去年の夏、天皇陛下がテレビの画面に映って、そこで天皇の地位を生前退位する旨の表明をされた時、ぼくはかなり驚いた。天皇陛下がこうしてテレビに出て何かをしゃべる機会というのは限られているし、しかも昨今いろいろ議論されてきた話題に触れられたからである。
しかし、現憲法下における象徴としての自身の位置づけに慎重に配慮しつつ語られた言葉には、非常に重みがあった。それまでいろいろ議論されてきたことが、ぴしっと方向づけられる感じがしたものである。
さて、それからというもの、専門家の間でこの陛下の意向をどう実現するかが議論されるようになった。生前退位は今回に限る特例にするという方針や皇太子のポジションや退位後の陛下の位置づけなどが議論されているそうである。
そんな議論の中のひとつが、次の元号をどうしようかというものである。
先日の報道によると、2019年1月1日から新元号にしようという方針が打ち出されたそうである。平成31年になる前に、新元号に移行するわけで、つまり平成の元号は30年で幕を閉じるわけである。
これはなかなか感慨深いものだし、いろいろと想像力が働いてしまう。平成30年の年末は一体どういう雰囲気になるんだろう。
終わりゆく平成年間を送り出し、新しい元号を迎え入れる雰囲気。そう思うと、某アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン」の冒頭シーンを思い出す。人類が宇宙に新たなフロンティアを求めるのを機に、西暦(AD)を終えて、新しい暦である宇宙世紀(UC)をスタートさせるんだけど、冒頭シーンはその改暦セレモニーのシーンである。このシーンが具体的に西暦何年なのかは語られていない。だけど西暦は、この年の12月31日に終焉し、新年から宇宙世紀が始まることになっていて、つまり、今回の平成と新元号の切り替えと同じような状況なのである。
劇中ではアナウンサーが「現在、グリニッジ標準時23時40分。いま、ひとつの世界が終わり、新しい世界が生まれようとしています」などと語り始める。「(中略)今宵、私たちは歴史の目撃者になります。この幸運をすべての人と分かち合い、去りゆく西暦の時代を感謝と感慨をもって見送ろうではありませんか。そして新たなる世界・宇宙世紀の始まりを笑顔で迎え入れましょう。さようなら、西暦。ようこそ、宇宙世紀!」と続く。「西暦」を「平成」、「宇宙世紀」を新元号に置き換えたら、そのまま平成30年12月31日で使えそうな文句である。歴史の目撃者だなんて大袈裟かもしれないけど、いやいや昭和年間64年の中で生まれ、育ち、そして死んでいった人を思えば、元号が変わる瞬間に立ち会えるのはまさに歴史の目撃者と言えるだろうと思う。
そんな新しい歴史を紡ぐ新元号は、さて一体どんな名称になるのだろう。
明治、大正、昭和、平成と続き、その次は一体どんな元号になるのか。
これを予想するのは非常に難しい。たった2文字の漢字の組み合わせとは言え、専門家が熟考に熟考を重ねてひねり出してくるもので、ぼくのようなシロウトにはたった1文字さえも予想することはできないと思う。
しかし、シロウトの浅慮とは言え、想像するのは楽しいものである。今回はぼくの妄想に近い思考実験の果てに得た、新元号を予想するヒントみたいなものを書いてみたいと思う。
新元号を予想するうえで、ひとつのヒントになるのが、元号の読みをアルファベットの頭文字で表記した「略称アルファベット」を予想することである。
何かを契約するような時、たとえばさまざまなサービスに申し込みをする際なんかに申込書を書くものだけど、そこには生年月日を記入する欄があり、出生年の元号を選択できるように元号を省略してアルファベット1文字で表記してある。つまり、明治ならM、大正ならT、昭和ならS、平成ならHである。生年月日を書く前にまず略称アルファベットをぐりっと丸で囲って元号を指定してから、年・月・日を書くのである。日本人ならきっと誰でも一度はやったことがあると思う。
もし新しい元号が、この4つのアルファベットと被っていたらどうなるだろう。今や明治生まれの人がそのような文書に生年月日を記載する機会はないと考えられるとは言え、Mがふたつあったり、Mが新しい元号を示したりすれば、いろいろ混乱があるだろう。データベースには、元号の略称アルファベットを使う場合もあるわけだから、Mがふたつあるのはナンセンスである。
そう考えると、新元号がどんな漢字になるか分からないけど、少なくともM、T、S、Hで始まる読み方にはならないと予想ができる。
もう少し、この略称アルファベットによる予想アプローチを進めてみる。
某ウィキペディアによると、江戸時代から現代に至るまで、39個の元号がある。昔は今のように一人の天皇に対しひとつの元号ではなかったので、数年で元号がコロコロ変わったりすることも多かった。天皇即位による場合はもとより、大飢饉や震災、火山の噴火など場合、陰陽道的な意味でも元号を変えることがあったようである。
ちなみに、明和(めいわ)という元号があったけど、明和年間は9年で終わってしまったそうな。天変地異などもあったみたいだけど、さらに明和九年の読み方が「めいわくねん」=「迷惑年」と読めることもそのきっかけになったそうである。元号選びには、そういう配慮も必要なのかもしれないね。
それはともかく、この某ウィキペディアに掲載された元号を分析してみると、さらに面白いことに気付く。
略称アルファベット別に分類してみると、使用されるアルファベットがかなり限定されているのである。
書き出してみると、H(平成、宝永など)、S(昭和、正保など)、T(大正、天明など)、M(明治、万延、明和など)、K(慶応、嘉永、享保など)、G(元治、元禄など)、B(文久、文化など)、A(安政、安永)、E(延享、延宝)、J(貞享、承応)だけである。後で分かったけど、もっと古い時代には、O(応仁)、C(長享)、D(大永)などもあるけど、先に書いたM・T・S・Hを除くと、たった9個しかないのである。
申込書などの生年月日欄にこのどれかの略称アルファベットが使われるとして、まず最初に弾かれるのはOだろう。元号の略称アルファベットを選択するのにそのアルファベットを○で囲むなんて場合、Oは非常に分かりにくいだろうからである。文書上の○なのか略称アルファベットを意味したOの文字なのかが判然としない場合があるのである。
また、読み方が固定化されたものも、選択の幅を狭めることになる。たとえば、Aは安政と安永しかなく、どちらも安の文字を使う。同様にEは延享、延宝で延しかなく、Jも貞享、承応で承しかない。もちろん、江戸時代よりも前に遡れば他の文字もあるのかもしれないけど、これらはやはり検討の中で弾かれると思う。
それでも結果として、A・E・Jが選択されるかもしれないけど、個人的には少なくともA(=安)はないだろうと踏んでいる。安はまさにこの一連の生前退位・新元号移行の時の為政者の名前の一文字だからである。多少こじつけ感はあるにしても、容易に連想される安(A)はないだろうと思うわけである。
そうすると、K、G、B、C、Dのいずれかということになる。
ぼくは、B辺りが怪しいと思っている。もうここまで来ると感性だよね。
略称アルファベットから予想するアプローチと併せてもうひとつのアプローチがある。漢字の珍しさである。
「平成」は元号として使われる漢字としてはかなり珍しい。
「平」の文字は1347年に始まる「正平(しょうへい)」以降は現れないし、そもそも一文字目に「平」が来たことは一度もない。「成」に至っては、645年に大化の改新で有名な「大化(たいか)」が始まって以来一度も現れない。つまり、平成で使われる漢字はかなり珍しいのである。
次の元号でも「珍しさ」は、何らかの形できっと考慮されるハズである。もし珍しい名称であることがより強く求められると、先ほどの略称アルファベットの予想アプローチには意味がなくなっちゃうのかもしれないけどね。たとえば、RとかWなどである。「りゅ」や「りょ」で始まる漢字や「わ」で始まる漢字も多く、なんだかいい響きになりそうだからね。
まあ専門家でもないぼくが何を予想しても、当たるわけないし、意味もないんだけどね。ただ新しい元号がいつか発表された時に、ぼくの浅はかな予想とどう違っているかを考えるのもまた面白いなーと思うわけである。
ぼくがそんな遊び気分で元号を考えている一方で、世の中には虎視眈々と新元号の発表を待っている人たちだってきっといるんだろうと思う。
たとえば、大学名である。日本には、平成、昭和、大正、明治、慶応と元号を冠した大学名があり、それはやはりそれなりに有名だし、なんだかカッコいい感じがする。たとえ新設の大学だとしても、慶応や明治のような古い大学と並んでいるかのような重厚感があるのである。だからかもしれないけど、大学名を表示したユニフォームはカッコよく見えたりするんだよね。慶応のKとか明治のMとか、なんだかカッコいいなーと思うもんね。そういえば、ぼくも元号が冠された大学の出身だったわ。新しい元号を冠した大学がどんな風に出てくるのか、ちょっと楽しみである。
そんなわけで、新元号のスタートは2年後である。混乱のないように元号が切り替わる数か月前に新元号名が発表されるそうだけど、今からそれが楽しみである。
そして2018年12月31日に、「ありがとう、平成。ようこそ、○○」なんて言ったりするんだろうなーと思うわけである。