「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
練習サイクリング
6月のヒルクライムに備えて、週末はその練習に出かけてきた。先日のヒルクライム練習ではまさかの制限時間超えで、自分の練習不足と体重過多を痛感したわけで、これを少しでも短縮するために、やれることはやっておこうと思うわけである。
そんなわけなので、今回はいつものように平坦なコースではなく、少々アップダウンのキツいコースを意識的に選択して走ることにした。普段は通らない道は新鮮でいいけど、熟知していないからか、上り坂が結構堪えるものである。環状3号線に出るまでのアップダウンで早くも腰に来てしまったよ。朝比奈峠を越える道は数年前に一度走って以降、そのキツさから敬遠していたんだけど、今回はあえて挑戦してみる。
坂道の手前で呼吸を整えて、えいやっとペダルを踏み込んだ。上り始めの急勾配が大変だったけど、それを超えるとさほどキツ坂でもなかった。まあギアは前も後ろも軽くしてるので、ペダルを回すのは楽だったけど、前回あれほどキツい思いをしたのはなぜだろう。しかもそれほど長い上り坂ではなくて、数回カーブを曲がっただけで坂を上り切ってしまった。ギアをあえて軽くしたからなのか、ぼくの脚力があがっているのか。その後も鎌倉方面から由比ヶ浜に出ずに、逗子の高台を経由したりして、少し足をイジめるようにしてみた。
そして逗子からなぎさ橋の交差点に至る。鎌倉を経由することなく、なぎさ橋に来たのは初めてである。それまでの爽快感のまったくないドロドロなアップダウンから一転、爽やかな海風を一身に浴びる道に出たわけである。そのギャップなのか、爽快感がいつも以上に感じられて、感動すらしてしまったよ。
それからいつも走る道を通って、秋谷海岸へ。こんなに気持ちのいい日は、海で泳いだり、ウインドサーフィンをしたり、パドボに乗ったりする人が多かったので、もしかしたら「例のヤツ」が現われるかもしれない。「例のヤツ」とは、嘘つきシーカヤック野郎のことである。以前のブログにも書いたけど、砂浜にキャリアに乗せたシーカヤックを引っ張ってきて、準備を進めるものの、水を飲んだり、アンパンを食べたり、写真を撮ったりして一向に海に入ろうとしない人がいて、その後はそのままシーカヤックを片付けてキャリアに乗せて戻ってきちゃったという意味不明な展開だった。この一連の不可解な行動は、きっと虚飾のためにSNSかなんかに投稿するためのものだと推察されたけど、ここまで明確に「虚構の自分」を演出する光景を見たことがなかったので、かなり衝撃を受けた。次に会った時には、この「SNS向け虚飾行動」が本当かどうかを検証しつつ、さらに詳細にその行動を観察しようと思っていた。こんな天気のいい日ならば、「今日は天気が良く海も凪いでいたので、相棒のローレライで沖に出てみました」なんてウソの書き込みをするためにヤツが来ているかもしれない。何だよローレライって。
そんな腹黒い期待を胸に秋谷海岸まで来てみたけど、多くのウインドサーフィンが砂浜に揚げられて横たわっていたものの、その中に気取った姿勢で海を眺めるヤツの姿はなかった。残念・・・ってかそれよりも、海が赤くなっていて、かなり驚いた。まだ5月だというのに赤潮である。あまりにも天気が良すぎたんだね。
赤潮の日は、そのプランクトンの種類にもよるのかもしれないけど、夜になると夜光虫の発光が見られるかもしれず、ちょろっと夜に来てみようかと期待してしまったわ。
 
※赤潮はこの海岸だけで他はそれほど赤くなかったけど、これだけ見ると壮観である、

秋谷海岸を後にして、いよいよヒルクライム練習の本番、湘南国際村である。これまで坂道を通るように意識してここまで来たので、その披露もあって本番のこの坂も結構キツかった。汗だくになってギアを全開に軽くして何とかてっぺんまで上り切ることができた。いや疲れたわ。それで休む間もなく丘の向こう側に下り、一呼吸置いてから再びチャレンジ。これでこの丘のヒルクライムを2回やることになるわけである。2回目になると筋肉が慣れてくれるのか、割と楽に上ることができた。まあギアは全開に軽いし、スピードも出ないんだけど。
ヒルクライム練習を終えて、ここまでで結構疲れてしまった。まだ40キロそこそこしか走っていないんだけど、慣れない坂上りの連続が堪えたようである。折り返して下ってくると、また秋谷海岸である。もう一度海岸の様子を確認して、これでミッション終了である。あとは帰るだけである。もう坂道は充分こなしたので、平坦の多い鎌倉駅前を経由して帰ることにする。いや、ここもそれなりにアップダウンはあるんだけどね。
途中で海岸を見たりして、最近ぼくの中で枯渇気味だった海成分を充分に取り込んで、気分が良くなった。やはり定期的に海に来ないとダメだなー。
それにしても、どうだろう、少しは脚力がアップしただろうか。先々週にヒルクライム練習をして、先週に5キロのランニングで少し足に筋肉が戻ってきたかも。それに自転車屋でメンテナンスをして、ディレーラー周りやホイールのハマり具合を調整したからな。6月の本番に向けて、メカニック的には万全になっているハズである。あとは脚力をどこまで上げられるかが勝負である。
ただ無理は禁物である。横浜マラソン前の過剰練習のせいで足を痛めたことを考えれば、負荷の高い練習を数少なくおこなうよりも軽い練習をたくさんこなした方が、ぼくの身体にとっては故障のリスクが少ないと思う。
とにかく、本番まではあと2週間である。
 
※キレイな海もあった。一色海岸に初めて行ってみた。御用邸の裏側にこんな雅な橋がかかっていた。
| 自転車日記 | 12:25 | comments(0) | trackbacks(0)
アナログとデジタルの狭間で。
先週から今週にかけてはずっと右脳モードで、絵なぞを描いて過ごした。今回は夏っぽい感じに、海と空と雲の絵なぞをB4の紙いっぱいに描いた。まあ技術不足っていうかつまり下手っぴなので、画面をぱっと見た感じでは青か白のツートンカラーのように見えるんだけどね。まあ自己満足なのでこれでいいのだ。
さて、ぼくは絵なぞが描き上がると、スキャナで読み込んでデジタルデータに変換し、画像編集ソフトなんかでちょこっと修正した後に、ブログに乗せたり、某SNSに投稿したりするんだけど、この紙に描かれたアナログな絵なぞからスキャナで読み込むデジタル化の過程で今回の悲劇が起きた。

ぼくの自宅にあるスキャナは、プリンターと一体化した複合機である。とは言え、会社で使うような業務用の大型機ではなく、ホームユース用の小さな簡易的な機械である。問題はこの複合機のスキャナがA4サイズまでしか読み込めないという点である。小さな絵なぞを取り込む分には問題にならないのだけど、主にB4サイズで絵なぞを描くぼくには最初から役者が不足した機械とも言えるのである。実際にB4サイズの紙を読み込むには、何度か分割してスキャンして、パソコンに取り込んだ後で画像編集ソフトで結合するという工程を踏む。画像編集ソフトには、複数の画像の共通した部分を自動的に検出して結合する機能があるので、これを利用するわけである。これで過去に何度もB4いっぱいに描いた絵なぞを取り込んで1枚の画像に編集してきた。
しかし、それでも機械の構造的な問題は残っている。スキャナが走査するガラス面とその縁、つまり複合機の筐体部分に若干の段差があるのだけど、大きい紙がこの段差を超えて筐体部分まで覆うような場合は、スキャンの際に下から当てられた光がこの段差で影になってしまうのである。ちょっと説明しづらい現象なのだけど、ともかく取り込まれた画像をパソコンで確認すると画像の縁に黒い影が出てしまうのである。これは取り込む紙をスキャンの蓋の上から強く押さえて、影ができる原因である段差と紙との距離を縮めることで、影を薄くすることができる。影は完全に解消することはできなくても、それなりに薄くなるので、今まではこれで何となく済ませてきた。
ところで、スキャンする際のぼくの行動はちょっと奇天烈である。スキャンをスタートさせるようパソコンでマウスを操作すると、その直後にスキャンの走査が始まっちゃうので、素早く行動する必要がある。そして走査が始まれば、影を薄くするために、満身の力を込めて蓋ごと紙をガラス面に押し付けるのである。この一連の行動により、アナログの絵なぞは晴れてぼくのパソコンの中でデジタル化されるわけだけど、スキャンするために素早く動いたり、渾身の力でスキャナの蓋を押さえたりと、先ほどまでミリ単位で繊細な絵筆を振るっていたぼくからは想像できないほど、ダイナミックかつ滑稽な姿である。

