2009.12.31 Thursday
2009年回顧録
今年もいろいろあった1年だったが、12月ももうすぐ暮れようという中、恒例の回顧録である。
■大きなデキゴト。
今年最も大きなデキゴトといえば、もはや異論の余地なくしゅんすけのフルマラソン完走以外にないだろう。年初からオボロげに形作られてきた「フルマラソン完走への思い」は、春先の雑誌取材で明確に方向付けられ、週2回の練習や夏の箱根合宿、40キロ走を経て、11月に結実した。42.195キロの完走。1度も歩かずに走り通した42.195キロは、しゅんすけに物凄い自信を与えてくれた。マラソンを走り終えて記念に撮った写真は、しゅんすけの携帯電話の待受画面になっていて、携帯電話をパカッと開ける度にあの怒涛の感動が一瞬だけ蘇えるのである。
42.195キロを走ったからと言って何が変わるのかとかどういう意味があるのかとかいろいろ難癖つけて逃げてきたけど、その先に見えたもの、掴んだものはとても大事なものであった。
他に大きなデキゴトがあったかというと、実はさほど大きなコトは起こっていないように思っている。あまりにもフルマラソン完走というインパクトが大きくて、他のことが霞んじゃったんだと思う。仕事でもプライベートでも趣味のことでも、それなりに大きなことはあったハズなのにね。あぁそうそう、テレビ買い換えたわ。大画面テレビ。・・・う〜ん、そんなトコロだろうか。
■ランニング
前述のとおり、大きなデキゴトがランニングのことなので、この項は書くことがないかというと、全然そんなことはない。・・・と言うより、フルマラソン完走に向けた取り組みのひとつひとつがそれぞれ大きなインパクトを持っていて特筆すべきデキゴトになっている。
そのひとつが、箱根での合宿である。
しゅんすけのランニング仲間たちが、夏の箱根でランニング練習をしようと集まった。この合宿では1日目に箱根湯本から芦ノ湖へ至る箱根駅伝5区・6区の山上り往復、2日目に芦ノ湖の周回を企画していて、2日目はあいにくの天気のため、周回には至らず、それでも湖尻から箱根町までの10キロ強を走破することができた。それよりも1日目の箱根路ランニングの方が数倍キツくて、さすが天下の険、しゅんすけのようなメタボ・ランナーには非常に非情なコースだった。いやもう死ぬかと思ったね。でも国道1号線をひたすら上り続け、国道1号線の最高地点を超え、眼下に芦ノ湖が見えてきた時には得も言われぬ感動が押し寄せてきたのを鮮明に覚えている。クルマでも何度も行っている箱根芦ノ湖だけど、自分の足で上り切って見下ろすのはまた違った思いなのである。
フルマラソン完走に向けた取り組みとしては、何度かチャレンジした長距離練習がある。自宅から鎌倉・由比ガ浜までの往復32キロ走、鎌倉から湘南大橋を往復する40キロ走は、まだハーフマラソンしか出たことのないしゅんすけにとっては大変な自信に繋がった練習である。特に40キロ走では、「あとちょっとでフルマラソン完走」というレベルに到達した自分に感動した。体型はほとんど変わってないけど、走力が確実に向上していることがとても嬉しかった。これらの長距離練習では、さきこが必ず併走してくれて、いろいろとアドバイスをしてくれた。さきこにとっては、しゅんすけのようなぽてぽてペースは練習にならないかもしれないけど、一緒に走ってくれる安心感はかなり大きかった。大感謝である。40キロ走では、ランニング仲間のまゆみさんやまりこさんが同行してくれて、ウレシハズカシ女性に囲まれての練習になった。こういう場合、傍目からは「ランニングを始めたばかりの女性に指導する男性先輩の図」のように映るかもしれないけど、実態はウルトラランナーの女性たちに30キロ走るのが精一杯なメタボオヤジが引っ張られるというものなんだけどね。
ちなみに、しゅんすけがフルマラソンに出場するということで、前述のとおり某ランニング雑誌に掲載された。結果的には誌面に大写しになったしゅんすけの姿と身長、体重を始めとして体脂肪率や身体年齢までもが実名とともに曝け出されることとなり、個人情報ダダ漏れ状態のしゅんすけに対し、ニワカに同情の声が上がったが、皆一様に目が笑ってた。楽しんでたねアレは。
