今年も恒例の回顧録である。
今年は言うまでもなく大きなデキゴトがあって、楽しい時も嬉しい時もいつも心の中にずっしりとした重しを感じていた。こんな年は今までになかったことである。
まずはこの話しから始めるべきだろう。
■東日本大震災
今年は何を置いてもまずこれが大事件だった。「今年の事件」と言うよりも日本における「歴史的大事件」だったと言っていい。大きな震災が東北の広域にわたって発生したということに留まらず、千年に一度と言われるほど巨大な津波が発生したこと、そして原子力発電所の事故。そのどれもが日本を襲う災害の中ではトップクラスだった。あ、原発事故は天災でなく人災だけど。
原発事故は、今まで幾多の震災を乗り越えてきた地震国・日本において、その復興をこれほどまで遅らせている大きな要因なのである。長年にわたってその危険性が叫ばれてきたにもかかわらず、これを徹底的に無視してきたツケを一気に払わされた結果である。悪いのは、長期的なリスク管理の視点が甘いお役人とか政治家だけでなく、何となく危険だと思いながらも原子力発電による恩恵を享受するだけだった日本人みんなもそうなのである。後出しジャンケンのように今さら原発反対を叫ぶしゅんすけを含む人たちも、同罪なのである。
しゅんすけはたしか高校生の頃に高速増殖炉もんじゅが建設されるとかされないとかの議論がある中、ある雑誌から原子力発電所の危険やさらに危険な核廃棄物を再利用について知るようになってから、ずっと原子力発電反対の立場だった。日本は地震が多いというリスク云々よりも、放射能が半減するのに何万年もかかるような物質を厳重に管理することなんて絶対に無理だと思っていたからだ。日本の歴史がたかだか二千年程度だというのは歴史の教科書に書いてある事実だし、何万年ものタイムスケールで地殻変動が起こり地面が隆起したり陥没したりして地形が変わってきたことも理科の教科書に書いてあることなわけで、二千年くらいしか歴史を刻んでこなかったニンゲンが何万年も安全管理を継続できるわけがないのである。管理すべき物体が放射性物質であればなおさらである。勝てる確率の低い賭けに全財産を賭けるようなものである。いやまさに人類の存亡を賭けた賭けである。高校生だったしゅんすけは、どうしてこんな単純な構造が見えないんだろうと強く疑問に思ったものだ。
そして実際に事故は起こってしまったのだ。
その後の事故対応は、国民の命、財産を最優先にするべき国家機関、公共企業とは思えないアホっぷりで呆れて果てて語るに堪えないのだけど、いずれにしても問題の根幹は事故が起こる云々以前にあるというのは確かである。
しかも、こういう大災害が現実に発生してしまったにもかかわらず、国民の中に原発反対の機運が起こるのを邪魔しようとする勢力がいるのである。それは新聞、テレビなどのマスコミであったり、ネットの中で詭弁を弄する輩たちでもある。例えば「原発反対」とか言うと、「原発が反対なら原発の恩恵を受けるのはおかしい」とか「電気使うのやめろ」とかいう人である。そして低レベルなケンカに発展してしまう。同じ国民として発展的な議論になることはまずない。いやアタマのいい人はたくさんいるんだけど、そういう議論が国を動かすことはまずないのだ。嫌な国だよね。
このことを語るにはしゅんすけの文章力があまりにも不足しているし、回顧録として脱線著しいのでやめておくけど、少なくとも来年も依然としてこの原発事故は予断を許さない状況が続くのである。いや、しゅんすけがこうして回顧録を書き続ける間は続くんだろうな、哀しいことだけど。チェルノブイリ原発が事故を起こしたのは、しゅんすけとさきこが交際を開始する1年半前のことだけど、彼の地では未だ放射能汚染で苦しめられる人が多いと聞いている。
だから、震災そのものを恐ろしく思う。
今回は海に面した広範囲の地域が地震によって発生した津波のせいで非常に甚大な被害を被った。ホームビデオや携帯電話などの普及により、その場で起こっていることがネットなどに出るようになり、震災の生々しい惨状をたくさん見ることになった。いや数百キロも離れた安全な場所で「生々しい」とか言っても空々しいだけで、実際の被災地は言語に尽くせない状況だったんだと思う。しゅんすけもこの歳まで生きてきて様々な自然災害のニュースに触れることがあったけど、その度に語るべき言葉を失ってしまう思いだった。今回の震災はそのレベルを遥かに超えていた。自然の前では本当にニンゲンなんて無力なんだと改めて強烈に再認識させられるデキゴトだった。震災によって亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りし、また今もなお過酷な生活を強いられている被災された方々にもお見舞い申し上げる次第である。
東京でもかなりの揺れを感じた運命の「3.11」の日、刻々と伝えられる現地の状況と、度々東京でも感じる余震に、都内は大きく混乱した。幸い電気・電話・ガスなどのライフラインが止まらなかったので、会社業務としてはまったく影響がなかったんだけど、交通機関はとにかく混乱した。当時のブログにも書いたとおり、3月11日には帰宅することができず、会社で夜を明かし、その後所々復旧した電車を乗り継いで何とか品川駅に到着した時には、その激烈な混乱ぶりに「これは大変なことが始まった」と思ったものである。この時既に今回の事象が瞬間的なものではなく、かなり長い時間継続するものだということを直感的に悟っていた。それまでの生活が一変してしまうようなまさに驚天動地の大事件である。
しかしこうして9ヶ月が過ぎてみると、東京で生活する分にはその影響はほとんど感じられることがない。3.11後の週末の間に交通機関はほとんど復旧したし、原発事故もいろいろ各方面で問題視され不安は高まっているけど、目に見える形で生活に変化があったようには見えない。春先の計画停電や節電のムーブメントやイベントの自粛ムードはそれなりの影響と言えるけど、その程度に留まっているのが不思議である。もっと大変なことになると思っていたからね。特に今冬の東京は、強い節電要請もなく、震災前と変わらない生活と言っていいほどである。東京で生活する限り、震災は遠くの世界で起こった過去のデキゴトのようになってしまった。放射能を含んだチリが飛び交ってるかもしれないのに、街を歩く人は平気な顔をしているしね。まあ、そういう風に情報操作する人もいるんだろうとは言え、しゅんすけ自身は不安に思いつつも行動が変わったということはない。これについては、常々なんだかなーと思うものである。
ところで、今回の震災では改めて日本人の「民族としてのしなやかさ」みたいなものを感じるようになった。未曾有の大災害が起こってもパニックにならず治安が安定していたことは世界各国に驚きとともに賞賛されたことは有名な話しである。たしかにテレビなんかでは、外国なんかで自然災害に乗じて店に押し入って略奪するような映像を見ることがあったから、そういう国の人から見れば、これほど大規模な自然災害があっても礼儀を失わなかった日本人は驚きだったんだと思う。トルコで最近発生した地震では、日本人の礼儀正しさを見習おうという動きがあったようで、これは純粋に日本人として誇らしいことである。
しゅんすけもこれらの日本人の行動は素晴らしいと思うし、誇らしいと思う。もっと日本人は日本人のことを好きになって誇りに思うべきだと思う。しかし日本人が「民族」を語ることを歴史的教訓としてタブー視する人たちも少なからずいるわけで、しかもそういう人たちはいろんなところでそれなりに権限を持っていたりするらしくこの辺のお話しはあまり露出がされない傾向がある。あるいは非常に表面的な考察だけで終わってしまうことも多かったりする。考察を深めるほど、日本人の民族としての特異性が見えてきて、それがいいことも悪いことも含めて理解が進み、広く共有されることで、「国」として新しい世界が見えてくるんだとしゅんすけは思うだけに、今回の震災で浮き彫りになった日本人の民族的考察をもっと深めて欲しかったなと思うのである。もちろん、しゅんすけもこの震災を機に、それまで温めていた考えが論理的に充実した面もあるから、同じように考えるたくさんの人たちが声をあげていけばいいのになとも思うし、しゅんすけ自身、そういう考えを今後は意識して表に出していくべきだと考えている。
※先日さきこが日本人について書かれた本を読んだそうだけど、その感想を聞くにしゅんすけと同じような考えを持っている人は日本中にたくさんいるんだなーと改めて感じ入る。反面、民族としての表面的な特異性を語るに留まらず、その歴史的、地理的、気候的根拠をもっと明らかにしていけば、日本人が日本列島という稀有な地理的条件の中で純粋培養された特殊な民族であることが理解されると思う。これをどこかの民族と比較して優位だとか優秀だとか言うつもりはなく、逆にガラパゴス的進化の袋小路とも言えなくもないんだけど、こういう民族を考察していくことが、民族間紛争を続けてきたニンゲンに対して何らかの答えを提示するんじゃないかとも思うのである。
それにしても、今回の震災が起こる前は、いつか大震災が来るだろうと思っていたとは言え、今日ではないだろう、今ではないだろうという思いがどこかにあった。しかし震災後はその辺の意識にちょっと変化があったと思う。本当にいつ起こってもおかしくない、それが今かも知れない、と。いや、単なる一過性な危機意識なのかもしれないけど、たとえば通勤電車の中で、ランチタイムのコーヒー屋で、酔っ払って前後不覚になった時や近くの夜コンビニに行くのにうっかり薄着で出てきてしまた時なども、「今まさに大地震が起こるかもしれない」という思いがアタマをよぎるようになった。またそういう意識の変化とともに、自分が自然災害で死ぬかもしれないことに現実味を感じるようになった。今こうしてランチタイムにコーヒーなぞ飲んでいるけど、今ここで地震が起これば、建物が崩壊して、自分はガレキに埋まってしまい、そのまま圧死してしまうのだろう、と。そういう時ってきっとその状況から脱するために気持ちがいっぱいいっぱいになって、足の1本くらい潰れててもきっと痛さなんか感じないんだろうな。いやもっと致命的にどうにかなっちゃってても、ニンゲンってのはある程度の痛さ以上は感じなくて、その前に死んでしまうんだろうな。自然災害を前にしてはどんなに偉い人でも、どんなに鍛えた人でも無力であり、それは歴史的に鳥瞰すれば、地球誕生以来ずっと続いてきたことなんだからね。土の中から発見される恐竜の化石を思えばね。そう思うにつけ、何万年も未来にしゅんすけの化石が地中から発見されるかもしれないね。
■去年からの申し送り
さてここからは例年のとおりのテイストで進めていく。
去年からの申し送りとして一番大きなものは、京都チャレンジのことだろう。京都チャレンジについては別に書くけど、とにかくもしゅんすけ自身の大きなデキゴトでは筆頭である。東京・日本橋から自転車に乗り、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀を超えて無事京都・三条大橋に到着することができた。京都に行くのに、今までは新幹線でビューッだったけど、自分の足で踏破してちゃんと陸続きだったことを確認したことは、理屈で考えると当たり前のことだけど、そういう実感を得たことは人生の中で大きいと思う。おかげで日本という国の形が少しだけ分かってきたような気がした。
ランニングについては、フルマラソンで4時間40分以内、ハーフマラソンで2時間以内、10キロランニングで50分以内のタイムを出すことを目標にしていた。フルマラソンとハーフマラソンの方は新年明けて1月の湘南国際マラソン(4時間32分)とフロストバイト(1時間55分)で早々に達成してしまったのだけど、10キロランニングはそういうイベントに参加しなかったこともあって、まだ達成に至っていない。それだけは来年に向けてペンディング事項になってしまった。
毎年こうして回顧録を書いているけど、来年の自分に向けて思いを託すのはちょっと緊張感があっていいかもしれない。特に今年はいろいろ挑戦するものがあったので、そのおかげで緊張感のあった1年だったと思う。
■サイクリングについて
今年は京都チャレンジがあったので、サイクリングについて振り返るとまずはコレが一番なのだけど、認識の上で京都チャレンジが筆頭になってしまうのは、実は京都チャレンジ以外にサイクリングしたことが比較的少なかったことも影響していると思う。春にはサイクリング仲間で三浦半島をサイクリングするのが通例だったけど、雨のために中止になったし、夏にはさきこが企画して伊豆・沼津のサイクリングを企画したんだけど、台風のために中止になった。サイクリング仲間では、ゴールデンウィークの知多・渥美半島サイクリングと夏の多摩川深大寺ツアーだけとなってしまったのだ。しゅんすけは京都チャレンジがあったので、サイクリングについては満腹感はあるのだけど、さきこやサイクリング仲間、特にこの仲間でサイクリングすることを目的に自転車購入に踏み切った人にはちょっと申し訳ない気持ちもあったりする。そうそう、さきこと言えば、秋に静岡沼津であった新東名高速サイクルイベントで、自転車人生初めてのパンクに見舞われて、イベント会場まで来たにもかかわらずイベント不参加となってしまったことがあった。「メンテナンスは抜かりなく」を心得にしていたのに、まさにメンテナンスが原因でイベントを棒に振ることになってしまったわけである。
メンテナンスと言えば、しゅんすけも偉そうなことは言えなくて、ゴールデンウィークの知多・渥美半島サイクリングでは、スタートして間もない名古屋市内でしゅんすけの自転車のサドル部分に不具合が生じてしまい、これを修理するために自転車仲間と一緒に走れなくなってしまったし、その後遅れを取り戻すために懸命に走っていたら小石がタイヤに刺さってパンクしてしまうというトラブルもあった。いや散々である。幸い予備タイヤを持っていたので、サイクリング自体は続行できたけど、自転車はメンテナンスがサイクリングそのものを左右する大きな要素になり得ることを改めて思い知ったのだった。ちなみに名古屋から知多半島を南下し、船で渥美半島に渡り豊橋まで北上するというサイクリングコースは仲間うちで楽しくサイクリングするにはちょっと距離があり過ぎるようで、しゅんすけのトラブルで時間を浪費してしまったこともあって身体的に負荷の高いサイクリングになってしまった。楽しく走るためには1日の走行距離は40キロ程度にした方がいいかもしれないね。
そういう意味で距離的にちょうど良かったのが9月の多摩川深大寺サイクリングだった。実はしゅんすけは朝から会社の関係で皇居の駅伝大会に参加していて、残暑厳しい中5キロのランニングをした後、皇居を出て国道246号線から渋谷を抜け多摩川で自転車仲間と合流したのは、適度にキツくて楽しいサイクリングだった。
さて京都チャレンジについて、である。実際の旅の内容については、現在執筆中の記事をブログだかウェブサイトにアップする予定なんだけど(はてさてこの記事が一体いつ書き上がるものか)、ここでは京都チャレンジ後の生活について書きたいと思う。連日100キロ近いサイクリングをするので、ダイエットの好機だと思っていたんだけど、身体的な変化は残念ながらまったくなかったばかりか、連日の運動により身体が筋肉を増幅するように働いてしまい、しかしその後まったく運動しなかったものだから、筋肉を作る身体の働きは脂肪をどんどん溜め込む方向に作用しちゃったようで、結局体重が大幅に増える結果になってしまった。ちゃんと食事のコントロールをしないといけないなーと思う。また意識面の変化としては、前述したけど日本が小さくなったように感じられたことである。日本列島の一部でしかないとは言え、東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀、京都を自分の足だけで駆け抜けたわけだから、いわゆる「土地勘」に近い認識がしゅんすけに芽生えているようである。この年齢にして世界観を広げることになったことは、しゅんすけの人生にとっては結構重要なことかもしれない。
そしてポスト・京都チャレンジのことをつい考えてしまう。今回はたまたま会社から与えられた5日の休暇を利用したわけだけど、別に個人的に5日を休んじゃいけないわけじゃないので、できればいつかまたチャレンジをしたいと思っている。それが日本海まで到達するものなのか、いっそ九州まで行ってしまうものなのか、はたまた北上して未踏の東北エリアを見てくるのかは分からないけどね。それにしてもこういう冒険的な発想ができるようになったのは、ランニングを始めたからに他ならない。かつて5キロを走るだけで精一杯だったしゅんすけが、今やフルマラソンを走り切れるようになり、その身体的変化と同時に精神的にも大きく変化したのだ。ニンゲンの身体的可能性は想像以上、まさに不可能はないのである。だから次の挑戦はきっと今では想像もできないほど大きなものになると思う。それが今から楽しみである。
■ランニングのこと。
昨年からの申し送りにも書いたけど、ランニングについてはそれなりに記録を達成できた年であった。既になんちゃってランナーの域を出ちゃっている以上、不精してその域に戻っちゃわないようにして、これからはよりいい記録を目指すように練習やダイエットを本気で(いやいつも本気だけど)進めていかなければならないだろう。
前述した湘南国際マラソン、フロストバイト以外で特筆すべきことを書いておくと、まず親会社が企画した駅伝大会に参加したことである。今年の3月に初めて参加させていただき、これがかなり楽しかったので、社内でさらに参加者をかき集めて再び臨んだ9月の駅伝大会。いやもうこれが大変で、猛烈な地獄的残暑の都心、熱風吹き荒れる皇居でフルパワーで走ったランナーが続々と倒れ、救急車を呼ぶほどの事態になって途中で中止になってしまったのだ。しゅんすけにタスキが渡る前にそういう事態になってしまったので、しゅんすけは炎天下を走らずに済んだんだけど、いやあれは伝説級に無茶な大会だった。しゅんすけも社内ではこういう企画を実施する部署にいるので、これはいい教訓になったなーと思う。
ちなみにこのイベントの後にしゅんすけは自転車仲間とサイクリングすべく、炎天下の246号線を南下して多摩川までかっ飛ばしたんだけど、これもなかなかキツかったわー。楽しかったけど。
2月に参加した青梅マラソンでは、イベントとして初めての30キロランニングだったこともあってか、記録としては全然振るわなかった。膝の痛みが無視できなくなってきたのもこの頃からである。3月の三浦マラソンでも8キロ付近から膝痛に襲われた。膝痛を解消するには「スクワットをして膝周りの筋肉を増強するといい」という話しを偶然ラジオで話しているのを聞いて、数週間前から毎日100回のスクワットをして大会に臨んだ西湖ロードレースは、オソロシイことに膝痛がまったくないランニングになった。数カ月ぶりにランニングに集中することができた。スクワット恐るべし、と思ったね。
そうして夏を過ぎ、11月に久し振りのランニングイベント、横浜マラソンに参加した。
この大会は制限時間の短いことで有名で、ハーフマラソンでは1時間57分以内にフィニッシュしないと失格になってしまうという冷徹な掟がある。しゅんすけが冬のフロストバイトで達成した記録が1時間55分で、つまりこの大会で失格しないギリギリのラインだったから、かなり緊張感のあるランニングを経験した。結果的にはネットタイムで1時間56分を記録し、とりあえず無事走り切ることができたわけだけど、このランニングで初めて自分のランニングを客観的にマネジメントしたように思う。どこを走っていても1キロ当たり5分30秒になるように集中力を切らさなかった。ほとんど練習してなかったにもかかわらず、これほどの記録が出せたのはこの緊張感、自分へのマネジメントのおかげだと思っている。こういうマインドは次にも活かしていきたいね。
それにしても今年はランニングイベントが少なすぎた感じである。
神奈川マラソン、横浜ロードレース、山中湖ロードレース、河口湖マラソン、湘南国際マラソン(秋)が不参加で終わってしまった。そして今年も東京マラソンは走れなかったし来年の抽選にもハズれてしまった。東京マラソンは別にしても、参加イベントが少なかったのは年間を通したイベント参加計画をちゃんと作らなかったからだと思う。一昨年はサイクルイベントも含めてかなり綿密な計画があったので、イベントにはちゃんと参加できたし、申し込み忘れの不安もなかった。来年は早々にこういう計画を立てるべきだろうな。
来年に向けてもうひとつ。しゅんすけがフルマラソンに初挑戦してから3年が経つということで、何か記念になるようなイベントに参加できたらいいなとも思っている。さて来年のランニングはどうなるか。
■絵なぞのこと。
今年はかなり極端だった。年の初めから6月くらいにかけては毎月のように絵なぞが描けた。以前から毎月のように右脳が回ってくれたらいいなと思っていただけにちょっとウレシかったのだけど、7月以降はまったく回転してくれなくなって非常に苦しかった。たまに描けそうな感じがして、それを頑張って意識を高めてラフから下絵、着彩にこぎ着けるんだけど、どれもその途中で回復できないミスが見つかったりしてモチベーションが急速に萎んでしまい、結局断念することになる。そんなことが何回か続いて、しゅんすけのデスクには描きかけの絵なぞが溜まってしまい、もしかしてこのままずっと絵なぞが描けないままなのではとちょっと心配になった。
その原因はたぶん、お絵描き専門のSNSが関係していると思う。
このSNSは自分のページに描き上げた絵なぞを投稿すると、興味がある人から閲覧されたり評価されたりする。この評価が結構ウレシくて、なるべく評価がもらえそうな絵なぞを描こうと奮起する反面、思いのほか評価が上がらなかったりすると寂しくなったりもするのだ。このSNSに参加することで最近どうも絵なぞを描くという行為の中に、「SNSで評価されたい」という欲求が現れたみたいなのである。これは危険な兆候である。
よく言われることだけど、絵なぞを描く目的が「自分のため」ではなく「誰かに評価されるため」にすり替わってしまうのは、音楽なんかでも同じで、往々にして自分を見失うことになる。そして描く行為自体が非常に辛いものになっていくのだ。しゅんすけが趣味としてずっと楽しくお絵描きを続けていくには、自分を見失ってはいけないのである。逆に言えばしゅんすけが下手っぴながらもこの歳になるまで飽きもせず描き続けられたのは、あくまで自分のために描いていたからかもしれない。
そういうわけで、しゅんすけが来年も引き続き絵なぞを描いていられるかは、SNSとどう付き合っていくかにかかっているんだと思う。それって結構シビアな分水嶺なのかもしれないね。だってやっぱ人の評価って気になるからね。
ちなみに12月に入って、ちょっと右脳が回転してくれて、何とか1枚描き上げることができた。まだ終わっていなかったことにちょっと安堵するも、SNSにアップしたらその動向がやはり気になってきちゃった。まだまだ人間ができてないなぁ。
■本のこと。
いやイカン、マジで本を読まなくなってしまった。
手元にiPhoneがあるので、浅い知識なら画面をツツィっとつつけば手に入ってしまう簡単さがしゅんすけの知識欲すら奪っていく感じである。
それでもいくつかの小説は読んだし、民族としての日本人をフォーカスしたような本にも手を出した。震災以降ある意味ブームになりつつあった日本の伝統に対する探求にちょっとだけ触れてみたりした。そのおかげでしゅんすけが以前から温めてきた日本人観のようなものが補強されたり方向転換したりして、その意味では非常に有意義だった。できればこの考えをちゃんとした形で論じておきたいなと思っている。どういう媒体でそういうことができるのか全然分からないけどね。
■さきこのこと。
あまり詳しくは書かないけど、さきこはプライベートなことに加えて会社でもちょっと大変な感じだった。連日深夜まで残業して、いろいろなプレッシャーと戦っているようだった。しゅんすけは陰ながら応援することしかできなくて、いや、ビジネスマンたるもの、一度や二度はそういうシュラバンバな時期があるものだけど、それでも無理して頑張っている姿が痛々しく非常に心配だった。彼女の持ち前の根性としなやかな思考で乗り切ったようだけど、こういう局面が度々やってくるような会社って果たしてどうなのよ?って実際思ってしまいつつ、さきこの来年に大きな飛躍と幸あらんことを今も陰ながら応援するのである。
■来年に向けて。
それにしてもしゅんすけは東京マラソンに当選しない。来年開催の抽選結果は、京都チャレンジで京都に到着したその日にメールで受け取り、人生最大のその挑戦を達成した高揚感に任せてさくっとメールを開いたらさくっと落選していた。東京マラソン参加への道は相変わらず厳しいのである。しかしフルマラソン完走を目標にしていた一昨年、記録を狙った去年とそれなりに達成してきている中、これ以上の高みを目指すモチベーションの維持が目下の問題である。次の東京マラソンにめでたく当選したとしても、今のモチベーションを維持できているかちょっと心配である。それはランニングそのものの目標の喪失という問題とも言える。しゅんすけがこのままダイエットできない限り、ランニングにおいて次の目標は見えにくいのである。そうなれば、もはや目標はランニングではなくダイエットというしゅんすけにとっては古びれた目標に立ち戻ることになる。
ランニングにおけるパフォーマンスがある程度高まっているこの段階で、何とか東京マラソンを走っておきたい。これと同等の高揚感を得られる大会は、もうホノルルマラソンくらいしか残ってないだろう・・・あ、ホノルルマラソンに出たくなっちゃったな。来年も東京マラソンがハズれるようなことがあったら、ホノルルマラソンに出てみるか。うん、ちょっと考えてみよう。
いずれにしても、次なるマラソンでは4時間20分で走り切りたいところである。東京マラソンがダメでもホノルルマラソンなら相手にとって不足なし、である。うん、モチベーション上がってきたわ。
ところで、さきこが去年ウルトラマラソンに参加した宮古島にサイクリングに行くという話しもあったな。航空機に関するサスペンス小説なんかを読んでいた関係で、ぜひ宮古島とそれに隣接する某島には行ってみたいと思っていたんだけど、今年はこれが叶わなかった。その点では、ホノルルマラソンの対抗として宮古島サイクリングもぜひ検討したいと思っている。
さきこのプライベートにおいては、いろいろとネガティブなことが起こった年だけに、来年はぜひ笑顔がたくさん残せるような1年にしたいと思う。
いよいよ年が暮れようとしている。社会情勢の今後もあまり明るい感じはしないけど、少なくともしゅんすけ個人のレベルでは明るく楽しく健康でいたいと思っている。
来年も良いことがたくさんありますように・・・。