「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
修善寺で待ってて。
先週の週末は会社の自転車仲間が集まって、伊豆修善寺にサイクリングに行った。
いやこれは非常に楽しくも過酷で有意義なサイクリングだったんだけど、実はこのサイクリングの前にはこれを凌駕するデキゴトが起こっていたので、このことを書こうと思う。しゅんすけがサイクリングのスタート地点である修善寺に向かう道中で起こったデキゴトである。

スタート地点である修善寺に現地集合ということにしていたので、そこに向かう東海道線にはしゅんすけしか乗車していなかった。本来乗るべき電車の1本前に乗ってしまったということもあるけど、ほとんどのメンバーは東京から修善寺に直通する電車に乗ったようで、結局熱海まではしゅんすけの一人旅になった。
熱海で一旦東海道線を降りて、再び熱海発の電車に乗り換える。ここで同僚の一人と合流した。熱海発、静岡行きの東海道線に乗り、車両の最後尾に乗り、背負ってきたリュックサックを網棚に載せる。同僚と談笑しているうちに電車は走り出す。三島でまた電車を乗り換えるので、短い距離である。
車内はかなり空席があるものの観光客と地元の人が半々といった感じ。すぐ近くに座っているのは、この暑い中黒いシャツ、黒いパンツ、黒い靴、そして黒い上着を着て、だらしなくはだけた襟元から胸元に描かれた何やら意匠的デザインが垣間見れる、つまりそっち系の人がドアを挟んだシートに座る同業の方と何やら談笑していた。何気に聞いていると「昨日飲んだビールが胃の中で云々」とか「あっちーなー、くっそー云々」などと、いやもうイマドキの男子高校生でももう少しマシな会話をするだろうなって感じである。三島が近づいてきて、観光客が席を立ちドアの前に集まってくる。しゅんすけもドアの前に置いた輪行袋を持ち上げて、この人たちが降りるのに合わせてサササッと降りようと準備をする。
「それは何ですかー?」
近くにいたおばちゃんが話しかけてきた。輪行袋を持っているとたまにこうして話しかけられることがある。
減速していく電車の中でちょっとした会話が交わされる。このおばちゃんも含め、三島で降りる人は結構いそうなので、迷惑にならないようここは素早く行動しなくては。
電車が停車し、一呼吸置いてドアが開く。それ、今だ!
輪行袋を持ち上げてドアを出る。ホームで通行の邪魔にならないところまでサササッとと移動する。後に続く同僚も同じように輪行袋を抱えるように降りてきた。にわかに賑わう狭いホームで、降車した乗客たちは改札口に向かうため地下通路の階段を下っていく。ひと通り人の流れをパスしてからしゅんすけたちもこれに続き、地下通路を通って修善寺行きの伊豆箱根鉄道のホームに向かう。ここで修善寺までの切符を買わないといけない。その時ふいに、違和感を覚えた。
リュックサックを背負っていない。
電車に置き忘れたのである。全身を悪寒が駆け巡った。
電車は既に行ってしまったハズである。ヤバい、あの中には今回の旅行で必要なものはすべて入っていたのだ。いやいやそれよりも、財布やら鍵やらととにかく失くなっては困るものがまとめて丸ごと入っているのである。これは非常にマズい!
とにかく駅員さんに相談である。
電車に乗っているとよく遭遇する光景だけど、駅で車内捜索のためなどと言ってちょっと長めに停車していたりすることがある。これは置き忘れた荷物を捜索するためのものである。見つかる場合もあれば見つからない場合もあるだろうけど、電車で頻発する忘れ物への対応はここ最近変わってきている感がある。きっと駅員さんに相談すればそれほど時間がかからずに解決するだろう。
しゅんすけはとにかく焦っていた。もっとも重要なアイテムである財布が紛失したとなれば、クレジットカードやら免許証やらの紛失手続きが何よりも最優先になる。朝自宅で見送ってくれ、悠々自適に今頃テレビなぞ観ているであろうさきこに電話をして、対応に協力してもらわないといけない。うん、対応に協力いただく前にひと通りの罵詈雑言を拝聴つかまつるハメになるだろうな。
いや、待て、こうしている間にも所有者不明のリュックサックは電車に揺られて一路静岡を目指しているハズだが、これが忘れ物であることに誰かが気づくのにどれくらい余裕があるだろうか。そう言えば、高校生よりも低次元の会話を交わしていたそっち系の二人組はどうなった?三島で降りただろうか?リュックサックは彼らの真上の網棚に置いていたから、その存在に気づくのにさほど時間はかからないだろう。これは実はかなり危険なんじゃないか。そっち系の人のそっち系的手際の良さで、クレジットカードが不正利用されまくりなんていう事態も想定できるのである。あーもーこれは大変なことである。カード会社に連絡した方がいいかもしれない。
「あの人たちは三島で降りましたよ、確実に」と同僚が言ってくれた。少し安心である。いや、あまり悠長にはしていられないんだけど。
それにサイクリングのことも気になる。今回のサイクリングコースを知っているのはしゅんすけだけである。しゅんすけが行かなければサイクリングは始まらないのである。しゅんすけは他にもサイクリングを企画することがあるけど、これがもっとも大きな弱点だろうな。しゅんすけが何らかの理由でサイクリングに行けなくなれば、サイクリングそのものの存在が危うくなるのである。今後の課題である。

そんなわけでいろんなコトが頭をぐるぐるする中、駅員さんの対応は非常に冷静で・・・というかノンビリしていて、たぶんリスキーな事態が進行中であることを理解していなかったのだろう。遺失物申告書みたいな紙を渡されて、連絡先や忘れ物の特徴を書けという。いろんな電車と接続する駅だから運賃精算の乗客が多数いて、どうもそっちに忙しい感じなのである。
業を煮やしたしゅんすけは駅員室に飛び込んで、手の開いている駅員(奥に数名いた)に語調も強く訴える。
「今、沼津辺りを走っている電車にあるんだから、その先の駅員さんに連絡して引き取ってもらえないんですか?!」
電車は三島を出て、沼津、片浜、原辺りを走っているハズで、ここで引き取ってもらえるなら短時間で行って帰って来られるハズである。
しかし、駅員さんの回答はNOであった。そもそもJRでは駅員さんが電車を待ち受けて遺失物を捜索するようなことはしてくれないんだそうな。待ち合わせなどで電車が比較的長く停車するタイミングで車掌さんが車内を点検し、見つかればそのまま車掌室に引き上げて終着駅まで持って行き、終着駅の遺失物センターに保管されるんだそうな。
いや、もう、なんて言うか・・・驚くべき不親切な対応である。先に書いたように、電車を停めてでも車内捜索をしてくれる電車会社があることを知っているからこそ、そう思うんだけどね。JR、対応悪いわーと思ったね。いや忘れ物をするしゅんすけがまず何より100パーセント悪いんだけどさ。
それでも救われたのは、駅員さんが今走っている東海道線に無線を飛ばして、忘れ物がないか見てもらうと言ってくれたことである。忘れ物の場所が車両の最後尾だったこともあるんだろうけど、ほんの数秒で確認できることだから、ささっと見てもらうよう頼んでみるとのことである。電線で動力を送電している電車という乗り物において、連絡を取るのになぜ無線?と、もう焦り過ぎて明後日な疑問が膨らんできたけどこれを無視して、とにかく連絡を取ってもらうことにした。
しばしの待機。
サイクリングのことが気になっていて、同僚には先に修善寺に行ってもらうことにした。あっちで仲間と合流して、事情を話してもらおう。もしあまりにも時間がかかるようだったら、先に行っていてもらうことにした。
数分なのか数十分が経過していたのか分からないけど、駅員さんが現れた。あ、あの、リュックサックは見つかりました?
「ぼく、もう交代の時間なので、あとのことは後任に引き継いでおいたから」
その時のしゅんすけは、一路静岡に向かう東海道線に乗っている車掌さん(たしか若い女性だった)に思いを馳せ、危険な状態にあるリュックサックを救ってくれることをただ祈るばかりだったんだけど、この駅員さんの言葉を聞くと、こんな感じの人と同じ会社の人に、しゅんすけの全財産の危機が委ねられているのかともうほとんど愕然とするしかなかった。いいよ、もう休憩でも食事でも昼寝でもどこでも行けばいいよ。

それからほどなく、である。
休憩中の駅員さんを引き継いだ駅員さんが言うには、車掌さんと連絡が取れて、リュックサックは見事保護されたとのことである。やったっ!
ただやはり途中で荷物だけ降ろすことができないそうで、そのまま静岡に行ってしまうとのこと。もうしょうがない、追いかけるしかあるまい!幸い、ここは三島、新幹線で静岡に繋がっているのである。
持ってきた輪行袋を伊豆箱根鉄道の駅員さんに預け(もうこの辺でJR側には些細なことも任せられんと判断)、新幹線で静岡を目指す。
新幹線には今までいろんな目的で乗ってきた。旅行だろうと出張だろうと、夢の超特急・新幹線にはワクワク感があった。しかし今回、忘れ物を取りに新幹線に乗るしゅんすけには、ワクワク感など微塵もなくて、己の愚かさを呪い、嫌悪し反省し、そして首尾よく見つかったとは言え実は財布だけ抜き取られていましたなんて事態にならないかとの不安に支配されていた。とにかく無事にリュックサックに会いたい。こんな気持で新幹線に乗るのは初めてである。

静岡の駅に着き、駅員さんに事情を話すも、先ほど三島でさんざん体感したJR的な企業風土はここでも健在で、つまりいろいろたらい回しにあった挙句、東海道線下りホームの駅事務所にあることが分かり、駅のホームに向かった。
・・・あった。
駅事務所内のデスクの上に置かれたリュックサックは、たしかにしゅんすけが三島で離れ離れになってしまったそれである。三島から静岡までの60キロを超えての再会であった。中身を確認すると財布はちゃんと健在で、カードなども抜かれていなくて、つまり万事無事だったということである。
遺失物の引き取りということで、連絡先などを所定の紙に書いたんだけど、その中の項目に「現金、○○○円(千円札○○枚、一万円札○○枚)」などと書かれていて、え?見たの?って感じだった。お札入れに入っている某マク○ナルドの割引券を後生大事に持っていることもバレちゃったわけね。いいけどね。
駅員さんにお礼を行って再び新幹線に乗る。今度は不安はなかったけど、何とも変な感じである。しゅんすけは横浜から修善寺に向かっていたハズなのに、なぜか新幹線に乗っているのである。しかも旅はまだ始まってもいないのである。修善寺にはしゅんすけを待ってくれているメンバーがいる。結局2時間ほども待たせることになってしまった。これをどう埋め合わせしたものかなーとちょっと途方に暮れてしまうのであった。

会社の仲間と共に行く伊豆のサイクリングは、これから始まるんだけど、その前にあまりにも大きなデキゴトがあったので、これだけピックアップして書いてみた。サイクリング本編の方はまた別の機会に。これも結構たいへんだったわ。
| 日記 | 18:18 | comments(0) | trackbacks(0)
絵なぞ>サイクリング?
絵なぞ週末。
以前のブログに書いたけど、春頃はしゅんすけの絵なぞライフも充実していて、月に2枚ほどのペースで絵なぞが描けていた。これに気を良くして調子に乗ってしまい、そのことをブログに書いてしまったからなのか、その後ぱたっと描けなくなってしまい、月2枚ペースはいきなり鈍化、2ヶ月ほどの絵なぞ日照りが続くことになる。
しかしその後、七夕ネタで盛り返した。
七夕ネタだけで3枚を毎週のように描き上げ、その後も2週間ほど絵なぞを描く機会に恵まれた。つまり6月下旬から毎週絵なぞが描けるという好機を得たのである。しゅんすけの絵なぞは自身の能力というよりも天啓によるところが大きいので、その意味では絵なぞの神様に感謝、である。・・・って、こうして調子に乗ってブログに書いてしまうことで、また日照り続きだったりしてね。実際、去年も一昨年も七夕ネタ以降は冬頃まで絵なぞ日照りが続いたからね(夏場に絵なぞが描けない理由はなんだろう?遊んじゃうからか?)
さて、そんなわけでこの調子で来週もぜひ絵なぞを描ければいいなと思うところだけど、実は来週は会社の自転車関係で伊豆までサイクリングに行くことになっている。この前の連休に下見に行ってきたんだけど、いやまあ伊豆はスゴい山道である。道も狭いし、交通量も多いので、サイクリングの開催が危ぶまれたほどである。幸い会社の上司や同僚なんかも助言があって、比較的安全な道を選択できそうなんだけどね。それでもちょっとドキドキである・・・ってことが、今週末にあるので、絵なぞが描けない。しゅんすけの5週連続絵なぞ描き記録がここで途絶えてしまうのである。
でも、自転車に乗れるのだからいいか。

自転車と言えば、8月になるといよいよ俺的チャレンジ(野辺山チャレンジ)である(この時に利用する電車賃を今日旅行会社に支払った)。その前にランニング仲間でのサイクリングがこれも伊豆であるんだけど、このコースも先日下見に行ってきて、なかなか走りやすそうな道であることが分かった。狩野川を下る道はいろいろありそうで面白そうである。晴れれば赤茶けた富士山も見えるだろう。いやもう楽しみだわ。
そんなわけで、今年の夏も絵なぞが描けないかもしれないと思いつつ、サイクリングへの期待に胸が大きく膨らんでいるのである。
| 日記 | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0)
物欲が刻を超えて・・・。
バッグを買った。通販なので届くのが楽しみである。
・・・とこう書くと、しゅんすけの身に起こったこの事象について、必要最低限の情報は書けていることになる。しかし、その背景にはちょっとしたドラマがあって、ある時は悩み、妥協し、決心し、出会い、待ち焦がれた歴史がある。今こうして通販のバッグが届くに当たり、そのドラマを書いてみようと思うわけである。

そのバッグが欲しくなったのはいつ頃だろうか。ここ1、2年の話しではない。たぶん4、5年前の話しである。たしか自転車を始めた頃かな。自転車はあまり影響していないかもだけど、当時使っていたバッグがそろそろクタビれてきて、新しいバッグが欲しいと思っていたのである。
新しいバッグを手に入れるに当たり、欲しいバッグの仕様をいろいろ考えてみたところ、たとえばショルダーバッグだけでなくリュックサックのようになればいいなとか、開口部がガマグチみたくがばっと広がり、見た目のコンパクトさと内容量の多さを兼ね備えてるといいななどと思い当たった。最近ガマグチのバッグなんてとんと見かけなくなったけど、昔からのアコガレもあったのかもしれない。実際ガマグチだと開けた時に入ってるものを見つけやすいという利点もあるそうな。
そんなわけで仕様は決まったのだけど、だいたいどこを探してもそのようなバッグは売っていなかった。東急ハンズなんかで探してみても全然見つからない。もはやそういう古風な感じのバッグは売ってないのかもしれない。
半ば諦めかけていた時、今回購入したバッグをネットで発見する。
まさにしゅんすけが欲しかったバッグである。
しかしこういうバッグは何かと高価なのだ。今回のものは完全に手作業で作る革製のもので、オーダーが入ってから作り始めるというものだから余計に高い。しゅんすけが今まで購入してきたバッグの金額のほとんど2、3倍ほどもする金額である。いや、買えない金額じゃないけど、バッグにそこまでお金を出すかという話しである。
しかもこのバッグは通販でのみ販売することになっているから、現物を手にしていろいろ確かめて買うということができない。いやそもそもこの工房は九州にあるので、そもそも店で現物を見るということはできないのだ。都合よく九州出張とかあればなーと思ったものである。
そんなわけで、問題は「高いこと」「現物を確認できないこと」なわけである。前述のとおりオーダーを受けてから制作に入るということはきっとキャンセルもしにくい感じだろう。買った以上使わないといけないのである。
そうなると俄然悩んでしまう。買うべきか買わざるべきか。たかが通勤用のバッグのために何万円も出せないし、そんなお金があれば当時絶賛不具合中だったトレス台を購入した方がナンボか生産的なのではと思ってしまう。こうして悩んで悩んで悩んで・・・そして買うのをやめた。
クタビれたバッグを買い替えるのは、ちゃんと現物が確認できる店でそれなりの金額のものを買うことにしたのである。これが今使っているバッグ。それなりにコンパクトだし収納しやすいし、それなりにモノが入るから気に入っていた。たぶん、これが2、3年前のことである。
そしてまた長い年月が流れた。妥協して購入したバッグだけど、使う上ではさほど不自由はなかった。しかし長い年月の中でしゅんすけが会社に持っていくモノが変化して、ちょっとだけ増えたり、大きくなったりしてきた。東日本大震災が発生して、いつ大地震が発生するか分からない中、通勤途上に見舞われても大丈夫なように懐中電灯とかその他防災グッズを携行するようになった。ネットブックが新しくなり従前の機械よりも微妙に大きくなったりした。そこでまた新しいバッグを待望する気運が高まってきたわけである。
それは今年の初め頃だったと思う。
既にバッグはパンパンな状態である。いろいろと詰め込まれたためバッグの形状が直方体的なフォルムというより球形に近いフォルムになってきた。そもそもこのバッグは「マチ」の部分は厚めになっているので、通常状態でも一般的な薄い直方体的フォルムではなく、厚めの直方体的な感じなのである。これがさらに膨らんで球形を形作ろうとしているのである。
これはちょっと恥ずかしかった。
こうして新しいバッグを購入する検討に再び入るのである。あくまで検討である。まだ購入を決定してはいない。ここから購入を決定するまでにまたまた長く悩む時間を要することになる。ネットでしか見られないその形状を何度確認したことか。そしてお金についてもついに決断に至る。貯金から捻出することにしよう。
こうして長い期間をかけて吟味し、バッグを買うことが決定した。・・・のだけど、買うと決めてからも、またまた長く悩むことになる。革の色をどうするか、バッグのサイズはどうするかである。サイズについてはS・M・Lなどのサイズがあるんだけど、そもそもコンパクトなバッグがいいと思っていたから、ここはコンパクトなSサイズを購入するか(これだと現状のバッグよりも容量が若干減る)、一般的なMサイズを購入するかである。色についても暗めのダークブラウンか明るめのキャメルか、いや赤とか、グリーン?黒?・・・うーん。
ちなみにさきこはそんなウジウジと悩み続けるしゅんすけの話しをよく聞いていてくれたものである。今にして思えば相当ウザい奴だったと思う。
そんなわけで、買うことが決まり、お金を用意し、サイズや色が決まった。ついにここで通販サイトの「購入」ボタンが押されるかという時、衝撃的なミラクルが起こった。
実はしゅんすけが買おうとしているバッグは、長いこと通勤生活を送っている中でただの一度として見かけたことがなかった。イマドキなバッグがいくらでも買える環境で、わざわざ古風なバッグを安からざる価格で買おうという人はいないのだろう・・・と思ったその時、ネットで何度も見たそのバッグが目の前にブラブラしていたのを見つけたしゅんすけの気持ちが想像できるだろうか。朝の通勤ラッシュの中、ぎゅうぎゅうに混み合う電車の中でそれはしゅんすけの目の前に現れた。いたのである。驚いた。
かなり使い古した感じのそれは、紛れもなくしゅんすけが買おうとしているバッグそのもの。色は黒である。しゅんすけと同じように九州の工房から買ったのだろう。同じような考えを持つ人が目の前にいたことに驚いた。
そしてこの時も何となく決めかねていたサイズのことを思い出し、この人の持つバッグのサイズはどんなだろうと物凄く気になった。いっそ声を掛けてしまおうかと思ったほどである。
「あの、そのバッグと同じバッグを買おうか迷ってるんですけど、サイズは何ですか・・・?」
今思えば聞いてしまえば良かったかもしれない。しかし何となく声を掛けそびれたまま、何日かが過ぎ、ついにサイズを完全に決めるに至った。

この出会いは一体なんだったんだろう。
しゅんすけが買うことを迷っていると、そのものが唐突に目の前に現れることが過去にもあった。たしかチンクェチェントを購入しようか迷っていた時に、たまたま出かけた祐天寺とか蒲田辺りで偶然チンクを見かけることがあって、まるで「買っていいんだよ」と言っているかのようだった。それと同じことだったのかもしれない。
同じバッグを持つ人には結局声が掛けられず、実は未だに同じ電車に乗り合わせることがあるんだけど、きっとしゅんすけがそのバッグを持って通勤した日にゃきっと驚くだろうな。
そしてパソコンに向かい、「購入」のボタンをクリックする。同時にネットバンキングからお金を振り込んだ。やった、ついに買っちまった!

完全手作業で作るこのバッグは、発注から8週間ほども時間を要して完成となる。しゅんすけがネットで発注したのが5月中旬、ゴールデンウィークが明けた後である。それから数週間、バッグのことは片時も頭を離れることはなかった。できれば発注したことすらすっぱり忘れて、ある日突然届いたそのバッグに「おぉそうか、バッグを買ったんだよな」なんて驚いたりしたかったんだけど、あまりにも楽しみ過ぎてどうにも忘れることなんかできなかった。工房から伝えられた完成日を指折り数える日々。あと3週間、あと2週間、あと10日、来週、明後日、そして明日。
完成するハズの当日は朝からメールをチェックしっぱなしだった。きっと工房から「完成しましたのでお送りします」云々とメールが来るハズだからである。実際午後になってからそのメールはしゅんすけのもとに届き、既に発送したと書き添えられていた。これが一昨日のことである。あぁついに、ついにしゅんすけのモノになる日が来た。
それから今度はメールに書き添えられた宅配便の伝票番号をもとにネットで照会。今どこにあるのかとても気になった。しゅんすけが今か今かとネットを覗いたところで宅配便が早く着くわけでもないのにね。とにかく待ち遠しかった。大人になってからこれほど待ち遠しいことがあっただろうか。
そして今日、今、この瞬間である。
実はまだ自宅に帰っていない。自宅に帰ればマンションの宅配便ボックスの中にバッグが届いているのは分かっている。しかし、バッグを手に入れて、今までの苦悩や待ち焦がれた時間が霧消してしまう前に思いを残しておきたかった。実物を見て何かを感じてしまう前に。
でもそれもそろそろ終わりにしよう。しゅんすけを待っているバッグのためにそろそろ帰途に就くことにしよう。数年の時間を超えて、会いたかったバッグについに会えるのである。
しゅんすけの新しい境地が待っているような気がする。
| 物欲日記 | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0)
逃げの勝利。
ニュース的話題が続くけど、こっちはまさに昨日の深夜に起こったミラクル的話題なので、さささっと書いておく。
現在開催中のツールド・フランスで唯一の日本人として参加している新城幸也選手が第4ステージで、敢闘賞を獲得した。
レースの序盤から単独で飛び出し、3人の逃げ集団を形成。常にアグレッシブに逃げをけん引した。これが評価されて、もっとも長く逃げた選手に贈られる敢闘賞につながった。いやスゴいわ。
以前にも別府選手が獲得したことがあるけど、今回も中継を見ていて興奮した・・・と言っても深夜なので、がくっと睡魔に倒れてしまったけどね。
ワールドカップやオリンピックに並ぶほどの人気のある国際的なイベントで、日本人がここまで活躍するのはホントに嬉しいものである。国際映像に日本人が大映しになり、選手の国籍を表す日の丸が表示されるのには感動すら覚えるね。
ツールド・フランスはまだまだ続くから、新城選手の活躍に超期待!である。
※それにしても、自転車レースにおいて先行して逃げるのってスゴいことだけど、「逃げ」って言葉が良くないね。なんかいい言葉で言い換えればいいのにね。
| 日記 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0)
未知との遭遇。
スイスにある素粒子実験器CERNが実証を進めていたヒッグス粒子が、どうも「物理学上確証を与えていいほどの高確率で」存在するということが発表された。つまり「ヒッグス粒子は存在する」のである。
理論上17種類存在すると言われていた素粒子の最後にしてもっとも重要と言われた素粒子の発見である。ノーベル賞級の大発見だそうで、学会は上へ下への大騒ぎ、日経新聞1面にもデカデカと記事が載っていたから、とにかくこれはスゴいことみたいである。
ヒッグス粒子の存在がほとんど確実となったのは、全周27キロもある巨大な加速器CERNを使って、ほとんど光速まで加速した素粒子を衝突させる実験を500兆回もおこなったという背景があるそうな。その結果検出された素粒子が分析によって99.9999%以上の高確率で存在を予想されたヒッグス粒子と同じ振る舞いをすることが分かったそうで、つまりこれが「ヒッグス粒子を発見した」ということになるわけである。

しゅんすけは実は素粒子論はよく分かっていない。以前にダークマターに関する本を読んだ時に、その本の後半で宇宙を構成する素粒子ということでクォークやニュートリノなどの横文字的な素粒子と併せて出てきた記憶があるけど、書いてある内容はかなり難解だったのでほとんど分からなかったし、そもそも「ダークマターという超マクロ的な話しを読んでいるのに、素粒子という超ミクロな話しになるのはこれ如何に」といった感じでほとんどナナメ読みだったんだよね。
だから素粒子についてしゅんすけには語るべき知識をほとんど持っていない。逆にしゅんすけの理解力不足によって敬遠していた話題で世紀の発見があって、ちょっと焦っているくらいである。何か本なぞを読んでみるかな。
そんなしゅんすけが今回のニュースで気になったのが、CERNでの実験の回数である「500兆回」である。500兆回も実験するってどういうことなんだろう。
ちなみに500兆を数字に置き換えると、500,000,000,000,000、スゴい桁である。
たとえば1秒間に1回の実験、ここでは素粒子の衝突実験をおこなった場合、1日で8万6千回ほど実験できるんだけど、それでも500兆回になるには実に1500万年もかかってしまう。つまり1秒に1回ほども悠長な回数ではなく、1秒に何回も実験しているということである。CERNで今回の実験をいつから始めたか知らないけど、たとえば3年前だと仮定して、3年間24時間ずーっと続けていたとしたら、1秒間に500万回も素粒子の衝突観測をしていたことになるのだ。そんなことが可能なのだろうか。しかもその衝突のひとつひとつが未知の素粒子の存在を証明する重要な実験なわけで、当然機械で観測するんだろうけど、いやはやスゴいことである。ちなみに実験期間を10年間と置き換えても、1秒間に150万回の衝突を観測しなければならない。期間はどうあれ、これを成し遂げたのだから、とにかくスゴい。いやヒッグス粒子の発見もスゴいかもしれないけど、1秒間に何万回もの素粒子の衝突を観測できる機械ってのもスゴいものだと思うのだ。

これからしばらくヒッグス粒子にまつわるお祭り騒ぎが続くことになるだろう。またヒッグス粒子の存在の証明によって、物理学を取り巻く理論体系に大きな転機が訪れることにもなるだろう。そのことには知識不足とは言え一人前にもわくわくを禁じ得ない。奇しくも100年前に物理学で大きな転機があった「不確定性原理の発見」に思い至る。「よく分からないけどスゴい発見」という意味では、通じるものを感じるからだ。不確定性原理によって開けた物理学の新しい地平を思うと、今回の発見が今後100年に及ぼす展開はどうなるのか、いや、ホントわくわくするのである。
| 最近のニュースから | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0)
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