「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
2013年回顧録
毎年恒例の年末の回顧録企画だけど、今年はいろいろ思うところが多くて、実は途中まで書いたんだけど、長すぎて収拾がつかなくなっちゃったので、最初から書き直すことにした。とにかく簡潔に書いてみる。

■昨年からの申し送り
去年の回顧録で書いた来年、つまり今年の抱負は、以下の4点である。
・さきこのランニング復活
・ランニングで結果を得ること
・俺的チャレンジサイクリングのこと
・絵なぞで友達が増えると
ひとつひとつ簡潔に検証していく。
まず、さきこのランニング復活である。さきこは去年の12月終わりに子宮筋腫の摘出手術を受けた。大きな変化の少ないぼくらの人生の中で、さきこが手術したというのはかなり大きな出来事だった。その予後であるが、結論的には良い形になったと思う。年末と正月は外泊許可が出て、新年を無事さきこと共に迎えられ、その後すぐに退院のOKが出たので、大みそかからずっとさきこは自宅にいたことになる。その頃はまだ腹部に痛みがあったそうだけど、その後ぐんぐんと回復し、約1か月後の神奈川マラソン10キロに参加するまでに至った。このイベントでは、前半を少々抑えめで走ったそうだけど、後半では体内の何らかのスイッチが入ったようで、当時としてはかなり早いペースでフィニッシュすることになった。往年のアイアンウーマンの復活とまではいかないけど、でもかつてのさきこの片鱗が見えて嬉しかった、というよりちょっと感動的ですらあった。その後のさきこは特に大きな問題もなく過ごしている。そして後で書くけど、来年初めに念願の大きな大会に出場することになった。今後、再発の懸念があったり、別の問題として腰痛が占める割合が大きくなり、さきこの完全復活まではまだまだ長い道のりなのである・・・ってか、完全復活して欲しいと思ってるのは、案外ぼくだけで、さきこは今の状態でも案外いいと思っちゃってるのかもしれないけどね。
やはり、かなり書きこんでしまった。次はさくっと書く。ランニングで結果を得ることである。
うん、ダメだった。全然ダメだった。自己ベストどころかそれに手が届く感じがほとんどしない状態で今年最後のフルマラソンを走ってしまった。練習方法やメンタリティに改善点があることは分かったけど、さて次なる大会に向けてもう一度ジャンプできるだろうか。
次、俺的チャレンジサイクリングのこと、つまり俺チャレ企画である。去年は小渕沢から軽井沢の高原100キロを走破したけど、今年はさらにその上を行く企画として東京・日本橋から新潟・直江津の400キロを計画していた。しかし、いろんな事情で断念することになってしまった。その代わり、さきこと八丈島のサイクリングに行ってきた。これもなかなか楽しかったけど、ぼくの限界に挑戦する企画の趣旨とはちょっと変わっちゃったかな。これは来年以降にお預けである。
次、絵なぞで友達が増えること。うん、増えなかった。いや、そもそも友達を増やそうと思って描いてるわけじゃないからね。ただお絵描きSNS内でもう少し評価があがったらなーとは思っていた。でもちょっとした変化はあったかもしれない。その辺は絵なぞの項で書こうと思う。
そういうわけで、去年からの申し送りはほとんど達成できないまま、それでも時は過ぎゆき、こうして終わろうとしているのである。歳月とは無情である・・・などと分かったようなことを言ったりしつつ、今年の各項を書いていこうと思う、簡潔にね。

■ランニングのこと。
上述したとおり、今年最後のランニングイベントでフルマラソンを走ったんだけど、結果は散々であった。事前にそれなりに練習をしたと思うのだけど、20キロ走や30キロ走をゆーっくりなペースで走っても、そりゃ記録は狙えないわけである。フルマラソンを走ろうという思いはあっても、そのための練習がちゃんとできてなかったということである。反省・・・。
それ以外のランニングについてもあまり芳しくなかったかな。3月の三浦マラソンではやはり練習不足がたたって時間内にフィニッシュできなかったし(さきこはぼくに先だって時間内フィニッシュができた)、山中湖や西湖のイベントでもダメダメだった。イベントでこれはっ?!ということがまったくなかった。
練習の方はなかなか楽しんでできたと思う。まだ走る量は多くないけど、楽しく長く走っていられるようになった。夏頃から食生活を少し変えたのも良かったかもしれないね。
その練習と言えば、出張先にランニングウェアを持っていき、仕事後にちょっと走ったりしたのが意外に楽しかった。春の名古屋出張では、市街地内のホテルから名古屋城を巡り、栄を回って帰ってくることができたし、秋の大阪では、同様に見事にライトアップされた大阪城を見ることができた。初めて訪れた街でランニングすることの楽しさを知ったと思う。こういうのは続けていけたらと思う。
さて、今年もっとも特筆すべきは、念願の東京マラソンに当選したことである。
苦節7年、ずっとハズれ続けていた抽選についに当選することができた。会員特典の先行抽選での当選だったので、8月頃、他の人よりもかなり早い結果通知だった。会社の昼休みに何気に確認したネットでその事実を知り、思わず勝利の雄叫びをあげてしまったね。ぼくが宝くじにでも当選したかと思ったそうだけど、うん、これはある意味ぼくにとって宝くじである。ちなみにこの当選の報に大喜びするぼくを見て初めて「ホントに走るんだ」と実感した人も多いそうな。それまではただ話しを合わせるためかなんかでぼくが「ランニングが趣味である」とウソをついていたと思っている人が少なからずいたそうで、どんだけ人間性が荒んでるんだと思ったものである。
上述のとおり最近どうもランニングが振わない状況で東京マラソンを走るのは、タイミングとしてはあまり良くないと思うけど、せっかく当たったのだから楽しみつつもいい成績も残したいと思う。
さて、どうなるか?!

■サイクリングのこと
上述のとおり、俺的チャレンジは結局遂行できなかったけど、その代りにさきこと八丈島旅行でサイクリングをしてきた。さきこは初めての飛行機輪行である。八丈島でタイヤに空気は入らず、しかも持参したハズのタイヤが実はサイズが違っていたなどハラハラすることもあったけど、無事八丈島の北側を巡るサイクリングができた。南側はかなり坂道が多くてかなり大変そうで断念してしまったけどね。帰り際にぼくらと入れ替わりで八丈島に来たという年配の夫婦がこれも自転車を持参していて、ぼくらが最終日に軽くドライブなどしているところ、自転車で島巡りしてきちゃったとさくっと言われちゃって、かなり悔しい思いをした。次はちゃんと脚力を鍛えて1周に挑戦したいものである。
ところでさきこは飛行機輪行が初めてだったけど、ぼくはこれに先立つ7月に、会社の都合で島根県松江市に出張に行く際に自転車を持参していた。羽田空港から米子空港まで初めての飛行機輪行である。羽田空港で自転車を預ける時に所持品に物騒なものがあったようで警察官が現れたりといろいろあったけど、それでも無事米子空港に着き、あらかじめチェックしていた米子空港近くの自転車屋で空気を入れてもらい、無事サイクリングすることができた。この飛行機輪行の経験から、どこでもどんな自転車屋でも空気を入れられるようにフランス式タイヤに接続するバルブアダプタの有用性を実感した。これならフランス式でもアメリカ式でもイギリス式でもどんな空気入れでも対応ができる。このアダプタが八丈島でさきこのタイヤに空気を入れる時に非常に役に立った。
その他のサイクリングとして、毎年の自転車仲間との遠征サイクリングで仙台・松島に行き、初めて被災地の風景を見てきた。テレビの中でしか見たことのない被災地の風景は、東松島の何もかもが流されてしまっただだっ広い土地の風景として実感できたことは良かったと思う。それにしてもこの復興がほとんど進んでいないことに未だに憤りを禁じ得ない。
その他には会社の自転車仲間で伊豆に合宿に行ったり、多摩川沿いを走って深大寺にソバを食べに行ったりと、なかなか楽しいサイクリング生活だった。
東京マラソンが当選してからは、ランニング優先になっちゃったので、最近はほとんど乗っていないのが残念である。
またロングライドに行ければいいな。

