何だか調子が良くない。
2週間くらい前からになるけど、みぞおちの辺りが痛い。臓器で言えばちょうど胃の入り口辺りである。なんていうか何かが詰まったような感じ、異物感である。
また、これも数週間前からだけど、身体が痒くなる。見るとまだら模様の膨らみができていて、どうもこれが蕁麻疹というものらしい。蕁麻疹って丸くてポツポツしてるイメージがあったけど、看護師資格を持っている会社の同僚に聞いたところ、これが蕁麻疹というものらしい。奇怪なのは、この痒みは会社から帰宅すると出てきて、しばらく猛烈に痒くなるのに、寝る頃には治っているという点である。まだら模様の膨らみもキレイになくなっているのだ。
ここ数か月、食生活が変わったので、疲れやすくなったなーとは思っていたけど、こんな風に身体に変化があるのは初めてである。
さらに、ここ1、2日のことだけど、唇が腫れぼったくなる。上唇の時もあれば、下唇の時もあり、昨日なんか朝は下唇が腫れていたのに、午後になって上唇に腫れが移動していた。加えて、まぶたの辺りも赤く腫れてきた。なんだか声が出しづらくなったなーと思ったら、声がかすれてきた。
なんだ、これ。風邪なのか?いや熱はないし、身体もダルくない。風邪のような感じはしない。ただ単に胃の辺りに異物感があり、全身が痒くなり、唇が腫れ、声が出しづらいのだ。
何かが起こっているけど、原因がよく分からない。精神的、肉体的に疲労しているかというと、別に仕事が忙しいわけでもないし、休日もそれなりにゆっくり過ごせている。
身体の変化は会社の同僚にも分かるほどで、昨日の唇の腫れを指摘されたり、まぶたの腫れは同僚に指摘されて初めて気づいたくらいである。
ちなみに、胃の異物感については、ちょっと不安なので、先週病院に行ってきた。逆流性食道炎などと診断され、市販薬を処方された。空腹時にそういうことが多いそうな。ふーん・・・?つまり、胃や痒みや腫れなどは関連しているわけではないのかな。少なくとも胃だけは単独の症状なのかな?
単独かどうか分からないけど、痒みについては、おそらく副交感神経が優位になると発症するんじゃないかとにらんでいる。仕事中は交感神経が優位なので、痒みを感じないけど、帰宅して副交感神経優位に切り替わり、蕁麻疹が現われるのだろう。その後、免疫の働きで蕁麻疹が収まるという流れ。これを毎日繰り返しているんじゃないのかな。いや、実際のところは分からないけど。
ぼくは身体に不調が起こることがあまりない人なので、こういう変化には少なからず戸惑っている。風邪なら風邪でもいいのだけど、発熱もダルさも自覚されないので、さらに戸惑う。なんだろうな。
そんなわけで、今日にでも会社を午後半休して、皮膚科に行ってこようと思う。何かが分かればいいけどね。
まさかネコアレルギーだったりして?!
週末はさきこと散歩三昧だった。いや、やることがなくて散歩くらいしかすることがないというわけではなく、ダイエットの一環で休日に長く身体を動かそうという考えで散歩をすることにしたのだ。2日間で合計15キロくらいは歩いたかな。
1日目は、ランニングでも走ったことのある道を歩いて、港の見える丘公園まで行った。普段はクルマやランニングで走る道なので、見落としていたものを発見できたりして良かったな。
2日目は、普段は行かないエリアに行こうということで、庭から見える住宅地の向こうまで行ってみることにした。ぼくの庭から富士山を見る時に、手前の丘に建つ鉄塔が富士山のすそ野にかかっちゃって、どうも無粋な感じだった。日本一の高さの富士山の素晴らしい姿を見ようとしてるのに、遠近法の関係でその手前にある鉄塔の方が高く見えちゃって、なんだか興ざめな感じなのである。あの鉄塔の正体を見極めようと思った。
1時間ほど歩いて到達した鉄塔の辺りは、ある有名な総合商社の社宅の敷地だということが分かった。その鉄塔はいわゆる電波塔で、受信用なのか発信用なのかよく分からないけど、それが企業の敷地に建っているというのがなんだかぼくの想像力をかき立てた。
この鉄塔の辺りから見回すと、遠くにランドマークタワーやコンチネンタルホテルの特徴的なみなとみらいの建物群が見え、視線を転じるとぼくの住むマンションが建つ丘を越えて、さらに向こうには東京湾が広がっていて、タンカーが動いて見えた。この企業の本社はたしかみなとみらいにあったなとか、この電波塔は航行する船舶とも連絡が取れる位置にあるなとか、いろいろ妄想してしまい、もしこの企業が何らかの企業活動の中でこの電波塔を使ってるとすれば、これはなかなかなくならないかなーと思った。富士山の隣に建つ鉄塔の風景はそう簡単には変わりそうもないね。
さらに道を進んでいくと、ピンク色の壁面が特徴的な巨大な建物が見えた。これもぼくの庭から見える建物である。ぼくの庭からは2階建てくらいにしか見えなかったけど、実際はもっと階数が多い建物だった。先ほどの総合商社の社宅のある丘に遮られて低く見えるのかもしれないな。このピンク色の建物は、小児科を中心とした大病院の施設だった。
ここから見た景色は、先ほどの丘から見たものよりもかなり広く遠くが見えた。この景色にぼくは驚き感動した。
みなとみらいはもとより、首都高のつばさ橋やベイブリッジも見える。山下公園のマリンタワーも見える。さらに右側に視線を転じると、ぼくには馴染みのある建物がたくさん見える。日本初の競馬場と言われる根岸森林公園の競馬場の建物さえ見えた。またぼくの住むマンションを超えて、その先の東京湾を超えて、さらにその先には房総半島の影さえも見えた。これはスゴいわ。なんだか地図を見ているような感覚である。よく知った地元の地図を文字通り横から見ている感じである。俯瞰地図とは違った面白さがあるな。まさに横浜の風景を一望できる場所である。思わず時間を忘れて見入ってしまった。
ここがぼくが毎日のように庭から見ていた場所から見た風景なのだ。自宅からの景色もそりゃスゴいけど、この場所からの景色も決して負けていない。ぼくの自宅からはキレイな夕陽や富士山が見えるけど、この場所なら横浜らしい景色とともに朝陽やら花火大会なんかも見えたりするんだろうな。ぼくの自宅からは花火大会なんて見えないもんな。これはかなり羨ましいわ。
ちなみにこの場所は、最寄りの駅からかなり離れている。最寄りの駅から5分ほど坂を下って街道沿いのバス停からバスで20分ほど走り、さらに10分ほど坂道を上った先にある。通勤時間はかなりかかると思われる。それを考えれば、徒歩10分程度で最寄りの駅まで行けるぼくの自宅の方がいいかもしれないね。
それにしても、ぼくが今の場所に引っ越してきて10年以上が経つけど、知らない道、知らない場所、知らない景色がこれほどあったとはね。たかが散歩と侮れないのである。
自宅に戻って、庭からキレイな夕焼けを見た。普段見ているのと変わらない景色なんだけど、鉄塔やピンクの壁の建物がなんだか身近に感じられた。そして、住宅がただ並んでいるように見える中に、この日ぼくとさきこが歩いてきた道があることを思って、ちょっと嬉しくなったのである。
※よく見ると地平線の付近にいろいろと興味深い建物が見える。
ぼくはランチタイムになると、早々に食事を済ませて会社近くのコーヒー屋に行く。そこでコーヒーなぞ飲みながらパソコンをカチャカチャやるのだ。どういうわけか、キーボードをカチャカチャやっていると気持ちが落ち着くと言うか、癒される感じなのだ。幸いにして、パソコンで肩こりとか起こらないこともあり、ぼくは会社だけでなく、休み時間も、または帰ってからもずっとパソコンをカチャカチャやっている。
会社近くのコーヒー屋は、以前はプ〇ントを利用していたのだけど、どうもコーヒーが美味しいと感じなくて、ただパスタとセットにできるから行っていただけなんだけど、ここ数か月はパスタを食べなくなったので、プロ〇トに行くのをやめて、その隣にあるエク〇ルシ〇ールカ〇ェに行くようにしている。ここは少々割高だけど、美味しいコーヒーがたっぷり飲めるので、気に入っている。包まれるような感じで座れる丸いチェアが空いていると、さらに至福の時間である。
エクセルシオールカフェは、ド〇ール〇ーヒーの系列だそうで、ド〇ールといえば、非喫煙者よりも喫煙者の席の方が多いことがずっと気になっていた。世の中は確実に非喫煙の流れなのに、どうして喫煙席の方が充実してるのかといつも思うのである。同様にエクセルシ〇ー〇カフェも喫煙者への配慮があって、ぼくが利用する店は数こそ非喫煙席の方が多いけど、自動ドアで仕切られた喫煙室もちゃんと存在している。喫煙室の自動ドアは人が通るたびに開いたり閉まったりするので、非喫煙席とは言え、その前に座っていると、どうにも煙くて困るのだけどね。
ちなみに、オリンピック開催都市は、どこも禁煙対策をしっかりしていたそうだけど、東京でも2020年までに過去の開催都市並みに禁煙対策をやるのだろうか?