昨今のランニングブームのために、イベントの出場申し込みが早々に締め切られることが多くなった。去年まで出場していたイベントが、申し込み受付を開始した途端に申し込みが殺到して、あっという間に出場枠が埋まっちゃったりした。だから今年はそれほど多くのランニングイベントに出場していない。いくつか参加した中で、来年に向けてぜひ記憶に留めておきたいのが、三浦マラソンである。この日は3月にしては異常に寒く小雨舞う日で、走り出したもののこの寒さと雨と過酷なコースに苦しめられ、なんとかフィニッシュまで辿り着いた時には、既にフィニッシュゲートは撤去されていて、つまりタイムアウトに終わったのである。そういう意味では、しゅんすけは三浦マラソンを完走していないわけで、来年に向けて絶対完走を果たしたいと思っている。しゅんすけの彷徨える魂は、まだ三浦マラソンを走り続けているのだ。
そしてもうひとつ来年に向けた思いというと、東京マラソンである。今年こそ当選すると確信に近い妄信のもと、2月に開催される大会への参加を一切見送って、送られてきた抽選結果は、見事にハズレ。去年さきこが走った青梅マラソンとか結構興味あったのに時既に締め切り後で、今回は東京マラソンの沿道ボランティアという形で東京マラソンに関わろうと思っている。来年こそは是非当選して、日本一素晴らしい大会を駆け抜けたいと思っている。
ちなみに、来年は春先にフルマラソンに出場する予定である。秋のフルマラソン完走後、その余韻に浸るばかりで一向に練習しないしゅんすけは果たして再び完走することができるだろうか・・・。
■サイクリング
ランニングと並び立つものとしてサイクリングのことも書かねばなるまい。今年の初めに企画され、5月に実施されたしまなみ海道サイクリングは、しゅんすけが今まで行ってきたどのサイクリングコースよりも素晴らしいコースだった。詳細は別に書いてあるけど、このサイクリングでは、いろんな点でチャレンジで、参加者11人分の自転車11台を新幹線に乗せることはできるかとか、不案内なコースを1日で80キロも走破し、その翌日に同じ道を80キロ走って来られるかとか、その上で所定の時刻に尾道から電車に乗り、福山から新幹線に乗れるかとか、いろんな不安がある中、結果的にはとてもうまく行って、とても楽しいサイクリングになった。春の瀬戸内海は美しい景色もそうだけど、レモンなどの柑橘系果物が一斉に花を咲かせる季節で、物凄くいい香りの中サイクリングできたことが強く記憶に残った。また行きたいと思う。その際には何台の自転車を新幹線に載せることになるだろうか。
そして、しまなみ海道を共にしたメンバーが、しまなみ海道サイクリングの再来を期して企画したのが、大島サイクリングである。
船で島に行き自転車で周回するというのは、去年の佐渡ロングライドのようでわくわくしたのだけど、これが行ってみると非常にキツい坂の連続で、サイクリングというよりもトレーニングに近いものだった。ほんの数キロのヒルクライムだったけど、しゅんすけを始め、しまなみ海道の再来を期待していた参加者は目の前に伸びるまっすぐな坂道を前に、ただ笑うのみだった。それでも仲間とサイクリングするのは楽しいもので、ここはホントに東京都かと思うほどの雄大な景色の中を自転車で走ることができた。これも機会があったらまた行きたいと思う。
さて楽しいサイクリングだけではなく、自分に挑戦するサイクリングもある。某自転車雑誌にあった「俺的チャレンジ」略して「俺チャレ」と称して、しゅんすけは今年大きな挑戦をした。自宅から沼津へのサイクリングである。走行距離は120キロ。後半にはランニング合宿でも経験した天下の険、箱根路がある。134号線をひた走り、小田原から箱根へ至り、箱根峠から三島を越えて沼津へ至る道。これはフルマラソンを走るしゅんすけが自信をつけるための挑戦だった。いや、これはキツかったね。特に箱根の山は、小田原でちゃんと休憩をとったにもかかわらず、酷い疲労に見舞われた。芦ノ湖が見えてきた時には、下り坂を滑走しながら思わず歓声をあげたもんな。
そして箱根峠の超絶ダウンヒル。箱根の山を越えて見る富士山の雄大さ。そして沼津で食べた寿司の筆舌に尽くしがたい美味さ。これは自分にとってはとてもいい経験だった。以前単身赴任していた沼津、遠くはないけど決して近くはない沼津へ、自分の足で到達した自信は大きく残っている。そしていつかチャレンジするさらに大きな挑戦への第一歩なのである。
そう、しゅんすけにはいつか挑戦したい大きな目標がある。
そのために来年は、ツールドちばに出場したいと考えている。400キロ弱の道のりを3日間かけて走破するイベント。しゅんすけにとって、ほとんど不可能に近い挑戦だけど、来年はそのための練習として自宅・沼津”往復”サイクリングに挑戦したりして、脚力を鍛えたいと考えている。
その目標は壮大すぎて、今のしゅんすけには無理すぎて、とてもここには書けないけど、いつか遠いフィニッシュを目指してサドルにまたがり、地面を蹴る日が来ると期待している。
■本のこと
従来からずっとインドア派を自認してきたしゅんすけだけど、今年はほとんど本を読まなかった。一時某北方兼三氏の水滸伝を読んだりしたけど、挫折。数学の本なぞ読んだりしたけど、まだ読破に至っていない。これはかなり由々しき事態である。本を読まないからインプットがされず、しゅんすけの知見は一向に向上していない。こういう怠惰が一番ダメである。
こういう時はとにかく読みやすい本から読み始めるものである。何かを得ようという気概はなくして楽しんで読むに限る。来年はそういう年になりそうである。
■絵なぞのこと
以前購入したライトテーブル、いわゆるトレス台が故障するという未曾有の大惨事を経て、一時は寝ても覚めてもトレス台どうしようと思い悩む日々もあったけど、最近は少し復活し、とりあえず絵なぞを描く環境を維持している。これがいつまた故障の憂き目に遭うか分からないけど、願わくば物凄くよく描けそうな時に故障しないでもらいたいものである。
絶対に壊れないモノはこの世に存在しないけど、壊れても再生、復活可能なモノはあるわけで、そういう点では部品の交換が一切できない現行のトレス台は今後壊れるのみの存在である。交換可能な蛍光灯を内臓した小箱を自作してトレス台にするのが一番いいんだけど、そういう技術がないばかりに悩ましい日々は続くのである。
■音楽のこと
音楽というか楽団のことでは今年は相当悩ましい年になった。去年より団の運営について役者不足的重責を引き受けちゃったわけだけど、ただでさえしゅんすけには荷の重い役職だったにもかかわらず、演奏会2ヶ月を前にして演奏面での重要ポストの方が諸般の事情により退団を余儀なくされ、そのアシストの役割を担っていたしゅんすけが自動的(?)にこの重要ポストに就くことになってしまい、つまり運営面、演奏面で重責を担うことになってしまったわけである。まるでローマ共和制が徐々に帝政に移行していくかのようで、カエサルでもアントニウスでもない一般人なしゅんすけには精神的にキッツい週末だった。
演奏会の方は付け焼き刃としてはまあまあだったけど、演奏を録音したCDを聴きながら高速道路を走っているとしゅんすけの音色のあまりの××さに、思わず時速100キロのまま中央分離帯に向けてハンドルを切りたい衝動に駆られたね。いつも思うけど、しゅんすけの耳が悪いのか、技術が悪いからなのか、録音が悪いのか、そもそもそういうものなのか知らないけど、録音されたしゅんすけの音はそれはもう酷いものである。演奏会のステージで一気に盛り上がったしゅんすけのモチベーションは、この録音CDを聴くことで一気に低下して演奏会前よりもズズーンと低くなってしまうのである。
今回も非常に酷い音色に、このまま楽器を辞めることも辞さないほどの自己嫌悪に見舞われた。
さて、しゅんすけの重責も今年限りなわけで、来年は少々小休止。一旦音符の世界から身を引いて、落ち着こうかと思っている・・・んだけど、こういう時に限って、次の演奏会で演奏される楽曲はしゅんすけの琴線をビビビーンと弾くものだったりするんだよな。・・・わざとか。
