「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
寝台旅情。
ぼくの会社のある事業所が島根県にあるんだけど、どういうわけかその事業所だけは行ったことがない。ぼくが島根の出雲や松江などをとても魅力的に感じているのは周知のことなので、うっかり出張など命じてしまうと有給休暇を使って遊んできてしまうから、ぼくの上司はわざと出張させないようにしてるんじゃないかとさえ思ってしまう。・・・いや、ちゃんと仕事が済めばそりゃ遊ぶけど、さ。
そんなわけで、以前にも増して島根への思いが募ってきている。もうかれこれ3年ほどは島根に行きたいと思ってるんじゃないかな。
さて、この前ふと立ち寄った書店で、つい鉄道の雑誌なぞを購入してしまった。ぼくが徐々に鉄道マニアに変化しているのは以前にも書いたけど、その動きは未だに健在で、書店に入って何気なく手にする本のいくつかは鉄道の本だったりするわけである。今回購入した本には「サンライズ瀬戸、サンライズ出雲」の写真なんかが載っていて、いつか島根に行く際にはこの寝台列車で行ってみたいと思っていたから、購入して自宅でも読んでみたかったのである。
でも、サンライズ出雲や島根への旅に具体的な思いを膨らませていたぼくに比べて、さきこの思いはさほど大きくはないようだった。彼女もぼく同様、島根への熱い思いはあると思うし、きっと楽しみにしているんだと思うのだけど、ぼくほどの具体的な思いではなかったようである。
それが変わったのが昨日である。
たまたま品川で待ちあわせて一緒に帰宅したんだけど、京急に乗って横浜駅を出た電車の車窓から、サンライズ出雲の車体がほんのわずかに見えたのである。22時に東京駅を発車したこの列車は22時30分に横浜を通過するのである。既に走り出した京急の車窓からプラットホームの柱やらの設備に邪魔されつつ垣間見れたサンライズ出雲の車体は、まるで巨大な蛇が身体を悠々とくねらせて草むらの中に消えていくかのように見えた。そのほんの一瞬の映像がさきこを島根への思いをさらに駆り立てたようである。
横浜から島根に向けて鉄道が走っている!
・・・いや、当然知っているとは思うけど、実際その目で見た瞬間は、まさに京急に乗って帰宅するという日常の一コマと、寝台列車が12時間ほどもかけて日本列島を横断するという非日常が、まさに交錯した瞬間であった。
帰宅してからさきこに例の雑誌を見せた。
雑誌には車内の写真が載っていて、その雰囲気に魅せられたようである。B寝台で2万数千円の旅。新幹線や飛行機で移動することがそのままイコール「旅」だという認識から、ゆっくりとしたちょっと懐かしい感じの「旅」へ認識が変わったようである。
そんな折、ついにぼくに島根出張の機会が到来しそうである。
まだ調整中なので、分からないけどね。可能性として50%程度とは言え、わずかでもチャンスが出てきたわけである。7月である。さて、さきこは一緒に来るだろうか。会社のルールを無視して寝台列車に乗ることはできるだろうか。そして、サンライズ出雲に愛車・こてつ号を搭載することはできるだろか。うん、ちょっと楽しみになってきたぞ。
| 日記 | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0)
買い物三昧。
今年の夏に着るTシャツやらランニング用のウェアやらを買いに、さきことクルマで港北にあるショッピングセンター周辺に行ってきた。
ぼくは服の買い物にはあまり熱心じゃないので、気持ちが乗らないとなかなか服を買わない。いつまでも同じような服装でいても全然気にならないのだけど、今回はランニング用のスパッツが長年使用していて劣化して破れてきちゃったし、夏用に面白いデザインのTシャツなんかがあれば購入したいなと思っていたので、ここは気合を入れて買出しに行くことにした。
服の選択って何が嫌って、試着が嫌だ。
ぼくのように身体的制約から着られる服のサイズに制限がある人は、せっかくいい感じの服を見つけてもサイズがない場合も多いし、サイズがあったとしてもそのサイズが果たしてぼくの身体にフィットするか分からないからである。多くの人のように「サイズが合わなければ1サイズ大きめや小さめにすればいいだけのこと」という論理はぼくの場合は通用しない。サイズがないということは、着られる服が存在しないということなのである。見つけたいい服が着られるかどうかは、試着してみないと分からないわけだけど、試着の時点でサイズが微妙だったりすると物凄く悩むし、また明らかにサイズが違う場合(しかも服の方のサイズが小さい場合)は地味に挫折を感じる。これが積み重なって精神的な負担になったりする。ぼくが着られるサイズの服はこの店にあるのだろうかと軽い絶望感に苛まれたりするのである。その絶望感に打ち勝って、ほとんどすべての服をチェックするくらいの気合を持たないと、服を買って帰ることなどできないのである。・・・って、書いててホント嫌になるね、デブは。
