2011.07.24 Sunday
ツールド・フランスとワークライフバランス。
7月も下旬。毎日楽しんでいるツールド・フランスも早くも終盤戦である。ジロデ・イタリアで圧倒的な実力を見せつけた某スーパー選手も今回のツールでは攻めあぐねているようで、思わずテレビに向かって声援を送ってしまう宵が続いている。
ところで、ヨーロッパのグランツールを観ていて興味深いのは、自転車レースそのものだけじゃなくて、その応援である。市街地ではコース沿いでほとんど途切れることのない声援が送られるし、山岳ステージでは熱狂のあまり選手に並んで走り出す人や仮装に凝る人や母国や民族の旗を激しく振る人がいて、これを観ているだけでも結構面白かったりする。その中でも興味深いのが、広い麦畑を使ったパフォーマンス。まるでミステリーサークルのように麦を踏み倒して巨大なロゴを作ったり、人文字を作ったりで、これがレースを中継するために上空を飛ぶヘリコプターのカメラで捉えられ、ほんの数秒だけど放送されたりするのだ。それが分かってるから、ほとんどレースそっちのけで、デザインに凝ったり、ユーモアのあるパフォーマンスだったりするのである。
今年もテレビ中継を観ていると、沿道の麦畑に巨大な自転車の図案が現われた。しかもその自転車のホイール部分には農作業用のトラクターが10台以上、円を描いてぐるぐる回っていて、上空からは自転車のホイールが回転するよう見える、かなり凝ったパフォーマンスだった。うん、座布団1枚。
これほど多くのトラクターが円を描くように走れるくらい巨大なホイールだから、この自転車を模した図案は100メートルくらいあるんだろうけど、そう思うにつけ、一体このアート(パフォーマンス?)を実現するのに、どれだけの準備が必要だったのだろうかととても気になった。
いくら広大な麦畑とは言え、一家に何台もトラクターはないだろうから、つまりこのトラクターは近隣の仲間から借りて集めてきたものだと思う。また麦畑に図案を描くのは、測量なども含め事前に周到な計画が必要である。当然時間と手間がかかれば、コストもかかる。また、当日は上空に中継ヘリコプターが現れるのを待って、一斉にトラクターに乗り込み、一定の速度で円を走らせるわけだから、つまりその間は自分の地元を走る自転車選手たちを応援することはできないのである。自転車レースを盛り上げるために、時間と手間とおカネをかけて、あえてレースを観戦せずにトラクターを走らせるという自己犠牲というか自己矛盾というか、とにかくツールド・フランスを盛り上げる熱い気持ちだけは伝わってくる光景だった。(ただの自己顕示欲か?)
さて、話しは変わるけど、つい先日、ワークライフバランスに関するセミナーに行ってきた。先日の組織変更によってしゅんすけはこの手の仕事から離れたんだけど、担当だった時にお世話になった某外郭団体の担当者や大学の先生が来るというので、時間を作って行ってきた。
このセミナーでは大学の先生がワークライフバランスについて講演するんだけど、しゅんすけはこの手の話しは今までに何回も聞いてきてたから、今回の講演で目新しい知識を得るということはなかった。たとえば、諸外国と比較して日本人は働き過ぎてるとか、仕事に対するスタンスについて希望と現実のギャップとか、ワークライフバランスを推進することで如何に業務効率が向上するかとかタイムマネジメントが重要とか評価制度がどうのとか、そういった話しはいろんなセミナーで聞いてきてたのである。
しかしどのセミナーでも言わないことがある。それは、実現に向けて必要なこと。実現に向けたいわゆるロードマップである。
日本の労働環境が外国と比較して酷い状況だというのは、近年多少緩和してきたとは言え、しゅんすけが就職するもっともっと前から問題になっていたわけで、この期に及んでワークライフバランスなどと言って、労働環境が簡単に好転するとはとても思えないのだ。そうであるならば、ワークライフバランスがムーブメントとして拡大・浸透していくために、一体何が必要なのか、どうなればワークライフバランスが実現した社会と言えるのか。これがしゅんすけが参加してきたセミナーで誰も説明しないことなのだ。
いやね、セミナーでご高説を垂れるお偉い先生方が当面の仕事に溢れないために、ワークライフバランス的社会が実現してしまっては困るという汚いオトナの事情もあるのかもしれないけど、ワークライフバランス実現を阻む原因が絶対あるハズなのである。
今回のセミナーを最後にこの手の話しは当面聞けないと思ったしゅんすけは、講演の後の質疑応答で思い切って質問してみることにした。
「ワークライフバランスを実現するためにもっとも重要なことは何か?法整備か、個々の企業それぞれの努力か、国民全体の意識醸成か、学校などの教育システムからの何らかのアプローチか」
この質問に簡単に答えられれば話しは早いわけだから、つまりそれはあまりいい質問とは言えないのかもしれないけど、仕事とプライベートのバランスを20年近く追求しつつ今なお苦戦しているしゅんすけにとって、ぜひ伺っておきたかったのだ。
しかし、案の定、先生は答えに窮してしまった。これが分かれば世話ないわってことか。そりゃそうか。
でもね、もしかしたら先生は別のことを考えていたかもしれない。
しゅんすけが思うに日本人の働き方の変容には、たぶん、日本人の人生観の変容が不可欠なのである。ニンゲンは何のために生まれ、生きて、死んでいくのか。その限りある人生の中で労働の意義とは何か。なんとなく宗教的な価値観かもしれないけど、諸外国、特にヨーロッパなどはキリスト社会だから、そういった人生観のようなものが宗教のチカラで共有されているのかもしれない。ニンゲンは働くことばかりではなく、休んだり、遊んだり、家族と過ごしたり、勉強したりが必要なんだということが一般論として浸透しているのかもしれない。
その点では、日本人の勤労観は短期的だし、底が浅い。宗教的理屈付けも脆弱である。労働の意義とは、社会貢献のためとか社会経済がなんたらとか、個人的にはおカネのためとか自分の成長のためとか言うかもしれないけど、これってホントに究極的に目的となり得るものなのだろうか。おカネのためって、おカネって手段であって、目的ではないだろうに。
この人生観、労働観の決定的な違いが、労働環境の差として現われているのだと思うのだ。つまりこれが変化しなければ、ワークライフバランスも実現できないし、長時間労働の体質も脱することができないのである。
歴史的に見れば、日本人が欧米型の動労をするようになってから200年も経っていない。その前には日本人が営々と受け継いできた労働観があったハズである。それまでの価値観や伝統を無視し切り捨てて欧米型の労働環境を持ち込んでは、綿々と受け継いできた民族的気質とアツレキが生まれることもあるってわけだ。そりゃ今までは欧米のサルマネして、経済成長が実感できてたから、ゴマかしが効いたかもしれないけど、これからはそういうわけにはいかない。少子化対策だけでなく、高齢化対策としても、ワークライフバランスを推進する必要があることは分かり切っているわけで、これから先、とにかく実効性のある形で浸透させなければ、大きな社会問題化するのは明らかである。
人生観の変容、そのために必要な労働観の再検証、再確認。大して大きな成長率とも言えない目先の経済を守ってばかりでは、決して見えてこないことなのである。
こんな風にしゅんすけが考えることと同じことを感じていたかどうか分からないけど、回答に窮する先生を見ていて、ツールド・フランスのことを考えていた。
麦畑に大きな自転車の図案を描き、トラクターでパフォーマンスする人たちだって、仕事があるハズである。しかし、年に1度の大イベントのために並々ならない準備をして、ヘリコプターのカメラに捉えられた映像がたった数秒でも世界に放送されることを期待して、仕事の後に準備を進めてきたのである。
これはスゴいパワーである。このパワーの源泉はなにか。
これこそがワークライフバランスなんだ。
麦畑に描かれた巨大な自転車のアート。アホっぽいことを真剣に取り組んで人生の充実を得るという本来あるべき生き方がまさにそこに描かれているような気がしたのだった。
ところで、ヨーロッパのグランツールを観ていて興味深いのは、自転車レースそのものだけじゃなくて、その応援である。市街地ではコース沿いでほとんど途切れることのない声援が送られるし、山岳ステージでは熱狂のあまり選手に並んで走り出す人や仮装に凝る人や母国や民族の旗を激しく振る人がいて、これを観ているだけでも結構面白かったりする。その中でも興味深いのが、広い麦畑を使ったパフォーマンス。まるでミステリーサークルのように麦を踏み倒して巨大なロゴを作ったり、人文字を作ったりで、これがレースを中継するために上空を飛ぶヘリコプターのカメラで捉えられ、ほんの数秒だけど放送されたりするのだ。それが分かってるから、ほとんどレースそっちのけで、デザインに凝ったり、ユーモアのあるパフォーマンスだったりするのである。
今年もテレビ中継を観ていると、沿道の麦畑に巨大な自転車の図案が現われた。しかもその自転車のホイール部分には農作業用のトラクターが10台以上、円を描いてぐるぐる回っていて、上空からは自転車のホイールが回転するよう見える、かなり凝ったパフォーマンスだった。うん、座布団1枚。
これほど多くのトラクターが円を描くように走れるくらい巨大なホイールだから、この自転車を模した図案は100メートルくらいあるんだろうけど、そう思うにつけ、一体このアート(パフォーマンス?)を実現するのに、どれだけの準備が必要だったのだろうかととても気になった。
いくら広大な麦畑とは言え、一家に何台もトラクターはないだろうから、つまりこのトラクターは近隣の仲間から借りて集めてきたものだと思う。また麦畑に図案を描くのは、測量なども含め事前に周到な計画が必要である。当然時間と手間がかかれば、コストもかかる。また、当日は上空に中継ヘリコプターが現れるのを待って、一斉にトラクターに乗り込み、一定の速度で円を走らせるわけだから、つまりその間は自分の地元を走る自転車選手たちを応援することはできないのである。自転車レースを盛り上げるために、時間と手間とおカネをかけて、あえてレースを観戦せずにトラクターを走らせるという自己犠牲というか自己矛盾というか、とにかくツールド・フランスを盛り上げる熱い気持ちだけは伝わってくる光景だった。(ただの自己顕示欲か?)
さて、話しは変わるけど、つい先日、ワークライフバランスに関するセミナーに行ってきた。先日の組織変更によってしゅんすけはこの手の仕事から離れたんだけど、担当だった時にお世話になった某外郭団体の担当者や大学の先生が来るというので、時間を作って行ってきた。
このセミナーでは大学の先生がワークライフバランスについて講演するんだけど、しゅんすけはこの手の話しは今までに何回も聞いてきてたから、今回の講演で目新しい知識を得るということはなかった。たとえば、諸外国と比較して日本人は働き過ぎてるとか、仕事に対するスタンスについて希望と現実のギャップとか、ワークライフバランスを推進することで如何に業務効率が向上するかとかタイムマネジメントが重要とか評価制度がどうのとか、そういった話しはいろんなセミナーで聞いてきてたのである。
しかしどのセミナーでも言わないことがある。それは、実現に向けて必要なこと。実現に向けたいわゆるロードマップである。
日本の労働環境が外国と比較して酷い状況だというのは、近年多少緩和してきたとは言え、しゅんすけが就職するもっともっと前から問題になっていたわけで、この期に及んでワークライフバランスなどと言って、労働環境が簡単に好転するとはとても思えないのだ。そうであるならば、ワークライフバランスがムーブメントとして拡大・浸透していくために、一体何が必要なのか、どうなればワークライフバランスが実現した社会と言えるのか。これがしゅんすけが参加してきたセミナーで誰も説明しないことなのだ。
いやね、セミナーでご高説を垂れるお偉い先生方が当面の仕事に溢れないために、ワークライフバランス的社会が実現してしまっては困るという汚いオトナの事情もあるのかもしれないけど、ワークライフバランス実現を阻む原因が絶対あるハズなのである。
今回のセミナーを最後にこの手の話しは当面聞けないと思ったしゅんすけは、講演の後の質疑応答で思い切って質問してみることにした。
「ワークライフバランスを実現するためにもっとも重要なことは何か?法整備か、個々の企業それぞれの努力か、国民全体の意識醸成か、学校などの教育システムからの何らかのアプローチか」
この質問に簡単に答えられれば話しは早いわけだから、つまりそれはあまりいい質問とは言えないのかもしれないけど、仕事とプライベートのバランスを20年近く追求しつつ今なお苦戦しているしゅんすけにとって、ぜひ伺っておきたかったのだ。
しかし、案の定、先生は答えに窮してしまった。これが分かれば世話ないわってことか。そりゃそうか。
でもね、もしかしたら先生は別のことを考えていたかもしれない。
しゅんすけが思うに日本人の働き方の変容には、たぶん、日本人の人生観の変容が不可欠なのである。ニンゲンは何のために生まれ、生きて、死んでいくのか。その限りある人生の中で労働の意義とは何か。なんとなく宗教的な価値観かもしれないけど、諸外国、特にヨーロッパなどはキリスト社会だから、そういった人生観のようなものが宗教のチカラで共有されているのかもしれない。ニンゲンは働くことばかりではなく、休んだり、遊んだり、家族と過ごしたり、勉強したりが必要なんだということが一般論として浸透しているのかもしれない。
その点では、日本人の勤労観は短期的だし、底が浅い。宗教的理屈付けも脆弱である。労働の意義とは、社会貢献のためとか社会経済がなんたらとか、個人的にはおカネのためとか自分の成長のためとか言うかもしれないけど、これってホントに究極的に目的となり得るものなのだろうか。おカネのためって、おカネって手段であって、目的ではないだろうに。
この人生観、労働観の決定的な違いが、労働環境の差として現われているのだと思うのだ。つまりこれが変化しなければ、ワークライフバランスも実現できないし、長時間労働の体質も脱することができないのである。
歴史的に見れば、日本人が欧米型の動労をするようになってから200年も経っていない。その前には日本人が営々と受け継いできた労働観があったハズである。それまでの価値観や伝統を無視し切り捨てて欧米型の労働環境を持ち込んでは、綿々と受け継いできた民族的気質とアツレキが生まれることもあるってわけだ。そりゃ今までは欧米のサルマネして、経済成長が実感できてたから、ゴマかしが効いたかもしれないけど、これからはそういうわけにはいかない。少子化対策だけでなく、高齢化対策としても、ワークライフバランスを推進する必要があることは分かり切っているわけで、これから先、とにかく実効性のある形で浸透させなければ、大きな社会問題化するのは明らかである。
人生観の変容、そのために必要な労働観の再検証、再確認。大して大きな成長率とも言えない目先の経済を守ってばかりでは、決して見えてこないことなのである。
こんな風にしゅんすけが考えることと同じことを感じていたかどうか分からないけど、回答に窮する先生を見ていて、ツールド・フランスのことを考えていた。
麦畑に大きな自転車の図案を描き、トラクターでパフォーマンスする人たちだって、仕事があるハズである。しかし、年に1度の大イベントのために並々ならない準備をして、ヘリコプターのカメラに捉えられた映像がたった数秒でも世界に放送されることを期待して、仕事の後に準備を進めてきたのである。
これはスゴいパワーである。このパワーの源泉はなにか。
これこそがワークライフバランスなんだ。
麦畑に描かれた巨大な自転車のアート。アホっぽいことを真剣に取り組んで人生の充実を得るという本来あるべき生き方がまさにそこに描かれているような気がしたのだった。