆を食べられない日が続くと、深夜のコンビニで納豆だけ買ってきて、納豆だけ食う時すらある。また、カレー味のカールのようにカレーを加工する食品はだめだけど、納豆を加工した干し納豆は大好きである。

以上から、しゅんすけはカレーライス好きである以前に納豆好きだということが判明したのである。ちなみに、某大○屋の納豆は絶妙に美味い。また、市販の納豆でも、某ごは○ですよなどを入れると塩海苔の絶妙な味で、これまた美味い。ビン詰めの梅肉なんかを少量入れると、筆舌に尽くしがたい美味さである。しかも、これがナットウ菌とかいう細菌が繁殖したっていうんだから、この発想もスゴい。よく言われるけど、納豆っていわば腐った豆なわけで、これを食べようと思う発想がスゴいし、ついニンゲンの生活と細菌の関係にまで思いを馳せてしまう。

以前英BBCのアッテ○ボロー氏が、「穀物は植物の中でも比較的生存競争に勝ち残ったもののひとつ、なぜならニンゲンにその繁殖を委ね、繁栄に成功したからだ」などと言っていて、う〜ん、穀物(稲とか麦)の立場からは、ニンゲンをうまく利用して生物学的繁栄を勝ち取ったんだなー、なるほどなーという感慨があったけど、同じ理屈でナットウ菌を語ろうとすると違和感を感じるのは、ナットウ菌はニンゲンが好むと好まざるを問わず、昔から「腐敗」という過程の中で綿々と命を繋いできたわけで、たまたまニンゲンがそれに出会って食品として取り扱ったからに過ぎないという側面が強いように思われるからだろう。別にニンゲンが納豆にしなくても、ナットウ菌は存在していたし、存在し続けただろうからね。
稲や麦は、ニンゲンが食品にする数多くの植物の中から、その主食としての地位を勝ち取った。けど、納豆はニンゲンの方から食品として迎え入れたのだ。納豆を食品として選んだというよりも、納豆がニンゲンを選んだと言ったら言い過ぎか。

これを思うと、昔読んだ遺伝子の本を思い出す。
ニンゲンは多くの哺乳類の中で唯一、成長した後でも乳製品を食べる動物である。普通の動物は乳製品(つまりお乳)は子供の頃だけで、大人になってからお乳を飲んだりしない。体内で乳性分を分解する酵素が成長にしたがって少なくなるからだそうで、普通の動物は成長後にお乳を飲むとお腹を壊しちゃうんだそうな。ニンゲンが牛のお乳をそのまま牛乳として、チーズやヨーグルトとして食べられるのは、大人になってからも、乳成分を分解する酵素を作り続けるという遺伝子レベルでの進化のおかげだそうで、太古から乳製品を摂取する文化が続いたために、遺伝子に変化が起こったと言え、この本の著者曰く「ニンゲンの文化が遺伝子的進化を促した例」なんだそうな。ニンゲンは生存競争による生物学的進化を捨てて、文化的に生物学的進化を遂げる、と。
そういや、ヨーグルトも乳酸菌という菌が作った食品だったな。大昔にニンゲンが納豆に出会ったと同じように、大昔にニンゲンは乳酸菌に出会い、それが進化にまで影響したと思うと、納豆にもニンゲンを変化させる大きな力がある・・・などと思うのは、もはや思考のループだな。

しゅんすけは別にグルメではないけど、納豆にまつわる思考は果てしなく巡るのでした。
| 日記 | 00:33 | comments(0) | -
右脳全開!
怠惰に過ごす祝日を打破するために、描きかけの絵なぞに取り組んだら、しゅんすけにしてはまぁソレナリに描けたので、エンドルフィンが脳内に分泌されて、いや気持ちいいわ。
気持ちいいに任せて、今まで公開してこなかった絵なぞをちょこっと載っけておくことにした。自転車の絵は、結構描き溜めているのだけど、諸般の事情によりHPのTOP画像にはならないのであるが、しゅんすけの部屋一面に貼られた絵なぞを見ていると、いやもう描いたなーって感慨深いものがある。
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実は、自転車を購入するにあたって、自転車置き場のスペースを室内に確保するために、さきこの部屋の大幅な模様替えをした。それに伴って、ホントは別にしなくても良かったのだが、しゅんすけも部屋の模様替えをして、今までパソコンの隣においていたデスクを背中合わせに配置してみた。これによって、パソコンをいじりたくなる雑念や、しゅんすけの部屋のドアの隙間から見える廊下で見えざる誰かが覗いているかもしれないというホラー的妄想に苛まれることなく、趣味に集中できるというわけである。