■絵なぞのこと。
最近ではぼくのメンタルを占める割合が大きくなっているので、うっかり書き出すと物凄い量になってしまいそう。とにかく簡潔に書く。
去年の12月に今年の干支にちなんでヘビの絵なぞを描いたんだけど、どういうわけかこれ以降さっぱり描けなくなっちゃった。年に1回くらいそういう時期があって、だいたい年初めから春、夏にかけてまったく描けない日々が続く。これが非常に苦痛なのである。自宅に帰って白紙を前にして何ら発展することもなく、「今日も描けなかった」と夜が更ける前に就寝しなければならない時の失望感というか得も言われぬ感情が辛いのである。
そんなスランプ的な時期は今年は5月くらいに終焉してくれて、それ以降は毎月1枚程度のペースで描けている。それで、今年は去年と少し違うのが、某お絵描きSNSでの評価である。
それまでとは異なるほどの閲覧数、お気に入り登録数であった。ある絵なぞはまさに桁違いの反応だった。まあ、上手い人の足元にも及ばないレベルなのは変わらないのだけど、例のない高評価にかなり嬉しくなった。こういう風にちょっとでも浮つくと途端に描けなくなっちゃう悪いジンクスがあるのだけど、それも乗り越えてその後も数枚を描き上げることができた。ただ問題はその後の評価である。
桁違いの評価をいただいた後の絵なぞは、SNSにアップしてもまったく閲覧数が伸びず、ほとんど評価されない状況になってしまったのだ。去年辺りから徐々に評価が高まっていた感じをこの桁外れの高評価な絵なぞを境に急降下してしまい、それ以前を大きく下回るようになっちゃったのだ。これは一体どういうことなのか。
下手は下手なりに、自己満足は自己満足なりに、少しは上達してきたと思うし、描けないものを描けるようになってきたと自負もあったんだけど、これに評価がついてこなくなった・・・というか、ホントまったく評価されなくなっちゃった理由は、いくら考えても分からない。SNSの有料会員数を伸ばしたいSNS運営側が下手っぴなヤツを抽出して故意に評価を上げさせる、なんて陰謀的ストーリーを考えてしまったほどである。そんな自虐的な悲劇のヒロイン的な面倒な有料会員数の獲得方法はないハズなので、理由は別にあると思うんだけど、さ。
そんなわけで、絵なぞは描けているけど、それが以前のようにぼくのココロを熱く揺さぶるようなエンドルフィンが分泌されるところまでいっていない状況である。とは言え、SNSで評価されることがすべてではないし(その辺は去年のブログにも書いたかな)、あくまで自己満足を追及していくことを忘れないようにしないとね。
どんな趣味でもそうだけど、自己満足の枠を少しでも踏み出すと、表現者として厳しい評価の目にさらされることになり、それはホントに趣味を趣味として楽しみたい人にとっては、辛いことだからね。
そういうわけで、絵なぞの方もコツコツとレベルを上げていきたいと思う。
※つい最近あったことだけど、高校時代の同級生たちと遊んでいる中、当時からマンガを描くのが上手かった女性にぼくの絵なぞを見ていただく機会があった。ぼくがこういう絵なぞを描くと思っていなかったようで、驚きとともに高評価をいただいた。来年の初めにも会うのだけど、SNSなどのネットの世界ではなく、リアルの世界で絵なぞを評価したり、仲間として繋がっていくのは、ぼくにとっては初めての経験である。非常にドキドキする。そしてワクワクするのだ。

■仕事のこと
来年の夏に向けた大きなプロジェクトが本格体に始動した。ぼくが今の会社に入ってから最大のプロジェクトである。このために意識的に準備してきた面もあったから、ついに来たということでちょっと身震いしちゃったりする。何とか成功に持っていきたいと思うけど、さてさてどうなるか。
不器用なぼくなので、既に3、4回上司と衝突していて、前途が思いやられちゃったりする。
でもモチベーションだけはまだまだ熱いものをタギラセている。

■さきこのこと
去年の年末に大きな手術をして、無事退院したさきこ。その後順調に回復しているようで、今では以前とまったく変わった様子はない。だからふとしたことで忘れがちになっちゃうけど、よくぞ無事生還したものである。成功率の高い手術とは言え、万が一のこともあるし、全身麻酔だって100%大丈夫なわけじゃないし。さきこが以前と同じ生活ができていること自体が素晴らしいことなのである。
しかし、さきこの無事を喜んでいる一方で、新たな問題も浮上してきた。腰痛である。
貧血が酷かった時から腰痛には悩んでいたようだけど、こうして貧血が治ってしまうと、よりクローズアップされてしまう。往年のさきこの復活のためには、今度は腰痛にも向き合わないといけない。
たまたまご縁があって出会った方がいて、そのツテでいい先生を紹介いただいた。腰痛のようにほとんど国民病みたくなってくると、普通の医者は完全に治そうとしてくれなくて、微妙に再発を繰り返しながら治療を継続する傾向があるように思うけど、この先生はちゃんと治しにかかってくれるどころか、自分でできるリハビリ法的なこともまで教えてくれて、さきこの腰痛は完全治癒の道が開けそうな様相なのである。たださきこの性格なのか、何となく長続きしてくれなくて、また腰痛の完全治癒を諦めちゃってる部分もあるのか、この問題は長くかかりそうなのが残念である。
さきこの身体を思って悶々とするのもまだまだ続きそうな、交際27年目である。

■政治活動(?)のこと
去年のことだけど、関西電力が点検停止中の原子力発電所を再稼働させようとして、これに反対する市民が首相官邸を取り巻くデモを挙行したわけだけど、これにぼくも参加してきた。震災復興を声高に叫ぶ割には復興が全然進んでいない状況、その原因のひとつが原発事故であり、これ以上原発事故のリスクを大きくすべきではないとの思いがあった。
原発に対する国民の問題意識がだんだん薄れてくるのに呼応して原発の稼働に反対する運動も下火になり、このまま消えてしまうのかと思っていたところ、今度は特定秘密保護法なる法律の可否を巡って再び永田町界隈が熱くなった。賛否両論の法律だけど、ぼくも思うところがあり、このデモに参加してきた・・・いや、参加というよりは散歩に近いか。デモ中の集団に紛れててくてく歩いてきただけで何ら貢献も影響もなかったと思うけど。しかしこういう活動をしないで訳知り顔で意見するというのも違うと思うので、ぼく個人としては良かったと思っている。
政治活動と言えるか分からないけど、去年の衆議院選で敗れた元政治家が開催した政治セミナーに行って、グループディスカッションに参加して、その発表で言いたいことを行ってきたこともあった。この手のセミナーは去年に続き2回目の参加なのだけど、政治についてちゃんと考える機会になってるからそれはそれで面白い。セミナー会場に行くまでがとてつもなく億劫なんだけど、これをえいやっと乗り越えると意外と楽しかったりするのである。
まあ小さな動きでしかないのだけど、今まで表現してこなかった政治への思いを具体的に行動に表わすようになってきた。これが来年以降どうなるか、ちょっと楽しみである。
ちなみに、この手の政治活動にはツイッターの影響が非常に大きい。ツイッターで拡散される情勢はテレビで報道されるものとは異なり、その真偽をこの目で確かめたいという思いに駆られるのである。今後もツイッターの影響は大きくなるかもしれない。

■来年への抱負
さて各項目としてはこんな感じだろうか。
それでは、来年への抱負である。いくつ叶えられるだろうか。
(1)東京マラソンについて
まずは2月の東京マラソンである。今年最後のランニングイベントであった富士山マラソンのフルマラソン以降ちょっと停滞気味だった練習を再開して、2月までにどこまで盛り上げていけるかがカギである。そして次の年の東京マラソンの当選である。できれば今後コンスタントに当選したいなーとは思う。
(2)ランニングについて
最近参加するイベントが固定化してきちゃったこともあって、目新しいイベントを発掘してみたい。遠隔地でもいいし、電車で行ける範囲のイベントでもいいけど、新しいイベントで新しい発見をしてみたい。
出張があればランニングウェアを持っていくというのはできれば続けたいと思う。幸い一時的に大阪に出張に行くことが増えたので、大きめのキャリーバッグを買っていただいた。これに仕事の道具はもちろん、ランニングの道具も入れちゃうことができるのである。出張が楽しみになってきたゾ。
(3)絵なぞのこと
これはもうコンスタントに続けていくしかないかな。より高評価がいただけるような、それでいて自分らしさを忘れないような、要するに上手になればわざわざ迎合しなくてもウケるものである。
高校の同級生とのつながりは大事にしたいけど、かと言って特に目的や目標があるわけでもないから、少しずつ影響し合いながら付き合いが続いていけばいいなと思う。
(4)サイクリングのこと
暖かくなってきたらぜひ再会したいな。チャレンジシリーズもそうだけど、もっと身近でチャレンジできる道がまだまだ残ってるんじゃないかと思う。その辺を開拓したいなと思う。
(5)仕事のこと
先ほど書いたプロジェクトがいよいよクライマックスである。大きな賭けに出て大成功するか大失敗するかの勝負である。これに今後の人生を賭けてとまではいかないけど、失敗したら相応の展開になちゃうだろうな・・・。頑張ろうと思う。
(6)さきこのこと。
最近になって貧血が再発したり、腰痛が激しくなったりしてるようである。完治を目指してとことん治療するという考えがないのか、または何らかの障害(おカネか?)があるのか分からないけど、ぼくの純粋な思いとしては、ぜひ完治をすべてに優先して欲しいと思っている。貧血や腰痛が「ちょっと緩和した」程度はぼくが想定しているゴールではないのだ。

そんなわけでいよいよ年の瀬である。と言ってもここ最近は年が暮れることへの緊張感みたいのがなくなってきた。今日は27日だけど、あと4日で今年が終わるなんて全然想像できない。去年なんか大晦日だっていうのにその意識がなかったくらいである。しかし確実に時間は過ぎていき、新しい年がやってくる。
2014年はどんな年になるか。
最近の停滞っぷりをぜひわずかでも脱却したいと思う。小さな一歩でも変化のある年にしたいと思う。その一歩がどういう方向になるか、どういう結果になるか分からないけど、少なくとも変化したいと思うポジティブな気持ちだけは忘れないようにしたいと思う、そんな年の瀬なのであった。
| 日記 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
ログ管理ライフ。
ぼくの会社では、社員に歩数計を配布して、健康のためになるべく歩くように推奨している。ネット上で歩数履歴を保管して、過去の歩数履歴や平均歩数などを確認できたり、SNS的に社内で共有したり、それによって社内の「歩く人ランキング」を出したりと、モチベーションアップのためにいろいろやっている。以前にも書いたかもしれないけど、ぼくはこの社内ランキングの中では割と上位に位置している。1位こそ取った経験は少ないものの、毎週発表されるランキングでは毎回5位以内にランキングされている。ランニングをしたりしているからだと思うけど、最近走っていないので、これからだんだんランクが下がってきたりするかもしれない。
それにしても、当初は歩数計を持つことが面倒で抵抗があったけど、続けていると自分の歩数が気になったりするもので、歩くことを意識したり、ランニングしたくなったりと一定のモチベーション向上の効果はあるようである。
しかし、歩数計を持ち運ぶのはやはり面倒である。
大きさとしては、そうだな、一般的な消しゴムのサイズよりも1.5回りくらい大きい感じだろうか。つまり手のひらサイズなんだけど、ポケットにあるとそれなりに存在感を感じる大きさである。
なるべく多くの歩数を稼ぐためには、なるべく長い時間身に着けている必要がある。たとえば普段使うバッグの中に入れておくと、出勤時に歩く時は歩数をカウントするけど、会社に着いてバッグを置いてしまうと、いくら社内で歩き回っても歩数をカウントしてくれない。スーツのポケットに入れておくという手もあるけど、これでは自宅でスーツを脱いでしまったり、休日でスーツを着なかったりしたら意味がない。ではどうするか。ぼくが常時携帯しているものと同じように携帯できればいいわけで、そう考えると携帯電話と一緒に持っているのがベターだということになった。
こうして、2年くらい前から携帯電話のストラップの先に歩数計をくっつけるようになった。携帯しやすいようにコンパクトさを追求した携帯電話に歩数計がぶら下っているというのはいささか不便さを感じるものだけど、歩数を稼ぐために受忍せざるを得なかった。
しかし、最近状況が変わってきた。携帯電話をやめて、iPhoneにしたのである。iPhoneはそれまでも持ってはいたものの、仕事の電話もかかってくるかもしれない携帯電話の方が携帯する傾向が強いので、iPhoneではなくガラケーの携帯電話の方にくっつけていたのである。しかし最近、iPhoneだけになってしまったので、歩数計はiPhoneにくっつけるしかなくなったのである。
さて、これが非常にいただけない。iPhoneはそれまでの携帯電話よりも大きめなので、これに歩数計がぶらぶらしていると、さらに大きく感じてしまう。またiPhoneを手にして以降、ネットやメールはiPhoneが基本となり、つまり手にする機会は携帯電話よりも格段に多くなったのだけど、今やiPhoneを手にする度に歩数計がぶらぶらすることになり、それまでの快適なiPhoneライフに水を差す形になってしまったのだ。
これをずっと続けるのはどうかと思っていた矢先に、手首に巻く形の活動量計の存在を知る。活動量計とはイマイチどういうものか理解していないのだけど、その機能のひとつに歩数計機能がある。つまり、手首に巻く歩数計なのである。
これである。
携帯電話よりも携帯するためには、腕時計のように直接身に着けるしかないのである。ぼくは腕時計をする習慣があるので、仕事に出かける時も遊びに行く時もランニングする時も腕時計はしているから、これに歩数計機能があれば携帯電話以上に携帯する機会は増えるのである。
そう思いついてから、しばらくの間、手首に巻くリストバンド型の活動量計を探していた。でも技術的問題があるのか、腕に巻くにはちょっと大きめのものが多くて、ぼくの琴線に響くようなものはなかった。そんな折、スポーツ用品メーカーの某ナ○キが小型でファッショナブルな活動量計を売り出した。
それがフュー○ルバ○ドである。
早速購入したかったけど、それまで検討しては断念していた他のリストバンド型活動量計と同じように機能的に問題があったりしないかと、しばらく様子を見ることにした。そうしているうちに、ぼくと同じように考えていた会社の同僚が買い始める。動作には問題ないし、当然ながら歩数計を持ち歩く面倒がないのがいい感じだった。そして、これにはさきこも興味を示した。さきこも歩数計を持っていたけど、携帯電話にくっつけることはせず単独で持ち運んでいたし、ぼくのように社内システムがないので(歩数管理するアプリのようなものはあったかな)、モチベーションも上がらない感じだった。そこでこの機器を購入したところなかなかいい感じだったようである。
iPhoneと連動して、記録を管理したり、日々の目標を設定してこれを達成するように促してきたりと、さすが一流スポーツ用品メーカーだけあって、その辺の仕掛けが上手い。さきこは楽しそうだった。
そういう光景を見ていて、当然ながらぼくも欲しくなる。
しかし、せっかく買うのだから、しかもさきこをはじめ、会社の同僚に遅れて買うのだから、なんかヒネリが欲しかった。iPhone5が出た時にそれをいち早く購入して見せびらかしていた同僚がいたけど、そういうことをされるとぼくも焚き付けられるところがあって、ぼくがiPhone5Sを買うにあたってより入手困難なゴールドカラーを購入して何気にアピールしたくなっちゃった。男にはそういう幼稚なところがあるのだ。
だから今回の活動量計にしても、同僚と同じものは買いたくなかったのだ。他と違う何かがあれば・・・とネットを見ていると、なんと通常のカラーラインナップと異なる限定カラー版の発売があることが分かったのだ。通常版がマットな感じのカラーで、赤とかピンクとか緑であるのに対して、この限定版はなんとゴールドである。ぼくのiPhoneのカラーと同じである。幼稚な動機に取りつかれたぼくはこれに飛びついた。限定版のゴールドが欲しい!
しかし、結果的には残念ながら手に入らなかった。
限定版は12月某日の9時ぴったりに発売開始だったのだけど、ぼくはその数分前から準備万端、何度もネットをリロードして、発売開始とともに購入できる態勢でいた。そして、発売開始。ぼくはさくっと数量やサイズを指定して、「買い物かごに入れる」ボタンを押した。ゲットしたか?!と思った瞬間、届け先やクレジットカードの登録などの購入手続き画面に切り替わった。ここから住所を入力したり、カード番号を入力したり、パスワード設定、ID設定などをやって、最後に送信ボタンを押したのだ。そして次に現れた画面には、「在庫がありません」。ぼくがちまちま購入手続きをしている間に限定版は他の人にさっさと買われてしまったのである。それまでの時間はほんの数分である。3、4分と言ってもいいかもしれない。ほんの数分で売り切れるような限定版って、どれだけ用意したんだかと思うけど、ここもさすが一流スポーツ用品メーカーというべきか、この手の限定版の発売手法は他のどのメーカーや小売業よりも経験的に長けていると感じたね。
ともかく、こうしてぼくは限定版の活動量計をゲットすることはできなかった。しかし、この発売日に向けてぼくの思いは熟成に熟成を重ねていて、もはや諦めるということができない状況だった。なにせ目の前のさきこが絶賛の機器である。このまま再び限定版が発売されるまで、iPhoneに歩数計をぶらぶらさせていることはできなかった。限定版がこのまま発売されないかもしれないし。
そうしてやむを得ず、限定版でなく通常版の活動量計を購入することにしたのである。カラーは赤で、これは会社で目の前に座る同僚と同じカラーで、つまり大変遺憾ながら「お揃い」なわけだけど、なんせ赤、ピンク、緑、黒の4色しかないのである。ぼくのパーソナルカラーである赤にするしか選択の余地はあるまいよ。そんなわけで、ぼくは赤いリストバンド型の活動量計を身に着けているわけだけど、限定版発売からその売り切れ、じゃ限定版でなくていいわ的な一連の流れは、このスポーツ用品メーカーにまんまと乗せられた感じがするね。そういう購買モチベーションの操作が上手そうだもんなー。
そういうわけで、昨日からぼくの活動量、つまり歩数をはじめとする様々なライフログは、このリストバンドに記録され、ブルートゥースを介してiPhoneに転送され、記録保管されている。会社でじっと座って仕事をしていると、「活動しろー!」などとiPhoneにメッセージが表示されたりして非常にうるさい。それでも「そっか、活動しないとな」などと思い、電話で済む他部署への連絡をわざわざ歩いて行ったりしている。このモチベーションでいつまで続くか分からないけど、こうしてログが記録され、アプリのプログラムによって活動を促されるというのは、なんとなく行動が管理されている感じがする。管理、というより監視に近いか。
この機器がどこまで機能的かは分からないけど、行動を監視することは技術的には可能なんだろうね。機器を装着している人が歩いているのか電車に乗っているのか座っているのか寝ているのか、GPSやiPhoneのようなスマホと連動させれば、いつどこで何をしているかが簡単に分かってしまうのだろうね。いや、一昔前のアニメのような管理社会ができてしまうところまで行っているんだね。まあ現在の日本では、個人を監視することに経済的意味が必要だろうから、つまり企業は個人を監視する経済的メリットがなければそういうことはしないだろうから、当面は安心である。
しかし、今後は分からない。どこかの国のように、個人を監視することの政治的意味が経済的メリットを超えるようになると、まさにこの手の機器はウッテツケと言えるのである。先の特定秘密保護法のこともあるので、この先のことは非常に不安ではあるけど、ともかくも今、ぼく個人としては、自由の制限をされるかもしれない将来のリスクよりも、今現在少しでもダイエットにつながるメリットの方がはるかに優先事項だったりするのである。
| 日記 | 09:42 | comments(0) | trackbacks(0)
渋谷散歩。
大阪出張を終えた翌日は、お袋さんとさきこと一緒に渋谷に行った。去年も行ったけどNHK交響楽団の第九演奏会である。
お袋さんと出かける時はいつもクルマだったので、こうして電車に乗って出かけるのは何年振りかのことである。
まずは渋谷の前に新宿に行って、世界堂に依頼していた断裁した紙、マットサンダースを受け取った。最近は以前と異なり1か月に1枚ほど描けていたりするので、紙がなくなる速度が速いのである。
それでその後に渋谷に出た。
大阪出張で岡本太郎氏の造形にココロ打たれたぼくは渋谷のマークシティ内にある巨大絵画を見たくて、JR渋谷駅から構内を歩いて絵なぞを見て、そのままマークシティを道玄坂の方に歩きコーヒーでも飲もうと思ったら、NHKホールまでかなり遠くなっちゃって、そこまでお袋さんとさきこを連れて歩くハメになってしまった。いや、新宿からずっとお袋さんとさきこを連れ回していたので、疲れさせちゃったよ。
さて、第九の演奏だけど、去年のようにエキセントリックな感じはなくて、まずまずオーソドックスな感じがした。久し振りの親孝行なので、ちょっと奮発してA席にしたんだけど、席の場所が良かったのか、アレンジもぼく好みというか、手堅い演奏であった。この楽曲はCDで散々聞いているので、生演奏くらい冒険してもいいのになとも思うけどね。
長い散歩の果てに第九を聴くことができ、この演奏を大晦日の番組ではどう解説するのか楽しみである。いろいろ細かいところで気づきがあったので、その辺がテレビからどう聞こえるか、ね。
それにしても、N響で第九ばかり聞くのもつまらない。もっといろんな楽曲を聞いてみたくなった。ちょっと楽団の演奏会スケジュールを確認してみようかと思った。
音楽にまつわる新しい局面が開けるかもしれないね。
| 日記 | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0)
大阪巡り。
昨日は大阪の事業所で仕事だった。
新幹線で移動したので正味としてはさほど長いこと仕事した感じでないし、しかも流されるままに事業所の忘年会に出席することになっちゃって、ちょっと高級なホテルのバイキング料理なぞ食べ、しかもさらに流されて二次会にも出席してしまい、ホテルに辿り着いたのは深夜だったから、「仕事したわー」って感じではなかったけどね。
さて、日が明けて金曜日は休みをいただいて、せっかく大阪にいるのだから大阪の街を巡ってみることにした。
昨日から天候が悪くて自転車を持って行けなかったのが残念だったけど、この日の寒さや時折強く降る雨や雪を考えると、持って行かなくて大正解だった。さらに言えば、クルマだったから多くの場所に行けたんだと思うしね。

