「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
東京湾一周サイクリング。
年に1回は自分の可能性に挑戦してみようという「チャレンジサイクリング」について、今年は新しく購入した自転車と共に伊豆一周サイクリングに行こうと思っていたけどこれを変更して、新車ではなく10年近い相棒・こてつ号で東京湾を一周することにした。今回は思い出作りがテーマである。こてつ号で泊りがけのロングライドをするのは今回が最後だろうし、このサイクリングに同行する同僚は10年間も同じ会社でぼくと付き合ってきた戦友であり、その前途を祝しつつ、思い出作りのサイクリングに出ることにしたのである。

ぼくは今までいろいろなところにサイクリングに行ってきたけど、今回はどうも哲学的なことをいろいろ考えてしまう。
東京湾が自転車で一周できることは、こうして書くまでもない周知の事実である。いくつかの道路がぐるっと東京湾を巡っているのが地図を見れば分かるし、千葉県の金谷から東京湾フェリーに乗れば神奈川県・久里浜に到達することも周知の事実である。そのことを知っていれば、東京湾が自動車だろうが、自転車だろうが、徒歩でさえ一周できるのは疑う余地のないのだ。しかし、今回はちょっと哲学っぽく考えてみたのだ。
懐疑主義的な立場によれば、世の中の神羅万象がその存在を実証できないという考えに立つ。新聞に書いてあることもテレビで言っていることも事実である可能性と同じだけ幻想である可能性も否定できないのである。実際に自分の目で見て体験しないことには、事実を真実とは言えない。いや、見たり体験したことでさえ、脳みそがそのように作り上げた幻想に過ぎないかもしれない。そうすると、この世に確かなことは存在しないのか?という問いに行き当たり、そこで初めて「このように思索する自分自身は、たしかにそこに存在している」との結論に至り、有名な「我思う故に我あり」の言葉が生まれるのである。
今回の東京湾一周も同じである。
地図に書かれている東京湾を巡る道が本当に存在するのかをぼくは証明することができないのだ。ぼくが自分の足でこの道を走り、本当に自宅に戻って来られれば、ぼくは確信をもって「東京湾は自転車で一周できる」と言うことができるのだ。
いや、まさかそんな難しいことを考えながら走ったわけではないけど、今こうして思いを巡らせていると、そんな哲学的な思いが去来するのである。

さて当日、梅雨の間隙をぬって、ぼくは自宅を出た。
晴天ではないけど、梅雨の時期にしては上々のお出かけ日和である。まずは同行する同僚と待ちあわせる東京駅まで自転車を走らせる。この道は過去に何度か走ったことのある国道15号線である。追い風なんかもあって、普段よりもスピードを得て、予定よりも1時間も早く東京駅に着いてしまった。ちょっとコーヒーなぞ飲んだりした。
 
※東京駅に到着。コーヒーなぞ飲んでいたら駐車禁止を注意されちゃった。

同僚と合流し、まずはランチを食べようと千葉方面に向かう。
ルートとしては総武線や京成線と並走するような道なんだけど、京成線沿線の駅前はクルマが非常に渋滞していて、自転車でも走りにくくて辟易したわ。また日差しが強かったこともあって、何となくぼーっとしてきた感じになり、危うく熱中症になるところだった。幸い早めに気づいて食事したり水分補給したりしたけどね。
その後も渋滞が続いたりしたけど、これを超えると幕張、さらに進んでモノレールのレール下をくぐり、ついに千葉駅に至ることができた。
 
※自転車で初めて千葉に到達。千葉駅を目指す。

※千葉駅に到着〜!

千葉駅前で安くて美味しい海鮮丼の店で舌鼓を打ち、さらに自転車で走ってこの日の宿泊先である木更津を目指した。途中で今度は同僚の方に体調不良が起きたりしたけど、残り数キロを頑張って走破し、無事木更津に到着することができたのである。同僚としては東京から木更津の70キロのサイクリング自体がかなり過酷だったみたいで、かなりヘロヘロになっていた。
木更津のビジネスホテルで部屋に入り、同僚はぐったりしちゃったけど、ぼくはそのまま自転車で走り出す。体力的には限界ギリギリでできればこのまま休みたいところだったんだけど、実は木更津の海岸で見たい景色があったのだ。折しも夕暮れ前である。きっといい景色が見られるかもしれない。
 
※どこまでも続く工場地帯とふと現れる田園地帯。

※木更津駅に到着!

見たい景色とは海の上の電柱である。海上を等間隔に電柱が並んでいる景色があるのだ。なぜ海上に電柱が並んでいるかというと、その先にある小屋に電気を供給するためだそうで、なぜ海上に小屋があるかというと、どうも密漁対策らしい。木更津の海岸は干潟が広がっていて、昔からアサリとかハマグリがよく獲れるんだそうな。最近は潮干狩りで賑わったりするんだけど、ルールを守らないで大量に獲ってちゃうヤツもいるんだろうね。広大な干潟には数件の監視用の小屋が立っていて、それは満潮でも水没しないようにいわゆる上げ床式な小屋になっていて、これに向かって等間隔で電柱が並んでいるのである。海に電柱が並んでる景色なんてちょっと異世界な感じである。まるで竜宮城に続いてるようでイメージが膨らむ。
そんな景色を見ていると、遠くに対岸の影が見えた。千葉から東京湾の対岸を見るということは、つまり横浜である。霞んだシルエットには見慣れたみなとみらいの建物群をたしかに捉えることができた。霞む横浜の景色を見ると感慨深いものである。思えばこの日の朝はこの横浜からスタートしたわけだからね。
そんな夕陽をぼくはずっと見ていた。たまに海が無性に見たくなって出かけることがあって、その時には「あー体内の海成分が枯渇してきたわー」なんて言ってたけど、こうして長いこと海を見ていると、ホントに体内の海成分がじわじわと充填されているような気がしてくる。結局1時間以上もただただ海を見ていた。

※夕暮れの田園地帯をひとりゆく。

※東京湾の向こうに横浜みなとみらいが見える。
 
※海の上を続く電柱。

※キレイな夕陽が見れました。

さて、夜である。何を食べようか考えていたら、同じ部署の同僚から「これからアクアラインを通って木更津に向かう」と連絡があった。まあ2人で食べるよりも3人で食べた方が美味しいだろうということで、彼の到着を待ってから、寿司を食べに出かけた。
寿司はなかなかの美味だった。たまに沼津まで寿司を食べに出かけたりするけど、沼津の寿司と同じくらい美味しかった。これほど近くにこんな美味しい寿司があるなんて意外だったな。
舌鼓を打って満足した後は、近くの公園で歩行者用の巨大な橋を渡ることにした。この橋は向こうの干潟まで続いていて、つまり潮干狩りの観光客用の橋なんだけど、港からの巨大な船が下をくぐれるようにかなり高くなっていた。これがホントに高い。ぼくは最近どうも高所恐怖症になっちゃったようで、この橋の高さに目がくらんで全然進めなかった。いやホント、いい景色なら写真とか撮りたかったんだけど、お尻がピリピリ来ちゃって全然ダメだったわ。
クルマで来た同僚はその後帰っていき、ぼくも同僚もホテルで床に就いた。これで静かに夜が更けるのかと思ったら、ぼくの泊まった部屋の空調が壊れてたみたいで、夜中に部屋を変えてもらうなんてこともあったんだけどね。

さて翌日である。
ぼくはちょっと筋肉痛である。加えて長いことサドルに座り続けたので、お尻が痛い。これは同僚も同じで、筋肉痛とお尻の痛みに苦しんでいた。
この日は木更津から金谷に出て、東京湾フェリーで対岸の久里浜に渡り、その後鎌倉を目指して走る予定だった。ぼくは鎌倉からそのまま自宅に戻る予定だった。これでぼくの東京湾一周が完成するわけである。
しかし天候が怪しい。昨日のような日差しはなく、雲の隙間からほんのわずかに青空が覗くだけで、海の向こうの西の空には暗い雲が垂れ込めていた。これは早く出発しないといけない。少々の筋肉痛はいいとして、お尻が痛かった。普段から自転車に乗ってないと、2日連続のサイクリングはお尻に堪えるのである。
それでも途中で富津岬に立ち寄り、展望台に上ることができた。昨日発覚したぼくの高所恐怖症はここでも健在のようで、展望台の最上階までは結局上れなかった。それにしても、前日の橋といい、この日の展望台といい、どうも西側を見渡す施設が多いような気がする。東京や横浜をよく見たいという気持ちがあるのかね。こういう景色はさきこに見せたいなーと思う。
富津岬を後にしようとした時、ランニングの練習をしている集団があって、まだ朝の8時くらいなのに頑張るなーと思ってたら、視覚障害者とこれに伴走するランナーの集団だった。こうして視覚障害者がランニングの練習をしているのを見るのは初めてで、しかも何となく本格的な感じがしたので、思わず話しかけたところ、地元の愛好家でも近くに障害者施設があるわけでもなく、「日本代表です」とのこと。うわっ失礼しました。近くに合宿所があって、クルマが通らない早朝に練習するんだそうな。なるほどね。ちなみにこの日は20キロ走と30キロ走を1本ずつ、1キロ当たり4分半程度のペースで走るんだそうな。いやはやスゴいわ。
さて寄り道から復帰してさらに道を進む。この日は金谷まで40キロを走らないといけないし、船の時間を考えるとゆっくりもしていられなくて、お尻がサドルに馴染んできて痛みがだんだん和らいできたぼくは少しペースを上げて進むことにした。
そのおかげで3時間弱で40キロを走り、金谷港に到着することができた。同僚はさほど速く走るタイプではなかったけど、なかなか頑張った。とにかく早く家に帰りたかったみたい。

※富津岬の展望台。
 
※金谷港に到着。久里浜を目指す。

船に乗って久里浜を目指す。
ぼくが東京湾フェリーに乗るのは、これで2回目である。今回は東京、千葉とぐるっと回ってきてからの東京湾フェリーなので、何となく感慨深い。道中はずっと海風に当たっていた。
対岸の神奈川県は雲行きが一層怪しくなっていた。これはいつ降り出してもおかしくない感じである。だからここで考えないといけなかった。このまま鎌倉まで強行するか、久里浜駅で一旦解散ということにするか。
雲行きからすれば確実に降り出すので、早めに終了した方が良さそうである。雨の中のサイクリングはいろいろ危険も増すからだ。ここは残念だけど、切り上げるしかあるまいということで、久里浜駅に向かい、そこでサイクリングを終えた。前日は東京駅から70キロ強、この日は木更津から50キロ弱ということで、同僚とは110キロ程度のサイクリングになった。うん、彼はよく頑張ったと思う。
「日本語ワカリマセーン」とか言う外国人に「じゃ英語で言いますわ」と無理やり写真撮影を頼んで、記念写真を撮ってサイクリングを終了。同僚は自転車を分解して、電車に乗りこんでいった。彼的にはかなり厳しいサイクリングになったと思うけど、きっと絶対思い出に残るサイクリングになったと思う。このサイクリングのことは決して忘れないと思うし、だからきっとぼくのことも忘れないと思う・・・という思いを残し、彼と別れた。

※久里浜に到着。ここで同僚とのサイクリングは終了〜。

さて、ぼくのミッションには続きがある。雨が降ろうが雪になろうが東京湾を一周するというミッションである。久里浜駅で同僚と分かれたぼくは、再び自転車にまたがってペダルを踏み込んだ。鎌倉回りは危険もあるし、ぼくも早く帰りたいので、近道となる国道16号線に進路を取った。
国道16号線のサイクリングは過去に何度も経験しているので、ほとんど見知った道である。久里浜からほどなく横須賀に出て、その後さらに北上していく。問題はそろそろ空腹になってきたことである。途中の店に入ってランチを食べるという手もあるけど、きっと食事中に降り出すに違いない。雨の中を長い間走り続けるのは苦痛なので、できれば地元まで戻ってからランチにしたい。しかもお腹が何となく「カツカレー」を求めていた。どこでカツカレーを食べたものか・・・としばらく思案しながらペダルを回し続け、結局自宅への最短ルートを逸れて最寄りのターミナル駅に行くことにした。たしかここの駅ビルの地下にカレー屋さんがあるハズである。
道を折れると少し勾配のかかった長い上り坂になる。疲労困憊の大腿筋にはこれがかなり過酷な坂道だった。こんな坂道はいつもならギアも変えずに時速20キロオーバーで走っちゃうところ、ヨロヨロになりながら何とか上り切った。やはり疲労がスゴいんだろうな、

こうしてぼくは地元の駅に帰ってきた。前日にこの地元を北上したぼくは東京湾を一周してもう一度戻ってきたのである。
地図上では道は繋がっているように見える東京湾をぼくは実際に自分の足で巡ってきたのである。そうである、ぼくは東京湾がぐるっと一周できることをこの足で実証したのである。冒頭の懐疑主義の話しで言えば、ぼくは自分の足で走ってきたからこそ、「東京湾は自転車で一周できる」と断言できるのである。思わずマゼランの航海を想起した。世界はぐるっと一周できるとの強い思いを乗せ、マゼランは大西洋にこぎ出し、太平洋を発見した。彼は世界一周の目前で戦死しちゃったけど、彼の意志を継いだ仲間がインドに至り、そのままヨーロッパに戻ってきたのだ。彼らが見慣れた地元に戻ってきた時はどういう心境だったのだろう。その何百分の1、何万分の1くらいはぼくのこの思いと同じなんじゃないかと思う。小さなチャレンジだったけど、大きな達成感を得ることができた。
走行距離は210キロ。平均ペースは時速20キロくらい。ぼくにとってはなかなかのチャレンジサイクリングになった。そして同時にこてつ号と行く最後のチャレンジサイクリングになるだろう。こてつ号に感謝しつつ、しばしの達成感に浸るのだった。
| 日記 | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車屋は二度携帯電話を鳴らす?
一本の電話が晴天の霹靂になることがある。いやシャレにならないような電話はホント願い下げだけど、今回書く話しは、まあブログに書こうと思う程度には深刻じゃないにしても、とは言えやはりぼくにはショックな電話だった。
自転車屋さんからの電話である。
ぼくが4月に購入した自転車は、予定では6月下旬に納品となるハズだった。そうか、もしかしたら納品を知らせる電話かもしれない。意気揚々と電話に出てみると、しかし実はその正反対の内容だったのである。
納期が延期になったと言うのだ。
しかも2か月の延期、8月下旬の納品ということである。
これには絶句した。清水の舞台から飛び降りるつもりで買った自転車の納品を、ぼくはずっと待っていたのである。いやホント、指折り数えていたと言ってもいい。それが突然の納期延期で、しかも当初の納期から倍の8月下旬である。納品のお知らせだと思っていただけに、その落差はかなり大きかった。もう言葉も出ずに言われるままに頷いて電話を切るしかなかった。
いや、たった一本の電話で奈落の底に落とされるものである。いや、何度も言うけど、所詮ブログネタにできる程度の深刻さなわけで、世の中にはもっと大変なことを電話で告げられる場合もあるから茶化すつもりはない。でも、平穏な日常に唐突にドカンッと炸裂した爆弾はかなりのインパクトだった。

電話を切ってしばし落ち着く。冷静になって考えてみる。
なぜこんな事態になったのだろう。納期が遅れる理由とはなんだろうか。
メーカーの製造ラインで何らかの支障が出て、工程に遅れが生じたとも考えられる。発注が立て込んで製造スケジュールに狂いが生じたか、何らかの影響で部品や材料の供給に遅れが出たか。
いやどうだろう。その場合はそのように説明があっても良さそうである。たとえば材料の供給に支障を来たすような例で言うと、台風が来て物流が止まっちゃったとか円安のせいで外国からの輸入に制限がかかっちゃったとかさ。
でもよくよく考えてみると、そんなまどろっこしい理由よりももっとあり得そうな説明が見えてくる。つまり、手配ミスとか手配漏れである。
そもそもこういう納期って結果的には予定よりも早まる傾向にあるものだと思う。逆に言えば、発注の際には余裕をみて納期を伝えるものである。それが当初の製造期間である2か月いっぱいかかるばかりか、さらに延長して2か月かかるというのは、余裕をみて納期を通知する傾向とは正反対である。なんだかおかしい話しである。たとえば、最近まで発注がかかっておらず、または製造にかかっておらず、今から作り始めるとするとどうだろうか。余裕をみて製造期間を2か月と言わないだろうか。何らかの事情で作っていないのだ。製造ラインに乗っていないのだ。それは台風だとか円安だとかよりも無理のないストーリーに思えてしまう。
もしそうだとして、誰がミスや漏れを起こしたのだろうか。
まず怪しいのは、自転車屋さんである。ぼくから注文を受けたのに手配書をそのままにして今まで放置していたんじゃないか。
ただこれは後で明らかになったことだけど、今回の納期延期の話しは、自転車屋さんが6月下旬に入った先日、メーカーに具体的な納品日を確認したのが事の発端であり、これが正しいとすれば、自転車屋さんのミスではなさそうなのである。ちなみに発注の時点で「発注受付書」なる文書がメーカーから送られてきて、その日付も確認できるそうで、ここまで言われればあながちウソをついているようには見えない。つまり自転車屋さんはちゃんと発注をかけていた、というわけである。
そうなると、原因はメーカーか。手配書を受け付けたのに製造ラインに乗せなかったんじゃないか。いや、ちゃんとしたメーカーであれば、製造ラインに乗せ忘れるなんてことは絶対にあり得ないと思うけどね。それにしても理由がちゃんと分からないと疑惑の暗雲は晴れないままである。
そんなわけで、原因を探る意味でも、自転車屋さんにはこういうお願いをすることにした。
ひとつ目は、まず何よりメーカーがなぜ納期延期を通知してきたか、である。台風なのか円安なのか、はたまた製造ラインに乗せ忘れてたか。
ふたつ目は、自転車屋さんがちゃんと発注をしていたか、である。これは先に書いたように発注の証拠があるはずだから分かりやすい。たとえば注文書や注文請書である。それなりの大枚を叩いているので、発注のエビデンスくらいは残ってるだろう。
時間が経って少し落ち着いてきたぼくは、再び電話を取って自転車屋さんに電話をかけ、このことをお願いした。
しかし、まさに「自転車屋は2度携帯を鳴らす」である。2時間ほどしたら自転車屋さんから電話がかかってきたのだ。
しかもこれも驚天動地な内容である。曰く「納期を確認したら、再度修正があり、7月上旬ということになりました」とのこと。
おいおい、当初6月下旬だったのが、2か月も伸びて8月下旬になったわけで、これがどういう展開で7月上旬まで、なんと1カ月半も短縮されるのか。当初から比較すれば、結局納期が2週間伸びただけである。6月下旬も7月上旬も梅雨の真っ最中なので、どっちにしても自転車には乗れないので、まったく問題ない。延期されたこの2週間はさほどの損失ではなさそうである。ちなみにこの時にはメーカーから遅れる理由の説明はなかったようである。うん、ますます怪しくなる。
発注のエビデンスについては、どうも開示できる文書がありそうである。話しっぷりからすると、偽造とかではなくてちゃんとした文書っぽいから、自転車屋さんの発注ミスという線は弱くなったかもしれないな。

それにしても、メーカーはなぜ納期を再度変えてきたのかが謎である。
自転車屋さんはちゃんと発注していたとすると、やはりメーカー側のミスかもしれない。納期が不当に長くなることで発注者(=ぼく)に大騒ぎされないように製造ライン内で日程を調整して、最短の製造日数を調整したんじゃないか。2週間程度の遅延なら、どんな理由でもまあそれなりに理屈付けできそうだからな。うん、これ以上は知りようがないけど、きっとまあそういうことだろうな。

ちなみに、さらにその後分かったことだけど、自転車屋さんの発注のエビデンスは一部を隠す形で、別途メールでいただくことになった。またメーカーの遅延理由も確認できたようで、曰く「海外で組み立てたフレームを国内で塗装する際に、塗装工程で業務が立て込んでしまった」ということらしい。あれ?あのメーカーはフレームも国内で仕上げていたと思ってたけどな。

そういうわけで、楽しみみしていた自転車がぼくの手元に来るのはちょっと先の話しになるようである。納期は7月上旬ってことになったけど、ちょっとしたカスタマイズもするのでさらに2週間くらい追加されるんだけどね。これも織り込み済みで、結局のところ梅雨明けから本格的にサイクリングができそうである。
このまま何事もなく納品まで辿り着いてくれるといいけどな。また唐突に電話が鳴らないことを祈るばかりである。
| 自転車日記 | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0)
シジミ汁を求めて。
昨日書いたとおり出張に来ている。島根県松江市である。隣町の米子市にも事業所があって3月に来てるけど、松江に来るのは去年の9月以来だろうか。
さて、今回は会社の用事であり、上司も同僚も同行していることもあって、自転車を持ち込んで「空き時間にサイクリング」なんてことはできず、折からの雨模様ということもあってランニングもせず、明日からの長距離サイクリングに備えるばかりなんだけど、今回の出張は退職する同僚の引き継ぎやら何やらがメインなので、ぼくの仕事としての出張の重要性は実はさほど高くないのだ。とは言え、先に書いたとおり、自転車を持ち込んで遊ぶわけにもいかず、こうして朝からファミレスでパソコンをカチャカチャやっているわけである。
さて

さて、そんなぼくが今回の出張をココロの隅で楽しみにしていた理由が、「ホテルの朝バイキングでシジミ汁が飲めること」である。
「楽しみにしていた理由」と書き、「楽しみにしていた最大の理由」とか「楽しみしていた理由のひとつ」などと他に楽しみがあるかのような書き方を一切せず、「これだけが楽しみの理由です」といった書き方をしているけど、まさにこのシジミ汁の一点が今回の出張の唯一の楽しみであった。そのくらいシジミ汁が好きである。
シジミの名産地の松江でシジミ汁を飲むのを楽しみにしているという書き方をすると、ぼくの地元では絶対食べられない名産地ならではの料理とか新鮮さがあるかのようだけど、まったくそんなことはない。ホテルの朝バイキングというと、ホテルのレストランの入り口でトレーを手にして、サラダとか焼き魚とかベーコンエッグとかを自分でお皿に盛りつけるというビジネスホテルとしては一般的なスタイルである。味噌汁は大きな寸胴に入っていて、適度に保温されている。これもどこの朝バイキングでも見かける味噌汁である。さすがにシジミの産地である松江だから、シジミの味噌汁が非常に美味しいのだけど、特筆すべきは味はもとよりその量である。
先に書いたように、味噌汁は寸胴に入れられ、朝食の時間ずっと保温され続けている。だからかどうか分からないけど、味噌汁としてちょっと煮詰まった感じなのだ。それで煮詰まるとどうなるか。シジミの身が殻から分離してしまうのだ。そして寸胴の中で重い殻が下に沈殿し、その上にシジミの身が重なるようになる。そんな味噌汁をシジミの層だけオタマですくい上げるとどうなるか、もはや想像に難くない。
寸胴の蓋を開けると湯気と共に立ち上るシジミ汁特有の香り、煮詰まった感じの味噌汁をオタマで少しかき混ぜるようにして、オタマをシジミの殻に当たるカチカチという音がしない絶妙な深さに差し込み、そしてすくい上げるのだ。浮上してくるのは、オタマに山盛りになったシジミの身である。身だけ、である。これはスゴい光景である。
お椀に移すと、もはや味噌汁というよりも具だくさんな豚汁やお雑煮のような風情である。あるいはシジミによるお茶漬けのような感じか。
これをかき込むようにして食べるのだ。口の中がシジミでいっぱいになる。殻を外して一つずつチマチマ食べるシジミ汁とはもはや別の食べ物である。これぞシジミの名産地に来た証だと実感する瞬間である。
以前松江に出張に来た時にそんなシジミ汁に出会って、ぼくは驚愕と共にとても感動した。この一点だけで松江に来る価値があるとさえ思った。
だからぼくは今回の出張を楽しみにしていたし、同行する上司や同僚とは別の、以前の出張でシジミ汁を食べた経験のあるホテルをわざわざ予約したのだ。シジミ汁を食べるために。

しかし、である。
そうである、ぼくはここで「しかし」と書くことになるのだ。
これはちょっと悲劇である。シジミ汁を食べられなかった思いを昇華するためにこうしてブログを書いているわけだけど、ぼくがどれほど楽しみにしていたかとか、松江のシジミ汁が、それこそごく普通のビジネスホテルのシジミ汁でさえ強烈な印象を与えることとかを詳細に書かなければいけないぼくの哀しい心情が行間から滲み出ているだろうか。食べられなかったシジミ汁の魅力をリアルに説明すればするほど、シジミ汁への渇望がより鮮明になるこの悲劇。
これから始まる出張業務などもはやどうでもいい。
あのシジミ汁が食べたい。

結論から言うと、実際はホテルの朝バイキングにシジミ汁は出てきた。そりゃごく一般的なビジネスホテルの朝バイキングである。焼き魚や納豆やパンやサラダなどに並んで味噌汁を入れたあの寸胴も置いてあったのだ。寸胴を置いているテーブルには「松江の獲れたてシジミをご堪能ください」の文字があり、そこでぼくはもう勝利を確信したというか、逆にここでがっつくのはみっともないとか大人の変な余裕すら見せていた。しかし、寸胴に入っていたものは、ぼくの希求する味噌汁ではなかった。
お吸い物だった。
お・・・お吸い物?シジミのお吸い物?
名産地だからって手が込み過ぎている。そういうつもりなのか。「お?シジミのお吸い物か、珍しいなー」とぼくが言うと思ったか。
勝利目前で連打を浴びたピッチャーのような心境、いや、長いこと「待て」を命じられ、やっと「ヨシ」が出て食べようと思ったらエサを取り上げられたイヌのような心境か。
もはや何も言うべくもない。ぼくの出張はこの時点で終了した。そして早くも次の出張を画策している。どうにかして、また松江に来ないといけない。出張とは現地でしかできない仕事があってやむを得ず現地に赴くものだけど、もはやそうではない。再び出張するためになんとか現地でしかできない仕事を作り出そうとしているのだ(いや危ない危ない)。

そんなわけで、今回のぼくの出張は終了である。次に来た時にぼくはあのシジミ汁に出会えるだろうか。そもそも出張の機会は巡ってくるのだろうか。宍道湖の湖畔では今日も小雨の中、シジミ漁の小船が複数浮かんでいる。
| 日記 | 08:35 | comments(0) | trackbacks(0)
葛藤サイクリング。
先日のブログにも書いたけど、今月末に退職する同僚との思い出作り(?)のために今週末はサイクリングに行く予定である・・・が、やはり不安が尽きない。
何より梅雨の時期である。いつ雨が降るかも分からないのだ。天気予報は曇ってことに一応なってるけど、直上の梅雨前線の下、どんな風に天候が変化するか分からない。それでもポツポツ降る程度なら強行しようと思っていたんだけど、最近の梅雨はしとしと降るというよりも豪雨になる傾向が多く、時に大災害になるほどの降雨量を記録することがあるのだ。この不安をさらに大きくしているのが昨日の天候である。昨日の天気予報は終日「曇り」だった。3時間ごとの天気予報を見ても、雲マークがずらっと並んでいたのだ。しかし日中に雨が降った。通り雨のような感じでザーッと強い雨が降ったのだ。ぼくはランチのために近くのコーヒー屋に向かっていたんだけど、その時は傘を差さなくても差し支えない程度にポツポツしていた程度だったのに、コーヒー屋でゆっくりしている間に雨音が激しく地面を打つ音が聞こえてきた。雨に視界が煙るほどの豪雨だった。局地的に気温が上昇したり、湿った空気が入りやすくなったりと条件が揃ってしまうと局地的に豪雨になってしまうのだ。実際、目の前のスゴい雨をさきこに報告したら、「え?品川では降ってないけど?」などと返信があった。ホントに5キロ範囲程度の局地的な豪雨だったみたい。
そんな豪雨の中をサイクリングできるだろうか。雨の中はブレーキが効きにくいし、自転車も自動車も視界も悪くなって危険である。それをぼくだけでなく、サイクリング初心者の同僚を連れて70キロを走るのはどうだろう。
また天気以外にも不安なことがある。
ぼくの体力である。
最近はまあ暑くなってきたこともあって、ランニングの練習をサボり気味でただでさえ基礎体力が低下している状況だけど、さらにぼくの基礎体力を削ぐような状況になっている。直前の木曜日から金曜日にかけて出張が決まったのである。これも同僚が退職することにより、遠隔地の拠点との最終的な引き継ぎにぼくが付き合うことになったからなんだけど、デスクワークな日常のぼくにはちょっとした出張でも疲労の原因である。実際、このブログは羽田空港で飛行機の搭乗を待っている間に書いているわけだけど、6:55発の飛行機に乗るのに4時起きである。明日もなんだかんだで疲れると思う。この状態で週末も4時起きでサイクリングなんてできるだろうか。
とは言え、天気はどうなるか分からないし、出張で疲労するかどうかも分からない。不安要素はあるけど、絶対無理な話しではないのだ。
そういう場合はホントに判断に悩む。
「サイクリングは止めようか」とぼくが言えば、同僚は文句も言わずに同意してくれるだろう。退職していく同僚にぼくがどう思い出作りをしたところでどうにかなるものでもない。サイクリングの意味なんて考えてもしょうがないけど、こういう状況の時は少々悩んでしまうのである。
そんなわけで、以前は意気揚々とサイクリングについて語ったぼくだけど、羽田空港の搭乗待ちをして窓の外のどんよりした景色を見ていると、気持ちも少しどんよりしてくるのである。
そうだ、早く雲の上に行っちゃえばいいのだ。
| 日記 | 06:40 | comments(0) | trackbacks(0)
ガンダムに首ったけ。
ぼくもまあ、人並み程度にはガンダム好きである。
小学生の頃だったかにいわゆる「ファースト・ガンダム」を観て、その7年後に「Zガンダム」を観た世代である。「ZZ」は途中で挫折して観てないし、その後の続々と出た続編やらOVAはほとんど観ていない。子供の頃に某アニメ誌に「いわゆるロボットアニメの歴史で、正義のヒーローではなく、戦争というロボットを登場させる必然性に説得力を持たせた最初のアニメ」と評されていたのを読んで、他のロボットアニメはまったく興味が湧かないのに、ガンダムだけはどうしても観てしまう理由が分かったような気がした。
※ちなみに戦争以外で「ロボットが登場する必然性に説得力を持たせた例」として、「機動警察パトレイバー」がある。アニメなんかはあまり観ないけど(いやテレビ版ではなく劇場版は観たわ)、単行本を全巻持ってるくらい好きである。

ガンダムは好きだけど、前述のとおり全部を観ているわけではないので、ファースト・ガンダムから綿々と続く「歴史」には若干疎いところがある。特に「Zガンダム」は、なんていうか子供にはよく分からない部分が多くて、そもそも正義の味方とか悪の組織とかそういう括りで構成されていない上に、変な組織が後から続々と出てきて、ニンゲン関係が複雑に絡み合い、勢力図を見ないと状況がよく分からず、楽しんでアニメを見る気分じゃなくなってきて、そういうこともあって半ば放り投げる形で続編とかOVAとかを観てこなかった。
そんなぼくが「機動戦士ガンダム・ユニコーン」を観た。もう結構前に映画として公開されたものだけど、それが某有料動画サイトに配信されていたのだ。
一発でトリコになってしまった。
その理由はやはりストーリー性だろう。続編やOVAでいろいろとストーリーを広げてきたけど、原点回帰として、かつ「ファースト・ガンダム」のオマージュ的な部分も随所に盛り込みつつ、ガンダムの世界の続きが描かれている。しかも、その歴史に矛盾を生じさせないどころか、歴史の最初に回帰して、その始まりの矛盾までも解決してしまうのである。つまり、「ファースト・ガンダム」でなぜ戦争が始まったのか、なぜ争い続けることになるのかという問題を鮮やかに解決しているのである。いろいろ魅力はあるけど、ぼくはただこの1点だけでこの作品の魅力を語り尽せていると思う。
「ファースト・ガンダム」が放送されたのは、1979年のことである。今から34年も前のことである。しかもその後「Z」や「ZZ」がテレビ放送され、さらに外伝的な歴史や続編的な歴史が紡がれてきた。極端に言えば、その作品ひとつひとつに都合のいい歴史がそれぞれ場当たり的に作られてきたと言えなくもない。しかし、これらの歴史の流れをドラマティックに解決して、さらにエンタテイメントとしてストーリーを面白くしているのだ。まさに「話しは最初に回帰する」という流れである。これは見事である。
ぼくはそういうストーリー展開を他で見たことがない。かなり秀逸な展開である。
まあその他にも魅力はあって、そのそれぞれにぼくはココロ打たれているわけだけどね。

そんなわけで、最近はガンダム・ユニコーンに首ったけである。
あまりにも首ったけ過ぎてさきこに引かれてしまいそうだけど(彼女はまったくガンダムを知らないからね)、まあ自分の部屋でこそこそ楽しむ程度にはしばらく続きそうな感じである。まさかプラモデルを買ったりするような方向には展開しないと思うけどね(今のところ)。
| 日記 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0)
思い出サイクリング。
会社の同僚が今月末で退職する。びっくりした。
彼はぼくが今の会社に入社した1年後くらいに入社して、同じ部門で担当はまったく異なるものの、ずっと同じ場所で働いてきた。そんな彼が突如退職するのである。既に退職届は受理されて、部門内でも内々にその後の体制を整えていて、ぼくが知ったのは既に何もかもが決定した先月半ばである。社内でウワサになるよりもはるか前に知ることになったとは言え、ぼくの感想は「言うのが遅すぎる!」だった。そりゃそうだ。長いこと一緒に仕事してるのに、辞めようかと悩んでる時も、辞める決心をした時も、それが受理されてこれから会社がいろいろ対応しようというその時も、そのことを告げるわけでもなく一切顔にも出さないで過ごしていたわけだから、この長い付き合いは何だったんだ?!もっと早く言え!と言いたくもなる。とは言うものの、「実は妻が妊娠してて、来週出産なんです」などと、この時ついでのように報告されたことを考えると、仕事場に家庭のことを一切持ち込まないポリシーを持ってるのかもしれないね。そういや結婚する時も、その時までまったく知らされず、その事実を知ったのは提出された「結婚報告書」だったという珍事(?)もあるから、もはやプライベートのことを頑なに1ミリも漏らしたくない人なんだろうな。まあもう辞めちゃう人なので、今さら何を言ってもしょうがないと思うけど。
しかし、ぼくが納得できない。
プライベートを話さないポリシーなのは理解できるとしても、会社を辞めちゃうような大事件をずっと黙っていたことに、ぼくは1ミリも納得していない。どういう理由なのか、何に不満があったのか、いやそもそも真実はどうでもいいのだ。ぼくが納得したいだけなのだ。
そんなわけで、強制的に付き合ってもらうことにした。
飲み会ではない。いやそもそも彼は酒を飲めない。飲み屋でぶっちゃけトークしても、真実はおろか、たとえ嘘でもぼくが納得できるような話しは聞けないだろう。ならばどうするか。
サイクリングである。
そうである、彼は会社の自転車部の部員なのである。送別会としては、飲み会よりもサイクリングだろう。
そして同僚に突如退職されてしまう不安、そのことを一切相談されなかった寂しさと怒り、そして何よりこれからも会社で仕事を続けていくぼくのモチベーションのために、ここはひとつ、ガッツリとしたサイクリングに同行していただく。ユルユルのサイクリングではない。彼にとってはちょっとキツめのサイクリングである。適度なキツさとリカバリーのしやすさ、当然泊りがけである。そうだ、いいコースがある。
東京湾一周である。
東京駅を出て千葉方面に向かい、袖ケ浦辺りで宿泊して、翌日は内房を南下、金谷港から久里浜に渡り、鎌倉で終わる。まあ厳密な一周には50キロほど不足しているけど、2日合わせて160キロは彼にとっては少々キツいコースだろう。ここで得られる適度な疲労感と達成感は、新しい道を踏み出す彼にとってはそれなりに意義のあるものになると思う。それに彼が東京湾を回ったことをずっと覚えていて欲しいという意味もある。天気予報などで関東圏の地図を目にするたびに、ぼくとのサイクリングを思い出してくれるだろう。そんな乙女チックな思いも込めつつ、行ってこようと思う。
ちなみにぼくは、自宅から東京駅に向かい、鎌倉でフィニッシュした後もそのまま自宅に戻ろうと思うので、ぼくにとっては以前からやりたかった東京湾一周が完全な形で達成できることになる。
問題は天気だろう。
梅雨真っ最中の季節に2日ともサイクリング日和になる可能性は高いとは言えない。でもいいのだ。多少の雨でも走るのだ。ここは思い出作りがメインである。危険でない程度に何らかのハプニングがあった方が楽しかったりする。強い雨なら中止だけど、小雨なら強行する覚悟である。
恐らくぼくの愛車・こてつ号最後のロングライドはこのサイクリングになるだろう。
楽しいサイクリング、思い出に残るサイクリング、そして何よりぼくのココロの安定剤的なサイクリングである。さてさてどうなるか。
| 自転車日記 | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0)
灼熱ランニング。
週末は会社のランニング仲間と駅伝イベントに参加してきた。
陽気はもはや真夏というか、まだ風は涼しいものの、太陽はやる気満々で、灼熱下のランニングになった。走行距離は5キロ×4名の20キロなんだけど、この時期の5キロはホントにキツいわ。しかも一緒に参加する他のチームの走力を見くびっていたところもあって、なんだか結局あまりカッコいいところは見せられなかったというか、個人的には残念な結果になった。それでも5キロを27分で走ったんだけどね。
チーム的には最終走者がとても頑張ってくれたので、追い上げがスゴくて、結果的には仲間内で2位を獲得した。当初は負けたチームは罰ゲームなんて話しもあったけど、いつも間にかうやむやになって、まあそれでもランニングに罰ゲームは相応しくないと思うから、それはそれで良かったんだけど、事前の意気込みが全然結果に反映されないというモヤモヤの残るランニングになった。

荒川は風が強いな。さきこが過去に走ったことがあるけど、その時も風が強いことを言っていた。追い風のつもりで走っていたらいつの間にか強い向かい風になっていたなんて感じで、気温も高かったので思うように走れなかった・・・ってまあ、言い訳だけどね。

それにしても、いつになっても肥満ランナーの走り方なぼくを思うにつけ、なんだか走ることに辟易してきた感じがするのである。

※チームのメンバーに撮ってもらった写真。うーん、全然イケてない・・・。
| Be RUNNER! | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0)
秋のランニング計画。
先日の富士裾野高原マラソンで、ドロドロになりながらハーフマラソンを完走?し、去年の秋から始まったランニングシーズンがこれでひと区切りになった。これからの夏場は、たまに夜のランニング練習をしつつ、日中はほとんどランニングができない日々が続く。梅雨が明ければランニングよりもサイクリングに注力されるだろう。
しかし、秋以降のランニングイベントは既にその参加受付が始まっているものもあり、実はこの時期にうかうかしていると、参加したいと思ってたランニングイベントを取りこぼすなんてことになりかねない。ネットの情報にも随時気を遣わないといけないのだ。
そんな折、平年は11月開催だった湘南国際マラソンが今年は12月開催ということで、先日エントリー受付があった。この大会は、さきこが数年前に最初の手術を受ける直前に走り、結果として完走できなかった大会である。ぼくがよく使う表現で言えば「魂を置いてきた大会」であり、あれから数年、2回の手術を経てそろそろフルマラソンも走れるだろうということで、今回久し振りにエントリーしようと思ったのである。
しかし、「先着順」だとは思わなかった。つまり早い者勝ちで参加者が決まるのである。
人気のある大会だと応募者が多くなるし、混乱を避けるためにも、抽選が実施されることが多いので、てっきり湘南国際マラソンも抽選だと思ってたよ。マラソンを走る前にも、パソコンの前で熾烈な競争があるってのもどうかと思うけどね。
そんなわけで、残念、湘南国際マラソンは走れないというわけである。
フルマラソンとしては、2月開催の横浜マラソンと3月開催の横浜マラソンが残ってるけど、どちらの抽選も倍率が高いので走れるか分からない。この2つも落選して、まごまごしているうちに今年もフルマラソンが1回も走れないなんてことになるかもしれない。

そんなことを思っていた矢先、あるメールが届いた。
件名には「金沢マラソン2015抽選結果のお知らせ」とある。
そうか、11月に開催される金沢マラソンに応募していたわ。たしかこれが初回、第一回となるハズである。これに当選すれば、今年の秋にフルマラソンを走ることができるなーとぼんやり思いつつ、メールを何気なく開いてみた。
本文にはこの2文字が表示されていた。
「当選」
・・・ん?なんだ、当たっちゃったのか?
たぶん「落選」と書いてあっても最初の反応はこんな感じだっただろうと思うくらい感慨のカケラもなかった。しかし、次第にじわじわとこみ上げてきた。そっか、当選したか、フルマラソンを走れるわ。しかも第一回の金沢マラソンである。そうだ、金沢と言えば、日本有数の観光地である。その街で開催される第一回のマラソン大会。まるで、観光地・横浜で開催された第一回横浜マラソンのようではないか。いや、まさに横浜マラソンと同じである。つまり、金沢マラソンに当選したということは、横浜マラソンに当選したと同じなのである。横浜マラソンを走れなかったぼくが、その代わり金沢マラソンを走るというわけである。うん、これはスゴい。これはいい大会に当選したものである。そうだ、これはいいことだ、やったー!
気を落ち着けてからさきこに連絡してみると、さきこは落選しちゃったようである。残念・・・。まあ以前から金沢旅行に行きたいと言っていたので、ここは応援していただきつつこの機会に金沢旅行も兼ねて行ってこよう。
初めての大会でどんな展開になるか分からないけど、ちょっとウキウキするわ。
秋のフルマラソンは、湘南国際マラソンのエントリーを取りこぼしてしまったけど、その代わりに金沢マラソンを走ることができるという意味で、結果オーライな展開になった。
さてそうなると、ぼくの秋のランニングの目標は当面、金沢マラソンということになる。11月のフルマラソンのためには、夏場の走り込みが非常に重要である。「夏は暑いので、ランニングよりもサイクリング」などと呑気なことを言ってる場合ではないのである。自己ベストを記録した過去の湘南国際マラソンでは、夏の炎天下に鎌倉まで往復35キロくらいを走ったりした。本番前はかなり走力を作り込んでいた。今回は変な誘惑に負けないでストイックに練習を積み重ねられるだろうか。
まだ梅雨にも入っていない中、ぼくの夏は既に始まった。ぼくの「試される夏」は果たしてどうなるかな。

※当選のお知らせ(抜粋)。こういう知らせというのは嬉しいものである。
| Be RUNNER! | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0)
地震、再び。

週末の夜、小笠原を震源とする日本の広い範囲で大きな地震があった。先週の月曜日に続く身体に感じる大きな地震である。小笠原は震度5強で、地殻を伝って地震波が伝わった関係か、神奈川西部でも震度5強の大きな揺れになった。ぼくとさきこはちょうど駅ビルの上層階で買い物の途中だったんだけど、陳列された商品や照明なんかが激しく揺れていたな。
慌てて地震情報を収集した。時間が経つにつれて情報がより詳細になり、結果として日本中が揺れるという大きな地震だったことが分かった。震源が深かったために大きな揺れにもならなかったし、津波も発生しなかったということだろう。
ぼくがいた場所は、家電販売店だったんだけど、揺れた瞬間に柱の周辺に身を寄せ、そこがちょうとiPhoneグッズなんかが置いてある場所で、「良かった、これだけiPhoneがあればバッテリーを気にしなくて良さそうだわ」などと訳の分からない安堵を覚えていた。恐らく、ぼくが大震災による建物崩壊に巻き込まれ生き埋めになって、それでも奇跡的にかすり傷程度で済み、しかも奇跡的に多少身体が動かせる状況で、そんな時に助けを呼ぶためにiPhoneのバッテリーが近くにあると便利だわとか思ったわけである。考えてみれば、生き埋めなのにかすり傷で身体が動かせてしかもバッテリーが切れそうなiPhoneのためにiPhoneグッズが近くにあるってどういう状況だよと思うわ。動転してると何を考えるか分からんね。その後も「余震に備えてメシを食べに行こう!」などと言って、ご飯を食べに行っちゃったからね。動転してたわ。
それにしても、来たるべき大震災へのカウントダウンがまた進んじゃったような感じである。不穏な雰囲気が増長している。
不穏な雰囲気と言えば、今回の地震に先立って、口永良部島(くちのえらぶじま)では、大きな噴火的爆発があった。水蒸気爆発だそうな。高く上った黒い噴煙は、去年の御嶽山の噴火を想起させる。
噴火と地震、ぼくたちの知らないところで、ゆっくりと静かに澱が積もっていくような不気味さがある。ぼくはその不気味さに翻弄されるばかりである。
朝起きるとふと「今日も無事に起床できた」と思う。夜中に地震がなくて良かったわと思うのだ。もし地震があってその直後に何らかの理由で即死しなくて済んだなら、ぼくは目の前の地震に正面から向き合わないといけない。それまでの生活を一変させる重大な緊急事態を前に、その瞬間から数か月から数年、いや数十年にわたって対峙していかないといけないのだ。その覚悟がぼくにはまだない。ベッドの近くに防災グッズとか着替えとか置いておくかな。
そんなわけで、不安の澱が不気味に積もる夜がまた来る。今度も夜がちゃんと明けてくれるのを願うばかりである。
| 日記 | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< June 2015 >>
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
アクセス解析
 

現在の閲覧者数:
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE