「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
西日本から近況報告。
会社の仕事の関係で大阪に出張に来ている。
夏の盛りに大阪に来るのは滅多にないので、ここは天気もいいことだし、自転車を持って行ってサイクリングでも・・・と思ったけど、この暑さで何を着てても汗びっしょりになっちゃうし、しかもこれをいちいち洗濯・乾燥していられないために、自転車を持ってくるのは止めることにした。出張のたびにそうそう自転車を持って来られるものでもあるまい。
そんなわけで、サイクリングを想定して早めに大阪入りしたために、予定の時間まで手持無沙汰になってしまった。まあぼくの場合は何時間手持無沙汰になっても、こうしてブログ書いたり、絵なぞ描いたりして過ごせるので、全然問題ないんだけどね。
それにしても、ランチタイムにレストランに入ると、話している人は当たり前だけどみんな関西弁である。テレビでしか聞いたことのない関西弁をおじちゃん、おばちゃんはもちろん、女子高生や子供までもが喋ってるんだから面白いものである。逆に学生の方が行動範囲が限られるので、喋り言葉などが地域色に染まりやすいのかもしれないけど、ともかく周囲で聴こえる言葉が関西弁なのは、いつも思うけど非日常的体験である。

さて、そんなぼくの近況である。
ぼくの近況としてこうしてブログに書けるものと言えば、一番大きなものはやはり自転車である。フォークの塗装に出して以降、現在は絶賛塗装作業中といったところだろうか。だからまだ自転車屋さんから携帯電話に着信はない。二度、三度どころか一度もない。たぶん8月中旬頃までは塗装ができないんだろうと思う。
しかし、8月中旬と聞いて思うところがある。お盆の時期である。
製造業でお盆と言えば、年に数回しかない休業の時期である。以前勤めていた印刷会社でも巨大な印刷機が止まるのはお盆と年末年始だけだった。製造業とは互いに連携してモノを作っているわけなので、どこかの工場がお盆休みに入ると、その後の工程はまったく仕事にならないわけで、それを在庫調整などして無理くり動かすこともあるだろうけど、いっそ休んでしまった方が効率的な場合が多い。つまりたいていの製造業はお盆は休みである。そうなると、お盆前に受注した作りかけの製品をどうするか。作りかけ具合にもよるだろうけど、お盆後に続きをやる場合もあれば、火事や地震などの不測なリスクを考えて、納品できない商品をお盆明けまで手元に置いておくよりも早く納品してしまおうとすることもある。そうなると、なるべく作りかけを残さないようにする。特に早い時期に受注して納期に余裕のあるものは、お盆前までに駆け込みで作業して納品してしまおうとするものである。つまり7月下旬前に注文を受け、8月中下旬に納品することになっている自転車のフォーク塗装なんかがまさにそれに当たるわけである。実際問題として、自転車のフォークの塗装なんてそう時間がかかるものでもないハズである。少し長めに納期を伝えたと考えれば、お盆前と言わずさらに納期が短縮することも考えられるのである。もちろん、残った作業は塗装だけではなく、その後は自転車屋さんで組み立ての工程が待っている。組み立て作業は、塗装後のフォークの納品が早かったとしても、そこからさらに1週間ほどはかかるかもしれない。それでも、フォークの納品が早めに済めば、自転車屋さんも早めに取り組んでくれるだろう。自転車屋さんに言わせれば、この客(=ぼく)が自転車の完成を待っているのは、4月下旬の発注から3か月以上、もはや4か月にならんとしているのである。
そんなわけで、晴れた空を見上げながら、塗装屋さんの工程上の事情や自転車屋さんの意気込みなんかを想像しつつ指折り待っているというわけである。

さて、それ以外のことで近況と言えば、実はあまり大きなデキゴトがない。
仕事は小康状態で推移しているし、ランニングもあまり練習できてない状態で変化なし。絵なぞが最近少し描けるようになってきたけど、自宅ですべきことが他にもあって、自室のデスクに向かって大人げない空想を展開する時間がだんだん少なくなっているのである。これはちょっと残念だけどね。

9月のカレンダーの並びがなかなか良くて、2日間の有給休暇を取得すると、9日くらい休めちゃう「シルバーウイーク」になっている。ぼくもさきこもこの時期に休みをいただいて、その後半にちょっと旅行に行ってこようと思っている。さすがにこの時期であれば、自転車は納品されているだろうから、自転車持参でサイクリングである。旅行先でのサイクリングコースを考えたりするのがちょっと楽しかったりする。
サイクリングと言えば、8月に自転車仲間と静岡の方にサイクリングに行く。今年は終戦70年ということで、遊ぶよりも何かすべきことがありそうなものだけど、ここは晴れの日を狙ってサイクリングに行ってこようと思っている。この日にたぶん自転車の納品は間に合わないだろうな。こてつ号で行く最後の輪行になりそうである。
また会社の自転車仲間ともサイクリングを計画中である。ぼくも偉そうなことが言えないとは言え、彼らのサイクリングはぼく好みのサイクリングとは大きな乖離がある。ぼくにとってこの前の東京湾一周くらいの負荷は、なかなかエキサイトな感じだけど、彼らとのサイクリングは1日かけてもせいぜい40キロ、いやもっと少ないか。走行速度はだいたい時速20キロ以下である。いわゆるポタリングだけど、最近はその程度だと物足りなくなっている。どうしたものか。

