「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
夢の画材メーカー。
しゅんすけがこの世で一番幸せを感じる時のひとつは、絵なぞを描いている時間である。構想をイメージし、下絵を起こし、組み合わせ、着彩用の紙に転写し、主線を起こし、色を塗っていく。そして描き上げたそれをパソコンに取り込んだり、某SNSに載せたり、人にあげたり、さきこに見せたりする。この一連の作業は後戻りできない緊張感の連続だけど、それがまた充実感を生み、結果としてしゅんすけにかけがえのない時間を提供してくれる。絵なぞの完成度や上手い下手ではなく、とにかく絵なぞを描いている時間そのものが至福のヒトトキなのである。
そんな至福のヒトトキに欠かせないのが、画材の数々である。そのどれもが様々な思い入れがある画材だけど、今日はその中のひとつ、トレス台のことである。そう、先日の修理譚の続編である。
5年ほど前に購入したトレス台が、その2年後に「ジーっとついてフッと消える」という不具合を生じ、「使えなくはないけど非常に使いにくい状態」が続いていたところ、ふとしたことから修理に出したことを先日書いた。メーカーから修理完了のお知らせが来て、その修理代が非常に安かったというところまで書いた。
先日の修理完了のお知らせの時には、実は金額だけではなく、他にも非常に重要なことを告げられていた。
曰く、(1)修理の済んだトレス台は宅配便にて返送されること、(2)宅配便は代引配送とし、宅配便業者に修理費、手数料、配送費を支払うこと(これが先日書いた3000円そこそこの金額である)、(3)配送は5月28日月曜になること、である。
メーカーと話しを終え、いろいろ考えるにつけ、この3点がだんだん気にかかるようになってきた。つまり「月曜日に」「宅配便で」「代引配送される」ということは、平日の昼間に自宅にいないしゅんすけには受け取ることができないんじゃないか。宅配便業者は来る日も来る日も自宅に来て不在票を投函していくけど、代引配送なばかりにマンションの宅配ボックスに入れることもできず、結局しゅんすけがトレス台を受け取れるのは次の週末なんじゃないか、ということである。せっかく早く直してくれたのに、しゅんすけが使えるのはほとんど1週間後ということである。
さて、どうしよう。
トレス台はしゅんすけが絵なぞを描く際には欠くことのできない画材のひとつである。ここのところ右脳の活動がぱったり止んで、絵なぞを描くことも、描けそうな兆候すらも微塵もない日々が続いているけど、このまま1週間も右脳が活動しないという保証はない。いざ絵なぞを描くとなったら、手元にはすべての画材が臨戦態勢でスタンバっていて欲しいのである。だから右脳が活動するかどうかは別として、とにかく早くトレス台が欲しかった。
そこで考えた。
月曜に届くのであれば、きっとメーカーからは既に発送済だろうから、宅配便業者に連絡して早めに持ってきてもらえばいいのだ。今日(土曜日)ならしゅんすけもしばらく自宅にいるのでお金も払えるし、トレス台も予定より2日ほど早く戻ってくることになる。そこで宅配便業者に電話して、氏名や住所を告げ、しゅんすけ宛に代引配送がないかどうか聞いてみた。
しかし答えはノー。しゅんすけに届けられるべき配送物はないそうである。う〜ん、そんなわけはないのだが・・・と思い、画材メーカーに連絡して宅配便の配送番号を確認することにした。
土曜日なので営業しているか不安だったけど、画材メーカーにかけた電話は数コールの後に相手が出た。男性である。物腰の優しそうな人である。そこでしゅんすけは、上記のような事情を説明し、既に配送しているのなら配送番号を教えて欲しいと言ってみた。すると彼は「まだ送っていません」と言う。
え?まだ送っていない?ということは今そこにあるってこと?修理を終えて発送を待つトレス台がそこにあるということだよね?
