「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
地震。
今週月曜日、埼玉県北部を震源とする地震が発生した。これにより関東の広い範囲でちょっと大きな揺れを感じ、ぼくは会社にいたんだけど、なかなか大きな揺れだった。首都圏を中心とした大震災が近い未来に発生するというのは、言われて久しい今日この頃だから、さすがにこの地震が来た時には、「あぁついに来てしまったか!」と思ったね。 幸い、地震は少々長めに揺れていたものの、1分程度でおさまり、その後身体に感じるような余震は発生していない。この地震が大きな地震の前触れかもしれないと思うにつけ、今まで以上に一層の心構えが必要だと思うわけである。 それにしても、ついに来たか!と思わせるほど、首都圏を取り巻く地面の下の様相は不気味である。 去年は御嶽山が突如噴火して、戦後最悪と言われるほどの死傷者が出た。またこれに先立つ1年前には、小笠原諸島近海で海底火山が噴火して、新しい陸地・西ノ島が出現した。40年ほど前にも新しい島ができていたけど、その近くで出現した島はみるみるうちに拡大し、従来の島をも飲みこんで、今もなお拡大中だそうである。 そして最近発生した箱根山の火山性微動である。大涌谷には立ち入りが規制され、ロープウェイも止まっているそうである。 御嶽山、西ノ島、箱根山とまさに関東を中心とした不気味な動きである。 そんな折、雲に虹の模様が映し出される現象「彩雲」が観測され、これは関東大震災の前にも見られたことから「地震の前兆」などと言われたこともあったけど、その真偽は別として、その数日後の月曜日に地震は発生したというわけである。 大震災を予感させるデキゴトがここまで揃うとホントに不気味である。やはりいつ震災が起こっても冷静でいられるように今から心構えしておくべきだろうね。 ちなみに、会社では若い女性社員が今回の震度4の地震でびっくりして過呼吸になっちゃって救護室に運ばれた。いやいや、そんなことでは来たるべき「本番」は乗り越えられないぞと思いつつ、ぼくも実はかなり焦っていたのを思い出す。本番が起こった時、ぼくはどこまで冷静に行動できるだろうか。 地震予知はできないというのが最近の定説だけど、彩雲の話しじゃないが、地震の予兆を示す何かがあっても良さそうなものである。そう、たとえばFM電波などだ。研究によると、地震前は地面と大気層の電位が変化することで、普段よりもFM電波がよく飛ぶんだそうな。つまり遠くで発信されたFM波を受信することができるそうである。今のFM波はどんな状態になってるのかね。 地震は必ずやってくる。 心構えしつつも、焦りを抱え、過呼吸になるかもしれないと思いつつも、いざと言う時はすぐそこまで迫っているかもしれないのだ。
| 日記 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0)
眠い。
気候が良くなってきたからか、最近日中に非常に眠い。 原因と思われるのは、最近ちょっと無理して早起きをしていることである。早起きと言っても、今までよりも30分程度の早起きである。これで数本前の電車に乗り、30分ほど早く会社に到着する。最近会社で始まった朝の企画のためである。その運営なぞをしないといけないというわけ。 当初は30分程度の早起きに、影響はほとんどないと思っていた。しかし、寝不足が溜っているのか、最近どうも日中に眠くなる。困ったものである。 しかも5月からジロデ・イタリアが始まり、7月にはツールド・フランスが始まるのだ。ぼくとさきこにとっては、深夜までテレビ観戦する時期が到来しつつある。夜は遅くまでテレビを観て、朝は少し早く起きる生活である。さてさて、いつまで保つものか。 ホントはランチタイムにパソコンをカチャカチャやってブログなぞ書いたりしているんだけど、書いているうちにだんだん眠くなってくる始末。今週発生した震度4の地震のことに絡めて、最近不気味な様相を呈している箱根の火山性微動の話しを書こうと思っていたのにね。 とにかく夜にちゃんと眠らなければいけない。ただでさえ、これから寝苦しい夜の季節が始まるのである。ちゃんと眠れる習慣や体内時計にしておかないとね。 そんなわけで、一時期怒涛の勢いで更新していたブログが最近とんと更新されない言い訳を書いてみたわけで・・・と言いつつ、また睡魔が・・・
| 日記 | 13:26 | comments(0) | trackbacks(0)
ぷんぷん。
今気づいたけど、ブログサイトの仕様が変わっていたようで、最近の記事は改行とかがまったくされていなかった。写真の位置がどうもおかしいなーと思っていたけど、改行などの情報がまったく反映されなくなっているとは思わなかった。なんだ、この改悪は?!