そんなわけで、ぼくにとってアナログからデジタルへの変換は、非常に手間と体力を要する作業なのである。
そして、そんな中、悲劇が起こるのである。長い前提だったけど、ここからが本題である。
影を薄くするためにガラス面に紙を押しつける行為は、実は危険もはらんでいる。紙を強く押し付けるあまり、機械のいくつかの出っ張りに紙が押し付けられて、変な痕が付いちゃうのだ。今までは多少の痕跡はやむを得ないものとして受忍してきた。まさにアナログからデジタルが生まれる際のいわば「生みの苦しみ」だと思ってきた。しかし、今回は特に酷かった。まるで折り目のようにくっきりと痕が残ってしまったのだ。「台無し」とまでは言えないまでも、それなりに大事に扱って描きあげた絵なぞが大きく毀損してしまったわけである。
いや、これも、アナログをデジタル化するための生みの苦しみだと思えば、耐えられるというものである。そうである、これで影の薄いキレイな画像が取り込めて、さらに先に書いたように複数の画像をソフトで処理することで1枚の画像ができあがるのならば・・・!
しかし、である。
悲劇というものがその悲劇性を増すのは、ひとつの大きな悲劇のその度合いではなくて、いくつかの悲劇が連鎖することによるのかもしれない。
スキャンしてパソコンに取り込まれた複数の画像は、画像ソフトで結合するにあたり、エラーを起こしたのだ。画面に表示されたエラーメッセージには「共通する部分が見つかりません」とあった。つまり、取り込んだ複数の画像には、共通する部分が見出せないので、結合することができないというわけである。
冒頭に書いたように今回の絵なぞは青と白で占められたほとんどツートンカラーみたいなもので、しかも淡い色合いが仇になって、このスキャナの性能ではどこが空の青でどこが海の青なのか分からないのかもしれない。いや実際は分からないけどね、とにかくエラーが出て1枚の画像に結合できないのである。
いや、これ、どうしよう。作業はここで頓挫してしまったのだ。
もう一度画像を取り込んで再び結合処理をしてみるか。いや、さらに力を込めてスキャンなんかしたら、また折り目が鮮明になってしまう。それでも画像が結合できなければ、労多くして毀損した絵なぞがただ残るハメになりかねない。もはや自宅のスキャナでB4をキレイにスキャンするのは無理である。別の方法を考えるしかないかもしれない。考えてみれば、紙をスキャナに押し付けるとか、画像編集ソフトで結合するというのは、描いた絵なぞを忠実にデジタル化するという点で、大きく理想から逸脱している話しである。

さて、新しい方法を模索するにあたって、いろいろ考えてみた。
要するにB4サイズでもスキャンできるスキャナがあればいいのである。コンビニの複合機ではどうだろう。これならA3サイズまでの取り込めるので、B4なんて余裕でスキャン可能である。ネットで調べてみると、最近は手持ちのスマホにその場で連携して画像を確認できたりするらしい。これは便利。ただ、ぼくの自宅から最寄りのコンビニまでは結構な距離がある。もっとも近いコンビニでも5、600メートルはある。今回はネット情報でもっとも性能がいいと言われたセ●ンイ●ブンの複合機でスキャンすることにしたので、さらに数百メートルを歩いて行ってきた。
結論を言えば、うまくスキャンできなかった。
どうも色合いが薄いのである。ぼくのように淡い色合いの絵なぞは、その半分くらいがそもそもデータとして取り込まれない。色が飛んでしまうのだ。そういえば、過去にも同じようにコンビニでスキャンしたことがあり、その時は比較的近いファ●リー●ートだったんだけど、色合いが変になってしまった記憶がある。どうしてこういうことが起こるのだろうか。どこのコンビニでも同じなのか、ぼくの行くコンビニに限ったことなのだろうか。
この原因をずっと考えていて、ある仮説に辿り着いた。
もしかすると淡い色を飛ばすような自動補正が最初から設定されているのかもしれないというものである。コンビニのスキャナ機能を使う需要をいろいろ考えてみて、それで至った結論である。スキャナ機能を使う需要というのは、ぼくのように絵なぞを描いてこれをデジタル化しようという人ではなくて、たとえば新聞のようなアナログ的な紙媒体を取り込んでデジタル保管するという需要の方が高いと思われる。ぼくの経験上、新聞をスキャンで取り込むと、実はあまり読みやすい感じにはならないのである。それはスキャナが新聞紙の紙の色、つまり灰色の紙の色を拾ってしまうので、取り込んだ画像はなんだか暗い色になってしまい、記事の文字もなんだか読みにくくなってしまうのである。だからわざと淡い色を飛ばして、文字だけを読みやすいようにしているのだろう。
いや実際は分からないけどね。でもこれが本当だったとしたら、非常に馬鹿げた話しである。今や新聞記事なんてパソコンやスマホで簡単に読める時代なのに、わざわざ新聞紙の記事をデジタル化するのである。しかも取り込んだ画像が暗くて読みにくいことにクレームして、デフォルト設定で自動補正をかけさせたのである。確かにあの色飛びの状況を思えば、新聞なんかはキレイにスキャンできそうである。あくまでぼくの妄想だけど、なんだか頭の固い偏屈なオジサンが、「なんだこれは!新聞記事を取り込んだのに画像が暗くて読みにくいじゃないか!」なんて店員に文句を言ってる光景が見えてしまった。新聞に書かれた記事をそのまま画像として取り込みたい気持ちはぼくにも分からないでもないけど、だからと言って、それでスキャナ本来の用途を変えてしまうのは本末転倒な話しだと思うのである。
ぼくの妄想が正しいかどうかは別として、そういう仮定であれば、コンビニの複合機は使えまい。
では、コンビニがダメなら会社の複合機はどうか。会社の複合機には、変な自動補正など入っていない。いや、紙媒体と同レベルの再現性が求められる場合もあるわけだから、ぼくの絵なぞを取り込むには文句なしのツールである。
しかし会社に絵なぞを持ち込むのはどうだろう。B4サイズの紙を持ってラッシュアワーの電車に乗り込む勇気はないし、いやそもそも会社で絵なぞをスキャンしてる姿を見られたら、死ぬほど恥ずかしい。いや、仕事中に何やってんの!って話しである。会社の複合機を使う案もダメである。
さてどうしたものか。先日からずっと描き続けてきた絵なぞがデジタル化の段で停滞を続ける中、暗く垂れ込めた暗雲から一筋の光が差し込むかのような言葉がぼくの上に降り立つのである。
「いっそ大きなスキャナを買っちゃえば?」
あぁ思えば、1年数か月前にも同じようなことがあった。当時の自転車・こてつ号のパーツ互換性や老朽化などに直面し、どうやって打開しようか悩んでいたぼくは、ある日暗雲の隙間から差し込む神々しい光にも似た言葉を聞いた。さきこの言葉である。
「いっそ新車買っちゃえば?」
この天恵とも言える一言は、悩めるぼくに一条の光を与え、延々と続く悩ましい循環思考から救済してくれたものである。
そうである、もはやコンビニにも会社にも期待できないのであれば、自分で何とかするしかないのである。
スキャナを買う、これが最善の方策であった。

いろいろ調べてみると、ホームユースでもA3サイズが取り込めるスキャナがあるようである。これを使えば、複数画像を結合することなく、一発でB4サイズのスキャンができるわけである。
しかし当然おカネがかかる。A4サイズのフラットベッドスキャナは、5万円近くの値段である。5万か・・・。絵なぞを描く頻度を考えれば、かなり大きな出費である。ここでもいろいろ悩み考え、ふとあるサイトである機械が紹介されていた。
インクジェットプリンタを備えた複合機である。雰囲気としてはコンビニや会社にある複合機で、給紙トレーの段数を少なくしてコンパクトにした卓上タイプという風情である。個人事業主が小さな事務所なんかで使うようなイメージである。これが4万弱で売っているのである。4万弱、つまり3万円台である。インクジェットとは言え、以前と比べてモノの値段が安くなったなぁ。ともかくどうせ買うなら、ホームユースよりもビジネスユースの方が性能もいいだろうし、保ちもいいハズである。(ホームユースの機械はすぐ壊れるからな)
そんなわけで、長い長い思考の旅の中で、インクジェット複合機を購入するという結論に辿り着くことができた。ビジネスユースのインクジェット複合機もいくつかのメーカーが出してるようだけど、いろいろ考えて、コレという製品を決めることができた。
こうしてアナログな絵なぞをデジタル化する道筋に光明が見えたわけである。

しかし、実は悲劇はまだ続いていたのである。
ぼくにはやはりまだ迷いがあった。4万もの大金を投入する価値が本当にあるのか懐疑的だったのである。ぼくはこの金額に見合うほど、この機械を使いこなせるだろうか。そもそもこんな大きな機械がぼくの部屋に来たら、ぼくの部屋は今よりもさらに一層狭くなっちゃうじゃないか。一旦決めたものの、これが最善の策であるかどうか、だんだん分からなくなってきたのだ。もう一度あらゆる可能性を再検討してみよう。
もっとも可能性が高いのは、コンビニの複合機である。最大の難点である自動補正の設定だって、もしかしたらユーザー側で解除できる方法があるかもしれない。いやそれがダメでも偏屈オジサンの要求が通ったのだから、この偏屈な自動補正設定を外す要求だって、いやむしろその要求の方が通りやすいんじゃないか。もう一度コンビニに行って、複合機のメニューを確認してみようか・・・そう思った瞬間である。悲劇が起こったのである。
先日コンビニでスキャンしたハズの絵なぞがないのだ。どこかに行っちゃった?いや違う!コンビニに忘れてきちゃったのだ!
なななななんということだ!ぼくが自己満足で描いたあの下手っぴな絵なぞが、衆目に晒されてしまったということか!うわーー!これは恥ずかしい。いやもうもはや取り返せないだろう、いや取り返しに行くなんて恥ずかしいことはできない!非常にもったいないけど、あの絵なぞはなくなったものと思うしかあるまい。
最後にこんな悲劇が用意されているとは思わなかった。やはり悲劇がその悲劇性を増すのは、ひとつの悲劇の度合いではなく、悲劇が連続することにあるな。いや、どうでもいいわ、そんなこと。
ぼくの恥ずかしい絵なぞがコンビニの複合機の蓋の中に忘れられ、忘れ物としてレジの後ろに掲示なんかされていたらどうしよう。ああもうあのコンビニには行けないわ。
やはり、コンビニの複合機はダメである。絵なぞを忘れるというもっとも恐ろしいリスクがある以上、この方法はどれほど効率的、低コスト、高品質であっても採用することはできないことになる。そうである、自己満足である以上、開かれた下界にこれを持ち出してはいけないのである。今さらだけど、これを痛感するデキゴトだった。もう戻ってこないあの絵なぞ。教訓の代償は大きかった。こんな悲劇はもうこりごりである。
ここは大人しく複合機を買うことにしよう。そうすれば、すべての工程が閉じられたぼくだけの空間で完結し、晴れてデジタル化されて、ネットの世界に旅立てるのである。
ぼくの絵なぞを巡るアナログとデジタルの狭間は、いくつかの悲劇を乗り越え、これから新しい展開を迎えるわけである。
| 日記 | 13:02 | comments(0) | trackbacks(0)
時にはフェニックスのように。
いつだったか、こんな映画を観たことがある。いや、あれは映画だったのかな。
はるか未来の話し。人間はその文明の発展のために地球資源を使い果たし、地球をもはや人はもちろん生物すら住めない星にしてしまった。彼らはやむなく母なる地球を捨て、宇宙船の大船団で宇宙に繰り出し、第二の地球を探す旅に出る。宇宙船の中で何世代もの世代交代を経て、探しに探してやっと人間が住める星を見つける。その星はまるで太古の地球の姿にそっくりで、その光景を見て、人間は本来のあるべき姿を思い出し、そこで原始的な生活を営み始めるのだけど、実はその星こそが、長い年月をかけてかつての姿を取り戻した地球だったのである。人間は宇宙を長い間彷徨う中で、知らぬ間に地球に戻ってきてしまったのだ。自分たちが見つけた星が、実はかつて自分たちの祖先が荒廃させ、生物の住めない星にしてしまった地球、自分たちを生んだ母なる地球そのものだったと知った時、地球それ自身の生命としての壮大な再生力を思い知らされる。そして、地球を前にしては、人間の文明の力など儚いものだと、人間がいかに無力であるかを知るのだ。まさに生命そのものとも言える再生、復活の力。そして地球を見捨てた人間を再び受け入れるその包容力に、人間はかつて原始の時代にあったような自然に対する畏怖心を取り戻すのである。
・・・あれ?これは手塚治虫の火の鳥だったかな?

さて、話しは変わって、ぼくの足のことである。
2か月以上も前に足を痛めて以降、1メートルほども走っていないぼくだったけど、ついにそれが終わる日が来た。会社のランニング仲間で参加したランニングイベントで駅伝に参加して、5キロを走ってきたのだ。
先月も今月も10キロのランニングイベントを自ら辞退して足の安静に努めたぼくだけど、駅伝だけは自分の都合で休むわけにはいかない。参加すると言っちゃった以上、自分の都合で勝手に休むわけにはいかないのである。これが駅伝の怖いところである。
ついにぼくの足の状況が実戦で試される日が来たというわけである。ぼくの足はランニングに耐えうるほど復活しているのか。もしダメだったとすると、その状況がどこで顕在化するか分からないけど、痛い足をまた引きずって走らにゃならないわけである。そんな醜態をさらし、なおかつ足を治す手順をもう一度最初からやり直すハメになるわけである。また数か月に及ぶ安静を強いられるなんて嫌である。
ちなみに、会社の行き帰りなんかで信号が変わる前にちょろっと走ったりすることもあったけど、2週間ほど前にはまだ足の違和感が残っていた。ひざ裏のふくらはぎの付け根の筋が突っ張るような違和感があったのだ。それが富士山のヒルクライム練習で足をかなり酷使した後は、少し緩和している感じがして、ランニング的なステップを踏んでもさほど違和感は感じないようになっていた。ヒルクライムで足の筋肉を酷使したことで、ついでに足の不具合が治っちゃったのかもしれない。いや分からないけどね。それは先週の話しで、その後は駅伝の直前に変に不安にならないように、足の状況についてはそれ以上確認しないようにしていた。だから、足が実際どうなっているのか、このイベントの日までまったく分からなかったわけである。

駅伝がスタートし、何人かが走って行った後、ついにぼくの走順になった。ぼくはタスキを受け取って肩にかけて走り出した。
足は・・・おお、痛くない。
走る前に足首をテーピングで固定していたんだけど、その影響か、走ってもどこも痛くないのである。ペースはだいたい1キロ当たり5分30秒ほど。まったくランニングしていなかったにしては、結構早いペースである。灼熱地獄の中でどこまでこのまま進めるか分からないけど、とにかく足に違和感がなかったのだ。これは1キロを過ぎても、2キロを過ぎても変わらない。3キロ過ぎでやはり熱にやられてペースが落ちてしまったけど、それでも足には違和感がなかった。
これは、つまり、治ったということか?!治療と安静の長い時間をかけて、ついにぼくの足は治ったということか?!
そこで思い出されたのが、冒頭のストーリーである。
長い間宇宙を彷徨ってやっと見つけた星が、実は復活した地球の姿だと知る時の人間たちの気持ち。
「なんてことだ!地球は、自分たちがいない間に自らの力で浄化し、かつての姿を取り戻していたんだ!」
人間の傲慢さを打ち砕くような圧倒的な生命力を見せつけられて、人間は愕然とするのである。
それと同じことをぼくは考えていた。
「なんてことだ!ぼくの足は、ぼくが知らないうちに自らの力で再生し、走れるようになっていたんだ!」
いや、もう感動である。ついにぼくは足を治したのだ。再びランニングの世界に戻ってきたわけである。いや、これは嬉しいことである。駅伝で自分の区間を走った達成感よりも、足の復活が嬉しくて5キロを走り終えた。

そんなわけで、まさにフェニックスのように復活したぼくの足である。まだ不安なところもあるし、翌日の今日は筋肉痛に混ざって足首に若干の違和感があるので、まだまだ回復の途中だと思うけど、ランニングはもうできないかもしれないと思うこともあっただけに、この復活っぷりに感慨もヒトシオである。
既に夏が始まり、ランニングには不向きな季節になっちゃったけど、これからさらに養生を重ねて完全に治し、秋からのランニングシーズンに備えたいと思う。
復活してくれた足に感謝である。
| Be RUNNER! | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想するコーヒー屋の限界について。
休日にコーヒーなぞ飲みに行こうとスターバックスコーヒーを訪れて、ここですんなり座ってコーヒーが飲めた試しがない。スタバを訪れてすんなり座れるとすれば、かなり朝の早い時間か、閉店間際くらいしかなくて、もし休日昼間に席が空いていたら、ぼくの知らないところで実は政府から緊急避難勧告かなんかが出ていて、ぼくだけ聞き逃したのかも?!なんて焦っちゃったりする。そのくらいスタバの席が空いていることは少ない。
それは、かなりの長時間をスタバで過ごす人がいるからである。コーヒーを飲みながら本を読む人、パソコンで何やら作業する人、中には資格試験の勉強なのか受験勉強か、とにかく厚い本をいくつも並べてノートに懸命に書きつけている人もいる。こんなガヤガヤしたところで勉強して、ホントに身になるものなのかね。勉強したければ図書館でやればいいのに、飲み物持ち込み禁止だからか、または図書館も熾烈な席取り競争があるからなのか、あるいは周りの人に勉強している自分をアピールしたいからなのか、自宅や図書館や予備校の自習室で勉強してきたぼくにとっては、どうにも不可解な行動である。
また最近はノマドワーカーなんて言葉を聞く。1人、2人のごく小規模の企業なんかは、わざわざ決まったオフィスを構えることなく、携帯電話とモバイルパソコンを持ち歩いて、営業に行った近くのコーヒー屋で仕事をしたりするんだそうな。いわゆるSOHOの上をいくビジネススタイルである。ぼくがたまに外出先から不帰社になって、帰る前にコーヒー屋に入ると、コーヒーを前にして一人のビジネスマンが携帯電話で話しをしていたり、パソコンでメールを打っていたり、そうかと思うとふいにもう一人現われて(商談相手か?)、ひとしきり話し込んだかと思うとまた一人になってパソコンをカチャカチャするなんて風景を見ることがある。もはやコーヒー屋が自分の事務所みたいなものである。
そう考えると、スタバではもはやなんでもありな状況である。それはスタバに限らず、ドトールとかタリーズとかの他のコーヒーチェーンでも同じ感じ。ただスタバだけは、他に抜きんでてオシャレでカッコいいからなのか、席を長時間占有してる人が多いように思う。
もはやスタバは何でもできる場所である。スタバのキャッチコピーである、家でも会社でもない第3の場所として、そこでは日常が繰り広げられるのである。
だとすれば、スタバではどこまでが許容されるのだろうか。読書もパソコンも勉強も仕事もOKならば、たとえばぼくが絵なぞを描く行為はどうなんだろう。下絵段階ではなく、着彩工程である。テーブルにスケッチブックとパレットを広げ、お冷を出すセルフサービスの給水器で筆洗い用のバケツに水を入れ、絵の具をバラバラっと広げて、ぴとぴと着彩をするのである。自席分のスペースを超えず、周りに迷惑をかけなければ、なんら問題ないように思える。これで店員さんに何か言われても「勉強や仕事がOKでお絵描きがNGな理由はなんだ!」ってクレーマー的に問い詰めちゃう。
いや、絵なぞだけではない。たとえば、将棋とかどうか。向かい合わせの恋人同士が、一言も喋らず、何時間も真剣に盤面に向かうのである。これも誰にも迷惑をかけないんだからいいんじゃないか?もっと言えば、書道とか華道とかも平気ってことになる。スタバでコーヒーを飲みながら書道で何を書くんだか。スゴい達筆で「紅茶」とか書いたりしてね。
実際にどこまで許されるのかぜひ試したいところである。こういうのって、イカれた大学生とかが遊びでやりそうなものだけど、さすがに大学受験でお世話になったスタバに仇を返すようなことはしないのかな。スタバで華道とかやってみて欲しいわ。
スタバでお絵描きしたり、将棋したり、書道したり、華道したりと、そうすることでスタバが公共の場であり、常識的な範囲で利用するものだということが周囲の人、とくに長時間利用している人にも分かると思う。だからと言って、一回につき席の利用は何時間までとかそういうことを決めて欲しいわけではない。公共の場なんだから、他の人の迷惑も考えるべきだと思うのだ。空席が他にたくさんあるなら、何時間いたってそれは問題ではないと思うしね。しかし、他の席が満席で、後から来た利用者が空席待ちで列を作ってるような中で席を長時間独占するようなら、いくら難関大学や難関試験に合格しようとも、いくら巨額のビジネスを動かそうとも、ニンゲンとしてダメだと思うわけである。
それにしてもスタバでのお絵描きは、嫌味な意味ではなく、ちょっとやってみたいかな。店内は暖色系の照明なので、わざわざ白色のデスクライトを持参してさ。最近は利用者のために電源コンセントなんかを用意してるところもあるみたいだし。美味しいコーヒーが飲めて、普段とはちょっと雰囲気の違う中で作業できたら、なんだかいつもと違う絵なぞが完成しそうな予感である。
| 日記 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。
今年の夏に計画している北海道のサイクリング・チャレンジ知床について、先日小さいながらも飛躍的な一歩が踏み出された。650キロを走破した京都チャレンジから5年、知床半島から根室半島を経て釧路に至る490キロの旅がついに動き出すのである・・・って、やったことってのは「会社に休暇を申請する」と「航空チケットを手配する」の2つなんだけどね。
ショボ・・・って感じだと思うけど、今まで頭の中で計画を立ててるだけだったことを考えると、現実世界で動き出したことは大きな一歩に違いない。ぼくのノートには、今回のサイクリングコースや宿泊場所やら航空料金、電車の時間、何らかのトラブルがあった場合のショートカットなどいろんなことが書いてあるし、まだまだ書き足すべきことは多いけど、ただ言えることは、このどれもがぼくの想定でしかないことである。ぼくの夢想、妄想でしかないわけだ。だからいつでも計画を白紙にして、別のサイクリングコースを考えることができるし、以前計画していた伊豆半島一周や中山道で新潟に行くサイクリングもいろんな事情により白紙に戻ってしまったわけである。そんな多くのお蔵入り企画を踏み越えて、今回の知床チャレンジはついに実現に向けて一歩を踏み出したわけである。しかも、これらの手続きに先立って、実施日も決定した。「今年の夏のどこか」とか「8月の半ば過ぎ頃」などという曖昧なものではなくて、日付をちゃんと決めたわけである。それは、8月18日(木)から24日(水)。日にちが決まったのは良かったわ。
日にちの決定、それによる休暇の申請、航空券の手配、そう考えるとこれは確かに飛躍的な一歩と言えるだろう。
とは言え、休暇申請も航空チケットもまだキャンセルできる状況ではある。これから他にもいろいろと準備を進めて、計画を確実に動かしていくことになる。ついにプロジェクトが動き出すわけである。
さてさて、知床チャレンジはどうなることか。

先日の地震の件で、補足すべきことがある。
というのは、ブログの記述に細かいけど決定的な整合性の不備があったからで、それは地震発生時のこんな記述である。
「(前略)この時ちょうどお袋さんとさきこと一緒にテレビを見ていて〜(後略)」
発生時、つまり平日の夜9時過ぎにぼくはどうしてさきこと一緒にお袋さんとテレビを見ていたのか。今後のこともあるので、ここで書いておこうと思うけど、実はぼくの住まうマンションの近くにお袋さんが単身で引っ越してきたのである。もともと弟の自宅に同居していたお袋さんだけど、諸般の事情があってここを出て、とは言えぼくの自宅は狭いので、たまたま空きのあった隣のアパートに引っ越してきたわけである。ぼくの自宅マンションから徒歩30秒、同居でもなく別居でもなく、その中間、まさに近隣生活である。
この近隣生活のおかげで、ぼくもさきこも早く帰ってきた日は、お袋さんが作る夕食をいただくことができる。地震が発生した日はちょうどそういう感じで3人が一緒にいたというわけである。
ちなみに3月くらいに地元の不動産屋とガチャガチャやりあっちゃったのは、お袋さんのアパートの賃借契約を締結する中での出来事である。
さて、お袋さんが近隣生活を始めることで、ぼくやさきこの生活にもいろんな変化がある。夕食のこともそうだし、庭いじりが好きなお袋さんのために、自宅の庭を提供することもできる。しかしもっとも大きな変化は、平日の日中にぼくの自宅近くに身内がいるということだろう。これにより宅配便の受け取りなんかもスムーズになるかもしれない・・・いや、そんな些細なことではなく、もっと大きな変化が生まれるかもしれない。
それは、念願のネコを飼うことができるかもしれないということである。
実は、ぼくもさきこもお袋さんも過去に飼い猫を亡くした経験を持っている。最高の相棒とともに過ごした日々を思い、時折動画サイトでネコの映像なぞを見て、心癒されていたりする、まさに万年ペットロス状態なのである。
そんな3人がついにネコを飼う生活ができるかもしれないのである。いや、実際は費用の問題なんかもあり、またキリギリス的に遊んでばかりのぼくたちに自宅でネコを飼うような生活ができるのか分からないけど、ぼくとさきことお袋さんで目下鋭意検討中である。さて、ネコを迎える話しはどうなるのか?迎えるとして、どんなネコがやってくるのか?ちょっと楽しみな日々である。
| 日記 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0)
地震とオノマトペ。
昨日夜9時20分過ぎに茨城県南部を震源として震度5弱の地震があった。東京や横浜でも震度3から4で揺れた地域があった。ぼくの住まう地域は、あまり揺れなくて発表によると震度2だった。
この時はちょうどお袋さんとさきこと一緒にテレビを見ていて、ニュース番組でが東京オリンピック誘致の際に多額の賄賂を贈ったとかどうとかいう話しを放送していたところ、いきなり緊急地震速報の音を発したかと思うと、3人の携帯電話がそれぞれ一斉に緊急地震速報のあのブザーみたいな音を発し始めた。テレビは画面をがらっと切り替えて、大まかな震度を表示する関東地方の地図が大写しになった。
東京オリンピックの贈賄などというセンセーショナルなニュースの途中だったので、「いいところだったのに!」と思いつつ、それ以上にとにかく地震にはかなり驚いた。「ついに関東でも大地震が来たか?!」と思ったものである。
画面に表示された震度の数字を見て、それほど大きな地震ではないことがすぐに分かったし、先に書いたとおりぼくの住まい周辺は震度2程度であまり揺れなかったわけだけど、それでもあのブザー音にはホント驚いたわ。ぼくがこれほど驚くくらいだから、ちょっと不安症な方なんかは飛び上がるくらいびっくりしちゃうんだろうな。実際、かつて東日本大震災が発生してまだ余震が続いていた中、度々発報する緊急地震速報のブザー音に激しい動悸などの症状が出る人が続出して、通信会社側で何らかの配慮をしたような節があったもんな。だから緊急地震速報があると、「よほどの大地震が来るのでは?!」と気色ばんでしまう。しかし実際の地震が震度3くらいだと、「あ、今回は鳴ったんだね」なんていう感想で終わってしまう。本来なら突発的に発生する地震の1秒でも2秒でも前に地震発生を伝え、犠牲者を一人でも少なくするという発想で装備されている緊急地震速報なのに、「今回は鳴ったんだ」などと言う感想を持たれちゃったら、なんだか本末転倒なんだけどね。
ともかく緊急地震速報のブザー音には、その崇高な使命に反して、不安をあおる音、聞いているだけで不快になる音というネガティブな印象を持たれてしまっているのである。まあ不安をあおる音だから危険が迫ってることが伝わりやすいんだろうけどね。
それにしても、この不安はどういうところから来るのだろうか。
音楽的な分析はいろいろできるんだと思う。シロウトながらたとえば、2つの半音違いの音が起因しているとか、アクセントで入ってすぐクレッシェンドする音の形に起因してるとかだけど、ぼくは別の視点で考えてみた。
あれは「オノマトペとして文字表現や発語ができないから不安なんだ」という考えである。
オノマトペとは、「雨がしとしと」とか「水をごくごく」とか「お腹たぷたぷ」というような音を表わす表現で、日本語には多くのオノマトペが存在する。中には「障子がスススッと」などのように実際に鳴っていない音もあって、それが日本語独特の表現力の深さ、豊かさになっている。
そもそもこのオノマトペとはどういう経緯で発生したんだろうと考えてみる。ぼくが想像するに、緻密な自然観察と繊細な想像力の中で、小さな音や空気の揺らぎにまで思いをシンクロさせて、その表現を得ているんじゃないかと思うわけ。だからオノマトペは、実際にその場にいない人にも、その場にいるかのような臨場感を伝えることができるのだろう。
これを逆に発想すると、オノマトペを得るということは、その自然現象を自分のものにする、完全に把握・理解することを意味すると言えないだろうか。軒先から雨が滴っている光景を見て、これを「ぽたぽた」と表現することは、自身から能動的にその現象に近づいていってそれを理解するということなのだ。雨の滴っているのを見て、「これを『ぽたぽた』と表現しよう」と思ったところで、その現象はニンゲンのものになるわけである。オノマトペを得るということは、現象と自分自身の距離感をより近づけ、ニンゲンに理解できる形で一体化することなのだ。
さて、緊急地震速報のあの音についてはどうだろうか。オノマトペにするには、ちょっと難しい音形をしているように思う。テレビの方は半音違いの音が「ポロンポロン、ポロンポロン」と鳴っているように聞こえるけど、いやこう書き文字にすると全然それっぽくないようにも思える。実際は「ポロンポロン?、ポロンポロン?」みたいな感じか?いやそもそもあれを「ポロン」と表現するものだろうか。
携帯電話のブザー音はもっと難しい。あれを「ブー、ブー」とは言わないだろう。音の始めのアクセントもその後のクレッシェンドも表現できていない。そこでいろいろ考えて、ぼくなりに聞こえた音を文字にしてみると、「ブーッワッ、ブーッワッ」って感じだろうか。うーん、これもちょっと違うかな。
しかし、こうして「ポロンポロン?」とか「ブーッワッ」とか頭で反芻して文字にしてみると、少し変化があることに気付く。今あの音が唐突に鳴ったとしても、さほど不安にならないんじゃないかと思うのだ。あの音は得体の知れない不快で不安な音ではなく、何かを伝える目的で「ポロンポロン?ポロンポロン?」とか「ブーッワッ、ブーッワッ」と鳴っているんだと理性的に捉えることができると思えるのだ。
これは「慣れ」ということではない。音の意味を正確に理解して、わずかな時間で理性的な行動を起こすために必要な事実認識なのである。
実際、昨日久し振りに「ブーッワッ、ブーッワッ」が鳴った時、頭では緊急地震速報だと分かっていても、ぼくの身体は全然動かなかった。動けなかったと言った方が正しい。ぼくにはまだこのブザー音は、得体のしれない不安な音なのである。
だからと言って、このブザー音を年中聞いて慣れておくという話しでもない。地震のように稀有な現象を表現するのだから、その音だってそう頻繁に鳴らすわけにもいかないだろう。しかしだからこそ、音を理性的に理解するためのオノマトペへの転化は考えておいた方がいいと思うのだ。あれはなんて鳴ってるか分からない音ではなくて、「ポロンポロン?ポロンポロン?」や「ブーッワッ、ブーッワッ」と鳴って、地震が来ることを教えてくれてるのだ。
以前にも書いたけど、物事に名前を付けるというのは、ニンゲンの文明が成熟していく中で不可欠な要素だった。草原で時折人を襲う得体のしれない獣を「ライオン」と名付けることで、他人と情報を連携して対抗策を講じることができた。「ライオンには毒はない、毒で死んだのならそれは蛇の仕業である」とか「ライオンには羽はない。上空から襲われたのならそれはワシやタカの仕業である」と言えるわけである。名前を付けるというのは、漠然とした不安を解消するのに非常に重要なことだし、これがニンゲンの文明発展に大きく貢献した「発明」とさえ言っていいものである。
折に触れこのことを思うにつけ、今回の不安で不快な音も、名前を付けるのと同じことをして不安・不快を超えてみようと実験的に試行してみたわけである。
再びあの音を聞くのは嫌だけど、もしそんなことがあったら、ココロの中で必死に「ブーッワッ、ブーッワッ」と言ってみようと思う。少しは俊敏に理性的に動けるかな?
※書いていて思ったのだけど、ぼくが子どもの頃、歯医者が嫌で嫌でしょうがなくて、たまたまテレビで見た「再生医療」の話しを聞いて、未来に非常に明るい展望を見出してどこぞの大学の偉い先生に熱いエールを送ったわけだけど、なぜ歯医者が苦手かを上記のようなオノマトペの理屈で考えると、もしかしたら、歯を削るあの器具の「キュイーン」という音に合致するオノマトペが得られなかったからかもと思ってしまった。今でも歯医者は苦手だけど、それはこの歯科器具のことを「キュイーン」などと似ても似つかないオノマトペでしか表現できないからじゃないだろうか。いつか「これだ!」と言えるようなオノマトペを得た時、ぼくはどれほど不安や恐怖から解放されるだろうか。次に歯医者に行った時にちょっと考えてみようかな。
| 日記 | 16:36 | comments(0) | trackbacks(0)
天国に一番近い煉獄サイクリング。
来月に参加するサイクルイベントの練習ということで、予定どおり富士山まで行ってきた。
いや大変なサイクリングだったわ。「平均斜度5%、最大斜度8%弱」、「完走率99%、初心者でも安心のコース」などの謳い文句に、ちょっと安心していたけど、運動不足のぼくにはかなり過酷なヒルクライムだった。
ゴールデンウイークの轍を踏まないということで、起床は4時、5時にはクルマを走らせていた。高速道路はかなり空いていて、まあゴールデンウイーク直後の週末だから当然かもしれないけど、それでも若干の混み合いを見せた御殿場ICから富士五湖道路までの道もパスして、7時過ぎには会場近くの駐車場に到着できた。

※雲間から少し富士山が見える。

サイクルウェアに着替えて、自転車を組み立てる。先日はこの準備に落ち度があって現地に赴いたにもかかわらずサイクリングできずに帰ってきたわけだから、ここは万全を期した。防寒対策として、ウェアの下にシャツとスパッツを着て、帰りのダウンヒルで着るために防寒用のウインドブレーカーやレインウェア、冬用グローブを持った。また道中の飲料水として、2リットルのペットボトルをリュックに詰め込む。2リットルって、いやこれはかなり大げさかもしれないけど、水をごくごく飲むことを想定して少々オーバーに準備したのだ。重くなるけど、これで万全である。
7時40分、スタート。料金所を通って、いよいよヒルクライムである。
静かな道である。周囲にはぼくしかいないんだろうな。時折上ってきたクルマに追い抜かれたりして、クルマのエンジン音が遠ざかっていくと、再び静寂の中である。ただぼくの息遣いだけが聞こえるようになり、これがかなり気持ちいい。走り始めたばかりなのでまだ景色を見る余裕もあって、原生林の中を一人でいることの非日常を楽しんだりした。鳥の声が聞きつつ、静寂の中で森林浴をしている感じだった。この原初の森の姿を絵なぞで表現できたらなーなどと思いつつ、いや、ここにアスファルトの道がある時点で見えている範囲の森はもはや何らかの影響を受けているだろうから、既に森にはニンゲンの影響はかなりあるんだろうなーなんて取りとめのなく考えたりした。するとまた後ろの方からエンジン音が聞こえ、観光バスが通り過ぎて行ったりするのである。そんな中で驚いたのは、対向車線を猛烈なスピードで降りてくる自転車があったことである。この時間に既に五合目まで行って折り返してくる猛者がいるなんて脱帽である。地元の人なのかね。ほとんど朝の日課になっちゃってるのかな。
 
※料金所を超えて、いよいよヒルクライム。森林の中を行く。

さて、30分も走ると早くもキツくなってきた。
普段のサイクリングとは違ってずっと上り坂だし、途中で信号もないので小休止もできず、ずっと同じ姿勢なので、腰や肩が疲れてきた。やはり2リットルのペットボトルを背負って走るのは堪えるね。
一合目までの坂道は傾斜もキツくて、早くも汗だくだった。休憩も入れたので、40分くらいかかったかな。いや、スピードが全然出ない。ギアを一番軽くしても、時速10キロも出ない。酷い時は時速7キロを割るほどである。呼吸が荒くなり、汗がヘルメットを伝ってポタポタ落ちた。

※一合目。

二合目は30分弱で到達。途中で景色のいい駐車場があったので、ここでも小休止。9時を過ぎると、後ろから追い抜かれることが多くなってきた。
次第に景色を見ている余裕がなくなってきた。まあ景色自体に大きな変化がないので、飽きてきた部分もあったと思う。植生は徐々に高山植物の雰囲気になってくるんだろうけど、いちいち見ている暇はないし、視界が開けていい景色なところもないのだ。そうか、道中で雲海が広がっているのを見たのは、静岡側の道だったな。自転車の下を流れていくアスファルトをただ見ているのも辛いのだけど、顔を上げるのも辛い。まだ10キロ以上あるのに大丈夫かな。
 
※二合目。路肩に埋まってる表示には15と書いてあって、これが残りの距離のようである。

さらに40分ほどかけて三合目。後ろからきた自転車に猛烈なスピードでどんどん抜かれる。息が苦しい。そういえば、三合目の時点で標高1700メートル超である。空気はかなり薄いだろう。富士山マラソンで標高800メートルほどの河口湖や西湖を走っただけで空気の薄さに悩まされたぼくだから、無理からぬことかもしれない。意識して呼吸しないと、途端に苦しくなってしまう。15キロほどを走ってきてかなり疲弊も増している。四合目まではさらに1時間ほどもかかってしまった。
 
※三合目。坂の上のキレイな雲。
 
※ガスってきた。四合目。

ここではたと気づく。制限時間に間に合わないかもしれない。
イベントでの制限時間は3時間15分である。初心者でも完走できるイベントという位置づけであれば、ぼくのタイムはまあ2時間半くらいかなと思っていたけど、四合目の時点で既に2時間50分である。2時間半どころか3時間でフィニッシュするのも、制限時間内にフィニッシュするのも難しいとは、まったく想定外である。ぼくの走力は、もはや初心者以下ということか。
焦りと失意が入り混じる中、それでもペダルを回していると、いきなり平坦な道に出た。五合目までの距離が表示されているマイルストーンに、斜度も記載されていて、それによるとここの斜度は0.6%なんだそうな。しかも残り2キロである。ここは頑張って踏み込まないと!と気合を新たにしたところで、無情にも3時間15分が過ぎた。
最後の急な上り坂で坂の向こうに見覚えのある建造物が見えた。五合目にあるレストハウスである。ついにフィニッシュである。時間は3時間30分。制限時間を15分ほど超えてしまった。

※残り2キロのマイルストーンの前で制限時間をオーバー。

それでも無事フィニッシュ地点まで到達することができたのは嬉しかった。当初は足の不調もあって、上り切れるかどうかも分からない状況だったけど、ペダルを回したり踏み込んだりしている分には、足の痛みは全然出てこなかった。先週のサイクリングでもそうだったけど、ランニングと違ってサイクリングなら足の痛みは出ないようである。
持参した2リットルの飲料は半分くらいになっていた。さすがに2リットルはいらないということだね。本番でもし給水所などがあれば、これだって不要かもしれない。どうだったかな。
それにしても、結構前に富士登山で来たことのある五合目だけど、建物の雰囲気などはあまり変わっていないとは言え、観光客のほとんどが中国人や韓国人に占められてしまい、ほとんど異国情緒な世界である。その中にぼくも含めた少なからぬサイクリストが混じってさらに異様さが加わり、ほとんど異世界的な雰囲気だった。

※もはや異世界と化した五合目で記念写真。

※富士山は雲の中。山肌に雪が見えた。

レストハウスでカレーなぞ食べて、身体が冷えないうちに早々に下山することにした。持ってきたウインドブレーカーとレインウェアを着て、冬用グローブを装着。自転車にまたがって坂道を下り始めた。
分かっていたけど、かなりスピードが出る。時速40キロは軽く超える速度である。いや、もうそれ以上はちょっと怖い。路面の凹凸もそれなりにあるので、慣れていないとこのくらいの速度が限界である。だからブレーキをかなりかけることになる。50キロにならないくらいで下るんだけど、いや緊張したわ。
異国人を満載した観光バスがぼくの脇のギリギリのところで追い抜いて行くのも怖かったな。
20分くらいで二合目辺りにあった駐車場に到着。停車しようとブレーキをかけたんだけど、速度が出過ぎていて、なかなか減速できず、握力を振り絞って崖っぷちのフェンスに激突する前に何とか止まることができた。
振り返って富士山の山肌を見る。まだ雪が残る山肌は雲がかかっていて全体が分からなかった。
こうして下ってしまうとあっという間である。あれほど苦労した道を一瞬で通り過ぎていく。上りでは一度も使わなかったブレーキが下りで大活躍で、あれほど回したペダルをまったく回さないなんて、当然と言えば当然だけど、なんだか滑稽である。
再び下り始めてほどなく料金所が見えてきた。25キロの上りと下りという短くも長かったぼくの旅も無事終了である。出発時点では数台しか止まっていなかった駐車場が既に満車になっていた。この人たちはほとんどがヒルクライム練習でやってきた人たちなんだろうな。今頃どこを上っているのやら。

※かなり下ってきてから振り返る。ありがとう、富士山。

自転車を止めて、レインウェアを脱ぐ。強い日差しに肌が晒されてピリッとしたけど、そんな肌の上をひんやりした風がふわっと流れていった。走って良かったわ。自転車っていいなー。
記録的には非常に悔しいけど、まずは上り切れたことを前向きに考えよう。まだ練習の時間はある。休憩のタイミングを工夫すれば、15分くらいなら短縮は可能だろう。初心に返ってまずは完走を目指すのである。
それにしても、天気に恵まれて良かった。来現の本番も同じような晴天だといいなー。こんな苦しいサイクリングを雨や風の中で走るのはさすがに嫌だな。
自転車を積み込んで家路に就く。14時過ぎの東名高速道路の上り車線はやはりかなり空いていて、かなり早い時間に帰ってくることができた。筋肉痛になる前に遊んでおこうと思い、その後さきこと海までドライブに出かけてしまったよ。
自転車も洗車して、いよいよ来月である。その前にちょっとメンテナンスでも行ってくるかな。どこぞの航空会社の雑な扱いでフロントディレーラーがチェーンに擦れるようになっちゃったしな。ぼくも着々と準備を整えるのである。
さて、来月にはどうなっていることやら。
| 自転車日記 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0)
弱気。
ゴールデンウイークが明けて、当面は連休がない日々が始まった。次の連休に向けて目線を遠くにやると、次は7月の三連休まで祝日はないわけで、いや随分先の話しだなー、梅雨明け辺りまで祝日はないってことか・・・と思うにつけ、そこで気持ちが夏に切り替わる。今年も夏が視界に入ってきたわけである。
夏、といえば、夏のチャレンジサイクリングである。今回は以前より書いているとおり、知床を巡るサイクリングに出かけようと思っているのだけど、この「知床チャレンジ」に実は最近ちょっと弱気になってる部分がある。
大きな原因は、何より足の不調である。
先日の江の島を巡るサイクリングで50キロほどを走ることができたとは言え、知床チャレンジでは1日100キロを走る日もある。いや、最悪の場合を考えて、短縮ルートなんかも考慮しているけど、たとえば周囲に人家のない森の真ん中で足の不調が現われ、しかも気温が下がって雨まで降ってきた、なんて状況だったらどうなるだろう。7日にわたる行程の2日目や3日目でこんな状況に陥っちゃったら、かなり困った状況になるだろうな。
いや、こんな状況は極端だし、多少の足の不調は気合いで突破できないこともないのだけど、せっかくのチャレンジサイクリングなのにもったいない話しである。そう、これには往復の航空券も含めて、結構なおカネがかかるのだ。
おカネをかけて、行ってみたら雨が降っていて、足まで痛くなってきた・・・なんて、これは残念過ぎる状況である。5年前の京都チャレンジの時は、東海道線とほとんど並走する形だったこともあり、何かあっても近くの駅から電車に乗ることはできたし、それなりの地方都市が点在していたし、最悪の場合でも横浜まで線路が繋がっているという安心感もあった。多少のアクシデントもリカバリーできる状況はあったのだ。
しかし、北海道を数日サイクリングしなくて何が「チャレンジ」かとも思う。安全な道路をいくら走っても、特に日本のようなどこに行っても画一的な街並みでは、あまりチャレンジしている感じがしない。チャレンジには多少のリスクは付き物である。
このリスクも実行の日が近づくにつれて減少する場合もある。特に天気なんかは、週間予報などで1週間くらい前には大まかには分かるようになっている。1週間もあれば、雨対策や暑さ対策などの準備にアクセントをつけることができるハズである。今の状況は天気はもとより、ほとんど一切の状況が分からないので、想定リスクが大きく、広範になるし、だから不安も大きくなるのである。まあしょうがないことなんだな。
ちなみに、仕事の状況だって分からない。実行の日が近づくにつれて、仕事の状況が北海道なんて行ってる場合じゃないなんて展開になることだってあるのだ。・・・いや、ないな、たぶん、ぼくには。仕事の不安は、それこそ雨の不安よりは全然低いんだな、ぼくの場合は。
しかし、ここまで不安がある中で、だからと言って北海道をやめて他の場所に行きたいかどうかというと、そうではない。以前、東京・日本橋から中山道を通って新潟に向かうサイクリングを考えたこともあるけど、北海道と中山道を比較したら、そりゃ北海道である。甲州街道や北陸、東北、京都から西日本を巡るサイクリング、四国、九州などいろいろ考えたけど、サイクリングを楽しむのに、北海道以上の場所が今のところ見つからないのだ。
そうであれば、おカネがかかろうと、天気に不安があろうと、足の不調が気になろうと、北海道に行くしかないのである。冒頭で最初に挙げた「足の不調」は、天気やおカネと違い、「自分で何とかできること」である。足を完治させて、100キロでも何気なく走れるくらいになれば、雨が降ろうが気温が低かろうが不安はかなり軽減されるハズである。
その点では足がどこまでのパフォーマンスを出せるかにかかってくる。ちょうど今週末は、先日断念したヒルクライム練習で富士山に行こうと思っている。ここであまりにも不甲斐ない結果が出るようだと不安だけど、ここでそれなりに、あるいは努力すれば何とかなりそうなレベルで走れれば、不安も大きく軽減するハズである。
そんなわけで、週末のヒルクライムは6月のサイクルイベントの練習という側面もありつつ、その先をも占う重要なサイクリングになるわけである。うん、ちょっと気合いが入ってきた。
週末はぜひ晴れて欲しいものである。
| 自転車日記 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0)
超絶的で傲慢な万能無敵な洋琴の共演。

週末は、ピアニスト小曽根氏のコンサートに行ってきた。
ジャズ界の巨匠・チックコリアとの共演ということで、非常に楽しみにしていたんだけど、いや、もうなんていうか、聴いてる方が非常に頭を使う演奏だった。ピアノの連弾というのをたぶん初めて聴いたんだと思うけど、ハイレベルな音楽が超絶技巧で応酬される展開に、いやもう音楽そのものに付いていくので精一杯だった。それは音楽的な理解にはまったく及ばないほど高度かつ技巧的なピアノの演奏である。たとえば、ほとんど無拍子に現代的なハーモニーが次々と繰り出され、崩壊ギリギリのところでたった1音だけで落ち着かせるところだったり、低音でリズムを刻み始めたかと思ったら次の瞬間にそのテンポを完全に無視して、また無拍子な現代的な旋律に回帰するところなどが、もはやぼくの知的レベルを大きく凌駕していた。そんな不可解な音楽の中で、演奏者の二人はお互いの旋律やハーモニーを聴きながらそれを受け取りつつ、些細な部分でハズしたり崩したりして音楽を構築したり崩したりと、その作業はほとんど文学的ですらあった。向かい合った二人の子供が、交代で積み木を積んで遊んでいる風景にも似ているかな。協力して積み上げた積み木を完成直前に土台から崩してまた積み直すとか、一部だけ崩してまったく違うものを作り始めるみたいなイメージである。超絶技巧なピアノの連弾だけど、やってることは向き合った二人が音遊びをしているだけ、なんて想像しながら聴いていた。

それにしても、ピアノは凄い楽器である。ピアノだけで音楽が完璧に完了してしまう。複雑に折り重なる旋律も厚いハーモニーも打楽器的なテンポ感もピアノだけでできてしまう。バイオリンやクラリネットやトランペットや打楽器にはそれぞれの音色があり、それが組み合わさることで深い音楽を構成するのは確かにそうだけど、弦楽器や吹奏楽器には単独でハーモニーを奏でることは無理だし、打楽器は旋律を奏でることができないわけで、ピアノがそのどれもが単独で可能という点で、どの楽器も敵わない万能の無敵な楽器だと思う。
それ故に、ピアノは傲慢な楽器とも言える。一人で音楽のすべてを支配することができるのだ。たとえば今回の演奏でも、そのテンポやコード進行から、きっとこう展開するなーと予想される展開が、微妙ではなく明らかに違った形で着地することがあり、一瞬「あれ?」と思うけど、その後に続く音楽の進行によって、その違和感を打ち消し、さらにこれを発展させるなんてこともあった。またテンポ的に2拍待たないと旋律が完結しないところを、その2拍分を端折って次の展開に繋げるなんてこともあった。ピアノにはテンポやコード進行すら無視できるほどの強大な力があるのである。こういう強大な力を見せつけられると、ピアノってスゴいなーと思いつつも、傲慢な楽器だなーと思うのである。
ちなみに、こういう傲慢さが漂う高度な音楽を二人で共同して作り上げることができる点が、この二人の尋常ならざる音楽的能力を表わしているんだと思う。

ステージにはピアノが2台置かれていた。
小曽根氏とチックコリアのピアノである。その2台のピアノはどちらも天板が外された状態で向かい合って置かれていた。天板がないので、ピアノの内部が丸見えである。金色の鋼の骨組みが露わになり、遠くて見えなかったけど、そこには88本の弦と羊毛に包まれたハンマーが配置されているハズである。
天板が外されたピアノを見るのは初めてだけど、その姿からは「今日はピアノだけのコンサートなので、他のどの楽器にも気兼ねすることなく、音が出せるわ」なんていうピアノ自身の意気込みみたいな声が聞こえそうで、ピアノの本気モードの姿を見てるような気さえしてきた。天板がない状態がピアノの本気モードだとしたら、天板を綴じた状態やつっかえ棒で少しだけ開けられた状態のピアノは、本気じゃない、つまり手加減モードの姿ということになるわけで、そんな状態でオーケストラすら相手に演奏しちゃうピアノって、どれだけスゴいんだと思うのである。いやピアノってのは、やっぱりスゴいし、万能で無敵だし、それ故にやっぱり傲慢だわ。
いや実際には天板がないのは、会場の音抜けなんかを当然ながら考慮しての対応だと思うし、普段ピアノが手を抜いているわけでも、天板を外したピアノがいわゆるラスボス的最終形態だというわけでもないとは思うけどね、ちょっと愉快な想像力に身を委ねて音楽を楽しんだりしたのである。

ともかくも、そんなピアノの超絶演奏に衝撃を受けてしまい、脳みそがフル回転するヒトトキを過ごした。音楽を聴くのに頭を使い過ぎたので、お腹が減ってしまい、終演後に思わずステーキなんぞ食べに行っちゃったよ。
ちなみにチックコリアと言えば、ジャズの名曲「スペイン」が有名で、ぼくも大好きな曲だし、小曽根氏もライブなんかで演奏しているのを某動画サイトで見たことがあるので、今回のコンサートではこりゃ絶対演奏しないでは終わらないだろうと思っていたのだけど、その期待に反して最後まで「スペイン」は演奏されなかった。後で知ったけど、このコンサートタイトルには「アコースティック」と書いてあって、これはつまり「ジャズはやらないよ」ということだったのかもしれないと後で思うにつけ、なんだかお預けをくらったようなちょっと残念な気持ちだった。
でも、無拍子の超絶技巧の応酬されるある曲の中で、「スペイン」を感じさせるコード進行がちょっとだけ挿入されて、「もしやこれから始まるのか?この無拍子的現代的フレーズは、あの曲のお馴染みのフレーズに至るまでの超絶的に長いカデンツァだったりするのか?」などとドキドキしちゃった。
エキサイトしそうでエキサイトでき切れない、やっぱりぼくには追いつけない音楽の世界だったなーと思うのである。次の機会があったら、ちゃんと二人でジャズをやってくれる演奏を聴きに行きたいものである。
| 音楽日記 | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0)
週末サイクリング。
久し振りに晴れた休日、しかも完全なるフリーダムな1日、前日に自分のせいでサイクリングできなかった負い目や焦り、1ヶ月前に迫った過酷なサイクルイベント。これらの条件を前にしても、ぼくはお絵描きを優先するのだということが、前回のブログを書くのに検証した結果分かったことである。「描けそうな予感」という不確定な希望的観測に対して、その日1日分の時間とパワーを投下することに、何のためらいもないのである。
しかし、前回ブログに書いたとおり、絵なぞは描き上げることができた。上手い下手は別として、とにかくひとつの感性を見たわけである。
そうなると話しは別である。絵なぞにかける欲求は既に昇華したのである。そしてそこにまた晴れた週末が到来したのである。ゴールデンウイークの最終日である。

この日は実はランニングのイベントがあった。富士裾野高原マラソンで10キロを走る予定だった。しかし、ぼくの足の不調は10キロを走れるほどまで回復しておらず、既に参加を中止するつもりでいて、さきこだけが参加するハズだった。ところが、この日の2日ほど前のことだけど、さきこの左腕に原因不明の痛みが生じるようになり、腕を回すだけで痛みが走り、これが時間が経つにつれ安静にしていても痛むようになって、これではとてもランニングなんか無理だという話しになった。前日になって、やむなく不参加を決めたのである。
そうなると1日が空く。連休最後の休日である。ここはひとつ、後悔のないようサイクリングに出かけることにしよう。向かうのは例によって鎌倉方面である。ここ1ヶ月以上、まったく運動してこなかったぼくには、2、30キロのサイクリングがちょうどいいのかもしれない。
少し風があったけど、これによってスピードが出ないことを気にしないようにした。リハビリみたいなものだから、ゆっくり走るのだ。変に気負わず、近所に買い物でも行くようなつもりで走ることにした。とは言いつつ、先日購入したばかりの新品のサイクルウェアを着てるんだけどね。
ゆっくりと身体に負荷をかけないようにしていても、それでもいつも走っている道を気持ち良く走ることができた。追い風になってくれたところもあり、スピードもそれなりに出てくれた。
先日のお絵描きで右脳が少し暖まっていたこともあって、ちょっと視覚的な刺激が欲しくて、北鎌倉近くの円覚寺で自転車を降りて、境内を散歩したりした。木々の葉が陽光を浴びてキラキラしていて、ホントにキレイな色を出していた。こういう日に物静かに散歩するのもいいものである。
海に出て、逗子方面に向かうか、江の島方面に向かうか考えて、この日は江の島に向かうことにした。海沿いの国道は一部で工事をしているんだけど、ここで自転車を止めて砂浜に下りてみることにした。今まで何回も通ってきた道で海岸に下りたことは何度もあるけど、この場所は初めてだったから見える景色がちょっと新線だった。うん、こういう視覚的な新鮮さがなんか嬉しいのである。
江ノ電・鎌倉高校前駅を発射した江ノ電は、懐かしいフォルムを残す300系だった。なかなか見る機会も減った300系にこうして遭えると、なんかいいことありそうな予感がするものである。
江の島に着くと、駐車場近くの公園にはたくさんの自転車が繋がれていた。道中ではほとのどサイクリストを見なかったんだけど、みんなぼくより早起きして江の島を目指していたのかな。お土産屋の並ぶ道を、サイクルウェアを着た人が何人も行き交っているのだろうか。
ぼくはさらに奥の東側の駐車場から海を臨む遊歩道に座って、しばらく海を見ていた。ここにはあまりサイクリストはいなくて、海上には大小のヨットが浮かび、風を受けて走っていた。こういう景色はいいなー。ホント、ココロが嫌されるわ。それにしても、ヨットか・・・、いつか体験できる日が来ないものだろうか。風を受けて船が進むという感覚や、波に乗るという感覚は、どういうものだろう。彼らが海の上で感じる風や水は、普段の生活で感じるような実体のない、掴みどころのない存在という感覚ではなく、確かにそこにあって塊として実感できる確かな存在として感覚できるんだろうなと思う。水泳で水をかいている時にちょっと感じることができるけど、より確かな実感なんだろうなと思う。波の上を滑るサーフィンを足で捉える時、強い追い風を帆が捉える時、きっと波や風は実体として近くできるんだと思う。いつかぼくもそれを体感してみたいと思う。
なんだか想像力を飛躍させてみて、脳みそに栄養が行き渡った感じがした。走るだけのサイクリングでは得られない、右脳に活性化した感じのヒトトキだった。
そういえば、足の不調のリハビリのつもりだったけど、足が痛くなることもなく、スムーズに江の島まで来られたのは意外だった。帰りはもう少し足をイジめてもいいかもしれない。そう思って、来た道を海を見ながら戻るのをやめて、モノレール沿線のアップダウンのある道を走ることにした。少しでもいいので、坂道練習をしておきたかったしね。
ここでも追い風に助けられたのか、さほど大変じゃなくクリアできた。途中で自転車を止めてモノレールを観察したり、コンビニに寄ったりして適度に休憩できたからかもしれないけどね。それでもかなり運動不足の中、ギアを軽くし過ぎない程度で走れたのは良かった。まだまだだけど、富士ヒルクライムへの道が明るくなったような気がした。
そんなわけで、足にも脳みそにも刺激的なサイクリングだった。またこういうサイクリングに出かけたいものである。自宅で腕を安静にしているさきこも、腰や足も含めいろいろ不調な部分を回復させて、またサイクリングに出かけたいものである。
さて、来週はどうしようか。先日断念したヒルクライム練習に行ってみようか。天気や気温にもよるけど、やはり坂の状態を実際に足で感じておきたいと思っている。

※久し振りに300系が走ってるのを見た気がする。
| 自転車日記 | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0)
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