「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
不気味な部屋と不思議な符号。
ぼくの自宅がゆるゆるとレイアウト変更している話しは以前にも書いた。
ぼくの部屋をさきこの部屋に移動し、空いた部屋を寝室にして、従来の寝室はさきこの部屋するという三つ巴的な入れ替え作業である。この作業はかなりゆっくり進んでいて、しかもその前に庭の人工芝敷設作業をやったりして、なかなか手が付かなかった。さらに、会社では本社移転なんて仕事もやっていて、会社でも移転、自宅でも移転と移転移転で頭がぐるぐるしちゃそうだったので、会社の移転まではちょっと大人しくしていたという理由もある。しかしこの大人しさもさきこの目がギラリと光るまでで、もうそろそろ自宅のレイアウト変更を始めないといけない状況ではある。
現段階では、ぼくの部屋を移動する作業の約半分くらいが終わっていて、とりあえずパソコンとかお絵描きの道具なんかは移動することができて、つまりぼくの部屋のコアな部分は移転完了といったところである。あとは本棚とか雑多な荷物を移動すれば、従来のぼくの部屋はそれなりに片付いてくれるハズで、残置されているデスクやらパソコンデスクやらカラーボックスやらを廃棄すれば、ぼくの部屋はいつでも寝室にすることができるわけである。
寝室にはベッドなんてハイカラな設備を導入して、優雅に過ごすのだけど、その新寝室(旧ぼくの部屋)の現状は、この部屋で過ごす主が抜けて、ほとんど廃墟のような様相である。薄暗い中でその部屋を覗くと一種の不気味ささえ感じてしまう。早く片付けないとなーと思いつつ、この部屋の雰囲気をどこかで見たような気がした。
それはぼくの会社の旧本社である。
旧本社はぼくの会社が退去した後は取り壊されて新たにマンションになる計画になっているそうである。だから建物の所有者としては、早くぼくの会社に出ていってもらって早く取り壊しをしたいようで、実際にまだ会社の備品が残置されている段階で、少しずつ取り壊しの準備を進めているのだ。本当なら契約が残っている間は家主といえども貸室に手を加えてはいけないのだけど、会社が出ていった後は立ち入って作業しても構わない取り決めをしたので、会社の備品が残っている段階なのに家主が作業するなんてことがあるわけである。
だからぼくが会社の備品を引き上げに旧本社ビルに入ってみると、壁紙が剥がされたり、床のタイルが取っ払われていたりと取り壊しに向けた準備が進んでいたりするのである。
そんなわけで、ぼくはもぬけの殻になったビルに入ったりするんだけど、その薄暗い室内の光景は、まさに主をなくしたぼくの部屋のような不気味さを湛えていた。いや、ぼくの部屋なんてちっさい世界ではなく、数百平方メートルの不気味さの規模である。建物の最後というのに初めて触れたけどこういう世界なんだなーと感じ入った。
思えばこの建物を見つけてきて、以前の本社から徐々に人を移動させていったのは、昔のぼくの仕事だった。古いビルだったけど、たまたまテナントが大量に抜けてくれて、その空き室に入る形でスペースを増やしていき、結局そのビルが本社機能を有するようにまでなった。この7、8年のことである。それが今や他の建物に移転をしてしまい、そのビルは次のテナントに引き継がれることなく、取り壊されるわけである。ぼくの今の仕事の初期から付き合ってきただけに惜別の思いも格別である。

