「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
ありがとう、グランベリーモール。

南町田にあるアウトレットモール「グランベリーモール」が営業を終了するそうな。
営業開始から17年も経っているそうで、開業当初からたびたび遊びに行っていただけになんだか寂しい感じがする。近所でもっとも近いアウトレットモールは、杉田の先にある「横浜ベイサイドマリーナ」で、こちらの方がグランベリーモールよりも開業が早かったのだけど、ベイサイドよりもグランベリーが良かったのは、施設内に本屋やマクドナルドなど簡単に時間を潰せそうな場所がいくつかあった点である。さきこが買い物している間、本屋で過ごすことができたからね。

 

グランベリーモールでもっとも思い出深い店は、アウトドア用品店モンベルかもしれない。ランニングやサイクリング関連のウェアでとてもお世話になったし、それはリュックサックやら寝袋やら登山靴やら自転車グッズやらとかなり広範囲に及んだ。富士登山ができたのもここでいろいろ揃えることができたからだし、友人へのプレゼントなんかもここで買ったりもした。
残念なのは、店舗の奥にある巨大な岩山を模したクライミング施設に、ついに一度も登れなかったことである。休日などは子供向けに体験イベントなんかがあったようで、それを見ているだけでスゴく楽しかったから、ぜひぼくも挑戦してみたかったのだけど、ぶくぶくに太った醜い身体で岩山を登ったところで、さほど高くは登れず恥ずかしい思いをするだけだから止めておけとさきこから言われ、ダイエットが成功した暁にはきっとこの岩山に挑戦してやると心に決めていたのだけど、グランベリーモールの終了に伴いモンベルも終了するので、ついにこの岩山には登ることができなかったわけである。
また、店内に展示してあるシーカヤックやカヌーには非常に興味をそそられた。金銭的にも時間的にも体力的にも余裕がないので、こういったウォータースポーツには手が出ていないけど、これもダイエットが成功した暁には、ぜひここでグッズを揃えて海にこぎ出したかったと思っていた。店舗終了は重ね重ね残念である。
店を出る前に、出入り口に置いてあるクマの人形に別れを告げた。モンベルの他の店舗に置いてあるものとはふた回りくらい大きなクマである。入店の際にいつも喉元にパンチを食らわせてゴメンね。
それにしても、世の中にいろんな店がある中で、これほど思い入れの深い店も珍しいな。

 

モール全体の雰囲気もスゴくいい感じだったんだけど、これが見られなくなるのが寂しいものである。
話しによると、建物の老朽化などもあり、周囲の再開発も含めて、再び工事を始めて、2019年度に再度オープンする予定だそうである。まあ3年ほどのお別れということだね。また雰囲気のあるいい街ができるといいなーと思いつつ、ぼくはグランベリーモールを後にするのだった。

 

※ついに登れなかったクライミング用の岩山と最後に仲直りした(?)クマくん。

| 日記 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0)
シャーペン、リメイクへの道。

昨年12月に群馬県・高崎まで行って、木材を加工してリメイクした万年筆を購入したけど、この万年筆を作る職人さんが高崎でやったような展示販売会を都内でも開くというので行ってきた。いや既に万年筆は購入していて、それはそれで非常に楽しく使っているわけで、新たに万年筆を買う必要のないぼくにはこの展示販売会にぼくが行く必要はないのだけど、実はちょっとした下心があって、この展示会にはどうしても行きたかったのである。
それは、ぼくが愛用しているシャープペンのリメイクに対する期待である。

 

過去のブログにも書いたけど、数か月ほど前に万年筆を探していたぼくは、ネットでこの職人さんのサイトを見つけ、さらに木材を加工して筆記用具を作っているこの職人さんの技術を見るにつけ、ぼくが愛用しているシャープペンもこの木材加工の技術でリメイクできるんじゃないかと思うに至った。このシャープペンは30年ほど前の高校生の時代に、ぼくが300円で購入したものだけど、使い勝手が非常に良くて、その後ずっと使い続けている。特に絵なぞを描く時には、他のシャープペンでは出せないような力強い線が引ける(ような気がする)ので、ペン先やノック部分を流用しつつ、同じ太さ、長さ、重さ、バランスでリメイクできないか、それをこの職人さんに頼めないかと考えたのである。そしてぼくは期待を込めて職人さんにメールを送り、写真なんかも含め数回のやり取りをしたのだけど、結果としては「ご期待に沿えない」という非常に残念な回答をいただいた。
その数日後、万年筆を見に高崎まで行くことになり、迎えてくれたこの職人さんにぼくがメールをやり取りしていた相手だと明かすと「おー、あの時の!・・・で、シャープペンは持ってきた?」なんて聞かれたのである。既に断っていた件にもかかわらず、ちゃんと覚えていてくれたことがとてもうれしかったな。次回もしこの職人さんに会うことがあったら、ぜひシャープペンを見せようと思っていたのである。実物を見れば、もしかしたら反応が変わるかもしれない、と。
長い経緯になっちゃったけど、ともかくぼくは愛用のシャープペンを持って、展示販売会に赴いたのである。

 

都内某所で開催されていた展示販売会は、その展示ブース自体は高崎の時と同様に小ぢんまりした感じだったけど、珍しそうにのぞき込むお客さんが後を絶たないほどの盛況っぷりで、なかなか話しかけられないでいた。彼は万年筆を売りに来ているわけで、ぼくがいきなりシャープペンの話しをしたら、ある意味営業妨害になってしまうからね。
しかし、ふと客足が途切れた瞬間を狙って、思い切って声をかけた。
「おー!来てくれたんだねー、ありがとう!」職人さんはいささか大袈裟気味に歓迎してくれて、今の万年筆の使い心地なんかを話しつつ、ぼくは陳列してある万年筆のペン軸なんかを見ていた。高崎の時のように「あのシャーペン持ってきた?」なんて聞いてこないのでどうしようかと思ったけど、ここは思い切って話しを切り出してみた。
「あの、例のシャープペン、持ってきたんだけど、見てもらえますか?」
ぼくはバッグの中からペンケースを取り出し、さらにその中にあるシャープペンを取り出した。
初めて職人さんに見せるシャープペンである。さあ反応はどうか?!

「あー、うん、あーあー、うん、なるほどー」
職人さんはシャーペンを手の中でくるくる回して、縦にしたり横にしたりして吟味していた。ノック部の金具を外して芯を入れる筒を露出させて、ペン軸の木の厚みなんかを見たりしていた。

 

「あー、これはかなり薄いよねー。お?こっちの方は少し厚いかな。中がどうなってるか分からないからなー。でもこれは何の木材だろうな。うーん、これは作るとしたらやっぱサクラかな?紫檀でもいいかな」
出た!「作るとしたら」が出た!やはりこの職人さんは本物の職人気質である。一般的にこの手の職人さんは一度手にしたものは、「できるできない」ではなく「どうやって作るか」を考えるものである。ぼくも仕事で何人か職人さんと会ったりするけど、まったく同じ反応だった。やはりシャープペンを持っていって良かったわ!
職人さんの吟味はこちらが心配になるほど長く続いた。いつの間にかブースには2人ほどお客さんが立ち寄っていて、ぼくとの話しが終わるのをずっと待っているようである。
なんだか営業妨害のような気がしたので、職人さんに声をかけた。
「あの、もし、できそうなのであれば、また日を改めます。なんなら直接軽井沢に行きます」
職人さんはシャープペンのペン軸の厚みの変化が気になるようで、親指でペン軸の腹をぐっぐっと押していて、ぼくはそんなことをしてペン軸がヘコんだり折れたりしないかとヤキモキしていたんだけど、ぼくの提案を聞き入れてシャープペンを返してくれた。
「そうだね、来てくれるなら、その方がいいかな。雪?そうだね、4月後半なら雪もなくなってるから、その時期ならどう?粘りのある木材ならサクラがいいかもよ?」
最後まで木材の材質を気にする職人さんだった。

 

それにしても、職人さんの言葉にぼくの視界はぱーっと明るくなった。
ダメだと思っていたシャープペンのリメイクが再び動き出すのである。いや、もちろん、これは危ない橋でもある。リメイクが絶対できるわけではないのだ。職人さんは「試してみる」みたいなニュアンスで、ぼくの提案を受け入れてくれたに過ぎない。実際は上手くいかないのかもしれない。壊れて使えなくなってしまうかもしれない。いや、軽井沢の工房では、まず木製のペン軸を破壊するところから始めるわけなので、ここで一歩を踏み出すということは、つまりこのシャープペンは戻ってこないことも意味しているのだ。
しかも、運よくシャープペンのリメイクに成功しても、今と同じ描き味は再現しないかもしれない。もしかしたら、ぼくが気に入っている筆致は、木製のペン軸が醸すしなやかさに起因しているかもしれず、もしリメイクによって木材が変わってしまうと、しなやかさが失われて、筆致が再現しないかもしれないのだ。
やはり、リメイクは非常に危ない橋である。
だからぼくは、リメイクをやるのか、やらないのか熟考する必要がある。もしかしたら他にも方法はあるのかもしれない。ぼくの生涯においてかけがえのない存在なのだから、他に方法があるのであれば、破壊は避けたいところでもある。時計は進み始めた。猶予は春までである。

 

とは言え、老朽化したシャープペンがいつか唐突に壊れるのをただ待つというのは避けたいところである。その前にぼくにできることはぜひしたいとも思っている。
その意味では、まさにこの日、壊れるのを待つ以外の方法が提示されたわけである。その点ではこれは喜ぶべきことなんだろうな。

 

季節はどんどん春に向かっている。さて、ぼくにとって今年の春はどういうことになるだろう。

| 日記 | 13:01 | comments(0) | trackbacks(0)
それが答えだ。

先週末にまりこさんから誘われてサックス奏者が集まるサックスだけの演奏会に行ってきた。いわゆるサックスアンサンブルの演奏会で、昼過ぎから夜までたくさんの奏者が入れ替わりで演奏し、最後には参加者全員がステージ上で演奏するという企画もあった。この最後のステージにだけ参加するという人もいて、ステージ上には総勢200人を超えるサックス奏者が演奏するのだから、これはなかなかの迫力である。
まりこさんはこの最後のステージで演奏するというので、これが演奏される時間に合わせて家を出て、会場の海老名に向かった。

 

とは言え正直なところ、ぼくはこの演奏会に行くことにあまり積極的じゃなかった。どちらかと言うと消極的だったと言ってさえいい。その理由は、やはり演奏する楽器がサックスだけという点だろう。ぼくは楽器の中ではトランペットが大好きで、トランペットこそ最高で最強で天下無双の存在だと思っていたし、ローマの時代からその原型があったことを考えると、人類の音楽の歴史の草創期からトランペットがあったとも言え、長い音楽の歴史の中で、洗練に洗練を重ねて完成されたのが、現在のトランペットであるわけなのだ。まさに完全無欠の存在である。一方でサックスは19世紀にできた楽器で、歴史はかなり浅い。過去には作曲家や演奏形態に合わせて様々な形の実験的な楽器が生まれ、その後廃れていったことを思うと、さすがにサックスはそういう類の楽器とは言わないけど、そういうトレンドの過程で生まれた楽器なのかなーと、まあシロウトながら思っていた。トランペットへの愛情が深すぎて、他の楽器は全部格下に思ってしまうくらい偏狭な思考だったのだ。他の楽器には申し訳ないけど、実際そういう風に思っちゃっていた。
そんなわけで、演奏会に向かう足並みは、普段よりも若干重かったわけである。しかし結論から書くと、この後ぼくのこの思いはコペルニクス的転回のような逆転を見せることになる。

 

それにしても、サックス奏者って仲がいいよね。サックスアンサンブルだけならまだしも、今回の演奏会のようにサックス奏者を広く集めて、お祭りみたいにしちゃうんだからね。横の連携が強いというかね。トランペットではこういうことはまずないだろう。トランペット吹きって基本的に目立ちたがり屋で、しかも自分さえ目立てばいいという孤高というか排他的な目立ちたがり屋だからな。同じトランペットパートの仲間は、楽曲の演奏の中では協調体制があるものの、それを離れるとなんて言うかライバルみたいなところがあったもんな。一番高い音が出せるヤツが一番偉いというか、一番美味しいところを持っていくというか。2ndや3rdのパートを受け持つ時は、自分はサポーターなんだという気持ちの切り替えがわざわざ必要だったしね。一方でサックスパートは、ジャズやポップスではメインを張ることもあって、目立ちたがり屋が集まる点でトランペットと性質は似つつも、吹奏楽なんかでは木管楽器として早いフレーズを緻密に合わせないといけない面もあるからパート内の連携が強くなるんだろうな。協調性のある目立ちたがり屋みたいな感じかな。まさにお祭り好きな人物像が浮かんでくる。いやまあ、それもこれもぼくの浅い経験と偏狭な思考なんだけどね。

 

さて、ぼくとさきこが演奏会の会場に到着すると、ちょうど前のステージが終わったところで、お目当ての200人ステージを前にその準備のために長めの休憩に入ったところだった。
客席に座って待ってるのもなんなので、ぼくとさきこはロビーに出て、お客さんの中に知り合いとかいないかなーとぼんやり見ていた。
そこに黒いステージ衣装でサックスを携えた4人が現われ、唐突にアンサンブルの演奏を始めたのだ。ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4種類のサックス四重奏で、これがまたいい演奏なのだ。いや、実際上手い人なんだけど、それ以前にサックス四重奏の表現力が素晴らしいのだ。なんていうか、音楽として完成しているというか、もうこれだけで楽団と言ってもいいほど豊かな表現力なのだ。同じアンサンブルでも、トランペット四重奏や中低音楽器を含めた金管四重奏でもここまで完成度が出せるかどうか。それこそ、数日前に聴きに行った11人の金管奏者によるアンサンブルに匹敵するほどのダイナミックで豊かな演奏なのである。
ぼくには衝撃的な演奏だった。頭をガツンと殴られたかのような衝撃である。
しかも吹き方にもよるのかもしれないけど、音色が時にバイオリンを数人で奏でてるようにも聞こえ、時にフルートの独奏のようにも聞こえるのだ。クラリネットのような落ち着いた音色からトランペットのような華やかな音色まで、まあこれは上手い人の吹き方なんだろうけど、4人の演奏がオーケストラの深みをもって迫ってくる感じなのである。
サックスとはこれほど広くて深い表現力を持つ楽器だったのか。吹奏楽やジャズなんかでも活躍するサックスが、数人のアンサンブルでもその表現力を発揮できるなんて。いや、少人数だからこそ、個々の楽器の表現力がサウンドにダイレクトに伝わるということか。いや、もうそれって最強じゃん。最強で最高で天下無双じゃん。トランペットではこれほどの表現力は出せないわ。音楽の歴史においてかなり最近に考案された楽器だからこそ、理論的に研究し尽くされ、現代の音楽においてその真価を発揮できているということなんだろうな。いや、スゴいわ、サックス。

 

そして、音楽への向き合い方を模索するぼくにとっても、サックスの魅力を再発見することはまさに僥倖だった。先日の金管アンサンブルの演奏会で、ぼくが音楽を始めるにあたり、さてどういう形で関わろうかなーと思うにつけ、過去に参加していた楽団への復帰がもっとも容易かと思っていたんだけど、どうもしっくりこないでいた。大勢の人の中で演奏することや毎週のように練習に参加しないといけないことが、今のぼくの生活ではちょっと難しいと思っていたのである。しかし、サックスならアンサンブルという手がある。例えばぼくとさきこがそれぞれサックスを吹けるようになれば、それだけでアンサンブルになる。クラリネットやトランペットではそうはいかない。さらに、サックスが吹ける友達はまりこさんを始め他にもたくさんいる。さらに、サックス奏者を集めた今回の演奏会のような企画もあるのだ。一人でも二人でも何人でも楽しめるサックスこそ、ぼくなりの音楽への関わり方ができる楽器なんじゃないだろうか。いや、それが今のぼくの最適解である。ぼくはぶるぶる震えそうになった。そう、ここに答えがあったのだ!

 

さきこもぼくと同じようにサックスの魅力を再発見したようで、200人のサックス奏者による大迫力な演奏を聴いて会場を後にして帰途に就く時には、この後どうやってサックスが吹けるようになるかの検討会議になっていた。ソプラノ、アルト、テナー、バリトンのどれを吹くか?さきこはクラリネットの経験を生かせそうなソプラノがいいなーなんて言い、ぼくはいっそ指向性をがらっと変えてバリトンなんかいいよなー、ベース刻んじゃうぞーなんて言ったりして、いや、どっちも値段が半端なく高いので、いやはや困ったものだーなんて話しをした。
別に下手でもいいのだ。吹ける曲が「咲いた咲いた」でもいいのだ。二人でセッションできる楽器がどうしても欲しかったのだ。それがサックスなんだ。歳をとっても二人で時々「咲いた咲いた」を吹くのだ。
問題は楽器をどうやって調達するかなーということで、いやこれが最大の問題である。
しかし、不思議なことに「年齢的に新しい楽器を習得するのは無理なんじゃないか」とは1ミリも思わなかった。
「物事を始めるのに、遅すぎることはない」とよく言うけど、ぼくもさきこもきっと吹けるようになると信じて疑っていなかった。それどころか、楽器さえ手に入れば、来年はお客さんではなく出演者としてこの演奏会のステージに乗れるんじゃないかくらいに思っていた。
きっとランニングをやっていたおかげかもしれないね。絶対無理だと思っていた距離を積み重ねた練習と強い気持ちで乗り越えていく。走れそうもない距離を走ってしまう。そんな自分に自分が驚くような経験をぼくはずっとやってきた。だから今回もサックスができると信じている。「咲いた咲いた」じゃなくて、チックコリアの「スペイン」くらいは吹けるようになってやるぜ!って思っちゃってたりするのだ。

 

この演奏会には来て良かった。消極的だった数時間前とは全然違う心境で会場を後にするのは、なんだか奇妙な感じである。
そして、ぼくの目の前に新しい地平が現われた。ただだだっ広い荒野である。そこは草1本も生えていない見渡す限りの平野だけど、この日ぼくはここに種を蒔いたのだ。それがどういう形で芽吹き育っていくのかは分からないけど、種を蒔いたこの時のぼくの気持ちは確かにそこにあった。まるで、これから市街地が開発されていく海老名の駅前のようでもあって、いや、駅前の更地はこれからマンションが建つだけなんだけどね、なんて思ってちょっとおかしくなったのだった。

※200人を超えるサックス奏者のステージ。このステージに乗ってる楽器だけで、いったいいくらになるんだろう。

| 音楽日記 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0)
音楽ホールのステージの煌めき。

昨日は紀尾井ホールでサイトウキネン・オーケストラの金管楽器奏者による金管アンサンブルのコンサートがあったので、さきこと行ってきた。ぼくが勤める会社は紀尾井町にあって、近所に紀尾井ホールがあるのは知っていたけど、こんな雰囲気のある音楽ホールがあるとは思わなかったわ。ホールの内装は木材が多く使われていて、なんだか木の香りがしたし、高い天井からつり下げられたシャンデリアもキレイだった。収容人数はさほど多くないけど、こういうホールで演奏できるのはいいなーと思った。
実際の演奏の方も良かったな。バロック的(?)楽曲も良かったけど、休憩の後に演奏されたポップスはとても楽しかった。有名な「ニュルンベルクのマイスタージンガー〜」や「威風堂々」を金管楽器11人(トランペット×4、ホルン×3、トロンボーン×3、チューバ×1)と打楽器1人で演奏できるなんてスゴいなーと思った。個人的には、もう少し技巧的なフレーズをそれぞれが掛け合うような感じの音楽を期待していたので、少し期待外れな部分もあったんだけどね。

 

先月は渋谷にN響の第九を聴きに行ったし、来週はまりこさんのサックス演奏会、その翌週には以前お世話になった某楽団の演奏会があったりして、最近のぼくは楽器演奏の誘惑にとり囲まれている。去年には、これまた以前お世話になった方から吹奏楽団へのお誘いもあったりして、ぼくが意図していないところで、音楽復帰への機が熟してきてるんじゃないのかな。庭先の柿の実じゃないんだから、知らないところで勝手に熟さないでくれよと思うけど、昨日の紀尾井ホールの眩しいほどのステージを見ていると、あのステージからの風景をもう一度見てみたいとも思ってしまった。
音楽に復帰するにしても、大人数の吹奏楽団はなんだか苦手だし、ジャズバンドはもうコリゴリなので、以前所属していた金管楽団がいいかなーと思っていたけど、今回のようなアンサンブルとかもっと少ない金管八重奏みたいのでもいいのかもしれないね。
そんな話しをさきことしていたら、「作っちゃえば?」なんて言われた。
いやいや、無理だろう。楽団は団員さえいればいいわけではない。いや、団員集めが一番難しいわけだし、そんな人の集まりをどう運営していくか、音楽的にどう導いていくかを考えれば、とてもできるものではない。今から音楽教室に通ってピアノを習得する方がナンボか可能性があると思えるほど、難しいだろう。
でも、やっぱり音楽はいいものである。
街で楽器ケースを持っている人を見ると、羨ましくなる。なんだか特別な人に見えてしまうのだ。「楽器演奏という特殊技術を体得した選ばれし者」といった感じだろうか。ぼくもまたそういう人になってみたい。

 

紀尾井ホールを出る頃には、ぼくの気持ちは固まっていた。
どういう形になるかまだ分からないけど、音楽の活動はぜひ復活させよう。しかも近いうちに。ランニングやサイクリングの優先度を落としてでも、音楽にもう一度向き合いたいと思った。

 

ちなみに、サイトウキネン・オーケストラは、世界的に有名な指揮者・小澤征爾氏が大きく関わっている。だからこそ、ぼくもさきこもこのコンサートに来たわけなんだけど、最後の楽曲の後に、なんと客席にいた小澤征爾氏がステージに現われたのだ!
おおお!はははじめて見る小澤征爾だ!本物だ!
見るからになんだか元気なおじいさんである。いや、感激しちゃったよ。

 

そんなわけで、この日はなんだかとてもいいものを貰ったような気がする。単に音楽を聴きに行っただけでなく、ぼくの音楽に対する思いにもう一度気づかせてくれた感じがするのだ。これが今後どういう展開になるか分からない。ランニングだってサイクリングだって大事だし、これからも続けていくし、もっと言えば絵なぞも好きだし、ネコたちの面倒も見ないといけない。
でも、紀尾井ホールのステージの煌めきは、鮮烈にぼくのココロに刻まれ、それから何かが芽吹きそうな予感はするのである。
いい夜だったな。

※雰囲気のある紀尾井ホールの内部。

| 音楽日記 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。

お袋さんの手術のその後だけど、一応順調に回復をしている状況である。手術が終わった直後は術創が痛んだりして、こんな状態でホントに回復するのかとか胃を5分の4も切除しちゃって、これからちゃんと生活できるのかとか不安もあったようだけど、そんな気持ちとは別に身体の方は勝手に回復に向かっている状況を見て、少し自信が出てきたようである。とは言え、以前のような生活に戻れるのか、このまま介護みたいな状態になってしまうのかは、本人のさらに強い意思が必要なんだけどね。
以前のように歩いて遠くまで散歩に行けるような日は、また訪れるものだろうか。4月の花見とかね。

 

会社帰りにお袋さんのお見舞いに寄ってから帰宅すると、時刻は軽く22時を超える。自宅に入ると、ネコたちが不安そうなにぼくを見上げてくる。

お袋さんが入院してから、さきこのお母さんに来ていただいて、昼間のご飯をお願いしているんだけど、お袋さんのようにネコとずっと遊んでいるわけにもいかないので、日中はニンゲンのいない部屋に籠りっきりになってしまう。遊ぶ相手もいないし、庭に出してくれるわけでもない。かなり寂しい状況である。
だからぼくやさきこへの甘えっぷりがスゴい。ご飯をあげて以降はずっとべったりである。いや、ホント、ネコっていいわ。そういえば、先週末は仕事やらランニングイベントやらで自宅にいる時間が少なかったから、さらに人恋しい状態になっているのかもね。

 

そして変わらないのは、朝になるとご飯を食べたくてぼくを起こすことである。
以前は朝5時くらいだったけど、最近はさらに1時間早まって4時くらいになってしまった。ぼくがなかなか起きないと、鼻先をアグッ甘噛みしてくる。その甘噛みも最近強くなってきつつあるけど、それでも起きないと、今度は瞼をこじ開けようとしてくる。爪先で瞼辺りをチョイチョイっと触れてくるのだ。目が開いていると起きているということは分かるんだね。
でも、目の近くを鋭利な爪で触れられるのは恐怖である。思わずうわっ!と飛び起きてしまう。そんなぼくを見て、「あ、起きた。ご飯マダー?」などと鳴くのである。
通常起きる時間の2時間も前に起きるのはホントに嫌なんだけど、ネコのためと思えば起きれてしまう。そして本来起きる時間までうとうとしつつネコと一緒に過ごすのだ。せっかくネコが起こしてくれたんだから、仕事に早出するよりは、ネコのために過ごしてあげたいよね。

そんなわけで、ぼくの生活習慣が少しずつ変わってきている。
お袋さんが退院すれば、当然ながらさらに少なからず影響を受けることになるだろう。今後はどんな感じになっていくのか、ちょっと不安に感じつつネコの顔を見て癒されているのである。

| 日記 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0)
フロストバイト、いつもと違う風景。

週末にハーフマラソン、フロストバイトを走ってきた。毎年参加している米軍・横田基地内で開催されるランニングイベントである。
お袋さんのせいにするのは気が引けるけど、休日や仕事後にお袋さんのお見舞いに行くことが多くなり、また仕事も少し忙しくなってきたこともあって、なかなか練習ができなかった。年末年始休暇もそれなりに走ってはいたものの、1回で10キロ以上を走るような練習はまったくなく、長距離ランニングに対する身体がまったくできていない状況で、当日を迎えることになってしまった。
折しも日本全土を強い寒波が覆う形になっていて、現地の気温は最高気温で7℃、最低でマイナス1℃なんて予想されていた。寒いのは嫌だなーと思い気持ちが全然上がらず、会場まで行ってそれでも気持ちが上がらなければ不参加にしようとさえ思っていた。
しかし、風が弱かったこともあり、日差しが出るとそれなりに暖かく感じたので、走ることにした。

 

今回はまりこさんが久し振りに一緒に参加し、またさきこが勤める会社の上司もランニングが趣味だそうで、今回初めて参加した。
そのさきこの上司の方から見せてもらったコース説明の図は、いつもぼくが走っているフロストバイトのコースだった。過去に何度かコースが変わったりしたけど、今回は去年のコースを踏襲するように見えた。
しかし、スタートしてから間もなく、ぼくは違和感を感じたのだ。いつも走るコースじゃないような気がする。いやいや、これは絶対いつものコースじゃないだろ。去年走ったコースを逆走するような形で走っている。いろいろ事情があって本番直前にコース変更でもしたのかな?最近はGPSから距離を測定する腕時計も多くなり、これはぼくも使っているけど、正しい距離表示をするためにコースを変えたということかもしれないな・・・などと、つらつら考えつつ、練習不足にしてはそれなりにいいペースで走っていた。
でも、結論から言えば、今回はコースを間違えていたんだろう。
コースの沿道に設置される距離表示の看板があって、ここまでの距離が表示されているわけだけど、コースに違和感を感じつつ走る序盤3キロほどで、沿道にコース表示の看板が裏返って置いてあるのが見えたのだ。ランナーに対して裏返るということは、きっと後でこのコースを逆走する設定になっているのだろう。あるいは、ハーフマラソンの前に開催されているファミリーランニングや5キロランニングのための看板かもしれない。ぼくは何気なく看板を通り過ぎる際に振り返ってその表示を確認してみた。
そこには「ハーフ・1キロ」と書かれていた。
おう!なんということ!
つまりぼくが今走っているハーフマラソンの距離表示の看板であり、しかもその地点はスタートから1キロであることを示していたのである。あーやっぱりね。
おそらくランナーの先頭でコースを誘導するスタッフがコースを間違えちゃったんだろうな。反時計回りで周回しないといけないコースを時計回りで回ってしまったのだろう。もちろん横田基地の敷地の道がどうなっているかは完全に把握しているから逆回りしたところで行き止まりに行きつくなんてことはないわけだけど、先導するスタッフはどういう心境だったんだろうな。
ヤベッ!道間違えちゃったよ!えーっとこの先にこう行ってああ行って・・・なんて必死でコースを考えたんだろうか。そう思うとちょっと面白いね。

 

さて、その後のぼくの走りはまあそれなりで、1キロ当たり6分40秒を守りつつ、14キロ地点まで来た。ここでトイレに行くことになり、トイレ待ちで15分くらいロスする。そういえば去年も同じことをして時間をロスしたものである。遅れて走ってきたさきこが追い抜く際に「またですか」なんて呆れていたな。ここで休めたことが良かったのか、苦しくなりつつもそれなりに走り続け、無事フィニッシュすることができた。タイムは2時間29分。トイレ待ちで抜かれたさきこに何とか追いつきたかったけど、結果として6、7分程度も離されてしまっていた。
フロストバイトの問題はトイレかもしれないね。
ちなみに、ぼくがトイレに行きたくなるのは、寒すぎるせいもあるかもしれないけど、給水ポイントが年によってコロコロ変わるため、去年受け取れたはずの給水が今年は受け取れないなんてことがあり、それほど喉が渇いておらず本来ならスルーするハズの給水ポイントでも水を受け取ってしまうというのも遠因じゃないかと思う。毎年給水ポイントが変わるなんて、この辺がアメリカ人らしいのかもしれないね。コースを間違えてもしれっとしていたりね。
来年は同じ轍を踏まないようにしたい。いっそ自分用に水を持って走ればいいのである。欲しい時に給水ポイントがなければ、持参した水を飲むわけである。

 

そんなわけで、今年のフロストバイトも終了である。
参加賞として、ブルーグレー色のトレーナーが配布された。以前のようにびっくりするようなパッとした色ではなく、普段でも着られるような、日本人好みの色合いに変わってきたのは、このトレーナーを普段使いするぼくには非常に助かるけど、アメリカのジャンクフードであるような合成着色料のようなドギツイ色のトレーナーも悪くなかったんだけどな。
さて、来週はまたランニングイベントで、10キロを走ってくる。その後、神奈川マラソンがあって、いよいよ青梅マラソンである。今のぼくに15キロの昇り基調を踏破して、30キロを走り切ることができるのだろうか。練習の気を抜かないで、当日を迎えたいと思う。

| Be RUNNER! | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0)
君が代は。

去年の夏、天皇陛下がテレビの画面に映って、そこで天皇の地位を生前退位する旨の表明をされた時、ぼくはかなり驚いた。天皇陛下がこうしてテレビに出て何かをしゃべる機会というのは限られているし、しかも昨今いろいろ議論されてきた話題に触れられたからである。
しかし、現憲法下における象徴としての自身の位置づけに慎重に配慮しつつ語られた言葉には、非常に重みがあった。それまでいろいろ議論されてきたことが、ぴしっと方向づけられる感じがしたものである。
さて、それからというもの、専門家の間でこの陛下の意向をどう実現するかが議論されるようになった。生前退位は今回に限る特例にするという方針や皇太子のポジションや退位後の陛下の位置づけなどが議論されているそうである。
そんな議論の中のひとつが、次の元号をどうしようかというものである。

 

先日の報道によると、2019年1月1日から新元号にしようという方針が打ち出されたそうである。平成31年になる前に、新元号に移行するわけで、つまり平成の元号は30年で幕を閉じるわけである。
これはなかなか感慨深いものだし、いろいろと想像力が働いてしまう。平成30年の年末は一体どういう雰囲気になるんだろう。
終わりゆく平成年間を送り出し、新しい元号を迎え入れる雰囲気。そう思うと、某アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン」の冒頭シーンを思い出す。人類が宇宙に新たなフロンティアを求めるのを機に、西暦(AD)を終えて、新しい暦である宇宙世紀(UC)をスタートさせるんだけど、冒頭シーンはその改暦セレモニーのシーンである。このシーンが具体的に西暦何年なのかは語られていない。だけど西暦は、この年の12月31日に終焉し、新年から宇宙世紀が始まることになっていて、つまり、今回の平成と新元号の切り替えと同じような状況なのである。
劇中ではアナウンサーが「現在、グリニッジ標準時23時40分。いま、ひとつの世界が終わり、新しい世界が生まれようとしています」などと語り始める。「(中略)今宵、私たちは歴史の目撃者になります。この幸運をすべての人と分かち合い、去りゆく西暦の時代を感謝と感慨をもって見送ろうではありませんか。そして新たなる世界・宇宙世紀の始まりを笑顔で迎え入れましょう。さようなら、西暦。ようこそ、宇宙世紀!」と続く。「西暦」を「平成」、「宇宙世紀」を新元号に置き換えたら、そのまま平成30年12月31日で使えそうな文句である。歴史の目撃者だなんて大袈裟かもしれないけど、いやいや昭和年間64年の中で生まれ、育ち、そして死んでいった人を思えば、元号が変わる瞬間に立ち会えるのはまさに歴史の目撃者と言えるだろうと思う。

 

そんな新しい歴史を紡ぐ新元号は、さて一体どんな名称になるのだろう。
明治、大正、昭和、平成と続き、その次は一体どんな元号になるのか。
これを予想するのは非常に難しい。たった2文字の漢字の組み合わせとは言え、専門家が熟考に熟考を重ねてひねり出してくるもので、ぼくのようなシロウトにはたった1文字さえも予想することはできないと思う。
しかし、シロウトの浅慮とは言え、想像するのは楽しいものである。今回はぼくの妄想に近い思考実験の果てに得た、新元号を予想するヒントみたいなものを書いてみたいと思う。

 

新元号を予想するうえで、ひとつのヒントになるのが、元号の読みをアルファベットの頭文字で表記した「略称アルファベット」を予想することである。
何かを契約するような時、たとえばさまざまなサービスに申し込みをする際なんかに申込書を書くものだけど、そこには生年月日を記入する欄があり、出生年の元号を選択できるように元号を省略してアルファベット1文字で表記してある。つまり、明治ならM、大正ならT、昭和ならS、平成ならHである。生年月日を書く前にまず略称アルファベットをぐりっと丸で囲って元号を指定してから、年・月・日を書くのである。日本人ならきっと誰でも一度はやったことがあると思う。
もし新しい元号が、この4つのアルファベットと被っていたらどうなるだろう。今や明治生まれの人がそのような文書に生年月日を記載する機会はないと考えられるとは言え、Mがふたつあったり、Mが新しい元号を示したりすれば、いろいろ混乱があるだろう。データベースには、元号の略称アルファベットを使う場合もあるわけだから、Mがふたつあるのはナンセンスである。
そう考えると、新元号がどんな漢字になるか分からないけど、少なくともM、T、S、Hで始まる読み方にはならないと予想ができる。

 

もう少し、この略称アルファベットによる予想アプローチを進めてみる。
某ウィキペディアによると、江戸時代から現代に至るまで、39個の元号がある。昔は今のように一人の天皇に対しひとつの元号ではなかったので、数年で元号がコロコロ変わったりすることも多かった。天皇即位による場合はもとより、大飢饉や震災、火山の噴火など場合、陰陽道的な意味でも元号を変えることがあったようである。
ちなみに、明和(めいわ)という元号があったけど、明和年間は9年で終わってしまったそうな。天変地異などもあったみたいだけど、さらに明和九年の読み方が「めいわくねん」=「迷惑年」と読めることもそのきっかけになったそうである。元号選びには、そういう配慮も必要なのかもしれないね。
それはともかく、この某ウィキペディアに掲載された元号を分析してみると、さらに面白いことに気付く。
略称アルファベット別に分類してみると、使用されるアルファベットがかなり限定されているのである。
書き出してみると、H(平成、宝永など)、S(昭和、正保など)、T(大正、天明など)、M(明治、万延、明和など)、K(慶応、嘉永、享保など)、G(元治、元禄など)、B(文久、文化など)、A(安政、安永)、E(延享、延宝)、J(貞享、承応)だけである。後で分かったけど、もっと古い時代には、O(応仁)、C(長享)、D(大永)などもあるけど、先に書いたM・T・S・Hを除くと、たった9個しかないのである。

 

申込書などの生年月日欄にこのどれかの略称アルファベットが使われるとして、まず最初に弾かれるのはOだろう。元号の略称アルファベットを選択するのにそのアルファベットを○で囲むなんて場合、Oは非常に分かりにくいだろうからである。文書上の○なのか略称アルファベットを意味したOの文字なのかが判然としない場合があるのである。
また、読み方が固定化されたものも、選択の幅を狭めることになる。たとえば、Aは安政と安永しかなく、どちらも安の文字を使う。同様にEは延享、延宝で延しかなく、Jも貞享、承応で承しかない。もちろん、江戸時代よりも前に遡れば他の文字もあるのかもしれないけど、これらはやはり検討の中で弾かれると思う。
それでも結果として、A・E・Jが選択されるかもしれないけど、個人的には少なくともA(=安)はないだろうと踏んでいる。安はまさにこの一連の生前退位・新元号移行の時の為政者の名前の一文字だからである。多少こじつけ感はあるにしても、容易に連想される安(A)はないだろうと思うわけである。
そうすると、K、G、B、C、Dのいずれかということになる。
ぼくは、B辺りが怪しいと思っている。もうここまで来ると感性だよね。

 

略称アルファベットから予想するアプローチと併せてもうひとつのアプローチがある。漢字の珍しさである。
「平成」は元号として使われる漢字としてはかなり珍しい。
「平」の文字は1347年に始まる「正平(しょうへい)」以降は現れないし、そもそも一文字目に「平」が来たことは一度もない。「成」に至っては、645年に大化の改新で有名な「大化(たいか)」が始まって以来一度も現れない。つまり、平成で使われる漢字はかなり珍しいのである。
次の元号でも「珍しさ」は、何らかの形できっと考慮されるハズである。もし珍しい名称であることがより強く求められると、先ほどの略称アルファベットの予想アプローチには意味がなくなっちゃうのかもしれないけどね。たとえば、RとかWなどである。「りゅ」や「りょ」で始まる漢字や「わ」で始まる漢字も多く、なんだかいい響きになりそうだからね。

 

まあ専門家でもないぼくが何を予想しても、当たるわけないし、意味もないんだけどね。ただ新しい元号がいつか発表された時に、ぼくの浅はかな予想とどう違っているかを考えるのもまた面白いなーと思うわけである。
ぼくがそんな遊び気分で元号を考えている一方で、世の中には虎視眈々と新元号の発表を待っている人たちだってきっといるんだろうと思う。
たとえば、大学名である。日本には、平成、昭和、大正、明治、慶応と元号を冠した大学名があり、それはやはりそれなりに有名だし、なんだかカッコいい感じがする。たとえ新設の大学だとしても、慶応や明治のような古い大学と並んでいるかのような重厚感があるのである。だからかもしれないけど、大学名を表示したユニフォームはカッコよく見えたりするんだよね。慶応のKとか明治のMとか、なんだかカッコいいなーと思うもんね。そういえば、ぼくも元号が冠された大学の出身だったわ。新しい元号を冠した大学がどんな風に出てくるのか、ちょっと楽しみである。

 

そんなわけで、新元号のスタートは2年後である。混乱のないように元号が切り替わる数か月前に新元号名が発表されるそうだけど、今からそれが楽しみである。
そして2018年12月31日に、「ありがとう、平成。ようこそ、○○」なんて言ったりするんだろうなーと思うわけである。

| 日記 | 14:54 | comments(0) | trackbacks(0)
お袋さん、手術終了。

昨日朝8時過ぎに手術室に入っていったお袋さんは、16時頃、無事手術を終えて、病室に戻ってきてくれた。まずは手術成功である。良かったわ〜・・・。実際に手術が始まったのは、手術室に入って準備をして麻酔なんかをしてからだから、9時頃からになるわけだけど、それが16時頃に終わったのだから、事前に先生の説明のとおり、正味7時間ほどで手術が終わったことになる。
当初から胃をいくらかでも残せるかどうかが懸念されていたけど、腹腔鏡なんかを用いて実際の胃の状態をみた結果、5分の1くらいの胃を残すことができたそうである。胃を全摘するのと少しでも残すのでは、その後の生活がいろいろ変わるそうなので、残ってくれたのは良かった。
16時くらいに主治医の先生に呼ばれて話しをして、状況を聞き、お袋さんが病室に戻ってきたのはそれからさらに1時間半ほど経った後だった。既に陽は暮れていて、窓の外は夜のとばりが降りていた。
お袋さんは少し血色が悪かったけど、意識が戻っていた。麻酔の影響でちゃんと喋れない状況ではあったものの、意思疎通ができて、ぼくはそれを見て初めて安堵のため息を漏らすことができた。
お袋さんが無事生還してくれて良かったわ。

お袋さんが手術を受けている間は、いつ病変して連絡があるか分からないので、ぼくは病院の外に出ることもできず、ずっと病院内で過ごしていた。病院内のコーヒー屋でパソコンをカチャカチャやったり、置いてあったマンガを読んだりした。某「北○の拳」でぼくの知らない後半のエピソードを全部読むことができたわ。また、去年夏の天皇陛下の生前退位の意向を受けた新元号移行の流れに脳みそがなんだか触発されて、「現在までの元号を分析して、次の元号を予想する」なんて遊びに没頭してしまったりしたよ。この分析から得たある予想に至る思考実験の過程はちょっと面白いと思うので、このブログでもぜひ書いてみたいと思う。

そんなわけで、まずは手術成功の報告である。
これから恢復していくための様々な治療が続くことになるけど、ここで大きなヤマを越えることができて、非常に安心している。ぜひ健康に戻って、ぼくの知っている元気なお袋さんにまた会いたいと思う。

| 日記 | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0)
お袋さん手術。

お袋さんがいよいよ手術室に入っていった。胃がんによる胃の一部切除または全摘手術である。腹腔鏡手術はさきこも経験しているけど、手術室に向かうさきこのあっけらかんとした雰囲気と異なり、手術が決まった当時からお袋さんはかなり不安が先行している感じだった。まあお袋さんくらいの年代にとっては、「がん」とはすなわち「死の病」という認識なわけで、その点では不安になるのは無理もないとは思うけどね。


先週の日曜日に入院して、昨日主治医から手術の方法や術後の状況などの説明をいただいて、今日が手術である。
病巣の状況によるそうだけど、胃を全部摘出するか、いくらかでも残せるかは分からないそうである。少しでも胃が残ってくれたらと祈るばかりである。
ちなみに夏前に内視鏡手術をした横浜の病院では、手術について分かりやすい説明はなく、手術前に半日ほども待たされるというなんだかなーな対応だったものだけど、今回の東京有明の病院では、患者の思いに寄り添うような非常に分かりやすい説明や対応があって、お袋さんとしてもぼくとしても非常に安心ができた。だからかもしれないけど、今朝、手術前のお袋さんに会った時には、お袋さんの気持ちはとても安定していた。もちろん不安はあるだろうし、この期に及んでは覚悟を決めるしかないのだけど、それでも病院スタッフの対応で不安感はかなり除かれたんだと思う。

 

そして看護師の女性に導かれて、お袋さんは手術室に入って行った。

さて、お袋さんが手術室に入ったので、終わるまではヒマである。ブログなぞ描いたり、人に見えないような死角に入って絵なぞ描いたりして過ごそうかな。病院からPHSを渡されていて、手術が終わった時や何かあった場合に電話があるから基本的には病院外に出ない方が良さそうである。大井町のマンガ喫茶でも行って時間を潰そうというのはいきなり却下みたいである。まあ知床チャレンジの記事の推敲でもしていようかな。
手術の時間は7時間ほどかかるそうである。さて、お袋さんの手術はどうなるものか。

| 日記 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0)
年末年始休暇のこと。

昨年から今年にかけて、延べ7日にわたる年末年始休暇があった。最近ちょっと忙しくなっていたので、久し振りの休息である・・・とは言え、年明けから気持ち的には垂直立ち上げしないといけないんだけどね。

 

今回の休暇中には少なくとも3回はランニングしようと思っていて、休暇の初日にランニングしたのを皮切りに、大晦日、2日、3日とランニングをすることができた。2日と3日はさきこと一緒に、ほとんどお散歩ランニング的な感じだったけど、それでも休暇中に汗を流せたのは良かったと思う。ちなみに1日は初詣サイクリングに出て、40キロほどサイクリングしてきたので、つまり31日から3日にかけて4日連続で何らかの運動ができたことになる。こういうのはちょっと嬉しいな。
年末年始は、大掃除したり、箱根駅伝を観たりと恒例行事がいくつかあるものだけど、今年はお袋さんが近所に来た関係で、「実家にあいさつに行く」という恒例行事はなくなった。同時に姪のゆうかや甥のかずきにも会えず寂しかったりするけどね。
また、近所のランニング仲間がここ数年毎年開催していた恒例の餅つき大会も今年からなくなってしまい、正月のお雑煮用のお餅を別途買わなくちゃいけなくなったという以前に、ランニング仲間に会える数少ない機会がなくなって残念である。同時にランニング仲間の新年会もなくなっちゃったので、さらに一層寂しい昨今である。

 

自宅ではもっぱら自室に引きこもりで、話題のテレビドラマをネット配信で観たり、投げ出した足の上にぴょんっと乗ってきたネコを撫でたりする日々だった。ネコはほとんど気まぐれでぼくの近くにやってきて、気まぐれに甘えてきたりするのだけど、そんなネコをぼくは無視することができず、つい相手をしていると、無為な時間が1時間、2時間と過ぎていくのである。癒しは得られるものの、非生産的なことこのうえない。

 

最終日にさきこにリクエストされて、逆さアジサイの絵なぞを描いた。
アジサイを逆さにすると幸運が舞い込んでくるそうである。ぼくの下手っぴな絵なぞに幸運を呼び込む力があるかどうか分からないけど、リクエストされて描くというのはなんだかうれしいものである。
今年はもっと絵なぞが上手くなるといいけどね。

 

そんなわけで、長くも短かった年末年始休暇が終わった。
週末は3連休で、しかもお袋さんの入院・手術の関係で、さらに1日多く休むので4連休になるわけだけど、もっぱら病院を行き来する日々でバタバタするんだろうな。
お袋さんの心配をしつつも、合間にランニングができたらいいけどね。

※下手っぴだけど、このブログを見た人にも幸運が訪れますように・・・。

| 日記 | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0)
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