そうであれば話しは変わってくる。修理に出す時に分かってたことだけど、この画材メーカーは川崎にあるのだ。川崎に修理の終わったトレス台があるのである。うん、これは行くしかない。
今からそちらに向かうがよろしいかと告げると、このおじさんは別に構わないと自分の名前を教えてくれた。ぼくを訪ねて来てください、と。そう、確かに彼はそう言ったのだ。
それからしゅんすけはさきこと一緒に手配したクルマに乗って第三京浜をするっとかっ飛ばして川崎市内某所にある画材メーカーを訪ねたのだ。
画材メーカーに行くのは人生で初めてである。画材メーカーは星の数ほどもあるけど、そのどれもがしゅんすけの至福のヒトトキを演出するに欠かせない画材たちを生み出す会社である。画材という魔法の道具を生み出す夢の工房。しゅんすけは画材メーカーに強い憧れを持っている。会社としてはしゅんすけが勤める会社と同じ土俵で商売しているわけなんだけど、なんて言うか魔法の国の職人集団とも言うべき現実離れした世界を思い描いていたのである。
しかし、である。
しゅんすけが到達したその画材メーカーは、まるっきり町工場的風情の建物だった。決して広くない土地に4階建てほどの建物は白い外壁に覆われていたけど、なんていうか、昔ながらの事務所兼工場といった感じで、そう、しゅんすけが以前勤めていた会社ほど古くはないけど、その延長線上にあるそれだった。
ちょっと力を入れないと開けられない鉄扉を引いて中に入ると、ほとんど真っ暗な世界だった。いやまあ土曜日なので、営業していないからなんだけど、次第に暗闇に目が慣れてきてまず見えてきたのが、フォークリフト、簡易的な梱包ライン、部屋の隅には昔ながらのタイムカード打刻機と30枚程度のタイムカード、天井からぶら下げられたビニールの短冊(これは工場勤務をした人でないとイメージしにくいかな)と、とにかくすべてが町工場的風情であった。
こ、これが画材メーカーなのか・・・。
ちょっとたじろいでしまった。いや、このメーカーは日本でも有数の、いやヘタをすると世界的にもそれなりに流通している画材メーカーの本店である。これは一体どういうことなのか・・・。
事態が飲み込めないでいると、暗がりの向こうにある事務所と思しきドアが開いておばちゃんが出てきた。魔法の国の職人・・・ではなく、普通のおばちゃんである。
しゅんすけが事情を告げて、先ほど電話で話した人の名前を言うと、すべて分かったような素振りで事務所に戻り、電話で何やら話したかと思うと、「もうすぐここに来るから」とだけ言って、そのまま外に出て、敷地内に停めてあったクルマに乗り込んでそのままどこかに行ってしまった。なんなんだ?
それから、そうだな5分くらいはその場にいたかな。もうすぐここに来るという、先ほどの物腰優しい男性は一向に姿を現さない。仕方がないので、暗い構内をしばらく見て回った。配送ラインとは言え、そこに梱包しかけの製品があるわけでもなく、いやそう言えば、画材らしい製品はこのどこにも置いてなくて、ただ巨大なフォークリフトがずでんっとそこに鎮座しているだけだった。ここはホントに魔法の国、いや画材メーカーなのだろうか。
こうしてしばらく待っていたところ、再び奥の事務所から人が出てきた。今度は男性である。水色っぽい作業着を上下に着ている彼にまた事情を告げると「あれぇまだ来てない?」と言って、事務所に戻って電話をかけてくれた。この建物のどこかにいる先ほどの物腰優しい男性はしゅんすけが来ていることを忘れちゃったのか?
「今来ますよ」と言って、別の鉄扉を開けてその奥の階段をたったか上っていってしまったのだけど、すぐに同じ鉄扉がばたんと開いて、別の人が出てきた。先ほどの人と同じように水色の作業着を下だけ履いて、上はランニングシャツである。このおっさんは誰だ?と思ったら、この人が電話口の物腰優しい男性なのであった。なんかショック。
既にこの段階でしゅんすけの幻想は完全に瓦解していた。画材メーカーで働く人たちは別に魔法の国の職人集団でもなんでもなくて、厳しい日本経済の中しゅんすけと同じように働くサラリーマンなのである。このおっさんも単にビジネスとして、日銭を稼ぐ手段のひとつとしてしゅんすけのトレス台に向き合っているに過ぎないのだ。もはやしゅんすけの中に幻想的な画材メーカーのイメージはなくなっていた。
とにかく、トレス台である。トレス台をいただければ、もはやここに用はないのである。
しかし、そう、ここまで来てさらに「しかし」が続くのである。
「いや、ここにはありませんよ。修理から戻ってきてませんから」
・・・あぁ、もうどういうことなのか。

しゅんすけの至福を演出してくれる画材たち。それを作る人たち。しゅんすけの中で彼らに対する憧憬や幻想はなくなってしまったけど、でもしゅんすけを幸せにしてくれる道具を作り続ける彼らへの尊敬はいささかも目減りしていない。彼らがしゅんすけと同じ世界で、非常に現実的に画材を作り続けているという現実を知っただけである。しかし、それで良かったのだろう。現実を知ることで、画材を取り巻く環境をより現実的に認識することができたのだから。うん、そうである。
さて、その後どうなったのか。しゅんすけのトレス台はどうなったのか。また続きがある・・・かもしれない。
| 日記 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0)
最近のニュースから。
日経新聞を読んでいると何ヶ月かに1回ほどランニングに関する特集記事が掲載されたりする。近年ブームのランニングを科学的に検証して効果的な走り方や練習方法などを教えてくれるので、参考になるし楽しみにしている。不定期記事なのか、しゅんすけが見逃していたか、前回の記事掲載が東京マラソンの直前でちょっと間が空いていたので、そろそろかなーと思っていたら、今日記事が掲載されていた。
今回のお題にちょっとゲンナリした。
「速くなるにはまず減量」「1キロで3分」・・・あぁ、ついにそっちの話題になってしまったか。
そりゃ体重を減らせれば速くなると思うけどね。しゅんすけが○キロなので、もし○キロまで減量できたら、単純計算で45分以上タイムが縮められるわけで、そうなったらフルマラソンでもいわゆる「サブフォー」を軽く超える記録になるわけで、いやその、ホンマかいな?!
理屈では体重を減らした方がいいに決まっているし、しゅんすけがランニングをする最大の目的は減量なんだけど、それでも楽しく走れればいいかなーと思っていたしゅんすけにとっては、今回の記事で「でも速く走りたいでしょ?」「じゃ、減量しなきゃ」などと答えを急かされている感じがして、ちょっと座り心地が悪くなる思いがした。いいじゃん、体脂肪率が脅威の○%でも頑張って速く走ればいいじゃん。ランニングの目標を一元的な「時間」という切り口で統一しなくてもいいじゃんと思うわけ。世の中で走ってる人でタイム以外の動機を持って走ってる人だってたくさんいると思うんだよね。そりゃタイムは縮んだ方がいいけどさ。
ところでしゅんすけは明後日にランニングイベントが控えている。2年振りくらいになる山中湖ロードレースである。何度か経験しているとは言え、高地でのランニングだし、長距離練習もなかなかできていなかったから、きっとあまりいい記録は出ないと思うんだけど、それでも地元の短いランニングコースをちょろちょろと走ったりしてモチベーションを上げてきた。ここ2日ほどは絶対ランニング練習しようと思っていたんだけど、気分が乗らなかったり、飲み会があったりで、練習できなくてちょっと後ろめたい気分だった。
そんなところでこのランニング記事である。
帰宅後の短距離ランニングでさえ練習しないことに、ちょっとお小言を言われているような気分。こんなんじゃ、明後日の本番でもろくに走れないぞ、と。
ふんっ、余計なお世話である。当日は曇、気温21度、まさにランニング日和の予想。天気も体調もコンディションは上々である。そして大きなモチベーション。体重が重くたって関係ない。充分楽しみ、充分いい記録を出してやる!そうである、気持ちだけは減量してはいけないのだ!
そんなわけで、明後日の本番に向けて気合充分なしゅんすけだけど、実は明日はサイクリング仲間と飲み会だったりする。今週は火曜、木曜、そして土曜と飲み会が続くことになる。うん、アルコールと一緒に余計な養分が入ってきているのは確実だな。これに負けずに走れるか?明日の飲み会は自重しつつ、明後日はとにかく頑張るのだ。
| Be RUNNER! | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
9000日。
以前にも書いたけど、昨日はさきこと交際を初めて9000日目であった。
いやついにこの日を迎えたなーと思いつつ、さきこもしゅんすけも用事があったので、特にお祝いすることなく、過ごした・・・ってか、しゅんすけは会社の同僚と飲みに行ってしまったよ。
ま、今まで何度も繰り返してきた「1000日記念」の9回目は、特別な日として過ごすよりもいつものように過ごすのがいいってことである。だって、9000日も9001日も8999日も、どの日も大事な1日として積み上げてきたからこそ到達できた9000日だからである。そういうわけで、この日を普通に過ごしてしまったことに特に変な気はしないのだけど、来るべき10月2日はそうはいかないだろう。
| 日記 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
右脳小休止。
ゴールデンウィークが終わり、先月まで月に2枚ほどのペースで描いていた絵なぞをそろそろ描きたいなーと思っているところなんだけど、実は今は絵なぞが描けない状況である。いや、右脳が回転してくれなくて絵なぞが描けないというのもあるけど、しゅんすけが絵なぞを描く工程で非常に重要な画材が今、自宅にない。
トレス台がないのだ。
実はついにトレス台を修理に出した。今週月曜日のことである。
トレス台に不具合が生じている話しは以前にも書いた。スイッチを入れてLEDを点灯させると数秒間ジーっと振動音を立てた後フッと消えてしまい、スイッチを切って再び入れるとまたジーっと言って切れる。これをしばらく繰り返すとどういうわけかジーっと言わなくなり、点灯し続けるようになるのである。この「ジーっとついて、フッと消える」不具合はかなり以前に発生して、修理もせず今に至ってしまった。
なぜ修理しないかというと、実はさほど大きな不便というか実害を感じていないから・・・と言ってしまうとそれまでだけど、実際しばらくスイッチを入り切りしていれば点灯し続けるようになるのである。要はトレス台を使う時に、トレス台のエンジンをアイドリングしてあげれば、ちゃんと点灯し続けるようになるのである。このアイドリングが時に7、8分に及ぶこともあるわけで、その間しゅんすけはずっとスイッチを入り切りしてなきゃいけないっていう点ではちょっとアホみたいだけどね。
とにかくそんなわけで、ついに重い腰をあげてトレス台を修理に出そうと思い立ち、きっとサイクリングに夢中で絶対に右脳が回転しないであろうゴールデンウィークのタイミングを狙っていたのである。実際はぐうたら性のため、ゴールデンウィークからちょっと時間が経ってしまったけど、トレス台と電源アダプタを適当なダンボールに入れ、不具合の症状を記載した手紙を、とにかく早く治して欲しいけどあまりお金がかからないようにと慇懃無礼に書き添えてメーカーへ送ることになったのだ。
ちなみに、この記事を書くために自分のブログを検索してみたけど、この不具合は2009年10月頃に発生しているみたいである。実に2年半も我慢して使っていたことになる。我慢強いというよりも面倒くさがりの極みで我ながら感心してしまう。
さて、トレス台を発送して2日が経過した昨日、メーカーから電話が入った。
「直りました」・・・って早っ!
修理費も3000円そこそことのことで、う〜ん、ここまでスムーズに行くとはまったく思ってなかったわ。今まで面倒くさがっていたことにホントに損した気分である。いや自業自得だけどね。
ともかくこれでしゅんすけのトレス台が復活することになる。2006年に購入し、2009年に故障し、そして2012年に復活を遂げる。なかなか長大なドラマが、今回の復活により新しい展開を遂げる。しゅんすけの絵なぞがどう変わっていくか、いや結局は右脳のご機嫌次第なんだけどね。
さあ、右脳よ、そろそろ回転始めてくれていいぞ。
| 日記 | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0)
金環日蝕。
7時半頃さきこと近くの公園に行って金環日蝕を見てきた。
・・・が、横浜は曇。しかもそれなりに厚い雲がかかっていて、時折雲の隙間から太陽が見えたりしたんだけど、基本的には金環日蝕を楽しむことはできなかった。
カメラをいろいろいじってるしゅんすけの隣でさきこはずっと空を見上げていたようである。
カメラの方は、前回の皆既月蝕で思いがけない大活躍をしてくれた某オリンパス社製のカメラも動員し、三脚も持って出かけたんだけど、ホワイトバランスがどうにも変な設定になってしまい、思うようには全然動いてくれなかった。太陽観測用のフィルターを通しているので、カメラの方で勝手に暗がり撮影の設定をしてしまい、いやいやそのままシャッターを切ってくれよ〜と思うのに、頑張って露光を上げてくれちゃったりね。天空でスペクタルが進行しているというのにしゅんすけは手元のカメラ設定に手間取っていたという感じである。残念。やはりシロウトには天体観測は難しいね。
それにしても、金環日蝕を盛り上げようとテレビで散々告知をしていて、「裸眼では見ないでください」とか「専用のメガネを装着してください」とか、ホント辟易したんだけど、その中で某ドリカムの楽曲がかかった時にはちょっと感動した。実は先週辺りにラジオでこの曲を聴き、その後も折りに触れ耳にすることが多かったからどうしてかなーと思ってたら、歌詞に今回の金環日蝕のことが出てくるんだってね。1990年の楽曲らしいので、実に22年後のことを歌ってたというわけで、そんなに長く売れ続けているドリカムもスゴいけど、1990年っていやスゴい昔のことだわ。
さて金環日蝕がついにリングになった時、周囲の状況はちょっとだけ変化していた。実際、曇の天気だったので、劇的な変化は感じられなかったけど、変な感じの暗さを感じ、何やら怪しい雰囲気が漂った。ひやっとした空気が立ち込める感じで、さきこは寒さを訴えていたくらい。気温がどうだったか分からないけど、真夏の日没後のような、太陽は沈んでいるのに雲に反射した光で周囲に妙な明るさが残っているような感じの明るさだった。
曇だったとは言え、いいものを見たね。
さて会社を半休しちゃったからな。そろそろ出勤の支度をするかな。

※ドリカムの楽曲だ。
 
※これがシロウトカメラの限界か。
| 日記 | 09:01 | comments(0) | trackbacks(0)
天文学にロマンを求めて。
先日仕事の都合で茅場町の某社のセミナーに行ってきた。最近仕事で外出することがすくなかったので、ちょっと気分が良かったりした。いやそれにしてもいつの間にか暑くなったものである。
さて、セミナーが早く終わり、そのまま不帰社を決め込んだしゅんすけは、東京駅の方までてくてく歩いてみることにした。東京駅の東側エリアを散策することってほとんどないので、いわゆる大企業のオフィスが立ち並ぶのを見ながら歩くのはいろいろと刺激があったりしたな。
東京駅の東口の方まで来て、思い立って八重洲ブックセンターに行ってみることにした。
以前にも行ったことはあったけど結構前のことである。最近本なぞめっきり読まなくなってしまったので、何か面白いものはないかなーと刺激を求めてみることにした。ちょっと刺激的な本がある予感があったのだ。
それは八重洲ブックセンターの品揃えから来る予感である。
本屋にはそれぞれ品揃えの傾向がある。軽く読める雑誌や薄手の文庫などを取り揃える本屋から美術系の本に物凄くコダワリを持つ本屋もあったりする。コダワリとは本屋の立地などを考慮した客層を反映しているわけで、つまり「この場所・客層だからこういう本が売れる」という実績の積み重ねが品揃えの傾向となって現れるのである。
八重洲ブックセンターにもこうした傾向はある。特にしゅんすけが好みの分野の専門書などは、コダワリの傾向がより鮮明のような気がする。書棚の一番目につくところには、あまり入門書を置かないところとかね。書棚の前に立つ人は、明確な目的を持っているわけで、本との「出会い」を求めるのではなく文字通り本を「探している」のだというスタンスが伝わってくる感じ。書棚を前に本の背表紙に書かれた書名を見ていると、「お、いきなりこのテーマかー」とか思ったりするのだ。本屋って面白いよね。
さて、しゅんすけは自然科学の本が並ぶコーナーをいろいろ見ていた。
そのひとつに天文学のコーナーがあって、ここで感じたことが今日のお話しである。
天文学のコーナーではいよいよ来週月曜日に迫った金環日蝕に関する本や簡易的な観測キットなんかが並んでいて、まあここだけ見ると上述したようなコダワリよりは流行に迎合した感じがしなくもないのだけど、その中でふと目に留まった本があった。
「天文宇宙検定」と表紙に書かれた本である。天文宇宙・・・検定?
最近は○○検定というのが流行ってるようである。特に地域に関する専門的な知識を問う「ご当地検定」はちょっとしたブームのようなものである。しゅんすけの住まう神奈川県にもたしかご当地検定があるはずである。そんなブームに乗っかろうとしたのか、天文学や宇宙の分野にも検定ができたというわけか。う〜む・・・いやまあとりあえず、テキストを開いて、各章末にある例題に取り組んでみる。
いや、まあ残念な結果である。たぶん、半分ちょっとくらいしか分からない。この辺の分野にはそれなりに知識があると自負していたからちょっとショック。まあたしかにしゅんすけは知識的にはアバウト感は否めないんだけどね。例題の中で「アンドロメダ銀河までの距離は?」なんて聞かれても、いやまあアンドロメダはお隣の銀河だから天文学的距離としては遠いというほど遠くなく、でも一般的距離感から言えば相当に遠い距離なわけで・・・といった感じ。問題は選択方式なので、消去法で何とか正答を得るという感じ。その他にも「1天文単位は何光年?」とか「ブラックホールの質量は太陽の何倍?」などがあった。しかし問題を続けている中で、だんだん違和感が増してくるようになった。
いや、なんて言うかな、こういった検定をたとえばお父さんが受けたとして、それで2級とか1級(まだ設定されていないようだけど)を取ったとして、これを見た子供が「お父さんすっげー!」ってなることに違和感を感じるのだ。お父さんはいいよ。それまで得てきた知識を定量的に測る基準ができて、あいまいだった自分の知識レベルを再確認する機会を得るんだから、それは問題ないと思う。けど、それを見た子供はどうなるか。宇宙のことを知りたいと思う動機が知識レベルを測ることにすり替わってしまわないか。気の遠くなるほど遠くにあるアンドロメダ銀河へ思いを馳せる前に、その大きさや距離といった数値情報として見てしまわないだろうか。それってものすごく間違った見方のように思うのだ。
宇宙への興味は何より対象物への興味から始まる。それが何億光年先のものでも想像力はひとっ飛びでそこに到達するし、想像を絶する重力をものともせずブラックホールの中心に到達できる。そしてその場に立ち、その風景を想像するのである。まさにしゅんすけが子供の頃に観たカールセーガン先生の「コスモス」である。
しかし検定があまり先行し過ぎると、想像力は力を失っていく。アンドロメダ銀河までの距離、200万光年は光の速度で200万年、つまり9.46×10の15乗×200万、18920000000000000000キロという、もはやゼロを数えるのも果てしなく面倒くさい数字になり果て、途端に想像力は失速してしまう。そう思うにつけ、オトナはともかくとしても、子供にこの手の検定は無意味どころか害悪であると思うのだ。宇宙への興味は、まずは想像力の飛躍、ロマンが大事である。
ロマンと言えば、この前地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」についても思うところがあった。
はやぶさは、地球に戻ってきた探査機としてはもっとも遠いところの天体に到達した。これはすごいことである。久し振りに科学が素晴らしいと手放しで喜べる快挙だった。しかも小惑星の岩石(まあチリだけど)を持って帰ってきたというのもすごい。これによって太陽系の成り立ちや生命誕生の秘密、いやいやもっと言えば、太陽系ができる前には何があったのかという謎にさえ手が届くかもしれないのだ。
ちょっと脱線するけど、太陽系は何代か世代を重ねた星系である。これほど多くの元素がある世界だから、よほど大きな恒星が超新星爆発した際に多くの重元素を生んだはずで、太陽系に散在する物質の分布を調べることは、前太陽系の姿を明らかにするかもしれないのである。天文学はその前太陽系に思いを馳せることにロマンがあると思うんだよね。
閑話休題。そんなはやぶさの話題は、結局映画化という形で昇華されたんだけど、この映画がよろしくない。いやしゅんすけは観てないけどさ、どうもヒューマンドラマ的な側面の強い作品のようで、しゅんすけは好まない。はやぶさのすごいところを広めるのに、なぜヒューマンドラマ?もっと語るべき話しがあるんじゃないかって思うわけ。宇宙へのロマンを殺して世俗的なヒューマンドラマに貶めているとさえ思った。オトナは別にいいよ。でもこれを観た子供がどう感じるのかと思うと、ね。
結局、宇宙とか天文学とかの世界に、地上の価値観を持ち込まない方がいいと思うのだ。宇宙の視点に比べて地上の視点はあまりにも小さく刹那的である。この視点で宇宙を語ることで子供に及ぼす悪影響は決して少なくないと思うのだ。子供は夜な夜な空を見上げて、物思いに耽ればいいのだ。それが宇宙のロマンってヤツである。
そんなことを考えながら「宇宙天文検定」のテキストを見ていた。うん、しゅんすけはもう大人なので、この手の検定は受けてみてもいいかもしれないな。1級は無理としても2級くらいは欲しいかもな。なんだかんだ言いつつも、この手のステータスに弱いしゅんすけなのである。
ところで、しゅんすけが検定のテキストにあった問題を半分くらいしかわからなかったと言って、すべての章でその程度の知識しかないと考えるのは早計である。やらしいと思いつつも自身の名誉のために言っておくと、ほとんど100%近く正答した章もあるのである。しゅんすけの天文学の知識も捨てたものじゃないのだ、そうなのだ。
| 日記 | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0)
天文学的「久し振り」。
しゅんすけが瀬戸内海の島で夜の波止場を散歩して夜空を見上げていた頃、月軌道が通常よりも地球に接近していたそうで、「スーパームーン」などと言われて、月見する人たちが結構いたそうである。しゅんすけは月がいつもよりも大きく明るく見えるなんて知らなかったから、そんな月を見上げては「やはり空気が澄んでいると月もキレイだなー」などと的外れなことをぼんやり思っていた。そりゃ惑星を周回しているんだから完全な円軌道ではなくて、時に近づいたり離れたりするのは当然っちゃ当然だよな。それにしても「スーパームーン」だなんて安直なネーミングである。
さて月と言えば、5月は金環日蝕がある。5月21日月曜日のことである。太陽に月が隠れる現象で、太陽がリング状に見えるんだそうな。関東で見ることができるのはかなり久し振りのようで結構な盛り上がりようである。コンビニにさえ金環日蝕観測ツールが売られてたりするからね。
ただこうして盛り上がるとしゅんすけ自身はどうにも盛り上がれなかった。別に金環日蝕なんて見たからどうってことないしなーとそっぽを向いていたんだけど、こうして日が近づいてくるとどうもソワソワしてくる。そう言えば以前皆既月蝕を見た時も、実際に月が欠け始めてテンションが上がってきて、思い立って自室を漁って昔のデジカメを掘り起こして写真を撮りまくったもんな。天体ショウは始まってみると心揺さぶられるものがあるのである。そう思うと、アマノジャクを返上して、今回の金環日蝕をぜひ観測しようと思っているのである。
ところで、この金環日蝕について調べていたらあるサイトでこんな記述を見かけた。
うろ覚えだけど、こんな感じ。「沖縄で見られた前回の金環食は1987年で25年振り、次回は北海道で見られる2030年で18年後、今回は非常に珍しい天体ショウです」と。この「非常に珍しい」という点が気になった。
当たり前の話しだけど、宇宙の時間(宇宙がどんな時間で動いているか知らないけど)で考えれば、25年とか18年なんて一瞬にも満たない時間である。いや、ニンゲンを基準にした時間間隔で言っているとしても、これって言うほど「珍しい」かね?ニンゲン基準だとしても宇宙の話しをしているんだからもうちょっと大きな視野で記述してほしいものである。
1987年と言えば、しゅんすけとさきこが付き合い始めた頃である。もっと言えば1987年9月23日は、付き合い始める1週間ほど前である。この頃のことはしゅんすけは非常によく覚えている。今でも語り草になる時期である。懐かしいなーと思うのは、あくまでニンゲン時間としてである。
宇宙を前にしてはニンゲンと言えども長いスパンで考えたい。たとえばしゅんすけが次の到来を待っているのは、ハレー彗星である。前回の最接近は1986年。前回の金環日蝕の1年前である。そして次に太陽まで回ってくるのは、76年後、2061年後である。うん、今から49年後である。大丈夫、なんとか生きてるだろう。
ニンゲン基準とは言え、「非常に珍しい」と言うからには、このくらいの時間間隔が欲しいものである。
ところで、5月21日である。明け方から始まるという天体ショウに備えて、さきこはしゅんすけに先んじて半日休暇を取得済である。しゅんすけが金環日蝕を前にどういう行動を取りそうか既に分かってらっしゃる。しゅんすけもぜひ半日、いや全日休暇を取得しちゃおうかな。問題はどこでこの天体ショウを見るか。・・・楽しみである。
| 日記 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0)
しまなみ海道サイクリング。
5月3日から5日まで、広島・尾道から愛媛・今治をつなぐしまなみ海道のサイクリングに行ってきた。
3年前にも行ったことのある道だったけど、天候に恵まれなかった前回に比べて今回は非常に天気が良くて、景色がものすごくキレイで、非常に楽しいサイクリングになった。
メンバーは14人にもなり、しまなみ海道ですれ違ったどのチームよりも大勢だった。同じチームジャージに憧れた、あの時の思いも果たすことができた。
天気が良かったので、念願の「瀬戸内に沈む夕陽」を2日連続で見ることができた。夕陽と雲がいい感じの色彩を醸す日とその翌日は雲ひとつない夕陽の日で、まさに夕陽を堪能した旅である。前回、瀬戸内に忘れてきたものを持ち帰らせていただいた。
それに早朝に早起きして向かいの小さな島に一人自転車で周った時は、朝陽の反対側に巨大な虹を見ることができた。瀬戸内海に浮かぶ島と島を結ぶ虹の架け橋、これには感動した。早起きしたのがしゅんすけだけだったので、さきこや他のメンバーはこの虹を見ていないんだけど、非常にいいものを見せていただいた。
天候を左右する人外の存在には、今回は感謝、である。
初日に自宅マンションを出る時は、台風かってほどの豪雨で、エントランスのひさしを出ると2秒でずぶ濡れになっちゃったけど、新幹線に乗り込んで、小田原を過ぎる頃には青空が雨は止み、京都を過ぎる頃には雲間から青空が垣間見られ、尾道に着くと強烈な陽が差してた。その晴天は3日間とも続いた。うん、これほど好条件の中でサイクリングしたことはほとんどなかったんじゃないかな。いや、この日に晴れさせるために3月の三浦サイクリングを荒天にしたと言うなら、それでもいっかって気になるね。
さきこは腰の調子が心配だったけど、所々で腰痛があったものの、結果的には全行程230キロを走り切った。彼女も夕陽が見られて大満足のようだった。
参加者メンバーにも大きな事故もなく、無事尾道に帰ってくることができた。途中でパンクなどのトラブルがあっても大丈夫なようにタイヤとかチューブとか持っていったんだけど、自転車のトラブルはまったくなかった。だからしゅんすけが背負ってたバックパックは、使わなかった工具やパーツが入ったままだったんだけど、3日目に尾道に到着して、期せずしてそのパーツを使う機会があった。
しゅんすけたちと同じようにしまなみ海道を走ってきたサイクリストが、駅前で自転車を畳んでいたのだ。何気なく声をかけて話しをしているうちに、どうも途中でパンクしてしまったそうで、これから先の走行(どうも尾道よりも先に行こうとしていたみたい)を諦めて電車に乗る準備をしていることが分かった。
そこでしゅんすけはバックパックを漁って、持ってきたチューブを差し出した。自分でも意図してないところで、すっと差し出していたという感じ。
お金を払おうとする彼を制して、「お金はいらないです。でももしこれからも自転車に乗っていて、途中でパンクして困ってる人がいたら、ぼくだと思ってパーツを渡してあげてください」と言うしゅんすけ。いやもう、こんなセリフ言ったことがないのに、噛まずにすらすらすら〜っと出てきたことに驚いた。こんな柄にもないセリフ、何者かが憑依していたとしか思えないね。ホント不思議な感覚だった。そうだ、人外な存在が乗り移ってたんじゃないかね。
そんなわけで、何ヶ月も前から楽しみにしていたしゅんすけのしまなみ海道サイクリングは終了である。次はどこに行こうかな。
そうだ、これから写真付きの記事を書かなきゃな。

| 自転車日記 | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0)
タビダチの前。
雨が心配されたゴールデンウィーク後半だけど、低気圧の流れが思ったよりも少しだけ早くて、雨の直撃は何とか避けられそうな感じである。
ここ数ヶ月ほとんどこのことばかり考えてきたと言って過言でないサイクリングがいよいよ始まる。
今年は3年前に走ったしまなみ海道のサイクリング。広島・尾道から瀬戸内海を渡って愛媛に至る道である。ゆっくり島を巡る3日間の旅である。前回見られなかった瀬戸内海の夕焼けを今回は見られるだろうか。とても楽しみである。しかし今現在窓の外は雨である。しかもかなり勢いの強い雨。まずはこの中を踏み出して行かなければならない。いきなり雨中サイクリングで気が滅入るばかりだけど、新幹線に乗ってしまえば問題あるまい。すぐに雨のエリアを超えてくれるハズである・・・って、新幹線が雨の影響でどうにかならなければ、だけどね。
もはや色々と考えてる場合ではない。そろそろ出かける時間である。煩わしい日常を離れて、ただ美しい景色の中ペダルを回すヒトトキを楽しみたいと思うのだ。
| 自転車日記 | 04:40 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2012 >>
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
アクセス解析
 

現在の閲覧者数:
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE