2011.10.23 Sunday
重いアルバム。
京都チャレンジのことばかりで恐縮だけど、昨日は撮影した写真を現像することにした。
最近街中にあるケータイやデジカメの写真を自身でプリントするサービス。メディアを直接機械に差し込んで読み込んで写真を選択するだけで、いわゆる紙焼きの写真がプリントアウトされるなんて、便利になったものだ。写真屋さんに現像に出して2、3日待つなんて、前世紀的というか昭和的な牧歌的な匂いがするもんな。
ところで今回の京都チャレンジで撮影した写真の枚数は、実はパソコンにバックアップする際には数えていなくて、今回現像用のプリンタにメディアを挿入して分かったんだけど、実に498枚に及ぶ。いやスゴい。もちろん同じアングルで撮影したり、失敗したものもあるから全て現像するわけじゃないけど、この中から取捨選択して果たして何枚になるか。
それで実際に機械の前で写真を選択してみると、234枚ほどになってしまった。いや実際はプリントした後にふと思い立って数枚の追加プリントをしたから240枚ほどにはなっただろう。金額にして7千円以上。まあこれほどの冒険はこれから先は二度とないだろうことを考えると、それだけ出費する価値はあるかな。
しかもプリントした写真はアルバムに収納するわけで、このアルバムを買うのに3千円ほどかかっちゃった。
つまり京都チャレンジの写真を現像して保存するだけで1万円ものお金がかかっちゃったことになる。たしかにそれだけの価値のある冒険をしたと思うけど、あまり写真を現像しないしゅんすけにはこの金額はちょっと驚きだったな。
それにしても、写真を現像するというのはやはりいいものだ。
現像した実体としての写真を見ると、同じ画像をパソコンの画面で見ている時と違って、撮影した時の雰囲気が浮かび上がってくる。ファインダーには収まり切らなかった風景の広がりみたいのが、写真を見ていると感じられる。たとえば三保の松原で撮った海岸から見る風景はうっすら浮かぶ富士山を中心に右手に海が広がり、左手に清水の街が広がってるんだけど、写真ではその風景はほんの少ししか写っていない。しかし写真で見ると記憶からの補正が入るのか、180度くらい広がった風景が感じられるのだ。波の音や吹き抜ける風もそうである。またニンゲンの視覚の特性で、物凄く小さく写っているものでも、瞬時にフォーカスすることができる。大きさにして数ミリ程度のものだけど、富士山が写ってるだけで、印象ががらっと変わったりするのだ。やはり写真はちゃんと現像した方がいいと思う。
現像した写真は台紙に差し込んで専用のバインダーでまとめた。せっかくなので写真の説明文なんかも入れてたら、この作業だけで夜遅くなってしまったけど、しゅんすけにとってはまさに京都チャレンジを追体験するような貴重な作業だった。終わったらヘトヘトになっちゃったよ。完成したばかりのアルバムを見たさきこも、しゅんすけが言葉では語り尽くせなかった京都チャレンジの細部(の一部)を知ることができたと思う。あとは写真でも語れない部分を文章で記していくのみである。この作業も結構大変そうだなあ。
そんなわけで、いずれにしてもアルバムは完成である。
時価1万円の費用をかけた、プライスレスの写真を詰め込んだアルバムである。いろんな意味で重いアルバムである。
最近街中にあるケータイやデジカメの写真を自身でプリントするサービス。メディアを直接機械に差し込んで読み込んで写真を選択するだけで、いわゆる紙焼きの写真がプリントアウトされるなんて、便利になったものだ。写真屋さんに現像に出して2、3日待つなんて、前世紀的というか昭和的な牧歌的な匂いがするもんな。
ところで今回の京都チャレンジで撮影した写真の枚数は、実はパソコンにバックアップする際には数えていなくて、今回現像用のプリンタにメディアを挿入して分かったんだけど、実に498枚に及ぶ。いやスゴい。もちろん同じアングルで撮影したり、失敗したものもあるから全て現像するわけじゃないけど、この中から取捨選択して果たして何枚になるか。
それで実際に機械の前で写真を選択してみると、234枚ほどになってしまった。いや実際はプリントした後にふと思い立って数枚の追加プリントをしたから240枚ほどにはなっただろう。金額にして7千円以上。まあこれほどの冒険はこれから先は二度とないだろうことを考えると、それだけ出費する価値はあるかな。
しかもプリントした写真はアルバムに収納するわけで、このアルバムを買うのに3千円ほどかかっちゃった。
つまり京都チャレンジの写真を現像して保存するだけで1万円ものお金がかかっちゃったことになる。たしかにそれだけの価値のある冒険をしたと思うけど、あまり写真を現像しないしゅんすけにはこの金額はちょっと驚きだったな。
それにしても、写真を現像するというのはやはりいいものだ。
現像した実体としての写真を見ると、同じ画像をパソコンの画面で見ている時と違って、撮影した時の雰囲気が浮かび上がってくる。ファインダーには収まり切らなかった風景の広がりみたいのが、写真を見ていると感じられる。たとえば三保の松原で撮った海岸から見る風景はうっすら浮かぶ富士山を中心に右手に海が広がり、左手に清水の街が広がってるんだけど、写真ではその風景はほんの少ししか写っていない。しかし写真で見ると記憶からの補正が入るのか、180度くらい広がった風景が感じられるのだ。波の音や吹き抜ける風もそうである。またニンゲンの視覚の特性で、物凄く小さく写っているものでも、瞬時にフォーカスすることができる。大きさにして数ミリ程度のものだけど、富士山が写ってるだけで、印象ががらっと変わったりするのだ。やはり写真はちゃんと現像した方がいいと思う。
現像した写真は台紙に差し込んで専用のバインダーでまとめた。せっかくなので写真の説明文なんかも入れてたら、この作業だけで夜遅くなってしまったけど、しゅんすけにとってはまさに京都チャレンジを追体験するような貴重な作業だった。終わったらヘトヘトになっちゃったよ。完成したばかりのアルバムを見たさきこも、しゅんすけが言葉では語り尽くせなかった京都チャレンジの細部(の一部)を知ることができたと思う。あとは写真でも語れない部分を文章で記していくのみである。この作業も結構大変そうだなあ。
そんなわけで、いずれにしてもアルバムは完成である。
時価1万円の費用をかけた、プライスレスの写真を詰め込んだアルバムである。いろんな意味で重いアルバムである。