そうそう、趣味と言えば、しゅんすけは会社でたまに正社員採用の面接をしたりするのだけど、面接を受けに来た方の履歴書に「趣味・器楽演奏」とか書いてあると、ついその辺を質問したくなる。「中学校の頃から楽器を演奏してて、今でも続けてます」とか回答されると、「楽器は何?」と前のめりに質問してしまう。これで、「クラリネットです」とか「トロンボーンです」とか言われると、「うむ、採用!」とか言いそうになる。危ない、危ない。会社で趣味の分かる人が増えると嬉しいんだけどね。

来月に開催される富士山麓を一周する100キロのサイクリングイベントのための宿の予約をした。開催場所は、観光地としては東・北側の富士五湖周辺のレベルには敵わない富士山西側なので、宿も少なく、既に手を回している参加者もいるようで、空室を探すのに苦労したが、とりあえず宿だけは押さえることができた。あとはレンタカーを手配すれば、準備万端である。「ホントに100キロ走破するつもりでいるんだ」って感覚がだんだん現実味を帯びてきた宵なのである。
| 日記 | 00:00 | comments(0) | -
近況。
9月はいろいろあったな。
振り返ってみると、楽団の演奏会があったり、その楽団で筆舌に尽くしがたいほどお世話になっている方から演奏会を撮影したDVDをいただいて自宅で鑑賞したんだけど、自己評価の成功具合とは裏腹にさほどソロが上手く聞こえていなかったのに、思わずのけぞってしまったり、会社の上司の娘さんがこの度、吹奏楽コンクールの全国大会に出場するんだそうで、音楽に1ミリも興味のない上司だけど、娘の晴れ姿をぜひ見たいというので、部下全員に「普門館のチケットを取れ」と号令がかかり、大人気のチケットを何とか確保するため、しゅんすけも10時のチケット発売開始と同時に電話をかけまくったんだけど、全然繋がらなくて、それにしてもチケット購入って、20年前から「電話かけまくり作戦」で全然進歩してないなーと思ったり、日曜に某ランニングクラブの練習があって、いつもはお気楽インストラクターの下でポテポテ走って練習を終了するんだけど、今回はそのインストラクターが休みだったもんだから、さきこが参加するチームに参加させてもらったところ、このインストラクターがガシガシ走るもんだから、しゅんすけもレース出場かってほどの力を出さざるを得ず(それにしてもこのチームで普通に練習できちゃうさきこのアイアン豪脚ぶりに感服)、しかもしゅんすけが経験したことのない2時間連続走行に、練習終了直後からヒザが痛み出し、もはや練習後に自転車乗ってどこかに行きたいなどという計画も頓挫してその日は脚に湿布を貼ってうんうん唸りつつ、そのまま寝ちゃったら、翌日にはヒザの痛みは消えていて、「さすが湿布の威力はスゴい!」と思ったのだけど、逆に別の部位に筋肉痛が発生して、結局遊びにいくことができず、しかもさきこは実家のお墓参りで出かけてしまい、午前中から一人ぽっちだったのだけど、ふとケーブルテレビを見たら、「♪オレはジャック・バ○アー、常に大ピンチ〜♪」などと、アメリカの連続ドラマ「2○」が24時間ぶっ続けマラソン放送と銘打って放送していて、確かに実際の時刻とドラマが進行する時刻はリンクしていて、だとすると、このドラマが終わるのは明日の朝7時ってことか?!と思うと、こりゃ付き合い切れんわいと思う反面、ついつい見入っちゃって、気がつくと16時・・・って5時間以上もこのドラマを見てるのか?!と自分の怠惰さに呆れ、発起して描きかけの絵なぞに取り掛かったら、なかなか右脳が回転してくれて、ちょっと良さそうな絵になりそうな宵なのだった。
| 日記 | 23:47 | comments(0) | -
東京、不思議、再発見!
昨日は、東京シティサイクリングに参加してきました。
その報告は、以下のページ。
http://www.geocities.jp/shunsuke199/cycle0709.htm
これからは、自転車イベント出場が増える(と思う)ので、別ページにしてみました。
| 自転車日記 | 15:50 | comments(0) | -
厄落とし・憑き落とし。
先週のしゅんすけのツキのなさは前述のとおり、酷いものだった。
ホント、何かの意思があるんじゃないかってほど、ツキがなくて、週末に演奏会を控えたしゅんすけを不安にさせ、ココはひとつ、厄落としのつもりでしゅんすけのツキのなさ、醜態を晒したわけだけど、果たして週末の演奏会は先週のツキのなさを挽回して余りある結果になった。
しゅんすけは大してうまくもないのに、今の楽団ではかなり、相当重要なパートを担当しているんだけど、その重要性は譜面に書かれた「ソロ」の文字の多さにも伺えて、コレを失敗しちゃうと演奏そのものが失敗しちゃう危険性もある重圧があるのである。だから、先週のツキのなさを引きずって、演奏会本番を迎えてしまったら、成功する可能性はまったくないわけで、藁にも縋る思いで厄落としをしたわけだけど(・・・っても、単に悪いことを列挙しただけだけどね)、これが奏功したのか、しゅんすけの演奏は普段の練習の7、8割のレベルをキープできた。それどころか、重要なソロの部分では、ソロの冒頭が思いのほかうまくいって、「よし、イケる」と思って、普段そんな余裕がなくてできなかったビブラートなんぞかけて演奏することまでできた。まあ、しゅんすけの7、8割と言っても、しゅんすけは一般的に要求される技能の6割くらいしかないから、6割×7、8割、音楽の出来としては4割程度ってことになって、つまり音楽としてのしゅんすけの演奏は全然まだまだなんだけど、自己満足は十二分に満たされた。こんなにソロが成功したのは、昔吹奏楽をやっていた際に「ダ○テ『神曲』〜天国篇」の冒頭ソロを成功させた時以来である。
音楽的にはたくさんの課題が残る演奏会だったけど、その課題に取り組むためのモチベーションは、やはり演奏後の達成感だと思うわけで、その意味では今後につながる達成感を感じられた演奏会だった。

