「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
松江への思い。
ぼくの会社は島根県松江市に事業所があって、地元ではそれなりに大きな敷地の事業所らしいのだけど、ぼくはまだ一度も訪れたことがない。ぼくの同僚は今までに誰もが一度は行っているようなのだけど、どういうわけかぼくだけは出張するだけの仕事上の必要がなかったようなのである。
元々、歴史的にも地理的にもその他いろんな興味があって、一度は行きたいと思っていた松江である。一度はその地に赴いてみたいという思いは日に日に高まっていった。
そんな折、そんなぼくにもついに出張する機会が訪れた。いや大した仕事ではないのだけど、ちょっと強引に、というか松江出張ありき的な調整もしちゃったりして、ともかく松江出張をゲットした。仕事的には半日作業なので、半日かけて島根に行き、半日仕事をするという形になると思う。
さて、問題は仕事が終わったその後のことである。
仕事のために出張しているので、当然そのまま帰り、翌日も会社・・・というのが、一般的な考え方だろう。しかし、ここまで熱望してそれでも長らくお預けを食らってた松江出張である。しかも元来行きたいと切望していた松江である。
そうであれば、仕事が終わってもそのまま帰ることはせず、ここはもう一泊である。翌日は会社からお休みをいただいて、島根をいろいろ見てきたいと思う。そしてその翌日に帰宅、と。日帰り出張でも充分な出張だけど、自分の休暇と自腹による延泊で二泊三日の旅行にしちゃおうということになった。ふっふっふ、楽しくなってきたぜ。
もちろん、自転車も持っていく。できれば、松江市内だけでなく、宍道湖を巡って、出雲の方にも行ってみたい。いや、もうそうなると、ほとんど旅行の様相である。いや、もはや旅行である。そうである、自分の休暇を使って旅行して何も悪いことはなかろう。
ちなみに、ホントはさきこも一緒に連れて行きたかったのだけど(もちろん全額自腹で)、仕事の都合で難しいようである。彼女の最近の激務っぷりは、ホント心配で、ここは旦那さんとしては何かすべきだろうかと本気で心配している。
ともかくもそんなわけで、ぼくは一人、愛車の自転車を伴って島根を旅してくることになった。
さて、そうなると心配は仕事のことだけでなく、サイクリングのことである。
島根県・・・というか、米子空港なので鳥取県だけど、初めての土地をサイクリングするというワクワク感もさることながら、今の段階でもっとも不安なのが飛行機である。輪行で飛行機を初めて利用するのである。いやもうどうなるか?あの広い羽田空港の中を自転車を担いで歩き、手荷物預り所で重さとか大きさを測定して預ける。そうそう、輪行態勢にする時にタイヤの空気を抜かないといけない。貨物室は気圧を調節していないらしいので、空気を抜かないとタイヤがパンクする恐れがあるんだそうな。そうなると、米子空港で自転車を組み立てる際には空気を入れないといけないわけか。できればちゃんとした空気入れを使いたいものだ・・・と、空港の近くに自転車屋を発見。早速電話してフランス式の空気入れがあることを確認し、事情を話して空気を入れてもらうことにした。
うん、これでバッチリである。
米子空港でサイクルウェアに着替え、自転車を組み立て、タイヤに空気を入れ、走り出した自転車は中海に浮かぶ小島を渡って松江に到着する。だいたい20キロ超の旅である。この時のぼくはまさか仕事の用事で松江に来た人には見えないだろうね。一旦ホテルに入ってスーツに着替えて、会社に行き、しれっと仕事を済ませ、このまま東京へ戻ると思わせてホテルに戻り、翌日のサイクリングに備えるのである。翌日は丸一日フリーダム。自転車で宍道湖を周って出雲に向かい出雲大社を参拝する。帰りは宍道湖の反対側を巡って松江に帰ってくる。そうしてその翌日に再び自転車で米子空港に出て飛行機で帰ってくるのである。こんなプランが間もなく実現しそうである。
願わくば晴れて欲しいと思う。
雨だとサイクリングの予定は電車やレンタカーに入れ替わってしまうからね。雨の多い土地だと聞いているので、分からないけどね。ここは真剣に神頼みである。縁結びのために神様が大集合する出雲神社がある島根。ぜひ晴れの神様ともいいご縁を結びたいものである・・・って、神様が集合するのは10月だったか。
| 日記 | 13:53 | comments(0) | trackbacks(0)
伊豆半島サイクリング。
週末は会社の同僚と伊豆下田から伊豆高原までサイクリングに行ってきた。
一旦伊豆急で下田まで行って、北上するコースだったんだけど、土曜日の午前中だからクルマも少なくて、楽しいサイクリングだった。小刻みなアップダウンが多くて、辟易したけどね。
特筆すべきはその日の天気であった。
梅雨の真っただ中だというのに好天に恵まれた。しかも前日には小型とは言え、九州辺りに台風があって、これが当日の朝には関東を抜けているというミラクルっぷり。ホント、奇跡的な好天であった。晴れ男っているんだね。
天気についてもう少し少し詳しく書くと、実は北海道の北東にかなり大きな低気圧があった。970ヘクトパスカルを下回る勢力と言えばほとんど巨大台風並みである。この低気圧から梅雨前線が伸びていて、さらに先ほどの小型台風が巻き取られるような形になった。つまり梅雨前線に取りついた小型台風が巨大低気圧に猛烈に引き寄せられたというわけ。それで空いたスペースに北西の乾いた気団が入ってきて、これが晴れをもたらせたというわけである。本来5月頃に日本を覆う移動性高気圧の気団なので空気がカラッとしていて、でも太陽の陽射しが強いという、考えてみれば変な晴れ方だった。ちなみにぼくの天気予想はばっちり的中。爽やかな北風と暑い陽射しを浴びつつ、気持ちいいサイクリングができた。晴れ男が誰だか知らないけど、梅雨のど真ん中で晴れさせるなんて物凄い晴れパワーである。
サイクリングの方は、既述のとおりアップダウンをいくつもパスして、その度に気合いのヒルクライムと爽快なダウンヒルを味わった。エメラルドグリーンの海がとてもキレイだった。うん、下田から伊豆高原までのサイクリングはなかなかいいね。
伊豆高原に着くと、会社の宿泊施設までかなりキツいヒルクライムがあるのだけど、40キロほどサイクリングしてくると適度に筋肉が活性化してくれていて、意外なほど楽に坂を上ることができた。これがちょっとした達成感を惹起して、ぼくとしてはかなり満足なサイクリングになった。
会社の自転車仲間もだんだん自転車への意識が良くなってくれたので、梅雨が明けたらワンディサイクリングでも行ってみようかなと思っている。
| 自転車日記 | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0)
なぜなぜ分析の大事。
最近のニュースだけど、再生医療におけるES細胞の研究で、移植しても拒絶反応が起こらない方法の開発に成功したとのことだそうな。
ES細胞の実用化には、倫理的な問題の他に、拒絶反応をどうするかという問題があった。
そもそも他人の卵子を変化させて幹細胞を作るES細胞は、卵子、つまり人間の元を直接操作することに倫理的問題があり、同時に他人の細胞であるというところに拒絶反応の問題があって、つまりES細胞特有の、しかもなかなか解決が難しい問題がふたつもあったのである。
ちなみにiPS細胞は、被移植者自身の細胞(たとえば皮膚細胞など)を変化させて幹細胞を作るので、自分の、しかも分化し終わった後の細胞を使うわけだから、拒絶反応も倫理的問題も起こらない。iPS細胞が問題山積のES細胞で伸び悩んでいた再生医療の研究を大きく進歩させたという点では、文字通りノーベル賞級なのである。
しかし、今回のニュースによると、ES細胞の大きな障壁だった拒絶反応をなくす方向に大きな進歩があったとのこと。内容は後述するとして、ぼくはその発想・・・というか、発想に至る過程に大きくココロが動いた。ぼくの発想力の貧弱さを大いに反省したのである。
さて、ES細胞の拒絶反応の抑止は、他の生体組織移植と同様、拒絶反応を抑えるための免疫抑制剤を使うことが多い。しかしこれでは、移植される人の免疫システムのすべてを機能抑制することになるので、ちょっとした感染症でも命にかかわる問題になったりする。ただの風邪でも全く侮れないという意味では結構危険だったりするのである。
しかし今回開発された方法は、ES細胞で作った移植組織と同じ幹細胞由来の免疫細胞(マクロファージ)を作って一緒に移植するものだそうで、こうすることで体内にはもともと自身が持っていた免疫細胞と移植された免疫細胞がいることになるから、「自分以外の生体組織が移植された」という警報と同時に「自分の身体なので傷つけないで」と主張する細胞もいることになる。これにより免疫システムがその移植組織を「敵性認定」しないことに繋がり、結果として拒絶反応を抑止することになるそうである。なーるほどっ!
上記の内容はぼくが新聞記事の内容とぼくの免疫に関する知識を合体させたものなので、細かいニュアンスは違ってるのかもしれないけど、概ね間違ってないと思う。
自分の身体に他人の身体を移植して、それを「自分の身体です」と吹聴する細胞も同時に移植しておくという、巧妙というかずる賢くも、的を射た的確な方法である。スマートというよりクレバーと言うか。この発想にぼくは実は結構衝撃を受けた。
いや、研究者の間では当初より検討されていた手法かもしれないので(だぶん、そうだろう)、この手のネタの中では特に目新しい発見というわけでもないかもしれない。しかし、問題はぼく自身の想像力の欠如である。
ぼくはES細胞に既に書いたような問題点(倫理的問題、拒絶反応の問題)があると知った時、倫理的問題は克服できるかもしれないけど、拒絶反応の問題は免疫抑制剤を使う以外に解決方法はないだろうとそのまま考えるのを放棄してしまっていたのだ。免疫のことは知れば知るほど、そのシステムの周到さに感銘を受ける。このテキストを書いていても頭を整理するためにちょっと考えを巡らせただけで、改めて感動してしまう。これを誰かが(神様が?)一生懸命考えて組み立てたシステムなのではなく、進化という手探りの生存競争の中で積み上げられたものだということにも感動してしまう。
そういう考えが根底にある中で、ES細胞が直面する問題がまさに免疫システムに起因していると思うと、もう勝てる気がしないと思ってしまう。即、白旗である。だから、ぼくはそこで思考と止めてしまったのだ。しかも、まさにそんなどん詰まりな状況の中で、iPS細胞が発表された。倫理的にも免疫的にも一切問題のない技術である。これはもうiPS細胞の完全勝利だと思ったし、実際iPS細胞の研究に鞍替えした人もいるんだと思う。
しかし、それでもES細胞の研究を続けた人はいたのだ。そして、拒絶反応という大きな問題を克服する糸口をみつけたのである。それは科学者としての粘り強さの勝利なのかもしれない。
しかしぼくは別のことを考えていた。このニュース記事にただただ感動してしまった自分はどうなのか?と。
今回の研究結果は、実験として成功した点では物凄い成果だと思うけど、たぶん理論的にはかなり初期の段階で考えられていたことだと思う。基礎的な考え方は免疫学の初歩的な知識に立っているからだ。ぼくだって思いついたかもしれないし、そうだとすればよりES細胞の研究に興味が深まったかもしれない。しかしiPS細胞の登場も影響して、ES細胞に完全に興味を失っていた。「終わった技術」とさえ思っていた。
なぜぼくはここで考えることを辞めてしまったのだろう、何が足りなかったのだろうと考えてみた。
そして思い至ったのが、「なぜなぜ分析」である。トヨタだかどこかの人が考えた問題解析の方法で、フィッシュボーンなどと言われることもあるけど、問題に直面した時その理由を考えるに当たり「なぜ」を5回繰り返すというものである。そうすることで、問題の本当の原因、対処療法ではない根本的な解決策が見えてくるというものである。ぼくも社会人なので、そういうことは仕事でもやったりしているわけだけど、今回の件ではまったく「なぜなぜ分析」ができていなかった。
試しに考えてみると、実に簡単なことなのである。
ES細胞は他人の細胞だから移植したら拒絶反応が出る。
なぜ、拒絶反応が出るのか。免疫細胞が自身の組織でないと判定するからである。
なぜ、自分の組織でないと判定するのか。マクロファージなど体内を巡回する免疫細胞がその組織を敵性判定するからである。ではマクロファージに敵性判定されないようにするには、どうするか。同じ組織由来の細胞を投入してやればいいのだ。うん、なぜは5回もなかったわ。
これほど簡単な思考実験をどうして試みなかったのだろうか。
こういう思考実験こそが、世界をより面白くする原動力だというのに。
考えを巡らせなかったこと、諦めてしまったことに大いに反省である。
もっと思考を楽しむべきである。知識だけため込むのは誰でもできるけど、発想というのはそうはいかない。訓練して発想しやすい脳内環境を作っておかないと、どんどん発想力がなくなっていく。発想力がぼくのブログを彩ってきた部分はあるし、絵なぞを描き続けられている根源なのである。そういうわけで、今回のことはそういう自分へのいい戒めになった。
ES細胞の研究にはまだ終わりはないだろう。いつか倫理的な問題すらも解決して、iPS細胞を大きくリードする再生医療の先端技術になるかもしれない。
※ところで、こうして書いていて思ったのだけど、先のES細胞由来の免疫細胞を同時に移植する云々の話しだけど、この免疫細胞自体も免疫システムの判定を受けないのだろうかとちょっと思った。そうだ、こんな感じで思考力を維持していかないとね。
| 音楽日記 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0)
パラレル・ランニング。
昨日は毎年恒例のSAIKOロードレースに参加してきた。
先月の山中湖ロードレース以降、まったく練習していなかったので、いい記録が出るわけもなく、案の定結果は散々だったのだけど、さきこが終始並走してくれたので、これがなかなか楽しいランニングだった。記録を目指して無我夢中で頑張るのもいいけど、こうしてランニングを楽しむのもいいよね。
練習不足と雨降りにもかかわらず無理して記録を狙いにいったら、きっと失速して酷いな結果になっていただろう。これから暑くなってランニングも自主練がメインになってくる中、それなりにモチベーションを維持するにはまずランニングを楽しまないといけない。
ちなみに、今回も雨中ランニングになっちゃったけど、この時期に晴れたりするとそれはそれで大変だったりするので、実はこの大会は雨や曇りの方が楽にランニングできて記録も狙えるんじゃないかと思った。雨降りでもヘコたれないで走る気持ちさえあればね。
そういうわけで、終始さきこと並走して20キロを走り切った。最初は腰痛に悩むさきこをぼくがサポートするつもりで並走していたのだけど、後半でぼくの方が失速してしまい、ほとんど最後の5キロはさきこに声をかけられながらヘロヘロになって走っていた。それでもさきこと走ることで気持ちが紛れるのか、1キロの距離感が普段よりも短かったように思う。あれ、もう8キロ?ってな感じだった。
今日は健康診断で、少々の筋肉痛を抱えて診察を受けた。いや、いろんなデータが悪化している。
夏はさきこと遠征ランニングでも行ってくるか。
| Be RUNNER! | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0)
飲み代を返しに・・・?
先月の終わりに以前大変お世話になった楽団の指揮者とサシで飲む機会があって、ぼくは前後不覚に酔っぱらってしまい、そのせいで飲み代を支払わずに彼と別れることとなり、この失礼を返上するべく、楽団の練習の機会におカネをお返しすることにした。ついでに久し振りに楽器を吹かせていただくことになった。
ぼくにとっては数年振りの楽器演奏である。
金管バンドを辞めた以降はほとんど楽器に触れない生活を送ってきたので、楽器のスキルはもうほとんど初心者くらいまで後退してしまった。そんなぼくがレベルの高い楽団の合奏に参加できるのか非常に不安だった。できれば前日までに楽器ケースを開けて、楽器のメンテナンスをして、ちょろっと練習なんかもしておきたかったのだけど、前日は会社の同僚の自転車購入サイクリングに付き合ってしまい、帰ってきたのが夜21時過ぎという状況で、慣らし吹きなどとてもできない状況だった。いや、こんな体たらくで翌日に合奏なんか参加できるだろうか。かかなくてもいい大恥をかくハメになるだけじゃないのか。次第に焦りが募り逃げ出したくなるほどだった。いや、冷静に考えれば、飲み会のおカネを返しに行くだけなわけで、ついでに合奏に参加させていただくことがいつの間にかメインテーマになってしまったのだけどね。
前日の夜になって、やっと楽器ケースを出してきて、メンテナンスをすることにした。
楽器ケースを開けると、驚いた。現れたのは眩い輝きをまとった黄金の楽器である。これほど神々しい輝きを湛えた楽器だったっけ?ぼくの楽器ってこんなにキレイだったんだーとしばしうっとりしてしまった。いや、これは誇張ではなくホントである。ぼくが今大事にしている備品たちは、自転車にしろランニングシューズにしろ、どれも汚れている。基本的に外で使うものだから、汚れや傷は避けようもなく、汚れはほとんど勲章と言ってもいい。けど、楽器は基本的に室内で使うし、ケースにはフカフカの中敷きがあり、そこから取り出しても非常に丁寧に取り扱われる。そもそも使われ方が違うのだ。
だから長年眠っていたとは言え、楽器は往年の輝きを残していたというわけである。前日に過酷な90キロサイクリングを経験していたこともあって、これほど美しいものがぼくの自宅にあったことにほとんど驚愕したのだった。
翌日、ぼくが練習会場に行ってみるとすでに合奏練習の最中で、指揮者が指揮棒を振るって団員を指導していた。ぼくにとって懐かしい光景である。ほとんどウォーミングアップもしないで合奏に参加したから、久し振りであることもあって、最初の頃は全然楽器が鳴ってくれなかったけど、3時間にも及ぶ合奏練習が終わる頃には、以前のように思い通りの音が出せるレベルまでには復帰してくれた。それがとても嬉しかった。演奏することは苦痛でもあり、喜びでもあるけど、最後の最後で喜びの部分をちょっとでも味わえたのは幸いだった。
ぼくの意識にも合奏練習中に大きな変化があった。最初の頃は時間が経つのが遅くて、集中力が途切れがちだったけど、時間が経過して楽器にも慣れてくるにつれ、もっともっとと思うようになった。もっともっとセッションしていたいと思った。音符という物言わぬ記号の羅列が、楽器を通して美しい音楽に昇華するひと時を味わっていたいと思った。ぼくの脳みその音楽の部分が目覚めていたと思う。ホント、至福のひと時であった。
ところで、音楽・・・というか楽器演奏は、ぼくにとって麻薬だと思っていた。一度触れてしまうと、その魔力に囚われてなかなか逃れることができない。しかし年齢を重ねるうちにちょっと変わってきたみたいである。ぼくよりも何倍も何千倍もうまく演奏する若い人を見ていて、変な焦りみたいのがなくなったのだろう。合奏に参加して感じたのは焦りや魔力などではなく、単純に幸せな気持ちだった。清涼剤を含んだ時のようなピリッとしつつも頭が爽やかに透き通っていく感じ。それがほんの1秒の何十分の1ほどの時間で、ぼくの中で弾けるのである。
練習後、団員の方たちと食事に行き、お酒を飲み、またべろんべろんになって帰途に就くハメになってしまった。夜遅くなってしまったけど、久し振りに得難い体験をしたと思う。
楽器を背負って電車に乗っていると、以前も感じたことだけど、ちょっと誇らしげな気分になったりして、いやホント、楽器演奏とか音楽ってなんなんだろうなーと思うのであった。
| 音楽日記 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0)
久々のロングライド。
先日の土曜日と日曜日でまったく違う過ごし方をした。どちらも濃厚な時間だったな。
土曜日は、会社の同僚が自転車を買うというので、これに付き合って橋本の某自転車量販店に行ってきた。
これだけ書くと大したことはないのだけど、実はこの行程はすべて自転車だったのだ。横浜から橋本に至り、同僚と合流して自転車を購入し、そのまま慣らし運転も兼ねて彼が住まう厚木までサイクリングし、それから帰宅する。90キロ超のロングライドである。いや最近本気でロングライドなぞやっていなかったので、ぼくとしてはいい機会だったんだけどね。運動不足だったことと、ほとんど1年振りくらいに久し振りのロングライドに体力と共に精神的にちょっとした試練だった。
橋本方面はぼくが自転車に乗っている中で唯一行ったことのない方向で、保土ヶ谷バイパスを避けて一般道をクネクネ走るのは何となく面倒で、なかなか足が向かわなかったのである。しかし今回は自転車初心者の同僚が自転車を買うというのだから、多少分かりにくい道でも行くしかないのである。幸いiPhoneにGPSやカーナビ的なアプリがあるので、劇的に道に迷うようなことはなかった。その代り、やはり相模原以前の道、具体的には保土ヶ谷から町田インターチェンジ辺りまでの道は、横浜市とは言え、クルマでも通ったことのない道で、それが楽しくもあった。
途中で急ハンドルで左折するクルマと接触しそうになったりしたけど、橋本までの30キロほどを3時間で走り、現地でコーヒーなぞ飲んで時間を潰し、やってきた同僚と量販店でほとんど即決の勢いで自転車を買い、調整してもらってから厚木までのサイクリングをすることになった。厚木までは下り基調で25キロくらいかな。相模川を渡るんだけど、見慣れている河口付近の様相ではなくて、さらさら流れるキレイな清流の相模川にちょっと感動したり、丹沢の山々が聳え立つほど近くに見えたりして、いや神奈川って日本の中でもかなり狭い県の一つだけど、意外にも広大なんだと思ったりした。
厚木に至り、太陽が西に大きく傾く頃、同僚に輪行の方法など伝授した。彼が買った自転車はフラットバーのシティサイクル的な自転車なので、ハンドルやブレーキの感じがロードバイクとは違ってて、しかも購入した輪行袋が前輪だけ外すタイプの店員曰く「簡単で初心者向き」というものの割に全然簡単じゃなくて結構苦労しながら不慣れな分解・組立作業を何度も繰り返した。だから、そろそろ帰ろうかという頃には太陽は既に丹沢の稜線に消えていて、つまり横浜までの35キロがほとんどナイトライドになってしまうのだった。
しかも厚木・横浜間の道はあまり詳しくなくて、路面の状態も見えないから非常に危険だったりする。たぶん、この日一番エキサイティングなサイクリングだったと思う。
暗いのでスピードが出ず、結局横浜まで帰ってきたのは21時くらいだった。久し振りに「ツバサよ、あれが横浜の灯だ」とか呟いちゃったね。そして夏に敢行する「日本海チャレンジ」に向けて、ほんのちょっとだけココロの準備ができたと思ったのだった。
こうしてほとんど1日中ペダルを回していた土曜日と違い、日曜日は完全インドアで音楽漬け、いや音楽は半分くらいで残り半分はお酒漬けな日となった。
| 自転車日記 | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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