「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
買い物のカモ。
セールスマンって怖い。ふと立ち寄った程度のお客を捕まえて、しつこいと思わせることなく、いつの間にか商品を買わせてしまう。気がつけば、大きな包を抱え、財布はしっかり軽くなってる自分がそこにいる。いやホント、恐ろしいわ。
この前の週末、しゅんすけとさきこは東戸塚にいた。ここに本店を構える某店に商品の引取りに行ったんだけど、その前にふと思い立ってメガネ屋に立ち寄ることにした。しゅんすけのメガネは購入して2年弱、そろそろ汚れが目立ってきた感じで、店頭に置いてあるメガネ洗浄機、超音波的振動が起こってメガネの汚れを取る機械でメガネを洗浄していると、そばに店員さんが立っていた。そして次に気がつくと、この店員さんに誘われて店内の椅子に座っていたのだ。どういう会話が交わされてこういう状況になったのか分からないけど、店員さんがメガネのメンテナンスをしてくれることになったらしい。メンテナンス自体は無料だそうで、そこに釣られて入店したのだろう。しかし、さらにそこからどういう会話が交わされたのか、次に気がつくといつの間にかさきこのためのサングラスを選んでいたのだ。
さきこは日光の光に弱くて、晴れた日はいつも眩しそうにしているんだけど、それがどうも目に悪いんだそうで、せっかくだからさきこに似合うサングラスがあるかどうかだけでも見てみようということになったみたい。店員さんに薦められるままにサングラスを試着していると、だんだん欲しくなってきてしまう。店員さんは「最近のモデルなんですよー」なんて言って高価なサングラスを次々と出してくるから、だんだん感覚が麻痺してくるのかね、いつの間にか購入する方向に意識が傾いてしまっていた。いや、セールスマン、恐ろしい。
しゅんすけの会社ではメガネを買った費用にも補助金が出たりするので、つまりここで高価なサングラスを買っても費用負担は多少軽くなるので、それを思うと俄然購入側に意識が傾いてしまい、結局購入することになってしまった。思えば、メガネの汚れを落とすためだけに立ち寄った店なのに、店を出る時には結局買い物をしてしまっていたわけである。しかもこの買物にそれなりに満足しているのである。いや、いい買い物したなーと。買うつもりのない客に買い物をさせて、それで客に損したと思わせないというのは、まさにセールスマンの真骨頂であろう。出費してしまったことにちょっとだけ心が傷んだものの、いい買い物したのであればそれはそれでいっかーってな感じである。うん、やはりセールスマンは恐ろしい。
その後に某店に商品を引き取りに行ったのだけど、そう言えばこれを購入する時もセールストークにやられてしまっていたのだった。当初は1つしか買うつもりがなかったところ、まるでしゅんすけの「つもり」を察知していたかのように「今ならもう一つを1000円で提供しますよ」なんて言われてしまったのだ。2つ目が1000円なんてそりゃ安いと思ったけど、そもそも1つ目となるその対象商品は他と比べて単価が高くて、1つで2つ分ほどの金額なもんだから、2つ買わないと損しちゃうものなのである。これは逆に2つ買わないと損である。
でもセールスマンの恐ろしいところは、しゅんすけが考え直して「じゃ、1つの単価がもっと安いヤツにするわ」
ってなる前に、2つめの商品を出してきて「どうでしょうか?」って聞いてくるところである。この時点で1つ目の商品は決定ってことで、しゅんすけに考え直すスキを与えない。しかししゅんすけは単純だから、差し出された2つ目の商品を目の前に「う〜ん」とかそれっぽいことを言っちゃったりするのである。おいおい、お前、騙されてるゾ!
こうして結局1つしか買わないつもりで入店したしゅんすけは2つの商品を携えて、いや、実はその後に「今なら私の判断で半額にしますっ」とか言われて買っちゃったものも含めて、店を出ることになっちゃったのだ。しかもしゅんすけは全然損したと思っていないのだ。いや今日はいろいろ買っちゃったけど、良かったよねーなんてヘラヘラしているのである。店を出るしゅんすけの背中をセールスマンは「ありがとうございましたー!」などと元気に見送ってくれたけど、心の中ではほくそ笑んでいただろうな。怖い、セールスマン。
そんなわけで意外に買い物の多かった週末だった。
ところで、さきこがサングラスを買ったメガネ屋で、「ぼくは眼鏡をしているので、サングラスがかけられなくてね」などと話していたら、眼鏡をかけた状態でもかけられるサングラスを店員さんが持ってきてくれた。眼鏡に被せるようにかける感じのサングラスである。ああ、こういうのが欲しかったんだよなーと危うく買ってしまうところだった。ここでは何とか踏みとどまったけど、とにかくこの日は買い物の神様というか、出費の神様が降臨していたかのような出会いの数々だったな。
| 日記 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0)
思い出の維持管理。
しゅんすけとさきこは同じ高校を卒業しているわけだけど、この高校は幸いにもまだ神奈川県に現存する高校である。「幸いにも」と言っているのは、実は神奈川はかなり昔にたくさんの高校を作ったものの、最近の少子化の影響で現在かなりの数が統廃合になっているためである。ベビーブームに合わせてたくさんの高校を作って、その後落ち着いたところで統廃合にするというのは、当初から織込み済の計画なのかもしれないけど、それでも近所の高校がなくなったり、馴染みのある他校の学校名が変わってしまうのはかなり寂しいものである。一方しゅんすけの学校は決してオツムのいい学生ばかりが集まるところではなくて、周りに同じ程度の高校がどんどんなくなっていったために、下位ランク高校としてで非常に目立つようになってしまった。つまり、ほとんど確信犯的に否応なく県内有数のアホ高校という汚名を被ることになってしまったのだ。これも卒業生として、これはこれでかなり寂しいことである。
そこで思うのだけど、学校の統廃合の流れの中で、「学校そのものが廃校になってしまうこと」と「他の学校と統廃合になって、校舎は残るものの学校名が変わってしまうこと」と「アホ学校と言われても学校名も校舎も制服もあの頃のまま残ること」と果たしてどれがいちばんいいのだろうかね。・・・いや、そりゃ答えは自明なんだけどね。どんなにアホ学校と言われても、そのまま残ることが一番いいのだ。しゅんすけは自宅から最寄りの駅に向かう途中、廃校になってしまった高校の脇を通って行くのだけど、この高校はしゅんすけとは何ら関係ない高校とは言え、廃校になってしまっても校舎はそのまま残り、敷地内のアスファルトからはところどころ雑草が生えていて、恐らく図書室だったと思われる場所には木製の書棚が残るのみで、それでも植えられた桜並木は毎年見事に花を咲かせるのを見るにつけ、卒業生はいたたまれない光景だろうなと思うわけである。
ところで、なぜ母校に行ってみようかと思ったかというと、まあ今年はさきこと交際が始まってから25年という節目の年であることもそうだけど、この前さきこと会社から帰ってくる時に、某駅でしゅんすけの母校の制服を着た男の子と女の子を見かけたのである。いやこの駅は高校から近いので、以前より見かけることは多かったのだけど、その大人しそうな雰囲気が何となくあの頃のしゅんすけたちのようで、しかも制服につけられた校章は3色あるうちの「赤」、つまりしゅんすけたちと同じ学年カラーだったから、勝手とは言え思わず感情移入してしまったからなのである。シンクロしてしまったというかね。
さて、話しは変わって今日である。いや、先ほどのことである。
一人でぶらり近場でサイクリングを楽しんでいたところ、馬車道を通りがかって驚いた。
馬車道のサン○ルクカフェがなくなっている。建物ごと、ごそっとその場から消えていたのである。
一瞬どうなっているのか分からなかったけど、つまりこういうことである。建物が取り壊されている。
この建物にはかなりの思い入れがあった。この建物がサンマ○クカフェでなく、ドト○ルコーヒーだった時代から、しゅんすけとさきこには思い出がある場所だった。
細長い敷地に建てられた建物は半地下っぽいフロア、中2階っぽいフロア、2階っぽいフロアと3つあって、主に中2階と2階でコーヒーなぞ飲むことが多かった。2階は雰囲気がなんとなく温かい感じがして、特に寒い季節などはここで何杯もコーヒーを飲みながら話しをしたものである。夏の季節は何となく涼しげな雰囲気の中2階。ここには狭いながらも1段高くなったエリアと、1階を見下ろせるバルコニーのようになっているエリアがあって、どのエリアも思い出に残る場所である。これが建物ごと跡形もなくなくなってしまったのである。
いや、確かにしゅんすけたちが行き始めた初期の頃で既に古めかしい建物になっていたから、かなりの築年数だっただろうし、半地下とか中2階とかバルコニーとか、今思えば古い建物にしてはかなりぶっ飛んだ構造だったと思うから、最近の地震の状況を考えれば何かが起こる前に取り壊してしまおうというのは妥当だと思う。しかし、これによってしゅんすけは思い出の場所を失うことになってしまった。思い出深いあのフロアでコーヒーを飲むことはもうできないのである。年季の入ったテーブル、馬車道を見下ろす窓からの風景、汚れていながらも同時に温かみを感じさせた壁紙・・・。これは非常に残念である。補強とかしてでも残って欲しかった。
これは前段の高校の話しに繋がる感情である。廃校になってしまった学校の卒業生が感じる寂しさと同種の感情が今、しゅんすけに去来する。学校がなくなって彼らが感じている寂しさとは、こういう感じのものだろう。自分を構成する大事なパーツがなくなってしまった気分。一方で思うのは、たがが1軒ではなく、街全体が津波で跡形もなくなってしまった被災者は比較にならない喪失感だろうけどね。たった1軒でこれだけの寂しさだから街全体では想像を絶する。大事なパーツが、実体を伴わないただの記憶として、この脳みそに保存されるだけである。その頼りなさを思うに、ほとんど思い出が喪失してしまったと同じ喪失感を感じ、ただそれに愕然とするのみである。
このコーヒー屋の建物のことはさきこは知らないけど、さきこが聞いたらどう思うだろうか。彼女はこの思い出をどう決着させるのだろうか。

※ネットで調べたところ、去年10月29日に閉店してしまったようだ。そういえばこれに近い日に訪れたかもな。あの時、普段開けない2階エリアが開放してあって、ちょっと嬉しかったのを覚えている。

※ネットから拾わせていただいた。ありがとうございます。


※在りし日の2階の風景。このレトロ感が大好きだった。
| 日記 | 16:59 | comments(0) | trackbacks(0)
週末ヒキコモリ。
さきこは先週末は名古屋で開催された「名古屋ウイメンズマラソン」に参加してきた。
この前の週は、しゅんすけも参加した三浦マラソンに参加していたわけで、この三浦マラソンの時にも書いたけど、しゅんすけもさきこも直前に体調不良になってしまい、病み上がりだけでなく、ちゃんとした練習もできなくて本番に臨んでしまったわけで、つまりその次の週である先週末も同様に、病み上がり・練習不足という大きなハンデを背負うことになってしまったのだ。実はこれに加えて、三浦マラソンの際にさきこのランニングシューズが壊れてしまった。急遽新品を買ったんだけど、だから一度も走ったことのない不慣れなランニングシューズで本番を42キロも走ることになってしまったのである。
さすがのさきこもかなり不安を抱えつつ家を出ていった。
大丈夫かな、心配である。しかし、しゅんすけは2日間の留守番である。
その後さきこはそれなりに盛り上がった参加者のためのエキスポに行って、ランニンググッズを買ったり、一緒に行ったランニング仲間と楽しく過ごしたようである。
そして当日、前の晩に腹痛が酷くなったりして、フルマラソンを走るには過酷すぎるコンディションの中、気持ちも高ぶらないまま、ランニングがスタートした。いや、もう大変だったようである。ランニングコースはほとんどが市街地らしく、真っ直ぐ走っては折り返して来た道を真っ直ぐ戻り、交差点を折れるとまた真っ直ぐ走って折り返し・・・とこんな調子で単調なコースが続くものだから、走り始めて間もなく飽きてきちゃったみたいである。しゅんすけは単調なコースでも結構大丈夫なんだけど、例えば湘南国際マラソンのように防砂林を右手に見てずーっと走り続けることに大きな抵抗感はないんだけど、さきこはこういうコースが苦手なのである。加えて言うと、さきこがフルマラソンを走る際にはたいていしゅんすけがクルマで同行し、事前にコースをクルマで流すなどして、コースの状況を事前把握するようにしていたんだけど、今回はしゅんすけが同行しなかったために、見たこともないコースを不安なまま走り続けなければならないことになったのも精神的にキツかったようである。単調な一直線の道が一体どこまで続くのかと、かなり不安だったんだろう。
そういうわけで、満身創痍なさきこはコースにも苦しめられ、もはやランニングを楽しむとかそういう境地ではなく、まさに苦行を乗り越えるごとく42キロを走り切ったそうだ。時間にして6時間弱。さきこの経験では最悪のタイムだったそうな。
新横浜まで迎えに行って、さきこと帰ってきたんだけど、もう歩くのも大変な状態だった。こんなに酷いさきこを見たのは、ホノルルで初めてフルマラソンを走った時以来である。でも、このイベントの完走者全員にもらえるという某ティファニー製のネックレスやフィニッシャーズTシャツを貰って帰ってきて、その点では満足そうだったけどね。
さきこの次の大きな挑戦は、6月に開催されるしまなみ海道を走破するウルトラマラソン100キロである。しかし、今回のような状況ではちょっと難しいような気もしてくる。これからもずっと走っていられることが人生にとって大事なことなのだとすれば、ここは勇気をもって撤退することもぜひ視野に入れて欲しいものである。

さて、そんな壮絶ランニングをさきこが遠い名古屋で繰り広げている時、しゅんすけは自宅で悠々自適な生活を満喫していた。・・・と言っても、天気もすぐれないので、どこかに出かけることもなく、ただ自室で絵なぞ描きに勤しんでいた。誰にも気兼ねなく自分の好きなことをずっと続けられることこそ最高の贅沢である。特にしゅんすけの座っている某アーロンチェアは、どんなに長いこと座っていても腰とかお尻とか全然痛くならないもので、たぶん10時間以上を座りっぱなしで過ごしたと思う。おかげでそれなりにいい絵なぞを書くことができた。でもほとんど自室に引きこもって過ごしていたので、さらに一段と太ってしまった。冬の間ちょっとだけ下降したしゅんすけの体重は、この悠々自適生活の中で見事にリバウンドした。なんだかな・・・というわけで、次のランニングイベントまでにはそれなりに準備しておきたいものである。次は4月の横浜ロードレース、そして山中湖、西湖と続く夏前のランニングシーズンなのである。
| 日記 | 14:44 | comments(1) | trackbacks(0)
3.11。
未曾有の大災害になった東日本大震災が発生してから1年になる。
この大災害で亡くなられた方に改めて哀悼の意を表すると共に、未だ不自由な生活を余儀なくされている方々にお見舞い申し上げる。

「いやーあの日は大変だったわー」などといつもの調子ではさすがに書けない。
当時を振り返りつつ、1年という歳月が流れたにしてはあまりにも遅い復興の状況を思うに、日本という国家がこの災害に対してどういう向き合い方をしていたのかと憤慨しきりな昨今である。

あの日、あの時、しゅんすけは会社の1階の事務所で仕事をしていた。唐突にゆっさゆっさと揺れ始めた地震に、いつも思うように今回も「ついに大地震が来た!」と思ったものである。いわゆる関東大震災クラスの地震はいつ起こってもおかしくないという状況だったから、この揺れがその地震だと思って身構えたのである。10分も20分も揺れているんじゃないかと錯覚するほど長い揺れを経て、静かに揺れは収まったんだけど、その間しゅんすけは2階とか3階にある事務所を駆け回って、「デスク下に隠れるように」とか「窓の近くは危ない」とか「外に出るな」とか大声で言って回った。しゅんすけの会社の入ってるビルは、本当に古いビルで、耐震補強をしているものの館内放送設備などというものは設置されてないのである。だからこの永遠とも思える長い揺れの中でまさに縦横無尽に動き回った。
揺れがおさまった頃、外の様子を見てみると、会社の前の大通りにたくさんの人が出てきていた。会社の界隈には避難場所の設定がなく、ルール上はビルの中に留まることになっているんだけど、実際の地震に際してはとても室内にいられないということだろう。
そうして何回かの余震を経験する間にも、震源地近くの被害状況がネットを通じて明らかになってくる。
目を疑う光景だった。映画を見ているのかと思うほどの光景だった。猛烈な津波の様子に言葉も出なかった。
夕方近くになり、自宅が近い社員は次々に帰っていく。しゅんすけは立場上というか、横浜までは帰れないと判断して会社に留まることにした。こういう事態に備えてテレビを設置した会議室に集まって、テレビの緊急放送などを見続けた。酷い有様なのは全然変わっていなかった。
道路には人が溢れ、買い出しに並んだ人の列はコンビニの店内をぐるっと2周するほどだった。あっという間に棚から食べ物が消え、ホテルはどこも満室になり、交通渋滞は一向に解消される気配がなくガス欠になったクルマが路上に放置されさえしていた。災害によるパニックはまさに目の前にあった。
テレビでは凄惨な被災地の状況が放送され、これに併せて新たなる脅威、原子力発電所の事故も報じられるようになった。理解を超えた恐怖、漠然とした不安が急速に膨らんでいった。
そしてこの辺りから国の対応がおかしくなっていく。国は国民を守るつもりがあるのかと思うような怪しい対応が続いていく。それは数ヶ月を経て、本当に国民を守るつもりなどなかったのだと思わざるを得ない事実の判明につながっていく。それで今現在にまで至っているのである。

放射性物質の飛散、聞きなれない専門用語、節電、計画停電、消えた巨額の募金、ボランティア、復興支援、がれきの処理問題・・・、本当にいろんなことがあった。ここに書けていないことも含め、これらのことがたった1年で起こったのだから、薄ら寒い思いである。しかも最近のテレビ取材などを見るにつけ、被災地は未だがれきが積み上げられ、復興は元より片付けすらも済んでいない状況に驚くばかりである。この1年はなんだったのかと思う風景である。これに加えて、そんな事実をテレビを通じて、しかも今頃になって知るという、しゅんすけの意識の低さを思うに、当事者とそれ以外の人の意識の温度差は物凄い開きであることも痛感する。
自戒も込めつつ、つらつらと書き綴ったしゅんすけにとっての震災。復興の実感どころか、その兆しさえ見えていない1年後のこの日を来年はどう見るのだろう。願わくば、何かひとつでも進歩が実感できる何かがあればいいなと思うのである。いや、願わくばなんて、これも結構他人ごとな言いっぷりだなと思うのである。
| 日記 | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0)
ランニングする身体。
今日は三浦国際市民マラソンがあって、しゅんすけはハーフマラソン、さきこは10キロに参加してきた。
天気は何とか雨中ランニングという最悪のコンディションは避けられたものの、太陽が出ない曇天で気温が低く、強い風が時折吹くという、まあ最悪ではないけど良くはないといったコンディションだった。
結果的にはしゅんすけもさきこも折からの体調不良にもかかわらず、何とか完走は果たすことができた。
しかし、非常に厳しいランニングだった。過去の三浦マラソンの中でも屈指の厳しさだった。
その理由は明確である。完全にしゅんすけの身体の管理に原因することである。実は昨日土曜日にあろうことか、ランニング練習をしてしまったのである。いや、それ自体は悪くないんだけど、しゅんすけの場合、風邪でずっと練習できてないところにきて8キロほどの距離をそれなりのペースで走ってしまったのである。だから身体に疲労を残してしまった。特に大腿筋には筋肉痛が出てしまい、その状態でハーフマラソンに臨むことになってしまったのである。いや、前日ランニングには自分なりに理由があって、長いこと練習していないしゅんすけの身体に運動する感覚を思い出させて、今日の本番で早めに身体が走る感覚を掴むようにすることを目論んだわけなんだけど、適度な運動の領域を超えて、単に自分をいじめるだけの練習になってしまった。それが疲労が残ることに繋がった。
だからスタート地点で、しゅんすけの脚には力が漲ってなかった。疲労を抱えてスタートしたのである。それが本番後半の厳しい疲労となってしまった。
いやあるいは、これはいい方に転じた結果なのかもしれない。昨日の練習がなかったらもっと酷い結果になっていたかもしれないのだ。ほとんど2週間も走っていない身体に1キロ当たり5分半で走ることを強要すれば、もっと早い段階で疲労が出ていたかもしれない。どっちが良かったかは分からないけど、少なくとも言えることは、本番に向けてゆっくりと計画的に身体を作っていかないといけないということである。一夜漬けでは走れる身体はできないという当たり前のことである。
とにかく、大変だった。
次のランニングイベントや来年の三浦マラソンに向けて、書いておくべきことはたくさんあるので、例によって別ページにてまとめていこうと思っている。


※今回も遠いフィニッシュになった。
| Be RUNNER! | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0)
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