「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
大坂ナイト。
大坂出張である。
これから年末年始にかけて大阪に行く機会が増えるのだけど、今回はその第一弾である。
昼過ぎに東京を出て、新幹線で新大阪に入り、17時頃会社に到着。さくっと仕事を終えてその日は翌日に備えて早めに帰らせてもらうことにした。
それからぼくの長い大阪ナイトが始まる。

ホテルにチェックインしてから着替えて、ホテルを出る。
実はぼくはあまり出張の経験がないので、現代のビジネスマン必携(?)のキャリーバッグを持っていない。この日は大きなスポーツバッグを提げて来たんだけど、イマドキそんな大きなバッグを持ってる人はあまりいなくて、出張など荷物が多い場合はスタイリッシュなキャリーバッグを持つのが一般的になっているようである。だからぼくもこの機会にキャリーバッグが欲しいと思い、買い物をするためにホテルを出てまずは梅田に向かうことにした。
前回梅田に来たのは夏頃で、あの時は飛行機で到着した伊丹空港からバスに乗って来たのだった。そこで画材屋さんを発見して思わずいろいろ買ってしまったり、それがちょうどランチタイムだったこともあって、街にはたくさんの人が歩いていて、その歩く速度がぼくのテンポに違和感なく合っていたからただそれだけで「なんて住みやすい街なんだ、大阪!」と短絡的に思ってしまったものである。
梅田大丸に東急ハンズがあったので、見てみることにした。ビジネスマンが持ってるようなカッコいいキャリーバッグも欲しかったのだけど、今回はここまでスポーツバッグで来ちゃったわけだから、これを転がして運べるようなキャリアーでもいいわけで、実際その方が良かったので、キャリーバッグでなくキャリアーを購入することにした。スポーツバッグを立てて固定すれば、キャリーバッグと同じようにスポーツバッグを転がして運べるわけだ。うん、これがいい。
ついでに安物のデイバッグを購入。実は大阪には先に書いた大きなスポーツバッグしか持ってこなかったので、会社に行くにも街に出るにも何かと不自由だったのである。
そんなわけで、さくっと買い物を済ませたぼくは足早にホテルに戻る。
まだこの時間ならランニングができるかもしれない。
ぼくの荷物がこれほど大きい理由は、ランニングができるようにウェアやらシューズやらを持ってきているためである。せっかく早い時間に自由時間を得たのだから、ここはひとつランニングをしよう。
ホテルで再び着替え、今度はランニングスタイルである。
肥後橋近くのホテルを出て大阪城方面に向かった。
そういえば、春の名古屋出張でも早めに会社が終わったので、夜の名古屋を走り、名古屋城を周回したことがあった。せっかくお城のある街に来たのだから、ここは大阪城まで行ってみるべきだろう。そういえば、大阪にはどんなランナーがいるのだろう。
風も出てきてちょっと寒かったのだけど、2キロほど走って大阪城辺りまで来た。
暗い公園のような敷地にお濠がありその向こうに石垣がそそり立っていた。かなり高い石垣である。そしてさらにその向こうにライトアップされた白い城が浮かび上がっていた。大阪城である。
遠目に見ただけだけど、これはなかなか壮観である。皇居にも城をイメージさせる小さな城郭はあるけど、天守まであるいわゆる「城」はない。こうして城を見るのは名古屋城以来である。
やはり感動的である。何百年も前に作られてなおその圧倒的な存在感を放っていることがスゴい。
周囲を回ってみようと走っていると、公園の中に続く道があった。こういう公園って夜は閉門しちゃうのかと思ったけど、どうも中まで入れるようなのである。せっかくなので、城門を抜けて中に入ってみる。ライトアップされた石垣や城壁がなんとも雰囲気を出している。名古屋城を夜ランした時も一部の城壁内には入れたけど、あの時もオレンジの光に照らされた城壁はなかなかいい雰囲気を醸していた。大阪城はそれ以上である。走りながら思わずため息が漏れた。
いいなー、大阪のランナーはこんないいところを夜も昼も走れるのか。
城内には散歩する人やライトアップされた城を撮影する人もいて、また何人かのランナーともすれ違った。でも皇居のような大混雑はないみたいである。その点ではちょっと寂しかったかな。
結局大阪城本丸の足元まで来て写真なんかを撮った。城内をぐるっと回るコースだったので、さほど距離は走らず、ホテルに戻ることにした。お腹も減ったし寒かったしね。でも、なかなか楽しいランニングだった。
それにしても出張のたびにランニングウェアを持っていくのはいいかもしれない。仕事が忙しくて持ってきたものの走れないということもあると思うけど、それでも走れた時は知らない街を探索する気分も味わえて結構楽しいものである。荷物は重くなるけど、キャリアーも買ったことだし、これからも出張の時にはランニングウェアを持っていくことにしよう。
そういうわけで、ぼくの大阪ナイトはこうして更けていくのであった。
 
| 日記 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0)
富士登山鉄道の夢。


今日の日経新聞に出ていた記事である。
富士山の北鹿地域の観光組織である富士○湖観○連盟が、富士山の五合目と新宿を結ぶ鉄道の敷設を検討するための会を発足させるんだそうな。検討会には官庁のOBとか地元の役所が参加するそうなんだけど、いや記事にはこれしか書いていないんだけど、これを読んでもう驚いたね。
世界遺産の意味がさっぱり分かってない。

結局のところ、やっぱり富士山を観光資源としてしか見ていなかったというわけである。いやそれでもいいんだけどね。ただ世界遺産に登録させておいて、「人類普遍の価値」云々と言っておいて、実際には富士山周辺に人を呼び込むことしか考えてなかったという、いわば二枚舌なところ・・・いや本人たちが二枚舌であることすら分かってないんだろうなと思うけど、とにかく驚き、呆れている。
このままでは以前にも書いたけど、結局は富士山はテーマパーク化されてしまうかもしれない。
そう思うと同じようにテーマパーク化してしまった江の島を想起する。もともと信仰の対象としてお宮参りの島だったハズだけど、今ではお参りのためにエスカレーターなぞ設置され、なぜか植物園ができ、参道に隙間なく土産屋が立ち並び観光客を虎視眈々と待ち構えている風景に変わってしまった。このテーマパーク化が悪いことだとは思わない。そういう観光開発もありだとは思う。
でも世界遺産に登録することとテーマパーク化は方向が違うと思うのだ。
富士山を観光資源として、原型が分からなくなるほど開発して観光客を呼び込みたいのなら、そういう方針で開発を進めればいいのだ。五合目とは言わず、地下にトンネルでも掘って楽して頂上に行けるような開発だってすればいいのだ。高尾山どころかもっと簡単に日本一の山に登頂できるようにすればいいのだ。それが観光立国としてのあるべき姿だというなら、そうすればいいのだ。
しかし、そういう思いがある一方で、世界遺産に登録したりして、富士山信仰や文化や自然を永遠に残そうというのは、考え方としておかしいと思うのである。
かなり昔に某富士○行で富士山五合目まで電車を通そうという考えがあったそうだ。地盤とか環境面とかいろいろあって頓挫したと聞いたけど、これ、実現しなくて本当に良かったなーと思ったものである。それが今回、私鉄ではなくJRが率先して検討に参加するというのだから、なんだかね。私鉄が利益追求のためにいろいろえげつないことを考えるのはしょうがないとしても、国鉄の流れを汲むJRがそういうことするかなーと思うのである。
先日河口湖に行った時に山梨名産のぶどうを売るお土産屋さんが「ぶどう買わないの?ウソでしょ?」と宣伝文句(?)を大きく掲げていて、そういう宣伝文句を掲げようとするマインドにかなり違和感があって、「もしかしたら観光客がどうして富士山周辺に集まるのか見えていないのでは?」と思ったけど、今回のニュースが地元でも何ら違和感がないのであれば、これはもう確定である。

4日後に富士山マラソンで河口湖を訪れる。
去年はランナーのことをあまりにも考えてない運営で、ランナーたちの間だけでなく、日経新聞本誌でも叩かれたある意味有名な大会だったけど、その汚名をどう返上するか、悪趣味かもしれないけど実はちょっと楽しみにしていた部分もある。イベントで「大きな不満足」を与えてしまったら、次は「満足」を与えてもダメで、更なる満足を与え、「大満足」してもらわないと過去の不満足は拭えないというのは、ぼくが今の会社に入って実感したことである。そういう意味でも、ぜひお手並み拝見といきたかったのだけど、このニュースを見るにつけ、あの時のランナーたちの不満足、イベントの失敗の「真の原因」がどこにあるか、分かってない人がやっぱり存在したことが分かっちゃった。非常に残念で哀しいことである。
なんかイベントとしての楽しみがなくなっちゃったかな。
まあそういうのは抜きにして、とにかくランニングを頑張ることにしよう。
べたべたとイジられつつも、今はまだその自然の雄大さを湛えた富士山を見ながら走れるといいな。
| 最近のニュースから | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0)
大坂出張。
今日は朝から大阪出張である。前回は夏頃に来たのだけど、それもこれも今月末から年末年始にかけた作業の準備である。前回の大坂出張は現地まで飛行機でアプローチしてみたけど、今回は出張費用の清算の都合で新幹線で行くことになった。新幹線では可能な事前清算が飛行機ではダメなんだって。残念。とは言え、ぼくのような事務職のニンゲンはこうして出張が立て込むだけで非日常である。
春には名古屋に出張し、夏には松江に出張し、その度に自転車やらランニングウェアなぞ持っていき、サイクリングやランニングを楽しんだ。今回の大阪でも仕事後のランニングとかちょっと長めの出張期間ではその内の1日を休み扱いにして大坂市街をサイクリングしてみようとかいろいろ考えている。出張には自転車を携えて・・・というのは、ぼくの出張計画の中で重要な検討項目になってしまった。夜は大阪城を周回するランニング、休み扱いの日は海までサイクリングとこの非日常を楽しもうと思っている。
※ところで、こうしてブログを書いているんだけど、実は出発を早くした関係で時間を持て余してしまった。多少の時間は持て余すだろうと思っていたから「絵なぞのことでも考えているか」と思ったのだけど、先日のお絵描きの神様ご乱心以降、わずかにアイドリングしていた右脳が完全に停止してしまい、筆が進まなくなってしまった。これから年末に向けて来年の干支・午に絡めた絵なぞを描こうと思っていたのに・・・って、12月は忙しくて絵なぞ描いていられるかなあ。


※歩いてて見つけたポスト。青いポストに入れると速達で届くのか。
| 日記 | 11:32 | comments(0) | trackbacks(0)
日曜は。
日曜はひとりで横浜まで出かけて、とある会合に参加してきた。
会合というか、イベントと言った方がいいか。ある政治家が開催しているイベントである。政治家というか、正確には元政治家である。この前の衆議院選挙で落選しちゃったからね。
この元政治家が開催するイベントに参加するのは2回目である。
自宅の最寄り駅で街頭演説とかビラ配りしているのをさきこが見つけ、チラシをもらったところ、このイベントが開催されることを知り、申し込んでくれたというわけである。・・・なぜか、さきこではなく、ぼくが参加することになってるけど、こういうイベントで言いたいことを言う機会があった方がいいのでは?という彼女なりのココロ配り(?)である。
前回のイベントでは、まだ現職の政治家だったこともあって、かなり盛り上がったし、現職の閣僚が応援に来てくれたり(SPの警護がスゴかった)、ぼく的には非常に好奇心を刺激される機会だったんだけど、今回は横浜駅近くとは言え、かなり老朽化した建物の中での開催だった。政治家から「元」政治家になるというのは、そういうことかもしれないね。
イベントの内容は、参加者がグループになって、政治的な課題を話し合い発表するという形式で、「市民に政治について考えるきっかけになってほしい」的な政治家の勝手で余計なお節介的な動機の押しつけである。
さて日曜は朝から気が重くて、なんとなくこういうイベントは苦手だなーと思ってたんだけど、実際に行ってみると知らない人と話したりして議論するのは悪い感じがしなくて、2時間程度だったけど、あっという間に終わってしまった。こういうのって最初は尻込みしてしまうものだけど、スイッチが入ると結構元気にしゃべったりできるものである。
最後までぼくの好きなことを言わせていただいて会場を後にした。昔からマイクを手に喋るのが嫌いじゃないので、政治的話題もそうだけど、もっと単純に「喋くり欲」が満たされたので満足したのだった。

| 日記 | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0)
お絵描きの神様、ご乱心。
あーぁ・・・。

| 日記 | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0)
もうすぐ、フルマラソン。
今月24日はいよいよ富士山マラソンである。
フルマラソンを前に準備がうまくいったことなんて一度もないし、今回も準備万端とは到底及ばないところなんだけど、それでも不安が少ないのは、多少なりともロングラン練習ができているからかもしれない。
実は先月から3週間ほどだけど、週末に20キロとか30キロのランニング練習ができている。平日はほとんど走れなかったので、正味として練習の距離としては大したことはないのだけど、短距離を多くこなすことと少ないけど長距離をこなすことで大きな差はないと思っている(ホントか?)ので、決して多くはないけど、それなりに走り込みができていると言っていいと思う。いや、もちろん、あくまでぼくの次元で「走り込みができている」と言っているので、楽に速く走れるわけでもないだろうし、タイムもそれほど向上しないと思うけど、「練習不足過ぎて42キロを走れる体力さえなかった」ということにはならないんじゃないかな。途中リタイアしないで済むレベルのぎりぎりの体力だけど。

さてそうなるとコンディションがとても重要になる。
コンディションというと、天気もそうだし、当日のぼくの体調もそうである。
特に天気の方は、体調管理と違って、ぼくがどんなに注意深くなってもいいコンディションが得られるわけではなく、まったくの偶然に期待するしかない。当日が雲ひとつない晴天、しかも無風だったりしたら(今日みたいに)、初冬のこの時期においてはなかなかのコンディションだと言えるけど、最悪の場合寒気が流れ込んで気温が低く、風が吹きすさび、そして雨が降ってる・・・なんて状況だったら、もうランニングなんてしていられないほどで、もしかしたら出場を見合わせることさえ考えてしまうかもしれない。いや、最悪の場合、ね。ちなみに、雪が降っていたりしたら面白がって参加するかもしれないな・・・いや、ランナーに踏み鳴らされたシャーベット状の雪がシューズに染み込んで死ぬほど冷たいなんてことが容易に想像できるので、うん、これもないかな。
近頃はこうして当日のコンディションをイメージして取り留めもなく考えている。寒かったら何を着ようとかどういうペース配分になるだろうとかね。いや、走力があるからではなく、ぎりぎりの走力しかないから考えちゃうんだけどね。
体調の方はまずまずである。
まだ2週間ほどあるので、油断禁物である。乾燥してくると風邪が流行るので、これには充分注意しないといけない。さきこは本番前に必ずと言っていいほど体調が崩れるので、こうしてブログに書くことで厄落とししつつも、とにかく注意してほしいものである。

それにしても、今年のランニングシーズンは、この富士山マラソンで幕を開けるわけだけど、いつもならハーフマラソンとか10キロランニングとかで練習ができるのに、いきなりフルマラソンってのはホント気持ち的に大変だなーと思う。ちなみに、今シーズンの最大のクライマックスは言わずもがなの東京マラソンである。これも直前になったらああでもないこうでもないといろいろイメージ(?いやもはや妄想か)を巡らせるんだろうなと思うのである。
| Be RUNNER! | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0)
ゾロ目デイの終焉。
今日は11月11日で、いわゆるゾロ目デイである。
ぼくはこういう日がどうも好きで、特に仕事なんかでファイル名を決める時に月日を付したりするので、それが「1111」と並ぶとちょっと嬉しかったりする。いやもっと言えば「年」も加えてゾロ目だったりするともっと気持ち良かったりする。今年は平成25年で2013年なので、どう転んでも年月日でゾロ目になることはない。なんだか残念だなーと思ったところ、ふいに驚愕の事実に気づいてしまったのだ。
つまり、年月日が並んでゾロ目になることは今後ないのだ。

去年は2012年だったので、12月12日に「12」が並ぶ日があった。その前年も同様で今日と同じ11月11日に「11」が並んだ。こうして西暦では2001年以降、ずっとゾロ目が並ぶ日があったのに、今年から先はそういう日がないのである。世紀をまたいで西暦3001年になったらまた1月1日がやってくるけど、これに立ち会うことはもうできないだろう。
一方、和暦の方はどうだろう。今年は平成25年なので、とっくの昔にゾロ目ができる年を過ぎてしまった。和暦でゾロ目ができたのは平成12年までで、つまり今から13年前である・・・と思ったところで、面白いことに気づいた。
13年前と言えば2000年である。平成12年の翌年は2001年である。つまり、平成13年(2001年)に和暦でのゾロ目デイがなくなった代わりに、西暦でのゾロ目デイが始まったというわけである。ゾロ目デイは和暦から西暦に引き継がれたのだ。
そう考えると、年月日でのゾロ目デイの存在はかなり長い期間だったことが分かる。平成の12年間とこれに続く西暦の12年間。24年間もゾロ目デイがあったわけである。
これはスゴいことである。
ぼくは平成一桁の入社年度だから、就職してからずっとどこかでゾロ目デイを経験してきたのだ。いやもっと言えば、勤続24年未満の人はずっとどこかでゾロ目デイを経験してきたのである。これはバブル入社組を超えてさらに前の入社年度だから、かなりの社会人を包含する期間である。社会人の大部分とは言わないまでも、半分以上が就職してからずっとゾロ目デイを経験してきたことになるんじゃないかな。
そして、このゾロ目デイが今年からないのである。
そう考えるとこれはスゴいことなんじゃないだろうか。たかだかゾロ目デイだけど、今年は社会人の半分以上が経験したことのない年なのである。
そんなことを考え、せっかくの11月11日の1並びなので、後世に残るような大事なファイルを作ってみようとか、そうだ、自宅で現在鋭意製作中の絵なぞの日付を「131111」と書くようにしようと思い立つのであった。
| 日記 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0)
Gショック。
今年の夏も暑かった。
どこにいても空気は熱気を帯びていて、それは生きとし生けるものすべてを苛んだ。そして今、秋が深まりつつあり、夏場に暑さを避けて移動していた生きとし生けるものが、寒さをしのぐために再び移動をしているのである。
その移動の過程で異種間で接近遭遇があることだってある。車道をクルマで走っていると冬ごもり前のツキノワグマが横切るかもしれないし、木々の枝をどんぐりを頬にため込んだリスが渡っていくのを見ることがあるかもしれない。そしてそういった接近遭遇はよりニンゲンの生活に近い場所でも同じことが起こる。
昨日一足先に自宅に帰っていたさきこから連絡があった。
「殺虫剤がなくなっちゃったから買ってきて」
もう、これですべてを察してしまったよ。出たのだ。出てしまったのだ。
最近少々残業気味で、早く帰ってゆっくりしたかったんだけど、この連絡でいきなり帰りたくなくなってしまったよ。
それにしても思うのは、上述したようなツキノワグマやリスに限らず、森にいる動物たちの深まる秋に向けての行動はとても抒情的なのに、この虫に関してそういう感情が湧いてこないのはなぜだろう。
聞けばニンゲンという種がこの世界に誕生するよりもはるかはるか昔、何億年も前から地球に存在していたそうだけど、どうしてニンゲンはこの虫と共存するように進化しなかったのか。いや共存はしてるかもしれないけど、なんていうか強烈な嫌悪感はどうして進化の過程でなくならなかったのだろう。彼らがばい菌を媒介して何度もニンゲンに災厄をもたらしてきた歴史があるから、できれば避けたい存在になったというのは分かるけどさ、でもさ、なんていうかもう少し生産的な感情が惹起される存在でいて欲しかった。それを見るだけで嫌悪感よりも殺傷衝動の方が強く起こるとかさ。そうすれば嫌悪感とか帰りたくないとか思うよりも先に猟奇殺戮的な残虐な感情が起こって「もーーうブッ殺す!」とか言って逆に勇んで帰途を急ぐかもしれない。
