「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
卒業。

3月ももう終わりである。いわゆる年度末である。今までは特に何も感じていなかった3月末だったけど、今年は例年とは少し違う雰囲気である。
今度の4月で、ぼくの仕事上の役割が少し変わる。ちょっとだけ責任のあるポジションに変わるのだ。その他にも仕事や勤める会社の中で、いろいろ変わることがあるけど、この点が例年の年度末と大きく違うところである。このポジションに変わることで、長く続けてきた所定時間外労働、つまり残業が変わる。思えばこの変化のタイミングは不遇過ぎる処遇のために遅すぎる感も大いに否めないけど、いずれにしてもぼくは4月から新しいステージにシフトするわけである。いわば年度末は卒業式みたいなものである。
そんな卒業式な日は、午後半休で帰ってきてしまった。
実は前日がいわゆるXデーで、ここ数か月準備してきたことの本番みたいな日だったのだ。長いこと準備をしてきたこともあって、こういう日は異様にテンションが高い。仕事上の最大のクライマックスを自ら鼓舞して乗り越えるために、意識して気持ちを盛り上げているんだけど、そんなぼくを周囲の人たちは、「あの人、楽しそうに仕事するなー」なんて思っているようで、いや実際Xデーが始まってしまえば、テンションも高いし気持ちも盛り上がってるから仕事は楽しいし充実してるのを感じてはいるんだけど、だからと言ってこれをことさらにアピールするつもりはなく、いや逆に異様に盛り上がってるぼくをさらけ出すのが恥ずかしくて、なるべく大人しくしているんだけど、周囲にはぼくが盛り上がっているのがバレバレなんだそうな。ぼくもいい歳なので、内面をなるべく見せないように、落ち着いたオトナな雰囲気を出そうと努めていて、いくら気持ちが盛り上がり血沸き肉躍るテンションでいても、顔の皮膚の薄皮1枚の隔ててあくまでポーカーフェイスというか、いやいっそ憂鬱な仕事を前に眉間に皺を寄せてため息のひとつも出てしまう素振りをしていても、周囲にはぼくのハイテンションが伝わっちゃってるようである。
「いやー、ホント、楽しそうに仕事してますよねー」「運動会ではしゃぐ小学生みたいですね」なんて言われてしまった。ぎゃふん!
そんなXデーを経て、それが無事終了したこともあって、それまで気張っていた分、一気に気疲れが出てしまった。まあ成功裏に終わったXデーの翌日くらいは、半休したっていいってものである。ただ、この日がビジネスマンとしてある意味で卒業式であったことを思うと、半休したのはもったいなかったかもね。
そんなわけで、ぼくは仕事での大きなヤマを越え、4月から新しいステージに立つことになった。ぼくを取り巻く職場環境も少し、いやかなり変わるところで、しかもまだ始まってもいない段階から問題だけはいろいろ出てきちゃってる状況である。でも、頑張ろうと思う。新しいステージで、新しい視界からどんな風景が見えるのか。気負わず、気楽に、時に自分を鼓舞しつつ、楽しく仕事をしようと思う。
明日から4月である。

※新しいポジションに移行するのを前に、ちょっと思い立って過去の残業時間を調べてみた。ぼくはどうでもいいところに几帳面さを発揮するみたいで、今の会社に入社以来、自分で作ったエクセルで勤務状況を集計しているのだ。いや、自宅のPCには前の会社の勤務データもあるので、トータルして20年以上もの日々の勤怠データがある。
今の会社の分だけをちょろっと集計してみると、仕事の内容や役割の変遷によって残業時間が変わってきたことが分かる。入社当初から2、3年までは、60、70、80時間の残業はほとんど当たり前の世界だった。さすがに100時間超の残業はなかったけど、90時間を超える残業が年に1回くらいはあった。いやこんな働き方は今はできないな。当時は若さゆえか、転職による覚悟の現れなのか、そういう勤務もできていたみたいである。毎年まとめているこのデータをひとつに集計して保管しておこうと思う。ぼくが生きた軌跡を表わすひとつの材料である。

| 日記 | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0)
思い出の寄せ書きノート。

先週土曜日は、高校時代の友達で新橋のとある飲み屋に集まった。
この飲み屋というのが、日本各地の高校の卒業生に向けて、高校別の「寄せ書きノート」を置いている店で、以前からその存在は知っていたんだけど、どこにあるなんて店かまでは知らないままだった。先日ふと思い立って検索してみたら、場所と店名が分かって、ぜひ一緒に行こう!ということになった。
この店のホームページでは、店内にある寄せ書きノートのラインナップを検索できるようになっていて、ぼくの母校を検索してみたのだけど、見事に引っかからなかった。母校の周辺の高校は何校かヒットして、ぼくの母校よりも歴史の浅い高校すら寄せ書きノートがあるのを知り、これはぜひ行って寄せ書きノートを作らねばというほとんど使命感というほど、思いを固くした。ここはひとつ、ぼくが直々に最初の1ページ目を記してやる。
店に予約を入れて、まだ作られていない寄せ書きノートを新設する旨を伝えた。

 