コーヒー屋における喫煙室は、ぼくにとっては嫌悪の対象でしかないけど、かく言うぼくも以前はタバコをスパスパ吸って、コーヒー屋の喫煙室の煙が充満した中に安らぎを得ていた人だった。ランニングを始めても、サイクリングを始めてもタバコを継続していた時期があるので、タバコを辞めてからまだ10年程度しか経っていないハズである。さらに言えば、「タバコこそぼくのアイデンティティ」みたいに感じていたところもあって、そういえば、当時設定していたメールアドレスにもタバコの銘柄を入れていたっけ。今思うと恥ずかしいくらいアホの所業である。
紙タバコを長いこと吸っていたけど、タバコを辞める1、2年くらい前からパイプを吸うようになった。
パイプは煙を肺まで入れないので、紙タバコよりも健康的だとか、長いこと吸っていられるので経済的とかいろいろ言われていて、興味があったのでちょっと手を出してみたのだ。
パイプは葉タバコを詰めて、火をつけて、火種を維持しながらゆっくり吸う。独特の香りがあって、タバコのようにケミカルな感じはまったくなく、より素朴な感じがするのだ。甘い香りをつけている葉もあったしね。
沼津に単身赴任していた頃は、会社が終わって社宅に戻り、丁寧に葉を詰めてパイプに火を灯し、ゆっくりくゆらせて1時間ほどのドラマを見るのが好きだった。上手い人なら2時間くらいは吸っていられるそうで、ぼくはシロウトながらそれでも1時間ほどは火を絶やさないでいられた。パイプを吸っている時間はなんだか時間の流れがゆっくりになるようで、ぼくの大事なリラックスタイムだったのだ。
タバコを辞めるにあたり、パイプに関する道具も完全に廃棄した。ちょっと値の張るパイプもガツンとゴミ箱に投棄した。ぼくはそれ以来、遊びでちょろっと吸う以外は一切吸っていない。それでも通算して4、5本くらいじゃないかな。
そんなある日、いつものようにエ〇セルシ〇ールカフェでランチタイムのコーヒーを飲んでいた時である。この日は喫煙室の前の席に座ってパソコンをカチャカチャやっていたのだけど、人が通る度に開いたり閉まったりする自動ドアの向こうに、パイプをくわえた初老の男性がいた。
オーソドックスなストレートタイプのパイプである。パイプから少量の煙が出ていて、パイプをくわえた口から白い煙を吐いていた。美味しいコーヒーを飲みながらパイプを吸う姿に、ちょっと見とれてしまった。
思わず、いいなーと思ってしまった。
パイプを吸っていた当時、ぼくは外でパイプを吸うのをなるべく避けていた。パイプのような「オトナの嗜好品」をぼくなんかが持っていたら、なんだかひけらかしているように思われないかなと恐れていた。外で吸っても決して恥ずかしくない程度にまで熟達してはいたけど、なんだか恥ずかしくて外でパイプは吸えなかったのだ。もっぱら自宅、外と言えばクルマに乗った時くらいだった。ひけらかすつもりなんかまったくなかったんだけどね。
ぼくも美味しいコーヒーを飲みながらパイプを吸いたかったな。ドト〇ルやエクセ〇シオールの喫煙室で、美味しいコーヒーを飲みながら文庫本でも読むような優雅な休日を過ごしたかったな。
白い煙の漂う喫煙室の中で、優雅にパイプを吸う初老の男性を見ながら、かなり羨ましくなった。
ちなみに、パイプを吸うには、紙タバコ以上にいろんな道具が必要で、タバコを吸うだけなのにテーブルの上に道具がいくつか置かれることになるんだけど、その人のテーブルの上にはそれほど道具が置いてある感じではなかった。パイプに着火するところを見てはいないけど、効率よく道具を出し入れしながらパイプに火をつけたんだろうな。ぼくも彼くらいのレベルまでパイプの技術を高めたかった。
ぼくはタバコが嫌いで、歩きタバコしてるヤツがいると、走っていって後ろから体当たりしたくなるほど嫌いなんだけど、パイプを吸う光景は嫌悪感からは遠く、とても懐かしい感じがした。不覚にも癒されてしまったよ。
ちょっと不思議な感じのするランチタイムの光景だった。
東京マラソンの先行エントリーは、今回も落選だった。
先日のブログで「今年はなんだかイケるかも?」みたいな書き方をしたけど、すべてが妄想であり、結果的には今回も厳しい現実が突きつけられることになった。
ちなみに、まだチャンスは2回ある。一般応募の抽選と二次募集の抽選である。しかし、果たしてどうだろうかね。
2週間前に伊豆半島一周サイクリングに出かけ、満身創痍でこれを走り切ったわけだけど、これが終わってしまい、今やぼくには何も目標がない状態である。横浜マラソンにもハズれ、東京マラソンは3回のチャンスのうち1回目がダメになった。もはやランニングを当面の大きな目標にすることはできないかもしれない。サイクリングでは、来年までロングライドはできなさそうだしなー。気持ち的にはフワフワした状態である。
ちなみに、今後に予定がないわけではない。ランニングはそろそろ秋春シーズンの募集が始まるし、サイクリングでは冬にさきこと旅行に行って走ってくる。先月に続き、9月と11月にキャンプをしようなんて考えてもいる。しかし、ぼくをギリギリまで追い込むようなチャレンジサイクリングの計画は、今は白紙状態である。パソコン画面に日本全体の地図を表示して、どこを走ろうかと思案する日々である。これで今後目標が決まれば、表示される地図はより範囲が限定されていく。まだその段階ではないわけだ。
最近疲れ気味なのか、暑いこともあって、ランニングもできてないしね。えいやっと飛び出して、ちょっと身体に負荷がかかるような距離をがっつり走ってみるといいかもしれないね。そうすれば、当面の目標が少し見えてくるかもしれない。
伊豆半島一周サイクリングに行ってきた。
いやもう大変なサイクリングだった。コースはほとんど上り坂か下り坂しかなくて、平坦な道を気持ちよく走るようなサイクリングではなかった。まさに自転車乗りとしての走力と精神力が試される過酷なコースだった。
天気もかなり過酷だった。特に1日目は台風一過の快晴で、首都圏では気温が35度を超える酷暑。延々と続くアップダウンに加えて、厳しいコンディションだった。
ナメちゃいけない伊豆半島。でも、好天のおかげでキレイな風景もいっぱい見られた。そんな辛く楽しいサイクリングの顛末である。
熱海まで輪行で行き、自転車を組み立てて熱海駅を出て、海まで坂を下ると、ほんの数百メートルですぐ上り坂が登場する。スタートして1、2キロで坂道になるのは、分かっていたけどね。気持ちも張っていたし体力にも余裕があったので、ここは難なくクリア。その先ですぐに下り坂になり、砂浜の海水浴場を超えると、すぐまた上る。これが何度か繰り返されてやっと伊東を超えた。日差しがどんどん強くなってくる。
伊東を超えて、20キロほど。とにかく伊豆高原までは頑張ろうと思った。以前、会社の自転車仲間と下田から伊豆高原までサイクリングしたことがあり、さほどキツくなかった記憶がある。早く伊豆高原から先に行きたい。
しかし、繰り返されるアップダウンと強い日差しにやられて、堪らずコンビニに駆け込んだ。このままではホントに熱中症になってしまう。とりあえず水を飲み、アンパンで糖分を摂取、アイスを食べて身体を冷やした。既に汗で全身びっしょりである。とにかく水分補給だけは怠らないようにしないと。
20分ほど休憩して、再びスタート。それからもコンビニで休憩を挟みながら先に進んだ。
※熱海駅前にて。まだいい天気だな。
※熱海を出てすぐに上り坂である。
※上ったと思ったらすぐ下りで、海岸に出る。
まだ体力的にも精神的にも余裕があったのか、途中で道を折れて、一碧湖に立ち寄ったりした。森に囲まれた湖は、なかなか美しい風景。古き良き避暑地の風景である。コースに復帰する際に劇坂を上るハメになったのはちょっと参ったわ。
伊豆高原を過ぎると既に昼時である。沿道にあったレストランに入った。
びしょ濡れのサイクルウェアで入店するにはちょっと憚られる感じの少し高級感のある店ではあったけど、混み合う前だったため奇異な目で見られることもなく、キンメダイの刺身や炙りの乗った丼を食べ、かなり元気が戻った。いや美味しかった。
※一碧湖。涼し気な風景。
※ランチ。美味であった。
海を左手に見ながら走っていると、水平線の向こうにふたつの島影が見えた。大きい方が伊豆大島で、小さい方は新島だろうか。大島と新島の間にある利島かもしれない。
河津駅前を超えると、下田も近くなってきた。とは言え、アップダウンの連続はまだ続く。しかし坂の上から見下ろす海はその美しさをどんどん増しているようで、海底まで透き通った様子は、見ていて飽きない美しさだった。
白浜海岸では、それまでの伊豆の海岸とは全然異なる趣で、浅黒い肌をさらした若者たちが闊歩する世界だった。まあキレイな砂浜だからね。
こうして下田に到着。時刻は14時過ぎである。いやはや過酷なサイクリングだった。
※東伊豆の海岸から相模湾を臨む。伊豆大島と利島(?)が見える。
※河津駅前。入道雲の雰囲気がまさに夏そのもの。
※海岸の風景。
※下田に到着!
