「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
決断の時。
再来週の週末に、静岡県裾野のランニングイベントに参加する予定である。去年も参加した富士裾野高原マラソンである。今回はここで10キロを走ることになっているんだけど、どうしたものか、ちょっと迷っている。
このランニングイベントに参加するのは去年に続いて2回目である。去年は実はハーフマラソンの方に参加したんだけど、いやもう散々な結果に終わったものである。ぼくの勘違いでてっきり10キロランニングかと思っていたら、直前になってハーフマラソンであることに気付き、全然練習せずに参加したところ、これがただのハーフマラソンではなく、富士山に向かって5キロほど上り、その後アップダウンのある道を10キロほど走って、来た道を5キロほど下るというかなり過酷なコースで、しかも去年は物凄くいい天気だったために日差しを遮るものもなく、気温がぐんぐん上昇するという、練習不足、過酷なコース、気温上昇のトリプルパンチにやられてしまったのである。その雪辱を晴らすべく、今年も参加することになっているんだけど、エントリーの際になぜかハーフマラソンではなく10キロランニングを選択してしまった。あの過酷な思い出が無意識にハーフマラソンを避けてしまったのかもしれないね。もはやトラウマと言っていいほど酷い思い出である。だからこの時の悔しい思いが、今もなお鮮烈に記憶に刻まれている。特にコースの最終盤、フィニッシュ近くを走っている時である。制限時間ギリギリにフィニッシュ地点である競技場に帰ってきたぼくとさきこは、既に走り終えて会場を後にする参加者からたくさんの拍手を送られたのだ。いや、頑張ってるぼくに純粋にエールを送ってくれたんだろうけど、ぼくはきっとこれを「屈辱」だと受け取ってしまったのだろう。ぼくだっていろんなイベントでハーフマラソンを走ってきて、それなりの走りをしてきたハズなのに・・・というわけである。あの場所には去年のぼくの思いがまだ残っているのである。
そういう意味では、ぜひここはランニングに参加するべきであり、この機会をずっと楽しみにしていたんだけど、今年はちょっと難しいかもしれない。足のことである。
鍼灸治療により痛みはかなりおさまってきたんだけど、それでも足首関節やふくらはぎに違和感が残っている。筋肉痛が長引いてる感じのツッパリ感というか疲労感という感じである。あと2週間で足を完全に治して、練習して10キロを楽しく走れるレベルまで行けるものだろうか。ここで無理をして、また足の痛みがぶり返せば、これまでの治療の努力が水泡に帰すことになる。ここは大事を取った方がいいかもしれない。
ただね、過酷なコースとは言え、高原を走るランニングは晴れていれば非常にいい景色なのである。これを逃すのはちょっともったいないんだよね。
そんなわけで、このイベントに参加するかどうかを判断すべき時が近づいている。ぼくはどういう決断をするだろうか。走るべきか、走らざるべきか、そこが問題なんだよなー。
| Be RUNNER! | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0)
エンブレム狂想曲・最終楽章。
2020年の東京オリンピックのエンブレムを巡って、盗作だのと大騒ぎになり、一旦決定したエンブレムを取り下げてもう一度選考をやり直した問題だけど、先日エンブレムのやり直し選考を終えて、エンブレムが最終的に決定した。4つまで絞り込まれたデザイン案をさらに選考して、市松模様をイメージさせるモノクロ的なエンブレムに決定した。
最終選考を前に公表された4つの候補には、世間からいろいろとツッコミがあったようだけど、結果としてぼくが思うにもっとも無難なデザインに決まった印象である。
これでエンブレムのデザインについては収束である。ぼくもここでやいのやいの言わないのだ。デザインがイケてるとかイケてないとかは、この期に及んでは野暮な話しなのだ。エンブレムはあくまでイベントを盛り上げるためのツールでしかないんだから、「このデザインで盛り上がる!」と運営側が言ってるんだから、もうそれで文句は言わないのである。まあ実際、ダメなデザインではないと思うしね。
ただ、招致の時に使われたデザインや盗作疑惑が出た際に代替案として出てきたデザインの方が何だか秀逸に思えるなーとは思う。どうしてこれを使わないんだろうなーとは思う。一般市民がデザインしたエンブレムが大きなイベントで使われるなんて、夢のある話しじゃないかな。子供たちに夢を与える話しである。そう思うと、いい大学に行って、ちゃんと勉強して、いいデザイン会社に入って、いいコネクションを構築して、それなりの賞もちょこちょこ受賞してからはじめて夢が叶うなんて、子供が語る夢にしてはちょっと寂しい話しである。
ちなみに、4つの案が公表された後にネットなどで、「落選したデザインだって捨てたものじゃない」なんて動きがあって、これを集めて公表する動きがあったけど、実際に出てきた案を見るにつけ、それほどいい案とも思えなかった。いや、着眼点は非常に良くて、「おっ」と思うものも確かにあるんだけど、一般的なデザインとして使えるかどうか疑問なものもあった。特に、「折り鶴と日の丸」をモチーフにしたデザインが複数あって、これは日本の伝統の折り紙と日の丸を組み合わせた秀逸なデザインだと感心してしまったけど、これってやはり某航空会社を想起してしまうという点で一般的ではないんだろうな。とてもいいデザインなんだけどね。ちょっと残念である。しかもその理由が、ぼくが嫌っている航空会社のマークなんだもんね。なんだかなーと思う。
そんなわけで、東京オリンピックは少し前進した。
しかし、開催までに解決すべき課題はまだまだ山積である。エンブレムと同様にすったもんだの末に決定した国立競技場のデザインでも、木を組み合わせた日本らしい秀逸なデザインではあったけど、聖火台の設置場所が書き込まれておらず、しかも木造にしちゃったので、安易に聖火台を付け加えることも難しく、ギリシャで採火して運んできた火をどうすんの?!って状況らしい。これも解決しないといけないし、さらにデザインの問題でいえば、マスコットキャラクターの問題もあるだろう。ゲーム大国であり、しかも各地のご当地マスコットが乱立している日本で、果たしてどんなマスコットがデザインされるのか?あまりにもイケてなくて、ここはひとつ、熊本のくまモンや船橋の非公認キャラ・ふなっしーでいいんじゃね?ってことにならないようにして欲しいなと思う。マスコットキャラクターはその意味では、競技場のデザインよりもエンブレムのデザインよりもはるかに険しい道かもしれない。
ともかくエンブレムが決まったことで、これからテレビや広告などでこのエンブレムを見かけることは増えるだろう。いい感じに盛り上げて欲しいなと思う。いろいろ思うところはあるけど、せっかく開催されるイベントなんだから、「やるからには楽しく」したいもんね。

※脱線だけど最近、さきこからぼくのブログに対して「何でも反対反対って言う」との指摘をいただいた。確かに、ぼくのブログやぼくの言動にはそういう傾向がある。未だに反抗期みたいな?青っぽさを開き直って肯定している感じである。まあオトナになり切っていないぼくは、オトナが決めたことに何でも難癖をつけて、悦に入っている思春期のガキみたいなところがある。その気質をそのまま鏡のように映したのがぼくのブログである。いわば、いい歳したオジさんが思春期的思想を爆発させるための場所である。難癖をつける自分に酔っているだけの場所である。このブログは難癖の塊みたいなものである。だからこのブログに正論や建設的な意見を求めてはいけない。これからは、ぼくの思春期的な青臭さに加えて、偏屈オヤジ的な要素もどんどん色濃くなっていくと思う。そんな悪臭のする闇鍋のようなものがぼくのブログなのである。それもぼくが何年も続けてきた成長の記録なのだ。そう、成長記録と思えばいいのだ。もしかしたら、これから先に、仙人的、菩薩的な境地に至り、難癖も偏屈もない聖人みたいな老人にあるかもしれない。その時にこの過去のブログを読み返すのも、また一興である。
この辺の微妙な思いは、口頭ではなかなか表現できないし、もしこれを読んでくれている読者様がいたとして、その方もきっと「コイツはホント、中二病だなー」と思ってる人がいると思うので、こうして書き留めておくことにする。
それにしても、ぼくだっていいものには「賛成」って言ってると思うけどなぁ。
| 日記 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
初体験。
生まれて初めての経験だった。少し痛かったけど、オトナになった感じというか、人生の新しい境地に踏み出したというか、視界が開けたというか、ともかくぼくの目の前は大きく開かれた感じがした。
鍼と灸を初めて体験した。
いや、また足のことで恐縮なんだけど、先日北海道を巡るサイクルイベントのことをブログに書いたんだけど、ホントのことを言えば、その時の心境としては、心の底からサイクリングを楽しみにしているというわけではなかった。焦り、苛立ち、自暴自棄の感情を持て余し、それなのに北海道のサイクリングを楽しみにしているかのような記事を書くという心理的な二律背反状態に苛まれていた。足の痛みが原因である。
こんな痛みを抱えていて、一体いつになったら治るものなのか。5月上旬には静岡でランニングのイベントがあって、10キロ程度だけどランニングに参加することになっていて、しかし足の痛さは未だ続いている中、このイベントも不参加になってしまうのかと思うと、さらに過酷だと予想される夏のサイクリングに気持ちを向けることができなかった。しかもこの日は晴天で暖かく、こんな春の日を待っていたサイクリストたちが一斉に繰り出していた。ぼくの近所には鎌倉街道が通っているので、きっとこのまま鎌倉にでも行こうというサイクリストたちが隊列を組んで走り抜けていった。また暖かくなったことで、Tシャツ1枚だけ着て気持ち良くランニングしている人も多く見かけた。ぼくはそんな彼らをただ見ているしかないのである。この足のことがなければ、同じように自転車に乗ったり、ランニングしたりできているハズである。それなのに、ブログで夢想を広げるくらいしかできないのである。その虚しさはホント、心にずしんと響くのである。
慢性的に身体に不安を抱えているランナー(例えばさきこもそうだけど)や、何らかの病気で痛みや故障と折り合いつつスポーツを続けている人がいるけど、こうして足の痛みに苦しめられる今の状況になって初めて、彼らの心境の一端が分かったような気がする。ホントに辛いんだなーと思う。ぼくなんか、痛みのせいで自由に動くことができないこの状況に早々に嫌気が差して、いっそ足をちょん切って義足にでもした方がナンボかマシなんて考えてしまうほどである。最近の義足は性能がいいから、生身の足で不自由するくらいなら、思い切って捨ててしまった方がいいのではないかとすら考えてしまう。あまりに長引くとそういうアブナい思想に憑りつかれそうになるから怖いわ。
ちなみに、この焦りや苛立ちの原因になった足の痛みのさらに原因になった2月下旬の20キロランニング練習のことを、思い出しこそすれ後悔する気持ちは今のところまったくない。「あの練習がなければ、この痛みはなかったハズなのに」と思っても良さそうなもので、何度か自問したりしたけど、そういう気持ちは今のところまったく起こっていないのが何だか不思議である。
ただし、鍼灸院で電気治療や超音波治療などを施してもらっているのに、一進一退状態なことには少々思うところがあった。病院でおカネを払ってるんだし、先生たちは「絶対治る」と明言しているんだから、これは治してもらわないと困る。最初に鍼灸院に行ってから3週間になろうという中、こんな状況を早く脱して欲しいと思う。
そういうわけで、土曜日はさきこに待っていてもらって、ぼくだけ鍼灸院に赴き、キチンと主張して来ることにした。
「ちゃんと治してください!」そしてこう続けた。
「最初の治療で言ったとおり、来月にランニングがあり、再来月には過酷なサイクリングがあるんです。だから4月中に治してください!」
3週間も経つというのに症状が一向に緩和しないことに、先生も危惧があったようで、そんなぼくの言葉にこう返してきた。
「では、鍼と灸をやってみましょう」
ついに鍼灸院の名のとおり、本格的な治療が始まるわけである。
自分で言っておいてナンだけど、ぼくの要求に対しては、きっと電気治療や超音波治療の時間を長くするという対処がされるんだと思っていたから、いきなり治療方針が変わったことに、少なからず驚き、動揺した。
さきこが既に鍼治療は経験済で、現在週に1回ほど会社近くの鍼灸院で鍼治療を施してもらっている。身体に刺した鍼にさらに電気を流すんだそうで、これがなかなか効くそうである。とは言え未経験のぼくにとっては、身体に細い金属の棒を突き刺すとか皮膚を焦がすほどの熱いものをすえるとか、普通に考えるとこれがどうして身体にいい効果を与えるのかさっぱり分からないのだ。「腐った豆を食べて美味しいと感じるなんて、最初に納豆を食べた人はスゴい」とかよく言うけど、それよりも「身体に針を突き刺すとか熱くした草を置くことが身体を癒すことになると最初に気が付いた人」の方がはるかにスゴいと思うわ。
こうしてぼくの身体に最初の鍼が刺さったわけだけど、実際にはあまり痛さは感じなかった。鍼を刺す瞬間に皮膚の表面に感じるものがあるけど、それ以外は何も感じない。ホントに身体に金属棒が突き刺さっているのか分からなくて、どんな感じで刺さっているのか見てみたかったけど、治療中はメガネを外すので、残念ながらその様子を見ることはまったくできなかった。