当日は、ぼくが会社で仕事になっちゃって、店に到着したのは予約時刻から1時間半ほども過ぎた後だった。さきこをはじめ高校時代の友達は既に来ていてお酒を飲んだりしていたけど、寄せ書きノートはまだ作ってなかったようである。どうもぼくを待っていてくれたそうである。嬉しいね。
ぼくは席に座った早々に女将から説明を受けて、寄せ書きノートの最初の1ページ目を記載することにした。
新しい寄せ書きノートの最初の1ページ目は、必ず名刺を貼り、当時の思い出なんかも含めて、次に書く人が書きやすいような内容にしないといけないんだそうな。しかも、酔っていてはちゃんと書けないとのことで、お酒を飲む前に書くことというルールまである。
いや、そういうノリは望むところである。入学してから長い年月が経ち、ついに30年という節目を迎えたこと、当時の思い出や部活のことを書いた。ついでに当時付き合っていたさきこと結婚したことも書きつつ、最後には母校の憂うべき状況、つまり新設校として当時先生や生徒にも満ち溢れていた気概が、今や完全に失われ、これに呼応して学力レベルもどんどん下がっていき、県内有数のバカ高校、ヤンキー高校に成り下がったという憂うべき現状についても書いた。いつかきっと気概を取り戻して、「いい高校」として復活して欲しいということも。まさに、ぼくの母校に対する思いをそのままダイレクトに書き出したわけである。
まさにこれは、ぼくが以前からこの寄せ書きノートに書きたかったことである。そう、この時をずっと待っていたのだ。
しかしこの内容は、ぼくの身勝手な思いを書き連ねているだけのようにも見える。人によってはそんな風に思わないかもしれないし、さらにぼくの憂いのまさに向かう先となっている最近の後輩たちにとっては、年寄りの傲慢にも映るかもしれない。しかし、ぼくは全然気にしないのだ。だって、このノートはこの日参加した人以外には、きっと誰の目にも触れることはないだろうからである。
この店は新橋にあるわけで、西口側の飲み屋の多いエリアにある。この辺で働く人ならいつか店を訪れることがあるかもしれないけど、ほとんど断言できるけど、ぼくの後輩、特にここ十数年の卒業生たちがこの店に来ることはないだろう。なんて言うか、それほどバカであり、バカであるがゆえに視野が狭く、地元を離れて東京で働こうというほどの人は出てこないだろうと思うからである。それも少し残念な気がするけど、だからぼくは思う存分ページを浪費できた。校舎の絵なぞを描いてみたり、さきこが保管してくれていた高校当時の思い出の写真たちのカラーコピーを切り貼りしたりした。この日だけで、6、7ページほども使ったと思う。思うところを思う存分書けたので、ぼくは大満足だった。
でも、願わくば、続きのページも誰かに書いてほしいとも思っている。年寄りがいい気になりやがって、自分こそ高校で唯一出世した人だと言わんばかりに(いや全然思ってないよ)、寄せ書きノートを私物化しやがって・・・!などと書いてほしいものである。それはそれで、なんだか頼もしいというか嬉しいものである。

 

それにしても、ぼくはなぜここまで高校にコダワるのか。中学や大学と比較しても、高校へのコダワリようは突出している。
そこで思うのは、やはりさきこの存在である。ぼくの高校への思いの強さは、そのままさきこへの思いの強さに繋がるのだろう。高校を否定することは、さきことの歴史をも否定することになる。さきことの付き合いを意識する時、その思いはいつも母校に繋がっているのである。高校へのコダワリの原因は、さきこにあるんだろうね。
そう思うと、さきこだけじゃなく高校時代の友達と今もなお繋がっていることは、幸せなことなんだと思う。今もなお存在する母校を通じた仲間なのだ。これはもしかすると、統廃合によって校名はおろか、校舎も壊されて更地になっちゃった高校の卒業生から見れば、非常に恵まれたことなのかもしれない。バカ高校に成り下がっちゃった憂うべき事実はそれとして、高校が残っていることは実はとてもありがたいことなのかもしれない。
そして、今や新橋の飲み屋に寄せ書きノートが完成した。ここが新たな思い出の拠り所になるのだろう。
母校の存在が認められたような気がして、とても気分が良かった。
終電間際の新橋の街を、これほど気分良く歩いたのは、たぶん初めてのことである。

 

※ちなみに寄せ書きノートに貼り付けたぼくの名刺は、実は来月からでないと使えない、昇進後の名刺である。せっかくなので、ちょっと背伸びしてみた。このために名刺やさんに特急で名刺を作らせちゃったよ。

 

※最後にこのブログを書くにあたり、寄せ書きノートに書いた内容を一切写真に撮っていなかったことが悔やまれる。これはまたもう一度行くしかないかな。その時に続きのページが書かれていたら、ぼくはどう思うのだろう。なんだか楽しみである。

| 日記 | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0)
宇宙人発見?!

最近はフェイクニュースだのソースが怪しいキュレーションサイトなど、ネット上にはびこる信用できない情報が問題視されている。たとえばアメリカ大統領選の裏には、世論を誘導しようとする嘘ニュースがあったみたいな話しもあって、もしそうだとすると、もはやネットから情報を得ること自体がリスクになりそうだけど、「肩が凝るのは、背後霊の仕業かもしれません」なんて大真面目にアドバイスするようなアホなキュレーションサイトを見て「バッカで〜」と笑っていられるうちは、まだ大丈夫なのかなーと思う。
しかし、先日読んだニュースは、ホントにちゃんとしたニュースなのか分からず、「もしかしてぼくは試されているのか?」と思ったものである。

 

アメリカの天文学の研究所でここ数年何度か観測している「高速電波バースト」と呼ばれる現象が、もしかしたら宇宙人の仕業かもしれないと発表したのである。
光速電波バーストという現象をぼくは知らなかったのだけど、強い電波がほんの一瞬だけまたたく現象のようで、その発生源は地球から数十億から100億光年ほども離れているそうである。そんな深宇宙から数ミリ秒という極めて短時間の電波が発射される現象は自然界では考えられず、人為的なものとしか説明ができないそうなのだ。
たとえば、宇宙船にエネルギーを供給するための巨大な電波送信機があって、この機械から漏れたエネルギーが高速電波バーストの正体ではないかとか、太陽光帆船のような宇宙船に圧縮した恒星のエネルギーを照射するための装置ではないかとか、いずれにしても今の人類の科学力では到底不可能な技術だけど、高度に進化した地球外の知的文明なら可能ではないかというわけである。
ついに宇宙人が存在する証拠を見つけたというわけである。