厄落としのためにブログを更新して以降は、とにかく「集中、集中!」と自分に言い聞かせ、気合だけは入っていた。前日最後の練習でも、とにかく集中力だけは欠かさないようにしていたし、翌日朝起きてから演奏会会場に向かうクルマの中でも、「集中、集中!」と呪文を唱えていた。いや、コレっておバカのようで結構効果アリかも。先日まで開催されていた世界陸上選手権で走り高跳び(女子)をテレビ観戦したんだけど、出場者が自分が飛ぶ段になると口をもごもごさせて何か呟いているのを観て「きっと自己暗示をかけてるんだろうな」と思って、しゅんすけにも試してみたわけで、ホント、ネガティブなことを一切考えないで、演奏会会場に着いた。

そんな自己暗示、厄落とし、憑き落としのおかげで、今回の演奏会の成功に繋がった。いろいろ課題があるのは充分認識してるけど、今はその達成感、安堵感に酔いしれたいのだ。
| 音楽日記 | 15:08 | comments(0) | -
台風一過。
今年も台風が来た。今回は太平洋を南から直接首都圏に向けて進むコースで、このコースを辿る台風は大抵大きな被害をもたらす。10年以上前にしゅんすけが品川に住んでいた頃にも、同じようなコースの台風が来て、当時まだ細い地下道だったJR品川駅の連絡通路が半分くらい水に浸かり、ほとんど洞窟深くに発見された地下河川、川口探検隊もびっくりって趣きで、当時大学生だったしゅんすけも「台風はコワいなー」と思ったものだ。また、5、6年前の同コースの台風では、地下鉄の駅ホームに浸水、電車が走るところに水が溜まり、人工河岸の様相だったこともあった。とにかく伊豆諸島方面から直接やってくる台風はコワい。
今回も嫌な予感があって、早めに帰宅したんだけど、雨雲の切れ目だったのか、暴風に晒されつつも豪雨には見舞われることなく帰宅でき、テレビで盛んに流れる各地域の惨状を別世界のような目で見ていた。特にしゅんすけのマンションは1階なので、雨が屋根を叩く音も風が吹きすさぶ音も聞こえないから、イマイチ実感がなかった。
翌日、朝のテレビで多摩川の様子を放送していて、その氾濫ぶりに驚き、しかも上流のダムで貯水調整のために放水しちゃったそうだからさらにその水位を増しているそうで、これは台風による天災ではなく、人が河を氾濫させる人災ではないのと思い、とりあえず家を出て会社に向かうも、京浜東北線は途中で停止してしまい、その理由は「多摩川が警戒水位を超えたため」だそうで、それはダムが放水しているからなわけで、しゅんすけが立ち往生している理由は天災ではなく人災だろうと、ちょっと憤っていたら、振替輸送で乗った京急で多摩川を渡る時に、テレビで見たとおり、河川敷は全て濁流に飲み込まれている光景で、しかも普段河川敷に隠れるようにして住まう路上生活者の方が、一生懸命廃材をかき集めて立てた小屋は見事に水没していた。そして、車窓から見たのは、水没してわずかに水面に出た屋根の部分に座り込み、周りを濁流に囲まれ、どうにも動けない路上生活者の姿。
おいおい、オレ達通勤してる場合じゃないんじゃないの?これ助けないとヤバいんじゃないの?という状況。
これが台風のせいならやり場のない怒りを天災だからと納得できるかもだけど、ダムの放水が原因じゃ納得できないだろうな。
それにしても、あの路上生活者のおじちゃんは、大丈夫だったんだろうか。
今回の台風による電車運行の乱れは、しゅんすけにとっては酷いものだった。京浜東北線はそもそも止まり過ぎ。前日の帰宅中に乗った際にも「明日の運行状況をご確認のうえご利用ください」とか言って、リスクヘッジは分かるけど、なんか「たぶん止まりますよ」って言ってるようで、そもそも正常な運行など望むべくもないと諦めているようにさえ聞こえた。たしかに、横浜以北は品川まで東海道線でも横須賀線でも京急でも行くことができる。品川まで行ければ山手線もあるわけで、そういう意味では京浜東北線がシャニムニ頑張らなくてもいい部分はあるかもしれず、そうであれば限りある人員を東海道線や横須賀線のような主要電車の運行に充てるとか振替輸送に必要な業務に充てるのも分かる。うん、分かった。今後はそう考えて、もはや京浜東北線に期待をしないことにする。それどころか、以前のように京急に切り替えちゃおうかな。電車の中もかつてのような殺人的な暑さ、しかも暑いにもかかわらず空調を全然入れないような電車ではなさそうだったし、ね。
