「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
近況。
10月と言えば京都チャレンジだけど、それにしてもこれほどの大挑戦を前にして、体力作りがほとんど進んでないのはどうしたものか。たまに早く帰れる日でもなんだかんだ理由をつけてランニングとかスクワットとかしないことが多く、自覚がないというか何というか、とにかく非常に準備不足な状態なのである。京都チャレンジ自体は楽しみだし、自転車に乗るのも楽しみなんだけど、体力作りのために運動しようと思うと途端に億劫になってしまう。ホントなんなんだろうね。

さて10月と言えば、去年は東京丸の内の某ジャズクラブで会社のイベントがあって、しゅんすけはその中で楽器を吹いたんだけど、これが期せずして「有名なジャズクラブのステージに乗る」という稀有な体験をする結果になったことを思い出す(期せずして?いや知略だった)。実は今年も同じ日に会社のイベントがある。多摩川河川敷まで行ってバーベキューなぞしないといけないのだ。天気が心配だったり、食材が足りるかどうか心配だったりと不安は尽きないけど、ちょっと楽しみではある。ちなみにこの日は会社の創立記念日で、去年のイベントも今年のバーベキューもつまりはこれにちなんでいるわけだけど、この日は他にも意味があって、さきこと交際を始めた日でもあるのだ。なんか、ビミョーな感じの偶然である。会社の創立記念日なら休みにすりゃいいのにね。
そんなさきことの記念日は、先の話しになるけど、来年ついに25年という節目を迎える。つまり四半世紀である。「世紀」という言葉が出るほど長い付き合いだというのはホント感慨深いものがある。そう言えば、ハーフマラソンを走り切った後に感慨深かったのは、走り切った距離がそれまでの10キロとか20キロのランニングではなく、曲がりなりにも「マラソン」と名の付く距離だったことである。半分でも4分の1でもマラソンはマラソン、世紀は世紀である。そんなわけで、来年に向けて四半世紀を共にした相棒と何かできることはないかと思っている。

さて、そんな近況の中、ついに来週、京都に向けて走り出す。
運動不足も準備不足も何のその。走り出してしまえばいずれにしても道は京都に続いているのである。うん、気持ちは高いな。
ちなみに危険な行為は一切禁止と自分に科しているので、雨で走行が危険な場合などは迷わず公共交通機関を使うつもりである。せっかく予約した宿をキャンセルしたくないので、どういう手段であってもその日のフィニッシュ地点には向かうけどね。
あとは体調である。先日の原因不明の腸炎で体験したような高熱が出てしまってはさすがにペダルは回せない
。ぜひ万全の体調だけは維持していたいと思う。
最後に天候である。
この時期に列島を覆う秋雨前線は今年は動きがおかしくて、ホントなら9月下旬辺りに停滞して長雨になるところ、今年ははるか北に位置していて、9月の連休を晴れにした。これが徐々に南下する気配を見せている。京都チャレンジの期間中に、これが列島に停滞するようなことがあると、あまり楽しいサイクリングにはならないかもしれない。それに加えて南に発生した台風なんかが前線に湿った空気を送り込んで活性化させちゃった日にゃほとんど悲惨なサイクリングである。さてさてどうなるものか。
体力、体調、天候・・・ドキドキな毎日が続きそうである。
| 日記 | 12:54 | comments(0) | -
本気、サイクリング。
9月に2回ある三連休のうち、前半を仕事と謎の腸炎との戦いに浪費してしまったしゅんすけには、京都チャレンジに向けた練習の機会がほとんど残されていなかった。そこで後半の三連休の少なくとも1日は京都チャレンジの練習のために過ごそうと思った。その機会はさきこが外出する最後の日に到来した。
朝7時過ぎにスタート。京都チャレンジではその距離にかかわらず、どの日も7時にスタートするつもりである。
国道16号線を南下して三浦半島の先端の城ヶ島を目指す。途中横須賀辺りでうまいこと追い風が吹いてくれて、そのおかげで時速30キロくらいは楽に出たけど、調子に乗ってスピードを出さないように心がける。京都チャレンジではその日にいくら早く到着しても意味はなくて、7日間ペダルを回し続けることが重要だから、まずはスピードを抑え自分の巡航速度を守ることにした。それでもほとんど30キロで走っていれば信号待ちを考慮しても、2時間程度で城ヶ島に着いてしまう。秋晴れとはいかなかったけど、自転車を走らせるにはいい天気である。
当初は城ヶ島で昼食を摂る予定で、つまり昼飯時に城ヶ島に到着する予定だったんだけど、追い風のせいでかなり早く到着してしまった。愛車・こてつ号のサイクルコンピュータではここまでだいたい50キロの距離で平均時速24キロと表示していた。これほど長い距離をこれほど高速で走ったのは初めてである。時間的には予定よりもかなり早めだったので、ここでは昼食を摂らずに先を急ぐという手もある。しかしこの先葉山、逗子、鎌倉と、オシャレな店が増えていきサイクルウェアで入店できる店がなくなってしまうので、ここは城ヶ島の食堂でとても早い昼食(ほとんど朝食のオンタイム)としてマグロの漬け丼を食べた。
少し休んでから進路を北に取り、さらに自転車を走らせる。
三崎周辺のアップダウンがちょっと足に効いてきた感じである。息もあがってきた。やはり練習不足の身では、この程度のアップダウンでも身体に堪えるのだ。しかも先ほどまで背中から吹いていた追い風は、今度は正面から吹きつけることになり、自転車の速度をどんどん遅くする。
サイクルコンピュータの表示では時速20キロそこそこの速度が表示される時もあった。足はかなりイジめられてる感じである。練習としてはとてもいい感じである。しかし三崎から次の休憩場所の秋谷海岸までは意外にも早く到着してしまった。スピードは出てなかったハズだけど、何度か走ってる道なので、慣れがあったのかもしれないね。
秋谷海岸ではたっぷり30分以上も休憩した。防潮堤のうえに腰掛けてストレッチする格好でぼーっと海を見て波の打ち寄せる音を聞いていた。しゅんすけにとってはこういう時間が至福なのである。
さてこの先の道はほとんどいつものサイクリングコースである。
葉山から逗子を海岸線に沿って走っていく。ちょっとしたアップダウンに20キロを切る速度になってしまい、気持ちに反して身体が相当厳しくなっているのを感じる。トンネルを抜けて材木座海岸に出て、そのまま進むと由比ガ浜である。ここでまた一息つくことにした。
ふーっと腰を落ち着けると、フラダンスの音楽が聞こえてきた。由比ガ浜でハワイにまつわるお祭りをやってるようである。ステージでは小さな女の子たちが衣装を着てフラダンスを踊っていた。いや、これには心和まされた。フラダンスって完全に異国の踊りなのに、その音楽にも舞う姿にも魅了されてしまうのは何故だろう。ほとんど時間を忘れて見入ってしまった。フラダンスに惹きつけられ、途中でお昼休みとのことで30分ほどステージが休憩に入ったんだけど(この時点で正午になった)、フラダンスを見たくてその場で待つことにしたくらいである。
しばし癒されたのち、再び自転車に跨る。鎌倉方面に家路を辿った。
今回の練習は事故、怪我もなく、また来るべき京都チャレンジの練習としては充分いい成果を得たと思う。箱根路練習としてもう少し登板練習をしておきたかったけど、この段階では遅きに失した感じである。もはや当日のしゅんすけの頑張りに期待するしかないのだけど、それでも箱根以降の平坦コースを3日間走り続けることはできそうな感触を得ることができた。
もはや京都チャレンジは待ったなしである。次に自転車に跨る時は、京都チャレンジの時だろうか。腿に大量にエアーサロンパスを吹きかけつつ、気持ちでは絶対に負けないようにしようと心に誓うのだった。

※城ヶ島大橋の上で。

※砂浜をバックにフラダンス。いいなー。
| 自転車日記 | 12:56 | comments(0) | -
お約束ドライブ。
9月は連休が2回あって、いわゆるシルバーウイークとも言われているんだけど、前半の三連休はほとんど仕事と原因不明の体調不良でムダに過ごしてしまったので、後半の三連休はそれなりに充実した形にしたかった。
そこで京都チャレンジを前に、しゅんすけがその行程でもっとも危険だと思っている箱根越えをさきこが心配して、連休初日に実際に行ってみることにした。何が危険って箱根峠の下り坂である。10キロ以上も下り坂が続き、しかも時折クネクネと蛇行したり、クルマに対して速度注意を促すため路面にデコボコがあり、これらが自転車にとっては結構危険だったりするのである(この辺は以前にも書いたけど)。
そんなわけで、今回の箱根行きはあくまでさきこが実際の道路を見て、どれほど危険かを認識するためのものだったんだけど、せっかくなので小田原から国道1号線で箱根に向かうことにして、箱根の山上りの過酷さを改めて認識しておくことにした。箱根湯本から芦ノ湖に至る道は自転車では過去に2回ほど走ったことがあるけど、とにかく死ぬほど辛い。しかもここ最近は何らトレーニングらしきことをしていなかったので、つまりきっとさらに辛いと思われ、だから事前に道の様子を見ておくことにしたのだ。いや実際、見て認識を新たにしたくらいで何が変わるわけじゃないけどね。

連休初日の箱根路はそれなりに混雑していたけど、長い渋滞に巻き込まれることもなかった。おかげで坂の状況を充分見ておくことができたけど、やはりこの段階では不安しか感じられないね。天気が良ければ気持ち的にも前向きに上れるだろうけど、これで雨なんか降ってたらとても上れるものじゃないだろう。今回は長い渋滞に巻き込まれなかったとは言え、若干の渋滞は起こっていて、それって三連休の初日という要素はしゅんすけが京都チャレンジで箱根路に挑戦する日と同じことを考えると、しゅんすけがエッホエッホと上ってる隣でクルマが渋滞しているという状況は想定しておくべきかもしれない。

芦ノ湖の辺りの路面は、先日の台風のせいで路面に木の枝が落ちていたり、土で汚れていたりした。台風一過から2日ほど経過してそれなりにキレイになっているかと思ったけど、台風の被害がそれなりにあったために路面清掃まで手が回らないのかもしれない。ホントはここでさきことサイクリングしようと自転車を積んできたんだけど、ただでさえ狭い路面で走れる部分がさらに狭くなり危険だったので断念することにした。しかも思いの外寒い。完全に秋の風情である。しゅんすけは半袖短パンという夏のスタイルで来たんだけど、これで自転車に乗るというのはイササカ憚られる感じであった。
そんなわけでサイクリングは断念して、以前より気になってた箱根駅伝ミュージアムで過去のレースのダイジェストを延々観たり、京都チャレンジで宿泊する宿の位置を確認したりして過ごし、箱根峠に向かうことにした。

箱根峠はやはり要注意な道である。路面はそれなりに走りやすそうだったけど、ただ1カ所だけクルマの速度抑制のためのガタガタ舗装があった。以前にもこのガタガタのせいで自転車ごとすっ飛ばされそうになったものだ。あとは景色に見とれ過ぎず集中して走れれば問題ないだろうけどね。

さて早めに三島に着いてしまったので、せっかくなので柿田川湧水を見ることにした。今年の夏に自転車仲間とサイクリングで来るハズの場所で、イベント企画者であるさきことしてはここが目玉スポットと言っても過言ではない場所だった。こんこんと湧き出す湧き水は夏の灼熱サイクリングにとっては一服の清涼以上の清涼効果があったハズで、これはしゅんすけも非常に楽しみにしていたんだけど、台風接近のために已む無く中止した次第なのである。既に秋の風情ではあったけど、湧き水を見ているのは非常に心癒やされるものがある。富士山に積もった雪が何十年何百年もかけてこうして湧き出してくると思うとちょっと感動である。
太陽が西に沈む頃、しゅんすけとさきこは沼津にいた。いやもうお約束である。久し振りに駿河湾を臨む防潮堤に立った。第二の我が故郷、沼津。いつ来てもホントいい景色である・・・ってか、海岸に打ち寄せられた流木の量がハンパじゃない。ほとんど海岸一面と言ってもいいくらいの量である。これこそ台風の影響だろう。秋になると背丈ほどに伸びていた草が根こそぎなくなっていて、ハゲ山ならぬハゲ海岸になっていた。これ、ホントに台風だけの影響かいな・・・。
ここまで来ると次の展開はこれもお約束の寿司である。
しゅんすけが単身赴任していた時代はただの回転寿司屋だった店が、今やタッチパネルによる注文に変わっていた。回転寿司もかなり寂しいものだけど、タッチパネルってのはもっと寂しいものである。しかも以前に比べてネタの値段が高くなってるしね。ここも自転車仲間で来ようと思っていたところだけど、別の場所にした方が良かったかもしれないね。
そんなわけで、前半の連休をムダに過ごした反動で、思いっきりドライブを楽しんでみた。自転車に乗れなかったのは残念だったけど、まあまだ連休は2日間残っているさと夏休み前半を終えてそれまでの思い出をふと振り返る小学生みたいなことを思ったしゅんすけなのだった。
| 日記 | 22:59 | comments(0) | -
油断禁物。
土日とも仕事の関係で出勤していた。
土曜日は午前中までで、その後は久し振りにさきこと海までドライブに行ってきたんだけど、体調がおかしくなってきたのは夜になってからだった。なんとなく身体がダルいのだ。まあ午前中は仕事だったしなーと思いつつ、早めに寝ることにした。翌日は会社だったけど、さほど大変な仕事でもないので、当初は品川まで輪行して自転車で出社し、仕事が終わったら横浜まで自転車で帰ってこようかと思ってた。ちょうどいい天気だったこともあって、サボりがちな京都チャレンジの練習に少しでもプラスになればと思ったのだ。しかし朝目覚めてみるとどうも自転車に乗る気分じゃない。それは会社から自宅の40キロというそれなりの距離を走りたくないとかじゃなくて、最寄りの駅にすら自転車で行くことを身体が拒否している感じなのだ。じゃ、前日のようにクルマで行くかというと、これも身体が拒否。神経を使うようなことを拒んでいる感じなのだ。きっと疲れてるんだろうと思い、電車で行くことにした。電車なら道中シートで眠れるしね。
そして、しゅんすけのこの身体の異変は、電車に乗っている間に徐々にその姿を現してきて、会社に着く頃には「これは身体で何かが起こってるだろ」って考えに至るに足るほど調子が悪くなっていた。頭痛、腹痛と腰の痛さ。何が起こってるかはこの段階ではハッキリしてなかったけど、腰が独特の痛みを持ってる辺り、免疫機構にスクランブルがかかってることが伺い知れた。
会社ではずっとぐったりしたまま過ごし、何とか早めに終えることができて帰途に就く。
帰宅する頃には頭痛と腹痛はさらに酷くなっていた。これは風邪などというレベルの症状ではないと思った。
足を引きずるようにして自宅に戻り、そのまま横になって安静になる。ここで初めて体温を測ってみると、37度後半を差していた。あまり発熱しないしゅんすけには珍しい数値だし、それにあまりにも急激な発症である。これは何かある。
その夜はとても長い夜だった。
体温はその後も上がり続け、一時は38.8度を差すにまで至る。ほとんど39度、危険信号な領域である。ただ意識はそれなりにしっかりしてたし、三半規管もおかしくなってなくて、頭痛が酷い以外はそれほど高熱があることが信じられないほどだった。この辺まで来ると、この劇症ぶりは細菌が原因していることが自分でも分かってきた。恐らく腸である。どこかでヤバい食材を口にしたのかもしれない。あるいは食中毒かもしれない。食中毒なんかでも発熱するらしいことが分かっていたので、とにかく食べ物が原因と思うことにした。そうなるとさきこも無事では済まないかもしれない。要注意である。
原因となった食べ物は何だ?前日のドライブ先のファミレスで食べた焼き肉か?サラダか?自宅で食べたサラダとか味噌汁か?そう言えば焼き肉には少々火の通りが悪かった部分もあったような気が・・・。