そう進化しなかったのは人間にとってもその虫にとっても不幸なことである。
・・・などと考えながら強力殺虫剤を買って自宅に戻った。
幸いその存在は行方不明になってしまったようだ。できれば隠れる前にちゃんとその死を確認しておきたかったけど、しょうがない。実はどこかで生きていて、ある日突然遭遇するとか、実はそいつはメスでお腹にいっぱい卵があったとか、そういう変な想像はしないようにしよう。
いなかったものとして過ごす。
そうである、ニンゲンの身体機能が進化してくれなかったなら、思考をコントロールするしかないのである。それが進化に行き詰った種の唯一残された防衛手段なのである。
| 日記 | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0)
本屋にて。
先週の三連休はさきこと久し振りに本屋に行ってきた。最近とんと本を読んでいなかったんだけど、興味のある自然科学の分野で面白そうな本があったので、買って読んでみることにした。
いや、この手のハードカバーの本を読むのはホント久し振りである。
どのくらい久し振りかというと、たぶんiPhoneを持つようになってからはじめての本だと思う。
もちろん、文庫本などはいくつか読んだりしていたけど、ハードカバーで文庫本なんかより大きなサイズの本は、久し振りなのである。なぜ、iPhoneが出てくるかというと、今回買った本を読んでいて、ふと「検索衝動」に駆られる部分があったからである。今回の本は自然科学系と言いつつほとんど歴史に関する本なので、19世紀頃のアメリカやインドシナ諸島を巡るオランダやイギリスの交易利権に関して記述があったんだけど、この両国の利権を巡る対立が紛争に発展し、3年ほどの戦争に繋がったと書いてあって、会社帰りにこれを読んでいて、あれ?この戦争ってなんていう戦争だっけ?とふと思い立ち、胸ポケットのiPhoneを思わず取り出して調べてみようと思い立ったのである。実際にはそこで電車を降りて駅のホームを歩いていたので、歩きながらiPhoneで調べるというところまではしなかったけど、でも分からないことをその場で調べてみようという衝動は同じようにインターネットに繋げることができた携帯電話の時にはなかったものである。そういえば、ぼくはテレビを見ていて分からないことがあると(いやちょっとした疑問やど忘れ的なものだけど)、手元のiPhoneで検索することが多くなった。完全な正確さを求めないなら、ウィキペディアのアプリを起動して、検索窓にちゃちゃっと入力することで、概要は分かるものである。とても久し振りにテレビに出た芸能人が、どれだけ久し振りかって調べてみると、テレビに出てなかった時期はずっと舞台俳優をやっていたなんてことが分かったりする。そういう行動が癖になってくると、本を読んでいて連想から発した疑問ですらネットで調べたくなるのだろう。
そういう行動に気づくにつけ、同じような本を読んでいたかつてにはそういう衝動がなかったことを考えると、つまりiPhoneを持つようになって、分からないことをちゃちゃっと調べられる環境を手に入れて、そこで久し振りに本を手にしたということではないかと思い至ったわけである。つまるところ、ぼくはiPhoneを手にしてから4年ほど経つけど、ぼくがこの手の本を読むのはおよそ4年振りなんだなーということである。
そういうわけで、冒頭に戻るけど、ぼくは約4年振りに自然科学系のハードカバーの本を買ったということである。
うん、「久し振り」度合を表現するのに、こんなに言葉を尽くしてしまったよ。

それだけ久し振りだからだろうか、書店の様相も若干変わってるような気がした。
関内にあるこの書店は子供の頃から何度も行っている書店で、新書や雑誌が置いてある1階で買い物をしていた時には気づかなかったけど、実はどの階であっても会計はすべて1階ということになっていたのだ。およそ4年くらい前までこの書店で本を買っていた時には、会計はすべて各フロアにある会計コーナーでおこなってたわけだけど、それが今では変わってしまっていたということである。各フロアの店員さんのいるブースはそのままなんだけど、ここでは会計はおこなわず、お客さんの問い合わせを受けたりしていた。店員さんはそのフロアの棚の整理などの仕事もあるんだろう。
