ぼくはランチタイムになると会社近くのコーヒー屋でパソコンをカチャカチャして過ごすのだけど、ある日いつものようにコーヒー屋を訪れると、奥の席はなんだかいつになく騒がしかった。
コーヒー屋でお喋りするのは全然かまわないし、ぼくもそういうことがあるし、いくつかの大学が近くにある場所柄なので、学生がファミレス気分でお喋りしてる光景はそう珍しいものでもなかったから、特に気にしなかったんだけど、何となく雰囲気が異様な感じがして、少しだけ聞き耳を立ててみたのだ。
すると、ぼくの2つ隣の席に座っている男女が何やら話しているらしい。
女性はそうだな40代後半のカタコトな日本語を話す中国人風の人で、ちらっと見た感じでは、胸の開いた赤い服に黒いタイトスカート、ケタの高いヒールと、昼のオフィス街ではあまり見かけない風貌だった。男性は女性よりも高齢、60代ほどのよくいるちょっとエネルギッシュな感じのオジサン、流暢な日本語を話すのでこれは完全に日本人だろう。街の小さな不動産屋さんにいそうな元気なオジサン的な風である。
そんな男女が何を話しているかというと、ぼくが聞こえた範囲で言えば、女性から男性に対して「汚れがよく落ちる洗剤を買ってほしい」的な内容なのだった。
・・・あぁなるほど、アレか。合法的ねずみ講のあの会社か。目の前で薬剤の入った容器を取り出して、時計とか指輪とかストンと入れてかき混ぜて、薬剤の色が変わって「あぁっこんなに汚れが落ちてる!」とかいうアレか。
そこでぼくの妄想が始まる。
この中国人風女性は、きっとどこかのホステスさんかなんかなのだろう。そこの常連客の不動産屋のオジサンが「店が始まる前にちょっと会おうよ〜」などとしつこく言うので、会う代わりに副業で始めたア○○○イの洗剤を買わせようという魂胆か。ぼくもア○○○イの勧誘を受けたことがあるけど、こういうのって自宅かなんかでやるもので、街のコーヒー屋でやるものか?店も迷惑だし、他の客から親切な(?)アドバイスとかあるかもしれないじゃないか。勧誘するにはちょっと不利なロケーションだろう。まあこんな話しに老獪なオジサンは引っかからないだろうなと思って、パソコン作業に気持ちを戻した後、さらにしばらくして今度はオジサンの言葉が耳に入ってきた。
「一度現地に行ってさ、とにかく会って欲しいんだよ。いや、とてもいい人だから。ただ取引のためには準備金が必要なんだよね。ほら、さっき言った金額ね。そうでないと相手が信用してくれないんだよ。でも一緒に行ってくれさえすれば、あとはぼくの横に立っていれば話しは済むからさ。さっきも話したけど、これは大きなビジネスなんだよ。そのためにはたくさんの出資者からおカネを集めないといけないんだよ」
もちろん、ウロ覚えなんだけど、つまりどこかにこの女性を連れて行って、会って欲しい人がいるそうなのだ。しかもそのためには何やら安からざるおカネが必要のようである。
その話しを聞いた女性はかなり消極的な反応だった。たどたどしい日本語で、なんとかこの話しを断ろうとしていた。おそらく、この女性とオジサンはそれほど深い関係はないのだろう。女性に言わせれば、このオジサンでさえ親しいわけではないのに、おカネを渡すことやさらにその人から紹介された人に会うのはなんだか怖いというわけである。うん、その気持ちはよく分かる。この女性とオジサンの関係は、やっぱりホステスと常連客なんだろうな。さらにオジサンが言う。
「いや、信用できないのも分かるけど、俺のコト信頼して欲しいんだよ。なんなら相手先に今電話かけるからさ、ちょっと話してみてよ」
オジサンはやにわにどこかに電話をかけ、「あー、あの時はお世話になりましたー。いやーあっはっはっは」などと話し始め、「今度さ、例の件で紹介したい人がいるんだよ。ちょっと会って欲しいんだよね。うん、今代わるから」と、電話を女性に差し出してきた。
「大丈夫だから、ちょっと話してみてよ」というオジサンから電話を受け取り、女性は「もしもし、今、○○さんと話していたんですけど・・・」などとたどたどしい日本語で話し出した。
もうここまでで、ぼくの妄想は止めることができないほど爆走してしまった。
このオジサンの言ってることは、本当なのだろうか。詐欺のこんな話しは割とよく聞く話しである。いやもう絶対に乗っちゃいけない話しだろう。こんな話しに乗ってくる人なんて、今どきいるのかね。
しかし一般的な人なら騙されない話しでも、日本に来て間もない外国人なら乗ってしまうかもしれない。これは女性が危ないかもしれない。
しかし、ホントにこのオジサンが詐欺を働いているのか分からないのだ。本当にビッグビジネスを抱えていて、そのためにちょっと親しくなったホステスにさえ、出資を求めるようなことがあるのかもしれない。ただ、この不動産屋的なオジサンにそんなビッグビジネスを抱えた雰囲気は微塵も見えないけどね。
さて、ぼくはこういう状況の時、どうするべきなんだろう。
詐欺かもしれないし、違うかもしれない。いや、何かするにしても、この女性に「この男性の言うことを信用しない方がいいですよ」なんて言うのか?いや、その方が怪しいだろ。しかしぼくの目の前で、世間に疎い(当たり前だけど)外国人女性が、騙されようとしている(かもしれない)のだ。
一般的な話し、目の前で犯罪がおこなわれる時、そこに居合わせた人はどうするべきだろうか。いや、殺人みたいに明らかに犯罪行為があるのであれば、それは無関係な人であっても積極的に関わっていかないといけない。しかし、「その疑いがある」というレベルの場合はどうするのか。詐欺がおこなわれているかもしれないとかね。または「あの山田さんをぶっ殺してやる」と殺人予備みたいなことを話し合ってる人たちがいて、「誰だか知らないけど、山田さんが危ない!」と警察に通報したとして、その山田さんって実はゲームの中のキャラクターだったりするかもしれないのだ。疑いのある段階で、市民にはこれを追及する権利はないし、ましてや逮捕する義務もないのである。
ちなみに、オジサンの声は少々大きかったので、店内の隅々まで聞こえていたハズである。店にいる人たちが、この目の前で堂々とおこなわれる詐欺(かもしれない)を固唾を飲んで、いやコーヒーを飲んで見守っていたのだろうか。そしてぼくと同じようなことをグルグル考えていたのかもしれない。
ただ、なんていうか、どっちもどっちなのである。この女性だって、先ほどまでよく落ちる洗剤をオジサンに売りつけようとしていたのである。それが詐欺だとはぼくは言わないけど、胡散臭いと言えばその通りである。そしてオジサンの話しも同様に胡散臭いのである。お互いに胡散臭い話しを投げ合っているという、なんとも奇妙な世界である。
いっそ、オジサンの言う通りビッグビジネスのためにおカネを工面してあげて、オジサンの言う通りどこぞへ言って紹介された人に会えばいいのだ。その代わり、それにかかったのと同じ金額でオジサンに洗剤を買わせればいいのだ。目の前でおこなわれる犯罪劇(かもしれない)は、一挙に相殺され、コーヒー屋に居合わせたぼくや他の客も含め、世界平和はこれで保たれるのである。
そんなことを妄想しつつ、おかげでパソコン作業は一切進まず、ランチタイムを終えてぼくは店を出た。
中国人的女性と不動産屋風オジサンがその後どうなったのかは知る由もない。
目の前に起こる犯罪未満の行為に、さてぼくはどう立ち向かうべきなのか、その時ぼくはどうするのか、考えてしまうランチタイムだった。