「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
リタイア寸前。

先週末は3回目の参加になる丹沢湖ハーフマラソンを走ってきた。
いや大変なハーフマラソンだった。去年はかなり爽快に走れたにもかかわらず今回はこれほど酷いというのは、まあ練習不足もあるんだけど、ぼくもさきこも走っている最中に身体に不具合が出て、ペースを上げるどころか走り続けることさえままならない状況になってしまったことが最大の原因である。まさにリタイア寸前の状況で走り続けたわけである。ぼくもさきこもよくこの状況でよく走り続けられたわ。特にさきこは足や腰の痛みが酷かった。まあいろいろ理由をつけて病院に行かないのがたたったわけだけどね。
タイムは過去のワースト記録を塗り替える2時間29分。このイベントだけはさきこと一緒に走ると決めているので、タイムが悪いと分かっていても最初から最後まで一緒に走ることにした。ぼくと並走していることのおかげもあってか、さきこは最後までリタイアせずに走り切れたそうである。いや、ぼくも同様である。さきこが隣で走ってくれていたので、気持ち的にはかなり助かった。誰かと一緒に走るというのは、何も喋らなくてもただそれだけで心強いものである。

 

ちなみに、天気もあまり良くなかった。走り始めの頃は、雲が少し薄くなって、時折弱い日が差して薄い影を作ることもあったんだけど、後半は雲がどんどん暑くなり、しまいにはポツポツ小雨が降るようになってしまった。ぼくとさきこが一緒にフィニッシュした時には、小雨が本降りになりかけていたような状況で、幸い気温は低くならなかったものの、ランニングにはあまりいい天気ではなかったかな。
先週は都心で雪が降るほどの強い寒気が降りてきて、その影響でこの日もかなり寒くなると予想していたんだけど、その点についてはまったく心配無用だった。夏場と同じTシャツ1枚で走れたからね。でも何かあった場合に備えて、リュックサックを背負い、その中にウインドブレーカーやらレインウェアなんかを詰め込んでいた。根拠もなく「初の雪中ランニングになるかもしれない」なんて恐々としていた。最近の寒い中でのランニングをサボってばかりいたためか、寒くなることに強い恐怖感があるようである。

 

ランニング中の身体の不調のことだけど、さきこは実はスタート直前の練習ランニングで、足の付け根に強い痛みが生じていた。ストレッチも丹念にやったというのに、走り出して数百メートルで歩行もままならないほどの痛みに襲われたのだ。
さすがにこれでは走れないと思った。今回はさきこを置いてぼくだけ走るしかないかと思った。さきこと分かれて、1キロほど練習ランニングして戻ってみると、さきこはゆっくりながらランニングできるまで回復していた。この程度のペースならなんとか走れそうとのことなので、当初の予定どおり一緒に走ることにした。1キロ当たり7分を超えるようなペースである。
それでもかなり辛そうなので、丹沢湖を都合3周するうちの最初の1周を終えたところでリタイアするかと思ったら、なんとか走れそうとのことで2周目に入り、2周を終えてこれで最後かと思ったら残り数キロを頑張ると言い出して3周目に入り、結局そのままフィニッシュしちゃった。ほとんど走行不能と言えるほど不調だったのに、よく頑張ったものである。
途中で足切りの関門が2つあって、走ってる先に関門の文字が見えたところでスタッフから声をかけられ、これは間に合わないかと思われたんだけど、どちらも制限時間まで1分を切ったところでギリギリで通過することができた。今まで関門の制限時間なんて考えたことなかったし、その場所が関門に設定されていることすら知らなかったんだけど、今回はまあそれだけペースがかなり遅いということである。身体の故障により普段のペースが出ないなんて、イベントなどでよく見かける光景だけど、まさか自分たちがそうなるとは思わなかったわ。着ているランニングウェアや身体つきがもう疑いの余地なく「走る人」なのに、最後尾近くをとぼとぼ歩いているランナーがいて、これを見る度に気の毒に思っていたんだけどね。
そんな時、沿道から応援してもらうとスゴく嬉しいものである。今回はペースが遅かったこともあって、既にフィニッシュしたランナーが帰るためにバス停でバスを待っている脇を通ることがあって、そこで非常に熱い声援をいただいた。ホントに力をいただいた。感謝である。「お前らが早く行かないと交通規制が解除されなくて、バスに乗れないんだヨ!」とか思ってる人もいたんだろうけどね。
またぼくの方は、スタートして3キロほどで右のふくらはぎが痛くなる不調に見舞われた。筋肉全体とか筋が痛いとかではなく、ふくらはぎの中央がピンポイントで痛い感じである。これはなんだ?ストレッチ不足か?と一旦立ち止まって伸ばしたりもしたんだけどどうにも解決せず、でも5キロ、10キロと走っているうちに痛みがなくなってきて、そのままフィニッシュすることができた。たぶん、走っている間に他の筋肉の痛みなんかと紛れちゃったんだね。
さきこと一緒にゆっくり走っていると、歩数が増えてその分足にかかる負担が増えるのか、後半はぼくも限界に近くなってしまった。それまで呼吸も疲労もそれほど気にならなかったのに、残り数キロはもはやペースも上げられないほどに疲労してしまった。
紅葉を見ながら楽しくランニングしたかったんだけど、意外にキツいランニングになってしまった。

 

ちなみに、去年参加した時に参加賞としてもらった黄色いシャツがなかなか気に入っていて、今年はどんなシャツがもらえるかとても楽しみにしていたんだけど、今年はキレイなブルーのシャツだった。深い青でも薄い水色でもなく、キレイなスカイブルー。青をあまり好まないぼくだけど、それでも今回のシャツはちょっと嬉しくなった。これは空の色をイメージしてるのかな?それとも丹沢湖のさらに奥地にあるというユーシン渓谷のキレイな川の色、ユーシンブルーをイメージしているのかな?そういえば、ユーシン渓谷はぜひ行ってみたいな。寒い時期は難しいけど、夏になったら行けるかもしれない。そこで目の覚めるようなユーシンブルーに遭えるかもしれないな。

 

そんなわけで、今年最後のランニングイベントは終了である。
次は年明け後の城南島羽田マラソンで10キロである。そして、フロストバイト、青梅、三浦とハーフマラソンが続く。だから今年最後のイベントが終わったからと言って、油断はできないのである。むしろイベントのない12月や年末年始がいい練習の機会である。今回のように最悪の記録を更新しないためにも気を緩めないで練習したいものである・・・などというぼくのこの気持ちはいつまで続くかな。

| Be RUNNER! | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0)
最強の筆記用具とは。

フリクションボールペンは怖い。
これは以前にも書いたことだけど、仕事なんかで頻繁に使っているフリクションボールペンは、非常にリスキーな筆記用具なのである。インクが一定以上の高温にさらされると、無色化してしまうのだ。つまりインクが消えて判読できなくなるのだ。そんなインクの性質を「消せるボールペン」としてメリットに謳って絶大な普及を見せているのだけど、「消せる」と「消えちゃう」は表裏一体である。フリクションインクで書いたものを真夏のクルマに放置したら、そりゃもうキレイさっぱりと消えてしまうだろう。消える温度はたしか60度だったと思うけど、真夏の日向に置いたクルマの室内は、60度どころかさらに殺人的に高い温度になるからである。まあぼくは仕事でクルマは使わないから、そんな危険性は高くないかもしれないし、消えたインクは冷蔵庫に入れて冷やすと復活するなんて説もあって、差し迫った大きなリスクではないんだけどね。それでも、いつかは何か手を打たなければと思っていた。

 

そんな折、万年筆の購入を本気で考えられる状況に至った。この状況のことは別に書くとして、ともかく「この機会に万年筆を買おうか」という話しになったのである。
万年筆で筆記するのは、別に初めてではない。仕事でも郵便の宛名書きなんかで万年筆を使うし、10年くらい前に沼津に単身赴任していた時は、毎週のようにハガキに文章をシタタメていて、その時には万年筆を使っていた。この書き心地の良さや独特な筆致は、非常に魅力的でぼくをトリコにした。文字の中でインクの濃淡が出てくるのも独特である。やはり筆記用具の王者は万年筆だろう。なんせ、「1万年も使える筆」なんだからね。100円かそこらで売っているボールペンや先のフリクションボールペンなんかには敵う相手ではないのである。

 

そんなわけで、万年筆を買う。
どうせ買うのだから、ペン先の性質にはコダワリたい。別に高価じゃなくてもいいし、カッコよくなくてもいいから、自分の書き方にマッチしたペン先の万年筆にしたい。
ネットなんかでいろいろ見てみると、やはりペン先が柔らかい方が筆致に表情が出せるようである。特に漢字を書く時のトメ、ハネ、ハライがいい感じで書けるようである。いや、ぼくの書く字はかなり汚いけどね。でも他の筆記用具で書くのと比較して、万年筆特有の味わいが出るというわけである。
柔らかい万年筆を買う。できれば、海外メーカーではなく、漢字を書くことを想定して作られている日本のメーカーがいいかな。高級な雰囲気はまったくいらないし、それどころか変にカッコつけてるように思われたくないので、逆にチープな雰囲気の方がいいくらいである。本体部分の見栄えはどうでもいいので、ペン先にはコダワリたかった。
そこで、休日を利用して、万年筆を見て回ることにした。
普通の文房具屋の万年筆コーナーは、店員の知識もさほど高いとも思えず、変に高価なものを押し付けられるのも嫌なので、専門店に行くことにした。
まずは南青山にある店である。続いて、文房具の殿堂・銀座伊東屋、そして以前テレビで紹介されていた蔵前にある紙や筆記用具の専門店である。
南青山の店は、なんて言うか、落ち着いた雰囲気が漂っていて、シロウトを寄せ付けないというか、物凄く敷居が高い感じがした。南青山は普通の路地であっても、雰囲気のいいレストランや高級なブティックがあったりするから、余計に敷居の高さを感じちゃうんだよね。店に入るだけなのになんだか気後れしちゃう。いや、店内に入っても、すぐ脇の棚には10万円を軽く超えるような超高級万年筆なんかが陳列してあって、さらに一層気後れしちゃうんだけどね。
とは言え、店員さんに欲しい万年筆のイメージを伝えると、すぐに何本かを用意してくれた。国内メーカーのもので、ペン先の柔らかいものばかりである。
文字を書いてみると、やはりいいわ。楽に書けるし、筆致はやはり独特な雰囲気がある。これでインクの色なんかもコダワったりしたら、書く文字はまさにぼくの分身と言えるだろう。書く文字すべてがぼくを体現するのである。これはいいわ。
何本か試し書きをさせてもらって、店を出た。その後、伊東屋や蔵前の店にも行って、いろいろ試し書きをさせてもらったけど、この南青山の店で店員さんに相談しながら書いた万年筆が一番いいと思った。もういっそ、ここで買ってしまおうかとすら思ったほどである。

 

しかし、今一度考えてみる必要がある。
ぼくは大枚叩いて万年筆を購入して、それをちゃんと使うのだろうか。
宝の持ち腐れにしてしまわないだろうか。なんせ仕事で万年筆を使うヤツなんて見たことがない。仕事というのはあくまで効率重視であり、手間のかかる万年筆でちまちま書くよりも、安物のボールペンでさささっと書き捨てるくらいでないとダメである。万年筆で書くのは、それこそ効率よりも礼が優先される宛名書きの時くらいしかないのではないか。そんなことに万単位のおカネを出せるものだろうか。
いや、普段からいつも万年筆を使うようにすればいいのである。幸いぼくはメモ魔である。30ページほどのノートを1か月で使う程度には、いつもノートに書き付けている。今はそれをフリクションで書いているけど、これがなんだかイケていないのだ。先に書いた消えちゃうリスクもそうだけど、何よりフリクションボールペンってそれなりの筆圧が必要で、それが紙に筆跡のヘコみを作ってしまう。そんな筆圧でガリガリ書くのではなく、もっとさらさらっと書きたいものである。万年筆はこれにピッタリではないか。
いや、でも、考えをまとめたり、メモ程度に使うような書き物にいちいち万年筆を使うなんて、なんていうか痛々しくないだろうか。メモ魔とか言っても、ノートに大したことを書くわけでもないし、しかも字が汚いくせに金メッキに輝くペン先の、しかもコダワり抜いた調色のインキの万年筆を使って書くなんて、「ぼくは文房具にコダワってマス」みたいなアピールをしてるようで、これを見てる人も引いてしまうだろう。それだけは避けなければならない。
そう思うと万年筆の欠点がいろいろ思い起こされる。万年筆自体の耐衝撃性、紙のにじみや裏写りの問題、インクの漏れやインク切れなどである。書き味や筆致やインクの濃淡などが他の筆記用具よりも勝っている反面、欠点も当然あるわけである。

 

では、ボールペンはどうだろう。
多少高価な雰囲気があったとしても、ボールペンならさほど嫌味はない。ちょっと高価そうなボールペンを使っていても痛々しくはない。しかし、その筆致は万年筆ほど独特ではない。書いていて楽しいということもない。書きやすさの点では、フリクションボールペンよりも幾分かマシになるだろうけど、画一的な筆致や黒一色のインクはなんだか楽しい感じではない。やはり書いていて楽しいことも筆記用具の重要な要素である。肩に力を入れてガリガリ書くのは、ぼくにとってはまったく楽しくないことではないのである。

 

そう思うにつけ、どんな場面でも使えるような最強の筆記用具というものはないものである。
いや、ツールとはそもそもその場に応じた最適な選択することが重要であり、特に筆記用具は逆に状況に際して最適なツールを考えること自体が楽しいというツールとしてはちょっと特殊なものなのかもしれない。だから、今のように万年筆やボールペンやフリクションボールペンやサインペンや筆ペンを使い分ける状況こそ、筆記用具というツールを使うということなのかもしれない。そして、そうである以上、無用に高価な筆記用具は、場面によってツールを使い分けるバランスを崩すことになるのかもしれない。まさに今回のように書き味のいい万年筆を導入することは、ぼくの仕事における筆記用具バランスを大きく崩す結果になるというわけである。
しかし、消せるメリットだけが独り歩きした今の現状も最適な状態ではない。消せるメリットばかりに目がくらみ、消えちゃうリスクに目が向かなくなっているのだ。どこかで変革しないとなと思いつつ、うーんうーんと考えるばかりで、いつまでたってもこのリスクから解放されようとしない。そんな状況こそ、ぼくを取り巻く筆記用具の現状なのである。
そして、今こそ変革の一歩を踏み出すべきなのだ。そして、その一歩を踏み出すのは、筆記用具の王者である万年筆しかないのだ。それにぼくには、冒頭に書いたように「これを機に万年筆を買う」という動機がある。つまり、これは記念品になるものなのだ。
今回はぼくに合ったペン先を求めて都内の専門店を行脚してきたけど、もう一度考えを整理して、また万年筆を巡る旅をしないといけないような気がしている。
ぼくの筆記用具を巡る旅は、さてどうなるだろうか。万年筆を購入するか、そしてそれを使いこなせるか。変革に尻込みして、あるいはいつか真夏のクルマに手帳を置きっぱなしにしてしまうか。
ぼくの未来の分かれ道である。

 

ところで、筆記用具のことをいろいろ悩んでいると思い出すのが、あるアメリカンジョークである。
冷戦の時代、宇宙開発競争が米ソで激化している中、相手を一歩でも出し抜くために日夜懸命な技術開発を進める中、NASAは宇宙でも使えるボールペンの開発にも力を入れていた。巨額の費用を投じて、無重力化でも筆記できるボールペンの開発を進めるのだけど、これがなかなかうまくいかない。しかし、ある日、苦心の末についに無重力化で筆記できるボールペンの開発に成功する。歓喜に湧くNASAの職員。小さな一歩だが、宇宙開発でソ連に勝ったという意味で大きな飛躍である!やったー!
一方、ソ連はそんなアメリカの苦闘を尻目に、宇宙ではエンピツを使った。ちゃんちゃん。
ジョークではあるけど、アナクロな技術が時と場合によっては優秀なツールになり得るという教訓を含んでいるようで、仕事で使う筆記用具以外にも、お絵描きの場面でも筆記用具に悩むぼくには、なんだか含蓄のあるお話しなのである。

| 物欲日記 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0)
地震の朝。

ぼくがネコを飼うに至る大きな動機のひとつに、「夜はネコと一緒に寝る」というものがある。20年以上前だけど、当時飼っていたネコたちは、夜はニンゲンと一緒に寝るのが習慣で、とは言え、ぼくは寝相が悪いので、ぼくよりも寝相が良くぼくよりも暖かいお袋さんの布団まで行って眠るのが常で、ぼくの寝床にはたまにしかやってこなかったのだけど、それでもネコと一緒に眠った思い出は忘れがたいもので、それが今の生活に繋がっているのである。
しかし、生後1年にも満たないコウくんとフクくんは、まだ遊びたい盛りで、夜行性の本能が発動する夜こそ、本当の活動時間なわけで、そんな彼らをぼくもさきこも夜な夜な相手にできないので、就寝時はもっぱら寝室から締め出している。いや正確には、リビングに閉じ込めていると言った方がいいか。廊下のドアを閉めておかないと、ぼくたちのいる寝室に何とか入ろうとドアを爪でガリガリやって「入れろー!入れろー!」と要求してくるし、明け方になると「ご飯ー!ご飯ー!」とさらに強力に要求してくるのである。こんな状態では安眠できないので、リビングに閉じ込めて寝室から距離を取っているのである。閉じ込めると言っても、リビングは自宅で一番大きな部屋だし、ネコタワーもあるし、飲み水もあるので、不自由はないハズだけどね。
さて、夜のネコの処遇をつらつらと書いてきてなんだけど、実は最近は寝室への入室を許可している。だんだん寒くなってきたので、夜な夜な活動的になることもなく、ふかふかの布団のうえで大人しく丸くなっているのだ。もっと寒くなれば、もっと暖かさを求めてぼくやさきこの布団の中まで入ってくるかもしれない。それはまさに当初から期待していた「ネコと添い寝できる生活」の実現である。これこそぼくの究極の目標である。早く寒くならないかなー。
一緒に寝ていると、明け方辺りにぼくの眠りが浅くなるのが分かるのか、ほとんど決まった時間帯にご飯要求活動が始まる。ぼくの耳元で鳴いたり、iPhoneやメガネをベッドから落とそうとしたり、ベッドの上に置いてあるランプを倒したりするのだ。「起きないと困らせちゃうぞ」と言ってるかのようである。
だから睡魔とご飯要求活動の狭間で、ネコとの根比べに負けて、ぼくはベッドからもそもそと起き出すのである。

 

そんなわけで、今日もネコのご飯要求活動に負けて、6時前に起き出してきたのである。
いつもなら、ネコのエサを準備してから、テレビをつけて、シャワーを浴びるという順序なんだけど、今日はどういうわけか、まずテレビをつけてからネコのエサの準備を始めた。何かを予感していたのだろうか。
2つの食器にネコのエサを盛り付けて、それぞれ決まった場所に食器を置き、その前で待っていたネコたちがエサに飛びつくのを見た時、それは唐突に始まったのである。
緊急地震速報である。
あの不快感と緊張感を直接鷲掴みされるような強引な音がケタタマしく鳴り響いた。どこから聞こえてるのかと思ったら、ぼくのiPhoneだけではなく先ほどつけたテレビからも聞こえていた。そう言えば寝室のさきこのベッド脇からも、そこに置いたiPhoneがケタタマしい音を出していた。
こうして朝から首都圏を緊迫させたあの地震が始まったのである。

 

とは言え、ぼくの自宅はさほど揺れなかった。室内に干した洗濯物がゆらゆらした程度で、感覚としては震度2程度だと思われた。しかし震源に近い福島県では最大深度5弱。東日本大震災から5年が経ったけど、あの時のことを鮮明に思い出すような振れ幅の大きなゆっくり揺れる地震だった。いや、朝から肝を冷やしたわ。
こんな変な揺れ方をすると、ネコたちが不安になるかもしれない。ネコたちにとってはこれほど大きな地震は初めてだろう。心配してゲージの方を見ると、コウくんもフクくんも地震にはまったく気づかない様子でエサにがっついていた。揺れていることには1ミリも気づいてない感じ。なんだろうなー、鈍感というか、些細なことに動じないネコたちである。
さきこはどうか。緊急地震速報が鳴っていたはずだけど・・・って、こちらもスースー眠っていた。地震の時は割と敏感に気づくさきこだけど、今回は気づかなかったのかな。ちょっと安心したわ。

 

今年は地震が多い。
4月に熊本で大きな地震があり、先月には鳥取で大きな地震があった。毎日のようにどこかしらで小さな揺れが発生しているのである。なんだか大きな地震が起こる予兆のように思われてならない。もし万が一大きな地震が起こった時、ぼくは冷静に行動できるだろうか。その瞬間から始まる不自由な生活に耐えられるような準備をしてきているだろうか。改めてドキドキした。
役立つか分からないけど、ぼくが会社に行く時に持っていくバッグには、大きめの風呂敷や万能ツールや電池式の携帯電話充電器なんかが入っている。これでも事に及んでは万全ではないかもしれないけど、気休めにはなるかな。
ちなみに、昨日は会社の仕事で事業継続計画、いわゆるBCPに関する訓練を担当していて、専門の業者と一緒に机上ではあるものの、震災を想定したロールプレイ訓練をしたのである。その時に業者が持ってきた緊急地震速報の音源は、なかなか緊迫感があったけど、まさかこれをもう一度聞くことになるとはね。

 

それにしても、近頃はなんだか不穏な感じである。
気を付けないといけない。そして、できるだけネコたちを守ってやらなきゃいけない。特にぼくが自宅にいる時は、ネコたちの不安を少しでも和らげられるようにしてあげなければ。そう思うと、やはり今日も明日も夜はネコと一緒に寝てあげないといけないかな。

| 日記 | 14:06 | comments(0) | trackbacks(0)
海沿いランニング。

先週はここ最近毎年参加している横須賀のランニングイベントに参加して、10キロを走ってきた。幸い天候にも恵まれて、まあ日差しが強過ぎて走るにはちょっと暑過ぎたかもしれないけど、気持ちよく走ることができた。タイムの方は練習不足がかなり影響して、59分45秒。もうギリギリで1時間を切ったところである。この記事を書くのに、去年のブログを確認したら、去年は56分ほどで走っていたみたい。去年は金沢マラソンのために少々練習を重ねていたからなんだけど、それでもこの差はなんだかね。もっとちゃんと練習しないとね。
ちなみにさきこは、直前のランニング練習による筋肉痛なんかもあって、ぼくから3分ほど遅れてフィニッシュになった。
それにしても、今回も練習不足なんて言ってるけど、毎回そんな言い訳をしていると、どんどんタイムが後退していってしまうなぁ。10キロランニングだって、以前は1時間を切るところか、55分を切るかどうかで戦っていたし、ハーフマラソンでは2時間を切るかどうかで戦ってる時だってあった。練習不足を重ねていく間に、どんどんタイムが悪化していくのは嫌だな。
ハーフマラソンと言えば、来週は丹沢湖でハーフマラソンを走ってくる。これもここ最近は恒例になった1年最後のランニングイベントである。さて、どんな走りができるかな。今週の仕事終わりにどこかで練習できればいいけどね。
だんだん寒くなって練習しにくくなるけど、気持ちを奮って、外に出てみるのである。走り出せば案外楽しいものである。

| Be RUNNER! | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0)
カルチャー・シフト

先日ネットで少し話題になっていたけど、某IT企業の社長が某アニメ監督に辛辣な物言いを受けるというテレビ番組の映像を観た。これはN○Kで放送していたドキュメント番組で、IT企業が最新のAI技術を駆使して作成した動画をアニメ監督に披露したところ、思わぬ批判をいただいちゃったという顛末の映像である。きっと自信満々で作ったであろう映像がけちょんけちょんに言われるのは、なんだか衝撃的だった。N○Kもよくそんな映像を放送したものである。ぼくがこの話しをさきこにした後に、さきこはその再放送を観たそうで、N○Kはよくそんな番組を2回も放送したものだと、逆に感心してしまったわ。
しかし、アニメ監督に披露された映像を実際に見るにつけ、たしかに辛辣な批判をされちゃうのも頷ける。なんていうか、物凄い違和感があり、さらに嫌悪感も加わるような異様な映像だった。気持ち悪い映像だったわ。これはその表現力で世界的にも評価の高いアニメ監督に見せたら、いろいろキツいことを言われちゃうのは、そりゃまあしょうがないかな。

 

さて、それはともかく、この一連の映像を観て、ぼくは別のことに考えていた。
それは、新興勢力と伝統的勢力の関係というか、要するに新しいものと古いものの対立である。
今回の話しで言えば、IT企業が新興勢力、アニメ監督が伝統的勢力と位置付けられる。新興勢力であるIT企業が提示した新しい価値としての映像、これを伝統的勢力であるアニメ監督の価値観では違和感しか感じられないという関係である。そして、ここで伝統的勢力と位置付けられたアニメ監督だって、実は数十年前までは既存の価値に挑戦する新興勢力だったのである。当時のアニメや映像表現に新しい価値を吹き込み、大衆に受け入れられて、世界的評価を得る今の地位についたのである。それが昨今の新しいムーブメントの中で、いつしか新興勢力の立場から伝統的勢力の立場に相対的にシフトしただけなのである。文化の歴史とはそういうものだともし仮定するなら、アニメ監督がシフトしたのと同じように、いつしかIT企業が作った映像だって大衆に受け入れられるのかもしれない。あの気味悪い映像が、価値のある表現方法と評価されるのである。そして、さらに時代が進み、さらに別の表現方法が提示されていく・・・。こうして考えるにつけ、文化の歴史とはそういう価値評価の相対的シフトの歴史だったように思うのである。

 

その例として、ぼくがいつも思い出すのは、レコードとCDの関係である。
CDが登場により、デジタル信号にして電子媒体に書き込まれるという音楽は、文化として音楽をどう聴くかに問題を提起した。
旧来のレコード派は、「音楽をデジタル化して、可聴領域だけ記録したCDなんて、音楽を聴いていることにならない。レコードのように、人間に聞こえない音も含めて初めて音楽の臨場感が再現されるのだ」なんて言う。
しかし、そのレコードだって、昔はこんな風に言われていたハズである。
「音楽を自宅で聴くなんてナンセンスだ。音楽とは音楽ホールで聴く生の演奏を差すのであって、黒くて丸い板に何を刻んだところで、生演奏にこそ音楽の臨場感が宿るのである」
つまりレコードも新興勢力だったわけである。
また同様に最近の音楽のネット配信なんかも、CDなどの媒体を伝統的勢力にシフトさせる結果になっている。まあネット配信といっても、音楽のデジタル化には変わりはなく、ただ圧縮方法の進化でしかないから、再生された時の再現性や臨場感はCDと大きく変わってないとは思うけどね。いや、回線を通じて流れてくるデジタル情報はトラフィックの関係で、パケットロスや信号の遅延なんかもあるだろうから、やはりCDよりも劣化していると言えるのかな?とは言え、最近は昔のように再現性だの臨場感だの言わなくなったけどね。
このレコードやCDを巡る技術進化の過程が、音楽という文化の価値の変遷に重なるように思うのである。

これと同じことは、他にもある。
歌舞伎が伝統芸能みたいな扱いを受けるのも、文化的価値のシフトの結果だろう。ぼくは日本の伝統芸能には詳しくないけど、それでも歌舞伎のような大衆芸能に先立つトラディショナルな舞踊はあったハズである。それをより分かりやすく変化させて誕生したのが歌舞伎なんだと思うと、日本を代表する伝統芸能みたいな顔をしている彼らだって昔は辛辣な批判を受けた立場、伝統舞踊を破壊する新興勢力だと言われていたのにねって思ったりする。
そして、伝統的勢力にシフトしたところで、文化の成長はストップするのだ。文化を破壊する勢いで誕生し、大衆に受け入れられた文化も、今度はその様式を伝統として守る側にシフトし、そのために文化的成長が止まる固定化が起こるのだろう。まさに流転する栄枯盛衰を生で見られる現場が、文化の変遷だと言える。

 

・・・なんて思ったところで、さて、あのIT企業が作った映像を思い出してみた。いや、あれが価値として認められる日なんて来るのかな?遠い将来、ぼくなんかとっくにこの世にいなくなった世界では、そういうこともあるのかもしれないね。そんな世の中では、今度はまたどんな新興勢力が現われるのだろう。願わくば、もっと人間的に豊かになるような文化が現われるといいなーと願うのである。そう、文化には伝統による固定化を打ち破り、時として価値を大きく発展させる力もあるのだ。中世のルネサンスとか、ね。
そんな文化のムーブメントにもちょっと期待なのだ。斬新さや価値の破壊だけが文化ではないのだ。

| 日記 | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0)
出張サイクリングへの思い。

ある日のコトである。会社で仕事をするぼくに、大阪支店から電話がかかってきた。
どうも大阪支店の方で、ある課題があって、これを何とか解決したいので力を貸してほしいという話しである。まあよくある話しである。いろいろ話しを聞いて、うん、たしかに一筋縄ではいかないと感じたぼくは、電話の相手にこんなことを言ってみた。
「なんなら、ぼくがそっちに行きましょうか?」
ぼくが大阪まで行って対応すれば、何とかなるかもしれない。電話やメールで話し合ったり、協力会社に対応をお願いしたりするよりも、ぼくが直接対応する方が効率的に解決できることもあるわけである。まあこれもよくある話しである。
そんなような話しを大阪支店の人と続けている中、この時ぼくの頭では全然別のことを考えていた。電話口では、いろいろ会話をしているのだけど、脳みその大部分は、もはや別のことを考えていたのである。
「大阪に行ったら、どこにサイクリングに行こうか」

 

ぼくが自転車に憑りつかれて以来、こんな展開はよくあるコトになってしまった。去年は福岡支店に行き、翌日にお休みをいただいて、一日中サイクリングを楽しんだこともある。太宰府に行って、金印公園を回って、船に乗って博多湾を横断して、福岡城址を巡ってきたのである。またそれ以前にも島根の事業所に出張に行く際には、自転車を持って行って、サイクリングを楽しんだものである。
だから、今回も大阪出張の折には、自転車を持って行って、どこかにサイクリングに行こうと思ったのである。いや、もはや「思った」とかそういう能動的な思考ではない。大阪に行くことになりそうだと思った瞬間に、大阪を中心とした関西圏の地図が、無意識のうちに頭の中に広がり、それと同時に素早くマウスを繰ってグー○ルマ○プにアクセスし、ぼくのココロは完全に大阪にトリップしてしまったのである。これが無意識下で一瞬のうちに起こったのだ。自分でもオソロしいわ。何がぼくをそれほどまでにサイクリングに駆り立てるのだろう。

 

さて、大阪でサイクリングするとして、どこに行こうか。
そういえば、大阪をサイクリングしたことはなかったな。京都チャレンジで三重の四日市で近畿地方に入り、そこから琵琶湖をかすめて京都まで来たことはあるけど、その先は一切走ったことがなかった。
北に行くのはどうだろう。万博記念公園で太陽の塔を見ることもできるし、国道1号線を北東に進めば京都である。大阪・京都間のサイクリングは、なんだかやり残した感じがしていたので、この機に走ってみるのもいいかもしれない。
西はどうか。神戸がある。横浜と並び立つ港町・神戸である。ここをサイクリングすると、いろいろ発見がありそうで面白いかもしれない。神戸の先には姫路がある。姫路城は一度見ておきたいと思っていた。
南はどうか。うーん、南はちょっと分からない。この機に行ってみるのも面白いかもしれない。
東はどうか。東は奈良方面である。大阪から奈良にサイクリングするのなら・・・と思ったところで、強烈なヒラメキがあった。全身に電撃が走ったようなヒラメキである。
そうだ、国道308号線、暗峠がある。
あまりの激坂ゆえに何人ものヒルクライマーたちを返り討ちにしてきた坂。あまりの急斜と道の狭さから「国道」ならぬ「酷道」と揶揄される道である。最大斜度は31%は、サイクルレースで有名な「ユイの壁」の26%よりもさらにさらに急である。これが私道じゃなくて、公道、それも国道だなんて、ホント恐ろしいかぎりである。
この機会に暗峠にチャレンジするのはどうだろう。・・・いや、無理だ。ぼくがこの体重と脚力で立ち向かっても、最初の1キロすら走れないかもしれない。富士ヒルクライムでヒーヒー言ってるようじゃ話しにならないだろう。しかし、どう話しにならないのか、どう無理なのか、一度は見てみたいと思う。ダメでもいいし、自転車を押して歩いてもいい。暗峠というものが、最凶最悪の激坂というものがどんなものだか見てみたいと思った。
大阪から奈良ならそれほど長距離じゃないしね。中学校の修学旅行以来なので、いろいろな寺社も巡って来られそうである。
うん、これは楽しみだ。
せっかくここまで気持ちが高まったんだから、ぜひ大阪出張には行きたいな。出張による費用対効果も大事だけど、ココロの底では、なんとか出張にコジつけたい気持ちがムクムクと大きくなってきていた。

 

それから数日。
今日もネットで地図を見ながら、大阪のサイクリングコースを検討である。
そこへ電話が鳴る。大阪支店の人である。そうそう、仕事で行くんだから、サイクリングのことだけじゃなく、仕事の話しもしないとな、うん。例の解決すべき課題はその後どんな感じだろう。
「ああ、あれね、こっちで何とかなりそうだわ。別にこっちまで来てもらわなくても大丈夫だから」
なっ・・・!

 

目の前がいきなり色彩感を失ったかのような衝撃。目の前のモニターに映し出された地図が、唐突に色褪せてモノクロになってしまったかのような感覚である。頭の中でコツコツ積み上げていたものが、ガラガラと崩壊していく感じである。
ぼくの大阪出張はなくなった。
暗峠への初チャレンジも、京都への道のりも、神戸や姫路城への思いも、すべてが霧散してしまった。まさに「風の前のチリと同じ」である。
いや、それでいいのだ。ぼくが出張するという大きなコストをかけずに課題が解決したのだ。いいことじゃないか。そういえば、大阪出張するにしても、有給休暇を取れるほど、仕事に余裕があるわけじゃなかったわ。
ぼくの出張サイクリングの夢は、儚くも散ってしまったけど、まだこれからもいろいろ出張の機会があるだろう。その時はぜひ、大阪に行って、あのシビれる坂道へ挑戦してみたいものである。

| 日記 | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0)
文房具屋、復活哀歌。

11月と言えば、仕事をするうえで定例になっていることがある。
それはシステム手帳の中のカレンダーリフィルを来年版に差し替えることである。予定を書き込むカレンダーを来年版に差し替えて、今年版を綴じ紐でまとめて引き出しの奥にしまっておく。数年来の定例行事である。
しかし、実はこの作業は、例年よりも若干遅れていた。
いや若干、だいたい2週間程度のことなんだけど、その理由は今年起こった大きなデキゴトが関係している点で、特筆すべきことだろう。手帳のリフィルの交換を若干でも遅らせた大きなデキゴト、それは、会社近くの文房具屋が閉店したことである。
ぼくの勤める会社の近くには、老舗の文房具屋があって、ぼくだけでなく、近隣で働くビジネスマンの文房具調達先だった。しかし、通販による文房具調達ルートが近年拡大していく中、店舗型の文房具販売は立ち行かなくなったのだろう。今年の6月に惜しまれつつ、閉店したのである。閉店感謝セールの時は、長蛇の列だったなぁ。
ぼくは週に1回はこの文房具屋に行っていたので、新年に向けたカレンダーや手帳が並び始める時期に、これを逸しないタイミングで新しいリフィルを手に入れることができたのである。今回こうして若干でもリフィルの用意が遅れたのは、まさに週1回の文房具屋巡りがなくなったからに他ならないのだ。実は今回たまたま銀座の東急ハンズに行ったので、ふと思い出してリフィルを調達することができたけど、これがなかったら、ずっと気づかずに年の瀬を迎えていたかもしれないな。
そんなわけで、文房具の通販が盛隆を極める中、やはり文房具屋は街中にあって欲しいものだと思うわけである。

 

そんなある日、かつて文房具屋があったビルに変化があった。
内装工事をする業者のバンが停車して、作業着を着た数人が頻繁に出入りし、しかも陳列棚みたいなものも運び込んでいたのである。これは明らかに何らかの店舗が開店するための準備だった。
ぼくが注目したのは、この作業がおこなわれているところで、倒産した文房具屋の店名看板がなお掲げられているという点である。つまり、文房具屋の看板が残った状態で、何らかの店舗の開店準備が進められているわけである。看板を下ろさないのはなぜだろう。
これはもしかしたら、文房具屋が復活するのかもしれない。
多くの企業が並び立つエリアである。店舗型の文房具屋のニーズだって低くないハズである。そんな状況で、事業を再開する資金的な方策が見つかったのかもしれない。倒産した店がどういう法的手続きで復活するのかは知らないけど、あるいは別の事業体が屋号だけ引き継いで文房具屋を始めるのかもしれない。あるいは従来よりも規模を縮小した形で営業をするつもりなのかもしれない。気持ちの問題だけど、やはり店名の看板はそうそう簡単には下せないだろう。なんせ、この屋号は明治時代よりも前から続いているのだ。この街が江戸城下の武家や商人の街だった時代からこの場所でこの屋号なのだ。これを残そうという人だっているかもしれない。
真相は一体何だろう。もはや衝動を抑えることはできなかった。いったいこの場に何ができるのか?直接聞いてみることにした。
内装工事中の店の前まで行って、行き来する作業員を呼び止めて聞いてみた。
「何の作業をしているんですか?」
すると、作業員はあっけらかんと答えた。
「ここに店舗ができるんですよ」
ああ、やはり、これは店舗を作るための作業だったか。どんな店ができるんだろうな。覗き見たところ、店内は白色の床に白色の壁で、清潔感のあるシツラエになっている。
「どんな店ができるんですか?」
ドキドキしながら聞いたぼくに、作業員はやはりあっけらかんとした調子でこう答えたのである。
「セブ○イレ○ンですよ」
なっ・・・!

 

コンビニかよ?!いや、いらないだろ、コンビニ。隣のビルにファミマがあるじゃないか。いや、セブンイレブンだって、2つ隣のブロックにもあるし、信号渡った先にもあるし、さらにちょっと歩いた先にもあるじゃないか。明らかにセブンイレブンが集中してるだろ。いろいろ事情がありそうなのは察しが付くけど、なんだよ、文房具屋じゃないのか。せっかく気分が盛り上がりつつあったのに!・・・と作業員にまくし立てたい気持ちを抑えて、ぐっと押し込めた。いや、残念な話しである。
ここにコンビニができるとなれば、文房具を求めてまたぼくは遠くの店に買いに行かなきゃいけないのか。11月の定例行事でもある新年のリフィルも銀座まで買いに行かなきゃいかんのか。
そう思うと、ビュッと吹いたつむじ風が妙に冷たく感じるのであった。文房具にとっても寒い時代だなあ・・・。

| 日記 | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0)
地獄のDIY。

先週はぼくが勤める会社で倉庫整理なぞをやろうということになって、休日だけど出勤してきた。実際これがかなりの重労働で、数名が集まって集中的にやったんだけど、それでもかなり疲れちゃった。まあ倉庫の保管物の断捨離は、年に1回くらいはやらないといけないのに、大規模に整理したのは3年振りくらいだから、大変なのはしょうがないんだけどね。でも思い切って断捨離したので、なんだかスッキリしたかな。

 

倉庫がスッキリして、ちょっといい気分で帰宅すると、さきこが自室に棚を設置する作業をしていて、巨大な棚が室内に聳えていた。某無○○品で○万円もかけて購入したものだそうで、さきこの部屋を整理するための最終兵器である。巨大かつ重量級の棚である。
ぼくが帰宅した時には、さきこはこの棚の組み立てを終えたところだった。ぼくが会社にいる間に巨大かつ重量級の棚をひとりで組み立てたそうである。いやー、スゴいわ。
しかし、実は致命的な問題があって、一人で作業するのを断念して、ぼくの帰りを待っていたのだ。
それは、この棚が巨大かつ重量級であるがゆえの問題である。どうも設計図どおりに組み立てていくと、最後の工程として棚を90度回転させるという作業が発生するそうで(つまり床に接する面を側面にした横倒し状態で組み立てていたわけである)、しかしあまりにも大きく重いために、さすがに一人で作業するのは危険だと思ったらしい。
たしかにかなりの重量なので、これを縦方向に90度回転させるのは、相当危険である。いや、それ以前に、あまりにも巨大がゆえに、6畳の和室で回転させるには部屋が狭すぎるのである。回転させようとしても天井につかえてしまうのは明らかだった。
では、少し横倒ししてから回転させるのはどうだろう。斜め45度に倒してから、その状態のまま90度回転させるのである。いや、無理だろう。そもそもこの重量級の棚を斜め45度に傾けた状態で何かしようというのが無理である。実際やってみたけど、男のぼくがそれなりに力を出さないと支えられないのだ。パートナーがさきこだけでは、パワー不足である。ぼくとさきこの2人では無理である。最低でも3人、いや4人は必要か。
お袋さんに助力を要請するか?いや、老齢の女性にこれをお願いするのは、別の意味で危険である。何があるか分からないのに、お袋さんを動員するのは無謀だろう。今から来てくれそうな友人もいないしなぁ。他に誰か・・・、ふと目を落とすと、ネコが2匹、ぼくたちの作業を不思議そうに見ていた。先ほどから部屋を出入りしては、棚の近くを徘徊したり、作業を眺めたりしていた。
「人間たちはさっきから何をやってるんだろう、そんなことよりそろそろご飯くれ」
いやご飯じゃねーよ、手伝えよ!つぶらな瞳で見上げてんじゃないよ!と思ったけど、彼らにこの重量物を支える力はないだろ。助力を求めたところで、棚の上に乗っかったりして遊ぶだけである。
ネコの手も借りられないこの状況。結局、棚を一部バラすることにして、回転できる程度にコンパクトにすることにした。さきこがせっかく作ったものだけど、しょうがないのである。一部をバラして小さくなった棚は意外なほどあっさりと回転してくれた。これに再び部品を取り付けて、完成である。いや、なんとかなって良かったわ。

 

それにしても、組み立てマニュアルも不親切なものである。ユーザーに組み立てさせておいて、その巨大さや重量には何の注意喚起もないのである。
「このタイプの棚を組み立てるには、少なくとも天井高は○メートル必要です」とか「ここまで組み立てたら、一旦90度回転させてから、続きの組み立てをします」とか書いておけばいいのにと思う。あの巨大かつ重量級の状態で、さきこが一念発起して思い切って一人で回転させたりしていたら、その重量を支えられず、棚は間違いなく倒れていただろうし、さきこはその下敷きになっていただろうし、さきこの部屋はいろいろ壊れただろう。倒れた棚の隙間にネコが顔をつっこんで「ご飯マダー?」とか鳴いていたと思う。これはマニュアル不備だと思うね。今思い出してもちょっとドキドキしてきたわ。

 

そんなわけで、無事さきこの部屋に棚が設置されて、今まで以上に収納力が向上した。これがさきこの部屋をより快適にしていくのである。
そして、さきこの部屋に棚が入ったことで、ぼくの自室の改造計画も次のフェースに移っていく。次は出窓部分に棚を設置したいと思っている。今は書籍なんかが無造作に積み上げられているのだけど、先日ネコがその上に乗ってしまい、積み上げられた書籍がすべて雪崩のように倒壊してしまった。ここに棚を作るのは、収納力アップだけじゃなく、ネコ対策としても必要なのである。
さて、どんな棚を作ろうかなー。楽しみが増えてちょっと嬉しかったりする。

| 日記 | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0)
ある休日のデキゴト。

クルマでドライブなんて、以前は結構行っていたけど、最近はなかなか行けていない。近場をちょろっとドライブすることはあっても、前日から計画を立てて、朝早くに起きて出かけるってことがホントになくなった。まあクルマを所有しなくなって、カーシェアに切り替えたことも影響して、1日中ドライブするなんてなんだかおカネがもったいないなんて思うようになったんだよね。しかも今では自転車もあるしね。
そんな折、さきことクルマで出かける機会を得た。
朝からクルマに乗って、鎌倉に出て、ここから海沿いを走って、西湘バイパスから小田原に至り、そこから以前熱海サイクリングで走った道を通って、根府川、真鶴に行った。さきこは初めての真鶴半島である。自転車で来た時もぜひ真鶴半島の景色をさきこに見せたいと思っていたので、念願が叶って良かったわ。漁港で新鮮な海の幸を食べようと思って、気になる料理屋に入ったらこれが意外に高かったなんてね。先日自転車で来た時には1500円で海鮮丼が食べられたのに。

ホントは熱海までサイクリングコースの下見をしたかったんだけど、ここから箱根スカイラインや三島に最近できた日本一長い吊り橋・スカイウォークにも行ってみたくて、湯河原から箱根を目指すことにした。ここから箱根に至る道もいつか自転車で上ってみたい道なんだけど、意外に悪路で道幅が狭くて危険そうだった。実際自転車で上ってる人もいなかったので、ここは避けた方がいいのかもね。山頂付近の景色がスゴくいいんだけどね。


大観山のレストハウスは風が強かったけど、景色が良くて気持ち良かった。ここから小田原に続くターンパイクが通ってるんだけど、毎年5月だったか、このターンパイクでヒルクライムのサイクルイベントがあるそうな。普段は自転車の通行禁止な道なので一切練習はできないけど、いつか挑戦してみたいイベントの一つである。それにしても、このイベントのフィニッシュ地点が芦ノ湖よりも300メートルも標高が高いこの大観山のレストハウス辺り、つまり1000メートルほどの地点だというのに驚いた。ほぼ標高0メートルから上るわけだよね。しかも国道1号線の最高地点よりも200メートルくらい高い。いや、スゴいイベントだわ。
クルマで一度芦ノ湖に出てから、国道1号線を三島方面に向かうと、日本一という吊り橋が見えてきた。

 

この吊り橋って、別に生活の用に供してるとかではなく、ただ観光のために作られたものなんだね。つまり、吊り橋のテーマパークみたいなものなんだね。だから、吊り橋を渡った先には特に何があるわけでもなく、どこかに続いているわけでもなく、ただ折り返して帰ってくるだけなのだ。観光客は70メートルほどもある高さに恐々としながら富士山を目の前にした大パノラマを堪能し、渡り切った後に再び吊り橋を渡って戻ってくるのである。手段が目的にすり替わっている感じで、違和感を禁じ得ない。橋ってどこかに向かうために架けられるものなのに、どこにも繋がっていないばかりか、そんな橋からの大パノラマのために広大な森の樹木を大量に伐採したのだろうか。観光のためにそこまでするかなーと思うのである。
※いやね、これは単にぼくが誤解をしていて、戦後植え過ぎた杉の木に代えて、本来あるべき植生に戻すために、一旦杉の木を伐採して、別の樹木の苗木を植えていて、これが成長するまでの間、維持費やらを稼ぐ必要があるから、観光客の目を引く吊り橋を作りました・・・などというストーリーならゴメンなさい、だけどね。

 

静岡の遠くの山に夕陽が沈み、富士山のシルエットが空の色に溶け込む頃、ぼくは箱根を後にして帰路に就いた。せっかくなので、箱根の国道1号線を通って帰ろうと思ったら、案の定強羅辺りで長い渋滞に巻き込まれ、全然進まなくなっちゃった。一体いつになったら湯本に着くのかと思っていたら、途中から新しい道ができていて、これが西湘バイパスに直通していて、スムーズに海沿いを走って帰ることができた。こんな新しい道を作るのに、一体どこからおカネが出てるのか知らないけど、いつの間にかいろいろ道ができるものだなーと思う。

 

この日のカーシェアの利用時間は、13時間ほどである。ほぼ日中はずっと乗っていたというわけである。いや、こんな風にドライブで1日を過ごしたのは、ホント久し振りだなー。
なかなか楽しいヒトトキだった。また遊びに行きたいなー。

※真鶴半島の海岸で見かけたトンビ。iPhoneに単眼鏡をくっつけて即席の望遠レンズを作ってみた。結構成功した。

 

※スカイウォークではしゃぐ二人。

| 日記 | 14:26 | comments(0) | trackbacks(0)
吹奏楽を聴きながら。

昨日11月3日の祝日は、去年に続き某NHK−FMにて「今日は一日○○三昧」と銘打った企画で、ずっと吹奏楽の楽曲を流していて、ぼくはどこにも出かけずにずっとラジオ(実際はインターネットラジオなのでパソコンだけど)の前で吹奏楽を聴いていた。ラジオから流れる吹奏楽は、ぼくの大好きな楽曲や演奏したことのある楽曲なども多くて、とても懐かしい気持ちになった。この特集企画はいいなぁ。
吹奏楽を聴いて気分が良くなったので、絵なぞもいい感じで筆が進み、出来、不出来は置いておいて、いい気分で描き上げることができた。
でも、ラジオで流れる楽曲がたまに、こうなんていうか、短調で不協和音がある現代的というか前衛的な楽曲もあったりして、いや音楽自体は素晴らしいのかもしれないけど、絵なぞを描きながら聴く音楽としてはちょっと遠慮したいかなーなんて思ったりもした。少なくともぼくには絵なぞを描くのに適した楽曲じゃないんだな。
それでもリスナーのツイッターなんかを見ていると、「高校の時演奏したのを思い出した」とか「コンクールのあの暑い夏を思い出す」みたいなコメントが多かった。うーん、なんだろうな、若かりし思い出の美しさと楽曲自体の短調で不協和音で現代的で前衛的な印象に、なんだか大きなギャップを感じてしまった。そういう楽曲でも、美しい思い出の1ページになるものなんだな。いや、ぼくには経験がないことだけどね。
そう思うにつけ、ぼくにもし子供がいたら・・・と想像してしまった。たとえば、春に高校入学した娘が、たまたま吹奏楽部に入部して、未経験ながらも頑張って練習して夏のコンクールに出場できることになった。コンクール本番の数週間前の父兄向けのお披露目演奏を聴きに来たぼくは、娘が頑張って演奏する姿を目にするんだけど、その時の楽曲というのが、短調で不協和音で現代的で前衛的な楽曲なのだ。娘が生き生きと頑張ってる姿を見て感動して涙が出るなんてことはなく、その楽曲が持つダークな印象が奇妙な印象を醸し出すのだ。
いや、若いんだからもっと楽しい音楽を演奏すりゃいいのに、抜けるような青空と眩しい日差しが差す初夏の陽気の下で、そんな鬱々とした音楽を演奏せんでもいいのになーと思うんだろうな。そう思うと、ぼくの経験した暑い夏のコンクールはそれなりにポジティブな音楽で良かったなーと思う。いや、短調も不協和音も現代的も前衛的もあったけど、さすがに全部入りの楽曲はなかったからな。
ちなみに、番組の最後を飾る楽曲は、中高生から熱烈なリクエストがあった某氏作曲「たな○た」だった。ぼくもさきこも演奏したことがあるけど、さきこはこの楽曲が某氏が高校生時代に自分の所属する吹奏楽部のメンバーを思い描きながら作曲された逸話を聞いて、その独りよがり的な志向を毛嫌いしてるようだけど、いや、ぼくはそれだってある意味で美しい思い出だよなーと思うんだけど、それはともかくポジティブで夢のある楽曲が最後に聴けて良かったなーと思った。

番組が終わると絵なぞもいよいよ仕上げ段階である。細かい部分に筆を振るっていると、つけっぱなしのラジオは次の番組が始まっていた。
それは故手塚治虫氏の生誕を記念した、ご自身の肉声音声を交えた特集番組であった。どうもNHK内に眠る膨大な音声テープの中から、氏のインタビュー音声が奇跡的に発見されたんだそうな。
なに?手塚治虫の生の声が聴けるのか?こりゃ、聞き逃せませんよ!
古い音声テープは、品質は良くなかったけど、なんだかとても懐かしい、いや30歳代の氏の声だから、ぼくは知らない声だけど、ともかくスピーカーからはなんだか神々しい音声が聞こえてきた。氏の声を聴きながら絵なぞを描くって、これってどんな音楽を聴くよりもスゴいことなんじゃないか?とじわじわ感動しつつ、先の吹奏楽もそうだけど、氏の声をちゃんと聴けるのは、壊れたコンポに代えてスピーカーを迅速に買っておいたおかげだよなー、良かったなーと思うのだった。

| 日記 | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0)
夢想の地平面
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