 

宇宙人が存在するかどうかを考える時、考慮しなければならないのが「未だ地球人は宇宙人と出遭ったことがない」という揺るがない事実である。これをどう解釈するか、宇宙人が存在するかしないかの一つのポイントなのである。
「宇宙人は存在する」という立場では、既に宇宙人は地球に到達していて地球人に成りすまして生活しているから地球人は宇宙人と出遭っていないと思い込んでいるんだとか、太古の昔には宇宙人は地球人と接触していて、ピラミッドやクリスタルのドクロなど、当時の人類にはなかった科学力でいろいろ残してきたけど、それは有史以前の話し記録が残っておらず、今は既に宇宙人が地球を去った後だから、出遭っていないと思っているだけなのだなどと主張している。
一方で「宇宙人は存在しない」という立場では、まさに「現に宇宙人と出遭っていない」ことをそのまま証拠として主張している。出遭っていないんだから、そもそも存在しないのだというわけである。
ちなみにその中間として、「いるにはいるけど、彼らは地球からあまりにも離れているので、コンタクトする方法がないのだ」なんていう主張もある。また、地球との距離が比較的近くて、その距離を航行する科学力もあるんだけど、他の星のことに興味がないのかもしれないなんていう人もいる。つまり宇宙人は、地球人のように夜空の星を見上げて「この星々のどこかに自分と同じように空を見上げている人がいるかもしれない」なんておセンチなことは思わないというわけである。
「恒星はたいてい1個から数個の地球型惑星を従えていて、そんな恒星は銀河には何万もあり、宇宙には銀河が何万もある」という事実を思う時、ぼくはやはり宇宙人はいるんだろうなーとは思う。アインシュタイン先生が言う通り、光を超える速度は絶対に出せないから、数十光年以上に離れている星には現実問題として行くことができないというわけである。つまり宇宙人は存在するけど、決して会うことができない存在なのだ。
そんなぼくの立場から考察すると、今回の高速電波バーストのように、遠くの宇宙で宇宙人が宇宙船を動かした痕跡が見えたかもしれないというのは、非常に興味深い。遠くに宇宙人の痕跡を見たというのは、目の前に宇宙人が現われて意思疎通を図り、そのおかげで地球の遅れた科学力が飛躍的に向上するなんて夢みたいな話しではないにしても、この宇宙には地球以外に生命が息づいているのだと知ることは、人類に新しい世界観を与えるものだと思うのである。

 

しかし、である。
これ、ホントに宇宙人と断定していいのだろうか。
光速電波バーストを電波送信機から漏れたエネルギーだと想像してるけど、高度に発達した文明が作り上げた巨大な電波送信機が遠くの星の人たちに観測されるほどのエネルギーを漏らしちゃうようなことがあるのだろうか。太陽風帆船に照射する高エネルギーの太陽風が帆の大きさからはみ出して、それが遠くにいる地球に観測されるなんてことがあるだろうか。巨大な電波エネルギーを得られるほど科学が発達した文明で、「送信する時に電波が漏れちゃいました」とか「帆の大きさをはみ出すほど広範囲に太陽風を当てちゃいました」なんて原始的で非効率なことがあるのかな。効率よく巨大なエネルギーを得ようとするなら、漏れたりはみ出たりしないような機械を開発するものじゃないのかな。高速電波バーストを説明するために想像する宇宙人の科学力は、なんだか無駄が多いような気がするのである。これじゃ科学が発達してんだか、してないんだか分からなくなるわ。
いや、高度に発達した宇宙人の科学力を地球人ごときが想像できるわけがないのだとも言える。もっと別の目的、別の装置があって、その何らかの影響が高速電波バーストとして地球人に観測されているのかもしれない。それが何なのか分からない。そうなると、もう何が何だか分からないけどね。

 

そんな風に思う時、「パルサー」のことを思い出す。
パルサーとは宇宙に存在する特殊な天体のことである。恒星がエネルギーを使い果たし、エネルギーを放出する力が自身の重量とバランスを失った時に恒星はいろんな形でその姿を変える。超新星爆発をするものもあれば、物質を凝集して矮星になる場合もある。矮星の中でもエネルギーの残滓や凝集による新たなエネルギーなどが自身の中に蓄積されるものもあって、これが火山噴火のようにある一点から放出されるようなことがある。強いエネルギーが天体の一点から放出されるのである。天体の極以外に放出口ができたりすると、天体の自転に合わせてエネルギーが周辺にまき散らされることになる。遠くの天体がパルサーになって、エネルギーの放出口の延長線上にたまたま地球があったとすると、地球でそのエネルギーを観測できるのは、自転に合わせて噴出口が地球に向いたときだけということになる。つまり灯台の灯りのように、一定時間をおいてパッと光り、また一定時間後にパッと光るように見えるわけである。
パルサーが初めて観測された時、上に書いたようなパルサーの仕組みが分かっていなかったから、地球からの見かけでは一定時間をおいてまるで点滅するように信号が送られてくるように見えて、「これは地球に向けた何らかの信号だ」「宇宙人が地球に何らかのサインを送っているに違いない」と騒ぎになった。「やはり宇宙人はいたんだ!」となったわけである。
しかし、パルサーの仕組みが解明されて、自転によって定期的にエネルギー噴出口が地球に向いただけだということが分かったのである。矮星のある一点からエネルギーが噴出するなんてことは、よく考えてみればあり得そうな話しで、宇宙人の存在なんて突飛な考えに飛びつく前にちょっと冷静に考えれば分かりそうなものである。パルサーが定期的に信号を送ってるように見えるというのは、考えてみれば非常にアナログ的というか、単純な話しなのだ。

 

ニンゲンには、「自分以外に宇宙には知的な存在がいて欲しい」と思いたい気持ちがあるのだろうか。「我々は想像するにあまりあるほど広大な宇宙にたったひとつだけの奇跡的な存在なのだろうか」という疑問に、どうしても反論したいのだろうか。
今回の高速電波バーストにしても、考えてみれば案外単純な話しなのかもしれない。
その仕組みが解明されてみると、巨大な電波送信機や太陽風帆船を考える前にどうして思いつかなかったのかと思うようなものかもしれない。しかし、パルサーが発見されて、人為的なものかもしれないと勘違いした時代とは違う。そういう誤謬も含めて、知見として身についている科学者が、宇宙人かもしれないと判断したのである。ぼくの中にも「もしかしたら・・・」という思いがある。このニュースを信じたいと思う気持ちが存在するのだ。
フェイクニュースは何らかの意図があって人を誘導するものだけど、それよりも前に情報を受ける人が、事実に対してニュートラルであることを求められる、というわけである。ネットにはびこる嘘の情報は、結局のところ受け手側の問題なのかもしれないね。

| 最近のニュースから | 12:56 | comments(0) | trackbacks(0)
ぽかぽかサイクリング。

先週末は三連休で、自転車仲間の毎年恒例のサイクリングに出かけてきた。例年は、三浦海岸に集合して、城ヶ島を経て逗子に至る40キロほどのサイクリングをしていたんだけど、今年は趣を変えて、走るコースを変えてみることにした。
境川から江の島に至るサイクリングロードである。市営地下鉄の湘南台駅から境川の川沿いを走り江の島に至る道である。
境川のサイクリングロードは、ぼくが自転車を始めた当初、自転車仲間と一緒に走った道である。その時は小田急江ノ島駅に集合したのだけど、「江の島なんて遠すぎて、自宅から自転車で行けるわけない」なんて思っちゃうほど当時は初心者で、JRと江ノ電を乗り継いで輪行で行ったものである。今や江の島は気軽に行けるような場所になったから、ぼくもちょっとは成長したものである。
過去に走ったことがあるとは言え、既に忘れちゃってる部分もあるので、サイクリングの日の前日にぼくは一人で試走に出かけることにした。
自宅から戸塚に至り、そこから長後街道に入って境川に至る。そこからサイクリングロードを走るわけである。
長後街道のサイクリングは初めてだった。2年ほど前に、会社が酔狂で農場なんかを始めた時に、長後街道の先にあるその農場までクルマで行ったものである。だから戸塚から境川までの長後街道は馴染みがあったんだけど、初めて自転車で走ってみると、これがなかなか新鮮で非常に楽しかった。長後街道は市営地下鉄と並走しているので、1、2キロごとに地下鉄の駅を示す看板がかかっているのだけど、ぼくが地元で見慣れた青と黄と白の看板を自転車で初めて走る道で見かけるということに違和感というか、新鮮な感覚を得た。初めて走る道なのに、この地下鉄はぼくの地元と繋がってるのである。なんか変な感じである。
長後街道は非常に走りやすかった。今まで自宅からサイクリングに行くと言えば、どこに行くにしても鎌倉街道や国道16号線で北か南に向かうしかないと思っていたけど、長後街道で西に向かうという手もあったわけである。なんだかサイクリングの新しい地平が見えた感じである。
境川から川沿いのサイクリングロードを走る。なかなか走りやすい道である。サイクリストもランナーも多い。いや天気がいいからね。これはいい日にサイクリングに来たわ。
途中で地下鉄と相鉄線の高架をくぐる。長後街道では地下を走っていた電車が地上から仰ぎ見る高架の上を走るというのもなかなか新鮮な光景である。しかもこの巨大な高架上を走っているのは、ぼくがいつも利用してる地下鉄の車両なんだもんな。
さらに進むと、田んぼを超えた雑木林の向こうに巨大な建造物が見えてくる。五重塔を連想させる建造物である。この建物は子供の頃から何度か見たことがあるのだけど、実際何のための建物なのかはまったく知らなかった。実はこの建造物は、数年前に閉園したドリームランドに併設されたホテルだったそうで、今は近隣の大学の図書館になっているそうである。
ぼくはこのことをほんの数か月前にネットで知った。それまで興味があるものの、その所在がなかなか分からず、ネット地図を舐めるように見てもそれらしい建造物は探せず、よほど辺鄙なところにあるのだから、きっと宗教施設かなんかだろうと勝手に結論づけていた。五重塔を連想させるフォルムも宗教っぽいし、巨大な仏像や高い塔など、とかく宗教って目立つ建造物を作るものである。そうであればうかつに触れない方がいいかも・・・と、勝手に想像していたわけである。数十年もの長いナゾが解け、ぼくは安心してその建物を見ながら自転車を走らせることができるというわけである。やはり今度近くまで行ってみたいな。
しかしナゾというのは尽きないものである。
さらに川沿いを走っていくと、今度は長い鉄橋のような構造物が現われた。鉄橋は川の幅どころか、その両サイドに広がる田んぼをも超えて横たわっていた。まさに鉄道の鉄橋を連想させるフォルムなんだけど、先ほど相鉄線と地下鉄を超えてきたので、これより南に東海道線以外の鉄道は走っていないハズである。新幹線はもっと北だしね。
さて、これははなんだろう。実は事前にネット地図でこの鉄橋の存在は分かっていた。精細な航空写真でさえこれが何のために作られたのかが分からない。この鉄橋の延長線上にちょうど垂直に交わるように東海道線や横須賀線が走り、近くに大船駅があるのは分かったんだけど、これと関連があるとすればもしかすると貨物専用の支線なんだろうか。なんだかまだ新しい感じのするこの建造物にまた妄想が暴走しそうになるのだった。
こうして、サイクリングロードを過ぎる景色にいろいろ感じつつ、15キロほど走って江の島に到着した。
ずっと川沿いの細い道を走ってきて、河口が近づく中、閑静な住宅街を走ってきたところで、いきなり国道134号線に行き当たり、そしてその向こうに江の島が見えた時には、なんだか感動したわ。目の錯覚もあって、川沿いの細い道から見る江の島は巨大な山のような存在感で、なんだか圧倒されてしまった。江の島とは遠くに見えるもので、国道を走ってこれに徐々に近づいていくものだという認識だったから、こうして唐突に江の島の目の前に出るとその存在感にちょっと狼狽えてしまうわ。
江の島に至ると、もはやいつものサイクリングである。鎌倉方面に抜けて北鎌倉方面の道を帰ってきた。自転車を始めた頃は、ここから自走で帰るなんて考えも及ばなかったな。いや、そもそも翌日のサイクリングのために同じコースをサイクリングするというのもなかなかないものである。
それにしても、久し振りのサイクリングで50キロ以上を走ってしまったわ。こうして一人でサイクリングするのも楽しいものである。

 

さて翌日は境川沿いの道を通って江の島に至り、海沿いを走って逗子に行った。途中で入った食堂でランチを食べるのにかなり待たされたために時間がなくなっちゃって、結局30キロ程度でサイクリングを終了することになった。ぽかぽか陽気のサイクリングを楽しんだ。

 

そんなわけで、今年のサイクリングシーズンが幕を開けた。今年は去年ほどのビッグチャレンジはしないとは言え、夏のチャレンジサイクリングは続けようと思っている。勤める会社での仕事内容が若干変わったりする中で、休みをどう取ればいいのか分からないけど、例年どおり、いや例年以上に今年はサイクリングを楽しみたいと思っている。これとは別にゆっくり走るポタリングでまた長後街道や境川沿いの道を走ってみたいな。

| 自転車日記 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0)
ビジネス的カッコ良さとは。

日○新聞の本紙記事の下側には書籍などを紹介する広告が掲載されている。なかなかキャッチ―なコピーなので、思わず本紙の記事よりも目が引き寄せられることが多くて、記事を読んでるんだか広告を読んでるんだか分からないページもあったりする。そんなコピーに思わず興味をそそられて某通販サイトで本を買ってしまったりしたことも一度や二度ではない。ある日同僚と話しをしていたら、この手の広告のことが話題になり、「新聞の広告に載せるような本が面白いわけないじゃん」という話しになった。売れる本は広告なんか出さなくても、またはキャッチ―なコピーで読み手の興味を惹きつけなくても、何にもしなくたって売れるものなのだ。売れないからわざわざ広告費を払って新聞に載せるのだ、と。なるほど、と思ったね。まあそういう本もあるだろうし、そうじゃないものもあるだろうけど、いずれにしても結局は読み手の判断力が試されるってことだろう。それに、新聞に載る本でハズレに出会ったことはないって人だって実際にはいるだろうしね。

 

そんなある日、新聞に載ったある広告のコピーに目が留まった。
「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」という本である。これが書籍名だそうで、広告スペースのほとんど半分ほどを使ってこの書名がでかでかと載っていた。その脇には「知性と教養を話のはしばしに感じさせる最低限知っておけばいい51の語彙を紹介」などと書いてあり、つまりこれがこの本の内容なのだろう。さらに「Qこれらの言葉、読めますか?」とあって、なんだかヤヤコしい漢字がずらっと並んでいた。尽力、斟酌、忖度、踏襲、乖離、惹起、瑣末など。おお、なんか読み手を試すような広告だな。
でも、これが読めないといって別に問題じゃないだろう。別に仕事ができないってわけでもないだろう。いやもっと言えば、これが読めたり意味が分かったりしたところで、知性や教養があるってことにはならないだろう。ぼくはもちろん読めるし、ミーティングなどでこんな熟語を使ったりもするけど、だから「すごーい!」なんて言われないし、それどころか、きょとんとされて、話しが止まっちゃったりする。まるで頭の上にぴょこんっと「?」マークが立ち上がるのが見えるようで、だから話し言葉としてはあまり変な熟語を使わないように注意してたくらいである。別に難しい漢字や熟語が使えたところで、カッコいいわけじゃないし、それだけで仕事ができるってわけでもないのである。

 

それにしても「難しい漢字を使うとカッコいい」なんていつから言われているのだろう。
ぼくの感覚だけど、ここ数年は横文字が流行っていたハズである。スキームとかドラスティックとかアサインとかアジェンダとかアライアンス、エビデンス、サマリー、ブレスト、ベネフィット、ペンディング、リスケ、リテラシーなどなど、いやネットで「ビジネス」「横文字」で検索すると「カタカナビジネス用語100選」とか「400選」とか、まあいろいろ出てくるわ。まさにここ数年は横文字を入れて喋れることが、知性や教養をまとったビジネスマンの姿だったハズである。
ぼくは数年前に明治時代から続く古い製造業を退職して、当時流行りのベンチャー企業に転職したのだけど、まず何が大変だったかって、この横文字のビジネス用語を覚えることだった。
「ドラスティックにビルトしたスキームをサプライヤーとアライアンスして、ベネフィットのエビデンスをいくつかサマリーしてプレゼンしてよ」なんて、いやこれはさすがに極端な言い回しだけど、初めて聞いた時はどこの国の人だよって思ったものである。そんな言い方でホントに内容をみんな理解してるのかー?!と肩を掴んでぐらぐらしたいくらいだったね。
最近はそんなアホな言い回しをする人が少なくなったなーと思っていたら、新聞で紹介されていたような本が出てきたわけである。今度は横文字ではなく、難しい漢字が流行り出す兆しを見せているわけである。

 

このふらふらした感じはなんだろう。まるで振り子のように流行が移ろっていく感じ。そして刹那的で表層的な感じ。
相手の知性と教養なんて誰もがすぐには推し量れるものではないし、自分に知性や教養がないのにそれをあたかもあるように表層的に取りつくろおうというのもなんだか違うような気がするのだ。いや、人間だからね、本来よりもよく見せたい気持ちはあると思うけど、「難しい漢字を使って喋ってる」とか「カッコいい横文字を使って喋ってる」なんてレベルで評価を得ようというのがなんだか浅はかな感じがするわけである。
これはつまり「本当に仕事ができる人」という尺度が曖昧だからなのだろう。「残業して頑張ってる人が仕事ができる人のよう見える」といった表層的な評価の話しにもつながっているように思えるし、だとすれば労働問題の根幹にもつながっているようにも思えるのだ。

 

人は誰しも高い評価を得たいと思い、そのために日夜頑張っている。
しかし、評価者が浅はかな評価しかしない人だと、評価される人もこれに応じて浅はかな対応をすることになる。つまりこれが、「たくさん残業して頑張ってるように見せる」とか「難しい漢字を使って知性と教養があるように見せる」という浅はかな対応に繋がっているんだと思う。人の評価や魅力ってのはそういう表面的なところにあるわけではないのだ。
ふと思いついたのが、数年前のアニメ「風たちぬ」の前半部のあるシーンである。列車で出会った主人公とヒロインが、初対面なのにいきなりポール・ヴァレリー「海辺の墓地」の一節を引用して心を通わせるのだ。いや、ぼくは知らない小説だけどね。これこそ知性と教養のある人の会話だなーと思った。初対面な男女がいきなり小説の一説を、しかも原文で引用するなんて、「んなわけあるかーい!」って言いたくなるトコロではあるけど、これを浅はかに捉えちゃう人にとっては、そういう会話ができる人こそ知性と教養のある人だなんて短絡的な話しになり、いつか日○新聞に「知性と教養があると思われる小説はコレだ」みたいな本の広告が出る日が来るかもね。
うん、断言できるけど、この本はハズレだな。

| 日記 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0)
週末は。

暖かくなってきた3月中旬の週末昼下がり。
庭にあるブルーベリーの植木に白い小さな花が咲いた。さきこが実家の用事で静岡に行った時に買ってきたふたつの鉢である。これだけだとなんだか寂しいなーとずっと思っていたし、さきこはもともとオリーブの木を庭に置きたかったそうで、ではちょろっと見に行くかということで、横浜の植木屋さんに行くことにした。お袋さんも以前の住まいでは種々の植物を育てていて、引っ越しの際に自宅の庭でガーデニングすることを期待していたんだけど、折しも夏だったこともあり、暖かくなってきたこの機に花とかも育ててみるかという話しになった。
そんなわけで、週末の2日間は、さきことお袋さんと一緒に植木屋を回ったりした。
さきこは少し大きめのオリーブの木を2つ買って、これでオリーブ漬けとかオイルとかできるわーと意気込んでいた。お袋さんには小さな花をいくつか購入してやり、以前から庭に転がっていた丸い鉢に植え替えた。きっとカワイイきれいな花が咲くハズである。
そんなわけで、ぼくの自宅の庭が少し賑やかになった。ブルーベリーとオリーブで植木が4つにもなり、またいくつか小さな花を植え替えた鉢が並ぶことになった。
ネコたちは、普段遊んでいる庭に植物が来たことが新鮮なようで、匂いをかいだり、花をかじってみたりしていた。ネコが楽しくなるような庭ができたらいいなーと思う。

 

さて、13日はさきこの誕生日である。
これから約1か月間はぼくとさきこは同い年である。しかも今年は付き合ってから○十年の節目で、なかなかめでたいのだ。月曜日だけどせっかくなので、お祝いしたいわーと思ったけど、さきこは勤めてる会社の仕事がかなりの佳境で、連日遅くまで残業している。きっと今日も残業だろう。お祝いよりも体調が不安定になるのが心配である。無理な仕事を押し付ける上司は、酷いなと思う。
上司といえば、今年も春の組織改編が発表された。ぼくも含めていろんな人が転勤になったり異動になったりしていた。その中でも馴染みのある人が割と多く退職するのが目についた。今は別の部署だけど以前一緒に仕事をしていた同僚は、6月で退職するそうだし、全然違う部署ながらぼくの活動を陰ながら応援してくれた方も退職するそうな。直属上司は転勤だし、一緒になって仕事をしていた他の部署の人たちの何人かが異動になっている。その点では4月から始まる新年度はいろいろ大変そうである。ちょっと身の引き締まる思いである。
それにしても、ここまでココロが安定している春は久し振りである。不安や不満よりも士気の方が高くなってる感じで、なんだか新鮮な春の日である。

 

※ちなみに、先に書いた「遠い部署だけどぼくの仕事を陰ながら応援してくれた人」が、どうして応援してくれるのかは分からない。会議などで時にぼくの主張が劣勢になっちゃうような場合でも、どういうわけか助け舟を出してくれたりするのだ。久し振りに「この人のようなマネジャーになりたいものだ」と思った。ぼくの前職の先輩社員と年齢が近いこともあって、ぼくの知らないところで両者が繋がっているんじゃないかと疑ってしまったほどである。前職の先輩が「ウチの会社を辞めたアイツを陰ながら支えてやってよー」みたいなやり取りがあったりしてね。彼が辞めるまでにどこかでそんな話ができる、かな。

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6年目の日。

あの日を風化させないと誓って毎年3月11日に東日本大震災のことを書いているわけだけど、毎度書いているとおり、復興への歩みが非常にゆっくりで、毎年歯がゆい思いばかりしている。震災からの復興に向けた取り組みの感想をを簡単に言うとすれば、「今年も復興には程遠い。以上」で終わってしまうほどである。いや、復興に向けて汗水流している方が実際にいるし、原発では被ばくできるギリギリの放射線を浴びながらまさに生命を削って原発事故の収束に向けて作業を進めている人がいる。確かにそういう人たちはいる。
しかし全体から見ると、どうも一進一退、3歩進んで2歩下がる的な歩みに見えてしまうのだ。
毎月給与で控除される住民税や所得税をはじめ、消費税も増税して復興の財源に充てているのにね。陰ながら応援するぼくでさえ歯がゆいんだから、現地、現場の人たちの思いは如何ばかりだろう。

 

復興を遅らせているのは、明らかに原発事故の影響である。
原発事故の収束作業は、もはや歯がゆいを通り越して苛立ちや怒りを覚えるほどに進んでいない。いや、現場の人に対してではなく、ね。
原発処理で問題になっていた地下水が放射能汚染されて海に流れてしまう問題について、地中の土を凍らせて地下水が汚染源に近づかないようにしようという「凍土壁」の設備は、この1年で完成をみたそうだけど、何らかの問題があって結局土壌がうまく凍らなかったみたいである。技術的ないろんな問題があるんだろうけど、とにかく失敗したわけである。当初からなんだか場当たり感の強い対策だなーと思ってたけど、不安が的中した感じである。場当たり感と言えば、6年前のこと、原発が爆発して数日後、炉心をとにかく冷やすために水をかける必要があって、自衛隊のヘリコプターを使って炉心上空まで水を運んだことがあったな。この様子はリアルタイムでテレビでも中継されていて、自衛隊の巨大な輸送ヘリコプターが巨大なシートを吊って水を運び、上空でばさっとシートを外したところ、風にあおられて水が飛散して、炉心には水がほとんどかからなかった。ヘリコプターで運んだら、そのプロペラの風で下側には物凄い風が吹いているのは当たり前じゃないか、誰だこんな安易な考えを薦めたのは!?と思った。どんなコメディだよとテレビの前でズッコけたものである。場当たり感たっぷりの対応と言えば、まず最初にこれを思い出すな。
また、物凄い放射能のために近づくことさえできない炉心近くの様子を、このために開発されたロボットを使って見てこようという試みには一定の成果があったようである。画像は不鮮明だけど、炉心から溶け出した灼熱の核物質が炉心施設の床を溶かして、さらにその下まで貫通しているのが見て取ることができた。映画「エイリアン」でエイリアンの体液が宇宙船の床を溶かして貫通し、さらにその階下にまで達してしまったシーンを思い出す。溶け出した核燃料が炉心の下に溜まるのが「メルトダウン」と言うそうで、さらに炉心すらも溶かして外に露わになるのが「メルトスルー」と言うそうな。ロボットが撮影した映像は、まさにメルトスルーを証明するものだったわけである。
政府はメルトダウンとかメルトスルーとかいう言葉を絶対に使わない。正しい情報が伝わらないのも、歯がゆいばかりである。
また撮影された映像を見るに、核物質は映っていない。核物質が実際どこまで落ち込んでいるのかは、今もなお不明なのである。そんな状況で、原発事故対応が完全に制御できていると言えるのだろうか?流行りの言葉で言えば、「アンダーコントロール」な状態なのだろうか。それが全然分からないのである。伝えられたことをそのまま信用できる国ではなくなってしまったのだ。政府発表やマスコミの報道がそのまま盲目的に信用できないのは以前から続いていたけど、震災をきっかけにその度合いは鮮明さを増したような気がする。先ほどのメルトダウン、メルトスルーの話しもそうだけど、実際に何が起こっているのか、語られないこと、語られても正しくないことが多くあるようで、なんだか信用できないのである。
6年という歳月を経て振り返ると、多くの人の生命や財産やかけがえのないものを奪った震災は、それだけじゃなくて国として大事な部分も失ってしまったような気がしてならない。放射能の拡大や食物の安全性、地下水や海洋汚染、土壌汚染など、日本のすべての場所で安全安心に暮らすことはもはやできないのかもしれない。

 

ところで今回の震災をきっかけに取り組んだ会社の事業継続計画、いわゆるBCPを策定する仕事が、長いこと担当から外れるという憂き目に遭いつつも今月中に完成する予定である。震災などの大規模災害が発生した際の対応について、平時から継続的に見直し、資材等の準備をおこない、訓練をするという一連の流れが方向づけられる。この計画や準備した資材が使われないのが一番いいのだけど、いつ震災が起こってもおかしくない首都圏ではそうもいかないだろう。
ココロの準備だけではなく、実際におこった際の対応策が完成し、これからもより良く変わっていってくれればと思う。

| 日記 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0)
病み上がりハーフ。

三浦国際市民マラソンに参加してハーフマラソンを走ってきた。
先週は週中辺りから風邪が悪化して、会社を休んだりして養生していたんだけど、それでも完治したわけではないので、状況によっては不参加にしようかと思っていた。
幸い朝になって体調が回復してくれたので、せっかくの晴天だったこともあって、ここはひとつ頑張ってみることにした。まあ病み上がりなので、記録というよりはハーフを走り切ることをまずは優先することにして、楽しく走れればいいかなと思っていた。
ところで、ぼくに遅れて風邪が発症したさきこは、これ以上風邪が悪化して仕事に影響が出るのを懸念して、大事をとって休むことになった。一緒に会場まで行ってくれて、ぼくを見送ってくれたけど、今までこの日のために一緒に練習してきたところで非常に残念である。

 

天気は上々である。このイベントには何度か参加したことがあるけど、これほどの晴れはほんの1、2回くらいしか経験がない。いつもは雨か曇りで、風が強く、寒い日のハーフマラソンになるのだ。これほど晴れてくれたのだから、病み上がりとか言っていないで、それなりにベストを尽くしたい。
スタートしてから、1、2キロはゆっくり走っていたんだけど、3キロ過ぎの激坂を経てもあまり体力が削れていなくて、またその先の6、7キロ辺りでもまったく疲れを感じなかった。これは意外な展開だった。タイムはだいたい1キロ当たり6分30秒ちょっとで、つまりこのまま行けば2時間20分程度でフィニッシュできるペースだったのだ。当初から目標にしていたタイムである。このまま行っちゃって大丈夫だろうかと不安はあったけど、たとえここでペースを落としても結局のところ後になって疲れが出てくるのであれば、行けるところまで行こうと、ペースを落とさず進むことにした。
病み上がりにしては意外なほど良かった走りは、案の定だけど、15キロほどで崩れてきた。まあ15キロほども6分半程度で走れていたこと自体がかなり善戦したと言っていいだろう。
トイレにも行きたくなっちゃって、18キロ付近のコンビニでトイレを借りて、既に重くなった足を引きずるように走りを続けた。まあ思えば三浦マラソンでは毎度の展開である。
しかし、今年はルール変更で制限時間が延びたことで、こんな酷い走りをしていても制限時間オーバーで失格になることはない。たとえここから歩いたとしても制限時間内にフィニッシュゲートをくぐれるだろう。その点では安心である。
しかし、その安心が甘えを生んでしまった。
平坦コースなのにペースが全然上がらないのだ。呼吸はどんどん苦しくなってくる。いつもなら制限時間との闘いを演じて気合いの走りをするところで、まったく足が進まないのだ。
制限時間が延びたことでココロに隙ができてしまったわけである。制限時間が延びたことはいいことだと思っていたけど、こういう落とし穴があるとは思ってなかったわ。
そして残り2キロほどでついに立ち止まってしまった。ストレッチしたり呼吸を整えたりして再び何とか走り出した。
そんなわけで、終盤の失速がいつもよりも酷かったけど、なんとかフィニッシュゲートをくぐることができた。
タイムは2時間27分47秒。
このイベントにおいてはたぶん、過去に例のないほど遅いタイムだと思う。
制限時間が延びたことで、ぼくがこれに甘えてしまった点が最大の原因ではあるけど、それだけではないだろう。後半の失速は、毎度のこととは言え、明らかに練習不足である。しかもロングラン練習が足りないのだ。もっと言えば、距離ではなく、長い間走り続ける練習が不足していたのだろう。1、2時間程度のランニング練習ではなく、3、4時間ほど走っていられる身体作りが必要だったわけである。とは言え、2、3日前まで咳が止まらなかったんだから、まあ頑張ったよな、うん。

 

そんなわけで、ここ数か月の目標だった三浦マラソンが終了した。これからもいくつかランニングイベントがあるけど、ひとまずは大きな山を越えた感じである。
これから暖かくなるので、これからはランニング以外にもサイクリングのシーズンが始まるわけである。今年はいいサイクリングができるといいなー。

 

※ヘロヘロになってフィニッシュした直後。

| Be RUNNER! | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0)
風邪ひいた!

このタイミングで風邪をひいてしまった。先週末のお寒いランニングがいけなかったのか、その翌日になんだか気が進まないまま16キロほどランニング練習をしたのがいけなかったのか、ともかく週明けから喉の痛みや咳が出るようになってしまった。
幸い会社の仕事は自分で調整可能だったので、いろいろ根回しをして、火曜日は午後半休、水曜日は休みをいただいた。木曜日はいろいろ迷ったけど、回復の兆しが見えないので、もう1日休ませてもらった。市販薬しか飲んでなかったけど、2日ほども休んだので少し回復している感じである。風邪で2日も会社を休むなんて、なんだか久し振りである。今日と明日でゆっくりすれば、風邪を完全に治すことはできるだろう。ちゃんと栄養も取ってね。

 

問題は日曜日のハーフマラソンが走れるかどうかである。病み上がりでいきなり21キロを走れるものだろうか。いやしかし、今まで多少ともランニングの練習を積んできたのは、今週末のランニングイベントがあるからこそである。ここは頑張って体調を回復させ、ランニングイベントにぜひ参加したい。
体調が悪くなると、これに伴ってモチベーションも下がってしまい、その後に体調が回復しても気持ちの方はすぐには高まらないものである。しかし、気持ちで負けてしまってはダメである。モチベーションが高まらないからと言って日曜のランニングを不参加にして、でも後で振り返ってみるとあの時の体調なら走れたかもな・・・なんて後悔するのは嫌である。走る気持ちだけは、高めに維持して、体調がちゃんと回復した時には、気持ち的にも走れる状態にしておくべきである。いや身体は絶対に無理させないけどね。ハーフマラソンを走り切るんだというココロの火はずっと灯しておきたい。
心配なのはぼくだけじゃなくて、実はさきこも体調が悪いのである。慢性化傾向のあるさきこの風邪を初期症状のうちに叩いてランニングができるレベルまで持ってこられるか。これも大きな試練である。

 

思えば、先々週の青梅マラソンも体調不良で不参加だった。さすがに2回連続で不参加にするのは避けたいところである。
そんな折、6月に開催される富士ヒルクライムのエントリーがスタートして、早速ぼくも申し込みをした。あの地獄のような天にも昇るサイクリングにもう一度チャレンジしてみたい。風邪っぴきなのに気持ちだけは充分に高い感じである。過酷な状況にも負けていないと思う。
あとはぼくの体調がどう変化するかである。ぜひ快方に向かい、あのスタートラインに立たせて欲しいものである。

| 日記 | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0)
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