今年の年末はホント、殺人的な忙しさで、ただでさえ「師走の忙しさ」なんて言われてバタバタしているのに、ぼくはさらに輪をかけてほとんど全力疾走している感じである。こんな年末年始は未だかつてない。思えば今年は仕事の環境がいろいろ変わった年だけど、この年末年始はまさにそれを如実に現わしている感じである。
さて、年末である。今年も回顧録を書いておこうと思う。
■去年からの申し送り
「来年への抱負」というこで去年の回顧録にいくつか書いている。
まずランニングでは、横浜マラソンやホノルルマラソンに参加したいと書いていた。特にホノルルマラソンはさきこと交際を始めて30周年になる記念として行ってみたいと思っていた。
サイクリングでは、恒例のチャレンジサイクリングと去年から参加を始めた富士ヒルクライムのこと。
仕事では環境が変わりそうな予感を書いていて、この予感が年が明け、年度が変わりどうなったか。
絵なぞではコンスタントなお絵描きの継続と2回目となる画集の作成である。例年寒い時期は絵なぞが描けなくなるので、この時期を狙ってこれまで描いてきた絵なぞをまとめてみてはと思ったのである。
そして交際30年を迎えるさきこ、年明け早々に胃の一部切除の手術を受けるお袋さんの体調の懸念である。
最後にネコネコライフである。去年家族として迎え入れたコウくんとフクくんのその後のことである。
では、ひとつひとつ書いてみたい。
■ダイエット
ぼくがダイエットを鋭意継続しているのは、周知の事実である。ブログにも何度も書いてきたし、そもそもランニングやサイクリングは、すべてダイエットのためである。しかしその効果は未だにまったく見えていない。それどころか、体重は徐々に増加傾向である。これは一体どうしてなのか?
ダイエットの本なんかを見ても、食事に気を付けて、かつ適度な運動があれば大抵の場合、ダイエットは成功するように書いてある。ぼくの場合、たしかに食事は炭水化物が多いかもしれないけど、それでも昼ご飯に日替わり定食大盛りを食べて、夕食にラーメンとビールを飲むような人に比べたら、遥かに健康的な食生活のハズである。ぼくはどうして痩せないのか。これは本当にナゾだった。
ぼくの痩せない現状をさきこも同じように不思議に思っていたようで、いずれにしても今までのようにダイエットの一般的なセオリーを踏襲するだけではぼくは一向に痩せないと思ったようである。そこで今年は、ついにパーソナルトレーニングに踏み切ることにしたわけである。
最近よくコマーシャルに出ているようなパーソナルトレーニングはかなり高額なので、少しお財布に優しいジムをさきこが探してきてくれた。それでもかなりの金額である。さきこの自転車をフルメンテナンスして車体のカラーリングをし直してもお釣りが来るような、いやいっそ新しい自転車を買ってしまえるくらいのおカネだった。
4月から週1回程度のジムでのトレーニングと食事指導である。
食事指導はなかなか徹底していた。しかし食べられないものはさほど多くはなかった。もちろんパスタやラーメンやご飯のような炭水化物はNGだったし、当然ながらジャンクフードもNGだったけど、意外に苦労した感じはしなかった。
逆に筋トレはキツかった。ランニングをしていたからそれなりに筋力はあるんだろうと思っていたけど、それはまったくの幻想で、実際には筋力があるのは下半身だけで、上半身は壊滅的に筋力不足だった。腕立て伏せすら満足にできないほど上半身の筋力は衰えていたのだ。そんなぼくにトレーナーは鬼軍曹のようにキツい筋トレを強要し、ぼくは連日筋肉痛に悩まされた。
しかし効果は予想よりも早く現われた。体重が減少し始めたのである。いや、これは嬉しかったわ。炭水化物を摂らないとしばらくして身体の防衛本能から体重減がストップするんだけど、そんな停滞期もありつつ、着実に体重は減っていった。結果的に10キロほど減量することができた。
これはパーソナルトレーニングによる筋トレと食事制限だけでなく、制限された中でいろいろ工夫してダイエット食を作ってくれたさきこのおかげでもあった。ぼくが飽きないように毎日味付けを変えて、食卓に提供してくれたのだ。これはホントにありがたいことである。
このパーソナルトレーニングとこれに伴う体重の減少は、今年もっとも特筆すべきことである。
体重が減り始めるとウレシイもので、ぼくのモチベーションは高くなった。鏡に映るぼくの顔はなんだかほっそりしてきたし、会社の同僚からも「痩せた?」なんて言われるし、スーツのズボンはぶかぶかになってしまった。この変化にはかなり驚いた。そうか、ぼくに必要だったのはより徹底した食事制限と筋トレだったのか。
こうして半年ほど経ち、そろそろ体重減が10キロを超えるかどうかという状況になった頃、パーソナルトレーニングの期間が終了することになった。
またちょうど同じ頃に、食事制限から来ると思われる体調の変化が無視できないほど顕著になってきた。特に慢性的な倦怠感と蕁麻疹である。病院に行くと「食生活の変化やストレス、疲労が原因」なんて言われて、実際このすべてが当てはまるような生活をしていたので、このまま食事制限を続けることに不安を感じ始めてもいた。
そんなこともあり、パーソナルトレーニングが終わり、定期的な筋トレの機会がなくなった途端、体重はまた増え始めてしまった。いわゆるリバウンドである。
往年の体重まで戻ってしまったわけではないけど、体型はすっかり元通りである。せっかくさきこが大枚叩いてくれたのに残念である。しかし、無駄ではなかった。ぼくは何をやっても痩せられないのではないかと不安だった時期に比べれば、やれば痩せられることが証明できたのである。問題は倦怠感と蕁麻疹である。急激に体重を落とすのではなく、少しずつ痩せていければいいのかもしれないね。
そんなわけで、今は多少の炭水化物を摂取するようにしつつも、会社でのランチはサラダとささみ肉のみで夕食も野菜と動物性たんぱく質を中心としたものである。また週末には近所のジムにも行くようになり、週1回の筋トレを再開させた。筋トレの後は再び筋肉痛に悩まされる生活である。
これが今後どういう結果になっていくか。まだまだぼくのダイエット生活は続いているわけである。
■ランニング
結論から言えば、ホノルルマラソンには参加できなかった。いや非常に残念である。
冒頭にも書いたとおり、12月は殺人的な忙しさで、それは数か月前から分かっていたことだったので、ここでホノルルマラソンのために数日間の休みを取ることで自分で自分の首を絞めるようなことはしないことにして、ぼくはホノルルマラソンを比較的早期に断念することにした。
思えば、ホノルルマラソンは今年で45回目だそうで、いわゆるキリのいい大会だったから、同じようにアニバーサリーだったぼくとさきこには打ってつけの舞台だったんだけどね。ホント、残念である。
ぼくがホノルルマラソンに参加できるのは一体いつのことだろうか。
また、開催時期を10月に変更して1年半振りに開催されることになった横浜マラソンは、残念ながら地元枠の抽選も一般抽選も当選できなかった。前回の横浜マラソンに参加したぼくは、数週間前に足を痛めてしまったために、満足に走ることができず、後半はリタイアのことばかり考えて走っては歩きを繰り返すハメになったんだけど、だから今回はぜひ当選して雪辱を晴らしたかった。落選は非常に残念である。
しかし、横浜マラソンは開催されなかった。
折からの台風がちょうど開催のタイミングで関東を直撃することになり、安全を考慮して大会運営者が中止を決定したのである。これは横浜マラソンのスタート時刻から24時間を切った前日夕方のことである。これには驚いた。そして同時に感動もした。イベントを安全に運営するためには、時に大きな決断をしないといけない時があるのである。リスクを前にしては臆病になってはいけないのである。ぼくはさきこと外出をしていて、遅いランチを食べながら「横浜マラソンの参加者は今頃、パシフィコ横浜でランナー受付とかしてるのかなー」なんて話していて、まさにその時に中止の報を知った。いやはや驚いたわ。
さて、この他のランニングというと、久し振りの参加になるハズだった山梨・勝沼でのランニングイベントでは、かなりの豪雨が予想され、先のダイエットの関係で疲れやすくなっていたぼくは風邪などひいてはいけないと不参加にすることにした。
しかしダイエットの効果はそれなりに出ていたみたいで、梅雨の頃に参加した駅伝大会の5キロ走では、猛暑にもかかわらず、速い記録を出すことができた。また、11月終わりの丹沢湖でのハーフマラソンでも1キロ当たり平均6分、速い時は5分半くらいのペースで走ることができた。
ダイエットの成果はランニングでも結果を残してくれていた。
■サイクリング
もっとも大きなデキゴトは何よりも落車のことである。
5月のことである。近所をサイクリングしていた時、あっと思った瞬間、ぼくの身体は宙に浮き、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。路面の大きな出っ張りに乗り上げてしまったのである。幸いにして交通量が少なかったので、後ろから来たクルマにひかれることはなく、打ち付けた肘に擦過傷ができ、肩は軽く脱臼した。ほんの一瞬のデキゴトだった。ああ、交通事故ってこういう風に起こるんだなーと思い知った。自転車はちょっとハンドルが曲がってしまったけど車体には問題なく、擦過傷と脱臼の方は、完全に治るのに数か月を要した。擦過傷が治りにくいのは知ってはいたけど、曲げ伸ばしする部分ということもあって、治りが遅かったし、傷跡がシミのようになってしまった。通っていたパーソナルトレーニングでは、肩や肘が痛くて重いウエイトを持ち上げることができなくて、そこだけ筋トレできないのが歯がゆかったな。
ダイエットの効果と言えば、サイクリングでも顕著に現われた。もっとも大きかったのは、6月の富士ヒルクライムである。去年は3時間を超えて、制限時間の十数分前にフィニッシュしたんだけど、今回はこれを40分以上短縮してフィニッシュすることができた。傾斜のキツい部分では、時速7、8キロしか出なかったところが、一貫して時速10キロ超、一般的な傾斜でも12、3キロで走ることができたのだ。筋力アップのおかげか、減量のおかげか分からないけど、先に書いたパーソナルトレーニングのおかげであることは確かである。
また10月に参加した丹沢湖を周回するサイクリングでも、丹沢湖手前の劇坂を割と楽に上ることができた。確実に走力はあがってくれたわけである。
そんな走力アップ、脚力アップの状態で臨んだ今年のチャレンジサイクリング・伊豆半島一周サイクリングは、それでも過酷な道のりだった。いや、未だかつてない過酷さであった。これに匹敵する思い出は、5年くらい前の野辺山チャレンジだけど、いやあれは一泊二日だったからな。今回は二泊三日、そのすべてで過酷なアップダウンの連続に晒されたわけである。関東のサイクリストなら一度は経験したい伊豆半島一周だけど、いや、ぼくにはまだまだ到底敵わない世界である。それでも無事完走を果たすことはできたのは良かったけどね。
天気も良かった。おかげでキレイな海の景色を満喫することができた。これはホントに良かったわ。
だけど、もう一度走ってみたいとは思わない。サイクリングを10年ほどやっていて、「もう二度と走りたいと思わない道」なんて初めてである。しかし、6年ほど前の京都チャレンジの時と合わせて、静岡県の海岸線はすべて走破したことになる。辛かったけど、非常に意味のある、そして美しいサイクリングだった。二度と自転車では行かないけどね。
■絵なぞのこと
去年の申し送りのとおり、2回目となる画集を制作した。前回と比較して短時間に多くの絵なぞを描いたために、掲載量は大幅に増えた。手違いで2枚ほど掲載を忘れちゃったのが心残りで、正式版をもう一冊作っておくかなーとか思っている。
さて、今年何より問題なのは、冬の描けない時期が春になっても夏になっても終わらず、結局9月までまったく描けなかったことである。いや、今までの記録を大きく更新した描けない年となった。
これにはホントに焦った。しかし仕事も忙しかったので、なかなか絵なぞの時間も取れず、いや、時間が取れたとしても絵なぞに集中できず、時間ばかりが過ぎていった。
9月に1枚の絵なぞが描けた時には、かなり嬉しかった。しかも某お絵描き専門SNSでも評価が高く、これもとても嬉しかったな。その後なんとか毎月1枚の絵なぞを描くことが続いている。
上手いとか下手とかそういう問題じゃなくて、頭に描いていたイメージを紙上に表現できるというのはただそれだけで嬉しいものである。年明けからまた描けない日々が来るのかもしれないけど、それでも足掻きつつもがきつつ、お絵描きは続けていきたいと思っている。
■仕事のこと
去年からその予感はあったのだけど、今年4月からぼくの仕事上の立場が変わって、それなりに責任のあるポジションになった。いや責任という点では、今までもそれなりの責任があったけど、今回は正式に責任を負わされるポジションになったというわけである。また人事異動や同僚の退職、退職したかつての同僚が再入社したり、人員の不足した自分の部署に人が欲しいと訴えたら、結果的に3人もの異動や新人採用があって、とにかく仕事周りは変化が著しかった。この変化や新しい上司との関係が目下のところぼくのストレスの根源になっている。昇進したり栄転したり、人事異動があったりするとメンタル的なストレスが増大すると言われているけど、ホントそのとおりの状況になったな。
またポジションは変わったものの、仕事内容には大きな変化はなくて、これが年末のばたばたに繋がってもいるわけである。
■さきこのこと
もっとも気になるのは、一向に改善の気配を見せない腰痛や肩こりである。ぼくはあまり肩がこらないので、さきこの辛さが充分分かっていないし、ホントに辛いなら病院に行って治してくればいいのにとも思うのだけど、なかなか行動に移さないので、なんだかなーな感じである。いわゆる鍼灸院などでは、完治させてしまうとおカネが入ってこなくなるので、完全に治すようなことはないみたいなウワサも聞くけど、本気で治したいなら病院でそう主張して、ちゃんと治してもらえばいいのになといつも思っている。
さきこもさすがに現状がマズいと思ったのか、肩こり・腰痛対策に何やら始めたようえある。しかも今回は三日坊主に終わらずここ数週間は続いているようである。それが何かはまだ言えないのだけど、ぜひ続けて自身の体調が少しでも改善するようにしてもらいたいものである。
■お袋さんのこと
去年の申し送りにも書いたけど、お袋さんは今年初めに胃を一部切除した。一昨年にも胃壁内のできた腫瘍を切除したのだけど、これがどうも完全に治っていなかったようで、再び病巣が拡大、大きくなり過ぎたので、今度は胃ごと切除することになったのである。手術については、お袋さんにはかなり抵抗感があったようである。しかし、場合によってはがん化するかもしれない状況なので、今後のために切除することを決意した。
あれからもうすぐ1年になるけど、現在はほぼ問題なく過ごせている。当初はメンタル的にいろいろあったけど、身体が順調に回復している状況を見て、気持ち的にも安心した感じである。いや、良かったわ。胃がなくなった分、食べる量もかなり少なくなるのかと思ったけど、今では日曜の夜、既に自身の夕食が済んでいるにもかかわらず、さきこが作ってくれた鍋をついばみに家にやってきたりしている。これからも元気に長生きして欲しいものである。
■ネコネコライフ
去年家族として迎え入れた2匹のネコ、コウくんとフクくんだけど、順調に成長している。二人はホントに仲良しで、コウくんもフクくんも楽しそうに遊んだりしている。ぼくが高校時代に飼っていた兄弟ネコは時に互いに「シャーッ」とか「フーッ」とか言ってたものだけど、コウくん、フクくんが相手を威嚇したりするのは一度も見たことがない。
今年のトピック的な話しとしては、フクくんの脱走問題だろう。庭に出してあげるとどうも隣家の庭が気になるようで、しかも両家ともイヌを飼っていることもあって、これに興味津々なのだ。そしてついにフクくんは隣の庭に侵入を果たしてしまう。いろいろ脱走防止策を施しているのだけど、フクくんはこれをものともせずに、乗り越えて目的を果たしてしまう。脱走防止策のために安からざるおカネを投下しているのだけどね。
しかし、そんなネコたちだけど、冬はぼくの膝の上が大好きである。膝の上に乗せると、1時間でも2時間でも乗っている。これがもう至福の瞬間である。実は今このブログ記事も、コウくんを腿の上に乗せて書いている。腿の上に独特の重みと温もりを感じながらブログを書くというのは、幸せの極みである。
来年もぜひ元気でいて欲しいものである。
■来年の抱負
今年も無事に回顧録を書くことができた。昨日まで仕事の関係で大阪にいたので、どこまで書けるか心配だったけどね。
さて、2018年の抱負である。
まずダイエットである。現在の筋トレや食事制限を今後も続けていこうと思う。パーソナルトレーニングを終えて以降、なかなか体重が減らない日々だけど、筋トレと食事制限、ランニングなどの有酸素運動がきっとぼくを痩せさせてくれると信じて、来年も継続していこうと思う。
またランニングやサイクリングも続けていく。ランニングでは、また東京マラソンや横浜マラソンに出られたらいいなーと思うし、サイクリングでは年1回のチャレンジサイクリングに出かけたいなと思う。来年は北海道か紀伊半島のサイクリングに行きたいかな。
絵なぞは、とにかく多くの枚数を描けるようにしたい。紙に絵の具でピトピトするのもいいけど、そろそろデジタル画を描けたらいいなーとも思ってる。安物でもいいので、機材をそろえてみるか?
さきこもお袋さんも体調管理に気を付けて、元気でいて欲しいものである。さきこは肩こり・腰痛解消に向けた取り組みがどのように実を結ぶかを期待して、サポートしつつ見守りたいと思っている。
そしてネコたちのこと。ぼくにかけがえのない癒しをくれるこの2匹のネコたちとの楽しい生活を送っていけたらいいな。ただ先に書いた通り、フクの脱走だけは何とか対策を講じないと。
あと仕事な。いや、生活のためにはしょうがないのだけど、少しでもストレスのない楽しい仕事ができたらいいなーと思っている。そのためにできることはやっていきたいと思っている。
そんなわけで2017年もそろそろ終わりである。
2018年がどんな年になるか、楽しみである。
★追記
年が明けてしまったけど、書き切れないことがあったので、2点ほど追記する。
■仕事のこと
今年はぼくの仕事上の立場が変わったり、周囲の環境が変わっりと、例年になく大きな変化の年だったのだけど、異なる次元の大きなデキゴトがあった。
会社の同僚の死である。
彼とは担当が完全に異っていたので、同じ仕事をしたことはないのだけど、組織上同じ組織に所属していた時期もあり、デスクを並べて仕事をした仲間だった。その後組織が変更になり、別の本部になってしまったけど、実は出身の大学や学部が同じということで、話しの合う数少ない同僚だった。
そんな彼が、突然死去したのである。
死因は心筋梗塞のようなものだそうで、睡眠中に心臓に異常停止してそのまま亡くなってしまったそうである。
これはショックだった。仕事上の重要なポジションを失ったこともそうだけど、彼とは同じ法学部としていろいろ法律的な話しもしたし、法律にまつわる冗談みたいな思考実験をたくさんやって、本気で話しができる仲間を得たと思っていたのだ。ゆっくり時間をかけて本当の友達になるかもしれない予感さえあった。それがもはや叶わない。物凄い喪失感である。
通夜や葬儀にも参列したけど、この物凄い喪失感を前に嗚咽が漏れるのを抑えられなかった。
「お前、何やってんだよ、死んでんじゃないよ」
遺影に向かって呟くと涙が溢れて止まらなかった。
ここまでショックを受けるのも、ぼくが人の死に対して多くの経験がないためだろう。仕事の関係で葬儀を手伝うことはあって、段取りや振る舞いは分かっているつもりだけど、自分のこととして死をきちんと向き合っていなかったんだろうな。いや、親族が今もなお健在である現状では、別に責められることではないけどね。
彼の死は未だに受け入れられない。感覚としては、彼は長期休暇で会社に来ていないだけといった感覚である。休暇が明ければ、またいつものように出社するんじゃないか。長身だった彼と同じ背丈の社員が歩いていたり、一瞬だけ彼の口調みたいな声を聞いたりすると、ふと顔を上げて周囲を見回してしまう。まだ彼がどこかにいるかのような気がしてしまうのだ。
※それにしても、仕事の関係の記事を書いていて、彼の死について書き忘れるとは何事かと言いたいわ。これで「ショックだった」なんてホントに言えるのかいな。いや、言い訳させてもらうと、回顧録を書く時間の制約や効率よく記述を進めるために、去年書いた内容に則して項目立てしたことが起因していると思うんだよね。うん。
■キャンプのこと
つい数日前に2018年の年賀状を書いていて、ふと思ったことは、「例年と比較して年賀状に掲載する写真の数が少ない」ということだった。いつもなら、ランニングイベントででかけた先で写真を撮ったりしているし、旅行もそれなりに行ったりしているので、意識をしなくてもぼくとさきこの写真はどんどん貯まっていったものだけど、写真の少ない今年はどうも変だった。
そこで「何かを忘れている」と思わないところが、ぼくのウカツなところである。
そう、キャンプで撮った写真をまったく考慮してなかったのだ。
今年はぼくとさきこにとって「キャンプ元年」との言うべき記念の年である。以前からやりたいと思っていたキャンプをついに始めることができたのである。
いつ起こってきてもおかしくない大地震に備えて、キャンプ用品を使えるようにしておくことはサバイバルのうえできっと役に立つハズである。大地震が来て、周辺の学校の体育館で雑魚寝を余儀なくされる生活を少しでも快適できるかもしれない。特にぼくはクルマを持っていないので、東日本大震災の時に現地の人が車中泊をしたようなことはできないのである。
キャンプを始めるためには、かなりの先行投資が必要である。テントやそこに敷くマットや寝袋、ランタンや食器や焚火ツールなどなどである。以前友達とバーベキューに行ったりすることがあって、バーベキュー用具はそれなりに揃えていたところだったけど、かなり年数も経っていたし、もっと便利なツールがたくさん出ているので、かつての道具はほとんど流用せず、現在所有しているキャンプ用品の3分の2くらいのツールは新規で購入することになった。流用してるのは、折り畳みのテーブルやチェアくらいじゃないかな。
さきこの持論である「多少高くてもいいものを買って長く使う方がいい」という基本思想のもとキャンプ用品を購入したので、かなりの出費になってしまった。しかしそのおかげで、現場においてツールが安物過ぎて使いづらいとか用をなさないなんてことにはならないで済んだ。高いものには高いなりの理由があるというわけである。
徐々に道具を揃えつつ、5月にデイキャンプ、7月以降3回ほどキャンプに出かけた。初の泊りがけのキャンプとなった7月は、夜半から大雨に見舞われるという散々な体験をしたけど、これで天候に対する耐性がついたのか、多少の天候不安でも気にすることなく9月、11月とキャンプを敢行した。特に11月はだんだん慣れてきたこともあってか、非常にココロ癒される時間を得ることができた。普段の生活では絶対に経験できない癒しの時間である。肌寒い中で熱いコーヒーを飲むというのは、とてもいいわ。逆にキャンプシーズンなんてよく言われる夏は、あまり快適とは言えないかもな。よっぽど高地にでも行かない限り、暑さや虫に悩まされることになるもんな。
そんなわけで、2018年もキャンプを楽しみたいと思っている。特に暑くなる前、3月・4月くらいに1回、ゴールデンウイークに1回、秋に3回くらいは行きたいかな。いろんなキャンプ場を巡ってもみたいと思っている。
また、焚火にココロの癒しを求めているぼくだけど、ただ薪を燃やすだけでは非生産的というか二酸化炭素を排出しているだけなので、ダッチオーブンで料理を作る・・・とはいかないまでも、やかんでお湯を沸かすくらいのことはしたいと思っている。これでいちいちバーナーを使わなくても、いつでも熱いコーヒーやコーンポタージュが飲めるからね。
そんなわけで、2017年回顧録に2点を追記した。これで2017年のトピックは書き切ったかな。忘れてないよな。新しい年が既に始まっていて、気持ちはそちらに向けたいからね。