「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
今冬をこのまま風邪とともに過ごしてなるものか!
先日も書いたけど、10連休もの巨大な休みをいただきながら、不覚にも風邪をひいてしまった。今現在、快方に向かっているけど、ここに至るまでになんと4日も費やしてしまった。風邪を治すためだけに4日である。せっかくの休みがこんな風に浪費されるなんて、あまりにも酷い。どうせなら会社がある時にこうなれば良かったのにと思う。
この風邪のせいで、毎年年末に書いている回顧録は大晦日のギリギリまで書き切ることができなかったし、年賀状にも着手が遅れてしまった。例年にない由々しき状況である。
昨日の段階では、快方に向かうどころか、悪化さえしてる感じがして、しかも免疫システムが本気で治そうとしてるとは到底思えなくて、もうほとんど嫌気がさしていた。熱が上がるわけでも咳やたんが出るわけでもお腹を下すわけでもなく、慢性的な感冒と今年の冬を共に生きることを身体の方が勝手に決めちゃったかのような振舞いに、ホント呆れたものだ。免疫がやる気にならないなら、ぼくがその気にさせてやろうと、多少無理に動いた結果、夜中辺りから徐々に身体の状況が変わってきて、今朝はかなり爽快に目覚めることができた。まだ完全にウイルスを駆逐できていないというか、免疫の効きが今一つなんだけど、この状況ならきっと風邪は治ってくれるだろう。
そんなわけで、今年の回顧録も書き終えたし、年賀状も第一弾はとりあえず投函できた。やるべき仕事は何とか片付いたわけである。だから気持ちを入れ替えて、これから休みを楽しんでやろうと思う。箱根駅伝を観ながら漫然と過ごすのではなく、箱根駅伝はラジオで聴きつつ、集中して絵なぞを描けるような時間を持ちたいものである。
長期休暇の成果はこれからの過ごし方にかかっているのである。
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2015年回顧録
毎年恒例の回顧録である。それにしてもよく忘れずに書き続けるよなーと思って、思い返してみると、たぶん最初の回顧録を書いたのは高校1年の頃だったと思う。「高校生なんだからちゃんと1年を振り返らないと」などとイッチョマエなことを考えて始めたものである。それが今や25年以上も続いているわけで、これは自分でもスゴいと思うわ。もともと文字を書いたりするのは嫌いじゃなかったからね。旅の記録なんて、小学校の家族旅行の時から書いてるわけだしね。
継続は力なりということで、今年もざざっと振り返ってみようと思う。

■昨年の申し送り
まずは去年申し送りした翌年、つまり今年に向けた抱負である。
(1)ランニングで4時間半で走れる走力を身に付けること。
これは達成できなかった。いろいろ理由はあるけど、走力の向上どころか、低下の著しい年になった。それが荒川マラソンの欠場や富士裾野高原マラソンでの不振、金沢マラソンでの苦闘に現れている。
(2)サイクリングでは、今年もチャレンジサイクリングを継続すること。
今年は東京湾一周サイクリングを実施することで継続を実現できた。これはなかなか楽しいサイクリングだったな。
(3)絵なぞが上達すること。
う〜ん、上達はできたのだろうか。未だ自分の作風に満足できていないというか、目指すべきものが見えていないというか。しかも今年は後述のとおり、資格試験の準備なんかもあったりして、絵なぞを描ける時間的余裕が充分ではなかった。
(4)さきこが病気を克服してアイアンウーマン的活躍を見せること。
去年、一昨年とさきこを苦しめた病気は、去年の手術をもって終焉をみたわけだけど、さてその後さきこの大活躍があったかというと、そこまではちょっと至らなかった。ぼくも含めて練習不足である。しかも、11月頃にランニング練習中に足を挫いちゃって、思い通りに走れない状態が続いている。一難去ってまた一難な1年だった。
(5)仕事のこと。
去年のような大きなプロジェクトはなかったし、そもそも仕事のことをブログに書くことはしないので、今年については特段書くべきことはない。
(6)自宅改造計画を推進すること。
5月に壁面棚を完成させて、まずは一定の成果を得た。しかし、最終的にはまだまだである。本棚が圧倒的に不足しているので、空きスペースにまた書棚を作りたいしね。
例年、いろいろな思いを込めて抱負を書くわけだけど、なかなかこれが実現できないな。新しい1年を迎えるに当たって気持ちをリセットしてるつもりだけど、その思いがなかなか持続しない感じである。
それでも、今年もいろいろあったし、そのいろいろの中で精いっぱいの対応をしてきたと思う。そんな1年を振り返ってみる。

■ランニングのこと
今年のランニングを振り返ると総じて、苦難の年になったと言える。ランニングの記録としてもいい結果にならなかったばかりか、楽しんで走るというランニングの原点すら危うい状況だった。
昨年秋から始まったシーズン後半、特に春頃から持病が悪化して、とてもランニングなどできる状況ではなくなり、荒川でのフルマラソンや横浜ロードレースを欠場するハメになった。持病は完治ではなく、折り合いをつけつつ一生付き合っていく覚悟が必要だと分かった。今まで身体のことに何ら問題を抱えてなかっただけに、この事実は結構ショッキングである。しかも、一般のランナーが抱えるような脚とか腰などの持病ではなくて、ちょっと恥ずかしい感じの持病なので、「病気と一生付き合っていく」なんてカッコいい表現には全然似合わないんだよな。
そんな不調を跳ね除ける勢いで参加した富士裾野高原マラソンでは、てっきり10キロにエントリーしていたと思ってたら、実はハーフマラソンで、しかもそのコースはスタート直後に5キロほどを延々と登り続けるかなり過酷なもので、さらに当日は物凄く晴れてしまいそのため気温が高く、つまり練習不足のうえに過酷なコースとコンディションが加わり、過去に例のないほど酷い展開になった。途中で少し歩いちゃったしね。
そして夏頃に嬉しい知らせが届く。
11月に金沢で初めて開催されるフルマラソン「金沢マラソン」にぼくが当選し、また2016年3月に開催の横浜マラソンにぼくとさきこが揃って当選したのだ。
金沢マラソンでは、春にフルマラソンを走れなかった雪辱をここで晴らせると思った。しかし、ここで春の持病とは別の阻害要因が出てきた。10月に資格試験を受けるための勉強をしないといけなくなり、休日はほとんど勉強に充てる必要が出てきたのである。このため、受験をする10月半ばまでは一切ランニングができず、準備の期間は1カ月ほどしかないことになった。
そんな状況でも短い練習時間を生かそうとそれなりに練習を積んだつもりなんだけど、さすがに1カ月でフルマラソンを走れる身体を作ることができず、金沢マラソンは散々な結果で終わることになった。タイムは5時間14分だったか。
金沢マラソンの翌週と翌々週はそれぞれランニングイベントだった。たまたまイベントが重なって、連続で走るハメになったんだけど、皮肉にもここで金沢マラソンに向けた練習の成果が発揮された。横須賀シーサイドマラソンでは、さほど頑張った感じでもないのに、56分ほどでフィニッシュできたし、その翌週の丹沢湖ハーフマラソンでも、さきこと並走して景色を見ながら楽しく走ったにもかかわらず、2時間14分ほどでフィニッシュできた。いや、決して速いタイムではないのは承知だけど、楽してこれほどのタイムが出せたのは、やはり練習の賜物と言えるだろう。
ランニングと言えば、ぼくとさきこが趣味として走っているのがメインだけど、それ以外に会社にもランニング仲間がいる。このメンバーと6月と10月に駅伝大会に参加した。駅伝はホントに大変である。タスキが持つ精神的プレッシャーはすごく重くて、しかもメンバーは若さに任せて1キロ当たり5分を切るようなペースで走るものだから、一人当たりの距離は5キロほどとは言え、ぼくもいつものようなペースでは走れなくて、ホント大変な思いをした。5キロを25分で走ってヘロヘロになっても遅い方に入っちゃうなんてね。そんな魂を削るような走りをしていたら、走る楽しさも知らないままランニングが嫌いになっちゃったりしないか心配である。メンバーは若さゆえか、楽しくゆっくり長距離を走ることに1ミリも魅力を感じていないようだけどね。
さて、来年は何と言っても横浜マラソンである。今年3月に開催された第一回となる横浜マラソンは抽選ハズれたので、ランニング仲間を応援して、さきこと沿道をサイクリングしたものだけど、来年はついにぼくもさきこも参加ができる。ちゃんと練習して、地元での初めてのフルマラソンを楽しみたいと思う。ちゃんと練習して今年前半のような苦難を経験しないようにしなければ、と思っている。

■サイクリングのこと
今年のサイクリングのことを書くにあたり、まずはじめに、ぼくの自転車人生を変えてくれたさきこに大きな感謝を捧げたい。今までパソコンとか画材とか本とか楽器とかいろいろなものを欲しがるぼくに嫌な顔せず答えてくれたさきこだけど、今年はついに自転車を購入するという大きな夢が叶えられ、今回もさきこに絶大な助力をいただいた。ホントに、ホントに感謝である。
そういうわけで、ぼくは新たに自転車を手に入れることができた。フルクロモリのロードバイクである。8年ほど前に自転車を始めて以来、自分の体格に合った自転車が欲しいとはずっと思っていた。細身のフルクロモリの自転車はぼくには魅力的だった。
事の発端は些細な会話である。
今年のチャレンジサイクリングを伊豆半島一周にしようといろいろ検討している矢先、自転車の老朽化により、どうしても足回りの不安が否めず、ここはひとつ、新しいホイールを購入しようかと思ってさきこに相談していたところ、さきこから思わぬ一言が出たのである。
「どうせなら、新車を買っちゃえば?」
この辺の経緯は当時のブログにも書いたから改めてここで書くこともないのだけど、この一言にはぼくの数年来の悩みが一気に晴れあがる壮絶な威力を持っていた。大げさかもだけど、映画「ベン・ハー」の終盤で、主人公ベン・ハーが丘の上に立つキリストを見た時のような神々しいシーンを思い出してしまうほどのぼくにとっては大きな福音となる言葉だった。ちなみに、ホイールを買う話しがどうして新車を買う展開になるのかについては、以前のぼくの愛車・こてつ号がロードバイクの中でも主流から少し外れた仕様で、ここでいわゆる特殊仕様のままチューンナップを重ねていくことが不経済ではないかとの判断である。ただ新車を購入してしまおうという話しではなく、それなりに経済合理性を追求した結論なのである。
さて、自転車を買うことになり、自転車を吟味して自転車屋に発注したのだけど、ここからが恐ろしい展開だった。自転車屋や塗装屋のミスが重なって、本来なら2か月程度で手に入るハズの自転車に結局5か月ほども時間がかかってしまったのである。4月後半に発注した自転車は結局9月上旬にぼくの手元に来る結果になった。
そして、その後前述の資格試験の準備が始まってしまい、またその後は金沢マラソンに向けた練習があったために、新車は長いこと自室に立てかけられ続けるハメになってしまった。
さて、そんな壮絶な自転車購入物語と同時進行で、今や過去の人(?)となってしまった愛車・こてつ号とのサイクリングはかなり濃厚だった。
5月には箱根ヒルクライムで、久し振りに自転車仲間とサイクリングしたし、6月には退職する会社の自転車仲間と二人で東京湾一周サイクリングに出かけた。この東京湾一周サイクリングは、結果的に例年のチャレンジサイクリングに位置づけられた。先に書いたとおり、伊豆半島を一周するのを当初はチャレンジサイクリングとしていたんだけど、老朽化したこてつ号で万一途中でリタイアしたらリカバリーが大変だろうということで、新車でないうちは過酷(?)なサイクリングはしないことにしたのだ。
東京湾一周はいつかやりたいと思っていたけど、なかなか楽しいサイクリングだったな。誰か一緒に走るというのもなかなか楽しいものである。しかし、同時にパフォーマンスが大きく違ったりすると、これに合わせて走るのは結構大変かもしれない。炎天下とは言え、70キロほどのサイクリングに6時間以上もかかってしまったりした。
さて、首を長くして待ち過ぎて、もはや伸ばすべき首がなくなるほど待ちわびた自転車が9月にようやくぼくの手元に来た。さきこと一緒に引き取りに行き、早速近場をサイクリングした。高額な買い物をしただけあって、新しい自転車の乗り心地はそれまでとは全然違って、ホント苦労して買った甲斐があったなーと思ったものである。これでまたいろんなところにサイクリングに行けるぞ!と気持ちが明るくなった。
新車の最初のロングライドは、東京シティサイクリングが改称されたバイク東京というイベントだった。これに会社の自転車仲間と参加した。天気が良くてなかなか楽しめるサイクリングだった。ぼくはこういうイベントに出ると、他の人が乗ってる自転車が気になっちゃって、「ああ、あの人はこんなに遅いのに、あんなにいい自転車乗ってるんだなー」とか羨ましがったりしたものだけど、今回はそういう羨望の感情に苛まれることはなかった。他の人の自転車をちろちろ見たりはしたけど、だからと言って自分の自転車と比較して卑屈になることはなかった。逆にぼくの自慢の愛車を見せびらかしたい思いが強かった。
また、このイベントの数日後、さきこと小豆島をサイクリングした。初日は晴れていて高松空港から高松港までや小豆島でのちょろっとしたサイクリングは非常に爽快で楽しかったのだけど、その翌日から非情にも雨が降ってきて、とてもサイクリングどころではなくなってしまい、またその翌日も朝まで雨が降り続き、小豆島を自転車で回ることは結局ほとんどできないで終わってしまった。サイクリングをしようと強い思いで出掛けて行って、普通の旅行で終わっちゃったのがなんだかもったいない思いだった。
そして運命の福岡出張である。
仕事の関係で福岡に出張に行くついでに自転車を持って行ってしまおうという、まあほとんど公私混同的なサイクリング企画で、仕事を終えた翌日は朝5時から夕方まで福岡でのサイクリングを楽しみまくり、輪行態勢にして飛行機に乗せて帰ってきた。初めての九州でのサイクリングはとても楽しかった。しかし、楽しかったのはここまでだった。羽田空港で預かり手荷物を引き取るベルトコンベアにぼくの愛すべき自転車が横倒しに乗せられて現われた時には、ホントびっくりした。驚天動地だった。ぐらっときたね。最近の自転車ブームの中、自転車を飛行機で運ぼうという人は少なくないと思うけど、大事な自転車が倒された状態でベルトコンベアで運ばれてくる光景は、まさに目を疑う光景である。これを見た瞬間、ぼくが福岡でのサイクリングでフロントディレーラーがいつの間にか曲がってチェーンに擦れてたことや、フレームのところどころに大きく深いキズができちゃってたことが何となく納得できたものである。運搬方法が粗雑だったことが原因だと言っていいだろう。さらに付け加えれば、羽田から地元の駅まで戻ってきて再度自転車を組み立てて自宅に向かって乗っている時に、いきなり後輪がパンクしちゃったことも、この粗雑な運搬を考えればあり得る話しである。福岡出張で使った航空会社は、それまでの飛行機輪行で使っていた青い会社ではなく、経営再建中の赤い会社である。ぼくの知り合いがこの会社でパイロットをしていることや経営再建から懸命に立ち直ろうとしている姿勢に共感して、この会社を応援していたんだけど、この件でそんな気持ちはまったくなくなってしまった。
そういえば、会社のある企画でこの航空会社のハンガーを見学させてもらった時に、使い古された雑巾が乱暴に放置されている光景を思い出した。飛行機の部品を磨いたりオイルを拭き取ったりする雑巾は、たしかに黒ずんで汚れるもので、洗ってもその黒さや汚れはなかなか落ちないけど、同じように汚れた雑巾を、もうひとつの青い会社では几帳面にキチンと並べて干していた。使い古しの雑巾でさえ、洗ってキチンと並べて干すという姿勢が、乗客の荷物の扱い方にも現われるんだと思う。まさにぼくの自転車はあの雑巾と同じような扱いを受けたと言えるわけである。経営破たんする会社は、経営破たんする理由がちゃんとあるものである。ぼくはそれをベルトコンベアで運ばれてくる哀れな愛車の姿に見たのである。もう赤い会社で輪行することは絶対にしない。ユーザーってこうして簡単に離れていくものなんだね。
そんなわけで、残念ながら不快なデキゴトをもって、今年のサイクリングは終了したけど、気持ちは既に来年に向けられている。ぼくの新車が真価を発揮するのは、まさに来年なのである。来年は5年に一度の長期休暇が支給される年で、前回はこれを使って京都チャレンジを敢行した。今回もそれに匹敵するような大冒険を計画中である。今から来年が楽しみである。

■絵なぞのこと
去年に引き続き、お絵描きはぼくの最優先事項のひとつである。だから時に仕事よりも優先してお絵描きをしてしまう。しかし、夏頃からは例の資格試験の関係で、絵なぞを描いている場合じゃなくなった。たまにいい構図が浮かんできて、お絵描きにウツツを抜かしていると、さきこから「ダメ人間」となじられてしまう。高校受験や大学受験の時も、お袋さんから同じように言われていたので、その点ではぼくはホントに成長しないなーと思うのである。
10月まではなかなかお絵描きする時間が取れなかったけど、資格試験後はそれなりにコンスタントに描き続けている。これから冬が本格化し、ジンクス的に描けない日々が現われてしまうのかもしれないけど、今は描けるまで描き続けようと思っている。

■自宅改造計画のこと
去年から地道に続けている自宅改造計画である。
今年はぼくの部屋の仕上げがあった。旧さきこの部屋に移ったぼくの部屋はかなり狭くて、かつてのように荷物を置けない状況だったので、壁面に作り付けの棚を設置することにしたのだ。これはぼくにとってはほとんどはじめての日曜大工だったけど、なかなかうまくできたかな。
完成した棚には、主にCDなんかを置いたりしている。来年も引き続き改造を進めていきたくて、また別の場所に本棚も設置したりしたくて、そうなるとどこかの大聖堂じゃないけど、少し息の長い計画になりそうである。

■物欲発動のこと
今年は買い物が特に多い年だった。物欲が成就した年と書けば、なんかいいことのように思えるけど、別の視点では欲求に抗えなかったとも言えるわけで、自制が少々足りなかったかなとも思うのである。
先の自転車がもっとも高い買い物になったけど、その他にもさきことの10000デイズ到達記念の指輪とか、モバイルパソコン・サーフェスとか、さきこが参加した東京マラソンのエキスポで購入しちゃったGPS機能付き腕時計とか、まりこさんが参加した横浜マラソンのエキスポで購入しちゃった度付きサングラスとか、大して魅力に感じてないのに従来機のバッテリーの保ちが悪くなってきたから購入しちゃったiPhone6sとか、いや書き出すと結構な金額を使ったものである。また高松・小豆島に旅行に行ったり、金沢マラソンに参加するからと金沢旅行に行っちゃって、美味い海の幸を散々堪能しちゃったりと、かなり散財した年になった。
こうして列記すると、ぼくの自制心のなさにはホトホト呆れてしまう。
来年はもっと自制心を持ち、物欲に身を委ねないようにしたいものである。
ちなみに、自宅の電化製品は大きな故障もなく推移した。そろそろ冷蔵庫がイッちゃうんじゃないかと思ったけど、今年は頑張ってくれた。このまま引き続き電化製品たちには頑張って欲しいものである。

■仕事のこと
去年は大きなプロジェクトがあったけど、今年はかなり平穏に過ごせた。ちょっと平穏過ぎたかな。まあ何となく諦めというか、今の生活が維持できれば、仕事を人生の最優先にしなくてもいいんだよなーとも思っちゃったりするのである。大きなプロジェクトはそれなりに達成感があるんだけどね。
ちなみに、去年のプロジェクトを遂行したということで、4月に会社から表彰された。管理部門がこういう表彰を受けるのは一般的にはどこの会社でもあまり例がないので、嬉しいやら恐縮するやらなんだけど、社長賞という名前はぼくが前に勤めていた会社の時代から憧れがあったので、非常に感慨深いものである。まあ一生に一度の名誉だったというわけだね。

■さきこのこと
今年さきこと交際10000日を迎えることができた。1987年とはもはや28年も前のことである。思えば永い年月だった。
それを記念して、大枚叩いて指輪を購入した。今までのペアリング的な指輪はちゃちゃっと売っちゃって、そのおカネを新しい指輪の足しにした。ぼくはそれまで指輪をあまりしなかったんだけど、この機会に指輪をするようにしてみた。ちょっと大きめに作っちゃったので、少しぶかぶかなんだけど、でも気に入っている。
去年、一昨年とさきこの病気のことが話題だったけど、今年はそれが一切なかった。さきこは健康である。ただ11月頃にランニング練習中に足をひねっちゃって捻挫して、それをかばうために反対の側の足もおかしなことになっちゃうなんてこともあって、健康になったとは言え、さきこの体調は未だ低空飛行といった感じである。ぼくがほとんど病気をしないので、さきこのちょっとした不調が結構気になっちゃったりするのだ。言わないけど腰痛も続いているようだし。
ぼくが彼女の不調を知ると「早く病院に行け」くらいしかアドバイスできなくて、なんでもかんでも「病院に行け」というのが、彼女の気に障るようである。いや、医者でないから病院に診てもらうしか打開策はないんだけど、さ。
来年はもう少し健康度を上げるように注意して欲しいものである。次の10000日のカウントは既に始まっているのである。

■資格試験のこと
これまで度々登場している「資格試験」のことである。いや、ホント恥ずかしい。それなりに頑張って勉強したつもりだけど、現実はなかなか厳しいものである。まあ今の仕事とほとんど関連がないという点も原因してるかもしれないけど、モチベーションはそれなりにあるので、ぜひ来年も挑戦したいと思っている。
勉強の緊張感を持ちつつ、変に自信過剰にならず、地道に継続してサボらず続けることが、合格への道である。
さて、一体どうなるものか。

■来年の抱負
さて最後に来年の抱負である。
まずは横浜マラソンである。3月の本番でちゃんと成果が出せるよう、キチンと練習することである。今までも同じことを繰り返してきたけど、もうランニングは練習が命である。それに尽きる。また春以降のランニングはまだ計画段階だけど、これも例年どおり楽しんで走り続けたいと思う。走力向上も必要だけど、初心に帰ってまずは痩せないとね。
自転車の方は、来年こそが本番である。新車にたくさん乗りたいし、長期休暇を利用してロングライドを実現したい。京都チャレンジの時のように記憶に残るサイクリングをしてきたいと思っている。
絵なぞについては、これも継続して描き続けることが当面の目標かな。3年くらい前にそれまでの絵なぞを25枚くらい集めた本を印刷した。そろそろ25枚になりそうなので、もしかしたら来年は本を出せるかもしれない。
さきこの健康にはぼくも注意していきたい。今年はホント、一難去ってまた一難な年で、健康度が上がった瞬間がほとんどなかったけど、来年は健康度を向上させてそれを維持できるようにさきこを支えていきたいと思う。お互いに歳なので、気持ちだけでは乗り切れない部分もあることを認識しないといけない。
その他、自宅改造や仕事や資格試験合格に向けて、来年も精いっぱい頑張って行きたいと思っている。
さてさて、ぼくの次の1年はどんな年になるかな。
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年末年始休暇、突入!
ついに10日にもわたる年末年始休暇に突入した。さきこの倍近くも休める怒涛のフリーダムな日々で、ここはぜひ自分の思うままに有意義に過ごそうと思う。例年遅くまで終わらない年末大掃除も早々に終えて、気持ち的にも余裕を得ることができた。さて、何をして過ごそうか・・・と、楽しみにしていたところ、無情な事実を突きつけられた。
風邪をひいてしまったのだ。
喉が痛い、鼻が出る、背中が痛い。うん、風邪だね、これは。しかも免疫反応は初期反応しか示していないみたいで、つまり身体の方はまだ本気で直そうと思っていないようである。実は休暇突入前にちょっと某SNSで見かけたとある方のコンサート情報をきっかけにちょっと面白い展開があって、これはブログに書かないと!と思ったことがあったんだけど、頭が全然冴えなくて書けていない。これから年末に向けて回顧録なんかも書かないといけないのに、この体たらくはどうしたものか。
そういえば先々週くらいからなんだか身体が変な感じだった。それがこの時期にきて一機に悪化した感じである。
以前は多少とも身体を鍛えていたので、ちょっとした風邪がここまで長引くことはなかった。そもそも風邪だと自覚する前にランニング練習なんかをして、寒風の中で大いに汗をかき、身体が疲労回復する勢いでウイルスも駆逐するなんて展開があったんだけど、ここ最近はほとんど運動をしていないので、身体の回復力が低くなっていた。これがウイルスに付け込まれるスキになっていたんだろう。もはやこの状態でランニングするとさらに悪化するだろうから、この期に及んでは安静にしていないといけないだろうね。
なんてことだ、せっかくのフリーダムを得たというのに、風邪で身動きが取れないとは。
今日で既に3日が過ぎた。大晦日までの残り時間でぼくは風邪を克服できるだろうか。今年の回顧録は描きあがるのか?新年最初の初詣サイクリングには行けるのか?フリーダムな時間を有効に活用して絵なぞを描き上げることはできるのか?
頑張れ、ぼくの免疫細胞たち!

※大掃除を終えた日の夕陽。このグラデーションはホントにすごい。
| 日記 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0)
フリーダム休暇ダイブ直前。
今年はカレンダーの関係で年末年始休暇の始まる29日が火曜日で、つまり月曜日の28日に1日だけ会社に行けば年末年始休暇が始まるわけで、さらにこの月曜日を休みにすれば、土曜日から始まる長い連休になるわけである。そんな夢のような長期連休にするのは、今までのぼくなら憚られたのだけど、まあここはひとつ会社に提案して、「年休取得推奨日」なんて名目にして、「ぼくも年休消化しないとなー」なんて言い訳を作らせることに成功して、結局ぼくも28日はお休みにして、夢の10連休をゲットできたわけである。
そんなわけで、今日25日が年内最後の仕事というわけである。
それにしても例年そうだけど、年末なのに年末という感じのしない日々である。明日から10日も休めるというのに、あんまりワクワクしないというのもなんだかなーな感じである。まあさきこの会社が29日までがっつり仕事をして、新年も4日から早々に仕事が始まり、つまり5日しかないことが原因かもしれない。ぼくがその倍の休暇があると知れば、そのテンションのダダ下がりっぷりは如何ばかりかと思うし、それを思うとぼくもなんだか変な感じである。
さきこが仕事している間に家事やら趣味やらがいろいろできそうなものだけど、どうも盛り上がらない感じなんだよね。なんか無駄に過ごしそうな気がしてるというか。
ちょっと目標なんかを立てて、計画的に過ごしてみようか。ランニングをちゃんとやる、とかね。
いずれにしても、年末年始休暇はもうすぐそこまで迫っている。
| 日記 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0)
エキサイティング第九。
最近毎年恒例の趣になってきたNHK交響楽団の第九演奏会に行ってきた。お袋さんと一緒に行くのもここ数年の定番である。去年はNHKホールで待ち合わせたハズのお袋さんが、なぜか隣の代々木体育館でレスリングの大会なんかを見ていて、ちょっと驚きつつも何となくかわいく感じてしまったんだけど、今年は体調が悪かったようで、予定どおり渋谷駅で待ち合わせをしてさきこと一緒に人混みの中を歩いて坂道を上って行ったのである。

今回はどういうわけか、B席を取ってしまった。いつもはA席に座るところなんだけど、予約の際にいい座席がなかったためか、いや理由は分からないんだけど、とにかくB席で、そこは2階席のもっとも奥、天井に3階席がひさしのようにせり出している天井の低い席だった。ステージまでの距離は、想像していた以上に遠くにあったのが残念だった。まあ音楽自体はどこに座っても大きな違いはないだろうと思っていたので、その点は特に気にしなかった。
しかし、音楽が始まってみると、ちょっと様子がおかしかった。
弦楽器の鳴りが弱く、逆に管楽器が結構目立つ感じでよく聞こえる。いや、そういう指揮者のアレンジなのかもしれないけど、それにしては、拍打ちや主旋律に裏に流れるオブリガードでさえも結構聞こえたりした。
これはそういう風に仕上げたのか?とずっと考えていたら、近くの席で誰かがコンビニのビニール袋をがさがさする音が聞こえたのだ。しかもこれが結構長く続く。ぼくの前の人もその音に気付いて、周囲を見回していたほどである。しかし、きっとがさがさしてる張本人にはそれほど大きな音に聞こえていないのかもしれない。小さく発していたがさがさ音は低い天井に跳ね返って増幅し、ぼくに聞こえているんだろう。つまり、3階席がせり出して天井の低いこの席は、変に音が増幅される場所なのかもしれない。
そう思うと、ベルが前を向いている楽器、つまり管楽器の音がよく聞こえるのも納得である。あー、これは座席の選択を間違っちゃったかなー。

そんなわけで、管楽器がよく聞こえる第九というのは、ぼく個人的にはとても大歓迎なんだけど、音楽としてはちょっと微妙な感じだった。ただ、先にも書いた通り、ホントにそういうアレンジなのかもしれない。なにしろ、コントラバスが舞台下手に設置されたり、歌のソリストがステージ後方、パーカッションと合唱団の間に配置されていたりと、通常のオーケストラとは趣の異なる配置だったからである。そんな配置をする指揮者だから、第九の新しい解釈として、弦楽器を抑えつつ、管楽器を全面に出すようなアレンジがあっても不思議ではない。この指揮者の出身はロシア、正確にはエストニアだそうだし、ロシア的な作曲者の影響なんかも受けてたりするかもしれない。いや、アメリカで勉強したみたいだから関係ないか。
もうこうなったら、大晦日のNHKの放送で確認するしかない。
録音側で変にイコライザーをいじってなければ、またぼくたちが聴きにいった回の演奏が放送されるのであれば、ぼくがいたあのホールでの演奏がもう一度聴けるハズである。これによって、ぼくが聴いたあの第九が、斬新なアレンジによるものなのか、単純に座席の問題なのかが分かるわけである。
そうなれば、来年以降の座席の選び方もいろいろ考えないといけない。できれば指揮者が楽曲に込めた思いなんかも知りたいから、音響が変に影響しない場所で聞きたいとは思うけどね。とは言え、いつかはA席ではなく、S席で聴いてみたいななんて思ったりもしている。S席もA席なんかとは段違いの音響だったりしてね。

さて、さきことお袋さんが体調が芳しくなかったので、音楽を聴いた後はそのまま帰宅した。いつもなら帰り道に第九についていろいろ話しをするのが楽しいので、今年は残念である。
また来年も懲りずに聴きにいこうと思う。
まずは大晦日の音楽を楽しんでからだけどね。
| 音楽日記 | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0)
野生の証明。
年末が近づいてきて、今年の回顧録をそろそろ書かないとなーと思い、いろいろ思い返してみるんだけど、その回顧の中で来年のチャレンジサイクリングはどこに行こうかと考えたりしている。
来年は5年に一度のロングバケーションなので、京都チャレンジに匹敵するような大冒険をしてみたいと思いつつ、さてどこに行こうかといろいろな事情も踏まえて考えると、夏の盛りに北海道を走ってくるプランがもっとも現実的ではないかと考え及んでいる。いや、現実的と言っても、おカネがかかるプランなので、実際に実現するかは分からないけどね。
そんなわけで北海道のサイクリングを考えているわけだけど、北海道の道に思いを馳せるにつけ、今までのロングライドや京都チャレンジとは勝手が違う点もいくつかあることが分かる。
まず何より、北海道はデカい。京都チャレンジで7日かけて7都府県を超えてきたぼくだけど、今回も7日ほどかけたとしても北海道のほんの一部をちょろっと走れるに過ぎない。このデカさゆえか、幹線道路であっても近くに鉄道が走ってるわけではないし、コンビニがそこここに点在してるわけでもないし、いやそもそも周囲10キロ圏内にニンゲンが存在するかも怪しいくらいである。そう思うと、これはなかなかシビれる状況である。どんなトラブルがあっても自分ひとりで切り抜けないといけないわけである。これはホントに冒険って感じだよな。

この「一人で切り抜けないといけない状況」とはどんなリスクがあるか、さらに考えを進めてみる。
森の中を貫くまっすぐな道で、静寂の中聞こえるのはぼくの息遣いだけ、なんて場所で、たとえば飲み物がなくなったとか、タイヤがパンクしたとか、スペアを持っていない何らかの部品が壊れたとか、突如現われた強盗におカネを持っていかれたとか、原因不明の腹痛に突如襲われるとか、天候が急変して雪が降るほど寒くなるとか、そういうことが起こったらどうしよう。「困ったときは駅やコンビニや交番を探す」なんて通用しない世界である。いや、これは困った。
そう思うと、ぼくが鉄道やコンビニや交番などの都市機能と言うべきインフラにどれだけ頼り切って生きているが分かるというものだ。
しかし、北海道のさらに恐ろしいところは、このようなインフラ不足によって起こるリスクだけではない、北海道ならではのリスクがあるのだ。
その一例が、クマだろう。
北海道にはヒグマが生息している。日本の陸上動物では最大の生き物である。そして普段は穏やかな性格ながらふとしたことで狂暴化することもあるそうで、たとえば子グマにうっかり近づいちゃったりする時である。育児期の母クマは神経質なので、子グマを守るために人を襲うことが多いそうな。クマに襲われるなんて、タイヤがパンクするリスクを思えばかなりぶっ飛んだ展開だけど、とは言え侮ってはいけない。
クマに襲われたらぼくなんかヒトタマリもないだろう。目の前に毛むくじゃらの巨体が立ち上がったりしたら、もはやなす術もない。この期に及んでできることは、もはや辞世の句を詠むくらいである。

北海道 熊に襲われ いざさらば(しゅんすけ)

そうならないためってわけじゃないけど、某アウトドア用品店の店先に飾られた巨大なクマのぬいぐるみ(非売品)を訪れるたびにいつも見上げている。クマに接近されて攻撃態勢に入られたらどうするべきか、隣にいるさきこにはぼくが遊んでいるようにしか見えないと思うけど、クマと対峙するとはどういうことかをぼくは自身の脳みそに刻み込むべく結構真面目に向き合っているのである。
いや、現実に北海道をサイクリングしていてクマに遭遇したらどうしようと思うと深刻になる。たとえば、雑木林の中の一本道を時速20キロくらいでタラタラ走っていて、遠くに黒い塊が見えたとする。道路の真ん中に何かが放置されてるようにも見えて、「なぜあんなところに物が置いてあるのだろう?」とぼんやり思いつつ自転車が進んでいく。しかし、近づくにつれてそれがわずかに蠢いていることが分かってくる。牛か?いや、クマだ!・・・と思った時には、もう結構近づいていて、引き返そうにもあまりにも近づき過ぎている。ここで減速しても、自転車の速度がもっとも低くなるのは、クマとの距離がもっとも近づいたところだろう。クマの目と鼻の先で自転車をよっこいしょっと反転させるのか。これは恐ろしい。では減速して引き返すよりも、さらにペダルを踏み込んで、速度をぐんぐん上げるのはどうだろう。クマだと認識できた時点で腰を上げダンシングしてペダルを踏めば、クマにもっとも接近する時には時速30キロくらいまでは上がるし、さらに速度に乗れば40から45キロくらいは出るハズだ。方法は二つに一つだ。クマに接近して反転後に低速から加速するのと、死ぬ気でペダルを回してすり抜けるか。ならば、ここは死ぬ気でペダルを踏み込むべきか?!・・・というような展開を妄想してちょっとドキドキしているのだ。
ちなみに、実際この場合には引き返す方が絶対にいいだろう。相手がまだこちらに気付いてなければ、時速40キロでクマの脇をすり抜けるよりもはるかにリスクが少ないハズである。それにクマは全速力で走ると時速60キロくらいは出るそうなので、ぼくの脚力では絶対に逃げ切れない。自転車で逃げるぼくと追いかけるクマ。その状況ではもはや辞世の句を詠むしかあるまい。

北海道 熊に追われて いざさらば(しゅんすけ)

しかし、今回計画しているの北海道サイクリングでは、一本道を行って同じ道を戻るという局面が2回ほど登場する。道は行き止まりになり深い森に入っていく。だから目的地に着いたら折り返して帰ってくることになる。そんな道でクマに遭ったらどうするか。往路の場合は引き返せばいいけど、復路の時は結構困る。そこで引き返しても迂回路はないからだ。まあ一旦引き返して身を隠し、1、2時間後にまた行ってみるとか、行きずりの自動車をとめて事情を話して乗せてもらうとかいろいろ方法があるとは思うけどね。しかし、それでもやはり最後の最後で最終手段的な選択肢を取らざるを得ないだろう。
そうである、「クマと戦う」という選択肢である。
同じ地上に生きる動物同士として、遭わないように気を付けていたとしても、遭ってしまったらしょうがない、闘争心に炎を点火し、臨戦モードに切り替えるしかあるまい・・・って、いや、クマと戦ったら絶対に勝てないだろ。ぼくがプロボクサーとか合気道の有段者とかでない限り、いやそういう人だったとしても、ルールにのっとって対戦する格闘技と人語を介さない野生生物と対決するのとでは、まったく次元が違うだろ。格闘家でさえ敵わない相手に、人とケンカすらしたことのないぼくが敵うわけがないのだ。いやしかし、それでも対峙しなければならない時があるかもしれない。そうなれば、もはやぼくも人間性をかなぐり捨てて一匹の野生動物としてクマと対峙しなければなるまい。
そう考えていると、なんだかアドレナリンがドバドバ分泌されるというか、血潮がたぎってくる感じがする。ぼくはさっきまでサイクリングの計画を立てていたハズなのに、どうしてこんなに気持ちが高ぶっているんだ?

ともかく、ぼくが単独で北海道にサイクリングに行くに当たっては、クマ対策は欠かせないわけである。クマに対してはニンゲンはどこまで歯が立つのだろうか。
そんなことを考えながらネットをいろいろ見ていたら、クマにマツわる話しに行き当たった。それはクマがニンゲンを襲撃して何人もの死傷者が出たという、北海道で実際にあった事件のことである。
こういう事件は北海道でも何度か例がある。しかしその中でもこの話しは今なお最悪な事件として語り継がれている。
巨大なクマが集落を襲い、その結果8人もの死者が出た事件である。
時は大正、北海道はまだ開拓民の時代である。雪の降る冬の初めに、ある集落の周辺でクマが目撃されることがあり、冬眠できなかったクマが食料を探して歩き回っていると、集落内に警戒が走っていた。ある夜、見たこともない巨大な黒いクマが、いきなり家を襲う。もともとニンゲンを襲うつもりではなく、窓際に干されていたトウモロコシを漁っていたんだけど、それを見て大声を上げて逃げ惑うニンゲンに刺激されたのか、クマが突如ニンゲンに襲いかかり、その結果2名が死亡してしまう。そのうち1名の女性はそのままクマが引きずっていったようで、これを救出すべく集落で討伐隊が結成される。翌日森を捜索したところ、雪に埋められたこの女性の死体(一部)が発見され、それはクマが保存のために雪に埋めたものだと分かり、つまりクマがニンゲンを獲物と認識したことを意味しているわけで、こうしてその後の惨劇につながっていく。
その後このクマは襲撃を恐れて集まって避難していた民家を次々に襲い、ある民家では11人が身を寄せ合っていたところに襲撃、6人が命を落とす結果になった。
その後、連絡を受けた道警やら名うてのマタギやらが集まり、大がかりなクマ狩りがおこなわれ、ついにクマは仕留められるわけである。北海道開拓史に残る凄惨な事件である。
多くのニンゲンを襲ったこのクマは、全身黒褐色の毛で覆われた巨体で、異常に大きな頭部には固く金色にツヤめいた毛が生えていて、全長2.7メートル、体重340キロの体躯は、まさにヌシと言ってもいいほどの存在だった。
そんな話しを某ウィ○ペ○ィアで読んだんだけど、これがなかなか迫真の文章で、いつもの画一的で無機質な説明文とは全然違っていて、思わず引き込まれてちょっとドキドキしちゃった。上の文章はぼくが無機質になるようにリライトしたけど、この事件はその後小説とか映画になってるようだけど、きっとかなりホラー的な映像なんだろうな。
ともかく、こんなヌシ的クマが目の前に現われたら、これはもうお手上げだろうね。

ドキドキしちゃったとは言え、まあこれは100年も前の話しである。開発が進んだ現代の北海道ではこのようなことはきっとないだろう。まあクマはたくさんいるだろうけど、そうだな、ぼくよりも大きなクマなんて絶対に出会わないだろう。
しかし、である。
そう思っていたら、今年10月に紋別市で巨大クマが捕獲されたとのニュースがあった。これがかなりの巨体だそうである。重機で釣り上げられた写真は、まさに100年前の事件を彷彿とさせるものだった。しかも驚くべきは、体重が400キロもあったことである。先の事件で射殺されたクマよりも重い。しかも紋別と言えば、去年ぼくがサイクリングで通った道があり、同じ市だからって遭遇することはないとは思うけど、このニュースにはちょっとドキッとした。開発が進んでいるとは言っても、まだまだ北海道のポテンシャルは健在というわけである。

さてサイクリングの話しである。来年の夏なんて、かなり先の話しではあるけど、クマに対する充分な対策をするつもりであ
る。知床半島を走るのであれば、充分な注意が必要である。海岸に湧き出た即席温泉に素っ裸で浸かっていたら、隣に毛むくじゃらの巨体が温泉に浸かってた、なんてことがあるかもしれないからね。こりゃ、クマ鈴を常時ジャラジャラ鳴らしてないとダメだな。クマ鈴なんて、先のアウトドア用品店におシャレでカラフルなのがたくさん売られているけど、まさか本当にクマを避けるためにクマ鈴を購入するなんてことがあるとは思ってなかったわ。
そんなわけで、来年に向けていろいろ考え中である。今回計画中のサイクリングは思わぬロングライドになりそうで、つまりホントに物凄い大冒険ができるかもしれないと、かなりワクワクしている。来年が楽しみになってきたわ。

※これが今年捕獲されたヒグマだそうな。こんなのがまだウロウロしているそうな。
| 日記 | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0)
週末ダメ人間。
先週末はさきこが実家の用事で朝から不在だった。この日は夜9時くらいまで帰ってこないので、ぼくは完全無欠なフリーダムを得た。
さて、何をしようか。ぼくに与えられた時間は充分にある。
そんな時は当然、絵なぞ描きである。
いや、さきこが不在なのは何日も前から分かっていた。ぼくはこのフリーダムを有効に活用するために、この日に合わせていろいろ準備していたのだ。特に描くべき絵なぞのモチーフは、平日からちょこちょこ描き始めていて、この日にこれを一気に完成させるつもりだった。だからさきこが朝7時に自宅を出た直後からぼくは行動を開始した。

まず顔を洗って完全に目を覚ませる。脳みそが完全に起きていないと絵なぞは描けない。
手を石鹸で丹念に洗い、手の脂を落とす。
美味しいコーヒーを淹れる。自分で淹れるコーヒーはホントにマズいのだけど、近頃いろいろ出ているお手軽コーヒーではなく、紙フィルターにコーヒー豆の粉末を入れて上からお湯を注ぐというオーソドックスな淹れ方がやっぱり一番美味しいとの結論に最近至ったばかりである。右脳
某動画サイトで右脳にいい刺激のいく音楽をチョイスして流しっぱなしにしておく。
これで準備万端である。

気合いとともに描き始めた。
絵なぞに集中してる時間はホントにいいわ。こういう時間が一番好きである。
こうして途中で休憩を入れつつ、夕方前に描き上げることができた。いつもよりも少し早い完成である。
某SNSにアップして作業は終了。いや、楽しい一日だったわ。
この日は作業に没頭していて、ほとんどデスクに向かっていたので、まったくと言っていいほど歩かなかった。ぼくは手首にライフロガー(フューエルバンド)を装着しているんだけど、夕方までの歩数は600歩ほど。トイレに言ったりキッチンでコーヒーを淹れたりする程度しか行動していない。
さきこが9時頃に帰宅して、一緒に買い物に行ったりして、それでもやっと4000歩弱である。いやホント動かない日だったわ。

こういう風に一日が過ぎるのは、絵なぞが下手っぴとは言え、一応創作的な生産活動なわけで、その意味では有意義な過ごし方だし、ぼくにとって至福な過ごし方なわけだけど、さきこに言わせるとダメ人間的な過ごし方だそうな。そういえば、昔も日がな一日絵なぞを描いていると、お袋さんにも小言を言われたな。誰かが一日部屋から出ずにデスクでカリカリやっているのを傍から見て、しかもその生産物がまあお世辞でもうまいと言えなかったら、ぼくだってその活動自体に意味を感じないかもしれないね。無駄な時間の消費である。本人がどんなに楽しそうにしてても、非創造的で非生産的な活動だと思うだろうね。だからさきこやお袋さんがぼくをダメ人間と言うのはしょうがないと思う。
だからこそ、こういう日は誰からもダメ人間と言われないフリーダムな時間は貴重である。これから年末年始が来て、長い休みに入るけど、この貴重なフリーダムをぜひ有効に生かしたいと思う。
ちょっとでも絵なぞが上手くなるように、ね。


※そんなわけで、今回の絵なぞ。丹沢湖に行く機会があって、そこで去年ほどの紅葉が見られなかったので、紅葉をモチーフに描いてみた。
| 日記 | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0)
週末は。
久し振りにまりこさんと会って、さきこと一緒にランニング練習なぞした。天気が良くて気持ち良かったけど、風が強かったかな。そろそろTシャツを重ね着した程度ではランニングが辛くなる季節である。
さて、その後ふとしたことから、賃貸物件を探すなんて展開になり、いやまりこさんがすぐにどこかに引っ越しするとかではないんだけど、何となく物件探しを始めたら、何となく楽しくなっちゃって、結構長い時間をコーヒー屋で物件探しをして過ごした。
ぼくは会社の仕事とかで借り上げ社宅用の部屋を探したりしたことがあるけど、さきこは今のマンションに引っ越した以降は一切経験のないことだったから、とても楽しそうだった。いや、ぼくも結構楽しかったので、こんな物件がいいんじゃないなんてぼくとさきこが勝手に候補にあげた物件を実際に見に行くことにしちゃった。夜も22時を回っているというのに、これからクルマを借りて見に行くという展開になってしまった。
思い立ったら吉日なぼくとさきこなので、22時も回った深夜に、住宅地を散策する非常識がまったく分かっていなくて、でも、物件探しなんてとても久し振りなので、かなり楽しかったな。
ぼくのおススメは、京急上大岡駅の東口を出て、いきなり聳え立っている丘の急な坂道を上って500メートルほど行き、さらに坂道を上った先にある物件。駅前の高層ビルのさらに上をいく高さである。ここからの見晴らしが素晴らしくて、いや夜だったのでキレイな夜景で、これが西向きに大きく開けているものだから、きっと富士山の景色とかスゴいんだろうなーと想像されて、気持ちが昂ぶってしまった。ぼくの自宅から見える富士山の景色もスゴいけど、さらに上の視界なわけで、これは急な坂道を上る甲斐があるというものである。
物件探しのために、スマホを使ってあれこれ物件を検索していたために、会員制サイトに表示される広告が不動産関連の情報に一気に染まってしまった。その中に、先の丘の上の物件もあって、ぼくが住むわけでもないのに、何度か確認しちゃったりした。ぼくは今のマンションをほとんど見晴らしだけが気に入ってさきこと決めてしまったわけだけど、同じような感覚を思い出した。
マンションでも一戸建てでも自宅を買うというのは、何となく安定を得るようで嬉しいことでもあるんだけど、こうして一か所に定住してしまうと、ちょっと視点を変えて生活したい欲求に駆られてしまう。今の住まいよりもランニングやサイクリングがしやすい場所がいいなーとか、もっと海が近い方がいいなーとか思っちゃう。
そういうのが久し振りで、かなり楽しいヒトトキだった。
| 日記 | 12:35 | comments(0) | trackbacks(0)
ユー・ミーツ・ア・コマンド。
以前にも書いた話しだけど、ぼくが会社で使っているパソコンに新しいウインドウズの導入されたんだけど、これと併せてバージョンが新しくなったエクセルとかワードとかのオフィスソフトが非常に使いづらい。以前書いたブログは3月頃で、その後ぼくはずっとこの新しいバージョンに慣れるべく苦労してきたけど、今をもってなお、まったく全然慣れない状態である。特に使用頻度の高いエクセルは、慣れないことにより作業効率が格段に落ちてしまい、そのことにイライラする毎日を過ごしている。以前のブログにも書いたけど、旧バージョンのインターフェイスに簡単に切り替わるボタンとかあればいいのだけど、そういう便利ツールはまったくなくて、使いづらい状態に甘んじているわけである。それにしても、使いづらいと思ってるのはぼくだけなのだろうか。他にも同じように使いづらいエクセルにイライラしている人はいるんじゃないのか、マイクロソフト社にはそんなユーザーの声が届いていないのか、届いていたらどうして改善しないのだろう・・・と、不満と疑問が頭を巡る毎日なのである。
いや、もしかすると、エクセルを使いづらいと思っているのは実は世界中でぼくだけで、世の中の大半の人は旧バージョンからの刷新で「非常に使いやすくなった!」なんて歓喜の声をあげているのかもしれない。うん、却下。んなアホな。

ぼくが使いづらいと思う点のひとつが、コマンドの階層化についてである。
従来のエクセルのコマンドは、数個に分類されたメニューをクリックして、さらにその下層にあるメニューを選択して、目的のコマンドを探す。例えば「ツール」をクリックして、「オプション」をクリックすると、ウインドウが開いてここで細かい選択や設定ができるようになっている。目的のコマンドに辿り着くのに、階層を下に降りていく格好である。
一方新しいエクセルは、リボンと呼ばれるメニューを多く並べるように配置して、主に使用するコマンドをここに散りばめている。リボンに表示されたボタンを押してさらに下層のメニューを表示するようなことはない。目的のコマンドに辿りつくのに、該当するカテゴリーのリボンの中から探し出す格好である。
このコマンドに辿り着く方法が大きく変わったことで、ぼくの作業効率が大きく影響し、ぼくのイライラやモヤモヤが増長されるのである。
つまり、メニューの階層を降りていくことでコマンドに辿り着く形(旧バージョン)とコマンドを並列に並べたリボンの中からコマンドに辿り着く形(新バージョン)の違いである。
旧バージョンに慣れた操作だと、コマンドへの辿りつく経路が分かってれば、マウスを大きく動かすことなく階層を降りていき、コマンドを実行することができる。新バージョンでは、リボンの中の所定の位置にあるコマンドまでマウスを大きく動かすことになる。しかも、リボンの中には普段では使わないようなコマンドがいくつも置かれていて、マウスはこれらを飛び越えて移動していくのである。非常に非効率である。しかもこの普段使わないコマンドをだからと言って非表示にしたり、リボン内のコマンドを簡単に移動させたりすることはできない。できなくもないけど、かなり手間である。旧バージョンのフレキシブルさと比較すると、コマンドの移動はほとんど意図的に設計上考えてないといった感がある。
コマンドに辿り着く方法の変更に加えて、不要なコマンドの表示がカスタマイズできない不便さ。
たとえば、急ぎの仕事をしていて、とにかく早く効率的に終わらせたい時に、「そうだ、エクセルのあの機能を使えばきっと簡単に終わるハズだ」と思いついて、その機能を探す。それは普段頻繁に使うような機能ではないけど、いざという時は結構役立つ機能だったりするのだ。さて、その機能はどこにあるかなー・・・、これが一向に見つからないのだ。以前ならメニューをクリックしてプルダウンでコマンドを呼び出せたから、機能を探す作業もそれほど大変じゃなかった。しかし、今ではリボンをいちいち切り替えないと探せないようになっている。あの機能は「表示」だったか、「編集」だったか。これを探すのにリボンをいちいち切り替え、さらにお呼びでないような機能がずらっと並列に並んでいる中を目を皿のようにして探すのである。その作業は、作業の効率化からはほど遠い。そんなことをしているヒマがあったら、ベタな方法でもちまちま作業していた方が良かったんじゃないかと思ったりするのだ。そういう時、ホントにイライラする。モヤモヤする。エクセルとは作業をより効率的にこなすためのツールではなかったか。
こういうのを使いづらいと言わないで、何を使いづらいというのか、と思うのだ。

エクセルを作ったマイクロソフトは一体どういう考えでこういう使いづらいソフトを新バージョンとしてリリースしたのだろうか。
ぼくはずっとこの問題を考えてきた。ホント、品川の日本マイクロソフトの本社の前で大きな声で叫びたいと思ったほどだ。ぼくの自宅にある虎の子のアーロンチェアを執務エリアをはじめ、簡易的な打ち合わせ室にさえも惜しげもなく設置してるという嫌味なほどおカネ持ちな会社に向かって激しく問い質したいと思った。いや、アーロンチェアを普通に使う会社は、世の中にいっぱいあると思うけどね。
世の中には、バージョンアップしなくてもいいものをあえてバージョンアップして新製品であることをアピールしたがる傾向がある。某iPhoneなんかも、5sである程度完成されたハズのところを無理やり機能追加・機能向上させて6sが出た。1か月くらい使ってみてるけど、これってホントに機種交換が必要だったかなーと未だに思ってる。ユーザー側は必要性を感じていなくても、収益を上げないといけない企業側の論理では、とにかく新しいモノを作り続け、ユーザーに買い続けてもらう必要があるのだろう。だからユーザーの必要性なんかおかまいなしに、改善どころか改悪と言えるバージョンアップに向かうのだ。
エクセルの例もこれと同じだと思ってた。ぼくが使いづらいと思いつつもOSのバージョンアップに伴って仕方なしに新しい使いづらいエクセルを導入するハメになるのは、会社の利益追求のためには仕方がないことなのだ。結果としてぼくがイライラしたりモヤモヤしたりすることがマイクロソフトには利益になり、オフィスのアーロンチェアに化けたりするわけである。なんだかなー。

そんなイライラ、モヤモヤをずっと続け、その理由を自問してきたぼくだけど、実は突如ある考えが思いついた。今こうして整理して書いてみると、なぜそのことに最初から気づかなかったんだろうと思うくらい単純なことである。
エクセルでイライラ、モヤモヤしているユーザーを想定するのと同時に、このエクセルのバージョンアップがメリットに働いた例を想定してみるのである。あんなインターフェイスを重宝だと思う人がいるのか分からないけど、あえて想像してみたのだ。
それは、エクセル初心者である。
エクセルに触れて間もない人とか、以前から触ってきたけど、よく分からないまま言われた通りの手順で操作してきた人である。これらの人もぼくと同様に仕事は効率的に進めたいと思っている。仕事をちゃちゃっと済ませて、早く帰りたいと思っている。そんな人がよく分からないまま、エクセルをいろいろいじって時間を費やすのは、これこそ非効率だと考える。
でもある時、リボンの上に並べられたメニューを見て、これは何だろう?と思うのだ。試しに押してみたら、予想外の変化があった。関数とか書式がめちゃめちゃになっちゃうこともあるだろうけど、ごくたまに面白い効果が出る時がある。今までの方法よりも、このコマンドを使った方が効率的にもクオリティ的にも良くなるじゃないか。エクセル初心者は、コマンドを発見するのである。この成功体験は貴重である。今までは難しくて敬遠していたけど、エクセルには他にも便利機能がいっぱいあるのかもしれないという思いに繋がっているのだ。
彼女は(なぜか女性?)は嬉しくなって、いろんな機能を試してみる。そして再び別の新しい機能に出会い、これが重なって仕事を効率化していく喜びを得るのである。
エクセルをよく分かってる人と初心者的な人とどちらが多いのかと言えば、もちろん圧倒的に初心者だろう。初心者の定義にもよるけど、いわゆるエクセル博士的な人とそれ以外だったら、それ以外の人の方が多い。ソフトの普及をもくろむメーカーとしては、両者のどちらを想定してインターフェイスを考えるか。もはや答えは自明である。

マイクロソフトがあえてこういうインターフェイスにしている理由は、初心者のため、さらに言えば、その初心者が知らないコマンドの出会いを誘発するためじゃないだろうか。新しい機能を発見した人は、そう、初心者時代のぼくも含め、エクセルが楽しくてしょうがなくなる。効率的に仕事を進めること、仕事を改善してさらに良くしていくことに貪欲になる。パソコンソフトとは、効率化を図るツールであり、それは今や個人の効率化ではなく、会社全体、社会全体の効率化を追求する時代になったというわけである。
あの分かりづらいインターフェイスの先には、新しいコマンドとの出会い、それが集積した結果としての社会全体の効率化があるのかもしれない。

・・・と、ここまで夢想を膨らませてきて、ふとぼくのイライラやモヤモヤが消えていることに気付く。
ぼくがエクセルのインターフェイスに不満を持つのは、ぼくが初心者を脱して、効率的に仕事をする喜びを知っている人だという証なんだと言われた気がしたのだ。それはちょっとウレシくてコソバユい感覚である。

いや、実際のところは分からないけどね。
でも、この考えこそがエクセルのヘビーユーザーと初心者の隔たりを埋める最適な考えかもしれないと思った。ヘビーユーザーの自尊心をくすぐりつつ、初心者にもやさしいなんて、一見相反するように見える問題に果敢にも挑戦した結果というわけである。もちろんこの考えを知ったところでぼくの仕事は1ミリも効率化しないので、この挑戦が成功したとはとても言えないけど、その心意気だけは評価したいと思う。
効率化しない仕事を前にぼくのイライラやモヤモヤはこれからも継続すると思うけど、でも、それでいいんじゃないかなと思ったりするのである。
| 日記 | 19:58 | comments(0) | trackbacks(0)
懐かしい街。
今日は田町の先にある某有名電気メーカーのビルで展示会とかセミナーなんかがあって、これに行ってきた。
セミナーを終えてビルを出ると、既に日は沈んでかなり暗くなっていた。時刻はまだ17時だけど、この暗さ。いやはや冬至が近いわけである。この時間で仕事を終えたということは、これはもうこのまま帰っちゃっていいということである。もう暗黙の了解というか、もはやほとんど疑問の余地のない直帰である。
暗くなった街を歩く。この辺は田町というよりも三田の街である。
慶応大学の三田校舎を過ぎて田町に向かう道すがら、とても懐かしい気持ちになった。慶応仲通り商店街である。ぼくが以前勤めていた会社では、年末の飲み会と言えば、ここだった。特に20代後半くらいになり、世の中や会社や仕事のカラクリが分かり出した頃、この辺で飲んだことが強烈に思い出される。いやはや懐かしい。
この商店街はかなり狭い路地に飲み屋が並んでいる一角で、それほど広い飲み屋街ではない。それこそ今の会社で最近よく行くようになった赤坂界隈とは規模や雰囲気が全然違う。学生の街であり、サラリーマンの街であり、その二つがかなり濃厚に混ざり合った、それ以外の客はほとんど来ないような街である。
懐かしく思い出すのは、この通りの中にあるあるビルである。ここにジャズバーがあって、さきことライブに行ったりしたものである。また当時のぼくの部署の役員がさきことの結婚をここで祝ってくれたことがあったな。どういうわけか、ぼくのことを取り立ててくれた人だった。
思い出を探り始めると前の会社のことをいろいろ思い出してしまう。
前の会社とジャズと言えば、関連会社の社長がジャズ好きなぼくにすごくよくしてくれて、忙しい中自宅所蔵のレコードからぼくが好みそうな楽曲をテープにダビングしてくれてぼくにたくさん渡してくれた。当時は右も左も上も下も分からない新人過ぎて、社長のこの心遣いをまったく理解できなかったけど、ホントにありがたいことだったな。年代や役職や経験を超えて、手を差し伸ばしてくれた人にぼくは酷いことをしたものである。この人はある日突然会社に来なくなって、そのまま亡くなってしまった。お礼も言えず、恩返しもできず、そのままになってしまった。ぼくが死んで、あの世でこの方とお会いしたら、ジャンピング土下座の勢いで謝らないといけない人である。
※ちなみに、この社長さんがいた会社は、美大出身者を数多く抱えるデザイナー・クリエイターの会社で、考えてみたら、ジャズだけでなく、絵なぞの方面でもこの会社とぼくは親和性があったのだ。もう少しぼくが世の中のこととかキャリアプランとか考えるオツムを持っていたら、この社長との付き合いも全然変わっていたと思う。ぼくの人生に影響するような縁を自分で踏みつぶしてしまったわけだ。ホント、若かりしぼくは哀しいほど愚かであった。

というわけで、昔のいろいろな思い出が溢れてきてしまった。
そんな思い出を懐かしく噛みしめつつ三田の街を歩いていると、これが意外にいろいろ覚えているもので、そりゃ並んでる店は全然変わっちゃったけど、今も残ってる店なんかは結構覚えていた。コーヒーが飲みたくなって、どこでコーヒーを飲もうかなーと思っていると、「あ、この先に確かコーヒー屋があったな」などと思い出すのである。こういう気持ちはいいなー。
田町へ向かう多くの人の流れを見ながら、とても懐かしい気持ちになり、自分が歳をとったことも実感しつつ、なんとも言えない暖かい気持ちになったのだった。
 
※(左)慶応仲通りの入り口。(三田通商店街の名前で記憶していたけど記憶違いかな)
(右)ジャズバーのあった建物。今はもうない。
| 日記 | 15:40 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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