2010.04.29 Thursday
ツール考。
ゴールデンウィークの5月2日から自転車仲間と琵琶湖を周回するサイクリングに出かけてくる。去年のしまなみ海道や一昨年の佐渡島に続くロングライド第3弾で、今回は琵琶湖をほぼ1周、200キロ近くを走破する予定である。いや、コレ、ホントに行けるのか?不安は拭いきれず、とにかく地図なぞ見て作戦を考える毎日である。ま、幸い琵琶湖にはその周囲を取り巻くように電車が走っているので、最悪は電車に飛び乗ってしまえばいいのだけど、せっかくの春のサイクリングだから頑張って完走したいとも思うわけである。サイクリングで重要な要素は、もちろん自転車をこぐ人の体力だけど、それだけじゃ自転車はちゃんと進んでくれないわけで、自転車のコンディションも大きな要素である。ちゃんとメンテナンスしていないと自転車のコンディションが調わず、せっかくの天気、せっかくの体調をムダにして結局いい走りができなくなるばかりか、最悪の場合事故になっちゃうからである。
そんなわけで、さきこと自転車を庭に持ち出して今日はせっせとメンテナンスである。メンテというほどのことではない、ほとんど洗車である。乗っていると細かい部品の中に汚れが溜まってしまい、非常に汚い。駆動系部品の辺りは汚れを放置しておくと錆びたり故障したり走りに悪影響が出たりするかもしれないので、専用のスプレーを噴射して汚れを飛ばしてやる。せっかく気持ちいいサイクリングをするのだから、自転車もキレイな方がいいのだ。
※洗車とは言え、一応要所にはオイルを差したりする。そろそろ怖いのがブレーキやギヤのワイヤーが老朽化してないかということで、そろそろ本気でオーバーホールしないとダメかなーと思うも、自転車買ったショップの対応も良くないし、近所のショップも対応良くないしで、どうしたものかと考えているところである。
それにしてもふと思うのは、しゅんすけがここまで何らかのツールに思いをかけるのは実は珍しいんじゃないかということ。自転車を購入して4年、愛着は衰えを知らず、増してさえいるこの状況は、たとえばしゅんすけが持っている楽器なんかに注がれる思いとは異質なものがあるのだ。あるいは楽器には自転車にかけるほどの大きな思いはたぶんない。愛着があったればこそ、メンテナンスも行き届き、それが自身のパフォーマンスになって返ってくることを考えると、しゅんすけももう少し楽器に対して愛着を持っていれば、今よりも幾ばくかは上達したかもしれないし、もっと音楽が楽しかったかもしれない。世の中には自宅で楽器を分解して、細々した小さな部品を掃除したり、管をブラシで掃除したり、人によっては一緒にお風呂に入る人もいるとかいないとかで、実はしゅんすけはそういった方面で楽器に愛情を注いだことはほとんどないのである。
自転車は自分の「力」を「走り」に変換してしゅんすけに爽快感という快楽を与えてくれるし、楽器は自分の「力」を「音楽」に変換して同じように快楽を与えてくれるわけで、その点では共有なんだけど、しゅんすけが楽器を前にして思う気持ちは自転車を前にした時のものとは少し違っている。陳腐な言い方だけど自転車は「良き相棒」というポジションなのに対し、楽器には「気難しい交渉相手」というポジションを感じられるんだよね。だから楽器に対しては愛着よりも「せっかく練習したんだからそれに見合うパフォーマンス」を求めてしまうし、それで失敗しちゃった日にゃ「なんで成功しないんだ!」とクレームつけたくなる気分、成功した場合でも「おおっ平素は格別のご高配を賜り・・・」とか変な時候の挨拶を入れちゃったりする気分なんだよな。うん、そういうビジネスライクな関係はたしかに長続きしないよな。
しゅんすけが今後どのような分野で音楽と向き合うのか分からないけど、楽器というツールを使って快楽を得ようとするのであれば、楽器との付き合い方を再度考えないと楽器スキルも伸びないし、長続きしないかもしれないと思うわけである。
いずれにしても、自転車とは良き関係を維持しつつ、そのために無償の愛を注ぎ続け、晴天の琵琶湖ではぜひ爽快サイクリングを堪能したいと思う。なにせ愛車こてつ号は、しゅんすけにとっての「路上のツバサ」なんだから。
そんなわけで、さきこと自転車を庭に持ち出して今日はせっせとメンテナンスである。メンテというほどのことではない、ほとんど洗車である。乗っていると細かい部品の中に汚れが溜まってしまい、非常に汚い。駆動系部品の辺りは汚れを放置しておくと錆びたり故障したり走りに悪影響が出たりするかもしれないので、専用のスプレーを噴射して汚れを飛ばしてやる。せっかく気持ちいいサイクリングをするのだから、自転車もキレイな方がいいのだ。
※洗車とは言え、一応要所にはオイルを差したりする。そろそろ怖いのがブレーキやギヤのワイヤーが老朽化してないかということで、そろそろ本気でオーバーホールしないとダメかなーと思うも、自転車買ったショップの対応も良くないし、近所のショップも対応良くないしで、どうしたものかと考えているところである。
それにしてもふと思うのは、しゅんすけがここまで何らかのツールに思いをかけるのは実は珍しいんじゃないかということ。自転車を購入して4年、愛着は衰えを知らず、増してさえいるこの状況は、たとえばしゅんすけが持っている楽器なんかに注がれる思いとは異質なものがあるのだ。あるいは楽器には自転車にかけるほどの大きな思いはたぶんない。愛着があったればこそ、メンテナンスも行き届き、それが自身のパフォーマンスになって返ってくることを考えると、しゅんすけももう少し楽器に対して愛着を持っていれば、今よりも幾ばくかは上達したかもしれないし、もっと音楽が楽しかったかもしれない。世の中には自宅で楽器を分解して、細々した小さな部品を掃除したり、管をブラシで掃除したり、人によっては一緒にお風呂に入る人もいるとかいないとかで、実はしゅんすけはそういった方面で楽器に愛情を注いだことはほとんどないのである。
自転車は自分の「力」を「走り」に変換してしゅんすけに爽快感という快楽を与えてくれるし、楽器は自分の「力」を「音楽」に変換して同じように快楽を与えてくれるわけで、その点では共有なんだけど、しゅんすけが楽器を前にして思う気持ちは自転車を前にした時のものとは少し違っている。陳腐な言い方だけど自転車は「良き相棒」というポジションなのに対し、楽器には「気難しい交渉相手」というポジションを感じられるんだよね。だから楽器に対しては愛着よりも「せっかく練習したんだからそれに見合うパフォーマンス」を求めてしまうし、それで失敗しちゃった日にゃ「なんで成功しないんだ!」とクレームつけたくなる気分、成功した場合でも「おおっ平素は格別のご高配を賜り・・・」とか変な時候の挨拶を入れちゃったりする気分なんだよな。うん、そういうビジネスライクな関係はたしかに長続きしないよな。
しゅんすけが今後どのような分野で音楽と向き合うのか分からないけど、楽器というツールを使って快楽を得ようとするのであれば、楽器との付き合い方を再度考えないと楽器スキルも伸びないし、長続きしないかもしれないと思うわけである。
いずれにしても、自転車とは良き関係を維持しつつ、そのために無償の愛を注ぎ続け、晴天の琵琶湖ではぜひ爽快サイクリングを堪能したいと思う。なにせ愛車こてつ号は、しゅんすけにとっての「路上のツバサ」なんだから。