「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
自宅改造計画。
先日ちょろっと書いたけど、ぼくの自宅は既に10年くらい居住していて、いろんなところをリニューアルというか模様替えしたいと思っている。ぼくの部屋を変えたり、寝室にベッドを導入したりと考えているんだけど、その中のひとつに「庭の改造」があった。小さな庭とは言え、以前は芝生が豊かだったんだけど、最近はなかなか手入れができていなかった。庭の手入れも結構大変なので、ここはひとつ、全部人工芝にしてしまうことにした。
全ての作業を業者に頼むと莫大なおカネがかかるので、雑草処理や不要備品の撤去だけお願いして、土が剥き出しになった更地の庭に人工芝を敷く作業はぼくとさきこでおこなうことにした。
人工芝は通販サイトから購入した。2m×5m、1m×5mの2巻である。いやかなり巨大な敷物である。また二度と雑草が生えないようにホームセンターで除草剤やら防草シートやらも購入した。

こうして週末に作業に取り掛かった。
夏場は11時くらいまではマンションの陰になって日光が差さないので、多少暑くても作業しやすいんだけど、時間が経つにつれて庭に日光が差すようになり、作業がどんどんしんどくなってきた。熱中症防止のために水分補給を絶やさないようにしつつ、整地して除草剤を撒き、防草シートを敷いて、さらにその上から人工芝を敷いた。
シロウトにしてはなかなかうまく敷けたものである。
今まで雑草だらけだった庭に人工芝が敷かれるとちょっと嬉しいもので、続きの作業は翌日の少し早い時間から作業に取り掛かった。
残ったエリアに人工芝を敷いて、風で飛ばないように多めに釘を打ち、縁の部分は専用の両面テープで貼り付けた。これで台風が来ても人工芝が吹き飛ばされることはないと思う。ぼくの自宅は高い場所にあるので、吹き飛んでしまったものがどこに行ってしまうのか分かったものじゃないし、今回の人工芝みたいな巨大なシートが誰かの家の屋根に乗ってしまうなんて目も当てられないからね。

完成してみると壮観である。シロウトの作業であることはありありと分かるけど、そんなことよりもこれで雑草が生えてこなくなり、また今まで以上に庭を活用できるようになることが単純に嬉しかった。これで自転車の洗車などが今まで以上にやりやすくなるし、草が生えてないので夏の虫も寄って来にくくなると思う。
ゆっくり進行するぼくの自宅改造計画。次はいよいよぼくの部屋を移動する作業である。さて、これはどうなることやら・・・。

※除草シートを敷いてみた。

※除草シートの上から人工芝を敷く。

※完成。庭に陽が差す前に完了できたわ。
| 日記 | 12:21 | comments(0) | trackbacks(0)
おカネの使い道。
先日さきこと電車に乗っていた時ふとある広告が目に入って会話が始まった。
「あの広告さ」
「なに?」
「ムーミンが描いてある広告」
「うん」
「この前、ぼくの会社の同僚のAくんがフィンランドに行ってきたんだって」
「そうなんだ」
「で、何しに行ってきたかというと、ムーミン谷に行ったんだって」
「ムーミン谷ってフィンランドにあったんだ」
「そうみたい。なんかね」
「?」
「奥さんが好きなんだって、ムーミン」
「奥さんがムーミン好きだからフィンランドまで行ったんだ」
「奥さん思いだね」
「いくらかかるんだろうね」
「え?」
「いや、奥さんのムーミン好きにどれだけおカネがかかるのかなーと思って」
「彼の話しだと、この時期はひとり15万くらいとか言ってたかな」
「奥さん働いてるんだ」
「うーん、アルバイトはしてるみたいだよ」
「ってことは、旅行代30万はほとんど旦那さんが稼いだおカネってこと?」
「いや知らないけど、そうなんじゃない?」
「スゴいね」
「そう?」
「ウチと大違いだね」
「・・・」
「・・・」
「・・・!」

こんな会話である。
会社の同僚Aくんの話しから、だんだんぼくの家の話しになり、結果的にぼくの座り心地の悪い方向に話しが進みそうになってしまった。
たしかにそうである。
ぼくの家はさきこが財布を握っているものの、大きな買い物や出費にはぼくの意見が反映されることが多い。ぼくがパソコンを欲しいと言えば、ボーナスなどを捻っておカネを出すのはさきこである。自転車のメンテナンスをしないとなーと言うと、ブレーキやチェーンのメンテからうっかりサイクルコンピュータの購入までさきこの財布をアテにしてしまう。悪いなーと思いつつ、ぼくの家はそういう展開が割と多いのは事実である。ぼくが稼いだおカネをさきこのために使うってことは決して少なくないけど、それ以上にさきこが稼いだおカネをぼくのために使うことが多いみたいである。
この前の北海道旅行では、夏のボーナスがぼくの北海道旅行に相当な割合で拠出されただろうと思うし、そういう展開になることはちょっとした「?」はあるものの、変わることなく続いてきた。
自宅に置いてある楽器、トランペットとコルネットだって、実はさきこが稼いだおカネである。もっと言えば、これらの楽器を購入するおカネはさきこが年度初めに会社からもらった特別ボーナスがその原資になっている。定期的ももらえる給料とか夏冬のボーナスではなく、さきこの頑張りが会社から評価された証のおカネである。そんなさきこの汗と血と涙の結晶である特別ボーナスが今や既に過去の趣味になってしまった音楽の決して安からざる楽器を購入するために使われてしまったわけである。
うん、こうして書き連ねてみると、ホント血も涙もない旦那だな、ぼくは。
そんなわけで、こうして懺悔というか、贖罪のために書き留めておくのである。そして同時にさきこにはしてもし尽くせない感謝を改めて表明するのである。
さきこのおかげでぼくの人生は豊かになっている。ぼくの人生が豊かになることがさきこの幸福に繋がっているのであれば、それもまたひとつの経済なのかもしれないけど、必ずしもそうなっていないところが残念である。ぼくが北海道に行くために散財したことがさきこの直接的な幸福に繋がってるとは思えないもんな。
そんなわけで、結論としてはさきこに大きな感謝を抱きつつ、散財しないように注意しつつ、少しでもさきこに恩返しできるようなおカネの使い方ができるようになればなーと思ったりするわけである。
冬のボーナスの使い道については、何も言わないでおこう。
| 日記 | 17:27 | comments(0) | trackbacks(0)
スゴい北海道。
先週のことだけど、かねてから楽しみにしていた北海道のサイクリング旅行から帰ってきた。
猛烈な勢力の台風が九州から関西、東海道をなめるように北上してきて、勢力は衰えつつもそれでも梅雨前線を活性化させるなんてオマケ付で、ぼくの北海道旅行をとことんまで不安に突き落としてくれたけど、結局は天気は崩れず、晴れ間も覗く絶好のサイクリング日和になった。かなり天気予報に翻弄されたけど、結果的にはサイクリングには申し分ない天候になった。
もしかしたら、いろんな人が心に小さな「てるてる坊主」をさげてくれたおかげかもしれない。会社の人からも気持ち良く送り出してもらったしね。気持ちで天候が変わるのは科学的じゃないけど、今回はそう思わせるほどのミラクル天気だった。
詳しいことはまた旅行記に書こうと思う。まあ最近の仕事のバタバタで書ききれるものかどうか分からないけど、写真もたくさん撮ったので、ぜひ書きたいと思う。
簡単に総括してみる。
サイクリングコースは総合的になかなか厳しい道のりだった。道東の海岸線をひたすら東進するのだけど、コース自体は特にキツい坂道などはなく、初心者でも安心なコースなんだけど、何より問題なのは「信号がないから走りっ放し」ということである。遠くまで延々と続く一本道はもはや珍しくなくて、そこに信号はひとつもない。地元であればほとんど500メートルも行かないで信号に捕まるので、その時に背筋を伸ばしたり、水分を補給できたりするんだけど、今回はそういうことがまったくできない。いや信号の極度の少なさもそうだけど、わずかに存在する信号も地元・北海道警察が信号機のタイミングを操作してサイクリストが止まらないような配慮をしてくれるのだ。ほとんど通らないクルマと続々と続くサイクリストの列を考えると、自動車の方を交通規制した方が合理的なんだろうけど、さすがクルマの少ない北海道ならではの交通規制方法である。だから信号の度に減速したり、停止したり、再スタートしたりする煩わしさはないんだけど、そのおかげで延々と走り続けるハメになる。ぼくが今回の200キロのコースで信号待ちしたのはたぶん10回程度だったと思う。その間は道が続く限り延々同じ姿勢でペダルを回し続けるのである。だからコースは平坦だけど、なかなかキツいコースなのである。
ほとんど平坦と書いたけど、坂道はそれなりにあることはある。今までのサイクリングの経験と比較すると、その坂道はほとんど「丘」に近い傾斜なんだけど、これまで延々と走り続けてきた身体には結構堪えた。
風景は想像以上に良かった。初めて見るオホーツク海、広大な牧草地帯、牛たちが草をはむ風景、森林の中を続くコース、サロマ湖をはじめとする湖や湿地帯の風景、遠くに見える知床半島、どこまでも続くまっすぐな道などなど。これらはもうまさに「北海道」の景色だった。知ってはいたけど、実際に目にするとやはり感動である。
食事の方はあまり大きなトピックはない。北海道の幸がほとんど食い放題状態になってると勝手に想像していたけど、もちろんおカネは払うし、参加者が食べられる以上の量を作ったりしないので、たらふく食べたという感じではなかった。朝食は一般的なお弁当だったしね。でも道の駅で食べたトウモロコシ(とうきび)や1日目のフィニッシュで食べたいくら丼、メロンはかなり美味しかったかな。このためだけでもこのサイクリングに参加する意味はあるほどである。