先ほど仕事は小康状態で推移と書いたけど、ひとつ変わったことがあった。
会社で使っているキーボードを新調した。ぼくはキーボードについて好みが明確で、とにかく小さいものでないとダメで、一般的なサイズのものでも端のキーを押すのに小指を大きく伸ばしたり、手をそちら方面に移動させるようなことはしたくない。そうなると当然小さいサイズのキーボードが使いやすくなるわけで、市販されている中でも1、2を競うほどの小さいキーボードをずっと使っているんだけど、先日ついにキーの打鍵に不具合が生じてしまった。
「a」のキーが押しても反応しなくなってしまうのである。いや、反応する時の方が多いのは確かだけど、10回押して7、8回くらいしか成功しない。これでは非常に使いづらいということで、新しいものを購入してしまった。従来使っていたものとまったく同じものである。
この新しいキーボードは某通販で購入したんだけど、実はその前に家電量販店などをいくつか回っている。そこで買えれば問題ないハズだけど、実は量販店にはぼく好みの小さいキーボードが売ってなかったのだ。これについてはいろいろ書きたいことがあるけど、かいつまんで言えば、最近のブルートゥースへの傾倒を反映して、モバイルで主に使用する有線キーボードは軒並みブルートゥースに置き変わっちゃったみたいなのである。ぼくは元々ブルートゥースを信用していないので、これを買うことはないから、つまり買うべきキーボードが売っていないということになっちゃったのである。ネット通販ではまだ在庫があるので、幸いそこから購入したので問題ないのだけど、それもここ1、2年までだろう。
以前書いた万年筆の書き味に対する思いは、デジタルの世界でもキーボードの打鍵感に置き換わって同じことが言えると思う。つまり、自分が打ちやすいと思うキーボードにとことんコダワる風潮があってもいいんじゃないかと思う。しかし、実際はそうなっておらず、マニアックで売れにくい商品はどんどん淘汰されていく。万年筆売り場に以前として広く厳かな雰囲気が漂うのを見るにつけ、キーボードとの扱いの差にちょっと釈然としない思いもあったりするのだ。
ともかくも、新しいキーボードが手に入ったので、数年はこれで問題ないだろうと思う。しかし、数年後に通販でも買えなくなる時が来て、ぼくはそこで馴染みの小さいキーボードから新しいキーボードへ大きくシフトチェンジしないといけないのである。まあその頃には、何らかのイノベーションがあって、もはやキーボードで文字を打つこと自体が時代遅れになってるかもしれないけどね。(そうなったら小さかろうが大きかろうが、キーボード自体を探すのが大変になるだろうな)

そんなわけで、ぼくの近況である。
なんだ結構賭けるじゃん。
明日から8月である。8月のどこかできっと自転車が納品されるハズである。そうなったら今よりもたくさん書けるだろうな。早くぼくの携帯電話が鳴らないだろうか・・・。

※会社に届いた新しいキーボード。これからよろしく!
| 日記 | 13:53 | comments(0) | trackbacks(0)
万年筆に思う。
先日丸の内のオフィス街で研修があり、これが早く終わったので、どうしようかと考え、丸の内駅から地下鉄に乗って銀座に行くことにした。そういえば自宅で使用するノートが1冊欲しかったわ。ちょっとマニアックなノートなので、銀座の伊東屋に行けば売ってるかもしれないと思ったのだ。
伊東屋は長いこと、リニューアル工事をしていたけど、これが終了しリニューアルオープンしたばかりのようだった。かつてのように銀座の表通りにお馴染みのクリップのオブジェが見えた。
店内はなかなか小奇麗になっていて、文房具屋さんと言うにはオシャレ過ぎな感もあった。そのオシャレっぷりにちょっと気圧されたけど、そのうちその思いはお目当てのノートが売っていないばかりか、圧倒的に品数が少ないことで、だんだんネガティブな印象に変わっていった。オシャレさを優先するばかりに、文房具屋として求められる品数の多さを犠牲にしているように思えた。ノートの売り場は、品数の多さを確保するために通常なら本棚のように立てて並べられるべきだけど、オシャレな間接照明の下でこれが平積みにされていた。並べられているノートも馴染みのあるキャンパスノートとかではなく、外国メーカーのオシャレなノート、表紙の紙が異様に分厚くて高級感を湛えたオーラがギンギンに放出されるようなヤツである。
まさに「銀座に店を構えるとはどういうことか」を体現したような店内の様子だった。高価な買い物をする日本のおカネ持ちや外国からの観光客にはウケると思うけど、本当に文房具を必要としている人には、ほとんど用を成さない店になってしまったようである。ぼくのようにノートを1冊買いに来る客やたとえば昔ながらの給与明細の書式を1枚だけ買いに来る人は、もはや商売の相手ではないというわけである。へー、ふーん・・・。
そんな高級文房具店である伊東屋の2階はもっとスゴかった。
この階は万年筆を扱っているんだけど、その雰囲気は他の階とは格段に違う雰囲気があった。まるで宝飾店の商談スペースのような場所である。ぼくとさきこが10000日記念に指輪を購入した時も、店舗の2階にある商談コーナーに誘導され、そこでコーヒーなんぞ優雅に飲みながら指輪の購入手続きをしたものである。まさにそんな空気が2階にはあった。ぼくは店内をちらっと目にしただけで、とても入れるような雰囲気ではないので、そのまま階段を上ってしまったほどである。いやはや、オシャレで高級な雰囲気の漂う伊東屋の2階には、より濃厚なオシャレで高級な空気に満ちていた。ぼくのようなビンボー人が足を踏み入れる場所ではないのである。
それにしても、万年筆売り場ってのはどうしてこういう高級な雰囲気があるのだろうか。
その雰囲気の最高の度合を醸していたのが伊東屋だったけど、一般の文房具屋さんや百貨店の文房具コーナーだって、万年筆売り場の雰囲気は他の文房具コーナーとは一線を画する雰囲気がある。なぜだろうか。
そもそも万年筆とは筆記用具としてどうなのか?ボールペンのように耐水性インキでもないし、放っておくと乾いて使えなくなるし、鉛筆やフリクションペンのように消せるわけでもない。独特のインキの筆致とペン先の”しなり”による書き心地の良さがその真骨頂である。
書き心地や味のある筆致のために万年筆を購入するのだろうか?万年筆売り場が高級な雰囲気の贅沢な空間を演出しているのも、決して安くない売り場面積に費用を投下するのも、ただこの書き心地と味のある筆致のためだと言うのだろうか?
ぼくも万年筆を使う。ここぞという時や相手に手紙を出す時の住所、氏名を書く時は万年筆である。やはり万年筆には、これを使う時の心構えというか覚悟みたいなものがある。人生で最高の場面で書く署名に100円のボールペンを使えないという気持ちも充分分かるのだ(・・・って、ぼくの婚姻届けはそこら辺にあったボールペンで書いちゃったけどさ)。
万年筆には機能性云々を超越したステータスが存在するのだろう。だから売り場面積は宝飾店の商談コーナーのような一種厳かささえ漂わせる空間の演出が必要なのだろう。好みのペン先、太さ、しなり、インキの出方やインキの色までコダワる点はたくさんある。ボールペンやその他の筆記用具にも同じようなコダワリポイントがあるけど、万年筆はもっと多いんじゃないかな。人には万年筆への期待があるんだろうな。
そんなわけで、期待して訪れた伊東屋には、まあ期待外れな部分も多かったわけだけど、万年筆にここまでコダワる気概みたいのを感じることはできた。ぼくがノート1冊、消しゴム1個を購入するための行きつけの文房具屋さんとしてはもう行かないけど、コダワリの文房具を探すためになら、また行くかもしれないな、一生モノの万年筆を購入するため、とかね。
| 日記 | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車屋は二度三度と携帯を鳴らす。
購入した自転車が実際に自転車屋さんに納品されたことで、ぼくの思考のほとんどが自転車で占められてしまった昨今だけど、そんなぼくに煮え湯を飲ますような展開が待っていた。先日から再三書いているけど、ぼくの自転車はフォークに塗装を施すために専門の塗装業者に移送されていて、フォークの塗装が完了して初めて自転車が組み上げられ、晴れてぼくに引き渡されるわけだけど、この塗装に関しても悩ましい問題が発生した。

以前に書いたとおり、フォークの塗装については2つの考えがあって、一つはフォークの全体をメッキがけするもの、もう一つはフォークの根本部分をフレームと同じ色にするというものである。前者は割と簡単に、まあ全体的にメッキをかければ済む話しだけど、後者は全体にメッキがけした後にフレームと同じ色を塗るという2段階の工程になるわけである。
ぼくは当初から後者の2色塗装で発注していたんだけど、工程が2段階になることもあって、先日から簡単で短納期で安価な前者のメッキのみにしようかと悩んでいたのである。
そんな中、自転車屋さんから再び電話があった。塗装業者にフォークが到着し、納期や費用の見積りが出たとのことである。その結果に驚愕する。
前者のメッキのみパターンは、塗装作業に2週間程度を要し、費用の方は当初の予算よりも若干安い感じだった。
後者の2色パターンは、なんと納期が1か月くらいかかり、費用は前者の2倍以上もかかるそうなのだ。時間とおカネがかかる理由は、フォーク根本に塗装するフレームと同色に調合する手間なんだそうな。フレームの色「キャンディレッド」はメーカー純正の塗料だろうから、これに似た色に調合するのは試行錯誤なんかもありそりゃ手間とおカネがかかるというわけである。「似た色」と言ってもシロウト目にはその違いが分からない程度に調合してくれるんだそうで、まあその点は評価していいと思うけど、まさか納期と費用が倍になるとは思わなかった。

これには迷った。
2色パターンは明らかに予算オーバーである。そういえば、自転車本体を発注する時も、店員さんに勧められるままにちょっと高めのホイールをオプションに付けてもらったんだった。これで数万円の予算オーバーだったわけで、ぼくの道楽でこれ以上の予算オーバーは避けなければならない。実際ぶっちゃけた話し、ホイールのおカネ分はさきこがちくちく貯金していた500円玉貯金を切り崩すハメになっている。冬に指輪を買ってから、せっせと貯めてきた貯金を丸ごとぼくが横取りする形で自転車に投下してしまっているわけである。それを考えたら、この辺が引き際というか、諦め時なんだろう。
それに考えてみれば、塗装費用に大きな差を生んでいるのは、フォークの根本部分のほんのわずかな面積である。どのくらいって例えが難しいけど・・・とにかく面積的にはかなり狭いのだ。いくらコダワリの自転車だと言っても、費用を投下する意味がどこまであるのだろうか。やはり、ここは諦めて、フレームの全体をメッキにする形にしようか・・・。

そんな時、さきこが言うのである。
「もともとフォークにコダワリたいから自転車を買うようなものでしょ?」

ぼくが自転車を買おうと考えてきた根拠はなんだろうか?
ロングライドをするのに自転車、とくにホイールの老朽化が無視できなくなったから?自転車に乗るようになってそろそろ10年という節目にコダワリの自転車が欲しかったから?イベントでも胸を張れるような自転車が欲しかったから?いろいろ理由はあったけど、そもそもフルクロモリの自転車に憧れて、でも予算の都合でフォークだけカーボンの自転車を買うことになって、これがずっと気になっていたんじゃないか。こてつ号にはとてもお世話になったけど、彼がどうしても到達できないフルクロモリの境地に今度こそ到達しようとしているのではないか。その象徴がクロモリフォークであり、クロモリフォークをよりスタイリッシュにするクロモリメッキ塗装であり、そこにコダワるのは遡って考えを辿れば、そもそも自転車を購入する動機の源流に至るものではないか。そうである、フォークにコダワリは自転車を購入する理由を構成する大きな要素なのである。フォークにコダワらなくてどうするのか。これはもはやコストパフォーマンスを云々する話しではないのだ。ぼくが自転車にどれほど思いを込められるかが問われる分水嶺なのである。
そうであれば、答えは自ずと明らかである。
予算オーバーだろうが納期が倍かかろうが、フォークに関してはどこまでの引くことはできない。
ここは2色パターンで行くべし。

2色にしたところで、自転車の印象が大きく変わるわけではないかもしれない。いやもしくは、この根本部分の塗装が逆に変に目立っちゃって、自転車をカッコ悪く見せちゃうかもしれない。フォークを2色に塗装している自転車はあまり見かけないので、実際にどうなるかは分からない。けど、コダワると決めた以上、このまま突き進むべきなのである。

そんなわけで、昨日自転車屋さんに電話をした。
2色パターンで行く旨を伝えると、先方はちょっと意外だったようである。そりゃそうだ、最初に購入したのは4月下旬である。あまりにも時間がかかり過ぎる。しかもメーカーから納期延長を打診された時はなぜ納期が延長されなければならないのかと問い質したほどである。「この客はそろそろ待ちくたびれているだろう」と思われても不自然ではないわけで、そんなぼくがさらに1か月もの納期延長も辞さない態度を見せたわけだから、まあ意外だろうね。
でもここまで来ると後には引けない。逆にとことんまでコダワリの自転車を作ってやろうという思いが湧いているのだ。
ただ懸念されるのは、ここまでして塗装してもらったフォークの赤がフレームのキャンディレッドとどこまで近いかである。似ても似つかないような色を塗られて「ハイ、出来上がり!」とか引き渡されても困るのだ。そんな不安があるから、まだまだ安心はできない。またいつ自転車屋さんから電話があるか分からないのだ。

南から南海地方に直接北上した台風は、前線を伴って東北方面に進んでいる。この台風の通過によって、気圧配置が一旦リセットされ、その間隙を縫って太平洋高気圧が張り出してくるだろう。梅雨明けはもう目の前まで来ているのである。そしてサイクリングのシーズンが到来するわけだけど、ぼくの手元に新しい自転車はない。もうしばらくこてつ号との付き合いも続くのだ。
新しい自転車が納品される8月下旬は少し涼しくなってるかもしれないな。
| 自転車日記 | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0)
赤い自転車。
ぼくの新しい自転車だけど、先日書いた通りいろいろと紆余曲折がありながらも、無事メーカーから出荷され、自転車屋さんに納品された。これから塗装業者に引き渡しされるそうで、あともう少しの辛抱である。
とは言え、メーカーの対応にドキドキしていたぼくは、とにかく現物を見て安心したくて、週末にさきこと納品された自転車を見に自転車屋さんへ行くことにした。
当然ながら梱包された状態で納品されているハズなので、自転車屋さんに行っても完成車がそこにあるというわけではないのは重々承知しているけど、それでも箱に入った自転車を確認するだけでも、実感を得られるんじゃないかと思うわけである。
問題は色である。
散々悩んで選んだ「キャンディレッド」が、ぼくのイメージとかけ離れていたらどうしよう。いや、あんなゴタゴタがあったメーカーだけに、赤で発注したのに黄色になってるなんてことがしれっとあったりするかもしれない。そんな不安があった。

自転車屋さんで事情を話すと、先日塗装オーダーの件で電話口に出た店員さんが対応してくれて、店内に積まれたたくさんの箱の中からぼくの名前の書いてある箱を取り出してくれた。
既にフォークは塗装業者に送ってしまってないそうである。
箱を開けると梱包材に包まれた自転車が出てきた。
前輪はバラけて入っているけど、後輪は既に車体に接続してあり、しかも空気まで入っていた。ホイールもフレームもその他の部品も全部バラバラになってると思っていたので、ちょっと意外だったな。やはり出荷前に仮組みして試乗したりしてるからなんだろうか。ホイールはデフォルトの製品よりも若干追い銭してグレードを上げた。シクロクロスなんかでも使用される強度の高いホイールだそうで、ぼくが当初から懸念していたスポークがホイールを突き破るようなことは多少の経年劣化では起きないそうである。スポークも空力を考慮した平べったい、いわゆる「きしめんスポーク」を使用している。うん、なんか上物じゃないか。
そして問題の色である。
赤と言うよりも朱色に近いか。鮮やかな朱色である。こてつ号を思い出す朱色である。いや、もっと前の記憶、そうだ、以前乗っていた自動車・インプレッサの色と同じような赤っぽい朱色である。それはぼくがまさに期待していたとおりの色である。良かった、黄色じゃなくて。
ずっと見ていたかったんだけど、箱から取り出すのに店員さんにずっと持っててもらうのも悪いので、早々に箱に戻してもらった。

※これが、ぼくの新しい相棒。

実物を見て感動である。
今まではカタログを見たり、頭で想像するくらいしかできなかった新しい自転車が、ついに現物として目の前に現れたのである。ぼくの自転車が目の前にある。これがぼくの自転車なのだ。
ちなみにどういう偶然か、上階の自転車展示コーナーには、ぼくが買うものと同じモデルの自転車が色近いだけど展示されていて、完成車を見ることができたのだ。実物に会うのは青山のショップに行って以来だけど、やはり美しいフォルムである。剛性と弾力性のために独自に開発された接合部分の形状は、ネットの画像で見るとちょっと不恰好な感じもしたけど、現物は装飾のような加工になっていて、全然気にならなかった。うん、これは大枚叩いただけあっていいものを購入した。
問題はフォークの塗装である。
そういえば今週の初め頃に塗装業者から連絡があるハズなんだけど、連絡がない。見積もりに難航してるのだろうか。またぼくが気を揉むような展開にならなければいいけど。

季節は梅雨後半である。
台風なんかの影響で梅雨前線が崩壊して、梅雨が明けていく展開である。おそらく来週か再来週には梅雨が明けるだろう。真夏の炎天下の中、新しい自転車で走り出すのも、もう間もなくである。
| 自転車日記 | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0)
虚飾人間の虚栄心。
週末は天気が良かったので、久し振りに海までドライブして、砂浜をテクテク散歩した。ずっと雨続きだったので、乾いた涼しい風が海を渡ってくるのはとても気持ち良かった。台風が接近していることもあって、波が結構高くて、見ているだけで飽きない風景だった。

その時である。
浜辺を歩いているぼくとさきこを追い抜く男性がいた。Tシャツ、短パン、ビーチサンダル姿の痩せ型のおじさんである。台車に乗せたシーカヤックを引いていた。おそらくシーカヤックを趣味でやる人だろうと想像し、どこに向かうのか何となく目で追っていた。すると海岸の半ば辺りで立ち止まり、台車を置いてシーカヤックの向きを変えた。これから海に入るのかもしれない。
シーカヤックに非常に興味のあるぼくは、どういう風にして海に入るのか見たいと思って、海を眺める振りをしつつ視界の端に彼を捉えていた。彼の歩いてきた砂浜には、彼の足跡とシーカヤックを乗せてきた台車の車輪の跡が続いていた。
彼は砂浜に横たわるシーカヤックをスマホで撮影し、それからゆるゆると準備を始めた。括り付けてきたライフジャケットを解いてその辺にポンッ置き、シーカヤックの収納部分の蓋を開けて中からペットボトルを取り出してごくごく飲んだり、台車を解いて砂の付いた車輪を海水で洗ったり、収納部分の蓋をまた開けて、今度は中からコンビニ袋を取り出し、その中のパンをパクパク食べ始めたり、先ほど海水で洗った台車をバラして収納したり、再びそれを取り出して、先ほど飲んだペットボトルを取り出してまたごくごくと水を飲んだり、写真を撮ったり・・・いや、これから海に入ろうとする人にしては、動作が緩慢過ぎた。ぼくが輪行して駅とかで自転車を組み立てる時は、はやる気持ちを抑えつつ物凄い勢いて組み立てるものである。ぼくがせっかちな性質であることを考慮しても、彼の準備には時間がかかり過ぎていた。
しかもおかしいのはそれだけではない。時刻は既に16時を回っていて、17時になろうとしていたのである。日が長くなったとは言え、これから海に入るには遅過ぎる時間だと思われた。
それでも彼の準備はゆるゆると続き、いつまでも海に入ろうとはしない感じだった。なんか不思議な様子である。
そんな光景を見ているのも飽きてきたので、ぼくとさきこはその場を後にして、その先まで散歩を続けた。だいたい20分くらいだろうか。戻ってくると彼はまだ浜辺にいたのだ。今度はシーカヤックに跨って海を眺めている。準備が終わったらさっさと海に入ればいいものを、この人は何をしているんだろう?
するとふいに立ち上がり、また写真を撮り出した。その隙に大きな波が押し寄せて、シーカヤックが引き込まれそうになった。彼は慌てて手で押さえ、引き込まれないようにしている。
いや、ホント不思議な光景だった。
さっきまでゆるゆると準備していたのは、海に入るからではなかったのか?

そこでひとつの考えが呼び起される。
もしかして、この人、「初めから海に入るつもりなんてないんじゃないか」?
この状況を見るとそう考えるしかない。いつまでも浜辺にいること、現在時刻のこと、全然準備が進まないこと、写真なんか撮ったりしてること・・・。
たとえば、こう考える。
彼はシーカヤックを嗜む自分を演出するために海に来て、シーカヤックを組み立て、あたかもこれから海にこぎ出そうとする自分を写真に収める。彼の写真はSNSなんかに投稿されて、カッコいい自分の週末の過ごし方に「いいね!」がたくさん集まったりする、と。
いやいやどうだろう。そんなもののためだけにわざわざシーカヤックを運んできたのか?そんなわけないだろう。なぜウソの自分をわざわざ演出する必要があるのか?
でも彼を視界の端で捉えているぼくたちがいたからこそ準備が進まなかったことと考え合わせると、上記のような仮説の信ぴょう性が増していくのだ。いちいち写真を撮ったりしている姿からは、もはやその考え以外の考えが浮かんでこないのだ。

それからぼくとさきこは、そこからさらに他の道に散歩に行った。先ほどの浜辺に戻ってきたのは、30分ほど経った頃である。
その時にぼくが見た光景は、衝撃的なものだった。
シーカヤックを台車に乗せた彼が砂浜を戻ってきたのである。この30分でシーカヤックで海に出てきたとは思えない。彼は先ほどの手順と逆の手順で、後片付けをして、わざわざ海水で砂を落としたばかりの台車にもう一度シーカヤックを括り付けて、砂浜をザクザク歩いて戻ってきたのである。
これで確定した。
彼はシーカヤックに乗った「振り」をしていただけなのだ。

ぼくはそういうことをする人をまったく理解できなかった。
やってもいないことをやった振りをするのはどういう神経なのだろう。自分にウソをついて、虚構の自分を作り上げて、それを写真なんかに収めて、SNSなんかでアピールする。どういう神経でこういうことができるのか。
世の中には趣味なんかを形から入る人もいる。さほど熟練していなくても一流の道具を使って形だけアピールする人である。でもその人は少なくとも「やってる振り」はしない。そしていつか一流の道具に見合うスキルが身につけるかもしれない。だからぼくは形から入る人を否定はしない。道具だけ揃えて振りだけするというのとは、まったく次元が違う話しである。
これはまったく許しがたいことである。真剣にシーカヤックに取り組んでいる人をはじめ、体重が重すぎて何となくシーカヤックを始めるのに躊躇があるぼくにだって失礼な話しである。けしからんヤツだ。

しかし、彼のことをちょっと考えてみる。
彼はどういう動機でこういう「振り」をするようになったのか。写真を撮っていたことを考えると、先ほどから書いているとおりSNSなんかでアピールするためだろうか。彼のSNSのページはどういう内容が並んでいるのだろうか。彼はわざわざクルマにシーカヤックを積んで、首都高を飛ばして海まで来たわけで、そのすべての行動がSNSで語られる虚構のためになされたなのだろうか。
そこでふと思い出すことがあった。
以前に書いたことがあるかもしれないけど、ぼくがランニングや自転車をやっていることを信じられない人が少なからずいる。ぼくが「フルマラソンを走りましたー」とか言っても、ウソだと思ってる人がいるのだ。もちろん面と向かって「ウソでしょ」と指摘したりはしないけど、会話の中の言葉の端々にそんな疑念を感じたりするのである。「アイツはランニングやサイクリングが趣味とか言ってるけど、実は言うほど走れるわけではない」と。
いや、ぼくの体形を見ていたらそう思うのは無理もない。ぼくは外見上はとてもフルマラソンを走れる人には見えないのだ。しかも自分から進んで何度も走るなんて、常識では考えられないとも思う。テレビの企画とかで、デブの芸能人が無理やり走らされてゼーゼー言ってるのを見るとそう思うのも無理はない。だから、ぼくがウソをついてそういう自分を演出しているだけなんじゃないか、というわけである。
ちなみに、先日の東京湾一周サイクリングでも、まさかぼくが自転車で東京湾を一周してるなんて信じられない人が何人かいた。東京駅で写真を撮ったぼくが電車で木更津に向かったと考える人たちである。アホか。そんな手の込んだウソをつくくらいなら初めからサイクリングなんか出かけないで、自宅で絵なぞ描いていた方がよっぽど生産的である。とは言え実際ぼくもそんな空気を感じてか、行く先々で写真をアップしちゃったんだけどね。(結局、東京駅の他に、千葉駅、木更津駅、久里浜駅と、どう考えても自転車で走ったでしょ!と言えるような写真を並べるハメになってしまった)
でも、そういう疑念を持つ人ってのはどういう人なのかと思う。もしかしたら、人に自慢できるほどの趣味とか特技とかない人なのかもしれない。そしてそんな人がSNSを始め、「いいね!」をもらえる喜びを知ったらどうなるだろうか。
人には「承認欲求」があって、誰かに認めてもらいたいと常に思っている。常に不安な自分に「大丈夫だよ」って言ってくれる人を求めている。そんな欲求をくすぐり、「いいね!」と言ってくれるのがSNSでもあるのだ。
ぼくもSNSをやるので、承認欲求に突き動かされてちょっと見栄を張っちゃったりするけどさ。たとえば、先日さきこが購読している経営者向け雑誌「プレジデント」の中の記事を写真に撮って、「こんな記事が」なんて投稿したりして、あたかもぼくがプレジデント愛読者である風を出しちゃったりするけどさ。でもそう書かないうちはウソじゃないじゃない。たまたま本屋で見かけて買ったプレジデントにぼくが注目する記事が載っていただけかもしれないじゃん。そういういわば余白を残しつつも、ちょっとアピールしたいって下心は認めて欲しいものである。これは先ほどの自分を虚飾するのとは次元が違うと思うんだよね。

そんなわけで、素晴らしい夕陽も彼の虚飾にまみれた行動のせいで台無しになり、それがぼくの思考を妙に支配するようになった。ぼくがこの先どう生きたらいいのか分からなくなり、趣味も特技もないすっからかんのニンゲンに成り果てることがあったとしても、ありもしないことをあったと嘯くニンゲンにはなりたくないと思うのだった。
いや、それはともかく、乗らないシーカヤックを虚栄心のために弄ぶだけなら、ぼくに譲ってくれよと思うのだった。
| 日記 | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0)
続・自転車屋は二度携帯電話を鳴らす。
先日納品日の変更があったぼくの自転車だけど、あれから2週間、今回は予定通り進んだようである。自転車屋さんから電話があって、自転車が無事納品されたとのことである。あぁ良かった・・・。 一時は6月下旬と言われていた納期が延長されて8月下旬なんてあり得ない納期が提示されたけど、その後の交渉で納期が思いっ切り短縮されて、7月上旬ってことになり、7月9日に無事自転車屋さんに納品されたとのことである。うん、やればできるじゃないか。 さて、これからの話しである。 ぼくは自転車に特注の塗装を施そうと思っている。もともと車体は「赤」にしていたんだけど、せっかく購入するのだから以前から憧れていた「銀メッキのフォーク」にしたいのだ。フルクロモリ製の自転車でよく見かける塗装である。いやただのマネなんだけどね。これによってぼくがコダワってきた自転車の姿が理想に近づくことになるのだ。そう、今回の自転車購入の話しの根底には、どうせ新車を購入するのならぼくの理想を実現しようというコンセプトがあるのだ。従来の愛車・こてつ号の老朽化やメンテナンスに費用をかけるよりは買っちゃった方がいいという当初の発想から、理想の実現まで思いが膨らんだ結果である。だから自己満足でいいのだ。一生モノの自転車を買うんだからね。 そのフォークのメッキ塗装のことだけど、細かいディテールでちょっと悩んでいる。銀メッキをフォーク全体に塗布するか、車体の色を若干残すかである。他でよく見るクロモリ自転車の銀メッキフォークは、フォーク全体が銀メッキになっている。これに倣うとすれば、ぼくの新車もそうするべきかとも思うけど、どうも安っぽさが漂うんだよね。一方でぼくが当初考えていたのは、フォークの肩にあたる部分の赤の塗装を残して、その先を銀メッキに塗装する形。何がどうということはないのだけど、単純にぼくの感覚ではこっちが美しいと思われた。ただ、車体本来の色を残すというのは製作工程上難しいんだそうで、つまりフォークに塗布された塗料を一旦全部落としてから、銀メッキ部分と赤部分を新たに塗装し直す工程になるそうなのである。そうなると、メーカー純正の赤を自転車屋が外注する塗装屋が再現できるかという問題が出てくる。まあさすがにプロの仕事なので、そこは「シロウト目には見分けがつかないレベル」の塗装をしてくれるとは思うけどね。それに、フォーク全部を塗装するのに比較して、2色塗装は費用がかかりそうである。これも悩ましいところ。 塗装の工程は約2週間だそうである。 来週から手配したとして、7月下旬か8月上旬の納品というところだろうか。 梅雨明けを若干やり過ごす形になるのが残念だけど(冒頭に書いた当初の予定では、梅雨明けすぐに特注塗装を終えた自転車を受け取るハズだったんだけど)、その分こてつ号との最後のサイクリングを楽しもうと思う。 こうして特注の塗装が終わってめでたくもぼくに納品されてもまだ悩ましい問題が続く。新車の名前をどうしようか、という問題である。 今の自転車の名前は「こてつ号」で、これはクロモリといういわゆる鉄のフレームに由来するからなんだけど、そうであれば、さらに完全なクロモリ自転車である新車は、より鉄っぽい(?)名前にすべきと思うんだけど、はてさて、全然いい名前が思いつかないのだ。 そんな悩ましい日々も特注塗装が終わり納品されるまでである。納品されればまたサイクリングの日々である。早く自分の足に馴染んでもらうためにも、サイクリングの回数はちょっと増えるかもしれない。今年は暑い夏になりそうである。
| 自転車日記 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0)
チチンプイプイ。
ぼくはランチタイムにブログを書く。今はタブレット型のパソコンをコーヒー屋に持ち込んで書いているんだけど、そろそろ老朽化を感じさせる状況である。いや、ぼくが持ち歩くパソコンとしては、比較的長持ちした方だと思うし、機器自体に劣化を思わせるところはないんだけど、どうも最近キーボードの接続具合が悪いのだ。 つまり、キーボードを接続してもなかなか認証してくれない。これはコネクタ部分が物理的に劣化してるというよりも、OSをアップデートするどこかのタイミングで、ミニUSBを認証するプログラムが新たに書き変わって、これがぼくのようにミニUSBからノーマルのUSBに変換して繋げているキーボードとの接続を悪くしているのではないかと思うわけである。機器は古くなくても、こういうことって起こるものなのである。 そんなわけで、今まで何のストレスもなく使えていたタブレットパソコンが、今はちょっとストレスフルな環境になってしまった。まあこうしてキーボードを一旦認識してしまえばこうして普通に使えるんだけどさ。 そんな折、マイクロソフトのサーフェスにニューバージョンが発売された。サーフェス3と言うそうな。そういえばこのタブレットパソコンを買ったのがサーフェスが発売される前だから、もう3世代分の期間をこの機械と過ごしてきたということになるけど、サーフェスが出た時にはホント羨ましかった。 なんせタブレットパソコンのくせに薄型のキーボードがカバーになってるんだからね。今のぼくのようにタブレットとキーボードをそれぞれ持ち運びしなくて済むし、ミニUSBをUSBに変換して、さらに長いケーブルで接続するなんていうカッコ悪いことをしなくていいしね。いやそもそも純正のキーボードが直接装着できるので、キーボードを認証してくれなくて文字が打てないなんてこともなくなる。うん、いいわサーフェス。 このタブレットが今度こそキーボードを認識しなくなっちゃったら、また新しいパソコンを買わなきゃいけないけど、今度はサーフェスにしてみようか・・・って、サーフェスって結構高いんだよね。パソコン代は会社から一部補助が出るとは言え、数万の自己負担でさえ自転車を○十万で買っちゃった後にはちょっと言い出せないところである。 ・・・と、ここまで書いてきたけど、何もサーフェスがすぐ欲しくて駄々をこねているつもりはない。 ぼくのジンクスだけど、使っているパソコンで「あのパソコンっていいなー、欲しいなー」と書くと、途端に動作がよくなるのである。パソコンにも意識があって、打った文字を横から眺めてるのかもしれないね。自分のことを書かれると分かったりしてね。 そんなわけで、当面はこのタブレットパソコンとの付き合いが続くと思うけど、そうは言ってもちゃんと動いて欲しいものだと思うのである。 ※それにしてもぼくのパソコン環境は、持ち歩き用のタブレットパソコンだけでなく、会社で使うのパソコンでも非常に具合が悪い。いやパソコン自体は新しいんだけど、ネットワークが悪いのかサーバが悪いのか、非常に遅いのだ。遅すぎてイライラする。人が手書きするよりも、人が計算するよりも、人が手紙や電話を使うよりも確実で効率よく作業ができるからパソコンを使ってるハズなのに、パソコンが遅すぎてメールを書くよりも電話した方が早いとか、手書きで書いちゃった方が早いなんてことがあり、もはやパソコンを使ってる意味がない話しである。以前の会社では、まあ普及率が低かったからかもしれないけど、パソコンの速度でストレスを感じたことはほとんどなかったのにね。なんだかなと思う・・・って、こうして書いてみたら、会社のパソコンも早くなってたりして?
| 日記 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0)
右脳発動休暇。
お絵描きを始めるともう家事そっちのけで集中してしまい、さきこには「ダメニンゲン」の烙印を押されちゃうのだけど、この日はお休みをいただいたので、朝から存分にお絵描きができた。ぼくは夜に頑張るよりも午前中に頑張る方が効率が上がるタイプのようで、出勤するさきこを見送ってから、速やかにデスクに向かった。 とは言え、デスクに向かって根詰めてカリカリし続けるわけではなくて、途中で気分転換しつつ、たまに集中的に向かったりしながらずっと自室にいた。うん、集中とリラックスを繰り返すこういう休暇の過ごし方がいいな。これで結局絵なぞが描き上がったので、さらに満足度がアップして、久し振りに充電完了な日になった。
| 日記 | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0)
こてつ号の去就問題。
二転三転したぼくの自転車購入の話しだけど、先日書いたとおり、とりあえず7月上旬、具体的には7月10日に納品される感じである。さらにその後に手を加える作業があるので、ぼくが乗れるようになるにはまだ1か月くらいかかりそうな感じだけどね。
とは言え、確実に言えることは、待っていれば自転車は手に入るということである。だから待っている。当面の納品日である7月10日を文字通り指折り数えて待っている。もういくつ寝ると7月10日になるのか。

さて、自転車が新しく来るとなると問題になるのが、愛車こてつ号の処分の問題である。いや、捨てちゃわないよ?でもいつまでも家に置いておくわけにはいくまい。どこかで売るかあげるかしないといけない。現実的なのは中古の自転車屋さんに売ってしまうことだけど、10年間も乗り古した自転車で、ほとんど初心者用の自転車である。これでいくらかおカネになるということはないだろう。
そうなると、誰か欲しい人がいたら、その人に譲るか。これから自転車を始めたいという人がいたら、その人に譲るというのも手だと思う。これならこてつ号は新しい主人を得て、これからも走っていられるわけである。しかし、問題は自転車のサイズがだいたい身長170センチくらいの人に合わせてある点である。170センチそこそこのぼくが乗ってて「ちょっと大きいか」と感じるくらいだから、まあぼくの足の短さなどを考慮しても、170センチ未満の人にはやはり大き過ぎるんじゃないかと思う。
そんなわけで、170センチくらいの人でこれから自転車を始めようという人を探している。

しかし、なかなかそういう人はいない。まあ人情として、せっかく自転車を始めるんだから使い古しよりも新車の方がいいと思うのは理解できるし、興味を持ってくれた人でも残念ながら180センチオーバーの大きな人だったりして諦めてもらったこともある。ぼくの周囲にはなかなか「この人!」という人がいないのである。
そんな中、ぼくの会社の同僚が話しかけてきた。
これから自転車を始めたいんだけど、自転車を持ってなくて安く譲ってくれる人を探している・・・んだそうな。その人の身長は170センチ弱で、まあ絶対ダメなわけではない。状況を鑑みてこの人に決めちゃった方がいいかもしれない。いや、ぼくの会社の人なので、まったく知らない人ではないしね。
しかし、どうも釈然としないのだ。
10年ほどの長い付き合いになったこてつ号をホイホイと他人に渡せないという心情はある。このこてつ号で佐渡島や北海道の絶景や京都チャレンジの溢れる達成感を共有してきたのである。長年の相棒を簡単に売り渡せない思いである。
とは言え、いつまでも自宅に保管できないし、乗られることのない自転車ほど哀れなものはないわけで、その点ではとにかく乗りたい人に乗ってもらうべきとの考えもある。上に書いてきた事情だけを見れば、迷うことはないとも思うのだけど、実は別の要素がある。
そもそもこのこてつ号譲渡話しを持ってきた、いわば斡旋役となっている同僚のことである。
この譲渡話しを聞くにつけ、違和感を持ったのだけど、そもそもぼくはこの自転車を急いで誰かに売りたいなどと言った覚えはなく、そのうちなんとかしないとね〜くらいにしか話してないのである。それをまるで自分が斡旋を委託されたかのように自転車を欲しがる人を探してくるなんて、ぼくの事情に踏み込み過ぎというかちょっとデリカシーがない気がする。しかもその斡旋の話しが出たのは、ぼく抜きで勝手に集まった自転車仲間の会合で、である。ぼく抜きで集まるのは全然いいのだけど(これ見よがしに自慢してくるのが非常にウザいが)、その中でぼくの話しで盛り上がるのはどうなんだろうね。しかも勝手に譲渡話しにまで発展してるのもどうかと思うよね。自転車に関するそういう経緯と、そもそもこの同僚の日頃の仕事っぷりや言動を加味すると、譲渡話しには理性的に賛成なのだけど、心情的には大反対ということになる。ちなみにこの同僚の話しをし始めると、それだけで4、5時間は(いやもっとだな)喋っていられるほど、いろいろある同僚である。ブログでこういう悪口めいたことを書くのは好きじゃないので、この辺で止めとくけど。
そんなわけで、うん、やはりブログを書くってのはいいコトである。今回の譲渡話しに対してぼくの考えをまとめることができた。
さて、そうなると、こてつ号の動向が振り出しに戻ってしまう。
いつまでも部屋に飾っておくわけにもいかないかつての相棒はどうなってしまうのだろうか。
こてつ号の明日はどっちだ?!
| 自転車日記 | 12:35 | comments(0) | trackbacks(0)
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