2015.01.26 Monday
「とっておき」のランニングコース。
週末はさきこと散歩なんかもしつつ横浜山手の方を歩いた。地元からバスに乗っていくと、外人墓地とか港の見える丘公園に行くことができる。この日は元町に用事があったんだけど、こうしてバスで行くというのは新鮮である。このバス通りはぼくの幼少期からバスやクルマで何百回も走った道で、ぼくの大好きな道のひとつである。
中村橋のバス停の先から長い上り坂になり、その後外人墓地や港の見える丘公園まで続く山手の尾根道を走る。この最初の坂道は稲荷坂というのだけど、これを前にしてバスの車内に「この先、急な上り坂になります」なんてアナウンスがされるという、坂の多い横浜にあってあえてそんな放送がされるほどの坂道である。坂を上り切ると、外国人住宅地が現れる。ここは戦後に接収されたアメリカ海軍従事者やその家族が住むための住宅地である。昔は検問が緩くてぼくも何度か中に入ったことがあるけど、今は鉄のフェンスで固く閉ざされている。近年、この住宅地が日本に返還されるという話しがあって、見た目上は何も変わっていないけど、どうも話しは少しずつ進行し、同時に接収前の地権者との調整もしているそうである。
道をしばらく進むと、住宅の造りが徐々に高級感を増していく。オシャレな家や昔ながらの造りの家や変わった形の家が次々と現れる。最近ぼくは門扉の形状に興味があるんだけど、この辺はキレイなデザインの門扉とかが多い。私立の学校なんかもいくつか立ち並び、雰囲気のあるカトリック教会もあったりする。まさに観光地・横浜らしい街並みである。
こうして観光地的な色合いを濃くしながら道が続き、戦前に建てられた外国人居留地の住宅や公園や外人墓地、港の見える丘公園が現れて、道は尾根を降りていくのである。
バスに乗ったぼくとさきこは、こんな道を通っていくんだけど、この日は稲荷坂の途中で普段見かけないものを見た。
ランニングする2人の男性の姿である。ランニングと言っても、いわゆるランニングウェアを着ているのではなかった。白い上下に黒いソックス、背中にアルファベット表記された名前。野球のユニフォームだった。胸には「Y」の一文字。これはこの近くにある野球部で有名な某高校ではないか。彼らが練習の一環でこの坂道を走って上っているのかということにかなり驚いた。ぼくも走ったことのない道を、走ってるバスから見ても分かるほどの結構なペースでぐいぐい上っているのである。いや若さってスゴイわ。
走る彼らを追い抜いて坂の上に至ると、顧問の先生らしき人がいて、隣に女子マネージャー。ここで折り返すのかなーと思い、バスはそのまま進んでいくのだけど、なんとその後も車窓に度々このユニフォームが現れるのである。何人もの野球部員がこの道を走っているのだ。いやこれ、どこまで行くんだろう。
追い抜いても追い抜いてもその先に野球部員は現れ続け、バスが山手の高級住宅地に入ってからもその姿が途切れることはなく、ついにぼくたちが下車するバス停にも彼らが現れた。
「どこまで行くの?」
ぼくは走ってる彼らに思わず声をかけた。2人で走っていた野球部員は「港の見える丘公園までです」と元気に答え、「頑張ってね!」というぼくの声援に答えて走り去って行った。
港の見える丘公園まで?・・・ってこれ何キロあるんだろう。冒頭の稲荷坂という激坂を超え、その後の若干のアップダウンのある道を走って港の見える丘公園まで行くというのか。幼少期からバスとクルマでしか行ったことのないぼくにとっては、その距離はとても長く感じられてて、ただただいやスゴいわーと感心しきりだった。
しかし、相手は高校生である。ぼくも負けてはいられない。なにやら変な対抗心が芽生えてしまい、ついに「明日はぼくがこの道を走ってやる」と決意した。
そんなわけで、今まで走ったことのないこの道をふとしたキッカケで走ることになった。
さきこも調子が良くなっていたので、一緒にゆっくり走ることにした。自宅から一旦バス通りに出て、これを進み、ついに稲荷坂である。そういえば、去年さきこが入院していた時に病室の窓からこの坂道が見えたものである。その時はどういう視覚的錯覚なのか、思ったよりもかなり傾斜が緩く見えたものである。
しかし、横浜でも有数の激坂の一つである。実際にはその傾斜はなかなかのものである。息を調えてゆっくりと刻むように上っていく。予定のコースではまだ序盤ということもあってあまり体力を使わないようにする。この日は風もなく陽射しが暖かくてとても走りやすかった。
数百メートルの坂道を上り切り、外国人住宅地前で一旦休憩。この日は鉄フェンス近くに警護の人はいないようだった。その代わり(?)に近くの日なたにはネコが横になって眠っていた。暖かい陽光を受けて気持ち良さそうに寝ていたので、声をかけて撫でさせてもらった。
その後、さきこと外国人住宅地が完全に返還されたらどういう開発をするといいかみたいな話しをしつつ、山手方面に向かっていった。山手の高級住宅地では門扉の形状をいろいろ見ながら走った。そしてほどなく外人墓地、港の見える丘公園である。いや、距離感を全然感じさせない道である。実際に何キロもあるわけじゃないけど、景色が飽きさせないんだろうね。
その後来た道を帰った。高級住宅地が普通の住宅地になり、外国人住宅地になった。帰りにはネコはいなかった。
こうして14キロほど走って帰ってきた。
まあこの時期に14キロの練習程度でいいのかって問題はあるけど、散歩を兼ねたランニングとしてはとても楽しい道だった。クルマや自転車では見えなかったものがたくさん見えた。雰囲気のある建造物をゆっくり見ることができたり、ふと見える路地の先がいい雰囲気だったりと、ランニング程度がもっとも楽しめる速度だということが分かった。クルマや自転車だとクネクネ道を走ることに集中して景色を見るヒマがないんだよね。
さきこも当初は道の狭さに不安を隠せない感じだったけど、走ってみて印象ががらっと変わったようである。うん、これはこれからどんどん走りに来たい道である。ぼくたち以外にもランナーが結構走っていたしね。
ちなみにこの道を走ったおかげで右脳にも結構栄養が行ったようである。冬の描けない時期だからまだ形にはなってないけど、このランニングは走力のためにも良かったけど、右脳のためにも良かったみたいである。
中村橋のバス停の先から長い上り坂になり、その後外人墓地や港の見える丘公園まで続く山手の尾根道を走る。この最初の坂道は稲荷坂というのだけど、これを前にしてバスの車内に「この先、急な上り坂になります」なんてアナウンスがされるという、坂の多い横浜にあってあえてそんな放送がされるほどの坂道である。坂を上り切ると、外国人住宅地が現れる。ここは戦後に接収されたアメリカ海軍従事者やその家族が住むための住宅地である。昔は検問が緩くてぼくも何度か中に入ったことがあるけど、今は鉄のフェンスで固く閉ざされている。近年、この住宅地が日本に返還されるという話しがあって、見た目上は何も変わっていないけど、どうも話しは少しずつ進行し、同時に接収前の地権者との調整もしているそうである。
道をしばらく進むと、住宅の造りが徐々に高級感を増していく。オシャレな家や昔ながらの造りの家や変わった形の家が次々と現れる。最近ぼくは門扉の形状に興味があるんだけど、この辺はキレイなデザインの門扉とかが多い。私立の学校なんかもいくつか立ち並び、雰囲気のあるカトリック教会もあったりする。まさに観光地・横浜らしい街並みである。
こうして観光地的な色合いを濃くしながら道が続き、戦前に建てられた外国人居留地の住宅や公園や外人墓地、港の見える丘公園が現れて、道は尾根を降りていくのである。
バスに乗ったぼくとさきこは、こんな道を通っていくんだけど、この日は稲荷坂の途中で普段見かけないものを見た。
ランニングする2人の男性の姿である。ランニングと言っても、いわゆるランニングウェアを着ているのではなかった。白い上下に黒いソックス、背中にアルファベット表記された名前。野球のユニフォームだった。胸には「Y」の一文字。これはこの近くにある野球部で有名な某高校ではないか。彼らが練習の一環でこの坂道を走って上っているのかということにかなり驚いた。ぼくも走ったことのない道を、走ってるバスから見ても分かるほどの結構なペースでぐいぐい上っているのである。いや若さってスゴイわ。
走る彼らを追い抜いて坂の上に至ると、顧問の先生らしき人がいて、隣に女子マネージャー。ここで折り返すのかなーと思い、バスはそのまま進んでいくのだけど、なんとその後も車窓に度々このユニフォームが現れるのである。何人もの野球部員がこの道を走っているのだ。いやこれ、どこまで行くんだろう。
追い抜いても追い抜いてもその先に野球部員は現れ続け、バスが山手の高級住宅地に入ってからもその姿が途切れることはなく、ついにぼくたちが下車するバス停にも彼らが現れた。
「どこまで行くの?」
ぼくは走ってる彼らに思わず声をかけた。2人で走っていた野球部員は「港の見える丘公園までです」と元気に答え、「頑張ってね!」というぼくの声援に答えて走り去って行った。
港の見える丘公園まで?・・・ってこれ何キロあるんだろう。冒頭の稲荷坂という激坂を超え、その後の若干のアップダウンのある道を走って港の見える丘公園まで行くというのか。幼少期からバスとクルマでしか行ったことのないぼくにとっては、その距離はとても長く感じられてて、ただただいやスゴいわーと感心しきりだった。
しかし、相手は高校生である。ぼくも負けてはいられない。なにやら変な対抗心が芽生えてしまい、ついに「明日はぼくがこの道を走ってやる」と決意した。
そんなわけで、今まで走ったことのないこの道をふとしたキッカケで走ることになった。
さきこも調子が良くなっていたので、一緒にゆっくり走ることにした。自宅から一旦バス通りに出て、これを進み、ついに稲荷坂である。そういえば、去年さきこが入院していた時に病室の窓からこの坂道が見えたものである。その時はどういう視覚的錯覚なのか、思ったよりもかなり傾斜が緩く見えたものである。
しかし、横浜でも有数の激坂の一つである。実際にはその傾斜はなかなかのものである。息を調えてゆっくりと刻むように上っていく。予定のコースではまだ序盤ということもあってあまり体力を使わないようにする。この日は風もなく陽射しが暖かくてとても走りやすかった。
数百メートルの坂道を上り切り、外国人住宅地前で一旦休憩。この日は鉄フェンス近くに警護の人はいないようだった。その代わり(?)に近くの日なたにはネコが横になって眠っていた。暖かい陽光を受けて気持ち良さそうに寝ていたので、声をかけて撫でさせてもらった。
その後、さきこと外国人住宅地が完全に返還されたらどういう開発をするといいかみたいな話しをしつつ、山手方面に向かっていった。山手の高級住宅地では門扉の形状をいろいろ見ながら走った。そしてほどなく外人墓地、港の見える丘公園である。いや、距離感を全然感じさせない道である。実際に何キロもあるわけじゃないけど、景色が飽きさせないんだろうね。
その後来た道を帰った。高級住宅地が普通の住宅地になり、外国人住宅地になった。帰りにはネコはいなかった。
こうして14キロほど走って帰ってきた。
まあこの時期に14キロの練習程度でいいのかって問題はあるけど、散歩を兼ねたランニングとしてはとても楽しい道だった。クルマや自転車では見えなかったものがたくさん見えた。雰囲気のある建造物をゆっくり見ることができたり、ふと見える路地の先がいい雰囲気だったりと、ランニング程度がもっとも楽しめる速度だということが分かった。クルマや自転車だとクネクネ道を走ることに集中して景色を見るヒマがないんだよね。
さきこも当初は道の狭さに不安を隠せない感じだったけど、走ってみて印象ががらっと変わったようである。うん、これはこれからどんどん走りに来たい道である。ぼくたち以外にもランナーが結構走っていたしね。
ちなみにこの道を走ったおかげで右脳にも結構栄養が行ったようである。冬の描けない時期だからまだ形にはなってないけど、このランニングは走力のためにも良かったけど、右脳のためにも良かったみたいである。