オクターブアップ!

「シュンスケニウムの原子量」の大統一バージョン
彼の思いとは。

今日は会社から代休をいただいて休みである。以前にも書いたかもだけど、年明け以降、ずっとハードな日々だったので、休める時に休んでおくのである。期せずしてゴールデンウイークが明日から始まり、これで前半は三連休ということになる。長い連休はいいのだけど、当然ながら仕事は継続しているわけで、遊び呆けて久し振りに会社に行くと5月8日で、なんと5月も中旬に差し掛かろうかという日になってしまう。ちょっとした浦島太郎な気分である。今年は仕事内容がいろいろ変わった関係で、去年以上に大掛かりな仕事が目白押しである。不安も多い。いやはや困ったものである。

 

それにしても、今日はとても気持ちよく晴れてくれた。自転車で出かけてもいいのだけど、自宅でゆっくりしたいので遠出はしない予定。そう言えば絵なぞも描けてないしね。ネコとゆっくり日向ぼっこもいいかな。
そう、絵なぞが描けないと言えば、絵なぞが描けない冬の季節を超えて春真っ盛りだというのに、今回のこの描けなさっぷりはなんだかおかしい。まるで何らかの人外の力が関わっているような気がしてならない。たとえば、ぼくがヨコシマな考えを持ってしまったために人外の存在からバチが当たってるんじゃないか、と思うのである。どんなバチか?
そこで思いつくのは、以前ブログにも書いたけど、シャープペンシルの復活計画の話しである。
愛用しているシャープペンが老朽化が極まってついに使えなくなる日が来る前に、いっそこれを破壊して同じようなシャープペンを作ってしまってはどうかという計画である。そのために軽井沢に工房を構えるとある木工職人の方にお話しさせていただき、「ゴールデンウイークをめどに軽井沢の工房に伺う」なんて話しをしていたのである。どこにでもあるようなシャープペンとは言え、同じ太さ、重さ、強度、重量バランスを再現することができるのかどうかは、ほとんど賭けだった。最悪の場合、シャープペンは破壊され、二度と使えなくなるかもしれない。でもうまくいけば、再び愛用のシャープペンと同じ筆致が蘇えるのである。
しかし、現在もその筆致に輝きを失っていない愛用のシャープペンを復活の確証もないままわざと破壊するのである。考えてみれば、30年もの長い付き合いをしてきた相棒との別れとしては、いささか惨い気がする。いつ壊れるともしれない恐れに屈服した凶行ともいえる。まるで昔の為政者が自身の老いや暗殺を恐れるあまり、恐怖政治で国を傾ける結果になったような話しである。恐怖に屈服した行動からは有益なものは何も生まれないのだ。
愛用のシャープペンがその天寿をまっとうし、ぼくは絵なぞを描くための唯一のツールを失ってしまうなんて事態がいつ起こるか分からないという恐怖から、なぜか変なテンションにシフトしてしまい、いっそシャープペンを壊してでもその復活を願うという半ば本末転倒な話しに憑りつかれてしまったわけである。今こうして冷静になれば、使えているシャープペンを破壊するなんて愚行の極みである。当時は何か変なテンションだったのかな。
ところで一方のシャープペンの気持ちはどうだろう。いや、シャープペンに何かを感じる「意識」は存在しないのは承知である。しかし、仮に彼に意識があると仮定して、その所有者であるぼくの恐怖に由来する乱心を知ったらどう思うだろうか。
「ボク、まだ使えるヨ・・・」とか「今度のゴールデンウイークでぼくの命は終わりなんダ・・・」とか思ってそうである。哀しい話しである。
「ゴールデンウイークでその役目を終えてしまうかもしれないシャープペンに最後の描画を迎えさせてはいけない」
つまり、ゴールデンウイークでぼくが思いつきでシャープペンを携えて軽井沢に行っちゃわないように、その前にぼくが「愛用のシャープペンとの最後の描画」に及んでしまわないように、大いなる力によってぼくが絵なぞを描けないようにしてしまってるのではないだろうか。これから今なお描けない日々が続いている理由が分かる。まあオカルトというか日本人的なアニミズム的発想なんだけどね。
でも、気候が暖かくなったこの頃に、絵なぞがまったく描けないというのは、何か意味がありそうな気がするのである。「そんなの気の迷い」なんて一蹴してしまうことが、この描けない期間を長引かせることになったりしないだろうか。
今のぼくは、まだ使えるシャープペンを壊すことなど微塵も考えていない。もちろん、彼の筆致を何とか復活させるために、あらゆる手段を尽くしたいとは思う。しかし、それは彼が天寿をまっとうして人外の存在のもとへ昇天した後の話しである。使えるものをあえて破壊するのは愚行であることはとっくに気づいているのである。だから、何とか絵なぞが描けるようにして欲しいものである。

 

ところで、筆致という点で言えば、最近はデジタル描画に興味がある。パソコンを使ったペンタブレットによる描画である。
いや、この技術自体、もう20年も前から一般化しているものである。今さらアナログ描きがデジタルに転向するのも滑稽ではあるけど、デジタル描画であれば、筆記用具の相性など関係なく思いのままの筆致が描けるハズである。愛用のシャープペンがどうのと悩むことは完全になくなるわけである。そういえば、ぼくはシャープペンに限らず、紙の愛称や絵の具や筆などにいつも振り回されているような気がしている。デジタル画は実体を伴わない儚さはあるけど、自由度の高さはアナログ画の比ではないのだ。
とは言え、今さら新しい描画方法を覚えられるのか、使いこなせるのかという不安はあるけどね。これからもぼくの絵なぞを発展させていくために、恣意的な選択ではなく、ほとんど必然ともいえる選択の結果、デジタル描画に至るような気がしている。
この考えはまだ温めているところだけど、1、2万程度で描くのに必要なツールがすべて揃ってしまうデジタル描画にかなり惹かれているのである。

 

そんなわけで、今年のゴールデンウイークには軽井沢に行く予定はない。軽井沢にも行かないし、例年自転車仲間と行っていたサイクリングもない。なんだか寂しいものである。でも、キャンプ用品の使用実験をしてみたり、成田空港で飛行機を見てみたり、丹沢の方に遊びにいったりと、それなりに楽しい予定が待っている。そして願わくば、少しでも絵なぞが描ければいいなと思っている。

 

※それにしても、シャープペンが失われて、その失意と悲しみを乗り越えて、彼をベースに新しいシャープペンを創造するなんて話しは、どこか「鉄腕アトム」に近い展開である。アトムが命を吹き込まれて起き上がった時の天馬博士の思いをぼくが感じる時は来るのだろうか。いや、ぼくは愛用のシャープペンをサーカスに売り渡すことはしないけどね。

| 日記 | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0)
休日出勤回避。

先日書いた休日出勤の件、たまたまランニングイベントと被ってしまったために断腸の思いで休日出勤することにした件だけど、結果的には別の社員が対応することで決着し、ぼくは予定通りランニングイベントに参加できることになった。
もともとこの仕事は「余人をもって替え難い」といった類のものではなく、ぼくと同じ部署の人なら誰でも対応できるものなのである。だから「ちょっと休日出勤、お願い」と言えば済む話しなのかもしれないのだけど、それができなかった大きな理由は、もし何か大きな事故が発生した場合に、代理出勤者で対応できるかという点が悩ましかったからである。
何も起こらなければ大した仕事ではない。いや、その場にいるだけでOKみたいな仕事で、ネコでもできる仕事、いやネコにこそ相応しいと言っていい仕事である。しかし、もし何かの事情で大きな事故が発生すれば、現場でその対応を迫られるわけである。それはネコはもとより、同じ部署の人でも無理かもしれない。そう思って断腸な思いで休日出勤することにしたわけである。
しかし、よくよく考えてみると、大きな事故ってなんだろう。そんな事態が発生するものだろうか。いや、もし発生したとして、そこにぼくがいたところで対処できるものだろうか。

 

この仕事は実は、この春からぼくに引き継がれた新しい仕事である。前任者が退職することになり、その前任者のさらに前任者であるぼくに担当が回ってきたわけである。そして、この時期に定期的に行われる仕事のために休日出勤することも同時に引き継いだわけである。ぼくはこの仕事を担当するのは5、6年振りということになるだろうか。
問題は事故が起こる可能性の大きさである。
ぼくが担当していた頃は、事故の可能性は大きくなかった。設備が新しかったこともあり、専門業者に任せていれば、ホントに何もしないでいられた。しかし既にその頃から設備の老朽化は始まっていた。ぼくはいろいろ資料を集めて、設備を入れ直す方向で検討を進めていたのだ。例えると、ウインドウズXPが老朽化して、そのうちマイクロソフト社がサポートを打ち切るのと同じような流れである。XPのサポートが効くうちにWin8とかWin10に替えておけばいいのだけど、ぼくから引き継いだ前任者はそのまま使い続けたわけである。つまりXPのままバージョンアップせずに、ぼくが再び担当になるまで5、6年もの間、半ば放置していたわけである。XPの例でもそうだけど、あまりの長く旧バージョンを使い続けていると、そのうちサポートが終了してしまう。故障しやすくなるし、ウイルスに感染しやすくなるし、故障してもXPをそのまま復活させることはできない。つまり何か問題が起これば、もはやXPは使えなくなるのだ。今回で言えば、何か大きな事故が発生したことで、その設備は最悪の場合、使えない状態になってしまう。その時になって「もっと早く新しい設備にしておけば」と後悔しても後の祭りである。
ぼくは設備をリプレイスすることを強く言い添えて担当を外れたのに、5、6年振りに戻ってみたら現状設備がまだ稼働していたわけである。いや、パソコン程度なら、騙しだまし使うこともできるかもしれないけど、会社の設備である。不具合が起これば影響は全社に、いや取引先も含めるとかなり甚大な影響が出ることになる。こんな状態でよく放置して、夜が眠れたものである。ぼくは臆病なので、これほどヤバいものを放置してたら夜も眠れないわ。

 

そんな事情もあって、どうなるか分からない設備を監視するべく、休日出勤をすることにしたんだけど、とは言え、もし設備に何らかの大きな不具合が起こった場合、ぼくがその場にいても何もできないということである。
起こってしまったものをぼくの何らかのスキルで食い止めることはできない。発生したものは、発生したものとして、そこから対応策を考えないといけないのだ。XPの例で言えば、もはや動かなくなったXPを前に、Win8や10、またはもう一度XPをインストールし直すなど、既存状態から不可逆的に対処しないといけないのである。もう従前のXPは戻ってこないのだ。
事故を前にどうすることもできないのであれば、ぼくでなく、他人に任せても問題ないだろう。当然ながらリスクの想定とその初動対応は考えておくとしても、結局のところ、事故の前では誰だって無力なのだ。

 

そんなわけで、候補者を募ったところ、同じ職場の人が手を挙げてくれた。ありがたいことである。
キチンと引き継ぎをして、当日は対応していただくことにしよう。まあ先に書いた通り、何も起こらなければネコでもできる仕事なんだからね。
そして、ぼくはランニングイベントに参加できる。いや、ウレシイわ。ぼくは最近走ることに気持ちが低調なのだけど、さきこが走れる機会を得られるのがウレシイのだ。ぼくも頑張るけどね。
5月中旬は、鳥取に出張し、これにカコつけてサイクリングなんかもしつつ、帰ってきてランニングイベントに参加する。楽しみだけど、なかなか忙しい週末になりそうである。
願わくば何も問題が起こらないことを願うばかりである。

| 日記 | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0)
休日出勤哀歌。

来月に鳥取の事業所に出張することになっていて、これにカコつけて自転車を持っていき、週末は中国山地を超える150キロほどのサイクリングに挑戦してみようかなんて考えている話しを先日のブログに書いた。
しかし、実はその週末の日曜には、静岡でランニングイベントに参加することになっていることが分かり、このイベントでランニングシーズンが終了することを思い、中国山地横断のサイクリングを断念して、ランニングを頑張ろうと気持ちを入れ替えた。サイクリングは土曜日だけにして、その日のうちに帰宅して、早朝にランニングイベントに出かけるというスケジュールを考えていた。つまり、この週末はサイクリングやランニングに集中できる久し振りのアクティブな週末になる予定だった。
しかし、である。
ぼくの勤める会社で日曜日にどうしても出勤しないといけない状況になってしまったのだ。ちょっとした設備点検の立ち会いである。ぼくはそこでまったく仕事をしないのだけど、周囲でいろいろ作業が進行するので、これを監督するのである。今までは別の社員が対応していたのだけど、春の担当替えでぼくの仕事に回ってきちゃったのである。
日曜日はランニングの予定だったのだけど、どうやら休日出勤をしないといけないみたいである。
これはなんだかショックな話しである。
もともと中国山地横断のサイクリングに挑戦したかったところをランニングイベントに参加することに気持ちを切り替えたところで、今度はそのランニングイベントさえ参加できなくなってしまったわけである。しかも、静岡で開催なので、クルマで同行する予定だったさきこも参加が危うくなっているわけである。
休日の仕事のせいでランニングができないってのはどういうことか。

 

「仕事なんだから、公私にかかわらず、すべてに優先されるべきである」
うん、それは分かってるつもりである。場合によっては、親の死に目にも会えないくらいの覚悟はいつも持っているつもりである。しかし、今までのぼくの仕事は、自分で割と自由にスケジュールを調整することができたので、プライベートの予定に合わせて仕事を調整することができたのだ。そのつもりでいたので、思わぬところで足をすくわれちゃった感じである。
この事実はあまりにもショックで、しばらく呆然としてしまった。
ぼくの今シーズン最後のランニングができなくなることについては、まあよしとしよう。ただ同じように楽しみにしていたさきこが参加できなくなるのは、なんとかならないものだろうか。さきこは「新幹線とバスを乗り継いで会場に行くよ」なんて言ってるけど、その姿は想像するに堪えない。なんとかならないものだろうか。

 

今はとにかく非常に困った状況である。
まあ誰か別の人が対応してくれれば問題はないのだけどね。春の繁忙期が終わって、少しゆったり仕事を進めようかなーなんて思ってる矢先に起こった予想外の事態にちょっと翻弄されている。
果たしてどうなるか。

| 日記 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0)
サイクリング・シーズン。

年度が変わる前後は、ぼくの仕事は結構忙しくて、先週の週末は土日ともに出勤だったし、今週も土曜日は出勤である。しかし、1月過ぎ辺りから始まった繁忙期は、3月末から4月中旬までに立て続けにXデーをクリアして、来週の週末で一旦終息する感じである。いや、去年もなかなかシビれたけど、今年も劣らず結構シビれる働きっぷりである。仕事上の役割にも変化があって、そのせいで不慣れな仕事もしないといけなかったしね。
ちなみに、昨年度のXデー絡みの仕事が評価されて、会社から表彰された。ぼくがメイン担当ではなかったものの、ぼくは課せられた役割を100%こなした自負があるので、表彰されるのは嬉しいものである。また、メイン担当の仕事でも評価をいただいて、会社から表彰された。表彰台にあがって目録を受け取ったり、スピーチするのは、本社移転プロジェクトで社長賞金賞をいただいた以来である。

 

※不遇のサラリーマン人生だけど、こういうのがたまにあると、ちょっとだけモチベーションが上がるものだ。

 

さて、そんな頑張ったぼくへのご褒美ということで、今日は会社から休みをいただいた。1日だけだけどね。でも、とても良く晴れてくれたので、久し振りに自転車で出掛けてみることにした。
遠くを目指すんじゃなくて、あくまで地元。ほんの近場をぐるっとサイクリングである。途中のコーヒー屋でブログを書いたりしているわけである。
思えば、早くも4月も下旬になろうという頃である。いよいよ暖かくなってサイクリングのシーズンが到来する。今年のチャレンジサイクリングは、伊豆半島を一周する計画で、まだ日程は決めていないけど、夏の決行を目指して計画を進めているところである。走行距離は230キロ程度で、健脚のサイクリストなら1日で走ってしまうような道だけど、ぼくはゆるゆると走って3日かけて一周する予定である。まだ計画自体が固まり切っていないので、どうなるか分からないけど、来月か再来月頃には日程も決めて、宿泊施設の予約をするなど、本格的に進めないといけないだろうな。
また、それよりも前には、富士ヒルクライムである。去年一緒に参加した自転車仲間の方から今年もお誘いをいただいた。せっかくなので、甘えさせていただき、一緒に富士山五合目を目指す。去年よりも筋肉トレーニングを積んでいるので、どういう展開になるかちょっと楽しみである。
その練習というわけではないけど、来月は鳥取への出張にカコつけて、鳥取の大山(だいせん)にサイクリングに行こうと思っている。当初は週末2日をかけて、米子から岡山まで中国地方を横断するサイクリングを考えていたんだけど、先日のブログにも書いた通り、日曜日にランニングイベントがあって、10キロとは言えちゃんと走っておきたいので、土曜日中に帰宅する必要があり、このため比較的空港にも近い大山のサイクリングにすることにしたのである。米子は過去にも何度かサイクリングをしたことがあるけど、大山には上ったことがないので、富士ヒルクライムの練習も兼ねて、ゆるゆるサイクリングを楽しんでこようと思っている。

 

