「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
週末は。
週末に雨が降ってしまったので、新しい自転車でさきことサイクリングするという計画は流れてしまい、桜木町でランチを摂った後に「さてどうしよう」ということになった。
そこでかねてから行きたかった「原鉄道模型博物館」に行ってみることにした。
以前ぼくは自己分析の結果、「鉄道マニアではない」という結論に至ったのだけど、それでも鉄道関連の施設などは「絵になる風景」ということで興味が続いていた。この博物館には実際に鉄道模型が走るジオラマがあるそうだから、「絵になる風景」がジオラマの中で見られるかもしれない。
ただ、桜木町からみなとみらい線で行くには遠すぎたかな。一旦横浜まで出てからポルタの地下街を歩いた方が早かったかもしれないね。
博物館ではマニア垂涎の模型たちが並んでいたんだと思うけど、ぼくはどうもピンと来なかった。特に蒸気機関車は、その造形美や力強さや迫力は感じるんだけど、それと同時に黒煙を吐き散らしながら走る様子は「環境汚染」の印象も根強いんだよね。小さな蒸気機関車がチョコチョコ走ってる様子はかわいくもあるんだけど、巨大な蒸気機関車の模型はどうも好かないのである。
巨大なジオラマは、ホントに想像を超える広さだった。かなり作り込まれた造形の中を小さな(・・・と言っても走る鉄道模型の中では大きい方か)鉄道模型が走るのは、感動ものである。子供でなくても充分以上に楽しめるものだ。またこのジオラマの世界にはどうも「時刻表」があるようで、時間によって走る車両が変わったりする。機関車が走ることもあれば、電車が走ることもある。小さな機関車が山岳鉄道にあるような風景の中を走ったりするのは、微笑ましくもあった。
ターミナル駅的な街の造形には、行き交う人や自動車なんかが配置されていて非常に臨場感がある。よく見ないと見えないような建物の影や裏側もちゃんと作り込まれていた。これはかなり好きでないとできないことである。ちなみに街に配置された自動車に何台かのチンクェチェントを見た。これほどチンクが走ってる街角は今やどこにもないんだろうなと思うと、ちょっと寂しくなったりもした。
とにかく見ていて全然飽きないんだけど、さすがにさきこは疲れたようである。さきこはこの日はもともと足の調子が良くなかったのである。それでもぼくの趣味に付き合ってくれたのには感謝である。そんなさきこはジオラマから少し離れたところにあるベンチに座って休んでいた。子供連れで来た家族では、その一部が熱狂的にジオラマに食いついて、残りの家族がベンチで休むという構図があるのだろう。この熱狂的な一部の家族が子供の場合もあれば、お父さんの場合もあるだろうけど。
入場料1000円はぼくにとっては全然高いものではなかった。これで一日中ここにいていいのなら、全然安いものである。すぐに絵なぞに取り入れたい風景には出会えなかったけど、今後のために栄養を蓄えられたと思う。
また行きたいなーと思うんだけど、朝からずっとジオラマに張り付いて「不審な中年デブ」みたいな奇異な目で見られるのは嫌だなと思うにつけ、ここはオトナ的な我慢かと思ったりもするのである。
| 日記 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0)
雨、恨めし過ぎ。
雨である。
ぼくは雨男的なジンクスがあるというか、楽しみにしていたイベントが雨に見舞われることが非常に多い人で、その点ではホント残念な人なんだけど、今日ほどぼくの雨男気質を恨んだ日はないと思う。そう、かつてツールドちばの2日目の朝にほとんど豪雨になってしまい、この中を自転車で走り出し100キロを走破しないといけなかったあの日よりも今日の雨は恨めしかった。
昨日書いたとおり、今日はぼくの新しい自転車の納車の日だったのだ。4か月間待ちに待ってきた自転車がついにぼくの手元にやってくる日だったのだ。この日を一日千秋の思いで待ち侘びたのである。しかし、今日は雨。自転車に乗れるような日ではなかった。
先週初めの時点では、今日の天気は晴れだったのだ。これが台風の影響で気圧配置が一旦リセットされた状態になって、その気圧の隙間に低気圧と前線が流れ込んできた。晴れの予報だった今日は一転して雨模様になったわけである。
雨だから自転車は引き取らないという考えもあったけど、昨日組み上げが完了した自転車をやはり一目見たいと思い、さきこと自転車屋さんに向かった。ついに新しい自転車に会えるのである。
自転車屋さんで納車を待つ自転車たちは、購入者の名前と購入日付がかかれたタグがかかっている。緩衝材に包まれたぼくの赤い自転車にもタグがかかっていた。ただし、他の自転車と違うのは、購入日が4月の日付だったことである。どんだけ時間がかかってんだと改めて思う。
そして緩衝材を外してもらい、ついにぼくの自転車がその全貌を現したのである。
鮮やかな赤のフルクロモリのフレーム、フォークのメッキ塗装、フルクラム社製のホイール・・・そのすべてがぼくなりにコダワって選定したパーツである。ぼくの自転車である。


いや、やはり感動するものである。
店員さんに促されて、サイズの確認のために跨らせてもらう。フィッティングを確認すると、これがなかなかいい感じである。路上でペダルを回してみるまで何とも言えないけど、止まった状態で跨った感じでは、ハンドルの距離は適当で、当初ぼくが期待していたようなコンパクトなポジションになれるように感じられた。うん、最後まで不安だったけど、このフレームサイズで良かったということだね。
その後メンテナンスなどの説明を受けつつ、購入してなかったパーツ(トウキャップとかボトルホルダーとか)を買って、自転車代と合わせて清算した。うん、聞いていた金額に変化はないけど、おろしてきたおカネはぼくにはなかなかの高額だった。それをポンッと渡して呆気なく支払いが終了した。これでこの自転車はぼくのものである。
最初に書いた通り、今日は乗って帰れないので、しばらく店に置いてもらうことにした。晴れてくれれば遅くとも来週には取りに来られるだろう。週中に天気が回復して仕事に差し支えなければ、会社を休んで引き取りに来ちゃうかもしれないな。

こうして自転車はその全貌をぼくの前にさらけ出し、ぼくはそのすべてに満足した。フレームサイズも色もパーツもとにかく全部である。ちなみにフォークの塗装の件だけど、まず色味については、ほとんど見分けがつかないほど同じ色を塗装してくれていた。また気泡上の突起は、写真で見たような箇所にはついていなかった。ぼくが自転車屋さんに「気泡上の突起があることを諦めてこれで完成ということでいい」旨を通知した後に、塗装屋がもう一度塗布にチャレンジしてくれたんだそうな。そうしたら、今度は突起ができなかったそうである。ぼくのために何度も試行錯誤をしてくれて、ホント感謝である。

自転車を購入するにあたっては、いろんな方に相談させていただき、意見もいただいた。そのすべての方に大感謝である。
自転車が乗れるようになるのは来週だけど、とにかく自転車の全貌が分かっただけでも良かったかな。来週は絶対晴れて欲しいものである。
※大満足なんて言っててなんだけど、細かい点を言えばフロントディレーラーの形状がなんか鍋蓋みたいでちょっと気に入らない。今のこてつ号のように隙間が空いている感じの方が好みである。またステムと本体を接続する部分も、ちょっと突起のようになってて気に入らない。これを外してしまいたい欲求に駆られてしまう。自転車屋さんの話しだと外さない方がいいらしいけどどうだろうね。
| 自転車日記 | 19:17 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車を待ちながら。
4月下旬に購入したぼくの新しい自転車は、いろいろと紆余曲折・・・いやホント思えば長い紆余曲折を経て、いよいよ明日納車ということになった。ホントに長い日々だった。新しい自転車を待って季節が巡り、気が付けば秋である。購入した日から既に4か月を超えているのだ。

ところで、何かを「待つ」というのは、非日常的なことである。
ある日常的状態から別の日常的状態に変化する狭間に存在する、ほんのわずかな時間に起きる出来事である。だから人間は「待つ」間にドキドキワクワクするのである。このドキドキ状態こそが非日常的時間、非日常的状態である。待つ行為はそれ自体が非日常なのである。
しかし、待つことが長引くとその性質に変化が生まれる。今日も待ち、明日も待ち、今月も待ち続け、来月も待ち続けると、そのうち待つことが日常化してしまう。待つという状態がニュートラルな状態になってしまうのだ。4か月も自転車を待っている今の状態がまさにそういう状態だろう。ぼくは「自転車の納品を待つ」という日常の中にいるのである。
それはとても問題のある状態である。危険な状態とも言える。
日常化した「待つ」が終わることは、つまり非日常の到来を意味するからである。待つことが終わるのは非日常への入り口なのである。
非日常はストレスに繋がる。待つ行為が非日常であるうちは、ドキドキワクワクと共にストレスも無意識に感じている。だから待ち時間が短い方がいいし、待つことが長引くとイライラしてきたりするものである。だから待ち時間があまりにも長くなると、そのストレスから解放されようと防御的本能が働き、これを日常的行為として認識しようとするのだろう。それで待つことが当たり前になり、待つことにストレスを感じなくなるのだ。
しかし待つことが終わると、新しい非日常が現われる。つまり新しいストレスが生まれるのだ。
これは本末転倒というか、非常に滑稽な状態である。
当初は、新しい自転車を手に入れて、「新しい自転車のある生活」という日常を求めていたハズなのに、今では新しい自転車がやってくることにドキドキワクワクではなく、不安を感じているのだ。つまりストレスを感じている。
新しい自転車が明日やってくる。ぼくの部屋に1台の自転車が置かれることになる。これはぼくが長年願ってやまなかった宿願でもあったハズである。しかし待たされ過ぎた結果、今や新しい自転車のある生活に不安を抱くほどになっている。
人間の神経とは面白いものである。

そういえば、この「待つ」ことの心理的変化に焦点を当てた不条理劇があったな。来ない待ち人を延々と待ち続ける人たちの、待つだけの物語だったと記憶している。来ないハズの待ち人を待ち過ぎて、待つこと自体が目的化していく様子である。そして、もしその待ち人が来たらどうなってしまうのだろうと次第に不安を抱くようになる。「待ち人を待つこと」を共通項として集まったこのコミュニティは、待ち人が現れることでどう変わってしまうのだろう。登場人物はそのことを次第に恐れるようになり、「待ち人が来ない」ことを願うようにさえなっていく・・・というストーリーだったかな。
まさに今のぼくの状態である。

しかしぼくは、この不安な状態をちょっと楽しんでいる。待ちに待った明日は、ぼくが不安になろうがやってくるものである。この非日常を受け入れ、新しい自転車のある新しい日常を手に入れるのである。まあ2、3日もすればこの日常にすっかり馴染むんだろうけどね。だから自転車を手に入れる前日という、非日常への不安がもっとも高まったこの日に、あえてその不安がどういうものかを考えたかったし、このことを書いておきたかった。
なんせ、ぼくが今まで購入したものの中では、もっとも高額な買い物のひとつである。これには、パソコンもトランペットもコルネットも敵わない。自動車とかマンション購入には敵わないけど、たぶん現金一括購入する買い物の中では、ぼくの人生でもっとも高額な買い物であることは間違いない。そんなドキドキが最高潮の中にいられることに感謝である。長い待機期間を経て、ついに新しい自転車に出会えることに感謝である。
明日はぼくにとって特別な日である。晴れの予報が芳しくない方向に変化して雨さえ降りそうな予報になったのは残念だけど、明日は楽しもうと思っている。文字通り、待ちに待った自転車納品は、明日である。
| 自転車日記 | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0)
自転車屋は何度も電話しても繋がらない。
8月末にできあがるというぼくの自転車の話しである。
先週のことだけど、自転車屋さんに電話してみた。この自転車屋さんはどういうわけか、1回のコールで繋がったことがなくて、いったいどこに電話をかけてるのかと思うけど、何度かのコールでやっと電話が繋がった。
何より確認したいことは、「ホントに8月31日の納品で大丈夫なのか?」である。

この時の担当者からの回答は、ぼくをかなり不安にさせた。
曰く、メッキと赤の2色塗りをしてみたものの、模様のようなものが出てしまい、均一に塗れてないとのことである。
塗装で模様なようなものって何だ?そりゃつまり「塗りムラ」のようなものか?プロの塗装屋が塗りムラになるような仕事してんじゃないよ!ということで、とりあえず写真を見せてもらうことにしたんだけど、その際に言われたことが、「8月31日納品にするには時間があまりなくて、もう一度2色塗りをすることはできない。キレイに仕上げるなら、クロモリメッキ1色に切り替えるしかない」とのことだった。
選択肢は2つ。このままOKとするか、クロモリメッキでもう一度塗り直すか、である。
クオリティを追及すれば当然クロモリメッキ塗り直しだけどね。この時点でもう一度塗り直しを迫られるとはね。困ったわ。
そこでとりあえず送られてきた写真を見る。
 
 
※送られてきた自転車の写真。たしかに気泡状の突起が見える。

彼らの言う「模様」とは、この小さな突起のことのようである。
突起の状況を見るに、模様とか塗りムラとかいうよりも、気泡になっちゃってる感じか?あるいは塗料がダマになっちゃった感じか。いずれにしてもプロの仕事とは思えない失敗である。
ただ幸いなのは、塗料の色味が本体に近くなってることである。
以前自転車屋さんでフレームを見せてもらった時に「フォークの塗装が本体の色にどれだけ近くなるか不安」と言ったところ、「塗装屋にこのフレームを送って合わせてもらいますよ」と言ってくれたけど、あの後ちゃんとフレームを送ってくれたようである。
問題はこの米粒にも満たない気泡状の突起をどうするか、である。
もしホントにこれが気泡のようなものだとすると、乾燥しているとは言え、多少の衝撃で割れる可能性がある。そうすると凸凹ができるだけじゃなく、下地が露出する恐れもあって、そうなると錆びの原因になりかねない。そういう懸念は確かにあった。
しかし、リスクは完全に回避することはできない。「もし」を重ねていけばリスクを排除できるかもしれないけど、新しいリスクだって生まれるかもしれないし、当然おカネと時間はどんどんかかっていく。ぼくはプラモデルを塗装してもらってるんじゃない。時に過酷な環境下でも走らなければいけない自転車の塗装をしてもらってるのだ。そんな使い方の中では多少の錆びは勲章のようなものである。気泡がなくたってそこここに錆びは出てくるものである。

そうだ、ここが潮時かもしれない。
さきこにも写真を見せて意見を聞いたけど、同意見だった。よし、決まり。
これで「よし」としよう。
 
※フォークのマスキングシートを剥がして組んでみた状態。やっと君に出会えた・・・。

それにしても、写真の自転車のなんと美しいことか。素晴らしいフォルムである。
キャンディレッドの選択も間違ってなかったと思うし、何よりフォークを2色に塗装したのは大正解だった。どこにも存在しないぼくだけの自転車がそこにある。頭の中にしかなかった自転車がそのままの形で目の前に現れた。追い銭して塗装を依頼して良かったなーと思う。いや、ホント美しい自転車である。感動した。

さて、塗装については、自転車屋さんにはこの状態で納品してOKの旨の回答をした。これで自転車屋さんの方も受け入れ態勢を組んで、塗装屋から受け取り次第、ただでさえ1か月以上納期遅れになっているぼくの自転車を急いで組んでくれるだろう。
自転車の受け取り日を8月30日、日曜日に設定した。大安だし、この日は晴れる予報である。こてつ号の時もチンクェチェントの時も受け取りの日は雨だったけど、今回は晴れてくれそうである。ぜひ受け取ったまま慣らしのためのサイクリングをしてみよう。
待ち遠しかった、いや待ち遠し過ぎて、待つことがほとんど日常になってしまった今回の新車購入のエピソードは、ついに最終章に入ったのである。
| 自転車日記 | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0)
美味しい気遣い。
高齢もなおアクティブなぼくのお袋さんだけど、最近はたまに旅行なんかに行ったりしているそうである。冬の流氷を見に知床に行ったかと思ったら、今度は青森だそうな。国内旅行のツアーだそうだけど、ここまでお袋さんが旅行好きだと思わなかった。もっと若い時に一緒に旅行に行ってあげれば良かったと思う。
そんなお袋さんが青森の旅行先からお土産を送ってきた。
先日青森の旅行先からの電話が来たけど、どうも青森辺りはしじみの名産だそうで、ぼくがしじみ汁が飲めなくて哀しい思いをしたことを思い出して購入してくれたのである。たしか3月のブログに書いた内容である。よく覚えてたな。
そんなわけで、昨日は届いたばかりのしじみ汁をいただいた。青森のどこだったか、とにかく名産のしじみは大きさこそ一般的なしじみと同じか微妙に大きいか程度なのに、その身はかなり詰まった感じである。エキスも非常に濃くて美味であった。これはいいね。これからも取り寄せて飲みたいものである。
お袋さんの気遣いに感謝である。去年は一緒に宮古島に旅行に行ったけど、また近いうちに旅行なぞに行きたいものである。
ちなみに、美味しいしじみ汁もいいけど、ぼくが飲みたかったのは、安いビジネスホテルの朝バイキングで、寸胴で長時間保温されて煮詰まってしまって、殻と身が分離してしまったしじみの身をおタマですくって口に頬張るような味噌汁なんだけどね。
| 日記 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0)
絵なぞリクエスト。
同じ会社の人と雑談していたら、ぼくが絵なぞを描くということが知って、何か描いてほしいなどとリクエストをいただくことになった。絵なぞのリクエストは過去に何度かいただいて描いたこともあるんだけど、完成した絵なぞを渡す時はいつも死ぬほど恥ずかしい思いをする。これはどういう類の感情か分からないけど、描いた絵なぞを見せるのはホントに恥ずかしいものである。
さて、今回いただいたリクエストは、「セキセイインコ」である。
どうも彼女の自宅で飼っているのが、青いセキセイインコだそうで、これを描いてほしいそうである。
セキセイインコなど描いたことがなかったけど、試しにちょっと挑戦してみたら、これが意外にもいい感じで描けたので、これに気を良くして、描き上げてみることにした。

人間の方の表情が決まらなくて、描き直すこと7回。いや、これは下絵が残ってるものの枚数で、没になったものはさらに数枚にのぼる。描き直し7回以上なんて、かなり高いモチベーションで描いたよな。そのおかげで、まずまず納得できる絵なぞが描けたと思う。
これを会社に持って行って彼女に見ていただいた。とても喜んでいた。いや、まあ社交辞令なのかもしれないけど、こうして喜んでもらえるのはこちらもスゴくウレシイものである。頑張って描いた甲斐があったものである。

それにしても、今回はいい感じでリクエストに答えることができた。リクエストに対応する形だと、普段無意識に避けている色使いや配色やモチーフにも一歩踏み出して挑戦してみようという気になり、これが技術とか経験を増していくような気がする。その点では今回の絵なぞには1枚の絵なぞを描き上げた以上の成果があったなーと思うのである。
だからこういうリクエストはホント大歓迎である。ぼくが描けるレベルのもので、右脳がちゃんと回ってくれれば、きっと満足いただける絵なぞが描けるだろう。
「ウチって、実はインコだけじゃなくて、ゴールデンレトリバーとハムスターもいるんだよねー。これも描いてよー」
いや、それは勘弁してな。

※ちなみにセキセイインコを描くにあたりネットでセキセイインコの画像を検索して、その羽の色とか体つきなどを参考にさせていただいた。うん、パクってないよ。その時に分かったんだけど、セキセイインコのせきせ「セキセイ」って、「背黄青」って書くのね。たしかに黄色かったり青かったりする鳥である。英語かなんかだと思ったので意外だった。
| 日記 | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0)
ロングライドの夢。
実は来年度のことだけど、長期休暇の機会がある。会社から5年に一回付与される長期勤続休暇が来年度に付与されるそうなのだ。いや、ぼくの勘違い(?)もあって、これに気付いたのは最近である。そういえば京都チャレンジはこの休暇を使って敢行したわけだけらちょっと考えれば分かりそうなものだけど、そうか、あれからもう5年になるか。
京都チャレンジから5年ということで、京都チャレンジに匹敵するようなロングライドをしてみたい。京都チャレンジ以降は、100〜200キロ程度のロングライドばかりだったけど、この時はこれを超える距離を走りたいものである。
さてどこに行ったものだろうか。
以前にも書いたかもだけど、候補はいくつかあって、その大きなものが、「中山道チャレンジ」とか「直江津チャレンジ」とか「日本海チャレンジ」とか書いてきたルートである。日本橋を出て、いわゆる中山道を一路北上、高崎から碓氷峠を越えて軽井沢に至り、さらに北上して長野、野尻湖を経て日本海・直江津に至る道である。走行距離はおよそ300キロである。3、4日かけて走るにはちょうどいい距離である。これは長期休暇というよりも例年のチャレンジサイクリングのネタとして温めていたものだけどね。ついに敢行する時が来たか。
※それにしても、名称をどうするか。京都チャレンジのような「いざ、鎌倉」的なインパクトが欲しいけど、「中山道チャレンジ」も「直江津チャレンジ」も「日本海チャレンジ」もインパクトが弱いなー。強いていえば「日本海チャレンジ」か。

いや、日本海チャレンジに決定ってわけじゃないけどね。
日本にはもっと興味深い場所があるはずで、まさに5年に一回のサイクリングに相応しい場所が他にもあるかもしれない。そうだな、たとえば知床半島を周回するのはどうだろう。まさに地の果てって感じ。いや地の果てと言えば、稚内か。稚内からオホーツク海沿岸を走るか。いや、ソロライドではちょっと不安があるか。熊が出るかもしれんしな。または、JR飯田線の沿線はどうか。これはかなり秘境ロードである。ヒルクライムもハンパないし。または、せっかく京都まで行ったんだから、その先に行くってのはどうか。京都から大阪を経て、神戸、岡山、尾道、広島、山口を超えて九州・福岡に至るというのは?おお、これはなかなかシビれるな。
そんな検討をする中で、やはり日本橋を起点とするサイクリングとして、日本海チャレンジがいいかなと思い至っている。ただ直江津では少しインパクトし、300キロではちょっと物足りない感じ。ここは新潟まで北上するのはどうだろう。直江津からさらに120キロほど追加である。新潟と言えば、信越本線の終着駅である。日本橋から中山道を経て、信越本線の始発駅・高崎から終着駅・新潟に至る道、そう、新潟チャレンジである。うん、まあまあなインパクトかな。
新潟まで至ることで、その道中に見どころも増えそうだ。何より日本海の沿岸を延々サイクリングできる。途中には「海にもっとも近い駅・青海川駅」があり、その先には柏崎刈羽原子力発電所がある。期せずして東日本大震災の年から始まったチャレンジサイクリングで、その初回である京都チャレンジでは途中で浜岡原子力発電所に立ち寄ったこともあった。原子力行政にかけるぼくの思いも考えれば、直江津から50キロほどの場所であれば行ってみてもいいかもしれない。
うん、なんだかいい感じだぞ。
今回の資金は完全にぼくの貯金から拠出するようさきこの指示があったので、これからチクチクと貯金を始めないといけないけど、いや、5年分の思いをかける相手に不足なし、である。まだ詳細プランは決めていないけど、これから複数日にわたるサイクリング計画を決めていきたいと思う。決行日も決めないとな。今年のように別の事情で休日もサイクリング練習がしにくかったり、10月にちょっとしたXデーがあるようなことにならないようにしておかないと、うん。
そんなわけで、まだ分からないとは言え、この先の楽しみが増えた。新しい自転車がどこまでのパフォーマンスを見せてくれるかも楽しみである。
| 自転車日記 | 13:51 | comments(0) | trackbacks(0)
灼熱サイクリング。
前日の視覚障害者の方との飲み会でフラフラで帰ったその数時間後、早朝5時に起床である。さきこはなんだか2、3時間しか眠れなかったそうだけど、とにかくこの日はサイクリングである。
修善寺まで行き、沼津に向かう狩野川下りのサイクリングである。
ぼくもまだ前日の日本酒が残っていたけど、楽しみにしていたサイクリングである。ここは気合いを入れて起きるのである。
天気も良くて、日差しが強くて暑いけどサイクリング日和である。ヒートアイランド現象で殺人的な街の気温に比べれば、狩野川を渡る風が肌に心地良かったりする。できれば国道を走らないで、修善寺からスタートしたらすぐに川沿いの道を行けば良かったかな。聳え立つ山肌に剥き出しの岩も間近で見られたと思う。
山の上から富士山の絶景を見るためにロープウェイに乗ったのだけど、この日は晴れてはいたものの富士山頂には厚い雲がかかっていて、時折山頂だけが顔を覗かせるけど、当初期待していたような「真っ青な空をバックに赤鉄色の富士山」を見ることはできなかった。まあ夏の時期に富士山が見えないのは、しょうがないよね。
昼ごはんを食べてさらに狩野川を下る。途中でサイクリングの人とすれ違うけど、「こんなな灼熱の日にサイクリングする人なんているんだね」という視線をお互い投げ合うような感じ。とにかく暑かった。
柿田川湧水公園で湧き水を見た。ぼくがこの辺に来る時はほとんど定番である。透き通る水底からこんこんと湧き上がる湧き水を見ているだけでもココロが洗われるようである。物凄い年月をかけて富士山から三島まで沁みてくるわけだけど、この日の湧き水の勢いは今までよりも強かったように思う。当時の降雪の量が多かったのか、まさか箱根の火山性活動が関係してないよな。湧き水が流れる浅瀬では、大人げなく靴を脱いで入ってしまった。足首までしか浸かっていないのに、頭まで抜けるような冷たい水である。とても気持ちいいんだけど、1分も経たないうちに痛くなってくる。ホントに冷たいのだ。でもこれでかなり涼を得ることができた。
海に出て、防潮堤を走る。ここも沼津単身赴任の時代に何度も走った道である。田子の浦港の方まで行っても良かったんだけど、空腹に耐えかねて早々にメインイベントの寿司を食べることにした。
いや、回転寿司とは言え、毎度、沼津の寿司は美味しいなー。空腹に任せてかなり食べちゃったよ。
陽が落ちて海に佇んでいると、風がとても気持ちいい。ホント、ここには何度来てもいいなと思う。
一緒に走った自転車仲間にはただの田舎道のようにしか見えなかったかもしれないけど、ぼくにとってはホント第二の故郷と言ってもいいくらい馴染みのある場所である。何度来ても懐かしい。
しかし今回もっとも懐かしさを覚えたのは、沼津の1駅先の駅、片浜駅でサイクリングを終えた時である。
この駅はぼくが単身赴任時代に会社の寮の最寄り駅としてよく使った駅である。単身赴任当時は、金曜の終業後に寮を出て横浜の自宅に戻り、日曜の夜に横浜や戸塚から東海道線に乗って沼津に戻ったものである。会社の寮は、この片浜駅から徒歩20分(!)ほどの距離にあるので、ぼくは深夜、誰もいない片浜の駅前に降り立って、暗い道を寮に向かうのである。そんな当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。あれから10年くらい経つけど、全然変わってないよな。懐かしい。
自転車を組み立てて、電車に乗って沼津へ。沼津始発の東海道線で横浜を目指した。ちょっと追い銭してグリーン車に乗る。自転車をシートの後ろや通路に寄せて置く。通行にはかなり迷惑がかかるけど、夜も遅い上り電車なので、車掌さんにお願いして置かせていただいた。

そんなわけで、この日のサイクリングは終了である。
移動距離も長く、かなり暑かったけど、楽しいサイクリングだった。以前の雨中サイクリングのリベンジができたかな。また来年の夏は行きたいな。美味い寿司がぼくを待っている。

※さきこと修善寺駅で。
| 自転車日記 | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0)
エンブレムがエンドレス?
東京オリンピックの開催まであと5年。にもかかわらず、その準備において何やらザワザワした話しが後を絶たない。
大会のメイン会場になる競技場のびっくりするほど高額な建設費が話題になり、結局当初の計画を白紙撤回して、最初の企画からやり直しになっちゃったこととか、運営スタッフが着用するユニフォームのデザインがあまりにもカッコ悪くて、ネット上では「こんなアホな服装をやめて、いっそハッピなんかどうよ?」と提案されたデザインがかなり好評だったりとか、高名なデザイナーに発注した大会エンブレムが他で使用されているロゴマークとそっくりだったとか、この時点でこんなにザワザワしてて大丈夫か?と思うほどである。
このザワザワについて思うところをブログに書いてみようと書き出してみたら、いやもう収拾がつかないほど言いたいことが溢れてきてしまった。ぼくはもともと東京オリンピックについてあまり積極的でないのだけど、それも原因かもしれいね。ともかく何度も書き直しては削除していて、だからこの文章がブログに載るところまで行けるか分からないけど、少なくともこの時点で5回は書き直している。そのくらい東京オリンピックには言いたいことが多いわけである。
しかし、言いたいことを延々と書き連ねても退屈なだけだし分かりにくいので、ここは言いたいことに優先順位をつけて、端的に書こうと思う。言い足りないことがあるなら、またひとつずつ書けばいいのである。

そんなわけで、東京オリンピックの話題でぼくが今一番書きたいことである。
それは、大会エンブレムの盗用疑惑である。
そもそも大会エンブレムが発表された時には、かなり拍子抜けした。「え〜これぇ〜」というのが正直な感想。カッコ良くない、あか抜けない、パッとしない。いやデザインのことだから抽象的な表現になっちゃうけど、高名なデザイナーにお願いして作ってもらったものにしては微妙な図案だった。この図案が東京オリンピックの象徴として今後そこここで使われ、終わった後も後世に語り継がれるのかーとか、国内をはじめ世界各国のスポーツ番組のオープニングにこのマークがドドーンとテレビに大映しになるのかーとか思うにつけ、嫌悪感に近いなんだかモヤモヤする感じがするのである。
ぼくの個人的感想はともかく、問題はこのデザインの図案がベルギーのリエージュという街にある劇場のロゴマークと酷似している点である。いや、アルファベットを加工して作られた図案なので、偶然に似てしまうことってなくはないし、オリンピックのエンブレムの方は国際的に商標なんかを確認して採用しているので、法的に問題があるわけではない。だから「偶然の類似でしょ」ということで、このまま進めちゃってもダメじゃないんだろうけどね。感覚、というかさ、似てるものはやめといた方がいいんじゃないのと思うわけである。
そんな中、このエンブレムを作ったデザイナーには、別の疑惑が浮上しているのだ。
国内の某社がキャンペーンで消費者にプレゼントするというバッグに、このデザイナーが作成した図案が採用されているんだけど、ネット上にこの図案と類似したものが見つかったというのである。キャンペーンでプレゼントされるバッグは数種類あるんだけど、酷似が指摘されるデザインはその中でひとつやふたつではないそうである。ぼくも写真で見たけど、これは「偶然の類似でしょ」とはさすがに言えないと思った。ほとんど「完全に一致」と言えるほど似ているからだ。
このバッグの件については、実は後日、このデザイナーが「部下が既存のデザインをトレースした」的な釈明をして、つまり盗用を認めちゃったんだけど、さてこれを聞いて、先ほどのリエージュ劇場のロゴマークの酷似を「偶然」と思えるだろうか。個人的感想だけど、疑わしさのレベルはかなり高いと思う。ほとんどクロに近いグレーという感じである。

盗作は人間の行為の中でもっとも品性のない行為である。
盗作するということは、元の作者がいるわけで、本来なら盗作によってもたらされる賞賛やらおカネやらその他すべては、元の作者が受けるべきものである。これを横からかすめ取る行為は、元の作者への大変な冒涜である。盗作者は「この作品がいいなーへへへ・・・」と思って、つまり作品の価値を認めた上で、結果としてその作者と作品を踏みにじるわけである。「握手する反対の手にナイフを持つ」的な卑怯な裏切り行為。「騙してかすめ取る」と言えば詐欺にあたるけど、心情的には詐欺をはるかに超える悪質性を持つと思う。デザインなどの創作物は、作者が苦労して紡ぎ出したものであり、だからこそその創作物には魂とか力とかが籠められているのである。その苦労をしれっと飛び越えて、結果としての創作物だけを拝借し、自分の創作物として発表し、賞賛を受けるのは、同じ創作者として許しがたい行為であり、創作者であるなら魔が差したとしても、一度として超えてはいけない一線なのである。やってしまった時点で、それは自身の創作者としての自殺である。
ちなみに、盗作・盗用と模倣は違う。盗用は芸術の発展に1ミリも貢献しないけど、模倣は芸術を大きく発展させることがある。ただ模倣には模倣である自覚がある。自分が模倣として真似をしていることの自覚である。あくまで自身のスキルアップのためにあくまで芸術と向き合ってなされる模倣は、何らかの利益の詐取を目的としてなされる盗作とは、次元が違うものである。

もう一つ思うことは、創作者の技量とデジタル技術についてである。
パソコンでリンゴの絵を探し出して、これをちょろっとコピーして自分の作品に貼り付けてしまう。デジタル技術の発達した現代だからこそできる行為だけど、そうして作品を作り上げて自分を創作者だというヤツには「お前はリンゴが描けるのか」と問い質したい。リンゴも描けないヤツがリンゴを使った作品の前に立って、創作者を名乗って欲しくないのだ。

今回の件が、ホントに盗作かどうか分からないけど、あのエンブレムからは生み出すまでの苦労とか魂とか力のようなものを一切感じられなかった。ただパソコンで丸とか三角をクネクネと弄り回して、なんとなくいい感じに落ち着いた的な印象さえ受けるのである。ぼくが「え〜これぇ〜」と思った奥にはこんな思いがあったのかもしれない。
ともあれ、この件は現在も進行中の話しである。このエンブレムのまま押し切るか、先に描いた競技場のように白紙撤回になるかを見守っていきたいと思う。
さて、ここまで書いて残念なのは、ぼくがこの件で書きたい内容の半分も書けていない点である。ホントは盗作のことだけじゃなく、パソコンで図形をかちゃかちゃいじくってデザインを何となく作り上げてしまうデジタル技術の問題点とか、高名なデザイナーが作ったものをありがたがる風潮みたいなこともさらに深く書いてみたかった。また機会があれば書けるかな。
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恒例の抽選結果。
毎年恒例の東京マラソンの一般受付が8月1日から始まっている。もうほとんど夏の風物詩の感である。
しかし、これも恒例化しているけど、会員限定の先行抽選も同じ8月である。そういえばぼくが参加した去年の東京マラソンでは、この先行抽選に当選したのだった。ちなみに今年2月に走ったさきこは、11月の二次募集で当選が伝えられた。どこで当選するか分からないものである。

さて、ともかくも、来年の東京マラソンへの参加をかけた最初の抽選である。
結果は・・・ハズレである。
うん、まあ慣れたけどね。それにしても前回は昼頃に来た抽選結果通知メールが、今回は午前中に来て、心の準備もできていないままにメールを開いて「落選」の文字を目にしてしまい、なんだかショックの度合いが大きい感じである。
そんなわけで、最初の抽選は残念な結果になった。ちなみに、さきことペアエントリーしていたので、さきこも落選である。
しかし、10月の本抽選は、単独で結果が決まる。そして二次抽選も残っている。チャンスはあと2回、果たしてぼくは走れるかどうか。
※「チャンスはあと2回」なんて書くのもこの時期の恒例になってきてるな。ヤバい。

ちなみに、東京マラソンの翌週は、これも恒例だけど三浦国際市民マラソンの日である。今回もハーフマラソンに参加するとして、つまり2週連続でイベントに参加し、合計で60キロほどを走るわけである。さらに今年は東京マラソンの前週に開催の京都マラソンにもエントリーして抽選結果を待っているので、もしこれにも当たって東京マラソンにも当たると、3週連続でイベント、計100キロを走ることになってしまう。うーん、シビれるわ。ちなみに横浜マラソンは3月の中旬である。これも抽選だけど、これも加えると、またスゴい距離になってしまう。いや、ほとんど練習していないぼくにここまでの走力が身に付くのだろうか・・・などと、まさに狸の皮算用だけど、冬に向けて楽しみを積み重ねているのだった。
| Be RUNNER! | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0)
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