特にしゅんすけが金管バンドを始めた頃に演奏した某楽曲は、音楽に対して一度精算をしようとしているしゅんすけには名残惜しさを増幅させ、演奏してて思わず涙腺が緩んじゃうほどだった。演奏しながらウルウルくるなんて、しゅんすけも歳をとったものである。
※来年はちゃんとウクレレが弾けるようになりたいものである。
■来年に向けて
2010年である。時の過ぎゆくのは早いもので、2000年紀は早くも10年目に突入である。
そんな来年はどうしようかな。
仕事は相変わらずストレスフルな環境で、さらにストレスが増大するのか、緩和される方向に働くのかはまったく分からないけど、ココロ穏やかに過ごしたいものである。
ランニングの方は、4月にフルマラソンにエントリー済みである。当面はこれに向けた取り組みをしていかないとね。また11月には今年同様湘南国際マラソンに再出場して、今年叶わなかった4時間台での完走を目標にしたい。だから来年も箱根合宿や40キロ走は続けたいと思う。
もし日程的、金銭的に許されるのであれば、もう一度ホノルルに行って走ってみたい。ランナーであれば一度は走りたいと思うホノルルマラソンに参加してみたいなー・・・ってか、他にもやりたいことが多いんだけどね。
そのやりたいことのひとつが、自転車である。
前述のとおり、自転車における大いなる野望を達成するために、3日間100キロ強を走るツールドちばに出場したい。
また今年ホントはやりたかったけど、やむを得ず断念したこととして、富士登山がある。一度ファイナルを迎えた富士登山だけど、フルマラソンを走り切り、タバコを辞めた今、果たして富士山の山登りにどういう感想を持つのか興味があるところである。
山登りといえば、一度きりで終わっているアルプス登山も検討したい。遙かなる白馬岳の山頂・・・ってか、アルプス登山はおカネがかかるんだよね。金銭的事情はいつもしゅんすけを苦しめるのである。
しかし、できる範囲のことを精一杯やる。
毎年何かしらの記述があった読書とか絵なぞがほとんどなくてランニングと自転車が大半を占めるようになってしまった状況を来年も続けていいのだろうかと思いつつ、2009年が暮れていくのである。
■大きなデキゴト。
今年最も大きなデキゴトといえば、もはや異論の余地なくしゅんすけのフルマラソン完走以外にないだろう。年初からオボロげに形作られてきた「フルマラソン完走への思い」は、春先の雑誌取材で明確に方向付けられ、週2回の練習や夏の箱根合宿、40キロ走を経て、11月に結実した。42.195キロの完走。1度も歩かずに走り通した42.195キロは、しゅんすけに物凄い自信を与えてくれた。マラソンを走り終えて記念に撮った写真は、しゅんすけの携帯電話の待受画面になっていて、携帯電話をパカッと開ける度にあの怒涛の感動が一瞬だけ蘇えるのである。
42.195キロを走ったからと言って何が変わるのかとかどういう意味があるのかとかいろいろ難癖つけて逃げてきたけど、その先に見えたもの、掴んだものはとても大事なものであった。
他に大きなデキゴトがあったかというと、実はさほど大きなコトは起こっていないように思っている。あまりにもフルマラソン完走というインパクトが大きくて、他のことが霞んじゃったんだと思う。仕事でもプライベートでも趣味のことでも、それなりに大きなことはあったハズなのにね。あぁそうそう、テレビ買い換えたわ。大画面テレビ。・・・う〜ん、そんなトコロだろうか。
■ランニング
前述のとおり、大きなデキゴトがランニングのことなので、この項は書くことがないかというと、全然そんなことはない。・・・と言うより、フルマラソン完走に向けた取り組みのひとつひとつがそれぞれ大きなインパクトを持っていて特筆すべきデキゴトになっている。
そのひとつが、箱根での合宿である。