そんなわけで、これらの計画が今からワクワクで楽しみである。去年のように苦行のような雨中サイクリングにならないようにしたいものである。
そういえば、最近のニュースで見たけど、ポテトチップスの各メーカーが、北海道でのジャガイモの不作を受けて、一部の商品を販売休止にするそうである。ジャガイモの不作の原因は、去年の夏に北海道に立て続けに襲来した台風や長雨による水害だそうである。そう、ぼくが苦行のような雨中サイクリングを強いられたあの知床チャレンジの時の台風と長雨である。たしかに、海に流れ込む河の水は酷く濁っていて、河口沿岸の海を茶色く染めるほどだったし、河の流れもぼくが危険を感じて肝を冷やすほど激しい流れだった。少し忘れかけていた記憶だったけど、今回のポテトチップスの販売休止の報に触れて、あの恐ろしい光景が蘇えってきた。それをキチンと伝えるためにも、知床チャレンジの紀行記はちゃんと書かないといけないな。
既に全体が書きあがり、今は最初の推敲の段階だけど、なんせ膨大な量なので、1日やそこらで推敲できるような量ではないのだ。
今日はせっかくの自由な休みである。ポテトチップスの受難を思いながら、知床チャレンジの推敲を進めようかな。

※気持ちいい風が吹くいい天気にサイクリングができたなー。

| 日記 | 14:53 | comments(0) | trackbacks(0)
スキの原動力。

発端はある社内メールだった。会社で使っているグループウェアのスケジュール予約機能で、ぼくのスケジュールを予約したことを知らせるメールである。
メールの文面には、「5月○日〜○日に研修を実施することになりましたので、あらかじめスケジュール予約させていただきます云々」と記載がある。つまり、研修に参加せよとの通知である。普段から仕事上でやり取りされるごくありふれたメールである。普段と少し違うのは、この研修が2日間、しかも木曜日・金曜日にわたることである。そして、その開催場所が鳥取にある事業所であるということである。
これがどういうことを意味しているのか。ぼくの軽い脳みそがカチャカチャと計算をはじめ、あるひとつの結論に至った時、ぼくの脳みそは夢想のリミッターが解除されて、思考の波が怒涛のように押し寄せてきた。朝の仕事始めで半分くらい眠っていた脳みそは、これで完全に覚醒し、まるで宇宙創成ビッグバンのインフレーションのような勢いで一気に拡大し、いろんなことを高速で同時に考え始めたのである。ここ最近、これほど短時間に脳みそがいろんなことを考えたなんてことはあっただろうか。
そうである。2日にわたる研修を鳥取の事業所でおこなうということは、つまりぼくは会社から鳥取への出張を命じられたということなのである。
なんてことだ!またもや出張にカコつけてサイクリングに行けるチャンスではないか!
研修は5月上旬の木曜日・金曜日である。研修が終わればフリーダムなわけで、つまり鳥取の地で週末のフリーダムを得ることができるわけである。これはスゴい!
せっかく会社が交通費を出してくれる出張なのだから、これを生かさない手はない。さすがに土日両日で遊ぶのは差し控えるとしても、土曜日一日は思いっきり遊んでも誰からも文句は言われない。

 

そうだ、鳥取をサイクリングしよう!
思考がそこまで行くと、もう完全にスイッチが入ってしまう。
即座にネット地図を立ち上げて、研修場所を中心にどちらに向かうか、どういうコースがいいかと検討が始まった。向かうのは西か東か南か。西は以前松江や出雲にサイクリングしたので新鮮さはないかな。東だと日本海沿岸をどこまで走るのかということになる。鳥取砂丘を見に行くのもいいのかな。いや、ここは南だろう。山陰地方から山を越えて山陽地方に至る道である。コースはいくつかありそうである。実際に中国地方を縦断するサイクリストは多いそうである。せっかく行くのだから、がっつり自分にチャレンジしてみたい。
そこから、仕事そっちのけでコースを検討したり、岡山からの帰りの手段を考えたり、そもそもどういう服装で行こうか、研修はどういう準備が必要なのだろう。そのために事前にホテルに荷物を送ることができるだろうか・・・など、物凄い勢いで思考が回転した。最近は仕事が変わって何かと忙しく、頭の回転を速くしてなんとか処理してきたけど、さらにこれを凌駕する勢いで頭を回転させていた。いや、好きの原動力ってスゴいな。

 

そんなわけで、たった1通のメールから、ほとんど午前中は仕事が手につかないほど夢想の翼に己を委ねてしまった。いや、実際のところ研修の内容や当日のスケジュールなどにより、そもそも自転車を持っていくことすらできないのかもしれないけど、今はただ夢想に身を委ねたい。まあ会社都合でいろいろ障害があったとしても、これを何とかクリアするところに出張サイクリングの醍醐味があるわけだしね。
このメールを送ってくれた研修担当の女性は今日は一日出張で不在だそうである。明日こちらに出社したら、研修のことをいろいろ聞いてみようと思う。彼女としては「なんて研修に前向きな人だろう」と思うかもしれないけど、実際はただサイクリングのことしか考えていないヤツだったりするのだ。
暴走した夢想は果たして現実になるのかどうか。

 

※ちなみに午後になってようやく落ち着いた気持ちでiPhoneのカレンダーを見たら、この完全フリーダムだと思っていた週末にランニングイベントが入っていることに気が付いた。日曜は早朝から起きて、富士裾野に行かねばならないのだ。
なんてことだ。週末は完全フリーダムだと思っていたのに、日曜はもちろん、日曜の早朝に出発するために土曜に無理ができないという制限付きの週末だったわけである。うーん、残念・・・。
コースを見直して現実的なサイクリングをするか、大人しく金曜日の夜に帰るか、どちらになるかな。

