2013.11.30 Saturday
大坂ナイト。
大坂出張である。
これから年末年始にかけて大阪に行く機会が増えるのだけど、今回はその第一弾である。
昼過ぎに東京を出て、新幹線で新大阪に入り、17時頃会社に到着。さくっと仕事を終えてその日は翌日に備えて早めに帰らせてもらうことにした。
それからぼくの長い大阪ナイトが始まる。
ホテルにチェックインしてから着替えて、ホテルを出る。
実はぼくはあまり出張の経験がないので、現代のビジネスマン必携(?)のキャリーバッグを持っていない。この日は大きなスポーツバッグを提げて来たんだけど、イマドキそんな大きなバッグを持ってる人はあまりいなくて、出張など荷物が多い場合はスタイリッシュなキャリーバッグを持つのが一般的になっているようである。だからぼくもこの機会にキャリーバッグが欲しいと思い、買い物をするためにホテルを出てまずは梅田に向かうことにした。
前回梅田に来たのは夏頃で、あの時は飛行機で到着した伊丹空港からバスに乗って来たのだった。そこで画材屋さんを発見して思わずいろいろ買ってしまったり、それがちょうどランチタイムだったこともあって、街にはたくさんの人が歩いていて、その歩く速度がぼくのテンポに違和感なく合っていたからただそれだけで「なんて住みやすい街なんだ、大阪!」と短絡的に思ってしまったものである。
梅田大丸に東急ハンズがあったので、見てみることにした。ビジネスマンが持ってるようなカッコいいキャリーバッグも欲しかったのだけど、今回はここまでスポーツバッグで来ちゃったわけだから、これを転がして運べるようなキャリアーでもいいわけで、実際その方が良かったので、キャリーバッグでなくキャリアーを購入することにした。スポーツバッグを立てて固定すれば、キャリーバッグと同じようにスポーツバッグを転がして運べるわけだ。うん、これがいい。
ついでに安物のデイバッグを購入。実は大阪には先に書いた大きなスポーツバッグしか持ってこなかったので、会社に行くにも街に出るにも何かと不自由だったのである。
そんなわけで、さくっと買い物を済ませたぼくは足早にホテルに戻る。
まだこの時間ならランニングができるかもしれない。
ぼくの荷物がこれほど大きい理由は、ランニングができるようにウェアやらシューズやらを持ってきているためである。せっかく早い時間に自由時間を得たのだから、ここはひとつランニングをしよう。
ホテルで再び着替え、今度はランニングスタイルである。
肥後橋近くのホテルを出て大阪城方面に向かった。
そういえば、春の名古屋出張でも早めに会社が終わったので、夜の名古屋を走り、名古屋城を周回したことがあった。せっかくお城のある街に来たのだから、ここは大阪城まで行ってみるべきだろう。そういえば、大阪にはどんなランナーがいるのだろう。
風も出てきてちょっと寒かったのだけど、2キロほど走って大阪城辺りまで来た。
暗い公園のような敷地にお濠がありその向こうに石垣がそそり立っていた。かなり高い石垣である。そしてさらにその向こうにライトアップされた白い城が浮かび上がっていた。大阪城である。
遠目に見ただけだけど、これはなかなか壮観である。皇居にも城をイメージさせる小さな城郭はあるけど、天守まであるいわゆる「城」はない。こうして城を見るのは名古屋城以来である。
やはり感動的である。何百年も前に作られてなおその圧倒的な存在感を放っていることがスゴい。
周囲を回ってみようと走っていると、公園の中に続く道があった。こういう公園って夜は閉門しちゃうのかと思ったけど、どうも中まで入れるようなのである。せっかくなので、城門を抜けて中に入ってみる。ライトアップされた石垣や城壁がなんとも雰囲気を出している。名古屋城を夜ランした時も一部の城壁内には入れたけど、あの時もオレンジの光に照らされた城壁はなかなかいい雰囲気を醸していた。大阪城はそれ以上である。走りながら思わずため息が漏れた。
いいなー、大阪のランナーはこんないいところを夜も昼も走れるのか。
城内には散歩する人やライトアップされた城を撮影する人もいて、また何人かのランナーともすれ違った。でも皇居のような大混雑はないみたいである。その点ではちょっと寂しかったかな。
結局大阪城本丸の足元まで来て写真なんかを撮った。城内をぐるっと回るコースだったので、さほど距離は走らず、ホテルに戻ることにした。お腹も減ったし寒かったしね。でも、なかなか楽しいランニングだった。
それにしても出張のたびにランニングウェアを持っていくのはいいかもしれない。仕事が忙しくて持ってきたものの走れないということもあると思うけど、それでも走れた時は知らない街を探索する気分も味わえて結構楽しいものである。荷物は重くなるけど、キャリアーも買ったことだし、これからも出張の時にはランニングウェアを持っていくことにしよう。
そういうわけで、ぼくの大阪ナイトはこうして更けていくのであった。
これから年末年始にかけて大阪に行く機会が増えるのだけど、今回はその第一弾である。
昼過ぎに東京を出て、新幹線で新大阪に入り、17時頃会社に到着。さくっと仕事を終えてその日は翌日に備えて早めに帰らせてもらうことにした。
それからぼくの長い大阪ナイトが始まる。
ホテルにチェックインしてから着替えて、ホテルを出る。
実はぼくはあまり出張の経験がないので、現代のビジネスマン必携(?)のキャリーバッグを持っていない。この日は大きなスポーツバッグを提げて来たんだけど、イマドキそんな大きなバッグを持ってる人はあまりいなくて、出張など荷物が多い場合はスタイリッシュなキャリーバッグを持つのが一般的になっているようである。だからぼくもこの機会にキャリーバッグが欲しいと思い、買い物をするためにホテルを出てまずは梅田に向かうことにした。
前回梅田に来たのは夏頃で、あの時は飛行機で到着した伊丹空港からバスに乗って来たのだった。そこで画材屋さんを発見して思わずいろいろ買ってしまったり、それがちょうどランチタイムだったこともあって、街にはたくさんの人が歩いていて、その歩く速度がぼくのテンポに違和感なく合っていたからただそれだけで「なんて住みやすい街なんだ、大阪!」と短絡的に思ってしまったものである。
梅田大丸に東急ハンズがあったので、見てみることにした。ビジネスマンが持ってるようなカッコいいキャリーバッグも欲しかったのだけど、今回はここまでスポーツバッグで来ちゃったわけだから、これを転がして運べるようなキャリアーでもいいわけで、実際その方が良かったので、キャリーバッグでなくキャリアーを購入することにした。スポーツバッグを立てて固定すれば、キャリーバッグと同じようにスポーツバッグを転がして運べるわけだ。うん、これがいい。
ついでに安物のデイバッグを購入。実は大阪には先に書いた大きなスポーツバッグしか持ってこなかったので、会社に行くにも街に出るにも何かと不自由だったのである。
そんなわけで、さくっと買い物を済ませたぼくは足早にホテルに戻る。
まだこの時間ならランニングができるかもしれない。
ぼくの荷物がこれほど大きい理由は、ランニングができるようにウェアやらシューズやらを持ってきているためである。せっかく早い時間に自由時間を得たのだから、ここはひとつランニングをしよう。
ホテルで再び着替え、今度はランニングスタイルである。
肥後橋近くのホテルを出て大阪城方面に向かった。
そういえば、春の名古屋出張でも早めに会社が終わったので、夜の名古屋を走り、名古屋城を周回したことがあった。せっかくお城のある街に来たのだから、ここは大阪城まで行ってみるべきだろう。そういえば、大阪にはどんなランナーがいるのだろう。
風も出てきてちょっと寒かったのだけど、2キロほど走って大阪城辺りまで来た。
暗い公園のような敷地にお濠がありその向こうに石垣がそそり立っていた。かなり高い石垣である。そしてさらにその向こうにライトアップされた白い城が浮かび上がっていた。大阪城である。
遠目に見ただけだけど、これはなかなか壮観である。皇居にも城をイメージさせる小さな城郭はあるけど、天守まであるいわゆる「城」はない。こうして城を見るのは名古屋城以来である。
やはり感動的である。何百年も前に作られてなおその圧倒的な存在感を放っていることがスゴい。
周囲を回ってみようと走っていると、公園の中に続く道があった。こういう公園って夜は閉門しちゃうのかと思ったけど、どうも中まで入れるようなのである。せっかくなので、城門を抜けて中に入ってみる。ライトアップされた石垣や城壁がなんとも雰囲気を出している。名古屋城を夜ランした時も一部の城壁内には入れたけど、あの時もオレンジの光に照らされた城壁はなかなかいい雰囲気を醸していた。大阪城はそれ以上である。走りながら思わずため息が漏れた。
いいなー、大阪のランナーはこんないいところを夜も昼も走れるのか。
城内には散歩する人やライトアップされた城を撮影する人もいて、また何人かのランナーともすれ違った。でも皇居のような大混雑はないみたいである。その点ではちょっと寂しかったかな。
結局大阪城本丸の足元まで来て写真なんかを撮った。城内をぐるっと回るコースだったので、さほど距離は走らず、ホテルに戻ることにした。お腹も減ったし寒かったしね。でも、なかなか楽しいランニングだった。
それにしても出張のたびにランニングウェアを持っていくのはいいかもしれない。仕事が忙しくて持ってきたものの走れないということもあると思うけど、それでも走れた時は知らない街を探索する気分も味わえて結構楽しいものである。荷物は重くなるけど、キャリアーも買ったことだし、これからも出張の時にはランニングウェアを持っていくことにしよう。
そういうわけで、ぼくの大阪ナイトはこうして更けていくのであった。