「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
キュー。
夜20時、赤坂の喧噪の中にいた。
先月しゅんすけの会社でおこなわれた撮影のアフレコ作業が赤坂のスタジオであるというので、一応担当者なしゅんすけが立ち会うことになったのである。
赤坂は飲み屋やレストランなんかでよく来るけど、細い路地を入っていくと、そういった繁華街的雰囲気とはまるで違った感じで、夜ということもあってどことなく妖しい感じの漂う街並である。薄暗い路地の先にレコーディングスタジオがあるんだけど、このスタジオの入っている建物の隣がすっぽん料理の店で、これがホント普通の一般住居のような佇まいで、こういうのを「隠れ家的名店」って言うんだろうね。人目を忍んで芸能人とか政治家とか小金持ちが通ったりするのかな。

さて、スタジオでは編集された映像にナレータが声を入れていく作業がおこなわれ、言い回しや文言に問題がないかチェックするのがしゅんすけの役目だったんだけど、事前に粗い編集データを貰っていたので、何となく構成やナレーションなどは分かっていたし、その粗い編集データよりもさらに洗練された感じに仕上がった映像を見れば、どこぞのテレビの「ナントカの夜明け」とか「ワールドビジネスナントカ」とかと遜色ないデキバエで、もはや文句のつけようはなかった。なので、スタジオで淡々と進むアフレコ作業に興味の意識を向けることにした。
しゅんすけは遙か昔に友人とアフレコをやったことがあって、まあ遊びでしかなかったとは言え、アフレコにおけるタイミングの難しさや長さ(尺)の取り方に苦労したことがあるけど、今日この場で展開していたことはあの頃に体験したことと繋がっている感じで、もちろんプロならではの手際良い作業進行は比較すべくもないのだけど、何となく懐かしく感じちゃった。
ここでしゅんすけのココロに去来したのは、映像を作り上げていく作業って、他の創作作業と違った感覚である。映像や音声、効果音、BGMといったいくつかのパーツを絶妙に組み合わせていくことで、思い描いた作品ができていく。これは作業を積み重ねていく感じの作業でもないし、磨き上げていく感じの作業でもない。絵の具を塗り重ねるでもなく、巨石から像を削り出すでもなく、サウンドを溶け込ませるでもない、映像製作独特の感覚。それぞれのピースをはめていく作業に近いんだけど、ジグソーパズルのような平面的な感じもしないし、予定調和的感じもしない。それぞれのピースを組み合わせていくことで互いが持つ効果を相乗的に盛り上げていく感じ。「こういう映像にしたい」というイメージはあるものの、音楽のように譜面があるわけじゃないから、自分のイメージどおりにぴったりハマったりすると、思わず指を鳴らして「グッド!」とか言いたくなるのである。実際ディレクターの人は、ナレータが絶妙な尺で言葉を終えるとその度にパチンと指を鳴らしていた。うん、分かる、その感じ。これが映像製作独特の感じなんだと思う。これはしゅんすけが大昔に映像を作っていた時にも感じたし、今日の作業でほんの短い間の立ち会いでも感じたことだった。
映像を作り上げていく作業にちょっと感動したしゅんすけだけど、実際この作業で作られた映像とは、会社紹介のような映像であり、しゅんすけの個人的趣味は一切入っていないばかりか、しゅんすけ自身もほとんど映っていないわけで、作業としては面白かったけど、その中身はあまり面白いものではない。
しかも、今日はJRで久々に大きなダイヤ乱れが発生し、いつもは始発電車に座れるところを満員電車で疲弊して通勤ならぬ痛勤だったわけだけど、そう言えばこの映像を撮影した日も、ダイヤが乱れ、しゅんすけは大変な思いをして会社に行ったことを思いだし、この妙な偶然にさらに疲労度が増してしまった宵なのであった。



| 日記 | 00:00 | comments(0) | -
しゅんさんぽ。
会社での仕事がひと段落したので、持ってきた自転車で周辺を走ってみることにした。最近何となく右脳的に山手線の高架に興味があって、この日は浜松町から有楽町辺りまでの写真を撮ろうと思っていた。
この日も冬晴れの快晴で、会社近くの駐車場で自転車を組み立てて走り出す。まずは赤坂の自転車ショップに立ち寄ったんだけど、その後自転車は新橋方面には向かわず、南に向かう。自転車に乗っているのが凄く楽しくて、冬なのに風が気持ち良くて、そして何となく誘われてるような気がして、向かった先はしゅんすけは数年前まで務めていた会社であった。9年間くらい仕事の中心地だったので、周辺には様々な思い出がある。三田駅辺りから慶応大学の前を通って進む間にも、当時の思い出が様々去来する。そして見えてきた、会社の建物。