まずはこの日の宿に向かう。海辺のペンションで、この時期で男一人旅の予約を受け付けてくれる数少ない宿泊施設のひとつだった。夕食なし、朝食なし、部屋にはシングルベッドがぽつんと置かれただけの素朴というかチープというか、シンプルな部屋である。だけど、びっしょりの汗を洗い流そうと風呂に入ったら、これがなかなかいい感じの温泉で、とても気持ち良かった。
風呂上りにベッドに倒れ込むと疲労のためにそのまま寝てしまい、起きると日は既に西の山影に隠れようとしていた。ぼくはTシャツ短パンに着替えて自転車に乗り、下田の街に散策に出かけた。
穏やかな湾内をぐるっと回って、ペリー像の前で記念写真を撮ったり、その先の防波堤の先端まで行ったりした。防波堤の先から山に囲まれた下田の街を見ているとなんだか不思議な気分である。よくぞここまで自転車で来たものである。ホントに遠くまで来たんだなーと思った。
南の空には白い小さな点がゆっくり移動していた。旅客機が飛んでいる。よく見ると、かなり距離を置いて、ひとつ、ふたつと白い点が続いているようである。夕方のこの時間は羽田に着陸する飛行機が相模湾沖で長い列をなす。飛行機の位置情報を表示するスマホアプリで見ると、相模湾から伊豆半島の南沖で列を整える様子が分かる。ぼくは暑い中、自転車に延々乗ってこんな遠くまで来たのに、向こうに見える飛行機があと数分後には横浜や東京の上空を通過するわけである。。なんだか不思議な感覚になった。
夕食をどうしようかと考えて、某SNSで自転車仲間が勧めてくれたとんかつ屋に向かう。大きな店かと思ったら、かなり小ぢんまりした店で、しかも店内は満席だった。威勢のいい店主にヒレカツ定食を注文すると、
「お客さん、この店初めて?初めてのお客さんは、ミックス定食にしてもらってるから!」などと言われ、ミックス定食を食べるハメになった。これがかなりのボリュームで、さらにキャベツが次々に勝手に追加されて、結局食べきれなかった。とんかつ自体は非常に美味しかったけどね。
ちなみに、以前、自転車仲間と下田に来た時に、当時の上司の奥さんの実家が営む食事処でかなり美味しい海鮮丼やキンメの煮付けとか食べたけど、この店が別の店名に変わっていた。何かあったのかな?
※下田の風景。
暗くなってきたので、海岸沿いの公園のベンチに座って缶ビールなぞ飲んだ。暗くなってきた空に星が見え始めていた。まだ完全に夜になっていないのに、星がたくさん出ていた。白鳥座が見つけられたので、その近くに天の川があるハズである。まだ見えるには時間が早いか。夜中に起き出して見てみよう。
しかし、宿に戻ると文字通りバタンキューで、9時頃にさきこと電話で話した記憶があるものの、まったく覚醒できずにそのまま寝てしまった。かなり疲れていたのだろう。気が付くと明け方4時だった。
5時くらいに起きて、近くを散策した。旅先での朝の散歩は気持ちいいものである。空には雲がかかっていたものの、前日に続き晴れを予感させる空模様だった。これは暑くなるぞ。
サイクリングの支度を整えて、宿を出る。
近くのコンビニに入って、朝食のおにぎりと水を調達した。この日は前日より15キロほど長い距離を走ることになるし、コンビニや自販機の数もかなり少なくなる。疲れたからといって気軽にコンビニで休憩することはできなくなる。特に石廊崎の手前にあるコンビニは、その後の30キロを前にした最後になるコンビニである。ここでの補給と休息は重要である。
ぼくがおにぎりを食べつつ休憩していると、スクーターバイクに二人乗りした男女が駐車場に現われた。二人ともレインウェアの上下を来て、大きなバッグを背中に背負っていた。このリュクサックにもなる巨大なバッグはぼくが持っているものと同じだった。部活の朝練に向かう女子中学生とこれを送るお父さんみたいである。
※下田の朝。月がキレイ。ペンション前にて。
※坂本竜馬の像があった。
※南伊豆の道を行く。
さて、石廊崎である。伊豆半島の最南端にある岬で、そこには灯台があったりする。ここは今回の旅では外せない場所だった。
しかし、である。
石廊崎灯台への道はいろんな意味で険しく厳しいものになった。ぼくが石廊崎への道を読み違えていたのが原因である。
道の沿道には「石廊崎こちら」の看板は出ていた。大きくてカラフルでかなり目立つ看板である。よほどこちらに誘導したいんだろう。しかし、当初のコースはここで道を折れず、その先の石廊崎灯台のバス停で道を折れる予定だった。だから本来なら看板を無視して進むのだけど、看板から発せられる誘導のオーラに負けて、つい曲がってしまった。
道の先には石廊崎漁港があった。石廊崎灯台はここから山道を徒歩で登るようになっている。ちなみに先ほどの道を折れずに行ったとしても、その先には坂道があって、これを自転車で上らないといけない。つまりどちらにしても山を登るのであれば、寄り道して徒歩で登るよりも、自転車で先に進んだ方が効率がいい。そんなわけで、一旦は看板の誘導に負けて石廊崎漁港まで来たものの、ぼくは遊歩道入り口の前でUターンして、先ほどの道まで戻り、ぼくは坂道を上ることにしたのだ。
しかし、結果として、石廊崎漁港から徒歩で行くのが正解だった。
息をぜーぜーと切らせて坂道を上った先には、確かに石廊崎灯台のバス停があった。しかし、その先の道、石廊崎灯台に至るだろう道にはなんと「立ち入り禁止」の看板が出ていたのである。
これには驚いた。公共交通機関であるバスの停留所の名前にもなっている場所から石廊崎灯台に行けないとはどういうことか。
実はこの場所から石廊崎灯台に行くには、「石廊崎ジャングルパーク」という施設の中を通過する必要があるようなんだけど、しかしこの施設は10年以上も前に閉園になってしまって現在立ち入り禁止になっているのである。つまり施設に入れない以上、ここから石廊崎灯台には行けないわけである。
さて、どうするか。これでは行きたかった石廊崎灯台に行けない。
もっとも現実的な方法は、先ほどの石廊崎漁港まで戻り、徒歩で山を登って行く方法である。あの看板の表記はやっぱり全面的に正しかったわけである。しかし、先ほど息の切らせてせっかく上ってきた坂をもう一度下るというのは、なかなか厳しい判断である。一度下って、もう一度同じ程度の高さまで徒歩で登り、さらにこれを降り、そしてもう一度自転車で戻ってくるのである。これからの距離を考えると、そこまで時間と体力を割けるだろうか。いや、行きたかった石廊崎である。伊豆半島最南端である。これを逃すべきなのか・・・。
いいや、坂道を下らなくても石廊崎灯台に行く方法はあるかもしれない。そうだ、閉園したジャングルパークの中を突っ切ればいいのだ。見たところ立ち入り禁止になって久しい感じである。ひと気のないこの辺りなら、不法侵入などは多少大目に見てもらえるだろう。ぼくは立ち入り禁止のロープをくぐり、立ち入り禁止エリアに足を踏み入れた。
※石廊崎灯台のバス停付近。雑草が生い茂る中、立ち入り禁止の看板がある。
かつて賑わったであろう園内は、今は当然ながらぼくひとりである。広大な駐車場の跡地にはアスファルトの割れ目から雑草が生い茂り、土産物屋やレストランがあっただろう施設の壁は多くが崩れていた。まさに廃墟、ちょっと不気味な世界である。ぼくはこういう場所には基本的に足を踏み入れない性質なんだけど、ごくたまに、好奇心が理性や恐怖心に勝ってしまう時がある。この時がそうだった。
駐車場内を進んでいると、道路の縁石が現われた。見たところ、最近敷設された縁石のようである。アスファルトは敷かれていないものの、ごく最近に何者かがここに道路を作ろうとしているのが分かった。もしかすると、今まさに施工中なのかもしれない。
そんな施工中の道を進んでいくと、その先に巨大な温室のような施設が見えてきた。長年の風雨にさらされて、ガラスが割れ、骨組みは錆びついていた。ジャングルパークが閉園する前は、この温室の中に南国の植物が植えられていたのだろうけど、今や見る影もない。そこで気づいたんだけど、温室の周りに土木作業で使うような重機がとめられていた。ショベルカーやトラックなどである。先ほどの施工中の道路と同様、ここで何か工事をしているのだろう。もしかすると、石廊崎灯台までの道を敷設しているのかもしれない。石廊崎灯台のバス停まで来て、泣く泣く引き返す観光客が多いことに鑑み、ジャングルパークの廃墟を撤去して、道を作っているのかもしれない。このまま進めば、その道が灯台に繋がる地点に出られるかもしれない。