こうして2時間半ほど治療を施されて、さきこには長く待たせてしまった。鍼治療を施した足はダルい感じがして、早く休みたくなったものである。治療前に言われていた、ダルさや眠気がテキメンに現われたようである。
そして、帰宅して就寝した翌日の朝である。
足の痛みがまったくなくなっていたのだ。
体重をかけても痛さに力が抜ける感じがしない。足を引きずるようにして歩いていたのが、キチンと右足に体重を乗せて普通に歩けるようになっていた。まだ若干の痛みや違和感が残っていたけど、前日から比べれば劇的な改善である。まさに鍼灸治療の効果が現われたのである。これはスゴい。
その後も足の痛みが酷くなることはなく、若干の痛みと違和感だけで過ごすことができた。このまま鍼灸治療を続けていけば、ホントに治るんじゃないだろうか。そう思うと一気に目の前が明るくなった。窓の外に溢れるキラキラした日差しと同じ光が心の中にも差し込んだようである。これは5月はホントに10キロを走れるかもしれない。そして、来るべきチャレンジサイクリングも実現できるかもしれない。
ただしまあ、これが完治に繋がるか分からないけどね。そういえば初めて鍼灸院に行って超音波治療を施してもらった時も劇的な改善っぷりに感動したわけだけど、これを続けたからと言って足の不具合が治ったわけではないからね。安心するのはまだ早いかもしれない。しかし、初めての経験を経て、またぼくの目の前が明るくなるのを感じた。今週は何度かこの治療を続けてみようかと思う。
さて来週くらいには軽くでもランニングができたりするかな。
| 日記 | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0)
点と点が繋がる夢想。
ぼくは2年前に北海道のサイクリングイベントに参加したことがある。オホーツク海を望む雄武町というところから沿岸を走って紋別、サロマ湖、網走を経て、知床の玄関口、斜里町までの200キロを走破した。ぼくはこのサイクルイベントで北海道を自転車で走る魅力に取りつかれてしまい、今年は単独で知床を回って来ようなどと考えているのだけど、そんな折、こんな情報が入ってきた。
北海道を半周する1100キロのサイクルイベントである。
もともとぼくが参加したイベントでも、200キロでは物足りないサイクリストのために、このイベントに先立ち、稚内を出発して2日かけて雄武町まで至りこのイベントに合流し、フィニッシュ後もさらに走り続け、ウトロから知床峠を越えて中標津に至るというイベントがあった。総走行距離は550キロである。なかなかシビれるサイクリングである。これで北海道のほぼ4分の1くらいを走ることになり、ぼくとしてもかなり興味深いイベントだった。もし自転車仲間で冒頭の200キロのサイクリングに出ようという話しになったら、先乗りして稚内からのイベントに参加して雄武町で合流しようかとも思っていたほどである。
しかし、それをはるかに凌駕する1100キロのサイクルイベントがあるのである。
コースはこうである。スタートは札幌。ここから北海道北西部の沿岸を200ほど走り、最北の地・稚内に至る。そして稚内を発する先のサイクルイベントに合流して200キロを走り、雄武町に至り、さらに冒頭のサイクルイベントに合流して200キロを走って斜里町を経て、知床峠、中標津を経て、さらに根室を経由して釧路に至るのである。総走行距離は1100キロ。11日をかけて走破する超ロングライドである。いやはやクレイジーである。サイクルイベントとしては間違いなく日本一の走行距離である。いやはや正気の沙汰ではない。
しかしこの狂気を前にして、心がざわつくのを禁じ得ない。おカネのことも会社を休むのもいろいろ大変だと思うけど、調整すればもしかしたら参加できるのではないかと思ってしまう。なんせイベントである。単独走行するよりもいろんな面で安心できる。宿泊施設は各自で手配しないといけないけど、荷物は運搬してくれるし、サポートカーもあるそうだし(どんなレベルのサポートなのか不安だけどね)、何より冗談じゃないけど、クマとの接近遭遇のリスクはかなり軽減するんじゃないかと思う。どうにかおカネと仕事の調整がきかないものか。
さらにパンフレットを読むにつけ、今回のコースとは別に釧路を発する点線が記してあり、これに「H29年計画」とか「H30年計画」などと付記されていて、この点線が北海道をぐるっと囲んで最終的には札幌まで繋がっているのを発見する。つまりこういうことか。数年かけて北海道を一周することができる、と。これはスゴい。心がざわつく、というよりももはや動揺に近い。イベントが用意してくれた道は、来年以降も続いているのである。しかも来年は釧路発、苫小牧着のコースである。十勝であり、襟裳岬であり、日高ありである。サラブレッドの一大産地ではないか。これは参加したい。
ぼくが計画中の単独サイクリングは釧路でフィニッシュを迎える。まさに好都合である。来年このイベントに参加すれば、釧路から先を走ることができるわけである。これで北海道を半周することになる。これはシビれるわ。
1100キロの壮大なサイクルイベントにもシビれたけど、現実的には今年の単独サイクリングと来年のイベントの組み合わせの方がはるかに実現可能性が高そうである。ほとんど思いつきだった北海道サイクリングは、点と点が繋がって線になったわけである。
そのためにはまずは、今年の単独サイクリングはぜひ成功させたいと思う。そしてそのためには何より足を治さないといけない。
まだ一進一退な状況が続いているけど、とにかく治すのである。
北の大地を駆けるぼくの妄想はまだ終わらないのである。

http://www.gogookhotsk.jp/whatsnew.cgi?id=1461230273
| 自転車日記 | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0)
新緑キラキラ、発想転換。
またネガティブな話しで恐縮なんだけど、ぼくの足のことである。
先々週から鍼灸院に通って、とは言えお灸も鍼もやらないんだけど、超音波治療という、どういう理屈で治るのかイマイチ分からない治療法で治療を続けている。幸いなことに、この超音波治療はなんだか効いてくれているようで、この治療の後は足の調子が良かったりする。これを続けていけば、早く治るかもしれないという期待がある。ちなみに、この治療を施してくれている先生は、某ジ○ス社製のロードバイクに乗っていて、一人でサイクリングしていた際に単独でコケてしまい、手の甲の骨を3本も追ってしまったそうだけど、この超音波治療を毎日施すことで(職場の設備なので使い放題だよね)、全治3週間ほどだったのが2週間ほどで治ってしまったそうである。骨折って3週間で治るものかと今さらながら思うけど、ともかくこの治療はなんだか効果がありそうだと思って、週末の休みと週1回ほど会社を半休して通っている。