| 日記 | 13:43 | comments(0) | trackbacks(0)
DNS。

DNS、つまりDo not Startである。先週の横浜ロードレースは、非常に残念ながらDNSということになった。練習不足に加えて、強い風雨が予想されたこと、原因不明の足の違和感があったりで、大事を取って不参加とすることにした。いや、せっかく申し込んだのにもったいない話しである。
練習不足と言えば、最近は仕事が忙しくて、平日の練習はもちろん休日も練習ができていない。三浦マラソンが終わった以降はたぶん一度も走っていない。そして、先週半ばから足に違和感があって、足裏がつるような感覚やかかとの筋肉が引っ張られるような感覚があって、10キロとは言え、走って悪化したくないなーと思ったわけである。
いや、いろいろ言い訳はあるにしても、多少の練習不足や足の違和感や天気くらいでランニングイベントの参加を見合わせるようになってしまったなと、最近の弱腰っぷりを思うと哀しくなるね。
そう、今シーズンはこれ以外にもいろいろな事情で不参加のイベントがあった。1月の城南島羽田マラソン、2月の青梅マラソンである。特に青梅マラソンは苦労して参加の権利を得たにもかかわらず、である。体調不良とかやむを得ない事情がいろいろあったと思うけど、ホントにもったいない話しである。
ちなみに、横浜ロードレースはさきこもDNSである。どうも腰の調子が悪化している感じである。腰痛は完全に治らないまでも、治療を続けて緩和することはできるハズだから、せっかく空いたこの日曜日は、さきこを鍼灸院に連れて行った。去年ぼくの足の痛みを治していただいたところである。超音波治療なんかを施してもらったそうな。
この鍼灸院はこの春から営業時間が変更になるようで、夜は以前よりも1時間だけ遅くまで営業することになり、さきこも通いやすくなるかもしれない。

 

さて、ランニングのシーズンももうすぐ終わりである。5月に静岡のイベントに参加して今シーズンは終了である。今シーズン最後のイベントくらいは練習もして体調を万全にして、参加したいものである。多少の雨でも参加する気合いでいきたいものだ。
ところで、10月に開催される横浜マラソンの募集が始まった。まだ暑い日もある10月にフルマラソンのイベントがあることについては、いろいろ思うところがあるけど、前回の雪辱を晴らすためにも夏場はちゃんと練習しないといけないだろうな。
次のランニングシーズンが意義のあるものになるように、練習やダイエットなど、いろいろと心がけたいものである。

| Be RUNNER! | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0)
近況。

ブログがなかなか書けない状況である。4月に入ってもう6日も経つというのに、1個も記事をアップできていない。
新しい年度が始まっていろいろ忙しくなったのも原因だけど、それよりも大きいのが、ランチタイムの過ごし方の変化である。ランチタイムと言えば、まさにブログを書く格好の機会ということで、時間になるとぼくはいそいそとコーヒー屋に向かい、1秒すら無駄にしない機敏な行動でコーヒーとパスタをオーダーし、席に着いてパソコンを起動し、カチャカチャはじめ、パスタが届けられると猛然とこれを平らげ、またパソコンをカチャカチャやり出すといった感じで過ごしていた。しかし、この生活は明らかに炭水化物の摂り過ぎなわけで、もしかすると痩せない原因がこのランチパスタにあるのではないかとの思いに至り、ここは試しにパスタをやめてみようということになったわけである。少し気を遣ったランチメニューにすることにしたわけである。そうなると、休み時間にコンビニに行って弁当なんかを買ってこないといけない。弁当といってもご飯などの炭水化物のないものである。

 

さて問題は、ランチを食べた後にどこでブログを書こうかということである。愛用のサーフェスを会社のリフレッシュスペースでカチャカチャやるわけにはいかない。休み時間に鬼気迫る勢いでパソコンを、しかも会社が支給したものでないパソコンをカチャカチャやるなんて、ぼくが見たって怪しい行動である。仕事で使っているパソコンが自席にあるというのに、なぜリフレッシュスペースでパソコンをやるのか。しかもいわゆるネットサーフィンではなく、ずっとキーボードを叩き続けてるのはなぜか。まさかブログを書いてるとは誰も思うまい。いや、思うかもしれないけど、今どきブログにここまで気合いを入れてる人もなかなかいないわけで、それだってやはり怪しいわ。

 

そんなわけで、会社でランチを食べた後は、その足で外に出る。近くのコーヒー屋に行って、コーヒーを買って席に着き、パソコンをカチャカチャやるのである。今までと比較すると、時間の使い方としてはちょっと非効率な感じだけど、まあしばらくはこういう過ごし方しかないかなーと思う。

 

さて、冒頭のブログが書けないという話しで、その理由がこれでわかったと思うけど、単純に時間がないのだ。食事にかける時間や移動距離には大きな差はないと思うけど、どこかで時間をロスしてるのだろう。コーヒー屋の店内で座って、さあ書き始めようと思うと、意外に残り時間が少ないことに気付くのである。
今回はなんとかここまで書けたけど、さて、これからはどうなるだろう。もっと効率的に行動して、ロスタイムを極力少なくして、コーヒー屋でブログを書く時間が取れればいいなと思う。あるいは必要なのは、リフレッシュスペースで多くの社員がランチを摂る中でも、まったく気にせずパソコンをカチャカチャできる勇気というか、面の皮の厚さかな。

 

ところで話しはがらっと変わる。
さらっと書くけど、たった今、コーヒー屋でパソコンをカチャカチャやってる横の席で、大学生くらいの男性がノートパソコンを広げて何やら作業を始めた。いや、それだけならぼくとやってることは一緒なんだけど、パソコンでやってることが明らかに異なる。
パソコンで絵を描いているのだ。しかも、なんだかカワイイ女の子のイラストである。これはいろんな意味でスゴい。
このことだけでも、ひとつブログが書けるくらいに衝撃的な光景である。そもそもコーヒー屋で絵を描くのは許されるのか、いや、こんなカワイイ系の絵を公衆のど真ん中で描くことに何も抵抗を感じないのか。先に書いたとおり、社員が集まるリフレッシュスペースでパソコンをカチャカチャやることですら勇気が持てないぼくからしたら、この人の勇気というか面の皮の厚さは相当なものである。もう少し彼の様子を伺って、ぼくも彼を見習いたいものだ・・・と、ランチタイムが終わりそうなので、ここで終わりにする。

| 日記 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0)
卒業。

3月ももう終わりである。いわゆる年度末である。今までは特に何も感じていなかった3月末だったけど、今年は例年とは少し違う雰囲気である。
今度の4月で、ぼくの仕事上の役割が少し変わる。ちょっとだけ責任のあるポジションに変わるのだ。その他にも仕事や勤める会社の中で、いろいろ変わることがあるけど、この点が例年の年度末と大きく違うところである。このポジションに変わることで、長く続けてきた所定時間外労働、つまり残業が変わる。思えばこの変化のタイミングは不遇過ぎる処遇のために遅すぎる感も大いに否めないけど、いずれにしてもぼくは4月から新しいステージにシフトするわけである。いわば年度末は卒業式みたいなものである。
そんな卒業式な日は、午後半休で帰ってきてしまった。
実は前日がいわゆるXデーで、ここ数か月準備してきたことの本番みたいな日だったのだ。長いこと準備をしてきたこともあって、こういう日は異様にテンションが高い。仕事上の最大のクライマックスを自ら鼓舞して乗り越えるために、意識して気持ちを盛り上げているんだけど、そんなぼくを周囲の人たちは、「あの人、楽しそうに仕事するなー」なんて思っているようで、いや実際Xデーが始まってしまえば、テンションも高いし気持ちも盛り上がってるから仕事は楽しいし充実してるのを感じてはいるんだけど、だからと言ってこれをことさらにアピールするつもりはなく、いや逆に異様に盛り上がってるぼくをさらけ出すのが恥ずかしくて、なるべく大人しくしているんだけど、周囲にはぼくが盛り上がっているのがバレバレなんだそうな。ぼくもいい歳なので、内面をなるべく見せないように、落ち着いたオトナな雰囲気を出そうと努めていて、いくら気持ちが盛り上がり血沸き肉躍るテンションでいても、顔の皮膚の薄皮1枚の隔ててあくまでポーカーフェイスというか、いやいっそ憂鬱な仕事を前に眉間に皺を寄せてため息のひとつも出てしまう素振りをしていても、周囲にはぼくのハイテンションが伝わっちゃってるようである。
「いやー、ホント、楽しそうに仕事してますよねー」「運動会ではしゃぐ小学生みたいですね」なんて言われてしまった。ぎゃふん!
そんなXデーを経て、それが無事終了したこともあって、それまで気張っていた分、一気に気疲れが出てしまった。まあ成功裏に終わったXデーの翌日くらいは、半休したっていいってものである。ただ、この日がビジネスマンとしてある意味で卒業式であったことを思うと、半休したのはもったいなかったかもね。
そんなわけで、ぼくは仕事での大きなヤマを越え、4月から新しいステージに立つことになった。ぼくを取り巻く職場環境も少し、いやかなり変わるところで、しかもまだ始まってもいない段階から問題だけはいろいろ出てきちゃってる状況である。でも、頑張ろうと思う。新しいステージで、新しい視界からどんな風景が見えるのか。気負わず、気楽に、時に自分を鼓舞しつつ、楽しく仕事をしようと思う。
明日から4月である。

※新しいポジションに移行するのを前に、ちょっと思い立って過去の残業時間を調べてみた。ぼくはどうでもいいところに几帳面さを発揮するみたいで、今の会社に入社以来、自分で作ったエクセルで勤務状況を集計しているのだ。いや、自宅のPCには前の会社の勤務データもあるので、トータルして20年以上もの日々の勤怠データがある。
今の会社の分だけをちょろっと集計してみると、仕事の内容や役割の変遷によって残業時間が変わってきたことが分かる。入社当初から2、3年までは、60、70、80時間の残業はほとんど当たり前の世界だった。さすがに100時間超の残業はなかったけど、90時間を超える残業が年に1回くらいはあった。いやこんな働き方は今はできないな。当時は若さゆえか、転職による覚悟の現れなのか、そういう勤務もできていたみたいである。毎年まとめているこのデータをひとつに集計して保管しておこうと思う。ぼくが生きた軌跡を表わすひとつの材料である。

| 日記 | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0)
思い出の寄せ書きノート。

先週土曜日は、高校時代の友達で新橋のとある飲み屋に集まった。
この飲み屋というのが、日本各地の高校の卒業生に向けて、高校別の「寄せ書きノート」を置いている店で、以前からその存在は知っていたんだけど、どこにあるなんて店かまでは知らないままだった。先日ふと思い立って検索してみたら、場所と店名が分かって、ぜひ一緒に行こう!ということになった。
この店のホームページでは、店内にある寄せ書きノートのラインナップを検索できるようになっていて、ぼくの母校を検索してみたのだけど、見事に引っかからなかった。母校の周辺の高校は何校かヒットして、ぼくの母校よりも歴史の浅い高校すら寄せ書きノートがあるのを知り、これはぜひ行って寄せ書きノートを作らねばというほとんど使命感というほど、思いを固くした。ここはひとつ、ぼくが直々に最初の1ページ目を記してやる。
店に予約を入れて、まだ作られていない寄せ書きノートを新設する旨を伝えた。

 