さらに進むと、作業用のバンが駐車してあり、プレハブ施設や作業エリアを仕切る壁みたいのが見えて、工事現場的様相が一層濃くなってきた。そこには人影は一切見えない。今はお盆休みなのかもしれないな。そういや、ぼくは工事現場に不法侵入している身なので、ここで誰かに見つかってしまうとかなりマズいことになるな。
ちょっと不安が高まりつつも、視点を移すと、工事現場の壁の向こう、さらに重なる木々の葉の向こうに白い建物が見えた。あれが石廊崎灯台である。ここからでも結構距離があるように見えるけど、きっとこの先で道が合流するハズだから、このまま進めばどうやら行けそうである。
しかしである。ぼくが進む先に見えていたバンに後ろから近づいていくと、運転席に置いてあったヘルメットがゆらっと揺れたような気がしたのだ。バンに誰かが乗っている。
これは困ったことになった。バンに乗った人はおそらく工事関係者だろう。このまま進んでバンの横を通過したら、きっとぼくを見過ごさないだろう。声をかけられ、きっと不法侵入を咎められるだろう。
いや、いっそこちらから彼に声をかけて通り抜けをお願いしてみるか。それなら灯台には行けそうである。いやダメだ。それで彼が渋々ぼくを通過させてくれたとしても、帰りはどうなるか。再び不法侵入を許してくれるわけはないだろう。ぼくは正規のルートで一度石廊崎漁港に降りて、今度は先ほどの坂道を徒歩で上ってこなければならない。それは避けたい。いやいや、そもそもぼくは彼にとっては不法侵入者、つまり犯罪者である。ぼくがうかつにも声をかけたところで、彼が紳士的に対応してくれる保証などないのだ。彼がぼくをボコボコにして、穴に埋めてしまうことなど造作もないことだ。幸いここは立ち入り禁止エリアで誰も見ていないし、穴を掘るための大型重機も揃っている。声をかけるのは、危険であるとさえ言える。ここは大人しく引き返すしかない。石廊崎灯台が見えるところまで来て非常に残念だけど、生命には代えられない。
ぼくは後ろ髪を引かれる思いで来た道を戻ることにした。その時である。
ぼくが歩いてきた道の向こうから、別のバンが現われたのだ。しかも中に何人もの人が見える。そうか、出勤時間か。このエリアに人がいなかったのは、お盆休みでもなんでもなくて単に時間が早かっただけなのか。
このままではバンと真正面から鉢合わせることになる。どうする、行くか戻るか。どちらにしても工事関係者に見つかってしまうわけである。万事休すである。ヤバい、ボコボコにされて埋められてしまう。伊豆半島最果ての地で、ぼくは人生を終えるのか、最後は海の藻屑と消えるのか?!
※(左)施工中の道路。左手に廃墟となった施設の建物が見える。
(右)重機が無造作に並ぶ奥に温室が見える。
※工事車両が入ってきた。
ぼくは自転車に乗って坂道を下っていた。石廊崎灯台を見ないまま先に進むことにどうしても耐えられず、石廊崎漁港までの坂道を下り始めたものの、再びこれを上り返してくる体力にどうしても自信が持てなくて、下り坂の途中で引き返した。まだ2日目のサイクリングは始まったばかりである。石廊崎灯台を諦めて、先を急ぐことにした。石廊崎灯台には、後日クルマで来ればいいのである。
しばらく進むと、高台の展望台があった。
奥石廊崎と書いてある。海岸沿いに大きな岩の島が並んでいた。岩肌が露出した急な崖の上に植物が生い茂るダイナミックな光景である。
石廊崎に行けなかったけど、ここでいい景色が見られたのでよしとするか。
高台の展望台から戻ると、駐車場に見覚えのあるスクーターバイクが入ってきた。二人乗りのバイクから男性と女性が降りて、着ていたレインウェアを脱ぎ始めた。日差しが強くなってきて暑くなったのだろう。そうか、この二人、先ほどのコンビニにいた人たちだ。部活の朝練に向かう父娘ではなかった。
「先ほどコンビニでお会いしましたよね?自転車なのに早いですよね〜」
ぼくがジロジロ見ていたからか、声をかけられてしまった。少し話しをすると、八王子の方から夜中に出発してきたんだそうな。夜中に高速道路を走るから、夏とは言え防寒のためにレインウェアを着ていたわけか。
※奥石廊崎の写真。
※ダイナミックな海岸線。
※スゴいなー。
さて、ここから先が長かった。
ここから海岸沿いから少しだけ内陸に入り、通称マーガレットラインと呼ばれるアップダウンの激しい道を走る。標高200メートル超の峠を越えるのである。その中で何度も坂道を上ったり下りたりする。これがなかなかキツい。せっかく上ったのに、そのすぐ先でこれを帳消しにするかのように下り坂があり、さらに坂を上るのだ。平坦な道はまったくない山の中の道である。しかも、道路はある程度きれいに舗装されているものの、たまに段差や窪みがあったりして気が抜けず、さらに木漏れ日が斑模様のように影を作るので、どこに段差があるか分かりにくくて、どうしてもスピードが出ない。数か月前に自転車でコケちゃった記憶もあって、速度をあげて坂道を下ることが怖かった。
ある坂を上っている時である。何度も坂道を上ってきて、もはや多少の傾斜では驚かなくなっているところ、ふいに傾斜を表示する標識が現われた。
「9%」
かなりの斜度である。富士ヒルクライムでは平均斜度5%、キツい斜度でも8%前後なんて言われる中、9%の坂道を上っていたのである。しかもこの程度の坂道は、それまでに何度もパスしてきたし、もっとスゴい坂道もあったハズで、この標識を見て初めて、上り坂でなかなかスピードが出ない理由が分かった。疲れているからでも重い荷物を背負っているからでもない。単純に斜度がキツいのだ。なんだか妙に納得してしまったよ。
そんなキツい坂を何度もパスして、この日最高地点をようやく通過。長い坂を下ると、雲見温泉があった。
ぼくが大学生の時にサークルの合宿で来た街である。いやもう20年以上も前のことである。まったく覚えていないわ。しかし、当時宿泊でお世話になった民宿の名前だけは覚えていて、道を尋ねながらその民宿まで行ってみることにした。
民宿の看板はまだ出ていたけど、もはや民宿としては店じまいしてしまったようである。ぼくが卒業した後、サークルの現役やOBはいつ頃まで来ていたのだろうか。ちょっと大学時代を思い出して懐かしくなった。
※9%の道路標識。露出した岩肌にキレイな地層が見える。
※物凄い勢いでサイクリストに抜かれていった。荷物も持たずに行くなんてどんだけ猛者なんだ。
※雲見温泉。立ち並ぶ民宿。ぼくがかつてお世話になった(ハズ)の民宿。
※雲見海岸。
さらに先に進む。そろそろ昼時である。どこかでランチを摂りたかったけど、食事ができるような店はなかなかない。やっと到達した松崎町には、食事ができる店がいくつかあって、早々に食事をすることにした。できれば海の幸を食べたかったけど、前日のような食事処はなくて、街の中の路地を右往左往していた。
すると、コインランドリーの前にゴツい自転車が停まっていた。荷物を自転車の両脇に括り付けて走るいわゆる「ツアラー」的な自転車である。コインランドリーの中を見ると、体格のいい外国人の男女が洗濯物を畳んでいるところだった。いわゆるキャンプサイクリングでは、その日の宿を予約しないので、気ままにサイクリングができるので、日中でもコインランドリーで洗濯とかしちゃうのである。
気になったのは、彼らのゴツい自転車である。
1輪タイプのトレーラーを接続していたのだ。ぼくが一時検討していたトレーラーである。巨大なバッグが載せてある。おお、実物は初めて見たわ。思わず外国人に話しかけて、写真を撮らせてもらった。ドイツから来たそうで、日本語はまったく喋れず、英語だけ。そんな人がよく伊豆まで来たものである。
松崎町では、回転寿司の店に入って、地元の魚の鮨を食べた。量の割には出費が多かったな。残念だったのは、松崎町から数分の隣町、堂ヶ島に観光客向けの食事処がいくつかあったことである。松崎町でうろうろしてないで、先に進んでいれば良かったわ。
※この日の目的地はまだまだ先である。
※ぼくが注目していたキャリア。これでサイクリングを続ける外国人夫婦。
堂ヶ島辺りまで来ると、さすがに疲労が隠せなくなってきた。休憩を挟んでいるものの、疲れがなかなか取れない。重い荷物が背中や腰にのしかかってくる。レインウェアなど置いてくれば良かったわ。余計な荷物がリュックサックの重量を増していたし、さらにコンビニのないエリアを走ることを想定して、ペットボトルを2本ほど入れているので、それだけで1キロは重量が増していた。本当に荷物が重い。
さらにアップダウンの数もキツさも増しているように感じる。一回の上り坂で上る距離や斜度がキツくなっている。
こうして土肥温泉に到着したのは、15時を超えていた。前日は下田に14時過ぎに着いていたことを思うと、かなり時間をかけている。しかし、この日のフィニッシュは、土肥温泉からさらに15キロ、200メートル超の峠を越えた先にある戸田(へだ)なのだ。
少し休憩を挟んだ後、気合い一発、ペダルを踏み込んだ。
戸田に至るまでの道は、過酷を極めた。走行距離は既に90キロを超えている。一日に90キロを超えるサイクリングもあまり経験がないし、さらにこの日は何度もアップダウンを経ている。しかもこの日最後になる峠越えは、一度ガツンと上った後、緩やかな下り坂があって、それからさらに上るというメンタルが相当削られる道だった。
だから下り坂が長く続き、木々の隙間から戸田の特徴ある岬の形状が現われた時にはとても嬉しかった。ついにこの日の到達点が見えたのである。時刻は16時を超えていた。実に10時間以上にわたるサイクリングだった。
幸い、戸田にはコンビニがあった。ここまで走ってくれた自分へのご褒美で、アンパンやらあんみつやら、普段は口にできないような食べ物をたくさん買い込んだ。
まずは身体を休めるためにこの日の宿に向かう。
実はこの日の宿は、海から少し離れたところにある。距離にして1.5キロほど離れている。これでは夜に起き出して、星や海を見に散歩に出ようなんてできそうもない場所である。ホントは御浜岬(みはまみさき)の砂浜で打ち寄せる波の音でも聞きながら夜光虫が放つ光なんかを見てビールをぐびっと飲んだりしたかったのだ。戸田の民宿をしらみ潰しに電話をかけまくったのだけど、お盆の時期は満室が多く、やむを得ず海から離れた旅館で妥協したわけである。
たしかにその旅館は海から離れていたけど、チェックインして部屋に入ってビックリである。かなりいい感じの部屋である。階下の大浴場も清潔でキレイで絶妙な湯加減。疲れがどろっと溶け出すほどの心地良さである。また夕食がこれまた素晴らしく美味であった。キンメダイの煮付けや刺身はもとより、名産のタカアシガニや地元で獲れた小魚の天ぷらもあった。いや、最高に美味しかったわ。残念な宿かと思ったら、最高の宿だった。
この日は疲労困憊でドロドロに疲れていたので、夕食後はそのまま眠ってしまった。
※恋人岬。この辺は「〇〇岬」というのが多い。
※土肥温泉に到着。名所の巨大な花時計。
※戸田の街が見えた。
※なぜかニホンザルが飼われていた。
※ハチャメチャ美味な夕食。
翌日は朝5時前に起床。
疲労は多少は取れているものの、大腿筋の筋肉痛が酷かった。この日は走行距離は短いものの、全行程中もっとも標高の高い峠を越える。斜度はさほどではないものの、坂道の距離もそれなりに長い。前日と同じくらい過酷なサイクリングになるハズである。
しかし、せっかく早く起きた朝である。御浜岬には行かないと。
空はどんより曇っていて、今にも降り出しそうな感じである。いや、既に降ったのだろう。アスファルトは濡れていて、ところどころ水たまりができていた。明け方にざっと降ったか。これからは降らないのかな。天気予報は曇り表示だったけど、かなり微妙な予感である。
御浜岬まで自転車で行き、ぐるっと散歩してきた。晴れていたらとても美しい場所なんだろうな。透明度の高い海には美しい青色の小魚が波に揺れるように泳いでいて、ここに太陽の光が差し込んだらきっと言葉に表せないほど美しいんだろうなと思った。それまでの海もキレイだったけど、そういえば海を間近で見るのは、この日が初めてだった。太陽が出て気温が上がっていたら、きっと足を差し入れていただろうな。そしたらまた言葉では表せないほど気持ち良かっただろうな。残念。
旅館に戻り、美味しい朝食をいただいた。干物が特に美味しかったわ。
※朝の戸田の港。曇っちゃったなー。
※御浜岬の先にある神社。海に向かって鳥居が建っている。
※防波堤に青色のキレイな小魚がいた。
さて、3日目最終日のサイクリングがスタートである。この日は60キロほど走ってついに熱海に至る。伊豆半島一周がついに完成するのである。
ちなみに起きがけにはそれなりに痛みがあった筋肉痛だったけど、早朝の御浜岬までの散歩に出かけた時にはさほど痛さも感じなくなっていて、この日のサイクリングが始まってしまうと、ほとんど感じなかった。一方で背中や腰は、連日重い荷物を背負っていたために疲労感が無視できないほどだった。またお尻の痛さもかなりキツかった。以前は長距離を走っていてもこれほど痛いとは感じなかった。なんだろうな、レーシングパンツが身体に合っていない感じである。身体は確かに本調子ではない。しかし行くしかないのだ。ぼくはペダルを踏み込んだ。
※スタート直後から坂道を上り、すぐにここまで上がってくる。
スタートしてしばらくは、濡れた路面を快調に進んだ。海に向かう道は少し傾斜がかかっているのかな。スピードも少し出た感じである。
しかし、それもほんの数分である。戸田の街を出るか出ないかの際で早くも上り坂である。今まで何度も繰り返してきたことだけど、今回はその斜度が明らかに一層キツくなっていた。リアのギアはもっとも軽く、フロントギアもすぐにインナーに入れるほどである。前日はそれでも9%程度の坂を時速10キロ程度で上れていたから、これはさらに傾斜がキツいのだろう。まだサイクリングが始まってほんの5分程度である。そりゃないぜ。
この坂道を超えるのはかなり苦労した。前日の最終盤、土肥から戸田に抜けるのにかなり疲労した状態で峠を越えたものだけど、おそらくそれ以上の傾斜と距離だったろう。
途中で展望台になっている小ぢんまりした駐車場で休憩した時、この峠道の成り立ちを記載した石碑があった。長年にわたり遠回りしないと行けないほとんど陸の孤島状態だった戸田の集落に続く急峻な崖沿いの道を作る難工事には、陸上自衛隊が動員されたそうである。そうか、この道は自衛隊が作ったのか。きっと足場の悪い深い森にキャタピラ重機をガンガン投入して道を切り開いたんだろうな・・・と思うにつけ、そんな血のにじむ思いをして作った道が、ロードバイクのサイクリングに優しい道であるハズがない。ぼくが文字通り血のにじむような思いで走っている道が伊豆半島のこれまでの坂道の中でも1、2を争うほど過酷を極めるのは、道理なのである。ぼくは数百メートル進んでは休憩を繰り返しながら、ゆっくりゆっくり峠を上っていった。
そして、ようやくにして坂道の地平線の向こうにトンネルが見えた。井田トンネルと名付けられたトンネルである。このトンネルをもって、上り坂は終了である。
それまでも坂道のてっぺんにトンネルが現われることは多かった。しかし、ぼくがこのトンネルの名前を憶えていたのにはわけがある。
今回の伊豆半島一周サイクリングを検討する中で、一人で伊豆半島一周を成し遂げたサイクリストのブログをいくつかチェックした。その中で数人が、この井田トンネルの写真を掲載していた。「やっと井田トンネルに到達」なんてキャプチャーをつけているブログもあった。ぼくはここまで苦労して上ってきて初めてそのわけを知った。伊豆半島を1日で周回してしまうほどの猛者でも、このトンネルは印象に残るものなのだ。そのくらい戸田からの上り坂はキツいものなわけである。
井田トンネルを過ぎて坂道を下っていると、木々の隙間から特徴的な形状の岬が見えた。戸田の御浜岬を二回りくらい小さくしたような形状、これが大瀬崎である。大瀬崎には10年くらい前に沼津に単身赴任していた頃にバイクで来たことがある。雲見以降ずっと続いていた未踏の地がついに終わりを告げた。ここから先は一度は来たことのある道である。
道を折れて大瀬崎に降りる道は、結構な急坂かと思っていたけど、そうでもなかった。立ち寄って良かったわ。