最初に向かったのは、難波周辺である。
見たかったもののひとつは、通天閣である。実物はやはり「奇妙」であった。しかしそのシンボリックな存在感はさすが大阪である。しかしその時、雨雲が垂れ込めてきたかと思うと、ほとんどゲリラ豪雨のような雪が降り始め(ゲリラ豪雪?)、路面はみるみるシャーベット状になってしまった。かなり寒かったので、とにかくクルマに戻って暖をとる。ホントは歩いて道頓堀の辺りも行きたかったけど、残念ながら諦めてこの辺りで見たかった某エリアに向かう。

※通天閣と周辺の飲食店。普通の飲み屋なんだけど、午前中の早い時間に開店しているのが驚き。空模様が怪しい。

そこはテレビでもよく出てくる、大阪でもっとも治安の悪い一帯である。
職業安定所を取り囲むように安宿が立ち並ぶと聞いていたけど、たしかに古い集合住宅みたいな建物が多い場所である。路上には平日の午前中だというのに年配のオッサンが何人も佇んでいて、しかも何をするわけでもなくただ立ち尽くしている感じで、異様な風景だった。ただ、街自体に意外にも汚いという印象は強くなかったかな。オッサンたちの着る服は汚い感じがしたけど、立ち並ぶ建物はさほど汚いという印象がなく、たとえば銭湯があったんだけどあまりにも寒かったから入っちゃおうかとすら思ったほどである。いや、きっと湯船にはオッサンたちが大勢浸かってるんだと思ったら、さすがに思い直したけどね。どうして街がキレイなのかと思ったら、ボランティアらしき人たちがゴミを拾って歩いていた。ボランティアなのか、これも彼らの仕事、生活の糧なのか分からないけどね。公園らしきエリアはほとんど公園としての用を満たしておらず、ブルーシートに囲われた「住宅街」になっていた。丸い縁石に囲まれた砂場では、木材が燃えてその周囲にオッサンが暖をとっていた。
商店街がアーケードになっていて、時折雨が強く降るからか、そこにはさらに多くのオッサンたちが佇んでいた。異様なのはこれほどたくさんの人がいるのにほとんど声が聞こえないのである。人がたくさん行き交う雑踏のざわめきみたいのがまったくない。人が多いのに街は静まっているのだ。これに気づいて、何となく異様さの本質に触れたような気がした。そこから考えると、どうして若い人がいないのか、どうして女性がいないのか、なぜ午前中からこうして人が出歩いているのかなど様々な疑問が繋がってるように感じられた。一人で歩くには少々不安のある街だけど、これも大阪なのである。(ちなみにぼくが赴いた時間帯はある意味もっとも穏やかな時間帯じゃないかと思う。もっと早い時間や遅い時間は、老若男女がもっとカオスになってると思う)

次に向かったのは、万博記念公園である。
前回の大阪出張で夜の大阪城を見た。そしてこの日、通天閣と来れば、もうひとつ、太陽の塔である。
高速道路に入り、環状線をぐるっと回って万博記念公園に行った。初めての街でドライブするのは、不安というか、なかなかスリリングな体験である。
駐車場にクルマを停めると目の前に太陽の塔が見えた。唐突に登場した。かなり距離があるにもかかわらずかなり大きく見える。実際はどれほど大きいのかと思ったら、いやもう想像をはるかに超える巨大さだった。これは尋常じゃない存在感である。しかも故岡本太郎氏の芸術は爆発だ的な造作がその異様さというか違和感というか、少なくとも好意的な印象は与えないのだけど、これほど圧倒的な存在感で迫ってくるとぼく個人的感想なんて吹き飛んで、この異形の世界観に取り込まれてしまうようだった。目を離せないほど強烈で巨大で圧倒的なインパクトで迫られた。
太陽の塔をぐるっと回ってから、大阪万博の企画展示があるという建物に行き、じっくり展示を見てきた。人類の進歩と調和を謳う万博の方針にあえて疑問を呈するようなスタンスがとても斬新だった。今から40年以上前だから、高度経済成長期の真っ只中で、公害に代表される文明の負の生産物への関心はまだ小さかったと思われる中、真っ向からその警鐘を鳴らした岡本氏の思想にただただ感服するのである。また、こういう思想を万博というステージで具現化することが許されたことも驚きである。こういうイベントが過度に商業主義に走っていなかったからだと思う。商業主義に毒された現代ではそういうスタンスで太陽の塔のような構造物を作るのは無理だと思う。渋谷駅にも巨大な絵画があるけど、あれもおよそ好印象を抱くようなものではないけど、もっとじっくりと向き合ってみたいと思った。
※ちなみに、ぼくが出張を終えて帰宅した日にNHKで太陽の塔に関する情報番組を放送していたのが物凄く寄寓である。さきこが録画してくれたんだけど、その中で岡本氏のインタビューが残っていて、万博のテーマ「人類の進歩と調和」について、「人類の進歩なんてとっくに終わっているんだ」とか「慣れ合いからは調和なんて生まれない、意思と意思のぶつかり合いからこそ、調和が生まれるんだ」というようなことを言っていて、まさに現代に通じる問題点を鋭く指摘するその眼力に感服、脱帽であった。

岡本氏へ思いを馳せてしまったので、かなり時間を費やしてしまった。それでも興奮冷めやらぬぼくは、お土産店で散々迷って太陽の塔のレプリカを購入した。両側に広がった腕の部分の造形が何となくオリジナルと違ってるように思えるけど、まあいいか。かなり本物に近いレプリカは1万数千円もした。ちょっとおカネに余裕のある人で、幼少時に万博に行った思い出のある人だったらきっと買ってしまうだろうな。

いや、それにしても、大阪城、通天閣、太陽の塔と大阪のシンボリックな施設を渡ってきて、つくづく東京との差を思う。東京にはこれに匹敵する施設はあるだろうかと思ってしまう。特に大阪城や太陽の塔なんて、経済的には何の役にも立たないただの構造物である。それがただそこにあること自体を受容されることがスゴいなと思う。その点では、電波塔として存在理由がちゃんとある東京タワーやスカイツリーはこれらに敵わないと思うし、じゃそれ以外に何かあるだろうかと考えても、浅草の巨大提灯くらいしか思い出されへんのですわ。やはり、大阪、スゴいですわ。
 
※冬至近いこの日の正午に、太陽の塔にいることに何か意味を考えてしまった。なんか変な気分である。

さて、時間も押してきた。既に14時30分を回っていたけど、あまりにも強烈過ぎて昼食を摂っていなかった。しかし時間も押してきたので、そのまま食事をせずに次の場所に向かうことにした。伊丹空港である。
伊丹空港はその敷地そばまで近づくことができる。羽田のように埋立地にあるわけではないので、旅客機が着陸のために低空を飛ぶのを見ることができるのだ。マニアではないけど、やはり巨大な機械が空を飛ぶのを見てみたいと思っていたので、伊丹空港に向かうことにした。
万博公園からはさほど離れていなかったけど、空港の周囲の細い道なので、なかなかクルマを止められる場所が見つけられなかった。きっと飛行機ファンの乗ってきたクルマが列を作っているんだろうと思ったけど、まあ平日の日中だからなのか、そういうクルマはなくて、場所探しに苦労した。30分ほどうろうろしただろうか、ついにベストな場所を探し当てた。滑走路の少ない空港で便数が少ないから、離陸と着陸は交互におこなわれるようで、離陸が風上に向かうなら着陸は風下からアプローチするだろうと予想して風下に来たのである。
プロペラ機も降りてきたりしたけど、圧巻はジェット機である。いやもうスゴいわ。空の彼方に見えた小さな黒い点が次第に大きくなっていき、まさに自分に向かって降りてくるような錯覚を覚えるのだ。そして同時に耳をつんざくような轟音である。物凄い迫力である。
飛行機が上空を通過して滑走路に入っていくと、次第にまた静寂が戻ってくる。川のせせらぎとか小鳥やカラスの鳴き声や風の音が聞こえたりするのである。迫力の轟音と静寂のギャップ。
ただ夕方前の時間帯が良くなかったのか、飛行機はなかなか現れてくれなかった。もう少し遅い時間だったら、夕方のラッシュ(?)に間に合ったかもしれないね。その証拠か、ぼくがあまりの寒さと尿意と空腹に耐えかねてその場を離れようとした辺りから、何機か連なるようにして降りてきたりしていた。とは言えこんなすごい場所を知ってしまった以上、この日限りとするわけにはいかなくなった。また絶対に来ると思う。そう思って後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。


※大迫力・・・!

さて、次は・・・と思ったけど、そろそろ時間的に厳しくなってきた。まだ新幹線の時間までは2時間以上あったけど、クルマで移動してるからどこでどんな渋滞に遭うか分からないので、早めに切り上げることにした。ホントは甲子園に行ってみたかったのだけど、これは次回のお楽しみにしようか。
ぼくはクルマに乗って、新大阪を目指す。途中、やはりと言うべきか、交通渋滞が発生していて、これがどれも自動車事故によるもので、しかも新大阪までの数キロの間に3件も発生していて、いやはや大阪は怖いところだとつくづく思ったね。初めての大阪市街をよくクルマで走れたものである。
さて、そういうわけでぼくの大阪旅行・・・いや大阪出張は終了である。そうか、こうして新幹線に乗ろうとしているこの時も普通に会社で仕事をしているわけか。年の瀬が押し迫ってくる中、仕事的Xデーは近づきつつあるのに、何となく準備がうまく運んでくれている関係で、ココロに余裕ができて、思わず楽しく遊んでしまったよ。自転車に乗れなかったのは残念だけど、さすがに真冬に何十キロも走るのはツラかっただろうと思うから、結局持ってこなくて良かったのである。
次の大阪出張は、実は来週である。年末最後の日を大阪で終えることになり、そのまま年末休暇中に仕事となる。つまり、世の中が年末休暇中に仕事なのである。そうであれば、早めに仕事を片付けて遊んでしまっても何ら問題はないハズである。うん、実際、ぼくが仕事を終えるハズの時刻にさきこが大阪にやってくる手筈になっているのだ。
そうである、ぼくの大阪探究の旅はまだまだ続く、というわけである。
| 日記 | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0)
大坂の空にご機嫌いかが?
明日からまた大阪出張である。
今年はホントに出張が多くて、春は名古屋に出張、7月に島根県に出張し、そして11月から1月にかけて大阪出張がある。3月くらいまでまたちょろちょろと大阪出張があったりするかもしれない。ぼくはデスクワークの人なので、ほとんど出張はしないのだけど、こうしてたまに出張する分にはそれ自体を楽しめていいよね。仕事上日本中を飛び回ってる人はホント大変というか、ぼくがいつものようにいつもの電車に乗って通勤してる時も同じ空を見上げながら「札幌に行かなくちゃ」とか「今から沖縄に行けるかな」とか視野の広いことを考えないといけないわけで、その対照にホント人生とはいろいろであると感じ入る。
さて、そんなぼくにとっての非日常な出張だけど、明日に限ってはどうも天候がすぐれないようである。せっかくの機会だというのに天気が悪いのだそうな。
また、である。
ぼくが楽しみにしている日はコトゴトク天候が崩れるのである。この日までは東京も大阪も晴天が何日も続いていたのである。なのに明日に限っては天候が崩れるのだ。ホント、わざとか!?と毎度思う。
西高東低の気圧配置でずっと冬晴れが続いていたところだけど、最近になってこの東の低気圧がどんどん発達しちゃって、台風並みのほとんど爆弾低気圧的に発達しちゃったものだから、大陸の高気圧も次第に発達しつつ、その狭間にある比較的穏やかな地帯に空気が集まり出して、これが小さな低気圧になっちゃった。そうするとさらに南から湿った空気が集まり、折からの寒気団の南下も影響して、冷たい雨雲が生まれちゃったようである。
そういうわけで、関東では今夜から明日にかけて雨または雪、低気圧がゆっくり移動する大阪は関東に先立って雨が降り、明日明後日とゆっくり回復してくるそうである。ちょうどぼくが家を出る頃に雨が降っていて、大阪ではずっと曇という感じである。晴れはほとんど期待できないようである。
う〜ん、どういうことだ、これは。
以前にも楽しみにしているイベントを狙って雨が降るので、その恣意的な天気の巡り合わせに、神的人外の存在に憤慨したものだけど、今回もホントその存在に憤りを禁じ得ない。
どうして大坂の街をサイクリングしようと楽しみにしている時に天気を崩すのか。
・・・あ、そう、自転車を持っていこうと思ってる。仕事は実は明日だけなので、翌日の金曜日は有給休暇をとって大坂をサイクリングしようかと思っているのだ。
初めての大阪サイクリング。これをずっと楽しみにしていたんだよなー、ホント、困るわ。たぶん日程の関係で、有給休暇を絡めて出張できるのは他にないので、ほとんどラストチャンスである。
だから、今、非常に悩んでいる。
雨であろうと曇であろうと自転車を持っていこうか。自転車に乗れなくて後悔するかもしれないけど、持っていかないで後悔するよりはいいかもしれない。雨の中、しかもスーツでこぎ出さなければならない明日の朝を思うと憂鬱だけどね。今日の夜までぎりぎりの検討が続く。もしうまくいけば、きっと思い出に残るサイクリングになるハズである。
さてどうなるか・・・!?
| 日記 | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0)
鳥。
ある朝、ぼくは自宅を出て最寄り駅まで10分ほどの道を歩いていた。
その時はずっとスマホを見ていて周りの状況に気づかなかったのかもしれないけど、それはぼくの背後から音もなく忍び寄り、そして唐突にぼくに襲い掛かってきた。
カラスである。

その瞬間、足で頭を叩かれた・・・というか、掴まれた感じがした。ニンゲンの手で軽くわしっとされたような感じというか。やられた瞬間はカラスと分からなくて、誰かに頭を手荒く撫でられたと思ったほどである。
カラスはそのまま近くのフェンスの上に止まって、しばらくぼくを見ていた。カラスって攻撃すると聞いていたけど、そんな経験初めてだった。戸惑いつつも周りに歩いてる人もいて、何となく恥ずかしく、そして何より理由が分からなかった。
カラスが人を襲うというのは産卵期に不用意に巣に近づくとか悪意をもって攻撃してきたニンゲンに対して報復するなど、あくまでニンゲン側にも何らかの原因があると思っていた。特に関わりを持たず、素知らぬ「振り」をして歩いているぼくがあえて攻撃されたのは、まったう理由が分からない。いや、以前にもぼくの他にも攻撃されてる人がいて、今回たまたまぼくが標的になっちゃったって言うなら分かる。しかしぼくが毎日歩くこの道でカラスに攻撃されている人を見たことなんてないのだ。
ホント、謎である。
しかし、理由が分からないとなると戸惑いは次第に変化して、だんだんムカついてきた。カラス風情が理由もなくぼくに攻撃してくるとはどういうことだ。お互い無関心を「装って」やり過ごしてきたのに、その一線をカラスの方から侵してくるというのはどういうことなんだ。
野生動物ってのはニンゲンや他の動物と関わりを持つ時って、当然何か理由がある。冬眠前のクマだって理由もなくニンゲンを襲ったりしない。ニンゲンが彼らの生活を脅かさず、害をなす意思がないことが分かれば鉢合わせたしても即攻撃を受けたりすることはないものである。
しかし、今回のカラスは違っていた。
ぼくには実質的に害を及ぼしたことは一度もないのに、攻撃してきたのである。しかもたぶん攻撃の度合は弱かった。ホントに危害を加えるつもりで攻撃したのであればもっと痛いと思う。少なくとも「手荒く頭を撫でられた」なんて表現にはならないハズである。つまり、手加減していた。イタズラなのだ。オチョくられたのだ。

なるほど、そうか。そうであれば、容赦はしない。
互いの境界線を侵してきたのは相手なのだ。相応の報いを与えるべきである。おイタにはキツいオシオキなのだ。
さてどんなオシオキをしてやろう。相手がイタズラのレベルなので、こっちが洒落にならないほどの対抗手段に出るってのも、ニンゲンの尊厳をキズつけるというものだ。ちょっとキツめのオシオキが妥当だろう。
たとえば輪ゴムなどで攻撃するのはどうか。輪ゴムを飛ばすのなら相手に分からないように狙い撃ちすることができそうだ。いやたとえ当たらなくても何か飛んできたことくらいは鳥の動体視力をもってすれば容易に分かるだろう。それでもぼくの報復の意図は充分通じるハズである。その他にはないだろうか。
ニンゲンにちょっかい出すことがそもそも間違っていることを明確に印象付けられる方法としては、カラスの知能をはるかに凌駕するような撃退法がいいだろう。ぼくに近づくと訳の分からない手痛い仕打ちが来る、だから近づかないようにしようと思わせるような方法である。輪ゴムでもいいけど、オトナがカラスに向けて輪ゴムを放つ光景はさすがに恥ずかしい。大人げない・・・というかほとんどカラスと同じレベルでケンカしてるみたいである。
レーザーポインターの光線なんかどうか。プレゼンなんかで使う赤い光である。これなら手のひらサイズで小さいし、カラスにはかなりキツめの仕打ちになるだろう・・・いやいや、そりゃ完全に動物虐待である。カラスとは言え生き物である。地球で共に生きる愛すべき仲間である。罪を憎んで人、いやカラスを憎まずの精神が大事である。

そういうわけで、カラスを撃退する方法を大募集・・・と、こりゃブログを書くいいネタができたなーと思い、帰りに一緒になったさきこに話してみた。さきこも何かいい方法を考えてみてよ、と。
カラスをとっちめる方法をいろいろ考えて話すぼくとは対照的にさきこはあまり面白くなさそうだった。次第に顔が曇っていく。そして、こう言ったのだ。
「止めといた方がいいよ」
カラスに攻撃を仕掛けるなんて絶対に避けるべきだと言うのだ。後でさらに仕返しされてしまうと。いや、仕返しされないようにさらにキツい仕打ちをすればいいんじゃないか。そもそもニンゲンに戦いを挑んでくるってとこが間違っているのだ。カラスはニンゲンにとって風景である。視界の中でただそこにいる存在。彼らは風景の一部として彼らの営みをニンゲンとは無関係に続けていればいいのだ。何らかのベクトルをニンゲンに向けてくるべきではない。
そんな傲慢な考えを主張するぼくにさきこはさらに顔色を曇らせていく。とにかくぼくがカラスに何かを仕掛けるのが反対なのだ。そしてこう言うのだった。
「カラスを舐めたらいけない」
さきこにどういう経験があるのか、あるいはテレビとかの情報なのか分からないけど、とにかくカラスは頭がいい。人の顔を覚えるなんて造作もないし、いや、ぼくらが想像もしていないほどの知能が実はあるかもしれないそうだ。そもそも普段ニンゲンを攻撃しないカラスが今回ぼくを攻撃してきたのは、まったく理由がないことではない。絶対に理由があるという。そして、さらにこう続けた。
「心、読まれちゃったね」

たしかにぼくはカラスの存在を快く思っていなかった。風景の一部とは言え、カラスがいる風景はあまりいい風景だと思っていなかった。いや、もっと言えばその風景に嫌悪感を抱いていた。
と言うのは、この道の途中には近くの民家から出るゴミの集積所があるのだ。カラスを防止するために防護ネットを被せてあるけど、カラスたちはそのネットをくぐってゴミ袋を開け、中身を取り出したりしているのだ。ゴミ集積所の周りにゴミが散乱していることもあった。ゴミ袋から取り出した生ごみを口に加えて電線に乗り、足で押さえつつ器用に食べたりしているのも見たことがある。電線のうえで生ごみを振り回すなんて、そりゃ嫌悪感でしょ。それに止まっている電線の下を通る時にわざとフンを落としてくることだってあった。
そんなカラスは、ぼくにとっては一線を引くには嫌悪の度合が強すぎる存在だったのである。
しかも彼らの傍若無人な態度はさらに嫌悪感を増長させるのである。ちょうど目線と同じくらいの植垣があるんだけど、その上に数羽が止まり、大きな鳴き声を出したり、仲間で戯れたりしている。ぼくはその脇をてくてく歩いていくんだけど、その際にかなり接近する。カラスにとって接近の限界に来た時、彼らは唐突に身を翻してバッサバッサと羽ばたくのである。なんか接近してくるぼくを彼らの「勇気試し」的ゲームに使われてる気がしていた。

もしかしたらその近すぎる接近に、彼らがぼくの心を読むチャンスを与えていたのかもしれない。
彼らがぼくをゲームのネタにする一方、ぼくも彼らにわざと近づいていた。悪意渦巻く眼差しを向けて彼らに近づいていた。そして黒い羽毛に包まれた漆黒の瞳を凝視した。今思うとその漆黒の奥に、彼らも何らかの思考が渦巻いていたかもしれない。あるいはぼく自身の悪意がそのまま投影されていたか。

そう思うと、カラス風情とは言え侮れない存在である。
ぼくが対峙しているのは、ただの生き物としての鳥ではないのかもしれない。ニンゲンと同等の知能で、しかもニンゲンには想像もつかない論理で思考をぐるぐる巡らせる知的存在。傲慢なニンゲンからいつも蔑まれ嫌悪に満ちた視線を投げかけられ、黒い身体に一杯の悪意を滲ませた存在。
まさに、トワイライトゾーン的、アウターゾーン的、あなたの知らない世界的、世にも奇妙な物語的、ヒッチコックの「鳥」的な世界である。うかつに踏み込むと、気づいた時にはもう戻れない世界。遊び半分の火遊びが取り返しのつかない結果になる世界。うん、そりゃ怖い。まさに触らぬ神に祟りなし、である。
※ヒッチコックの有名な映画「鳥」はその不気味さだけは記憶しているけど、実はどんな映画だか忘れちゃった。さきこは今でもその印象が強いようで「奴らは集団で目を攻撃してくるよ」などと言っていた。ホンマ?そりゃ怖い。

そんなわけで、ただの生き物として見ていたカラスが、ホラー的要素満点でぼくに迫ってきてしまったので、ここは尻尾を巻いて遁走するしかなさそうである。これからもぼくの頭上を何を考えてるやもしれぬ存在が飛び回るのだろうけど、とりあえず当面はおとなしくしていよう。目を合わせることのないよう。
いつか彼らの視線からぼくへの敵意がなくなると信じて。鳥って恐ろしいね。
| 日記 | 18:19 | comments(0) | trackbacks(0)
方眼エクセルの不思議。
ぼくはお決まりの雑誌を定期的に購入することってあまりないのだけど、それでもとあるパソコン雑誌だけは毎週購入している。このパソコン雑誌は、以前はパソコンがちょっと便利になる使い方などを特集してくれたり、使えるフリーソフトを特集してくれたりとぼくのパソコン生活を楽しくしてくれる雑誌だったんだけど、最近は出版元の資本関係が変っちゃったためか、その手の特集は少なくなって、もっぱら「売れ筋タブレットはこれだ!」などとデジタル機器買わせる方向に何となくシフトしちゃったみたいで、今は以前ほど「おおっ」と思わせる内容ではなくなっちゃった。
それでも、デジタル機器にだって充分興味津々なぼくなので、ついつい買ってしまい「win8の8インチタブレットPCついに登場!」など言われたりして思わずわくわくしちゃったりするのである。
ところで、こういう雑誌ってのは特集記事以外にもコラムとか連載記事なんかもあったりするのだけど、こういうのは長年買っていると好みが分かれてきて、読まなくなる連載記事もあったりする。雑誌って全部の記事を読まずに好きなところをかいつまんで読んだりするよね。
さてある日、いつものように有楽町のキオスクでこのパソコン雑誌を購入して電車で読んでいると、普段読み飛ばすハズのコラム記事の表題に目がとまった。そこには「方眼エクセル」なる文字があったのだ。
方眼エクセル?
何のことかさっぱり分からなかったけど、記事をちょっと読んでみてすべてを理解した。
マイクロソフトの表計算ソフト・エクセルのセルの枠は、通常であれば横長の長方形が並んでいるのだけど、セルの長さをすべて短くしてまるで方眼用紙のような格子状に変更して使用する人がいる。ぼくも以前から知っていたけど、このことを「方眼エクセル」と呼称するとは知らなかった。
その記事では方眼エクセルを多用することで「ソフトを使いこなす」とうたう、とある女性雑誌を紹介していて、さらにこれに過敏に反応するネット上の意見を紹介していた。どうやらこの女性雑誌に方眼エクセルが特集されていて、これを使うことでどんな文書も作ることができる、これがパソコンを使いこなす「デキる女性」だというのだけど、これに対してネット上で大きな反響があって、曰く「エクセルとはそもそも表計算ソフトで文書を作るソフトじゃない」とか「画面上で表示されたものと実際の印刷結果が異なるのでこういう使い方は本来おかしい」とか「セルの結合を多用したり複雑な書式が設定されていたりして、ファイル作成者以外には非常に使い勝手が悪い」などと言われていて、方眼エクセルを巡って賛否両論のちょっとした議論になっているというのである。

先に結論を言ってしまうと、ぼくも方眼エクセルは反対の立場である。
ネット上の意見と同じで、エクセルは表計算ソフトなんだから、文書を作るならワードを使えばいいじゃんと思ってしまうのだ。
しかし既出の女性雑誌が特集するまでもなく、方眼エクセルは一部でかなり普及しているようで、実はぼくが今の会社に入社した頃は、社内のファイルに多くの方眼エクセルがあって、いやワードなんて使う人の方が珍しくて、なんと契約書でさえも方眼エクセルで作ったりしていて、そういうのに物凄い嫌悪感を抱いたものである。いや、契約書なんてデータとしてメールで送ったりすることもあるわけで、つまり取引先の人はメールに添付されてきたエクセルを開くとズララーっと文字が表示されているのを見るわけで、そりゃびっくりしちゃうよね。相手先も方眼エクセルを使うようなリテラシーの人ならいいけど、当時の取引先には某有名電機メーカーとか有名自動車メーカーもあったりしたから、そういう「ちゃんとした会社」の人はきっとびっくりしてたと思うし、逆に「この会社(=ぼくの会社)は大丈夫なんだろうか」って心配になったりしただろうね。
さらに脱線してぼくが今の会社に入社した頃の話しになっちゃうけど、入社に先立つ入社面接の際に先輩になるだろう人や同僚になるだろう人(女性)に会わせていただいたのだが、入社してみるとこの先輩社員は既に退職しており、同僚の人は長期間の産休と育児休暇に入っていて、つまり入社したはいいけど、ぼくの周りには仕事を引き継いでくれる人が誰もいなかったから自分だけで仕事をこなしていくしかなく、その中で過去に使っていたファイルを解読したりするのだけど、これが方眼エクセルで、いやもう非常に苦労した記憶がある。それまでそういう使い方をした経験がなかったので、驚き戸惑い、解読にかかる時間や扱いにくさを思うと憤りすら覚えたものである。この記憶があったから、方眼エクセルに嫌悪感があるのかもしれないね。
とは言え、文書をどういうソフトで作ろうとそれは個人の自由である。エクセルで契約書を作って取引先に対して恥ずかしい思いをするのも個人の自由である。ぼくは表計算はエクセル、文書はワードと使い分けたいと思っているとは言え、複雑な表組の文書なんかは、ワードではなかなかうまくいかない場合もあって、そういう時はエクセルを使ったりすることもあったから、エクセルで文書を作成することを極端に避けていたわけでもなかったんだよね。文書はワードを使うべし!なんて声高に主張するつもりもなかった。つまり、方眼エクセルに一定の理解を示しつつ、一線を画す形で仕事を続けてきたのである。いつかワードで文書を書いた方が便利だと気付くと思ってた。
しかし、先に書いたとおり方眼エクセルの影響力は意外に根深かったのである。
先ほどの女性雑誌の特集記事が出たのは、今年の春頃とのことである。つまりごく最近のことである。エクセルが世の中に出てから15年以上は経ってると思うけど、それでも方眼エクセルを使用するバイアスは衰えるばかりか勢いを増している状況なのである。
その勢いは方眼エクセルに眉をひそめつつも距離を置いていたぼくをも飲み込むほどである。
そしてある時、ほとんど唐突にぼくはその勢いに飲まれてしまった。

会社で使ういわゆる稟議書の書式が、電子ハンコシステムの導入により、作成ソフトを問わない形からエクセル書式に限定されてしまったのである。
電子ハンコシステムとは、実際の紙ペラに承認のハンコをもらって回る稟議書のような文書を電子化してネット上で承認するシステムのことである。電子ハンコシステムの画面上には律儀にもあらかじめ登録された承認者の赤い印影が表示されるコダワリっぷりである。
稟議書ってハンコを押したりする欄がいろいろあって、結構複雑な表組がしてあるけど、実際の本文の方はいわゆる文書である。計算表などを表示することもあるけど、基本的には文字を書き連ねる形を取るので、ワードで作った方が効率的である。しかし今回会社が導入したこの電子ハンコシステムでは、対応しているソフトがエクセルだけなのである。そしてそのソフトで対応できるひな型の書式を見てみると、案の定、方眼エクセルなのだった。
電子ハンコシステムなしで今の会社では今後仕事が回らなくなる。そうであれば、ぼくはこのまま方眼エクセルを甘受しなければならないことになる。

しかし、やはりワード文書で書くべきというぼくの強い思いは曲がらなかった。他人はどうあれ、自分で作る文書はやはりワードで作りたい。エクセルで作る非効率さに今になって身を堕としたくなかった。そしていろいろ考えた。
そうして辿り着いた答えは、本文を書くべき場所にワードのオブジェクトを貼り付けることだった。方眼エクセルで作られた稟議書の書式の上にワード文書を貼り付けたのである。つまり、エクセルの上にワード文書が乗っかっている形。書式自体はエクセルだけど、本文部分はワードという荒業を駆使したわけである。しかもワード文書上にさらにエクセルの表を挿入することもできるわけで、これを俯瞰してみると、「エクセルベースの書式にワード文書のオブジェクトを表示して、さらにその中にエクセルの表計算を挿入する」ということになり、名付けて「マトリョーシカ的文書作成術」というわけである。ホントは嫌だけど、ぼくが譲れるぎりぎりのラインである。
電子ハンコシステムもエクセルである以上問題なく動作したようである。よし、ぼくは今回も危ういところで方眼エクセルの魔の手に取り込まれなくて済んだというわけである。
実はこれで今まで半年ほどやってきた。ぼくは割と稟議書を書くことが多いので、マトリョーシカ的エクセル対応で数十枚もの稟議書を作成してこられた。しかし、である。

最近になって、このマトリョーシカ的エクセル文書に電子ハンコシステム上の不具合が見つかったのである。どうもワードのオブジェクトが表示されないという不具合のようで、エクセル自体にテキストを直接打ち込んでいないとダメのようである。社内で稟議書を作成する人で、エクセル書式にワードオブジェクトを乗っけるなんて奇特な人はぼくしかいなかったので、電子ハンコシステムの担当者は不具合を修正する方向ではなく、マトリョーシカ的なケッタイな方法は禁止した方が効率的と考えたようである。無情にもマトリョーシカ的文書作成術はあっさりと禁止になってしまった。
つまり、これで、チェックメイト、ついに万策尽き果てた。
とうとうこれからは方眼エクセルを使うハメになりそうである・・・ってかその前に、そもそもこの電子ハンコシステムを作る会社も、仮にもIT企業を標榜しているのであれば方眼エクセルなんてバッタモンに迎合するのはではなく、キチンとあるべき姿を見据えてシステムを作るべきと思う。システム会社の癖にホント、リテラシーに問題があるんじゃないか?と訝ってしまう。
いずれにしても、世の中が方眼エクセル容認の方向に動いているのなら、一人で奮戦して抗ったところで時代の波を押し戻したり流れを変えたりすることはできない。この期に及んではおとなしく受け入れるのがオトナなのだろう。