そんなわけで、気合とともにまずはスポーツショップでスパッツを選ぶ。
今のスパッツも破れているとは言え、着られないことはないわけで、まだ着続けることを考えると新しいスパッツはちょっとデザインに凝った感じのものがいい。それこそいろんな色が入ったハデハデなデザインもいいな・・・って、案の定サイズがない。しょうがないので、従前と同じスパッツを購入することにした。なんだかな。
さきこもランニングウェアを買って、かなりの量になってしまった。
次にユニ○ロに行ってTシャツを購入する。毎年企業ブランドをプリントしたTシャツを出していて、これが妙に気に入っているんだけど、今年のTシャツにはどういうわけか、FIAT500をプリントしたものが出ていた。FIAT社とのコラボ企画ということだろうか。いや、チンクエチェントがプリントされたTシャツを買わないでやり過ごすことはできないでしょ。さきこも気持ちは同じで、このデザインのものを2つ買ってしまった。
そしてFIAT500を礼賛してやまないぼくとさきこは、新旧デザインとも如何によくできた素晴らしいデザインであるか、しばらく語り合う。新しいデザインのチンクにぜひ乗ってみたいなどと夢見てしまう。
ユ○クロを出て、そのまま帰ろうと思ったんだけど、思い立って港北IC近くにあるイ○アで家具を見ることにした。オープン当初に一度だけ行ったのだけど、物凄い人だったので、辟易したのだけは覚えているんだけど、さすがに何年も経っているので、混雑度合は多少改善しているようだった。イケ○のそこここに掲げられたポスターに、「買った家財は自分で運ぶ」ことを意味して、チンクエチェントが荷物を背負ってる様子が描かれているんだけど、ここでまたチンクを見たことで何となく必然性を感じてしまった。そう言えば、もう10年くらい前になるけど、チンクを購入しようか迷っていた時期に、ふと立ち寄ったいくつかび街角で立て続けにチンクを見たことがあって、「これは神様がチンクを買えって言ってるのか?」と思ったものだったけど、それと似てこの日は何かとチンクに触れることの多くて「これは神様が・・・」などと思ってしまうのだった。
ちなみにイ○アでは、そろそろ模様替えをしたいと希望するぼくらの部屋の中で、何をどう模様替えしようか検討した。リビングやテレビ周りや増えてきた本の対応や寝室などをいろいろ考えて、寝室を変更しようかと思い、いっそ2段ベッドにしてしまっては?と思い至り、さきこが戯れで子供用2段ベッドに寝転んでみたら、これがなかなかいい感じのようで、さてぼくらの自宅はどうリニューアルされるんだか楽しみである。
そんなわけで、久し振りに買い物モードで一日を過ごすことになった。
こういう日は年に何回もないのだけど、やっぱり買い物は楽しいものである。2段ベッドも含めぼくの自宅がどう変わるのか、ちょっと楽しみなのだった。
| 日記 | 12:48 | comments(0) | trackbacks(0)
飲み過ぎ注意。
先日の火曜日は、平日だというのに物凄く飲み過ぎてしまい大変だった。
飲み会と言っても、以前楽団関係で非常にお世話になった方が、大船で飲むというので同席させていただという次第。音楽の世界から離れて4年ほど経つというのに、懐かしい話しも交えつつ、非常に有意義な話しをさせていただいた・・・いや、半分くらいはバカ話しだったかな?慣れない日本酒を美味しい美味しいとがばがば飲んでしまい、前後不覚に酔っぱらってしまったので、ぼくからは大した話しはしていないと思う。
やっぱり音楽っていいよな。一緒に演奏する仲間がいるってのはホント素晴らしいと思う。ただ人間関係がキツい時とか恒常的におカネがかかるって点が難点なんだけどね。
それにしても、ほとんど門外漢になってしまったぼくをかつてのように受け入れてくれて、ホントに感謝である。彼としては大事な時間なのに、シロウトの相手をさせられちゃったわけでね。
そうしてどんどん酒が進み、ぼくがほとんど人間的思考ができなくなった頃、さすがに辟易したのか、帰途に就くことになったのだけど、なんと、その時の記憶がかなりの部分失われてしまっている。どうやって飲み会が終わったのか、会計はどうしたのか(たぶん割り勘分すら払ってないと思う)、大船からちゃんと乗り換えて市営地下鉄で帰ってきたことがとても信じられないほど、泥酔していた。駅から自宅まで通常10分ほどで歩く道を30分ほどもかけて帰ってきたと思う。まっすぐ歩けなかったしね。
そして十何年振りに二日酔いを経験。そしてさらに酷いのは、財布におカネがなくなっていたこと。
カードとか免許証とかは全然大丈夫なので、盗難されたとかではないと思う。JRに乗る時にパスモにチャージするので財布を出して、そのままばささっとぶちまけてしまったのかな。いや、記憶がないのでホントに分からない。変な介抱ドロボーに遭っていたのかもしれない。
とにかく記憶がなくて、翌日会社に来て財布を開いたら紙幣だけが見事に空っぽになっていた。いや驚いたわ。そしてさきこにシコタマ怒られたわ。なくなっていたのはたぶん6千円くらい。
そんなわけで、久し振りの縁があり、非常に濃い繋がりを実感し、音楽の素晴らしさを知り、旧友に感謝し、そしていつまでも大人になれない自分とおカネの大事さを知った夜なのだった。あらら。
| 日記 | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0)
絵なぞとSNS。
先週末に久し振りに、いやホント久し振りに絵なぞを描いた。ほとんど6か月振りの絵なぞである。構図的には実は結構前から温めていたもので、ぼくの画力がもう一皮むけたら描こうと思っていたものだから、構図の点においてはワクワク感みたいのはなかったけど、それでもラフから下絵を起こして本番用の紙にトレスして着彩する工程は楽しいものだし、これをお絵描き専用SNSにアップして同好の士からいろんなレスポンスをもらえるのは嬉しいものなのである。
今回の絵なぞのモチーフは江ノ電なんだけど、江ノ電が走る風景をちゃんと理解しておきたくて、思わず会社を休んで鎌倉まで行ってきちゃった。まあ、有給休暇も溜ってたし、大きな仕事も終わったばかりで少々休息も欲しかったしね。
それで鎌倉まで自転車でサイクリングしてきたんだけど、平日だから空いているかと思ってらとんでもなくて、修学旅行の学生がわんさといた。きっと鎌倉が世界文化遺産に登録されるかもしれないなどと見込んできたのかもしれないけど、残念なことである。
鶴岡八幡宮や稲村ケ崎や江の島などを巡って、街中を走る江ノ電の姿を目に焼き付けて帰宅し猛烈に描き始め、そして迎えた週末は、土曜日こそ来週のランニングイベントに向けた練習で20キロを走り満身創痍で描けなかったものの、日曜日には朝から猛烈に描き続けた。
久し振りの絵なぞでなかなか上手いこといかず、何度か描き直したり、いいところまで塗り勧めたところで、実は紙が表裏逆だったことに気づいたりとイケてないこともあったんだけどね。
もともとこの絵なぞは、某フェイスブックのカバー画像にすることも想定していて、だからカバー画像のサイズに合わせて細長く描いていた。フェイスブックのマイページを無味乾燥なデフォルトのデザインではなく、少しでもぼくらしいページにしたいとの思いであった。しかし、ぼくは絵なぞを描いていることを知られるのが恥ずかしくてどうにも苦手である。お絵描きSNSなら実名じゃないからどんどん自分の絵なぞをさらすことができるけど、フェイスブックは実名登録なので、絵なぞを載せたりしたら、会社の同僚やら学生時代の友人やらにぼくが絵なぞを描いていることがバレてしまう。人知れず、ぼくのページだけ絵なぞが載せられないものか。
ネットで探してみると、フェイスブックのタイムラインにカバー画像を変更したことを表示しない方法があった。アクティブログとやらの設定で「非公開」にすればいいんだそう。ぼくはそれを丸ごと信じて、描き上がった絵なぞをカバー画像に変更して、タイムライン上から非表示にしてみた。しかし、である。
ほどなくして、ぼくのフェイスブックに「いいね!」が付けられたことを示すマークが表示された。ぼくが非公開にしたかったことは見事に公開情報として、友達に伝わってしまっていたのだ。(注釈後述)
がーん。
カバー画像を変更したことを知られないようにするのはどうも不可能であるらしい。先ほどのアクティブログで非表示にするというのは、「自分のタイムライン上の」表示を非表示にするという意味で、ぼくと友達登録している人たちに見えないようにするのとは違うようなのである。ネットでさらに調べた結果このような事実を知ったのだけど、あるサイトでは「カバー画像の変更ログを非公開にすることはできない」と断言したうえで、「そもそも実名登録が前提のフェイスブックでログを非公開にする意味が分からない」とまで記述してあった。実名までさらしておいてその他に何を隠そうというのだというわけだろうか。
でも、それはどうなんだろうね。
いくら親しい人にでも、ごく個人的なことはことさら声高に言ったりしないわけで、たとえば聞かれもしないのに「部屋の模様替えをした」とか「服を新調した」とか、わざわざ自分から吹聴しないわけで、同じようにフェイスブックのマイページのカバー画像なんてごく個人的な楽しみなわけだから、これを公開してなんかこう「見て見てー」って言うのはどうかなと思うのである。
フェイスブックを作っている某外国の価値観とはちょっと違うのかもしれないね。日本人は奥ゆかしいということなのか、いやぼくが極度に恥ずかしがりなだけなんだろうけどね。
そんなわけで、ぼくが久し振りに描いた絵なぞは、フェイスブックのカバー画像となり、その変更ログが友達登録されてる人全員に告知され、何人かの人からは「いいね!」をいただき、そればかりかコメントさえいただいちゃったりしている。コメントいただくなんて、物凄く嬉しいことである。が、とにかくぼくはもう恥ずかしくて堪らないのであった。
※注釈:自分の絵なぞを会社の同僚などに見られたくないのであれば、そもそもフェイスブックになど公開せず、お絵描きサイトにだけ載せていればいいわけだけど、ぼくが顕示欲と羞恥心の狭間で、それでもカバー画像の公開に臨んだのには実は理由がある。実は高校時代の同級生の女性がフェイスブックを始めて、最近ぼくと友達になったのである。高校時代に彼女はぼくと同じ吹奏楽部だったんだけど、掛け持ちで漫画研究部の部長もやっていて、当時から非常に絵の上手いと評判の人だった。ぼくは高校生当時から絵なぞを見せることが恥ずかしい人だったので、彼女もぼくが絵なぞを描いているのを知らなかったと思う。ぼくがフェイスブック上で自分の写真として表示している絵なぞだって、ぼくがネットから拾ってきた画像くらいにしか思ってないかもしれない。こうして20年以上もの年月を超えてネットで繋がったのだから彼女にぜひ見て欲しかったのである。いや、彼女にだけ見てもらいたかったと言ってもいい。彼女は割とフェイスブックを見ていることが多いようなので、いつかぼくのカバー画像に気づくと思う。その時に初めてぼくが絵なぞを描いていることを知るのである。だからぼくはログの非公開にこだわったのだ。虚栄心と羞恥心が織りなす怪しい行動なのは、自分でもよく分かってる。我ながら変なヤツである。
そういうわけで、今回のログ公開によってぼくは羞恥心に悶え苦しむことになったけど、それでも一縷の救いがあったとすれば、カバー画像を変更した時、一番最初に「いいね!」をくれたのが彼女だったことである。
| 日記 | 13:23 | comments(0) | trackbacks(0)
富士山が世界文化遺産に確定。
ユネスコの諮問機関が、富士山を世界文化遺産に登録すべきという勧告を出し、ほぼ富士山が世界遺産に登録される運びになったそう。地元の方の地道な努力が実った結果である。大変嬉しいニュースである。
地元では「富士山を世界文化遺産に!」を合言葉に、ランニングイベントではランナーが胸につけるゼッケンに標語を載せたり、30回ほども続いてきた歴史あるイベント・河口湖マラソンの名称をさくっと変更して「富士山マラソン」にしたりと、いろいろとアピールを続けてきた。その辺の努力がどう影響したか分からないけど、ともかく富士山は世界遺産ということである。日本人として、富士山を愛するものとして、これは嬉しいニュースである。
しかし、問題はその動機というか、効果への過剰な期待である。
地元では「観光収入のアップ」の効果をかなり見込んでいるようである。今回のニュースを伝える新聞でも地元の声として「富士山周辺の経済的活性化」とか「観光収益の向上」などと伝えていて、既に富士山そのものではなく、富士山越しにおカネばかりを見ているようにも受け取れるのである。ほとんど最初からおカネ目当てでは?とも思えてしまうほど。
世界遺産に登録されることで、たしかに認知度は上がるし、観光客も増えると思うけど、それを目的にしてしまうのは本末転倒だとぼくは思う。あくまでも人類共通の資産として認識して、これを維持、保全していかなければならない。その保全活動の一環に「観光」という要素もあると思うけど、それは目的になってはいけないのだ。世界遺産に登録されることで、現在の姿をいつまでも残していくために、今なお進行している富士山の「テーマパーク化」をぜひ止めて欲しいと思うのだ。
「テーマパーク化した」という点では、奇しくも同じタイミングで世界遺産への登録を申請していた某市を想起する。この街も昔は歴史的価値のある建造物がたくさんあった。しかしこれを観光財源として開発を進めてしまったことで、街自体が現代的市な街地になってしまい、歴史的建造物はその中に埋没してしまった。歴史的建造物は市街地の中に点在しているものの、全体的にはアンバランスな印象である。
ぼくが毎年観戦しているツールド・フランスやジロデ・イタリアなどでは、小さな街の中がコースになっていて、ここを自転車に乗った選手が猛スピードで通り過ぎていく。家々は煉瓦でできていて、石畳があり、色調が統一され、そして街の中心には必ずと言っていいほど大きな教会がある。そして街の住民はこの古い煉瓦造りの家に今も住んでいる。こういう街が世界遺産などと声高に主張することなく、それが当たり前と言わんばかりに普通に生活しているのだ。これを思うと某市が市街化開発を散々進めておきながら、点在する歴史的建造物をもって「街全体を世界遺産に!」などと言うのはいかがなものかと思うのだ。少なくとも寺社の隣に高層マンションを建ててしまうような日本の街に歴史的価値を求めるよりは、ヨーロッパの小さな街の方がよほど歴史的価値があると思う。
反対側の視点で見ると、「日本文化は絶えず変化している」というまさに変幻流転の要素もあるから、ヨーロッパのように過去の街並みが現在もそのまま残っていることがほとんどなく、その時代ごとの要素が加えられ、減じられ、上書きされ、洗い替えされているから、つまりそういった文化圏の歴史的価値観と一緒に論じることがそもそもどうなのかという話しになる。ピラミッドとかパルテノン神殿のような千年級の建造物を相手に、変化こそ本質の日本文化がどこまで太刀打ちできるかって話しである。
だから西洋的尺度で測られる世界遺産に日本文化が評価されること自体がナンセンスなのかもしれないし、またあくまでその土俵で勝負するのであれば、場合によっては日本文化の要素を捨てて、往時の姿を往時のまま残すことも必要になると思うのだ。少なくとも、それをダシに周辺開発をするようなことがあってはならないと思うのである。
また、相模湾に浮かぶ某島があるけど、この島もかつては神社詣での定番として、東京(江戸)など遠方から行脚してくる場所だった。鉄道が整備され、神社詣でがより容易になると、神社詣でを観光資源と見るようになり、商店街のように長いお土産屋が立ち並ぶようになった。神社詣でする人も散歩する人もすべからく、このお土産ストリートを通り抜けなければならない。そこでうっかり、神社とは関係ない亀の甲羅とか膨れたふぐのはく製とかを購入するハメになるのだ。一体何をしにその島に来ているのか分からなくなっちゃう事態、角砂糖にアリが群がって角砂糖が見えなくなっちゃうような状態である。アリが群がった角砂糖を西洋的な歴史的価値観で評価してくれってのも都合のいい話しというかね。ちなみに、変化していくことが日本文化の本質のひとつとの見地ならば、たとえアリが群がっていたとしても角砂糖はどこまでも角砂糖だと思うけどね。これは先に書いたとおり、世界標準の歴史観の評価基準とは差があるということである。
・・・というわけで、かなり脱線したばかりか、どうも地元叩きみたいになっちゃった。ぼくは某市の街並みも某島も歴史的価値があると思うし、変化して新たに身に着けた文化的価値も相当高いと思うし、何よりも大好きである。だからこれを大々的に主張するのではなくて、ひっそりとそのままにしておいて欲しいと思うのだ。
そして富士山もしかり。外野でわいわい騒いでいても、主役はあくまで富士山である。世界遺産に便乗して騒ぎ過ぎるあまり、その喧噪ぶりだけが印象に残って、雰囲気のある富士山の雄姿、たとえば真っ赤な夕焼けを背負って黒く屹立する姿や豊かな海の向こうに聳える赤鉄色の姿が人々の記憶に残らないのじゃ、誰より富士山がかわいそうだと思うのだ。
| 最近のニュースから | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0)
ゴールデンウイーク後半。
ゴールデンウイークの後半は、ともかく遠征サイクリングである。
いや久し振りのロングライドである。自転車仲間10人ほどと仙台から仙台城跡を巡って塩釜、松島、奥松島を走ってきた。非常に濃厚な2日間であった。
基本的には観光地巡りの形なので、仙台城跡でも松島でも記念写真を撮ったり、お土産を買ったり、松島湾周回の遊覧船に乗ったりしたんだけど、その後に向かった奥松島では、広大な更地が広がっていることに愕然とした。東日本大震災で津波に流された現場である。
こういう風景があるのは分かってはいたけど、実際に自分の目で見ると改めて復興が進んでいないことを認識した・・・というか、復興の具合にかなり差があることに気づいた。仙台はほとんど東京などと変わらない風景と喧噪さだったし、海の近くの塩釜や松島でも、見た目ではほとんど復興している感じがした。松島は遊覧船に乗る観光客の数が尋常じゃなかったし、午後は海岸線の道路は渋滞して、歩道は観光客で溢れていた。しかし、仙石線が未だに復旧していない奥松島の地域では、曇天だったこともあってか、街に活気がほとんど感じられなかった。そして数ブロック先からは、ほとんど家がなく広大な茫漠とした土地。あまりにも何もなくて、もともとここはそういう土地だったのではないかと思っちゃうほどだけど、舗装された道路に沿って電柱が転々と立っていることで、つまりここを生活の中心にして生活していた人がいたことが分かる。津波が街のすべてを根こそぎ奪っていった現場がここにあるのである。修繕途中の防潮堤の上に乗って見渡してみたけど、更地が遠くの方まで続いていることにただただ茫然とするばかりである。
この茫漠とした土地にポツンと1軒だけ食堂が営業していて、しかもこれが1キロも先から見えてしまうほど、そこには何もないわけだけど、ここで食べた焼きガキが美味かった。同時に地震や津波に負けずに、そこで営業を続ける店主の意気込みを感じた。
それにしても、こういった景色と仙台の街並みや観光地然とした松島の街との物凄いギャップは何だろうね。復興がうまく進んでいないとはよく聞く話しだけど、進んでいないというよりも、復興の具合にモザイクのような大きな格差があることを実感した。その点では、被災地に行ったことは良かったと思う。
サイクリング自体は当初の予定で2日間90キロくらいが、仙台の市街地や郊外の道は走っててもあまり面白くないだろうということで、2日目は少々割愛し、仙石線に乗って帰ってきた。鉄道好きになってきたところで、気動車の仙石線に乗れたのは良かったかな。
そういうわけで盛りだくさんな2日間。詳しくは別ページにアップ・・・って、このページの最新記事って去年のしまなみ海道サイクリングだった。野辺山は書籍用に書いてるから載せていないとは言え、サイクリングの記事が少ない、つまりサイクルイベントが少ないということで、それはちょっと寂しいなーと思うのだった。

| 日記 | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0)
東北ショック。
明日から自転車仲間と一緒に仙台・松島を巡るサイクリングに行ってくる。2日間で90キロほどの比較的短い距離のサイクリングである。でも、ぼくにとって初めての東北であり、初めての被災地訪問になる。いろいろ見て感じて、いい意味でショックを受けて、実りあるサイクリングにしたいと思う。
その前日である今日は、さきこと久し振りにドライブである。先日のニュースだけど、富士山が世界文化遺産に認定される運びが確定的となり、同じタイミングで申請していた鎌倉が認定不適となったこともあって、鎌倉方面に向かうことにした。(富士山の世界文化遺産認定の件は思うところがあるので、現在ブログ記事を書いているところである)
お決まりのコースだけど、秋谷海岸から富士山を見てきた。雲一つない空に夕陽が沈む光景は大好きである。海もほとんど凪いでいて夕陽がキレイに映っていた。
松島の海を見る前にもう一度地元の海を見ておきたかった。いい海の景色を見ることができて良かった。
明日は4時起きである。
自転車を担いで東京駅まで行き、東北新幹線に乗車する。すべての行程が初めての経験。ちょっとドキドキである。

| 日記 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2013 >>
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
アクセス解析
 

現在の閲覧者数:
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE