2015.06.27 Saturday
東京湾一周サイクリング。
年に1回は自分の可能性に挑戦してみようという「チャレンジサイクリング」について、今年は新しく購入した自転車と共に伊豆一周サイクリングに行こうと思っていたけどこれを変更して、新車ではなく10年近い相棒・こてつ号で東京湾を一周することにした。今回は思い出作りがテーマである。こてつ号で泊りがけのロングライドをするのは今回が最後だろうし、このサイクリングに同行する同僚は10年間も同じ会社でぼくと付き合ってきた戦友であり、その前途を祝しつつ、思い出作りのサイクリングに出ることにしたのである。
ぼくは今までいろいろなところにサイクリングに行ってきたけど、今回はどうも哲学的なことをいろいろ考えてしまう。
東京湾が自転車で一周できることは、こうして書くまでもない周知の事実である。いくつかの道路がぐるっと東京湾を巡っているのが地図を見れば分かるし、千葉県の金谷から東京湾フェリーに乗れば神奈川県・久里浜に到達することも周知の事実である。そのことを知っていれば、東京湾が自動車だろうが、自転車だろうが、徒歩でさえ一周できるのは疑う余地のないのだ。しかし、今回はちょっと哲学っぽく考えてみたのだ。
懐疑主義的な立場によれば、世の中の神羅万象がその存在を実証できないという考えに立つ。新聞に書いてあることもテレビで言っていることも事実である可能性と同じだけ幻想である可能性も否定できないのである。実際に自分の目で見て体験しないことには、事実を真実とは言えない。いや、見たり体験したことでさえ、脳みそがそのように作り上げた幻想に過ぎないかもしれない。そうすると、この世に確かなことは存在しないのか?という問いに行き当たり、そこで初めて「このように思索する自分自身は、たしかにそこに存在している」との結論に至り、有名な「我思う故に我あり」の言葉が生まれるのである。
今回の東京湾一周も同じである。
地図に書かれている東京湾を巡る道が本当に存在するのかをぼくは証明することができないのだ。ぼくが自分の足でこの道を走り、本当に自宅に戻って来られれば、ぼくは確信をもって「東京湾は自転車で一周できる」と言うことができるのだ。
いや、まさかそんな難しいことを考えながら走ったわけではないけど、今こうして思いを巡らせていると、そんな哲学的な思いが去来するのである。
さて当日、梅雨の間隙をぬって、ぼくは自宅を出た。
晴天ではないけど、梅雨の時期にしては上々のお出かけ日和である。まずは同行する同僚と待ちあわせる東京駅まで自転車を走らせる。この道は過去に何度か走ったことのある国道15号線である。追い風なんかもあって、普段よりもスピードを得て、予定よりも1時間も早く東京駅に着いてしまった。ちょっとコーヒーなぞ飲んだりした。
※東京駅に到着。コーヒーなぞ飲んでいたら駐車禁止を注意されちゃった。
同僚と合流し、まずはランチを食べようと千葉方面に向かう。
ルートとしては総武線や京成線と並走するような道なんだけど、京成線沿線の駅前はクルマが非常に渋滞していて、自転車でも走りにくくて辟易したわ。また日差しが強かったこともあって、何となくぼーっとしてきた感じになり、危うく熱中症になるところだった。幸い早めに気づいて食事したり水分補給したりしたけどね。
その後も渋滞が続いたりしたけど、これを超えると幕張、さらに進んでモノレールのレール下をくぐり、ついに千葉駅に至ることができた。
※自転車で初めて千葉に到達。千葉駅を目指す。
※千葉駅に到着〜!
千葉駅前で安くて美味しい海鮮丼の店で舌鼓を打ち、さらに自転車で走ってこの日の宿泊先である木更津を目指した。途中で今度は同僚の方に体調不良が起きたりしたけど、残り数キロを頑張って走破し、無事木更津に到着することができたのである。同僚としては東京から木更津の70キロのサイクリング自体がかなり過酷だったみたいで、かなりヘロヘロになっていた。
木更津のビジネスホテルで部屋に入り、同僚はぐったりしちゃったけど、ぼくはそのまま自転車で走り出す。体力的には限界ギリギリでできればこのまま休みたいところだったんだけど、実は木更津の海岸で見たい景色があったのだ。折しも夕暮れ前である。きっといい景色が見られるかもしれない。
※どこまでも続く工場地帯とふと現れる田園地帯。
※木更津駅に到着!
見たい景色とは海の上の電柱である。海上を等間隔に電柱が並んでいる景色があるのだ。なぜ海上に電柱が並んでいるかというと、その先にある小屋に電気を供給するためだそうで、なぜ海上に小屋があるかというと、どうも密漁対策らしい。木更津の海岸は干潟が広がっていて、昔からアサリとかハマグリがよく獲れるんだそうな。最近は潮干狩りで賑わったりするんだけど、ルールを守らないで大量に獲ってちゃうヤツもいるんだろうね。広大な干潟には数件の監視用の小屋が立っていて、それは満潮でも水没しないようにいわゆる上げ床式な小屋になっていて、これに向かって等間隔で電柱が並んでいるのである。海に電柱が並んでる景色なんてちょっと異世界な感じである。まるで竜宮城に続いてるようでイメージが膨らむ。
そんな景色を見ていると、遠くに対岸の影が見えた。千葉から東京湾の対岸を見るということは、つまり横浜である。霞んだシルエットには見慣れたみなとみらいの建物群をたしかに捉えることができた。霞む横浜の景色を見ると感慨深いものである。思えばこの日の朝はこの横浜からスタートしたわけだからね。
そんな夕陽をぼくはずっと見ていた。たまに海が無性に見たくなって出かけることがあって、その時には「あー体内の海成分が枯渇してきたわー」なんて言ってたけど、こうして長いこと海を見ていると、ホントに体内の海成分がじわじわと充填されているような気がしてくる。結局1時間以上もただただ海を見ていた。
※夕暮れの田園地帯をひとりゆく。
※東京湾の向こうに横浜みなとみらいが見える。
※海の上を続く電柱。
※キレイな夕陽が見れました。
さて、夜である。何を食べようか考えていたら、同じ部署の同僚から「これからアクアラインを通って木更津に向かう」と連絡があった。まあ2人で食べるよりも3人で食べた方が美味しいだろうということで、彼の到着を待ってから、寿司を食べに出かけた。
寿司はなかなかの美味だった。たまに沼津まで寿司を食べに出かけたりするけど、沼津の寿司と同じくらい美味しかった。これほど近くにこんな美味しい寿司があるなんて意外だったな。
舌鼓を打って満足した後は、近くの公園で歩行者用の巨大な橋を渡ることにした。この橋は向こうの干潟まで続いていて、つまり潮干狩りの観光客用の橋なんだけど、港からの巨大な船が下をくぐれるようにかなり高くなっていた。これがホントに高い。ぼくは最近どうも高所恐怖症になっちゃったようで、この橋の高さに目がくらんで全然進めなかった。いやホント、いい景色なら写真とか撮りたかったんだけど、お尻がピリピリ来ちゃって全然ダメだったわ。
クルマで来た同僚はその後帰っていき、ぼくも同僚もホテルで床に就いた。これで静かに夜が更けるのかと思ったら、ぼくの泊まった部屋の空調が壊れてたみたいで、夜中に部屋を変えてもらうなんてこともあったんだけどね。
さて翌日である。
ぼくはちょっと筋肉痛である。加えて長いことサドルに座り続けたので、お尻が痛い。これは同僚も同じで、筋肉痛とお尻の痛みに苦しんでいた。
この日は木更津から金谷に出て、東京湾フェリーで対岸の久里浜に渡り、その後鎌倉を目指して走る予定だった。ぼくは鎌倉からそのまま自宅に戻る予定だった。これでぼくの東京湾一周が完成するわけである。
しかし天候が怪しい。昨日のような日差しはなく、雲の隙間からほんのわずかに青空が覗くだけで、海の向こうの西の空には暗い雲が垂れ込めていた。これは早く出発しないといけない。少々の筋肉痛はいいとして、お尻が痛かった。普段から自転車に乗ってないと、2日連続のサイクリングはお尻に堪えるのである。
それでも途中で富津岬に立ち寄り、展望台に上ることができた。昨日発覚したぼくの高所恐怖症はここでも健在のようで、展望台の最上階までは結局上れなかった。それにしても、前日の橋といい、この日の展望台といい、どうも西側を見渡す施設が多いような気がする。東京や横浜をよく見たいという気持ちがあるのかね。こういう景色はさきこに見せたいなーと思う。
富津岬を後にしようとした時、ランニングの練習をしている集団があって、まだ朝の8時くらいなのに頑張るなーと思ってたら、視覚障害者とこれに伴走するランナーの集団だった。こうして視覚障害者がランニングの練習をしているのを見るのは初めてで、しかも何となく本格的な感じがしたので、思わず話しかけたところ、地元の愛好家でも近くに障害者施設があるわけでもなく、「日本代表です」とのこと。うわっ失礼しました。近くに合宿所があって、クルマが通らない早朝に練習するんだそうな。なるほどね。ちなみにこの日は20キロ走と30キロ走を1本ずつ、1キロ当たり4分半程度のペースで走るんだそうな。いやはやスゴいわ。
さて寄り道から復帰してさらに道を進む。この日は金谷まで40キロを走らないといけないし、船の時間を考えるとゆっくりもしていられなくて、お尻がサドルに馴染んできて痛みがだんだん和らいできたぼくは少しペースを上げて進むことにした。
そのおかげで3時間弱で40キロを走り、金谷港に到着することができた。同僚はさほど速く走るタイプではなかったけど、なかなか頑張った。とにかく早く家に帰りたかったみたい。
※富津岬の展望台。
※金谷港に到着。久里浜を目指す。
船に乗って久里浜を目指す。
ぼくが東京湾フェリーに乗るのは、これで2回目である。今回は東京、千葉とぐるっと回ってきてからの東京湾フェリーなので、何となく感慨深い。道中はずっと海風に当たっていた。
対岸の神奈川県は雲行きが一層怪しくなっていた。これはいつ降り出してもおかしくない感じである。だからここで考えないといけなかった。このまま鎌倉まで強行するか、久里浜駅で一旦解散ということにするか。
雲行きからすれば確実に降り出すので、早めに終了した方が良さそうである。雨の中のサイクリングはいろいろ危険も増すからだ。ここは残念だけど、切り上げるしかあるまいということで、久里浜駅に向かい、そこでサイクリングを終えた。前日は東京駅から70キロ強、この日は木更津から50キロ弱ということで、同僚とは110キロ程度のサイクリングになった。うん、彼はよく頑張ったと思う。
「日本語ワカリマセーン」とか言う外国人に「じゃ英語で言いますわ」と無理やり写真撮影を頼んで、記念写真を撮ってサイクリングを終了。同僚は自転車を分解して、電車に乗りこんでいった。彼的にはかなり厳しいサイクリングになったと思うけど、きっと絶対思い出に残るサイクリングになったと思う。このサイクリングのことは決して忘れないと思うし、だからきっとぼくのことも忘れないと思う・・・という思いを残し、彼と別れた。
※久里浜に到着。ここで同僚とのサイクリングは終了〜。
さて、ぼくのミッションには続きがある。雨が降ろうが雪になろうが東京湾を一周するというミッションである。久里浜駅で同僚と分かれたぼくは、再び自転車にまたがってペダルを踏み込んだ。鎌倉回りは危険もあるし、ぼくも早く帰りたいので、近道となる国道16号線に進路を取った。
国道16号線のサイクリングは過去に何度も経験しているので、ほとんど見知った道である。久里浜からほどなく横須賀に出て、その後さらに北上していく。問題はそろそろ空腹になってきたことである。途中の店に入ってランチを食べるという手もあるけど、きっと食事中に降り出すに違いない。雨の中を長い間走り続けるのは苦痛なので、できれば地元まで戻ってからランチにしたい。しかもお腹が何となく「カツカレー」を求めていた。どこでカツカレーを食べたものか・・・としばらく思案しながらペダルを回し続け、結局自宅への最短ルートを逸れて最寄りのターミナル駅に行くことにした。たしかここの駅ビルの地下にカレー屋さんがあるハズである。
道を折れると少し勾配のかかった長い上り坂になる。疲労困憊の大腿筋にはこれがかなり過酷な坂道だった。こんな坂道はいつもならギアも変えずに時速20キロオーバーで走っちゃうところ、ヨロヨロになりながら何とか上り切った。やはり疲労がスゴいんだろうな、
こうしてぼくは地元の駅に帰ってきた。前日にこの地元を北上したぼくは東京湾を一周してもう一度戻ってきたのである。
地図上では道は繋がっているように見える東京湾をぼくは実際に自分の足で巡ってきたのである。そうである、ぼくは東京湾がぐるっと一周できることをこの足で実証したのである。冒頭の懐疑主義の話しで言えば、ぼくは自分の足で走ってきたからこそ、「東京湾は自転車で一周できる」と断言できるのである。思わずマゼランの航海を想起した。世界はぐるっと一周できるとの強い思いを乗せ、マゼランは大西洋にこぎ出し、太平洋を発見した。彼は世界一周の目前で戦死しちゃったけど、彼の意志を継いだ仲間がインドに至り、そのままヨーロッパに戻ってきたのだ。彼らが見慣れた地元に戻ってきた時はどういう心境だったのだろう。その何百分の1、何万分の1くらいはぼくのこの思いと同じなんじゃないかと思う。小さなチャレンジだったけど、大きな達成感を得ることができた。
走行距離は210キロ。平均ペースは時速20キロくらい。ぼくにとってはなかなかのチャレンジサイクリングになった。そして同時にこてつ号と行く最後のチャレンジサイクリングになるだろう。こてつ号に感謝しつつ、しばしの達成感に浸るのだった。
ぼくは今までいろいろなところにサイクリングに行ってきたけど、今回はどうも哲学的なことをいろいろ考えてしまう。
東京湾が自転車で一周できることは、こうして書くまでもない周知の事実である。いくつかの道路がぐるっと東京湾を巡っているのが地図を見れば分かるし、千葉県の金谷から東京湾フェリーに乗れば神奈川県・久里浜に到達することも周知の事実である。そのことを知っていれば、東京湾が自動車だろうが、自転車だろうが、徒歩でさえ一周できるのは疑う余地のないのだ。しかし、今回はちょっと哲学っぽく考えてみたのだ。
懐疑主義的な立場によれば、世の中の神羅万象がその存在を実証できないという考えに立つ。新聞に書いてあることもテレビで言っていることも事実である可能性と同じだけ幻想である可能性も否定できないのである。実際に自分の目で見て体験しないことには、事実を真実とは言えない。いや、見たり体験したことでさえ、脳みそがそのように作り上げた幻想に過ぎないかもしれない。そうすると、この世に確かなことは存在しないのか?という問いに行き当たり、そこで初めて「このように思索する自分自身は、たしかにそこに存在している」との結論に至り、有名な「我思う故に我あり」の言葉が生まれるのである。
今回の東京湾一周も同じである。
地図に書かれている東京湾を巡る道が本当に存在するのかをぼくは証明することができないのだ。ぼくが自分の足でこの道を走り、本当に自宅に戻って来られれば、ぼくは確信をもって「東京湾は自転車で一周できる」と言うことができるのだ。
いや、まさかそんな難しいことを考えながら走ったわけではないけど、今こうして思いを巡らせていると、そんな哲学的な思いが去来するのである。
さて当日、梅雨の間隙をぬって、ぼくは自宅を出た。
晴天ではないけど、梅雨の時期にしては上々のお出かけ日和である。まずは同行する同僚と待ちあわせる東京駅まで自転車を走らせる。この道は過去に何度か走ったことのある国道15号線である。追い風なんかもあって、普段よりもスピードを得て、予定よりも1時間も早く東京駅に着いてしまった。ちょっとコーヒーなぞ飲んだりした。
※東京駅に到着。コーヒーなぞ飲んでいたら駐車禁止を注意されちゃった。
同僚と合流し、まずはランチを食べようと千葉方面に向かう。
ルートとしては総武線や京成線と並走するような道なんだけど、京成線沿線の駅前はクルマが非常に渋滞していて、自転車でも走りにくくて辟易したわ。また日差しが強かったこともあって、何となくぼーっとしてきた感じになり、危うく熱中症になるところだった。幸い早めに気づいて食事したり水分補給したりしたけどね。
その後も渋滞が続いたりしたけど、これを超えると幕張、さらに進んでモノレールのレール下をくぐり、ついに千葉駅に至ることができた。
※自転車で初めて千葉に到達。千葉駅を目指す。
※千葉駅に到着〜!
千葉駅前で安くて美味しい海鮮丼の店で舌鼓を打ち、さらに自転車で走ってこの日の宿泊先である木更津を目指した。途中で今度は同僚の方に体調不良が起きたりしたけど、残り数キロを頑張って走破し、無事木更津に到着することができたのである。同僚としては東京から木更津の70キロのサイクリング自体がかなり過酷だったみたいで、かなりヘロヘロになっていた。
木更津のビジネスホテルで部屋に入り、同僚はぐったりしちゃったけど、ぼくはそのまま自転車で走り出す。体力的には限界ギリギリでできればこのまま休みたいところだったんだけど、実は木更津の海岸で見たい景色があったのだ。折しも夕暮れ前である。きっといい景色が見られるかもしれない。
※どこまでも続く工場地帯とふと現れる田園地帯。
※木更津駅に到着!
見たい景色とは海の上の電柱である。海上を等間隔に電柱が並んでいる景色があるのだ。なぜ海上に電柱が並んでいるかというと、その先にある小屋に電気を供給するためだそうで、なぜ海上に小屋があるかというと、どうも密漁対策らしい。木更津の海岸は干潟が広がっていて、昔からアサリとかハマグリがよく獲れるんだそうな。最近は潮干狩りで賑わったりするんだけど、ルールを守らないで大量に獲ってちゃうヤツもいるんだろうね。広大な干潟には数件の監視用の小屋が立っていて、それは満潮でも水没しないようにいわゆる上げ床式な小屋になっていて、これに向かって等間隔で電柱が並んでいるのである。海に電柱が並んでる景色なんてちょっと異世界な感じである。まるで竜宮城に続いてるようでイメージが膨らむ。
そんな景色を見ていると、遠くに対岸の影が見えた。千葉から東京湾の対岸を見るということは、つまり横浜である。霞んだシルエットには見慣れたみなとみらいの建物群をたしかに捉えることができた。霞む横浜の景色を見ると感慨深いものである。思えばこの日の朝はこの横浜からスタートしたわけだからね。
そんな夕陽をぼくはずっと見ていた。たまに海が無性に見たくなって出かけることがあって、その時には「あー体内の海成分が枯渇してきたわー」なんて言ってたけど、こうして長いこと海を見ていると、ホントに体内の海成分がじわじわと充填されているような気がしてくる。結局1時間以上もただただ海を見ていた。
※夕暮れの田園地帯をひとりゆく。
※東京湾の向こうに横浜みなとみらいが見える。
※海の上を続く電柱。
※キレイな夕陽が見れました。
さて、夜である。何を食べようか考えていたら、同じ部署の同僚から「これからアクアラインを通って木更津に向かう」と連絡があった。まあ2人で食べるよりも3人で食べた方が美味しいだろうということで、彼の到着を待ってから、寿司を食べに出かけた。
寿司はなかなかの美味だった。たまに沼津まで寿司を食べに出かけたりするけど、沼津の寿司と同じくらい美味しかった。これほど近くにこんな美味しい寿司があるなんて意外だったな。
舌鼓を打って満足した後は、近くの公園で歩行者用の巨大な橋を渡ることにした。この橋は向こうの干潟まで続いていて、つまり潮干狩りの観光客用の橋なんだけど、港からの巨大な船が下をくぐれるようにかなり高くなっていた。これがホントに高い。ぼくは最近どうも高所恐怖症になっちゃったようで、この橋の高さに目がくらんで全然進めなかった。いやホント、いい景色なら写真とか撮りたかったんだけど、お尻がピリピリ来ちゃって全然ダメだったわ。
クルマで来た同僚はその後帰っていき、ぼくも同僚もホテルで床に就いた。これで静かに夜が更けるのかと思ったら、ぼくの泊まった部屋の空調が壊れてたみたいで、夜中に部屋を変えてもらうなんてこともあったんだけどね。
さて翌日である。
ぼくはちょっと筋肉痛である。加えて長いことサドルに座り続けたので、お尻が痛い。これは同僚も同じで、筋肉痛とお尻の痛みに苦しんでいた。
この日は木更津から金谷に出て、東京湾フェリーで対岸の久里浜に渡り、その後鎌倉を目指して走る予定だった。ぼくは鎌倉からそのまま自宅に戻る予定だった。これでぼくの東京湾一周が完成するわけである。
しかし天候が怪しい。昨日のような日差しはなく、雲の隙間からほんのわずかに青空が覗くだけで、海の向こうの西の空には暗い雲が垂れ込めていた。これは早く出発しないといけない。少々の筋肉痛はいいとして、お尻が痛かった。普段から自転車に乗ってないと、2日連続のサイクリングはお尻に堪えるのである。
それでも途中で富津岬に立ち寄り、展望台に上ることができた。昨日発覚したぼくの高所恐怖症はここでも健在のようで、展望台の最上階までは結局上れなかった。それにしても、前日の橋といい、この日の展望台といい、どうも西側を見渡す施設が多いような気がする。東京や横浜をよく見たいという気持ちがあるのかね。こういう景色はさきこに見せたいなーと思う。
富津岬を後にしようとした時、ランニングの練習をしている集団があって、まだ朝の8時くらいなのに頑張るなーと思ってたら、視覚障害者とこれに伴走するランナーの集団だった。こうして視覚障害者がランニングの練習をしているのを見るのは初めてで、しかも何となく本格的な感じがしたので、思わず話しかけたところ、地元の愛好家でも近くに障害者施設があるわけでもなく、「日本代表です」とのこと。うわっ失礼しました。近くに合宿所があって、クルマが通らない早朝に練習するんだそうな。なるほどね。ちなみにこの日は20キロ走と30キロ走を1本ずつ、1キロ当たり4分半程度のペースで走るんだそうな。いやはやスゴいわ。
さて寄り道から復帰してさらに道を進む。この日は金谷まで40キロを走らないといけないし、船の時間を考えるとゆっくりもしていられなくて、お尻がサドルに馴染んできて痛みがだんだん和らいできたぼくは少しペースを上げて進むことにした。
そのおかげで3時間弱で40キロを走り、金谷港に到着することができた。同僚はさほど速く走るタイプではなかったけど、なかなか頑張った。とにかく早く家に帰りたかったみたい。
※富津岬の展望台。
※金谷港に到着。久里浜を目指す。
船に乗って久里浜を目指す。
ぼくが東京湾フェリーに乗るのは、これで2回目である。今回は東京、千葉とぐるっと回ってきてからの東京湾フェリーなので、何となく感慨深い。道中はずっと海風に当たっていた。
対岸の神奈川県は雲行きが一層怪しくなっていた。これはいつ降り出してもおかしくない感じである。だからここで考えないといけなかった。このまま鎌倉まで強行するか、久里浜駅で一旦解散ということにするか。
雲行きからすれば確実に降り出すので、早めに終了した方が良さそうである。雨の中のサイクリングはいろいろ危険も増すからだ。ここは残念だけど、切り上げるしかあるまいということで、久里浜駅に向かい、そこでサイクリングを終えた。前日は東京駅から70キロ強、この日は木更津から50キロ弱ということで、同僚とは110キロ程度のサイクリングになった。うん、彼はよく頑張ったと思う。
「日本語ワカリマセーン」とか言う外国人に「じゃ英語で言いますわ」と無理やり写真撮影を頼んで、記念写真を撮ってサイクリングを終了。同僚は自転車を分解して、電車に乗りこんでいった。彼的にはかなり厳しいサイクリングになったと思うけど、きっと絶対思い出に残るサイクリングになったと思う。このサイクリングのことは決して忘れないと思うし、だからきっとぼくのことも忘れないと思う・・・という思いを残し、彼と別れた。
※久里浜に到着。ここで同僚とのサイクリングは終了〜。
さて、ぼくのミッションには続きがある。雨が降ろうが雪になろうが東京湾を一周するというミッションである。久里浜駅で同僚と分かれたぼくは、再び自転車にまたがってペダルを踏み込んだ。鎌倉回りは危険もあるし、ぼくも早く帰りたいので、近道となる国道16号線に進路を取った。
国道16号線のサイクリングは過去に何度も経験しているので、ほとんど見知った道である。久里浜からほどなく横須賀に出て、その後さらに北上していく。問題はそろそろ空腹になってきたことである。途中の店に入ってランチを食べるという手もあるけど、きっと食事中に降り出すに違いない。雨の中を長い間走り続けるのは苦痛なので、できれば地元まで戻ってからランチにしたい。しかもお腹が何となく「カツカレー」を求めていた。どこでカツカレーを食べたものか・・・としばらく思案しながらペダルを回し続け、結局自宅への最短ルートを逸れて最寄りのターミナル駅に行くことにした。たしかここの駅ビルの地下にカレー屋さんがあるハズである。
道を折れると少し勾配のかかった長い上り坂になる。疲労困憊の大腿筋にはこれがかなり過酷な坂道だった。こんな坂道はいつもならギアも変えずに時速20キロオーバーで走っちゃうところ、ヨロヨロになりながら何とか上り切った。やはり疲労がスゴいんだろうな、
こうしてぼくは地元の駅に帰ってきた。前日にこの地元を北上したぼくは東京湾を一周してもう一度戻ってきたのである。
地図上では道は繋がっているように見える東京湾をぼくは実際に自分の足で巡ってきたのである。そうである、ぼくは東京湾がぐるっと一周できることをこの足で実証したのである。冒頭の懐疑主義の話しで言えば、ぼくは自分の足で走ってきたからこそ、「東京湾は自転車で一周できる」と断言できるのである。思わずマゼランの航海を想起した。世界はぐるっと一周できるとの強い思いを乗せ、マゼランは大西洋にこぎ出し、太平洋を発見した。彼は世界一周の目前で戦死しちゃったけど、彼の意志を継いだ仲間がインドに至り、そのままヨーロッパに戻ってきたのだ。彼らが見慣れた地元に戻ってきた時はどういう心境だったのだろう。その何百分の1、何万分の1くらいはぼくのこの思いと同じなんじゃないかと思う。小さなチャレンジだったけど、大きな達成感を得ることができた。
走行距離は210キロ。平均ペースは時速20キロくらい。ぼくにとってはなかなかのチャレンジサイクリングになった。そして同時にこてつ号と行く最後のチャレンジサイクリングになるだろう。こてつ号に感謝しつつ、しばしの達成感に浸るのだった。