それにしても、さっきも書いたけど、エクセルが普及し始めて15年以上も経っているのに、本来のものとは違う使い方が横行しているというのは、どういうことなんだろう。日本の帳票文化にマッチしたワープロソフトがなかなか登場しないというのも理由のひとつだけど、もっと興味深いことが隠れているかもしれない。つまり、エクセルに本来とは異なる使い方を見出すことは、逆に言えば限られた機能の中で創意工夫をして先鋭化していく日本人独特の気質が現われているのではないだろうか。日本人のこういう独特な気質は、時に他では真似できない新しい世界を構築もし、また時にはガラパゴス的な閉鎖的な世界になっちゃうこともある。方眼エクセルは日本の帳票文化の中で現われるべくして現われた新しい世界だとすれば、世の中が複雑な表組の帳票がなくなっていく方向に向かうかマイクロソフトが「こういう使い方もあり」として次世代のエクセルに機能追加していくか、今まさに岐路に立っているのかもしれない。
そう思うと、方眼エクセルへの嫌悪感も減少する。リテラシーとかべき論とかそういう話しではなく、方眼エクセルはまさに日本文化がその真価を発揮している現場なのだ。大きく飛躍する可能性を秘めたサブカルチャーの類、または「クール・ジャパンの卵」とも言える。
そう思うにつけ、毛嫌いは良くないかと思うし、ちょっとは触れておくのも悪くないかもと思ったりしつつ、じゃ誰がその日本文化を作ってるのかって、入社したてのぼくをホッタラカシにして引き継ぎもなしに退職したり、産休に入っちゃったりする人たちだと思うとなんだかなーとも思っちゃったりするのである。
| 日記 | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0)
暗く、熱い、永田町。
最近のニュースの話題は、現在国会で審議されている特定秘密保護法案を巡る与野党の攻防である。いや、そんなことよりも福島の原発はどうなってんのよと思うにつけ、どうしてこう優先順位をつけるのが下手なんだろうと思うのだけど、いや逆に下手な優先順位で国民の目を巧みに誘導しているとかその辺は置いておいて、とにかく、今回問題になっているこの法案はちょっといただけない。
法案の中身には、何が秘密か明確になっていないのにその「秘密」とやらの取り扱いによってはいきなり逮捕されちゃったり、施政者の都合の悪い情報が秘密扱いになって原則60年、場合によってはそれ以上も公開されなくなっちゃうとかいろいろ問題があるようで、ぼくがこうして書いているブログの何かが秘密であると認定されちゃうと、スパイだとかテロリストとかレッテルを貼られちゃって、社会的に制裁を受けるハメになっちゃうという、想像するだに怖い展開である。治安維持法かっての。
また、この法律の国会内の審議がニュースで見る限りおよそ審議とか議論とかそういうレベルには到達しておらず、今回の国会で決めることが最初から決まっていたかのように拙速に決議しようとしている点もいただけない。お得意の強行採決というヤツである。強行採決と聞くとぼくが政治に興味を持ち始めたかなり昔に「PKO法案」ってのがあって、今でこそ自衛隊が海外の紛争地帯に派遣されるのはよくあることになっちゃったけど、当時は「戦争行為で憲法に反する」ってことで大問題になったのだ。で、強行採決に踏み切ろうとする与党に野党が対抗して、故意に採決に時間をかけさせる牛歩戦術なんて展開があり、いやもう国会で何やってんだかって思ったものだ。この頃は新聞配達員をしていて、朝刊の配達前に深夜からずっと中継している国会審議を見ながら「PKO法案がこんなに決まらないならいっそPK戦で決めちゃえば?」って冗談を言った人がいて、どうもそれが頭に残っている。議論を尽くさないで採決を強行しちゃうのなら、それはPK戦で議論なしで決めるのと何ら変わらないのである。今回もPK戦で決めちゃえばいいのだ。

そんなわけで、法案の中身にも法案を審議する手続きにもモヤモヤしたものを感じたぼくは、ニュースで国会議事堂前にたくさんのデモがあつまるのを見て、ちょっと気持ちが盛り上がっていた。ぼくがこの法案に何かできることはないけど、何もしないままこの悪法の成立を見ているのもどうかと思っていた。
そして今日である。
衆議院での議決は与党が数に物を言わせて早々に決まっちゃっていて、今日は参議院での審議であった。委員会での審議を終えて今日にも参議院本会議で採決されちゃうかもしれないという状況である。
ぼくは有楽町線に乗っていた。早く帰って絵なぞの続きでも描こうと思っていた。
電車に揺られながらいつものようにiPhoneでツイッターの発言を見ていた。今日で法案が決まってしまうということで、特定秘密保護法案関連のツイートはいつにも増して盛んなツイートが並んでいた。もはや悲鳴に近いツイートである。決まってしまう、何とか阻止しないと、国会議事堂で声を上げようなどなど。
どうしようかな。ぼくも参加してみようかな。
原発の再稼働の時も暑い中、国会議事堂に行き、夏の夜の暑さを吹き飛ばす熱気を感じたものである。きっとそれ以上の熱い思いが渦巻いているだろう。そんな大勢のデモの中でぼくがひとり佇んでいたところで何かが変わるだろうかと思った。それよりも絵なぞを描きたいわ。
しかし、ここでふと思ったのだ。表現の自由が危ないのだ。絵なぞを描いたり文章を書いたりするのも表現である。その表現が今危機にあるのである。ぼくに表現者の端くれとしての矜持が少しでもあるのなら、目の前の絵なぞをちまちま描くよりもやるべきことがあるだろう。
永田町駅のドアが開いた。ぼくは唐突に飛び降りた。デモに行くことにしよう。

永田町駅の改札口は閑散としていて、物々しい感じはまったくしなかった。この上の地上では深夜まで国会審議が続けられ、たくさんの人がデモをしているとは想像がつかないほどである。しかし階段を上り始めると、次第に騒々しさが伝わってきた。最初に聞こえたのが太鼓を打ち鳴らす音である。そしてうねるようなシュプレヒコールの波。
地上に出ると、物凄い人の数だった。これは原発再稼働反対のデモよりも多いかもしれない。若い人もいればおじさんおばさんの姿も見える。これは予想以上に幅広い年齢層、老若男女が集まった感じである。
国会議事堂の方に回ってみた。
いつもならライトアップして威風堂々な雰囲気の国会議事堂がこの日は照明を落として、巨大な黒い影が聳えているだけだった。窓からも照明が漏れていない。異様な雰囲気である。今この時もこの巨大な黒い影の中で何百人もの国会議員が重要な法律を決めるために侃侃諤諤やっているハズなのに、建物はひっそりとしていた。これと対照的に歩道に溢れた人たちのシュプレヒコールは大きな波になっていた。警察官が数メートル置きに並んでいる。警備という名の言論規制の現場であった。
ぼくはしばらくそこで暗い国会議事堂を見上げていた。
国民がこうして集まっているのに、この影は微塵も揺らがない。無力さというかやるせなさ。そして憤り。
奇しくも東日本大震災の発生から昨日で1000日を迎えた。被災地では未だに仮設住宅に住んでいる人が何人もいるそうである。それなのに時の施政者は何をやっているのだ。

さて、法案の方は刻々と変化する国会情勢の中、いつ採決されてもおかしくない状況である。
ぼくが今日国会に行ったことは自己満足でしかないかもしれないけど、それでもぼくの中に「表現者としての矜持」があったことが確認できた点で有意義であった。もしこのまま法律が決まってしまって、本当に憂慮されるような言論や表現の制限がされる日が来ても、この日ぼくは表現者として行動したことはずっと変わらないだろうと思う。そういう日が来ないで欲しいと、やっぱり思うのであった。
 
| 日記 | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0)
富士山マラソンにまつわる色々。
先々週のことになっちゃったけど、かねてより準備を進めていた富士山マラソンに参加してきた。
結果的にはかなり悪い形で、満身創痍、疲労困憊でヘロヘロのままフィニッシュすることになり、「準備不足」どころか「準備の方向性がまるで明後日を向いていた」ことが分かり、非常に悔しい結果になってしまった。
「方向性が明後日」の具体的な話しは別に書くとして、ともかく失敗として学ぶべきことの多いランニングであった。ぜひこの思い改めて次のイベントにつなげ、来たるべき東京マラソンでリベンジできればと思っている。
ちなみに、この大会は運営が×××で、去年各方面から散々叩かれたのだけど、今回は結果として良い運営だったと思う。沿道の応援も良かったし、給水所やエイドの位置や内容も良かった。ボーイスカウトの子供たちが完走したランナーの首にメダルを提げてくれたのはちょっと感動した。去年はビニール袋に入ったままのメダルが手渡しされたそうだから、これはかなりの改善である。

天気にはかなり恵まれた。もうこれ以上の好天はないんじゃないかというくらい晴れた。
富士山は見えるべきところではずっと見えていたので、距離を進めるごとに見え方が変わる富士山に改めて深く感じ入った。山頂付近の冠雪が太陽光を反射していたのは印象的だったな。
ちなみにその前日も晴れた。気温も高くて、ランニングもいいけどサイクリングとしても良い日和だった。だから河口湖にクルマで行くのに、いつもどおりの東名高速ではなく、橋本から「どうしみち」という国道を通って行ってみることにした。橋本から山中湖まで続く神奈川と山梨を直接つなぐ道で、いつかサイクリングで来てみたいと思っていたから、コース確認としてはいい機会だった。実際この道はサイクリストの中では有名のようで、何人ものサイクリストを追い抜いた。
天気も良かったけど、時期も良かったようで、山は紅葉の真っ盛りだった。まさに燃えるような紅葉であった。これほどキレイな紅葉を見ながらドライブしたことはないんじゃないかな。いやこれを見ながらサイクリングするってのは楽しいだろうなー。
山中湖に着いて、時間的に早かったこともあり、三国峠の方まで上ってみた。するとススキの原っぱ越しに山中湖と富士山が見えて、これには感動したな。黄金に輝くススキ原とその向こうの富士山を見ていると、翌日がフルマラソンであるを思わず忘れてしまうくらいに紅葉観光気分になっていた。うん、久し振りにドライブを楽しんだ感じである。
脱線しちゃったけど、そういうわけでともかく天気は最高に良かった。
このコンディションを生かしきれなかったのは反省しないといけない。東京マラソンはもとより、来年もこのイベントに参加してしまおうかとも思ってしまった。そしたらまた美しい紅葉が見られるかな。
 
| 日記 | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0)
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