翌日になって少し熱は収まっていたものの、休日でも開業している病院に行って診察してもらうことにした。とにかく早く診断を受けて解熱剤をもらいたかった。医者の前で症状を告げると、もう何回も言ってきてそろそろ言い飽きてきた的な口調で「ウイルス性腸炎ですね」と告げた。ウイルス?原因はウイルスなんか?
しゅんすけの浅はかな知識では、ウイルスは細胞なんかに取り憑くことになってて、彼ら自身が毒素を出したりはしない。彼らの目的はあくまで自己増殖でしかないから、母体(宿主)を傷つけることはしないと思ってた。またたとえ取り憑いた細胞がその変異の過程で毒素をはき出すようなことがあったとしても、これほど短期間に劇症化するものだろうか。風邪の症状はあくまでニンゲンの免疫反応が引き起こすものであって、ウイルス自体が引き起こすものではないわけだから、同じ考えに立てば免疫反応がこれほど早くしかも劇症化することがあるのかと思うし、やはりウイルスが直接的原因で腸に炎症を引き起こすのが考えられないのである。
そう思って、目の前の医者に聞いてみた。「細菌性じゃないですよね?」
その時の医者の様子をもっとしっかり見ておけば良かったと今になって思うけど、医者はしゅんすけの質問に即座に答えた。
「いえ、ウイルス性です。・・・いや、流行ってるんですよ、今日で3、4人目かな」
そっか、流行ってるのかとすんなり納得してしまった。
とにかくウイルス性腸炎ってものが存在してるということで、とにかくしゅんすけとしては一刻も早くこの症状を治したかったので、薬をいただき、自宅に戻って薬を飲んで眠ることにした。ネットとかでも調べたけど、確かにウイルス性腸炎ってのは存在するようだから、別にヤブ医者だというわけでもあるまい。発熱のために朦朧としたしゅんすけがネットで調べた限りでは、ウイルス性腸炎ってのは主に乳幼児が罹患する病気みたいだったけどね。

翌日は会社ということで、しゅんすけも焦ったんだけど、深夜になってからまた熱が上がり出し頭痛も酷くなってきた。体温を測ったらまた38.8度である。ホンマかいな。頭痛のために夜中はほとんど眠れずiPhoneいじったりしてやり過ごすしかなかった。4時を回った段階で、さすがに会社に行くのは無理ということになった。しゅんすけだけ4連休になっちゃうけど、前半2日間が出勤だったので、まあいいでしょ。

そんなわけで、今日は会社を休んでゆっくり養生することにしたんだけど、どうにも腹痛が治まらなくて、やむを得ず最寄りの医者に行くことにした。前日行った休日診療所では1日分の薬しか貰えないので、平日はちゃんとした病院に行かねばならないのだ。
そこで自宅から徒歩3分ほどにある町医者に向かう。ここは去年さきこが自転車から落車して酷い擦過傷を負った時に行った病院で、さきこからは老齢ながらも非常に親切な医師だったと聞いていたのだ。話しが長い医者だそうで、どんな話しをするのかちょっと期待だった。もしかしたらしゅんすけが疑問に思っているウイルス性腸炎の疫学的構造みたいなものを教えてくれるかもしれない。
薄暗い待合室でしばし待たされた後に呼ばれて診察室に行くと、まっしろなご老人が机に向かっていた。白衣が白いとか髪が白いとかのレベルじゃなく肌が白く見えるので、医者の先生がどこにいるのか一瞬分からないほどだった。思ったよりご老人だ、大丈夫か?
喋りもやはり年齢相応と言うべきか、もごもご言ってて一部解読不能なところもあるけど、どうも見立ては確かなようである。前日の休日診療所の医者がしたとおりのことをしていて、つまり怪しむべき点を確かに怪しんでいる感じである。そこで前日からの疑問を聞いてみることにした。
「前日の先生からはウイルス性腸炎って言われたんですけど・・・」
するとすかさずこの先生が話しを遮った。
「ウイルス性か細菌性かなんて、すぐには分からんのですよ」
なに?これはどういうこと?昨日は細菌性?の問いにすかさずウイルス性だと明言していたけど。
「これを調べるには腸の中や便を調べて、特定の菌を培養してみてからじゃないと判断できないわけで、そんなことをする時間があったら治しちゃった方が早いし、患者さんのためにもなるんですよ。だから一目見ただけではそんなの分からんのです」
う〜ん、なるほど・・・?でもどうして昨日の医者はウイルス性だと言い張ったのだろうか。そこで思い当たった。
細菌性ってことにすると色々と面倒なのだ。
細菌性ってことは可能性として食中毒を疑う必要があり、食中毒ってことになれば保健所にも連絡しないといけないし、患者はその行動を根掘り葉掘り聞かれ、口にするものを提供したすべての飲食店にも調査が入り、もし食中毒でないということになったとしても、多くの人に面倒をかけることになるのだ。自身の診断が原因で面倒が降りかかるよりも、とにかく目の前の患者を治しちゃった方がお互いのためだという大人の判断が働いたのかもしれないね。実際はどうなのか分からないけど、この老齢先生の言うことを信じれば、しゅんすけの想像もあながち的外れでもないと思われる。う〜ん、なるほどね。
それにしても、この老齢先生は信用できるかもしれない。少なくともしゅんすけに一定の納得性を与えただけの信用には足ると思った。こんなオモロイ先生がこんな近所にいたなんて思ってなかった。今度からはもっと来ることにしよう。

「ところでキミ、今日は会社休んだの?明日は行きたいよな?じゃ、点滴打ってくか?」
突然の提案だったけど、しゅんすけは点滴を受けたことがなかったので、お願いすることにした。看護師の女性に「ブドウ糖○○ミリ用意して」と告げたところを見ると、しゅんすけが軽い脱水症状にかかってるとの判断かもしれない。いやたぶんそれはないだろうけどね。
それでも結局、この老齢先生の技術も見ておきたくて点滴を受けることにしてみた。
小学生の頃、弟と喧嘩して膝をざっくり切ってしまい、かかりつけの病院で縫うことにしたんだけど、この先生はそれまで風邪やら何やらで大変お世話になってきた先生だったんだけど、プルプルと震える手つきで針を皮膚に突き刺したのを見た瞬間、その信頼が一瞬で瓦解したことがあるからね。この先生は大丈夫かいなと思った。
しかし、点滴を打つ手に震えはなく、しゅんすけの静脈を探す手つきに迷いはなく、結果的に針が刺さってもさほど痛さは感じなかった。うん、この先生、デキる!喋りの方は相変わらずご老人のそれで、つまり聞き取れない部分があるにはあるんだけどね。またしゅんすけが点滴を打たれて横たわってる間、次の患者さんが続々と入ってきていろいろ診断されていくのを聞くともなしに聞いていたら、ある患者さんに薬の処方を考えてる時に口にした言葉がしゅんすけの信頼をさらに増すことになった。
「○○に効果がある薬が最近開発されたんだけどね、これ、もう市販されてるハズだけどな、どうだったかな」
これだけ聞くと、ちゃんと最新情報にアンテナ伸ばしてるようにも聞こえるし、この「最近開発された」ってのが実は3年も4年も前で、まさに老齢先生的な時間的感覚とも読めるんだけど、看護師さんが問い合わせをしてみたところ、やはり最近の薬のようで、まだ市販に至っていないことが分かった。うん、この先生、脳みそまでは真っ白になってなかったってことだ。デキる!
点滴はブドウ糖500ミリリットルを丸々2本分、1リットルも体内に注入されて、それでもまだ身体は変な感じである。熱は下がっていたので、表層的には健康になった感じである。いずれにしても油断禁物であるが、今回の病気?ではいろいろ考えることがあった。特に地元の老齢先生への出会いは、これから冬に向けて発症するかもしれない風邪やら何やらに向けて、インフォームドコンセントの名の下にいろいろ聞けそうな気がして、いや病気になるのは嫌だけど、なったらなったで楽しい思いができるかもしれないと思うのだった。
さて、明日はちゃんと会社に行かないとな。
| 日記 | 19:12 | comments(0) | -
芦ノ湖の夜。
このブログの右側に設置してあるガジェットによると、京都チャレンジまで19日だそうだ。もうそんなに近くなってしまったのか。京都チャレンジはもっと先だと思う自分もいて、改めて焦ってくるんだけど、そんな状況の中、前回のブログでは箱根の宿が取れていなくて、某旅行会社の方に最後の望みを託したものの、最悪の場合はその日の到達地点を芦ノ湖からさらに伸ばして三島辺りまで行くことにするしかないかと腹をくくったところだった。
その後の状況だけど、結果としては箱根の宿は予約ができた。つまりこれで当初に計画したとおりの行程を取ることができるようになったわけである。
実はこの福音は、最後の望みだった旅行会社の方からもたらされたものではなく、自分で地図をちまちま見て、表示された宿の連絡先をネットで探し出して、ひとつひとつ電話して確認したという自助努力によってもたらされた。グーグルマップを最拡大にして、細い路地裏に表示された個人経営の民宿の名前をネットで探し出す。インターネットという最近出てきたツールを使っているとは言え、旅行先の地図から宿を探し出して直接連絡するという手法はかなりアナログである。そうか、旅行って元々こういう風に手配するものだったんだと思い出された。
今や旅行手配の方法は大きく様変わりしている。目的や料金などに応じた宿をネット上の旅行サイトから選んで申し込み、代金の支払いもネット上で簡単に決済できる。しゅんすけの会社でも、こうしたネットを利用した旅行サービスのようなこともやってるから、ネットを利用して旅行を手配するという思考でほとんど固まってしまっていたのかもしれないね。だから地図から宿を探すというアナログな方法が思いつかなかったのだろう。
アナログな方法といえば、しゅんすけが高校生の頃に部活で合宿をするこになって、どこにどう手配していいのか分からなかった当時のしゅんすけは、山梨県の観光協会に直接電話して、宿を紹介してもらったことがあった。当時携帯電話さえなかった時代、学校の公衆電話から山梨県に電話して、「合宿したいんです!」的な猪突猛進さというか若気の至りを思い出す。
今回の箱根の宿探しが、便利さと引き換えに失った旅の醍醐味をちょっと味わわせてもらう結果になった。そうだ、ネットの登場で簡単で便利になった旅の準備作業も、旅の一部とも言うべきドラマティックな行程なのだ。

そんなわけで、箱根・芦ノ湖の宿が確保できた。
旅の準備段階におけるタスクがひとつ片付いたわけだ。京都チャレンジがまた少しだけ身近になった。

それにしても思うのは、芦ノ湖で迎える夜である。
小学生の頃に一度学校の旅行で行ったことがあるけど、それ以来の芦ノ湖の夜。天気が良ければちょっと外に出てみようか。真っ黒な湖畔はどんな景色なのか、ちょっと楽しみだったりする。いやそれ以上に朝の芦ノ湖も、箱根峠を越えて朝陽を浴びて聳え立つ富士山も、楽しみである。しゅんすけの夢想の中で、道は確かに京都につながっているのである。
| 自転車日記 | 13:21 | comments(0) | -
寝ても覚めても京都チャレンジ。
先週は某アウトドアショップでレインウェアを買った。去年ツールドちばに持っていったものとは別にカッチョいいレインウェアが欲しかったのだ。いやね、どうせ絶対に雨が降るんだよ。下手をしたら毎日のように降るかもしれない。しゅんすけが楽しみにしているイベントにはコトゴトク雨を降らせると人外の存在のおよそ公平とは言えない恣意的な天気の操作のせいである。ならばお気に入りのサイクルウェアと同じくらいお気に入りのレインウェアで走るのだ。

しゅんすけの今年最大の挑戦、京都チャレンジは着々と近づいてきており、その準備も徐々に進行中である。体力的な準備はほとんど覚束ないんだけどね・・・。
そんな準備作業の中で問題が出てきた。
宿である。
しゅんすけは今回の7日間の行程で、それぞれの日に到達する街をあらかじめ決めていて、その街で宿を予約するようにしている。その行程はこんな感じである。
10月7日(金)東京・日本橋→横浜・自宅
 〃 8日(土)横浜→箱根・芦ノ湖
 〃 9日(日)箱根→清水
 〃10日(月)清水→御前崎
 〃11日(火)御前崎→豊橋
 〃12日(水)豊橋→四日市
 〃13日(木)四日市→京都・三条大橋
この中で問題なのは、2日目の箱根・芦ノ湖である。泊まるべき宿が予約できないのである。
実は8日(土)は10月の三連休の初日なのである。ただでさえ観光名所である箱根なのに、三連休の初日に簡単に宿が取れるわけないのである。そりゃ1泊3万円もするような高級ホテルならまだ空があるかもしれないけど、そんなホテルに箱根の超級激坂を必死で超えてきた汗だくの状態で訪れるのも気が引けるし・・・ってか3万円はさすがに予算オーバーである。旅行サイトなんかもいろいろ見てみたけど、しゅんすけが想定しているレベルの安宿はまったく空がない状態なのである。自転車仲間の旅行で何度かお世話になったことのある某旅行会社の営業さんに相談したところ、即答で「難しいですね・・・」とため息をつかれてしまった。今まで市場相場を無視したようなしゅんすけの無理な要求に紳士に応えてくれた頼れる存在だったのに、こうなってしまったら、練りに練った行程だけど、変更もやむを得ないかもしれない。
しかし、2日目の箱根泊にはそれなりに計画性や思い入れがあって、気持ち的にはなかなか割り切れないのである。

500キロ超にもおよぶサイクリングの前半戦に聳える天下の険・箱根超えである。後々のことを考えると無理は禁物である。以前は箱根を超えて沼津まで走り切ったこともあったけど、当然疲労も蓄積してしまう。かと言って、箱根の手前で2日目を終えるのは距離が短すぎる。その中間となる芦ノ湖泊は体力的な面で意味のある計画なのである。それに、である。
芦ノ湖に宿泊し、その翌日に峠の西側、箱根峠のダウンヒルを走るということは、陽光を浴びて神々しく聳える巨大な富士山を目の前に坂道を爽快に駆け下りることができるということなのである。もちろん晴れていればという条件付きだし、前述のように恣意的な人外の存在がわざと富士山を厚い雲に隠してしまうかもしれない。豪雨の中のデンジャラス・ダウンヒルになるかもしれない。僅かな可能性かもしれないけど、見たこともないような富士山をこの目で見ることができるのなら・・・と思うのである。

今のところ、芦ノ湖に泊まれる唯一の可能性は、先ほどの旅行会社の営業さんが「難しいですね・・・」といった「・・・」の後に続く言葉が頼りである。それは、
「添乗員用の部屋が空いてないか確認してみます」
おおっナイス!その手があったか。日本が誇る観光地・箱根の高級ホテルには、さほどレベルの高くない「泊まれればいい」だけの部屋があるのである。決して大きな可能性ではないけど、今やこの可能性に賭けるしかない。
ダメだったらやむを得ず、三島辺りに泊まることにするかな。3日目の走行距離がかなり短くなるけど、その分駿河湾の海岸線を堪能できるしね。

そういうわけで、しゅんすけの京都チャレンジはその準備段階において、まだまだ予断を許さない状況なのである・・・っていうか、こういうのって前途多難な準備の行程が一番楽しいんだけどね。
| 自転車日記 | 13:59 | comments(0) | -
灼熱ランニング&サイクリング
週末は会社の関係で皇居でランニングのイベントがあり、その後自転車仲間との多摩川サイクリングに出かけるという、ちょっと強行スケジュールだった。ランニングの後にサイクリングに行くわけだから、着替えを頻繁にしないといけなくて、ランニングウェア、サイクルウェアの他、行き帰りの服も合わせて4着分の着替えが必要だったのである。このうち3着分をリュックサックに詰め込んで、もちろんランニングシューズも詰め込んで輪行して到着した品川から皇居まで自転車で自走した。
9月に入ってしばらくはちょっと秋めいてきた天候だったけど、この日は完全に真夏に逆戻りしてしまい、午前の早い段階でもかなりの灼熱地獄だった。
ランニングのイベントが始まると、この灼熱の下、ランナーたちがヒートアップ。暑い中無理するのは危ないなーと思っていたら不安的中で、何人かのランナーが熱中症だか脱水症状で救急搬送されるようなことになってしまった。やはりこの陽射しの中で全力ランニングするのは自殺行為である。それでこの炎天下でランニングのイベントを続けることはかなり危険であるとのことで、結局イベント自体が中止となってしまった。しゅんすけは中止の段階ではまだ走っていなかったんだけど、この後に控えたサイクリングを考えれば逆に良かったかもしれない。とは言え、さすがに1メートルも走らないで帰るのももったいないので、同僚たちと一緒に軽く皇居を一周してみた。軽く走った割には肉体へのインパクトが強い。これは実際イベントで走った人は大変だったに違いない。
ところで、救急搬送された人たちがずっと心配だったんだけど、今日事務局から報告があったのを見ると大事には至っていないようである。

さて、ランニングが終わったので、次はサイクリングである。
ランニングウェアからサイクルウェアに着替える。自転車にまたがって皇居から246号線を走り、南下して二子玉川を目指した。
246号線を自転車で走ったのは初めてだけど、なかなか起伏のある道である。特に渋谷から三軒茶屋辺りまでは上り坂と下り坂が交互に現れる感じである。うん、さすが谷とつく街だけのことはある。
さきこたち、自転車仲間を待たせる中、1時間程度で二子玉川に到着した。久し振りの自転車仲間によるサイクリングである。
サイクリングコースは以前にも行ったけど、深大寺までの川沿いコースで、シロサギやらアオサギやらカモやらカメやらが泳ぐ川を遡っていく。渋谷からのハードサイクリングと比較してのんびりしたサイクリングになった。前回の時にも見たけど、河を泳ぐヘビや、美しいカワセミなんかを見ることができた。
深大寺で蕎麦を食べて、来た道を戻り、打ち上げをやって解散。うん、打ち上げはとても楽しかったかな。サイクリングの距離としてはちょっと短かったように思う。

自宅に帰って改めて見てみると、陽に焼けにくいしゅんすけの肌がかなり日焼けした状態になっていた。雲に遮られない直射日光の下を走っていればこうなるのも当然か。
ちなみに、サイクリングしている時は「あーランニングしたいなー」とか、ランニングしてる時は「あーサイクリングしたいなー」と思ってしまうものだけど、この日ばかりはどちらも羨ましく思わなかった。うん、そりゃそうか。
| 日記 | 13:57 | comments(0) | -
タイフーン・ナンバー・トゥエルブ。
以前から言ってることだけど、今年の夏はおかしい。
太平洋高気圧がなかなか発達しなくて、8月半ば過ぎにやっと夏の気圧配置っぽくなったかと思ったら、高気圧はすぐに風船のように萎んでしまい、そのスキマに台風がハマりこみ、台風12号は結局日本列島の真南から直上するコースを取ることになった。まさに東南アジア辺りの台風の巣から直接日本を狙い打ちしたような形になった。既に台風は四国・中国地方を通過して日本海に抜けたそうだけど、台風の東側に当たるエリアは物凄い雨量になったそうで、現段階においてさえ既に凄まじい被害がニュースで報じられている。
そんな日曜日、しゅんすけは自宅にいた。
本来ならこの日はMt.FUJIエコサイクリングで、山中湖畔を発して富士五湖を巡り、朝霧高原から南下して富士宮市で東に向かい、御殿場から北上、山中湖へ戻るという120キロのサイクルイベントに出場しているハズだった。しかし今回の台風はまだ上陸していない段階から各地に被害をおよぼしていて、サイクリングコースのいくつかのエリアは土砂災害の警戒地域に指定され、たとえ晴れたとしてもサイクリングするには危険過ぎる状況だということで、主催者より中止の決断がなされたのである。
それは前日土曜日の13時のことだった。
いや、ギリギリの決断だったね。一部の参加者は既に現地に向かっていただろうし、しゅんすけもそろそろ出かけるかなってところに、このイベントに参加する自転車仲間のまゆみさんから連絡があって、中止の事実を知ったのである。いや、しゅんすけはもともと当日が少しでも雨の予報だったら参加しない予定だったんだけどね。一応宿の予約を取ってあった都合で現地には行くにしても、120キロものロングライドの中で豪雨に見舞われるのだけは避けたかった。せっかく先週愛車のこてつ号のチェーンやら何やらを新調したばかりだったからね。
そんなわけで、しゅんすけが個人的に決断するよりも前に主催者側の決断があって、このイベントは中止になった。
それにしても今年は天気の都合でサイクリングが中止になることが多すぎる。しゅんすけが春先に計画した三浦半島のサイクリングも雨で中止だったし、さきこが企画した夏の三島サイクリングも台風で中止、そして今回である。来週も自転車仲間が集まってサイクリングだけど、さすがにこれは晴れて欲しいと思う。
| 日記 | 22:52 | comments(0) | -
9月1日に思う。
いよいよ来月に迫った京都チャレンジに向けて、不安半分・楽しみ半分(・・・いや不安7割って感じかな)なしゅんすけは、最近自宅でパソコンに向かってはグーグルマップを開いて、サイクリングコースの地図を見たり、画面を航空写真に切り替えて道の状況を確認したり、マップに散りばめられるように表示される写真なんかを見たりしている。自宅だけじゃなくて、会社の昼休みなんかでも見ていたりするから、しゅんすけのグーグルマップ閲覧時間は他の人よりもかなり多いんじゃないかと思っている。
そんなある日のことである。
この日はグーグルマップの表示を航空写真に切り替えて、サイクリングコースを見ていた。前にも書いたけど静岡県沼津市以西はしゅんすけにとって自転車での走行経験がないばかりか、自動車でも走った経験がないエリア。静岡のいくつかの河は幹線道路の橋がかかっているんだけど、これって自転車で走れる道なのかとか海岸線ギリギリを通る道はどんな状態なのかなど、不安は尽きないのである。
しかし同時にこうも思ってしまう。10月なんてあっという間にやってくる。京都チャレンジの当日なんてあっという間に到来して、どういうドラマが待っているにせよ、その挑戦は終わりが来るのである。そして今まで通り朝に起床して会社に行く普通の毎日が続くのである、と。そしてこの「普通の毎日」に決定的に不足しているものが「京都チャレンジへのワクワク感」なのである。そりゃそうだ、チャレンジは終わっちゃってるのだから。そう思うとちょっと寂しくなってくる。始まってないのに終わった後のことを考えてしまうしゅんすけの悪いクセだけど、楽しみに思えば思うほど、終わった時の寂しさは大きいものである。
そうであれば、この段階で早くも次のチャレンジを考えていればいいのだ。去年辺りに、自転車で京都を目指そうとオボロげに思い始めたあの頃のように、淡くも新しいワクワク感を持っていればいいのだ。そう考えて、しゅんすけはそれまで見ていたグーグルマップを縮小図に切り替えて、大きな日本地図に変えてみた。
次はどこを目指そうか。東海道をやったから、甲州街道か、奥の細道か。自転車で東京から日本海まで行ってみるのもいいね。いっそ北海道?いやいや京都から発してさらに西走するのも捨てがたい・・・などと、地図上を右往左往させていた時である。
東北の辺りで地図を拡大してみた。何気なく海岸線を走る道に向けて拡大してみたのだ。
そこに予想外の景色が現れたのだ。
起伏に富んだ海岸線の中、海に面した街がある辺りは一面黄土色なのである。それまで他の場所で見てきたような街を上空から見た風景はそこにはなくて、まるでそこだけが突然砂漠になってしまったかのような、それでいて起伏した山には緑が生い茂ってるというかなり異様な画像なのである。

もちろんすぐに分かった。
この辺りは東日本大震災の際に津波に襲われた地域である。さすがグーグル、この一帯は既に新しい航空写真に差し替えていたか。しかもたいていは都市部以外では極拡大できないにもかかわらず、この辺りは最大拡大に対応していて、黄土色の大地に瓦礫が積み上げられていたり、自動車が集積されていたりするのがよく分かるようになっていた。マウスを操作して画面を海岸線に沿って移動してみる。黄土色のエリアは海岸線に沿ってずっと続いていた。これが行けども行けども終わらない。どれほど進んでも終わりがないほどに広いエリアが津波に飲まれたことを改めて知る。東北地方には疎いしゅんすけだから、東北の海岸線がこれほど長大なエリアだということにも、そのほとんどが津波の被害を受けていたということにも驚かされた。テレビや新聞では伝わってこない震災の爪痕の生々しい記録がそこにあった。
3月11日以来、震災については常に念頭にあったし、被害に遭われた方々へ思いを至らせることも多かったと思っていたし、テレビや新聞が伝える情報はその被害のごく一部でしかないことも分かっていたつもりだった。しかしこうして航空写真を見るとその被害の甚大さに思いが改まる。しゅんすけは何も知らないと思ってたけど、それ以上にホントに何も知らなかったのだ。
しかもこの画像は世界中の人が見ることができるものである。原発事故を含め世界的にも大きな関心のある災害だから、世界中からアクセスされ、この画像は世界中で見られているハズである。そう思うと、非常に恥ずかしくなった。世界各地からアクセスしている人と同じで、しゅんすけもどこか異国の地で起きた自然災害を見ている一人に過ぎないんじゃないか。そう思うと非常に恥ずかしくなった。認識が全然甘ちゃんだたのだ。何かアクションを起こさないといけないと思うのにどう踏み込んでいいのか分からないことが歯がゆかった。毎日のようにグーグルマップを見ているにもかかわらず、被災地の様子を見てみようとも思わなかった自分が非常に恥ずかしい。
それでも少しだけ認識が改まった。言い方が陳腐だけど、やはり実際にこの目で被災地を見ないとダメなんだ。しゅんすけができることはとても小さいけど、被災状況を実際に目にすることが重要なんだと改めて思った。
会社の関係でも被災地ボランティアの募集を始めるそうだし、ちょっと考えてみようかと思う宵なのだった。
| 日記 | 12:31 | comments(0) | -
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