しゅんすけが勤務していた本社ビル1階は、業者が忙しなく行き来していた。何かの工事をしている感じ。ガラス張りの向こうは目隠しされていて窺うことはできなかったけど、一部剥がれたその隙間から見るに、建物の中はほとんどがらんどうだった。天井の蛍光灯も外れていたから、恐らく別の入居者が入るための工事か前の入居者が出ていった後の原状回復工事なのだろう。この場合、前の入居者とはしゅんすけが務めていた会社である。
移転するというのは知っていたけど、まさに最近移転してしまった後のようだ。会社のホームページには、かつて提携先的な位置付けだった某会社に株式を買収され子会社となった今、親会社がもともと持っていた北区の土地に移転したとある。様々に思い出のあるこの街は、しゅんすけが務めていた会社の街でさえなくなってしまったわけである。なんか寂しいな。
本社の建物の近くに工場がある。歴史だけは自慢できるこの会社の9階建てのこの工場が建った時、周辺にこのビルより高い建物はなかったそうだけど、今や林立するマンションに囲まれて佇んでいる。相当老朽化が進む建物の入り口には貼紙があって、移転したとの記載があった。記載によれば「新年1月4日より云々」とあり、つまり移転したのはついこの間だということが分かった。また別の貼紙には、この建物の解体が2月1日から始まると書いてあり、つまり再来週に始まる解体工事により、この建物はこの街から姿を消すことになることが分かった。
この工場にはかなり深い思い出がある。
建物の東側の壁。ひび割れた薄汚れた古い白壁には、ちょっと新しめの配管が取り付けられている。しゅんすけが総務課に異動して初めて手がけた「工事」がこの配管工事であった。上水配管の引き直し。建物地下の貯水槽から屋上の貯水槽に汲み上げるポンプを交換する工事は、それまでの人事課の仕事とは異なり、初めて仕事の成果が目に見えるものとなって現われた感動と共に、ファシリティ的な知識のまさに最初の一歩として鮮明に記憶に残っている。こういう工事では、担当者に何千万もの工事費が割り当てられ、しゅんすけの仕事に何千万もの価値が与えられたようで、当時はちょっとビビりつつも仕事の楽しさを知ったような気がしたんだよね。また、その後手がけた敷地境界壁もしゅんすけにファシリティ的な知識を与えてくれた。
そして建物の屋上に生い茂る木々は、京都の稲荷大社より勧請された神様が奉られた社である。しゅんすけが神社とか神道とかに何気なく興味を持っている原点が、実はこの社にあり、毎年2月の初午祭を仕切るようになってからである。仏教にはお経があって、しゅんすけはよく分からないけど、つまりは神様に通じる言葉でお祈りしないと願いが通じなかったりシアワセになれなかったりするようだけど、神道の神様は普通に今に通じる言葉で祝詞をあげてお祈りするわけで、会社で執り行われた初午祭では「かしこみ、かしこみものも〜す〜」とか言いつつ「デジタル〜コンテンツ〜事業の〜云々」と、今ドキのIT用語でもお祈り可能だから、融通が利くというかテキトーというか、そういう日本独特な風習、「日本の神様」に興味を持つ原因になったのである。そんな古い社は今、屋上の木々に囲まれてどうなっているのか(ちゃんと神様をお返ししたのだろうか)。

思い出の詰まった建物って、当たり前だけどいつまでもその場所にあるわけではないんだよね。東京をドライブしているとたまにこの街をわざと通り、クルマの窓から一瞬ビルをチラ見して、「あーまだ営業エリアに電気がついてるなー」とか「あ、総務があったトコに電気がついてる」とか思ったものだけど(その照明がホントに営業や総務なのかどうかはもはや知る術はないが)、これからは通ったとしても、そこには会社はないわけで、これはホント寂しいものである。
この会社で1年間だけ上司になったことのある方がいて、年賀状だけはやり取りさせていただいているんだけど、その中に「サラリーマン生活も終わりが見えてきました」と手書きがあって、そうか、もうすぐ定年なのかと思ったけど、その人こそ、この建物ができた頃に入社した方だと思うにつけ、こみ上げる感慨はしゅんすけの比ではないだろうなと思うわけである。慣れ親しんだ街が変容していくこと、馴染みの建物が建て変わっていくこと、これが人生のひとつの側面なんだろうなーと思うわけである。

このサイクリングで見かけたんだけど、田町駅近くにある警視庁某警察署も解体工事の最中で、会社の安全運転管理者だったしゅんすけは、たまにこの警察署に手続きに行ったり、地元企業たちが集まった交通安全啓発キャンペーンでピーポくんと一緒に田町駅前でビラ配りするというほとんど罰ゲームみたいなことをさせられたりして、思い出深い建物だったけど、これも時代の流れの中で再生されていくのである。
そういやこの前何気なく神奈川県の高校を検索してたら、しゅんすけの学区にあったかつての高校は半分くらいになっちゃってて、ここにも時代の流れを感じたのであった。

| 日記 | 12:22 | comments(0) | -
手違いの朝。
ランニングにおいては、昨日はさきこの本番だったけど、今日はしゅんすけの本番だった。この日しゅんすけは福生市にある米軍横田基地の施設内でのランニングイベントに出場した。今年最初のランニングイベントはハーフマラソンで始まる。
しかし、このイベントのスタートラインに立つまでに、実はいろいろな紆余曲折、七転八倒があった。

朝6時、そろそろ起きなければイベントに遅れてしまうという中、寝床で悩むしゅんすけ。もともと風邪気味だったので、今日のイベントに行くかどうか悩んでいたのである。変な咳も出るしさ。10キロ程度であればもはや体調が多少悪くても走れちゃうものだけど、今回はハーフマラソンだし、初めてのコースだし、そのコースだってネットのどこを探しても「大会概要」が落ちてないから、どんなコースかも分からない、制限時間があるのかも分からないということで少なからず不安だったのである。だから、明日も会社なしゅんすけは大事を取って、ここは勇気をもって休むという選択肢もあったのである。
しかし、ここで簡単に諦められない理由もあった。一般的なランニングイベントでは、フィニッシュ後に「完走Tシャツ」とか「完走タオル」とか貰えたりするんだけど、このイベントでは他とは異なり「トレーナー」が貰えるのである。去年この話しを聞いて、出場した人にそのトレーナーを見せてもらったんだよね。なんちゅうかな、そのデザインに普通の完走Tシャツにはない味わいがあるんだよね。独特のデザインセンスというか、日米同盟を意識させつつなぜか妙に上から目線を感じるというか、他では絶対に入手できない貴重なアメリカングッズなのである。これをゲットするためにも多少の無理をしてでも行かねばならない。

出場する決意をしたしゅんすけは、シャワーを浴びて準備して、7時前に家を出る。会場の最寄り駅は拝島の1駅先の牛浜という場所らしい。11時スタートとは言え、余裕をもって9時くらいには着いておきたかった。ネットで電車の時刻を確認すると、一番楽して行けるのは、一旦東京駅まで出て青梅線直通の中央線快速に乗ることだと分かり、まずは東京駅を目指すことにした・・・んだけど、もうすぐ横浜駅だというところで、参加者がこの日絶対に持ってこなければならない参加者ハガキを忘れてきてしまったことに気づいた。
他のレースと同様、このハガキがないとゼッケンを引き替えてもらうこともできず、つまり出場することができない。現地で「ハガキ忘れてきちゃいましたー」とか言うと、氏名や住所などから検索してゼッケンをもらえたりするんだけど、今回はちょっと勝手が違う。場所が軍事基地だということもあり、恐らく入場の際にもハガキを提示する必要があるだろうから、つまりゼッケン引き替え云々の前に、そもそも会場に入れない恐れがあったのだ。しかも以前参加した相模原の米軍基地の時もそうだったけど、基地のゲートには屈強なアメリカ兵が立ちはだかっているのはほぼ間違いなく、出場者でごった返す基地ゲートでハガキを忘れたしゅんすけがそ米軍の鬼軍曹相手に拙い英語で説明するも「GET OUT!」とか言われている光景が鮮明に浮かんできてしまった。これは引き返して取って来なければならないわ。
こうして引き返したおかげで、事前に調べた乗り継ぎダイヤはすべて来るってしまい、つまり東京駅からの楽々電車の旅はできなくなってしまったわけである。

牛浜駅から基地まで少々時間がかかりそうなのと、基地敷地内でもいろいろ時間がかかるだろうから、とにかく早く横田基地に到着したかった。携帯電話でいろいろ検索して、新宿から中央線に乗り、三鷹とか国分寺とか立川とかで細かく乗り継ぎながらやっと到着したのが、10時ちょっと前。駅は出場者でごった返していたから、この様子ならスタートに間に合わなかったということはないようである。しかし、この後にも予期せぬ事態が待っていたのだ。

基地に到着して荷物検査など受けてから基地内に入り、持ってきた参加者ハガキを提示してゼッケンを受け取る。11時のスタート時刻までに着替えをするために敷地内に適当な場所を見つけ、バッグを開けてランニングウェアを取り出したところ、会場にこんな放送が流れたのだ。
「ハーフマラソンのスタート時刻は、10時30分です。10時30分に変更になりました」
え?スタート時刻の変更?しかもあと十数分しかないじゃない。
後で聞いたところ、前にも同様のことがあったそうで、どうもこのイベントにおいてはそれほど珍しいことじゃないみたい。おいおい、なんちゅういい加減さだ。しゅんすけがちゃんとハガキを忘れなければかなり余裕をもって、それこそ準備体操なんかも万全にスタートを迎えられるはずだったわけだけど、そんなわけでスタート直前までバタバタ続きだったわけである。
このバタバタのせいで、しゅんすけは事前に食べ物を補充することもできず、現地の出店で買おうと思ってた補給食を買うこともできず、つまりランニング中に不足した栄養を補給する術をまったく持たない、まさに丸腰でスタートラインに立つハメになってしまったわけである。
こんなんで果たしてしゅんすけはハーフマラソンを走ることができるのか。

詳細は別ページである。

| 走り始めた「約束」へ | 22:09 | comments(0) | -
祝!100キロ完走。
昨夜入った情報によると、宮古島ウルトラマラソンに出場していたさきこは無事100キロを完走し、フィニッシュしたとのことである。15時間40分。早朝5時にスタートして20時40分まで、この間をずっと走ってたんだからスゴいものである。
帰ってきてどんな話しが聞けるかな。
| 日記 | 17:00 | comments(0) | -
みやこ、たよりは。
早朝5時からの暁のドライビンロードから非日常への逃避行が切り離されて、強制的に日常に引き戻されたしゅんすけだけど、飛行機の時間には間に合ったのか、結構心配なものである。
しゅんすけはいつもより若干早めに家を出たものの、有楽町線のダイヤが致命的に乱れていて、結局いつもと同じ時刻に会社に到着。もうちょっと詳しく書くと、一向に動かない電車に見切りをつけて、東京駅から中央線に乗ろうと山手線に引き返したところで、運良く会社の同僚と遭遇し、ワリカンしてタクシーで会社に来たわけだから、時間的にはいつもと同じ時間でもおカネは余分にかかってる。早起きは三文の得どころか、タクシー代が余分にかかっちゃった朝なのであった。
さてしゅんすけが気を揉んでいる中、さきこは順調に旅を続けているようで、昼頃に早速携帯電話のカメラで撮影した画像を送ってきた。
なんかいいわー。南風を感じるわ。

しゅんすけは独り身の今週末をどう過ごそうか考えつつ、なんか変な咳が出ていたりする。そういえば、会社でしゅんすけの前に座っている同僚は、今週風邪で2日も休んでいたけど、これがうつったんだろうか。明後日には某所でハーフマラソンに出にゃならんというのに。

| 日記 | 17:17 | comments(0) | -
そして誰もいなくなった、朝。
金曜日、朝5時にクルマに乗るしゅんすけ。
もうただこれだけで日常の光景ではない。金曜日だろうと水曜日だろうと、平日の朝5時はまだ寝床である。最近5時に目が覚めることがあっても、「まだ5時か」って二度寝に入る。しかし、今日は違っていた。さきこが今日から宮古島へ向けて旅立ったのである。
宮古島ウルトラマラソンに出場すべく、前日までコンコン咳をしていたというのに、前日の遅くまで残業していたというのに、早朝羽田発の飛行機に乗って旅立つことになっていた。さすがに朝早すぎると電車がないので、しゅんすけが最寄りのターミナル駅まで見送りすることになったのである。
何より体調の悪いさきこが長旅を経て、未踏の100キロを完走することができるのか、非常に心配である。頑張って欲しいけど、無理はしないで欲しいものである。なんせ現地にはしゅんすけはいないんだからね。
さて、見送りを終えて帰宅したしゅんすけ。出社には著しく早すぎる時間である。
久し振りの独り身の生活が続くのだけど、早くも持てあまし気味である。こういう日こそ普段できないようなことをしたいのだけど、はて何をしようか。
| 日記 | 05:47 | comments(0) | -
右脳覚醒?
三連休である。1月のハッピーマンデーで三連休とは、まさに正月休みの再来である・・・とか言って朝から会社から電話だったりする。もーしゅんすけがいなくても何とかやってー!
さて、そんなしゅんすけの右脳が今年初めて稼働を始めた。
以前から江ノ電の絵なぞを描いてみたいと思っていて、でもしゅんすけの琴線を弾く江ノ電っていわゆるちょっと前のタイプというか、あのノスタルジック満点のタイプ、調べてみると300系というヤツらしいのだが、これは既に現役を引退しているそうで、いくら晴れていても、会社から掛かってきた電話を振り切っても、自転車に乗って134号線をひた走ったところで出会えるものではないのである。
そこでネットである。最近はホント、ネット環境のおかげで、家に居ながらにして、会社で工事立ち会いしながらにして、いろんなことが分かるので、便利な世の中である。
江ノ電の画像を探せば、数え切れないほどの江ノ電の写真を見ることができるし、動画を検索すれば、お目当ての動画ばかりか、おぉ、こんなスゴい映像まで!などというものもあり、おかげでわざわざ出かけなくても江ノ電の資料を集めることができた。
しかしどうしても直接見ないと分からないことがある。スケール感である。臨場感というか迫力さというか、少なくともどのくらいの大きさなのかは行かないと分からない。ネットを探せば外寸図くらいは落ちてるかもしれないけど(しゅんすけは相当検索して結局探せなかったけどね)、絵なぞを描くにあたり右脳に覚え込ませるスケール感はどうしてもその場でないと分からないのである。
今回はいろいろ用事があって行けなかったんだけど、そのせいかただでさえリアリティのないしゅんすけの絵にさらに一層リアリティがないというか、立体的でない感じになっちゃったのだ(構図の問題ということにしておこう)。そしてオソロシイことに、スケール感を持たずに絵なぞを描き始めると、目の前の紙に納める感覚にもズレが出てくるみたいで、せっかくいろんな画像や資料をネットで掘り起こして右脳に刻んだというのに、その半分も画面に表現できてないじゃないか。これでは何が描かれているのかさっぱりである。う〜ん、ネットを巡って画像や動画を漁った努力は一体なんだったんだろう。でも、なんか久し振りにいい感じの絵なぞが描けそうで良かった。うん、三連休はムダに過ごすことはなさそうである。

しゅんすけがどうやって絵なぞを描いているかなんて興味ないだろうけど、今回は江ノ電と人物の寸法を合わせるために、コンビニで非常にハズカシイ思いをしながら十数枚にわたる倍率の異なるコピーをしたり、何となくいい感じのお絵描きソングを発見できて、しばらく狂ったように聞きまくったり、諸刃の剣・マスキング液を試してみたり、絶え間ない紙と絵の具と水と筆との対話で作り上げた絵なぞである。もはやウマいヘタを超越してしゅんすけのエンドルフィンは脳内で過剰分泌され、陶酔した宵が更けていくのであった。


※右側の部分が今回削除された部分。江ノ電のほとんどの部分・・・。
| 日記 | 22:44 | comments(0) | -
埋蔵金発掘。
自宅のデスクの上を整理していたら、某東急ハンズの文具券が大量に発見された。
以前は地元に画材屋がなくて、画材を買うと言えば東急ハンズか伊勢佐木の有隣堂文具館だった。当時も横浜の駅ビルにあんな店やこんな店があったんだけど、全然知らなかったんだよね。そうそう有隣堂文具館と言えば、昔は馬車道にあったものだけど、何年か前に伊勢佐木の書籍館の裏通りに移転した。そしてこの前書籍館3階に行ってみたら、画材コーナーになっていて、これはつまり文具館が閉店したということなのかとちょっと驚いたのだった。う〜ん、画材ってのは商品としてはあまり回転力がないんだよね。しゅんすけだって趣味で描いているうちは数年前から同じ絵の具を使い続けてるわけだから、この未曾有の不況の中ではあまりボロい商売とは言えないんだよね。文具館の閉店は非常に残念である。
さて、デスクから発見された文具券。
この厚み、かなりの金額になるハズである。どうしよう1万円とかあったら、さくっとトレース台買えちゃうじゃん。今のトレース台のような蛍光灯を交換できないタイプじゃなくて、交換可能な、でも厚みがあるのがちょっと難なトレース台が少々の追銭で買えちゃうかもしれないじゃない。そっかー、せっかくいい絵なぞが描けそうでもトレース台の故障でリズムが狂っちゃうとか、寝ても覚めてもトレース台のことばかり、いっそ会社のツテで業者に作らせるかと思うに至るほどのトレース台への想いは、この文具券の発見をもってついに昇華されることになるんだな。やはり神様はいたよ。

数えてみた。
50円券、20枚・・・え?これで軽く1万円じゃん。じゃ、50円券より枚数の多い10円券、34枚・・・3,400円。おおっ、やったよ、13,400円もあるんじゃん。こりゃ今から行って来るか!トレース台買ってくるか!
・・・いや、何かおかしい。50円×20枚≠10,000円・・・1,000円じゃない。桁が違うじゃない。13,400円じゃなくて1,340円じゃん。
なーんだよ、全っ然足りないじゃないか。人騒がせなことである。「いっちまん、さんぜん、よんひゃーくえーん♪」とか鼻歌歌いながら写真撮っちゃったしゅんすけがアホみたいじゃないか。くそ、やっぱり神様はいないんだ。3秒くらい点灯するとふっと消えてしまうトレース台でこれからも絵なぞを描かにゃイカンのだ。
いや、でもこの未曾有の不況の中、たとえ1,340円でもおカネに等しい価値には違いない。かつてのしゅんすけはいつか未来のしゅんすけがおカネに困って絵なぞも描けない状況を想定してこつこつ貯めた文具券をひっそりとデスクの引き出しに隠したのである。その意志には最大の敬意を表さねばならない。そして今その文具券で取り立てて欲しいものが思いつかないしゅんすけは、またこれを未来の自分に託すべきである。遠い将来、しゅんすけの財布におカネがまったく入っていない状況で、たったひとつの絵の具が枯渇する日が来るかもしれない。その時、この文具券があればどれだけ助かるだろう。そういう状況を想定すればこそ、この文具券を今浪費するわけにはいかないのだ。
こうしてしゅんすけは発掘した文具券をまたデスクに戻したわけだけど、あのまま13,400円だと勘違いして東急ハンズに爆走して、意気揚々と画材コーナーに置いてあるトレス台をレジに持って行き、「会計は、コレで」とか行って、持ってきた文具券をひららんとレジ係に渡したところ、「あの、1万円以上足りませんが」と言われた時のしゅんすけはどうなってしまうのだろう。または「あの、この券は無効ですが」とかね(どこにも有効期限は記載されてないけど)。ヤバい、これは恥ずかしすぎる。
また後者であることも想定して、使う時には財布に多少の余裕を持ってる時でないとダメかもしれないな。いや、それではこの文具券を未来に託したかつてのしゅんすけの意志をムダにすることに・・・おおっどうすればいいんだ。
とかく、過去からの贈り物は未来にとっては悩ましいだけの存在なのである。

| 日記 | 10:07 | comments(0) | -
ウイルスのみる夢。
去年から何かと話題になっている新型インフルエンザだけど、最近はあまりニュースにならなくなってきている。去年はどこの県で何人感染したとか、基礎疾患のない人が死亡したとかニュースになっていたけど、最近では学級閉鎖の数が前月を下回ったことなどがニュースになって、以前より恐れられていたような大感染はなんとなくなさそうな感じである。しゅんすけもいつ感染するか恐々だった日々(特にフルマラソン出場を控えた辺り)だったけど、結局今のところ新型にも季節性にもインフルエンザとは縁のない日々を送っている。
そんな中において、最近のしゅんすけの会社では少々事情が異なっている。年末年始の休暇が明けた辺りからインフルエンザの感染者がどどどっと増えてきたのだ。ま、母数が少ないので一概には言えないけど、去年の感染者の累計数を1月の数日間で軽く上回った状態なのである。うん、これはスゴい。
でも感染者の中には従来とはちょっと違って、発熱はあったけどすぐに平熱に落ちたという人が何人かいる。「3日前に凄く熱が上がって医者に『インフルエンザだ』と言われたけど、翌日には平熱になったので会社に来た」という人もいて、医者曰く「発熱しないタイプのインフルエンザ」だそうである。そんなインフルエンザがあるんかいな。
つまりインフルエンザの感染者は増えているけど、それほど重症にならないで治癒するケースが出てきたということである。これはどういうことか。

もしかしたらこれは新型インフルエンザ自体が弱毒化を始めている証拠かもしれない。
インフルエンザに限らず、ウイルスって、感染する生物(=宿主)に仲間を増殖してもらうという戦略を採用した究極の生物(自己増殖しない点で、ウイルスは生物ではないという説もある)で、つまり宿主が死んでしまっては増殖できないわけだから、どこかの段階で弱毒化するようにプログラムされていると言われている。弱毒化のタイミングやシステムがどういうものか分からないけど、確かに強い感染力と毒性の強さでどんどん蔓延していき、宿主が絶滅してしまえばそのウイルス自体も絶滅するしかないわけで、そういう意味では弱毒化は当然の成り行きなのだ。季節性インフルエンザのように、死亡するほど重症化することは稀だけど、それなりに大きな流行性をもって宿主に増殖してもらい、種を維持していくという考えである。
でもそれがウイルスの究極の生存戦略なのだろうか。
会社内の新型インフルエンザ感染者の増加傾向の中で、そんなことを考えていると、今日の新聞で面白い記事が出ていた。

「ヒトゲノムの中にRNAウイルスが発見される」
以前にも書いたけど、ヒトゲノムの中には太古の昔に感染したウイルスの痕跡が少なくとも2つは残っているんだそうな。つまり宿主のDNAの中に完全に同化して、宿主の細胞の増殖に併せて自分のDNAも増殖させる。宿主のDNA内では完全に無害化・無効化し、ただスイッチの切られたジャンクゲノムの如く、DNA鎖の中にしれっと存在するという話しは以前から言われていたことだけど、今回発見されたヒトゲノム内の痕跡は神経細胞に感染しやすいRNAウイルスのものだそうで、ウイルスが感染した仕組みが分かれば神経系の遺伝子治療にも貢献できるかもしれないんだそうな。そうだ、これがウイルスの究極の生存戦略かもしれない。

生き物の生存戦略は様々である。
たとえば稲や麦などの穀物植物の目線で言えば、ニンゲンにうまく取り入ったおかげで、沼地や干潟の一部しか生息環境のなかったところが、今やニンゲンの方が土地を開墾して自分たちの生息場所を増やしてくれているのである。ちょっと前にBBCの教養番組のプロデューサー・アッテン○ロー氏が一面の麦畑をバックに「植物界でもっとも生存競争に成功した種はなんでしょう?」と問いかけていたのが思い出される。
ニンゲンのような唯物的な感覚からは、ウイルスや穀物植物のような生存戦略は異質に映るけど、彼らが何を存続させたいのかを考えると、なるほどと言わざるを得ない。
今回のニュースのようにニンゲンのゲノムに組み込まれたウイルスの痕跡たちは、もはや意味を持たない文字列としてのみ存続しているに過ぎないのだけど、ウイルスの最終的な目的はこれかもしれないと思うと、新型インフルエンザが弱毒化した先にどんな夢を見ているのかと考えてしまう宵なのである。
| 最近のニュースから | 00:30 | comments(0) | -
携帯依存症。
正月も終了し今日から会社という企業が多い中、しゅんすけの会社は明日までお休みである。どういうわけか、しゅんすけの会社では年末年始はカレンダーに関係なく4日までお休みということになっている。そんなわけで、今日から仕事始めの人を脇目に、自転車なぞで出かけるしゅんすけなのだ。
朝から自転車で出かける理由は、哀しいかな、交通反則金を納めるためである。保土ヶ谷にある反則センターに行って去年の夏ごろに交通違反しちゃった反則金を納めにゃイカンわけである。気温3度の中を自転車でこぎ出すのはかなり気合を要するけど、実は昨日ランニング用のスパッツを購入したから大丈夫なのである。昨日は港北の某スポーツショップで発見したスパッツがなかなかいい感じだったんだけど、しゅんすけのサイズがなくて購入できず、それでも諦め切れないしゅんすけはみなとみらいの同じショップまで行って探し出した。スポーツショップをハシゴしてまで手に入れたいほどのスパッツなのかというと、今日こうして寒風の中を走ってみて実感した。うん、購入して良かったわ。最近どうにも寒くて自転車から遠ざかってたけど、ちゃんと防寒対策をすればいつもどおり自転車は楽しいものなのである。
そんなわけで、反則金を納めてこれで今日の終わりまで完全なフリーダム状態になったしゅんすけだけど、今日はこの後実家に挨拶に行って、姪とか甥の相手をせにゃイカンのである。実家は鶴見だからこのまま自転車で行こうかと考えていたんだけど、ココに来てどうしても自宅に戻らにゃイカン状況になってしまった。
携帯電話がないのである。
たぶん、寝床に置いてきたままである。休日になるとつい携帯電話を置いたまま起床してしまう。いつもならどこかで気づくのだけど、今日は久し振りの自転車スタイルで、防寒対策とかパンク対策とかいろいろ準備してたら、携帯電話のことをすっかり忘れてしまっていたのである。
しゅんすけの自宅は山の中腹くらいにあるんだけど、このために自転車で走り出すためには、急な階段を自転車担いで降りるか、急な坂道を下るかしないと一般道には出られないわけで、つまり忘れ物に気づいて引き返すにも、自転車を担いで急な階段を昇るか、急な坂道を上るしかないわけである。
携帯電話がないことに気づいたのが、走り出してからかなり行ってからだということもあり、自転車に乗りながら「あ、携帯忘れたな」と思っても、さすがに引き返そうとは思わなかった。
しかし携帯電話がないことに気づいてから、どうもココロに暗雲が垂れ込めてきた。何か緊急な事態が発生してもしゅんすけには連絡が取れないのである。たとえば今日から出勤となったさきこが通勤途上で何かあってしゅんすけにSOSを送ろうにも、しゅんすけは気づかず自宅の枕元で携帯電話が空しくブルブル震えるばかりなのである。いや、もっと緊急な事態、たとえば正月休みが今日までだと思っているのはしゅんすけだけで、実はしゅんすけの会社は今日から出勤日だったりしたら。年始初日はしゅんすけの仕事では結構重要なイベントが目白押しなので、もしホントに今日から会社だとしたら会社は結構混乱しているはずである。
「おい!アイツにはまだ連絡が取れないのか?」
「ええ、何度も携帯に電話してるんスけど、全然出てくれないんです」
「くそ、こんな大事な日に無断で会社を休み、しかも連絡が取れないとは」
「どうせ正月ボケで、会社は明日から〜とか思ってんじゃないスかね」
「むむむ〜、もう承知しないぞ!」
・・・うん、こんな会話が進行してそう、そう、今。ブログなんか書いてる場合じゃないかもしれない。いや、いくら大事な日だからって、しゅんすけ一人がいなくてもどうにかなるだろ・・・たぶん。それにしても今の上司は若いくせに「承知しないぞ」とか普通に言うからね、一体何を承知しないんだか。
それにしても携帯電話がないだけで、ここまで焦燥感に囚われるものだろうか。ホント携帯電話の存在はオソロシイ。ニンゲンが便利になる道具だからこそ、依存心も強くなるのだろう。たとえばしゅんすけがこうしてブログを書いていられるのも常時パソコンを持ち歩いてるからなわけだけど、よく考えてみるまでもなく、今日は反則センターに自転車で行ったわけで、この二つを総合すると、しゅんすけはパソコンを持って自転車に乗っているということになるわけである。一般のサイクリストはサイクリングに行くのにパソコンを持っていかない。いや、我ながらアホの所業である。
しかしおかげでこうしてブログを書くこともできたわけで、そういう意味では重い思いをして運んできた甲斐があったというものだけど、不自由には違いない。
携帯電話もそうだけど、便利ツールがニンゲンの自由度をどんどん奪っていくのだと思うにつけ、携帯電話を忘れたことが正月休み最後のフリーダムを奪っていく今日の昼下がりなのであった。
| 日記 | 10:41 | comments(0) | -
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