先ほどこれに気づき、記事を編集し直した。
この変な表示が一体いつから始まっているか分からないけど、とりあえず今後はちゃんと改行するような書き方にしていく。
いやはやこんな改悪はあり得ないわ。ブログを書く人は基本的にメモ帳などのエディターの下書きからコピペしてるんだと思うけど、改行や写真挿入などの演出がまったく生きないようになるなんてオカシイ話しである。
とにかくこれからは別のアップロードツールを使うので、大丈夫と思うけどね。

※関係ない写真だけど、テスト用に置いておく。
| 日記 | 16:41 | comments(0) | trackbacks(0)
天玉うどんを求めて。
時々立ち食い蕎麦屋に行って天玉うどんを食べたくなる。そばじゃなくてうどんである。ぼくは天玉うどんが好きなのだ。
しかし、なかなか美味しい天玉うどんに出会わない。京急品○駅構内にある立ち食い蕎麦屋は、ぼくが予備校生だった頃からずっと利用している店だけど、何年か前にリニューアルして、これに併せて変えなくてもいいのに味付けも変わっちゃって、なくてもいいのにわかめなんぞトッピングするようになっちゃったので、最近はほとんど利用していない。予備校生だった頃は、ホントにここの天玉うどんが好きで、電車が発車する2、3分前に店に飛び込んで天玉うどんをかき込み、口をもぐもぐさせたまま電車に飛び乗ったなんてこともあった。
その後転職してからは、京急ではなくJRを使うようになったので、同じ品○駅でもJR側の構内にある立ち食い蕎麦屋を利用するようになった。ここの天玉うどんはもう絶品で、たぶん、ぼくが今まで食べた天玉うどんの中で最高に美味しい天玉うどんだと思うけど、特にうどんにトッピングされている掻き揚げ天に小さなタコが入ってて、その食感が良かったんだよな。うん、思い出すだに懐かしい店である。
そう、残念ながらこの店は既に思い出の中の店になってしまったのだ。駅構内の飲食店をリニューアルすることになり、この店は撤退することになってしまったのだ。いやショックだったね。当時はガラケーを使ってたけど、名残惜し過ぎて思わず記念写真なぞ撮ってしまったからね。店には「長い間ご利用ありがとうございました」とあいさつ文が掲示され、さらに「立ち食い蕎麦は京浜東北線のホームにもありますので、今後はそちらをご利用ください」などと、お客さんへの配慮を忘れない言葉が添えられていた。それを見て「こんな美味い天玉うどんを食わせるアンタんトコだけだ!」と胸を熱くしたものである。

そんなわけで、美味しい立ち食い蕎麦屋を失ったぼくは、天玉うどんを求めて彷徨うことになる。
地元の駅にも立ち食い蕎麦屋的な店はあるんだけど、ここでもわかめが入っていて、ホントわかめを入れるのが流行りなのかと思うけど、ぼくは少なくとも天玉うどんにわかめは不要だと思っていて、わかめのない、美味しい天玉うどんを求め、それでもあまりにも天玉うどんが食べたい時には、しょうがないからわかめのトッピングに甘んじていたわけである。
そんな日々が何年も続いた。その間、立ち食い蕎麦屋があれば立ち入って食べたりした。でもたまに出張や外出で出かけるところでは、あえて立ち食い蕎麦屋には入らないようにしていた。もしその場所で美味しい店を見つけちゃったら、天玉うどんを食べるためだけにそこに通うことになってしまうからだ。あくまで通勤経路の範囲で地味に探していたわけである。
そんな折、ぼくの本社が移転することになり、以前の最寄り駅の他に利用できる駅がいくつか増えた。赤坂見附駅もそのひとつである。ここは以前から飲み会などではよく使っていた街で、昼間に来ることはほとんどなかったんだけど、ある休日出勤の日の帰り、京急にアクセスするために銀座線で新橋に向かおうと赤坂見附駅を目指していた時、地下に降りる駅の入口近くに蕎麦屋を見つけたのだ。立ち食いもできるけど、ちゃんと座って食べることもできる感じの店である。まだランチを食べていなかったぼくは、ここの天玉うどんはどうだろうかと入ったのだ。
そして、見つけたのだ、美味しい天玉うどん。
いや正直に言えば、JR品○駅構内の店には遠く及ばない。しかし、わかめは入っていないし、掻き揚げ天も汁も非常に美味しい。ぼくの中で合格点である。わかめを避けながらそれでも天玉うどんへの欲求に抗えなくて惨めに食べていたのと比べれば、大きな飛躍である。ぼくの通勤経路の範囲で、美味しい天玉うどんの店を見つけた、というわけである。そうである、ぼくはついに見つけたのだ。

今日、ぼくは仕事の関係で大手町にいた。仕事を終えると11時過ぎ。昼には少々早いけど、ランチを食べようと思い、巨大なオフィスビルの中に入っているレストランなどをいろいろ見ていた。しかしここで急に「天玉うどんが食べたい」と閃いたぼくは、大手町で食べるのをやめて(この辺で妙に美味しい店を見つけるとまた面倒なので)、丸の内線に乗って赤坂見附駅を目指したのである。普通に食事して、そのまま電車に乗った方が会社に帰るには近道だったんだけど、身体が赤坂見附の天玉うどんを欲してしまっていたのだ。
そんなわけで、今日のランチは天玉うどんである。美味しい天玉うどんである。あの時見つけたのは間違いじゃなかった。
何より嬉しいのは、天玉うどんを食べたい時に、食べに行ける美味しい店があるということである。そういう店があるのは幸せなことだと思う。
そうは言っても、ぼくの天玉うどんを求める旅は、まだ終わりではない。これからも美味しい天玉うどんを求めて立ち食い蕎麦屋ののれんをくぐるだろう。でも今までのような悲壮感がないのは、ひとつの近似値、というか最適解を見つけたことである。これからも立ち食い蕎麦屋を探索しつつ、どうしても食べたくなった時は赤坂見附に行こうと思っている。
| 日記 | 16:31 | comments(0) | trackbacks(0)
感動カラオケ。
先週は会社の帰りに電車を途中下車して、お袋さんと合流して、カラオケに行ってきた。ぼくは時々無性にカラオケに行きたくなって、その都度会社の同僚を誘って行ったり、一人カラオケ、いわゆる「ヒトカラ」に行ったりするんだけど、以前から姪のゆうかと甥のかずきがカラオケで歌う歌がとても上手だとお袋さんから聞かされていたのを思い出して、一緒に行ってみることにしたのだ。 この日は中学生になったかずきがお袋さんと一緒に来てくれたんだけど、姪のゆうかは高校の部活が忙しいそうで、遅れて参加するとのことだった。高校生のくせに社会人であるぼくよりも帰りが遅いってどういうことよ。 ともかく、ゆうかが現れるまでぼくとお袋さんとかずきでカラオケを楽しむことになったんだけど、これがなかなか感動的だった。いや、その後遅れて現れたゆうかとのカラオケも楽しかったけどね、その前にかずきとカラオケを囲んで距離を縮めたことが感動的だった。いやもっと言えば、彼と同じ歌を合唱できたことが物凄い感動を生んだ。 思えば当初この日のカラオケは憂鬱だった。 イマドキの中学生はどんな歌を歌うのか。流行りの歌はぼくにとってはあまりにもバカバカしく聞こえてしまい、そのほとんどを知らない。全部とは言わないけど、どこかで聴いたことのある別の楽曲の切り貼りのように聴こえちゃうのだ。いや、ちゃんとした素晴らしい歌もあるし、そもそもドシロウトなぼくが流行り曲とは言え、音楽にウンチクを垂れるほど音楽の知識やノウハウが豊富なわけではなくて、まさに「個人的感想」としてだけど、なんだかなーな曲が最近多過ぎるのである。だから、結果として最近の流行り歌をぼくはほとんど知らなくて、かずきとカラオケに行くのは消極的だったのだ。 しかし、ある楽曲が一変させた。 尾崎豊の「卒業」である。 元々はかつて一緒にカラオケに行っていたお袋さんが懐かしむ曲を歌おうという動機だったんだけど、ぼくが歌い始めたその脇で、かずきもマイクを手に取ったのである。 「ぼくもこの曲知ってるよ」 この言葉に感動した。かずきと一緒に歌える曲があるなんて。しかもその曲はぼくがかずきと同じ中学生の頃に知った曲である。数十年の時を超えて、かつての中学生と今の中学生が邂逅したのである。そしてそれはぼくと血を分けた親族の子である。意志の継承というかね、血を通して受け継がれる無形の思いを感じて、とにかく感動した。かずきがイッチョ前に尾崎など歌うことに、彼の成長に感じ入る部分も多かったけど、それを遥かに凌駕する本能的な感動に包まれたのだ。 そうか、親になるとこういう感動があるのか。 よく言われることだけど、「いつかオレを超えていく日が来る」的な瞬間って、こういうことを言うのかもしれないね。カラオケで尾崎を歌うってのは、超えるとか超えないとかの話しではないけど、こういうことが他の事柄でいろいろと何度も起き、それがいつか自分を超えることを予感させることに繋がるのかもしれない。ふむふむ、なるほどね。 ぼくは子供を持つことは一生なくて、それを決断したことに何ら後悔はないのだけど、きっと親でないと分からない感情ってのもがあって、それをぼくは一生理解することができないんだろうなーと思っていたけど、この日、ほんの僅かとは言え、その感情の縮小版を得ることができたのはとても良かった。カラオケに来てくれたかずきに感謝である。まあ、「親心子知らず」という諺のとおり、かずきはぼくがどれほど感動しているか、きっと1ミリも理解していないだろうけどね。まあそういうものである。 その感動からほどなくして、ゆうかがやってきて、姉弟でいろいろ歌ったりして、それが結構上手かったりしたんだけど、その感動は先の親心の疑似体験を超えることはなかった。 でも楽しいカラオケだったな。 ぼくがこういう感情を抱くことは、この先きっとないんだと思うから、こうして書き留めておくことにした。 彼らの成長にぼくはあまり関与できないけど、これからも見守っていきたいと思う。


※イッチョ前に「♪こーの支配からの・・・卒業」なんて、微笑まし過ぎるわ。
| 日記 | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車にまつわるエトセトラ。