今回は個人旅行のような形で参加した。イベントのスケジュールに入ってしまうと、事前に配布されていた予定表どおりに進行するのだけど、初日では自宅から女満別空港に至るまで、また最終日にフィニッシュしてからの自宅までの帰路は完全に個人旅行だった。特に最終日はフィニッシュ地点の知床斜里駅から電車(気動車だけど)を乗り継いで女満別空港最寄りの西女満別駅に至る辺りは、帰路のためのただの移動と言うにはもったいないほど発見があり、旅気分を満喫した。そんな風にして帰ろうとする参加者はぼくだけだったようで、西女満別の無人駅に降り立って森に囲まれた静寂に包まれた時、不安と共に「一人旅してる」というワクワク感が起こったりした。
そんなぼくの北海道旅行である。
ちなみに当日はあまりおカネを使わなかったけど、準備段階においてはかなりのおカネを使うことになった。寝袋も床マットも買ったし、自転車のメンテナンスや荷物を入れるスポーツバッグも揃えたりした。小出しとはいえ累計すると結構な金額になったと思う。そんな贅沢な旅をさせてくれたさきこに大感謝である。本来ならさきこの快気祝いとして一人旅なんかにおカネを使ってる場合ではないのだけど、嫌な顔ひとつせず送り出してくれたさきこにはホント感謝がし尽くせない。
そういうわけで、ぼくの夏のチャレンジサイクリングは終了である。来年はもっとおカネのかからないコースをぜひ選択しよう。一応ぼくも男なので、年に1回くらいは男っぽく冒険をしないといけないと思うのだ。
| 自転車日記 | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0)
乾坤一擲!
横浜マラソンの参加者募集が今日から始まった。
地元でのランニングイベント、しかもフルマラソンということで、以前からこの日を待っていた。想定したとおり、応募者が多数見込まれるようで、参加者枠は既に抽選で決まることになっているようである。ぼくが走れるかどうかは抽選なので、別に今日のエントリー開始日に慌てて申し込むこともないのだけど、生来せっかちだから、早めのランチということで会社を抜け出し、コーヒー屋でパソコンをカチャカチャやって、先ほどエントリーを完了した。東京マラソンも既に先行エントリーを済ませていて抽選結果を待っているところだけど、横浜マラソンも走れるといいな。
以前にも書いたけど、横浜マラソンは地元って言ってもホントに地元なのだ。横浜みなとみらい地区とか山下公園とかは子供の頃から馴染みの場所だし、さらに南下するマラソンコースはぼくの自宅から山ひとつ向こうの道である。普段ランニング練習するコースに極近いコースである。大きなランニングイベントが地元で開催され、これに参加できるってのはとても嬉しいことである。これは走らないわけにはいかない。いや、走れないわけがない!
もし抽選に外れて、参加できないことになって、イベント当日自宅で過ごすなんて想像ができない。ランニングの喧噪に少しでも触れないようどこか遠くに出かけてしまうか、自宅の隅でじりじりと過ごすことになるだろうけど、創造するだに絶対に嫌だ。ならば、一緒ランニングに並走して歩道を走ってしまうか。いやそれだと横浜マラソンの目玉である「高速道路ランニング」ができないじゃないか。やはり抽選に当たるしかない。
そんな意気込みを込めてサイトの申し込みボタンを押した。
結果は8月中旬に分かるそうな。そういや東京マラソンも同じ時期だったな。
この頃のぼくのスケジュールは、青梅マラソン(30キロ)、東京マラソン(フル)、三浦マラソン(ハーフ)、横浜マラソン(フル)とランニング目白押しである。モチベーションは充分。後は運を天に任せるばかりである。
さてさてどうなるものか。
| Be RUNNER! | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0)
台風恨めしや。
以前から何度も書いているけど、今週末は北海道でサイクリングイベントである。金曜日に休みをいただいて自転車を持って北海道に行き、土曜と日曜で200キロ以上を走ってくる。うん、ここまでは何度も書いたことである。
そしてここから初めて書くことである。
この週末は台風が日本列島を縦断するそうである。現在沖縄で猛烈な暴風雨を見舞っている台風8号は、今後九州から本州に至り、東海道を東進して関東近辺で北上に転じ、そのまま北海道に向かうと予想されている。その勢力はかなり大きく一説にはこの時期としては最大級とも言われている。
そんなタイミングでぼくは北海道に向かう。まさに台風直下を飛び立って台風とともに北上するわけである。
いやはやぼくの雨男ぷりも、もうここまで来ると天晴である。北海道とは言え梅雨時だから多少の雨の中をサイクリングする覚悟はあったんだけど、まさか台風を呼び寄せちゃうとはね。
いや真面目な話し、羽田から飛行機は飛び立つのだろうか。女満別空港に飛行機は降り立つのだろうか。そしてサイクリングはどうなるのだろうか。先週の日曜日にメンテナンスのためにチェーンを交換したり、サイクルコンピュータを新調したりしたばかりなのでホント残念である。
まあこういう機会もなかなかないので、むしろ楽しむつもりで行ってみようと思う。
楽しみにしていたぼくの北海道サイクリングが始まろうとしている。
| 日記 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0)
セッション・ナイト。
不思議なヒトトキだった。
ぼくはトランペットを手に、ピアノとベースを携えた人たちと会話していた。
「イントロください」とぼくが言うと、
「じゃ、8小節イントロで」とピアノが答えた。
「キーは?」
「えっと・・・」と言いよどむぼくに、
「Fですね」とピアノ。そして一瞬の沈黙のあと、
「じゃ、やりますか」
ピアノが唐突に演奏を始めた。8小節のイントロ。それはぼくが大好きな曲。
When You Wish Upon A Star、星に願いを、である。
イントロを弾くピアノの方はこの日初めて会った方である。ぼくが楽器を数年吹いていないことを知って、ちょっと遠慮気味に弾きいているのが分かった。そしてイントロ最後の1小節では、ぼくの方をちらっと見て、まるで初心者に対するようにテンポを刻むように身体を揺らした。「はい、どうぞ」と言ってるようである。
そしてぼくは楽器に息を吹き込んだ。数年振りの音楽が始まった。

主題部分が2回続き、そして発展部へ。曲がもっとも盛り上がるところである。
この辺りまで来ると、長いブランクの割にさほど吹けなくなっていないことが自分でも分かったので、いろいろ試してみたくなって、ビブラートかけたり装飾音符付けたりぼくができ得る技術的なアレンジをいくつか盛り込んでみた。いくつかは成功していくつかは失敗したけど、これが一緒に演奏しているピアノとベースの人には分かったようだ。だからだろうか、ピアノの旋律がちょっと変わったように感じた。
そしてピアノソロである。最初は主題をなぞるように、そして唐突に倍のテンポで刻み出し、ゆっくりしたバラードを小気味良くアレンジしていく。そんなアドリブを聞かされちゃうとぼくも何かやりたくなっちゃう・・・って何もできないんだけどね。
ピアノのアドリブがしばらく続いて、彼がまたぼくの方をちらっと見た。もう初心者に対するような分かりやすいキュー出しはない。ぼくの方も少し食い気味に音を散りばめて主題に入ってみた。続いて主題部、発展部と続き、ついに楽曲が終わりに近づいていく。そういえば、曲をどうやって終わらせるかなんて打ち合わせしていなかった。でも、ぼくはここまでの演奏でかなり大胆になっていたから、曲を先導するように強制的にテンポを緩めてしまう。そしてフォルテピアノ気味にリタルダンド。今度はぼくがキュー出しである。ピアノはぼくの視線には気づかないだろうけど、ぼくの意図は完全に分かってくれていて、トランペットのロングトーンの中、美しいカデンツァを奏で始めた。2つ目の音でピアノに加えてベースもカデンツァに加わり、3つ目の音をピアノ気味に長く伸ばしてその余韻とハーモニーを楽しんだ。
しばしの静寂。そして大きなため息と笑い声が同時に起こった。ぼくは緊張がほぐれてホッとする。
まさにセッションだった。ずっとやりたかったセッションがいきなりできちゃった。
物凄い充実感と感動が押し寄せてくる。音楽を離れてしまって以降、こういう機会を得るなんて思ってなかったし、期待もしてこなかった。それがこの瞬間にいきなり叶ってしまったのである。まさに夢のような時間だった。

さて、ぼくはどこにいるのだろうか。
週末を控えた金曜日の夜。ぼくはいつものように仕事を片付け、さきこに連絡し、品川で待ちあわせて一緒に帰途に就いたハズである。それが自宅最寄り駅で分かれ、さきこは帰宅し、ぼくはこうしてとある場所でトランペットを演奏することになってしまったのだ。不思議な巡り合わせと言っていいと思う。ぼくがこの店?をたまたま地元で見かけなければこの夜の夢のような体験はなかったのである。せいぜい一人カラオケに行くのが関の山である。
その点では音楽の神様がぼくに降りてきたのかもしれない。あいにく錆びついた実力以上の音楽的スキルを与えてはくれなかったけど(いや、これだけのブランクでここまで吹けるってだけでかなりミラクルなことだけど)、思わず天を仰いで大感謝!と叫びたくなる思いである。
しかし、ぼくの心にちゃんと音楽の芽を残してくれた。
なぜならぼくは少し不満なのだ。もっといい演奏ができたハズと思ってしまう。もっといい音色が出たハズと思ってしまう。既になくなってしまったと思っていた音楽への情熱みたいなものが、早くもジワジワと沁み出しているようなのである。これにハマるとまた音楽のトリコになってしまうんだよね。ホント音楽って怖いわ。
そんなわけでぼくの心に小さな火が灯った夜だった。


| 音楽日記 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
リニアモーターカーの謎。
ぼくが子どもの頃には夢の超特急だったリニアモーターカーは、長らく「いったいどこでどんな研究をしてんだか」という期間もありつつも、ここ10年くらいで急激に現実味を帯び始めてきた。リニアモーターカーの技術は既に実用段階になり、自治体の醜い誘致合戦を経てコースも決まったようである。1時間半ほどかかっていた東京・名古屋間が40分ほどになるそうな。
子どもの頃には新幹線よりも早く走る電車、しかも磁石の力で進む電車なんて、どれほど未来の道具かって思ったものだけどね。まあ線路の敷設に十数年かかるからぼくが乗れるようになるのは、まだまだ先なんだろうけど。
そんなリニアモーターカーの記事が新聞に掲載されていた。内容は主にその構造についての記事だった。
この記事にはどうしてリニアモーターカーは浮上するのか、どうして高速で進むことができるのかが、分かりやすく書いてあって、ぼくも非常に参考になった。でも、リニアの仕組みについては、既に今回の新聞記事程度のことは分かっていたので、ぼくにとって新しい発見があったわけではなかった。それどころか、ぼくが長年抱えていた疑問の首をもたげる結果になった。

リニアモーターカーは、電磁石と1980年代に飛躍的に発展した超電導理論に基づいて進むようになっている。簡単に言えば、N極とS極が反発したり引き合ったりする力を使って進むのである。リニアの底部にある器具を電磁的にN極化して、線路にあたる部分も同極にすると反発する力で浮上するそうである。また進行方向を異なる極にすることでひきつけられる力が得られ、異なる極が線路上を物凄いスピードで進行するために車両もこれに引きつけられるように高速で進むというわけである。いやホントはもっと構造的にややこしいのだけど、ぼくの疑問の前提としてはこんな感じでいいと思う。
磁石の力で浮き上がり、磁石の力で進むというのが、リニアモーターカーの理屈である。

ぼくが疑問に思うのは、主に進む力の方である。
つまりリニアモーターカーの磁石部分とは異なる極に変化させることで引き寄せる力を得るという点。いやこの理屈は分かるんだけど、電磁石の極って完璧にコントロールできるものなのだろうか。車両と線路の電磁極がタイミングよく違う極になってくれればいいんだけど、何かの拍子に同じ極になっちゃったりしないのだろうか。あるいは、車両に先行して線路上を移動する電磁極が止まってしまわないのだろうか?
普通の電車の場合、動力源である電気が来なくなっても車輪が付いているために車両は慣性の力でその先も進んでいくハズである。多少の衝撃はあるだろうけど、電車がいきなり止まったりしない。しかしリニアの場合はどうなるのだろうか。車両をN極、線路をS極として進んできたところ、いきなり線路側がN極になったらどうなるのだろうか。慣性の力と磁石の反発する力がかかって脱線とかしないのだろうか。その力によっては、空中に投げ出されちゃったり、その場でいきなり停止しちゃったりしないだろうか。
(高速で走っていた車両がいきなり速度ゼロになったら、車内は大変なことになるだろう)
安全策はいろいろ考えてあるんだろうけど、こんな根源的な疑問がぼくの中で解決していないので、どうしてもリニアモーターカーを不安視というか、好意的に見ることができないのである。

いやこんな危惧は無知ゆえの浅はかなものかもしれない。100年も昔、建築技術が進歩して高層ビルがいくつも立ち始めていた時代には、上下移動の器具であるエレベーターが突然止まったらどうしようとか、ロープが切れたらどうしようとかいろいろ言われていたわけだし、なんだっけか、映画とかもたしかあったと思う。
今ではごく一般的な技術であるエレベータでも、過去にはそれ自体が恐れられていたわけで、リニアの仕組みにかかわるぼくの疑問も同じくらいしょうもないものなのかもしれない。
しかし、ニンゲンの技術は完璧でないことを思う時、不安はどうしても付きまとうのである。