さて、それよりもぼくの部屋である。
先に書いたとおり、パソコンやらお絵描き環境が移動したので、ぼくの部屋の主だった機能は移動してしまった。それで安心してしまい、ついこの間は右脳が回るに任せて絵なぞ描いてしまった。長い間描けない日々が続いたので、この機を逃さないようとにかく描いて描いて描きまくったのだけど(表情がどうしても気に入らなくて本番用の紙に5回も描き直しをしたほど、気合いが入っていた)、さきこにしてみれば「そんなこといている場合かー!」って感じだろう。絵なんか描いてないで部屋の整理をしろ、と。
そういえば、ぼくのこの部屋はもともとこのマンションに引っ越してきた時にもぼくの部屋だった。その後部屋を移動することになったけど、もともとぼくの部屋だった場所にぼくは戻ってきたわけである。そう思うとなんか懐かしい気持ちでもある。そしてさらに思い至るのは、この時の部屋の移動は、ぼくが転職をしたタイミングと同じだったことである。ぼくは転職して旧本社ビルへの移転を仕事として進め、そのビルが今や取り壊されようとしており、これはぼくが自宅の部屋を移動することと不思議な符号を得ているのである。
取り壊れてしまう旧本社を思うと、こうしてぼくの部屋の入れ替え作業の時期と符号していたと覚えておき、あの旧本社のことを忘れないようにしたいとも思うのである。

そんなわけで、ぼくの自宅レイアウト変更はまだまだ続く。できれば今年中には何とか片付けて新しい年は新しいレイアウトで迎えたいものである・・・ってそんなスケジュール感じゃダメだー!って言われそう。



※解体工事の準備が進む旧本社の中の様子。向こうに以前壁に描いた絵なぞが見える。
| 日記 | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0)
東京マラソン。
結果から言うと、来年2月の東京マラソンの抽選に、ぼくは残念ながら当選することができなかった。今年2月の東京マラソンに初めて当選した去年8月の感動は、今年はぼくに訪れなかった。まだ二次募集があるそうだけど、あまり期待はできないかな。
そんな折、さきこが当選を果たした。今年は持病の関係で走れなかったけど、これで4回目の当選ということになる。持病を克服したさきこがついに念願の東京マラソンに復帰するのがとても嬉しい。彼女らしい楽しくも力強い爽快なランニングを期待している。いやホント、良かった!
| Be RUNNER! | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0)
夏休みの合間の出張という名の旅行。
大きな仕事が終わったので、少し遅くなったけど夏休みをいただいて数日会社を休むことになった。さきこも休みを合わせてくれたので、一緒にどこかに旅行に行こうかと検討していた矢先、この長期休暇を2つに分断するようなタイミングで島根県への出張が入ってしまった。
飛行機の時間の関係で、実際に仕事をするよりも前に現地に到着し、仕事が終わった後かなり時間が経ってから現地を出るというスケジュールになり、つまりぼくは現地でのかなり長い自由時間を得ることになったわけだけど、だからせっかくなので、前回の出張と同様、サイクリングを楽しむことにした。いや、わざとそういうスケジュールにしたんじゃなくて、飛行機の時間でやむを得ず、時間が空いてしまい、無駄に過ごすのもなんなので、サイクリングすることにしたという次第である。さきこも一緒に行ければ良かったのだけど、ちょうどいい飛行機がなかったため、ぼくが一人で出かける形になった。
結果的には奥さんを置いて旅に出るという格好になるけど、違うのだ、飛行機の時間が・・・(略)。
ともかくぼくが現地で得た自由時間というのがとにかく膨大だったので、行けるところまで行ってしまおうというスタンスでサイクリングのコースを考えた。
米子空港に降り立ったぼくは自転車を組み立て、空港近くの自転車屋でタイヤに空気を補充し、そのまま北上して境港市の方を目指す。ここで中海と日本海を繋ぐ水道にかかる巨大な橋を渡ることになる。ニューヨークの何とか橋かってほどの巨大な橋である。造船業が盛んだとかそういう理由なのだろうか。
その後、美保の方に行き、恵比寿様の総本宮という美保神社をお参りして、岬の突端にある美保灯台に至った。途中は少々な坂道だったけど、海がキレイだったなー。しかも帰りは海沿いの坂道を下る感じになって、これが海に向かって飛び込むような錯覚もあってなかなか絶景だった。
美保灯台にあるレストランで名物のカレーを食べていたら、近くにいた観光客のおばちゃんが、「昔、鎌倉にある海沿いの店でカレーを食べたことがあるけど(珊○礁か?)、こっちの方が断然いい風景よね。どうして関東の人は鎌倉の黒い砂浜をあんなにありがたがるんだろうね」などと言っていた。いや、ごもっとも。こっちの海の方が遥かに美しいですわ。
その後、中海にかかる江島大橋、通称「ベタ踏み坂」を上る。以前にも自転車で通ったのだけど、当時はベタ踏み坂ということを知らなかったので、もう一度体験してみることにした。以前もさほど大変だと思わなかったけど、実際に上るのは大変なのかをもう一度体験である。が、やはりどうみても大したことはない。もっとスゴい坂を知っている。そう思って近くにあった観光案内の看板を見ると、傾斜は6%程度なんだそうな。なんだ、楽に上れたのはそういう意味か。
その後は松江に至って、会社で仕事をして、その翌日も朝早くから仕事で、11時頃に会社を出た。これで17時の飛行機まで自由時間というわけである。
松江から電車で米子に向かい、今度米子にできるという会社の新しい事業所の建設現場を見て、そこから空港に進路を取りつつ、美保湾の海を見ることにした。
クリーム色の砂浜に波が打ち寄せる風景はやはり美しかった。日本海というとちょっと暗くて荒々しいイメージがあるけど、とてもいい天気だったこともあって気持ちのいい海だった。思わず海でボーっとしてしまったよ。いいなこういう海は。
美保湾の向こうには名峰・大山があるハズだったんだけど、残念ながら雲に隠れて見ることはできなかった。富士山のように雪をいただく大山を次は見てみたいものである。
さて、飛行機の時間になってぼくは無事羽田に向かうことができた。しかし、ぼくの怒涛の夏休みは終わりではなかった。羽田からそのまま新橋に出て、高校の同級生と「近大マグロ」なる高級な養殖マグロを食べたのだ。いや、美味であったけど、とにかく疲れたわ。この日は朝5時からずっと運動を続けていた感じだからね。でもとても充実した時間だった。山陰地方のイメージがまたちょっと変わった旅だった。次はさきこと来たいものである。

★写真ギャラリー

※空港の手荷物検査でまた引っかかるの図。今回は六角レンチが引っかかった。

※ニューヨークの何とか橋を彷彿とさせる巨大な橋。

※美保神社。
 

※美保灯台にて。
 
※ベタ踏み坂。大したことない。


※美しい風景。ココロ洗われたわ。
 
※米子に移動して美味しい海鮮丼をいただく。
 
※荒々しくも美しい日本海。
| 自転車日記 | 12:48 | comments(0) | trackbacks(0)
東京サイクリング。
先週の週末は会社の自転車仲間と一緒にサイクルイベントに参加してきた。東京の市街をぐるっと回るこのサイクルイベントは、ぼくは過去に何度か参加したことがあるのだけど、会社の人と最初から走るのは初めてである。
当日の天気は、物凄いパワーの晴れ男がいるからか、サイクリングにはとてもいい天気で、陽射しが少し強すぎるくらいだった。申し分ない天気の下、40キロのコースを爽やかに疾走してきたかというと、結果的には全然爽快じゃなかった。ぼくはサイクルイベントで100キロとか150キロとか走るけど、今回のサイクリングではそれに比較しても劣らないほど疲労してしまったのだ。
理由はこのイベント特有の自転車渋滞にあると思う。東京はそもそも自転車が集団で走れるような街ではないのだ。信号は多いし、交差点で左折するクルマと干渉してしまうことも多い。道路に面した車庫も多いので、車道を走っていても左側の歩道を超えてクルマが顔を出すこともある。こういうところをソロで走っている時は、流れを殺さないためにちょっとトリッキーな走り方をする。厳密に道交法に則った走りはできないし、逆に危険だったりもするわけで、たとえば左折車があれば右側にちょっと膨らんでかわしたりするものなのだ。
イベントの主催者側はもちろんそういう行為を一切認めない。左折車があれば、これが途切れるまで自転車は停止していなければならないし、歩道からクルマが出てくる恐れがある場所では警備員を配置して万が一の事故もないようにしなければならない。だから自転車がちょっと危険なコースを取らざるを得ないような場所では、無理させないで歩道を歩かせる措置を取るのである。サイクリングのイベントなのに自転車を降りて歩道を歩くとはこれ如何に?って感じだけど、参加者も増えてきたし、最近はあまり自転車のことを勉強しないでサイクリングする人もいるから、こういうのはしょうがないのかな?
このイベントがもはやサイクリングとは名ばかりの状態になっていたとしたら、ぼくも参加を差し控えたいところなんだけど、今回は乗り気なメンバーに申し訳ないので頑張った。いやもう大変だった。
ちなみに、このメンバーにもまだあまり自転車のことが分かっていない方もいて、新宿に到着早々に自転車のあるパーツが壊れていることが判明して、現地のサポートに修理をお願いしたんだけど、これに付き合ってサポートのコーナーの隅に佇んでいたら、ちょっとした不具合を訴える参加者が次々に現れた。中には「空気の入れ方が分からない」と言う人もいて、この人は今までどうしていたのだろうかとか、自転車を買う時にショップの人は説明しなかったのかとか、この先も大丈夫だろうかとかとても心配になってしまった。ちなみにそういう人に限って、ぼくが逆立ちしても買えないような高級自転車に乗っていたりするのである。
さてサイクリングの方は、牛歩の歩み的な進み方に辟易して(スタートしてから2時間ほど経っても10キロしか進まないという衝撃的な展開)、またこちら側にもギアチェンジのコツがイマイチ分かっていないようであまりスピードが出ない人がいて、このまま所定のコースを走っても遅くなる一方だし疲労も溜って危険なので、一旦コースを外れてショートカットしてフィニッシュ方面に向かうことにした。そんな状況だからトータル距離としては、20キロ程度しか走っていない。いやもうホント、なんだかなあ・・・な日だったよ。この日、ぼくの右脳が少し回転を始めてくれて、どうやらその尻尾をちょっと掴むことができそうだったことを思えば、なおさらである。