空には黒い雲が垂れこめていて、風も強く海面は波立ち、雨は降ってなかったけど、いつ降り出してもおかしくない感じだった。ぼくは自転車を停めて、大瀬崎の先端まで行ってみることにした。伊豆半島七不思議のひとつと言われる淡水の湧き出る池を巡って、海岸線を散歩したりした。ダイビングショップが立ち並ぶ場所だから、晴れて日差しが海に差し込んだりすればきっとキレイな景色が見られたんだろうけど、この日は波立つ海が暗い色を湛えるだけだった。前日までずっとキレイな景色を見ていただけに、ちょっと残念である。
大瀬崎を超えると、海岸沿いの道は東に方角を変えて、しばらく平坦な道になる。平坦といっても若干のアップダウンはあるし、カーブも多く、さらに風は前から吹いてくるので、爽快なサイクリングというわけにはいかなかったけど、それまでの地獄のアップダウンを思えばなかなか快適な道だった。
※森の中を上っていく。(右)井田トンネル。
※大瀬崎を見下ろす。
※大瀬崎は荒れていた。
※側道に青い表示。どうもサイクリスト向けの表示のよう。
しばらく進むと、交差点に出た。
海岸沿いの道は、ここでさらに方角を北向きに変えて沼津市街に進むんだけど、これに東向きにまっすぐ行く道が交差していた。当初の予定のコースは沼津市街に向かってもう少し海岸沿いを行くところだったけど、実は東向きに行った方が熱海には近道ではないかと思った。地図で見ると、確かにショートカットできそうなコース取りができそうである。天気がいつ悪化するか分からないし、疲労も大きいので、ここは少しでも時間短縮しておきたい。ぼくはそのまままっすぐ、東向きに進むことにした。とにかく先を進むのでまったく振り返ることはなかった。思えばここで長く付き合ってきた海岸沿いの道と別れることになるのだけどね。天気のことや疲労感など、とにかく早く熱海に行きたいという焦りの方が強かったかもしれない。
東に進路を取り、下田街道を少し走ると、熱函道路に至る道に出た。ここから再びヒルクライムである。しかも今回のサイクリングでもっとも長く標高の高い坂である。しかし、これが最後の上り坂でもある。いや、長く走ってきた伊豆半島のサイクリングもいよいよフィナーレである。フィナーレにして最大のクライマックスである。
気合いを入れ直してぼくはペダルを踏み込んだ。
※ついに熱函道路。
熱函道路の坂道は斜度はさほどではないものの、いつまで続くか分からない不安さや交通量の多さに悩まされた。トラックなんかも結構通るので、走っていてちょっと怖かった。特に坂道ではアクセルを踏み込むためか、クルマのスピードは速くなるしエンジン音も大きくなる。後ろからエンジンを唸らせながら高速で迫ってくるのは、怖いよな。
道は早々に森の中に入る。霧が立ち込め視界が悪い。たしかどこかに三島市街を臨む高台を走る道があるハズなんだけど、沿道に見える風景は雑木林や小さな集落の田園風景でしかなかった。何度か休憩を挟み、三島を臨む道はいつ現われるのだろう、それが見られないうちは坂道にも終わりがないと思っていた。
しかし、坂道の向こうにトンネルが現われた。その唐突さにびっくりした。熱函道路のトンネルは、坂道のてっぺん辺りにあるトンネルしかないハズである。ぼくは坂道の上まで、いつの間にか至っていたわけである。三島の風景は見えたのかな?どこかで振り返ったら見えていたのかもしれないな。ともかく、坂道は終了である。
ついに、ついに熱函道路を上り切った。後は下るだけである。トンネルの中は狭くて、後ろから迫るクルマの音がとても怖かったんだけど、道は若干傾斜していて、自転車のスピードはどんどんあがっていった。上り坂は完全に終了したわけである。
トンネルの外は雨だった。霧も立ち込めていて視界も良くない。細心の注意で走らないと。特に熱海駅に向かう急激な下り坂は物凄い傾斜である。雨の中こんな急斜面を下ることになるとはね。ぼくを心配してくれるさきこがもっとも懸念していた場所でもある。ブレーキレバーを握りしめてゆっくりゆっくり下る。
信号待ちのクルマで車道が渋滞し始め、傘を差した歩行者も多くなってきた。沿道には土産物屋が店を開き、呼び込む声が聞こえる。熱海の市街に入ったのだ。数キロほどで急傾斜は終わり、今度は上り坂になる。これが熱海駅に繋がる道である。
※熱函道路の最高地点付近のトンネル。霧が濃い。
※雨の中、熱海に向かって下っていく。
そしてついに熱海駅に至る。
長く辛い自転車旅はついにここで終了したのである。
それにしても、駅前には人が多い。雨が降っているので、観光客が駅舎の軒下や屋根のある足湯施設から出てこないのだ。晴れていれば海岸に出ていたハズの人がみんな駅前で動けなくなっている感じだった。
そんな中で記念写真を撮るのはちょっと恥ずかしいけど、旅の恥はなんとやら、である。250キロ以上を走破した成果を残すためにもいい表情で写真を撮っておこう。
いやはや大変なサイクリングだった。雨の中350キロを走った知床チャレンジと同じかそれ以上だったかもしれない。強い日差しに体力を消耗され、それでもアップダウンの繰り返しを経て、ほとんど満身創痍で熱海に帰ってきた。感無量・・・というよりは、やれやれといった感じである。これから先はもう過酷なサイクリングはないんだという安堵感が強かった。
雨の熱海駅前は賑わっているものの、アテが外れて時間を持て余した観光客のやりどころのない思いが渦巻いているようで、暗くていい感じはしなかったな。
サイクリングにはやはり晴れていた方がいい。だから晴れてくれた1日目と2日目には感謝である。日差しがあったからこそ、透明度の高い海の中がキレイに見えたわけである。今回はぜひ晴れて欲しかったぼくにとっては、申し分のない天気だった。
それにしても、伊豆半島は厳しい道だった。過酷なアップダウンの繰り返しを思い出すと、もう二度と走りたいとは思わない。サイクリングを終えてそんな感慨に至ったのは初めてかもしれないな。どんな辛い道でも、自分の足で走破した道なら、「もしいつかまた同じ道を走るなら・・・」と思うものだけど、ここだけはそういう感じはない。もう二度と自転車では走らない。それだけ過酷な道なのだろう。
そんなわけで、年に一度のチャレンジサイクリングは無事に終了することができた。心配してくれたさきこに電話して無事を伝える。
自転車を分解して輪行態勢にし、熱海始発の東海道線に乗る。三連休の初日で、かつ雨模様の昼下がりに東海道線が混み合うわけもなく、ゆったり座ることができた。輪行態勢にした自転車は、シートの裏側のスペースには収まらなかったことを書いておく。
電車の発車を知らせるベルが鳴った。電車はゆっくり動き出し、熱海を後にした。
ぼくは意外なほど何ら感慨を得ずに、ただ車窓を見守ったのである。
後日談である。
重いリュックサックは、肩にかけるベルトをちゃんと締めれば、それほど重さを感じないということを知った。実際、3日目の途中でベルトを少しキツめに締めてみたら、重心が上の方に移動してくれて、自転車に乗っていても腰に負担がかからなくなった。荷物が重いのはそうだけど、背負い方にも問題があったわけだ。
また、意外に悩まされたお尻の痛み。後で下着を見てみたら、なんと出血していた。自分では見れない場所だけど、どうも擦り傷になっていたみたい。春以降、少し痩せてきたので、レーパンのサイズが合わなかったのかもしれない。
さて、次はどこを走ろうか。熱海から帰ってきたばかりの頃は、次のチャレンジサイクリングについて、何も考えたくなかったけど、数日経つと早くも日本地図を見ているぼくがいた。またしばらくすれば新しい目標を見つけて、準備を始めるのだろう。今回の過酷なサイクリングが、次にも役立ってくれるのを祈るばかりである。チャレンジサイクリングの道は、この先もまだまだ続いているのである。
※熱海駅前にて。お疲れ様〜。
今年も東京マラソンの抽選結果発表の季節がやってきた。
まあ今年も例年通り、事務局から抽選結果を告げるメールが送られてきて、無情にも落選が告げられるといういつもの展開だろう。7月頃に期待に胸を膨らませて先行エントリーに応募し、8月のメールで大きく落胆し、気を取り直して10月の本抽選の結果を待ち、これにも落ちてさらに落胆し、そして最後の望みをかけた二次抽選にも外れて、また長い1年がスタートするという、ここ数年は同じサイクルを繰り返している。2、3回も繰り返せば、こんな展開にも飽きてくるだろうと思うけど、これがどういうわけか、季節が巡ってくると気持ちが盛り上がり、落選メールで落ち込むを繰り返すのである。この持続的なモチベーションはどこから来るのかね。
さて、今年も最初の抽選結果が送られてくる時期になった。
こうしてブログを書いて期待を膨らませるようなことをしていると、落選した時のショックもより大きくなるので、本来ならこういう時は平常心で通知メールを待つのがいいのだろう。「果報は寝て待て」という言葉もある。また験を担ぐわけではないけど、こういう時は「今か今か」と構えて待つよりも、「あれ?今日って抽選発表の日だったの?忘れてたわー。あれ?当選してた」的なスタンスの方がいいような気がする。抽選が本当に公平で、結果はまさに神のみぞ知るものであるなら、天にまします人外の存在に対しては、ぼくが過度に期待していることを悟られない方がいいのかもしれない。
しかし、今年は発表の前にこうしてブログを書いている。このブログがアップされるかどうかは別として、東京マラソンの抽選結果の発表について、既にここまで書いてしまっている時点で、ぼくの気持ちは既に無視できないほど高まっているし、そのことは天にまします人外の存在にも既に伝わってしまっただろう。
しかし、今年はもうそれでいいかなと思っている。ぼくの気持ちがどう高まろうと、結果はなんだか見えているような気がしているのだ。答えが出る前から諦めてるようにも見えるけど、おそらくこれはぼくの脳みそが無意識に発動した自己防衛なのかもしれない。つまり、ぼくが落選に対して過度にショックを受けないための脳内活動というわけである。いや、それにしても、脳みそが無意識に自己防衛を図るほど、よくぞまあ期待を高められるものである。そのモチベーションは一体どこから来るのかね。
しかし、まだ結果を知らないうちに書いておきたいのだけど、今年の東京マラソンは例年と比べて少し様子が変わっている。
8月1日から東京マラソンの一般応募が始まっている。いつもならそれなりの広報活動があって、ぼくも街でポスター見かけることがあるのだけど、今年はそれがない。JRや地下鉄の駅にポスターが一切貼っていない。毎年のように掲示していた東京メトロの駅の掲示板でさえ貼っていないのである。東京メトロといえば、東京マラソンの特別協賛企業である。
ポスターが貼ってないことはとても些細なことかもしれないけど、この微妙な変化が気になってしまう。これは何かあるだろう。
もしかすると、一般応募の呼びかけをいつもよりも縮小させる何らかの理由があるのか。たとえば、応募者が殺到して10倍を超える競争率になったことへの対応の兆し、少しでも競争率を下げようという方針の現われだろうか。ぼくはあまり感じないけど、ランニングブームにも多少の陰りが見え始めているようで、ランナー人口が減少する中、高い競争率のイベントはより一層敬遠されることになり、結果として東京マラソンへの参加者が大きく減少してしまうという懸念があるのか。だから広報活動を少し減少して、本当に参加したいランナーに当選を与えていく方針に変えたのかもしれない。もし、そうなると、ぼくが当選する可能性もぐんと高くなるのではないか。
いや考えすぎかな。単純な話し、メトロの職員が貼り忘れてるだけだったりしてね。
たかだかポスターが貼られていないだけで、ここまで夢想して期待に胸を膨らませるのは、我ながらなんだか病的である。そこまでして東京マラソンに参加したいモチベーションはどこから来るのかね。
さて、先ほど見たツイッターによると、今年の先行エントリーの抽選結果の発表は、8月22日なんだそうな。いつもは8月半ば、15日や16日だったところなのに、なぜ1週間ほども遅らせるのだろう。何か裏があるのかな。
ともかく、抽選結果が非常に待ち遠しい。今年は走れるか、またテレビ観戦だけになるか、発表の日は、いよいよ来週である。
伊豆半島一周サイクリングから帰ってきた。
いや、もうなんていうか、大変なサイクリングだった。総走行距離は250キロを超え、アップダウンの連続、過酷な坂道を数えきれないほど超えて、熱海に戻ってきた。事故もなく帰って来られて良かったわ。
天気は非常に良くて、逆に熱中症になりそう、いやなりかけてた感じだった。猛暑、酷暑のこんな日にサイクリングに出かけようという人はあまりいなくて、道中でサイクリストを見かけるのは非常に少なかった。しかし、出会ったどのサイクリストもそれなりに経験を積んできた感じの人ばかりで、初心者的な感じの人は皆無だった。どちらかと言えば、ぼくがもっとも経験不足なサイクリストだったかな。そのくらい伊豆半島の道は過酷で、サイクリストとしての能力が試される道なのである。
もう一度走りたいか?と聞かれると、今のところは「もうコリゴリ」と答えてしまう。あんな道は一度走れば充分である。
一方で景色は非常に良かった。特に南伊豆から西伊豆にかけては、まさに風光明媚な世界である。植生が南国的な感じである。巨大な岩が海岸からそそり立っていて、その険しい崖、無骨な岩肌の風景は、とても鮮烈な印象だった。強い日差しが透明度の高い海に差し込んで、絶妙な色合いで海底を照らしていた。
時期的に観光客の多いタイミングで、交通量も多く、狭い道でクルマに追い越されるのは、怖いと思うこともあった。自転車が車道を走ることも快く思っていないドライバーも多くて、すれすれで追い越されてかなり肝を冷やした。その点では、自転車仲間でわらわらと連なって走るのは非常に危険である。2、3人で走るくらいが限界なんじゃないかな。
そんなわけで、今年のチャレンジサイクリングは終了である。今はちょっとホッとしている。3日間にわたって酷使した大腿筋は、かなりの筋肉痛である。今はとにかく休息させてあげたい。
それにしても、次のサイクリングを考える気がしないのが不思議である。いつもなら、終わってしまった余韻に浸る間もなく、次のサイクリングを検討し始めるところだけど、今回はなかなか次のサイクリングに思いが向いていかない。そのくらい身体を酷使したということだろう。
今日明日は身体を休ませて、それからゆっくり次のことを考えようと思う。
※南伊豆・奥石廊崎にて。
台風5号は紀伊半島辺りから本州に上陸後、北東の方角に進み、岐阜から北陸に入って動きが鈍化した。上陸した後は、日本アルプスが壁みたいになって大気の流れが遮られたようで、2週間を超える長寿台風もようやく風前の灯である。
台風が北陸の方に向かってくれたので、関東は夜半に風雨が強くなったものの、今は完全に台風の影響を免れて、見上げると眩しいばかりの青空である。台風一過というわけではないけど、気持ちいい晴天である。
ぼくは明日、伊豆半島一周のサイクリングに出かける。いい天気で当日を迎えられそうで、本当に嬉しい。地獄の雨中サイクリングになった去年の北海道・知床チャレンジを思うと、実に1年超しの晴天サイクリングというわけである。いやはやホント、ウレシイわ。
一時は天にまします人外の存在に恨み言を言ったり、恣意的な意地悪(?)に対抗するためにキャンプサイクリングを検討してる振りをしてみたり、月に願ったり、星に願ったり、ネコにお願いしたり、とにかくあらゆる手段で晴れを願ったものだけど、今回はこうして願いが結実してくれたわけである。
天に向かって感謝の言葉を贈りたい。
Thankyou God! It’s Fineday!
ちなみにサイクリングを前日に控えて、準備の方は全然まったく完全無欠に進んでいない。リュックサックすら出してきていない。ぼくが予定通りサイクリングに出かけるつもりがないことをアピールする意図もあったのだけど(・・・って、言うまでもなく天にまします存在に対してである。ぼくはこういうオカルト的なことも結構本気で取り組むのだ)、ともかく出発まであと24時間を切っているわけだから、帰宅したら頑張って準備をしないとな。もし、何か買い忘れたものがあっても今さら遅いわけで、そういうものがないことを願うばかりである。
そうして、ぼくはサイクリングに出発するわけである。
お膳立ては整った。あとはぼくがどこまで頑張れるかである。ぼくが本気でサイクリングにチャレンジするこの機会を今年も存分に楽しみたいと思う。
※うん!頑張るよ!
台風5号が種子島辺りで方向転換して東進を始めた先週、横浜ではまだ晴天が続いていたので、さきことクルマに乗って、世田谷の方に行ってみた。
実は世田谷のとある自転車屋さんに、自転車に荷物を載せてけん引する「トレーラー」の実物があるとのことで、見せていただこうと思ったのである。世田谷辺りは自転車屋さんが多い。しかも、町の小さな自転車屋がなんだかオシャレな感じで営業している感じが多くていいなーと思う。もともと自転車文化の街なのか、オシャレ自転車屋が増えたからなのか分からない。国道246号線を自転車で走る人もかなり多いしね。
さて、この世田谷のとある自転車屋さんで、トレーラーの実物を見せていただいたものの、滞在時間はほんの20分程度だった。
店舗に入るなり、出てきた店主に用件を伝えると、すぐにトレーラーを出してきてくれて、「じゃ試しに乗ってみます?」なんて言われ、店のクロスバイクにこのトレーラーを接続して、これを引っ張りながら周辺を走ってみて、戻ってから店主といろいろ話しをして、結果として「おおむね問題ない」ことを確認して、店を後にした。いや、それなりに値の張る買い物なので、慎重に品定めをするつもりだったけど、乗ってみて問題ないことが分かると、もう聞くこともあまりなくて、「じゃ検討してみますー」なんて言ってその場を離れるしかなかった。ぼくの感触としては、おおむねどころか、まったく問題なさそうである。けん引してみて、後ろにトレーラーがくっついている感覚はまったくなかった。さらに、このトレーラーは1輪ではなく2輪なので、この両輪が通る道路上のラインが自転車のタイヤが通るものとは異なるため、道の端に寄り過ぎないようにしないといけないのだけど、それもあまり気にならなかったな。ハンドルと同じくらいの幅なのだろうか。コーナーを曲がる時に、トレーラーの片輪だけが縁石に乗り上げるようにわざと走ってみたものの、乗り上げている時の衝撃はまったく感じなかった。運転するうえではたぶんまったく問題ないだろう。
これにテントや寝袋、床敷きマット、着替えなんかを積載して、走るのである。普段のロングライドでリュックサックに入れている量に3キロほど加わっただけのような感じである。うん、その程度ならまったく問題ない。逆にリュックサックを背負わないで済むというのは、かなり魅力的である。
「次はご自分の自転車を持ってきてください。有償でお貸ししますので、しばらく試走してみたらいいですよ」
店主にそんなことを言われ、状況が一歩前進というか、野宿(キャンプ)サイクリングの不安がかなり減少して具体的になってきて、ちょっと嬉しくなったのだった。
※いろいろ検討した結果、1輪のトレーラーではなく2輪のトレーラーに落ち着きそうな感じ。
ちなみに、その後二子玉川駅近くにあるアウトドア用品店なんかを物色して、一人用テントもちょろっと見てみることにした。完全に一人用だと荷物を置くスペースが限られるので、念のため二人用のテントを検討。畳んだ時の重さや大きさを見て、問題なくあのトレーラーに乗ることを確認した。キャンプサイクリングがさらに具体化していくのをひしひしと感じた。
ところで、キャンプサイクリングと言っても、今回の伊豆半島一周サイクリングが晴れてくれれば、従来のような形でサイクリングを実施するつもりでいる。キャンプサイクリングに変更されるのは、当日がかなりの悪天候で、中止を余儀なくされた場合に、別の晴れた日に延期した場合に限られる。その場合は、あらかじめ実施日を決めて宿泊施設を予約するようなことはせず、晴れそうな日を狙ってテントを持ってサイクリングに出かけるのだ。
天気の動向に一喜一憂する日々、また雨に降られて楽しいハズのサイクリングが全然面白くないという展開とは完全に無縁になる。天気が先か、宿泊施設の予約が先かというジレンマを一気に解決するコペルニクス的転回である。そんな発想の転回をもたらせたこのトレーラーには「コペルニクス」という名をつけようと思っている。自転車の方にはまだ名前がないんだけどね。
さて、肝心の天気の動向である。
台風5号はなんとか出発の前日までには関東を抜けてくれる見込みである。このため台風由来の雨は降らない想定なんだけど、風の方はちょっと分からない。伊豆半島の北側を抜けるため、吹き返しが南から吹くハズで、初日に南進するぼくにはかなり厳しい風になるかもしれない。
そして台風の影響がなくなった後の気圧配置は、今のところほとんど確定的ではない。天気予報の会社でもかなり曖昧な感じの予報しか出せていない印象である。台風が巨大であるほど、過ぎ去った後の状況は予想しにくいのだろう。しかし、もしかしたら遥か東にある太平洋高気圧が空いたスペースまで勢力を伸ばしてくる可能性もある。そうなると、完全なる夏の天気である。雨の降らない晴天が何十日も続くことになるだろう。夕立なんかはあるかもしれないけど、晴れてくれるのはサイクリングには最適な状況である。
そんな夏が来るかどうか、台風とその後の気圧配置にかかっているのである。
今は祈るしかないのかと言えば、そんなことはない。今回のことで分かったけど、ぼくがサイクリングの実施日に固執し過ぎないことも大事なのである。
「雨でも構わないよ、さくっとキャンセルして、別の晴れた日にキャンプサイクリングするから」
そんな思いで、トレーラーや一人用テントの検討なんかを続けていれば、天にまします人外の存在も、ぼくに意地悪することはないだろう。そうである。思考の半分くらいをキャンプサイクリングのことで占めるようにすればいいのだ。うん、我ながらナイスアイデア!
いや、しかし、数日を前にしてサイクリングのことを楽しみにできないというのも不自由なことだなぁ。
ともかく天気はもってくれそうである。ここはそろそろ完全に気持ちを切り替えて、サイクリングモードに移行しようかな。輝く海がぼくを待っている!台風よ、早く去れー!
いよいよ来週水曜日から伊豆半島一周サイクリングである。晴れるのか、雨なのか、寝ても覚めてもそのことばかり、ぼくの思考の8割はもうそのことばかりである。
もっとも気になるのが、台風5号の動向である。現在、南大東島辺りにあって、沖縄に向けて西に進んでいる。これがどこで偏西風に掴まるか。その後に東進する速度はいかほどか。これが最大のポイントである。ちなみに、某ウェ〇ーニ〇ーズの週間予報だと、台風5号は九州を縦断して日本海に抜けていくコースになるそうで、ぼくが出発する9日に朝には秋田県沖の日本海にあることになる。もし本当にそういうコースを取るのならサイクリングに問題はない。しかし予報円の内側を通ったり、速度が思ったほど速まらないようだと、他の気圧配置と影響して雨が降る可能性が高くなる。
今回は去年のように台風でもサイクリングを強行することはせず、雨なら潔く中止である。宿のキャンセル料がかかっちゃうだろうけど、無理して強行してもさきこに余計な心配をさせるだけなので、ここはおカネを払って安全を取ることにする。
そして、もしそうなったとすると、俄然現実味を帯びてくるのが、テント泊による野宿サイクリングである。
街でたまに見かけるそういう人たちの世界に、つま先とは言え入ることになるとは、今でも信じがたい。キャンプを経て、経験値が高まったというか、なんだか吹っ切れちゃった感じでもある。
一人でテント泊するとなると、自宅にある4人用のテントでは大きすぎる。1,2人用のテントを新たに購入するしかない。軽量で収納がコンパクトになるものがいいなーなんて思っている。
また、テントや寝袋を運ぶためのキャリアも必要である。前回のブログで、某社のトレーラーを購入しちゃおうかと迷っていたけど、その後いろいろ確認する中で、ロードバイクに装着するのはちょっと難しいとの結論に至り、今は別の商品がないか検索中である。前回のブログに掲載したトレーラーのように自転車のリアホイールの車軸に装着する形のものもあれば、サドルチューブに取り付けて牽引するタイプもあり、どれがいいか検討中である。
テントとキャリアで相当値が張る買い物になるけど、晴れの日にサイクリングできることも思えば、これもあり得べき手段のひとつじゃないかと思っている。
台風の動向とテントやキャリアへの物欲。ぼくは今、この二律背反的な選択の中で揺れている。もういっそ、野宿サイクリングの方に降り切っちゃってもいいかなとも思っている。晴れの日にサイクリングできることの方が重要である。
そんな風に選択肢の幅を広げたからだろうか。天気予報の様相が少し変わってきたのだ。
当初の天気は曇り、降水確率50%だったのだけど、これが曇りのち晴れに変わり、降水確率も30%ほどに下がったのである。ぼくが野宿サイクリングの方に気持ちを少しシフトさせて、晴れへの渇望を幾分か減少させたからだろうか。もしそうだとすると、あまりに作為的過ぎる。ホント、天にまします人外の存在には困ったものである。
これからも、天気予報の動向を気にしつつ、一方で野宿サイクリングの計画も着々と進めていこうと思う。どちらにするか、この選択はきっと直前までズレ込むんだろうな。