リニアに使う力は磁石の力、いわば電磁気力である。
宇宙に存在する4つの力(電磁気力、弱い核力、強い核力、重力)のうちのひとつである。ニンゲンの技術力は超電導という新しい知識に基づいて、宇宙を構成する根源的な力を使うところまで来ているとも言えるわけである。それは、いつか他の力も自由に使いこなし、果ては重力を利用して「反重力」を理論化するかもしれないその最初の一歩というわけである。そんな大それた力をニンゲンはホントにコントロールできるのだろうか。
原子核分裂により膨大なエネルギーが取り出せることを発見したニンゲンは、原子爆弾とか原子力発電とかを作り上げ、当時はギリシア神話になぞらえて「プロメテウスの火」と言われたものだけど、その皮肉のとおり、今ではニンゲンにはコントロールし得るものではないことが分かりつつある。
リニアの基本原理になっている電磁気力もいつか同じように言われたりしないだろうか。そもそもニンゲン風情が扱える力ではないのだ、なんてね。
太古の昔にニンゲンが火に出会い、その有用性と危険性を理解した。火は扱い方を間違えると大きな災害になることをニンゲンは身をもって知ったわけである。これには大きな痛みが伴った。森が家事で焼失したかもしれないし、大事な家族が焼死したかもしれない。今でも火を完全に使いこなせているとは言えないと思う。リニアモーターカーを介して、ニンゲンは電磁気力と出会い、そして少々の痛い目を見ながら付き合っていくのかもしれない。その少々の痛い目ってのが、原子核融合の発見の時のようなニンゲンの存在を脅かすようなものでなければいいなと思うのである。
そんな大それたことを考えると、「名古屋に行くのに1時間半かかっていた方がマシでは?」なんて思ったりするのである。
| 最近のニュースから | 15:31 | comments(0) | trackbacks(0)
集団的自衛権。
戦争を放棄すると書かれた憲法を無視して、戦争ができるように国の仕組みが変わってしまった。
いろいろ言われているし、ぼくも言いたいことはたくさんあるけど、ネットの中には特定の意見を揶揄したり頭ごなしに否定したりと言論を封殺するような風潮もあって、自由に発言できない。だからあまり政治的なことは書かないようにしてるけど、それでもこうして書かざるを得ないくらい今回の憲法解釈の変更にはショックを受けた。
日本が戦争をできる国になってしまう。
反対勢力の言い分はいろいろあるんだろうけど、ぼくにとっては、これがすべてである。

以前N○Kの「その時歴史が動いた」で、太平洋戦争直前の外交官の奮闘を描いた話しがあった。結局その外交官の努力の甲斐なく、日本はアメリカに宣戦布告する流れになっていくんだけど、この流れを決定づけたもののひとつがある外交文書だった。これを巡っていろいろと外交努力を続けたにもかかわらず、ついに開戦へのカウントダウンが始まってしまった時、外交官が夜中に自宅の窓を開けて随想するのだ。
「深夜の帝都は深い静寂の中にあって、数刻の後には世界歴史上の大事件の起こるべきを思い、種々の感想に打たれた。当時を偲ぶだに今なお目頭の熱きを覚える」
これを番組の最後にN○Kの名アナウンサー・松平さんが朗々と読み上げるのである。これにはあまりにも心を打たれて今でもありありと思い出すことができるけど、今の状況もまさにその時に当てはまるような気がしてならない。ニュースでは盛んにこのニュースを取り上げているけど、ぼくの生活には何ら変化はなく、今日もいつも通りの朝を迎え、出勤して仕事をしているのだ。
まさに静寂の中で忍び寄る戦争の影である。そしてもう二度と戻ることができないのだ。
数年、十数年後にこの日を振り返ってぼくはどう思うのだろうか。
当時を偲ぶだに・・・なんて思う時が来るのだろうか。
| 日記 | 15:43 | comments(0) | trackbacks(0)
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