さて、このサイクリングを皮切りに、秋のサイクリング・ランニングのシーズンが到来である。ランニングの方もいくつかのイベントにエントリー澄みである。さきこが病気から復活して最初のイベントもある。そして東京マラソン、横浜マラソンである。当たるか分からないけどね。既に決まっているイベントだけでも充分楽しめそうである。さて今年のシーズンはどうなるのか?!
| 自転車日記 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0)
幕張へ。
現在幕張で開催中の「宇宙博」なるものに行ってきた。いや幕張は遠いなー。
このイベントではアポロ計画とか最近の宇宙開発で使用した機器の実物や実物大レプリカが展示されるそうなので、当初からちょっと期待していた。特にアポロ計画の実物大モデルにはかなり期待していた。
幕張と言えば、実は一昨年くらいに姪のゆうかと甥のかずきを連れて同じ幕張に恐竜展を見に行ったんだけど、これがあまりにも子供向けに偏り過ぎててぼくにとっては全然面白くなくて、唯一お土産コーナーで恐竜のフィギュアを買えたことだけが唯一の救いだったんだけど、この一件で「夏に開催するこの手のイベントはオトナにはツマラない」ということを学んだ・・・ハズだった。
今回の宇宙展もそういう危惧はもちろんあった。ぼくが行ってもぼくが満足するような展示はないんだろうなと思っていた。でもお土産コーナーでちょっとマニアックな模型とか買えたらいいかも?とも思っていたから、この点も含めて期待があったのだ。
こうして訪れた幕張である。
結果的には全然面白くなかった。大人2500円、さきこと二人で5000円も払ったのに、得たものはとても少なかった。いや考えてみれば、ぼくは宇宙とかそういう話しは大好きなので、こういう場所で初めて新しい知見を得るなんてあり得ないハズである。
それでもアポロの司令船のレプリカや実際に帰還の際の大気圏突入で使われたパラシュートには期待していたけど、絶え間なく群がる子供たちが行く手を遮って近づくことも難儀だった。そう、この日は子供連れの家族がとにかく多かったから、入場の前からもう壮絶な行列だったのだ。
最後の望みだったお土産コーナーには、あまりぱっとするものは置いてなかった。いや、主催者としてはおカネをかけて売れそうな商品を用意したんだと思うけど、もっと違う方向性が良かったかな。スペースシャトルを模した「箸置き」を作るくらいなら、500分の1サイズのサターンロケットや月着陸船の模型の方が良かった。箸置きなんて使ってる家庭なんてイマドキあるのかいな。
そんなわけで、メインの展示物にもお土産にも期待を裏切られて、失意のうちに幕張を後にすることになった。ちなみにほとんど雰囲気作りとして展示されていた月着陸時の各国の新聞に、ぼくもさきこもちょっと感動した。当時のニューヨークタイムス紙にはアームストロングの有名な言葉「この一歩は・・・」が英語で書かれていたのだ。この新聞が醸し出す当時の雰囲気こそが、このイベントの中にあった数少ない「本物」だったかもしれない。
今後もこういうイベントって結構あると思うけど、さてどうしようかな。行かないで後で後悔するか、行って後悔するか・・・って行くだけで高額な入場料の他に、休日1日分という大事な時間を浪費することになるわけだけどね。
 
