「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
チェンジ・フォー・ザ・オリンピック。

先ほど書いた東京マラソンのコース変更の件について、午後になって新しいコースの発表があった。ぼくが予想していた以上に大きな抜本的な変更だった。
新宿・都庁前をスタートした後、5キロ過ぎの飯田橋の先から早々に変更されたコースに入る。神田から日本橋、その後浅草に方向を変え、雷門で折り返した後、隅田川を渡り、両国、門前仲町で折り返して、銀座に戻って南下、品川手前で折り返して、日比谷から東京駅をバックに皇居に向かってフィニッシュする。いや、もうこれまでの東京マラソンをガラッと一新したというか、過去と決別した感のあるコースである。ほとんど別のマラソン大会だわ。従来のコースを折り返しの銀座までは踏襲するだろうと踏んでいたぼくの予想は完全に外れた。同時に佃大橋かそれ以上の上り坂が現われるだろうと思っていたのもハズれた。まさか、浅草からさらに東に向かうとはね。
いずれにしても、このコースがこれからの東京マラソンのコースとなる。この中で苦しくも楽しい42キロのドラマが展開するのである。いやはや、2年前とは言え、一度でも従前のコースで走れて良かったわ。
それにしてもこの変更の理由には、やはりなんだかしっくりこない。先ほどのブログでは「東京駅周辺をフィニッシュ地点にして、もっと大会を盛り上げる」のが狙いと書いたけど、その後発表された都知事の話しでは、「ベルリンマラソンのフィニッシュ地点であるブランデンブルク門のように東京を象徴するフィニッシュ地点にしたかった」みたいなことを言っていた。東京マラソンのフィニッシュ地点をよりドラマチックにするみたいな話しである。
いや、こりゃもう余計にうさん臭さがアップしたわ。
ホントにそんな理由で、伝統になりつつあった東京マラソンのコースを変えたのだろうか。フィニッシュ地点が象徴的でドラマチックであることの方が伝統よりも重要視されるのだろうか?
ぼくにはこの感覚がどうにも納得できなくて、何かヒントはないものかと今日はずっとネットで検索をしていた。そしてふと思いつくのだ。
今回の話しが、「東京マラソンのコースの変更」という言い方ではなく、「フィニッシュ地点を東京ビッグサイトから東京駅へ変更」という言い方にしていたのは何か理由があるだろうか。発表されたコースは従来のコースと大きく変わったものであり、それを踏まえていればニュースリリースの表現としては、「東京マラソンのコースの変更」とするのがごく自然である。コースが発表されたこの時点で振り返ってみると、フィニッシュ地点の変更をことさらに大きく取り上げる話しでもないような気がするのである。
もしかすると、フィニッシュ地点である東京ビッグサイトに何か原因があるのかもしれない・・・そう思ったとき、ヒラメいたのだ。東京ビッグサイトと東京オリンピックの関係である。
これは以前ぼくのブログにも書いたけど、東京ビッグサイトは2019年4月から2020年11月まで東京オリンピックのプレスセンターとして使用することになるため、ここで開催されるすべてのイベントは他の会場に移動せざるを得ないという話しがある。東京マラソンはこの期間中に1回だけ、ビッグサイトでの開催ができないことになる。この1回はどうするんだろうなーと漠然と思っていたけど、今回のコース変更がその答えなのかもしれないのだ。
つまり、コースを抜本的に見直し、フィニッシュ地点を東京駅を背に皇居方面に抜ける形にする、と。東京オリンピックの影響でコースが変更になるのはランナーからの反発も予想されるので、先行して3年くらい前からコースを変更してしまおう、と。オリンピックとは無関係なほど早期にコース変更すれば、その理由を現行のコースの問題点、たとえば佃大橋の上り坂の難所やフィニッシュ地点の交通の便、商業施設の不足などを改善することとしたり、フィニッシュ地点をよりドラマチックで象徴的にするなどと寝ぼけた理由にすることもできるわけである。
いや、これはあくまでぼくの想像であり、妄想であり、戯言だけど、でも、ぼく個人としてはこういう理由の方が実はしっくりきてしまう。「オリンピックでビッグサイトが使えないので、これをゴマかすために3年前から早めにコースを変えることにしました」うん、これだったら、なんだか納得がいく。
もちろん、そんな理由でのコース変更には1ミリも賛成できない。先ほどのブログにも書いたけど、東京マラソンのあのコースを実現するために10年以上前に担当者は、考えに考え抜き、地を這うような根回しをしたと思うのだ。それが10年の時を経て、こうして多くの人に愛されるマラソン大会に成長したのである。そのかつての担当者を思うと、一部の懐古主義、カネの亡者、流行に流されるアンポンタンたちのせいで、安易にコースが変更されるのは、まったく解せない話しである。やはり日本でオリンピックをやるのは反対だなあ。
そんなわけで、ぼくの妄想が勝手に暴走して勝手に憤っちゃってる感じになっちゃったけど、コースが変更になったのは妄想ではなく現実である。これを受け入れて、またランニングを頑張ろうと思う。そう、発表されたコースは紙の上で俯瞰してるだけでは全然魅力的じゃないけど、実際走ってみると実は非常にいいコースなのかもしれない。少なくともフィニッシュは以前よりもドラマチックになるのは確実だろうし、ね。
次回もぜひ応募して、高い倍率をくぐり抜けたいものである・・・なんて、次回の応募者が果たしてどのくらいになるか、最初の評価はここで下るんだろうな。
| 日記 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0)
チェンジ・フォー・ザ・チェンジ。
春になると、会社の組織がいろいろ変化するものである。ぼくは今年も(残念ながら)大きな変化がなくて済んだけど、周囲ではいろいろあって、たとえば長年ぼくの上司だった人が別の会社に行ってしまうとか、同僚だった人がなんと2名も別のグループに行ってしまうとか、ちょっとしたビックリ人事もあったりした。特に別のグループに行ってしまう同僚のうちの一人(女性)は、長年ぼくのサポートをしてくれた人でもあり、寂しい気持ちと同時に「来月から大丈夫かよ?!」という漠然とした不安もあったりする。組織が変わるのは組織活性化などいい事がある反面、リスクというか負の部分も当然あるわけで、とは言え最近は「まあ春とはこういうものだ」と半ば諦めてる部分もあるのだけど、ともかくそういった変化のリスクに見合うだけのメリットをちゃんと考えているのかと疑いたくなるような変化もあることは確かである。
こういう組織変更などが好例だけど、「意味のない変化」にはホントに辟易する。今の状態で上手くいっているんだから変えることはないのに、まるで「変えることに意味がある」とも言いたげに、変更したがる風潮はどうだろうと思う。変化とは、当然だけどその後の効果にこそ意味があるわけで、変化それ自体には意味も価値もないとぼくは思うのだ。必要があって効果が期待できる変化は大いに賛成だけど、「変えるために変える」というのは、まさに本末転倒の極みである。

さて、そんな中、こんなニュースが飛び込んできた。
「東京マラソンのゴール地点を東京駅前に変更」
マラソンの終着地点を「ゴール」と呼び習わすのは今でもかなり違和感があるけど、それはともかく、従来のフィニッシュ地点である東京ビッグサイトをやめて、東京駅に変更するそうなのだ。目的はイベントとしての東京マラソンをより盛り上げるためだそうである。東京駅がフィニッシュ地点ということは、イメージとして皇居から丸の内を通って東京駅に抜ける大通りをフィニッシュ地点にするということだろうか?うん、確かにその光景はなかなかいい感じだけどね。
いや、フィニッシュ地点の光景はさておき、この変更にどれだけの意味や効果があるのだろう。東京ビッグサイトがフィニッシュ地点として根付いてしまっているだけに、この変更にはなんだかデメリットばかりが際立って感じられてしまう。たとえば東京駅周辺という場所柄の問題である。休日とは言え、経済的にも行政的にも主要な地域である東京駅前が、数万のランナーや観客で埋め尽くされて大丈夫なのだろうか。東京ビッグサイトは交通の便や商業施設など、あのロケーションだから大きな混乱がなくて済んでる部分もあると思うけど、これがオフィスビルが乱立して、地下道が複雑に入り組んでいる日本最大級のターミナル駅に変わってしまって大丈夫なのだろうか。それこそ何か大きな事故でもあったら、一瞬でパニックになってしまうんじゃないだろうか。
さらにランナーのことも心配である。東京マラソンは基本的には平坦コースである。だから走りやすいし、完走率も高いし、初心者でも安心な大会でもある。しかし、東京駅をフィニッシュにするために、どういうコースになるのかを考えた時、どこかで坂を上ることになるのは避けられず、ランナーへの負担も増すと考えられるのだ。
たとえば、新宿をスタートして銀座くらいまでは従来のコースと変更がないとする。銀座の辺りで距離はだいたい35キロである。そこから7キロ分をどう走るか。皇居を1周すれば5キロだし、これとは別に三宅坂から六本木方面に向かって戻ってきてもいいし、国会議事堂を横目に赤坂・神宮外苑の方に向かう手もある。四ツ谷に回って新宿通りを麹町・半蔵門に抜ける手もある。しかし、どのコースになったとしても、坂道は避けられない。最後の7キロ、フルマラソンでもっともキツいところで坂道が登場するのである。現行のコースでも佃大橋があって、これが「最大の難所」なんて言われているけど、もしかしたらそれ以上の坂道が登場するかもしれないのである。東京マラソンがランナーにとってシビアなコースになるわけである。
そんなデメリットを押して得られるメリットはなんなんだろうか?
先に書いたとおり、「盛り上げるため」?・・・いや、本当にそれだけだとして、いや、そんな漠然とした理由で、リスクを取るのはどうなんだろう。
東京マラソンは今年で10年である。10年という節目に、何か新しい風を入れたい、変化させたいという「会議室の中の論理」が先行しているんじゃないだろうか。先に書いた「変えるために変える」という危険な発想である。

ちなみに、ニュースでは、このコース変更がいつから適用されるのかは明記されていない。3月29日の会議で正式に決定するそうである。おお、それって今日か!?
東京マラソンの実現には、裏方の事務局による並々ならない協議や調整があったと聞いている。都市型ランニングイベントにおいて掟破りとも言える「制限時間7時間」の実現や、政治経済の中心地をほぼ1日閉鎖することへの英断、地下鉄網を巧みに利用した救急搬送などの緊急対応など、考えて考えて考え抜かれた配慮が随所に見られる。コースを変更してもその配慮を維持できるのか。
いやもしかしたら、「なるほど、そんな上手い手がまだあったのか!」と膝を打つようなアイデアが出てくれるかもしれない。それなら大歓迎だし、ぼくだって大好きな東京駅に向かってフィニッシュしてみたいからね。

ところで今度の異動で別のグループに行ってしまう同僚の一人(男性)は、都心の湾岸地域、ちょうど東京ビッグサイトの近くの高層マンションに住んでいるんだけど、都心のタワーマンションに住んでいるという点ががどうもかなりご自慢のようで、毎年東京マラソンが開催される度に「いや〜また交通規制で外出できなくなっちゃうよ〜」などと嘯いていつもウンザリなんだけど、東京駅がフィニッシュになった際には、そんな自慢話を聞かなくて済むわけで、これって少なくともぼく個人にとってはかなり大きなメリットだわーと思うにつけ、いやどうせ異動になっちゃうわけだから、どっちにしてもそんなウザい自慢話も聞かなくて済むわけで、なんだか変化に変化が重なっても結局ロクなことはないわーと思うに至るのである。
| 日記 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0)
スランプ・ロード。
以前から何度か書いているけど、ぼくはどういうわけか、冬の季節は絵なぞが描けない。だいたい1月から3月くらいまでは、まったく描けない状態になる。これを安易に「スランプ」というには抵抗があるけど、ともかく描けない季節は、非常に苦しいものである。一時は12月に描いたっきり、7月くらいまでまったく描けなくなっちゃって、「ぼくはこのまま絵なぞが描けない人になってしまうんだろうか」と不安になったものだけど、最近はなんとかこの期間を短縮することに成功していて、桜の咲く季節頃には何となく絵なぞに復活できていた。
しかし、今年は既に桜が開花してしまった。
描けない時期が去年と同様に短縮しているなら、そろそろ描けてもいいところだけど、これが全然ダメである。いや、下書きは結構やっているんだけどね。しかしこれをちゃんと紙に起こして、絵の具で塗ろうというところまで盛り上がらないのだ。ボツになった下書きだけがどんどん重なっていく。いや、焦るわ。
まあ焦らずどーんと構えて、そのうちいつか描きたくて描きたくてしょうがなくなる日が来るさーとか思ってればいいんだけど、その時まで待っていたら、腕がナマってしまうという心配もある。1枚描くごとに上達していって欲しいところなのに、期間が空いてしまうことでどんどん下手っぴになっていくのは絶対避けたいのである。
そんなわけでぼくはちょっと焦っている。
最近思うのは、冗談みたいだけど、本当に寒さが影響しているのかもしれないということ。
この時期にたまに街で変な人を見かけたりすると、「ああ春になったからねー」なんて冗談っぽく思ったりするけど、もし本当に気温の高さと変な人の出現に相関関係があるとして、それはぼくが絵なぞを描けなくなるサイクルとも共通点があるのだとしたら、どうだろうか。ぼくが絵なぞを描くことは、変な人が街中に現われることと、原因を同じにしているのかもしれない。つまり、ぼくの中の「変な人」的なチャンネルが暖かさで活性化されて、その発現として絵なぞを描かせているとすると、ぼくの絵なぞは変な人的異常な行為だということになってしまう。個人的に「うん、なかなかうまく描けたかも」なんて思ってても、客観的に見たらほとんど狂人が描くのと同じものでぼくはそれに気づかない・・・なんてね。おお、そう考えると怖いわ。それなりに理性的に描いてると思っていたけど、実は違っているとは。
いやいや、この考えはかなり常識外れだと思うけど、そんなことを考えてしまうほど、この描けない期間に狂おしいほどの焦りを感じているのである。下手っぴでも構わないから、描く行為だけはずっと続けていきたい。早くこの状況から脱せないものか、それには何が必要なんだろうかと今日も考えている。この「冬の描けない時代」を克服する方法を誰か教えてくれないかなぁ。
| 日記 | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0)
週末サイクリング。
先週は待望の三浦半島のサイクリングだった。いや、楽しかったわ。
懸念されたぼくの足の方は、前日に会社近くの整形外科でリハビリ処置を施してもらったので、まあ普通に歩ける程度には回復していたけど、問題は当日に自宅を出る直前にさきこに発生した。彼女の左手の指先にできたタコ状の腫れものが痛み出したのだ。これではサイクリングなんかできないのでは?という状況で、最悪の場合、不参加になるところだったけど、とりあえず駅まで自転車で走ってみてから考えようってことで走ってみたところ、これが意外に行ける感じだった。良かったわ。痛いのが左手だったのが幸いしたみたいである。
この日の天気はずっと曇り空で、時折陽光が差すこともあったんだけど、気温がなかなか上がらなくて、ちょっとサイクリングには不向きだったかもしれないね。雨が降らなかっただけマシだった。
それにしても今回のサイクリングで気になることがあった。ぼくの自転車の速度がなかなか上がらなかったことである。
いつものこういうサイクリングなら時速25キロくらいで走るんだけど、どういうわけか23キロくらいしか出ず、後半は疲労もあったのか20キロそこそこまで落ち込んでしまった。しかも目的地に到着してサイクリングが終了した時には、50キロ程度のサイクリングでは今までなかったほどの深い疲労感。そして翌日から今日まで続く筋肉痛。そりゃ結構な坂道が続々と続くコースだったけど、それにしてもぼくの走力はここまで落ちてしまったのだろうか。もしかしたら、これは先に書いた足の痛みと関係しているのだろうか。
とにかく足をちゃんと治して、10キロくらいなら普通にランニングできるようになってみて、もう一度自転車での走力を見てみたいと思う。ただ、もしこれが本当に走力ダウンになっていたら、これからのサイクリングはちょっと不安になってしまう。先日書いたとおり、6月からサイクリングが目白押しだからである。
ちなみに、筋肉痛の方は、たとえばサイクリングの翌日にちょろっと散歩したところ、右足の大腿筋が派手につってしまうほど酷かったりする。大腿筋がつるなんて今までなかったよ。
ホント、ぼくの足はどうなっているんだろう。
サイクリングの終盤、海沿いの国道を走りながら、西に傾いた太陽が雲の隙間から覗くのを見ていた。キレイな景色である。こういうのを見ながら走るのがサイクリングの楽しさなのだろうなーと思いながら、なかなか上がらないスピードに首をかしげつつ、ココロの中には始まったばかりのサイクリングのシーズンに期待と不安が渦巻いている不思議な感覚だった。

※コース上の公園にて。
| 自転車日記 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0)
夢の終わり。
ランニングよりもサイクリングよりも絵なぞよりもぼくの思考を大きく支配していた音楽活動復活の件だけど、演奏会に向けてぼくも練習を本格化していこうかと意気込む中、唐突だけど活動を辞退させていただくことになってしまった。誘っていただいた方には大変申し訳ないことで、ぼくがスムーズに参加できるよう楽譜を用意してくれたり、随時声をかけてくれたりといろいろ尽力いただいたのだけど、結果的にぼくの意識が音楽活動を継続するのにほんの少し足りなかった。非常に残念だし、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
直接的な発端は、演奏会費である。演奏会費とは演奏会を開催するために臨時的に団員が負担する費用のことで、それが通常より若干値の張るものだったので、ちょっと考えてしまったのだ。しかもどういう都合が分からないけど、団員になるかならないか、つまり支払うか支払わないかを一両日中に回答せよとのことだった。まあぼくも社会人なので、出せない額では当然ないのだけど、まだ1回しか練習に参加していない楽団に万を超える金額をポンと出すのには躊躇いがあった。加えて、前回の練習ではトランペットがかなりの人数になっていた。半分くらいはこの演奏会のための賛助出演者なんだろうけど、ちょっとタイミングが悪い感じはあった。「ぼくがいなくても何ら問題ない」とやはり思ってしまうのである。下手っぴでも団員であれば多少の自由度が利くけど、賛助が入った後では団員になった場合は、かなり立場が微妙になる。それにぼくがどこまで上達するかも未知数だったしね。
邪推だけど、もしかしたらトランペット内で「俺って不要じゃね?」問題が勃発していたのかもしれない。賛助の人だって、ぼく以上に思うところがあったのだろう。団員希望者と既に頼んでしまった賛助を調整するには、まず団員になるかもしれないぼくにその身の振り方を確定にさせる必要があったのかもしれない。回答を一両日中に求めていたのは、賛助の方を断るかどうかの判断をするために必要だったのかもしれない。いや、分からないけどね。ただもしこの邪推どおりなら、ぼくの判断はまったく違ったものになっていただろう。
そんな邪推も含めて、かなり葛藤した。
真夜中に目が覚めてしまった。頭が妙に冴えていた。ずっと考えていたけど、回答を保留するのも憚られたので、横になったままスマホに向かってメッセージを綴った。何度も書き直しつつ、その都度自分に問いかけて、結果的には辞退するという結論で話しを結んだ。これでもうぼくは誘われないかもしれないと思うと、かなり寂しかった。もうステージに乗ることができないかもしれないと思うと、ホント残念でならなかった。しかし、今回はタイミングが合わなかった。そして、そのタイミングの悪さをひっくり返して挽回するほどの熱い情熱がぼくになかったのだろう。あれほど音楽活動復活を楽しみにしていたのに、最後の最後でほんのわずかな気持ちの不足が展開を大きく変えるハメになったわけである。
誘っていただいた方には、重ね重ね申し訳ないと思っている。どこかで機会があればまたぜひ一緒に音楽をやりたいと思っている。
先日カラオケ屋でちょろっと吹いたところ、意外に吹けていて驚いた。ぼくの気持ちがあともう少しあれば、そしてちゃんと練習すれば、ぼくがステージに立てる可能性はゼロではない。いつかどこかでまたステージに戻ってやろうと思う。
長年思い描いてきた夢は、今回は夢のままに終わったけど、ぼくの音楽活動への思いはまだまだ続くのである。

※余談だけど、夜中の3時くらいに起きて、大事なメッセージを送るというのは、それ自体が大いなるミスである。目が覚めちゃってとか頭が冴えてなどと言っても、しょせん起き掛けの頭である。きちんとしたメッセージが書けるわけないのだ。ちゃんと見返したとは言え、実は寝ぼけてて支離滅裂なメッセージになってたりするかもしれない。それはかなりオソロしい話しである。
そもそも起き掛けに大事なメッセージを書こうと考えること自体が既に寝ぼけた発想である。以前も起き掛けにベッドの上でメッセージを書くようなことがあったのだけど、こんなアホな行為は今後厳に慎まないといけないな。
| 音楽日記 | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0)
足が痛いこととジャージが欲しい件について。
右足が痛い。歩くとずきずきと響く。時折、力が入らなくて膝がカクンと折れてしまう。階段では未だに手すりに手をかけないと降りたり昇ったりができない。これはちょっとヤバいかもしれない。
発端は、2月下旬のロングラン練習である。東京マラソンの映像に触発されて、ハーフマラソンが翌週に控えていることもあって、ここはひとつ、がっつり走ってくるかなーと地元の周回コースのランニング練習に出かけ、約20キロほどを走ったのである。その時の筋肉痛が翌週の火曜日くらいに和らいできて、しかしそれでも消えない痛みの存在を認識し、初めて異変に気付いたというわけである。
そこから2週連続のランニングイベントが控えていたので、とにかくマッサージをしたりストレッチしたり湿布を貼ったりといろいろしたんだけど、完全に治ることはなくて、三浦国際市民マラソンでハーフを走り、その後も筋肉痛とともに足の痛みも増したんだけど、この痛みを押してその翌週に横浜マラソンを走った。以前書いた通り、散々な結果だったけど、その原因はこの足の痛みだったわけである。
横浜マラソン以降はずっとランニングしないでいるんだけど、それでも足の痛みは取れない。横浜マラソンが終わってからそろそろ10日が経過しようという中で、だからこれはちょっとヤバいかもと思うわけである。
さて、どうしたものか。病院にでも行くべきか、もう少し様子を見るべきか。
そういえば、今週末は自転車仲間と三浦半島をサイクリングする。すっごく楽しみにしていたサイクリングなので、これは絶対に参加したい。ランニングじゃないから足の痛みは出ないかもしれないけど、もし痛み出したらこの状況から推察するに、ゆっくり自転車を走らせることすら難しくなるかもしれない。これは参ったわ。
サイクリングと言えば、先日、さきこと自転車屋に行った。
さきこの自転車はホイールのサイズは通常よりも一回り小さいので、このサイズに合うタイヤチューブがあまり売っていないのである。この日も店には置いてなくて、結果的には通販で手に入れることになったんだけど、ふと思いついて別館で売られているサイクルウェアを見に行った。かねてからぼくのサイクルウェアをそろそろ新しいものにしたくて、でも現在愛用しているものはデザイナーをやっている自転車仲間にデザインしてもらったオリジナルのもので、せっかくなら既製品ではなく、またオリジナルのサイクルウェアを作りたいなと思うにつけ、ぼくにはそういうセンスがまったくないので、何度も考えてデザイン案を作ってみているものの、カッコいいデザインには到底至らず、ここはひとつ、市販のサイクルウェアを実際に見てみて、カッコいいデザインとはどういうものかを見てみることにしたんだけど、しかしここで物凄くかわいいデザインのウェアが売られているのを見つけてしまったのだ。カッコいいを追求しててかわいいデザインが目に留まるのもどうかと思うけど、これはツールド・フランスをイメージしたもので、大きなひまわりが何本も描かれ、その中をリーダージャージや山岳賞、スプリンター賞のジャージを来たサイクリストが走っている図案である。エッフェル塔や凱旋門が配置され、ツールド・フランスがかわいく表現されていた。
そして驚くべきは、サイズ「XL」が売っていたこと。最近は少々のデブでも自転車に乗るので、大きなサイズのウェアもそれなりに需要があるわけである。そういえば、ぼくがオリジナルウェアにコダワってた理由のひとつに、「既製品では自分に合うサイズが売ってないから」というのもあったな。売ってないなら作るしかないという発想だった。しかし、こんなかわいいデザインが売ってるなら、わざわざ作ることもないわけである。
試着して問題なかったので、思わず買ってしまったよ。
いや、いい買い物をしたなー・・・ってか、このジャージは一体いつ着るのだろう。
来週のサイクリングもそうだし、今後予定されているイベントやサイクリングなんかでも、やはり気合いを入れるために愛用のチームジャージを着るわけで、このかわいいデザインのジャージを着る機会がまったく想像できない。いや、つい買っちゃったけど、まあ普段のサイクリングなんかで使ったりするんだろうな、うん。
なんか脱線してしまった。
ともかくも足が痛いのである。どこかでキチンと向き合って、足をちゃんと治さないとダメがもしれない。まずは来週のサイクリングである。さて、どうなるか。
| 自転車日記 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0)
音楽の世界。
先週は川崎にある某吹奏楽団の練習に参加してきた。ほぼ8年振りの吹奏楽の練習、吹奏楽の合奏である。
なかなか新鮮な経験だった。
実はこれに先立って、どの程度下手っぴになっているかをぼく自身が確認するために、ちょろっと個人練習をすることにした。どこかの公共施設の音楽室を借りるほどでもないので、手軽にカラオケ屋で部屋を借りることにした。どうも最近はカラオケ屋で練習する人も増えているそうな。
カラオケ屋に楽器持参で赴き、部屋に入って楽器ケースを開ける。なんだか妙な気分である。店員が怪訝そうな顔をしてオーダーしたウーロン茶を置いていったけど、気にしないのだ。別にヤマシイことをしているわけではないからね。
しかし、カラオケ屋の部屋は完全に防音というわけではないので、隣の部屋の歌声は若干聞こえてしまうのと同様に、ぼくが吹くトランペットの音も若干(かなり?)漏れているのである。ぼくがカラオケ屋で歌を歌うというなら、それがどんなに下手っぴでも気にしないけど、カラオケ屋で生真面目にロングトーンとかやってるのを聞かれるのは、なんだか恥ずかしいものである。
でも、ちょっと練習してみて分かったけど、ぼくのトランペットの腕前は確かにかなり下手っぴになってるのは当然とは言え、それが絶望的に下手っぴになってるわけじゃなかった。これにはなんだかホッとしたわ。もちろんこれからも継続的にちゃんと練習しないと全然ダメなんだけど、それでも合奏に参加して迷惑をかけない程度には吹けている感じだった。
それから少し休憩して、電車で川崎の某所に向かった。ぼくは初めて降りる駅である。
練習会場の施設に入り、少し緊張しつつも練習部屋のドアを開け、遠慮がちに声をかける。ぼくは部屋の中に誘なわれ、こうしてぼくの見学を含めた合奏は始まったのである。
気になったのは、トランペットのメンバーの数である。合計7人。人が足りないと言われて誘われたわけだけど、7人は一般的編成ですら多いと言われる数である。どこからか急きょ賛助の人を連れてきたんだろうけど、小編成のこの楽団には多過ぎる人数だし、そもそもこの日は十数人しか練習に来ていないわけで、完全にトランペット過多な状態だった。
これは、つまり、ぼくって不要なんじゃないか?わざわざ8年ものブランクを押して練習に来てみたけど、なんだか場違いな感じというか、居たたまれない感じがしてしまった。
ぼくと同じパートを吹くのは若い女性なんだけど、いや当然ながらぼくより上手いわけで、ぼくが時折音が出なかったり、音を外しちゃったりするので、なんだか申し訳ない気持ちというか、気後れしてより一層居心地が悪く感じられた。
それでも、楽器を演奏するのは楽しかった。
周りで音が鳴っている環境というのは、ホントにワクワクするものである。場違い感や気後れを感じたりもしたけど、楽器から音を出すというのは単純に面白いし、なんだかウレシイものである。まあ楽曲がいわゆる吹奏楽オリジナルのもので、トランペットの楽譜ではずっとp(ピアノ)とかmp(メゾピアノ)くらいで音を出さないといけないところもあって、そのためかぼくの技術不足感が一層際立っちゃったんだけどね。
それにしても、合奏というのは、なかなかハードルが高いものである。頻繁に楽器を吹いていた時は感じなかったけど、こうして8年もブランクがあると、合奏についていくのはいろいろ大変だということが分かった。これは一言ではなかなか言い表せられないけど、とにかく長く接していなかった者には高いハードルだということが分かった。いや、ホント大変なんだな。
だから合奏が終わっても、心地良い感じはまったくしなかった。以前はまだまだ吹いていたいというか、疲労感の中にも満たされた感じもあって、それがとても好きだったんだけど、今回は精神的な疲労感の方が上回った。耳からシューシューと煙が出てるかと思ったね。まあ久し振りだからしょうがあるまい。

今回はとにかくついていくので精いっぱいだったからまったく余裕がなかったけど、またもう一回くらい見学させてもらってもいいかなと思っている。いや、今度はトランペットがもっと少ない時にね。あと、それなりの音量で吹ける楽曲、オリジナルではなくポップスの楽曲の時に来たいものである。
合奏が終わり、片付けが終わり、特に終わりのあいさつもないそうなので、ぼくは居たたまれない感じに耐えかねてそのまま練習会場を後にした。暗く寂しい道を駅に向かってテクテク歩き、若干道に迷ったりしつつ帰途に就いた。
音楽とはやはり敷居の高い趣味なのだろう。楽器を持っていれば、楽譜が読めれば誰でも参加できるというわけではない。ランニングのようにシューズさえあれば、いやシューズなんかなくても誰でもいつでも楽しめるのとはまったく違う世界である。共通言語を理解し、共通文化の中で振舞い、その中で仲間と思いをひとつにまとめあげていくという作業である。これは長らくランニングやサイクリングや絵なぞのようにワンマンプレーだけやってきたぼくにはあまりにも久し振りな世界だった。久し振り過ぎてついていくことが大変だった。これが楽しくなる日が来るのか分からないけど、先ほども書いたように、合奏後の気だるくも満たされたあの感触をもう一度味わいたいなとも思うのである。
さて、次はいつ行こうかな。
| 音楽日記 | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0)
春の足音。
暖かい日が多くなってきて、すっかり春めいてきた。いい季節になってきたなー。
横浜マラソンが先週無事終了し、今後は10キロを走るランニングイベントが2つくらい残っていて、こうして去年の秋から始まったランニングシーズンもそろそろ終わるわけだけど、暖かくなるとそろそろサイクリングのシーズンである。
ぼくは去年新しい自転車を買ったものの、納車が遅れたり、資格試験の準備なんかでなかなか乗る機会がなくて、今年こそ思う存分自転車に乗れるわけである。まあ、資格試験はさくっと落ちちゃったので、また準備しないといけないけどね。

そんなわけでサイクリングは去年以上の計画がある。
今月は久し振りに三浦半島を巡るサイクリングがあるし、少し間が空いて、6月には富士ヒルクライムへの初挑戦、7月には自転車仲間との出雲サイクリング、8月にはぼく自身のチャレンジサイクルリング、知床チャレンジがある。サイクリング関連で大きなイベントがこれほど続くのは珍しいかな。それだけ今年は自転車に乗ってやろうという気概があるというわけである。まあお勉強の方も並行して頑張らないとだけどね。
ちなみに、初挑戦の富士ヒルクライムはまさに昨日、申し込みの受付が始まり、どうしてもエントリーしたかったぼくは、エントリー開始時刻にはちょうど会社の同僚とラーメン屋でラーメンを食べ終えたところだったんだけど、テーブルの上を片付けてパソコンを広げて人目も憚らずマウスをかちゃかちゃ繰ってエントリー作業をした。ラーメン屋でパソコンなんて、ちょっと恥ずかしかったけど、ぼくがこのイベントにかける思いとはこれほど強いというわけである。

さて、暖かくなると復活するのはサイクリングだけではない。
絵なぞを描くための右脳も長い冬眠から覚めて、徐々に絵なぞが描けるようになってくる。絵なぞを描いている時間がぼくの中でもっとも癒されるというか心地いい時間なので(失敗に対するプレッシャーはあるけど)、ぜひ右脳にも回転を始めてもらって、絵なぞの時間も充実させたいと思うのである。
そんなわけで、ランニング、サイクリング、絵なぞと、暖かくなるといろいろ始められるので、ウレシイ限りである。
しかし、そんなぼくの道楽のバランスを大きく崩すデキゴトがあった。

ある方からのメッセージがiPhoneに届いたのだ。この人のメッセージはいつも単純で簡潔で的確である。今回のメッセージも非常に単純明快、簡潔なセンテンスだった。
「5月○日、吹奏楽の演奏会でトラやらない?」
この人のメッセージは確かに単純明快、簡潔にして的確だけど、さらに言えば、強い使命感を惹起させる不思議な力がある。なんて言うのかな、例えて言えば、会社なんかでふいに上司に「ちょっと時間ある?」なんて言われて、人目の少ない打ち合わせスペースに連れていかれ、「今度のプロジェクトだけど、君が主導でやってもらうことになったから。予算は少ないけど100億円用意してあるので、思う存分やりたまへ。がっはっは」とか言われて、「え?!マジっすか?」と驚きつつ、ココロの中で小さなガッツポーズをしてるような感じである。よっしゃ、いっちょやったるか!という使命感に武者震いする感じ、そう、何気ないこのメッセージにはそんな不思議な力がじんわりと漂っているのである。たぶん、言ってる本人はまったく意識してないけどね。
しかも、このメッセージの内容にもちょっとした不思議がある。
吹奏楽?
この人は吹奏楽の楽団には所属してなかったハズである。どこか新しい楽団に入ったのか?いや古巣のあの楽団か?5月の演奏会のトラ、つまり賛助を要請してくるなんて、もしかしてかなり逼迫した状況かもしれない。
既に使命感というか、ワクワク感に震えてるぼくは、仕事そっちのけでネットで検索して、5月○日に演奏会をする吹奏楽団を突き止めた。楽団名を聞いてみると、やはりビンゴである。ふーん、この吹奏楽団に入団したのか。どういう経緯があるんだろうな。
演奏会で演奏する楽曲はなかなか懐かしい曲もある。これはぼく自身も楽しそうな演奏会になりそうである。そんなことを考えていると、表向きとは違って、ぼくの気持ちはほとんど固まっていた。以前に所属していた楽団を退団して8年もの月日があるけど、どういうわけか不思議と不安感はなかった。どんなことでも8年もご無沙汰していたら、腕がナマるし、不安もあると思うのだけど、まあ実際は不安感もなくはないのだけど、それよりもやはりワクワク感の方がこれを大きく凌駕していた。ココロのどこかでじりじりと待っていた音楽に向ける思いが、ついに「その時」を迎えて大きく増幅したというわけである。ぼくのココロは完全に音楽に支配されてしまった。いや、実際これからどうなるか分からないけどね。

なんか、音楽の話しの方が長くなっちゃったな。
ともかく、春である。
ランニングもサイクリングも絵なぞも音楽も、いやもちろん勉強や仕事も頑張る季節が来た。なんか春風に乗ってどどどっと押し寄せてきた感じもあるけど、とにかく楽しみたいと思う。
そんな折、会社の非常勤役員と二人で打ち合わせするために外出することになり、「飯おごってやるから昼に会おう」と言っていただいたので、どうしよう、新ビジネスのために君に100億預けるなんて言われたら・・・なんて思ってた・・・ということはなくて、ただ普通に打ち合わせをして食事をご馳走になっただけなんだけど、雑談をしている中で、自転車もランニングも絵なぞも、ついでに過去に音楽もやってたことを知ってるこの方に、「いやー春から音楽活動も復活するかもですよーナハハハハ」なんて話したら、
「もう少し趣味を減らして仕事を頑張ったら?」とやんわ釘を刺されてしまったよ。ぎゃふん!
| 日記 | 10:39 | comments(0) | trackbacks(0)
学歴詐称の誘惑。
テレビのコメンテーターとして活動していたある経営コンサルタントが、某週刊誌によってその学歴詐称を暴かれて、活動自粛となった。夜10時の某報道番組でもコメントをしていた人で、ぼくも何度も見たことのある人である。
それにしても、最近はこういう人って多いよなー。こういう人は虚飾で自分を包み込んで、良心の呵責はないのだろうか。いや、ニンゲンだから多少のウソやちょっと大げさに語っちゃうことはあったとしても、氏名や経歴、その他ほとんどがウソというのはどうだろう。いつかバレると思わなかったんだろうか。以前にも耳の不自由な作曲家やiPS細胞の臨床実験に成功したと騙った研究者などがいたけど(STAP細胞の一連の疑惑は、ぼくは判断保留のスタンスなので、列記しないけど)、もしかして世の中ってある程度の割合でこの手のウソつきたちで回っていたりするんだろうか?ぼくが知らないだけで、または公になっていないだけで、この手のウソで固めてテレビなどのメディアで偉そうなことを言ってる人ってのが、どうも想像以上に多いような気がするのである。
これほどウソつきが多いと、よほどウマみがあるんだろうな。学歴を詐称してまでテレビ出演するんだから、どこかの変な大学よりもそれなりの大学名の方が明らかに優遇される世界ということか。実力主義とか個人主義とかいろいろ言っていたけど、やはり結局学歴ってことなのかね。
そう思うにつけ、話しはかなり変わるけど、先日発表された神奈川県の高校再編の話しは、かなり悲しいものだった。
神奈川県は人口増に合わせて学校をどんどん増やしていったんだけど、逆に人口減になっている昨今は、高校を減らしていかないといけなくて、ぼくの所属していた学区でも、9校あったのが5校にまで減少してしまった。その中でも、学校名が当初より変更されていないのは、ぼくが通っていた高校ともう1校の2校だけになってしまった。他の学校は統廃合によって、完全になくなってしまうか、校舎はそのままで他の学校と合併して高校名が変わってしまうという運命を辿っている。つまりぼくの学区のうち、ほぼ7割くらいの人は、母校がなくなってしまったというわけである。この辺は以前にもブログで書いたことである。
それから最近になって、さらなる高校再編の計画が浮上する。統廃合をさらに進めるとともに、高校それぞれに特色を定め、特色に沿った教育を進めるというものである。外国語の教育に力を入れるとか、世界史や日本史を現代から遡って教えていこうとか、そういうユニークな試みである。その中には、進学校としてさらに高度な教育を進める学校の指定もある。もともと偏差値の高い学校ではあったけど、教育委員会がお墨付きを与えて、さらに進学率や難関大学を目指せる学校にしようというわけである。そして、その逆に、勉強に追いつけない学生を受け入れる学校もある。いわゆる底辺の学校、バカ高校である。もともとはそれほど偏差値が低い高校じゃなかったんだけど、長い歴史の中で、偏差値が下降していき、最終的には教育委員会が「落ちこぼれ」のお墨付きを与えるハメになった高校である。自分でも驚くけど、ぼくはそんな高校の出身である。県内でも下から数えた方が早いほどのバカ高校出身者である。
神奈川の高校生の人口がどんどん減っていて、高校を再編したり統廃合しないといけない事情は充分に分かってるつもりなんだけど、お役所がわざわざバカ高校をさらにバカ高校だと認定することもないじゃないかとも思う。「この高校出身者はバカですよー」とお役所が看板を立てるようなものなのである。これはそれまで頑張って勉強してきた卒業生を、文字通りバカにする行為である。ぼくの同級生だって、そりゃ目も当てられないほどのアホはいたかもしれないけど、ちゃんと勉強して進学した人だっていっぱいいた。国公立大学に行った友達だっているし、国家公務員になった人だっている。そういう人に対して、何のフォローもないのかなーと哀しくなってしまうのだ。
それならばいっそ、高校名がなくなった方がマシである。
たとえばある高校は、統廃合計画のごく初期に統廃合されてしまい、今ではその名前を聞くことはまったくなくなったけど、先日某NHK−FMの吹奏楽の楽曲ばかり放送する企画で、吹奏楽コンクールの全国大会優勝校として高校名が紹介され、その演奏が放送された。当時高校生で吹奏楽部だった人は一度は聞いたことのある名前である。この高校の素晴らしい演奏がラジオから流れた後にツイッターを見てみると、「え?この高校なくなっちゃったの?」という驚きのコメントが多く投稿されていた。まさに死してなお語り継がれる伝説の高校というわけである。
ぼくの高校もバカ高校認定されるくらいなら、いっそこんな風に華々しく散った方が良かったのかもしれない。
ぼくがもし東京ではなく、地元神奈川の企業に転職しようとすると、企業の人事の人は高校名を見るかもしれない。ぼくの偏見だけど、大学や企業遍歴よりも出身高校を重視しそうな気もするんだよね。もしそうだとすると、ぼくが神奈川の企業に採用される可能性はかなり低いことになるだろう。誰もバカ高校出身者を採用したくないからね。
そんなことを思う日々なので、今回の学歴詐称のニュースにはいろいろ思うところがある。アメリカの大学を出たと書いてあったところ、実際は熊本の私立高校しか出ていないというのは、ウソにしてはあまりにも盛り過ぎている。そんな学歴詐称がバレてないだけで、他にもたくさんいるのであれば、ぼくがバカ高校の出身であることを偽っても、それは些末なことにさえ思えてしまう。最終学歴を偽るわけじゃないんだから。
もちろん、ぼくはそんなことはしない。ブログに「ぼくはバカ高校出身者です」と書くくらいだから、この辺はかなりバカ正直な性質なんだろうと思う。だからというわけでもないけど、このニュースには過剰に反応してしまうし、ぼくが割を食っている分、この手のウソつきをぼくは絶対に許せないのである。
| 日記 | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0)
横浜マラソン雑想。
先日参加した横浜マラソンについて、あとがき的に思いついたことを書いておく。

前回も書いたけど、天気を司る人外の存在には大感謝である。横浜マラソンの翌日は終日雨が降って、一部で雪になったなんて話しもあり、これが1日前倒しになっていたらと思うとぞっとする。ただでさえ過酷なランニングは地獄のランニングになり、ぼくばかりかかなり多くのリタイアが出ただろう。前週に引き続き、天気が良かったことはホント感謝である。

足の痛みに耐えてぼくは何とかフィニッシュしたけど、その痛みはランニング後も続き、さらに翌日はほぼ終日続いた。いや正確には、動かさなければ全然痛くないんだけど、立ち上がるために体重をかけたりするともうダメである。痛い方の足では一瞬でも立つことができないほどだった。夕方辺りにさすがに焦ってきて、ストレッチとかマッサージをさきこにお願いしてやってもらったら、劇的に解消して、若干引きずりつつも歩くことができるようになった。これは一夜明けた今も同じで、今は何とか歩行できる状況である。このままあまり動かさないようにしていれば治るものなのかちょっと心配である。

そうそう、さきこのことである。
右足首を捻挫して、それを庇うために左足も痛くなり、以前からの腰痛も悪化していたさきこだったけど、ぼくの心配をよそにぼくに20分ほど先行してフィニッシュした。当初は20キロを走れれば御の字で、高速道路に入る前にリタイアして欲しいなんて言っていたけど、もちろん痛みに耐えつつ走ったんだけど、結果的にフィニッシュゲートをくぐることができた。まりこさんが一緒に走ってくれたんだけど、それが励みになって、一度も歩かずに走り切ったそうである。良かった!まりこさんに大感謝!

それにしても、ぼくの足の痛みは一体なんなんだろうか?2週間前のランニング練習に端を発しているのはたしかだけど、ここまで長引くとはホント想定外である。ぼくの過大な体重を支えるために、ランニング中の足にはかなりの加重がかかっているとは思うけど、それでも股関節や膝や足首は故障せず堪えてくれていた、それがここにきて限界になってしまったということだろうか。
ちなみに、今回初めて某ファ○テンのチタン配合のテープを足や肩に貼って走ったんだけど、帰宅してこれを剥がしたら、なんだか痛みが若干和らいだ。いや、気のせいかもしれないけど、もしかしてフ○イテンが足の状況を悪くしていたのかもしれない。この手の器具はちゃんと考えて貼らないとダメみたいである。痛いところを適当に探してぱぱぱっと貼るようなものではないらしい。そういえば、某マンガ「炎の○校生」で、体中にピップエレキバンを貼りまくってパワーアップした敵と戦う時に、これを奪って自分も同じようにピッ○○レキ○ンを体中に貼ったんだけど、そこで敵が「ははは!バカめ、適当な場所に貼ったら、逆に血行を悪くしてパワーダウンしてしまうのだ!」なんて言うシーンがあったけど(かなりウロ覚えだけど)、それと同じことなんだろうか。しばらくファ○テンは控えるようにしようかな。

会社に休みをいただいた日、上半身だけは元気だったので、自宅でネットばかりやっていたんだけど、ふと思いついて横浜マラソンの公式サイトに行ってみたら、「横浜マラソンは無事終了しました」の言葉の後に、次回の横浜マラソンの日程について言及があった。
2017年10月29日・・・。3月ではなく、半年も後になっていた。なんだよ、横浜マラソンって3月で固定化されるわけじゃないのか。10月開催となると、いろんなランニングイベントが始まる季節である。いや、ちゃんと練習して、ハーフや10キロなどのランニングイベントに参加しつつ走力を上げていき、シーズン最後にフルマラソンを走るってのが理想なスケジュールだったのにね。特に三浦国際市民マラソンの翌週ってのも、適度に緊張感があって良かったんだけどな。拍子抜けである。どうしてシーズン初めにしようと思ったのかね。日程が近い東京マラソンとの競合を避けるためなんて説もあるそうだけど、いやそれにしてもなんだかな。次に参加するかは、ちょっと検討しないといけないかもしれないわ。そう思うにつけ、多少の筋肉痛や足の不調を押して無理にでも完走を勝ち取っておいて良かったわ。

完走メダルはなかなかいいデザインだった。形状も丸形ではなく、錨を模していていい感じだし、中が空洞ではないので、ずっしりとした重みもある。この手の造形って、板を湾曲させるように加工して、いわば中を空洞のような感じにして作られがちだけど、これはちゃんと中身が詰まっていて重厚感がある。他のマラソンでもらったメダルよりもいいかもしれない。しかし、惜しむらくは裏面に「FULL」と書いてあることである。
FULLとはフルマラソンのことだけど、ちゃんと書いてほしかったな。「フル」なんて形容詞であって、名詞ではないわけで、「フル○○」とあって初めて意味を持つ言葉なのだから、「FULL MARATHON」または「MARATHON」と書いてほしかったわ。ファミレスなんかで「エビグラタン」を頼むのに「エビください」って言ってしまうほどアホっぽい記述である。

さて、そういうわけで、しばらくランニングはお休みである。来月と再来月には10キロのイベントがあるけど、これを楽しんで走りつつ、今年はぜひ自転車の方を注力したいなんて思っている。そして秋からまたランニングを楽しみたいな。
| Be RUNNER! | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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