宿願だった自転車購入を果たし、現在鋭意製作中の今日この頃・・・ってか、鋭意なのはぼくではなく自転車工場なわけだけど、とにかく自転車ができるのを首を長くして待っているのが最近の状況である。新車の完成は6月下旬だそうで、その後ちょっとした塗装処理を別にお願いするので、納品されるのは7月中下旬といったところかな。ちょうど梅雨明けの時期、本格的なサイクリングシーズンが到来した頃だろう。 愛車のこてつ号とサイクリングできるのも、あと僅かである。まあこてつ号を売り払っちゃうつもりは今のところないので、新車が来ても案外こてつ号に乗っちゃったりするのかもしれないけどね。 そんな中、シビアなサイクリングとしては最後になるだろう自転車仲間との箱根ヒルクライムにこてつ号を伴って行ってきた。ゴールデンウイーク初日のことなので、もう10日くらい前のことである。 このサイクリングで、延々10キロもの上り坂を老朽化したこてつ号でガリガリ上り、その後颯爽と下ってくるというのは、ちょっと不安な面もあったけど、それよりも何よりも不安だったのが、さきこのことである。 まず自転車はぼくと同時期に買った自転車で、諸々のパーツに経年劣化が懸念されること。そしてさきこ自身が最近サイクリングはおろか、ランニング自体もお留守になってる状態で、これとは別に腰痛やら指の骨嚢腫の問題(実は違うんだけど)なんかもあって、さきこのフィジカル的条件が箱根ヒルクライムで要求されるレベルに達していないんじゃないかと不安だったのだ。サイクリングをスタートしたものの、たとえば上り坂で腰痛が耐え難くなりリタイアしちゃうなんてことならまだマシな方で、下り坂でブレーキを握り過ぎたために指に激痛が走り、ブレーキ操作を誤って事故を起こしてしまうなんてストーリーも容易に想像がついて、とにかく不安だった。いっそぼくだけサイクリングをやめて、いつどこでもさきこと自転車を回収できるようにクルマで同行することさえ考えてしまった。 しかし当の本人はあっけらかんとしたもので、ぼくの不安は微塵も伝わってなかった。そんなさきこを見ていると、まあ自分のことは自分が一番分かってるだろうし、決して無謀なことをしないさきこだと信じて、ぼくもサイクリングすることにしたのだ。 ところで自転車が抱えるメンテナンス不良は、シロウトのぼくの目には分からないので、いきなりヒルクライムに入る前にちょっと平地を走っておこうということで、集合場所の箱根湯本駅よりも手前、小田原駅で東海道線を降りて、そこから湯本を目指すことにした。 ぼくは過去に何度か来ているけど、さきこは初めての箱根路である。また横浜マラソンでのランナー応援サイクリング以来のサイクリングで、気持ちいい陽射しの下、とても楽しそうにペダルを回していた。この状況なら大丈夫かな。 湯本の集合場所で自転車仲間と合流して、芦ノ湖を目指してスタート。 自転車仲間はランニングでもサイクリングでもフィジカルのパフォーマンスがぼくと格段に違うので、みんなぼくを置いてどんどん行ってしまい、さきこはぼくの後ろから続く形になった。自転車の特性上速度は遅いけど、さきこはちゃんとペダルが回っていた。 途中何度か休憩したけど、自転車仲間に何とか追いついたぼくの後に少し時間を置いてさきこが上ってくる。箱根路は最初の5キロ程度が傾斜がキツくて、後半は緩やかな坂がダラダラ続く感じになるんだけど、前半のキツい部分を終えて少し安堵していたら、さきこはその間に調子が出てきたみたいで、ぼくに遅れる間隔がどんどん短くなっていった。どうもスイッチが入ったようである。 ランニングでもそうだけど、スイッチが入るのに時間がかかるとは言え、ハイパフォーマンスモードに切り替わったさきこは強い。後半の坂道をどんどん上っていった。当初は行けたとしても強羅辺りまでかなーと思っていたけど、結局上り坂の最高地点まで笑顔で到達することができた。さすがである。 その後芦ノ湖に至ってランチを食べ、また湯本に戻ってきた。下り坂では物凄いスピードが出て、なかなか気持ち良かった。 さきこが事故なく走り切れたのは良かった。 ところで、こてつ号である。 やはりホイールの老朽化は否めない。最初の小田原・湯本の平坦走行でも、芦ノ湖までの上り坂、最後のダウンヒルでもスピードがイマイチ出ていなかった。通常なら時速27〜30キロで走れる平坦な道が25キロ程度だったし、坂道ではスローペースになるとは言え、10キロを大きく割り込む速度だったし、下り坂でも重力に身を任せて滑り落ちていっても40キロそこそこしか出なかったのだ。以前走った時よりも2、3キロ遅くなった印象である。やはりホイールのベアリングが不調で回転にわずかながら抵抗があるのだろうか。今までのようなサイクリングができなくなるというのは寂しいものである。 そんなわけで、久し振りのこてつ号とのキツいサイクリングだったけど、次のサイクリングには新車を持っていくことができるだろうか。 まだもう少しこてつ号とはサイクリングを楽しみたいものである。鎌倉の海とかね。 そして新しい自転車との新しいサイクリングである。 ただ残念なのは、今年の「夏のチャレンジサイクリング」が見送りになる公算が強いことである。自転車購入のためにぼくの貯金をかなり注入してしまい、ぼくが自由に遊べるおカネがなくなっちゃったのである。まさに「憧れのポルシェを手に入れたもののガソリン代がない」的な状況である。 それでも、自転車仲間との遠征サイクリングはあるし、休日のワンデイ・サイクリングで近場ならどこでも行ける。年が明けて状況が許せば、宮古島なんかも行けるかもしれないしね。まあ新車だからって焦ってたくさん乗ることもないわけである。 そんなわけで、最近のぼくの自転車を取り巻く諸々はこんな感じである。 当分の間は、休日にこてつ号との思い出を作りつつ、新しい自転車の完成を待つ日々が続きそうである。

| 自転車日記 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0)
過酷ランニング。
週末はランニングイベントだったんだけど、いやもう大変だった。 練習不足やウオノメのために、ランニングイベントを辞退することがここのところ多かったので、今回はなんとか参加して、去年の秋から始まったランニングシーズンをいい形で終えたかったんだけど、結果として今季最後のランニングがこれほど過酷になるとは思ってもいなかった。 参加したのは、富士裾野高原マラソン。既に39回を数える老舗的なイベントだけど、知らない大会だった。この時期は山中湖ロードレースや西湖ロードレースに参加することが多かったのだけど、今回は新しいイベントを開拓しようとネットでいろいろ検索していた。そこで見つけたのがこのイベントなんだけど、ネットで見た限りでは地元の人が手作りで運営する雰囲気があって、横浜ロードレースや城南島羽田マラソンのようなアットホームなイベントとの印象を受けて、とても楽しみにしていた。 しかし、である。 いや、アットホームな雰囲気は当たってた。地元の人がスタッフとしてたくさん参加していて、たとえばエイドなどで声援を送ってくれてとても嬉しかったし、ランニングイベントとして非常に好感が持てた。しかし、問題はコースレイアウトである。 物凄い上り坂なのだ。その距離はなんと5キロ。富士山のふもと、まさに裾野に位置するコースは、そのまま富士山頂まで通じてるんじゃないかって道を上り続けるのである。富士山麓の高原で空気も薄かったと思う。いやはや参った。 ぼくは先日ウオノメが治ったばかりで、ランニングの練習がほとんどできていなかった。ゴールデンウイークも実は1回しか走っていない。それも地元の8キロコースである。さらに最近の暴飲暴食のため体重は以前より増加していた。冬まではそれなりに食べ物に気を付けていて、脂肪肝なお腹はさておき、肋骨などはうっすら見えるくらいまでそれなりに絞れていたのである。それが今や見る影もなく酷いアリサマで、一般的なハーフマラソンだって厳しいところなのに、今回のコースはあまりにも過酷過ぎた。 それに天候もベストとは言えなかった。いや快晴って言えるほどの晴天だったんだけど、ランニングするには陽射しが強すぎ、気温も高かったのだ。 そんなわけで、過酷なコース、練習不足、天候条件など、いろいろ重なって、思うように足が進まず、惨憺たる結果になってしまった。いや、ハーフマラソンでこれほど悪い記録はないだろうという2時間40分。かつては2時間切りなんて当たり前なほどの走力が、いまや見る陰もない。 道中は苦しくてなかなか進まないぼくをさきこが終始一緒に走ってくれて勇気づけてくれた。後半に調子が良くなるさきこは、当初こそ5キロも続く上り坂に苦戦していたけど、10キロを過ぎると徐々に調子が良くなったみたいで、ぼくに先行することもあったんだけど、行き過ぎると先で待っていてくれて、最後までぼくと一緒に走ってくれた。途中で気合いの糸が切れて歩いてしまったぼくにとって、一緒に走ってくれたのは非常にありがたかった。大感謝、である。 このイベントでのハーフマラソンの制限時間は2時間30分と決められているから、本来なら先に書いたような散々な記録は「記録なし」という扱いなんだけど、10分も遅れてフィニッシュしたぼくにちゃんと完走証が手渡された。この辺の優しさがアットホームである。 それにしても過酷なランニングだった。そういえば、いつもランニングイベントに参加すると見かけるような「ランナー初心者」の姿を、このイベントではほとんど見かけなかったな。ランニングを始めたばかりのおじさんとか、友達と参加する女性組などをいつも何人か見かけるのだけど、そういう人は見られず、気合いの入った「シリアスランナー」の姿がいつもより多い印象があった。このイベントに参加すべき人とは、つまりそういうことなのだろう。 それでもやはり悔しいものである。 あらかじめコースが分かっていて、その準備をちゃんとやっていれば、いつも通りとは決していかないとは言え、2時間30分の制限時間にはフィニッシュできたハズである。これはこのまま終われない。 来年はどうするかまだ分からないけど、参加したのにフィニッシュできないままチャレンジを終えるのはもったいないから、来年も参加してみようかな。いや、まずはこの坂を攻略する意味で、ハーフマラソンではなく10キロコースに参加してみるか。 うん、初夏の新たな目標ができた感じである。 いつもお馴染みのランニングイベントに参加して、前回と変わり映えしないようなタイムで何となくイベントをこなしてきた感のある最近のランニングに、魂をかけて臨むべき道ができた感じがして、ちょっと嬉しい。今のぼくにはいささか役者不足な相手だけど、ね。 さて、来年の今頃はどうなってるかな。  
| Be RUNNER! | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0)
自宅改造計画の続き〜レッツ、DIY!
なかなか進まなかったぼくの自宅改造計画の中で、最後のフェーズとなったさきこの部屋とぼくの部屋の改造が、このゴールデンウイークにちょっとだけ進んだ。 新しいさきこの部屋は和室になるわけだけど、どういう雰囲気やレイアウトにするのか、ぼくには分からない・・・というか、さきこもこれから考えるようなんだけど、ぼくの部屋の方は以前から「壁に棚を作る」という方針が明確になっていた。 「壁に棚を作る」とはどういうことか。 方法はいろいろあるけど、考えの前提として、壁面に穴を開けたくなくて、そのための方法を考えていた。最近は賃貸物件で施工の制約などもあって、こういう場合の便利ツールがいろいろある。既存の壁面の前に突っ張り棒のような感じで木材を立てて、その上に壁を立てちゃうという方法があって、検討の結果、ぼくもその方法を採用することにした。木材の「2×4(ツーバイフォー)材」の両端にバネの入った突っ張り器具を取り付けて、天井と床で突っ張る状態にして壁の前に立てるだけである。こうして立てた木材にベニヤを打ち付けて壁のようにすることが可能というわけである。こうしてできたベニヤの壁に棚受けレールを取り付け、棚受け板と棚板を取り付ければ完成というわけである。 施工にあたっては、ホームセンターで買ってきた木材をそのまま使うのも味気ないので、ペンキで白く塗装することにした。ぼくの部屋は既存の壁面やデスクや書棚が白で統一されているので、今回の壁面棚も白にしようと思ったわけだ。 構想に数か月を要し、シロウトながらいろいろ検討と修正を重ね、そしてゴールデンウイークを迎えた。 ホームセンターにさきこと行ったんだけど、当初はさきこの部屋のための衣装ケースなどを購入するだけのつもりだったけど、さきこが「自分の部屋は自分でやる」というので、ぼくは壁面棚を作ることにして資材を購入した。 自宅に戻り、翌日の朝から施工を開始した。一日がかりの作業でなかなか大変だったな。 でも結果的には想定通りの棚を作ることに成功した。ぼくのパソコンデスクの前には新しい壁面が立ち上がり、壁面には棚板が取り付けられた。ここに本やらCDやら雑貨的なフィギュアが置かれることになるのだ。うん、シロウトにしてはなかなかいい感じだ。 しかし、完成までの過程にはシロウトゆえにいろいろな問題があった。 一番の問題は資材を購入するホームセンターの現地で設計の一部を変更したことである。この変更とは、新しい壁面となるベニヤの貼り付け向きのことで、当初は横向きに設置する予定だったところを、木目が横を向いてしまうという理由で、つまり壁の木目は縦向きにした方がいいだろうと考えたのだけど、この小さな変更により、結果として2×4材の数が当初4本だったところが5本に増えることになってしまい、このことが原因で大きな設計変更に繋がってしまった。小さな変更とは言え、浅慮ゆえにこれが大きな変更に繋がってもそれで生じる矛盾に気づかない。木ねじで固定する工程になってその矛盾に気づき、最初からやり直し・・・なんてことにならなかったのだけが幸いだった。 また不慣れなペンキ塗装にも苦戦した。色味が少々青みがかってるというか、ベニヤの地の色が透けて見える感じになっちゃったのが残念。どうもペンキ缶の底に溜っていた塗料を充分溶かし切らなかったみたいである。それに天気が良かったとは言え、水彩絵の具じゃないんだから簡単に乾くわけもなく、乾燥のためにかなりの時間を費やしてしまった。そんな折、追加の部材を買いに行ったホームセンターで、白い木目の化粧貼りした状態のベニヤ板を発見してしまった。最初からこの部材を使っておけば、高いペンキを買うことも乾燥を待って時間を費やすこともなかったのだ。絵なぞを描く時は画材屋の隅々まで見るのが楽しいのに、今回の壁面棚の施工では事前にちゃんと店内の部材を見て回らなかったのがいけなかったかな。結果的には手間と費用がかかることになってしまった。 とは言え、充分以上に安価に棚を作ることができた。この手の棚は既製品で売っていることはまずないし、既存のパーツを自由に組んで作る某エレク○ーのような製品では、必要となるパーツの金額が高くなる傾向がある。安価で手に入らないのであれば作ってしまうという新しい選択肢ができたのは良かった。 ところで今回のDIY作業のために、さきこに電動ドリルを買ってもらった。ホームユースの安いものではあるけど、なかなかの威力を発揮した。仕事では造作作業の立ち合いなんかもするけど、作業する人たちはこの電動ドリルを持ってきてそこここで使ったりしている。その拳銃のようなフォルムとそれを使いこなす姿がなんかカッコ良くて、ちょっと、いやかなり憧れていたんだけど、その真似事ができたのが嬉しかった。これからはいろいろ作ったりできそうである。 そんなわけで、ぼくの部屋の改造が少々進み、ついに壁面に棚を設置するところまで到達できた。