※とりあえず本物である「アポロ司令船が大気圏突入時に使用したパラシュート」と当時の新聞。
| 日記 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(0)
新たな風土病。
デング熱ウイルスの感染者が数十年振りに発生して、それからまたたく間に数十人の感染者を出す事態になっている。代々木公園がどうも発生源らしくて、ここで蚊に刺された人が次々に発症しているそうである。とは言え既に感染拡大期に入ったデング熱は、東京のみならず、また代々木公園で蚊に刺されたかによらず、北海道をはじめ日本全国に蔓延の兆しを見せている。もはや公園を封鎖したり、殺虫剤を散布したくらいでは、収まらないだろう。
生物の中でもっとも多くのニンゲンを死に至らしめているものは、ダントツで蚊である。蚊を媒介して伝播する病気はデング熱やマラリアをはじめたくさんある。蚊こそニンゲン最大の敵なのである。
インフルエンザやノロウイルスなんかと違うのは、これらのウイルスはヒトからヒトに直接感染するため発生源である感染者との接触を避けることで回避できるのに対し、蚊が媒介する病気はどんなに気を付けていてもウイルスを媒介する蚊の方から近づいてくる点である。蚊は小さな隙間からも入ってくるし、わずかな水たまりでも繁殖できる。蚊は11月頃まで活動するそうだから、この先もまだまだ安心できないのである。いやホント恐ろしい生き物である。
だから国内でのデング熱の流行は避けられないと思う。パンデミックほどの急激さはないにしても、徐々に日本に蔓延していくと思う。こうしてデング熱の勢力範囲に日本も含まれていく。日本の気候がどんどん暖かくなり、それでなくても暖房で室内が暖かい日本では、以前から熱帯病の蔓延が懸念されていたから、デング熱など序章に過ぎないのかもしれない。

さて今後のデング熱の動きだけど、ぼくも含めてかなりの人が感染するんじゃないかと思う。それで抗体ができれば、その後は多少発生が落ち着くかもしれない。インフルエンザのように弱体化させたウイルスをあらかじめ投与する予防接種も始まるかもしれない。でも、インフルエンザと同じRNA型のウイルスなので、もしかしたら致死性の高い強毒型に変異するなんてこともあるかもしれないね。
もしパンデミック的感染拡大があるとすれば、他にも要因があるんじゃないかと思う。これにはキャリアと呼ばれる人が大きく影響するんだと思う。
キャリアとはウイルスに感染しても病気を発症しない人である。感染しているので体内にウイルスを保有している。抗体もない。ウイルスと共存している状態と言えばいいか。いくらウイルスを持った蚊を撃退しても、冬を迎えてウイルスを持った蚊が全部死に絶えても、キャリアの人が翌年に普通の蚊に刺されたら、その蚊はウイルスの運び屋になってしまうわけである。エイズウイルスなどではそういう人がいるらしいけど、果たしてデング熱はどうかな。そうなれば先ほどの話しのとおり、日本は完全にデング熱の勢力下に入ることになる。

当初は代々木公園だったけど、これが新宿御苑まで広がって、ぼくの会社のある地域まで迫ってきている。今日は皇居でも防疫対策が取られたそうだから、ぼくはいつデング熱にかかってもおかしくない状況である。ぼくの目の前をデング熱ウイルスを持った蚊が通り過ぎるかもしれない。とは言えぼくは蚊に刺されにくいからなぁ。どうなるのやら。

※ちなみに冒頭で「代々木公園が発生源」みたいな書き方をしたけど、厳密じゃない。感染者の誰かが海外から帰ってきてたまたま代々木公園の蚊に刺されたと書くのが正確だろう。
| 日記 | 18:20 | comments(0) | trackbacks(0)
会社を休みました。
先日の巨大プロジェクトが終わって少し気が抜けたのかもしれないけど、会社を2日も休んでしまった。
別にバタッと倒れたわけではないけど、持病が極端に悪化してしまい、ぼくも少し動転してたようで、お袋さんにヘルプしてしまい、結果として多方面にご迷惑をおかけした。これはホント申し訳ない。

まあ先週末はかなり根詰めて作業したこともあり、2日くらい休んでもバチは当たらないだろうということで、この機会にゆっくりさせていただいた。休みの間は、それまでのレッドゾーン的なモーレツっぷりがウソのように気が抜けてしまった。

さて持病を治すべく、不本意ながら病院に行くわけだけど、ここでちょっと面白いものを見た。
まず前提として、病院の構造を話さないといけないのだけど、この病院は会計をする受付と診察の受付のフロアが異なっていて、会計は1階、診療は2階で受け付けする。そのためカルテや書類のやり取りが上下階で発生するわけである。
面白いものというのは、この病院ではカルテや書類を上下階でやり取りするのを機械化していたことである。
具体的に言うと、上下階を結ぶエレベータのようなものを設置して、エレベータの箱に書類を入れて上下階でやり取りしていたのである。こういうのって飲食店なんかでよく見かける機械で、キッチンとは別のフロアに料理を送ったりするのを見かけることがある。
しかし、この病院の機械は少し違っている。分かりやすくエレベータと書いたけど、どちらかと言うとモノレールに近い構造である。書類の入った箱はレールを伝って柱を上り、逆さ向きで天井を這って伝っていき、天井に開けられた穴に入って上階に向かっていく。たぶん、天井の構造上の理由で、垂直に上下するエレベータにはできなかったと推測する。
いやはや便利な機械が世の中にはあるものだなーと思うにつけ、ぼくは少し違和感を感じていた。

以前某大手の会社で少しの間仕事することになり、オフィス内に入ったことがあったんだけど、そこで見た什器が印象的だった。外観は普通のスチール棚なんだけど、引き戸を開けると中にはアクリルのトレーがずらっと並んでいたのである。その数はちょうど31個で、つまり何らかの書類が毎日出るので、これを日ごとに収納するための書庫というわけである。スチール棚にトレーを入れたのではなく、はじめからトレーが装着されたスチール棚である。こういう什器はカタログとかでも小さい扱いだったので、それほどメジャーな什器じゃないと思っていたから、実際に使っているのを見て少し驚いた。
いやこれって実際に業務上で必要な形なんだと思うけど、この什器はこの用途以外では一切使えない什器である。毎日発生する書類を日ごとに整理したいのであれば、他にもいくつもやり方があるハズである。たとえば引き出しにブリーフケース(紙製の仕切りみたいなもの)で日ごとに仕切ってもいいわけで、あえてこの形の什器でないといけない理由はあったのだろうかと思うのだ。
何というか、ミクロ的な発想だなーと思った。
今この時点の業務を改善するために必要な形でないとダメみたいな発想の硬さを感じたものである。この先に業務がどう変わるかとか、この什器を使わなくなることとか一切考えてないのである。その場で純粋に必要なものを手に入れたというような。ぼくも発想が硬い部分があるので、偉そうなことは言えないけど、ダイエット機器なんかも奇妙な形ゆえに、使わなくなると変に場所を取ったりするのと同じ匂いがする。

さてそんな思いを再び抱いたのが、先の書類エレベータである。レイアウト上の理由で受付が上下階に分かれるのはよくあることだと思うけど、その不便を解消するのに、大層大掛かりな仕掛けを作ったものである。これではまた何らかの理由でレイアウトが変わった時にどこにも動かせなくなってしまう。それこそ受付を5メートルだって動かせないことになる。ましてや1階と2階の受付を統合しようなんてことになったら、完全に無駄な機械ということになる。
そういうことが起こりにくい病院なのかもしれないけど、ぼくにはどうしてもミクロ的な発想に感じられた。目先の不便さを解消するために、きっと数百万もする機械を導入したのである。事務員が手で運搬する手間を考えると、このコストバランスは何年でメリットに転じることになったんだろうね。(まあ医療業界はいろいろおカネの出方が民間企業とは違うと思うので、民間企業の論理で無駄などと言っても始まらないんだろうけど、さ)

このミクロ的な発想の根源を、安易に女性脳・男性脳に求めて適当な結論をつけるのは避けたいけど、でもこれって何らかの根源的発想の違いなんだろうなと思うのだった。

ちなみに病院からはたんまり薬をいただいた。早く治りたかったら薬を使うのがいいのだけど、なんだか気が進まない。ぼくと持病を巡る苦悩はしばらく続くのかもしれない。

 
※書類エレベータ。黒っぽい箱が柱から天井に移動しているのが分かる。
| 日記 | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0)
アフター・ザ・デー。
週末は怒涛のXデーだった。
以前にも書いたけど、今回のXデー、本社移転プロジェクトは、ぼくの社会人生活の中でもっとも大きな仕事だった。週末の短い期間で一気に引っ越し作業を完了させて、今日はその新本社での最初の日ということになった。
オープンしてから6時間ほど経ち、引っ越しの片付けも徐々に終わろうかという状況で、特に大きな問題は起こっていない。社員たちは既にいつものように自分たちの仕事を始めている状況である。
その風景を見ると、ひとまず、問題なく終わったと言えるだろう。オフィスに必須なインフラはちゃんと機能しているし、引っ越し作業のゴタゴタを経ても混乱は起きなかった。
胸を撫で下ろす思いで大きなため息をつく。まだいろいろ残務はあるにしても、ぼくの巨大プロジェクトはその95%を成功裏に終えることができたと言えるだろう。
これには会社の同僚をはじめ、さまざまな方の支援があった。プレッシャーに悩まされていたぼくにいろいろアドバイスや元気をくれたさきこにも大大感謝である。
これからまたいろいろと仕事が残っているし、このプロジェクトを言い訳にして後回しにしてきた仕事もあるから、ぼくのココロはまだ全然休まらないのだけど、同時に大きな達成感を得てふわふわした気分だったりもするのだ。

※この週末はぼくの体調が芳しくなかった。このためにいろんな方面の方に心配や迷惑をかけてしまった。ここでお詫びしたいと思う。
| 日記 | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0)
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