しゅんすけのランニング仲間たちが、夏の箱根でランニング練習をしようと集まった。この合宿では1日目に箱根湯本から芦ノ湖へ至る箱根駅伝5区・6区の山上り往復、2日目に芦ノ湖の周回を企画していて、2日目はあいにくの天気のため、周回には至らず、それでも湖尻から箱根町までの10キロ強を走破することができた。それよりも1日目の箱根路ランニングの方が数倍キツくて、さすが天下の険、しゅんすけのようなメタボ・ランナーには非常に非情なコースだった。いやもう死ぬかと思ったね。でも国道1号線をひたすら上り続け、国道1号線の最高地点を超え、眼下に芦ノ湖が見えてきた時には得も言われぬ感動が押し寄せてきたのを鮮明に覚えている。クルマでも何度も行っている箱根芦ノ湖だけど、自分の足で上り切って見下ろすのはまた違った思いなのである。
フルマラソン完走に向けた取り組みとしては、何度かチャレンジした長距離練習がある。自宅から鎌倉・由比ガ浜までの往復32キロ走、鎌倉から湘南大橋を往復する40キロ走は、まだハーフマラソンしか出たことのないしゅんすけにとっては大変な自信に繋がった練習である。特に40キロ走では、「あとちょっとでフルマラソン完走」というレベルに到達した自分に感動した。体型はほとんど変わってないけど、走力が確実に向上していることがとても嬉しかった。これらの長距離練習では、さきこが必ず併走してくれて、いろいろとアドバイスをしてくれた。さきこにとっては、しゅんすけのようなぽてぽてペースは練習にならないかもしれないけど、一緒に走ってくれる安心感はかなり大きかった。大感謝である。40キロ走では、ランニング仲間のまゆみさんやまりこさんが同行してくれて、ウレシハズカシ女性に囲まれての練習になった。こういう場合、傍目からは「ランニングを始めたばかりの女性に指導する男性先輩の図」のように映るかもしれないけど、実態はウルトラランナーの女性たちに30キロ走るのが精一杯なメタボオヤジが引っ張られるというものなんだけどね。
ちなみに、しゅんすけがフルマラソンに出場するということで、前述のとおり某ランニング雑誌に掲載された。結果的には誌面に大写しになったしゅんすけの姿と身長、体重を始めとして体脂肪率や身体年齢までもが実名とともに曝け出されることとなり、個人情報ダダ漏れ状態のしゅんすけに対し、ニワカに同情の声が上がったが、皆一様に目が笑ってた。楽しんでたねアレは。
昨今のランニングブームのために、イベントの出場申し込みが早々に締め切られることが多くなった。去年まで出場していたイベントが、申し込み受付を開始した途端に申し込みが殺到して、あっという間に出場枠が埋まっちゃったりした。だから今年はそれほど多くのランニングイベントに出場していない。いくつか参加した中で、来年に向けてぜひ記憶に留めておきたいのが、三浦マラソンである。この日は3月にしては異常に寒く小雨舞う日で、走り出したもののこの寒さと雨と過酷なコースに苦しめられ、なんとかフィニッシュまで辿り着いた時には、既にフィニッシュゲートは撤去されていて、つまりタイムアウトに終わったのである。そういう意味では、しゅんすけは三浦マラソンを完走していないわけで、来年に向けて絶対完走を果たしたいと思っている。しゅんすけの彷徨える魂は、まだ三浦マラソンを走り続けているのだ。
そしてもうひとつ来年に向けた思いというと、東京マラソンである。今年こそ当選すると確信に近い妄信のもと、2月に開催される大会への参加を一切見送って、送られてきた抽選結果は、見事にハズレ。去年さきこが走った青梅マラソンとか結構興味あったのに時既に締め切り後で、今回は東京マラソンの沿道ボランティアという形で東京マラソンに関わろうと思っている。来年こそは是非当選して、日本一素晴らしい大会を駆け抜けたいと思っている。
ちなみに、来年は春先にフルマラソンに出場する予定である。秋のフルマラソン完走後、その余韻に浸るばかりで一向に練習しないしゅんすけは果たして再び完走することができるだろうか・・・。
■サイクリング
ランニングと並び立つものとしてサイクリングのことも書かねばなるまい。今年の初めに企画され、5月に実施されたしまなみ海道サイクリングは、しゅんすけが今まで行ってきたどのサイクリングコースよりも素晴らしいコースだった。詳細は別に書いてあるけど、このサイクリングでは、いろんな点でチャレンジで、参加者11人分の自転車11台を新幹線に乗せることはできるかとか、不案内なコースを1日で80キロも走破し、その翌日に同じ道を80キロ走って来られるかとか、その上で所定の時刻に尾道から電車に乗り、福山から新幹線に乗れるかとか、いろんな不安がある中、結果的にはとてもうまく行って、とても楽しいサイクリングになった。春の瀬戸内海は美しい景色もそうだけど、レモンなどの柑橘系果物が一斉に花を咲かせる季節で、物凄くいい香りの中サイクリングできたことが強く記憶に残った。また行きたいと思う。その際には何台の自転車を新幹線に載せることになるだろうか。
そして、しまなみ海道を共にしたメンバーが、しまなみ海道サイクリングの再来を期して企画したのが、大島サイクリングである。
船で島に行き自転車で周回するというのは、去年の佐渡ロングライドのようでわくわくしたのだけど、これが行ってみると非常にキツい坂の連続で、サイクリングというよりもトレーニングに近いものだった。ほんの数キロのヒルクライムだったけど、しゅんすけを始め、しまなみ海道の再来を期待していた参加者は目の前に伸びるまっすぐな坂道を前に、ただ笑うのみだった。それでも仲間とサイクリングするのは楽しいもので、ここはホントに東京都かと思うほどの雄大な景色の中を自転車で走ることができた。これも機会があったらまた行きたいと思う。
さて楽しいサイクリングだけではなく、自分に挑戦するサイクリングもある。某自転車雑誌にあった「俺的チャレンジ」略して「俺チャレ」と称して、しゅんすけは今年大きな挑戦をした。自宅から沼津へのサイクリングである。走行距離は120キロ。後半にはランニング合宿でも経験した天下の険、箱根路がある。134号線をひた走り、小田原から箱根へ至り、箱根峠から三島を越えて沼津へ至る道。これはフルマラソンを走るしゅんすけが自信をつけるための挑戦だった。いや、これはキツかったね。特に箱根の山は、小田原でちゃんと休憩をとったにもかかわらず、酷い疲労に見舞われた。芦ノ湖が見えてきた時には、下り坂を滑走しながら思わず歓声をあげたもんな。
そして箱根峠の超絶ダウンヒル。箱根の山を越えて見る富士山の雄大さ。そして沼津で食べた寿司の筆舌に尽くしがたい美味さ。これは自分にとってはとてもいい経験だった。以前単身赴任していた沼津、遠くはないけど決して近くはない沼津へ、自分の足で到達した自信は大きく残っている。そしていつかチャレンジするさらに大きな挑戦への第一歩なのである。
そう、しゅんすけにはいつか挑戦したい大きな目標がある。
そのために来年は、ツールドちばに出場したいと考えている。400キロ弱の道のりを3日間かけて走破するイベント。しゅんすけにとって、ほとんど不可能に近い挑戦だけど、来年はそのための練習として自宅・沼津”往復”サイクリングに挑戦したりして、脚力を鍛えたいと考えている。
その目標は壮大すぎて、今のしゅんすけには無理すぎて、とてもここには書けないけど、いつか遠いフィニッシュを目指してサドルにまたがり、地面を蹴る日が来ると期待している。
■本のこと
従来からずっとインドア派を自認してきたしゅんすけだけど、今年はほとんど本を読まなかった。一時某北方兼三氏の水滸伝を読んだりしたけど、挫折。数学の本なぞ読んだりしたけど、まだ読破に至っていない。これはかなり由々しき事態である。本を読まないからインプットがされず、しゅんすけの知見は一向に向上していない。こういう怠惰が一番ダメである。
こういう時はとにかく読みやすい本から読み始めるものである。何かを得ようという気概はなくして楽しんで読むに限る。来年はそういう年になりそうである。
■絵なぞのこと
以前購入したライトテーブル、いわゆるトレス台が故障するという未曾有の大惨事を経て、一時は寝ても覚めてもトレス台どうしようと思い悩む日々もあったけど、最近は少し復活し、とりあえず絵なぞを描く環境を維持している。これがいつまた故障の憂き目に遭うか分からないけど、願わくば物凄くよく描けそうな時に故障しないでもらいたいものである。
絶対に壊れないモノはこの世に存在しないけど、壊れても再生、復活可能なモノはあるわけで、そういう点では部品の交換が一切できない現行のトレス台は今後壊れるのみの存在である。交換可能な蛍光灯を内臓した小箱を自作してトレス台にするのが一番いいんだけど、そういう技術がないばかりに悩ましい日々は続くのである。
■音楽のこと
音楽というか楽団のことでは今年は相当悩ましい年になった。去年より団の運営について役者不足的重責を引き受けちゃったわけだけど、ただでさえしゅんすけには荷の重い役職だったにもかかわらず、演奏会2ヶ月を前にして演奏面での重要ポストの方が諸般の事情により退団を余儀なくされ、そのアシストの役割を担っていたしゅんすけが自動的(?)にこの重要ポストに就くことになってしまい、つまり運営面、演奏面で重責を担うことになってしまったわけである。まるでローマ共和制が徐々に帝政に移行していくかのようで、カエサルでもアントニウスでもない一般人なしゅんすけには精神的にキッツい週末だった。
演奏会の方は付け焼き刃としてはまあまあだったけど、演奏を録音したCDを聴きながら高速道路を走っているとしゅんすけの音色のあまりの××さに、思わず時速100キロのまま中央分離帯に向けてハンドルを切りたい衝動に駆られたね。いつも思うけど、しゅんすけの耳が悪いのか、技術が悪いからなのか、録音が悪いのか、そもそもそういうものなのか知らないけど、録音されたしゅんすけの音はそれはもう酷いものである。演奏会のステージで一気に盛り上がったしゅんすけのモチベーションは、この録音CDを聴くことで一気に低下して演奏会前よりもズズーンと低くなってしまうのである。
今回も非常に酷い音色に、このまま楽器を辞めることも辞さないほどの自己嫌悪に見舞われた。
さて、しゅんすけの重責も今年限りなわけで、来年は少々小休止。一旦音符の世界から身を引いて、落ち着こうかと思っている・・・んだけど、こういう時に限って、次の演奏会で演奏される楽曲はしゅんすけの琴線をビビビーンと弾くものだったりするんだよな。・・・わざとか。
特にしゅんすけが金管バンドを始めた頃に演奏した某楽曲は、音楽に対して一度精算をしようとしているしゅんすけには名残惜しさを増幅させ、演奏してて思わず涙腺が緩んじゃうほどだった。演奏しながらウルウルくるなんて、しゅんすけも歳をとったものである。
※来年はちゃんとウクレレが弾けるようになりたいものである。
■来年に向けて
2010年である。時の過ぎゆくのは早いもので、2000年紀は早くも10年目に突入である。
そんな来年はどうしようかな。
仕事は相変わらずストレスフルな環境で、さらにストレスが増大するのか、緩和される方向に働くのかはまったく分からないけど、ココロ穏やかに過ごしたいものである。
ランニングの方は、4月にフルマラソンにエントリー済みである。当面はこれに向けた取り組みをしていかないとね。また11月には今年同様湘南国際マラソンに再出場して、今年叶わなかった4時間台での完走を目標にしたい。だから来年も箱根合宿や40キロ走は続けたいと思う。
もし日程的、金銭的に許されるのであれば、もう一度ホノルルに行って走ってみたい。ランナーであれば一度は走りたいと思うホノルルマラソンに参加してみたいなー・・・ってか、他にもやりたいことが多いんだけどね。
そのやりたいことのひとつが、自転車である。
前述のとおり、自転車における大いなる野望を達成するために、3日間100キロ強を走るツールドちばに出場したい。
また今年ホントはやりたかったけど、やむを得ず断念したこととして、富士登山がある。一度ファイナルを迎えた富士登山だけど、フルマラソンを走り切り、タバコを辞めた今、果たして富士山の山登りにどういう感想を持つのか興味があるところである。
山登りといえば、一度きりで終わっているアルプス登山も検討したい。遙かなる白馬岳の山頂・・・ってか、アルプス登山はおカネがかかるんだよね。金銭的事情はいつもしゅんすけを苦しめるのである。
しかし、できる範囲のことを精一杯やる。
毎年何かしらの記述があった読書とか絵なぞがほとんどなくてランニングと自転車が大半を占めるようになってしまった状況を来年も続けていいのだろうかと思いつつ、2009年が暮れていくのである。