半休と言えば話しが飛ぶけど、以前ぼくが給与計算のために社員の勤怠情報を扱っていた時に、多くの社員が「通院」という名目で半休したりフレックス出社したりしていて、当時は健康体だったぼくは、日常的に病院に通って治療を続けている人がこれほど多くいることを意外に思ったものだけど、まさかそんなぼくが「通院」を名目に会社を休む日が来るとは思ってなかったね。
ともかく、今は多少休みを消費してでも治療に専念したいと思っているのだ。
しかし、である。
足の具合は一進一退である。いい時もあれば悪い時もある。ある日は治療の効果が現われているのか、非常に調子が良くて、足の痛みもないし体重をかけることもできて「これは快癒したのでは?」と思う日もある一方で、何もしていないのに痛みが続き、足に体重を少しもかけられないような日もある。そんな日は本当に悲しいし非常に不安になる。そして気持ちが焦る。こんな状態でまたランニングなんかできるのだろうか、もしかしたら過酷なランニングに挑戦することやサイクリングで長距離を走るようなことはもうできないのではないか。
以前は仕事なんかでいろいろストレスがあっても、サイクリングのことを思うと気持ちが明るくなったもので、たとえば8月の知床チャレンジサイクリングの計画を立てたり、その計画の資料なんかを見ていたりすると、気持ち的に明るくポジティブになったものだけど、今はその資料もほとんど見なくなってしまった。旅行の計画を立てるのはとても好きだけど、そもそもその旅行の実現可能性が問われるような状況にあると、考えたところで意味がないように思えてしまうのである。虚しくなるのだ。
これがなんだか辛い。せっかく暖かくなって、ランニングやらサイクリングはもとより、近所を散歩したり山を散策したり、遠くまでドライブに行ったりしたかったのに、これが足のせいで満足に堪能できない状況なのである。
ついさっきのことだけど、仕事の関係でとある業者と電話で話していて、話しの流れで「じゃ、いっそ御社に伺って話しましょうか」的に展開して、「そういえば、御社ってどこでしたっけ?」「鴨宮です」「鴨宮って小田原の近くの鴨宮ですか?」と話しが続き、その瞬間思わず「そっか、鴨宮なら家から自転車で50キロくらいの場所だからサイクリングがてら行くこともできるなー」なんて思ってしまったのだけど、すぐ後に足のことを思い出して、そんな楽しい夢想が一瞬でネガティブ側に引き寄せられてしまうのだ。鴨宮を目指して湘南の138号線をひた走り、川を渡る橋の上から視界いっぱいに広がる海を見るなどという夢想は瞬時に色あせてかき消されてしまうのだ。この瞬間が一番辛いんだよな。

だから、もはや気持ちを切り替えるしかないかもしれない。
焦って治して不安を抱えたまま走ったりサイクリングしたりするよりは、落ち着いて治療に専念して、その間はまったく別のことをするという手もある。今シーズンを棒に振っても、完全に治す方がいいかもしれない。足が痛くてもできることは他にもいっぱいあるハズである。それを探すのも面白いかもしれない。
さて何をしようか。
たとえば水泳である。ぼくはもともと泳ぐのが好きだし、ダイエットには水泳は効果的で以前からやりたいと思いつつも、ポッコリお腹を晒すことに抵抗があったけど、足に負担なくいい汗かけるなら羞恥心を乗り越えて水泳をやるものいいかもしれない。
また、シーカヤックもいいかもしれない。これも以前からすごくやりたいことだった。シーカヤックはパドルを回す腕の力が重要で、たぶん足はあまり使わないと思われる。舵を切る時に若干足先を使うかもしれないし、上半身の動きに連動して大腿筋が使われるかもしれないけど、足首はきっとほとんど関係ないと思う。シーカヤックもポッコリお腹を晒すのに抵抗があり、またショップなどの体験教室かなんかに参加した際に店員から「そんな体重じゃ、カヤックが海に浮かびませんよ」などと冗談みたいだけど実は本気のお断りがある恐れもあって尻込みしていたけど、ここは思い切って踏み出してみるのもいいかもしれない。
水泳とシーカヤック、このどちらも秀逸なのは、足を使わない点だけでなく、雨でも問題ないという点である。いずれも濡れるのが前提だからである。「雨を呼ぶ男」の異名を持つぼくとしては、天候にいちいち惑わされないのもいいね。まあ水泳は屋内プールなわけだけどね。
そんなわけで、新緑がキラキラ輝く窓の外を指を咥えて見ているよりも、新しい遊びに胸を躍らせていた方が、はるかに健康的である。うん、これからはそちらを見て、夢想を膨らませてみようかな。
いやそういえば、そもそも自宅でできる絵なぞだって、充分楽しむことができる。長い冬の時代を超えて、絵なぞを描きたくなる季節が来たから、ここは外で遊ぶことばかり考えないで、屋内で楽しむことも考えよう。おカネもないしな。あ、そうそう、資格試験のお勉強のしないといけないしね。
| 日記 | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0)
熊本大地震。
4月14日と16日に熊本を中心に発生した地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また亡くなられた方の遺族の型には心よりお悔やみ申し上げます。まだ大きめの余震が続いているけど、どうか心を落ち着けて行動してください。早く安心して暮らせる環境になるよう祈っています。

今回の大地震は驚いた。まさか熊本が大地震に見舞われるとは思ってなかった。
地震の予知はもはや幻想であることがほとんど常識のようになりつつあるけど、それでも何らかの前兆を捉えようと日々研究している人もいるわけで、その中のひとつに人工衛星によって地上の隆起状況を捉えようという試みがあって、これが昨今の地震において、それなりに前兆現象を捉えることができているようである。この研究者はその実績を踏まえて、毎週取りまとめられる直近のデータをメルマガにして有料配信していて、これはぼくも購読しているんだけど、その中で地震が発生するリスクの高い要注意エリアとして毎回上がっているのが、関東地方や南海地方である。これを毎週見るにつけ、いつ関東地方で地震が起こるか分からないと覚悟を新たにしている。ところで実は、熊本地方も阿蘇山の近くということか結構前から要注意エリアに名前が挙がっていた。しかし、そのレベルは週を追うごとに次第に下がっていき、つい先日、要注意エリアから外れることになった。そんな折の今回の地震だったのだ。
これに気付いたのはさきこなんだけど、こうして考えると今回の地震が、予兆を捉えることにある程度の成果を持つ研究でさえ、予測できなかったということになる。隆起を測定する装置がまだ全国隈なく展開できているわけではないから、予測精度がまだ低いのかもしれないけど、ぼく自身が来るべき地震への覚悟を新たにする毎週のメルマガがこういう結果になったことが、とにかく意外であった。
この隆起を捉える研究は、今月初めの某N○Kスペシャルでも特集されていた。この番組でも、東海や南海、山陰地方の地盤に懸念を呈していたけど、熊本は完全にノーマークだった。そしてこの番組が放送されたすぐ後に全然想定していなかった場所で大地震が発生したのだから、NH○の人もさぞ驚いただろう。
でもだからと言って研究はずっと継続して欲しいと思う。予知ができるとかできないとかそういうレベルではなく、地震のことを研究すること自体が大局的には大きな意味があると思うからである。

今回の大地震では、過去の大震災ほど、絶望的で壊滅的な被害はなさそうである。阪神大震災の時は火災、東日本大震災では津波が猛威を振るい、数千から万を超える大被害を及ぼした。それに比較すれば、今回は被害が大きくなくて、不幸中の幸いだと思う。もちろん、亡くなったり被害に遭った方からすれば、幸いなんて言っていられないだろう。自分やその近しい人が被害に遭えば、それだけでもう絶望的な大災害だということになるからである。それでも全体的に、かつ数で言えば、不幸中の幸いと言えるだろう。
そんな折、これに乗じていろいろなことを進める輩がいるのがどうにも気になる。この地震を再稼働した原子力発電所の耐久性や審査の正当性を証明できるいい機会だと考えたり、テレビで高い視聴率を得られる機会だと考えたり、このバタバタに乗じて重要な法案を可決しちゃおうなんて考えたりは、ホント、火事場泥棒と同じ卑劣な行為であると言えるだろう。そんなアホなことはぜひ、やめて欲しいものである。
変に気を遣って自粛ムードが漂うのも良くないとは思うけど、これを利用するようなことだけは絶対にしてほしくないと思う。それは今現在なお苦しんでいる被災者の方や地震に怯えつつ瓦礫の下で亡くなっていった人に対する侮辱になると思う。変に意識しないで普段どおり過ごすことも大事だと思うけど、ココロのどこかに、あのテレビで映っている被災者がもしかしたら自分かもしれなかったと思う想像力を持ってほしいと思う。いや、自分の一番大事な人が、避難所の冷たい床の上に直に寝転がって震えていると思えば、この災害を「チャンス!」などと思うバカは出てこないと思うのだ。
 
| 日記 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0)
未来妄想図、その攻防と夢想。
先日、国交省が2030年頃までに実現する首都圏における鉄道網のプランを公表した。より利便性を高めるため、首都圏の各所で新しい鉄道を敷設する計画である。これによると東京だけでなく、埼玉や千葉をはじめ、神奈川にもいくつかの計画があることが分かる。そしてその内容に思いを馳せるにつけ、なんだかいろいろと楽しい夢想をしてしまうのである。

そのひとつが大田区の蒲田にある。
鉄道計画ではJR蒲田駅から京急蒲田駅まで鉄道を敷設するように記述があり、ここにはJRや東急多摩川線・池上線からの京急蒲田へのアクセスを便利にしようという意図が伺える。もちろん、そのさらに奥には、羽田空港によりアクセスしやすくしようという意図があるのも分かる。羽田空港はモノレールやバス、クルマでのアクセスを除けば、ほとんど京急の独占で一人勝ち状態である。これに風穴を開けようというのが真の狙いなのだろう。いわゆる蒲蒲線構想である。これは東急にとってかなり昔からの悲願でもある。JR蒲田駅に乗り入れる東急線を延伸して京急と接続することで、東急各線から羽田空港へのアクセスが飛躍的に向上するからである。
しかし、ここでもう少し思索を進めてみる。思索というか、妄想かな。今まで一人勝ち状態だった京急が、かねてから狙われていた京急蒲田駅の接続をすんなり受け入れるものだろうか。もちろん、鉄道会社の社会的使命は利用者の利便性の向上を図ることである。そのためにはライバル会社であっても連携して、より便利な鉄道網を作っていくことが求められる。しかし、鉄道会社だって営利企業である。表向きはどうあれ、利用者をなるべく囲い込んで、運賃収入をいかに多く稼ぐかを考えないといけない。他社と接続することを許せば、羽田空港へ向かう利用者からの運賃収入は減少するかもしれず、それはなんとか避けたいところ。表向きではニコニコしながら、裏側では他社との接続を拒む。そんなホンネとタテマエの狭間で、京急は非常に面白いことを考えた。京急蒲田駅の高架化に伴って、羽田空港に接続する空港線のプラットホームを3階に設置したのだ。
いくら国が推進する事業とは言え、JR蒲田駅と京急蒲田駅の間は多くの商店や宅地が並ぶエリアである。この土地上に線路を敷くために土地買収を進めるのは非常に困難だし時間がかかる。となれば、地上の鉄道よりも地下鉄を通した方が効率がいいだろう。JR蒲田駅から京急蒲田駅まで地下鉄を通すわけである。
京急はライバル会社のそんな思惑を先読みして、羽田線のプラットホームを3階に設置したのかもしれない。2階までならともかく、3階までの高さまで接続の線路を持ってこようとすると、それは区間のほとんどを地上化しないといけなくなるからである。さらに3階まで接続しようとすれば、耐震なども考慮してその工事はかなり大規模になるだろう。地上を通るとなれば、路線予定地の土地買収も進めないといけない。シロウト考えだけど、これって結構困難なことなんじゃないかと思う。
利用者の利便性と言いながら、東急に旨い汁を吸わせないための布石を既に打っていたというわけである。いや、これは妄想だけど、もしそうだとすると、京急はなかなかうまいことをやるものである。
ちなみに羽田線は京急蒲田を出た以降、2駅ほどで地下に入ってしまう。ここで地下に入るのなら、京急蒲田の駅をわざわざ3階建てにしないで地下にしちゃう方法だってあったかもしれないけど、わざわざ3階にしたのは、先ほどの話しにちょっと信憑性を持たせちゃってるかなーなんて思ったりね。いや、これは全部ぼくの妄想だけど、さ。
※それにしても、この計画を陰ながらバックアップしている地元の大田区長は、「新駅や他路線接続によって地元が経済的に潤う」という妄想からそろそろ脱却した方がいい。空港にアクセスしやすくなるということは、わざわざ蒲田駅で下車して地元の商店街で買い物したりなど絶対にしないということである。そんな油を売る時間があったら1分でも早く空港に行きたいもんね。外国人狙いのホテルならアリかもしれないけどね。

今回の国交省の計画には、ぼくが思わず妄想を暴走させてしまうような話しが他にもある。
そのひとつが横浜環状線構想である。
横浜を中心に放射状に敷設された各会社の路線のそれぞれの主要駅を相互に連携させるものである。新線のコースはこんな感じである。まず、みなとみらい線の元町・中華街駅を出て、本牧を回って根岸駅に至り、そこからさらに上大岡を経て、東戸塚、二俣川を通って、中山に至るコースを取る。中山から市営地下鉄に乗り換えて日吉に到達、ここからまた新線で鶴見に至るというものである。途中で市営地下鉄に乗り換える(または相互乗り入れされる?)けど、横浜の郊外エリアをぐるっと周回するC字型の路線ができるわけである。
従来は互いの駅を行き来するのにわざわざ横浜に出て乗り換えていたけど、この環状線なら直接行けるわけである。うん、これはスゴい計画だ。現在は上大岡から東戸塚に行くのに京急や地下鉄で横浜に出て、横須賀線に乗り換える必要があったし、東戸塚・二俣川間または二俣川・中山間も同様である。そんな不便さを解消するのが、この横浜環状線構想なわけである。これが実現すると、地元の住人にはかなり便利になる。免許証の更新などで二俣川に行くのにわざわざ相鉄線に乗らなくてもいいし、新横浜で新幹線に乗るにも利便性は高まると思う。
それぞれのエリアで利便性があがる中、ぼくがもっとも注目しているのは、地元ということもあるけど、根岸・上大岡間である。
そして根岸・上大岡間のエリアでもっとも鉄道の敷設が期待されている地域は、これは疑いの余地なく岡村町であろう。広大な住宅地である岡村町は自他ともに認める「横浜の陸の孤島」である。岡村町出身の某フォークデュオゆずが歌う地元を題材にした歌の中にも岡村町が陸の孤島だというフレーズがあるそうである。この町の公共交通機関と言えばバスしかなく、それは住宅地の合間をすり抜けるように通る狭いバス通り(それでもこの町の中では比較的広い)を1時間に数本という過疎ダイヤで走っている。そんな土地柄なのに、最寄駅からは徒歩でも軽く20分はかかり、だからクルマや自転車が異常に多く走っているのである。どういう歴史的経緯でこれほど不便な住宅地が形成されたのか分からないけど、ぼくはこの町の近隣に住んでいていつも思うのだけど、ホントに不便なところである。
そこでもし、根岸・上大岡間の新線において、岡村駅ができたらどうなるだろうか。長く続いた交通過疎の町は一気に活気づくだろう。陸の孤島は一気に汚名返上である。駅の場所によっては、ぼくも利用する駅になるかもしれない。
問題はどこに駅ができるかである。根岸と上大岡の位置関係を考えると、いくつかのルートが考えられる。場合によっては岡村町を縦断するようなルートになるかもしれず、だとすると「岡村○丁目駅」とか「北岡村」「南岡村」なんて駅名で複数の駅ができるかもしれない。岡村町にとってこれはもう歴史的事件である。果たして新線はどこを通り、どこに駅を作るのか。昨今何かと話題のリニア中央新幹線のルートなんかよりもよほどこちらの方が気になってしまう。
横浜環状線のことについては、この他にもいろいろ思うところがある。先日、ぼくのアホな母校のことを書いたけど、実は上大岡・東戸塚間のルートによっては、この高校の近くを通るかもしれず、つまり市営地下鉄の某駅から20分近くも歩いて通っていた高校は電車でスイッと行けちゃうかもしれないし、「○○高校前」なんて駅名ができちゃったりするかもしれない。また二俣川・中山間のルートと思われる途中には、よこはま動物園・ズーラシアがあったりして、クルマで行くのが一般的なこの動物園に電車で(しかも自宅最寄の「南岡村駅」から?)行けるかもしれない。
そんな妄想を禁じ得ない今回の新鉄道網のプランだけど、そういえば実現するのは2030年頃である。鉄道の計画ってのは得てして遅延するものだから、実現するのはもっと後かもしれない。その頃にぼくはどうなっているのか、2030年だって60歳近いわけで、それよりも後だったら、もう完全におじいちゃんである。果たしてそんな頃にできた鉄道に利便性を感じられるか、つい動物園なんかに行っちゃったりするのだろうか。暴走したものの、この妄想が何らかの形で具現化するのは、まだまだずーっと先のことである。
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ひとりぼっちのXデー。
先週はちょっと大きめのイベントなんかがあって、ぼくも久し振りに気合いを入れて頑張った。そのおかげか、まあまあうまくいった感じで終了し、今はほっと一息ついているところである。去年の12月頃から4月を目指して進めてきた企画で、まあそれなりに重要なイベントでもあったので、やり切った時には久し振りに達成感なんぞ感じちゃったりした。
それにしても今回の仕事が特異だったのは、準備が大詰めになる3月上旬に、一緒に進めてきた上司がいなくなることが分かり、つまりぼくだけでこの企画を進めて運営しないといけなくなっちゃったことである。上司はこの春の人事異動で出向元の親会社への帰任が決まり、3月31日をもって実質的には退職みたいな状況になった。しかも後任への引き継ぎはなし。いやはやXデー直前に来て、このハシゴの外されっぷりには、ほとんど途方に暮れてしまったよ。一人の隊長と一人の兵隊でもなかなか厳しい状況だったのに、隊長が敵前逃亡である。そりゃ兵隊だって途方に暮れるというものである。
しかし、ここで諦めてもしょうがないので、何とかやり切るしかなかった。兵隊のまま隊長もやるしかないもんな。それでも、まあ至らない点もありつつも、なんとかイベントを開催することができて良かった。

それにしても、本番直前での逃亡。その時どしんと圧し掛かるプレッシャーには、遠い過去に似たような思い出がある。それはぼくが楽団に所属していた頃の話しである。
当時ぼくは、この楽団の代表を拝命していて、運営面でいわばトップだった。まあ至らない代表者だったけど、それでもそれなりに頑張って運営していた。音楽の演奏面では、ぼくのパートは首席奏者をアシストするパートで、それなりに責任もあるんだけど、まあ首席奏者と同じ譜面を吹くわけだから、プレッシャーみたいのはいくらか少ないパートでもあった。運営面で責任者になってるんだから、演奏面ではそれなりに負担の少ないパートをやらせてもらったと思う。そんな状態で9月の演奏会に向けて練習を続いていた6月の頃、ひょんなことから首席奏者が突如退団してしまったのだ。演奏会を3か月前に控えて首席奏者が退団するなんて控えめに言っても前代未聞な話しで驚天動地なわけだけど、ともかく不在になった首席奏者の穴を埋めないと練習が進まない。さて、誰がこの短期間の練習で演奏会を乗り切れる首席奏者になれるだろうかといろいろ議論があり、いや実際は議論なんてほとんどなくて、首席奏者と同じ譜面を吹いているぼくがそのままスライドして首席奏者になればいいという話しになっちゃったのである。他の奏者の負担も少ないしさ、同じ譜面なら新たに譜読みしなくても大丈夫だろう、そうだ、そうしよう、決定!・・・ってな具合である。もう途方に暮れるしかない。いやそもそも楽団の代表者と首席奏者って同じ人でもいいのかい?って激しく思ったね。運営面でもトップで演奏面でもトップだなんて、どこの独裁政治デスカって感じである。さすがにこの両方のプレッシャーには耐えられず、長くお世話になった楽団だったけど、演奏会終了後に退団することになってしまった。
隊長が突然逃げ出して、兵隊がただ一人残され、目の前には敵勢が迫っている・・・演奏会直前に首席奏者がいなくなってしまったこの話しは、イベント本番直前に上司がいなくなってしまった話しと驚くほど似ているのである。
しかし、やるっきゃないのである。本来仕事っては、一人で勝手に決めて勝手に進めるものではなく、責任者である上司にいろいろ意見を聞きつつ、同僚たちの協力を得て、周囲に根回ししながら、間違いのないように慎重に進めるものだと思うけど、今回の上司不在状態により、しかも時期的にも準備が佳境に入っていたこともあって、検討すべき案件のほとんどをぼく自身で決め、ぼくが進めるという完全なる全権委任的独裁体制で今回のイベントをやりきった。このイベントを成功させるためには、それこそもう社長にも役員にも社外取締役にも株主にもじゃんじゃん指示しちゃう勢いで、「ハイ、社長はここに座る!」「ハイ、ここで乾杯の挨拶入れて!ハイ、これが挨拶の原稿!ハイ、喋って!どうぞ!」みたいな勢い。まさに暴走する独裁者である。
イベントが終わり、こうして振り返ってみると、いや物凄いパワーだなーと思う。燃え尽きて披露困憊になるのもうなずけるなーと思うわけである。

そんなわけで、大きめなプロジェクトはこれで終了である。翌週はまたちょっとXデー的な仕事があるけど、その後は少し落ち着いて仕事ができそうである。そうなればもう少しココロにも余裕が出るかな。
でも久し振りに気合いを入れて仕事をするというのはいい経験になった。修羅場は嫌だけど、こういう経験はなんだか働き甲斐になってるようで、たまにならいいかもなーと思うのだった。
| 日記 | 13:53 | comments(0) | trackbacks(0)
巨大過ぎる野生の証明。
だんだん暖かい日が続くようになり、春本番の様相である。ぼくの足は未だ快癒にはほど遠いのだけど、それでも晴れた暖かい日に外に出ると、ランニングとかサイクリングとかしたくなってしまう。ランニングはもうほとんど1か月くらいご無沙汰である。足が治ったらぜひ走りたいものだ。
自転車の方はつい先日だけど自転車仲間と三浦半島を走ってきた。寒かったけど、楽しいサイクリングだった。これから本格的にサイクリングの季節になると、やはり思いが至るのは、北海道に行く夏のチャレンジサイクリングのことである。こんな足で400キロを超えるソロサイクリングに出かけて大丈夫か不安はあるけど、それよりもワクワク感の方が大きくて、計画を立てるのが楽しくてしょうがない。1日目はどこまで行こうとか、この日は他の日に比べて走行距離が短いので、どこかでネイチャーツアーに参加してみようかとか、そんなことばかり考えている。もちろん、ネガティブな状況も自分で考えが及ぶ範囲で検討をしている。雨が降った場合、台風が来た場合、自転車が故障した場合、ぼく自身に何らかのトラブルがあった場合など、何かあってもすぐにリカバリーできるようなロケーションではないので、考え得る最悪の状況も考慮しつつ、検討を進めている。
そんな中でほとんど冗談のようだけど、クマとの接近遭遇についても真剣に考えを及ぼしている。
このことは以前のブログに2回ほど記述したことである。1回目はあまり考えが進んでいなくて、クマが攻撃態勢でこちらに向かって来たら、もはや覚悟を決めるしかないなどと書いていたけど、その後ちょっと考えを進めて、もし多少の余裕があったら自転車を盾にする形でクマの攻撃を防げるのではないかとの考えに至った。実際は自転車を盾にする時間的余裕、距離的余裕があるのか、クマを前にしても冷静に行動できる精神的余裕があるのか、ツッコミどころは多々あるのは承知しているけど、少なくともクマがこちらに向かってきた時に、もはやこれまでと覚悟を決める以外にできることがあることが分かった点で、ちょっと前進なのである。
雨や台風や自転車の故障やぼく自身の不調などは過去にも多少の経験があるけど、さすがにクマと出会ったことはないわけで、その点ではいろいろシミュレーションを重ねるのは悪いことじゃないと思うわけである。
だから、時間を見つけてはネットでクマ対策のサイトを閲覧したりしてる。遠くにクマを見かけた場合、遠くのクマがこちらに気付いてしまった場合、クマが唸り声をあげながら近づいてきた場合、クマがこちらに走ってきた場合などなどである。いや、完全無欠な対処方法なんて存在しないので、結局のところ事に及んでは臨機応変なんだろうけどね。
さて、そんな検討を重ねるネット閲覧の中で、ある写真を見かけた。
これは以前のブログでも書いた「三毛別羆(ひぐま)事件」で村民を何人も惨殺したクマの実際の写真だそうである。時は大正時代である。未開の土地だった北海道に写真機があったのかどうか知らないし、この写真が合成なのか本物なのか分からないけど、なかなか衝撃的な写真である。

※こ、これは・・・。

人の大きさが分かるだろうか。ホントに合成でないのだとしたら、このクマは想像を絶する巨大さである。
三毛別のクマは体長2.7メートル、体重340キロなどと記録されているけど、どうだろう、明らかにそれ以上である。これはほとんど像に近い巨大さである。像ほどもある巨大な肉食獣がニンゲンを襲うと思うと、心底ぞっとする。
こんなクマに出遭った時の対処方法をぼくはどう考えればいいのだろうか。攻撃態勢でぼくに狙いをつけた時、時間的にも距離的にも精神的にもぼくに余裕があったとして、自転車を盾のように掲げてクマの最初の攻撃を防ぐなんてことにどれほどの効果があるのだろう。自分の頭ほどの長さの爪を振り下ろされた時、自転車を盾にしてそれを受け止め、さらにフレームの隙間からクマ撃退スプレーを噴射することができるだろうか。それこそ妄想である。こんなクマがぼくに狙いを定めたら、その瞬間にぼくは覚悟を決めないといけないだろう。奇跡が起こることはほとんど皆無なのだ。
もちろん、21世紀の現代、北海道にこれほどのクマが闊歩している可能性はほとんどないだろう。ただこういう生き物が生きられる環境がかつてあったのだと思うと、北海道のポテンシャルの高さに圧倒されてしまう。さすが、神奈川県が35個も入るほどの大きさである。
とは言え、先日も書いたとおり、紋別市で捕獲された巨大クマの例もあるわけだから、気を付けたいものである。そして考えに考えを進め、それでもクマに遭うことは一度もなく、安堵する反面、ちょっと残念に思いながら、ぼくは釧路空港に入っていくのだろう。それがサイクリングが成功に終わったことを象徴する光景なのである。その光景に少々物足りなさを感じても、まずは安全に無事に帰ってくることが大事である。
これからもぼくのクマ対策への妄想の日は続くのである。
| 日記 | 16:09 | comments(0) | trackbacks(0)
鍼灸院に行こう。
足の痛みが一向に治らない。横浜マラソンから既に1か月が経とうとしているのに、あの時痛めた足が回復していないのだ。こんなことは長年ランニングをしてきて初めてのことである。
先週は会社近くの整形外科に行き、なにやら電気治療的な処置を施してもらったけど、それでも効果が上がらないので、さきこの勧めもあって、鍼治療に期待してみることにした。さきこはここ2か月ほど鍼治療に行って、足や腰にちょっとした改善がみられるのだ。これはいいかもしれない。
そんなわけで、週末に鍼灸院に行ってきた。
その鍼灸院は、さきこが以前から気になっていたところで、休日に足を休めてるにもかかわらず痛がっているぼくに勧めてくれたのである。自宅から少し離れたところにあるので、クルマで行ってきたんだけど、まあ結果的には良かったかなと思う。今回は初診だったこともあって、いきなり鍼治療にはなからなかったけど、マッサージや超音波治療を施してくれて、さらに足首にテーピングもしてくれて、それなりに痛みが緩和したと思う。ただ完全に痛みが消えたわけではないのが気になるところだけど。
それにしても、この痛みはいつか完全になくなるのかなーと今更ながら不安である。治ったとしても、10キロ程度走ったくらいで痛み出すとかそういう爆弾を抱えるような治り方は嫌だなーと思う。

ところで、マッサージ治療を施してくれている間、施術してる先生(男性)というのが、これがまた割とお喋りな人だった。いや、彼がただ喋ってるだけなら、適当に相槌を打っていればいいのだけど、いろいろ聞いてくるので、それにいちいち答えるのが億劫だった。
ランニングで痛めたんですねー、どこのランニングですかー?横浜マラソン走ったんですかー?スゴいですねー、他にも大会に出てるですかー?東京マラソンも走ったことあるんですかー?いや40キロ走れるなんてスゴいですよー。ぼくは自転車に乗ったりするですけどねー、え?自転車もやられるんですかー?スゴいですねー、それじゃ次はスイムですねー。これでコンプリートじゃないですかー(何がだ?)ぼくは自転車で骨折やっちゃいましてねー、いや、コケたんですけどねー、いや骨折って痛いですよねー。
・・・えっと、いや、分かってる。こういう職業の人は、患者のことをより良く知るためにいろいろ聞き出そうとしているのだ。他愛のない会話の中にも、治療に役立つヒントがあったりするのだ。だから、ぼくにとっては無駄話にしか思えなくても、この一連の会話には非常に重要な意味があるのである。
しかし、ぼくはこういう会話が苦手である。まるで美容室で交わされる会話のようで、なんか腰が引けるというか辟易してしまう。ぼくが美容室ではなく、床屋に行くようにしているのは、実はこの美容師との会話が苦手だからである。いや、これも仕事上必要なことなんだと思うんだけどね。それにしてもあまりにもプライベートなことにズカズカ入ってくる感じだし、そんな深いプライベートな話しを「そーなんですねー」なんて軽くアシラワれちゃってるのが嫌なのだ。さらに言えば、この無駄話を「この人は仕事上の必要性があってぼくのことをあれこれ聞いているんだ」と思うと、美容師さんのためにも分かりやすいキャラクターでないといけないのかなと変なプレッシャーを感じてしまうのが嫌なのだ。この無駄話によって「ああ、この人はこういう人か」と美容師に早く分かった方が、彼(彼女)の仕事が楽になるんだと思えば、ぼくの実像とちょっと違っていたとしても、分かりやすいキャラクターを演じた方がいいのかもしれないなんて思ってしまうのだ。例えば、「ランニングやってるんですねー」なんて言われると、彼(彼女)の中でぼくは「ランニングやってる人」とインプットされるわけで、そこから「アウトドア派なのかな?」とか「アクティブな人なのかな?」なんて推測が働くと予想されるんだけど、その後で「休日は終日、家でゴロゴロしてる」とか「実は絵なぞも描いていて、どっちかというとそっちの方が好きで」とか「以前は音楽も嗜んでいて」とか言い出すと、最初の「アウトドア派」「アクティブな人」というぼくのキャラクターに混乱が生じてしまうと思うのだ。だから、一旦ランニングの話しをしたら、できればそこからは離れず、絵なぞの話しも音楽の話しもしないようにしているし、話題がそういう展開になった時でも興味がなさそうに「そうなんですねー」なんて言っておく。もしここでぼくが「ぼくは絵も描いていて〜」とか「トランペットを昔吹いていて〜」などと言いだすと、逆に「ホントかな?」と疑われる恐れもあるのである。「この人、さっきランニングやってるとか言ってて、いつ絵を描いているんだろう」と思うだろうし、もしかすると「この人、こっちの話しに合わせるために、なんでも『知ってるよ』『できるよ』って言う人なんじゃないか」と思われちゃうかもしれないのだ。そうなると、ぼくはランニングをやってるアクティブな人というキャラクターからただの嘘つき野郎に大幅格下げとなってしまう。そんなヤツの髪をキレイに仕上げてやろうと思う心の広い美容師はどれだけいるだろうかと思うと、ぼくの髪をヘンテコにされないためにも、あまり深いところまで話しをしないように注意しないといけないし、そのためには早めにぼくのキャラクターを固定化した方がいいと気を遣うわけである。そう、気を遣うのが疲れるのだ。だから美容室は苦手なのだ。床屋さんなら「いつもの」と言ったきり、ずっと黙って座っていればいいわけだからね。

この日もマッサージを受けながら、先生のいろんな質問に答えつつ、そんな風に微妙な気分になっていた。幸いにしてランニングやサイクリングの話し以外には話題が広がらなかったので、ぼくがランニングをやる人(でも体重が落ちない人)というキャラクターを植え付けることに成功したと思う。まあぼくの詳細なキャラクターや趣味嗜好のことよりも、まずは何よりも身体を治してもらうことが優先なのである。
とは言え、変に気を遣って会話していたので、身体は癒されたかもしれないけど、精神的にはちょっと疲れてしまった。でもキャラクター設定が上手くいっていれば、次回からはあれこれと聞かれることはないだろうから、まずは安心である。そうである。ぼくはとにかく足が治ればそれでいいのである。そのためには多少精神的に疲弊してもしょうがないのだ。
また数日したらぜひ行ってみようと思う。
| 日記 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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