これはいわゆる経費削減というヤツだろう。
会計の人員を削減するというわけだけど、随分思い切ったことをするなーと思った。
この書店はかなり古い建物で、たしか7階まであったと思うけど、本を買いたい人は各フロアで本を手にしてそのまま階段やエレベータを降りて1階に行くというシステムなんだけど、階段は少々暗めで店員さんの目も届かないし、しかもトイレがあったりする。エレベータだって監視カメラがどうなってるか知らないけど、個室になっているのである。ちゃんと会計まで持って行ってくれる人ばかりだといいけど、世の中には悪い人もいるわけで、この辺はどういう考えなのかと思った。
ぼくだけに限らず読書する人がどんどん減ってきて、しかもタブレット端末による電子書籍が最近どんどん増えてきて、こうしている間にも書店のマーケットは危機的な状況になってきている。だからこそ会計を1階に集約して経費削減しているわけだろうけど、そう思うにつけ、書店の先行きがさらに一層心配になってしまった。
そういう視点でみると他にも気づくことがあった。立ち読みされた書籍は期せずして折り目というか癖が付いちゃったりして、なかなか買われないから書店側から言えば商品になり得ないものなんだけど、だからと言って陳列されたちょっと高めの画集にぴっちりビニールを巻いて本が開けられないようになってるってのも、そりゃすべての本を商品足り得るクオリティで陳列したい気持ちも分かるけど、中身を見ることができないのでは「本との出会い」がなくなっちゃうわけで、より一層本が買われなくなっちゃうんじゃないかと思うのだ。こういうことも含め、書店の取り組みが逆効果というか負のスパイラルというか、つまり先行きがとても心配と思うわけである。
ではどうすればいいのだろう。
ぼくの大好きなこの書店はどうすればいいのだろう。
これは本を取り巻く業界みんなで本気で考えて一斉に対策を取らないとダメなんだと思う。
ぼくが就職した頃、世の中では「マルチメディア」という言葉が盛んに叫ばれ、近い将来に文字情報はすべてデジタル化され、書籍は電子書籍に取って代わられると言われていた。出版社も印刷会社も書店もこの流れにどう対抗していくべきか真剣に考えていたと思う。ぼくは印刷会社に入社したわけだけど、実際に書籍に印刷することが本業の会社としては、文字のデジタル化に「世の中から書籍がなくなってしまう」と、いささか恐々としていた面もあったと覚えている。実際にはデジタル化の波は末端の消費者まで届かず、見た目的には「マルチメディアの波」は世の中をがらっと変えてしまうほど大きな影響はなかったと思う。その後はマルチメディアなんて言われなくなったけど、それでも何度かデジタル化の影響が顕在化して書籍の危機なんて言われることがあった。そして最近のタブレット端末やスマホの普及である。分からないことはその場でちゃちゃっと調べられる世界。重い書籍を持たなくても手のひらの機械に一生かかっても読めないほどの書籍データが入ってしまう世界。今回ばかりは本物の波が来たんだと思う。それまで見えないところで20年間も積み重なってきたものが一気に噴き出しているのだろう。
だから書店は本気で考えないとダメだと思う。今までのような一時的なブームや顕在化しない波だと思っていると、ホントに書籍がなくなってしまうかもしれない。
久し振りに本を読もうと思っているぼくが言うのはオコガマしいのだけど、久し振りに本屋に行ったからこそその変化に思いが至り、そしてその先に思いを馳せてしまったわけである。
さて、ここまで偉そうに書いてきて、さて今回の本も飽きずにちゃんと読み切れるかな?なかなか興味のある分野に切り込んでみたけど、ちょっと不安になりつつ、楽しみな部分もあって、やっぱ本っていいなーと思うわけである。
| 日記 | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0)
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