2010.12.31 Friday
2010年回顧録
2010年も残すところあと1日である。
そんなわけで、今年も恒例の回顧録である。
■去年から見た今年の展望
まずは去年2009年に「来年に向けて」と題して記載したいくつかのコトについて述べてみる。
ランニングについては、去年書いた予定のとおり、4月にかすみがうらマラソンに出場した。当初思い描いていたような「湖畔沿いの道をランニング」などという風景は1ミリもなくて、ただ延々と田園地帯を走るのみだった。田園地帯ってもレンコン畑である。いやレンコン好きだけどさ、湖畔を渡る風を感じつつ爽快なランニングを思い描いていたところが、水草に覆われたドロドロのレンコン畑を脇目に走るというギャップは酷かった。11月には前年に引き続き湘南国際マラソンに出場する予定だったけど、某APECが横浜で開催される影響でさくっと延期となり、来年1月の開催となってしまった。目下のトコロしゅんすけの目標はこの湘南国際マラソンである。ちなみに金銭的に許されるのならホノルルに行きたいとか言っていたけど、金銭的にはまったく許されざる状況だったので、ホノルルマラソン出場は叶わなかった。あっさり諦めてその代わり沖縄・那覇でフルマラソンを走ってきた。
自転車については、予告通り、ツールドちばに出場し、3日間で340キロもの距離を走破した。1日当たり100キロ以上の距離を3日連続で走ることが果たしてしゅんすけにできるのかが問われたイベントだったけど、さほど筋肉痛に苦しめられることなく、3日間を終えることができた。このイベントはまずは完走を目標にしていたので、大した疲労もなく最終日にフィニッシュできただけで御の字である。しゅんすけが計画しているさらなるビッグチャレンジに向けてまずまずの結果を残したと言っていい。
登山については今年もまったく縁のないシーズンを過ごしてしまった。せめて富士山くらいには登っておきたかったのだけど、夏場に体調を崩したせいでチャレンジする機会を逸してしまった。夏場にはランニング仲間が集まって箱根路を駆け上る練習会もあったんだけど、体調が優れないためにこれにも残念ながらキャンセルせざるを得なかったほどである。今年の夏はあまり走り込めなかったな。
そんなわけで、去年から見た今年の展望とその達成状況としてはこんな感じである。さて今年はこれ以外にどんなことがあったか。
■ランニング
前述のとおり当初秋に予定されていた湘南国際マラソンが某APECのせいで先送りになってしまった状況で、しゅんすけの今年もっとも大きなランニング的チャレンジは沖縄NAHAマラソンだったと言っていいだろう。春にもかすみがうらマラソンでフルマラソンを完走したけど、なんせ沖縄旅行とセットになったNAHAマラソンへの出場はただそれだけで気合いが入るものである。沖縄くんだりまで行って悔いの残るランニングはできないとの思いがあったからそれなりに練習していったつもりだったしね。結果的にはそのコースの過酷さに苦しめられて(それでも思いの外苦しめられる程度は低かったけど)、大幅な記録更新はできなかったものの、4時間51分とそれなりのタイムが出た。ここで4時間40分台前半が出ていたらさらに満足だったけどね。あれだけアップダウンがあるコースなら良い結果とさえ言えるかもしれない。だからこのテンションのまま、湘南国際マラソンに繋げたい。ほぼフラットコースなこのマラソンコースではもしかしたらさらに良い結果が出るかもしれない。
ちなみに例年申し込みつつも出場が叶わない東京マラソンについて、大会ボランティアを初体験することになった。冷たい雨の中、駆け抜けるランナーたちに給水する係である。これはなかなかいい経験だった。ボランティアとして応援する立場なのに、走るランナーたちから元気をもらった気がする。そして来年の東京マラソンも猛烈な競争率の中、あっさりと落選してしまい、またもや大会ボランティアである。新宿で荷物預りのお仕事だそうな。う〜ん、次回は絶対当てたいものだ。
さてフルマラソン以外にも特筆すべき点がある。
まず10キロランでは、55分を大幅に下回る51分というタイムが出たことである。横浜ロードレースでのことである。鶴見川沿いで開催されるこのイベントは、そのコースがほぼフラットで、さらにこの日は追い風の助けや会場まで自宅からサイクリングしたことで身体が運動するチャンネルになってくれてたこともあったかもしれないけど、とにかく果敢に10キロを攻めて、念願の50分台前半を出すことができた。10キロランは最近はあまりエントリーしないんだけど、この大会だけは毎年出ようと思っていて(さきこが人生で一番最初に出場したランニングイベントである)、次回はぜひ40分台を出してみたいと思うのだ。
ハーフマラソンで特筆すべきことは、やはり三浦マラソンである。
今年も晴れてくれなかった。酷い寒さの中、21キロもの過酷なランニングになった。しかし寒い中で練習する機会が多かったこともあって身体が慣れていたことと、それなりの防寒対策をしていったこともあって、ペースを崩すこともなく淡々と走り続けることができた。体調が悪いとは言えかなり先行されていたさきこを途中で追い抜くという場面もあった。結果的には2時間5分となり、残念ながら2時間を切ることはできなかったけど、かなりアップダウンのある過酷なコースでこの記録はしゅんすけ的には快挙と言っていい。制限時間内にフィニッシュできず、失格となってしまった前年を思えば大きな成長と言えるのだ。
そんなわけで、今年も多くのイベントに参加した。ランニングイベントの一種独特な雰囲気はとても好きなので、まだまだ続くんじゃないだろうか。目標としては、10キロで40分台、ハーフで2時間以内、フルマラソンで4時間40分以内を達成したいなと思っている。果たして来年はどんなランニングが待っているか。
■サイクリング
とにかくツールドちばである。
100キロを越えるサイクリングを3日間連続して続けられるか。イベントにかける思いはただこの一点のみであった。なぜならしゅんすけにはさらに大きな野望として、「5日間連続100キロ走行」という夢があるからである。5日間も自転車乗って500キロ先のどこへ行こうというのかは今度書くことにして、とにかくその夢の第一弾がツールドちばだったわけである。前述のとおり、当初恐れていたほど脚の筋肉疲労は残らず、マッサージとサロンパスのおかげで翌日もちゃんとペダルを回し続けることができた。しかもこの大会始まって以来の悪天候で、サイクリングは「雨天中止」という潔さを信条にしているしゅんすけにとって、精神的にもハードだったのだ。この大会ではホントいろんな点で鍛えられたわ。しかもすっごく楽しかったしね。ぜひまた出てみたいと思っている。
ツールドちば以外のサイクリングでは、5月に琵琶湖周回サイクリングがあったことと、8月に初めてのエンデューロに出場したことだろう。
琵琶湖の方は時計周りのコースとしてしまったこともあってあまり楽しいサイクリングとは言えなかった。前年のしまなみ海道よりも大人数のサイクリングで、これがお揃いのジャージで連なって走るのはそれはそれで壮観だったけど、しまなみ海道の方がサイクリングに適した道だったし景色も良かったかな。
つくばサーキットで開催された10時間耐久エンデューロはなかなかハードなイベントだった。なんせ10時に走り出したら交代で10時間を走り続けるのである。最初は一人当たり1時間くらい走り続けられるかと思ってたけど、とんでもない話しで、真夏の炎天下、信号もない道を走り続けるのがこれほど過酷かってほどの体験だった。同じイベントに出ているサイクリストたちはもはやしゅんすけのようなお気楽サイクリストではなく、日夜ローラー台に自転車を乗せて汗だくになって何十キロも練習しているような人たちなんだろうね。いや大変だった。イベントとしてはなかなか面白かったけどね。
今年のサイクリングを語るうえで外せないデキゴトは、8月のさきこの落車事故である。自宅から多摩川方面にサイクリングに行った時のこと、そろそろ帰途に就こうかと多摩川沿いの道を時速25キロくらいで走っている中、さきこが道の段差に乗り上げてコケてしまった。大型トラックが通り過ぎるすぐ脇で落車してしまったのだ。幸い自動車との接触はなかったけど、膝をしとどに打ち付けてしまい、膝の肉がエグれるほどの酷い擦過傷を負ってしまった。この日から全治2ヶ月とも言われるさきこの闘病生活が始まったのである(傷なので闘「病」ではないか)。擦過傷は治りが遅いのである。しかも気をつけないと感染症にもかかりやすい。幸い近所の外科医がいい先生で、ほどなく痛みは消え、傷も癒えていったんだけど、転倒する際に脚のいろんな筋を違えてしまったのが擦過傷が治っていくうちに顕在化、ランニングにも影響するほどの膝痛が現われることもあった。これは如何にしたものか。さきこは確か琵琶湖サイクリングでも落車している。いや、しゅんすけが知っているだけでこの他にも2回は落車している。まさに「落車クィーン」と呼ぶに相応しいコケっぷりであるが、その度にしゅんすけは肝を冷やしているのである。さきこはサイクリングの際には膝当てを装着するようにしてはどうかと、本気で考えているほどである。
■絵なぞのこと
去年まで続けていた音楽活動を今年は休止したこともあって、しゅんすけの余暇の中で絵なぞに割く時間が比較的増えた。だから今年はそれなりに多くの絵なぞを描くことができたし、そのそれぞれがそれなりに満足のいく絵なぞになった。相変わらず技術は進歩しない下手ッピーなままだし、絵なぞを描く脳内チャンネルにカチッと合うためにはほとんど偶発的と言える右脳の活動具合によらなければならない状況に変わりはないんだけど、それでも絵なぞを描く時間というのはしゅんすけにとって分泌されたエンドルフィンに酔い痴れる至上のヒトトキなのである。
数年来愛用してきた紙・マットサンダースが製造中止になっていたことが判明するというデキゴトもあって、今はいろいろと紙を試しつつ愛用に足る紙を探しているところである。
■音楽のこと
去年の冬にお世話になった楽団を退団することになり、それからずっと音楽のない生活を送ってきた。音楽と言えば、帰宅後にちょろっと爪弾くウクレレくらいのもので、ウクレレ自体もだんだん進歩してきたけど、まだまだ満足に弾けていない。そうなるとどうしても音符の世界への思いが強くなる。あれだけ精神的にキツかった音楽活動だったのに、そのことをコロッと忘れて、また音楽への思いを募らせているのだ。ホント音楽とは麻薬である。
そんな音楽のない生活だったけど、思いもかけないデキゴトが思いもかけない方面から訪れた。
しゅんすけの会社が実施するイベント関係で、東京丸の内にある某ジャズクラブを貸し切ることになり、そこでジャズ演奏なんかを企画したものの、肝心のジャズミュージシャンがなかなか見つからず企画段階で頓挫していたところ、しゅんすけの頭からヒネり出した答えは、中学時代の恩師、吹奏楽部の顧問の先生のツテを頼ること。幸い、この先生とは某SNSサイトでお友達登録させていただいている関係だったので、すぐに連絡をつけることができた。先生のツテで、カッチョいいジャズ演奏ができる安い(ここ重要)ミュージシャンを探していただくことになった。いや、いっそのこと、サックス奏者でもあり本業はクラリネット奏者である先生に吹いていただくのはどうか、先生がステージに乗るならしゅんすけも便乗しちゃったりしてなんちゃって♪的なノリでお願いしたら、ありがたいことに快諾をいただくことができた。そんなわけで先生が探してくれたギター、ベースのトリオでこの日のためにジャズユニットを結成、会社のイベントで見事な演奏を披露してくれたのである。ついでにこのイベントで余興として演奏された「ハッピーバースデートゥーユー」にしゅんすけもこのユニットに加わって吹くことができ、しゅんすけは思いがけず日本屈指のジャズクラブで演奏する栄誉を得たのである。そうである、これは大変なデキゴトなのである。誰もが願いつつも叶えることのできないこのジャズクラブでのステージをイササカ反則気味とは言え
しゅんすけは叶えることができたのである。未だにこのことを思い出すと胸が熱くなる。願わくばもちっといい曲を吹いてみたかったし、アドリブ上等が信条の彼らのこと、一緒に演奏したいしゅんすけの願いももしかしたら叶えてくれたかもと思うとちょっと惜しいことしたなと思ったりもするけど、非常にいい経験をさせていただいた。この点においては会社に感謝、先生に感謝である。当初ジャズ演奏の企画が持ち上がった時に首をもたげたしゅんすけの下心をそれと分からないように慎重に隠しながら議論を誘導した「ブラックしゅんすけ」の策謀にも今回は感謝、である。
それにしても、この御縁は大事にすべきである。もしかしたら今後しゅんすけをワクワクさせて止まないナニかに発展するかもしれないのだ。
■2010年のトピック
今年のトピック的なデキゴトとしてもっとも大きいのが、しゅんすけの実家の愛猫・ヨネ子の死去である。23年もの天寿を全うして大往生で旅立って行った。今はただ感謝の気持ちである。
晩年は白内障により視力は失われ、歯も抜け落ち、傍目には痛々しい感じだったんだけど、お袋さん曰くとても元気でお袋さんに抱きかかえられつつ近所を散歩したりしていたんだそうな。それが秋頃から目に見えて衰え始め、冬を見る前にその命は儚くなった。こういう日が来るとは思っていたけど、やはり長生きするペットと死に別れるのは辛いものである。久々に泣いた。でももっと心配なのはお袋さんである。23年間ずっと一緒だったのだ。夕方はずっとお袋さんの帰宅を待ち、寝る時はいつもお袋さんの布団の中という生活だったのである。今はもうお袋さんが帰宅しても待っていてくれるネコはいない。布団の中に潜り込んでくるネコもいない。これがどれほど寂しいかは想像を絶する。なんせ息子であるしゅんすけよりも一緒に過ごした時間が長いネコなのである。しゅんすけの前では気丈に振る舞っているようで、お袋さんのペットロスが心配である。
ちなみに死去したヨネ子はそのまま火葬にしてお骨にして置いておくことにした。実家の庭に埋めてあげるという手もあったんだけど、そもそもヨネ子にとって今の実家はそれほど長くいた場所ではない。「ネコは家につく」と言うけど、ヨネ子にとって「家」とはお袋さんそのものだったと思えば、いつまでもお袋さんと一緒にいた方がいいのだと思うのだった。
■来年に向けて
あまり意識していないのだけど、実はしゅんすけは来年でいわゆる新たなジェネレーションステージとなる。いわゆる「大台」というヤツである。いや今でさえ年齢的にはいい大人なのに、まったく全然成長していないままついに新たな年代に突入である。意識していないというか、身体がオヤジ領域、下手すると「老い」さえ垣間見られる現状を正視に耐えないだけかもしれないね。
そんなわけで新しい年代に入る者として、いろいろ変化していきたいと思う。
その第一弾がこのブログである。来年はちょっと変化させてみたい。できれば誕生日までに。
そしてもうひとつが、サイクリングの章でも書いたけど、自転車に関して大きな野望を実現することである。5日間連続で100キロを走る。さてどうなるか。
ランニングについてはまずは湘南国際マラソンである。年間を通してどんなランニングにチャレンジするかまだ分からないけど、もしかしたらNAHAマラソンには再チャレンジがあるかもしれない。
絵なぞについて言えばあまり変化はない。地味ながらも少しずつ変化をつけて上達していきたいかな。
音楽については何も考えてないけど、実はそろそろ禁断症状な感じである。今だってこの回顧録を書いている時にベートーベンの「第九」なぞ聴いていたりするのである。いい歳してどうかとも思うけど、もしかしたら音楽活動が再開するかもしれない。
様々な変化・展望を胸に新たな年に、年代に、その一歩を踏み出すのである。2010年もあと1日。
そんなわけで、今年も恒例の回顧録である。
■去年から見た今年の展望
まずは去年2009年に「来年に向けて」と題して記載したいくつかのコトについて述べてみる。
ランニングについては、去年書いた予定のとおり、4月にかすみがうらマラソンに出場した。当初思い描いていたような「湖畔沿いの道をランニング」などという風景は1ミリもなくて、ただ延々と田園地帯を走るのみだった。田園地帯ってもレンコン畑である。いやレンコン好きだけどさ、湖畔を渡る風を感じつつ爽快なランニングを思い描いていたところが、水草に覆われたドロドロのレンコン畑を脇目に走るというギャップは酷かった。11月には前年に引き続き湘南国際マラソンに出場する予定だったけど、某APECが横浜で開催される影響でさくっと延期となり、来年1月の開催となってしまった。目下のトコロしゅんすけの目標はこの湘南国際マラソンである。ちなみに金銭的に許されるのならホノルルに行きたいとか言っていたけど、金銭的にはまったく許されざる状況だったので、ホノルルマラソン出場は叶わなかった。あっさり諦めてその代わり沖縄・那覇でフルマラソンを走ってきた。
自転車については、予告通り、ツールドちばに出場し、3日間で340キロもの距離を走破した。1日当たり100キロ以上の距離を3日連続で走ることが果たしてしゅんすけにできるのかが問われたイベントだったけど、さほど筋肉痛に苦しめられることなく、3日間を終えることができた。このイベントはまずは完走を目標にしていたので、大した疲労もなく最終日にフィニッシュできただけで御の字である。しゅんすけが計画しているさらなるビッグチャレンジに向けてまずまずの結果を残したと言っていい。
登山については今年もまったく縁のないシーズンを過ごしてしまった。せめて富士山くらいには登っておきたかったのだけど、夏場に体調を崩したせいでチャレンジする機会を逸してしまった。夏場にはランニング仲間が集まって箱根路を駆け上る練習会もあったんだけど、体調が優れないためにこれにも残念ながらキャンセルせざるを得なかったほどである。今年の夏はあまり走り込めなかったな。
そんなわけで、去年から見た今年の展望とその達成状況としてはこんな感じである。さて今年はこれ以外にどんなことがあったか。
■ランニング
前述のとおり当初秋に予定されていた湘南国際マラソンが某APECのせいで先送りになってしまった状況で、しゅんすけの今年もっとも大きなランニング的チャレンジは沖縄NAHAマラソンだったと言っていいだろう。春にもかすみがうらマラソンでフルマラソンを完走したけど、なんせ沖縄旅行とセットになったNAHAマラソンへの出場はただそれだけで気合いが入るものである。沖縄くんだりまで行って悔いの残るランニングはできないとの思いがあったからそれなりに練習していったつもりだったしね。結果的にはそのコースの過酷さに苦しめられて(それでも思いの外苦しめられる程度は低かったけど)、大幅な記録更新はできなかったものの、4時間51分とそれなりのタイムが出た。ここで4時間40分台前半が出ていたらさらに満足だったけどね。あれだけアップダウンがあるコースなら良い結果とさえ言えるかもしれない。だからこのテンションのまま、湘南国際マラソンに繋げたい。ほぼフラットコースなこのマラソンコースではもしかしたらさらに良い結果が出るかもしれない。
ちなみに例年申し込みつつも出場が叶わない東京マラソンについて、大会ボランティアを初体験することになった。冷たい雨の中、駆け抜けるランナーたちに給水する係である。これはなかなかいい経験だった。ボランティアとして応援する立場なのに、走るランナーたちから元気をもらった気がする。そして来年の東京マラソンも猛烈な競争率の中、あっさりと落選してしまい、またもや大会ボランティアである。新宿で荷物預りのお仕事だそうな。う〜ん、次回は絶対当てたいものだ。
さてフルマラソン以外にも特筆すべき点がある。
まず10キロランでは、55分を大幅に下回る51分というタイムが出たことである。横浜ロードレースでのことである。鶴見川沿いで開催されるこのイベントは、そのコースがほぼフラットで、さらにこの日は追い風の助けや会場まで自宅からサイクリングしたことで身体が運動するチャンネルになってくれてたこともあったかもしれないけど、とにかく果敢に10キロを攻めて、念願の50分台前半を出すことができた。10キロランは最近はあまりエントリーしないんだけど、この大会だけは毎年出ようと思っていて(さきこが人生で一番最初に出場したランニングイベントである)、次回はぜひ40分台を出してみたいと思うのだ。
ハーフマラソンで特筆すべきことは、やはり三浦マラソンである。
今年も晴れてくれなかった。酷い寒さの中、21キロもの過酷なランニングになった。しかし寒い中で練習する機会が多かったこともあって身体が慣れていたことと、それなりの防寒対策をしていったこともあって、ペースを崩すこともなく淡々と走り続けることができた。体調が悪いとは言えかなり先行されていたさきこを途中で追い抜くという場面もあった。結果的には2時間5分となり、残念ながら2時間を切ることはできなかったけど、かなりアップダウンのある過酷なコースでこの記録はしゅんすけ的には快挙と言っていい。制限時間内にフィニッシュできず、失格となってしまった前年を思えば大きな成長と言えるのだ。
そんなわけで、今年も多くのイベントに参加した。ランニングイベントの一種独特な雰囲気はとても好きなので、まだまだ続くんじゃないだろうか。目標としては、10キロで40分台、ハーフで2時間以内、フルマラソンで4時間40分以内を達成したいなと思っている。果たして来年はどんなランニングが待っているか。
■サイクリング
とにかくツールドちばである。
100キロを越えるサイクリングを3日間連続して続けられるか。イベントにかける思いはただこの一点のみであった。なぜならしゅんすけにはさらに大きな野望として、「5日間連続100キロ走行」という夢があるからである。5日間も自転車乗って500キロ先のどこへ行こうというのかは今度書くことにして、とにかくその夢の第一弾がツールドちばだったわけである。前述のとおり、当初恐れていたほど脚の筋肉疲労は残らず、マッサージとサロンパスのおかげで翌日もちゃんとペダルを回し続けることができた。しかもこの大会始まって以来の悪天候で、サイクリングは「雨天中止」という潔さを信条にしているしゅんすけにとって、精神的にもハードだったのだ。この大会ではホントいろんな点で鍛えられたわ。しかもすっごく楽しかったしね。ぜひまた出てみたいと思っている。
ツールドちば以外のサイクリングでは、5月に琵琶湖周回サイクリングがあったことと、8月に初めてのエンデューロに出場したことだろう。
琵琶湖の方は時計周りのコースとしてしまったこともあってあまり楽しいサイクリングとは言えなかった。前年のしまなみ海道よりも大人数のサイクリングで、これがお揃いのジャージで連なって走るのはそれはそれで壮観だったけど、しまなみ海道の方がサイクリングに適した道だったし景色も良かったかな。
つくばサーキットで開催された10時間耐久エンデューロはなかなかハードなイベントだった。なんせ10時に走り出したら交代で10時間を走り続けるのである。最初は一人当たり1時間くらい走り続けられるかと思ってたけど、とんでもない話しで、真夏の炎天下、信号もない道を走り続けるのがこれほど過酷かってほどの体験だった。同じイベントに出ているサイクリストたちはもはやしゅんすけのようなお気楽サイクリストではなく、日夜ローラー台に自転車を乗せて汗だくになって何十キロも練習しているような人たちなんだろうね。いや大変だった。イベントとしてはなかなか面白かったけどね。
今年のサイクリングを語るうえで外せないデキゴトは、8月のさきこの落車事故である。自宅から多摩川方面にサイクリングに行った時のこと、そろそろ帰途に就こうかと多摩川沿いの道を時速25キロくらいで走っている中、さきこが道の段差に乗り上げてコケてしまった。大型トラックが通り過ぎるすぐ脇で落車してしまったのだ。幸い自動車との接触はなかったけど、膝をしとどに打ち付けてしまい、膝の肉がエグれるほどの酷い擦過傷を負ってしまった。この日から全治2ヶ月とも言われるさきこの闘病生活が始まったのである(傷なので闘「病」ではないか)。擦過傷は治りが遅いのである。しかも気をつけないと感染症にもかかりやすい。幸い近所の外科医がいい先生で、ほどなく痛みは消え、傷も癒えていったんだけど、転倒する際に脚のいろんな筋を違えてしまったのが擦過傷が治っていくうちに顕在化、ランニングにも影響するほどの膝痛が現われることもあった。これは如何にしたものか。さきこは確か琵琶湖サイクリングでも落車している。いや、しゅんすけが知っているだけでこの他にも2回は落車している。まさに「落車クィーン」と呼ぶに相応しいコケっぷりであるが、その度にしゅんすけは肝を冷やしているのである。さきこはサイクリングの際には膝当てを装着するようにしてはどうかと、本気で考えているほどである。
■絵なぞのこと
去年まで続けていた音楽活動を今年は休止したこともあって、しゅんすけの余暇の中で絵なぞに割く時間が比較的増えた。だから今年はそれなりに多くの絵なぞを描くことができたし、そのそれぞれがそれなりに満足のいく絵なぞになった。相変わらず技術は進歩しない下手ッピーなままだし、絵なぞを描く脳内チャンネルにカチッと合うためにはほとんど偶発的と言える右脳の活動具合によらなければならない状況に変わりはないんだけど、それでも絵なぞを描く時間というのはしゅんすけにとって分泌されたエンドルフィンに酔い痴れる至上のヒトトキなのである。
数年来愛用してきた紙・マットサンダースが製造中止になっていたことが判明するというデキゴトもあって、今はいろいろと紙を試しつつ愛用に足る紙を探しているところである。
■音楽のこと
去年の冬にお世話になった楽団を退団することになり、それからずっと音楽のない生活を送ってきた。音楽と言えば、帰宅後にちょろっと爪弾くウクレレくらいのもので、ウクレレ自体もだんだん進歩してきたけど、まだまだ満足に弾けていない。そうなるとどうしても音符の世界への思いが強くなる。あれだけ精神的にキツかった音楽活動だったのに、そのことをコロッと忘れて、また音楽への思いを募らせているのだ。ホント音楽とは麻薬である。
そんな音楽のない生活だったけど、思いもかけないデキゴトが思いもかけない方面から訪れた。
しゅんすけの会社が実施するイベント関係で、東京丸の内にある某ジャズクラブを貸し切ることになり、そこでジャズ演奏なんかを企画したものの、肝心のジャズミュージシャンがなかなか見つからず企画段階で頓挫していたところ、しゅんすけの頭からヒネり出した答えは、中学時代の恩師、吹奏楽部の顧問の先生のツテを頼ること。幸い、この先生とは某SNSサイトでお友達登録させていただいている関係だったので、すぐに連絡をつけることができた。先生のツテで、カッチョいいジャズ演奏ができる安い(ここ重要)ミュージシャンを探していただくことになった。いや、いっそのこと、サックス奏者でもあり本業はクラリネット奏者である先生に吹いていただくのはどうか、先生がステージに乗るならしゅんすけも便乗しちゃったりしてなんちゃって♪的なノリでお願いしたら、ありがたいことに快諾をいただくことができた。そんなわけで先生が探してくれたギター、ベースのトリオでこの日のためにジャズユニットを結成、会社のイベントで見事な演奏を披露してくれたのである。ついでにこのイベントで余興として演奏された「ハッピーバースデートゥーユー」にしゅんすけもこのユニットに加わって吹くことができ、しゅんすけは思いがけず日本屈指のジャズクラブで演奏する栄誉を得たのである。そうである、これは大変なデキゴトなのである。誰もが願いつつも叶えることのできないこのジャズクラブでのステージをイササカ反則気味とは言え
しゅんすけは叶えることができたのである。未だにこのことを思い出すと胸が熱くなる。願わくばもちっといい曲を吹いてみたかったし、アドリブ上等が信条の彼らのこと、一緒に演奏したいしゅんすけの願いももしかしたら叶えてくれたかもと思うとちょっと惜しいことしたなと思ったりもするけど、非常にいい経験をさせていただいた。この点においては会社に感謝、先生に感謝である。当初ジャズ演奏の企画が持ち上がった時に首をもたげたしゅんすけの下心をそれと分からないように慎重に隠しながら議論を誘導した「ブラックしゅんすけ」の策謀にも今回は感謝、である。
それにしても、この御縁は大事にすべきである。もしかしたら今後しゅんすけをワクワクさせて止まないナニかに発展するかもしれないのだ。
■2010年のトピック
今年のトピック的なデキゴトとしてもっとも大きいのが、しゅんすけの実家の愛猫・ヨネ子の死去である。23年もの天寿を全うして大往生で旅立って行った。今はただ感謝の気持ちである。
晩年は白内障により視力は失われ、歯も抜け落ち、傍目には痛々しい感じだったんだけど、お袋さん曰くとても元気でお袋さんに抱きかかえられつつ近所を散歩したりしていたんだそうな。それが秋頃から目に見えて衰え始め、冬を見る前にその命は儚くなった。こういう日が来るとは思っていたけど、やはり長生きするペットと死に別れるのは辛いものである。久々に泣いた。でももっと心配なのはお袋さんである。23年間ずっと一緒だったのだ。夕方はずっとお袋さんの帰宅を待ち、寝る時はいつもお袋さんの布団の中という生活だったのである。今はもうお袋さんが帰宅しても待っていてくれるネコはいない。布団の中に潜り込んでくるネコもいない。これがどれほど寂しいかは想像を絶する。なんせ息子であるしゅんすけよりも一緒に過ごした時間が長いネコなのである。しゅんすけの前では気丈に振る舞っているようで、お袋さんのペットロスが心配である。
ちなみに死去したヨネ子はそのまま火葬にしてお骨にして置いておくことにした。実家の庭に埋めてあげるという手もあったんだけど、そもそもヨネ子にとって今の実家はそれほど長くいた場所ではない。「ネコは家につく」と言うけど、ヨネ子にとって「家」とはお袋さんそのものだったと思えば、いつまでもお袋さんと一緒にいた方がいいのだと思うのだった。
■来年に向けて
あまり意識していないのだけど、実はしゅんすけは来年でいわゆる新たなジェネレーションステージとなる。いわゆる「大台」というヤツである。いや今でさえ年齢的にはいい大人なのに、まったく全然成長していないままついに新たな年代に突入である。意識していないというか、身体がオヤジ領域、下手すると「老い」さえ垣間見られる現状を正視に耐えないだけかもしれないね。
そんなわけで新しい年代に入る者として、いろいろ変化していきたいと思う。
その第一弾がこのブログである。来年はちょっと変化させてみたい。できれば誕生日までに。
そしてもうひとつが、サイクリングの章でも書いたけど、自転車に関して大きな野望を実現することである。5日間連続で100キロを走る。さてどうなるか。
ランニングについてはまずは湘南国際マラソンである。年間を通してどんなランニングにチャレンジするかまだ分からないけど、もしかしたらNAHAマラソンには再チャレンジがあるかもしれない。
絵なぞについて言えばあまり変化はない。地味ながらも少しずつ変化をつけて上達していきたいかな。
音楽については何も考えてないけど、実はそろそろ禁断症状な感じである。今だってこの回顧録を書いている時にベートーベンの「第九」なぞ聴いていたりするのである。いい歳してどうかとも思うけど、もしかしたら音楽活動が再開するかもしれない。
様々な変化・展望を胸に新たな年に、年代に、その一歩を踏み出すのである。2010年もあと1日。