まだ試作的な意味もあって、棚板が少ないけど、こうして作ってみて使用に何の支障もないことが分かったから、これからどんどん増やしていこうと思っている。うん、自分の部屋を自分の手で作るってのはなかなか楽しい。ぼくのゴールデンウイークは最後に来て大きな達成感のうちに終了することができたわけである。 ぼくの部屋は出窓部分に何らかの造作をしたくて、まだまだ継続して改造計画を検討中である。さてさていつできあがるものやら。 ※新しい壁面になるベニヤ板。これからどんどん塗装を重ねる。 ※2×4材を立てた。当初は4本だったのに、ベニヤがアバレちゃうのを押さえるために5本にした。 ※ベニヤを貼り付けてみた。なかなかいい感じ。 ※完成!少し工夫が欲しくて、メッセージボードを置いてみた。大学の図書館にあった聖書の標語。
| 日記 | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車購入への道。
先日のブログで自転車を購入しようかどうしようという内容の記事を書いた。いざ買うとなるといろいろ考えることもあって、悩ましい日々だったんだけど、先日ついに購入の決断をして、某自転車ショップで購入した。 アンカーのRNC7というフルクロモリの自転車である。 ここまで来るのに長い精神的葛藤が続いた。いっそ現在のこてつ号をチューンナップするだけでいいのではと思うこともあった。さきこの許可があるとは言え、ギリギリの予算で家計を圧迫するのも憚られた。こうして買うことになった今、さきこには大変感謝している。 そして自転車のパーツや色を選択するにも多くの葛藤があったし、コダワりもあった。 実はそういう葛藤の経緯やコダワりを今後のためにすべて書き出しておこうと思い、何度か書いてみたんだけど、これがかなりの長編で、しかもぼくのコダワりが延々と綴られているだけなので読んでいて全然面白くない。ただでさえ自己満足でだらだらと長く、しかも面白くないぼくのブログが、さらに一層長く面白くない自己満足に満ちた文字の羅列になってしまう。 そんなわけで、諸々のコダワりはまた別の機会に、もっと頭を整理して書くことにして、今日のところはとりあえず、「自転車買いました」という報告だけしておこうと思う。 アンカーのRNC7は受注生産だそうなので、完成まで時間がかかるそうである。先日発注して、完成するのは6月下旬だそうである。さらにぼくのコダワりの作業があったりするので、納車は7月上中旬といったところだろうか。6月に入ってしまえば梅雨の時期になるのでほとんど走れないわけで、梅雨明けまでに納車できるならまあいいだろう。今年は自転車仲間と八丈島をサイクリングする予定なので、ロングライドのお披露目はこの時になるだろうな。夏のチャレンジサイクリングでは伊豆半島を巡って来ようと思ってるし、今年のサイクリングは例年よりも楽しくなりそうである。今からちょっと楽しみである。
| 自転車日記 | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0)
二俣川、フォーエバー。
今年はぼくの自動車運転免許証の更新の年なんだけど、今回はどういうわけか更新ハガキが届いていなくて、でもまあ運転免許証を見ると今年の5月15日までが有効期限ということで、とりあえず二俣川の運転試験場に行くことにした。更新ハガキがなくても更新できるとのことなので、何の不安もなかったんだけど、それよりも気になるのは免許証の色だった。ぼくが最後に交通規則に違反してからかなりの年月が経過したハズである。前回の時も「もしかしたらゴールド免許?」なんて思っていたけど、残念ながら青色免許証で、たとえ軽微な違反だったとしても、その記録はかなり長い間ジワジワと影響が残ることを実感したものである。今回はどうだろうか。前回の更新から一度も違反で減点されたことはないから、もしかして夢のゴールド免許を手にできるのではないか。更新ハガキが届いていればそういうことも表示されていたのかもしれないけどね。 さて、二俣川である。 ここ3回ほどは自転車で訪れているから、もはや電車で行く場所ではなくなっている。考えてみれば、二俣川に行くためにはどうしても特定の鉄道会社を利用することになるわけで、それこそ神奈川県から一斉にここを目指すのだから、そりゃもう濡れ手で粟的なボロい商売だなーと思う。だからってことじゃないけど、わざわざ横浜まで出て、電車に乗り換えるほどの距離じゃないので、自転車で行くようにしているのである。最初に自転車で行った時にはどういうわけかかなり大回りをするハメになって、午前の受付時間を大きく過ぎてしまったりした。当時はまだロードバイクに乗り慣れていなくて、保土ヶ谷からどういうわけか激坂を上り、しばらく尾根道を進んだかと思うと今度は激坂を下り、さっきの上りはなんだったんだと思いつつ着実に無駄に体力を消耗し、それでも汗だくでペダルを練るように回し、途中のコンビニで疲れ切った身体を休め、やっと辿り着いたと思ったら受付時間が既に終了という散々な目に遭ったものだ。 この次の回からはもっと楽に行ける道を発見し、いやこれもナマった身体にはなかなかシビれる道なんだけど、それでも楽しんで走って更新に行くのである。 そして、今回である。 少し暑いくらいの好天の下、自転車のパーツが古くなったことを実感しつつ自転車を走らせ、二俣川に到着した。 試験場内で更新ハガキがない旨を通知して、更新の申請書をもらい、証紙を貼って、長い列に並ぶ。ふと申請書を見ると、更新区分の書かれた欄があり、「違反者」「一般」などと並んで「優良」と表示され、なんとそこに赤ペンでグリッと丸が付けられていたのだ。 「優良」とはまさに「優良運転者」、つまりゴールド免許のことである。ぼくは優良運転者に区分されていたのだ。 おおおおー、これはスゴい。いや、そういう予感はあったけどね。ルールとしては「5年間の無事故無違反」と規定されていて、ぼくもこの基準に適合することは分かってはいたけどさ。実際こうして「優良運転者」と認められるのはちょっと、いやかなり気分がいいものである。 思えば長い道のりだった。 クルマを運転し始めた頃は、「違反上等」とばかり駐車禁止を繰り返し、減点に減点を重ね、ついには運転免許停止(免停)を食らい、これが2回ほどあって、最高で60日の免停を食らったこともあったかな。六角橋の講習所で長時間講習を受け、また二俣川でも違反者講習を受け、なんだか惨めな気持ちになったものである。当時はシートベルトすらアホらしくて締めてなかったからな。そんな時代から思えば、ホント長かった。いや実際どうだろう、20年近くかかったんじゃないかな。 そんな路上のアウトローだった時代を経て、こうして優良者と認定されるのは、なかなか感慨深いものである。最後に違反で原点されたのは、チンクに乗ってた時代である。日中だけ進入禁止になる道があって、いつも夜に通る道だったためにこれを知らず、さくっと進入したら物陰から嬉しそうな表情の警官が2名現れた時の記憶である。ブログにも書いたと思うけどね。 運転優良者の講習はたったの30分である。パッと行ってパッと講習が終わる。それが優良者、ゴールド免許保持者なのだ。いや、知らなかったわ。 講習を終えるといよいよ免許証の受け取りである。手渡されたぼくの免許証はそれまでと違って金色に輝いて見えた。いや、何ていうか、とっても嬉しいわ。 そして免許証に印字された有効期限を見る。ゴールド免許の有効期間は5年である。平成32年5月15日と書いてあった。 平成32年とは、ずいぶん先である。5年というと何となくイメージしやすいけど、平成27年の今から平成32年を意識すると、かなりの近未来の世界に思われる。次に二俣川に来る時は、平成32年ということか。いやもう、まったくイメージできないし、そう思うとちょっと寂しい気もする。運転試験場のあの建物も、1階や2階の人でごった返した光景も、建物を抜けた先の中庭も、食堂のあまり美味しいとも言えないラーメンも、かなりしばらくのお別れである。 人によってはそこまで運転試験場に思い入れがない人もいるだろう。しかしぼくには特別な思いがあるのだ。以前にも書いたかもしれないけど、実はお袋さんに連れられて最後にぼくが実の父と会った場所が、この運転試験場なのだ。あの時、免許証を受け取るフロアの柱の陰でお袋さんと父は最後の会話を交わしたのだ。ぼくはそれを別の柱から覗いて見ていた。もう30年近く前のことだけど、ぼくの脳裏にハッキリと焼き付いている。哀しいとも寂しいとも、また腹立たしいとも感じない、ただの無機質な思い出でしかないけど、ぼくがこの世に存在する理由として、父は欠かさざる存在であり、その父との最後の思い出の場所がこの試験場なのである。まあ、その後にも、高校生時代に何も勉強せずにいきなり臨んだ原付バイクの試験でさくっと不合格になっちゃったり、先にも書いたような惨めな研修を長時間受けさせられたりと、無機質どころか苦い思い出は山のようにあるんだけどね。 ともかくも、運転免許証を無事更新することができた。自転車に乗って二俣川を後にする。 今日は天気も良くて、なんだかとても気持ちがいいのだった。これからも安全運転で行こうと思った。
| 日記 | 13:13 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2015 >>
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
アクセス解析
 

現在の閲覧者数:
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE