「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
絵なぞが描けたー!
久し振りに絵なぞが描けた。今回は羊である。
ここ3年ほど翌年の干支にちなんだモチーフの絵なぞを描いていて、今回は来年の未年にちなんで羊をモチーフにした。去年までは辰・巳・午と、なんとなくシャープな感じ(?)の動物が続いたけど、今回は羊というなんとなくホンワカした感じ(?)の動物なので、どうしようか迷ったけどね。来年以降は申(猿)・酉(鳥)・戌(犬)と続くけど、さてどういう感じにしようかなーと思うにつけ、この動物って桃太郎に登場する動物だと気づいた。方位やら風水やらを起源にしてるであろう干支と日本昔話では、年代的に明らかに桃太郎の方が後出しだと思うけど、これって繋がっているのだろうか。(桃太郎の家来になる順と干支の順が違うので、偶然かもしれないし、いや実は順番は後付けで、鬼と称された西洋人との3年にわたる戦争がモチーフだったりして?「3年戦争・申の役」なんて、妄想が広がっちゃうね)

風水と言えば、ぼくの部屋は自宅の中心から方位として北東にあたるそうである。いろんな説があるけど、以前風水の本をかじり読んだ時、北東の部屋はクリエイティブな作業に向いているみたいなことが書いてあって、当時ぼくはこの部屋でお絵描きをしていたので(その後別の部屋に移動した)、「まさにお絵描きのための部屋ではないか!」と思ったものである。その風水が正しかったか分からないけど、部屋を移動してからこれで5枚目の絵なぞである。仕事の関係とは言え、なかなか描けなかった夏に比較すると格段の生産性である。まだ進行中の自宅改造計画では自分の部屋の生産性を高めるようなレイアウトにしたいものである。

生産性が高いと言えば、ぼくの部屋はカーテンを取り外してるんだけど、あるデザインのロールカーテンをできれば設置したいと考えていた。そのデザインは白地に様々な色のブロックが並んで遠目で見ると虹を作ってるものなんだけど、色見本とかないのでこういうカーテンがあると着彩の時にイメージしやすいかもと思った。今回さきこが着彩のアドバイスをくれる時にも「ピンク」の色味や濃さを指すのにちょっと困ってたみたいだから。・・・ってか、ロールスクリーンって高いんだよな。大人しく色見本を買えってことかね。

ところで、こうして絵なぞが描けたことをブログに書くと、途端に描けなくなるというジンクスがここ数年続いている。去年は分かっていたのにやっぱりブログに書いちゃって、絵なぞがまったく描けない冬を過ごしたものだ。今年もこうして書いちゃったので、さてさて、どうなるかね。


| 日記 | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0)
絵なぞ描き。
先々週辺りからチクチク描いていた絵なぞを先日描き上げた。最近なかなか描きたいイメージを具現化できていなかったので、ちょっと嬉しい。モチーフになる女の子のポーズとか画面に点在する動物や小物もいろいろ悩んで何度も描き直したので、最後にこうしてサインと日付を書き込めるのが感慨深い。
最近は本番用の紙・マットサンダースが潤沢にあるためか、気に入らないと描き直す傾向がある。パソコンを使わないアナログ画は一発勝負なので、失敗すると元に戻れないから、最近はそのことを考慮して下絵を本番に転写する時あらかじめ2枚描いておくようになった。微妙なタッチの差で、2枚目の方が良くできる場合もあるし、変に気負った感じが嫌で素直な線が描けている1枚目を本番に採用することもある。それでもちょっとした失敗が許せないとさらにもう一度描き直すことがある。そこでも2枚描くわけだけど、今回は2回の描き直しがあったので、都合6枚描いたことになる。そのうえで着彩するわけだけど、着彩にも失敗や気に入らない場合もあり、今回は2回描き直した。ちょっとした実験も含めると4枚に絵の具を乗せたことになる。
そういう経緯を思い返すと、以前のぼくと比べて描き直しの耐性というか、精神力というか、モチベーションが高まったなーと思う。以前は失敗してもリカバリーして何とか描き上げちゃうこともあって、まあそのリカバリーの跡が味になったりするし、リカバリーできるのも能力のうちだと思うのだけど、やはり自分で納得ができるまでコダワルのが何よりも大事だと思う。だから今回描き上がった1枚は、いろいろなコダワリを積み重ねた結果なわけで、そう思うと達成感があるなー。
さて、今回は下絵段階でコダワッた部分もあるけど、着彩でもコダワリがあった。いや、正確に言うと、着彩についてぼくには絵に負えない状況に陥った。画像を見ると分かるけど、雲の部分である。何枚かに実験の跡が見えると思うけど、これにはさきこが大いに貢献している。
ぼくは色彩のセンスもないし、変な固定観念があって、今回の例でいうと白く見える雲をどうしても変な色に塗れない傾向が強い。白い物体は光をより多く反射するので、つまり周りの色の影響を受けやすいものなんだけど、固定観念からどうしても逃れられない。今回も完全に雲=白の呪縛から逃れたとは言えないけど、雲以外のいろんな物体との関連性からどうしても白だけではダメという状況になり、さきこに相談したところ、「黄色とピンクを織り交ぜたような感じにしては?」とアドバイスをいただいたのである。
黄色ならまだ分かる。夕陽を反射する雲は部分的に黄色くなるものだし、月の光を反射した表現で雲に黄色を置いたこともある(さきこ曰く「月は黄色じゃない!」)けど、ピンクはなかった。しかも遠くの雲には紫を配するつもりでいたので、なんとなく馴染まないような感じがしたのだ。
しかし他に案が浮かばなかったぼくは、とりあえず実験で着彩してみて、これがなかなかいい感じになることが分かったので、もう一度最初から塗り直しをすることにしたのである。
塗り直しの判断をしたのが、月曜祝日の夜である。もう最後まで塗っている時間はないのだけど、気持ちが高まっていたのか、一気にツッ走ることにしたのだ。翌日は仕事だというのに、ギリギリまで絵なぞを描いていようとするモチベーションには我ながら感服である。
もちろん当日中には塗り終えられなくて、翌日もその翌日も仕事が終わってすぐに帰宅して、作業を進めた。仕事後に右脳モードに切り替えるのが結構大変だったな。仕事中も右脳モードならいいのだけど、仕事はたいてい理屈っぽいものなので、ぼく的には左脳モードなんだよね。
そんなわけで、久し振りに絵なぞが描き上がり、脳内にエンドルフィンがドバドバ分泌されて、ちょっと気持ちいい。達成感に浸っている。それにしても、着彩についてアドバイスをくれたさきこには大感謝である。その色彩感覚には脱帽である。お絵描き専門の某SNSではどういう評価をいただけるものかね。
冬はどうも描けないジンクスがある時期だけど、さて今年はどうかな。
| 日記 | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0)
相棒の思い出箱との別れ。
遅々として進まない自宅改造計画が最近また少し動いた。今回はデスクの話しである。
ぼくのデスクは今のマンションに引っ越してくる前に某取引先に眠っていた在庫を譲ってもらったもので、もう10年以上の付き合いである。ホームユースにしては大きすぎるくらいのデスクである。幅は140センチ、奥行80センチもある。狭い家には大き過ぎである。そして今年、ぼくの部屋に新しいデスクを導入したことをきっかけに、廃棄ということになった。
ぼくの狭い家にこんな大きなデスクがどうやって入ったんだろうってくらい、搬出作業は難航した。最後にはデスクを回転させて寝かせた状態で家の外に出すことになった。いやはや大変だったわ。
こうして苦労して廃品回収の所定の場所に運び、回収費を納付したことを証するシールを貼って作業は完了した。その他にもデスクのサイドに置いていた棚とかパソコンデスクなんかも一緒に廃棄した。どれも長い付き合いのものばかりである。
廃棄に先立って事前にデスクの引き出しを整理していたんだけど、いやもう思い出の小物がたくさん出土した。前の会社の襟章とか大学時代の所有物とか、さらには高校時代にさきこに書いた手紙とか吹奏楽の先輩(女性)からもらった手紙とか、もう悶絶するほど恥ずかしい遺産の数々である。デスクとは卓上や引き出しなどそのすべて機能が「現在の作業」を効率化するためにあるものだけど、ぼくの場合はその卓上も含めほとんど過去の遺物で埋め尽くされていたことを改めて実感した。ぼくがデスクを「現在の作業」のために使っていたのは、卓上のほんの一部分だったと思う。そう考えるとデスクというよりも思い出箱という感じだね。
役目を終えて廃棄場所に置かれたデスクは、「長い思い出の蓄積」という仕事から解放されて安堵しているようにも見えた。デスクの天板部分には絵の具の後とか鉛筆の裏映りなんかが残っていた。ぼくの歴史を象徴する傷跡である。
翌朝も通勤前に廃棄場所に行き、朝陽を浴びて佇むかつての相棒に感謝した。ホント、感謝である。
そういうわけで、ぼくの自宅改造計画はちょっとだけ進展した。夏に始まり、秋前には終わると思っていたのに予想外に時間がかかっている。これ、年内には完全に完了するのだろうか。


| 日記 | 12:25 | comments(0) | trackbacks(0)
ロケ地哀歌。
映画やドラマなんかのロケ地に自分の知っている場所が選ばれるのはなんか嬉しいものである。さらに自分の住んでいる街が物語の舞台になってくれたら、もっと嬉しいと思う。そういう街ってのは、映画やドラマが要求する「○○な街」の○○を満たしているわけだから、例えば「オシャレな街」として描かれれば、その街はオシャレな街として全国的に認知されることになるわけである。
最近話題のマンガでぼくも読んでいるんだけど、鎌倉が舞台になっている。海に近い街を舞台にした独特な雰囲気を持つマンガで、かなり人気があるようだから実写映画化されるそうである。ぼくもクルマや自転車で行ったりする場所なので、よく知っている風景がマンガで登場したりするとちょっと嬉しいものである。住んでいる人は、自分の街が全国的に評価されてもっと嬉しいんだろうな。
時期を同じくしてテレビドラマでも鎌倉が使われていたようだから、全国的に鎌倉に住みたいと思う人が増えたんじゃないかなと思う。
ぼくはそんな鎌倉が羨ましいなと思う。全国的に評価されて街自体がブランドになるなんて、ちょっとカッコいいからね。ぼくの住む街は、横浜でも古い町のようだけど、映画やドラマやマンガに使われるようなブランドはないからね。CMなんかではちょくちょくあるようだけど、映画やドラマやマンガの舞台として街の名前が全面に出るような使われ方はないからね・・・と思っていたのだが。
しかし、である。
この前ぼくが某取引会社の方とサシで飲みに行った時の話しである。この取引先は本社移転の際にかなりお世話になった会社で、もちろん取引額も大きな会社で、そんなこともあって先方の部長さんがぼくと一緒にお酒でも・・・ということになった。ちなみに帰りがけにタクシーチケットをもらった。タクシーチケットなんて初めてだわ。
その飲み会では今回の本社移転にかかる思い出話もあれば、後の祭りとは言え憤慨する話しもあった。そんな話しの中で「どこに住んでいるのか」なんて話題は定番である。自分の住まう駅名を告げると、その人は「あーあー知ってます」とか言う。まあ首都圏の人であれば知ってる人もそれなりにいるハズだけど、どうもその人は別の意味で知っているそうである。
「マンガの舞台ですよね?」
その瞬間、ぼくの頭はフル回転した。
ぼくの街がマンガの舞台になったことなんてあるのか?そりゃ、横浜の古寺の門前町として、それなりに活気はあると思うし、アーケード商店街とか川を渡る橋とか電車の駅舎とかいろいろあるけど、それがマンガになったなんてことはない。でもホントにマンガの舞台なのであれば、先に書いた鎌倉を舞台にしたマンガと肩を並べることになる。
しかしぼくの記憶ではまったく覚えがない。かなり古いマンガなのだろうか。
そして彼が口にしたマンガの名前は、案の定ぼくの知らないマンガだった。マンガの名前を書いちゃうと街が分かってしまうので書かないけど、とにかく知らないマンガである。しかし彼が説明するマンガの内容を聞くと、マンガの舞台になる=オシャレ的なイメージがだんだん消えてきた。
どうもそのマンガとは麻雀のマンガなのだそうな。20年以上前に麻雀雑誌かなんかに掲載されていたらしくて、まあ当時の世相を反映してか、暴力団的反社会的勢力が跳梁跋扈するような展開なのである。思わずネットで画像を検索してみたけど、うん、確かに最寄り駅の駅前の風景が描かれている。けど、その風景の中で佇むのは、パンチパーマでサングラスの中の目が鋭い男性だったりする。そんな男たちが日本中から麻雀日本一を決するために集結する的な展開・・・っておいおい、ぼくの街ってそんな物騒な場所だったか?普段はご老人たちが散歩するお寺の境内も、マンガの中では雀卓を並べて怖いニーチャンたちが麻雀する会場になってた。んなアホな。マンガの中には、川を渡る橋やお寺の山門や階段など街を象徴するような風景が描かれていた。しかしそんな劇画チックな世界観とご老人が散歩する実際の風景はかなりかけ離れている。いや、それともぼくが知らないだけで、そういう世界があるのかもしれない?まあ古い商店街なので、いろんなシガラミがあるのは分かってるけどね。
そんなわけで、映画やドラマの舞台として縁遠い街だと思っていたぼくの街が、既にマンガに採用されていたという驚愕の事実である。しかもかなりぶっ飛んだ方向に脚色されたものである。マンガが描こうとする「○○な街」の○○部分に「物騒な」とか「ヤ○ザ的な」とかが入りそうである。そんな過去の経緯があるから、映画もドラマもこの街に来ないんじゃないかと思うほどである。
そういえば、以前某少年マ○ジンかなんかで連載されていた暴走族マンガでも、横浜元町の風景が出てきて、「一歩裏通りに入れば不良の巣窟」みたいな描き方がされていて失笑したものである。オシャレな元町は裏通りだってオシャレだし、さらにその奥はもう山の手だっていうのにね。でも、これを見た人は「元町の裏通りには怖くて行けない」とか思っちゃうかもね。そう考えると、負のブランド化ってあるだろう。
先に書いた鎌倉を舞台にしたマンガの実写映画化では、逗子がロケ地として使われるそうである。その点ではダブルのブランド化と言えるか。最近はそういうメディアへの露出を自治体の政策にしているところもあるそうだし、ぼくの街もぜひ名誉回復のためにどこかで舞台にならないかなーと思うのである。
| 日記 | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0)
展覧会の歩き方。
先週はさきこが展覧会のチケットをゲットしてきたので、上野の森美術館まで葛飾北斎の浮世絵を観に行ってきた。さきこと展覧会に行くのは夏以来。観たかった「富嶽三十六景」の実物の数々が観られたので良かった。
浮世絵ってのはそういうものなのかもしれないけど、意外に小さい絵だったな。しかし、写真のない時代にまるで静止画像のような波や水の動きを表現したってのは物凄いことだと思う。有名な「神奈川沖浪裏」の躍動感のある波の表現だけでなく、回る水車が水を湛える表現などもスゴい。何枚もの絵の前で立ち止まってじっくり観てきた。
ちなみに今回の展覧会には、ランニングイベント的スタンスで臨むことにした。ランニングイベント的スタンスというのは、つまり単純に言えば早朝から行動するという意味である。ランニングイベントって、受付が7時くらいから始まり、早いと9時頃にはランニングがスタートし、10キロでは11時前、ハーフでも昼前にはイベントが終了してしまう。休日を自宅でゴロゴロ過ごし、昼過ぎになって出かけるような人は、出かけた場所でランニングイベントが開催されていたことなど知らないのである。ランニングを始めるまではぼくも同じだった。「ぼくがゴロゴロしている時間に、ここでこんなエキサイティングなことをやってたんだ!」と驚愕したものである。
さて、展覧会にもこの手法を取り入れてみた。
展覧会というと、優雅にゆるゆると準備して、駅前で待ちあわせする間にコーヒーなぞ飲んだりして気持ちを落ち着けて、それから向かうというイメージだけど、今回はよりアグレッシブに攻めてみた。6時前には起床し早々に準備をして、速足で駅に向かい、美術館が開館する1時間くらい前からエントランスで待機するのだ。そうである、美術館に一番乗りすれば、どんなに人気の展覧会でもゆっくり観ることができるハズである。
今回は上野なので、移動に時間がかかってしまい、1時間前とはいかなかったけど、20分前くらいには美術館の前に到着した。何人かが並んでいたけど、比較的前の方に並ぶことができた。おかげで先に書いたとおり、観たかった絵をゆっくり観ることができたわけである。
展覧会の後に食事して、そこでゆっくりした後に再び美術館の前を通ったんだけど、かなり長い列ができていた。やはり展覧会に優雅に臨むとこうなるんだね。展覧会は朝イチに来るべきだな、うん。
そんなわけで、午後はまるっと時間が空いてしまったけど、こういう時間の使い方が短い休日では大事なのだろう。休日くらいゆっくり寝かせてくれと思うもう一人のぼくを宥めつつ、この日はなかなか右脳に刺激的な日で満足だった。


| 日記 | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0)
イヤホンの進化。
ヘッドホンが欲しかった。
ここのところ毎年12月に第九演奏会を聴きに行っているんだけど、その関係でこの時期は普段聴く音楽から離れてオーケストラをよく聴くようになる。そこで問題になるのがイヤホンである。
ぼくが普段使っているのは、カナル型イヤホンと言って、耳栓のように耳の穴にイヤホンを突っ込むタイプのものである。以前は耳の形にはめ込むタイプのイヤホンが主流だったんだけど、ここ数年でカナル型が急速に普及してきた。はめ込み型と比較して音が鳴る部分が密閉されるので、音漏れがなかったり、周囲の音が入りにくくなったりするんだろうけど、ぼくはどうも耳に穴が塞がれるのが嫌いで、カナル型イヤホンを避けていた。電車などで音漏れによって他人に迷惑かけるのは避けたいし、周囲の音をなるべく遮って音楽に集中したいのは確かなんだけど、イヤホン部分を耳の穴に密着するためにコードがこすれたりする音も拾ってしまうのだ。歩きながら聞いているとガサガサと結構大きな音がする。これではせっかく音楽に集中しようと思っても興醒めである。ただし、この問題はコード部分を耳を巻き込むようにすることで解消されることを知った。コードがこすれる音が耳の部分で吸収されるので、直接イヤホン部分に伝達しないそうである。まあそれでも小さいながらもこすれる音は聞こえる。さらに言えば、カナル型は耳が密閉されるので、なんかこう耳の中の空気が圧縮される感じで、耳の中が不快なのである。
やはり以前使っていたような耳にはめ込む形のイヤホンがいい。ぼくが初めてウォークマンを手にした時、小さな器具を耳にはめ込み機器の再生ボタンを押した瞬間の感動を今でも覚えている。聴いたのは尾崎豊だったかな。思わず「お、尾崎がそこにいる!」とか思ったものである。
しかし、このタイプのイヤホンは売り場にはほとんど置いていない。カナル型がそれほど秀逸とも思えないんだけど、何かの圧力でもかかったかってほど、あっという間に売り場はカナル型で埋め尽くされた。
ちなみに耳にはめ込むタイプは完全に絶滅したわけではない。わずかではあるけど売っている場所もある。しかし、ここにも問題があった。耳にはめ込むタイプは、カナル型を経験したぼくには、スッカスカに感じられてしまうのだ。あれほど熱望していたはめ込みタイプなのに、カナル型の密閉感に馴染んだ今となっては、耳の形にはめ込む程度の装着感ではまったく満足できなくなってしまったのだ。売り場にあるサンプルのイヤホンをはめ込んでみたら、グラグラと不安定だし、コードをちょっと引っ張っただけでスポンと抜けてしまう。これでは確かに音漏れもするだろう。
そんなわけで、はめ込みタイプもダメ、カナル型もダメというニッチモサッチモ行かない状況になってしまった。
さて、どうしたものか。カナル型が陳列された棚の前でぼくは考えた。いや、もっと前からぼくはこの問題をどう解決したものか悩んでいたのだ。
ちなみにカナル型の中には、耳に引っ掛けるタイプなどいくつかのタイプがあって、今のカナル型の問題点を解消しているものもあるようである。しかし耳に引っ掛けるタイプは、ぼくがメガネをしている関係で装着がちょっと難しいのだ。耳に引っ掛ける部分には既にメガネのツルがかかっているわけで、ちゃんとフィットしないのである。
そんなわけでいろいろ考えた結果が、冒頭のヘッドホンである。
以前もヘッドホンを購入した。ノイズキャンセリングのタイプだったけど、耳に当たる部分にちょっと不安があった。平坦な形のため、耳との隙間から音漏れが心配されたのだ。ぼくが音漏れを気にするのはやはり恥ずかしいからなんだろうな。オケとか聴いているうちはいいんだけど、まあこの歳のオジサンにはちょっと相応しくない音楽も聴いてるからな。
それで今回欲しくなったのは、耳が完全に包み込まれる形をしたヘッドホンである。耳に当たる部分がヘコんでいて、その小さな部屋に耳がスッポリ入るようになる。ヘッドホンをいくつか試してみて、なかなかいい感じのものをいくつか発見した。もっともイヤホンの良い点は、カナル型もはめ込み型も携帯性が高いという点である。ポケットにちょろっと入れて持ち運びが可能だけど、ヘッドホンはそうはいかない。ぼくが普段使っているバッグもそれほど大きな余剰スペースはないので、小さめなタイプや折り畳めるタイプがいいということになる。
そういうわけで、ヘッドホンが欲しいと思ってから、ぼくは散々悩んだ。
さきこにもサンプルを聴いてもらったりして、ヘッドホンを選んだ。最近の売り場は、自分が持っているiPhoneなどの再生機器を接続して試し聴きができたりするので便利なんだけど、さきこに聴いてもらうために第九なんかをかけちゃったりすると、あまりにも音質がいいものだからそのまま第四楽章を聴き入っちゃったりする。ヘッドホンを外して、「やっぱ第九はいいわ」ってもうコメントがおかしい。
そんなわけで、先週は散々悩んでヘッドホンを購入した。
高価なノイズキャンセリングは諦めて、財布と相談して選択しうるもっともいいものを買ったと思う。
昨日はヘッドホンをかけて会社から帰ってきた。うん、いい感じである。こういう環境が欲しかったんだよね。バッグのスペースがまた少なくなっちゃって、もうテクニカルに収納しないと入りきらない状況だけど、しばらくちゃんと音楽を聴く環境を手に入れて、ちょっと満足なのだった。


| 物欲日記 | 12:51 | comments(0) | trackbacks(0)
週末は。
先々週から苦しんでいた風邪が何となく快方して、まだ咳が出たりするものの、何とか復活できた感じである。今回の風邪は妙で、まったく発熱しなかった。体温は36度台を上下するものの、咳以外に風邪の症状らしいものはなかった。このため医者も困ったと思うけど、会社を2日も休んでそれでも快復しないほどの変な風邪だった。
咳のし過ぎで声が枯れてしまい、それでも快方に向かっていると信じて、三連休を過ごした。
久し振りにドライブなんぞして、夜遅くまで喋って過ごし、また家電量販店でさきこはマッサージ器、ぼくはオーディオコンポとかノイズキャンセリングのヘッドホンなど見て、物欲が沸々と湧き上がり、そして最後に絵なぞを描いて終わった。最終日にどうしても絵なぞを完成させたくて、朝からガリガリやりつつも、さきことランニングなんか行っちゃって、シャワーを浴びて遅めのランチを食べたらすーっと眠ってしまい、夕方からまたガリガリやって、異様な集中力で日付が変わる前に完成させることができた。
いろいろ実験的なことを盛り込んだ関係で、なかなか下絵段階で納得がいかず、下絵の描き直しを3回、本番の描き直しを8回くらいやって、着彩を終えることができた。いや、大した絵なぞではないので、集中していたと言っても右脳による感性の洗練はなかったのかもしれないね。それにしても絵なぞを描き直すなんて、昔は絶対あり得なかったから、これはぼくが成長したってことなのかね。
ちなみに某SNSにアップしたけど、反応は芳しくない。まあいいけどね、好きなことで時間を忘れられるってのはいいことである。そう言えば風邪で会社を休んでいる2日間は、絵なぞどころではなかったな。うん、つまり風邪が完治したってことだね。
| 日記 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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