「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
入院、手術、退院。そして・・・。

お袋さんが明日から入院である。そして明後日に手術がおこなわれる。胃の中にできたポリープ的なデキモノを切除して摘出するんだそうな。内視鏡を使った比較的簡単な手術らしいけど、お袋さんには頑張って欲しいものである。・・・ってか、頑張るのは執刀医か。
その後土日を挟んで退院となる。金曜日から3日間も入院になるのは、なんだか医療費を無駄に使う感じもあって、病院側の何らかの作為の臭いもするけど、ともかくまあお袋さんには入院という非日常も楽しんでもらいたいものである。早く元気になるといいな。
ちなみにお袋さんの退院を待って、新しいことがいろいろ始まる。
その週の末には、いよいよネコライフが始まるしね。さきこの工作センスが発揮されて、キャットタワーの自作への道が見えてきたしね。季節は梅雨の真っ只中だけど、夏本番に先駆けて楽しいことがやってくるのである。
まずは、お袋さんの入院、手術が滞りなく進むことを祈るばかりである。

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研修の風景。

会社で提携している某研修会社の年間チケットが切れるタイミングで、余ったチケットがあるから、誰でも何でも好きな研修が受けられるという話しがあり、せっかくなのでぼくが手を挙げて研修に行ってきた。リストにある研修なら何でもいいというので、どうせタダで受けられるのなら、受けていて楽しい研修にしようと思い、「文章の書き方研修」を選択してみた。いや、正式にはこんな研修名ではないけど、研修会社が分かってしまうし、この研修名は一見すると新卒新入社員向けみたいだけど、まあ実際はその程度の研修だったということも含め、「文章の書き方研修」としてみた。
この研修には、事前課題が与えられていた。指定されたネット上のとあるコラム記事を読んでくるという課題である。よく聞く経済情報誌のウェブサイトにある連載コラムの記事である。この経済情報誌をぼくはあまり読まないけど、新聞なんかでもでかでかと広告が打たれたりして、きっと売れているであろう雑誌である。そのウェブ版のコラム記事だから、きっと研修でも役に立つような何か意味のある文章なんだろう。研修の数日前に送られてきた案内メールにあったURLを叩いて、この記事を読んでみることにした。

5ページほどの文章である。すらすらっと読める文章である。1、2ページ辺りまでは、特に何も思わず、読み通してしまった。しかし、3ページ目辺りでふと思ったのだ。
ここまでの内容が全然頭に入っていない。
日本のブランドについて危機感を呈する感じで論理が展開しているんだけど、どういうわけかよく分からない文章になっている。このまま最後まで行ってしまうのかと心配したけど、意外にもよく分からないまま文章が終わってしまった。いや、よく分からないまま、ではなく、よく分からない度合いはページを追うごとに増長されて、最後の数行は矛盾さえ感じてしまうほどに文章が破たんして終わってしまったのである。
これは、どういうことだろうか。
いや、研修の課題として事前に読んでこいと言わしめるほどの文章である。研修で語られるであろう何か大事なことがきっと隠されているハズである。何しろこの文章は、有名な経済情報誌の連載コラムである。それなりに目の肥えた読者がこの文章を目にすると思えば、一読して判断するのは尚早である。もう一度読んでみるか・・・いや、ちょっと気が進まない。研修までまだ日があったので、この文章を読み込むのは後回しにしたのである。
そして気が付くと、研修当日。いや研修の30分前のコーヒー屋である。これは急いで読まないと。前回はぼくの読み込みが甘かったかもしれない。構成なんかも考慮しつつ、じっくりゆっくり読み込んでみることにした。
ダメである。
何を言いたいのかさっぱり分からない。最近本を読まさな過ぎて、ぼくの読解力が破滅的に減退してしまったのだろうか。いや、逆にこの文書が、いわゆる駄文なのかもしれない。そうだ、これはぼくの中では駄文以上の評価ができない。文章としてダメな部分を指摘しようと思えば、いくらでもできる。論理的な矛盾もあるし、図解された資料が論旨とズレていたり、言葉遣いもちょっと不思議な感じもした。もちろん、こんな指摘をその場で思いついたわけではない。その時は、この文章から何か有用な情報を得ようと思い、でも全然得られないことにただただ焦っていた。それこそ、この文章を駄文の見本として提示されるのでない限り、この文章には使いようがないとしか思えなかったのだ。

コーヒー屋を出て、研修の部屋に向かう。
会場にはそれなりに賑わいがあって、テーブルがいくつかにまとめて置かれていて、つまりグループになって座るような形になっていた。スクール形式の座学ではなく、何らかのグループワークがあるタイプの研修のようである。
講師が前に出てきて、研修が始まった。あいさつとか自己紹介なんかの後、グループワークを前にグループ内で自己紹介しようという展開になった。その時の講師の言葉に、ぼくは再び強烈な焦りに陥った。
「では、グループの皆さんで自己紹介していただき、その際に課題で出した文章について感想を発表してください」
今まで研修にはいろいろ参加してきたけど、その中でこれほど焦ったことはない。この課題文章は、講師がいろいろ分析して解説するためのものではなく、グループで感想を言い合うためのものだったのか。
感想とか言われても、ぼくには先に書いたようなネガティブな印象しかない。これからどんなグループワークが展開するか分からない中で、あまりネガティブなことを言うのはなんだか憚られるなーと思うのである。でも、この文章でポジティブに評価できる点は、実は今のところ1つも見つかっていないのである。
ぼくは、他の人が順番に自己紹介や課題文章の感想言うのを聞きながら、もう一度文章に目を通すことにした。あぁダメだ、この期に及んでも良い点は見つからない。それどころか、先ほど気づかなかった欠点が見つかったりしちゃう。
そんな時、ある参加者の感想が耳に入った。少し関西弁のイントネーションのある話し言葉である。
「いや、わたし、この文章、どうも分からなくて。○○について述べているのに、いつの間にか△△の話しになっていたりして、結論もよく分からなかったんですわ」

こ、これは?!ぼくが先ほどまで感じていた感想である。やはり同じように感じていた人はいたか。
その人がちょっとネガティブな感想を話したおかげで、これに続く人もみなネガティブな感想を言うようになり、順番の回ってきたぼくもさらにいろんな矛盾をつくような話しをしたりして、結局ぼくのグループはネガティブな感想で統一されてしまったのだ。みんな同じことを感じていたのだ。それがぼくに物凄い安堵感をもたらした。良かった、ぼくの感性は間違ってなかったわ。

研修が進み、この講師が講評するのを聞くにつけ、やはりこの文章はダメな文章の見本として提示されたものだということが分かった。やはり駄文だったわけである。
しかし、ぼくが自分の直観に従うことをイマイチ躊躇ったのには、理由がある。先にも書いた通り、この文章が有名な経済誌の連載コラムだからである。それなりに、いやそれなり以上に文章が書ける人でないと経済誌にコラムを連載することはできないわけで、そんな場所にまさか駄文が掲載されるなんてまったく予想してなかったのだ。
目の肥えた読者は何も言わないのかな・・・と思うにつけ、結局この経済誌を読む人の中には、少なからず「読んだ気になってる人」がいるということかもしれない。たしかにすらすらと読めてしまう文章だったから、通勤電車でイヤホンで音楽とか聴きながら読むにはちょうどいいのかもしれない。読んだところで一体何を言いたかったのか分からないのにね。
直近の話題で言えば「EU離脱でどうするのかね〜」なんて言っていれば、EUの現状やイギリスが抱える問題とか全然知らなくても、周りの人には「なんかそれっぽいことを言ってる!」と映るんだろうね。なんだかね。そして、そんな駄文を書いて、安からざる報酬を貰ってる人もいるということである。ホント、なんだかな。

まあ、それはさておき、とにかくぼくが研修で焦るハメになったのは、ちょっと久し振りな経験だった。やはりたまには会社の外に出て、脳みそに刺激を与えた方がいいなーと思う。そう、研修の内容がぼくにとってはあまり有用でなかったので、ぼくが今回の研修で得た経験は、ただこのことだけだった。また研修があったら行ってみようかな。

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駅広告と古地図。

ぼくが勤める会社の最寄り駅に、駅の近隣に居を構える企業の広告が掲示してある。
この広告とは、駅構内にあって大きなパネルに裏側から蛍光灯を当てるもので、地下鉄の駅なんかでは割とよく見かけるものである。その広告パネルのひとつに、近隣の某地図制作会社の広告がある。
この広告パネルについて思うところがあるのだ。
その広告パネルは、「江戸時代から続く街・・・云々」などのキャッチコピーに、古地図と現代の地図を並べたデザインのものである。たしかにこの駅のある界隈は、江戸城の西側に位置していて、古くから城下町として賑わっていたから、街の地図もそれなりに現存していて、しかも甲州街道に続く大通りだけでなく、小さな路地までが江戸時代と重なる部分が多くて、古地図と現代の地図を並べると、昔から変わらない街の姿が浮き彫りになるのだ。そんな街にある地図制作会社だから、その広告のデザインに古地図やこれと重なる現代の地図を取り入れたくなるのは、非常によく分かる。
問題はその広告が設置してある場所である。
駅には一般的に、近隣地図というものがある。改札口近くにあって、駅を降りた人が自分の位置や目的地の行き方、出口の番号なんかを確認したりするものである。ぼくも初めて降りる駅などでは確認するようにしていて、これが非常に役に立っている。スマホの地図アプリが普及している中でも、この近隣地図の役目は非常に大きいと思う。そんな近隣地図が、先の地図制作会社の広告と非常に近い場所にあるのである。しかも大きさもだいたい同じようなものなので、駅を降りた人が近隣地図と勘違いする恐れがあるのである。
つまり、駅を降りた人が目的地の場所を確認するために、近隣地図ではなく、その近くにある地図制作会社の広告を見る恐れがあるわけである。
いや、この広告をちゃんと見れば、「江戸時代から続く街云々」のコピーもあるし、現代の地図が江戸時代の古地図と比較されるように並べて配置してあるし、そもそもこの古地図や現代の地図で表示されるのは非常に狭い範囲なので、たとえ勘違いしたとしてもすぐに気づきそうなものである。
しかし、ある日の通勤時に駅を降りて会社に向かう中、駅構内を歩いていて、この広告に描かれた地図をまじまじと眺めるビジネスマンを見かけたことがある。手元にはネットからプリントしたであろう簡易的な地図があり、これと地図を見比べて、自分のいる場所、これから向かう場所を確認しているようなのである。しかし、その見比べている地図は、地図制作会社の広告であり、地図ではなくあくまでデザインの一部なのである。彼のわずか数歩先には、最新版の、しかもより広範囲の近隣地図が設置してあるのである。
いや、こういった勘違いは、この広告の地図が図らずも微妙に近隣の様子を表わせていることも影響していると思う。駅構内にある近隣地図がどんな佇まいで設置されているかの雰囲気が分かっていれば、近隣地図に微妙に似ているその画像が広告のデザインであることに気付くと思うんだけど、たとえば地方から初めてやってきた人やそれこそ東京の企業に就職活動で来ている地方の大学生は、もしかしたら混乱してしまうかもしれない。
しかし、それもレアケースかもしれない。いくら地方の人だって、いくら初めて東京に来た人だって、地図にキャッチコピーが書いてあれば、気づくものである。ぼくが見たのは、何万人もいるビジネスマンのうちのほんの一人のうっかりさんなのかもしれない。
しかし、実は今日も通勤時に見てしまった。今度は二人のビジネスマンである。どこかの企業にセールスに向かう途中かもしれない。大事なプレゼンが控えているのに、梅雨の大雨の影響で遅延した地下鉄を慌てて降りて、とにかく訪問先に早く行かねばならない、なんて状況かもしれない。そうだとすると、あまりにも気の毒である。焦りもあって、広告と近隣地図の判別ができないのだろう。よほどの老舗企業なら、この広告に表示された現代の地図にも表示があって、もしかしたら問題なく辿りつけるかもしれないけど、そこそこ新しいビルなんかは表示されていないだろうから、いくら目を凝らしても、向かうべき場所に目的地は表示されていないことになる。これは気の毒な光景である。
やはり、ここは声をかけるべきだっただろうか。
「あ、それ、近隣地図のようですけど、広告のデザインですよ。近隣地図はこちらですよ」
ぼくも遅延した電車のせいで焦っていたので、この局面でこの人たちに心を砕くことができなかった。しかし、この勘違いは一度ならず二度あったのである。二度あることは何とやらである。
こういう機会がまた来るようならぜひ声をかけようと思う。いや、間違えないように「これは広告です。近隣地図はこちら→」などとポストイットでも貼っておこうか。
ぼくがこれから先もこの広告の前で逡巡している人たちに声をかけていけば、この地図制作会社の広報担当者もきっと気づいてくれるだろう。ポストイットや貼り紙がしてあれば、なお効果テキメンかもしれない。
・・・っていうか、そうである、ぼくが心を痛める前に、そもそもこの広告会社が何とかすべき問題である。まさか見ていないと思うけど、いつかこのブログで書いた思いが、この地図製作会社に届くのを期待したい。
そんなぼくの通勤時の一コマである。
まだまだ鬱陶しい梅雨は続く。

| 日記 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0)
コラボレーション・出張サイクリング。

ぼくは会社の仕事で時々出張するんだけど、その時にはできる限り自転車を持って行くようにして、仕事の前後で休みなんか取っちゃったりして、出張先でサイクリングなんかを楽しんだりする。会社が島根県・松江に事業所を作った時にも、隣町の鳥取県・米子に事業所を作った時も、旅行じゃなかなかいけない場所なので、この機会を利用してうまい具合に仕事を調整して、仕事の前後でサイクリングを楽しんじゃったりした。去年は福岡に出張に行った時も自転車を持って行って、初めての九州サイクリングを楽しんだ。会社のおカネで出張費をもらっておきながら、現地に自転車を持ち込んで遊んでるわけだから、ある意味で公私混同なわけだけど、こういうことができるのも今の会社ならではかもしれない。給料は低いけど、こういうところで緩いのはいいかもね。

 

今日は名古屋に出張である。先週金曜日は大阪に出張だった。こんな立て続けの出張はそうそうないことなんだけど、こうして週末を挟んで出張があったりすると、ついサイクリングとのコラボレーションを考えてしまう。つまり、金曜日に自転車を持って大阪に行き、仕事を済ませたうえで、その日は大阪に宿泊する。翌日は大阪から国道1号線を通って京都に至り、そこから以前の京都チャレンジの逆走の形で名古屋に至るわけである。週末の2日間で200キロ前後の移動。これはなかなかシビれるサイクリングである。
しかし実際はそんなコラボレーションはなく、金曜日は仕事が終わると大人しく帰宅し、週末を横浜で過ごした後に月曜の朝から名古屋に来たというわけである。まあ、土曜日は会社で仕事があったわけでどっちにしろ週末を出張先で過ごすことはできなかったし、しかも2日間もサイクリング旅行をするほどのおカネがなかったし、また再来月の北海道旅行を考えれば、さきこの手前、サイクリングで遊んでばかりもいられないわけである。
ちなみに、先ほどふと思ったんだけど、会社のおカネで金曜復路と月曜往路の新幹線代を清算しつつ、実は事前に払い戻して現金化し、これをホテル代に充てれば、自腹を切ることなく大阪・名古屋のサイクリング旅行ができたんじゃないか。金曜の大阪復路が1万5千円、月曜の名古屋往路が1万円だとして、金・土・日の3泊分のおカネにはちょっと心許ないとは言え、できないことはなかったかな。いや、会社に新幹線代として清算しておいて、実はホテル代にしていたというのは、公私混同としていわゆる一線を超えちゃってる感じはするので、ぼくとしてはNGなんだけどね。

 

それにしても、ぼくのこの出張先で自転車に乗りたいという欲求はどこから来て、どうしてこれほど強いのかと思う。地元を走ったり、キツい坂を上ることについては、さほど強い欲求はないのに、なぜ出張に出ると、これほど自転車に乗りたくなるのか。
たぶん、知らない土地を走るのが好きなんだと思う。地元を100キロ走るよりも、知らない場所を50キロ走る方がはるかに魅力的だと思ってしまうのだ。特に大阪から京都までの50キロは、ぼくが以前日本橋を出てからずっと走ってきた国道1号線の未走行区間のひとつでもあるのだ。大阪梅田にある国道1号線の起点からスタートして京都に至り、その後滋賀と京都の県境で再び国道1号線に合流することで、ぼくは日本橋から大阪までの国道1号線を走り切ったことになるのだ。それはぼくにはちょっと魅力的な経験である。まあ静岡で走っていない区間があったりするけどね。
結局のところ、ぼくは自転車で自分にとってキャッチーな謳い文句の付く経験がしたいのである。「東海道を走り切った」とか「富士山五合目まで上り切った」とか「北海道を一周した」とかね。そんな謳い文句に魅力を感じて、知らない街を自転車で走りたいと思っているのだ。きっとおカネと時間があったら、「世界を一周した」という最高にキャッチーな謳い文句につられて、何の抵抗感もなく自転車にまたがってしまうだろうね。
ともかくも今回の出張では、サイクリングができなかったけど、またどこかに行くことがあったら、ぜひサイクリングもしてきたいと思う。そんな日をちょっと楽しみにしているのだ。

 

※話しが脱線するけど、名古屋や大阪を目指して新幹線に乗っていると、京都チャレンジで走ったことをよく思い出す。特に三島や沼津辺りを走ってる時、浜名湖で国道1号線と並走する時、豊橋から安城辺りで京都チャレンジの苦労を思い出す。特に3日もかけて走破した静岡県を走っている時、車窓の風景が変わる度にいろいろ思い出すものである。5年経っても強烈な記憶として残る京都チャレンジである。次の知床チャレンジでもきっと強い思い出を残してくれるに違いない。信号もなくまっすぐで何もない道を延々と走ることにきっと飽きてしまう時もあると思うけど、ぼくの生涯にとって非常に有意義な経験になってくれると思うのである。

| 自転車日記 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0)
マイ・ネコネコ・ライフ。

お袋さんと同居ならぬ共同生活を始めて2か月ほど、当初から下心的に期待していたネコを飼う話しが少し動き出した。
さきこがネット上の里親探しのサイトから、ネコの里親をあっせんするボランティアの方と知り合いになり、そのツテで可愛いネコに出会うことができたのだ。
鎌倉にお住まいのこのボランティアの方は、近所の動物病院と連携して、野良猫を去勢避妊したうえで里親を探したりしているんだそうな。当初さきこがネット上で出会ったネコは、既に他の里親候補と話しがついてしまったんだそうだけど、何度か電話で話しをしている中で、このボランティアの方がさきこを甚く気に入ってくれたみたいで、希望のネコとは違うけど、他にもネコがいるので一度見に来てみては?という話しになった。
そんなわけで、ぼくとさきこ、お袋さんは、クルマに乗って鎌倉まで行くことになったのである。

ボランティアの方とお会いして、あいさつもそこそこに、近所の動物病院に行き、そこで保護され去勢避妊の手術を施されたネコたちと対面した。
いくつかのケージに入れられたネコたちは、みな生まれて数週間で、やっと乳離れしたような状況である。みんな可愛いネコばかりである。この中から選ばなければならないのか。これはシビアな選択だわ。
またご自宅にも生後数か月のネコがいるというので、ご自宅にもお邪魔したんだけど、ここで出会ったネコがこれがまあ細面のキレイなキジ柄で、ぼくは思わず一目惚れしてしまった。
先ほどの動物病院のネコたちは、ぼくたちの方にちょっと遠慮があって、無遠慮にべたべたと触ることは憚られたんだけど、ご自宅までお邪魔した以降は少々和んできたこともあって、積極的にネコと触れ合うことができた。携帯のストラップを猫じゃらしにして、一緒に遊んでいると、ぼくの手に頭をこすりつけてきた。そしてぼくの指を口に入れて、小さい犬歯で軽く噛んだのだ。おおう、これが親愛の情を表わすネコの甘噛みか。かなり人懐っこいネコである。
このネコはキジ柄で、実はぼくの実家、以前お袋さんが住んでいた家のネコと同じ柄だった。ぼくは今まで飼ったことのない柄がいいなと思っていて、その点ではこのネコは選択対象外になるハズだったんだけど、性格が気に入ってしまったわ。

ボランティアの方の家を出て、すぐ家族会議である。
動物病院で見たネコも含め、どのネコをいただくか。実はボランティアの方と当初のネコの件でやり取りしている中で、飼うネコの数を1匹から2匹までに引き上げていた。1匹だけだとネコ自身が寂しくなっちゃうだろうから、いいネコがいれば2匹飼うことも視野に入れるという話しになったわけである。だから選択の幅は少し広がっていた。
とは言え、結論を得るまでは、かなり悩んだものである。しかも相手は生き物だからいつまでも考えを保留できないわけで、迅速な判断が求められた。
ボランティアの方の自宅で見たトラ柄のネコは、ぼくとお袋さんの中でほぼ決まりであった。さきこも抱っこしたり、一緒に遊んだりして、気に入ったみたいである。さきこは動物病院で出会ったハチワレ柄(黒毛の顔が鼻の辺りで白くなる柄)が気に入ったみたいである。目の色がキレイだったし、活動的だったからね。しかも、黒毛にはわずかにトラ柄が見えて、これは成長するとキレイな白黒のキジ柄になることが予想された。ぼくたちが当初から希望していた柄である。ぼくもお袋さんも動物病院で出会ったネコの中では、好印象のネコだったので大賛成である。
そんなわけで、飼うべきネコが決まった。どちらもオスである。
このネコたちとこれからどんな生活が待っているのか、かなり楽しみである。

さて、話しが変わるけど、実はお袋さんが先日病院で検査した結果、胃の内壁に小さなポリープが見つかったようである。悪性腫みたいな様子はないのだけど、今後のことを考えて、早めに切除することにしたそうである。内視鏡を食道から通して直接切除するんだそうな。腹部切開の手術ではないので、比較的簡単な手術になるけど、それでも1週間弱の入院が必要だそうである。
手術は6月終わり。7月初旬に退院である。このためぼくの家は少しの間、バタバタが続く。ネコを飼うのはこのバタバタが終わってからがいいだろう。そうなると7月初旬である。
ネコがぼくの家にやってくるのは7月初旬である。それまでに、ネコたちの名前も考えないといけないし、エサや水、トイレのためのグッズも買わないといけない。そうそう、以前のぼくの自宅にはなかったキャットタワーも買わないといけないだろうな。これからのネコライフのために、ぼくの家はまた少し変化していくのである。
お袋さんの手術のバタバタも含め、ぼくのネコライフは、さてどうなるものか。

 

※(左)ボランティアの方のご自宅で出会ったキジネコ。(右)動物病院で出会った瞳のキレイなハチワレネコ。

| ネコネコライフ | 08:52 | comments(0) | trackbacks(0)
子守唄は早口で。
ぼくが早口なのは、自分でも一応認識していることなんだけど、まあ実際に客観的に改めてその早口っぷりを確認すると、ホント嫌になってしまうくらい早口である。
実は先日、取引先のお計らいで、取引先主催のセミナーに講師として登壇する機会を得て、20分くらい話しをしてきた。以前ぼくが携わった本社移転の事例紹介として、概要の説明みたいなものである。これは非常に光栄なことである。ぼくのようにデスクワーク中心の仕事では、今回のように人前で話す機会はない。貴重な機会を与えてくれて非常に嬉しかった。
だから頑張った。いやちょっと頑張っちゃったかな。うん、かなり頑張ったと思う。つまり気負っていたわけである。
それでも、自分が早口であることは分かっていたので、注意はしたつもりである。ゆっくり相手に分かるように、センテンスごとに一呼吸置くようなつもりで、話しをした・・・つもりである。
しかし、終わった後に勇気をもって録音した内容を聞いてみると、これがもう壊滅的に早口なのである。いや、聞き取れないほど早口ではないし、この録音を聴いたさきこも内容が分からないほどではないようだった。
しかし、講演を聴いてもらうという立場での話し方ではなかっただろう。デスクワーク中心であることが逆に、こういう場で喋るに相応しい速度を学ぶ機会を奪っていたのかもしれない。いやもう穴があったら入りたいくらいの失態である。
まあ過ぎたことはしょうがないのだ。取引先もぼくの早口に懲りて、もう二度とぼくに講演を依頼するということもないだろうから失ったものは大きいけど、うん、もうしょうがないのだ!もう笑うしかないのだ。がっはっは!

とは言え、この状態を何とかできないものだろうか。ぼくの早口を直す方法が存在するのだろうか。
恐らくこの手の悩みを持っている人は世の中にたくさんいて、「分かりやすいプレゼン法」とか「伝わる話し方」みたいな本がたくさん出ているのだろう。なんだか新社会人が読む本みたいで、今さら感が否めない感じだな。
それ以外に何か方法はないかと思い、そういえば以前も同様のことで悩んでいたのを思い出した。
当時は「落語」をじっくり聴き、これを覚えるくらい聴き込むことで、ゆっくり話して相手に伝える癖を身に着けようと思ったのだった。落語は早口ではないにもかかわらず、テンポよくポンポン会話を進める。一人何役もこなして、話しの内容を伝え、しかも聴き手を笑わせるほど話しに引き込むことができる。情報伝達の際に相手を充分に理解させなければできないことである。この方法を習得するために、古典落語を何度も聴いて、自分でも喋れるくらいまで覚えてしまうというわけである。落語的な話し方を自分の話し方に取り入れれば、ぼくの話し方もきっと変わるんじゃないだろうか。いやどうかな、歌を歌うのと同じで、自分が考えて話すことにはいい影響がないのかもしれないな。落語みたいな直接話法的な感じで、「おい、はっつぁん、どうしたんだい?」「おや、ごろべえじゃねぇか。いや、実は話せば長くなるんだがね」「ふんふん」なんて話し方の癖がついちゃうのは遠慮したいけどな。

それにしても、さきこはぼくの早口をよく理解できるものである。
先日の講演は、ゆっくり喋ろうとかなり意識してそれでも早口になってるわけだけど、さきこと話す時はそういうリミッターは全解除になってるわけである。いや、より早く伝えたい衝動も加味されるから、早口にさらに拍車がかかっているかもしれない。これをさきこはよく理解できるものだと思う。ファミレスなんかで、たまに自分が大きな声で喋ってることにはたと気づき、慌てて声をひそめたりするんだけど、もしこの大きな声が隣の席の人にもガンガンに聞こえていたとして、その人はぼくの早口をどう思っているのだろうか。ぼくの早口耐性のない人が、リミッター解除のマシンガントークを聞いたらさぞ驚くだろうなと思うし、いや、これは恥ずかしいことだわ。
ちなみに、この話しをお袋さんにしたら、彼女はぼくのマシンガントークの半分くらい聞き取るのをもはや諦めているそうである。ぎゃふん。

ちなみにもう少し考え詰めてみると、ぼくが早口になるのは、右脳的な思考が関係していると思う。
話しを聴く場合もそうだけど、ぼくの頭にイメージが浮かんでいる。話しをする時に頭に描かれるイメージはさらに鮮明で、話す時はこのイメージを説明するような喋り方になる。話しが刻々と展開していく中でイメージもどんどん変化していくから、その様子を説明するために言葉が追い付かなくなって、結果的に早口になってしまうというわけである。いや、実際のところは分からないけど、ぼくがリミッター解除で話しをしている時は、頭の中で割と鮮明に絵が浮かんでいて、これがどんどん動いていたりする。
さらに言えば、頭の中の絵を言葉に変換するには、左脳はもちろん、左脳と右脳を繋ぐ脳梁も重要な役目を負うわけだけど、男性のくせにぼくはこの左右の脳みその連携が比較的に密なんだと思う。
右脳のイメージと脳梁の密なネットワーク。ぼくの想像でしかないけど、ぼくの早口の解剖学的な原因である。
これは文章を書く時も同様である。ブログなんかでも文章量が比較的多いのは、右脳で浮かんだ画像を左脳で論理的な文語体に変換して書いているからで、その結果として説明が長く、文章量が多いのだと思う。
まあ、そんな人は世の中にたくさんいるだろうし、そんな人だって話す時はゆっくり分かりやすくしているわけだから、何とか努力すればぼくもゆっくり話せる人になれると思うんだけどね。
そんなわけで、自己嫌悪に陥りつつ、この状況を救ってくれる落語にちょっと期待である。落語の講演みたいなものに一度行ってみたいと思っているんだけどね。
さて、ぼくの早口は落語で直るのだろうか。
| 日記 | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0)
雲上の激走。
以前から期待と不安、ドキドキとワクワクで待っていた富士ヒルクライムのイベントに参加してきた。
ランニング仲間で集まった今年初めの新年会で、一緒にサイクリングなどに出かける仲間から誘いを受けてから、ほとんど半年くらいずっとドキドキワクワクしていた。
しかし先月のヒルクライム練習で規定の制限時間に届かないことが分かり、いろいろ練習しつつも焦りと不安の募る日々だった。それは当日までずっと続いた。
だから結果として制限時間を超えなかったのはとても嬉しい。ここ1ヶ月の不安が大きかっただけに、その反動か、喜びや達成感は自分でも驚くくらい鮮烈であった。

前日は誘ってくれた方のクルマにぼくの自転車を積み込んで会場に行き、参加者受付をしつつ、会場を物色した。スポーツ用品店や自転車関連のメーカーの出店が数多く出ていて、見て回るのが楽しかったな。でも合流した自転車仲間の面々はこのイベントに何度も出ているので、あまり興味がないらしく、早々に宿に戻ることになった。ぼくとしてはもう少し見ていたかったんだけどね。
 
※会場の様子。興味深い店が並ぶ。

早々に会場を後にしたのに、宿に戻ったところでテレビを見たり、缶ビールを開けたりとまったりした時間になりつつあったので、陽が出ているうちに自転車に乗りたくて、ぼくだけ自転車を組み立てて出かけることにした。河口湖近くの宿に来て、河口湖に行かないのはなんだかもったいない感じがしたのである。
この日は非常に天気が良くて、河口湖から富士山がはっきり見えた。中腹より上は少し雲を被っていたけど、おそらく翌日のフィニッシュ地点であろう場所、富士山中腹の少し盛り上がった場所ははっきり見えた。そこから視線を動かして、頭の中でコースレイアウトと重ねてみた。何となくだけど、コースが見えたような気がして、それを遠くからまじまじと眺めると、今回のコースの過酷さが一層浮き立つような気がした。今はこうしてぼんやりと富士山を眺めているだけだけど、明日はあそこを上っていかないといけないわけである。
 
※河口湖からの富士山。右はまあ適当だけど、コースはだいたいこんな感じである。こんもりした山の部分が五合目。

宿に戻り、夕食を摂って、風呂に入ると、早々に就寝モードである。布団を敷いて潜り込むと同室の仲間はみなすぐに寝入ってしまった。時刻は21時である。かなり早い就寝だけど、翌日は3時半起床である。

※夕食はこんな感じ。必ずマグロの刺身が付く山梨。

起床して最後の準備を済ませる。この時点まで実はリュックサックを背負っていくかどうかをかなり悩んでいた。補給食やパンクした際の修理道具、そしてなによりも不安な水を持っていくためには、サイクルジャージのポケットだけでは心許なかったのだ。しかし他の仲間はみなリュックなんか背負わないし、現地でも他のサイクリストは背負わないだろうと想像され、ぼくだけリュックを背負って浮いちゃうのもなんだか嫌だったので、やむを得ず必要なものを最小限にしてジャージのポケットに入れることにした。
懸念される水については、ボトルを2本、自転車のボトルゲージに差すことにした。2本のボトルで約1リットルである。前月の練習では、大きなリュックに2リットルのペットボトルとボトルゲージに1本、合計2.5リットルも背負って上り、結果的にその半分以上の1.5リットルほどを飲んだ。暑くなることを考えると、もっと必要かもしれないけど、コース上にある2か所の給水所で補給してくれれば何とか行けるかもしれない。ゆるゆる上るぼくが給水所に到達した時点で補給できる水が残っていてくれることを願うばかりである。

※すごく晴れてくれた!早朝の宿からの風景。

そんなわけで、かなり不安だったけど、リュックは背負わず、ポケットにはiPhoneと小銭入れ、チューブと工具とウインドブレーカー、そして補給食を突っ込んで準備完了ということにした。ぼくにとっては必要最小限ギリギリの装備である。
実は持参したサングラスを携行するのを忘れちゃったのだけど、まあぼくはさほど眩しさに弱いわけではないし、不慣れなサングラスよりも慣れたメガネの方が安全かもしれないと思い直すことにした。

クルマに乗って会場を目指す。8000人ものサイクリストが集まるイベントなので、駐車場はスタート地点から離れた場所にいくつか点在している。ぼくはスタート地点の北麓公園から3キロほど下った北麓駐車場に停めることになっていた。かなり昔だけど、北麓公園をスタート・フィニッシュにしたウルトラマラソンの応援サイクリングで、6、70キロ走った後に北麓公園までの坂道を上るのが非常に苦痛だったのを覚えていて、当時とあまりパフォーマンスの変わっていないぼくだから、北麓駐車場から北麓公園までの坂道はきっと非常に過酷だろうと心配していた。今回のレースがスタートする前から、スタート地点に行くだけで脚力を使ってしまうことを恐れて、とにかく早くに済ませておきたかった。駐車場にクルマを停めて、自転車を組み立てたら、ぼくだけ早々に会場に向かうことにした。
しかし結果的にはこの坂道はさほどキツくなかった。傾斜もそれほどキツくなかったので、時間的余裕もあってゆったりとした気持ちで坂道を上ることができた。そうか、ウルトラマラソンの時は別のもっとキツめの坂道を上ったっけ。

会場に到着し、所定のスタート地点に自転車を置いて、五合目のフィニッシュ後に受け取る荷物を預けた後は・・・いや、もう何もすることがないのだ。時刻は6時過ぎ。ぼくのスタートは8時過ぎ。2時間もまったくやることがないのだ。これはコースとなるスバルラインの交通規制がかかる前に、預けた荷物を搭載した車両が五合目に行かなければならないことに起因するんだけど、まあしょうがないことなのである。
それでこの空時間にトイレに行こうと思ったのだけど、これがどこも長蛇の列で、全然動かない。トイレの数が圧倒的に少ないのである。この日は晴れていたし、気温も高かったので良かったけど、これで雨が降ったり気温が低かったらこの待機時間は辛いなーと思った。周囲に屋根のある場所は限られているので、大勢のサイクリストが軽装で冷たい雨に打たれるなんて光景は、考えるだに恐ろしいものである。
ちなみにランニングと違って、雨中走行はかなり危険なので、あまり強い雨の場合は中止になることがあるそうな。梅雨の時期とは言え、今まではそれほど悪天候になったことはないと言っていたけどね。
 
※(左)当日の会場の様子。(右)ぼくのスタートグループの後にはこんなにたくさんのサイクリスト。これでも後方である。

ぼくのスタート時間に先立って、選抜クラスがスタートし、続いて女性のグループがスタート。ぼくはそれから1時間くらいかけてゆるゆるとスタート地点に移動した。
8時10分、ぼくのグループがスタート。ついに始まったのである。
スタートから最初の1キロほどはいわゆるパレード走行で、実際に計測を始めるのは交差点を曲がってスバルラインに入ってからである。しかし、ぼくはスタート地点を出た時に腕時計のストップウォッチのボタンを押していた。実際の走行タイムはスバルラインに入ってから計測されるんだけど、それよりも制限時間に間に合うかが気になるぼくは、走行中でも逆算して制限時間までの残り時間が分かるように、スタート時刻を基準にしたわけである。ぼくがどれだけ制限時間を超えるのを恐れていたか分かる。
交差点を曲がると計測機器が敷設してあって、これを超えるとタイムの計測が始まる。

※いよいよスタート!

こうしてぼくのヒルクライムが始まったわけだけど、今こうして書いていても、記憶が断片的である。ところどころの風景は覚えているけど、その前後は繋がらない。五合目までの残り距離の表示が側道に設置してあるんだけど、残り何キロ地点の光景なのかをほとんど覚えていないのだ。とにかくぼくはペダルを回した。坂の緩急によって、ペダルを回す速度は変わったけど、森に囲まれた中、ただひたすらにペダルを回す。後続のサイクリストにたくさん抜かれたけど、別に気にならなかったし、ぼく自身も何人かのサイクリストを抜いて行った。スタート後しばらくは森林地帯で、どういうわけかヒグラシがたくさん鳴いていた。まだ梅雨に入ったばかりのこの時期である。もしかすると夏でも気温が上がらず、雲に包まれることも多い富士山麓ならではのセミの生態かもしれない。
一合目の前の駐車場で休憩。想定通り、前半の勾配がキツいくて早くも腰が痛くなったので、ストレッチなどする。
二合目過ぎの駐車場に給水所があって、ここで水を補給してもらう。とは言え、まだ2、3口しか飲んでおらず、ボトルには3分の2ほどの水が残っていた。ここでサイクリストを応援する企画でチェロの演奏なんかがあって、これが微妙にマイナー調というか、悲しげな感じで、閉口したわ。

※チェロの哀愁漂う調べとドロドロヒルクライムの好対照・・・というか強い場違い感が逆にいい?

何度か休憩を挟みつつ、それでもペダルを回し続け、四合目手前の給水所に到達。ここで景色を見たり、ボトルに補給してもらったりした。先ほど同様、ボトルは大きく減っている感じはなくて、水の消費量が少ないのが意外だった。いちいち立ち止まって水を補給してるような雰囲気じゃないのが影響してるのかな。
ここで時計を見て目を見張った。残り数キロだけど、まだ制限時間には余裕があるのである。つまり、制限時間内にフィニッシュできそうなのである。いや、ほとんど確実だろう。このことがぼくの中のチャンネルをかちんと変えることになったかもしれない。攻めの気持ちが芽生えてきた。
この先は2、3回の急勾配を経て、ほとんどフラットな道に出るのは以前の練習で分かっていた。ここで思いっきり踏み込んでやろうと思った。平坦になった瞬間にギアを切り替えて踏み倒してやる。
ぼくの中にこれだけの速度を出す力がまだ残っていたことに驚いた。この平坦ゾーンで時速25キロほどの速度が出ていたと思う。平坦といっても若干上ってるわけだし、しかも標高2000メートルを超えた高所でこれほどのパフォーマンスが発揮できるとは思わなかった。自分で自分にびっくりした。
このほぼ平坦な道は1キロほど続くのだけど、その反対車線は既にフィニッシュした人たちがスタート地点に下山するために順番を待っている長い列になっていた。その脇をスピードを上げて駆けていく。行列の中からたまに応援してくれる声が聞こえたりして、これがかなり嬉しくてさらに踏み込む足に力が入った。声援が力になるというのは、やはり本当なのだと改めて実感である。しかし、やはり疲労で頭が回っていなかったのだろう、ぼくの中ではこの声援がツールド・フランスの山岳ステージ、山頂フィニッシュを目指して上っていくロードレーサーの光景と被っていたのだ。沿道に詰め寄せたたくさんの観客の声援を受けて、自転車がスピードを上げて駆けていく。汗だくでどろどろになって、何度も頭をカクンとうなだれて、それでも前を向き直して必死にペダルを回す。いや、演技ってわけではないけど、実際これは、うん、自分に酔ってたね。
そして最後の急勾配である。勾配に対応するためにギアを一番軽くするとスピードががくんと落ちる。平坦ゾーン以前の登坂速度に戻る。既にフィニッシュのゲートは見えていたのに、練るようにペダルを回すしかない。あと数百メートルである。
その時である。
さきこの声が聞こえた。ぼくを見つけて応援してくれる声である。これは頑張らないと!
ぼくは腰を上げてペダルに直接体重をかけた。ペダルを強く踏み抜いた。ペダルに込められた力はチェーンを通して後輪のギアに伝わり、ホイールの駆動力になる。強い駆動力を得たタイヤが一瞬キュッと地面を擦れる音がした。そして勢いをつけてぐんぐん加速する。ぼくの最後のアタックである。最後の局面で残ってる力を振り絞った。いや、振り絞ってここまで力が出るとは思ってなかった。どれだけ脚力を残していたんだろうと思うけど、ここで結構な速度でラストスパートをかけることができたのは、自分でも驚いた。平坦ゾーンでも驚いたけど、ここではさらに驚いた。
こうしてフィニッシュ前の最後のデッドヒート(ただし一人だけ)を演出して、ぼくはフィニッシュゲートをくぐったのである。

自転車を止める。息が上がっていた。吸っても吸っても息が足りなかった。でも走り切った。制限時間内にフィニッシュに到達できたのである。いや、これは嬉しいわ。困難と思われたミッションをいい形で終えることができたわけである。
さきことまりこさんがぼくに声をかけてくれた。応援ありがとう!大感謝である。
 
※最後の給水所。

タイムは3時間7分だった。最初のパレード走行が含まれているので、実際のタイムはもう少し短くなるだろう。いずれにしても制限時間内にフィニッシュできたわけである。当初は難しいと思っていただけに、その喜びはとても大きかった。
それにしても最後の数キロの追い上げは自分でも驚いた。これほど脚力が残っていたら、もっとタイムは短縮できたかもしれない。ヒルクライムの時の足の使い方というか、配分がまだよく分かっていないのだろう。それにぼくの場合、ケイデンスがそれほど上がらないこともあって、呼吸とペダルの回転が一致していない。呼吸に合わせて回せないことや筋肉を非効率に使ってることで、疲労してる錯覚を及ぼすのかもしれない。だから身体はまだ大丈夫でも、脳みそが疲労困憊を警告してくるわけである。この辺は来年の課題かもなー。
ぼくよりもはるかに先行していた自転車仲間の面々は、1時間半程度のぼくよりかなり早い時間でフィニッシュしていて、残って応援してくれていた。いやいや、ありがとうございます!
少しさきこたちと話しをして、喜びを噛みしめた。フルマラソンを走り切った時ともちょっと違う達成感。いや、最初にフルマラソンを走った湘南国際マラソンの時のような感動的な達成感に近いかもしれないな。初めて挑戦するヒルクライムで、初めての味わう感覚。まさに新鮮な達成感である。
五合目の天気はとても良くて富士山がよく見えるのもいいね。いやー、気持ちいいわー!

※最後のスパートの図。
 
※五合目到達〜!

さきこたちと分かれて、下山する列に加わった。
上っている時には、下山してくる人たちが気持ち良さそうに思ったものだけど、実際に下ってみるといろいろ気を付けるところもあって、それほど爽快ではなかった。路面の状態に集中しないといけないし、後ろから猛スピードで追い抜いてくる人にも注意が必要である。先月はそれほど思わなかったけど、今回は下りが長く続くことにちょっと飽きてしまったかな。早く下り切ってスタート地点の北鹿公園でうどんなんかを食べたかったのに。
北鹿公園まで降りてきて、自転車仲間と合流した後、それぞれに帰宅。ぼくは帰りもクルマに自転車を積ませていただいて、一緒に帰ってきた。道路が割と空いていて良かったわ。

それにしても、さきことまりこさんには感謝である。交通規制のかかる前に応援用バスで五合目に上ったわけで、つまりかなり早起きをして富士山麓まで来てくれたわけである。最初のフィニッシュがあるまで、五合目でかなり待っただろうし、さらにそれから2時間ほどもぼくを待ってくれていたわけである。でも最後のアタックは、さきこたちの応援のおかげである。

そういうわけで、ここ数か月間のドキドキとワクワクが終わった。
この反動で今はちょっと気の抜けた感じである。次のサイクリングの予定を考えることにしたいけど、まだ余韻に浸っていたくもある。
次は出雲サイクリングである。そしてその次は、いよいよ知床チャレンジである。果たして知床でどんなサイクリングが待っているのか。そう富士ヒルクライムよりも長い間温めていた知床のサイクリングがもうすぐそこに迫っているのである。ぼくの道はまだ繋がっている。
| 自転車日記 | 14:04 | comments(0) | trackbacks(0)
筋肉痛のない月曜日。
富士ヒルクライムを走り切り、持てる走力を全部投入してフィニッシュゲートをくぐったぼくだから、きっとその翌日には猛烈な筋肉痛に襲われるんだろうと思っていた。だからあらかじめ会社に休暇届を出していて、ゆっくり養生するつもりでいた。しかし、結果的に筋肉痛にはならなかった。これを書いているのは、2日後の火曜日だけど、この段階でもなお筋肉痛らしき兆候はない。もしかして、このまま筋肉痛にならないのではないか。そうだとすると、筋力をすべて投入してペダルを回したと思ってたのはぼくの勘違いで、走力は意外と残っていたのかもしれない。ランニングの後半なんかで、息が上がり足が前に出ていかないような疲労困憊状態ではなかったもんな。
走力が残っていたなんて意外である。
それで、筋肉痛にもなっていない月曜日は、休養するというよりも今までできなかった趣味を暴走させる日になった。描きたい絵なぞがあったのである。せっかくのフリーダムだから、これを完成させてしまおう。
1枚を午前中に描き上げ、ランチを食べてまったりした後、オモムロに2枚目を描き始めた。今までは1枚描き上げると、その日は他の絵なぞには気が向かなかったものだから、自分で自分に驚いている。
しかも、もともとあった下絵をボツにして、もう一度最初から描き直したのだ。これを本番用の紙に転写して、絵の具を用意して着彩を始めた。絵なぞを描くテンションにうまい具合にがちっと噛み合ったんだろうね。
そして結局、描き上げてしまった。1日に2枚も描くなんてかなり稀有なコトである。かなり嬉しかった。
先日購入したA3複合機は既に撤去していたので、従前使っていた複合機をもう一度パソコンに接続し直して、スキャナで取り込んだ。
画像処理してネットにアップすると、ほどなく反応があった。なかなかいい反応で嬉しくなったな。うん、絵なぞを描いていて一番嬉しい瞬間かもしれないね。
そんなわけで、苦しい戦いを経て、楽しいご褒美をいただくことができたわけである。また絵なぞが描けたらいいなあ。
 
| 日記 | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0)
新鮮な達成感。
ドキドキワクワクで待っていた富士ヒルクライムに参加してきた。
タイムや速さを競ういわゆる「サイクルレース」に参加するのは初めての経験で、しかも練習では制限時間に大きく届かない結果に終わったため、不安も大きかったんだけど、結果的にはいい形で終わることができた。まあまずは完走できたので良かったかな。
天気は上々で、五合目でも暑いくらいだった。いい方向に天気予報がハズれてくれた。
さきこやまりこさんが応援に来てくれて、そのおかげもあって最後に強くペダルを踏み込むことができ、予想よりもかなり早いタイムでフィニッシュゲートをくぐることができた。大感謝、である。
またパフォーマンスの低いぼくを誘ってくれてクルマに自転車を載せてくれて現地まで一緒に行ってくれた自転車仲間のふるやさんにも大々感謝である。
フィニッシュした後の達成感はまた格別である。これはフルマラソンを完走した時とは違う、初めて得る新鮮な達成感であった。ぼくは少なくとも富士山の五合目まで走る走力があり、しかも大会が規定する制限時間内に走ることができるわけで、なんだかサイクリストの末席にちょこんと座らせてもらったような感じである。とても嬉しい。
これは来年も参加したくなるわ。

さて、そんな富士ヒルクライムにマツワる詳細な話しはまた今度。
次は8月のサイクリングである。特に知床チャレンジに向けて非常にいい経験ができた。8月が楽しみである。
| 自転車日記 | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。
6月に入って一回ブログを更新したきり、全然書けていなかった。まあ些細なデキゴトばかりだったので、それぞれでブログを1本書くほどでもなかったわけだけど、近況ということで短文にまとめて書いてみる。

(1)ヒルクライムイベントのこと
いよいよ今週末である。果たしてぼくは制限時間内に上り切れるのか。
まあ例によって今回も練習不足な状態で本番に臨むわけで、まさにギリギリの勝負である。今回のイベントは、タイムや順位を競うレースだから、先頭の方では熾烈なトップ争いがあるんだろうけど、実は最後尾の方でもぼくを含め熾烈な様相だったりするのである。
とは言え、ぼくは少しだけ楽観視している。先日3時間半もかかったドロドロヒルクライムでは、大量の飲み物を背中に背負い、コースレイアウトも分からない中で脚力を使い切らないように注意して上ったわけだけど、今回は荷物は運営側に預けちゃうし、飲み物の量も何となく分かったし、コースレイアウトもそれなりに把握しているから、思い切って走ることができると思う。それが1キロで1分ほど短縮できればいいわけだからね。うん、大丈夫だ!そうだ、何より思い込みが大事だ!
そんなわけで、あと数日で本番である。ぼくの初めてのサイクルレースはどういう結果になるか。

(2)知床チャレンジのこと
航空券や宿泊先の予約なんかを進めているのだけど、先日唯一残っていた羅臼の宿泊施設の予約を完了した。これで事前に準備すべき対応は完了したことになる。このまま何もしなくても、当日自転車を持って行けば、飛行機にも乗れるし、宿にも泊まれるわけである。
そんな折にちょっと残念なことが分かった。
3日目に回る知床半島で、ランチを摂るために立ち寄ろうと思っていた食堂がちょっと前に閉店していたことが分かったのだ。この店はぼくが知床のサイクリングを検討している中で偶然見つけたもので、知床半島の東側、クルマで行ける最北端の場所にある食堂兼民宿だった。この店の先は未舗装の道が続いているけど、自転車で行けるのはここまでとなっている。未舗装の道の脇には、世界自然遺産の保全に協力を求める看板やクマとの遭遇に注意喚起する看板があったりして、まさにそこがアイヌ語でいう「地の果て」を意味する場所であることを感じさせた。
その店の前には、「らうすラーメン」とか「熊ラーメン」なんて品書きが掲示されていて、「地の果て」で食べるラーメンってどんなものかと非常に興味深かったものである。
閉店した以降、現地がどういう風になっているのか分からないけど、羅臼から一本道をひたすら北上するモチベーションがこのラーメンだっただけに、予定通り半島を北上するか、羅臼に留まりホエールウォッチングでもするかとちょっと考えてしまうのである。
ちなみに、先の食堂兼民宿の周辺には、浜を重機で掘って作った天然露天風呂が夏の間だけオープンするそうで、そこで海を見ながら温泉に浸かるという手もあるけど、ただでさえクマの生息地域に踏み込むのに、わざわざ裸になってお湯で身体を柔らかくするなど、そこまでクマに配慮することもあるまいとも思っている。
まだ少し先の話しだけど、果たして知床チャレンジはどうなるものか。

(3)会社近くの文房具屋
ぼくが勤める会社の近くで、転職してからずっとお世話になっていた文房具屋が唐突に倒産した。いや倒産ってのはいつも唐突なものなんだけど、周囲にはそれなりに大きな会社がある地域で、それなりに文房具の需要も高いはずなんだけど、それでも経営が立ち行かなくなるんだということにかなり驚いた。昨今の効果があるんだかないんだかよく分からない経済政策のせいなのか、アス○ルとかたの○ーるとかのネット通販の影響なのか分からないけど、明治以前からこの地で商売をしていたとも言われるこの店の倒産は、ぼくと同じで驚いた人は多いだろうし、困った人も多いだろう。
いや非常に困るのだ。
文房具屋とはぼくにとっては夢の国である。何も書かれていないまっさらなノートが陳列され、太さも色も書き味もことなる筆記用具がたくさん並んでいる。仕事やお絵描きで役立ちそうな文具をあれこれ物色するのは、ほとんど至福のヒトトキである。以前はこの文房具店の向かいに会社があったこともあって、休憩の際などにぼくをリフレッシュさせてくれる場所でもあったのだ。
しかし、会社の周囲には他に文房具屋がないのだ。グーグルマップなんかで調べても、それなりの文房具屋に行くには、もはや電車に乗って新宿とか銀座に行くしかないようなのである。仕事中に電車に乗って、ボールペンの替え芯を買いに銀座に行くなんてさすがに無理だよな。ちなみに少し歩いて赤坂まで行くと家電量販店があって、その中に文房具コーナーがあるので、当面はそれでしのぐしかないかなーと思っている。
倒産したとは言え、建物も内装もそのまま残ってるんだから、どこかの銀行が企業再生を支援するとか、どこかの大企業が買収して文房具屋を始めるとかできないものなのかな。
ぼくの仕事中のちょっとした楽しみが復活することがあるだろうか。

(4)スキャナのこと。
顛末だけ書くと、あまりにも酷い性能を見せつけたA3複合機は、納品された時の箱に収められ、早々に部屋の片隅に追いやられた。使えない機器、しかも部屋を圧迫する巨大な機器にいつまでも居座られても困るわけだ。早々に中古品の下取りに出して換金してしまおう。ホームユーザーのニーズがあまり高くないこの機械が、どこまで高値で下取りできるか分からないけど、もはや高い授業料を払ったとでも思わないとやってられない。
今回のミスは、先日のブログにも書いたけど、読み取りセンサーの違い、安価で省スペースだけど性能が高くないCIS方式と機械が大きくなる傾向があるけど高性能で高価なCCD方式をぼくが認識していなかったことから発している。もし次に機械を買うようなことがあれば、この点にはぜひ注意しないとなーと思っていたら、先日別の事実が判明した。
ぼくが従前に使っていたA4複合機のスキャナの読み取りセンサーが、CIS方式だったのである。つまり今回購入したA3複合機のスキャナと同じ方式なのである。
CIS方式だから取り込みがうまくいかなかったと思っていたぼくは大いに動揺した。CIS方式でも充分な性能がある機器もあるのだ。そうなるとCCDとかCISとかが問題ではないのかもしれない。ちなみに今回購入した機器を買う直前まで対抗馬として悩んでいたメーカーのスキャナもCIS方式である。もしかしたら、読み取り方式ではない別の問題があるんじゃないだろうか。
ちなみに、これよりも少し前に、今回のスキャナの読み取り不良について、メーカーに問い合わせたところ、こういうクレームが多いからなのか、ほとんど定型の回答例のように「それは読み読み取り方式がCISと呼ばれる方式だからで・・・云々」と、原因を読み取り方式に帰着させるような回答が返ってきた。ぼくもそれを鵜呑みにして「そうか、CISではなくCCDなら大丈夫か」などと納得させていたけど、先に書いたような状況を鑑みると、今回の読み取り不要は読み取り方式によるものではなく、単にメーカーの技術力の差に過ぎないような気がしてくるのだ。
ともかく、今は何も前に進めない状況である。まずはひとつずつ問題を解決していくのが肝要である。ぼくがA3スキャナでストレスなく絵なぞをデジタル化できる日は来るのだろうか。

そんなわけで近況を並べてみた。
関東では先日梅雨に入ったとの発表があった。暑い夏を前にじめじめした季節が到来した。季節は着実に移り変わっていく。ヒルクライムを経験したぼくが、知床の道を走り、会社近くでいい文房具屋を見つけ、自宅では高性能なスキャナで絵なぞが楽しくなる・・・なんて光景がこの先にあるかもしれない。
| 日記 | 13:06 | comments(0) | trackbacks(0)
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