明日は台風一過の晴天だろう。
演奏会などのビッグイベントで雨に降られない辺り、団員に超強力晴れ男でも入団したかな。
| 日記 | 00:59 | comments(0) | -
厄落とし。
くおー、狂おしいほどツイてなかった、今週は。
会社では些細なエクセル計算式の誤りが発見されてその修正が大変だったり、コピーしてて振り返ったらッガーンと肘をぶつけちゃって肘がジーンと来ちゃうし、しゅんすけの部屋のエアコンにゴ○ブリが進入して何やらかさこそ言ってるんだけど姿が見えず、殺虫剤を探しても見当たらず、やっと見つけ出してエアコンにシューッとやるも、時既に遅しできゃつはどこぞへ逃げてしまってるし、今日は昼飯を後輩社員と退職する予定の別部署の女性とイタリアンなぞ食べに行ったらしゅんすけのパスタにだけクモが混入してるし(しかも生きている)、お冷にはテントウムシが止まってるし、台風の影響で京浜東北線だけが止まっちゃって、しゅんすけも懲りたハズなのに「そのうち動き出すハズ」と信じ運転再開を待ったんだけど、待てども待てども動く気配がなく、シビレを切らして京急に乗り換えたら、若干速度が遅かったものの割と早く着いてしまい、だったら最初から京急で来れば良かったと自分の危機管理力の無さに呆れつつ、京急に乗り換えて早く着いたと言っても、既に出勤時刻の1時間半も遅刻をしていて、しゅんすけより遠くに住んでいる後輩社員の目が冷たかったり、極めつけが、帰りの電車で寝過ごして気がつくと降りるべき駅を大きく乗り越した磯子駅で、まあここからタクシーで帰るしかないかと思って、まずはジュースでも買うかとコンビニに向かったら、あるはずのコンビニが閉店して潰れちゃってるし、そこから延々人通りの少ない静かな街をコンビニを探して歩き回るも、ラーメン屋はやっているのにコンビニはなく、「ここって住宅街だよな、コンビニのないJRの駅ってコレ如何に?」と思いつつ、コンビニを諦めてタクシーを捜すも、ホントに人通りのない静かな街はタクシーさえ走ってなくて、「ここは天下の国道16号線だよな?タクシーが一台も走ってないとはコレ如何に?」と思いつつも、やっとのことでタクシーに乗ったら、これが道の全然分からない運ちゃんで、いちいち道を教えつつ、運ちゃんも不慣れな道をゆっくり走るからいつもより余計にお金がかかり・・・と思ったら、財布にお金が入ってなくて、やむを得ずさきこに電話してタクシー代を持ってきてもらうという恐ろしいまでにツイてなかった。まるで何らかの意思によって、徐々にツイてない度数を上げて、今日まさにマックスを迎えたという感じ。天を仰いで叫びたい。
「これじゃ明後日の本番はどぉぉぉぉうなるんだぁぁぁ!」
そうである、明後日は運命の演奏会本番である。
しかも、ツイてない機運は、この演奏会に関しても現れていて、事務の手違いでいろんな人に迷惑をかけてしまった。いや、しゅんすけだけが非難されるべきでもないけど、しゅんすけが良かれと思って提案し、実現に向けて動き出した矢先に壁にぶつかってしまい、これが一部の人の演奏会直前の安寧の日々をブチ壊してしまったわけで、ホントしゅんとなってしまうくらいツイてない日々。
しかも、会社では「あおきさんの演奏会の本番って、いつでしたっけ?」とか、営業の女性に聞かれちゃって、あれ?いつそんな宣伝したっけか?と思いつつ、「行けたら行きます」って、お客さんが増えるのはいいけど、会社以外で醜態を晒すのはなんか嫌なんだよな。

演奏会本番は、技術的な部分もそうだけど、運も絶対に必要。いつもの能力の100%を出せるか、80%になっちゃうか、いや相当緊張するから50%も出せるかどうか。そんな中、それでもいい音楽を目指して集中するわけである。自分の技術を自在に操れるわけではないしゅんすけは、やはり祈るしかないのである。

とりあえず、ツイてなかったことを挙げてみた。厄が落ちたってことで、これでツイてないコトは最後にして、明後日の本番を頑張りたい。できれば楽しみたい。勝負の週末がやってくる。
| 日記 | 00:58 | comments(0) | -
ソロコルネットに必要な気概
「サクリファイス」近藤 史恵著(新潮社)を読了した。
何気に早く退社して、そういや最近は読む本もないなーとふと立ち寄った有楽町の三省堂書店で、出会ってしまった本。ホントは、久々に数学や天文学や遺伝子学、免疫の最近の研究ってどうなってるんだっけ?などと、自然科学系のコーナーをうろついたけど、なかなか琴線に触れる本がなくて、しかもしゅんすけが前回の読書感想文でメタメタに評価した「噂の拡がり方」が置いてあったりして(本屋に置いてあるこの本を見ると、その表題の「拡がり方」をあえて「広がり方」と書かない辺りも妙に苛立たしいわ)、今日のところは本を読まずに携帯でもかちゃかちゃやって帰るかなーと思った瞬間に目に飛び込んできたのが、この本である。
サクリファイス=犠牲・・・などと、なんかイヤーな感じのするネガティブな表題に、ちょっと気圧される感じもあって、やっぱ買わないでおこうかなとも思ったのだけど、何より内容が自転車レースの話しだったこともあり、まずは読んでみることにした。
そして、今日、読了した。早っ!?ほとんど1日で読み終えた。
いや、面白いわ・・・っていうか、感動した。
素晴らしい内容だった。これは、絶対に読んで損はない。「犠牲」なんていう、ちょっと重ためな表題もこの内容なら全然納得できる。しかも、この読了後の一種の爽快感っていうのかな、何とも言われぬ感覚を味わった。そろそろ年齢的にもヤバめな最近のしゅんすけは、こういう時思わず涙腺が刺激されちゃうんだけど、今回も自宅で読んでたら、きっと訳も分からず涙腺を湿らせていただろう。

さて、内容としては、日本の自転車レースのプロチームの中で、主人公と主人公を取り巻く登場人物たちを描いたストーリーで、現実の自転車レースのようにストーリーが淡々と進行し、大きな疑惑とその裏に隠れたレーサーとしての気概みたいのが大きな感動に導いていくという、小説として特段、テクニカルな感じはしないけど、とても素直に読める展開が静かな感動を呼び起こす内容である。特に、自転車レース(競輪とかじゃなくて)をよく知らない人が読んで感動できるんだから、その筆致は著者の実力の現れだろう。

既述だけど、自転車レースは個人競技のようで完全な団体競技である。チームのエースを勝たせるためなら、自分の順位など全然関係ないというチームの論理に支配された世界である。しゅんすけがこの前初めて見たツール・ド・フランスでも、コケちゃって先頭集団から大きく遅れたエース級の選手を、再び集団に追いつかせるために、数人のチームメイト(アシスト)が自分の体力の限界までエースを先導し、風除けになっていた。数人いたハズのアシストは次々に脱落して、エース級選手が先頭集団に追いつく頃には、アシストは一人になっちゃってた。他のアシストは無理なスパートと風除けとして必要以上の空気抵抗にあい、力尽きて次々に脱落していっていたのだ。こういうチームの論理が、自転車レースにはある。アシストは、自分の勝利など一切考えない。でも、エースをとことんサポートするところに、無上の達成感を感じるのである。
風除けと言えば、レース中の集団では、本来敵同士であるにもかかわらず、みんなが一列に並んで風を正面から受ける先頭を次々に交代していく先頭交代というのがある。マラソンのように、抜きつ抜かれつのデッドヒートはゴール直前のことで、ほとんどレース中は集団内のライバル同士が風を受ける先頭を交代しながら進む。これが、自転車が紳士のスポーツと言われる所以だけど、ゴール直前ではそれが一点して、アタックをかけるタイミングを駆け引きしつつ、激しいデッドヒートが展開するんだから、面白い。初めて見たツール・ド・フランスだったけど、とても面白いものを見たという感想を持った。
こんな自転車レース特有のお約束が、この本の中で随所に説明してあるのも、良かった。改めて自転車レースの面白さを知った。

ストーリーを通して展開するのは、アシストとしての主人公の行動である。
エースを勝たせるために存在するアシスト。決して自分のためにレースをすることのない、目立つ存在ではないけど、アシストがいなければ、どんなにスゴい選手も優勝することはできない。ゴールゲートを一番でくぐることはないけど、それが彼らアシストの「仕事」なのだ。
このアシストの気概に感動した。
そして、そのアシストの思いを背負って走るエースの気概にも感動した。
とっても大人なスポーツだと思った。
スポーツは買ってナンボなところがある。そして誰もがエースになる資格を平等に持っている。野球でもそうだけど、9番ライトだからと言って、一打サヨナラという場面に立ち会った時、彼はその試合のヒーローになる権利を与えられている。でも、自転車レースでは、アクシデントでもない限りそういうことはない。アシストは終始アシストとしての期待しかされないし、アシストとしての仕事しか与えられない。でも、彼らはそれでもヒネくれたりしない。一流のエースには一流のアシストがいるのだ。

さて、ふと思い出すのは、しゅんすけが参加する英国式金管バンドである。
ヨーロッパでは吹奏楽なんかよりもメジャーなこの編成の音楽だけど、日本では全然流行っていない。
それは、自転車レースを育んだヨーロッパ人の気概と、誰もがエースになるチャンスのある野球を好む日本人の差に繋がるかもしれないと思うのだ。
金管バンドでは、そのバンドのコンサートマスターを務めるのが、プリンシパル・ソロ・コルネットというポジション。このポジションの隣にはアシスタント・ソロコルネットがいて、さらにその隣に2人のソロコルネットが座る。彼ら4人は、みんな同じ譜面を持っているんだけど、この譜面に書かれた「ソロ」の部分は、プリンシパルが必ず吹くことになっている。プリンシパル以外の3人は、決してソロを吹けない。
吹奏楽を長くやってきたしゅんすけにとって、コレはかなり残酷な話しである。譜面にはソロと書いてあるのに吹けないのだから。どんなに下手でもどんなに嫌ってても、プリンシパルのポジションになった者がソロを独占するというのは、吹奏楽の世界で1stトランペットを任されて、ブイブイ言わせた経験のある演奏者なら、まるでオアヅケを食らった犬のような気分である。そこにソロがあるのに自分は吹けないのだから。
だから、しゅんすけはソロコルネットに興味を持っていなかった。ソロと書いてあるのに吹けないのなら、他のパートの方がいいな、と。
でも、自転車レースでアシストに徹する彼らを見ていて、アシストの気概、魅力を、金管バンドのソロコルネットたちに重ねてみることができた。
自転車レースでのアシストは、エースの勝利のためにすすんで自らが犠牲になるのだ。それが彼らに与えられた重要なパートなのだから、それを犠牲とすら思っていない爽快感すらある。金管バンドも同じことだ。プリンシパルにいい演奏をさせること、いいソロを吹かせること、それがバンド全体のいい音楽に繋がるのなら、アシスタント・ソロコルネットもソロコルネットもすすんで犠牲になるのである。プリンシパルは、その犠牲の重みを背負って、ソロを吹くのである。それは、吹奏楽でたまたまあったトランペットのソロの部分をちょろっと吹くような、譜面にソロって書いてあるんだからしょうがないじゃーんみたいな気持ちで吹くソロとは、重みがまったく違う。絶対に失敗できないソロである。
プリンシパルと同じ譜面を見て、彼らはプリンシパルをどうアシストすれば、彼がいい演奏をできるか考えるのだろう。プリンシパルの演奏は、アシストのサポートに支えられてこそ存在するのである。このことを観客はみんな知っているのである。
ヨーロッパで金管バンドが主流になるのも、なんとなく分かる気がした。
同時に、なぜ金管バンドの編成で、同じ譜面を吹くコルネットが4人もいるのかというのも分かる気がした。
そして、なぜ日本で金管バンドが根付かないのか、しゅんすけの参加しているバンドのソロコルネットがいつも人員不足なのかも分かる気がした。

この本を読んで、なんとなく音楽へ対する考え方が変わった気がする。今までは、オーケストラのバイオリンって、なんであんなにたくさん必要なのか理解できないところもあったし、自分のような目立ちたがり屋は、たとえ技術があっても性格的にバイオリンなんてできないし、同じ譜面を吹く金管バンドのソロ・コルネットに魅力を感じなかったけど、何となく気持ちの変化を感じる。これが、日本にいるたくさんの目立ちたがり屋のオレ様トランペッターに理解されると、日本の金管バンドの様相も変わってくると思った。そして、いかにプリンシパルを引き立てるかに徹するアシストのパートに魅力を感じた。
奇しくも、しゅんすけの運命の本番は、今週末である。果たして、名アシストのおかげで、しゅんすけのソロは成功するだろうか。しゅんすけのプリンシパルの椅子をかけた挑戦である。本来ならしゅんすけにプリンシパルを張るだけの技術はない。そうであれば、アシストがいいなと思った。そもそもソロコルネットの4人が、誰のサポートもなく疲労せずに吹き続けられる譜面ではないのだから。
なんかこの本を読んで、今のバンドでもっと頑張ってみようと思った。
ホントは演奏会終了後、ちょっと距離を置こうかと悩んでいたけど、アシストの魅力って絶対あるよなーと思ったし、それが普及すれば、金管バンドは決して捨てたモンじゃないのである。
そして、そのためには、自転車レースをもっと日本でメジャーにするべきだと、なぜか思うのだった。
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