2010.01.29 Friday
キュー。
夜20時、赤坂の喧噪の中にいた。
先月しゅんすけの会社でおこなわれた撮影のアフレコ作業が赤坂のスタジオであるというので、一応担当者なしゅんすけが立ち会うことになったのである。
赤坂は飲み屋やレストランなんかでよく来るけど、細い路地を入っていくと、そういった繁華街的雰囲気とはまるで違った感じで、夜ということもあってどことなく妖しい感じの漂う街並である。薄暗い路地の先にレコーディングスタジオがあるんだけど、このスタジオの入っている建物の隣がすっぽん料理の店で、これがホント普通の一般住居のような佇まいで、こういうのを「隠れ家的名店」って言うんだろうね。人目を忍んで芸能人とか政治家とか小金持ちが通ったりするのかな。
さて、スタジオでは編集された映像にナレータが声を入れていく作業がおこなわれ、言い回しや文言に問題がないかチェックするのがしゅんすけの役目だったんだけど、事前に粗い編集データを貰っていたので、何となく構成やナレーションなどは分かっていたし、その粗い編集データよりもさらに洗練された感じに仕上がった映像を見れば、どこぞのテレビの「ナントカの夜明け」とか「ワールドビジネスナントカ」とかと遜色ないデキバエで、もはや文句のつけようはなかった。なので、スタジオで淡々と進むアフレコ作業に興味の意識を向けることにした。
しゅんすけは遙か昔に友人とアフレコをやったことがあって、まあ遊びでしかなかったとは言え、アフレコにおけるタイミングの難しさや長さ(尺)の取り方に苦労したことがあるけど、今日この場で展開していたことはあの頃に体験したことと繋がっている感じで、もちろんプロならではの手際良い作業進行は比較すべくもないのだけど、何となく懐かしく感じちゃった。
ここでしゅんすけのココロに去来したのは、映像を作り上げていく作業って、他の創作作業と違った感覚である。映像や音声、効果音、BGMといったいくつかのパーツを絶妙に組み合わせていくことで、思い描いた作品ができていく。これは作業を積み重ねていく感じの作業でもないし、磨き上げていく感じの作業でもない。絵の具を塗り重ねるでもなく、巨石から像を削り出すでもなく、サウンドを溶け込ませるでもない、映像製作独特の感覚。それぞれのピースをはめていく作業に近いんだけど、ジグソーパズルのような平面的な感じもしないし、予定調和的感じもしない。それぞれのピースを組み合わせていくことで互いが持つ効果を相乗的に盛り上げていく感じ。「こういう映像にしたい」というイメージはあるものの、音楽のように譜面があるわけじゃないから、自分のイメージどおりにぴったりハマったりすると、思わず指を鳴らして「グッド!」とか言いたくなるのである。実際ディレクターの人は、ナレータが絶妙な尺で言葉を終えるとその度にパチンと指を鳴らしていた。うん、分かる、その感じ。これが映像製作独特の感じなんだと思う。これはしゅんすけが大昔に映像を作っていた時にも感じたし、今日の作業でほんの短い間の立ち会いでも感じたことだった。
映像を作り上げていく作業にちょっと感動したしゅんすけだけど、実際この作業で作られた映像とは、会社紹介のような映像であり、しゅんすけの個人的趣味は一切入っていないばかりか、しゅんすけ自身もほとんど映っていないわけで、作業としては面白かったけど、その中身はあまり面白いものではない。
しかも、今日はJRで久々に大きなダイヤ乱れが発生し、いつもは始発電車に座れるところを満員電車で疲弊して通勤ならぬ痛勤だったわけだけど、そう言えばこの映像を撮影した日も、ダイヤが乱れ、しゅんすけは大変な思いをして会社に行ったことを思いだし、この妙な偶然にさらに疲労度が増してしまった宵なのであった。
先月しゅんすけの会社でおこなわれた撮影のアフレコ作業が赤坂のスタジオであるというので、一応担当者なしゅんすけが立ち会うことになったのである。
赤坂は飲み屋やレストランなんかでよく来るけど、細い路地を入っていくと、そういった繁華街的雰囲気とはまるで違った感じで、夜ということもあってどことなく妖しい感じの漂う街並である。薄暗い路地の先にレコーディングスタジオがあるんだけど、このスタジオの入っている建物の隣がすっぽん料理の店で、これがホント普通の一般住居のような佇まいで、こういうのを「隠れ家的名店」って言うんだろうね。人目を忍んで芸能人とか政治家とか小金持ちが通ったりするのかな。
さて、スタジオでは編集された映像にナレータが声を入れていく作業がおこなわれ、言い回しや文言に問題がないかチェックするのがしゅんすけの役目だったんだけど、事前に粗い編集データを貰っていたので、何となく構成やナレーションなどは分かっていたし、その粗い編集データよりもさらに洗練された感じに仕上がった映像を見れば、どこぞのテレビの「ナントカの夜明け」とか「ワールドビジネスナントカ」とかと遜色ないデキバエで、もはや文句のつけようはなかった。なので、スタジオで淡々と進むアフレコ作業に興味の意識を向けることにした。
しゅんすけは遙か昔に友人とアフレコをやったことがあって、まあ遊びでしかなかったとは言え、アフレコにおけるタイミングの難しさや長さ(尺)の取り方に苦労したことがあるけど、今日この場で展開していたことはあの頃に体験したことと繋がっている感じで、もちろんプロならではの手際良い作業進行は比較すべくもないのだけど、何となく懐かしく感じちゃった。
ここでしゅんすけのココロに去来したのは、映像を作り上げていく作業って、他の創作作業と違った感覚である。映像や音声、効果音、BGMといったいくつかのパーツを絶妙に組み合わせていくことで、思い描いた作品ができていく。これは作業を積み重ねていく感じの作業でもないし、磨き上げていく感じの作業でもない。絵の具を塗り重ねるでもなく、巨石から像を削り出すでもなく、サウンドを溶け込ませるでもない、映像製作独特の感覚。それぞれのピースをはめていく作業に近いんだけど、ジグソーパズルのような平面的な感じもしないし、予定調和的感じもしない。それぞれのピースを組み合わせていくことで互いが持つ効果を相乗的に盛り上げていく感じ。「こういう映像にしたい」というイメージはあるものの、音楽のように譜面があるわけじゃないから、自分のイメージどおりにぴったりハマったりすると、思わず指を鳴らして「グッド!」とか言いたくなるのである。実際ディレクターの人は、ナレータが絶妙な尺で言葉を終えるとその度にパチンと指を鳴らしていた。うん、分かる、その感じ。これが映像製作独特の感じなんだと思う。これはしゅんすけが大昔に映像を作っていた時にも感じたし、今日の作業でほんの短い間の立ち会いでも感じたことだった。
映像を作り上げていく作業にちょっと感動したしゅんすけだけど、実際この作業で作られた映像とは、会社紹介のような映像であり、しゅんすけの個人的趣味は一切入っていないばかりか、しゅんすけ自身もほとんど映っていないわけで、作業としては面白かったけど、その中身はあまり面白いものではない。
しかも、今日はJRで久々に大きなダイヤ乱れが発生し、いつもは始発電車に座れるところを満員電車で疲弊して通勤ならぬ痛勤だったわけだけど、そう言えばこの映像を撮影した日も、ダイヤが乱れ、しゅんすけは大変な思いをして会社に行ったことを思いだし、この妙な偶然にさらに疲労度が増してしまった宵なのであった。