2014.02.28 Friday
企業人としての気質の発露。
横浜マラソンは毎年11月頃にハーフマラソンと10キロランニングの2種目で開催されていた。ぼくも何度か参加したことがあるんだけど、今後は新たにフルマラソンの大会として開催されるのだそうな。地元の横浜で市民参加型のフルマラソンの大会である。これはスゴい、ぜひ参加したいと思っているんだけど、実はそのコースは正式には決まっていないようである。横浜を代表する大型イベントになるのは間違いないので、そのコースがどういうものかいろいろ夢想を広げたりしていたんだけど、先日のこと、横浜市の林市長が横浜マラソンのコース案を発表した。まだきちんとしたコース案ではないけど、これを聞いてかなり驚いた。
横浜は観光都市なので、観光名所を通るコースだろうなとは思っていた。だからパシフィコ横浜をスタート・フィニッシュとする折り返しコースであることは予想の範囲内だった。パシフィコ横浜から歴史的建造物のエリアや横浜スタジアム、山下公園などを通るってのは、ぼくでも予想ができていた。しかし、その先である。具体的には折り返した後の復路にあたるコースである。
ナント、首都高湾岸線を走ると言うのだ。
磯子区から中区にかけて高速道路を通るそうなので、恐らく磯子ICから本牧の上を通る高速道路を走り、新山下IC辺りで降りるということだろう。これはまったく想像ができなかった。ぼくもさきこも、観光名所を巡るだけでは42キロにならないのは分かっていた。観光名所では山手の道を行くか、産業道路の方へ出るかしかないと思っていた。山手の道はアップダウンが激しいだけでなく、道は狭く、生活道路でもあるので、周辺への影響が大きすぎる。また産業道路は国際マラソン大会でも使われているものの、ただまっすぐな工業用道路なので、「横浜らしさ」みたいのは全然感じられない。どうするつもりなんだろうと思っていた。
まさか高速道路を使うというぶっ飛び発想とは思わなかった。
高速道路をランニングするのは、千葉のアクアマリンマラソンで前例があるから殊更革新的なアイデアではないとは言え、ぼくはこういう考えを進められる林市長の大胆さに感動を覚えた。数あるランニングイベントの中で後発のイベントがどう差別化を図っていくかはとても重要な課題である。きっといくつかの案があったのだろう。もしかするとぼくが想定していた山手の道や産業道路の案もあったかもしれない。しかし、その中でより過激で魅力的な案として、高速道路を走るという案が採用されたわけである。
ぼくはこれに林市長の企業人としての大胆さを感じた。
林市長は苦労した人で、経済的事情で大学に進学できず、高卒で就職、自動車販売業でメキメキと頭角を現し、外資系の自動車販売会社では異例の抜擢人事で結局社長にまで到達する。今では数々の会社の取締役を歴任するビジネスマンである。その手法は、迅速だし大胆だし革新的である。前任市長の残任期中に保育所の待機児童をゼロにするという偉業を成し遂げ、新聞でも盛んに「横浜方式」などと言われたりした。そんな敏腕企業人である林市長だから、今回のマラソンコース案にも企業人としての発想を感じてしまうのだ。
つまり「常にライバルの上を行く」という発想である。
この場合の「ライバル」ってのはどういうものか分からないけど、たとえば開催時期が近い東京マラソンを仮想ライバルとすると、この世界的有名なランニングイベントを超えるには、東京マラソンにできないことをしなければならないのだ。高速道路をランニングするという非日常体験は、日本の中心である東京の主要市街地がランナーで埋め尽くされるという非日常の風景を凌駕するパワーを持つと思う。インパクト充分である。横浜マラソンのフルマラソン化に向けて、従来のハーフマラソンや10キロランニングを単にフルマラソンに延長するという程度の考えで取り組んでいないことが充分分かる。横浜は本気でフルマラソンで東京マラソンを出し抜こうとしているかもしれない。これはスゴい。
※ちなみに高速道路案の秀逸性はぼくが考える限り他にもあって、横浜は午後になると観光客が増えるから、市街道の交通規制を早く解除する必要がある。しかも広い道は限られていて、大型イベントには不向きな道も多い。東京と違い居住者も多いので生活道路の配慮も必要。一方で本牧周りの首都高の交通量は休日でもかなり少ない。当然道幅は広く、横浜横須賀道という迂回道路も確保できる。これは盲点だけど、ベストアイデアだと思うね。さっすが!
生まれ変わった横浜マラソンは来年3月開始である。
東京マラソンや三浦国際市民マラソンなどもあって、この時期にフルマラソンを新しくぼくのイベントスケジュールに入れるのはなかなか厳しいけど、ぜひ参加してみたいと思う。抽選になると思うけど、当たるといいな。
そして、何より企業人はこういう発想力と大胆さが必要である。今回のニュースはランナーとしてではなく、ビジネスマンとして非常に大事なものを教えてもらったような気がするのだ。
※ところでぼくは、「旧」横浜マラソンのハーフマラソンはまだフィニッシュしていない。1時間57分という過酷な制限時間設定のため、それなりに頑張ったとは言え(初めてハーフマラソンを全体としてマネジメントした感覚を得た)、あと数分足りなかったのだ。ぼくとしては、「旧」横浜マラソンがなくなってしまう前にハーフマラソンを完走しておきたかった。かなり残念である。ぼくの無念の思いはまだ山下ふ頭を彷徨っているかもしれない。
横浜は観光都市なので、観光名所を通るコースだろうなとは思っていた。だからパシフィコ横浜をスタート・フィニッシュとする折り返しコースであることは予想の範囲内だった。パシフィコ横浜から歴史的建造物のエリアや横浜スタジアム、山下公園などを通るってのは、ぼくでも予想ができていた。しかし、その先である。具体的には折り返した後の復路にあたるコースである。
ナント、首都高湾岸線を走ると言うのだ。
磯子区から中区にかけて高速道路を通るそうなので、恐らく磯子ICから本牧の上を通る高速道路を走り、新山下IC辺りで降りるということだろう。これはまったく想像ができなかった。ぼくもさきこも、観光名所を巡るだけでは42キロにならないのは分かっていた。観光名所では山手の道を行くか、産業道路の方へ出るかしかないと思っていた。山手の道はアップダウンが激しいだけでなく、道は狭く、生活道路でもあるので、周辺への影響が大きすぎる。また産業道路は国際マラソン大会でも使われているものの、ただまっすぐな工業用道路なので、「横浜らしさ」みたいのは全然感じられない。どうするつもりなんだろうと思っていた。
まさか高速道路を使うというぶっ飛び発想とは思わなかった。
高速道路をランニングするのは、千葉のアクアマリンマラソンで前例があるから殊更革新的なアイデアではないとは言え、ぼくはこういう考えを進められる林市長の大胆さに感動を覚えた。数あるランニングイベントの中で後発のイベントがどう差別化を図っていくかはとても重要な課題である。きっといくつかの案があったのだろう。もしかするとぼくが想定していた山手の道や産業道路の案もあったかもしれない。しかし、その中でより過激で魅力的な案として、高速道路を走るという案が採用されたわけである。
ぼくはこれに林市長の企業人としての大胆さを感じた。
林市長は苦労した人で、経済的事情で大学に進学できず、高卒で就職、自動車販売業でメキメキと頭角を現し、外資系の自動車販売会社では異例の抜擢人事で結局社長にまで到達する。今では数々の会社の取締役を歴任するビジネスマンである。その手法は、迅速だし大胆だし革新的である。前任市長の残任期中に保育所の待機児童をゼロにするという偉業を成し遂げ、新聞でも盛んに「横浜方式」などと言われたりした。そんな敏腕企業人である林市長だから、今回のマラソンコース案にも企業人としての発想を感じてしまうのだ。
つまり「常にライバルの上を行く」という発想である。
この場合の「ライバル」ってのはどういうものか分からないけど、たとえば開催時期が近い東京マラソンを仮想ライバルとすると、この世界的有名なランニングイベントを超えるには、東京マラソンにできないことをしなければならないのだ。高速道路をランニングするという非日常体験は、日本の中心である東京の主要市街地がランナーで埋め尽くされるという非日常の風景を凌駕するパワーを持つと思う。インパクト充分である。横浜マラソンのフルマラソン化に向けて、従来のハーフマラソンや10キロランニングを単にフルマラソンに延長するという程度の考えで取り組んでいないことが充分分かる。横浜は本気でフルマラソンで東京マラソンを出し抜こうとしているかもしれない。これはスゴい。
※ちなみに高速道路案の秀逸性はぼくが考える限り他にもあって、横浜は午後になると観光客が増えるから、市街道の交通規制を早く解除する必要がある。しかも広い道は限られていて、大型イベントには不向きな道も多い。東京と違い居住者も多いので生活道路の配慮も必要。一方で本牧周りの首都高の交通量は休日でもかなり少ない。当然道幅は広く、横浜横須賀道という迂回道路も確保できる。これは盲点だけど、ベストアイデアだと思うね。さっすが!
生まれ変わった横浜マラソンは来年3月開始である。
東京マラソンや三浦国際市民マラソンなどもあって、この時期にフルマラソンを新しくぼくのイベントスケジュールに入れるのはなかなか厳しいけど、ぜひ参加してみたいと思う。抽選になると思うけど、当たるといいな。
そして、何より企業人はこういう発想力と大胆さが必要である。今回のニュースはランナーとしてではなく、ビジネスマンとして非常に大事なものを教えてもらったような気がするのだ。
※ところでぼくは、「旧」横浜マラソンのハーフマラソンはまだフィニッシュしていない。1時間57分という過酷な制限時間設定のため、それなりに頑張ったとは言え(初めてハーフマラソンを全体としてマネジメントした感覚を得た)、あと数分足りなかったのだ。ぼくとしては、「旧」横浜マラソンがなくなってしまう前にハーフマラソンを完走しておきたかった。かなり残念である。ぼくの無念の思いはまだ山下ふ頭を彷徨っているかもしれない。