当日は、ぼくが会社で仕事になっちゃって、店に到着したのは予約時刻から1時間半ほども過ぎた後だった。さきこをはじめ高校時代の友達は既に来ていてお酒を飲んだりしていたけど、寄せ書きノートはまだ作ってなかったようである。どうもぼくを待っていてくれたそうである。嬉しいね。
ぼくは席に座った早々に女将から説明を受けて、寄せ書きノートの最初の1ページ目を記載することにした。
新しい寄せ書きノートの最初の1ページ目は、必ず名刺を貼り、当時の思い出なんかも含めて、次に書く人が書きやすいような内容にしないといけないんだそうな。しかも、酔っていてはちゃんと書けないとのことで、お酒を飲む前に書くことというルールまである。
いや、そういうノリは望むところである。入学してから長い年月が経ち、ついに30年という節目を迎えたこと、当時の思い出や部活のことを書いた。ついでに当時付き合っていたさきこと結婚したことも書きつつ、最後には母校の憂うべき状況、つまり新設校として当時先生や生徒にも満ち溢れていた気概が、今や完全に失われ、これに呼応して学力レベルもどんどん下がっていき、県内有数のバカ高校、ヤンキー高校に成り下がったという憂うべき現状についても書いた。いつかきっと気概を取り戻して、「いい高校」として復活して欲しいということも。まさに、ぼくの母校に対する思いをそのままダイレクトに書き出したわけである。
まさにこれは、ぼくが以前からこの寄せ書きノートに書きたかったことである。そう、この時をずっと待っていたのだ。
しかしこの内容は、ぼくの身勝手な思いを書き連ねているだけのようにも見える。人によってはそんな風に思わないかもしれないし、さらにぼくの憂いのまさに向かう先となっている最近の後輩たちにとっては、年寄りの傲慢にも映るかもしれない。しかし、ぼくは全然気にしないのだ。だって、このノートはこの日参加した人以外には、きっと誰の目にも触れることはないだろうからである。
この店は新橋にあるわけで、西口側の飲み屋の多いエリアにある。この辺で働く人ならいつか店を訪れることがあるかもしれないけど、ほとんど断言できるけど、ぼくの後輩、特にここ十数年の卒業生たちがこの店に来ることはないだろう。なんて言うか、それほどバカであり、バカであるがゆえに視野が狭く、地元を離れて東京で働こうというほどの人は出てこないだろうと思うからである。それも少し残念な気がするけど、だからぼくは思う存分ページを浪費できた。校舎の絵なぞを描いてみたり、さきこが保管してくれていた高校当時の思い出の写真たちのカラーコピーを切り貼りしたりした。この日だけで、6、7ページほども使ったと思う。思うところを思う存分書けたので、ぼくは大満足だった。
でも、願わくば、続きのページも誰かに書いてほしいとも思っている。年寄りがいい気になりやがって、自分こそ高校で唯一出世した人だと言わんばかりに(いや全然思ってないよ)、寄せ書きノートを私物化しやがって・・・!などと書いてほしいものである。それはそれで、なんだか頼もしいというか嬉しいものである。

 

それにしても、ぼくはなぜここまで高校にコダワるのか。中学や大学と比較しても、高校へのコダワリようは突出している。
そこで思うのは、やはりさきこの存在である。ぼくの高校への思いの強さは、そのままさきこへの思いの強さに繋がるのだろう。高校を否定することは、さきことの歴史をも否定することになる。さきことの付き合いを意識する時、その思いはいつも母校に繋がっているのである。高校へのコダワリの原因は、さきこにあるんだろうね。
そう思うと、さきこだけじゃなく高校時代の友達と今もなお繋がっていることは、幸せなことなんだと思う。今もなお存在する母校を通じた仲間なのだ。これはもしかすると、統廃合によって校名はおろか、校舎も壊されて更地になっちゃった高校の卒業生から見れば、非常に恵まれたことなのかもしれない。バカ高校に成り下がっちゃった憂うべき事実はそれとして、高校が残っていることは実はとてもありがたいことなのかもしれない。
そして、今や新橋の飲み屋に寄せ書きノートが完成した。ここが新たな思い出の拠り所になるのだろう。
母校の存在が認められたような気がして、とても気分が良かった。
終電間際の新橋の街を、これほど気分良く歩いたのは、たぶん初めてのことである。

 

※ちなみに寄せ書きノートに貼り付けたぼくの名刺は、実は来月からでないと使えない、昇進後の名刺である。せっかくなので、ちょっと背伸びしてみた。このために名刺やさんに特急で名刺を作らせちゃったよ。

 

※最後にこのブログを書くにあたり、寄せ書きノートに書いた内容を一切写真に撮っていなかったことが悔やまれる。これはまたもう一度行くしかないかな。その時に続きのページが書かれていたら、ぼくはどう思うのだろう。なんだか楽しみである。

| 日記 | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0)
宇宙人発見?!

最近はフェイクニュースだのソースが怪しいキュレーションサイトなど、ネット上にはびこる信用できない情報が問題視されている。たとえばアメリカ大統領選の裏には、世論を誘導しようとする嘘ニュースがあったみたいな話しもあって、もしそうだとすると、もはやネットから情報を得ること自体がリスクになりそうだけど、「肩が凝るのは、背後霊の仕業かもしれません」なんて大真面目にアドバイスするようなアホなキュレーションサイトを見て「バッカで〜」と笑っていられるうちは、まだ大丈夫なのかなーと思う。
しかし、先日読んだニュースは、ホントにちゃんとしたニュースなのか分からず、「もしかしてぼくは試されているのか?」と思ったものである。

 

アメリカの天文学の研究所でここ数年何度か観測している「高速電波バースト」と呼ばれる現象が、もしかしたら宇宙人の仕業かもしれないと発表したのである。
光速電波バーストという現象をぼくは知らなかったのだけど、強い電波がほんの一瞬だけまたたく現象のようで、その発生源は地球から数十億から100億光年ほども離れているそうである。そんな深宇宙から数ミリ秒という極めて短時間の電波が発射される現象は自然界では考えられず、人為的なものとしか説明ができないそうなのだ。
たとえば、宇宙船にエネルギーを供給するための巨大な電波送信機があって、この機械から漏れたエネルギーが高速電波バーストの正体ではないかとか、太陽光帆船のような宇宙船に圧縮した恒星のエネルギーを照射するための装置ではないかとか、いずれにしても今の人類の科学力では到底不可能な技術だけど、高度に進化した地球外の知的文明なら可能ではないかというわけである。
ついに宇宙人が存在する証拠を見つけたというわけである。

 

宇宙人が存在するかどうかを考える時、考慮しなければならないのが「未だ地球人は宇宙人と出遭ったことがない」という揺るがない事実である。これをどう解釈するか、宇宙人が存在するかしないかの一つのポイントなのである。
「宇宙人は存在する」という立場では、既に宇宙人は地球に到達していて地球人に成りすまして生活しているから地球人は宇宙人と出遭っていないと思い込んでいるんだとか、太古の昔には宇宙人は地球人と接触していて、ピラミッドやクリスタルのドクロなど、当時の人類にはなかった科学力でいろいろ残してきたけど、それは有史以前の話し記録が残っておらず、今は既に宇宙人が地球を去った後だから、出遭っていないと思っているだけなのだなどと主張している。
一方で「宇宙人は存在しない」という立場では、まさに「現に宇宙人と出遭っていない」ことをそのまま証拠として主張している。出遭っていないんだから、そもそも存在しないのだというわけである。
ちなみにその中間として、「いるにはいるけど、彼らは地球からあまりにも離れているので、コンタクトする方法がないのだ」なんていう主張もある。また、地球との距離が比較的近くて、その距離を航行する科学力もあるんだけど、他の星のことに興味がないのかもしれないなんていう人もいる。つまり宇宙人は、地球人のように夜空の星を見上げて「この星々のどこかに自分と同じように空を見上げている人がいるかもしれない」なんておセンチなことは思わないというわけである。
「恒星はたいてい1個から数個の地球型惑星を従えていて、そんな恒星は銀河には何万もあり、宇宙には銀河が何万もある」という事実を思う時、ぼくはやはり宇宙人はいるんだろうなーとは思う。アインシュタイン先生が言う通り、光を超える速度は絶対に出せないから、数十光年以上に離れている星には現実問題として行くことができないというわけである。つまり宇宙人は存在するけど、決して会うことができない存在なのだ。
そんなぼくの立場から考察すると、今回の高速電波バーストのように、遠くの宇宙で宇宙人が宇宙船を動かした痕跡が見えたかもしれないというのは、非常に興味深い。遠くに宇宙人の痕跡を見たというのは、目の前に宇宙人が現われて意思疎通を図り、そのおかげで地球の遅れた科学力が飛躍的に向上するなんて夢みたいな話しではないにしても、この宇宙には地球以外に生命が息づいているのだと知ることは、人類に新しい世界観を与えるものだと思うのである。

 

しかし、である。
これ、ホントに宇宙人と断定していいのだろうか。
光速電波バーストを電波送信機から漏れたエネルギーだと想像してるけど、高度に発達した文明が作り上げた巨大な電波送信機が遠くの星の人たちに観測されるほどのエネルギーを漏らしちゃうようなことがあるのだろうか。太陽風帆船に照射する高エネルギーの太陽風が帆の大きさからはみ出して、それが遠くにいる地球に観測されるなんてことがあるだろうか。巨大な電波エネルギーを得られるほど科学が発達した文明で、「送信する時に電波が漏れちゃいました」とか「帆の大きさをはみ出すほど広範囲に太陽風を当てちゃいました」なんて原始的で非効率なことがあるのかな。効率よく巨大なエネルギーを得ようとするなら、漏れたりはみ出たりしないような機械を開発するものじゃないのかな。高速電波バーストを説明するために想像する宇宙人の科学力は、なんだか無駄が多いような気がするのである。これじゃ科学が発達してんだか、してないんだか分からなくなるわ。
いや、高度に発達した宇宙人の科学力を地球人ごときが想像できるわけがないのだとも言える。もっと別の目的、別の装置があって、その何らかの影響が高速電波バーストとして地球人に観測されているのかもしれない。それが何なのか分からない。そうなると、もう何が何だか分からないけどね。

 

そんな風に思う時、「パルサー」のことを思い出す。
パルサーとは宇宙に存在する特殊な天体のことである。恒星がエネルギーを使い果たし、エネルギーを放出する力が自身の重量とバランスを失った時に恒星はいろんな形でその姿を変える。超新星爆発をするものもあれば、物質を凝集して矮星になる場合もある。矮星の中でもエネルギーの残滓や凝集による新たなエネルギーなどが自身の中に蓄積されるものもあって、これが火山噴火のようにある一点から放出されるようなことがある。強いエネルギーが天体の一点から放出されるのである。天体の極以外に放出口ができたりすると、天体の自転に合わせてエネルギーが周辺にまき散らされることになる。遠くの天体がパルサーになって、エネルギーの放出口の延長線上にたまたま地球があったとすると、地球でそのエネルギーを観測できるのは、自転に合わせて噴出口が地球に向いたときだけということになる。つまり灯台の灯りのように、一定時間をおいてパッと光り、また一定時間後にパッと光るように見えるわけである。
パルサーが初めて観測された時、上に書いたようなパルサーの仕組みが分かっていなかったから、地球からの見かけでは一定時間をおいてまるで点滅するように信号が送られてくるように見えて、「これは地球に向けた何らかの信号だ」「宇宙人が地球に何らかのサインを送っているに違いない」と騒ぎになった。「やはり宇宙人はいたんだ!」となったわけである。
しかし、パルサーの仕組みが解明されて、自転によって定期的にエネルギー噴出口が地球に向いただけだということが分かったのである。矮星のある一点からエネルギーが噴出するなんてことは、よく考えてみればあり得そうな話しで、宇宙人の存在なんて突飛な考えに飛びつく前にちょっと冷静に考えれば分かりそうなものである。パルサーが定期的に信号を送ってるように見えるというのは、考えてみれば非常にアナログ的というか、単純な話しなのだ。

 

ニンゲンには、「自分以外に宇宙には知的な存在がいて欲しい」と思いたい気持ちがあるのだろうか。「我々は想像するにあまりあるほど広大な宇宙にたったひとつだけの奇跡的な存在なのだろうか」という疑問に、どうしても反論したいのだろうか。
今回の高速電波バーストにしても、考えてみれば案外単純な話しなのかもしれない。
その仕組みが解明されてみると、巨大な電波送信機や太陽風帆船を考える前にどうして思いつかなかったのかと思うようなものかもしれない。しかし、パルサーが発見されて、人為的なものかもしれないと勘違いした時代とは違う。そういう誤謬も含めて、知見として身についている科学者が、宇宙人かもしれないと判断したのである。ぼくの中にも「もしかしたら・・・」という思いがある。このニュースを信じたいと思う気持ちが存在するのだ。
フェイクニュースは何らかの意図があって人を誘導するものだけど、それよりも前に情報を受ける人が、事実に対してニュートラルであることを求められる、というわけである。ネットにはびこる嘘の情報は、結局のところ受け手側の問題なのかもしれないね。

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